新・山の雑記帳 11

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 1.最 新 の 雑 記 帳
 漸く復活の兆し  2020.6 記

 『 歩き 』 に重きを置いた登山 3 (鷲ヶ峰、車山など 霧ヶ峰)  2019.7 記

 『 歩き 』 に重きを置いた登山 2 (角間山、湯ノ丸山、烏帽子岳)  2019.6 記

 『 歩き 』 に重きを置いた登山 (三峰山、鉢伏山)  2019.6 記

 残雪の乗鞍岳を楽しむ  2019.5 記

 長らくのご無沙汰の言い訳を少し  2019.4 記

 久々の登山 大菩薩嶺  2018.11 記

 バテバテの阿弥陀岳・赤岳  2018.8 記

 2.これまでの 新・山の雑記帳 10    ('2018/1 − '2018/8 )      ←   こちらもご覧下さい

 3.これまでの 新・山の雑記帳 9    ('2017/5 − '2017/11 )      ←   こちらもご覧下さい

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 5.これまでの 新・山の雑記帳 7    ('2015/12 − '2016/6 )      ←   こちらもご覧下さい

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漸く復活の兆し  2020.6 記

長らくのご無沙汰、深くお詫び申し上げます。
このホームページの最終更新日が 2019年の 7月31日となっていたことから、何と 10ヶ月ぶりの更新となる訳で、その間の怠惰を深く反省している次第であります (このような反省・お詫びを ここの場で何回したことか・・・)。
そして、現状、新型コロナウイルス感染に係わる緊急事態宣言が解除となったとはいえ、自主的にステイホームを実践する今日この頃、 時間に余裕があることから少しずつホームページの更新に努めていくつもりですので、今後とも宜しくお願い申し上げます。


ということで、まずはこの 10ヶ月の状況について、言い訳を含めながら少し述べたいと思う。
ホームページは、このメインページにて 霧ヶ峰登山についての報告したところで止まってしまっていたが (2019年7月31日発信)、その後、全く山に登らなかったという訳ではない。
とはいえ、その回数は少なく、恒例の鎌倉散策の下見を含めても僅か 3回のみで、これは偏に小生の怠慢によるものである。

その怠慢を生じさせた原因はいくつかあるのだが、今振り返ると、体力の問題からくるものが一番大きいと思われる。
具体的には、以前のようなペースでは登れなくなった自分にショックを受けてしまったということなのであるが、若い頃ならばともかく、 山に登ることが体力増強に繋がると思い込んで普段は何も身体を鍛えることをしなかったため、体力・筋力は落ちていくばかりである という状況に気づいていなかったのである。
山に行くたびに体力が落ちていることを実感し、そのことが精神的にもダメージを与え、どこかで山を避け始めていたのだと思っているが、現在は少しずつ体力増強に努めているので、 また山に登ろうという気が起き始めている状態である。しかし・・・

さて、上述のようにわずか数回の山行であるが、その行き先について述べさせて頂くと、7月の 霧ヶ峰・鷲ヶ峰の後は 9月に飛んで登山規制緩和期間中であった 御嶽に登り、そして同じく 9月に 谷川岳にも登った後、また暫くブランクを生じさせてしまい、11月に鎌倉散策の下見に広町緑地に行ったというものである (この鎌倉散策の下見を登山というのは烏滸がましいが、それでも結構アップダウンはあって楽しめた。なお、鎌倉散策の本番は 12月に実施。)。
このようにかなり間隔が空いてしまっているとはいえ、あまりテンションが上がらない中でも何とか 11月までは山に登ってきたのではあるが、 12月以降は全く山から離れてしまった状態になってしまっている。

ここからが言い訳の核心なのであるが、実は 12月後半以降、“めまい” が生じるようになり、山に行ける状態ではなくなってしまったのである。
そのめまいの状況であるが、普段の生活にほとんど支障はないものの、顔を右に向けると 「ブーン」 という音が聞こえて、何とも言えないフワフワした状態になるとともに、気分が悪くなるのである。
ここで気を失わず (少々大げさであるが)、また顔を正面に戻せば症状はすぐに治まるのであるが、これでは怖くて車の運転などできず、また山で滑落することも考えられ、 そのため山に行くことを控えることにした次第である。

脳の病気も考えられるため、すぐに医者に行くべきであることは分かっていたのだが、結構忙しく、さらにはすぐに年末年始を控えていたため、 医者から 『悪い宣告』 を受けて暗い気持ちで年を越すのが怖く、年が明けてから医者にいくことにする。
一方で、年齢の所為か、血圧がかなり高くなってきており、さらには肩がかなり凝った状態が続いたため、このめまいは高血圧が原因ではないかと素人判断し、 血圧を下げるべく毎日 1万歩以上歩くことで対応していたのであった。

年が明けると、血圧の方は依然高い状態にあるものの、肩こりの方は解消してくれて一安心であったが、めまいの方は相変わらずの状態が続く。
ただ、恐ろしいことに、めまいが起こるという状況に段々慣れてきてしまい、あまり医者へ行く必要性を感じなくなってしまったのであった。
さらには、1月に健康診断があったので、その時の問診において医者にめまいの旨伝えたのであるが、もっぱら焦点は血圧の方であったため、とにかく血圧を下げることが先と思い込んでしまったのである。
そうこうしているうちに、再び忙しくなり、ズルズルと日が経ってしまう中、今度は新型コロナウイルス感染症の拡大が生じ、病院に行くこと自体が怖くなってしまい、 今日に至っているという状況なのである。

徐々にめまいの症状が治まりつつある中、素人判断で、このめまいは高血圧によるものではないのではないかとも思うようになり (耳石のかけらが三半規管に入った、脳卒中の予兆 等)、早く医者に行くべきことは分かっているのだが、未だに病院へ行くのが怖く踏ん切りがつかない状況である。
加えて、小生の住む横浜市瀬谷区では近隣のいくつかの病院に新型コロナウイルスの集団感染が発生しており、そのことも、足を病院に向けることができない大きな要因となっているのである。

一方で、心が少しずつ山に向かいつつあるので、近隣の山には行けそうな状況になってきている (それ程めまいが問題になる状況ではなくなってきているので、 車の運転も何とかなりそうである)。
しかし、緊急事態宣言解除と言えども他県への移動はもう少し自粛すべきであるとのことなので、もう暫くは自宅周辺を歩くことに専念して体力を維持するようにしようと思っている。
何しろ、高血圧を抱えた高齢者にとって、今回の新型コロナウイルスに感染することは致命傷になりかねないので、用心に越したことはないと思う次第である。

なお、毎日の散策であるが、小生の家の周辺には 2015年に米軍から返還された広大な旧上瀬谷通信施設の土地がある他 (その一部に入ることができる)、 瀬谷市民の森、上川井市民の森、追分市民の森、矢指市民の森などの自然も多く、また西側の大和市の方へと進めば、境川サイクリングロードやさらには深見城跡地の森もあって、 なかなか歩きどころが多く、楽しみながら歩く場所に事欠かない。
追々、このホームページでもご紹介できたらと思っている。

ということで、今回、まずは中途半端な報告で終わったままの 昨年 7月における 鷲ヶ峰・車山の記録を掲載することから再スタートすることにした。
緊急事態宣言中、山岳関係の団体も登山自粛を呼びかけており、そのため ヤマレコへの報告も過去の登山記録が多かったが、小生も過去の未報告分を早く精算して現在まで進み、 さらには新しい山行の報告ができるようになりたいものである。


『 歩き 』 に重きを置いた登山 3 (鷲ヶ峰、車山など 霧ヶ峰)  2019.7 記

左膝ならびに右足首の痛みを考慮して、このところ 『 登る 』 ことよりも 『 歩く 』 ことに重きを置いた登山を続けているが、 今回もその趣旨に沿って山選びを行い、百名山の 1つ、霧ヶ峰に登ることにする。
この霧ヶ峰には既に 2回登っているためやや目新しさにかけるが、その 2回はいずれも強清水から車山、八島ヶ原湿原、鷲ヶ峰と辿ったものであり、 今回は全く別のルートを辿るので楽しみの方が大きい。

そのルートであるが、先日 三峰山に登った際に和田峠から鷲ヶ峰に登ることができることを知ったため、今回はその和田峠を起点として車山を目指すことにしたものである。
さらにそこに、まだ登っていない男女倉山 (おめくらやま、別名 ゼブラ山) を絡ませようというもので、これならば大半が未知のルートになるため、マンネリ感は全くないと言って良い。

7月10日(水)、4時半に横浜の自宅を出発する。本日、現地は曇りがちとのことで天候の方はあまり期待できないが、梅雨時であることを考えれば山に行けるだけでもありがたい。
横浜ICから東名高速道下り線に乗り、海老名JCT−圏央道と進んで、八王子JCTから中央自動車道に入る。
天気は曇り。途中、大月ICを過ぎた頃に霧雨に降られてヤキモキさせられたものの、笹子トンネルを抜けると日が差す状態となってホッとする。
しかし、それも長くは続かず、途中からドンヨリとした空模様となり、南アルプス、八ヶ岳はほぼ見えない状態で気分が沈む。

先日の三峰山の時と同様に諏訪ICで高速を降りて国道20号線、県道40号線と進んで霧ヶ峰高原に至り、 霧ヶ峰高原からはビーナスラインに入って 『 和田峠 農の駅 』 を目指す。ここでも雲が多い状態が続く。
『 和田峠 農の駅 』 には 7時13分に到着。前回と同じく道路を挟んで反対側の広場に車を駐める。
天候のためか、今回、他に車はない。

身支度を調え、7時18分に出発、車道を三峰山の時とは反対方向、つまり辿って来た方向へと戻る。
峠橋 (下を国道142号線が通る) を渡り、緩やかに右にカーブしていくと、車道の右手に 『 左 鷲ヶ峰・八島湿原 』 と書かれた標識が現れ、鷲ヶ峰まで約1.8kmとある。時刻は 7時21分。
標識に従って、道路左側にあるガードレールとフェンスとの間を通って樹林帯に入る。すぐに道は右に折れて (ここにも標識あり) ササ原の中の土の道を進む。 梅雨時のためか、足下はややぬかるんでいるものの、周囲にはカラマツが多く見られ、傾斜は緩やか、時折 鹿の鳴き声も聞こえてなかなか気持ちの良い道である。

樹林帯を抜け出たところで道は左に折れ、樹林帯のキワに沿っての登りが始まる。時刻は 7時26分。
足下には人為的に敷かれた石が見られ、また階段も所々に設置されていて、整備されていることを感じさせる。
しかし、一方で道幅が狭いことから左右の草が伸びてきており、前日の雨に濡れた葉がズボンを濡らす。
周囲にはレンゲツツジも見られ、盛りは過ぎているものの、開花中のものもある。

やがて、斜面の先に送電線の鉄塔が見えてきて、道はその鉄塔の左側を登っていく。
すぐに左手にガードレールが現れたので驚いたが、この道は前方に見えてきた電波塔へと通じているようである。道の方もその電波塔を目指して登っていく。
途中、左手を見ると、雲の中に浅間山、黒斑山と思しき山が見えたが、全体的に雲が多く、展望はほとんど得ることができない。
やがて登り着いたピークは砂地の小さな広場になっており、件の電波塔は東側斜面に立っている。
帰宅後に地図を見ると、この場所には 1,621.4mの三角点があることになっている。しかし、この時はそのことを知らず、境界石だけが目に入っただけであった。時刻は 7時38分。

ここからは一旦東に進み、すぐに南へと下って行く。下りに入る手前で前方の展望が開けるが、目指す鷲ヶ峰はガスに囲まれていて見ることができない。
樹林帯の中の下りが続く。帰りにここを登り返すことを思うと少し気が滅入る。
下り終えると樹林帯を抜けて平らな場所を進むようになり、標識には 『 鷲ヶ峰 約1.4km 』 とある。時刻は 7時46分。
目の前には次の高みが見えており、その斜面途中に送電線の鉄塔が 1本、さらに先のピーク付近にもう 1本立っている。

道は再び樹林帯に入り、そのピークに向けて登っていく。足下は丸太横木の階段となっており、ここもよく整備されていることが分かる。
7時52分にその高みに登り着くと、目の前に先ほど下から見えた 2本目の鉄塔が立っており、その周囲を金網が囲んでいる。
道は平らになってその金網の横を進んでいく。前方には 3本目となる鉄塔が立っているのが見え、さらにその向こうに鷲ヶ峰らしき高みがあるのが分かるのだが、 相変わらずガスに囲まれていてその姿を見ることはできない。
しかし、その少し右上に青空が見えているので、鷲ヶ峰に着く頃にはガスが消えているかもしれないとの期待を抱かせる。

その 3本目の鉄塔も金網に囲まれており、道はその横を抜けていく。左手を見れば、それぞれの鉄塔から東に延びる送電線が谷へと下り、 さらに先の高みへと登っていくのが見える。しかし、その高みの上部は雲に覆われている。
暫くは緩やかな道が続き、やがて樹林帯に入ると登りが始まるものの、この登りは短い。それよりも、周囲にガスが立ち込め始めたのが気になるところである。

そのガスも一過性だったらしく、斜面を登り切って樹林を抜けるとガスもなくなって展望が開ける。
がしかし、相変わらず鷲ヶ峰はガスの中である。
振り返れば、先日辿った和田山北峰が見えるものの、その後方の三峰山は雲の中である。一方、三峰山の右下方にある三峰展望台 (三峰茶屋) は確認することができる。 なお、このピークは地図上の 1,668mピークと思われる。時刻は 8時3分。

ここからは暫く平坦、あるいは緩やかなアップダウンの道が続き、足が進む。
道は樹林の中を出入りしながら進んでいく中、樹林を歩いている最中に日が差し込んできたので少しテンションが上がる。
道の左右に見られたササは徐々に消え、やがて草地の中を進むようになると、ほぼ平らだった道に傾斜が現れるようになる。
足下は土よりも石が目立つようになり、周囲の木も疎らになって、やがて草付きの斜面の登りへと変わる。
ここが鷲ヶ峰への最後の登りだとすれば、先ほどまで鷲ヶ峰を覆っていたガスはなくなりつつある訳で、やがて斜面の先に青空も少しずつ見えるようになり、期待が膨らむ。

少し傾斜が急になった斜面を登り、まだ花を多く咲かせているレンゲツツジの脇を抜けると、周囲は灌木帯に変わるとともに、 傾斜が緩んで頂上が近いことを予感させる。
レンゲツツジがチラホラ咲いている中を緩やかに登る。残念ながら先の方に青空はなく、少しガスが漂っている感じであるが、間違いなく下から見た時よりも状況は良くなっているようである。
そして、斜面を登り切ったところが鷲ヶ峰頂上で、ここには標柱、方位盤、ベンチがある他、御料局三角点が置かれている。
時刻は 8時34分。残念ながら周囲の山々は雲とガスに覆われていて展望を得ることができない。

暫し休憩して先へと進もうとした際、標柱に 『 鷲ヶ峰山頂 1,798.3m 』 と書かれていることに気がつく。
小数点以下の表記があるということは三角点があるということなので、出発を取りやめて三角点を探す。なかなか見つけることができなかったのだが、 何とか御料三角点と境界石との間の後方の草むらに三角点を見つけることができたのだった。
過去 2回の登頂では三角点の存在に全く気づいていなかったため、今回こうして三角点を踏むことができて本当の登頂を果たした気分である。

8時47分、改めて出発、先へと進む。相変わらず周囲はガスが多く展望はほとんど利かないが、 前方の山々は何とか見え、その山間 (やまあい) に赤い屋根が見えている。その時は八島ビジターセンターかと思ったのだが、帰宅後調べると、 ビジターセンターよりも南にある 『 鷲ヶ峰ひゅって 』 であると判明する。
灌木帯の中を進む。途中、レンゲツツジの群生が見られたので、花期にはこの辺は朱色に染まりさぞかし見事であろう。

やがて道が緩やかに下り始めると、前方、ガスが少し漂う中に緑の斜面を有した尾根、そして高みが見えてくる。 三峰山と同じく木がほとんど生えていない状態であるが、異なるのは斜面がササ原ではなく草原 (くさはら) であることである。
晴天でないのが残念であるが、それでも緑の尾根上を通る登山道に心が浮き立つ。

道の方は一旦少し小さな高みに登った後、下りに入るところで右 (ほぼ南) へと下って行く。
下る先を見やれば、先ほど見えた緑の尾根が鞍部から一直線に上方へと伸びており、その先に鈍角三角形の高みが待っている。
上述のように、その高みは一面草原となっており、その後方の景色がガスで見えないだけに、緑の鮮やかさが一層際立っている。
鞍部へと下り、そこからは緩やかに登っていく。足下には昨日の雨のせいであろうか、水たまりが数ヶ所見られるもの、歩きにくいほどではない。

なお、尾根上を進んでいるので、本来であれば左右の景色が良く見えるはずであるが、ガスに囲まれた状態のため、 前方も含めて展望は全くない。
但し、歩いている尾根自体はよく見えており、振り返れば鷲ヶ峰も見えている。
しかも、その後方に青空が広がっているので、今後の展開次第では展望が得られる可能性が高い。

鈍角三角形の高みには 8時58分に到着。
狭い頂上には石が積まれているものの、ケルンというよりもかつてここに祠があったのではと思わせるような風情である。
また、その積み上げられた石のそばには 『 御嶽神社 』 と彫られた石碑も置かれている。
ところで、この石碑の記憶はあるものの、一面が緑の高みを通った記憶がない。しかし、よくよく考えれば、過去 2回の鷲ヶ峰登頂は 3月と 11月だったので、 雪に覆われていたり、茶色の山肌だったのかもしれない。

なお、ガスに囲まれていて展望は得られないと述べたが、ガスは上部に漂っているため、 ここからはガスの下に広がる八島ヶ原湿原を見ることができる。
八島ヶ原湿原は、Googleの航空写真などで見るとハート型をしているものの、ここから見る湿原はすぐ手前に横一直線に走る尾根があるため、むしろ三角形である。 その三角形の他の 2辺も山の際にあり、さらに湿原が緑の芝生を張ったように見えるため、外野席から野球場を見ているようである。
湿原の左端には鎌ヶ池も見え、その後ろに奥霧小屋も確認できる。しかし、さらに後方に見えるはずの車山はガスの中である。

道の方は一旦少し下った後、また高みに向けて登っていく。
この辺では灌木が増え始め、レンゲツツジの群生も見られて、中には丁度満開状態のものもある。
9時6分に 2つ目のピークを通過、ここでは先ほどのような石積みや石碑は見られない。
道はすぐに下りに入り、灌木帯の中を下っていく。足下は砂礫、そして砂礫の中に小さな岩が多く見られるようになり、滑りやすいので要注意である。
やがて下方に八島ビジターセンターが見えてくる。

また、嬉しいことに下っている最中に車山を覆っていたガスも少しずつとれ始め、車山頂上の気象レーダードームも確認できるようになる。 雲の間に青空も見え始め、この後の展開に期待を持たせてくれる。
一方、八島ビジターセンターを見るとバスが数台駐まっており、その脇に 6〜70人ほどの子供たちが集まっている。
どうやら校外学習のようであるが、今のペースだとその子供たちと合流してしまう可能性が高く、ここまで楽しんできた静かな山旅ができなくなりそうなので少しガッカリする。

ほぼ一直線に下っていた道は、やがて八島ヶ原湿原の右端 (西側) に向かうように方向を変えていく。
岩屑の道を暫く下っていくと、やがて道は平らになり、鹿避けのゲート (ゲートA) を潜る。時間は 9時20分。
ここには八島ビジターセンターへの分岐があり、八島ヶ原湿原は直進である。
灌木帯を下る。この辺ではニッコウキスゲが見られるようになり、黄色の花が夏らしさを感じさせてくれる。
やがて、近くに子供たちの声が聞こえるようになると、道は丁字路となり、左へと進む (右はビジターセンター)。
そして、少しぬかるんだ道を下って道がほぼ平らになれば、八島ヶ原湿原を囲んでいる木道に合流する。時刻は 9時28分。

案の定、先ほどの子供たちの中に入り込んでしまっており、グループ毎にかなりばらけた子供たちを追い抜いて進むことになる。
さらには、人が多いことから落ち着いて八島ヶ原湿原の写真を撮ることがなかなか難しい。一応、木道は 2本敷かれているのだが、ひっきりなしに子供たちが歩いてくるので、 じっくり撮ることができず、加えて鎌ヶ池付近では木道が 1本になってしまい、さらに苦労する。
それでも、何とか鎌ヶ池を写真に収めるが、緑の草地の中に周囲の緑を映す鎌ヶ池はなかなか美しい。こういう湿原が気温の上昇や降水量の減少によって乾燥化してしまわないことを願うばかりである。
なお、湿原の先に見えている車山は時折ガスにその姿を隠すという状態が続いている。

何人もの子供たちや観光客を追い抜いていくと、やがて湿原を離れた木道の先に建物が見えてくる。休業中の奥霧小屋で、到着時刻は 9時38分。
右に御射山 (みさやま)・沢渡 (さわたり) への道を見て、数件の建物の前を進んでいくと、また鹿避けのゲート (ゲートC) が現れる。 確かに、鹿がこの湿原に入りだしたら食害で大変なことになりそうである。
ゲートを潜り、子供たちと並んで砂利道を進めば、少し先にコンクリートブロックとトタンの外壁からなる建物が現れる。
この倉庫のような建物の正体は不明であるが、右手には公衆トイレが設置されている。時刻は 9時41分。

男女倉山に向かうには、この建物の手前を左に折れて細い道を進む。子供たちは道なりに進んで物見石方面を目指すようなので、ここからはまた一人旅である。
なお、この男女倉山への道は少し分かりにくいものの、傍らには諏訪市教育委員会作成の小さな地図が置かれており、それを見落とさなければ問題はない。

左に進んで、小さな土手を越えると、そこからはササ原が広がる。少しササが伸び気味であるものの、道は明瞭、しかし、ぬかるんでいるところが多い。
もしかしたら、ここはかつて湿原であり、それがササ原へと変わってしまったのかもしれない。確かに、振り返ればササ原の少し先には草地が広がっている。
そして、その草地のさらに後方には鷲ヶ峰とそこから辿って来た尾根が見えている。

道はクネクネとしながらも、斜めにササ原を横断していく。
やがて、ササ原の北の端に到達したところでコメツガ ? が一列に並ぶ場所を通り抜け、その後 道は右に曲がる。
足下にササは残っているもののすぐに草地へと変わり、周囲には木々が見られるようになる。
傾斜も徐々に出始め、やがて周囲が灌木帯になってくると、前方には北の耳、南の耳が並ぶ山彦尾根が見えてくる。
また、振り返れば、八島ヶ原湿原も見えているが、その後方の山々にはガスが絡んでいる。
周囲の草地はやがてカヤトへと変わるものの、暫く登っていくと再びササ原が現れる。

少しぬかるんだ斜面を登り、道は左(北)へと緩やかにカーブして行く。
後方からは物見石へと向かう子供たちの歓声が聞こえてくる。
傾斜が少しキツくなってくると、足下は岩屑の道へと変わり、やや荒れ気味となる。
振り返れば、物見石から蝶々深山へと続く尾根が見え、その後方に車山が再び姿を現しているが、まだガスが絡み気味である。
右手の山彦尾根にもガスが絡んでいる。但し、左手の鷲ヶ峰はしっかりと見えている。
やがて、やや荒れた斜面を登り切ると、目の前に緩やかな円弧を描く高みが見えてくる。恐らくあれが男女倉山であろう。
ここからはササとカヤトが入り交じる斜面をほぼ一直線に登り、10時7分に男女倉山頂上に登り着く。

頂上は草地となっていて、そこに立派な標柱が立っているものの、やや殺風景である。
展望の方も、ガスが流れていて今ひとつの状況だが、それでも西側の鷲ヶ峰は何とか見えており、八島ヶ原湿原はそこだけスポットライトが当たっているかのように明るく見えている。
車山や南の耳は流れるガスに見え隠れする状態であり、北の耳はその頂上部分がガスの中であるものの、ここから北の耳へと向かう道は草原の中にしっかりと見えている。

暫し休憩し、10時19分に出発、東側へと下る。
下方に広がる草原には、北の耳へと向かって一直線につけられた道が見えており、時折、ガスがその草原を流れていく。
風雪に耐え続けてきたことが一目で分かる変形した木々の横を下り、10時23分に鞍部に下り着く。
見上げれば、丸い形をした北の耳がガスの中にチラリと見えている。
右手の南の耳は三角形をしており、面白いことにそこだけ日の光が当たっている。
そして、この 2つの耳を結ぶ山彦尾根は、僅かに上向きの円弧を描いている。

この辺は道に水が染み出ていて歩きにくいが、白い花が満開のコバイケイソウの群生を過ぎ、傾斜が出始めると歩きやすくなる。
緩やかな斜面を登る。上方の北の耳はガスにその姿を見え隠れさせている。
高度が上がってきたところで振り返れば、北西の方向に三峰山が見えている。頂上部にはまだ雲が絡んでおり、流れるガスでボンヤリとしてはいるものの、 先ほどまでは姿形がほとんど確認できなかっただけにこれは嬉しい。

道の方はこのまま北の耳に直登するのかと思ったら、一旦北の耳の左側 (北西側) に登り着いた後、右へと進んで北の耳へと向かっていく。
なお、ここまでは草原 (くさはら) が続いていたが、右に曲がってからはササが目立つようになる。先ほどのササ原もそうだが、 この霧ヶ峰はササが本来の植生を飲み込み始めているのではないだろうか ?
広く緩やかな斜面を登っていく中、周囲にはレンゲツツジの群生が見られるようになる。現状、花はほぼ終わっているが、その数から想像するに、最盛期にはこの辺はさぞかし見事であろう。 ここはレンゲツツジの穴場なのかもしれない。

10時45分、左に姫木平への道を分けると、そこから一登りすれば北の耳の頂上であった。時刻は 10時47分。
残念ながらここも周囲にガスや雲が多く、展望はほとんど得られない。一応、目の前の南の耳は見えているものの、その左後方の車山は完全にガスの中である。
10時50分、小さな岩が散在する道を下って南の耳へと向かう。斜面を下りきれば、そこからは草とササが入り交じった原となり、周囲に木々はほとんどない。 また、南の耳の左下方にはスキー場が見えている。

南の耳には 11時4分に到着。ここからは先ほど登った男女倉山、そしてその左後方に鷲ヶ峰を見ることができたものの、 先ほどチラリと見えた三峰山は再びガスの中である。一方、車山は相変わらずガスが絡み気味であるが、その稜線はほぼ確認できる。
南の耳から下ると、また草原の中のほぼ平らな道が暫く続く。前方右手には蝶々深山が見え、そこまで簡単に辿り着けそうであるが、 道はそちらには進まずに南東に進んで蝶々深山の左斜面を乗り越えていく。
この辺も草とササとのせめぎ合いが行われているようで、草地の中に時折ササ原が現れる。

緩やかに登りながら振り返れば、南の耳から西に下る斜面の向こうに鷲ヶ峰が見えており、さらに右には三峰山も見えている。
三峰山は、本日初めてその頂上をスッキリと見せてくれており、その木々の生えていない、緑のドームが魅力的である。
また、前方の車山は徐々に大きくなってきており、このまままっすぐ進めば蝶々深山と車山との鞍部へと下れそうであるが、道は直進を避けて蝶々深山の東側で左(東)に曲がっていく。
その先には土手のような尾根が横たわっており、道は一旦下った後にその尾根へと登らねばならないようである。
少し疲れてきており、その登りが億劫に感じられたので休みたかったのだが、ポツリポツリと雨粒が落ちてきたため、仕方なく休まずに進む。

広い草原を進んだ後、その尾根に向けて緩やかに登っていく。
左に姫木平への道を分けて尾根上に登り着くと (11時33分)、ここからは右に曲がってその尾根上を進んでいく。
正面には車山が大きく、頂上の気象レーダードームもよく見えている。
なお、ポツリと来た雨はどうやら止んでくれたようでホッとする。
ほぼ平らでまっすぐな尾根上の道は、やがて緩やかに下り始め、蝶々深山から下ってきた道との合流点へと向かっていく。
この辺も草地で、所々にレンゲツツジの群生が見られる状況である。

下り着いた所が 『 車山乗越 』 で、先に述べたようにここは蝶々深山から車山へと続く道との合流点となっている。
時刻は 11時40分。
なお、よく見ると、そのまま直進して車山へと登る道が斜面上にうっすらと見えているが、そこには 『 立入禁止 』 の札が置かれている。 また、その札の横に岩がいくつかあるのだが、この岩は 『 夫婦岩 』 とのことである。
道を左にとって車山へと向かう。緩やかに下って行くと、左手の草原に大きな岩がいくつも現れる。
その中の 1つを見てドキッとする。スヌーピー岩である。聞いてはいたものの、まさかこれ程スヌーピーにそっくりとは……。

前方下方に車山高原のホテル群を見ながら下って行くと、丁字路に突き当たる。左は車山高原駐車場、そして車山は右である。時刻は 11時44分。
ここからは車も通れるような広さの、丸太が埋め込まれた砂利道を登っていく。一旦右にカーブした道は、途中で左に折れて丸太風プラスチック ? の横木が並ぶ階段状の坂を登る。
さすがにここまでノンストップで来たためこの登りが辛い。加えて、この階段は、横にした丸太風プラスチックを 2本縦に積み重ねて階段の蹴込み板部分を形成しており、 その高さが肝心の踏面 (ふみづら) よりも高いので、一々蹴込み板を越えねばならず疲れが増す。
途中、振り返れば蝶々深山の右後方に三峰山、そして左後方に鷲ヶ峰が見えたので、これ幸いと立ち止まって写真を撮って息を整える。また、左手下方には白樺湖も見えている。

道はリフトにぶつかった所で右に折れるが、そこからも階段は続く。そして、漸く辛い階段は終わったものの、 ここはリフト駅の横で頂上に非ず。頂上へは、ここからさらに階段を昇っていかねばならない。時刻は 11時59分。
ただ、この階段は踏面と蹴込み板の部分の高さが同じなので歩きやすい。また、階段の先には車山神社と気象レーダードームが見えているので俄然元気が出てくる。
そして、車山神社の後ろを通り、木道へと変わった道を進んで気象レーダードームの横を抜ければ、やがて三角点のある車山頂上であった。時刻は 12時3分。

頂上は、先ほど八島ヶ原湿原で出会った子供たちの他、登山者、観光客でかなり混雑している。
こういう場所での休憩は苦手であるが、幸いにもベンチが空いていたので、そこに腰掛けて食事とする。
さて、展望の方であるが、北西の鷲ヶ峰、三峰山は何とか見えるものの、その後方の美ヶ原は雲の中。当然、北アルプスや御嶽、中央アルプス、南アルプスは全く見えず、 富士山、八ヶ岳も見えない。梅雨時であり、これも致し方ないところである。
食事を終えた後、車山神社にお参りし、その後、12時15分に下山。車山乗越までは同じ道を戻る。

その車山乗越には 12時29分に到着。ここからはまっすぐ進んで、蝶々深山を目指す。
赤土で滑りやすい道を緩やかに下る。正面には緑の斜面の真ん中に道が通っている蝶々深山が見えている。
12時32分に車山肩への道を左に分けると、ここからは木道となって足が進む。
しかし、蝶々深山を見上げれば、その上空に黒い雲が覆い被さりつつあり、さらにはポツリと雨粒を感じるようになる。
残念なことに、今回は雨脚が徐々に強くなって来たため、木道途中に唯一立っている木の下でザックにカバーを装着し、さらには傘を差すことにする。 レインウェアでも良かったのだが、そうするとカメラが濡れてしまうことから傘にした次第である。

緩やかに下って木道が終わり、沢渡への道を左に分けると (12時38分)、ここからは再び土の道となり、少し先で登りに変わる。
斜面途中から雨脚はかなり強くなり、蝶々深山の頂上に着いた頃には、傘に雨が強く叩き付ける状態となる。
その蝶々深山には 12時48分に到着。ここでは 3人がレインウェアに着替えていたので、小生も強く降る雨に恐れをなして着替えようかと思ったのだが、 フト先の方を見ると、雲は白く、かなり明るい。雨は部分的なもの違いないと考え、傘のままで先へと進む。

しかし、雨脚はますます強くなり、道にもかなり水が浮き出してきていて、足下も滑りやすくなって苦労する。
少し後悔の念が出てきたものの、やはり先の方はかなり明るいことに希望を抱いて進んでいくと、案の定、平坦な道が続くようになると雨は止んでくれたのであった。
イヤ、周囲の岩が乾いているので、雨のゾーンを抜け出したといった方が正しいようである。

周囲はササ原に変わり、やがて前方に物見石が見えてくる。そして、ササの斜面を一登りすれば物見石で、時刻は 13時7分。なお、傍らにある標識には 『 物見岩 』 とある。
振り返れば、蝶々深山の頂上を覆っていた黒い雲は消え去っているが、後方の車山はまたまたガスの中である。
ここからは眼下に広がる八島ヶ原湿原を見ながら斜面を下って行く。右手奥には奥霧小屋も見えている。この辺は全く雨が降っていないらしく、八島ヶ原湿原の他、鷲ヶ峰、そして三峰山もよく見えており、 今朝よりも良いコンディションである。

ササと草の斜面をジグザグに下る。眼下に広がる八島ヶ原湿原であるが、ここからは四角形に見えるためサッカー場のようである。
やがて傾斜が緩むと、木橋にて小さな流れを 2つ渡り、足下がぬかるんでいる場所を抜けて木道を歩くようになれば、やがて公衆トイレが見えてくる。時刻は 13時31分。
ここからは今朝辿って来た道である。鹿避けゲート (ゲートC) を潜り、奥霧小屋の前を抜けて八島ヶ原湿原の縁を進む。
木道上には人がほとんどいないのでゆっくりと撮影できる。
フト気づけば、車山が再び姿を現しており、頂上のドームもよく見えている。

木道を順調に進む。この頃になると日も差すようになって、先ほどの強い雨が嘘のようである。
やがて、前方に八島ヶ池が見えてくると、道が 2つに分かれる。左はそのまま八島ヶ原湿原を周回する道で、右が鷲ヶ峰へと通ずる道である。
しかし、木道の傷み具合に見覚えがない。今朝ほどの道を見落としたかと思いつつ、木道を緩やかに登っていくと、 『 天然記念物 霧ヶ峰植物群落 七島 八島 』 と書かれた案内標識のある広場に飛び出したのであった。時刻は 13時52分。
やはり、今朝ほど下った鷲ヶ峰からの合流点を見落としてしまったようである。しかし、心配はいらない。ここからも鷲ヶ峰に行くことができる。

八島ヶ原湿原の花ごよみを掲げた掲示板や八島ヶ原湿原を象った石のモニュメントの横を通り、案内表示に従って鷲ヶ峰方面へと進む。
少し登ると、突然目の前に 『 大元尊 』 と彫られた大きな石碑が現れて驚く。帰宅後調べると、この 『 大元尊 』 は 『 おおもとみおや 』 と読むらしく、 この石碑自体が御社 (おやしろ) で、日本の国土を造った国常立尊 (くにとこたちのみこと) が祀られているとのことである。時刻は 13時56分。
さらにそこから少し登れば、今朝ほど鷲ヶ峰から下って最初に通り抜けた鹿避けゲート (ゲートA) の前に飛び出す。
時刻は 13時58分。

この後、鷲ヶ峰に登り返すことを考え、暫し休憩し、14時4分に出発する。
ゲートをくぐり抜けると、目の前には緑の斜面の中に岩屑の白さが目立つ登りの道が待っている。少し怯むが、実際に歩いてみると、意外と楽に登っていくことができる。
それでも息が上がるので途中で休んで振り返れば、右手(西)に諏訪湖が見えている。また、少し暗目ではあるが八島ヶ原湿原も見え、その後方の車山、そして北の耳、南の耳も見えている。
しかし、残念なことに、この頃になるとまた雨が降り始めたため、仕方なく再び傘を差して登る。
雨は先ほどの蝶々深山の時のような強さはないものの、止む気配が感じられない。

雨の中、黙々と登り、御嶽神社の石碑がある高みを 14時34分に通過、そして鷲ヶ峰には 14時44分に登り着く。
ありがたいことに、雨は鷲ヶ峰頂上手前で止み始め、頂上では完全に上がってくれたのであった。
今朝ほどは展望が全くなかったこの鷲ヶ峰であるが、今は結構展望を得ることができる。ガスが絡み気味ではあるものの北西の方向に鉢伏山が見え、 その手前には二ツ山も見えている。
さらに左には高ボッチ、そして諏訪湖も確認できる。また、鉢伏山の右側には三峰山が見えており、美ヶ原もその平らな山容を雲の中に少しだけ見せてくれている。

14時50分に出発。ここからは下りに入るが、少し進むと、これから下って行く尾根を見通すことができるようになり、 そこに立つ鉄塔や電波塔も見えている。ただ、その距離はまだまだある。
順調に下り (とはいえ、かなりのアップダウンがある)、2つの鉄塔をそれぞれ 15時22分、15時24分に通過。
往路にて懸念を抱いた電波塔の立つ高みへの登りも何とかこなし、電波塔の横を 15時39分に通過する。
この少し手前でまたまた雨が降り始めたため、傘を差しながら進む。

この電波塔を通過してしまえば、後は下りが続くだけであるが、左膝が時々痛む身にとってはこの下りは結構辛い。
それでも何とか下り続け、樹林に入る手前の標識を 15時48分に通過。樹林帯を抜け、15時52分にビーナスラインに飛び出した後、駐車場には 15時54分に戻り着いたのであった。

本日は、『 歩く 』 ことに重きを置いた登山の第三弾として久々に霧ヶ峰に登ったが、初めて通るコースが多く、 また男女倉山や北の耳、南の耳など初めて登る山もあり、大変楽しめた山行であった。
途中、雨に降られはしたものの、ほとんど歩行に支障は無く、気持ちの良い山行であった。展望があればもっと良いのであるが、梅雨時であることを考えると、贅沢は言えまい。


『 歩き 』 に重きを置いた登山 2 (角間山、湯ノ丸山、烏帽子岳)  2019.6 記

左膝と右足首の状態を考慮し、『 登る 』 ことよりも 『 歩く 』 ことに重きを置いた登山をもくろんで、 6月5日(水)に美ヶ原高原ロングトレイルの一部である三峰山、二ツ山、鉢伏山に登ったところ、体力不足と水不足に悩まされて最後はヘロヘロになってしまったものの、 大変楽しい時を過ごすことができたのであった。
これに味を占めた訳ではないのだが、相変わらず左膝の状態が良くないことから、次の山行も 『 歩く 』 ことに重きを置くことにして、浅間連峰の西側に位置する湯ノ丸山、烏帽子岳に登ることにする。

この湯ノ丸山はかねてから残雪期に登りたいと思っていた山であるが、何しろスタート地点となる地蔵峠の標高が 1,733mもあり、 情報不足からノーマルタイヤの車では登るタイミングがなかなか掴めず、結局、これまで一度もトライしていないのである。
今回、『 歩く 』 ことに重きを置いた登山を考える際、三峰山とともにパッと頭に思い浮かんだことから、こうなったら残雪期に拘らずに登ってみようと思った次第である。
ただ、今はレンゲツツジの開花時期で人が多いことが見込まれるため、やや躊躇していたところ、 ヤマレコにて、地蔵峠からではなくさらに北側にある鹿沢温泉から登り、角間山、湯ノ丸山、烏帽子岳を周回して戻って来るコースがあることを知り、俄然登ろうという気になったのであった。

6月18日(火)、朝 3時40分に横浜の自宅を出発する。上空には雲が多いものの予報では現地は晴れ時々曇りのはずである。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCTからは圏央道へと進む。お馴染みの八王子JCTを通過し、さらに北へと進んで鶴ヶ島JCTにて関越自動車道へと入る。
圏央道ではトラックが多く、朝の 4時過ぎにも拘わらずかなりの交通量であったが、関越自動車道では程良い具合となって順調に進む。 さらには、藤岡JCTから上信越自動車道に入ると交通量は格段に減り、快適に進む。
途中、特徴ある妙義山の姿はよく見えたものの、碓井軽井沢IC前後ではガスが多くなり、浅間山は全く見ることができない。空の状態も、一時黒い雲が多くなってヤキモキさせられたものの、 途中から日が差すようになってホッとする。

小諸ICにて高速道を下り、すぐの信号を左折して県道79号線を北へと進む。
1km程先にある小諸IC北の丁字路を左折して浅間サンライン (県道79号線のまま) に入り西へと進む。
3km強進んだところにある別府の交差点を右折して県道94号線に入れば、後は目的地の鹿沢温泉まで道なりである。
途中、道路脇には一定間隔で石仏 (観音様) が見られるようになり、茅野市街から奥蓼科へと向かう県道191号 (湯みち街道) を思い出す。 湯みち街道の観音様は、江戸時代にこの地を訪れた湯治客らが温泉の効能に感謝をして寄進したものとのことであったが、ここの観音様にはどのような謂われがあるのであろうか・・・。

順調に山に入っていくと、やがて道路際に 『 つつじ祭り 』 と書かれた旗が立ち並ぶ湯の丸高原を通過する。 ここには広い駐車場とともにレストランやホテルもあり、登山者の姿も見受けられる。
この地蔵峠からは下りに入るが、道の左側斜面には多くのレンゲツツジが花を咲かせている。まだ最盛期ではないとのことだが、現在でも斜面が朱色に染まっていて素晴らしい。
山を順調に下り、やがて周囲に人家 (旅館等) が現れてくるとそこが鹿沢温泉で、きれいなトイレのあるスペースに車を駐める。時刻は 6時33分。

そのトイレを利用させてもらった後、身支度を調えて 6時41分に出発する。
車道を辿って来た方向に少し戻ると、すぐに道路左手、旅館の紅葉館の先に観音様の石仏が見えてくる。 傍らの説明書きによれば、ここまでの道ばたに見られた石仏は 『 丁石百体観音像 (百番道しるべ観音)』 とのことで、 東御市新張 (とうみし みはり) からこの鹿沢温泉までの道沿いに江戸時代から明治時代にかけて一丁 (約109m) おきに、百体建てられたとのことである。
そして、今目の前にあるのが丁度百番目の千手観音とのことである。石仏の謂われを知り、スッキリとした気持ちで先へと進む。

今度はすぐに道路右側に石碑が見えてくる。石碑には 『 雪山賛歌 』 の歌詞が書かれており、こちらも傍らに説明書きがあるが、 ここではその内容は割愛させて戴く。
石碑から少し進めば右に分かれる道が現れ、その角には 『 九十九番 千手観音 』 とともに、『 湯ノ丸山、角間山登山口 』 の標識が立っている。時刻は 6時45分。
その右手の舗装道に入り少し登っていくと、スキーロッジ風の建物が右側に現れた後、その先で足下はコンクリート道、さらには土の道へと変わった後、樹林帯に入っていく。
樹林帯の入口には 『 この付近にクマ出没 注意必要 』 の注意書きが立っており、背中のクマ鈴をなるべく鳴らすようにして進む。

暫くは林道のような道が続く。右手は山で、左下には川があるらしくせせらぎが聞こえている。
緩やかに登っていくと、やがて 『 ちよだ・つま恋の森 』 と書かれた案内板が現れる。『 ちよだ 』 というのは東京都千代田区のことで嬬恋村と交流植林事業が行われているらしい。 その案内板の下に 『 ← 角間峠 』 の標識が立っている。時刻は 6時54分。
その標識に従って左に折れ、先ほどの川に繋がる小さな流れを渡ってさらに左へと進んでいくと、すぐに道は山襞に沿って右へとカーブしていく。
ここからは左下に下る斜面を横切る道が続き、道幅も狭くなって山道らしくなるとともに、左手の展望が開けるようになる。
後方には桟敷山が大きく、その右後ろに小桟敷山が見えており、どちらも溶岩ドーム型なので日光にいるような錯覚に陥る。

少し進むと、今度は左前方に湯ノ丸山が見えるようになる。なだらかな斜面がササ原となっており、 その中に木々が疎らに生えている姿は前回の三峰山を彷彿させるとともに、その後方に広がっている青空にテンションが上がる。
6時58分、『 角間峠 1.3km 』 の標識を通過。斜面を横切る緩やかな登りの道はまだまだ続く。
やがて、右の斜面には朱色をしたレンゲツツジの花がチラホラ見られるようになるが、この後、車から見たようなレンゲツツジの群生が見られると嬉しいのであるが・・・。
道は短いカラマツの樹林帯に入る。この辺からは足下にササが目立つようになり、総じてこの後はササ原が続くようになる。
樹林帯を抜けると、右手になだらかな斜面が上方へと延びている開けた場所に出る。その斜面途中には樹林帯があるものの、この辺はスキー場の一角だったのではと思わせるような地形である。

その少し先で左への道が現れるが、標識が壊れており、どちらに進むべきか少々迷う。 しかし、まっすぐの道の方に赤テープを見つけたので左の道はパスする。
選んだ道に確信が持てないまま進んでいくと、先の方に白樺の林が見えてきて、その手前に 『 ← 角間山 』 と書かれた標識が立っていたので一安心である。時刻は 7時14分。
白樺の樹林帯の中を緩やかに登っていくと、やがてまた左に分かれる道が現れる。ここにはしっかりとした標識が立っており、左は九十番観音とあり、角間峠は直進で残り 1kmとのことである。 時刻は 7時20分。
この辺からはササ原の中にレンゲツツジが多く見られるようになるとともに、白い花が満開の木が頻繁に目に付くようになる。 この木はズミ (酸実) で、バラ科リンゴ属の 1種であり、コナシ (小梨)、コリンゴ、ヒメカイドウといった別名もあるらしい。

また、嬉しいことに左手に再び湯ノ丸山が見えるようになる。湯ノ丸山はその名の通りなだらかで丸みを帯びているいというイメージが強く、 実際、先ほど見えた時もそうであったのだが、ここから見える姿はピラミッド型に近い。
道の方は樹林帯から外れているものの、左右に少しずつ木が生えており、やがて展望が利かなくなる。と思ったら、先の樹林の間に屋根が見えてくる。 角間峠に到着である。時刻は 7時31分。
ここは小さな広場になっており、先ほど見えた屋根は東屋で、その他にベンチや案内板が立っている。
道は案内板の先で丁字路にぶつかり、角間山は右、湯ノ丸山は左である。標識には 『 角間山 0.9km 』 とある。

標識に従って右 (北東) に進む。最初はササがやや五月蠅く、朝露に濡れたササがズボンを濡らすが、 すぐに日当たりの良い斜面を横切るようになり、足下の道もしっかりとしてきて、ササがズボンに触れることはなくなる。
左手の斜面を見上げればササ原が上へと続いており、その先に白樺の緑が朝日に輝いていて美しく、さらにその後方には青空が広がっている。 巻雲らしき雲がやや混ざってはいるものの、本日は良い天気である。
そのササ原の斜面をジグザグに登っていくのかと思いきや、二回短く折り返した後はそのまま北東へとドンドン進んでいく。

右手の展望はグッと開け、西篭ノ登山方面が見えるようになる。西篭ノ登山の左後方には水ノ塔山が見え、 そのさらに左後方には黒斑山の頂上が少し見えるとともに、さらにその左に蛇骨岳、仙人岳と続く稜線が見えている。
さらには、その稜線の後方に前掛山がその頂上部分をチラリと見せていて、その左に浅間山も確認できる。しかし、これらの山々の後方には雲が広がっている。
また、西篭ノ登山の左手前には小桟敷山、そして桟敷山が見えている。無論、これらの山々の右には湯ノ丸山が見えているのだが、恐らく見えているのは北峰あるいはその手前部分であり、 その形も先に述べたようにピラミッド型である。

道は斜面を横切る状態で緩やかに登っていく。漸く折り返したかと思うと、すぐにもう一度折り返してまっすぐ北東へと進む。
ササに覆われた道が続く中、一ヶ所だけ小さな岩がゴロゴロした場所を抜け、その先で斜面をジグザグに登っていく。
その際、南の方を見ると、富士山のような形の山がうっすらと見えたのでハッとする。前回の三峰山では蓼科山を富士山と見誤ってしまったので、今回も蓼科山かと思ったのであるが、 それにしては白い部分が多い。
最初、雲かと思ったもののやはり雪のようなので、富士山であると確信する。これは嬉しい。
また、よく見ると富士山の左にも見たことのある山が見える。金峰山である。テンションがグッと上がる。

湯ノ丸山もピラミッド型が際立つようになり、さらにはその右後方に烏帽子岳も姿を見せ始める。
少し雲が増えつつあるのが残念であるが、本当に気持ちの良い登りである。
道はまた北東方面へと進んでいく。この辺では左手の斜面から水が染み出てきているらしく、ヌタ場のような状態がいくつか見られるようになる。 ズミの花は満開、一方レンゲツツジはまだつぼみの状態が多い。
道は左に折り返した後、すぐに右に折り返して北東へと進む。烏帽子岳もせり上がっており、烏帽子岳の左に小烏帽子岳も見えるようになる。

白樺の小さな樹林帯を抜け、一旦左に折れた道はすぐにまた右に折れてまたまた北東へと進む。
そこには標識が立っており、『 角間山 0.3km 』 とある。傾斜は緩やかなので、0.3kmはそれ程時間を要しないであろう。
時刻は 7時55分。この辺は日当たりが良いのか、花を咲かせているレンゲツツジが多い。
やがて、小さな高みに登り着くと、目の前にドーム型の高みが見えてくる。どうやらあれが目指す角間山らしい。

小さな台地状の場所を進む。左手を見ると、樹林の間に未だ雪を多く残す山が見えてドキッとする。 その白き山は火打山で、その右手前に黒姫山、そしてさらに右に妙高山が見えている。
火打山の左には焼山、そして雨飾山が続き、さらに左には雲の上に頭を突き出した高妻山が確認できる。
木々の間からなので断片的ではあるものの、この光景にまたまたテンションが上がる。
加えて、少し先で白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳、そして天狗ノ頭、唐松岳が見えるようになり、早く角間山の頂上に立ちたい気持ちで足が自然と速くなる。

道は一旦樹林帯に入るが、そこを抜けるとさらに素晴らしい展望が待っていた。槍・穂高連峰が遮るものなく見えたのである。
前穂高岳、奥穂高岳、そして涸沢岳、北穂高岳と並び、続く大キレット部分は手前の常念岳が隠している。常念岳の右後方には南岳、中岳、大喰岳が続き、黒々とした穂先を持つ槍ヶ岳へと至っている。
槍ヶ岳の右には、手前の常念岳から続く大天井岳が見え、さらに右の燕岳へと続いている。
この光景にテンションが上がりっぱなしのまま樹林帯へと入っていく。コメツガの樹林帯を進み、鎖場のある岩場の斜面を登り切ると、周囲は灌木帯へと変わり、 すぐ先にて右手上部に標柱が見えてくる。
角間山到着は 8時8分。狭い頂上には火山を思わせる岩がゴロゴロしており、その中に立派な標柱と三等三角点が置かれている。

周囲には樹林がほとんどないため、ここからの展望は抜群で、先ほどは断片的であった山々がほぼ途切れることなく見えて思わず声を上げる。 目の前、南の方向には湯ノ丸山が大きく均整のとれた三角形をしていて、奥の方にその本峰が見えている。湯ノ丸山の右後方には小烏帽子岳、烏帽子岳が見えており、烏帽子岳の三角形が魅力的である。
烏帽子岳の右側にはうっすらと美ヶ原が見えているものの、雲が重しのように一部を覆っている。美ヶ原の右手には少し間を空けてこれまたうっすらと鉢盛山が見えるが、 恐らく見えるはずであろう御嶽は雲の中である。
鉢盛山のさらに右には乗鞍岳が認められるが、こちらも上に雲が覆い被さっている感じである。

しかし、そこから右側が素晴らしい。乗鞍岳の右には霞沢岳が見え、さらに右に大滝山、蝶ヶ岳が確認できる。
そして、さらに右には先ほど見えた前穂高岳から燕岳までの山並みが続き、その右に鷲羽岳と思しき山、さらに野口五郎岳、三ツ岳、そして薬師岳が続く。 しかし、こちらから見る薬師岳はイメージと違うので少々戸惑う。
薬師岳の右には不動岳、七倉岳、北葛岳が続き、大きな蓮華岳に至る。蓮華岳の右には立山らしき山が見えるものの、その山頂部分には雲が乗っかっている。
立山の右には爺ヶ岳が見え、その右後方に剱岳らしき山が見えるが、こちらも残念ながら雲が絡んでいる。爺ヶ岳の右には鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳とお馴染みの山が続き、 さらに右に天狗ノ頭、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳、小蓮華岳、乗鞍岳が続く。
そして、少し間を空けて高妻山が雲を絡ませた姿を見せており、さらに右に雨飾山、焼山、火打山、妙高山が続いている。

また、北の方角には根子岳、四阿山が大きいが、根子岳は頂上、爆裂火口、そして左に下る美しいスロープが見えているものの、 四阿山は山頂部分がほとんど雲の中である。
四阿山の右からは雲海が続き、上越、日光の山は全く見ることができない。その雲は南東の浅間山まで及び、浅間山は雲に見え隠れする状況で、前掛山、黒斑山、水ノ塔山も今や雲に飲み込まれようとしている。
西篭ノ登山、そしてその右側の山々は見えているが、さらに右側、湯ノ丸山との間には雲が多く、辛うじて湯ノ丸山の左斜面後方に赤岳、阿弥陀岳、天狗岳などの八ヶ岳連峰が見える程度である。
もしかしたら富士山も見えるのかもしれないが、今は全く見ることができない。
それでも北アルプスをほとんど見ることができたことに大満足である。先月登った乗鞍岳からも北アルプスの山々を見ることができてはいるが、雪が多い上に少しゴチャゴチャしており、 こうしてズラリと横並びとなっている方が嬉しい。

素晴らしい展望に満足し、8時21分に下山を開始、角間峠へと戻る。
順調に下り、角間峠には 8時41分に到着。そのまま直進して湯ノ丸山へと向かう。
すぐに樹林帯に入り、緩やかな登りが続く。足下は相変わらずササ原である。
大きな岩の横を通り過ぎると、少し傾斜がキツくなるものの、それ程スピードを緩めずに登っていくことができる。
途中、振り返れば、樹林越しに角間山が見えたが、この辺は総じて展望がない。
やがて、樹林が切れてササ原の中に白樺やズミが点在する斜面を通過し、そこを一登りすると展望が開けて樹林越しに北アルプスの山々が見えるようになる。 しかし、今や穂高連峰から槍ヶ岳にかけて雲が上から覆い被さり、稜線を隠しつつある。
振り向けば根子岳、四阿山方面も見えるが、こちらも下から沸き上がる雲に隠れ気味である。

再び樹林帯に入る。傾斜は緩やかで足が進む。
展望のない道を黙々と登っていく中、この辺にはほとんどレンゲツツジが見られないことに気づく。山の北側であるため、この辺には分布していないのであろうか。
やがて周囲の木々が低くなり始め、少し傾斜がキツくなってくると、その斜面の先にコメツガのトンネルがあり、トンネルの先に空が見えている。 頂上の一角かと思い期待したのだが、トンネルを抜けると灌木帯の斜面に変わっただけであった。
振り向けば角間山のドームが見え、まだ角間山の方が高いので、湯ノ丸山北峰はまだまだ先であると知る。

その斜面を登り切ると一旦平らな場所に出て展望が開け、北アルプスが再び見えるようになる。 しかし、今やかなり雲が出てきており、穂高連峰、槍ヶ岳方面は稜線を雲が完全に覆っており、鹿島槍ヶ岳方面にも雲がかなり絡んでいる。
この状況では湯ノ丸山北峰や本峰での展望は期待できそうもなく、角間山で素晴らしい展望に出会えたことに感謝である。
また、この場所には 『 湯ノ丸山 0.7km 』 と書かれた標柱が立っている。傾斜の状況から見て、この 0.7kmはあと 30分弱であろうか。時刻は 9時20分。

再びササ原の斜面、そして灌木帯の登りが続く。コメツガの中を抜けると、少し荒れた石畳のような状態の場所を通過し、 その後、足下には小さな岩が頻繁に見られるようになる。傾斜の方はかなり緩み始め、周囲の木々も疎らになってくる。
展望もグッと開け、北アルプスがまた見えるようになるが、かなり雲が絡んでおり、山座同定を難しくしている。
確実に確認できるのは蓮華岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳ぐらいである。

道がほぼ平らになると、目の前に小さな高みが見えてくる。あれが恐らく湯ノ丸山北峰であろう。
また、前方右手に烏帽子岳が見え始める。
足下の岩はかなり大きくなり、岩の周辺にはイワカガミの群生が現れる。また、左前方には丸みを帯びた本峰も見えてくる。
気分良く進み、その小さな高みに登り着くと、足下にまだ新しい四等三角点が現れる。時刻は 9時37分。
ここが北峰なのであろうが、まだ先の大きな岩がゴロゴロしている場所の方が高いのでそちらへと向かう。その岩場の頂点部にも同時刻に到着。ここにも標石らしきものがあったが、三角点ではないようだ。
この頃になると、雲が時折太陽を隠し、汗をかいた身体を風が急激に冷やす状況となる。風を避け、岩の間に入って食事をする。

そして、9時48分に出発、本峰へと向かう。目の前には本峰が丸みを帯びた姿を見せており、何人かの登山者も見えている。
また、この北峰との間にほとんど木が見られず、鞍部は広いササ原となっていて大変気持ちの良い光景である。
一旦少し下り、そこから少し平らな道を進んで、また登り返す。この辺は植生保護のために道の左右にロープが張られており、また足下には大きな石が敷かれていて遊歩道のようである。
湯ノ丸山本峰には 9時57分に到着。ここには標柱が立っているものの三角点はない。
また、頂上直下は沢山の岩がゴロゴロしていて、その間に詰まっている土に草が生えている状態であるが、標柱の立つ付近は平らであるとともに平たい岩を敷き詰めたようになっていて、 ほとんど草が生えていない。

さて、展望の方であるが、北峰でもそうだったように西側の北アルプスはほぼ雲に覆われており、 また中央アルプス、南側の八ヶ岳は全く見えない。一方、東側の西篭ノ登山はよく見えていて、その右後方に篭ノ登山も見えているものの、左後方の前掛山、浅間山は雲に覆われ、頂上部を見ることができない。
北側の四阿山方面は角間山の時よりも状況が悪化しており、今や根子岳の頂上部にも雲がかかっている。ただ、角間山はしっかりと見えており、これから向かう烏帽子岳、小烏帽子岳もよく見えている。

この頂上はさすがに人が多いので、すぐに標識に従って烏帽子岳へと向かう。
西側斜面を下る。こちらはなかなかの急斜面。加えて、足下には平たい石がゴロゴロしていて河原のようになっているため、下るのに苦労する。
やがて土の部分が増えてくるものの、石も多く急斜面は続き、スピードを制御する際に左膝が痛む。

周囲は灌木帯から徐々に樹林帯へと変わっていく。見上げれば烏帽子岳がその名の通り折烏帽子のような形を見せており、 こちらがドンドン標高を下げていく中、その高さに圧倒される。
傾斜は徐々に緩み、周囲にダケカンバが目立つようになると、やがて樹林を抜け出して小さな広場に飛び出す。ここは湯ノ丸山と烏帽子岳との鞍部であり、 手元の地図にはその名がないものの 『 小梨平 』 という名がついているらしい。時刻は 10時20分。
ここには休憩用の加工された石がいくつも置かれており、また湯ノ丸山を巻いて地蔵峠へと下る道の分岐点にもなっている。
ここから湯ノ丸山を振り返れば、稜線が大きな弧を描いており、一方、烏帽子岳を見上げれば、やや鈍角な三角形が天に向かって突き上がっている。

1分ほど周囲を観察した後、先へと進む。
なお、ここは小梨平の名があるように、周囲には満開状態のズミ (別名 コナシ = 小梨) が見られる。
そのズミの下を通り、暫く平らな道を進む。右手には四阿山方面が見えるが、根子岳は雲がとれて再びその頂上を見せているものの、四阿山頂上は相変わらず雲の中である。
真っ白なズミと、白い中にやや赤みを帯びたサラサドウダンの花が咲く中を進んでいくと、徐々に傾斜が出始め、やがて斜面をジグザグに登っていく。高度を上げるに連れて展望も広がり、 根子岳の左斜面後方には斑尾山が見えるようになる。また、湯ノ丸山は大きな饅頭型をしている。
傾斜は少しずつ増してくるが、急登という程ではないために足が進む。周囲はササ原、そして灌木帯が続く。 ズミやレンゲツツジが疎らに見られる他、この辺では濃いピンクが鮮やかなムラサキヤシオツツジも見ることができる。

道は烏帽子岳のある方向とは反対の南へと向かって斜面を斜め上へと登っていく。
途中、振り返ると、嬉しいことに四阿山の雲はスッカリ消えていて頂上が見えるようになる。
また、湯ノ丸山を見れば、饅頭型の中に北峰の存在もハッキリと分かるようになる。
斜め上へと続く道は徐々に稜線に近づき、10時48分に稜線上に飛び出す。
ここからは下方に上田市や東御市の町並みが見えるようになるものの、その後方の山々は黒みがかってぼやけ気味であり、一つ一つの山がハッキリしない。
それでも美ヶ原だけはその特徴ある姿により確認できるのだが、王ヶ頭が左、王ヶ鼻が右にあるようなので少々戸惑う。

この場所からは右に曲がって稜線上を進み、岩がゴロゴロした道を緩やかに登っていく。
途中、大きな岩と岩の間を抜けるが、この辺はイワカガミの群生地らしい。
そして、少し傾斜が急になってくると、やがて岩が続く斜面の先に標柱が見えてくる。小烏帽子岳である。時刻は 10時58分。
喉が渇いていたので、岩に腰掛けて暫し休憩。周囲を見渡せば、烏帽子岳が少し右に傾いた三角錐を見せており、こちらから続く稜線が少し反り上がり気味にその三角錐の一辺を形成している。
また、浅間山方面の雲は少しとれ始め、浅間山の火口部分の他、黒斑山、前掛山が再び見えるようになる。
11時に出発、少し平らな道を進んだ後、小さく下るが、この辺は総じて高低差の小さい灌木帯が続く。先に見える烏帽子岳の三角形が登高意欲をそそる。

一方、この辺は人が多く、大きく平らな岩の上に多くの石が積まれた場所を過ぎて登りに入ると、 下山者とのすれ違いで少しペースが落ちる。
小さな岩が重なる斜面を登り、足下の岩が少なくなると傾斜が緩み始める。そして灌木の間を進めば右手上方に頂上が見えてくる。
頂上付近は一段高くなっており、その斜面は岩がゴロゴロしている。その岩の上を伝って行けば、すぐに多くの人々が憩う烏帽子岳頂上である。時刻は 11時12分。
頂上には標柱が立っている他、その足下に三角点の盤石のようなものが置かれているが、三角点はない。

さて、ここからの展望であるが、北東に角間山がよく見え、 その左後方にある四阿山と根子岳も今はスッカリ雲がとれてそれぞれの頂上がハッキリと確認できる。
残念ながら北アルプスはほぼ雲に覆われてしまっており、今朝ほどの角間山からの展望が素晴らしかっただけに、今更カメラを向ける気になれない。
北アルプスの手前、ここから距離が近い山々は、それなりに見えてはいるものの全く知らない山域のため同定が難しい。
南西にある美ヶ原、霧ヶ峰、さらには南の蓼科山、北横岳は確認できるが、北横岳より左側は雲の中であり、天狗岳、南八ヶ岳は全く見ることができない。
無論、東側、すぐ目の前の湯ノ丸山はしっかりと見えており、ここからは本峰と北峰がハッキリ確認できる。湯ノ丸山の右後方には西篭ノ登山、篭ノ登山が見えているが、 浅間山、前掛山、黒斑山は再び雲に隠れ気味である。

混み合う頂上では休憩する気になれず、11時19分に頂上を後にして往路を戻る。
11時31分に小烏帽子岳に到着、往路と同じく、ここで小休止する。休憩中、北西方向を見ると、 高妻山は雲に隠れ気味であるものの、その左に戸隠山、本院岳、西岳と続くギザギザした稜線がシルエット状に見えたのであった。
また、振り返れば、浅間山付近を覆っていた雲はなくなり、今や浅間山、黒斑山、前掛山がよく見え、浅間山の火口から上がる噴煙も確認できるようになる。 さらに、浅間山の左側奥には浅間隠山も確認できる。
11時34分、小烏帽子岳を出発、稜線を離れ下りに入る地点を 11時41分に通過した後は順調に下り、鞍部となる小梨平には 11時57分に戻り着く。 3分ほど休憩した後、ここからは湯ノ丸山を巻く道へと進む。

この道はほぼ平らで大変歩きやすいが、展望は得られない。樹林帯の中を黙々と進み、『 中分岐 』 には 12時22分に到着。
ここは十字路になっていて左に道をとるが、標識には 『 ← 湯の丸山、つつじ平 』 となっているので少々戸惑う。一応地図で確認した後、左に進んでカラマツ林を緩やかに登っていくと、 すぐに鐘が吊されている 『 鐘分岐 』 に到着。時刻は 12時31分。
ここも十字路になっており、左が湯ノ丸山、右が地蔵峠で、小生はまっすぐ進んで鹿沢温泉を目指す。
この先は放牧場内となるため、牛が逃げ出さないように人一人が通れる幅のクランク型の入口を通り抜けるのだが、何と抜け出る所に 4頭の牛が道を塞ぐようにして集まっている。 恐らく、入口の所にいたカップルが餌をあげていたのであろう。
恐る恐る牛の中に入って牛に退いてもらったが、素直に道を譲ってくれたのでホッとする。

ここからはさすがに放牧地、平坦な道が続くが、草原ではなく灌木帯になっている。近くに見える桟敷山より少し低い位なので、 標高はまだ 1,800m以上あるようである。
レンゲツツジが所々に咲く中を進む。しかし、この道には問題がある。道幅が狭い中、歩く部分は浅い溝状になっていて黒土が露出しているのだが、そこがぬかるみになっており、 しかも、そこを牛が歩いてこねくり回しているのである。足を踏み入れたら恐らく 5cm程沈んでしまう可能性があり、仕方なく道の縁、草地を進む。
加えて、所々に現れる牛糞にも悩まされる。それでも黄色いテープを追って順調に足を進めていく。

途中から左手に湯ノ丸山も見えるようになるが、 その姿は饅頭型ではなく本峰、北峰がハッキリしていてほぼ左右対称に並んでいるためお尻のようである。
標識のある小広い砂礫地を抜け、再び灌木帯を進むと、すぐにレンゲツツジの群生地に入る。まだ八分咲き位なのかもしれないが、朱色の花がそこかしこに咲いていて見事である。
なお、レンゲツツジは有毒植物と聞いたことがあるので、放牧されている牛は大丈夫なのかと思ったが、彼らは本能的にそれを知っていて食すことはないらしい。
この群生地を過ぎると、道は斜面を下るようになるとともに、樹林帯に入っていく。その樹林帯の中を 10分ほどジグザグに下って行けば、やがて樹林が切れて下方に広場のような場所が現れ、 その後方には角間山が見えている。

その広場には 13時3分に到着。ここは十字路になっていて、 左が今朝ほど角間峠手前にあった三叉路 (『 至 九十番観音 』 とあった場所) に至り、右が九十番観音へ、そして直進が鹿沢温泉である。
地図も置かれており、それによれば鹿沢温泉まで 0.5kmとある。
少し休んでも良かったのだが、15、6人の団体が十字路付近にて休んでいたので、そのまま立ち止まらずにまっすぐ進む。
なお、ここは猿飛佐助の修行の地とのことで、手元の地図にもそう書かれた碑があることが記されている。 しかし、一般に知られているのは角間山と湯ノ丸山を結ぶ稜線の向こう側にある角間渓谷らしい (岩屋観音付近。猿飛岩もあるとか。)。
尤も、猿飛佐助は架空の人物という説もあるのだが・・・。

恐らくこれで見納めになる湯ノ丸山をカメラに収めた後、東屋の右下方を進んで樹林帯に入る。
最初はほぼ平らな道が続き、牧場柵のような場所を抜けると、平らな道の中に時々緩やかな下りが現れるようになる。
一旦樹林を抜けると、車の音も聞こえるようになり、下方には建物の屋根も見えてくる。
再び樹林帯に入った道はすぐに折り返して樹林を抜け、スキー場のようなスロープを下っていく。そして、13時18分、県道94号線に下り着く。 そこから車道を北に進めば、今朝ほど辿った道が左に現れ、さらに雪山賛歌の碑、百番観音と続き、車を駐めたトイレ前には 13時22分に戻り着いたのであった。

本日は、『 歩く 』 ことに重きを置いた登山の第二弾として湯ノ丸山を選んだのであるが、最初に登った角間山にて最高の展望が得られ、 また湯ノ丸山、烏帽子岳の縦走も楽しく、充実した山行となった。
まだ左膝が下りの急斜面では痛むので、当分はこの 『 歩き 』 中心の山行を続けたいと思う。


『 歩き 』 に重きを置いた登山 (三峰山、鉢伏山)  2019.6 記

5月31日(金)の鎌倉散策本番は、終日 曇り空であったために富士山や箱根の山の展望は得られなかったものの、 特に問題も無く、無事に終えることができたのであった。
5月下旬になって 30℃を越える気温 (於 横浜) が続いたため、本番当日のコンディションを大変心配していたのだが、日頃の行いが良いのか、本番は暑さを感じることなく、 風も吹いてくれたお陰で、皆さん最後まで歩き切ることができて何よりであった。
参加人数も増えてきており (今回 募集 15名に対して 17名参加)、12月 (年2回実施している) への期待も大きいことから、さらに楽しめるコースを選ぶべく、 鎌倉研究 ? に勤しみたいと思う。

ということで、鎌倉散策本番を無事に終えたことで、 それまで左膝と右足首の痛み (両方とも完全に慢性化しつつある) の悪化を恐れて差し控えていた登山を再開することにする。
しかし、膝や足首の状態は相変わらずであるため、あまり厳しい山登り (特に下りが厳しい) は避けたいところであり、 また足への負担が小さいと思われる残雪の山はこの時期かなり限定的になってしまっていることから、ここは登るというよりも 『 歩く 』 ことに重きを置いた登山を試みることにする。

選んだ行き先は、美ヶ原高原ロングトレイルの一部となる三峰山 (みつみねやま)、二ツ山、鉢伏山。
以前、鉢伏山に登った際に、下調べにてこの美ヶ原高原ロングトレイルのことを知り、木々の無いササ原の山々が続く視界の開けたコースをいつか歩いてみたいと思っていたので、 真っ先に思いついた次第である。
そして何よりも、初めて歩くコースであることが嬉しい。

6月5日(水)、朝 5時少し前に横浜の自宅を出発する。
本日のロングコースに備え、もう少し早く出発するつもりであったのだが、夜更かしに慣れてしまった身体には早い就寝は無理で、結局 予定した時間よりも遅く起きることになってしまったのである。
いつも通り横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCTから圏央道へと進んで、八王子JCTにて中央自動車道に入る。
空は天気予報通り曇り空で、途中に見える南アルプスや八ヶ岳の山々は少しボンヤリとしている。
予報では現地も曇りとなっているが、午後になると晴れとのことであり、そこに期待したいところである。

順調に車を進め、諏訪ICで高速道を下りる。高速を下りてすぐの信号を左折し諏訪バイパスを北西へと進み、600m程先の飯島の信号で右折して県道183号線に入る。
上川を渡り、鳥居を潜るとやがて四賀桑原の丁字路に突き当たるので、そこを左折して国道20号線に入る。暫く道なりに進み、 中央本線の踏切を渡って 1km弱の元町の交差点を右折して県道40号線に入れば、後は道なりで霧ヶ峰高原である。

霧ヶ峰高原 霧の駅のところで左折してビーナスライン (県道194号線) に入る。ここから目的地の和田峠までは 1本道である。
車通りの少ない道を順調に進み、やがて長和町に入って暫くすると、右手に 『 和田峠 農の駅 』 が見えてくるので、反対側にある広場に車を駐める (恐らく、旧 和田峠国際スキー場の駐車場)。 時刻は 7時25分。
駐車場には 3台ほど先客がおり、その車のグループは鷲ヶ峰方面に向かって出発するところであった。

身支度をして 7時32分に出発する。
かなり遅い出発となってしまったので、場合によっては二ツ山までとして鉢伏山は断念せざるをえないかもしれない。
中山道へと合流する道を右に分け、車道をさらに北へと進んでいくと、やがて左手に 『 ← 中山道 』 と書かれた青い標識が現れ、 その標識の後ろには 『 信濃路自然歩道中信高原ルート 三峰山・美ヶ原』 と書かれた標識が立っている。時刻は 7時35分。
標識に従い、車道と分かれて旧中山道に入る。山道ではあるものの、それなりに幅もあって整備されており、2度ほどビーナスラインを横切ると、林の中、 草の絨毯が敷かれた林道のような道が続くようになる。
緑の絨毯を緩やかに登っていくと、やがて坂道の先に石碑などが見えるようになり、登り着いたところが古峠 (ふるとうげ、和田峠) であった。時刻は 7時48分。

ここには案内標識の他、『 本尊大日大聖不動明王 』 や 『 御嶽山坐王権現 』 と彫られた石碑、 そして地蔵尊なども置かれていて、いかにも昔の峠という雰囲気である。こういう場所は好みなので、かなり得をした気分になる。
なお、石碑に刻まれた文字から考えると、ここから御嶽が見えると思われるのだが、この日は雲が多く全く見ることができない。
また、親切にも、ここには 『 下諏訪中山道を守る会 』 が作成された 『 下諏訪宿〜和田峠 』 の地図が入ったポストも置かれている (1枚戴きました)。
峠の周囲を少し歩き回った後、標識に従って旧中山道から分かれて右へと続く道に入る。時刻は 7時51分。

ここからは本格的な山道となり、斜面を登っていく。
古峠に 『 クマの出没注意 』 との注意書きがあったので、少しビビり、背中のクマ鈴ができるだけ鳴るようにして登っていく。
すぐに傾斜は緩やかになるとともに、道は右にカーブしてカラマツの樹林帯へと入っていく。緩やかに登り、ピークらしきところから今度は左にカーブして一旦下りに入るが、 下り着くと樹林帯を抜けて、その後、ササ原の広がる斜面の登りに入る。
右手はカラマツ (と思う) の林であるが、この登山道沿いには立ち枯れの木々が目立つ。
ササ原の中に木々が疎らに生えている斜面を登る。傾斜はそれ程キツくないので、あまり息が上がることはない。

途中、振り返ると、雲の間に台形の上底部分とその左の角が少し見えている。 富士山が見えると喜んだのだが、それにしては距離が近く、方角も東寄りなのでおかしい。少し考えて、見えているのは蓼科山の一部であることに気がつく。
しかし、雲に周囲を覆われ、一部分だけ見えると、まさに富士山そのもの、諏訪富士と呼ばれているのも頷ける。
また、南東の方向には鷲ヶ峰が見えているのだが、霧ヶ峰、八ヶ岳、南アルプスは雲に覆われて全く見ることができない。
一方、中央アルプスは辛うじてその姿が見え、目を凝らせば木曽駒ヶ岳、空木岳を確認することができる。
ただ全般的に曇っているため、本日は北アルプスも含めて、展望は期待できないようである。

周囲に灌木が目立つ中、登り続けていくと、やがて傾斜が緩み、一旦、標識の立つ場所に登り着くが、 前を見るとさらに先へと斜面が続く。しかし、傾斜は緩やか、速度を落とすことなく進むことができる。
恐らく和田山北峰と思しきピークを過ぎると、道は下りに入り、途中から樹林帯を抜けて展望が一気に開ける。
左前方には本日登る三峰山がどっしりと存在感を見せており、思い描いた通り、その頂上からこちら側に下ってくる尾根、そして山腹には木々が無くササに覆われている。
そしてそこに至るまでに越えていかねばならない小ピークにもほとんど木が生えておらず、ササ原の山である。
後方に青空が広がっていないのが残念ではあるものの、それでもこの光景に清々しさを覚え、テンションがグッと上がる。
また、右手後方を振り返れば、鷲ヶ峰の左後方に先ほどまでは雲に隠れていた霧ヶ峰が見えるようになり、車山頂上にある気象レーダードームも何とか確認できるようになる。

ほぼ平坦と言って良いほど緩やかな傾斜の道を進む。道は一直線、足が進む。
また、少し進むと、左手に本日登る予定の二ツ山も見えるようになり、さらにその後方に鉢伏山も見えてくる。やや霞がかかったような状況が残念であるが、それでも気分が良い。
右下にはビーナスラインの車道も見えるようになり、暫くは車道と平行するように進む。
歩いている道は芝草のような草に覆われているため、黄緑色のササ原の中に緑の絨毯が敷かれているようである。

道は小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくが、気分が良いため、それが全く気にならない。
三峰山は一旦見えなくなるものの、すぐにまた 『 優美 』 という表現がピッタリの姿を見せてくれる。
しかし、よくよく見ると、美しいササ原の斜面の所々に痘痕 (あばた) のようなガレた部分が見えており、またササ原の所々に大きな岩も点在しているが、これは火山岩塊なのであろうか。

吹く風が心地よい中、順調に足を進めていくと、やがて三峰山展望台からの道が右から合流する。
右下を見れば、ビューレスト三峰の店舗が見える。ここから 15分ほど下れば行けるらしいので、万が一困った時には避難場所になると思われる。時刻は 8時50分。
この分岐からは完全に稜線上を進む。先ほども述べたように、黄緑色のササ原の中に緑の絨毯が延びている様子はまさに Road to Victory、気持ちよく進んでいくことができる。

とは言え、緩やかながらも登りの連続となると、さすがに少々息が上がる。
それでもこういった素晴らしい場所を歩けることに喜びを感じながら足を進めていく。急登でないのが大変ありがたい。
そして、目の前に続く緑の絨毯が空中へと消えていくようになると、ヒョイと頂上の一角に飛び出す。目の前にはやや風化したような三等三角点が置かれている。時刻は 9時5分。
この三峰山の頂上は狭いながらも東西に長く、三角点から西へ少し進むと、大理石 ? 製の立派な標柱が立っている。
展望の方であるが、周囲に木が全くないことから抜群と言いたいところであるが、雲が多くほとんど展望を得ることができない。

しかし、これから進む予定の二ツ山、鉢伏山は西方にハッキリと見ることができる。
北側には美ヶ原、茶臼山が確認できるが、王ヶ鼻は雲の中、王ヶ頭は休憩中に雲が切れて電波塔群がチラリと見えた程度である。
思った通り、北アルプスはその片鱗さえも見ることができず、御嶽も同じ状態、そして中央アルプスはボンヤリながらも見ることができるものの、南アルプスは全く見えない。
と思ったら、嬉しいことに、休憩中に一瞬だけ甲斐駒ヶ岳と北岳が雲の合間に見えたのであった。
また、南東にある霧ヶ峰は何とか確認できるが、その後方の八ヶ岳はうっすらとシルエット状になって辛うじて見えるという状況で、今や蓼科山は雲の中である。 それでもこの三峰山までのササ原歩きで気分が高揚しており、あまり失望感はない。

9時16分、二ツ山を目指して先へと進む。頂上をさらに西へと進み、途中から左に曲がって斜面を下る。
岩場が少し続き、その後再びササ原の斜面へと変わるが、かなりの急斜面をジグザグに下って行くことになる。
下り終えて斜面を見上げれば、垂直とも思われるような急斜面で、帰りの登り返しを思うと、気が滅入る。
さて、ここからは先ほどまでの優美なササ原のプロムナードとは打って変わり、本格的な山道が続くようになる。周囲に樹林が多くなるとともに、下り斜面がドンドン続き、 これまた帰りにここを登り返さねばならないことを思って少しゾッとする。
途中、左手を見ると、三峰山の斜面に大きなガレ場が見える。東から見た三峰山とは全く雰囲気が違う感じである。

紅紫色のミツバツツジ ? が咲く場所を過ぎると、完全に樹林帯に入り、道は小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいく。
道は明瞭、そして所々に立派な標識が立っていて安心感を与えてくれる。
しかし、その標識を見るとまだかなり距離があり、例えば 三峰山から 1.8km進んだ時点で 『 二ツ山 3.9km 』、『 鉢伏山 8.2km 』 という状況である。 この距離を見て、鉢伏山までの往復は無理かもしれないと思うようになる。
やがて、山の斜面を横切る道が長く続くようになる。ほぼ平らなのでこれはありがたいと思っていたのだが、帰りにここを通ってみると、微妙に登りになっていて (つまり今は下っている)、 これがボディブローの様に効いてくるのである。
往路ではそんなことに全く気づかず、快調に足が進む。

展望の無い樹林帯が続く中、時々樹林越しに茶臼山や美ヶ原が見える。美ヶ原を覆う雲は少しずつ消え始めているようである。
ほぼ平らな道 (実は緩やかな下り) に足が進む。しかし、急斜面を横切っている道であるため、右下へと落ち込む斜面は急角度、足を滑らせたらかなり下まで転げ落ちてしまうので油断は禁物である。
長く続く斜面を横切る道に少し嫌気が差し始めた頃、一旦小さなピークへの登りが現れる。状況が変わるのではと少し期待を持ったものの、登り着いた所には何も無く、 少し下った後はまた斜面を横切る道が続く。

『 二ツ山 1.4km、鉢伏山 5.7km 』 (つまり三峰山からは 4.3km歩いてきた) と書かれた標識を 10時44分に通過した後、 この少し先から登りが始まるようになる。
久々の急斜面に息が上がるがそれ程長くは続かず、一旦登りは緩やかになった後、嬉しいことに目の前の高みを右に巻いて進む。
しかし、やはり山はそんなに甘くはない。右を巻いたかと思った道はその後、斜面に取り付くようになり、長い振幅にてジグザグに斜面を登っていくようになる。
足下がササ、そして周囲はカラマツの斜面をジグザグに登る。時折樹林の隙間が大きくなるが、美ヶ原方面は再び雲に囲まれてしまったのか、展望は全く得られない。

高度をかなり上げてくると、今度は三峰山方面がよく見えるようになり、ここまでかなり進んできたことが分かる一方で、 この距離を戻らねばならないことに少し不安を感じるようになる。果たして体力が持つであろうか・・・・・・。
なお、折角見えた三峰山方面もガスがかかったようになっており、少しガッカリである。
ジグザグの振幅が徐々に小さくなってくると、斜面の傾斜も緩み始め、やがて道は緩やかな斜面をまっすぐに進むようになる。
ここも足下が黄緑色のササ原の中、緑の絨毯のような道が延びている。先ほどの三峰山への登りと違うのは、今は樹林帯の中ということで、周囲には立ち枯れの木々が目立っている。 もしかしたら、いずれここもササ原の山になってしまうのかもしれない。

傾斜はさらに緩み、足下の絨毯の幅も広くなると、やがて樹林帯は終わりとなり、先の方に標識が見えてくる。 二ツ山頂上に違いないと思いつつ喜びながら標識に近づくと、なんと 『 ← 二ツ山 0.2km 』 と書かれている。時刻は 11時33分。
少しがっかりしながらも、標識に従って左に曲がって先へと進む。ほぼササ原になった中に立ち枯れの木々が左右に並ぶ道を進む。
ありがたいことにキツい登りは無く、少し下って登り返せば、そこは二ツ山頂上であった。時刻は 11時36分。
三角点は標識の足下、草に隠れた場所にある。

ここはあまり展望が良くないので、すぐに先ほどの分岐へと戻る。しかし、休もうにも適当な場所が見つからない。
仕方が無いので、さらに少し先に進むことにして小さなピークに登り着くも、やはり休むのに適した場所がない。
やむなく、さらに先へと進んでもう 1つの小さなピークに登り着くと、漸く石が積まれている場所が見つかったのでそこで休憩することにする。時刻は 11時48分。
この石が積んである場所には赤く塗られた木が何本か立てられており、また頭を赤く塗った白いプラスチックの杭も置かれている。
よくは分からないが、阿弥陀岳の御小屋尾根などで見られる財産区境界明認を行ったものなのかもしれない。確かに、同じようなものを周囲のササ原の中にいくつも見ることができる。

この休憩場所からは鉢伏山がよく見え、そこに至るまでの小ピーク、そして山肌につけられた道筋もよく見える。
そして何よりも惹き付けられるのは、先ほどの三峰山への登りと同じようにここからは木々の無いササに覆われたピークが続いていることである。
時間を考えると帰りがかなり苦しくなるが、こうなっては鉢伏山に行きたい気持ちが強くなる。というよりもむしろ、鉢伏山に至るまでのササ原の中の道を楽しみたいという気持ちが強くなる。 幸い、今は日が長くなっているので、18時を過ぎても何とかなるであろうし、また道も明瞭なので、明るいうちに三峰山を越えてしまえば何とかなるはずである。
ということで、無謀にも鉢伏山に向かうことにする。

食事を済ませ、12時2分に出発。ここからはまずササ原の斜面を下る。
一旦樹林帯に入り、その中を緩やかに登っていくと、すぐに目の前にササに覆われた高みが見えてくる。ササ原の斜面には道がハッキリと見えており、 まるでゴルフ場のように毎日手入れがなされているかのようである。
ササ原の斜面をジグザグに登る。食事後でスタミナが回復したのであろうか、あるいは周囲の環境が心を浮き立たせてくれるからだろうか、快調に足が進む。

高度を上げ、途中で振り返れば、二ツ山の右後方に蓼科山が見えている。さらにはバックが雲に覆われているものの、 美ヶ原全体が見えるようになる。王ヶ頭、王ヶ鼻も確認ができ、まるで航空母艦を思わせる見事なまでに平らな台地である。
天候はかなり回復基調にあるようである。
また、三峰山もよく見えるようになるが、こちらから見る三峰山は美しい三角形をしていて根張りも大きく、堂々としている。
一方で、かなり遠くに見えるその姿に、帰りの行程を思ってため息が出る。

ササ原の高みに登り着くと、さらに先へとササ原の稜線が延びているのが見え、その後方に鉢伏山が見えている。
ここも開放的で気分がスカッとする光景である。
一旦少し下った後、ササ原の高みへと登る。傾斜は緩やか、高みの頂上部分には標柱が見えている。
左手には鉢伏山、そして高ボッチが見え、右手には美ヶ原、茶臼山が、さらに右には三峰山、二ツ山が見えている。
恐らく、雲が無ければ北アルプスもよく見えるはずで、空気の澄んだ時にもう一度来たい場所である。

高みには 12時30分に登り着く。
なお、標柱に見えたのは、距離を示す標識の横板が落下して柱だけが残っているからで、柱の足下に置かれている横板には 『 鉢伏山 3.1km 』 とある。まだまだ遠い。 なお、地図にはないが、ここは前二ツ山と呼ばれているらしい。
また、前方を見れば、この先一旦下って小さな樹林帯を抜けた後、鉢伏山の斜面に取り付くことが見て取れる。
数字上の距離はまだまだであるが、それ程遠いと感じないのはなだらか地形が続くからなのかもしれない。

カラマツの小さな樹林帯を抜ける。周囲には立ち枯れの木も目立っており、この辺もいずれササ原化してしまうのであろう。
ササ原の中に疎らに生える木々を縫うようにして進む。アップダウンが結構あるものの、あまり苦痛には感じない。
途中、左手に諏訪湖が見える。道の方は既に鉢伏山の一角に入っている。
右手には美ヶ原がよく見えるようになり、振り返れば、三峰山から二ツ山、そして前二ツ山と、ここまで越えてきた山々を一望することができる。

このまま鉢伏山に登った後、登山は終了となれば良いのだが、ここをまた戻らねばならないことを考えると少し気持ちが萎える。
傾斜は徐々にキツくなり、足下の道は少し細くなってくる。
息を切らせながら何とか登り着いたものの、期待に反し、そこは鉢伏山の頂上の一角では無く、置かれている標識には 『 鉢伏山 2.0km 』 とある。 確かに目の前には平地が広がっているが、その先に鉢伏山の頂上部分が一段高く見えている。
時刻は 12時59分。

少し砂利が混ざった道を進み、その高みの手前に至る。ここからは林道のような道が右手に延びているが、 鉢伏山の山頂は左と思われるので、林道を辿ったら遠回りである。
周囲に目を凝らすと、ササ原の中にキチンとした踏み跡を発見。獣道ではないようなので、そちらを辿って高みへの直登を行う。
その高みに登り着くと、そこから先は少し窪地になっていてその中に見覚えある遊歩道が見える。
そのまま窪地の縁を回っても良かったのだが、ササの中の道が不明瞭になったため一旦縁を下りて先ほど避けた林道の延長となる道に合流する。 そしてその砂利の林道を登って右へ曲がって行き、やがて遊歩道に合流する。時刻は 13時11分。

ここからは左に曲がって遊歩道を登る。これが結構辛いが、記憶ではこれを登り切れば頂上の一角に出るはずなので頑張って進む。
そして、その通り、道がほぼ平坦になるとすぐに三角点が見えてくる。鉢伏山の二等三角点到着は 13時17分。
ここからは勝手知ったる場所であり、そのまますぐに右手下方に見える鳥居へと向かう。この鳥居は鉢伏神社で、雨乞いの神様である鉢伏大権現を祀っている。
13時19分、鳥居を潜り、石祠にお参りした後、遊歩道を横切って南へと向かう。

こちらには諏訪湖を向いて並んでいる石造物群があるのだが、案内などないので、見過ごしてしまう人も多いようである。
その石造物群の前には 13時21分に到着。石祠が 3基ほどある他、神様の名前を刻んだ石碑が 8〜9基ほど置かれている。
石碑に刻まれている文字の全部は読めないが、『 大龍王 』、『 鉢伏山大権現 』、『 鉢伏太神 』、『 大日大聖不動明王 』 などの文字が読み取れる。 傍らに立つ説明書きによれば、『 大龍王 』 は水源地の守護神とのことである。
この他、石造物群の周囲に何本かの木の柱が立っているが、どうやらこれは御柱 (おんばしら) で、諏訪大社の御柱祭に合わせて 2016年に立てられたもののようである。

石造物群を後にして展望台へと向かい、ベンチに腰掛けて暫し休憩。
ここからは北アルプスが見えるはずだが、前回 (2016年2月)、今回とも全く見ることができない。時刻は 13時24分。
さて、この後の行程を考えると気が滅入るし、さらに心配なのが予報通り天候が回復しつつあることである。
天候回復は喜ばしいことではあるが、このまま暑くなると、水分補給がこれまで以上に必要になり、そうなると持ってきた水だけで足りるのかという問題が生じるからである。
下方にある鉢伏山荘まで下りればこの問題は解決するのだが、できるだけ体力を温存したいという思いもあり、少し悩んだ結果、立ち寄らずにそのまま往路を戻ることにする。

13時40分に出発。帰りは鉢伏神社の鳥居横を進み、若山牧水・喜志子夫妻の歌碑経由で下る (そうすると、三角点は飛ばすことになる)。 歌碑前を 13時34分に通過。遊歩道に出た後、さらなるショートカットをもくろみ、ササ原に取り付く。
薄い踏み跡を辿り、やがて登りの際に歩いた道と合流、ササ原を下って登山道に戻る。
なお、この鉢伏山はレンゲツツジの群生地として有名であるが、花期は 6月下旬から 7月上旬ということで、今は全くレンゲツツジの花は見られない。
また、この頃になると徐々に上空の雲がとれ始め、日が差すようになる。こうなるとやはり水分補給が心配だが、一応 500ml近く残っているのでなんとかなるであろう。

周囲の雲もなくなり始めており、蓼科山の右に八ヶ岳連峰の山々が見えるようになる。
天狗岳付近はまだ雲に覆われているものの、硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳、権現岳、編笠山はしっかりと確認できる。
しかし、改めて三峰山を眺めると、ここからの距離が相当あることに驚く。鉢伏山へと向かってくる際には、初めてのコースということもあり、あまり気にならなかったのだが、 そのコース内容を知ってしまった今、戻ることへの億劫さが先に立つ。
しかも、三峰山で終わりでは無く、そこからさらに 1時間ほど下らねばならない。中でもネックは三峰山への登りであろう。
どうなることやら・・・。

先行きを憂いつつ黙々と歩き続け、前二ツ山には 14時13分に到着。ここで 3分ほど休憩する。
天候はますます回復してきており、今や八ヶ岳連峰にかかっていた雲はスッカリ無くなり、蓼科山の右に北横岳、縞枯山が確認でき、さらには先ほど見えなかった中山や天狗岳も見えるようになっている。
無論、天狗岳の左手前にある霧ヶ峰もよく見えており、車山頂上の気象レーダードームの白が目立っている。
茶臼山、美ヶ原方面の雲も全くなくなり、その平らな台地が非常に目立っている。
そして、小さな樹林帯を抜け、二ツ山手前側にあるササ原の小ピークを登る頃には、斜面の先に青空が見えるようにまでなってきたのであった。そして太陽がジリジリと後頭部に照りつけ始める。

往路にて休憩した財産区境界明認の所には 14時41分に到着。
鉢伏山まで続くササ原のトレイルはこれで見納めになることから、じっくりと目に焼き付けるべく 5分ほど休憩する。
14時46分に出発。二ツ山分岐を 14時52分に通過、二ツ山頂上には立ち寄らずにそのまままっすぐ進む。
すぐに下りに入り、その後、斜面をジグザグに下る。
『 三峰山 4.3km 』 の標識を 15時23分に通過、この 4.3kmはどう評価すべきであろう。平地なら 1時間弱で歩ける距離だが、山では 1.5〜2倍の時間を要する訳で、 三峰山の登りの厳しさを思うと、あと 2時間と見て良さそうである。

やがて、ある程度 道が平らになってきてホッとするが、よく見ると斜面を横切る道は緩やかな登りになっている。 先にも述べたようにこれがボディブローのように効いてくる。
それでも、何とか足を進めていくと、途中、樹林越しに三峰山が見える。しかし、思いの外 遠く、しかも高い。これを見た途端気力が萎え始める。

『 三峰山 1.8km 』 の標識を 16時16分に通過、ここから登りの傾斜がキツくなり始める。
息絶え絶えになりながらも何とか登り続け、『 三峰山 1.2km 』 の標識を 16時35分に通過。しかしここからも登り、そしてアップダウンが続き、 歩みが完全に牛歩ペースとなる。吹く風が心地よいのが唯一の救いである。
再び三峰山が見えるようになり、その急斜面につけられたジグザグの登山道が見通せるようになると、もうさすがに体力の限界を感じる。 仕方が無いので 10分ほどの休憩を行う。水も残り少なくなっており、飲み干したいという欲求を抑えて少しずつノドに流し込む。
本日はこんなに暑くなるとは思っていなかったので、合計 2リットルの水しか持参しなかったのだが、もう 1本購入しておくべきであった。 何と言っても、気温など、数値的にはもう夏なのである。

なお、体力も厳しい状況であるが、もう一つ、恐ろしいものが耳に入る。雷鳴が聞こえてきたのである。
途中で見た美ヶ原方面は、後方の空がかなり黒かったが、その雲がこちらに近づいてきているのかもしれない。
一方で、太陽はしっかりと輝いているので訳が分からない。青天の霹靂ということになれなければよいがとの心配が出てくる。
それにしても三峰山への登りはキツい。無論、最後の急斜面をジグザグ登ることも辛そうであるが、それよりも前衛にあるいくつかの小ピークの登りが辛い。
立ち止まっては上を見上げるという動作を続け、牛歩にて進み、何とかササ原斜面の手前に辿り着く。さすがにこのまま登るのは辛いので、ここでも 5分ほど休憩し、 残り少ない水を口にする。

少し休んだことが良かったのか、一番恐れていた急斜面の登りは、ジグザグの振幅が良く考えて作られているため意外と楽で、 何とか登り続けることができ、17時42分、三峰山の頂上に辿り着いたのであった。
疲労困憊であるため体力を回復すべく、最後の水を飲み切るとともに、アミノバイタルも一緒に流し込む。
頂上を吹き抜ける風が心地よい。
また、ありがたいことに雷鳴はもう聞こえない。

17時50分、頂上を後にする。後は下りが主なはずであるが、最後に 2つほど登りがあるのが気掛かりである。
途中、下方の ビューレスト三峰が目に入り、余程下って水分補給をしようかと思ったが、往復 3〜40分は厳しいと考え、そのまま和田峠へと下り続ける。
最初のササ原中心のエリアでは足が進むが、樹林帯に入り、登りに入ると足が止まる。和田峠 農の駅にある自動販売機を頭に思い描きながら登り続ける。キツい、辛い、このような登山は久々である。
何とか和田山北峰に登り着くが、この後一旦下りに入った後、再び登りが待っている。こちらも辛い。

本当にヘロヘロになりながら何とか登り切ると、後は下りだけで、18時53分に古峠に辿り着いたのであった。
ここからは緩やかな草地の下りが続きホッとする。もうすぐノドを潤せるのだと念じながら進み、2回ビーナスラインを横切った後、登山口には 19時4分に到着。 車道を右に進んで、駐車場には 19時6分に戻り着いたのだった。
少々薄暗くなってきてはいるものの、ヘッドランプも不要で、日が長くなっていることに感謝である。
農の駅を往復するのが億劫だったので、靴を履き替えるなど帰り支度を済ませた後、車で農の駅へと進んで自動販売機の所に車を横付けする。 若干値段が高いが、この際そんなことは言っていられない、ファンタグレープを一気に飲み干し、さらに帰りがてらに飲むべくペットボトルを2本購入したのであった。

本日は、『 歩く山 』 を念頭に、以前から登りたかった三峰山〜二ツ山〜鉢伏山間を往復したが、 少しブランクが空いた身にとっては体力的にキツい山行であった。しかし、山自体は素晴らしく、大変楽しめたコースであった。
やはり登ったことのない山や歩いたことのないコースを辿ることが一番楽しいということを改めて認識した山行であった。


残雪の乗鞍岳を楽しむ  2019.5 記

4月5日(金)に恒例となっている 『 鎌倉ハイキング 』 の下見を行った後、左膝がまた痛むようになった上に、 どういう訳か右足首が軽い捻挫のような状態となって、またまた山に行くことを躊躇う日々が続く。
左膝の痛みは長い付き合いをとなっていることからある程度致し方ないが、右足首の痛みについては全く覚えが無いだけに少々悩ましい。 ネットで足首固定用のサポーターを購入して毎日装着することで、平地を歩く際には全く問題なくなったものの、下り坂などではまだ少々痛む。

そうこうしているうちに長期大型連休に入り、混むことが必至である山には行きたくないということもあって、さらに自宅待機の状態が続く。
と言っても、大型連休中ずっと家に引き籠もっていた訳では無く、岡山県に旅行に出かけ、 レンタカーにて大山 (だいせん) 方面、四国、そして倉敷などを回っており、四国では金刀比羅宮 (ことひらぐう) にも参拝して、あの 1,368段の階段を昇っているのである。
その際にも足首固定のサポーターを装着していたことが良かったのか、完全に回復したとはいえないものの、全く階段の昇り下りに支障は無く、また左膝の調子も良くなってきたので、 大型連休明けの山行に期待を抱かせてくれたのであった。

ということで、天気の良さそうな 5月8日に乗鞍岳に登ることにする。 残雪期に乗鞍岳に登るのは 2回目になるが、この時期にこの山を選んだのは、雪の上であれば膝や足首への負担が小さかろうと考えたことが一番大きい。
さらには、ここ 2年ほど出番の無かったスノーシューに活躍の場を与えたいと思っており、加えて、長い間続けていた 年に 1回以上の 3,000m峰登山が昨年途絶えてしまったため、 今年は早いうちに 3,000m峰に登っておきたいと思ったことが理由である。

5月8日(水)、朝の 3時過ぎに横浜の自宅を出発する。
ただ、近頃は午前2時近くに寝ることが習慣化してしまっていることから、寝付きが悪く、結局 睡眠時間はかなり短いものになってしまったことが気掛かりである。 加えて、長い間 山に登っていないので、体力の方もあまり自信が無い状態である。
いつも通り横浜ICから東名高速道下り線に入った後、海老名JCTにて圏央道へと進み、さらに八王子JCTから中央自動車道に入る。天候の方は予報通り快晴のようで、 南アルプス、八ヶ岳も良く見え、さらには小淵沢ICを通り過ぎて暫くすると前方に北アルプスがチラチラと見えるようになる。
さらには、中央道原PAを過ぎると主役級の穂高連峰、大キレット、槍ヶ岳方面がハッキリと見えるようになってテンションがグッと上がる。

岡谷JCTから長野自動車道に入ると、ここからは北アルプスの展望がこれでもかと目に飛び込んできて興奮しっぱなしである。
運転中のため、しっかりと確かめられないが、間違いなく穂高連峰や常念岳、横通岳が見えており、さらには鹿島槍ヶ岳、五竜岳、白馬三山なども確認できるようになる。 こうなると乗鞍岳に早く登りたいとの気持ちがグッと強くなってくる。
松本ICで高速を下り、国道158号線を西へと向かう。新島々、道の駅 『 風穴の里 』 を過ぎて何やら新しいトンネルの掘削工事を行っているらしい場所を過ぎると、 やがてトンネルが連続するようになる。
さらには、奈川渡ダムを横断した後は、それぞれのトンネルが結構長くなるのだが、その中の 1つである前川渡トンネルを抜けた所で、信号を左折して県道84号線に入る。
国道158線では車の列がかなり続いていたのだが、こちらに進んだのは小生の車だけであった。

順調に車を進め、千石平のバス停を過ぎると、前方に乗鞍岳がチラチラ見え始め、 乗鞍高原温泉付近からは正面に長い間 乗鞍岳が見えるようになる。その真っ白な姿にテンションが上がる一方、雪の多さに本日の登山に一抹の不安を覚える。
乗鞍ライジングサンホテル湯楽里の前にある黄色いポストに登山届を投函した後、さらに高度を上げていく。
途中、乗鞍岳のビューポイントがあったため、右側の駐車スペースに車を駐めて写真を撮る。
剣ヶ峰の左にある高天ヶ原は、白の中に木々の緑や茶色が目立つが、これから登る剣ヶ峰や蚕玉岳 (こだまだけ)、朝日岳はほぼ真っ白である。 その後方には雲一つ無い青空が広がっており、登高意欲を高めてくれる。

駐車スペースからさらに山の中へと入っていき、ワインディングロードを順調に登って、 三本滝レストハウスの駐車場に車を駐めたのは 6時39分であった。平日にも拘わらず、駐車場には既に 5台の車が駐まっている。
トイレをお借りした後、身支度を調えて 6時48分に出発し、ゲレンデへと進む。
2017年のほぼ同じ時期 (5月16日) にここへ来た時は、ゲレンデに雪はほとんどなかったのであるが、今回は 9割近くが雪に覆われており、斜度もかなりキツく感じられる。
右足首や左膝に爆弾を抱えていることから、滑り止め無しでは負担が大きいと考え、リフト小屋の横にてアイゼンを装着し、加えて日焼け止めを顔に塗った後、改めて 6時56分に出発する。
朝方ということもあって雪は締まっており、アイゼンが良く効く。一方でやはり久々の登山、急斜面に息が上がる。
斜面途中で立ち止まって振り返れば、鉢盛山、小鉢盛山が見えている。

なかなか終わりにならないと思えたこの斜面も、道路に飛び出して一旦終了するが、目の前には次のゲレンデが待っている。
しかも、取り付きにある雪の壁が高く、このままではゲレンデに入れないので周囲を見回すと、右手の雪壁に斜めにつけられた切り込みが見つかり、そちらからゲレンデに入る。 ここからも雪の斜面が待っている。息を切らせつつ登る。
途中、左手後方に南アルプスらしき山々が見えたので、これ幸いと休みを兼ねて立ち止まり、写真を撮る。
うっすらとしか見えない状況ではあるが、甲斐駒ヶ岳がピラミダルな形を見せており、その右に鳳凰山 (観音岳)、アサヨ峰そして仙丈ヶ岳と続き、仙丈ヶ岳の後方には北岳も確認できる。 そして、北岳の右には間ノ岳が続く。
この順番に戸惑うが、さらに戸惑ったのは間ノ岳の手前側に見えている山が経ヶ岳 (中央アルプス) であることである。
そうであった、乗鞍岳の位置を考えると、いつも見る方向とは反対側から見ていることになるので、この順番も納得である。

もう一度車道を横切った後、ヒーヒー言いながらゲレンデの斜面を登る。
記憶では、この斜面を登り切れば暫くは平らになるはずで、その通り、登り切ったところからはほぼ平地の状態が続く。
そして何よりも嬉しいのは、正面にこれから登る乗鞍岳の剣ヶ峰が白きピラミダルな姿を見せてくれたことである。
その後方には青空が広がっておりテンションがグッと上がる。
但し、前回は山頂に近づくに連れ、雲が多くなってきたので油断は禁物である。このままの状態が続くことを願うばかりである。
雪が融け、草の露出部分が多い平地を進む。とは言え、アイゼンを装着しているので、当然 雪のあるところを選びながら進む。

左手を見れば、今度は中央アルプスがよく見えている。
こちらもいつもとは違う方向から見えているためか、三ノ沢岳がかなり存在感を示している。
木曽駒ヶ岳、南駒ヶ岳、そして木曽前岳も存在感を示しているが、空木岳はまだ小さい。
また、相変わらずうっすらとしか見えないものの、南アルプスも見える範囲が広がっており、塩見岳、荒川三山、赤石岳が確認できるようになる。

かもしかリフト最上部 (ツアーコース開始点) を 7時24分に通過、この先、前回はササ原だった場所も今は一面の雪、 踏み抜くことも無く順調に通り抜けて、やがて目の前の斜面に取り付く。
アイゼンのお陰でほとんどロス (滑る) なく登っていくことができるが、やはりこの斜面も苦しい。おまけに、背中に 2kgのスノーシューを背負っているので、余計に辛い。
今は雪が締まっているのでスノーシューの出番は無いが、下山時にはかなり雪が緩むと予想されるため、ただの荷物にならずに活躍してくれることを願うばかりである。

なかなか登り終えない斜面に、この後の本峰への登りのことも考えて少々焦りが出てくる。 本日は体力的な問題によってかなり時間がかかりそうである。それでも何とか辛い斜面を登り切ると、暫くは緩やかな登りが続くようになってホッとする。
両側がシラビソ ? の林となっている中、ツアーコースを進む。すぐにまた登りとなるが、この登りは短く、登り切った先に 赤地の円盤に黄色い数字が書かれた標識が見えている。 標識に書かれている番号は 『 1 』 である。
その 『 1番標識 』 を 7時57分に通過。

ここからコースは左に曲がるが、ここで今まで消えていた剣ヶ峰が再び正面に見えてくる。
岩場で雪が吹き飛んでいるところを除けば、ほとんど真っ白であり、聞いたところによると、数日前にも降雪があったらしい。
嬉しくもあるが、果たして剣ヶ峰への登りはどのような状況なのか少々心配でもある。
ここからも登りが続くが、出だしのゲレンデ、そしてツアーコースの出だしの登りに比べれば大したことはなく、また一汗かいたことで身体も少し楽になってきている。
斜面を登り切ったところが 『 2番標識 』 で、ルートはここからやや右の方へと進む。時刻は 8時10分。
足下はほぼ平らとなり、一息つける区間である。暫くほぼ平らな状態が続いた後、さらに右に曲がって進んでいくと、またまた登り斜面に変わる。
足下にはスキーのシュプールが多く、下山時には一気にここを通過できることがうらやましい。

緩やかな斜面に身体も楽になり、また青空に心弾ませながら登る。
やがて、コースが左にカーブし始めると、右手の樹林越しに奥穂高岳が見えるようになり、さらには前穂高岳も見えてくる。
北アルプスの山々は、このツアーコースが終わり、広い台地状の所を進むまでは見えないと思っていただけにこれは嬉しい。
さらには、剣ヶ峰も下部まで見えるようになってきたが、そこまでに越えていかねばならないマウンドを含め、まだまだ距離があることを知り、少し気持ちが萎える。
ただ、真っ青な空をバックにした白き三角形の峰は何とも魅力的である。

8時44分に 『 6番標識 』 を通過、その少し先で今度は右へと曲がっていく。
この斜面を登り切れば、ツアーコースの終点 (位ヶ原山荘との分岐でもある) となるはずで、実際その通りに傾斜が緩んで歩きやすくなった先には、位ヶ原山荘と剣ヶ峰との分岐を示す標識が立っている。 時刻は 8時54分。
その標識を見ると、『・・・もう一度天候・体調・装備等をチェックして下さい・・・』 と書かれている。天候、装備は問題ないものの、問題は体力の方で、ここまでで既に少々バテ気味である。
従って、どこかでエネルギー補給をしたいところであるが、適当な場所も見つからず、この先にあるはずのダケカンバ群のところで休もうと、先へと進む。
しかし、その前に厳しい壁が待っている。先ほど下から見えたマウンドで、斜面に取り付くと結構 斜度がある。
まっすぐ登るのはキツく、ジグザグに斜面を登るが、それでも苦しい。
少し登っては立ち止まって上を見上げるというパターンを繰り返しながら何とか登り続ける。

漸く傾斜が緩み始めると、一時見えなくなっていた剣ヶ峰の先の部分が斜面の奥に見えるようになり、さらに登っていくと、 雪の斜面にまばらに顔を出しているシラビソ群の向こうに剣ヶ峰がしっかりと見えるようになる。しかし、まだまだ道のりは長い。
さらに緩やかに登っていくと、雪の上にはシラビソに変わってダケカンバが見られるようになり、それに呼応するかのように周囲はほぼ平らになる。
途中、幹が曲がって地面と平行になった部分があるダケカンバがあったので、そこにザックを置き、立ったまま食料補給を行う。
時刻は 9時18分。
ノドも相当渇いていたのであろう、500mlの飲み物を半分ほど一気飲みする。

あんパン 1つを食した後、9時23分に出発。ここからは剣ヶ峰を前にして大きく広がる雪原を進む。
前方には剣ヶ峰、蚕玉岳、朝日岳の他、その右手に摩利支天岳も見えており、朝日岳と摩利支天岳との鞍部には肩ノ小屋、そして摩利支天岳の奥には旧乗鞍コロナ観測所 (現 乗鞍観測所) も見えている。
また、この雪原は吹きさらしとなるため、乗鞍岳から吹き下ろす風がかなり冷たく、頬を強ばらせ、手袋 (今回は薄手) の中の手を冷たくさせる。 これでは稜線に立った場合どうなるかと少々心配になる。
スキーの跡や踏み跡を追いながら進む。場所によっては深く潜ってしまうところもあるので、帰りはやはりスノーシューの出番であろう。 ただ、現在はスノーシューを括り付けている分ザックが重く、ショルダーハーネスが肩に食い込んで痛い。

それにしても、この雪原歩きは長く感じられる。歩いても歩いても剣ヶ峰は近づいてこず、肩ノ小屋口付近に見えてきたトイレも遠いままである。
それでも、着実に変化は起こっているようで、やがて右手後方に槍・穂高連峰が姿を現す。一番左側の奥、大喰岳 (おおばみだけ) の後方に槍ヶ岳の穂先が確認でき、大喰岳の手前に中岳、 そしてさらに手前の下方に西穂高岳が確認できる。
西穂高岳の右には間ノ岳が続き、そこからさらにジャンダルム、奥穂高岳へと稜線は上っていく。
奥穂高岳の右には、美しい弧を描く吊尾根を経て前穂高岳が素晴らしく、さらに前穂高岳の右手後方には東天井岳、そして常念岳が見えている。
常念岳の左手前には霞沢岳が見えており、さらに左手前 (吊尾根の手前下方) には十石山も見えている。
また、常念岳の右には蝶ヶ岳、大滝山が続く。

ほとんど変化の無かった雪原にも漸く変化が現れ、ドーザーショベルにて本来の道路部分を掘り起こしている (まだ道路は見えない) 場所を越えていく。
そしてすぐに、その道路の続きとなる肩ノ小屋口へと続く道路部分に到着する。無論、道路は露出していないが、こちらもドーザーショベルで雪をある程度掘り起こした跡が残っている。
その傍らにいくつか並んだ岩が露出している場所があるが、ここは見覚えがあり、夏道で言えば、宝徳霊神から沢沿い辿って道路に登り着き、 肩ノ小屋口とは反対側 (左) に少し進んだ場所付近ではないかと思われる。時刻は 9時59分。
さすがに疲れたので岩に腰掛けて本格的な休憩・食事を行う。

剣ヶ峰を眺めながら十分に休憩し、10時10分に出発。
食事の際、寒さを凌ぐためパーカーを着たが、ここからはさらに寒くなりそうなので着たまま出発する。
右に進んで肩ノ小屋口から肩ノ小屋方面に登る手もあるが、右斜めに進んでも傾斜はあまり無いように思えたので小屋のある鞍部を目指して右斜めに進む。
しかし、食事をしてエネルギーを補給したとはいえ、やはり登りはキツい。ここは我慢して登り続けるしか無い。
やがて、一旦は斜面の下に入ったため見えなくなっていた肩ノ小屋の屋根が斜面の先に見えるようになる。右上を見上げれば、乗鞍観測所の白い観測ドームも大きくなってきている。
左手を見れば、スキーを履いて斜面を登っている人がいる。前回登った時は、小生もその人と同じコースを辿って岩が露出している場所へと直登したのだが、 まだ体力があったその時でもかなり苦しかったので、今回は少し遠回りだが傾斜の楽な方を選んだ次第。それでも苦しい。

肩ノ小屋の屋根が大きく見えるようになった所で、左に方向を変えて先ほど述べた岩場方面へと進む。
そのまま斜め上に登っていけば良かったのだが、その時、右手上部にある岩場で羽ばたきが聞こえたのでそちらを見るとライチョウがいるではないか。 これは写真に撮らねばと、遠回りになるが右手の岩場へと進む。
ハイマツと岩が入り交じる場所にライチョウはおり、早速 写真に収める。
ライチョウは岩の上に立って辺りを見回してはいるが、動き回らないのが嬉しい。とは言え、あまり近づくこともできず、小さい状態でしか撮れないが何枚か写真に収める。
今は羽が生え替わっている最中で、ほぼ背中側は茶色くなっているが、その中にまだ白い羽が多く混ざっている。また、目の辺りに赤い肉冠があるのでオスと思われるが、 今は繁殖期らしいので、キョロキョロしていたのはメスを探していたのかもしれない。

ライチョウを撮り終えた後は、その岩場を越えてシュカブラが見られる斜面を登る。短い斜面を登り切ると、そこからは緩やかなハイマツ帯の斜面に入ってしまう。
雪の中からハイマツが顔を出しているのであるが、顔を出しているのは一部分、下手に歩くと大きく踏み抜いてしまう。
幸い、踏み跡がいくつかあったので、ハイマツの罠を避けながら進む。
再び斜面の登りが始まるが、ここのシュカブラは大きくて美しい。
コースとしては鞍部を目指すというより朝日岳を目指している形になるが、最初はそれでも良いと思っていたものの、体力を考え、途中から斜面を横切るように進んで、 蚕玉岳と朝日岳の鞍部を目指す。
雪の上に足跡がしっかりつけられているものの、この辺は雪がサラサラしていて沈みやすい。苦労しつつも何とか進み続ける。
斜面途中なので、振り返るのが怖いが、振り返れば下方に肩ノ小屋が見え、その後方には摩利支天岳と乗鞍観測所が見えている。

息を切らせつつ何とか足を進める。この辺は、足を踏み出す度に 10センチほど潜ってしまい、なかなか進まない。
鞍部の下方に来たところで、足下の雪質は変わり、かなり固いものとなる。ジグザグに登る足跡もあったが、ここは少し無理をして斜面を直登する。
鞍部が近づくに連れて傾斜は緩んでくる一方で、今度は雪が柔らかくなり、足が 15センチほど潜るようになる。
そして苦労しつつも、11時44分に鞍部に到着。風は予想していた程強くは無い。

漸く足下が落ち着いたところで周囲の写真を撮る。やはり一番に目が行くのは槍ヶ岳から穂高連峰にかけてで、 高度を上げた分、先ほどよりも山の下部まで見ることができるようになり、また槍の穂先もかなりハッキリとしてきている。
槍ヶ岳の左後方には、白馬鑓ヶ岳、白馬岳が見え、さらに左に真っ白な旭岳が続く。白馬岳と旭岳の間の手前には針ノ木岳と思しき山が見えている。
旭岳の左方には野口五郎岳が見え、これらの山々の手前を槍ヶ岳から下る西鎌尾根が横切っている。そしてその西鎌尾根のさらに手前には焼岳が見えている。

また、野口五郎岳のさらに左には鷲羽岳、黒岳 (水晶岳) が続き、黒岳の左後方には立山、そして劒岳が見えている。
そして、劒岳の手前には双六岳が見え、そのさらに左に抜戸岳があって、抜戸岳から左に続く尾根は笠ヶ岳へと至っている。
こちらから見る笠ヶ岳は、スッキリとした円錐型であり、台形のイメージが強いので少し戸惑う。
なお、この抜戸岳から笠ヶ岳へと続く稜線の後方に真っ白で横に長い山が見えているが、帰宅後調べると奥大日岳であった。
笠ヶ岳の左後方にも大きな山が見えている。これは薬師岳で、その左には黒部五郎岳も見えている。

この北アルプスの大展望に満足してさらに先へと進む。目の前には蚕玉岳の斜面が控えていてウンザリするが、もう少しである。
しかし、ここまで少し無理したためであろうか、両足の大臀筋部分が痛くなる。が、ここまで来たら我慢して登り続けるしかない。
右手後方を見ると、朝日岳の左斜面後方に白山が見えている。
斜面を登り切って足下が平らになると、目の前に剣ヶ峰の三角形が見えてくる。左半分は雪で真っ白であるが、右半分は岩の黒が目立つ。また、剣ヶ峰の右後方には大日岳も見えている。
蚕玉岳頂上を 11時53分に通過、そこから一旦下る。右手下方には権現池があるはずであるが、今は雪の覆われて真っ白である。

少し平坦地を進んだ後、剣ヶ峰に向かっての登りに入る。これで最後とは分かっているものの、かなり辛い。
頂上の乗鞍本宮奥宮から直接下ってくる道は通れそうも無く、ここは左側、頂上小屋経由で進む。
左手に常念岳、蝶ヶ岳、大滝山方面を眺めながら登る。
雪に屋根が埋もれている頂上小屋過ぎ、上部に乗鞍本宮奥宮、そして鳥居を見ながら登り続ける。そして傾斜が緩むと、やがて右手に朝日権現社が見えてくる。

岩の間を進み、朝日権現社の前には 12時8分に到着。頂上はこの裏手である。
権現社の左手を進む。今度はすぐに御嶽が見えてくる。いつもは南北に長い御嶽を東側から見ているために御嶽は上底の長さが長い台形というイメージが強いが、ここでは北側から見るため、 上底が短い台形となっていて新鮮に映る。
なお、御嶽をよく見ると、剣ヶ峰の右側にある高み付近から噴煙が上がっている。昨年の秋に一時的に規制が解除され、今年も 7月 〜 10月の間の期間限定で規制が一部緩和されると聞くが、 御嶽の火山活動はまだまだ続いていることを感じさせてくれる。

権現社の左手を回り、乗鞍岳頂上には 12時9分に到着。
前回登った時は 5月の半ばであるにも拘わらず鳥居にエビの尻尾が付いていたが、今回は全く見られない。
頂上にて白山、北アルプス、御嶽等の景観を楽しんだ後、本宮の左手を回って権現社へと戻る。こちら側は風が権現社に遮られるため居心地が良い。
なお、南アルプスは今やほとんど霞んだ状態で、仙丈ヶ岳と北岳との間に見えるという富士山などは全く確認できる状況に無い。
一方、中央アルプスの方はまだ良く見えており、今朝ほどよりも空木岳が存在感を示しているとともに、南駒ヶ岳との間にある赤梛岳 (あかなぎだけ) も確認することができる。

ゆっくり休んで 12時26分に下山開始。登ってきた道をそのまま戻る。
下る際、紫外線が強いので、もう一度顔に日焼け止めを塗ったのだが、下山後に鏡を見たら顔は歌舞伎の白塗りのように真っ白であった。気づかずに恥ずかしい (しかし効果は抜群)。
12時38分に蚕玉岳と朝日岳の鞍部に到着。疲れていたのでこのまま下山するつもりであったが、先ほど山スキーの方がつけたばかりの新しい踏み跡が朝日岳頂上まで続いているのを見て登る気になる。
雪は柔らかく、結構足を取られるものの、踏み跡をつけてくれた方のお陰で、それ程苦労することなく登っていくことができる。
朝日岳頂上の祠 (朝日大権現) の前には 12時47分に到着。祠はほとんどが雪の中で、屋根の部分だけが見えている。

白山や御嶽を写真に収めた後、鞍部へと戻る。なお、ここから見る御嶽はどういう訳か噴煙が全く見えない状態である。
鞍部には 12時53分に到着。一旦、肩ノ小屋方面に向けてほぼ斜めに下る。
雪が柔らかい上に、下方にスキーヤーが登ってきているので、雪を落とさないようにと気を遣い、進むのに時間がかかる。しかし、途中、斜面の傾斜が緩くなってきたのをみて、真下へと下る。
下り始めれば早く、登る際には大変苦労した斜面であったが、アッという間に肩ノ小屋口のトイレへと繋がる道路に到着する。
道路 (まだ雪の下) を渡って、登りの際に休んだ岩場で暫し休憩、時刻は 13時32分。
そして、13時54分に出発、少々休み過ぎてしまった。

なお、出発の際にスノーシューを装着する。2017年2月の山王帽子山以来のスノーシュー使用である。
この間、全くメンテナンスを行っていないので、劣化部分がないか少々気になるところであるが、不具合もないようで快調である。
雪に潜ってしまうことも無く、順調に足が進む。尤も、良い天気ではあるが、風が冷たい分、雪は固く、アイゼンのままでもあまり潜らなかったのかもしれない。
途中で振り返れば、乗鞍岳の斜面が太陽の光の関係でテカテカ光って見えている。本日は頂上でも雲一つ無い快晴であり、疲れはしたが気持ちの良い登山であった。と、まだ気を抜いては行けない。
やがて、ダケカンバの木に 『 ← ツアーコース入口 』 の標識を見つける。行きにはこの標識を見落としてしまったが、雪上にトレースがあるので、濃い霧が発生しないかぎり、 このような見落としは心配することがない。時刻は 14時6分。

往路で休んだダケカンバ帯を抜け、シラビソ帯に入ると、往路で苦労したマウンドの下りが待っている。
やはり結構 急で、スノーシューでは下るのに少々苦労する。何とかジグザグに下って誤魔化していたが、途中でスノーシュー自体がスキーのようになってしまい、 ブレーキが利かずに斜面を滑り降りることになってしまう。
少々恐怖を感じたので、尻餅をついて制動をかけ何とか止まることができたが、お陰でお尻やザックはビショ濡れである。
この後は、滑らないように、なるべくスキーのシュプールを避けてまっさらな雪の部分を下る。
少し焦りながらも何とか下りきり、ツアーコースの終点 (位ヶ原山荘分岐) を 14時21分に通過。
ここからもスキーのシュプールを避けるコース取りに専念し、写真を撮ることも忘れて黙々と下り続ける。

しかし、それも、下方にツアーコース開始点の平地が広がっている、最後の下り急斜面に至るまでであった。
最初は斜面をスノーシューのままで下り始めたのだが、途中でギブアップし、スノーシューを外してアイゼンもつけずに下る。
ツアーコース開始点を 15時10分に通過、少し先からゲレンデを下る。
ここで急に左膝が痛くなり始める。最初のゲレンデは何とか下ったものの、道路を横断した後、最後から 2番目のゲレンデでは踏ん張りが効かないので、雪を避けて草地を選びながらゆっくり下る。
15時25分に 2番目の道路に下り立つと、そこから見下ろす最後のゲレンデは雪ばかりで草地がほとんどなく、わずかに見える草地も急斜面である。
これではとても下る自信がないため、仕方なくここからは車道を下ることにする。

ゲレンデを下った先に道路とレストハウスが見えており、 その道路がこちら側のすぐ下に見える林に直線的に入ってきているのが見えているので、道路を下ってもすぐにレストハウスに着けると思っていたのだが、とんでもなかった。
道はドンドン北に向かって進んで行くので少々焦る。漸くヘアピンカーブにて南へと戻るようになったものの、結局 道は大きく蛇行していて、かなりの遠回りを強いられてしまったのだった。
恐らく、1km以上の車道歩きであったと思われる。かなりのタイムロスであるが、これも左膝が痛むため致し方ない。
三本滝レストハウスには 15時36分に到着。駐車場にはスキーで一気に下ってきた方々、そしてバスにて位ヶ原山荘から下ってきた方々で結構混み合っていた。

本日は、快晴の下、残雪の乗鞍岳に登ったが、前回よりも天候に恵まれ、素晴らしい展望も得られて大満足の一日であった。
ただ、最後にまた左膝が痛み始めたのが気にかかるところである。恒例の鎌倉散策本番に向けて暫く山は自重せねばならないかもしれない。
また、久々の登山でかなり疲れ、スピードは落ちたものの、何とか登り切ることができたことが嬉しい。
雪融けが進み、残雪の山も最早あまり残っていないが、できたらもう一つくらい残雪の山に登りたいところである。
しかし、先に述べたように鎌倉散策本番が済むまで山は自重ということになると、時期的にそれは難しいかもしれない。


長らくのご無沙汰の言い訳を少し  2019.4 記

昨年の 11月9日を最後に、このホームページは 6ヶ月近く更新されていない状況であるが、この間、全く山に登らなかった訳では無い。
9月28日に大菩薩嶺に登った後 (登山記録は上げていないが、状況を 11月9日にホームページのトップにアップ)、10月9日には蓼科山に登っており、 さらに 10月12日には恒例となっている鎌倉散策の下見を行い、加えて 11月20日に 2回目の下見を行っている。
そして、12月5日に鎌倉散策本番を迎えた後は、12月19日に山梨百名山の 1つである権現山 (+ 扇山、百蔵山(ももくらやま)) に登っているのである。
とは言っても、その後またブランクを生じさせてしまい、今年の 3月20日に大菩薩嶺に登ったのが恥ずかしながら今年の登り初めという状況である (さらには、 春の鎌倉散策ための下見を 4月5日に行っている)。

このように、一応断続的ではあるものの山登りを続けてはいるのだが (鎌倉散策が登山かというと少々疑問ではあるが・・・)、 このように山行が飛び飛びとなっているのには理由があり、言い訳めくものの、状況を説明したい。
7月の阿弥陀岳登山の後、山鬱状態 (小生の造語:山に行くことが億劫になる精神状態) に陥り、夏山シーズンを逃してしまったものの、 漸く 9月の大菩薩嶺で復活したのは既報のとおりである。
そして、折角復活した山行意欲が再度萎んでしまうことを恐れ、すぐに蓼科山にトライしたまでは良かったのだが、すずらん峠園地駐車場から蓼科山に登った後、 将軍平へと下り、その後さらに大河原峠へと下る途中の樹林帯にて転倒してしまい、右足の脛を強か打ってしまったのである。

少し詳しく述べると、将軍平から暫くはほぼ平らな道が続き、やがて大河原峠に向かっての下りが始まるのだが、 この下りは決して急斜面ではないものの岩がゴロゴロしていて歩きにくく、その上、この日は少し岩が濡れていたのである。
そういった状況の中、視界のない単調な下りに気が緩んだのか、岩の上に乗せた右足が外側に滑ってしまい、そのままバランスを崩して左側に転倒し、 その際岩に右足の脛を強か打ちつけてしまったのである。
その時は、ズボンの上からではあるが出血などしていないことを確認し、痛みが然程ひどくないことにも安心してそのまま下り続けたのであった。
下っているうちに痛みの方も治まって右足のことは全く気にならなくなり、大河原峠に下った後は双子山に登り、その後、双子池、亀甲池と巡って天祥寺原へと進み、 さらには竜源橋まで下った後は車道を登って駐車場へと戻ったのであった。

この間、足は何の異常も示さず、単なる打撲と思っていたのであったが、帰宅後 風呂に入った際に右足を見てビックリする。
右足の脛の左側には大きく膨れ上がった血腫ができており、その血腫を中心に足は内出血で真っ青という状況、入浴後慌てて足をアイシングする。
ただ、痛みは全く無かったことから、よせば良いのに 3日後に鎌倉散策の下見を行ったところ、歩き始めは何の問題も無かったものの、 途中から右足に痛みを感じるようになったのであった。
しかし、蓼科山登山の疲れもあるのだろうとあまり気にしていなかったところ、次の日からジッと立っていると右足に痛みが走り、 立ち続けることができなくなる状態に陥ってしまう (歩行は可)。
例えば、尾籠な話だが、家で小用を足している際中に立っていられなくなり、慌てて左足に体重を移すとともに、左手で壁を押さえてバランスをとるという始末。 右足を見ると、内出血にて青くなった部分が下方へと下がってきており、足首近くまで真っ青な状態である。

慌てて整形外科に行って治療を受け、消炎鎮痛剤をもらうも、暫くは痛みが引かず、やがて歩行にも支障が出始める始末であった。
その後、立ち続けることはできるようになるも、歩行中の痛みは続き、これが半月近く続いたのである (歩行の出だしで痛みが走り、それでも我慢して歩き続けると、 途中から痛みが消えて普通に歩けるようになる)。
漸く右足の痛みが無くなって普通に歩けるようになると、今度は左足の膝が痛くなる。左膝の痛みは半ば慢性化しつつあるのだが、 この時は右足を庇ったことにより左足に負担がかかり、そのため一番弱い左膝に影響が出たものと思われる。
その後、暫くおとなしくしていた結果、何とか両足とも回復してきたので、鎌倉散策本番に向けて 11月20日に再度コースの下見を行う。 これは、前回途中から足が痛み出したため、十分な下見ができなかったためである。

ちなみに、鎌倉散策のコースは、大船駅から湘南モノレールにて湘南町屋駅まで行き、そこから車道を登って鎌倉中央公園へと進み、 公園の中を散策した後は梶原口の手前より公園を出て葛原岡神社を目指す。
葛原岡神社からは銭洗弁財天、佐助稲荷と山道を使って進み、途中で天空のカフェと言われる樹 (いつき) ガーデンに立ち寄った後、さらに山道を進んで大仏切通の手前にて下山。
その後、大仏のある高徳院、そして光則寺を見て江ノ電の長谷駅に至るというものである。
まあ、歩く距離が少々長いが、なかなか見所の多いコースなので、本番は楽しめるだろうとの確信を得る。

そして、本番は 12月5日。週間天気予報では当日は雨とのことでやきもきさせられたものの、 本番が近づくにつれて回復傾向となり、当日は晴れ、そして高徳院にて大仏を見上げた時には、その後方に真っ青な空が広がっていたのであった。
高齢者が多いため、少々くたびれた方もおられたようであるが、まあ成功と言って良かろう。

さて、この鎌倉散策本番を前にして、足の痛みの再発を恐れて山行は控えていたのであったが、無事に散策が終了したので、早速 山に行くことにする。 実行日は 12月19日、登った山は権現山−扇山−百蔵山 (簡単な記録を後述) である。
久々の山、そして富士山も見ることができたことに大変満足した山行であったが、その後また左膝が痛み出し、結局 2018年はこの権現山が最後になったのであった。
それから年末までは十分に休養をとったこともあり、膝の調子が回復してきたので、明けて正月 3日には藤沢駅から自宅まで歩いてみる。 これは藤沢駅近くの店で新年会 (昼食会) を終えた後、境川沿いのサイクリングコースを辿って帰宅するというもので、毎年の恒例となっているのである。
距離は 18km弱、藤沢街道を北上した方が蛇行している境川沿いの道よりもかなり距離が短いのだが、やはり排気ガスが無く、自然が多い道の方が断然気持ちが良い。 時間は 3時間ほど、さすがに足がパンパンになるが、左膝は全く痛まず、これからの山登りに期待が持てるようになったのであった。

ところが、年初、あれこれ忙しい日々を送っているうちに、今度は右の臀部に痛みが生じるようになる。
少し右足にしびれを感じることもあり、座骨神経痛にでもなったのかと思う程で、とにかく歩くのに支障を来すことになってしまい、また暫く山はお預けとなる。
加えて 1月末には風邪を引いて 2、3日寝込んでしまう。全身が怠く、しかも女房殿が先にインフルエンザで寝込んでいたので、小生もインフルエンザと思ったのだが、 検査結果は陰性、熱もほとんどなかったため (37度になったことはある)、風邪の薬をもらって寝ていた次第。
しかし、悪いことばかりでは無いようで、タップリ寝込んだのが良かったのか、あるいは素人療法ながら 寝ている間に痛む臀部にテニスボールを当ててマッサージを施したのが良かったのか、風邪が治った時には臀部の痛みは消えていたのであった。

暫く体力の回復を待ち、今度こそは 2019年の登り初めをと考えていたところ、 今度は 2月の上旬に鳩尾 (みぞおち) と臍 (へそ) との間がシクシクと痛んで朝の 6時に目が覚める。
鈍痛とはいえかなり苦しい。下痢の症状は全くないものの、とにかく苦しく、そのため脂汗が出て吐き気まで感じるようになるが、胃が空っぽのため空えずきを繰り返すのみである。
その後、横になっていると楽になり、そのまま昼まで寝たところ、痛みも無くなったのでホッとしたのであった (食欲も普通の状態に戻る)。
がしかし、次の日、今度は夜中の 3時に痛みで目が覚める。症状は前日と全く同じで、大変苦しかったものの対処方法は見つからず、ベッドの上で唸っていると、 そのうち楽になりまた眠りについたのであった。
この日、医者に行けば良かったのだが、用事があり、また症状の方も膨満感があるだけに変わったので、もう少し様子を見ることにする。

しかし、翌日の夜中 3時にまた同じ症状が現れ、食欲の方も減退気味な上に、この日から尿の色がオレンジ色になったため、慌てて医者に行く。
血液検査、尿検査を始め、いろいろな検査を行った後、大きな病院にすぐに行くように指示される (紹介状を書いてもらう)。
検査の結果から肝炎を疑われ、黄疸も出ている可能性があるとのことで、すぐにタクシーにて紹介された病院に行くと、ここでも血液検査、尿検査の他、肝臓付近を中心にMRI検査、 そして心電図測定など色々な検査を受け、さらには生まれて初めての点滴まで行うことになる。

結局、病院には 3時間ほどおり、その間、肝炎、そして入院をかなり心配したのであった。
しかし、身体は全く怠さを覚えず、結構元気な状態であり、さらには検査からも異常は見つからなかったことから、肝炎ではなく、胆石が胆管を移動し、 それが十二指腸を通過して流れた際に痛みを生じさせた可能性が強いとの診断結果を得る。
この結果にホッとしたものの、当分は胆道系疾患や肝機能の改善に効く薬を飲むことになる。
薬は 14日分もあるので、薬の副作用が出る場合があることを考慮すると、とても車を長時間運転したり、山の中に入り込む気にはなれず、 これでまた山は暫くの間お預けとなる。

そして漸く身体状況に自信が持てるようになった 3月20日、3ヶ月ぶりの山行 (大菩薩嶺。今回登山記録をアップ) が実現したという次第である。
年齢を考えると、いろいろなところにガタが来るのは致し方ないとはいえ、10月の蓼科山以降は身体のトラブルに悩まされ続けた次第である。
今後は年齢による身体の衰えをしっかりと自覚し、普段のウォーキングに加え、簡易な筋力トレーニングの実施、 そしてコレステロールや脂肪分の少ない食事を心がけねばならないと強く思ったのであった。

以上がこの数ヶ月間山に行けなかった理由である (尤も、この間、山行記録はアップできたにも拘わらず、それを行わなかったのは偏に小生の怠慢である)。
しかし、この報告を書いている現在、今度は右足首が捻挫のような状態になって、歩くのに若干支障を来している。
果たして今後どうなることやら・・・。

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さて、少しスペースがあるので、ここで昨年 12月の権現山登山についてご報告したい。

12月5日の鎌倉散策本番も無事に終わったので、足の痛みの再発を恐れてそれまで自重していた登山を再開する。
しかし、故障が癒えたばかりであり、いきなり高い山に登るのは負担が大きいと考え、山梨百名山である権現山に登ることにする。
9月に大菩薩嶺に登った際、親不知ノ頭から大菩薩峠に下る途中、奥多摩三山 (大岳山、御前山、三頭山 (みとうさん)) の右手に見えた権現山の山容が意外と立派なことに驚き、 登高意欲を掻き立てられたというのが選んだ理由である。
しかし、この山は車でのアプローチの場合、ピストン登山にならざるをえないことがネックであり、加えて、せっかく権現山に登るのであれば、尾根続きの扇山、 そして百蔵山 (この 3つの山を北都留三山と呼ぶらしい) にも登りたいと思っていたことから、少々二の足を踏むところがあったのである。
何か良い手は無いかと調べたところ、嬉しいことに車でのアプローチながら三山縦走を実行している方の登山記録がタイムリーに山レコに掲載され、 我が意を得たりと、早速そのルートを辿ることにしたのであった。

その方法とは、まず百蔵山登山口バス停のある大月市営総合グラウンドの駐車場に車を駐めた後、 そこから車道を県道505号線まで下り、合流点にある県営グランド入口バス停にて浅川行きのバスに乗り、権現山の登山口のある終点の浅川まで行く。
そして、浅川バス停から浅川峠まで登った後は権現山へのピストンを行い、続いて浅川峠から扇山、百蔵山と縦走して、 百蔵山からは車を駐めた大月市営グランドまで下るというものである。
こういうアイデアは周辺の地理、そしてバス路線に精通していなければ出てこないものであり、登山を始めた頃の紙情報中心の時には恐らく知り得なかったことである。 インターネットの普及、そして山レコに感謝である。

ということで、12月19日(水)、朝の 5時過ぎに横浜の自宅を出発する。
いつも通り横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCT−圏央道−八王子JCTと進んで、中央高速道へと進む。
当然大月ICまで進むものと思っていたところ、ナビはその 1つ手前の上野原ICで高速を下りるようにとの指示を出す。
まあ、バスの時間に間に合うのなら高速料金が安いに越したことはなく、ここは素直にナビに従う。
その後、国道20号線に入って大月方面へと進み、猿橋町に入った少し先で国道20号線と分かれて斜め右に進んで一般道からそのまま県道505号線に入る。
少々狭い道を暫く進み、やがて中央高速道の高架下を通ったところの十字路を右折 (この十字路に県営グランド入口のバス停がある)、 後は道なりに暫く登っていけば大月市営総合グランドである。

駐車場には 6時28分に到着。車内で朝食をとった後、身支度を調え、6時37分に出発する。
車道を下る際に右手を見れば、手前に見える山の後方に富士山が少し顔を出している。本日は快晴のようである。
また、少し寒いが気になるほどでは無い。
車道を下り、7時5分前に中央高速道高架下にある県営グランド入口バス停に到着、7時のバスを待つ。
定刻通りやってきたバスには先客が 2人、そのうち 1人は登山服姿なので、目的地は同じと思われる。
浅川バス停には 7時26分に到着。舗装道はさらに左上に延びて山へと登っていくが、ここは 『 浅川峠 → 』 と書かれた標識に従って、右手の林道に入る。
途中、左上に祠らしき建物を見てさらに進んでいくと、林道はやがて終わりとなって山道へと変わり、杉林の中の登りが始まる。
その杉の樹林帯に入る手前で、左手上方に稜線が見えたが、もしかしたら権現山から西へと延びる尾根かもしれない。

展望のない杉林の中をジグザグに登る。
傾斜はそれ程急ではないものの、久々の登山のためか、身体の方がついていけず、バスに同乗の登山者に追い抜かれる。
喘ぎつつも暫く登っていくと、一旦傾斜が緩んでホッとするが、すぐにまた登りが始まる。
しかし、その登りも長くは続かず、やがて尾根に登り着く。ここが浅川峠で、そこには 『 ← 権現山 扇山 → 』 と書かれた標識が立っている。時刻は 8時7分。
まずは左に道をとって権現山を目指す。
暫くはほぼ平らな道が続く。周囲は自然林に変わっており、足下には落ち葉、そして朝日が周囲を照らして明るい。
やがて、右側が檜の樹林帯、左側が自然林といった道が続くようになり、その後、自然林、檜林が交互に現れる中を緩やかに登っていく。 少しずつ展望も開け、前方には権現山に連なると思われる尾根が時折見え、右手樹林越しには丹沢の蛭ヶ岳と思しき山が見えるようになる。 また、振り返れば富士山が見えているものの、木々が邪魔をして良く見通せない。

何回目かの檜の樹林帯を抜けると、緩やかな登りが続いていた道の傾斜がキツくなり、それがドンドン厳しくなってくる。
道の方もこれまでほぼ直線であったが、斜面をジグザグに登っていくようになり、それに呼応して息が上がる。
高度の方は確実に上がり、振り返れば富士山が樹林の間からほぼ見通せるようになる。
周囲は途中から自然林に変わり、コナラ属と思しき木々が目立つようになるが、樹皮だけで木の名を特定するのは難しい。
喘ぎつつ、そして時々立ち止まりながら登る。前方を見ると、権現山を中心に東西に延びている尾根が見えるが、そこまではまだ距離があるようである。
ただ、上空には青空が広がり、日差しが明るく周囲を照らしてくれており、落ち葉の斜面を登ること自体は大変気持ちが良い。
もう少し体力が回復していれば楽しく登っていけるのだろうが、ブランクが身体に応える。

それでも黙々と登り続けていくと、やがて尾根は狭くなり、傾斜も緩み始め、斜面の先に標識が見えてくる。
そして 9時28分、権現山から西に延びる尾根の上に到着。標識の指示に従って右に道をとり権現山へと向かう。
狭い尾根道が続く。道はほぼ平らであるが、その先には権現山と思しき高みが待っている。
途中、振り返ると、滝子山と思しき三角錐の後方に白い山々が見える。どうやら悪沢岳、赤石岳、聖岳のようであるが、木々が邪魔をしてスッキリと見通すことができない。
道は最後の登りにかかる。急と思われた斜面も意外と緩やかで、少しずつ歩みを進めていくと、斜面の先に青空が広がり始める。
そして、9時38分、誰も居ない権現山頂上に到着。頂上には二等三角点の他、『 山梨百名山 』 の標柱が置かれている。

ここからの展望はなかなかのもので、動き回ることで広い範囲の山々を見ることができる。
南西の方向に見えている富士山の姿は申し分なく、さらには富士山の左裾の下方には杓子山、鹿留山が見え、少し移動すれば鹿留山の左に御正体山も確認できる。 また、御正体山の手前には、この後に登る扇山も見えている。
富士山の右側に目を移せば、三ツ峠山、そして御坂黒岳などの御坂山塊が続いている。
今度は頂上の反対側 (北側) に移れば、大菩薩嶺、国師ヶ岳、北奥千丈岳が確認でき、さらに右に木賊山、三宝山が見えるが、甲武信ヶ岳は微妙な状況である。
木賊山の右には破風山、雁坂嶺、黒槐ノ頭、唐松尾山が続くも、その先は手前から現れる大きな山容の飛竜山に隠れてしまう。
飛竜山の右には三ツ山、そして雲取山が続き、雲取山からは石尾根が続いて高丸山へと至っている。
なお、石尾根の後方には芋木ノドッケ (芋木ノドッケ) も確認できる。

この石尾根も手前に見える三頭山に遮られてしまうが、三頭山の右手後方には鷹ノ巣山が見えており、再び石尾根の続きが始まる。
そして、この石尾根が右へと下っていく後方には、蕎麦粒山、日向沢ノ峰、さらに右に川苔山 (かわのりやま) が確認できる。
また、日向沢ノ頭と川苔山との鞍部後方にもうっすらと山が見えているのだが、帰宅後に確認すると男体山であった。
川苔山の右手前には御前山が大きく、さらに目を右に向けると大岳山も見えている。大岳山の右には鶴脚山、馬頭刈山が続き、その後方には関東平野が広がっていて、 さらには関東平野の後方にうっすらと筑波山が見えている。
山々はまだまだ続き、熊倉山、生藤山、連行峰、そして陣馬山、景信山も確認できる。

素晴らしい景色を堪能した後、10時3分に出発。
再び浅川峠へと戻らねばならないのだが、頂上直下、東側にある大ムレ神社に向かうべく、頂上を突っ切って先へと進む。
急斜面を下り、檜の林に入れば、下方に神社の屋根が見えてくる。その神社前には 10時7分に到着。
お参りを済ませた後、そこからは頂上に戻らずに神社左手の巻き道を進む。
ほぼ水平な道を進み、10時12分に正規のルートに合流。道を左にとって浅川峠へと下る。
そして、浅川峠には 11時8分に到着。右は浅川のバス停だが扇山を目指してまっすぐ進む。

暫くは緩やかな道が続くものの、周辺に檜が見られるようになると、再び登りが始まる。
登り着いて少し道が平らになると、傍らの木に 『 曽倉山 』 と書かれた板が括られていた。時刻は 11時28分。
この辺は暫く平らな道が続いて歩きやすい。道がまた下り斜面に入ると、前方樹林越しに高みが見えてくる。しかし、それが目指す扇山なのかは不明である。
道は狭い鞍部に下りた後、再び登りが始まる。小さな高みに登り着くと道はほぼ平らになり、快調に足が進む。
事前に仕入れた情報では、浅川峠−扇山間の道には分かりにくいところがあるとのことであったが、道は明瞭である。
前方 (あるいは前方右手) を見れば、扇山らしき高みが見えているが、ここでも確信を得られない。

一旦下ってすぐに登りが始まり、登り着くとさらに先に高みが見えている。疲れた身体にはこのアップダウンが少々厳しい。
続いての登りは結構長く続く。少し休んで振り返れば、権現山が見えているが、ここからは尾根上の小さな高みにしか見えず、大菩薩嶺で見たそれとは大分印象が違う。
喘ぎつつも登り続け、小さな振幅のジグザグにて斜面を登っていくと、やがて斜面の先に空間が広がり、そこに標識が立っている。
扇山頂上に違いないが、残念ながら前方の空間に青空は無く、雲ばかりである。
そして、扇山頂上には 12時17分に到着、ここも誰もいない。

頂上は広く、その中央部は直径 15m程の土の窪地となっている。 その中央に三角点らしきものが置かれているのだが、『 らしきもの 』 と書いたのは柱石ではなく、本来なら柱石の下に置かれるべき盤石 (正方形の敷石を思い浮かべれば良い) が露出しているのである。
ということは、窪地になる前はこの盤石の上に柱石があって、その上部 20cm程が露出していたはずなので、70cm程土が削られてしまったということになる。 なお、帰宅後に国土地理院の地図を見ると、扇山の三角点は無いことになっていた。

また、三角点らしきものの他、頂上には 『 山梨百名山 』 の標識、 そしてこの山が 『 大月市秀麗富嶽十二景 』 の 1つであることを示す標識とその説明書きが置かれている。
その富士山であるが、上空はすっかり曇り空になってしまっている中、雲がかなり絡んではいるものの、頂上部は何とか見ることができる状態である。 また、富士山の左手前には杓子山、鹿留山がシルエット状に見えている。
丸太のベンチに腰掛けて暫し休憩。この後の行程も長いので十分に休養しておきたいところである。

12時29分に出発、西へと向かう道に入る。
暫くほぼ平ら、あるいは緩やかな下りが続いた後、少し傾斜が急になってくると、下り着いた所にJR中央線鳥沢駅への分岐が左側に現れる。 地図を見ると、ここが大久保ノコルとのことで、駅まで 90分程らしい (駐車場のある梨の木平までなら 50分弱)。
なお、権現山から扇山間では 3人の登山者にしか会わなかったのであるが、扇山で休んでいると登山者がドンドン増え、最終的に 10人近くにもなったのであった。 この鳥沢駅 (あるいは梨の木平) からのルートを知って納得である。時刻は 12時35分。

ここからは暫く緩やかな登りが続き、登り着いた所にある木には 『 大久保山 』 と書かれた手作りの標識が括られている。
時刻は 12時39分。
大久保山の少し先からは下りがずっと続くようになる。道は乾いているものの、落ち葉が道を覆っていることが多く、滑りやすく注意が必要である。 加えて、ほぼ直線の下りが続くため、歩きにくい。
途中、右手を見れば、権現山と思しき高みが見える。ここからの権現山も、ほぼ平らに続く稜線上にポコッと飛び出した突起にしか見えない。
やがて左手前方には樹林越しにピラミッド型の山が見えてくる。方角的には百蔵山と思われるが、その独立峰のようにスクッと立ち上がっている姿に驚かされるとともに、 そこへの登りを想像して少々気が滅入る。

一方、下りはまだまだ続く。傾斜はかなり緩やかになってきているものの、百蔵山から扇山へと今とは逆方向に進んだ場合、ここの登りはかなり手強かろう。
長い下りに嫌気が差し始めた頃、下方に標識らしきものが見えてきたので、この後の変化を期待したのだったが、標識は道を外さないように左折を指示するものであった。
直進すれば小さな高みに登ることになり、もしかしたらその高みがカンバノ頭なのかもしれない。
その高みを巻いて暫く進むと、下り一辺倒だった道に変化が現れ、アップダウンが続くようになる。久々の登山に疲れが出始めているため、このアップダウンは身体に応える。
やがて、周囲が自然林から檜林へと変わると、ありがたいことに斜面を横切る平らな道が続くようになる。そして、再び下りに入ると (檜林のまま)、下り着いた所に標識が現れる。 宮谷分岐である。時刻は 13時36分。

目指す百蔵山は直進で、左に下れば猿橋駅方面へと行けるらしい。
ここでノドを潤すべく 3分程休んだ後、直進する。少し歩くと、登りが始まり、檜林の中を小さく蛇行しながら登っていく。
しかし、この登りも然程長くは続かず、檜林の斜面を横切る道が続くようになって喜んだのだが、それも束の間、その先でまた登り斜面となる。
この辺は、少し登ると平らな道が続くといったパターンを繰り返しながら高度を上げていき、左側へと回り込んでいく。
そして、左手を見れば樹林越しに扇山の大きな山容が見えてくるが、扇山が左手に見えると言うことは、百蔵山の稜線に入ったことになり、百蔵山も近いはずと少し嬉しくなる。
実際、少し進んでいくと、正面樹林越しに山が見えてくる。恐らく百蔵山であろう。

やがて道に傾斜が付き始め、それが徐々にきつくなってくる。
足下には落ち葉と混ざり合って岩や岩屑が現れ始める。これが最後の登りと思われるが、疲れた身体にはかなりキツい。
少し登っては立ち止まって上を見上げるという動作を繰り返しながら進む。なかなか斜面の終わりが見えない中、それでも何とか登り続けていくと、 やがて斜面の先に空が広がっているのが見えてくる。空には青い部分が多くなっており、先ほどよりも大分天候が回復してきたようである。
やっと百蔵山頂上に到着かと思ったのだが、それ程甘くは無く、そこには行先を示す標識が立っているのみであった。
時刻は 14時28分。
しかし、ここはもう頂上の一角と思って良いのであろう、傾斜は緩やかとなり、足が進むようになる。

そして、14時31分に百蔵山の頂上に到着。ここには三等三角点の他、扇山と同じく 『 山梨百名山 』 の標識、 そして 『 大月市秀麗富嶽十二景 』 の標識と説明書きが置かれている他、『 百藏大明神遺跡 』 と彫られた石碑も立っている。
大同三年 (808年) にこの山頂に 『 百蔵山春日大明神 』 を祀った社 (やしろ) が建てられたものの、徳治元年 (1307年) に山火事にて炎上、 消失してしまったとのことなので、遺跡とはそのことを言っているようである (その後、春日大明神は大月市七保町に遷座。現在 春日神社となっている)。

この山頂は南側が開けており、展望が素晴らしい。
まず、右端 (南西) には今や雲が完全に絡みついた富士山が見えている。富士山の山頂付近は雪煙が舞っているように見え、風が強そうである。
富士山の左斜面下方には杓子山、鹿留山がシルエット状に見え、さらに左には御正体山、そして今倉山、菜畑山、朝日山 (赤鞍ヶ岳) といった道志の山々が連なっている。
朝日山の左後方からは、加入道山、大室山、檜洞丸、蛭ヶ岳といった丹沢山塊が続き、黍殻山へと至っている。

暫し休憩した後、14時41分に下山開始。さらに先へと進む。
ここからは下りがずっと続く。ただ、急斜面では無いので、疲れた身体には嬉しい。
14時52分、傾斜が緩やかになってきたところで、左に下る道が現れる。傍らに立つ標識は 『 直進 葛野部落 』 と書いてあるだけであり、ここで少し迷う。
地図を見ると、葛野は岩殿山方面にあるようなので、左に下るのが正解のようである。どうやら、左に下る道の標識が無くなってしまったようである。
斜面を横切る道を下る。日差しが暖かく、なかなか気分が良い。
順調に下って行くと、やがて展望の良い場所に飛び出す。ここからは丹沢方面がよく見えており、また富士山も樹林の間から見ることができる。時刻は 15時2分。

この展望台を過ぎると、道は檜の林の中を下って行くようになるが、この辺は足下の砂利が少々五月蠅い。
そして、檜林の中を黙々と下って行くと、嬉しいことにやがて林道に飛び出す。傍らには登山者カウンターが置かれており、小生もボタンを押して登山者の数に加えてもらう。 時刻は 15時19分。
砂利道を下る。左手に大山祇神社を見て暫く下って行くと、足下は舗装道に変わり、やがて和田美術館の立派な門が現れる。
この門の前からも富士山がよく見えるが、残念ながらこの時間は雲が絡んでいる上に逆光気味である。
さらに道を下っていくと、浄水場の横を通ることになる。頭に入れていたルートだと、この浄水場は避けるはずだったのだが、ショートカットの道を見逃し、 どうやら遠回りをしてしまったようである。
とは言え、それ程大きな差がある訳でもなく、やがて人家が見え始めると、いくつかの道の合流を経て、15時43分に総合グランドの駐車場に戻り着いたのであった。

本日は久々の山と言うことで、低山を狙い、前から気になっていた権現山に登ったのだが、 なかなか登り応えのある山、ルートであった。
体力的にはやや厳しかったものの、富士山を眺めることができ、大変満足した山行であった。


久々の登山 大菩薩嶺  2018.11 記

7月20日に登った阿弥陀岳・赤岳は、このところの夜型生活による不摂生が祟ったのか、あるいは寄る年波には勝てないのか、 5年前に 8時間で回ったコースを 12時間もかかってしまい大変ショックであった。
そして、そのショックが癒えない中、あまりの炎暑続きに本当に体調の方を崩してしまい、暫く山から離れざるをえなくなってしまう。
折角の夏山シーズンなのにと悔しい思いをしていたところ、今度は体調が回復したにも拘わらず、小生が “ 山鬱 ” と勝手に名付けている、山に行くことが億劫になる状態に陥ってしまったのである。
この症状は数年毎に出てくることがあり、小生としては 『 またか 』 と思う程度であるが、一方で処方箋としてこれといったものがないため、心がまた山に向かうのを焦らずに待つしかない。

しかし、そうこうしているうちに 8月は過ぎ、9月ももう終わりになろうという状況になると、さすがに焦りが出始め、 怠惰な心に鞭打ってでも山に行かねばという気になってくる。
上の方で “ 山鬱 ” に対する処方箋はないと述べたが、実際は山にさえ登ってしまえば、心が再び山に向き始める可能性が高いのは経験で分かっているので、 とにかくイヤイヤでも行こうと決めたものである。
さて、行き先であるが、比較的近く、体力的にあまり厳しくなく、そして素晴らしい景色に出会える山ということで大菩薩嶺を選択することにする。
大菩薩嶺は登山デビューから登り続けていた丹沢を離れての最初の山であることから、初心に返るという意味も含んでのことである。

9月28日(金)、5時過ぎに横浜の自宅を出発する。天気予報は晴れとのことであるが、上空には少し雲が多い気がする。
いつも通り横浜ICから東名高速道下り線に乗り、海老名JCTからは圏央道へと進んで、さらに八王子JCTから中央自動車道へと入る。
本日はスカッとした快晴とはいかないようであるが、途中、岩殿トンネルを抜けて次の大月トンネルに入るまでの短い間に、左手に富士山の姿を確認する。
大菩薩嶺に登ったにも拘わらず富士山を見ることができないのでは画竜点睛を欠くことになってしまうところだが、本日は稜線からの富士山が期待できそうである。
しかし、笹子トンネル、日影トンネルを抜けると前方に見えてくるはずの南アルプスの山々は雲に隠れて全く見えない。さて本日はどうなることやら・・・。
勝沼ICにて高速道を下り、国道20号線を大月方面に戻って、柏尾の交差点を左折、その後すぐに右に曲がってフルーツライン (東山東部広域農道) に入る。 途中、左手に見えるはずの南アルプスの山並みはやはり雲の中である。

少し気落ちしつつも快調に車を進め、新千野橋東詰にて国道411号線にぶつかった後は、右に進んで国道411号線を青梅方面へと向かう。
そして、道なりに進みながら徐々に高度を上げていくと、やがて 『 大菩薩峠 → 』 の標識が見えてくるので、右折して県道201号線に入る。
いつも通りトイレのある雲峰寺前の駐車場に駐めようとしたところ、丁度トイレの清掃を行っている最中だったので駐車し辛くなり、さらに先へと進んで丸川峠への分岐点にある駐車場へと進む。
その駐車場には 6時33分に到着。駐まっていた車は 3台、平日ではこんなものであろう。

身支度を調え 6時38分に出発。このところ丸川峠経由にて登ることが多かったことに加え、雲峰寺駐車場のトイレを利用し損なったことから、 本日は公衆トイレのある上日川峠経由にて登ることにする。
駐車場から上日川峠に向かって車道を 2分程登っていくと、道が左に大きくカーブする所に 『 ← 裂石 上日川峠 → 』 の標識が現れるので、車道から離れて山道に入る。
荒れ果てた梅林か栗畑のような雰囲気の中、右下に流れる芦倉沢沿いに進む。道は明瞭で傾斜は緩やかであるものの、足下には石がゴロゴロしていて少々歩きにくい。
やがて、再び車道に飛び出すが、すぐ先には大菩薩嶺への登山道に続く千石茶屋の建物が見えている。車道をほんの少し登り、座した姿の地蔵尊 ? の所から車道を離れて右に進んで橋を渡る。
渡りきった所が千石茶屋であるが、平日のためであろう茶屋は閉まっている。時刻は 6時50分。

茶屋の前を通り、右へと進む。少し下ってまた登り返し、コンクリート道を登っていくと、やがて左手に大菩薩嶺への取り付き口が現れる。時刻は 6時54分。
ここからはいきなりの急登となる。滑りやすい道をジグザグに登っていくのだが、ありがたいことにその急登も然程長くは続かず、倒木の下を潜り、大きな岩がゴロゴロしている場所を過ぎれば、 道は緩やかな登りへと変わる。
久々の登山であり、しかも前回の阿弥陀岳・赤岳では序盤からかなりバテてしまったので少々心配であったのだが、大菩薩嶺はこういうコンディションの際にはもってこいの山なのであろう、 全くバテることなく快調に足が進む。

深く抉れた溝の中を暫く登り、やがて小さな尾根に登り着いたところで振り返ると、樹林の間から南アルプスが見えるようになる。
今朝ほどは全く見えない状況だったのでこれは嬉しい。
下方に広がる街並みを覆い隠すようにして雲海が広がっており、その雲海の先に甲斐駒ヶ岳、アサヨ峰、仙丈ヶ岳、鳳凰三山が島のように浮かんでいる。この光景にテンションが上がる。
そこからさらに 4分程進むと、『 第二展望台 』 と書かれた標識のある場所に到着する。時刻は 7時31分。
どうやら第一展望台の方は通り過ぎてしまったようであるが、かつての記憶を思い起こせば、先程通過した一旦斜面から突き出るように水平に伸びた幹が その後上方へと立ち上がっている木のところが第一展望台だったような気がする。
しかし、そこには標識はなかったのであった。
なお、皮肉なことに、この第二展望台は樹林が邪魔をして南アルプスを望むことができない。

ここからも緩やかな登りが続く。やがて、『 やまなしの森林 100選 大菩薩のブナ林 』 と書かれた標識が見えてくると、 道は左手上方へと登って一旦車道へと飛び出すことになる。時刻は 7時44分。
これは、かつての登山道が崩壊してしまったために作られた迂回路であり、車道を 1分程進めば、すぐにまた登山道への入口が現れる。
左右にロープが張られた登山道を進んでいくと、周囲がやがてササ原と変わる中、斜面をジグザグに登るようになる。その後は、再び深く抉られた溝状の道を抜けると、 また緩やかな道が続くようになる。
そして、一旦途切れたササ原が再び周囲に目立つようになってくれば、やがて前方上方にガードレールが見えてくる。その下を緩やかに右にカーブしていけば、 道の先にロッヂ長兵衛の建物が見えるようになり、少し急な斜面を登って車道に飛び出せば、そこがロッヂ長兵衛の建つ上日川峠であった。時刻は 8時7分。

まずは、南アルプスや奥秩父の山々が見えるはずのロッヂ向かい側にある駐車場へと進む。
残念ながら樹林が邪魔をして見える範囲はかなり狭かったものの、先程は見ることができなかった北岳を見ることができたので嬉しくなる。
また、奥秩父方面は、甲武信ヶ岳、木賊山 (とくさやま) などが確認できる。
ロッヂまで戻り、ベンチにて暫し休憩するとともに、このルートを選んだ理由の一つである公衆トイレを使わせてもらう。
それにしても、ここまで車でやって来る人達の多いことに少々驚かされる。平日にも拘わらず先程の駐車場やトイレ左手奥の駐車場は満杯に近い状態である。
上日川峠まで車が入れる今の時期、小生が車を駐めた場所から登る人は少ないようである。

8時18分に出発。車道を離れ、ロッヂ長兵衛の脇から山道に入る。
以前は、この山道は少し不明瞭だったため、車道歩きを続けた覚えがあるが、今はしっかりと踏まれていて明瞭、歩き易く迷うことはない。
ミズナラなどの林の中、足下にはササ原が広がり、なかなか快適に進んで行くことができる。緩やかな道が続くが、一方で、意外に次の目的地である福ちゃん荘までの距離があることに驚く。
まだか、まだかと思いながら進んでいくと、漸く前方に建物が見えてくる。そして、樹林を抜け出し、その建物の横手を進んで福ちゃん荘の前に飛び出す。時刻は 8時44分。
ここは小さな広場になっていて、見上げれば、ササの中に岩が入り混じった大菩薩嶺の稜線が見えている。

ここでもベンチに腰掛けて暫し休憩し、この後どのコースを進もうか思案する。
大菩薩峠を目差し、そこから大菩薩嶺の頂上を踏んだ後、丸川峠経由にて駐車場まで戻ってくるのが一番効率的であるが、このルートは何回も歩いているため、 今回は唐松尾根経由にて登ることにする。
唐松尾根は下りにしか使ったことがなく (1990年2月10日の登山。但し、登山記録には載せていない) 登りに使うのは初めてであること、そして石丸峠のササ原も歩いてみたいと思うこと、 そして何よりもこのコース取りをすればほぼ正面に富士山を見続けながら下ることができるというのが選んだ理由である。

タップリと休んで 8時53分に出発。左に道を取って唐松尾根へと進む。
途中までは林道のような道が続く。また、唐松尾根というだけあって、周囲にはカラマツが多く見られる。
緩やかだった林道のような道も終わりになると、傾斜が少しずつ増してくる。最初はササの斜面を緩やかに登っていくのだが、徐々に傾斜がキツくなってくる。
ササの斜面を小さな振幅にてジグザグに登り、高度が上がってきたところで振り返れば、樹林の向こうに山が見えている。恐らく小金沢山であろう。
やがて小さな台地状の場所を乗り越えると、その後傾斜は緩み、歩きやすい道が続くようになる。この辺でも周囲にカラマツが目立つ。

暫く展望の無い道が続く中、途中、左手の樹林が切れて南アルプスが見えるようになる。
ここも見える範囲は狭いものの、先程の北岳に加え、間ノ岳、西農鳥岳が見えており、さらに位置を少し変えれば、悪沢岳、赤石岳、聖岳も確認できる。
道は少し登っては平らな道が現れるといったパターンが続く。また、この辺では色付いた葉も多く見られるようになり、陽の光を浴びて赤く染まった葉が美しい。
カラマツの葉も少し黄色味を帯びている。そう、“ 山鬱 ” によって山から遠ざかっていたところ、もう山は秋の支度を始めていたのである。
この後、展望も少しずつ開け始め、これから登る大菩薩嶺の稜線の他、小金沢山、牛奥ノ雁ヶ腹摺山もよく見えるようになり、さらには本日初めてとなる富士山も見えるようになる。
富士山は五合目付近に帯状の雲があるものの、その上下はハッキリと見えることから頂上もしっかりと見ることができ、しかも、その後方には青空が広がっているため爽快な気分にさせてくれる。
やはり山で富士山の姿を見ると心が弾む。

また、富士山の左下方には三ツ峠山も確認できる他、さらに少し進んで、小高い見晴らしの良い場所に登り着けば、 十二ヶ岳、節刀ヶ岳、王岳、毛無山といった富士山周辺の山々も見えるようになる。
道の方は、この見晴らしの良い場所にて樹林も終わりとなり、足下は草付きの斜面となって高度を上げるに連れて展望がドンドン広がり始める。
従って、写真を撮るべく暫し足が止まる。富士山周辺の山々では、先程見えた山々に御坂黒岳、中藤山が加わり、近くでは黒岳 (小金沢連嶺)、ハマイバ丸、大蔵高丸といった山々も見えるようになる。
また、黒岳とハマイバ丸の間の後方には、うっすらとながらも鹿留山 (ししどめやま)、杓子山も確認できる。
前を向けば、草の斜面にススキが多く見られ、その先の稜線後方には青空が広がっている。気分爽快、やはり山は良いものだとつくづく思う。
どうやら “ 山鬱 ” は解消できそうな気配である。

また、大菩薩湖も見えるようになり、さらには塩山や甲府の市街地の後方に悪沢岳、赤石岳、聖岳が再び見えるようになる。
また、北岳、間ノ岳、農鳥岳方面は残念ながら雲に飲み込まれてしまっているものの、鳳凰三山、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、鋸岳、白岩岳はよく見えている。
足下に岩屑が目立ち始め、傾斜がかなり緩やかになってくると、やがて稜線の一角である雷岩に登り着く。時刻は 9時50分。
ここからは左に道をとって樹林帯に入る。そしてほぼ平らな樹林帯を進み、最後に小さな高みに登り着けば、そこが大菩薩嶺頂上であった。時刻は 9時58分。
ここは樹林に囲まれて展望はなく、三等三角点の他、山梨百名山の標柱、そして山梨百名山と日本百名山を示す標柱が立っている。
しかし、その三等三角点であるが、三角点標石がかなり露出してしまっている。近頃は残雪期に登っているためにこの状態に気付かなかったのだが、 これでは新たに標石を取り替える必要があるという気がする。
ただ、そうなると標石を深く埋め込まねばならず、従って現在 2,056.9mとされている標高が 2,056.6m位に修正されるのではないかと思うがどうであろうか・・・。

閑話休題。
頂上奥にある木の切り株に腰掛けて暫し休憩し、10時13分に出発する。先に述べたとおり丸川峠には向かわずに雷岩へと戻り、さらに大菩薩峠を目差す。
その雷岩を 10時19分に通過し、稜線をそのまま進んで大菩薩峠に向けて下る。なお、雷岩からの展望は抜群であるが、聖岳、赤石岳、悪沢岳はよく見えているものの、 北岳を始めとする白根三山は完全に雲に飲み込まれてしまっており、また鳳凰三山、仙丈ヶ岳の方は見えているが、甲斐駒ヶ岳は最早 雲の中である。
また、富士山も今や頂上付近が雲に覆われているが、この雲はいずれまたなくなるものと思われる。
平らな尾根道を少し進んだ後、下りに入る。下り斜面に入ると、眼下にササの斜面が広がり、その行き着く先には樹林に囲まれた熊沢山が見え、さらにその先に小金沢連嶺が続く。
先程までに比べて雲が多くなってきているものの、気持ちの良い光景であり、気分が高揚する。やはり山は良い。
山に行くことが億劫と思えたここ 2ヶ月がウソのような気分である。

雲に囲まれ気味ではあるものの、狙い通り、富士山を見ながら気分良く下る。
標高 2,000m地点の標識を 10時29分に通過。稜線の左側の景色も見えるようになり、権現山や生藤山、陣馬山方面が見えるようになる。
しかし、気持ちの良いササの斜面ではあるが、実際は足下に石がゴロゴロしていて意外と歩きにくい。
暫く下っていくと、やがて先の方に賽ノ河原とそこに立つ休憩舎が見えてくる。頂上が雲に見え隠れする富士山を眺めながら下り、ケルンが並ぶ賽ノ河原には 10時42分に到着。
ここはそのまま通過して目の前の高みへと登る。ササ原の斜面をジグザグに登っていくと、登り着いた所に 『 親不知ノ頭 』 の標識が立っている。時刻は 10時45分。
ここは右に進んで親不知ノ頭の頂上と思われる小さな広場へと進む。ここからの展望も素晴らしいが、タイミングの悪いことに富士山頂上には少し雲がかかっている。

先程の標識まで戻り、大菩薩峠へと進む。嬉しいことに、この頃になると富士山の頂上部が再び見えるようになる。
また、この辺では左側に奥多摩の山々も見えるようになり、三頭山 (みとうさん)、御前山の他、この 2つの山の後方に特徴的な山容の大岳山も見えている (この 3つの山を奥多摩三山という)。
さらに下って行くと、今度は鷹ノ巣山、日蔭名栗山、高丸山と続く石尾根が見えるようになり、鷹ノ巣山から右に下る石尾根の稜線の途中には六ツ石山も確認できる。
さらに目を凝らせば、鷹ノ巣山と六ツ石山を結ぶ稜線の後方に川苔山 (かわのりやま) の姿も見えている。

そして、『 名作発想の地 中里介山作 大菩薩峠記念碑 』 と刻まれた五輪塔 ? を通過し、さらに少し進めば大菩薩峠に到着である。時刻は 10時59分。
介山荘はそのまま通過して真っ直ぐ進み (上日川峠に戻るには介山荘の先を右折)、熊沢山へと取り付く。
樹林帯に入り、やや荒れ気味の斜面を登る。途中、急登が続いて息が上がるものの長くは続かず、塩山市 (現在は合併して甲州市) の立てた 『 ← 大菩薩峠 石丸峠 → 』 の標識を見た後は傾斜が緩み、 やがて道は左に曲がった後、斜面を横切るほぼ平らな状態になる。
ここからは樹林の間に富士山が見えているが、嬉しいことに先程まで頂上を覆っていた雲は五合目付近まで下がっていて、頂上部分がよく見えている。

ところで、ここにも 『 ← 大菩薩峠 石丸峠 → 』 と書かれた標識が立っているのだが、その標柱部分には 『 熊沢山 』 と書かれている。
ただ、ここは斜面を横切る道であり、左手にはまだ高い尾根が見えているため、本当の熊沢山頂上を探すべく、道を外れて暫く尾根通しに歩いてみる。
実は、以前にも熊沢山頂上を探すべくトライしたことがあり (2010年1月)、その時は頂上を示すものが見つけられず仕舞いだったのである。
しかし、今回こそはと思ったものの、残念ながら前回と同じく東京都水道局の立てた林班界標がいくつかあるだけで、熊沢山頂上を示すものは見つからなかったのであった。
諦めて登山道へと戻る。

やがて道はササの急坂に至る。ここからの展望も素晴らしく、美しいササの斜面が下方まで続き、その先には天狗棚山、 そしてその左後方には権現山が見えている。
さらに少し下ると、天狗棚山の右後方に雁ヶ腹摺山も見えるようになり、その手前には天狗棚山から小金沢山へと続くササ原が見えている。
恐らく、あのササ原は狼平であろう。無論、富士山も見えている。
下るにつれて、展望はさらに広がり、左手には先程の奥多摩三山 (大岳山、御前山、三頭山)、そして鷹ノ巣山を中心とした石尾根も見えてくる。
ただ、大菩薩嶺でもそうであったが、このササ原の斜面は見た目の美しさとは違って、足下は石がゴロゴロしていて滑りやすく歩きにくい。

この斜面を下り切ったところが石丸峠で丁字路になっており、左に進めば小金沢連嶺、あるいは牛ノ寝通りに至り、 右に進めば上日川峠へと戻ることができる。時刻は 11時35分。
すぐには上日川峠には向かわず、まずは少し左に曲り、その後 ササ原の中に入って岩が露出している場所へと進んで暫し休憩する。
ここからは飛竜山がよく見える。となると、雲取山もということになるが、樹林が邪魔をして見ることができない。
11時45分に石丸峠の標識まで戻り、西 (左) へと進んで上日川峠を目差す。左手には小金沢山と富士山が見えているが、既に富士山は雲にかなり隠れてしまっており、 前方には大菩薩湖、そしてその右後方に南アルプスが見えているものの、南アルプスも今やほとんど雲の中である。

気持ちの良いササ原の斜面を横切り、やがて道は樹林帯に入る。
最初は自然林であるが、すぐにカラマツ林に変わる。足下にはササが繁茂しており、なかなか気持ちの良い場所である。
小さなアップダウンはあるものの、総じて歩き易い道を進んでいくと、やがて急斜面の下りに入り、滑らないように注意しながらジグザグに下っていけば、 下り着いた所で林道に飛び出す。時刻は 12時13分。
上日川峠は右であるが、少し左に進んで眼下の大菩薩湖を眺める。人造湖とは言え、スチールブルーの水を湛えた姿はなかなか美しい。
道を戻り、上日川峠へと進む。前方上方には大菩薩嶺へと続くササ原の尾根が見えている。

すぐに左手に標識が現れるので、林道を外れて樹林帯に入り、ササ原の斜面をジグザグに下る。
下り着いたところには車道があり、そこには小屋平 (石丸峠入口) のバス停もある。時刻は 12時30分。
車道を横切って再び樹林帯に入り、さらに下って行くと、いきなり川に突き当たって道が途切れてしまう。川幅は結構あり、石伝いに渡ろうにも適当な石は見つからず、 水量も結構ある状況なので、渡渉せねばならないのか と驚いていてしまう。
このルートは逆方向ではあるものの数回通ったことがあるのだが、渡渉したことはないのでおかしいと思いつつ周囲をよくよく見渡すと、 川岸を左に進んだ所に、上部が平たくなっている石が並んでいる場所が見つかる。
しかもそこに行ってみると、そこから石丸峠方面に向かって丸太横木の階段まで設置されているではないか。
どうやら、途中で正規の道を外れてしまったようである。

上部が平たくなった岩を伝って難なく向こう岸まで渡り、再び樹林帯に入る。
ここからも道はしっかりしているが、上日川峠までは結構長い。途中、12時43分に 石マラ (男根に似た石) を通過する。
かつて石丸峠には子授けの神として立派な 石マラがあり、子供を授かりたいと願う女性たちが願をかけに登ってきたとのことで、石丸峠の語源はその石マラから来ているとのことである。
但し、現在、石丸峠には石マラはなく、この旧大菩薩館跡に近い登山道に 3代目となる石マラが置かれているのである。
その後、何回か小川を渡り、最後は緩やかに登っていくと、やがて上日川峠である。時刻は、13時丁度。
朝方と同じくベンチに腰掛けて暫し休憩し、13時10分に出発する。

車道を少し下り、今朝ほど登ってきた道に入る。
途中、今朝ほどは気付かなかった珍しいものを見かける。1本の大きな栗の木が途中で二股に枝分かれしている所から、コハウチワカエデが生えているのである。
カエデの種が栗の木の二股に分かれた場所に落ち、そこから生長したものと思われが、根が栗の木の幹にしがみつくように伸びている。このカエデの生命力にはビックリである。
その後は順調に下り、千石茶屋には 14時5分に到着。そして駐車場には 14時16分に戻り着いたのであった。

本日は、“ 山鬱状態 ” にある中、それを打破すべくかなり無理をして大菩薩嶺に登ったのであったが (朝 ベッドを出る際も気が乗らない状態であったのだが、心に鞭を入れてとにかく出発した)、来てみて正解、登って正解、山の良さを実感し、 どうやら “ 山鬱状態 ” は克服できそうである。やはり “ 山鬱 ” の解消法は山に登ることであることを実感した山行であった。
一度山に登ってしまえば、山に対するワクワク感も戻ってくるはずなので、これを機に、またしっかり山に登り続けたいところである。


バテバテの阿弥陀岳・赤岳  2018.8 記

6月22日に芋木ノドッケ (芋ノ木ドッケ) と雲取山に登ったが、 体調不良で散々な登山となったものの、それでも梅雨の合間に登山ができたことを喜んでいたところ、何のことは無い、 それから少しして関東地方は観測史上初の 6月中の梅雨明けに至ったのであった。
こうなると分かっていれば、登る山をジックリと選べば良かったと悔やむが、先のことはなかなか予測できないので致し方ない。

さて、梅雨が明けたとなると、『 梅雨明け十日 』 の言葉があるとおり暫くは天候が安定するかと思われたのだが、 戻り梅雨というか、意外に天候が安定しない。
さらに、7月初旬はかなり予定が入っており、また混雑を敬遠して海の日の連休を避けたところ、ふと気付けば 7月は山に行ける日がかなり限られてしまったことに気がつく。
というのは、7月25日から 31日までは自治会の関係でラジオ体操を主催せねばならないからで、従って山にいけそうな日は 7月20日のみということが分かったのである。
こうなると慌ててしまうが、一方で、暑い日が続いている上に、サッカーワールドカップによる夜更かしがすっかり定着してしまい、 体調はあまり良いとは言えない状態であるため、アルプス方面に行くのは少し荷が重い気がする。

この辺でアルペンムードも味わいたいと思い、散々考えたあげく八ヶ岳に登ることにする。
八ヶ岳については、最近も硫黄岳や横岳、権現岳といった山に登ってはいるものの、主峰の赤岳には 5年ほど登っていないため久々に登りたいと思っていたところであり、 この夏にアルプスの山々に登るための良い試金石になろうと考えてのことである。
辿るコースだが、人が少ない方が良いと考え、5年前に登った御小屋尾根を辿って阿弥陀岳に至り、さらに赤岳に登ることにする。
このコースは間違いなく人が少ないはずである。

7月20日(金)、3時20分過ぎに自宅を出発する。
しかし、体調は最悪。いつもは夜中の 2時近くに眠りについているため早く床についても眠れるはずも無く、結局 睡眠時間は 1時間程。
本日も暑くなるとのことなので、前回の芋木ノドッケ、雲取山の二の舞になりそうである。
しかも、天候の方はあまりスッキリせず、中央道では完全に曇り空、そして途中にわか雨にも降られる始末。 そんな状態のため、中央道からは八ヶ岳を全く見ることができず、テンションがドンドン下がる。

小淵沢ICで高速を下り、県道11号線を北に進む段になっても、 本来ならば前方に見えるはずの権現岳、編笠山は全く見ることができない。
大平の信号にて左折し、八ヶ岳鉢巻道路 (県道11号線のまま) に入っても状況は全く変わらず、 時々うっすらと霧が流れる状況に体調の悪さも加わってため息が出る。
よっぽど引き返そうかと思ったのだが、サラリーマン時代と違って贅沢もできない身では、ある程度 登山の体裁を整えることが必要と、 さらに先へと進む。

長野県に入り、道路が県道484号線へと変わり、富士見高原リゾートを過ぎて暫く進んで行くと、 嬉しいことに乙事 (おこと)、富士見市街地への道を左に分ける頃から雲が切れて青空が見え始める。
そして原村に入り、八ヶ岳自然文化園への道を左に分ける頃には、フロントガラスの前に青空が広がるようになったのであった。

6時3分に美濃戸口の八ヶ岳山荘前の駐車場に車を駐める。平日にも拘わらず、既に十数台の車が駐まっている。
山荘にて駐車料金 (500円也) を支払うとともに、トイレをお借りした後、身支度をして 6時13分に出発する。
美濃戸への道を左に分けて山荘の横を通る車道を進み、別荘地へと入っていく。
要所には 『 御小屋尾根登山口 』 を示す標識が置かれているので迷う心配は無い。

しかし、車道に傾斜があるのが辛く、こんなに車道歩きが長かったか と思いながら進む。
前回の芋木ノドッケ、雲取山と同様にふくらはぎに怠さを感じ、身体が重い。登り勾配に息が上がるとともに、汗が流れ落ちる。
後で考えると、暑い中、朝起きてから食べ物は口にしているものの、水分は一切補給しておらず、これでは熱中症を起こしても不思議ではないし、 年を考えれば脳梗塞の危険もあった訳で、今後気をつけようと反省した次第。
しかし、この時はそのようなことは全く念頭に無く、汗が流れるままに進み続ける。

長い車道歩きも漸く終わりとなり、足下は未舗装の道路へと変わる。
流水などで抉れたその未舗装道路を暫く登っていくと、やがて道は突然に終わりとなり、そこから登山道が始まる。
傍らには 『 ← 美濃戸口 阿弥陀岳 → 』 と書かれた標識が立っている。時刻は 6時38分。
あまりの体調の悪さに少し休憩をしてノドを潤す。身体が相当水分を欲していたようで、1Lのペットボトル (ビタミンウォーター) のほぼ 1/3を一気飲みしてしまう。
2分程休んで先へと進む。ここからは樹林帯に入ることとなり、足下にササが繁茂した道が続く。傾斜は緩やか、しかし身体の方は重い。

ササ原の中につけられた道を登る。
ほぼ直線の道が続く中、時折 傾斜がなくなって歩きやすい道が現れるようになるのだが、この辺になると今度は眠くてたまらなくなる。
暫く続いたササ原はいつの間にかなくなり、日当たりの良さそうな場所では雑草が、そして樹林の密度が濃い場所では土が剥き出しか、 苔むした倒木や岩が目立つようになる。
余談だが、この登山道上には財産区境界明認の札が多く見られる。財産区というのは、市区町村の財産として市区町村の一部の山林を所有している、 法人格を有する特別地方公共団体なのだそうで、町村合併の際、旧市区町村の利益をそのまま残すため、この財産区が作られることが多いとのことである。
財産の管理として毎年境界の明認を行っているらしく、6月頃に行われたことを示す年度毎の木札が立っている。

道の方は少し傾斜が増してくるが、普通なら全く問題ないところであるものの、 本日はかなりキツク感じられる。
眠気はますます強くなり、身体は怠く、本日は阿弥陀岳までとして下山しようという気持ちが強くなる。
喘ぎつつ小さな幅のジグザグ (基本的には道はまっすぐ) を繰り返しながら高度を上げていく。
時々平らな道に変わることに救われながら何とか歩き続けていくと、やがて周囲の木々にシラビソが多くなってくる。
また、展望の無い道が続く中、時折、右手の樹林が切れて立場岳へと続く尾根が見えるようになる。

7時31分に 『 ← 美濃戸口 阿弥陀岳 → 』 と書かれた標識を通過した頃から、傾斜がかなりキツクなり始める。
周囲にコケが多く見られるようになった斜面を喘ぎつつ登る。楽しみは斜面の先、樹林の間に空間がチラチラと見えることで、 御小屋山 (御柱山) も近いようである。
もう少しと思いながら登り続けるが、身体の方が全くついてこない。眠気も増す一方で、このまま引き返してベッドに潜りたいとの思いが強くなる。 それでも、ここで戻ってしまったのではメンツが立たない (?) との思いもあって何とか登り続ける。

周囲に美しいコケの絨毯が広がり始めると、傾斜もやや緩み始め、さらには前方の樹林越しに見える空間も広がり始める。
そして、7時55分に舟山十字路からの道と合流し、その少し先で三等三角点を見た後、御小屋山に到着。時刻は 7時56分。
立派な標識の傍らにあった岩に思わず座り込む。本当に身体がキツイ。
この先に待っている阿弥陀岳への急斜面を考えると、今の状態ではとても登る気力が湧いてこない。ここから戻ろうかといった考えが頭に浮かぶが、 何とか登山としての形を整えたいとの思いとの葛藤の末、最終的には先に進むことにする。
また、あまりにも眠いので少し目をつむってみたのだが、前回の芋木ノドッケと同じくアブが煩いため、眠ることができない。

8時4分に出発、少しフラフラしながら先へと進む。
暫くは平らな道が続くため大変助かるが、この先、一旦下った後、急斜面が待っていることが分かっているので、気が滅入る。
そんな中、右手の樹林が切れて、少し展望が広がるようになる。立場岳から右に下っていく急斜面の後方に西岳がよく見え、 西岳の後方には編笠山がその頂上を少しだけ見せている。さらには、立場岳の後方にはギボシが大きく、さらに権現岳もその頂上部分を少し見せている。
この光景にテンションが上がり、体調があまり良くない中ではあるものの、前に進もうという気力が少し湧いてくる。

再び樹林帯に入るが、すぐにまた展望が開ける。
よく目を凝らすと、西岳から右に下る斜面の後方にうっすらと山が見える。どうやら南アルプスのようであるが、残念ながら雲が下から湧いてきており、 ほとんど同定ができない状態である。
しかし、何とか甲斐駒ヶ岳だけは確認できたのであった。

道は再び樹林帯に入る。長く続いたほぼ平らな道もやがて下りに入り、その後すぐに登りが始まる。
大きく下って行かねばならないと思い込んでいたのでこれはありがたい。
しかし、緩やかな登りではあるものの、登りに入った途端にまた身体の怠さを覚え、さらにまた眠気が襲ってくる。
参ったなと思いながら何とか登っていくと、また右手にギボシ、権現岳方面が見える開けた場所に飛び出たので、 そこにあった岩に腰掛けてまた目をつぶってみる。
本の一瞬であったかと思うが、周囲を飛び交うアブにも気を取られることなく、意識が遠のく。
そして、ハッと気が付いてみると、正味 5分くらいは眠っていたようである。

少しスッキリしたのでまた登山道を進む。
なお、この頃になると、西岳方面はガスに包まれ始めており、権現岳も時々ガスに隠れるようになる。
少し眠ったのが良かったのか、足が少し進むようになると、やがて前方に標識が見えてくる。不動清水への分岐である。時刻は 9時4分。
前回は不動清水に立ち寄らずにそのまま通過したのだったが、今回はあまりにも不調なので冷たい水で顔を洗ってシャキッとすべく、 不動清水に立ち寄ることにする。加えて、阿弥陀岳のみで下山するのなら、何かお土産が欲しいという気持ちも若干ある。

標識には 『 約 5分 』 とあり、加えてかなり下らねばならないことを覚悟していたところ、 嬉しいことに斜面を横切るほぼ平らな道が続く。
そして、すぐに 『 生力不動 』 と彫られた石碑と、不動明王の姿が彫られた石像が現れる。時刻は 9時7分。
そこから少し進めば、草地の斜面を細いながらも水が幾筋も流れている水場で、斜面下方に取り付けられた塩ビパイプからは水がしっかり流れ出している。
どうやら、この塩ビパイプの水は斜面を流れる水を集めたものではなく、実際に湧き出ている場所に取り付けられているようである。
冷たい水でノドを潤し、ここまでの休憩で空にしたビタミンウォーターのペットボトル (1L) に水を汲む。 そして、塩が吹き出た顔を洗ってサッパリするとともに気合いを入れる。その後、先程の石仏まで戻り、岩に腰掛けて少し休憩した後、9時15分に出発する。

辿ってきた道を戻るつもりでいたところ、石仏の横から斜面を登っていく道があることに気付く。
恐らく、登山道へと合流する道と踏んで、急斜面を少し登ると、すぐに登山道に飛び出したのだった。時刻は 9時18分。
この合流点には先程のような立派な標識はないものの、財産区境界明認の札が立っており、その傍らにあるシラビソの木には赤ペンキで 『 ↓ 不 』 と書かれている。
この合流点からは、岩がゴロゴロした急斜面の登りが続く。喘ぎつつ暫く急斜面を登っていくと、一旦傾斜が緩んだ所に岩があり、 そこには赤ペンキで 『 四区 』 と書かれている。この四区というのは財産区の区域を示していると思われ、 その後も何回かこの四区の文字を見ることになる。

その岩からさらに少し登って振り返ると、木々に囲まれて狭い範囲の中に、まだ山襞に雪が残っている山の連なりが見える。
すぐ近くの南アルプスがほとんど見えない状態の中、一瞬、どこの山域か分からなかったのだが、良く見ると、 奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳であると分かる。これには少々ビックリ、怠い身体には嬉しいカンフル剤である。
道は再び樹林帯の登りとなるが、周囲の木々は大分細くなってきている。急斜面に喘ぎつつもひたすら登り続ける。
先程の不動清水の休憩で少し気合いが入ったのか、身体が楽になってきてはいるものの、やはりこの登りは辛い。
今年は正月からほとんど奥多摩の山に集中して登っており、このような長い登りはあまりなかったので、身体が鈍ってしまったようである。

それでも何とか登り続けていくと、やがて展望がグッと開けた場所に飛び出す。
先程までは西岳の後方にその頂上を少しだけ見せていた編笠山がかなり迫り上がってきており、また、その右後方にはうっすらと北岳が見えている。
また、北西の方向には先程見えた北アルプスが今度は木々に遮られることなく広い範囲にて見えており、奥穂高岳から北穂高岳、そして大キレット、 南岳までを見ることができる。しかし、周囲に雲が多いため、南岳から右側、つまり槍ヶ岳周辺は雲の中である。

道は再び樹林帯に入るが、それ程 木々の密度は高くないため、今度は左手の樹林の間に西天狗、東天狗を確認する。
そして、再び樹林を抜けると、目の前に阿弥陀岳の姿が見えるようになる。しかし、まだまだ遠く、そして高い。
特に、これから登る斜面がかなり急に見え、思わずため息が出る。
右側が大きくザレた場所を過ぎると、さらに展望は開け、権現岳、編笠山がよく見えるようになるが、そのさらに右側の西岳方面はガスに覆われてしまっている。

周囲は灌木帯に変わり、小さな岩場を巻いて越えていく。
この辺は傾斜も緩み歩き易い。ただ、ガスがかなり出始めており、権現岳方面や、正面の阿弥陀岳も時々ガスに囲まれる。
また、左手には硫黄岳、横岳も見えるようになるが、やはりこちらもガスに時々覆われてしまう。
ハイマツの中を登り続け、途中の小さな広場で休憩する。時刻は 10時56分。
やはり身体に応えているのであろう、小休止のつもりがかなり長い休憩となり、11時7分に出発する。
ここからも急斜面が待っている。

ガスが時々周囲に流れる中、黙々と登り続ける。ガスのせいで、あまり暑さは感じられないのがありがたい。
足下がザレた、ハイマツの斜面を登り続ける。時々立ち止まっては上を見上げるという、苦しい時のパターンを繰り返しながら登る。
高度を上げて振り返れば、先程休憩した小広場、そしてその後方の高み、さらにその後方に御小屋山が見えている。
何とかハイマツ帯を抜けると、足下は岩がゴロゴロした、草付きの斜面に変わり、道にお助けロープが現れるようになる。
元気であれば、ロープは不要かと思うが、少々フラフラした状態であることを考えると、やはり安全を考えてロープを握らざるを得ない。

ミヤマダイコンソウであろうか、周囲には黄色い花が目立つようになるものの、ユックリと観賞する余裕は無い。
小さな脚立を 180度に開いて梯子として使っている場所を過ぎると、稜線がかなり近くなってくる。
道はその稜線に向かって最後の登りに入る。そして、お助けロープのある岩場を一登りすれば、稜線上に飛び出す。時刻は 11時41分。
目の前には、右下の谷へと下って行く斜面を間に挟んでドーム型をした阿弥陀岳が見えている。その阿弥陀岳に至るには、 稜線を左に辿ってすぐ先に見えている摩利支天 (西ノ肩) と言われる岩場まで進み、岩場の手前で右に折れて摩利支天の基部を進んで行くことになる。
なお、今いる稜線を右に進めば中央稜へと至ることになるが、近くの標識には 『 立入危険 (中央稜)』 と書かれている。

細い尾根道を左に進み、摩利支天の基部に差し掛かったところで、登山道から外れて摩利支天の岩場に取り付く。
というのは、前回登った時にはそのまま摩利支天の基部を巻いてしまい、岩の上部に置かれている鉄剣や石碑を見損なってしまったため、 今回は是非とも立ち寄っておきたいと思っていたからである。
岩場の登りは意外と簡単で、少し登ればすぐに岩の上に飛び出す。奥の方には鉄剣、そしていくつかの石碑が見えている。
石碑には 『 摩利支天 』、『 大山祇大神 』 と彫られている他、手前の岩にも 『 摩利支天 』 と彫られている。時刻は 11時45分。

ここからの展望も良いはずであるが、この時はガスが多く、 鉄剣の後方に硫黄岳、横岳が見えてはいるもののガスが絡み気味であり、東西の天狗岳などは全く見えない状態である。
また、阿弥陀岳方面を見れば、ドーム型をした阿弥陀岳の左手後方に本日初の対面となる八ヶ岳の主峰、赤岳が見えている。 こちらもガスが絡んでスッキリしない。
そして、阿弥陀岳の手前、縦走路の先には大きな岩が見えており、その斜めになった岩肌にロープが張られている。 阿弥陀岳に至るにはこの障害物を乗り越えていかねばならない。

登山道に戻り、摩利支天の基部を巻いて今度はその岩へと進む。
ハイマツの間を抜けた後、ロープを使って傾斜のある岩を登る。この岩は 『 犬返りの岩 』 とも言われているようで、 確かに犬が自力でこの岩を越えるのは難しいかもしれない。
しかし距離は短く、一登りで岩の上に立つことができる。道の方は、ここから鎖を使って岩の反対側へと下ることになる。
ここからの展望は抜群で、暫し岩の上に立ち周囲を眺める。阿弥陀岳の左後方にはガスが絡んではいるものの赤岳が見えており、 その左手には横岳も見えている。しかし、硫黄岳は最早ガスの中である。

また、この岩の右端には 『 行場 』 と彫られた石のプレートが埋め込まれている。
確かに、高度感のあるこの岩は、かつては大峰山の山上ヶ岳にある 『 西の覗き 』 と同じような行場だったであろうことが窺い知れる。
鎖にて岩場を下り、最後は鉄梯子にて岩場を下り終える。
後は、ハイマツの中を緩やかに登っていけば阿弥陀岳頂上である。そして、5、6人が憩っている阿弥陀岳頂上には 12時3分に到着。
頂上にはその山名の通り阿弥陀如来坐像 (石像) が鎮座している他、多くの石碑が置かれており、石碑には 『 諏訪神社 』、 『 羽黒神社 』、『 金毘羅神社 』、『 武尊山神社 』 といった文字が刻まれている。
阿弥陀如来を祀る山に何故神道 ? と思うが、これは神仏混淆時代の名残ではないかと思われる。

また、本来ならば素晴らしい展望を得られるはずの阿弥陀岳であるが、 残念ながら周囲はガスに囲まれ、ほとんど展望が得られない。唯一、東側だけが時折ガスが消えて中岳、赤岳の姿を見ることができる状態である。
ここから眺める赤岳はその名の通り赤褐色に酸化した荒々しい山肌を見せており、両翼を大きく広げている姿は堂々としていて素晴らしい。 さすが八ヶ岳の盟主である。
岩に腰掛けて暫し休憩。不思議なことに、先程まで体調不良を理由にここから下山するつもりでいたのだが、 目の前の赤岳を見ると登ろうという気力が湧いてくる。但し、本日はかなり時間がかかることを覚悟せねばならない。

12時19分に下山開始。荒れ気味の斜面を下る。かなり風化した感じの斜面をジグザグに下った後、鎖場に入る。
先の方には数名の登山者が下っているので、足下の岩屑を落とさないように慎重に下る。
また、先行の登山者が鎖場でかなり時間を費やしているため、待ち時間が多くなるが、体調が悪い身にとっては、このユックリが逆にありがたく感じられる。
鎖場を過ぎればまた小さなジグザグの下りに入るが、岩屑で足が滑りやすいので要注意である。
そして、名物の鉄梯子を下った後、さらに少し下れば、やがて行者小屋への分岐に下り立つ。時刻は 12時44分。
もうこの時点では行者小屋経由にて下山しようという気持ちは完全になくなり、迷わずに中岳へと取り付く。

少し登ると、目の前にピラミッド型をした中岳が見えるようになり、その後方に赤岳が見えている。 しかし、まだまだ先が長い。
ハイマツと灌木の斜面を登り、最後は岩場を伝って、いくつかの石碑が置かれている中岳頂上には 12時56分に到着。
そのまま休むことなく下りに入る。
眼下には赤岳との鞍部の他、そこから赤岳に向かって延びているジグザグの登山道が見えている。
まだまだ相当なアルバイトが必要である。

13時3分にその鞍部を通過。周囲の砂礫地には疎らではあるもののコマクサを見ることができる。
さて、ここからは赤岳に向かっての長い登りが待っている。砂礫の斜面をジグザグに登る。
太陽は完全に雲に覆われ、そのため気温が下がってきており、風が涼しく感じられるのがありがたい。
辛い登りであるが、ここは黙々と登っていくしかない。時折、ガスが流れて見える範囲がかなり狭まるものの道は明瞭であるため迷う心配はない。
13時22分に文三郎新道と合流、さらに登りは続く。
ガスが周囲を隠すことが多いものの、時折ガスがサーッと引いて、青空が見えるようになる。太陽が顔を出すとさすがに暑い。

途中、少し休憩してノドを潤し、さらに先へと進む。
やがて、砂礫の道は岩場へと変わり、すぐにキレット分岐を通過する。時刻は 13時34分。
キレットへの道と分かれて左上へと進み、鎖が張られた斜面を登る。この辺は岩が脆く、また岩屑も多いので要注意であるが、 前後に人がいないので少し安心である。
前方上部には稜線が見えるようになってきており、稜線右手には竜頭峰も見えている。鎖を使いながら岩場を登る。
この辺は渋滞することが多いが、本日は平日ということもあって擦れ違った人は 1人だけ、先を行く人はいない。

息を切らせつつも、涼しい状況に助けられ、何とか稜線に登り着く。時刻は 13時52分。
ここには 『 竜頭峰分岐 』 との名がついており、ここから右に進めば先程の分岐と同じくキレットや権現岳に至り、加えて真教寺尾根にも通じている。 目差す赤岳は左である。
岩に書かれた印に従いながら岩場を登る。途中、斜面が崩れて以前とは道が少し変わったところがあったものの、 鉄梯子を登り、右に進めば、やがて上方に赤岳頂上の標識が見えてくる。

そして、14時丁度に赤岳頂上に到着。いつものように ? 頂上はガスに囲まれていて展望は得られない。
ただ、少し待っているとガスが流れ、先程までその頂上にいた阿弥陀岳が見えるようになる。
ここから見ると、やはり阿弥陀岳は特異な形をしている。どう形容したらよいのか、小生の表現力では難しいところだが、強いて言えば、 頂上付近は中指を少し突き出した自分の拳骨 (しかも手のひら側をこちらに向けて) といったところであろうか・・・。

14時8分に赤岳頂上を後にする。県界尾根の分岐まで下ってきたところで、 赤岳頂上山荘のトイレをお借りし、ついでにまたまた休憩して合計 9分を費やす。その後、砂礫の斜面を下る。ここは何時通っても苦手感がつきまとう。
滑らないように注意しながら下り、その後、下方に赤岳展望荘を見ながら岩屑の斜面をジグザグに下って、その展望荘には 14時47分に到着。 小屋の西側にあるベンチに腰掛けて暫し休憩。
氷だけ入れてきた保冷水筒にソルティライチを入れ、冷やして一気飲みする。うまい。
なお、嬉しいことにこの頃になるとガスも治まり、赤岳、阿弥陀岳は勿論のこと、蓼科山、西天狗などが見えるようになる。

かなり長い休憩を取り、15時1分に出発。
少し下って小さく登り返し、その後また下っていくと地蔵尊が置かれている地蔵尾根の分岐に到着。時刻は 15時6分。
ここからは地蔵尾根の下りに入る。まずは滑りやすい砂礫の斜面を下るのだが、鎖が設置されているものの、少し油断をすると足がズルズルと滑る。 そこを何とか通過すると、今度は岩を詰めたフトン篭や桟橋、そして梯子などが連続するようになる。
早く抜け出したかったのだが、前にカップルが下っており、また下から登ってくる人も結構いるので、結果、前のカップルに合わせてユックリと下ることになる。

途中、カップルが休憩したので抜かせてもらい、後はひたすら下り続ける。 ただ、足下は滑りやすいのでそれ程スピードは出せない。
樹林帯を抜け、行者小屋には 15時56分に到着。ここでもベンチにて暫し休憩。
周囲を見渡すと、赤岳、阿弥陀岳が見える。ここから見上げる阿弥陀岳は手前の高みが邪魔をして頂上付近しか見えないが、 その形がほぼ台形をしていることに驚かされる。
阿弥陀岳は東西に長く、今までは東西方面からしか見てこなかったため、北側から見た形に少々驚かされた次第である。

16時5分に出発。河原のような場所を進み、やがて柳川南沢の流れを渡った後、 暫く川沿いに進む。但し、途中で伏流水になるのか、流れは見えなくなる。
やがて樹林帯に入っていくが、この辺は傾斜も緩やかで歩き易い。その後、樹林帯、河原といった状況を繰り返した後、再び現れた流れを橋にて渡る。 その後、支流も含めて何回か橋を渡ることになる。
この後の行程であるが、微かな記憶では、以前は川沿いに進み続けた気がしたのだが、今回は途中から山側を登って行くことになる。
もしかしたら、川が荒れて以前の道が通れなくなったのかも知れず、その証拠に水量は豊富でその勢いはかなりのものがあり、 また山側の道にはやや不明瞭なところが見られる。

疲れが出てきて、まだかまだかと思いながら進み続ける。
その長い下りも、堰堤を越えるとやがて樹林帯を抜け、漸く美濃戸山荘前の林道に飛び出したのだった。時刻は 17時44分。
ここからは林道歩きになるが、まだ先は長い。
時折、林の中のショートカットを使いながら黙々と歩き続け、八ヶ岳山荘前の駐車場には 18時25分に戻り着いたのであった。

前回 (2013年) は 8時間ほどで回ったコースであったが、今回は何と 12時間を越える時間を要してしまった。
体力の衰えがあるとは言え、これはショック。
いつも下山後に普段の体力作りを怠っていることを反省し、下山後の数日間はそれなりに体力作りに励むのだが、結局は三日坊主。
今回は寝不足があったとは言え、サボっていたツケが完全に回ってきたようである。これは大問題。
持久力はまだあるようだが、気力、体力を取り戻さねば、北や南のアルプス縦走は叶わぬところである。


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