椎名麟三 しいな・りんぞう(1911—1973)


 

本名=大坪 昇(おおつぼ・のぼる)
明治44年10月1日—昭和48年3月2日 
没年61歳 ❖邂逅忌 
静岡県駿東郡小山町大御神888–2 冨士霊園3区2号2492号
 



小説家。兵庫県生。旧制姫路中学校(現・姫路西高等学校)中退。見習いコック、電鉄乗務員、鉄工所職工などの職を転々、共産党に入党も転向。昭和22年『深夜の酒宴』『重き流れの中に』等の小説で〈第一次戦後派〉作家として登場した。『永遠なる序章』『自由の彼方で』「美しい人」『懲役人の告発』などがある。







 私は、どんなに美しい崇高な理念であろうと、私の死を与えるには、いささか貧乏くさい感じがするのである。私には、ほんとうのものと思えないからだ。そしてもしその理念が一転して、私に私の死を要求するならば、指先に押えられた蟻のような情ない滑稽なあがきにすぎなかろうとも、私はどこまでもその滑稽なあがきを、その理念の崇高さに対立させてやるつもりなのである。たとえ誰が考えても死がその場合決定的なものであり、それから逃れることは不可能であろうとも、私は、思いをつくし、力をつくして、蟻のようにあがいてやるつもりなのである。卑怯、下劣、臆病、馬鹿、という言葉が、その私に与えられようとも、その言葉を輝かせることが私の使命であるように、あがきにあがきつづけてやるつもりなのだ。その私に死がやって来ようと、それは私には責任のない偶然の結果なのだ。私は、蟻のように死ぬのだ。そして、私は、それを名誉とするものである。どんな意味に於ても、ほんとうにもう駄目だ、なんて考えて、他から与えられた死を私の必然性とはしてやらないつもりなのである。
                                                           
 (美しい女)



 

 麟三を産み落とした3日後、母は鉄道自殺を試みた。誕生から悲しみを背負って歩き始めた彼の道程は重く、中学校を中退して家出する。果物屋の小僧から出前持ち、コック見習いなどを転々とし、流されるようにして生き延びているようであった。
 宇治川電鉄(現・山陽電鉄)に車掌見習いとして入社、まもなく共産党員となった。検挙され、獄中生活も送った。ニーチェによって転向、ドストエフスキーからは文学を志す啓示を得て、キリスト教によって精神的に解放され、遂には「自由」を見たのであった。
 キリスト教作家・椎名麟三は、昭和48年3月28日午前3時50分、脳内出血のため東京・松原の自宅書斎において結末のページを閉じることになった。



 

 昭和38年の晩秋、ベレー帽を被り、ふくよかで柔和な微笑みをたたえた椎名麟三の講演が郷里の高校であった。
 麟三による脚本・演出のミュージカル『姫山物語』を上演したあとの体育館でのこと。当時自転車通学をしていた私は、毎朝、毎夕その作家の生家のあった姫路西北、書写山裾の集落を通っており、いくらかの知識をもって、親しみを感じながら聞いたことを記憶している。
 そんな遠い想いで佇んでいる「大坪家」の墓に、富士スピードウエイから響いてくるエンジン音が、山から駆け下りてくる木枯らしを吹き戻すように、墓石の背後から次々に襲ってくる。眼下には霞んで薄れた町並みが蜃気楼のように揺れ、奇妙な空間・風景が屋外映写会のスクリーンのように見えた。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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