新・山の雑記帳 8

 ホームページへ戻る


 1.最 新 の 雑 記 帳
 今年も鎌倉散策の下見  2017.4 記

 雪の塔ノ岳  2017.4 記

 残雪の山を楽しむ (雁坂峠〜雁峠)  2017.3 記

 快晴時に登る大山三峰山  2017.2 記

 山王帽子山にてスノーシューを楽しむ  2017.2 記

 2017年初登山は檜洞丸  2017.1 記

 白沢峠の廃トラックと笠取山  2017.1 記

 快晴の北横岳  2016.12 記

 初冬の金峰山独り占め  2016.12 記

 鎌倉散策 2回の下見  2016.11 記

 快晴の奥大日岳  2016.11 記

 20年ぶりの立山を黒部平から登る  2016.10 記

 大いに満足、乗鞍高原側からの乗鞍岳  2016.10 記

 運動不足を痛感した甲斐駒ヶ岳  2016.9 記

 これまた久々の針ノ木岳、蓮華岳  2016.8 記

 久々の爺ヶ岳  2016.7 記

 2.これまでの 新・山の雑記帳 7    ('2015/12 − '2016/6 )      ←   こちらもご覧下さい

 3.これまでの 新・山の雑記帳 6    ('2015/3 − '2015/12 )      ←   こちらもご覧下さい

 4.これまでの 新・山の雑記帳 5    ('2014/8 − '2015/3 )      ←   こちらもご覧下さい

 5.これまでの 新・山の雑記帳 4    ('2013/8 − '2014/8 )      ←   こちらもご覧下さい

 6.これまでの 新・山の雑記帳 3    ('2012/5 − '2013/7 )      ←   こちらもご覧下さい

 7.これまでの 新・山の雑記帳 2    ('2011/6 − '2012/4 )      ←   こちらもご覧下さい

 8.これまでの 新・山の雑記帳    ('2006/8 − '2011/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 9.これまでの山の雑記帳:INDEX 1    ('97/10 − '00/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 10.これまでの山の雑記帳:INDEX 2    ('00/5 − '02/11 )      ←   こちらもご覧下さい


今年も鎌倉散策の下見  2017.4 記

3月29日に塔ノ岳、鍋割山に登った後、暫く山に行けない状態に陥ってしまう。
理由は我が家のリフォームで、その期間中は別の家に仮住まいせねばならず、そのための引越準備が思いの外 大変だったからである。
小さな家とは言え、30年以上住んでいるためにかなりの引越荷物となるともに、捨てねばならないものも相当量あり、 その整理に追われる日々が 2週間近く続いたのである。
一時は引越に間に合わないのではないかと思うほど焦ってしまったものの、幸いにも何とか無事に引越を済ませることができたのであったが、 今度は引っ越し先での荷物整理に追われ、気が付けばもう 4月も下旬に入ろうとしている。

一方で、天気予報を見ると、この先 天候はやや不順であり、ゴールデンウィークまでに 1度は山に行っておきたいところではあるが、 チャンスはかなり少なそうである。
そんな中、この時期恒例の鎌倉を歩くという催しが今年も開催されることになり、立場上、少ないチャンスの 1つとなった 25日 (天気予報は晴れ) を泣く泣くその下見に当てざるを得なくなる。

この鎌倉散策の本番は 5月の下旬なので、まだまだ時間的に余裕があるのだが、 その企画が当初 北鎌倉駅から六国見山 (ろっこくけんざん) に登り、下山時に明月院に立ち寄るというものであったため、 それでは距離、時間とも過去 3回の鎌倉散策と比較してかなり短く、急遽見直しをせねばならなくなってしまったからである。
これは小生が引越準備に忙しくてこの企画に参加できなかったことが一番の原因で、その罪滅ぼしに今回下見に出かけ、 六国見山を中心にその前後の行程を膨らませるつもりである。
まあ、引越疲れもあって体調が今一つの状態であるから、今は鎌倉近辺の低山を歩くのが丁度良いのかもしれない。

4月25日(火)、瀬谷駅 9時6分発の急行に乗り横浜駅に向かう。 横浜駅からは東海道線に乗り、大船駅にて下車をする。当初の企画を膨らませるべく、出発地を変えて大船駅側からアプローチすることにしたものである。
まずは東口の交通広場へと向かい、5番乗り場から 9時54分発の鎌倉湖畔循環バスに乗る。下車するのは常楽寺で、わずか 4つ目の停留所であり、 歩くことも十分に可能な距離ではあるのだが、本番の頃は暑さが増しているであろうし、またメンバーの年齢構成も考えてここはバスを利用することにしたものである。
常楽寺バス停には 9時59分に到着、まずは常楽寺へと向かう。

少し車道を戻り、右手に 『 粟船山 (ぞくせんざん) 常楽寺 』 と彫られた石柱が見えてきたところで右に曲がって参道に入る。
時刻は 10時丁度。民家に囲まれた参道の先には常楽寺の萱葺きの山門が見えている。
その山門は柵にて通れないようになっていたため、脇のくぐり戸から境内に入る。
すぐに正面、樹林の間に仏殿が見えてくるが、その手前にある銀杏の大木に目を奪われる。大銀杏自体は昭和13年に倒れてしまったとのことで、 今はその幹部分だけが残っているだけであるが (それでもかなり高さがある)、その幹を守るかのように周囲をひこばえ (樹木の切り株や根元から生えてくる若芽) が取り囲んでいて、 なかなかのものなのである。

右手に本堂、庫裡を見て、その大銀杏の横を進んで仏殿に向かう。
仏殿には本尊の阿弥陀如来像、その左右に観音菩薩像、勢至菩薩像が安置されているのだが、肝心のご本尊は修理中とのことで離席中である。
また、仏殿の裏手に回ると、そこにはこの寺の開基である北条泰時 (鎌倉幕府第三代執権)、中興の開基とされる龍淵和尚、 そして建長寺十三世 大応国師の墓が並んでいる。
仏殿の東側にある小さな庭園を見れば、ほぼこれで見学は終わりであるが、実は裏の山には木曽義仲の長男である義隆の墓もあるそうである。 しかし、それは今回割愛して再び参道を通って先程の車道に戻る。時刻は 10時9分。

今度は車道を左に進んでいくと、やがて県道21号線との交差点 (常楽寺) に至るので、そのまま県道を横切って真っ直ぐ進む。
やや狭い道を暫く進んでいくと、丁字路にぶつかるのでそこを左に曲がり住宅街の中を緩やかに右にカーブしていく。途中、いくつか左右に分かれる道が現れるが、 とにかく道なりに進み続けると、やがて道が左にカーブし始めるところに次の目的地である多聞院と熊野神社が見えてくる。また、カーブの先には隧道が見えている。
大船町内会館の横を進み、多聞院の境内に入る。時刻は 10時15分。多聞院の入口手前、道の右手には数基の庚申塔や石仏が並んでいる。

この多聞院は隣にある熊野神社の別当寺 (神仏習合が許されていた江戸時代以前に神社を管理するために置かれた寺院) であったとのことで、 こちらも常楽寺と同様こぢんまりとしており、あまり観光の対象となってはいないようなので静かである。
奥の方には墓地もあり、またやぐらもあるようであるが、多聞院の予備知識は全く無かったので、あまり長居せずにすぐに隣の熊野神社へと向かう。
石造りの 2基の鳥居を潜り、階段を昇る。こちらも静かで、登り着いた先には本殿の他、金比羅社、そして神楽殿が設置されている。
本殿の後方は山になっていて、これから向かう大船切通はその山の上にあるようである。本殿の右にある金比羅社の後方にはうっすらと踏み跡があり、 そこを登れば切通に至ることもできそうであったが、ここは自重する。
左手に進み、神楽殿裏手から一旦車道に下りていくと、そこは先程見えた隧道のすぐ手前であり、大船切通はこの隧道の上を通っている。

切通に至るべく道路を渡り、隧道のある藪山と駐車場との間の細い道に入る。 道標は全く無いが、事前の下調べでここを進むことは確認済みである。
すぐに細い道は山道に合流し、右に鋭角に曲がると大船切通への山道が始まる (左は車道へと続いている)。時刻は 10時22分。
少し坂を登っていくと、両側が崖となった切通が始まる。この道は通る人も多いのであろう、よく踏まれていて、 大仏切通のように周囲の草が煩いこともない。昼間なのに薄暗く、ひんやりとした道を登っていく。
いつも思うのだが、鎌倉にはこのように往時の面影をそのまま残している場所が多く、 タイムスリップした気分にさせられて大変興味深い。これは癖になりそうである。
やがて両側の崖がなくなり普通の山道になると、右下に多聞院の墓地が見えるようになる。

このなかなか風情のある道も残念ながらそう長くは続かず、大船高校の法面にぶつかって丁字路になったところで終わりとなる。
法面の手前には 『 ← 至ル 六国見山 (約六百米)』 の標識が立っている。時刻は 10時27分。
その標識に従って左に曲がり、大船高校の敷地に沿って進む。まずは階段を昇ると、その先からは車道となり、左手に民家、右手に大船高校となっている道を緩やかに登っていく。 右に緩やかにカーブしていくと、そこからは両側に八重桜が植わっている道が続くようになるが、盛りを過ぎているとはいえ桜はなかなか見事である。
そして、すぐに登り勾配の道は終わり、目の前にはロータリーが現れる。ここは大船駅から大船高校、そしてこの高野台を結ぶバスの終点のようである。 時刻は 10時31分。

さて、事前に頭に入れた地図ではここを右に曲がって車道を進むことになっているのだが、 ロータリーの左側、民家の脇にも山道が見えている。恐らく、そこからも六国見山に取り付くことができるのだろうと思えたものの、 ここは忠実に正規の道を行くことにして車道を進む。
右手は大船高校で金網の柵があり、道路の反対側には民家が並ぶ。すぐにその民家の後部上方に山並みが見えてきたが、どうやら六国見山の尾根のようである。
さらに少し進むと、右手に続いていた大船高校の柵が終わりとなって民家が並ぶようになったところで、左手に昇って行く道が現れ、 その先に階段がチラリと見えたのでそちらへと進む。そして思った通り、この階段が六国見山の登山口 (六国見山森林公園北口) であった。
傍らには 『 六国見山登り口 』 の標識も立っている。時刻は 10時33分。

長い階段を昇る。小生はこういう歩幅が限定される階段は大嫌いだが、本番当日のメンバーにとってもこの長く続く階段は少々きついかもしれない。
階段を終えると暫くはコンクリートの坂道が続き、さらにその先に階段が現れる。周囲は完全に木々が生い茂る斜面なので、 山への取り付きをこのような階段にしたのはあまり良い方法とは思えない。尤も、大船高校の部活で足腰を鍛えるのには良いかもしれないが・・・。
その階段が終わると尾根道に登り着く。左手には柵に囲まれた配水池の設備が見えている。時刻は 10時36分。

ここは丁字路になっており、右が目差す六国見山であるが、左手はどうやら先程のロータリーからの道らしい。
どうも階段昇りは当日のメンバーには向かないと思えたので、ここは敢えて左に道をとってロータリーからの道を確認することにする。
アズマネザサ ? に囲まれたこの尾根道はよく踏まれており、歩き易い。
少し進むと、樹林が切れて下りとなり民家の裏手を進むことになるが、ここで一気に展望が広がる。 家やビルが遠くまで立ち並び、その先にはうっすらと箱根の山々が見えている。ということは富士山も見えるはずだが、 春霞がかかっているようで全く見ることはできない。

緩やかに民家の裏手を下って行くと、思った通り先程のロータリーに到着。 やはり階段を昇り続けるよりはこの山道を登った方が良いようである。時刻は 10時40分。
さて、当日のルートが決まったところで、再び山道を引き返す。最初は少し急であるが、民家を過ぎてしまえば歩き易い尾根道が続く。
途中、保育園児 (幼稚園児 ?) の集団が山道を駆け下りてきた。このような小さな子らも歩けるのだから、当日は全く問題ないはずである。
先程の配水池の分岐には 10時46分に戻り着く。右下の階段を見ると、やはり登りに使うにはキツそうである。

そのまま尾根を進む。ここからは緩やかな登り勾配となるが、厳しいという程ではない。
道には丸太の横木が埋められているものの、それを避けて登る方が多いのであろう、丸太の並ぶ横に道ができている。
緩やかに、そしてクネクネとしながら高度を上げていくと、やがて先の方に高台が見えてくる。どうやら六国見山の展望台のようである。 時刻は 10時51分。
ここは見晴らしの良い場所ではあるが、すでに 10数人に高台の部分は占領されており、当日、ここで昼食にするのは難しいかもしれない。 また、展望台の手前、樹林の中にテーブルが 2つ程あるものの、当日そこを利用できるかどうかは運次第ということになろう。

この六国見山の名前は、ここから安房、上総、下総、武蔵、相模、伊豆の六つの国を一望できたことから付けられたとのことで、 その通りここからの展望は素晴らしい。
テラスのようになった場所へと進めば、南側に逗子マリーナ、鎌倉市街、源氏山、稲村ヶ崎、江ノ島が見えるとともに、その後方には相模湾が広がっている。 また、源氏山の後方、相模湾の上にボンヤリと島影が見えたので、もしかしたら伊豆大島かもしれない。
なお、西の方には箱根山から丹沢方面が見えるはずであるが、富士山を含め、本日はほとんど見ることができない。
さらには、展望台の反対側、『 浅間大神 』 の碑の裏手に回れば、樹林越しに横浜市街も見ることができる。帰宅後、撮った写真を拡大すると、 横浜ランドマークタワーの左後方にはうっすらとスカイツリーらしきものも確認できたのであった。

10時53分、展望台を後にして先へと進む。 なお、この展望台には登らずにその下を迂回する道もあり、当初 登ることを考えていた北鎌倉駅からの道はその迂回路途中から南西に延びている。
ほぼ平らな山道を進んでいくと、右手に 『 稚児の墓 』 と呼ばれる石塔が現れる。時刻は 10時55分。
帰宅後調べると、この墓は由比の長者であった染屋時忠の娘のものという説があるようである。染屋時忠の娘が大きな鷲にさらわれ、その後、 娘の残骨の一部がこの六国見山で発見されたとのことで、先程の多聞院に安置されている十一面観音はその胎内にその娘の骨を埋めてあるとのことである。

さらに山道を進む。暫く平らな道が続くが、少し登り勾配になった先で、突然道の真ん中に三等三角点が現れる。時刻は 10時59分。
これは六国見山の三角点で標高は 147.1m (国土地理院が見直しする前は 147.3mだったらしい)、 ここが正式な頂上のようである (因みに、先程の展望台は 144m程とのこと)。但し、周囲は樹林に囲まれていて展望は全く無い。
また、三角点のソバ、道の傍らには手製の標識があり、『 六国見山 』 の文字とともに、麻雀パイで 『 147 』 を表しているのが洒落ている (イーピン、スーソウ、七万)。

頂上を過ぎれば、当然道は下りが多くなる。小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に下って行くと、 やがて山道はあっけなく終わりとなり、車道の終点に合流することになる。時刻は 11時4分。これで山歩きが終わりでは物足りないが、致し方ないところである。
さて、ここからの道であるが、目の前の民家の塀沿いにも細い道があるものの、標識が全く無いので、ここは事前学習の記憶に従って左に曲がって車道を下る。
少し下ると、すぐに右に鋭角に曲がる道が現れるのでそちらへと進む。道は駐車場となってすぐに行き止まりになるが、その駐車場の手前に階段があって左に下る歩道が現れる。
歩道を緩やかに下り、道なりに右にカーブして行くと、道は階段になった後に、車 1台が通れる程の道になり、やがて丁字路にて車道に合流する。 時刻は 11時7分。

この丁字路にも標識はないが、明月院は右の方向にあるはずなので右へと進む。
後は道なりに下っていけば明月院であった。しかし、この道は狭い割に結構車が通るので要注意である。
途中、石碑ややぐらの跡らしきものを眺めながら下り、明月院には 11時13分に到着。この明月院は当日のコースに入っているので、 下見をすべく 300円の拝観料を払って見学する。
総門を潜って山門へと進む。この山門への階段はなかなか見事で、両側には季節の花が咲いており風情がある。あじさいが咲く頃はさぞかし美しいことであろう。
そのあじさいの時期となる 6月には裏手の庭園が特別に開園されるようだが、今の時点では本堂、本堂前の枯山水庭園、開山堂までである。 しかし、他にやぐらや北条時頼 (鎌倉幕府第五代執権) の墓所、廟所もあって見るべきものは十分にある。

一通り境内を見て廻った後、11時30分に明月院を後にする。
本番当日は、このまま北鎌倉駅へと進み、途中で円覚寺、あるいは東慶寺を見ての解散となるはずであるが、小生個人としてはこれでは物足りない。 そこで、この後はプライベート散策として、もう少し周辺を歩き回ることにする。
まずは明月院方面から鎌倉アルプスに至る道があるはずなので、それを探すべく先程下ってきた道を戻る。
暫く緩やかな道を登り、先程見た石碑群を過ぎると、やがて右手に 『 笛 』 という喫茶店が現れ、そのすぐ先にて右に曲がる道が出てくるがこの道は何も標識がないのでパスをする。
さらに少し進むと、今度は同じく道の右側にほとんど目立たない 『 石かわコーヒー店 』 の看板 (ローマ字) が現れ (店自体はそこから階段を昇った法面の上にある)、 その先にも右に曲がる道が出てくる。
その道はかなりの急坂であるが、よく見るとその道際の電柱に今にも消えそうな文字で 『 天園へ ハイキングコース 』 と書かれた板が括り付けられているのが見つかる。 これで鎌倉アルプスに至ることができそうなので一安心。時刻は 11時34分。

右折してその急坂を登る。傾斜が緩んでくると、道は十字路もどき (右手は普通の車道、直進はすぐに行き止まり、 左手は民家の駐車場兼私道の様な道) に到達するが、周囲を見回すと、左手に 『 ハイキングコース 半僧坊、天園 』 と書かれた手書きの標識が立っている。
標識に従ってその駐車場兼私道のような道に入っていくと、道はすぐに階段となり、やがて平らな敷石の道に変わって、 その先に 『 明月谷 桐慕茶屋(とんぼちゃや)』 が現れる。登山口はその左側である。時刻は 11時37分。

ここからはいきなり急登が始まるものの、ほどなく緩やかな登りの道へと変わる。
すぐにも建長寺からのコースに合流するのかと思いきや、意外に道は長く、途中にアップダウンもあって本格的なハイキングコースが続く。
今泉台4丁目入口への道を左に分け (11時42分)、その先で長い丸太階段、そして石の階段を登っていく。空腹を覚え始めている身にとってはこれが結構辛い。
登り着いた所からは左側にフェンスのある道を進むのだが、先の方から子供達の歓声が聞こえてきたので、このフェンスの記憶とともに大平山・天園に着いてしまったのではないかと錯覚してしまう。 しかし、実際はまだ建長寺からの道にも合流していない。

暫くほぼ平らな道が続いた後、道は緩やかな登りに入る。登り着いた所には標識があり、ここが建長寺からの道との合流点であった。
時刻は 11時50分。真っ直ぐ進めば天園であるが、ここは右に少し進んで見晴らしの良い勝上献展望台へと向かう。
なお、この近辺で多くの小学生と擦れ違う。先程の歓声は建長寺から登って来た小学生達のものだったようである。
この勝上献展望台では嬉しいことがあった。富士山が薄ボンヤリながらも見えたのである。最初は雲かと思ったのだが、よく見ると未だ白き山頂部分が空に浮かんでいる。 ここまで足を運んだ甲斐があるというものである。

暫く展望を楽しんだ後、天園へのコースへと進む。ここからの道は昨年 2回通っているのでもう慣れたものである。
このコース上の最初の目当てとなる 『 十王岩 』 には 11時55分に到着。そこから南側を見れば、相模湾へと延びる鶴岡八幡宮の若宮大路が見えている。
十王岩を後にして少し進むと、今度は 『 右 覚園寺道 』 と彫られた石の道標が現れたので、そこで右に曲がる。 しかし、帰宅後写真をよく見ると、右と思い込んでいた文字は 『 左 』 だったようである。なぜなら、ここを下っても覚園寺には至らないからで、 道標は単に歩いてきた尾根道の行き先を示しているようである (道標の反対側には 『 右 建長寺道 』 とあるらしい)。
とは言え、ここで右に曲がったのは、この辺りに やぐら群があるとの記述をネットで見た記憶があったからである。時刻は 11時56分。

少し下って行くと、道が右に急カーブする所に少し広い場所があり、そこにやぐら群が見えている。時刻は 11時58分。
なお、帰宅後調べるとこれが朱垂木 (しゅだるき) やぐら群であると分かったのだが、周囲に説明書きなどはなく、 この時は単なるやぐら群と思っていただけであった。
折角なので寄り道をしてやぐらを眺める。やぐらの内部にはほとんど何も残っていないが、登山道から数えて 2つ目となるやぐらには見るべき所が多い。 帰宅後、このやぐらこそが朱垂木やぐらだと知る。
この朱垂木やぐらは一般的なそれとは違って納骨や供養のためのものではなく、仏殿のような場所であったらしい。
確かに入口側面には剣を壁に押しつけて型をとったような位牌壇らしきものがあり、やぐらの奥壁には仏像を安置してあったと思われる場所もあって、 そこにはうっすらと仏像らしき姿も残っている (舟形をした後光を表す光背とのこと)。
ただ残念なのは、やぐらを外から見ただけのため、朱垂木の名の由来となったやぐらの天井に残る紅殻 (べんがら) 塗りの平行線を見逃したことである。 この平行線が朱塗りの垂木 (木造建築で棟から軒にかけた斜材) を表しているとのことなので、是非機会があれば再訪して確認したいものである。

崖の下にいくつも並んでいるやぐらを一通り見た後 山道に戻ると、道の右手にもやぐら群があることに気が付く。
こちらも一通り見た後、12時3分、先へと下る。
明瞭な山道を順調に下って行く。小さなアップダウンはあるものの、道は総じて緩やかな下りに変わり、 やがて下った先に檜の生える平らな草地が現れる。右奥の岩壁には やぐらもあり、何か謂われのある場所のようである (どうやら建長寺回春院奥平場という場所らしい)。
時刻は 12時8分。
さらに進んで階段の道を下って行くと、やがて十字路にぶつかるが、そこに標識はない。左手を見ると、少し下った先に道路があり民家が見えている (鎌倉市西御門という地域らしい)。 右もよく踏まれた山道があるが、こちらも下っている (これも帰宅後調べたところ、建長寺の回春院へと通じる道らしい)。
左右どちらも下っているため、もう少し山を歩きたいと思ってここは真っ直ぐに進む。時刻は 12時13分。

しかし、この道はよく踏まれているものの、途中からロープやピンクテープが現れ、 散策路ではないのかもしれないと思えるようになるが、それなりに道の痕跡はあるのでそのまま進み続ける。
途中に左右に下る道もあったかと記憶しているが、兎に角まっすぐ進み続けると、やがて足下が少し怪しくなり始める。 道らしき痕跡は残っているものの、最近人が通った跡が全く見られないのである。
足下は落ち葉で下草がないため、歩くことには苦労しないが、所々で枝やツタなどが邪魔をする。引き返そうかとも思ったのだが、 尾根上の道らしきものが先へと続いているのでそのまま進み続ける。

少し不安になり始めた頃、嬉しいことに左手下方に民家の屋根が見えてきたので、 さらに先へと進んでいくと、やがて左手下方に車道が見えてホッとする。しかし、道の方は小さな崖の縁に出てしまい、車道へ下りる道がない。
少し思案した後、崖の斜面に崩れを防止する金網が掛かっていたので、 その網を固定しているワイヤーロープに掴まりながら 2mばかりの崖を下り、何とか車道に下りたのであった。
下りた場所はゴミ集積場所になっているようで、近くにあった電柱には 『 鎌倉市雪ノ下二丁目15 』 と書かれていた。時刻は 12時20分。

無事に車道に出たことにホッとしつつ、その車道を右に進んでいくと、やがて左手に空き地が見えてくる。
そこに立つ説明書きによれば、ここは 『 国指定史跡 鶴岡八幡宮境内 』 のうち、『 二十五坊跡 』 あるいは 『 御谷(おやつ)』 と呼ばれる場所であり、 鶴岡八幡宮寺 (鶴岡八幡宮は、明治以前は 『 鶴岡八幡宮寺 』 という神仏習合の寺院であった) に仕えた僧侶の住坊があったとのことである。
狭い車道を進んでいくと、やがて道は県道21号線にぶつかり (今朝ほど常楽寺見学の後に横切った道でもある)、 鶴岡八幡宮の裏手に出たのであった。時刻は 12時26分。左に曲がって鎌倉駅を目差す。
途中、丸山稲荷社のある裏手から鶴岡八幡宮の境内に入り、本宮、舞殿を見た後、鎌倉駅には 13時1分に到着したのであった。

本日は、恒例の鎌倉散策の下見と企画の見直しをすべく、 大船駅を起点として六国見山、明月院のコースを辿ったのだが、それでもこれまでの 3回のコースに比してかなり距離が短く、 ここはさらなる工夫が必要と感じたのであった。常楽寺の裏手にある木曽義隆の墓も見るなど、もう少し幅を広げねばなるまい。
とは言え、大船切通など個々には魅力的な場所があるので、まあ何とかなろう。
当日が晴れることを期待するとともに、一方で猛暑とならないことを願うばかりである。


雪の塔ノ岳  2017.4 記

山に行こうとする度に山に雪が降ってしまい、 アプローチも含めた現地の状況が分からないために山行を取りやめるといったことが何回か続き、気が付いたらもう 3月も終わりである。
反省すべきは、好天が続いた 3月の 3連休を混み合うのが嫌でパスしてしまったことで、その時期には簡単に登れたであろう山々も、 場所によってはまた雪が深くなっているようである。

ということで、少々焦りが出てきている中、鈍った身体を何とかすべく、急遽 丹沢の塔ノ岳に登ることにする。
やや登山回数の帳尻あわせの感もあって塔ノ岳には大変申し訳ないが、やはり大倉尾根は何回も登っているため、小生としては今更という感が強く、 あまり食指が動く山ではないのである。しかし、アプローチも含めて今現在登ることができそうな山は数が限られている訳で、 それならば近間の山にすべしと思って今回選んだ次第である。

3月29日(水)、5時30分に横浜の自宅を出発する。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、秦野中井ICまで進む。ICからは県道71号線を北に進み、西大竹の信号にて左折、 後は新橋の丁字路にぶつかるまで道なりである。
その新橋の丁字路を右折すると、すぐに大倉入口の信号が見えてくるので、そこを左折してこれまた道なりに進んで行けば塔ノ岳の登山基地となる大倉に至る。

大倉の有料駐車場には 6時30分に到着。
身支度を調えて 6時37分に出発する。平日にも拘わらず駐車場には 10台ほどの車が駐まっていたので、先行者はいるようである。
バスのロータリーの所にある登山ポストに用意してきた登山届を出した後、山の方へと進む。周囲は明るい日差しに包まれ始めてはいるものの、 空は真っ青とはいかず、薄い雲のベールがかかっている。
車道を緩やかに登る。前回 (2016年1月) 塔ノ岳に登った時は、途中から山神社の方へと進んだのだが、本日はそのまま真っ直ぐ進む。
やがて、有名な ? 丹沢クリステルの人形が立つ分岐となり、そこを真っ直ぐに進んで山に入っていく。
周囲は杉林となるが、花粉症の小生としては、下山後の鼻の状態が大いに心配になる。

道はすぐに舗装道から砂利道へと変わり、緩やかながら高度を上げていく。
途中、右手の樹林が切れて三ノ塔方面が見えるようになるが、こちらも後方に青空はなく、雲が多い。
本日の天気予報は晴れとなっているが、果たしてこの先どうなることであろうか。
また、三ノ塔には白い部分がかなり目立っているので、尾根上の雪の量はかなりあるようである。
樹林越しに朝日を浴びながら高度を上げていくと、やがて観音茶屋に到着。時刻は 7時4分。
雪を警戒してのことなのであろうか、登山道を覆っていたFRP波板 ? の屋根は取り外されている。
やや暑いので、この茶屋にてフリースを 1枚脱ぐ。

観音茶屋を過ぎ、さらに杉林の中を登っていくと、すぐに大倉高原山の家経由の道との分岐に到着する。時刻は 7時9分。
ここはいつも通りに右に曲がって大倉高原山の家はパスする。
道は斜面をジグザグに登っていくが、本日は身体がかなり重く感じる。考えたら、3月8日(水)の水晶山、古礼山の登山以来の山であるし、 またその山行以来ほとんど運動らしいことをしていないので身体がかなり鈍っているようである。
毎回、山に登る度に普段の運動不足を反省するが、下山するとすぐにそのことを忘れてしまうので、今度こそ毎日 8,000歩以上の速歩きを続けるようにしようと決意を固くする ??

少し喘ぎつつも、7時22分に雑事場 (ぞうじば) ノ平を通過。
ここからは林道のような平らな道が続くようになってホッとするが、その距離は短く、すぐに前方に見晴茶屋が見えてきて道は登りに入る。
なお、この見晴茶屋の前からは秦野の街並みが見えるのだが、逆光気味ということに加え、全体的に春霞がかかっているようで、 先の方はほぼ真っ白である。時刻は 7時26分。
ここからは急登が始まる。鈍った身体にはこれがキツイ。最初は岩がゴロゴロした中を登り、途中からは丸太の階段が続くようになる。
この大倉尾根がイヤなのは、如実に体力が落ちていることを思い知らされるからで、本日も身体が重い上に太腿の裏に張りを感じるなど、 日頃の運動不足を実感する。
もう一つイヤなのが、この先に何が現れるかがほぼ分かっていることである。初めての道を登る時のようなワクワク感は全くなく、 まだ通過していない色々な場所が思い浮かんでしまうため、ため息が出てしまう。

それでもキツイ登りを何とかこなしていくと、木道が現れて傾斜が緩み少し楽になる。なお、ここまで雪は全くない。
その木道が終わると再び登りとなって息が上がる。ここで、1人に追い抜かれたが、7時過ぎに到着するバスに乗ってきた方であろうか。
7時46分に一本松を通過、登りはまだ続く。石畳のように整備された道を登っていくと、やがて傾斜が緩み、ベンチが現れた先からはほぼ平らな道に変わる。
途中、少し登りがあるものの、さらにその先でも平らな林道のような道が続く。いつもそうだが、この場所に至ると嬉しくなってくる。
また、道の両脇には樹肌がツルツルした木が並んでいるものの、葉が落ちており全く種類は分からない。

歩き易かったこの平らな道もやがて再び登り勾配となり、周囲は再び杉林に変わる。
そして、少し荒れ気味の道を登り、丸太の階段を喘ぎつつ昇って行けば、やがて上方に駒止茶屋が見えてくる。時刻は 8時5分。
茶屋の向かい側にあるベンチの脇から塔ノ岳方面を見ると、その上方にはガスが掛かっている。
ただでさえあまり高くないテンションがさらに下がる。
そう言えば、この駒止茶屋に至る迄に左手樹林越しに富士山が見えなければならないのだが、雲で全く見えない状況であった。 どうやら、本日、山からの展望は無理のようである。

駒止茶屋からは杉林の中の木道を進む。緩やかに木道を登り、さらに土の道、丸太の階段を進んでいくと、またほぼ平らな道が現れる。
傍らの標識には 『 塔ノ岳 2.8km 』 とあるので、遅いペースながらも行程消化はそれなりに進んでいるようである (丹沢クリステルの人形が立つ分岐にある標識には 『 塔ノ岳 6.4km 』 と書かれている)。
一旦 木道を下ると、またまた平らな道になるが、恐らく記憶ではこれが最後の平らな道のはずである。
昔トロッコの線路が走っていたのではないかと思われるような平らな土手のような道を進み、 再び登りに入るとやがて道は左へと登っていくようになり、登り着いた先には堀山の家が現れる。時刻は 8時27分。
ベンチで暫し休憩。ここから富士山が見えることに昨年気が付いたのだが、本日は白いカーテンに覆われていてその姿は全く見えない。

8時33分に出発。なお、ここまでの道、さらにこの小屋での休憩中にもかなりの数の人達に追い抜かれたが、 皆さんこの尾根を登り慣れているようで体力もあり、羨ましい限りである。
ここからは岩が露出した、やや歩きにくい道をジグザグに登る。
途中、樹林が切れて富士山が見通せる場所があるのだが、やはり本日は何も見えない。テンションがますます低くなる。
身体が鈍っていて思うように足が進まないのに加えて、このように気落ちしていてはさらに足が遅くなる。
やがて長い丸太の階段を昇るようになると、周辺に雪が現れ始める。
歩幅が決められるために余り得意ではない階段を喘ぎつつ登っていくと、途中、天神尾根の分岐を通過する。時刻は 8時51分。
本日は塔ノ岳ピストンのつもりであるが、大倉尾根は昼過ぎにはドロドロとなることが予想されるため、そのまま同じ道を戻るのはどうも気乗りがせず、 従って、本日は天神尾根を下ることとし、提出した登山届にもそのように記入しているのである。

キツかった道も傾斜が緩み始め、足下は木道に変わる。
木道の上にも雪が残っており、足下が少し滑るようになる。何人かは途中にあるベンチにて軽アイゼンなりチェーンスパイクを装着していたが、 ベンチが空いていなかったので小生はそのまま進む。
ほぼ平らな木道はすぐに丸太の階段へと変わり、花立に向かってのキツイ登りが始まる。雪に覆われた丸太の階段、そして岩場の道を登るが、 やはり足下がやや滑る。さらには、時々周囲にガスが立ちこめるようになり、ますますテンションが下がって歩みが遅くなる。

本来ならば富士山がよく見えるはずの岩場の道を登り終えると (ガスが出ていることもあって展望は全く無い)、 また丸太の階段が続くようになる。この階段は花立山荘まで続くはずである。
周囲の雪はさらに多くなり、階段の踏み板に相当する部分にもかなり雪が残っていて、 それがギュッと踏まれた形なので、滑らないように注意しながら昇る必要がある。
喘ぎながらも階段を昇り続ける。足が怠くなり、乳酸が溜まっているというイメージが頭に浮かぶ。
こういうひたすら階段を昇って行くというパターンは本当に苦手で辛い。また、後ろには登山者が続いているので、 このところほとんど山中で人に会わない山登りが続いている身にとっては、後続者がプレッシャーに感じられる。
なるべく立ち止まらないように頑張り続け、何とか階段を登り切り、花立山荘には 9時19分に到着する。 ここまでかなり時間がかかってしまった。

空いていたベンチに腰掛けて食料を補給。一息ついたところで周囲を見渡すが、 ガスが流れている状態なので、近くにある鍋割山稜の斜面が辛うじて見える程度である。 本来ならば、ここからは富士山や愛鷹山、そして相模湾などがよく見えるのに大変残念である。
9時26分に出発。その際、この先さらに雪が多くなると思われるため、チェーンスパイクを装着する。
山荘の横を通り緩やかに登って行く。確かに雪はこの辺から俄然多くなり、丸太の階段もかなり雪で埋まっている。
周囲は完全に雪景色となった中、斜面をジグザグに登ってやがて花立に登り着く。本来ならば、木道の先に塔ノ岳の姿が見えてくるのであるが、 本日は全く見ることができない。

道は一旦下りとなり、狭い尾根道を進む。ただ、雪は多いものの、 道はよく踏まれており、しっかりと雪の中に幅のある溝ができているので安心である。
小さなアップダウンを繰り返しながら進み、ロープやパイプ柵のある細い尾根を通り越していくと、やがて道は再び登りとなり、 その先に標識が見えてくる。金冷しに到着である。時刻は 9時43分。
ここは丁字路になっており、左が鍋割山方面、そして塔ノ岳は右である。どちらにも雪の中に溝状の道ができている。
右に曲って緩やかに登っていく。周囲は完全に銀世界、冬に逆戻りしたかのようである。

なお、今朝ほど一本松の所で、短靴を履いてゲイターも付けていない若者に追い抜かれたが、 その際に上は雪なので大丈夫かと声を掛けたのだったが、これ位よく踏まれた溝状の道ならば靴に雪が入ることもなく、問題なく登れたことであろう。
しかし、恐らく昨日であれば完全にツボ足や、ラッセルが必要であり、とても短靴では無理だったはずである。 こうした山の状況が分かっての短靴だったのだろうか、それともたまたま運が良かっただけなのか・・・。
一方、溝の道がしっかりできているとはいえ、擦れ違いはかなり厳しい。当然擦れ違う際にどちらかが除けねばならないのだが、 溝を外れるとかなり足が雪に沈む。雪は多いところで 50センチ以上あるのではなかろうか。

喘ぎながら登り続ける。ほとんど展望が得られない状況であるが、 途中、樹林が切れたところから蛭ヶ岳方面が見えるようになる。本日は全く展望がないと思っていただけにこれは嬉しい。
不動ノ峰が大きく見えており、その左後方に棚沢ノ頭が被さるように見え、さらにその後方に蛭ヶ岳の頂上部分が見えている。
それらの山肌は雪の白と木々の茶色からなっているが、蛭ヶ岳の方は白さが目立っている。そして、その後方に青空は全く見えず、 どんよりと曇った状態である。

小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて前方に塔ノ岳の姿が見えてくる。もう少しである。
最後の登りにかかる。本来はこの辺は階段のはずであるが、雪が多く完全に雪の斜面になっている。
実際、アイゼン無しで頂上から下って来る方の中には、この斜面の下りでかなり苦労されていた人もいたのであった。
喘ぎつつ雪の坂を登り、塔ノ岳頂上には 10時4分に到着。ガスで全体が覆われており、尊仏山荘も霞んで見える程である。
雪の上に辛うじて顔を出しているテーブルに腰掛けて暫し休憩。ありがたいことにここからも蛭ヶ岳を見ることができるが、 その頂上付近は時々ガスに覆われるといった状況である。
しかし、それにしても平日だというのに人が多い。また春休みなのであろう、親子連れも何組か見受けられる。

10時22分に下山開始。
ただ、体力不足、日頃の運動不足を痛感した今回の塔ノ岳であるが、一方で、あまりにも雪がよく踏まれていてほとんど雪に苦労することがなかったため、 逆に少し物足りなさを覚える。
従って、このまま往路を戻り、途中から天神尾根を下ったとしても、あまり満足感は得られないと思い、 急遽 鍋割山経由にて下ることにする (先程 鍋割山方面にも道がしっかりできていたことが大きな決め手となった)。
雪の斜面を下る。チェーンスパイクを装着してはいるものの、どうも心許なく、軽アイゼンの方が良かったようである。
周囲にガスが漂う中を下り、金冷しには 10時34分に戻り着く。

先程 頂上で決めたように、ここからは鍋割山の方へと進む。
こちらにも雪の中に溝状の道ができているのでありがたいことであるが、その幅は塔ノ岳へのそれに比べてかなり狭い。
少し下った後、小さなアップダウンを繰り返し、その後 階段を下る。前方にはガスの中にこれから登る大丸が見えている。
一旦 大丸との鞍部に下り立った後、登りが始まる。この斜面では今までのような溝状の道にはなっておらず、足跡はかなりばらけている。
その中の一番歩き易そうな踏み跡を選び斜面を登る。所々に夏道の階段や丸太、そしてロープが雪の中から顔を出しているのだが、 踏み跡はそれを無視して登っていく。
雪は多いところで 50センチ近くあるが、ありがたいこと足を取られることはほとんどない。本日は気温が高くなるはずであったが、 今は結構寒いのが幸いしたようである。

斜面にバラバラについていた足跡もやがて 1本の溝状の道に再び集約される。
そして、傾斜が緩んだ先に 『 大丸 1,386m 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 10時48分。
そこから暫く平らな道を進んだ後、道は下りに入る。
周囲は完全にガスに覆われるようになり、ガスの中にボーッと浮かび上がっているブナの巨木がなかなか幻想的である。
また、先程の大倉尾根の喧噪が嘘のように周囲は静かである。
しかし、雪の上に足跡というか溝があるから良いものの、真っさらな雪だった場合には少々このルートを辿るのは難しい気がする。
本来迷いようのない明瞭な道があるためであろうか、テープなどはほとんど見られないからである。
ありがたく雪に付けられた溝を辿らせてもらう。

ここからは小さなアップダウンが続く。ガスは周囲を完全に覆っており、 先の方を見てもそれ程見通せない。
もう少しガスが濃くなればホワイトアウトを起こすこともありうるが、恐らく雪の上の足跡が道迷いを防いでくれるであろう。
展望の無い中、黙々と進み、11時4分に小丸尾根への分岐 (二俣分岐) を通過する。昨年、この小丸尾根も下りに利用したのであったが、 今は途中に枝落下などの危険があるため通行止めになっているようである。
道はこの後も小さなアップダウンを繰り返す。雪は多いものの、途中、平らとなっている部分では土が少し露出している所も見受けられる。 風が強く吹き抜ける場所なのかもしれない。
ガスの方は相変わらずであるが、それでも時々見通しが良くなって先の木々がよく見えるようになる。しかし、展望の方は全く得られない。

11時16分に小丸を通過。そこにある標識には 『 鍋割山 0.9km 』 とある。
さらに少し進むと、テーブルのある場所に至る。本来ならばここから富士山と鍋割山が見えるのであるが、本日は真っ白で何も見えない。
緩やかに下った後、また少し登り返し、また下りに入る。ここも富士山がよく見え、 しかもその真下に鍋割山が見えるはずの場所であるが今はすぐ近くの鍋割山さえも見ることができない。
ここからも小さなアップダウンを繰り返す。やがて、道は見覚えのある柵に囲まれた細い尾根道を通過し、緩やかな登りに入る。
少し登って見上げれば、ガスで視界が良くないにも拘わらず、樹林の間から建物が見えるようになる。鍋割山荘はもうすぐである。

そして、雪がかなり深い中に作られたいくつかの溝状の道の一つを進み、頂上標識の立つ場所には 11時46分に到着する。
その後、ベンチの方に進んで小休止する。無論、展望は全く無い。
ベンチにて少々食べ物を口にした後、11時51分に下山を開始する。柵に囲まれた道を下る。
なお、この金冷し−鍋割山間では 4人しか会わない静かな山歩きができたが、この鍋割山は人が多いようである。外に人影はないものの、 建物の前には沢山のザックがおかれていたので、山荘内では多くの人が憩っているものと思われる。

また、ここからの下りでも多くの人と擦れ違うことになる。
しかし、先程の若者と同じように短靴にて登って来られた方もかなりおられ、また小丸と鍋割山の間では手袋を持参し忘れたと思われる方が寒そうにポケットに手を突っ込んで歩いているのを見かけたのであった。
確かに平地の陽気は春であるし、天気予報では本日は晴れて温かいことになっていたとはいえ、やはり山を軽く考えてはいけない。
幸い、この鍋割山や塔ノ岳までであれば短靴でも大丈夫ではあったが、それはたまたまのことであり、彼らは山頂付近の雪の状況をしっかり把握して登って来たのであろうか ?
近頃 山岳事故が多い中、低山と言えども万全な備えをして欲しいものである。

雪道を順調に下る。足下はよく踏まれた雪道が続くが、やがてその雪も途中から色が茶色に変わり始める。
そして徐々に雪が無くなり始めたので、擦れ違った方にこの先の雪の状況を聞き、その結果チェーンスパイクを外すことにする。
そこからはやや泥濘んだ道が多くなる。周囲の雪も徐々に無くなり始め、前方に栗ノ木洞が見えてきた頃には、雪もほとんど見られなくなったのであった。
少し荒れ気味の道を黙々と下る。先にも述べたように、かなり多くの人が登ってくる。塔ノ岳と並んでこの鍋割山もかなり人気のようである。 山荘での鍋焼うどんを楽しみにしている方もおられるようだ。
順調に下り、後沢乗越には 12時37分に到着。ここからは左に道をとって斜面をジグザグに下る。
桟橋を渡り、涸れ沢を越えて下って行くと、道はやがて杉の植林帯に入ていく。

意外と長い植林帯を抜けると、今度は後沢乗越ノ沢に下り立ち、小さな流れを渡渉することになる。
その後、ミズヒ沢を渡れば山道はそこで終わりとなり、ここからは林道が始まる。なお、その林道終点に車が 1台駐まっていたが、 この林道には関係者以外の車は入れないはずなので、この車の持ち主は鍋割山荘の関係者なのかもしれない。
さて、ここからは林道歩きが延々と続く。川を渡り、小丸尾根へと続く道の取り付き口を過ぎる。 先程述べたように、この小丸尾根を辿る道は現在通行止めとなっている。
その先で再び川を渡るとすぐに二俣である。時刻は 13時9分。そこにある標識には 『 大倉 4.0km 』 とあり、先はまだまだ長い。

黙々と林道を歩き、尾関広氏の胸像の横を 13時13分に通過する。林道はまだまだ続く。
なお、この長い林道歩きを終えるまでに 1人の女性と 2組のカップルを追い抜いたのだったが、大倉尾根の長い斜面と違って、 こういう平らな道では小生でもまだ速足が可能なようである。
しかし、ということは毎日 8,000歩以上を歩くだけでは駄目で、登山に必要な筋肉を鍛えることも必要だということである。
といったことを考えながら黙々と歩き続け、林道ゲートには 13時52分に辿り着いたのであった。しかしまだゴールではない。

ゲートの前を左に曲がって林の中に入る。その曲がり口にある標識には 『 ← 大倉 バス停 20分 』 とある。
林の中をグルリと周り、あまり役には立たないと思われる鹿除けゲートを潜る。
その後すぐに林は終わりとなり、細い道を進むようになるが、ここからは周囲の展望が開けるようになる。
左手を見れば、丹沢の表尾根がよく見えており、中でも烏尾山が存在感を示している。
細い道はやがて車道に合流し、右に進む。畑の中をほぼ道なりに進んでいけば、やがて前方に大倉のバスロータリーが見えてくる。
そして、14時7分に駐車場に到着したのであった。
大倉尾根の登りの状況を思うと、本日はかなり遅くなると思ったのだが、意外に早く戻ることができたのであった。

本日は、塔ノ岳には申し訳ないが、あまり気の進まない状態での登山であり、 その所為か、塔ノ岳までの道程では足が進まず、しかも運動不足を露呈させることになってしまったのだった。
一方で、雪は予想以上に多かったのは嬉しかったものの、あまりにしっかりした雪道のため却って物足りなさを感じた次第である。
そのため予定を変更して塔ノ岳−鍋割山間を歩くことにしたのだったが、これが大正解であった。 展望はなかったものの、雪山らしさを十分に堪能できて大変楽しい道程であった。
なお、昨年来、人があまりいない時に登っているため、かなり気ままな、楽なペースで登っていたのだったが、このように人が多く、 実力差が出る大倉尾根の登りでは、その楽をして登っていたツケが一気に回って来たようである。後ろから追い付かれるのは結構辛い。
やはり、しっかりと普段から身体を鍛えなくてはとまたまた反省した登山であった (何回目の反省であろうか)。


残雪の山を楽しむ (雁坂峠〜雁峠)  2017.3 記

2月15日に大山三峰山&大山に登った後、なかなか山に行けない日が続き、既に 3月も 1週間が過ぎてしまった。
無論、この間、全く山にトライしなかった訳ではなく、2回ほど朝 4時半に起床して山に行こうとしたのであるが、体調が悪かったり、 天候が芳しくなかったりで、結局 登るのを止めてしまったのである。

しかし、そうこうしているうちに近隣の山の雪はドンドンなくなりつつあり、 一方まだかなり雪のある地域には相変わらずアプローチができない状態が続き (ノーマルタイヤの問題)、少し焦りが出始める。
暫く悶々とした日々が続いた末、3回目のトライとなる 3月8日、漸く何とか山に向かうことができたのであった。
行き先は、雁坂峠から雁峠間の奥秩父の山 (水晶山、古礼山、燕山) で、昨年末に白沢峠経由にて笠取山に登った際、 できれば辿りたかった山域である。加えて、今回は稜線上にまだ雪がかなり残っていることを期待してスノーシューを担いで出かけることにする。

3月8日(水)は 5時過ぎに横浜の自宅を出発。空には雲がなく星が輝いており、天気予報通り本日は晴れそうである。
ただ、15時過ぎからは曇りということなので、早めにハイライト部分は通過してしまいたいところである。
いつも通り、横浜ICから東名高速道下り線に入った後、海老名JCTから圏央道に入る。平日のこの時間はトラックが多く、 なかなかスピードが出せないことにイライラしながら圏央道を北上し、八王子JCTから中央自動車道に入る。
天候はやはり快晴のようで、相模湖東ICの出口を過ぎると、前方の山の上方に真っ白な富士山の山頂部分が姿を現し、 さらには岩殿トンネルを抜けると左手に五合目付近より上の富士山がスッキとした姿を見せてくれテンションが上がる。 山からの展望が楽しみになる。
しかし、笹子トンネル、日影トンネルを抜けると見えるはずの南アルプスの山々には雲が掛かっていた。 さてこの後どうなることであろう。

勝沼ICで高速を下り、国道20号線、県道38号線、34号線、国道411号線など、いつも通りの道を辿って国道140号線に入る。
順調に車を進め、道の駅みとみには 7時2分に到着。駐車場には昨年白沢峠に登った際にお世話になった山梨市営バスが待機している。
道の駅のトイレを借用した後、身支度を調えて 7時15分に出発。車載の温度計はマイナス 1℃を示しているので、本日は比較的温かそうである。 なお、北の方角を見れば、青空を背景に鶏冠山、木賊山がスッキリと見えていて、気分が高揚する。

国道140号線を横断し、少し塩山方面に戻ると、すぐに 『 ← 雁坂峠登山道入口 』 の標識が現れるので、 標識に従って左の釣り場に至る道に入る。久渡沢沿いに進み、右にカーブして橋を渡るとすぐに林道にぶつかるので、 その林道に入って釣り場の脇を進む。林道は凍結した雪に覆われていて歩きにくいが、アイゼンを必要とするほどではない。
3分程歩くと、『 → 雁坂峠登山道入口 』 と書かれた立派な標識と、案内図が現れ、道はそこから山道に入る。時刻は 7時22分。
小さな檜林を抜け、カヤトの斜面を登り切ると、また別の林道に合流することになるが、その合流点には壊れかけた工事用バリケードに登山者名簿保管箱がぶら下がっている。 一応用意してきた登山届を入れはしたものの、中は登山届で満杯に近く、果たしてこの箱の存在が山梨警察に認識されているのか少々疑問である。 時刻は7時28分。

林道を左に進む。雁坂トンネルを掘った際の飯場であったと思われるプレハブ棟の横を通り、緩やかな勾配の道を登っていく。
この辺では足下にほとんど雪は見られないものの、国道140号線が通る鶏冠山大橋の下を過ぎると、やがて足下は 10センチ程の雪に覆われるようになる。 また、前方には本日目差す古礼山、水晶山と思しき山が見えている。
朝方のため良く締まった雪の上を進む。雪の上には足跡がいくつか見られるが、本日のものはないようである。
右にカーブして雁坂トンネル料金所を左下に見ながら進んでいくと、道はやがて下りに入り、左にカーブした先にて雁坂トンネルの駐車場からの道と合流する。
時間を短縮するために、こちらの駐車場に車を駐めても良かったのだが、そうすると雁峠から下山後にここまで登り返さねばならなくなるので、 それを避けた次第である。時刻は 7時42分。

この辺で林道の雪は無くなるが、一方で結構 勾配があるため、少々息が上がる。 なお雪は時々現れるものの、その量はかなり少ない。
林道を黙々と進む。時折 前方樹林越しに稜線が見え、雁坂嶺、東破風山と思しき高みが見える。
こちらから雁坂峠には数回登っており、その都度、この林道歩きは嫌だと思っていたのだが、最後にこの道を通ってから 7年ほど経っているためか、 今回は意外と新鮮に感じられる。
とは言え、この林道歩きはやはり長い。しかし、その林道歩きも、今までの登り勾配から雪道の下りに変わり、その先にて沓切沢橋を渡れば終了で、 その先から山へ取り付くことになる。

その取り付き口には 8時18分に到着。ここからは暫くジグザグに斜面を登ることになる。 残念ながら登山道に雪は無く落ち葉の道が続く。
高度を上げていく途中、左手の樹林が切れて南西方面の山が見えたが、その形から見て黒金山手前にある牛首、そしてお丸付近ではないかと思われる。 なかなか立派な形をした山であるが、これは下方から見上げているからであり、この後 これらの山々は黒金山が後方に現れることであまり目立たなくなる。
道は最初ジグザグに高度を上げるが、すぐに左下に久渡沢を見ながらの、斜面を横切るほぼ平らな道が続くようになる。
暫く黙々と進んでいくと、やがて足下に雪が現れ始める。雪は古いものらしく所々で凍ってはいるものの、ノーアイゼンで全く問題は無い。

ナメラ沢への降り口を過ぎると、やがて、道は少し下ってその先で小さな沢を横切ることになる。
ここの下りは岩場に雪が積もっており、また沢の周辺は水しぶきが凍った状態になっているため、足下がかなり危うい状態である。
しかも、道の左下、沢の水が下って行く先は急傾斜となっており、さらにその斜面は氷でコーティングされた状態なので、 滑落したらまずは助からないと思われる。
一応ロープが張られてはいるものの、かなり注意を要する状態なのだが、背中のザックから軽アイゼンを取り出して装着するのが面倒と思い、 ノーアイゼンのままで恐る恐る沢へと下りる。
幸い、滑ることなく岩場を下ることができ、ロープを掴んでからは足場を慎重に選びながら沢を渡ることができたのだが、 やはりこれは褒められたことではなかろう。
今年の元旦に雁坂峠付近の沢で遭難事故があり、2名がお亡くなりになっている訳で (無論、ここではない)、 こういう危ない場所は万全を期さねばならないのである。幸い何にもなかったが、これはたまたまであることを肝に銘じなければならない。

沢を渡ると暫く雪の無い道が続くが、やがて足下に雪が連続するようになる。
滑らないように注意して進んでいくと、今までかなり左下方に見えていた久渡沢との距離が縮まり、やがて道は河原の中を歩くようになる。
小さな流れを渡った後、両側を斜面に囲まれた谷状の中を進む。足下には雪、そして流れがあり、時々岩の上が凍ったりしているので注意しながら進む。 また、雪に覆われて足下の道が見えなくなっている箇所もいくつかあるが、周囲に疎らに生えている木々にテープが短い間隔で付けられているので迷う心配はない。
流れ (峠沢というらしい) の左岸を暫く進んでいくと、やがて足下の雪もほとんど無くなり、その後 丸太の橋にて右岸へと渡る。
このまま河原を進むのかと思ったら、道は斜面に取り付くようになる。小さな岩がゴロゴロした斜面を少し登った後、 道は右下に流れを見ながら斜面を横切って進むようになる。

勾配はほとんどなく歩き易い道が続く。この道は過去に数回歩いているが、 最後に歩いたのは 7年前であることから、記憶もやや薄れ気味のようで、結構 新鮮に感じる。
ただ、四角い岩の上を水が流れ落ちているところをロープにて登らねばならない場所があることは覚えているので、もう一度河原に下りるのであろうと思いながら進んでいくと、 その場所は今歩いている道の右下に見えたのであった。ルートが少し変更されたようである。
また、この辺は日当たりが良く、気持ちよく進むことができる。
道はやがて左側の斜面をジグザグに登り始めたので、このまま雁坂峠へと向かうのかと思いきや、途中から再び斜面を横切ってまっすぐに進むようになり、 その後 小さな流れの井戸沢を横切ることになる。

井戸沢を過ぎて少し高度を上げていくと、南側が少し開けた場所に出る。
そこからは毛無山が見え、さらには黒金山とその手前にある牛首がチラリと見える。
道の方は真っ直ぐながらもやや勾配のある道が続き、周囲の木々も今までのブナやコナラなどの落葉樹からシラビソ、コメツガなどの常緑樹が目立つようになる。 また、足下は落ち葉しかなかった状態からササ原に変わり始める。
道はやがて左手の斜面をジグザグに登るようになる。登るに連れて展望も徐々に開け始め、水晶山から西に下る斜面の後方に富士山がチラチラ見えるようになるものの、 樹林が邪魔をしてなかなか見通すことができない。

しかし、さらにジグザグに斜面を登っていくと、樹林が切れて開けた場所が所々に現れるようになる。
黒金山から乾徳山へと至る尾根がよく見えるようになり、乾徳山の左後方には七面山が確認できる。
七面山の左には十枚山らしき高みが見え、その左に毛無山が続く。毛無山の左下方には竜ヶ岳が見え、さらに左に王岳、鬼ヶ岳、節刀ヶ岳などの山々が続いている。
そしてさらに左に富士山が見えているのだが、残念ながらその左斜面には雲が絡んでいて、今朝ほど岩殿トンネルの先にて見えたスッキリとした姿にはほど遠い。 また、富士山の手前には節刀ヶ岳から続く御坂黒岳も見えている。

九十九折りの道は何回も富士山を見せてくれてなかなか楽しいが、時刻は 10時を回っており、少々疲れが出始める。
いくつかある見晴らしの良い場所の 1つで休む手もあったが、富士山に絡む雲の具合を見ると、ドンドン悪い方向に進んでいるようなので、 早く雁坂峠に到着すべく頑張ることにする。
そのジグザグの道はやがて終わりとなり、道は東に向かってまっすぐに進むようになる。足下のササも膝下くらいまでの高さになり、なかなか気持ちの良い道が続く。
見上げれば水晶山から雁坂峠方面へと続く稜線が見えるが、そこまでまだまだ距離がありそうである。
また、振り返れば黒金山の右後方に北奥千丈岳、国師ヶ岳がよく見えるようになり、さらにその後方には金峰山の東側にある朝日岳と思しき高みも見えている。 そして左上の斜面を見上げれば、ササ原が上方へと延びており、その後方には青空が見えている。
爽快感を覚える景色であり、疲れた上に空腹を覚えてきてはいるものの、何とか雁坂峠まで頑張ろうという気持ちにさせられる。

やがて道はササ原の斜面をジグザグに登るようになる。これを登りきれば雁坂峠と分かっているので、頑張って進む。
一方、このササの斜面にはほとんど木がないので、展望は大きく開けることになる。
一時的ではあるが富士山に絡んでいた雲が少なくなっており、写真を撮りまくるが、すぐにまた雲が絡み始める。
明るいササ原の斜面を喘ぎつつジグザグに登る。足を止めて上を見上げるというパターンを繰り返しながらも何とか足を進めて行くと、 やがて先の方にベンチと案内標識が見えてくる。もう少しである。

そして、10時58分、雁坂峠に到着。この雁坂峠は明るく伸びやかで気持ちの良いところである。
左手を見れば、ササ原の斜面が雁坂嶺へと延びており、右手を見れば水晶山へと続く稜線が見えている。
無論 展望は大きく開けており、ここに至る迄に見えていた山々の展望の集大成といったところである。そこに付け加えるとすれば、 乾徳山から黒金山へと続く稜線の後方に布引山、笊ヶ岳、偃松尾山が確認できることであるが、 そのさらに後方に見えるはずの南アルプスの主役級の山々は雲に隠れてしまっていて見ることができない。

ベンチに腰掛けて暫し休憩する。空腹を満たした後、これから進む方向を見ると、 この雁坂峠周辺には雪が多いものの、この先は日当たりが良いためか、尾根上に雪が少ないようである。
これはスノーシューの出番はないなと判断し、代わりに軽アイゼンを装着して 11時22分に出発する。
これで、この先も 2kg (スノーシューの重さ) のハンデを背負っての登りが続くことになるが、進むに連れて疲れが増してくることを考えるとこれは大変厳しい。

道は一旦下りに入った後、すぐに緩やかな傾斜の登りに変わる。左手を見れば和名倉山が見えている。
足下の雪は多い所もある一方で、ほとんど無いところもあって、やはりスノーシューの出番はないようである。
雪の上には明確な足跡が 1つあるのでありがたくその足跡を辿る。暫く小さなアップダウンを繰り返しながら立ち枯れ状態の木々が目立つ尾根上を進む。
振り返れば、雁坂嶺がドッシリとした姿を見せており、その左後方には東破風山、そしてそのさらに左後方に木賊山が見えている。
また、東破風山と雁坂嶺の間には三宝山らしき高みも少し見えている。

道の方は緩やかな登りが続くようになる。周囲にはササが見えているのだが、意外と足下の雪は深い。
スノーシューを装着すべきか迷いながら進んでいくと、今まで頼りにしていた足跡が突然終了となる。どうやら雪が深いということで引き返したらしい。
2階に昇ったら梯子をはずされた感じではあるが、ここまで来たのであるから最低でも水晶山までは行きたいところである。 意を決して足跡のない雪の中に足を踏み入れる。
これは苦労するかもしれないと思いつつ膝下まで雪に潜りながら暫く進むと、ありがたいことに左下に足跡があることに気がついた。
こちらの足跡は水晶山方面から下ってきたもののようであるが、とにかく先への標 (しるべ) が見つかったのはありがたい。 これで樹林帯に入った時にルートを探す苦労から解放されるからである。

その踏み跡を忠実に辿っていくと、やがて標識が現れる。雁坂小屋への分岐で (雁坂峠からも小屋へは行くことができる)、 さらにその標識には 『 この場所のほぼ真下に国道140号雁坂トンネルがあります。2,070m 』 と書かれたテープが貼ってある。時刻は 11時41分。
そこから少し進むと、道は樹林帯に入る。足下の雪は多い所で膝上までとなり、2、3歩進むとズボッと足が大きく沈むような状況である。
ここでスノーシューを装着すれば良かったのだが、周囲に雪が多いためザックからスノーシューを取り外して装着するのに適した場所が見つからない上に、 何よりも面倒臭さが先に立ち、踏み跡をしっかり辿れば何とか潜る度合いも少ないはずと自分に言い聞かせてそのまま進むことにする。
とは言え、やはり突然に足を踏抜くことになるのは体力的に辛い。まあ、ラッセルすることを思えば文句を言えないところではあるが・・・。

しかしそれにしても、雪の上に足跡が残っているのは本当にありがたい。
踏み抜き回避のこともあるが、それ以上にありがたいのはルートファインディングしないで済むことである。
この足跡を残してくれた人は、展望の利かない樹林の中をよくもまあクネクネとルートを選びながら進むことができたものだと感心する。
シラビソ、コメツガの林の中、足跡を辿りながら進む。時折 雪に足を取られて身体に応えるものの、樹林越しに日が差し、周囲が明るいのがありがたい。
辛い斜面の登りが長く続いていたが、やがて徐々に傾斜は緩み始め、さらには樹林の向こうに空が見え始める。
水晶山は近いに違いないとの期待が湧く。早くこの地獄から解放されたいところである。

そして、足下がほぼ平らになってきたかと思うと、左手の先に立派な標識が見えてきた。
漸く水晶山に到着した訳で、雪の中の登りからの解放である。時刻は 12時23分。
東西 ? に細長い頂上は樹林に覆われていて展望が利かない。
標識のそばにあるテーブルに腰掛けて暫し休憩。ノドを潤すとともに、荒れた呼吸を整える。
さて、ここから戻るということも考えられるが、この先にも先程の方の足跡が続いているようなので当初の予定通り古礼山、そして雁峠を目差すことにする。 12時26分に出発、すぐに下り斜面に入る。

水晶山からは右に折れて南下することになるので、日当たりが良く、 斜面には雪が少ない。水晶山までの雪の量が嘘のようである。
また、下りでは足が進み、快調に下る。
立ち枯れとなっている木々の間を抜け、小さなアップダウンを繰り返していくと、やがて左手樹林越しに和名倉山が見えるようになる。
そして、その右には、和名倉山から右(南)に続く吹上ノ頭、東仙波といった高みを有する稜線が見えており、そのさらに右には唐松尾山が見えている。 また、和名倉山と東仙波を結ぶその稜線の後方には芋木ノドッケと思しき高みが少しだけ見えている。
水晶山への登りではほとんど展望を得られなかっただけに、展望が得られると嬉しくなる。

細い尾根まで下った道はそこから古礼山への登りへと変わる。この登りでも雪の道が続くが、雪の量は少なく、踏み抜きはほとんどない。
やがて道が少し下りになると、その先に標識が見えてくる。この標識は古礼山を巻く道と頂上を通る道の分岐を示しているが、 左の巻き道方面には雪の上に全く足跡がない。時刻は 12時52分。
ここからは意外とキツイ登りが待っている。さらには、ほぼ一直線の登りなので余計に辛く、背中の荷物が重い。
少し登っては上を見上げるという、疲れた時にいつも出るパターンを繰り返しながらも登る。
しかし、ありがたいことにこの登りの距離は短く、やがて傾斜は緩みほぼ平らになる。
その後、足跡を辿ってクネクネと樹林帯を進んでいくと、やがて水晶山と同じく立派な標識の立つ古礼山山頂であった。時刻は 13時6分。

ここからの展望は素晴らしい。先程の雁坂峠では左右をそれぞれ水晶山、雁坂嶺の斜面にて囲まれていたため、 展望できる範囲が限られていたが、ここは目の前に 180度近い展望が広がる。
従って、先程 雁坂峠から見えた時よりもかなり多くの山を見ることができる。残念ながら、ほぼ正面の富士山はその頂上付近が雲に覆われてしまっているものの、 雁坂峠から見えた山々に加え、富士山の左下には三ツ峠山が見え、富士山とこの古礼山の間には倉掛山も見ることができる。 三ツ峠山の左には杓子山、鹿留山がうっすらと見え、その左手前には南大菩薩の山々が続く。
南大菩薩の山々のさらに左には黒岳、牛奥ノ雁ヶ腹摺山といった小金沢連嶺の山々が続き、その小金沢連嶺の山々の先頭に立つようにして大菩薩嶺が大きく翼を広げている。
大菩薩嶺の左後方には雁ヶ腹摺山、大樺ノ頭が続き、さらにその左奥には大室山、檜洞丸、蛭ヶ岳、丹沢山などの丹沢山塊が見えている。

2分程 景色を楽しんだ後、頂上を後にして東側の開けたササ原の方へと進む。
風が強く吹き付けてくる中、その原の所で立ったまま少し休憩し、13時17分に出発する。
それにしても、この古礼山の東側はカヤトの原となって大きく開けていることに驚かされる。古礼山には 2002年に登ったのが最後であるが、 それから 15年経っているためこのように大きく変化したのか、それとも過去に登った時には天候があまり良くなかったために気がつかなかったのか・・・。 もう少し風が弱く、さらにスッキリとした天候であれば、ここは長居をしたくなる場所である。
ササ原を緩やかに下り、先程の巻き道の東側の分岐を 13時21分に通過する。
さらに緩やかに下って行くと、先の方に高みが見えてくるが、これは燕山ではないはずである。先はまだまだ長い。

左手に和名倉山、右に大菩薩嶺や富士山を見ながら前方に見える高みとの鞍部を通過する。
この辺は風が強く、心なしか先程の古礼山頂上よりも温度が下がっているようで、顔、特に頬が強ばる。
太陽は雲に隠れることが多くなり、時々雲間から顔を出すといった状況。しかし、陽が差すとかなり温かくなるから太陽はやはり偉大である。
樹林帯の登りに入り、その高みの頂上部を巻いて進んでいく。雁峠側から古礼山に訪れる人が多いのか、こちら側にも雪は多いものの、 結構 雪は踏まれている。
道はすぐに下りに入り、小さなアップダウンを繰り返しながら次の高みとの鞍部へと下って行く。ここも風が強く、頬を強ばらせる。
前方に見える高み (恐らく燕山) の左側には唐松尾山が見え、右後方には飛竜山が見えている。

気持ちの良いカヤトのほぼ平らな道を進み、さらに一段下って鞍部に至り、燕山への登りに入る。
この辺は木も疎ら、立ち枯れも目立ち、右手の展望も良いので大変気分の良い場所であるが、何度も言うように本日は風が冷たすぎる。
カヤトの細い尾根を緩やかに登り、一旦ピークらしきところに登り着くがここは燕山ではない。少し下り、また細い尾根を登り続ける。
この辺は立木が細く、また細いながらも倒木があって少し歩きにくい。
道は先の方に現れた高みを巻くように北側を進む。この辺はシャクナゲが目立つが、まだ葉を丸めた状態である。
道は急斜面を横切って進むことになり、雪の上に付けられた道も狭いので、足がもつれないように慎重に進む。

そこを通過すると、すぐに再び明るいカヤトの尾根に至り、その後、樹林の中、斜面を緩やかに登っていく。
やがて道の傍らに 『 雁峠 0.9km 雁坂峠 4.7km 』 の標識が現れる。時刻は 14時10分。
標柱の方には 『 燕山 』 と書かれているが、本当の頂上は左手の高みなので、道を外れて頂上へと進む。
一登りすればすぐに燕山頂上で、そこには手書きで 『 燕山 2004m 』 と書かれた標識が木に括り付けられている。
前回、この燕山頂上を踏んだ時にはもう少し木々が煩いという気がしたが、今はこの頂上周辺はかなりスッキリとしている。

すぐに Uターンして縦走路に戻り先へと進む。
ここからは緩やかな下りが続く。ジグザグに斜面を下っていくと、一旦少しまっすぐな尾根道になった後、また緩やかな下りとなる。
一方、足下の雪は徐々に無くなり始め、土や岩の部分が目立つようになる。こうなると軽アイゼンではバランスが悪く邪魔になるだけなので、 ここで軽アイゼンを外す。
見上げれば、樹林の間から大菩薩嶺が見えるが、先程まで右後方に重なっていた小金沢連嶺の山々が見えなくなっているので、 その姿はスッキリとしている。また、左手樹林越しに笠取山がチラチラ見えるようになる。

やがて道は樹林を抜け、カヤトの原の下りに入る。
笠取山もよく見えるようになり、その右手下方には小さな分水嶺も見えている。
また下っている斜面の先には雁峠のベンチ、案内標識も見えている。もう少しである。
滑りやすい、少し泥濘んだ斜面をジグザグに下る。
途中、右手に富士山が見えたが、富士山はここで見納めのはずである。尤も、富士山は最早ほとんどが雲に覆われてしまっているが・・・。
雁峠には 14時33分に到着。テーブルに腰掛けて暫し休憩する。
ここも風が吹き抜けているものの、少し弱まっているためか、寒さはあまり感じない。

14時43分、下山開始。先日 笠取山に登った時と同じ道を下る。
最初は雪の無い道が続くが、沢の流れが現れ出した所で、周囲は雪景色へと変わる。
軽アイゼンを再び装着するのも面倒と思い、そのまま下ったのであるが、凍っている箇所も結構多く、軽アイゼンを装着した方が効率的だったかもしれない。
この道は先日下ったばかりであることもあって迷うこと無く順調に下り、また何回かある渡渉も難なくこなし、やがて亀田林業林道に出たのだったが、 この林道にはかなり雪が残っている。雪は深くはないものの、凍った箇所がいくつもあるので慎重に進む。

雪道が続いたからであろうか、前回は長く感じた林道も意外と倦むことなく進み、16時22分にゲートを越えて舗装道に入る。
そして、国道140号線には 16時31分に合流したのであった。
しかし、ここから道の駅みとみまでは緩やかながらも登り勾配なので、少々辛い。
完全に凍結している広瀬湖を左下方に、そして前方に木賊山の姿を見ながら進む。背中の荷物が重い。
そして、駐車場には 16時46分に戻り着いたのであった。

本日は、3回目のトライにて漸く雁坂峠 〜 雁峠間を歩くことができたが、 やはりこの間に雪解けは進んでしまい、折角 担いでいったスノーシューの出番がなかったのが残念であった。
しかし、それでも残雪の山を楽しむことができ、また誰にも会うことなく山を独占できたことが嬉しい。
楽しい 1日であった。


快晴時に登る大山三峰山  2017.2 記

2月9日、そして 10日に降った雪はまたまた登山の行動範囲を狭めてしまう。
なかなか道路状況が分からない中、どうやら東丹沢の方はノーマルタイヤの車でもアプローチが可能らしいと知ったが、 やはり大倉尾根中心の登山ではあまり食指が動かない。
そこで色々検討した結果、大山三峰山 (北峰、中峰、南峰) に登り、さらには大山まで足を延ばすことを計画する。
理由は 2つ。1つは、大山三峰山には昨年の 3月に登ったばかりではあるものの、その時にはほとんど展望を得ることができなかったので、 晴天の下で登ってみたいと思ったこと。
もう 1つは、近頃 身体にあまり負荷をかけない登山が続いているため、少しロングコースを歩こうと思ったからである。

2月15日(水)、5時40分過ぎに横浜の自宅を出発する。上空には星が瞬いており、間違いなく本日は晴天のようである。
前回の大山三峰山登山の時と同様、国道246号線・129号線を進み、妻田の交差点を右折した後は、一般道、国道412号線を経て県道60号線へと入る。 飯山温泉を抜けた後、尾崎の信号からは県道64号線へと変わるが、基本的に県道60号線に入ってから清川村役場向かい側の駐車場 (道の駅 清川第一駐車場) まで道なりである。
その駐車場には 6時35分に到着。道の駅のトイレをお借りした後、身支度を調え、6時47分に出発する。
雲一つ無い青空が上空に広がっているが、少し風が強いのが気になるところである。

県道64号線をさらに先へと進む。左手上方を見上げれば、大山三峰山へと連なる尾根が朝日に赤く染まりつつあるのが見える。
煤ヶ谷のバス停を過ぎて谷太郎川に架かる橋を渡ったところで県道を離れて左折する。
暫く川沿いに進んでいくと、記憶通り、今歩いている道とは別に、右上方に登っていくコンクリート道が現れるのでそちらへと進む。
すぐに登山者カードのポストがある登山口で、事前に用意してきた登山届を投函する。時刻は 6時57分。
その登山口から法面の左下にある細い道を進んでいくと、すぐに右手の法面は草つきの斜面に変わり、一方で今度は歩いている左側が低くなって、 そこの法面の上を歩くことになる。この辺は朝日が当たって周囲が黄色に染まっている。

道は樹林帯へと進み、鹿除けのゲートを潜るとそこから本格的な山道が始まる。
傍らの標識には 『 物見峠 3.0km 三峰山 5.0km 』 とある。これに大山往復を加えたら、本日は何キロ歩くことになるのであろうか。
道はすぐに杉林の中の溝状の道を緩やかに登っていくようになる。
そして、その溝状の道が終わると、やがて目の前に壁のような斜面が現れるが、道はその斜面を避けるようにして左へと曲がっていく。
斜面の縁を横切るように進み、山襞に沿ってクネクネと曲がりながら高度を上げていく。
足下には落ち葉が敷き詰められている一方で、周囲にはアセビやシラカシなどの常緑樹が結構目立つ。
樹林越しの朝日を浴びつつ気分よく登っていくと、道は鹿除けネットにぶつかり、そこから右に折れて杉林の中をネット沿いに進んでいく。

その杉林を抜けると、暫く日当たりの良い斜面を横切る道が続き、前方樹林越しにはこれから進むと思われる尾根が見えてくる。
また、左手にはおむすび型の山が見えているが、鐘ヶ嶽であろうか。
道は緩やかに右へと曲がり、やがて、進む方向に土手のように左右に延びる尾根が見えてくる。これも記憶通りで、 道はここでもその尾根を避けるようにして左に折れ、尾根と平行するように進んでいくことになる。
1、2回ほど右手の斜面をジグザグに登るが、すぐに道は尾根に平行に進むようになって高度を上げていく。
壊れた鹿除けゲートを過ぎると、周囲は杉林となるが、所々で杉に混ざってツガの木が見られるようになる。 足下は下草の生えていない溝状の道が続いており、その中に時々タマネギの皮をむいたような岩が露出している。

2つ目の壊れた鹿除けゲートを潜り、暫く登っていくと、やがて前方にベンチが見えてくる。時刻は 7時54分。
ここは大山三峰山と物見峠とを結んでいる南北に延びる稜線から東に派生している尾根の一角であり、道の分岐点になっている。
右に進んで一旦 尾根上に出れば物見峠に至ることになり、そのままベンチの脇を真っ直ぐ進めば、 その後にこの派生している尾根を直登して大山三峰山へと続く稜線に至るのである。
後者の道はかなりの近道になっており、また途中には山ノ神の祠もあると聞くが、ここは前回と同じく右に進んで物見峠を目差すことにする。

ベンチにて少しノドを潤し、右の尾根へと登る。
一旦、尾根上に出れば、ここから道は左に折れて尾根の北側 (右側) を進むことになる。そのため、足下には今まで全く見られなかった雪が現れることになる。
一方、展望も開け、右手には辺室山が樹林越しに見えるようになり、そのさらに右には経ヶ岳と華厳山も見えてくる。前回に比べて遙かに展望は良い。
山襞に沿ってクネクネとした、ほぼ平らな雪の道が続く。尾根の北側なので雪の凍結が懸念されるが、雪はサラサラしており、ほとんど凍結はない。 とは言え、右に下る急斜面を横切って進んでいくため、一度 (ひとたび) 谷側の足が雪で滑った場合、滑落も考えられる訳で、ここは慎重に進む。
辺室山を見ながら進んでいくと、途中樹林が切れて平野部がよく見えるようになる。少々靄っている感じではあるが、平野部を横切る相模川が見え、 その後方に横浜のランドマークタワーと思しきビルが見えている。

山襞に沿った雪道が続く。途中、谷の突端になっている場所から下を覗き込むと、 岩壁がほぼ垂直に落ち込んでおり、小さなゴルジュのようになっていることに驚かされる (前回も驚いたのだが・・・)。
雪道を黙々と進み、崩壊箇所があるという 800m程の区間を慎重に通過して行くと、やがて前方にテーブルが見えてくる。物見峠である。
そこまで進む間に右手を見れば、華厳山、そしてその右後方に高取山 (荻野高取山) が見えている。
物見峠到着は 8時27分。ここから急な登りが続くことを前回知ったので、その前に少々水分補給を行う。
休憩中、ふと高取山の後方を見ると、その後方に見えるビル群の中に一際高い塔が見えている。どうやらスカイツリーのようである。
地図で見ると、この物見峠の標高は 630m程であるから、ほぼ同じ高さからスカイツリーを見ていることになる訳である。

8時29分、物見峠を出発して急斜面に取り付く。ここからは丸太の階段による昇りが長く続く。
途中、『 三峰山 2.4km 』 と書かれた標識があったので、大山三峰山までの行程の半分はこなしたようである。
喘ぎつつ階段を昇る。このように歩幅がほぼ決められている登りは辛い。
まだ細い幹の檜林の中を登っていく。緩やかに右にカーブしながら高度を上げていくと、右手樹林越しに丹沢主脈の山々がチラチラと見え始める。 枝が邪魔をしてなかなか見通すことができないものの、丹沢山、そして丹沢三峰 (太礼ノ頭、円山木ノ頭、本間ノ頭) が確認できる。
キツかった登りも徐々に傾斜が緩み始めると、右手樹林越しに漸く丹沢主脈の山々が見通せるようになる。木々に仕切られて小間切れではあるものの、 塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳、丹沢三峰が確認できる。
前回は何も見えなかったのだが、実際はこのような光景が広がっていたのだなと得心する。

道は完全に尾根上に出たようで、ほぼ平らな道が続くようになる。この辺は日当たりが良いのか、雪が全くない場所も所々に現れる。
そして、今度は左手樹林越しに鐘ヶ嶽が見えるとともに、その後方には日の光に輝く相模湾が見え、目を凝らすと江ノ島も確認できる。
暫くほぼ平らな尾根道を進んでいくと、やがて先の方にテーブルが見えてくるが、ここは先程の分岐から直登してくる道との合流点である。 時刻は 8時48分。
なお、傍らの標識には 『 三峰山 2.2km 』 とあるので、物見峠からの登りは、苦しかった割にあまり距離を稼いでいないようである。

ここからも暫く小さなアップダウンの道が続き、足下の雪は現れたり消えたりの状況が続く。
やがて、一旦 道は丸太の階段を使って少し下った後、登りが続くようになる。ここの登りでも丸太の階段が現れるが、少々煩わしい。
階段を昇り終え、やがて小さな高みを越えていくと、再び緩やかな下りとなり、道は崩壊地へと差し掛かる。
ここは右側が大きく開けており、まず前方にこれから向かう北峰が見え、その左後方に大山頂上とそこにある無線中継塔がチラリと見える。
そして北峰の右側を見れば、先程まで小間切れに見えていた丹沢主脈の山々が一望できるようになる。左手に新大日、そしてその右に木ノ又大日が続き、 さらに右に塔ノ岳が見えている。

塔ノ岳の右には日高 (ひったか)、竜ヶ馬場が続き、さらに右側に丸くなだらかな山容を見せている丹沢山が見えている。
丹沢山から右に連なっている稜線は瀬戸沢ノ頭を経て太礼ノ頭、円山木ノ頭、本間ノ頭と続く丹沢三峰へと至っている。
そして、丹沢山と太礼ノ頭を結ぶ稜線の後方には、不動ノ峰、そして蛭ヶ岳が見えている。
前回はガスのため真っ白で何も見えなかったので、この光景は新鮮であり、やはり山は晴天の日に登るべきであるとつくづく思う。
なお、こちらから見ると、太礼ノ頭と円山木ノ頭との間が離れすぎており、さらには円山木ノ頭と本間ノ頭との間にもう 1つ高みが見える。
三峰という言葉から連想すれば、その円山木ノ頭と本間ノ頭、そしてその間にある無名の高みにて三峰とする方がシックリいくように思われるがどうであろう。

展望の良い崩壊地を過ぎ、細い尾根を進んでいくと、またまた崩壊地が現れる。
ここからも丹沢主脈の山々がよく見え、さらには右へと下って行く丹沢三峰の稜線の後方に黍殻山、焼山が見えるようになる。
その右には鍋嵐、そして辺室山が続くが、注目すべきはそれらの後方に並んでいる奥秩父の山々である。
焼山の後方には木賊山 (とくさやま) と思しき山が見え、その右に三宝山、そして破風山、古礼山、雁坂嶺が並ぶ。 少し間を空けて唐松尾山、そして飛竜山が見え、さらに右に三ツ山、そして雲取山、芋木ノドッケが確認できる。 素晴らしい展望に気分良く先へと進む。
道は再び広い尾根に変わり、そこを小さくアップダウンしながら進む。9時21分に 『 三峰山 1.3km 』 の標識を通過し、 その後 細い尾根を通るが、尾根上の雪は凍っていないので難なく進んでいくことができる。

アセビが多く見られる尾根を進んでいくと、やがて前方樹林越しに北峰らしき高みが見えてくる。
そして、そこから少し進めば、ベンチのある平坦地で、そこには 『 三峰山 0.8km 』 とある。時刻は 9時34分。
ここからは目の前に聳える北峰への登りが始まる。最初は緩やかに登り、標識に従って右に直角に曲がると、 白き雪の上に竜のようにクネクネと上方に延びている丸太の階段が現れる。
歩幅を決められることに抵抗を感じつつ黙々と階段を昇る。左手には大山三峰山の南峰と思われる高みもチラチラ見えている。
階段は断続的ながらも長く続き、途中でロープなどが備わっている所も通過しながら、上部に見える丸太の土留めに向かって登っていく。
喘ぎつつもその土留めの上に至り、斜面をジグザグに登っていくと、やがて右から回り込んで北峰の頂上に至るが、ここに標識などはない。 時刻は 9時52分。

道はすぐに下りに入り、アセビに囲まれた細い尾根を進む。 この辺からは鎖が現れ始め、折角ここまで稼いできた高度を吐き出すように道は下っていく。 右手樹林越しには丹沢山、そして蛭ヶ岳が見え、前方には目差す南峰が樹林越しに見えている。
やがて中峰との鞍部に到着し、そこからは梯子昇りが連続する。梯子が終わるとまた少し下った後、また登りが始まるが、 ここからは鎖の付いた桟橋 (さんきょう) を登っていくことになる。
その後、鎖場が続き、一旦少し下った後、樹林の間を登っていけば、『 三峰山 100m 』 の標識がある中峰であった。時刻は 10時14分。

一旦下って細い尾根を進み、鎖のある斜面を登る。足下の雪は全く凍っていないのがありがたい。
ふと見上げれば、樹林の間から大山が見えている。そこまでかなりの距離と高さがあり、少し気持ちが萎えるが、 大山に登れば富士山が見えるはずと思い初志貫徹することにする。
また一旦 下って桟橋を渡ると、そこからは丸太の階段、梯子が連続する (鎖付き)。
少し下って、斜面の縁に付けられた丸太の階段を昇っていくと、昇り着いた先は大山三峰山の主峰である南峰の頂上であった。
時刻は 10時24分。頂上は木々に囲まれているが、冬場のため葉が落ちた枝の間から何とか丹沢の主脈を見ることができる。

誰もいないテーブルに腰掛けてユックリと休憩し、10時41分に出発。
少し下って小さな岩場を越えると、下りが続くようになる。しかし、すぐに丸太の長い階段が現れて登りへと変わり、その高みを越えると、 また下りが続くようになる。
細い尾根を 2つ程通過すると、再び登りに入るが、そのまま素直に登りは続かず、鎖場の絡んだアップダウンが連続するようになる。
そして最後に丸太の桟橋を渡り、鎖場を登り切れば、少し小広い場所に飛び出す。
ここは恐らく七沢山の頂上と思われるが、標識などはない。時刻は 11時1分。

2分程休憩して先へと進む。ここからは下りが長く続くものの、今までよりもかなり歩き易くなる。
ただ、剥き出しになっている木の根が多いので、足を引っかけないように注意が必要である。
ドンドン下って行くと、やがて少し登りになった所に標識が現れる。そこには 『 不動尻 1.4km 』 とあるが、 この先が大山と不動尻との分岐である。時刻は 11時15分。
左に真っ直ぐ進めば不動尻で、右の尾根を登っていけば大山である。ここは迷わず右の道をとる。
地図ではここから唐沢峠に至る迄の間が破線で記されているが、本日は雪の上に足跡が残っているので問題なく進んで行けそうである。

緩やかな傾斜の、広い尾根を登っていく。暫くすると登り斜面は一旦終わり、ほぼ平らな道が続くようになる。
右手には丹沢山や丹沢三峰が見えているが、丹沢山右後方の蛭ヶ岳は今や見えなくなりつつある。
道は小さなアップダウンを繰り返した後、細い尾根をクネクネと辿っていくようになる。ここは傾斜がほとんど無いのがありがたい。
やがて右手樹林越しに見えていた丹沢山が手前の斜面に隠れるようになると、道は再び登りに変わり、急な斜面を登っていくようになる。
喘ぎつつ登っていくと、登り着いた先に人がいたのでビックリする。本日 山中で人と会うのは初めてである。
聞けば、その方は広沢寺の方から不動尻を経て大山への道を登ったが、唐沢峠手前にて大山に登ることを諦め、こちらの方へと進んできたとのことで、これから大山三峰山を目差すとのことであった。

この高みからは左へと進んで下りに入る。
地図を見ると、この高みは 865mのピークのようであるが、そこには 『 唐沢川側に踏跡あるが入らないこと 』 と書かれている。 確かに、今まで進んできた勢いからは右手の方へと進みたくなる地形であるが、そこにはロープが張られており、 さらには今登って来た方の足跡があるので本日は迷いようが無い。
少し下り、小さなアップダウンが続いた後、道はやがて登りに入る。
右手樹林越しにチラリと大山方面が見えるが、まだまだ遠くに見えている。またまた少し気持ちが揺らぐが、ここまで来ておきながら唐沢峠から不動尻に戻ったのでは、 何のために頑張ってきたのか分からなくなる。時間がかかっても大山を目差すことにする。
その不動尻からの道には 11時55分に合流。ここで道を右にとる。
先程の方は、ここから一旦大きく下ってそこから登り返すのが嫌だったため、大山を諦めて進路変更したと言っておられたが、

やがて、先の方に東屋が見えてくる。地図ではここが唐沢峠ということになるようである。
東屋到着は 12時丁度。少し休憩して 12時3分に出発、すぐに登りが始まる。傍らの標識には 『 大山 2.3km 』 とある。
雪に埋もれかけた丸太の階段が続く。天候はまだまだ快晴状態で、太陽に向かって登っていく感じである。
果たして大山に着いた時、富士山はその姿を見せてくれるであろうか。
斜面を登り切ると、今度は緩やかな尾根歩きに変わる。これはありがたい。道は右へと緩やかにカーブしながら進んでいく。
少し登り、樹林を抜け出て振り返れば、先程登った大山三峰山が見えるようになる。山の姿としては右に見える七沢山が一番立派であるが、 その左に続く、南峰 (大山三峰山)、中峰、北峰もなかなかの姿・形である。

鎖に囲まれた桟橋を渡ると道は再び登りとなり、尾根をクネクネと登っていく。
途中、樹林の間からまたまた大山が見えたが、やはりかなり距離と高さがあり、これからが厳しそうである。
鎖で両側を囲まれた崩壊地上の細い尾根を越え、徐々に高度を上げていく。この辺は平らな道も多く、また傾斜があっても緩やかなので助かるが、 逆に言えば大山が近づいた時の登りがキツイということでもある。
この辺はほぼ直線で、もう少し雪があればスノーシューでも面白いと思われる尾根道が続く。
12時29分に 『 大山 1.5km 』 の標識を通過し、その先にあったテーブルで暫し休憩する。 ここでは展望も開けており、先の方には大山が見えるようになるが、大山手前にある大山の肩が迫り上がってきていて頂上の無線中継塔は少し隠れ気味になっている。

12時35分に出発。この歩き易い尾根で登山者と擦れ違う。
先程、唐沢峠からの登りでも 1人擦れ違ったので、本日ここまでで 3人の登山者と会ったことになる。静かでありがたいことであるが、 大山ではもっと多くの登山者がいることであろう。
緩やかな登りが続く。左手には樹林越しに相模湾が見え、江ノ島や三浦半島が確認できる。
やがて登り着いた所はかなり広く開けた場所で気持ちが良い。ただ、前方に見える大山は無線中継塔がすっかり見えなくなっている。
まだまだ遠く、何よりもかなり高度を上げていかねばならないのが見て取れる。
地図で見ると、この辺の標高は 989mなので、あと 260m強の高低差をクリアせねばならないことになる。 さらには、傍らの標識に 『 大山 1.2km 』 とある。やはりまだまだ遠い。

緩やかに高度を上げていくと、今度は大山とそこに至る迄の尾根も見通せるようになる。
一旦左に寄って、その後右へと高度を上げていくことになるようだが、はてさてその登りはどのような具合であろう。
振り返れば、大山三峰山がよく見えている。ここから見ると、北峰、中峰、南峰 (大山三峰山)、七沢山と 4つの山が綺麗に並んでいる。
ネットでは七沢山を南峰としている記述も見られるが、中峰も存在感をかなり示しているので、やはり七沢山は大山三峰山とは別と考えるべきであろう。
緩やかだった道も徐々に傾斜が出始める。少々喘ぎつつも登り続ける。
12時56分に 『 大山 1.0km 』 の標識を通過、その後 丸太の階段を昇っていくようになる。
断続的ではあるが長く続く丸太の階段を喘ぎつつ登っていくと、傾斜は徐々に緩み始め、やがて先の方に標識が見えてくる。 日向薬師から雷ノ峰尾根を辿ってくる道との合流である。時刻は 13時13分。

ここからは昨年登った道になるのであるが、その時のことを思い出すと、 この後まだ 大山の肩があり、そこからの急登が待っているはずである。そしてその通り、暫く登って道がほぼ平らになった後、 今度は少し下ってから登りが始まる。
かなり疲れてきているが、左手を見ると箱根の山 (神山、駒ヶ岳) が見えているので、この時間でも富士山が見えるかもしれないという希望をエネルギーにしながら登り続ける。
丸太の階段の登りが続くようになると、足下の雪は全く無くなり、泥んこの道が続くようになる。加えて、下山者も多くなり、少し足が遅くなる。
息を切らせながら右に緩やかにカーブして登っていくと、左手上方に大山阿夫利神社本社本殿の建物が見えてくる。もう少しである。
そして、登山道の整備をしている人たちの脇を抜けて一登りすれば待望の大山頂上であった。時刻は 13時33分。

ここでは休まずに、頂上標識と奥社の写真を撮っただけで一旦 頂上を後にする。
大山阿夫利神社本社本殿の横を通り、大山阿夫利神社摂社の前を通って少し下り、金属製の鳥居を潜ったところで右に曲がって無線中継塔方面へと進む。 ここも若干の登りとなっているため、疲れた身体には少々辛い。
左手を見れば、嬉しいことに富士山が見えている。少々バックの空に紛れ気味でクッキリという状態ではないものの、 この時間でこれだけ見ることができれば、文句は言えない。
さらに少し進んで、『 大山山頂から見た景観 』 と書かれた案内図の所には 13時41分に到着。 少し霞み気味ではあるが、ここからの素晴らしい展望を楽しむ。

まず、左手に愛鷹山が見え、その右に富士山が大きくその裾を広げている。
富士山の手前側、こちらの目の前には二ノ塔、三ノ塔が大きく、三ノ塔の右には表尾根が新大日、木ノ又大日を経て塔ノ岳へと向かっているのが見える。
その表尾根の後方には大倉尾根が見え、花立、金冷シを経てこれまた塔ノ岳へと至っているのが見える。そして、大倉尾根の後方には、小丸が見えている。
塔ノ岳から右に延びる稜線は、日高、竜ヶ馬場を経て丹沢山に至っているが、その尾根の後方、竜ヶ馬場と丹沢山の間には不動ノ峰が見えている。
丹沢山の右には瀬戸沢ノ頭が続き、その右に太礼ノ頭、円山木ノ頭、無名峰、そして本間ノ頭と続いているが、 ここからでは太礼ノ頭の存在感はあまりなく、先に述べたように円山木ノ頭と本間ノ頭の間にある無名峰がかなりの存在感を示している。
なお、富士山の右側後方には、聖岳、赤石岳といった南アルプスの山もうっすらと見えているが、やや霞んでしまって少々分かりづらい。

素晴らしい景色を堪能した後、無線中継塔の方へと進む。
そして中継塔の前から右に曲がれば、大山の公衆トイレの横に出るので、階段を登って再び頂上へと進む。
頂上直下にあるベンチまで進んで休憩。時刻は 13時47分。
平日だからか、あるいは時間が遅いためか、思った程頂上に人は居らず、ユックリと休憩する。

13時54分、下山開始、登って来た道を戻る。
雷ノ峰尾根との分岐を 14時8分に通過。少し下った所で、安全を考えてチェーンスパイクを装着する。
その際、無理な格好で装着しようとしたところ、左足にこむら返りを起こしてしまう。つま先をすねのほうに引き上げるようにして何とか回復したが、 これには参った。水分が不足しているかと思い、ポカリスエットをがぶ飲みする。
ありがたいことにその後は順調に下ることができ、唐沢峠にある東屋には 14時50分に戻り着く。 ここでチェーンスパイクを外すとともに少し休憩した後、14時55分に出発する。なお、この東屋付近で大山方面へと登る人と擦れ違う。
大山三峰山との分岐を 15時1分に通過し、そのまま不動尻方面へと下る。
ここからは展望の無い檜や杉林の中の下りが続く。黙々と下り続け、大山三峰山からの正規の道との合流点には 15時39分に到着。
少し下って、ミツマタの群落を過ぎ、林道へと下り立つ。凍結箇所が何ヶ所かある林道をユックリと下り、不動尻には 15時50分に到着。

ここで 4分程休んだ後、林道から外れて左に道をとり、煤ヶ谷方面を目差す。
この道は昨年 大山三峰山に登った時に通っているので、何の不安もなく進んでいくことができる。
右下を流れる谷太郎川をかなり下方に見て進むこともあれば、河原に下り立つ位まで川の流れに近づくこともあるなど、 道は頻繁に川との高低差を変えながら進んでいく。
最後はいくつか橋を渡って川に絡みながら進み、谷太郎林道の終点には 16時24分に到着する。
ここからは林道歩きなので多少暗くなっても問題なく進んでいくことができる。とは言え、この林道歩きはかなり退屈である。
林道を黙々と歩き続け、今朝ほどの物見峠・三峰山への分岐を 16時58分に通過し、道の駅清川第一駐車場には 17時4分に戻り着いたのであった。

本日は、快晴の下、大山三峰山に再登山したが、 前回 山では全くと言って良い程得られなかった展望を十分に得ることができるととともに、 もう一つの目的である、少々身体への負荷を高くするということも、大山に登ることで達成でき、少々疲れはしたが楽しい一日であった。
ただ、時間的には休憩を含めて 10時間を越えることになってしまった。雪のハンデを考慮しても、脚力はかなり衰えているようである。
やはり、普段から体力維持を心懸けねばなるまい。


山王帽子山にてスノーシューを楽しむ  2017.2 記

1月は 18日に檜洞丸に登っただけであるため、 月 2回の登山を基本としている身としてはどうしても 1月中にもう 1つ登っておきたいと思い、ギリギリの 31日に山に行くことにする。
行き先は日光の山王帽子山。無雪期ならばこの山は太郎山に登る途中にある山として位置づけられ、この山だけを目差すことはあまり無いと思われるのだが、 積雪期となるとスノーシューにて登ることができる山として俄然クローズアップされてくるのである。
また、登山起点となる光徳牧場付近までバスで行くことができるので、ノーマルタイヤの車しか持っていない小生でも、 工夫すれば登ることが可能なのである。
しかも、今回はスノーシューを使って冬季限定の最短コースを辿るつもりなので、楽しみである。

1月31日(火)は 3時半に起床。しかし、外はかなり強い風が吹いている。
少々心配になってネットで調べると、横浜には強風警報が出ており、肝心の日光地域には風雪警報が出ているとのことである。
これでは高い高速代、バス代を払って現地に行っても、途中で撤退せざるを得ない可能性があることから、やむなくこの日は山行を断念し、 翌日の 2月1日に登ることにする。その結果、1月の登山は 1件となってしまったが、まあ致し方ない。

改めて翌 2月1日(水)、4時過ぎに横浜の自宅を出発する。
上空には薄雲がかかっているが、日光地方は 15時頃まで晴れとの予報なので、気にせずに出発する。無論、本日 風はほとんどない。
横浜ICから東名高速道に乗り、さらに首都高速3号線、首都高中央環状線、そして首都高川口線と進み、川口JCTから東北自動車道に入る。
まだ空は薄暗いが、雲がなくなってきているようなので、本日は天気予報通り晴れそうである。
一方、北へと進むに連れ、車載の温度計は気温を下げていき、宇都宮ICから日光宇都宮道路 (日光道) へと進む頃にはマイナス 4℃を示すようになる。 はてさて、山の中ではどの位の気温となるのであろうか。

薄暗がりの中、前方に女峰山や男体山の姿がうっすらと見え始めるとやがて日光ICで、ここで日光道を下りる。
いろは坂の路面凍結が懸念されるため小生の車で目的地に行くのは無理なので、目指すは JR日光駅近くの日光市日光駅前駐車場 (24時間営業) である。 以前、社山や夕日岳に登った時と同じく、ここからは東武バスに乗り換える予定である。
駐車場到着は 6時18分。35台収容できるという駐車場には 2台しか駐まっていない。
車内で食事をした後、東武日光駅のトイレをお借りし (駅が改装中のため、JR日光駅のトイレの方は仮設)、バスの時刻表を確認してから車に戻って身支度をする。
その後、ザックを担いで東武日光駅へと進んでいくと、前方には朝日に赤く染まりつつある男体山や女峰山、赤薙山の姿が見えてくる。
その後方には雲一つ無い空が広がっており、テンションがグッと上がる。

6時55分、東武日光駅バス停より湯元温泉行きのバスに乗車する。 バスには出発地の JR日光駅にて既に乗車していた乗客も含めて 10数人が乗ることになったが、途中の清滝 (= 古河電工がある) で大半の方が降り、 最後に残った 2人も途中の中禅寺温泉、中禅寺郵便局でそれぞれ降りたので、小生 1人となる (尤も、その後に 1人乗ってきたが・・・)。
バスは雪景色の中を進んでいく。途中の いろは坂はドライの状態の様に見えたものの、中禅寺湖湖畔を走る頃には所々に凍結箇所が目立ち始め、 戦場ヶ原に入ると凍結した箇所が俄然多くなる。やはりノーマルタイヤでここまで来るのは無理である。

8時1分に光徳入口にて下車。光徳牧場近くの日光アストリアホテルまで行くバスもあるのだが、 本数が少なく、一番早い便でもホテル到着は 9時55分である。それならばこの光徳入口バス停から 1.6km程の道を歩いた方が良い。
しかし、バスを降りた途端、寒さが襲ってくる。まるで冷蔵庫に入っているような感じで、呼吸すると胸が少々痛い。
しかもホテルへと向かう道はほぼ凍結しており、歩くのにかなり気を遣う (本来は車道と平行した歩行者専用道もあるのだが、 今は除雪した雪に覆われてしまっている)。頻繁ではないものの車が走っているのでうっかり滑ったらアウトである。

三本松への分岐を右に見て左にカーブしていくと、前方に本日目差す山王帽子山らしき山が見えてくる。
恐らく左側に見えている斜面を登るのであろうが、傾斜は緩やかであり、如何にも登りやすそうな山である。
とは言え、この山王帽子山は過去に 2回登ってはいるものの、いずれも無雪期であり、積雪期の状態が分からないので少々緊張が走る。 さてどうなることやら・・・。
やがて、日光アストリアホテルへの道を右に分け、さらに少し進むと、光徳駐車場に到着。時刻は 8時22分。
駐車場奥のトイレを利用させてもらい、身支度を再度調えて 8時30分に出発する。

駐車場からは除雪されている光徳牧場への道を進めば良かったのだが、 トイレ横の林の中へとスノーシューの跡が続いていたので、そちらへと進むことにする。しかし、雪は柔らかく、時々雪に足を取られる始末。
やはりスノーシューが必要と悟り、先程歩いてきた道路のさらに先に合流したところでスノーシューを履く (なお、この道路も駐車場から先は雪に覆われている)。
久々のスノーシュー装着に手間取り、8時42分に出発。
まずは雪に覆われた道路を進む。雪の上にはスノーシューやスキーのシュプールが沢山残っている。
少し進んでいくと、『 ← 太郎山・山王峠・切込刈込 (登山口 200m先)』 と書かれた標識が現れたので、それに従って左の林へと入る。
この林の中のルートは前回の太郎山登山の際にも通っているので進むのに何の躊躇いもなかったのだが、雪の上のシュプールは真新しいもの 1対だけになってしまったので 少し不安を覚える。
もしかしたら、昨日風雪警報が出ていたので、この地域には新たに雪が降ったのかもしれない。

シュプールを追って、右の方に緩やかにカーブしながら林の中を進む。スッカリ葉を落とした樹林帯は陽が当たって明るく気持ちが良い。
暫く進んでいくと、やがてシュプールは道路らしきものに合流する。そしてその道路を覆っている雪の上には新しいスノーモービルの跡がついており、 その右手の方を見ると何やら標識のようなものが見えている。
それではと、スノーモービルの跡を追って右に進んでいくと、何と標識が見えた場所は林道奥鬼怒線の入口 (ゲート) であった。 つまり、光徳入口バス停から歩いてきた道路にまたまた合流してしまったという訳である。時刻は 8時53分。
ということは、スノーモービルの跡がある道は光徳牧場内の道であり、そうなると登山道入口は進んできた道を戻らねばならないことになる。
スキーのシュプールが右へ右へと進んでいたため、本来の登山口よりも林道奥鬼怒線側に導かれてしまったようである。

しかし、そうであっても冬季限定の最短コースとはどこかでクロスしていなければならないはずである。
それが見つからなかったということは、どうやら昨日の雪で、土日につけられているはずの冬季限定コースの踏み跡は雪の下になってしまったようである。
そうであれば正規の登山コースの状況も怪しくなる訳で、ここはルートファインディングの必要の無い林道をそのまま進むことにする。
この林道歩きはかなりの遠回りとなるものの、太郎山に初めて登った時にも歩いているので全く不安はない。
ゲートを越えて林道に入る。ありがたいことに林道上には先程のスノーモービルの跡が続いており、その上を進むことによって体力温存に繋がる。 もし、まっさらな雪の上を進んだ場合、スノーシューを履いていても数センチ潜るため、足を引き抜く際に少しずつ負担がかかるはずだからである。
道は右ヘとヘアピンカーブ状態に曲りながら高度を上げていく。積雪期は、こういう場合にショートカットが可能なのだが、登りの状況では先が見えず、 無闇に林道から外れるのは危険なので忠実に林道を進む。

道は左に大きく曲がるようになり、その後も左へ左へとカーブが続くと、やがて道路右脇に 矢島市郎の句碑が現れる。時刻は 9時5分。
句碑には 『 白樺は月が夜来て晒すらし 』 と刻まれている。かつてはここからハガタテ薙を通って太郎山へと登ることができたのだが、 今は崖崩れにより通行禁止になっている。
初めて太郎山に登った際にはそのことを知らず、結局そのままこの林道を登り続けて山王帽子山経由にて太郎山に登ったのであった。
今回も新たな積雪のため、結局は同じ状況になってしまった訳である。
周囲が真っ白な中、林道を黙々と進む。やがて、前方の樹林上方に山王帽子山が見通せるようになるが、「 あんなに遠いのか 」 とか 「 あんなに高いのか 」 と感じることはなかったので、 本日は身体の調子も良さそうである。

山王帽子山の右には当然 太郎山も見えているのだが、こちらは樹林が邪魔をしてなかなか見通すことができない。
しかし、その太郎山もやがて樹林の向こうに見通せるようになるが、こちらから見るその姿はオムスビ型をしていて抱いているイメージとはかなり違う。 どうやら見えているのは太郎山の手前にある小太郎山のようで、太郎山は小太郎山に隠れて見えないようである。
道の方はカーブが多いものの最初はあまり勾配がなかったのだが、やがて大きな振幅のジグザグを繰り返しながら登っていくようになる。

ここに至る迄に男体山も時々見えていたものの、 樹林が邪魔をしてその姿をハッキリとは見通すことができなかったのだが、高度が上がるに連れ、ようやく何とか写真に納められるようになる。
こちらから見る男体山は台形をしているが、その上底の右端部分だけが尖って飛び出ている。恐らく、 2,397.9mの三角点がある高みであろう (頂上の三角点は 2,484.2m)。
また、大真名子山も時々樹林越しに見ることができるようになる。

林道歩きが長く続くが、あとどの位かの目処が立たないのが辛い。 ただ、足は順調で、この頃少々痛む左膝も雪の上ではあまり問題ない。
しかし、大きな振幅を繰り返しながら登る道は、どうしてもショートカットしたくなってくる。
そこで、右へのカーブの起点に石碑のような岩 (実際、文字が刻まれていた) が立つ場所から上部斜面を見ると、 かなり傾斜が緩やかになっているので、思い切って道を外れて斜面に取りついてみる。
嬉しいことに、少し登ると登山道ではと思わせるような、少し雪が凹んだ状態が先へと続いているのが見つかり、さらにはその凹みを辿っていくと、 今度は右下に下る斜面を横切っていく少し幅広い道らしきものに合流する。
右下には林道が見え、暫くその林道と平行に進む。雪が全面を覆っているため、本当のところは分からないが、もしかしたらこれは最短コースの一部なのかもしれない。

先程までの林道歩きとは違って、真っさらな雪の上を歩くとスノーシューが少し沈むので、 足の負担がやや大きくなるが、それでも足跡の全くない雪の上をスノーシューで進んでいくのはとても気持ちが良い。
暫く林道に平行して斜面を横切っていくと、やがて目の前にスキーのシュプールが現れる。シュプールは本日つけられたようなので、 それに従って今度は左手の斜面を登っていくことにする。
もしこのシュプールを辿った先が目的地とは違っていたとしても、簡単に戻れるという安心感があるのが大きい。 やはり晴天で、風もほとんどない状態はありがたい。
取り付いた斜面は緩やかでとても登りやすく、楽しく登っていくことができる。しかし、その楽しい斜面登りもやがて林道に合流して再び林道歩きとなる。

一方、高度が上がって来たためか、樹林越しに戦場ヶ原の雪原とその後方にある社山が見えるようになる。
ただ、こちらから見る社山は、イメージにあるピラミッド型ではなく、頂上が丸い鈍角三角形である。
また、少し進んで振り返れば、樹林の上部に大真名子山も見えている。
明るい日差しの下、緩やかな傾斜の林道を進む。右にカーブしていくと、今度は正面に山王帽子山がよく見えるようになる。もう少しである。
続いて林道が先の方で緩やかに左にカーブするのが見えてきたので、ショートカットすべく再び樹林帯に入ってみる。
林道の方を見ると、この場にはそぐわないアンテナが見えているが、何のためのアンテナであろう。

アンテナの先で再び林道に戻り、左へと緩やかに曲がって行くと、やがて先の方に、両側にガードレールがある橋が見えてくる。
この橋は見覚えがあるので、もしやと思ってその手前右側を見ると、雪の中に 『 太郎山 』 と彫られた木の標識が立っていたのであった。
漸く登山口に到着である。時刻は 10時6分。
しかし、その標識の指し示す方向を見ると、雪の上は真っさらで全く足跡はない。懸念した通り、土日につけられているはずの踏み跡は、 雪の下に埋もれてしまったようである。
少々ショックを受けるが、とは言え、ここまで来ておきながら戻る訳にはいかない。ここからの登山道は 2015年の 5月に登っているのでまだ記憶にあり、 しかも頻繁に目印となるテープが付けられているはずなので、それを拠り所として頑張って登ることにする。

ただ、朝食を食べてから既に4時間近く経ていることから、山に取り付く前にガードレールに荷物を置いて、立ったままで食事をする。
そして 10時11分、山に足を踏み入れる。雪の上に全く踏み跡はないのだが、樹林帯を進んですぐに小広く開けた場所に出ると、 足跡の痕跡がいくつか確認できるようになる。風が吹き抜ける場所では雪が飛ばされているようである。
しかし、すぐにまた樹林帯に入ると、踏み跡は全く消えてしまった状態になる。
ここからの傾斜はかなりきついので、スノーシューのヒールリフトバーを上げる。これで斜面でも足が平らになるので、かなり登りやすくなる。

樹林の中を進む。思った通りテープは頻繁に付けられており、 また雪に覆われていても道らしき形が何となく読み取れるので迷うことなく登っていくことができる。
しかし、スノーシューでも 5センチ程潜るので、少々体力を使う。さらには、段差のある場所では、 踏み込んだスノーシューが雪を崩して足下まで戻って来てしまい、踏ん張りが利かずに苦労する。雪にスノーシューを蹴り込んだり、 スノーシューの踏む位置を工夫しながら何とか登りきるが、こういう時が一番体力を使う。
道は樹林帯の中をジグザグに登っていく。樹林越しに日差しが差し込むので、周囲が明るいのが大変心強い。
なお、時々樹林越しに周囲の山々が見えるものの、木々が邪魔をして全く写真に納められる状況ではない。 それでもよく見ると、この山王帽子山の隣にある三岳であろうか、その後方に奥白根山が少しだけ白い頂を見せているのが確認できる。

急斜面の登りが続くため、息が荒くなる。少し進んでは休むというパターンを繰り返しながら登り続ける。
先程の登山口から山王帽子山の頂上まで、地図では 1時間20分となっているので、雪のハンデを考慮して 12時到着を目標に登る。
しかし、結構苦しい。ラッセルなどはなく、また目的地までの所要時間が短いので我慢して登っていくことができるが、 これが数時間を要する登りであったらとてもではないが耐えられない。
やがて長い樹林の中の登りも、一旦終わりとなって少し開けた場所に飛び出す。今まではコメツガやツガなどの樹林帯であったが、 この場所ではダケカンバが目立っている。ここでは展望も開け、前白根山、奥白根山が見通せるようになる。

一方で樹林帯では迷いようがなかった道であるが、こういう小広い場所ではテープを見失いやすくなる。
足下は真っさらな雪であり、どちらへ進むべきなのかの検討が全くつかない。勘に頼って進んでいくとうまくテープを見つけられてホッとする場合もあれば、 全く見つけられずに少し戻って違う方向へと進んでテープを見つけるという場合もあったが、これはこれで結構楽しい。
これも明るい日差しの下であり、時間に余裕があるからのことで、自分の踏み跡がすぐに消えてしまうような強い風が吹いていなくて本当に良かったと思う。
再び樹林帯に入って暫く進むと、また少し開けた場所に出る。目の前にはダケカンバの木が大きい。
傾斜はかなり緩んできており、頂上が近いという予感がする。
道は再び樹林に入るが、すぐに抜け出してかなり開けている斜面の縁に出る。ここは風が強いのであろう、踏み跡らしきものがいくつか雪の上に残っている。

ここからは男体山がよく見えるのだが、 前回、無雪期に登った時にはこれ程 男体山が見通せる場所は頂上までなかったと記憶しているので、登山道よりもかなり南側を歩いているようである。
男体山は綺麗な台形をしており、先程まではその上辺右に飛び出ていた 2,397.9mピークも今や台形のフォルムの中に収まっている。
また、右手を見れば、奥白根山がよく見える。ただ、奥白根山はその手前を横切っている五色山から前白根山、白根隠山へと続くほぼ同じ高さの尾根に遮られ、 五色沼を挟んで前白根山付近から見える姿に比べてその上部 1/3程しか見えていない。
五色山の右には金精山が見え、さらに右に温泉ヶ岳 (ゆせんがたけ) が見えている。そして、少し場所を移動して南西の方向を見やれば、 皇海山がその特徴ある姿を見せており、その左には鋸山が見え、また皇海山の手前には三俣山が見えている。
皇海山、三俣山の左側手前には、社山、中禅寺湖、そして戦場ヶ原も見えているが、やや逆光気味で黒っぽく見えているのが残念である。

先にも述べた様に、ここは風が強いのか、雪があまり積もっていない状態なので、 そのまま直登すれば良かったのだが、左手の方にピンクテープが見えたので律儀にも正規の登山ルートを登る。
ところがこちらは結構雪が多く、斜面にスノーシューを踏み入れると、雪とともにスノーシューが滑り落ちてきてなかなか登っていくことができない。 何とか木に掴まって身体を引き上げていくと、すぐに 『 ← 山王峠 』 と書かれた標識が見え、そこから右へと進めば大岩のある山王帽子山頂上であった。 時刻は 11時50分。

岩の上にザックを置き、周囲の山々を眺める。尤も、山頂付近は樹林に囲まれており、少し下らなければ景色を得ることができない。
まずは 『 ← 山王峠 』 の標識がある北側へと少し下れば、樹林の間から白く横に長い山並みが見えてくる。一番左の高みが会津駒ヶ岳で、 恐らくその右に大戸沢岳、三岩岳が続いているものと思われる。
会津駒ヶ岳の左には黒岩岳が見え、さらに左に目を向ければ、温泉ヶ岳から東に派生する尾根が高薙山を経て下って行く斜面の向こうに燧ヶ岳の双耳峰が少しだけ見えている。

会津駒ヶ岳の右手には、木々で小間切れになってしまっているものの、北から東にかけての山々が見える。 主なものでは、台倉高山、田代山、荒海山、そして大佐飛山地といったところである。
少し場所を移動して西の方角を見やれば、立ち枯れの木々の間から奥白根山がよく見え、その右下に五色山、さらに右に金精山、温泉ヶ岳、 そして根名草山といった山々が小間切れながらも見えている。
さらに右には先程の高薙山が見え、そして燧ヶ岳方面へと続いていくのだが、木々が邪魔をして完全に見通せないのが残念である。
今度は頂上より先、南の方に移動すれば、真正面に男体山がよく見える。こちらから見る男体山は、平らな頂上部分が少し間延びした富士山のようであるが、 富士山と違うところは火口がお鉢状ではなく、片側が吹き飛んだ爆裂火口となっていて、こちら側にその姿を見せていることである。
そして、男体山の右斜面が下って行く後方には中禅寺湖と半月山が見えている。半月山の右には社山、さらに黒檜岳といった山々が続く。

展望を堪能した後、大岩に腰掛けて暫し休憩する。あまり寒くはないが、少し風があるため、テルモスの温かい紅茶が格別に美味しい。
12時10分に下山を開始。下り斜面となるため、スノーシューのヒールリフトバーを下ろした状態にして下る。
自分の踏み跡を追っていけば良いので楽だが、時として自分の踏み跡の上に素直に足を下ろすと、そのまま滑ってしまうことがある (2度ほど尻餅をついた)。
従って、雪の上ならどこを通っても問題ないことを良いことに、少し踏み跡を外しながら下る。
また、下りの利点は、先の方に自分の足跡が見えるのでショートカットが可能だということで、できるだけ斜面を真っ直ぐに下る。 これは樹林帯に入っても同じで、本来ジグザグに下るべき斜面を何回かショートカットさせてもらう。

そのお陰で、登りではかなり苦労した斜面も順調に下り、『 太郎山 』 の標識のある林道には 12時56分に戻り着く。
さて、ここからどうするかであるが、同じ道を戻るのでは面白くないと思い、林道をさらに先に進んで、本来の登山道を下ることにする。
しかし、林道左側、法面が始まる所にあるはずの山王峠への道は完全に雪に覆われていて踏み跡は全く見えない。木にピンクテープが見られたものの、 下りでもルートファインディングを強いられるのは嫌だなと思い、引き返して林道を下ることにする。
なお、この法面が始まる場所にある登り口は非公式なもののようで、本来の山王峠への道 (湯元光徳線歩道) はもっと林道を先に進んだ所にあるようである。
前回 太郎山に登った時にはこの法面の始まりの所に下ってきたので、ここしかないものと思っていたのだったが、これは勉強不足であった。
但し、橋の先でスノーモービルは Uターンしており、そのさらに先の道は真っさらな雪に覆われていたので、例え正規の取り付き口に至ったとしても、 その後は雪に悩まされたに違いない。

13時1分、『 太郎山 』 の標識の横を再び通過し林道を下る。
登りの時には気付かなかったが、アンテナの立つところからは男体山がよく見える。
その後、登りの時と同じく林道を外れて緩斜面の林に入る。雪の上には自分の足跡があるので少し大胆になり、 足跡を外れて斜面を右へと斜めに下ってさらなるショートカットを図る。
そのお陰で、登りの際に斜面に取り付いた石碑のような岩の所にはアッという間に戻り着く。こういうスノーシュー歩きは本当に楽しい。
その後も、林道の様子を見てショートカットを繰り返す。時々 林道とはかなりの高低差がある場所に飛び出てしまうということがあったものの、 その場合はさらに林道と平行に進んで、林道に下りやすい場所を探して下る。これも楽しい。

往路と同じく、樹林越しの太郎山、山王帽子山の姿を時々楽しみながら下り、 矢島市郎の句碑のある場所を 13時39分に通過する。
そして、林道奥鬼怒線のゲートには 13時47分に戻り着く。
今度は素直にそのまま車道を進んだが、光徳牧場内の道の方を見ると、10人程の人たちがこちらに向かって歩いてきている。
時間を考えると、山に登るのではなく雪の上を歩くことを楽しんでいるようで、光徳駐車場にはその一行を運んできたと思われる中型バスが待機していたのだった。
その光徳駐車場には 13時56分に戻り着く。トイレの前でスノーシューを外し、凍てついた雪をこそげ落としたりして帰り支度をする。
身支度が調ったところで持参したバスの時刻表を見ると、アストリアホテル前 14時22分のバスがあると知る。グッドタイミングである。
ホテルにてバスを待つ間、ホテル入口に備え付けられた温度計を見るとマイナス 2℃を示している。本日はさほど寒くなかった様である。
なお、天気の方は少し雲が多くなり始めており、まさに天気予報通りであった。

本日は前から実行したいと思っていた山王帽子山へのスノーシュー登山に挑んだのであるが、 天候にも恵まれ、大変楽しい 1日を過ごすことができたのであった。
残念ながらスノーシューによる冬季限定最短コースを辿ることはできなかったものの、林道歩きもさほど苦ではなく、 さらには登山口から山王帽子山までは真っさらな雪を踏むこととなって、苦しいながらも楽しいスノーシュー体験ができ、 大満足である。
さらには、先日の檜洞丸と同様、山では誰も会わずに山を独占できたことがこれまた嬉しい。


2017年初登山は檜洞丸  2017.1 記

さて、新年を迎えたものの、初登山ができない状態が続く。
昨年の暮れ以来 左膝の調子があまり芳しくないため登山を控えていたからであるが、漸く膝の調子も回復してきたかと思った矢先、 今度は 1月8日から 9日にかけての雪で一気に登山の対象範囲が狭まってしまう。
小生の車はノーマルタイヤのため、積雪や路面凍結がないとの確信を得ない限り車の使用が難しく、一方、そういう情報はなかなか入って来るものではない。
それでもヤマレコなどを見ながら何とかノーマルタイヤの車でもアプローチ可能な地域を探していたところ、どうやら塔ノ岳や丹沢山 (大倉尾根)、 大山 (表参道や雷ノ峰尾根) などはノーマルタイヤでも問題なく登山起点までのアプローチが可能であると知る。
しかし、昨年暮れに白沢峠経由にて笠取山に登り、改めて初めてのコースを登るのは刺激的で楽しいと感じたばかりだったので、 これらの山々には申し訳ないがあまり登る意欲が湧いてこない。

ただ、そうこうしているうちにズルズルと時は過ぎ、1月20日にまた雪が降るとの予報も出てきたため、 これはまずいと 慌てて 18日に山に行くことにする。行き先は西丹沢の檜洞丸 (ひのきぼらまる)。
ヤマレコにて駐車場のある西丹沢自然教室までノーマルタイヤの車でも大丈夫との情報を得たことに加え、 この山に登るのはほぼ 20年ぶりであること、そして何よりも西丹沢方面から登るのは初めてだということが決め手となったものである。
なお、この檜洞丸には過去に 3回登っているが、いずれも塔ノ岳、丹沢山、蛭ヶ岳を縦走した後の最後の山という位置付けである。
そのため、この山に登り着いた時にはかなり疲れてしまっており、さらには時間も遅くなっているため展望もあまり得られず、 従ってこの山に対する印象はほとんど残っていない状況である。
雪がある今なら静かな山旅が楽しめ、檜洞丸自体の良さも確認できそうなので、今年初の山行に期待が膨らむ。

1月18日(水)、5時30分過ぎに横浜の自宅を出発する。予報通り空には雲もなく、本日は快晴のようである。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、大井松田ICを目差す。途中、まだ薄暗い空に白い富士山がぼうっと浮き上がるようにして見えていたが、 やはり新年最初の登山なので檜洞丸からも富士山を見たいところである。
大井松田ICを下りてからは国道255号線を北に進み、すぐに籠場インターから国道246号線に入って西へと進む。
道なりに暫く進み、御殿場線 谷峨駅入口の信号を過ぎると、やがて清水橋の信号に至るのでそこを右折して県道76号線に入る。
後は西丹沢自然教室までこの道を進めば良い。丹沢湖、中川温泉を過ぎ、山に入っても懸念した路面凍結はなく順調に進む。
そして、西丹沢自然教室の駐車場には 7時4分に到着、向かい側のバス停には7時10分発 新松田駅行きのバスが待機している。

車内にて朝食をとり、西丹沢自然教室のトイレを使わせてもらった後、身支度を調えて 7時18分に出発する。
駐車場には既に 1台駐車しており、身支度中にもう 1台やってくる。さらには、この自然教室より先の方に進んでいった車が 2台あったので、 山では何人かと会うことになりそうである。混み合う山は嫌であるが、冬場においては先行者なり後続者がいるのはありがたい。
西丹沢自然教室の前を通って車道をさらに先へと進んでいくと、朝日が当たり始めた大室山が前方に見えてくる。
この大室山にはこちら側から 2回登っているものの、最後に登ったのは 1999年であるから、もうあまり記憶に残っていない。 この立派な山容を見ると、もう一度登ってみたいという気にさせられる。

やがて、車道の右手に檜洞丸 (つつじ新道) の登山口が現れ、傍らの標識には 『 檜洞丸まで 4.8km 』 とある。時刻は 7時25分。
標識に従って右側の小さな谷に入る。V字型をした少々荒れ気味の谷で、足下には水がチョロチョロ流れている程度。 幸い凍っている箇所は少ないので難なく登っていくことができる。
このまま谷を詰めていくのかと思ったら、すぐに左の斜面に取り付く場所が現れる。左に曲がって梯子を昇った後、道は斜面をジグザグに登っていく。 足下には落ち葉が敷き詰められており、冬枯れの道という感じであるが、周囲には意外に緑の木々が多いことに驚く。 アラカシ、シラカシ、アセビなどのようである。
桟橋 (さんきょう) をいくつか渡りながら高度を上げていくが、急登という訳ではないので、正月太りとなった身体にとってはありがたい。

やがて、前方に尾根が見えてきて、道はそこに向かって登っていく。 登り着いた所は確かに尾根の一角になっており、そこにあった標識には 『 檜洞丸 4.4km 』 と書かれている。時刻は 7時41分。
道はここから左に曲がるが、そのまま尾根に登ることはなく、南側斜面をほぼ水平に横切っていくようになる。足下に雪は無く、 また乾いているので全く問題なく進むことができる。
右手を見れば、東沢の谷を挟んだ向こう側に山並みが見えている。板小屋沢ノ頭、ヤブ沢ノ頭、石棚山といった山々と思われるが、 大きな特徴がある訳ではないので同定が難しい。
また、その山々が奥へと延びていったその先に白く丸い山が見えている。もしかしたら、あれが本日目差す檜洞丸かもしれない。

ただ気になるのは天候の方で、予報は快晴であったにも拘わらず空には意外と雲が多く、太陽はなかなかその雲を越えられないでいる。
やがて道の傍らに、小さい蜂の巣のような蕾を持つ低木の群落が現れる。その木にいくつかある枝分かれの部分が皆 3つに分かれているので、 これが話に聞いていたミツマタであると気付く。ミツマタの花の蕾を見るのは初めてなので、これは嬉しい。
なお、ミツマタの花期は 3〜4月とのことで、この白いハニカム構造を為している一つ一つが黄色い花となって咲くらしい。
『 檜洞丸 3.9km 』 の標識を 7時52分に通過。この辺りは右に下っている斜面に木々が少ないため展望が開ける。
かといって、知っている山が見える訳ではないのだが、すぐそばに見える山はなかなか形が良く、 しかも朝日が当たり始めているのでかなり魅力的である (地図で調べると権現山のようである。近くにもう一つ権現山があるので、 区別するために箒沢権現山と呼んでいるらしい)。

暫く冬枯れの道が続くが、道が大きく左にカーブする付近から再び常緑樹が現れ始める。 先程と同じくアラカシ、シラカシ、アセビなどが見られる他、ツガなども混ざっている。
ほぼ水平であった道もやがて緩やかに下り始める。『 ゴーラ沢出合 0.2km、檜洞丸 3.2km 』 の標識を過ぎると、 前方下方に雪で白くなった河原が見えてくる。さらに緩やかに下り、やがて桟橋にて堰堤を越えるとそこはゴーラ沢出合であった。時刻は 8時10分。
丁寧にもそこには地図が置かれており、それによれば東沢を渡った後に東沢に合流するゴーラ沢を渡るようにとなっている。ただ、周囲の状況を見れば、 2回も渡渉する必要は無いようなので、東沢の渡渉 1回で済ますべく、場所を選んで流れを渡る。
水量は少ないので岩伝いに渡っていけるが、この時期は岩に氷が付着している場合があるので、要注意である。

東沢を渡り、雪の河原を左へと進む。
すぐにコンクリートの階段が現れ、そこには 『 展望台 1.2km、檜洞丸 2.9km 』 の標識が置かれている。
階段を登り終えると鎖場となるが、足下に雪は無く、登りの時には鎖は不要である。なお、鎖場の途中に、鎖を固定するコンクリートで石を固めた支柱のようなものが出てきたが、 これを見た瞬間に過去にここを通ったことを思い出す。
先に述べたように、この道は 3度下りに使っているものの、本日このゴーラ沢出合に至る迄、周囲に当時の記憶を甦らせるものは全く無かったのだが、 この鎖場を見て沢に下り立ったことを思い出したという次第である。
やはり、丹沢主稜縦走の最後の部分は疲れ果てて記憶も曖昧になっているようだ。

鎖場を終えると、急登が始まる。足下には雪も現れ始めるが、まだ疎らな状態であるため、軽アイゼンなどは不要である。
足下に小さな岩がゴロゴロしている中、斜面をジグザグに登る。周囲の木々には意外にもアセビなどの常緑樹が多く見られる。
道の方は少し緩やかになったかと思うと、再び急登というパターンを繰り返しながら高度を上げていく。足下の雪は多くなるが、 凍ってはいないためそのまま登り続ける。
やがてテーブルのある場所に登り着く。時刻は 8時25分。
テーブルの傍らには箱形のコンクリートの塊があり、そこ積もっている雪の上に荷揚げに使ったのか 2つの滑車、そしてワイヤーが飛び出ている。 しかも、ワイヤーの方は何と木の中から飛び出しているようになっているので少し驚く。
雪の下の様子が分からないため、木、コンクリート、そしてワイヤーとの関係がよく分からないが、なかなか不思議な光景である。

ここからも登りは続く。最初の方には雪のない箇所があるものの、その後は雪道が続くようになる。
しかも、所々で凍っている場所も現れるようになったので、先程のベンチで軽アイゼンを装着すべきだったと反省するが、 それでも登りの場合は大きな支障も無く登っていくことができる。
道は檜洞丸から西に下っている尾根を直登しているようで、登りが連続する。しかし、時々緩やかな勾配の道が現れるので、 正月太りの身体でもそれ程息は上がらない。
左手を見れば、東沢が流れる谷を挟んだ向こう側の斜面に林道が見えている。犬越路隧道を経て神ノ川・月夜野へと抜ける林道かと思ったのだが、 後で地図を調べると、今見えているのはその林道から南・東へと派生している道のようである。

かなり高度を上げてきたと思いながら振り返ると、樹林越しに富士山が見えたので思わず声を上げる。 木の枝が邪魔をし、さらには先程見えた箒沢権現山が富士山の右側をかなり隠してはいるものの、青い空を背景とした真白き富士は美しい。
東名高速道にて富士山が見えたので、この檜洞丸でも富士山が見えることは分かっていたが、やはり実際に富士山を見ると嬉しい。
その後も振り返ると富士山が見えはするが、木々が邪魔をしてなかなか見通すことができない。
足下の雪には凍結箇所が増えてくる。少々スリップしてロスはあるものの、アイゼン無しで何とか登って行く。

黙々と雪道を進んでいくと、先の方を大きな鳥が横切っていったのでビックリする。雉子である。
鮮やかな色彩をしていたのでオスであろうが、山で雉子を見たのは九州の双石山以来のような気がする。
やがて少し平らな尾根道が続くようになった後、その先に下りが待っていたので、これを機に軽アイゼンを装着するとともに少々休憩する。 時刻は 9時2分。
雪はチェーンスパイクで十分な状況ではあるが、実は昨年の 12月に北横岳に登った際、三ツ岳の岩場でチェーンスパイクのゴムを傷つけてしまったらしく、 帰宅後ゴムに切れ目が入っていることに気づいたのであった。従って、本日は軽アイゼンしかないのである。
久々の軽アイゼン装着に手間取り、9時9分に出発。やはり軽アイゼンがあるとスリップせずに効率良く進むことができる。

小さく下って行くと、下り着いた所には標識があり、そこには 『 展望台 0.3km、檜洞丸 2.0km 』 とある。 展望台までもう少しである。
なお、道はこの標識の前をそのまま通過していくのであるが、標識の所から左に下って行く踏み跡がある。どこに続いているのであろうか。
道の方は再び登りに入る。振り返れば時々富士山が見えるが、やはりなかなか見通せない。
それでも何とか見通せる場所を見つけては写真を撮る。高度が上がって来たため、富士山の麓付近も少し見えるようになり、 また左斜面の手前には三国山や鉄砲木ノ頭と思しき高みも見えている。しかし、もう少しスッキリと見通したいところである。
また、前方左手には白き山が見えてくるが、残念ながら檜洞丸ではなく、檜洞丸の左側にある高みのようである。熊笹ノ峰であろうか。
この辺の山々は全くといって良いほど馴染みがないので、同定が難しい。

足下の雪は徐々に増えてくるが、しっかりと踏まれており、しかも軽アイゼンを履いているので問題なく登っていくことができる。
やがて、『 檜洞丸 1.8km 』 の標識を見ると、そこから少し登ればテーブルのある展望台であった。時刻は 9時20分。
まだ少々木々が煩いものの、ここからはしっかりと富士山を見通すことができる。富士山の手前には草原と思しき黄色い広がりが見えているが、 自衛隊の富士演習場であろうか。
また、先程は富士山の右斜面をほぼ覆っていた箒沢権現山もかなり高度を下げており、富士山の左右の斜面もよく見えている。
また、箒沢権現山の右後方には菰釣山が見えている。

写真を数枚撮っただけで先へと進む。道は尾根の北側を進むようになるので、 雪はかなり多くなってくるが、道はしっかり踏まれている。
こちら側からは、振り返ると大きな山容の大室山がよく見えるようになる。さらには南アルプスの白き峰々も樹林越しにチラチラと見えるようになり、 間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳、広河内岳が確認できる。
また、広河内岳からさらに左に続く南アルプスの稜線は大きな山容の山に隠れてしまうが、どうやらその大きな山は御正体山のようである。
なお、ここまでは陽が当たらない状況が続いていたが、時々雲が切れて陽が差し、周囲がパッと明るくなることが多くなる。

周囲には常緑樹のアセビの中にブナが入り交じるようになり、時々幹が太くて立派なブナもチラホラ見られるようになる。
足下には丸太の階段、丸太の梯子も現れるようになり、何となく頂上も近いと思わせるが、まだまだ先は長い。
陽も時々当たり始めたため気分良く登っていたところ、ふと振り返ると、何と富士山の頂上部に雲がかかり始めているではないか。
そしてまた暫くして振り返ると、何ということであろうか、いつの間にか富士山の上部はスッポリと雲に覆われてしまっていたのであった。
左斜面の宝永山も見えない状況で、見えているのは富士演習場から少し上の部分だけである。
あまりの変わり様の早さに驚くとともに、テンションがグッと下がる。

鉄製の梯子を昇り、鎖場を越えて行くと、周囲には枯れたブナの木も見られるようになり、さらに先の方には稜線が見えてくる。
もう少しと思いながら登り続ける。しかし、正月太りの身体は重い。
10時19分に 『 檜洞丸 0.8km 』 の標識が立つ、テーブルのある場所に登り着く。
ここはこれまでで一番展望が良い場所で、まずは大室山がよく見え、その左後方には八ヶ岳が見えている。 八ヶ岳は主峰の赤岳を中心に、右に横岳、硫黄岳が続き、赤岳の左には阿弥陀岳、権現岳、編笠山が見えている。
また、大室山の左には加入道山が続き、大室山と加入道山を結ぶ稜線と八ヶ岳との間にはお坊山、滝子山、そして南大菩薩の山々が見えている。

少し目を左に向ければ三ツ峠山が見え、その左後方に御坂山塊が並び、さらに後方に南アルプスの山々が並ぶ。
三ツ峠山、御坂山塊の後方には北岳、間ノ岳が見え、さらに左に西農鳥岳、農鳥岳、広河内岳が続く。
また、三ツ峠山の右にある御巣鷹山の右後方には仙丈ヶ岳と思しき白い山も見えている。
少し場所を移動すれば、広河内岳のさらに左にある白河内岳も見え、その左後方に塩見岳も見えている。
なお、南アルプスの並びは一旦 大きな御正体山に隠れるが、御正体山の左後方からは悪沢岳 (東荒川岳)、赤石岳、そして聖岳といった山々が続く。
全体にややボーッとした感じではあるが、これだけの景観を得られれば文句はない。

3分程写真を撮りまくった後、先へと進む。
ここに至るまでに水分補給は行ったものの、食べ物は何も口にしていなかったため、かなり空腹感を覚えてはいたのだが、 檜洞丸まであと 0.8kmとのことなので頂上はすぐと思い、休まずに頂上を目差す。
しかし、これが失敗であった。この 0.8kmは、ここまでの標識の距離表示とその所要時間から得られた感覚とは違いかなり長いのである。
次から次へと現れる木の階段を昇り、斜面を登っていく。かなり距離を登って来たと思いつつ、やがて石棚山経由にて箒沢に下る分岐に到着したのであるが、 そこにあった標識には 『 檜洞丸 0.6km 』 とある。時刻は 10時39分なので、 先程のベンチから 17分ほどかけてわずか 0.2kmしか消化していないことになる訳で、完全に感覚が狂ってしまう。 空腹を我慢していたため、かなり身体が辛い。
なお、途中で富士山を見通せる場所があったのだが、やはり富士山は 4合目 (目分量だが) より上は完全に雲の中で、

この分岐から道は左方へと緩やかにカーブしながら高度を上げていく。
階段を昇り、木道が現れると、左手前方に檜洞丸の丸い頂上部が見えてくる。まだまだ距離があり、今までの 0.6kmとは全く違う距離がそこに存在しているようである。
階段、木道、階段と小刻みに続く道を進んで高度を上げていくと、やがて傾斜がなくなって長い木道が現れる。
その手前にて右手を見れば相模湾、そして真鶴半島と思しき岬が海に突き出しているのが見える。
木道は途中から 2つに分かれており、見晴らしの良い右側の木道を進む。右手には丹沢の主脈が並んでいるのが見え、中でも塔ノ岳がよく目立ち、 その頂上の尊仏山荘も確認できる。
やがて木道は再び 1つになるが、その手前、左右の木道の真ん中にはお馴染みのシナノキの大木があって、存在感を示している。
太い幹の中心部がウロになっていてバスタブのようであり、そのバスタブの縁から数本の幹が空に延びているのである。
さすがにこの木のことは鮮明に覚えており、檜洞丸に登っていることを実感する。

木道を終え、さらに進んでいくと、ソーラー + 風力発電設備があり、その先からは白根三山がよく見える。
階段と木道が組み合わさった道を登る。
太陽の方は先程のベンチ付近から再び雲に隠れてしまってやや薄暗い感じであったのだが、突然雲の切れ間から陽が差して周囲がパッと明るくなり、 檜洞丸頂上の後方には青空も見えている。奇跡の回復かと喜んだのも束の間、すぐに太陽は雲に飲み込まれ、また薄暗い雰囲気に逆戻りである。
途中、左側が開けた場所を通過したが、相変わらず富士山はそのほとんどを雲に覆われている。一方、八ヶ岳の右側、北西の方向には金峰山が見えるようになる。 南アルプスも再びよく見えるようになり、北岳、仙丈ヶ岳が見えるとともに、仙丈ヶ岳の右手前に鳳凰三山、そしてそのさらに右に甲斐駒ヶ岳も見えている。
また、進行方向右手には、樹林越しに丹沢山塊の最高峰である蛭ヶ岳がチラチラ見えるようになるが、なかなか見通すことができない。

少し進んでもう一度富士山の方に目を向けると、雲の上に頂上部分が少し見えている。
再び富士山の全容が見えるようになるかもしれないとの期待が高まるが、結局この後も状況は回復せず、時々頂上部分が見えるのが精々であった。
道の方は木の階段が連続するようになるが、傾斜のある階段ではないので普通に進んでいくことができる。そして、連続する階段を終え、 雪を踏みしめながら緩やかに登っていくと、その先に祠が現れる。檜洞丸に到着である。時刻は 11時4分。
やはり、正月太りで体力が落ちているためであろう、結構時間がかかってしまったが、特に最後の 0.8kmを読み誤ったのが失敗で、 若干スタミナ切れを起こしかけての到着であった。
しかし、ここまで誰にも会わない状態。駐車していた車の方、そして丹沢自然教室より先へと進んでいった方は他の山に登ったのであろうか、

いくつかあるテーブルの 1つに腰掛けて、がっつくようにして食事をする。
ノドも渇いていたのであろう、500mlのペットボトルを一気に飲み干してしまう。
少し落ち着いたところでテルモスの紅茶をユックリ飲む。本日はそれ程寒くないものの、やはり暖かい飲み物はリラックスに繋がる。
なお、檜洞丸の頂上は意外と広いが、周囲を樹林に囲まれていて展望はほとんどない。唯一、埼玉方面と思しき方角が開けていて、 同じような高さの山々が並んでいるのが見えたが、全く同定できない。

11時21分、下山開始。頂上にいる間に後続の方が登ってくるかと思ったのだが、誰も来ない。
さて、下山路であるが、犬越路方面への道も踏まれていたものの、地図を見るとかなり時間がかかりそうなので、ここは無難に往路を戻ることにする。
下り斜面に入ると、相模湾や富士山まで続く山並み、そして山中湖などの光景が目の前に広がるが、如何せん肝心の富士山が雲の中では画竜点睛を欠く。
木道を進み、石棚山経由の箒沢へと下る分岐には 11時38分に到着。分岐の先を見ると、ツボ足状態の足跡が 1つあるのみである。
先程よりもさらに霞み始めた南アルプスを見ながら下る。
ここからは、登りの際にその姿をハッキリとらえられなかった檜洞丸をカメラに収めようとトライしながら下る。 しかし、樹林が邪魔をしてなかなかとらえることができない。
何とか写真に収めはしたものの、かなり下ってきていることから、今写真に収めた山が檜洞丸だという確信があまり持てない状況である。

順調に下り、展望台には 12時23分に戻り着く。 ここまで下って来て誰にも会わないということは、このつつじ新道を登ってきたのは小生だけということなのであろう。
この独占状態に気をよくしてテーブルに腰掛けてユックリと休憩する。やはり富士山は山頂部分が少し見えているだけである。
12時36分に出発。軽アイゼンを付けたままでワイヤーロープが木の中から出ている場所まで下る。さすがにこの先は軽アイゼンも不要なのでここで外す。 時刻は 13時5分。
5分程休んでさらに先へと下る。ゴーラ沢出合には 13時19分に下り着く。東沢の上流を見ると、檜洞丸方面が見えそうだったので少し上流まで進んでみたが、 残念ながら檜洞丸自体は見えず、その左の熊笹ノ頭付近しか見えなかったのであった。

東沢を渡渉し、少し登って平らな登山道に辿り着く。振り返ると、何と檜洞丸と思しき山が樹林越しに見えたので、少し驚く。
この後、檜洞丸はミツマタの群落付近からも見えており、今朝ほど写真に収めた山は奇しくも檜洞丸だったようである。
登山口には 13時59分に下り着く。林道を左に進む。
振り返れば大室山がよく見え、その後方には雲があるものの青空が広がっている。天候は今頃になって回復したようである。
林道を暫く歩き、西丹沢自然教室には 14時5分に戻り着く。偶然にも、朝と同様バスが待機していたが、 このバスは 14時40分発の谷峨駅行きのようである。

本日は快晴との予報の下に 20年ぶりに檜洞丸に登ったが、残念ながら天気予報は外れてしまったものの、 それなりに景色を楽しむとともに、一応富士山も見ることができ、雪山も堪能して満足のいく山行であった。特に、新年早々山を独り占めできたのが嬉しい。
また、長い縦走の最後の山として登るのと、檜洞丸だけをユックリ登るのとでは山に対する印象が全く違っていた。本当に来て良かった。
なお、下山時、駐車場には 6、7台の車が駐まっていたが、皆さんどこへ行ったのであろう。


白沢峠の廃トラックと笠取山  2017.1 記

12月7日に金峰山、21日に北横岳に登ってはいるものの、 できれば 2016年中にもう 1つ山に登っておきたいところである。
そこで、天気も比較的良さそうな 28日に登ることにしたのだが、前日に身体の怠さを覚えたため、1日延ばして 29日に登ることにする。
登る山は 18年ぶりとなる奥秩父の笠取山。というよりも、今回の山行の目的は白沢峠の方で、その白沢峠に絡ませる山を笠取山にしたという次第である。
ただ、1日ずらしたのが失敗で、どうもその山域の天候は少々怪しく、当初は 1日中晴れとの予報であったものが時間を追うごとに状況が悪くなって、 結局 午前中は曇りで午後は晴れとの見込みになる。
しかし年末はこの日しかないため、少々不安ながらも 29日(木)、5時10分に横浜の自宅を出発する。

横浜ICから東名高速道下り線に乗り、海老名JCTからは圏央道へと進んで、さらに八王子JCTにて中央自動車道に入る。
仕事納めの翌日とあって帰省する車も多いのであろう、普段よりも車の量は多く、乗用車が目立つ。
それでも順調に進み、勝沼ICで高速道を下りてからはいつものルートを進み、やがて国道140号線に入る。 後は本日の駐車場である 道の駅みとみまで一直線である。
途中、登山口となる白沢橋を通過したのだが、測定すると、そこから 道の駅みとみまでは 4km強、しかも登り勾配であることを知る。
実はもう 1つの案として、道の駅みとみから雁坂峠に登り、水晶山、古礼山を経て雁峠に下った後は、笠取山をオプションとして位置づけ、 白沢峠を経て白沢橋に下山、その後 歩いて道の駅みとみまで戻るということも考えていたのである。
しかし、この距離、今の体力、日没時間を考えるとこれはとても無理と諦める。

道の駅みとみには 6時50分に到着。広い駐車場の一角には山梨市営バスが待機している。
本日の計画は、道の駅みとみ 7時21分発のバスに乗り、芹沢入口にて下車。そこから先程の白沢橋まで歩いて白沢峠を目差し、 笠取山、雁峠を経由して戻ってくるというものである。
車内で朝食をとり、道の駅のトイレを拝借した後、待機中のバスの運転手さんと少し話をする。その結果、自由乗降が可能と分かったので白沢橋で下ろしてもらうことにする。
件のバスは、ここで時間調整した後、始発場所の西沢渓谷を 7時20分に出発し、 この道の駅みとみには 7時21分に停車するのである。
定刻にバスに乗り、白沢橋手前で下りる。まるでタクシーのような使い方であるが、これで 200円とはありがたい (客は当然小生のみ)。

ここから東へと白沢沿いに林道が延びており、白沢峠に至るにはこの林道を進むことになる。
林道の入口には 『 (旧) 三富村総合案内図 』 が掲げられており、図の横に 『 白沢峠 → 』 と書かれた手書きの標識が付けられている。
7時28分に出発、右下の白沢の流れに沿ってコンクリート舗装の道を進む。
道は緩やかな登り勾配で、暫く進むと、堰堤の下を横切って左岸に渡ることになる。その際に渡渉するが、水量は少なく全く問題はない。
その後も相変わらずコンクリート道が続く。しかし、人があまり入っていないのであろう、実際はその上に落ち葉が敷き詰められている。

歩きやすかった道も、やがてコンクリートから土の道に変わるとともに、所々で荒れ果てた状態となって、 倒木、落石、そしてかなり穿れた穴が現れる。なお、途中 何回か渡渉箇所も出てくるが、皆 問題ないレベルである。川の流れる音だけが聞こえる道を黙々と歩く。
林道が明確なためか、途中に標識はほとんどない。従って、たまに現れる青地に白く書かれた 『 白沢峠 』 の文字を見るとホッとする。
展望の無い道が続く中、所々で滝を見ることができる。2番目 (と思う) の大きな滝を見た後、その滝の上部に登り着いて振り返ると、 山間 (やまあい) の先に乾徳山が見える。
しかし、乾徳山の頂上はハッキリしているものの、その上空、そして右側は雲に覆われていて、いかにも重苦しい雰囲気である。

長い林道歩きに倦んできた頃、前方に滝が見えてきたかと思うと、左手に打ち捨てられた大きな土管があり、 その傍らに 『 ← 白沢峠 』 の標識が現れる。漸く林道歩きも終わりである。時刻は 8時7分。
標識に従って左手の斜面に取り付く。聞いていたとおり、ここからは急登が始まる。
落ち葉が敷き詰められた斜面を横切るように登っていく。
道には赤テープなどほとんどないものの、踏み跡は意外と明瞭で迷うことはない。しかし、積雪の場合は少々難しかろう。

登り始めてすぐに少々朽ちかけた桟橋 (さんきょう) を渡る。 さらに少し進むと、今度は朽ちた桟橋の上に架け直された桟橋が取り付けられ、それが 2つ、3つ繋がっている場所を通過する。 右下は谷になっているため、かなり注意が必要であるが、小生としてはそこを進む緊張感よりも、 このようなあまり人が歩かないルートでも桟橋が架け直されていることへの驚きの方が大きい。
その桟橋を過ぎると周囲は杉林に変り、足下もかなりしっかりしてくる。右下を見れば、なかなか見事な滝が見えており、 水が落ち込む場所の周囲には飛沫が凍って張り付いている。やはり山中は寒いのであろうが、本日はそれ程寒さを感じない。
もう一度桟橋を渡り、堰堤横を過ぎていくと、足下には苔むした岩がゴロゴロするようになる。木々も再び自然林に変わり、 イヌブナやアブラチャンといった木が見られるようになる。

やがて道は小さな振幅の九十九折りの急登となって高度を上げていく。
樹林越しに再び乾徳山方面が見えるようになるが、相変わらず周辺に雲が多く、右手の黒金山方面は完全に雲の中である。
かなり高度も上がって来ると、前方に稜線が見えるようになり、その一番低い部分が白沢峠ではないかと思いつつ進む (実際はもっと左)。
急登が続いた道も徐々に勾配が緩やかになり、やがて落ち葉の敷き詰められたほぼ平らな道が続くようになる。もうすぐ白沢峠かと期待するが、 前方に見える稜線まではまだまだ距離がある。相変わらず上空は雲が多く、どんよりとした感じでテンションが上がらない。

ほぼ平らであった道はやがて再び登りに変わり、谷を詰めていくような感じで稜線へと向かっていく。 途中、道の上を水が流れている場所もあるが、凍ってはいないので、問題なく登っていくことができる。
やがて、周囲はカラマツ林に変わり、足下にササが見られるようになると、徐々に傾斜も緩み始め、稜線がすぐ目の前に近づいてくる。
そして、周囲に苔が多く見られるようになると、やがて落ち葉が敷き詰められている大きく開けた場所に飛び出したのであった。白沢峠に到着である。 時刻は 9時5分。

ここは防火帯の一部となっているらしく、まるで木々に囲まれた広場のようである。
そして、この白沢峠には楽しみにしていたものがある。廃トラックである。かつては切り出した木を運んでいたと思われるトラックが、 この峠の真ん中に朽ちて残っており、しかもそのトラックが外車とのことなのである。
それではと、峠を見回すと、右手の方にお目当ての廃トラックが、シャーシーより下を土に埋もれさせた状態でポツネンと置かれている。
この場所が防火帯であったからであろう、長い年月を経てもトラックは草木に飲み込まれることなく、しっかりと全体が見えている。
そして、その姿は、ここまで何とか辿り着いたものの、息が切れてへたり込んでしまったように見えてなかなか惹き付けるものがある。
さらには荷台部分から木が生えており、それが錆びたボディとともに年月を感じさせて、これまた魅力的である。

前輪の片方は外れてしまってはいるがタイヤも残っており、ドアには日本語で 『 自家用 』 と左から書かれている。
左ハンドルで、フロントバンパー、ラジエータグリルもかなりごつく、やはり外車である。
事前にネットで調べたところ、ダッヂ WC−54という第二次大戦中の米軍の主力救急車輌とのことであるが、戦後、 進駐軍から民間に払い下げられたものなのであろう (WC−54は救急車輌のため、後部は屋根付きの箱型となっているが、 それを荷物積載用に平ボディに改良したと思われる)。
かつて軍用車両だったという目で見るためか、ドアにあるいくつかの穴はまるで機銃掃射を受けたかのようである。

暫し、トラックの姿を眺めた後、標識に従って笠取山へと向かう。
1つの標識に多くの方向指示が付けられているのだが、笠取山を示す方向と、雁峠を示す方向が若干違っていて少々戸惑う。 ここは素直に笠取山を示す方向指示に従って林道のような道に入る。時刻は 9時8分。
かつて林道として使用されていたのであろうと思われる幅広い道が続く。足下には落ち葉が敷き詰められており、少々フカフカしている。
一旦少し登った後、白沢峠に至る迄に稼いできた高度を少しずつ吐き出すように緩やかな下り勾配が続く。
冬枯れの道のため、足下には落ち葉、そして周囲には葉をスッカリと落とした木々が立ち並ぶ。空には相変わらず雲が多いが、 時折 雲の切れ間から陽が差す状態が続く。
ほとんど周囲の山々が見えない中、やがて右手樹林越しに大菩薩嶺や倉掛山が見えるようになる。しかし、ほぼ逆光気味であること、 そしてその後方に雲が多いこともあって、心が浮き立つことはない。

道は、その後も小さなアップダウンを繰り返していく。
最初は物珍しかった道も、あまりにも長く、そして変化に乏しい状態が続くため、徐々に嫌気が差し始める。イライラがかなり募り始めた頃、 周囲にササが多く見られる緩やかな勾配の道を左にカーブしていくと、道の右手にまたもや廃トラックが現れる。時刻は 10時7分。
こちらの廃トラックは道の脇にどけられた状態で、その車体は林道横のササヤブに埋もれている。
こちらは白沢峠のものよりも明らかに大きく、フロントガラスにはセンターピラーがあり (無論 ガラスは残っていない)、 また後輪は左右に 2つずつ、つまり 6輪のトラックである。GMC社の CCKW−353という米軍が使用していたカーゴトラックらしい。
因みに、白沢峠の廃トラックの方は 3/4トン、こちらは 2.5トンとのことである。

白沢峠に続いて珍しい廃トラックを見たことで少し元気をもらう。
小さな水の流れを渡り、暫く緩やかに登っていくと、道は再び平らになるが、周囲にシラビソなどが見られるようになり、 何となくこの林道のような道も終わりに近づいたのではないかとの期待が高まる。
そして、その通り、さらに 5分ほど歩くと、前方にゲートが見えてきたのであった。鳥小屋分岐に到着である。時刻は 10時22分。
しかし何ということか、ゲートを越えると道は本格的な林道に合流することになり、林道歩きがさらに続くことが分かってガッカリする。
林道には車の轍もあるので、今も現役で使われている道のようである。ゲートの傍らには 『 鳥小屋 海抜 1,636米 』 と書かれた標柱が立っている。

林道を左に進む。先にも述べたように、林道上には轍があり、その部分だけ圧雪された雪が薄く残っている。
この林道歩きも長い。時折 陽が差すものの、全体的にはどんよりとした曇り空の下、展望の無い道を進む。
道は緩やかながらも登り勾配になっており、モラールが上がらない状態のためこの登りが結構辛い。
時折、樹林越しに霧氷で真っ白になった山が見える。先程見たように、乾徳山より北側の山々はその山頂部が雲に覆われていたので、 恐らく霧氷なり雪の状態なのかも知れない。ということは、笠取山も霧氷に囲まれている可能性が高いことになる。
単調な林道歩きが長く続く。またまたイライラが募り始めた頃、先の方に標柱が見えてきたので、状況打開を期待して少し足が速まる。
その標柱には 『 ヤブ沢峠 』 とあり、ここから右に一ノ瀬集落へと下る道が出ている。さらに標柱には 『 笠取小屋を経て水干 (みずひ) まで 2.3km 』 と書かれていたので、 笠取小屋はもうすぐのようである。

漸くこの先の目処が付いたのでホッとする。このまま小屋まで進もうとも思ったのだが、ここにはベンチもあり、 朝食を食べてから 4時間ほど経過しているので、休憩を取ることにする。時刻は 10時53分。
それ程寒くないとは言え、テルモスに入れてきた熱い紅茶が五臓六腑にしみ渡る。
ユックリ休んで 11時3分に出発、ここから道は緩やかに登っていく。
やがて、その道が平らになると、先の方に建物が見えてくる。笠取小屋のようだ。
そして、林道が横木を敷き詰めた木道に変わり、立派なバイオトイレの手前を右に曲がれば笠取小屋であった。時刻は 11時19分。
閉まっている小屋の前を通り、ベンチにザックを置いて周囲を歩き回る。小屋の南面は大きく開けており、周囲に雲が多いものの大菩薩嶺がよく見える。 また、大菩薩嶺の手前には黒川山、鶏冠山が見え、大菩薩嶺の左後方には雁ヶ腹摺山も見えている。
富士山も見えるのではないかと思ったが、開けている角度が狭いためなのか、それとも雲の中なのか、全くその姿は見えない。

11時26分、笠取小屋を出発。トイレの前を通って、先程の木道をさらにまっすぐ進む。
ここまで雪はほとんど無く、周囲にチラホラ見える程度であったが、暫く登って樹林帯を抜けると、木道の上は真っ白になる。
しかし、雪は 1センチにも満たず、凍ってもいないため滑ることはない。
雪の上には足跡が残っており、本日のものと思われる。先行者がいるようである。
左手を見ると、西へと延びる山々が見えるが、その上部は雲に覆われており、さらにその山腹は霧氷でかなり白くなっている。 調子が良ければ、笠取山に立ち寄らずに、雁峠から燕山、古礼山、水晶山と登って雁坂峠へと下り、そこから 道の駅みとみへと下山することもありかなと考えていたのだが、 この状況を見てその気持ちが一遍に萎える (尤も、そのコースをとった場合、かなり下山が遅くなるが・・・)。

左に雁峠への分岐を見て、目の前にある 『 小さな分水嶺 』 に登る。時刻は 11時40分。
ここは小高い丘になっており、そこにある解説によれば、この峰の東側に降った水は荒川となり、西側に降った水は富士川となり、 南側に降った水は多摩川になるとのことである。
そして、振り返ると、何と雲が流れる中に富士山が見えているではないか。全く期待していなかっただけにこれには思わず声を上げる。
流れる雲に時々その山頂部分は飲み込まれるものの、その美しい円錐形はしっかりと見えている。
今度は東側を見れば、その斜面の真ん中が防火帯になっていることにより逆モヒカンの様になった笠取山の姿が見えている。 しかも想像のとおり、防火帯の左右の樹林は霧氷で真っ白である。そして嬉しいことに、その後方には青空が広がり始めている。
一方、北西を見れば、燕山は霧氷で真っ白である上、古礼山の頂上部分には雲が掛かっている。この状況を見て、当初の予定通り笠取山に向かうことにする。

11時46分、小さな分水嶺から東に下って、小さなアップダウンを繰り返しながら笠取山へと進む。
この辺は雪がうっすらと積もっているため、登りの際は良いが、下り斜面では滑りやすく、歩くのに少々気を遣う。
一方、笠取山の後方は、青空の割合がドンドン増えており、天気予報通り午後は晴れとなるようである。
やがて笠取山手前の鞍部に至り、いよいよ目の前の急斜面に取りかかる。こちらは日当たりが良いのであろう、防火帯となっている斜面に雪はほとんど無い。 但し、抉れた登山道には雪が残っており、またぬかるんだ箇所もあるため、それを避けるようにして斜面を登る。
振り返れば、古礼山の雲は無くなって稜線がハッキリ見えるようになっているが、その後方に見えてきた水晶山には雲が掛かっている。
やはり、笠取山に登って正解である。
一方、所々で見える富士山の方は、相変わらず流れる雲にその頂上が覆われることが多いものの、左右の斜面はしっかり見えている。

息を切らせつつ急斜面を登る。時々立ち止まっては上を見上げるという動作を繰り返しながら何とか登り続けていくと、 やがて霧氷で真っ白になった木々が間近となり、最後に岩場を登れば、新しくなった 『 山梨百名山 』 の標識が目の前に現れる。時刻は 12時14分。
無論、ここは笠取山の頂上ではないことは十分承知。細い岩場を辿ってさらに先に見える少々高い場所へと進む。
しかし、その場所は頂上に非ず。標柱など無く、さらに先に道が続いている。
シャクナゲのトンネルを抜け、細いササ原の尾根を進み、さらには岩場を越えて行く。足下には雪がうっすらと積もっているため、 下りの際には少々気を遣う。
そして、今度こそと思って岩場を登れば、そこは環境庁 (今は環境省) の建てた標識のある笠取山頂上であった。時刻は 12時25分。
先程の 『 山梨百名山 』 の標識の所から結構時間が掛かったが、頂上を見逃してしまったのではないかと思って少し戻ったりしたことと、 途中見えた富士山に気を取られたりしたためである。

>狭い山頂には標識の他、三角点のような柱石があるが、これは三角点ではないようである。
ここはほぼ樹林に囲まれているため、展望は先程の 『 山梨百名山 』 の標柱の所よりは劣るものの、それでも南面が開けており、 岩の上に登れば結構展望を得ることができる。
加えて、天候は回復基調であるため、『 山梨百名山 』 の標柱の所では見えなかった山々も見えるようになっている。
まず目につくのが大菩薩嶺と富士山で、笠取小屋の時と同様、大菩薩嶺の手前には鶏冠山と黒川山、そして左奥には雁ヶ腹摺山が見えており、 さらにその左には大室山や蛭ヶ岳などの丹沢山塊も見ることができる。
また、大菩薩嶺の右、富士山の左斜面の下方には三ツ峠山が確認でき、その右側、富士山の手前下方には御坂山、黒岳が見え、 そのさらに右に節刀ヶ岳と少し間を空けて毛無山が続いている。
毛無山の右には恐らく七面山、大無間山などの山々があるのであろうが、分かりにくい。

しかし、そのさらに右には布引山、そして双耳峰の笊ヶ岳が見え、さらに右に偃松尾山が続く。
偃松尾山の右後方には上河内岳も確認でき、さらにその右に聖岳、そして赤石岳も見えている。ただ、赤石岳には少し雲が掛かっており、 その右の悪沢岳 (荒川東岳) の頂上部分は雲の中である。また、悪沢岳の右下手前には小楢山も見えている。
富士山に目を戻せば、先程述べたように手前下方を御坂山塊が横切り、そのさらに手前には柳沢ノ頭、ハンゼノ頭、倉掛山などが続く。
見える範囲は狭いが、天候が回復しつつあるからこその景色であり、このタイミングの良さを喜ぶ。

十分に休憩した後、12時38分に出発。最早辿ってきた道を戻る気は無く、さらに進んで笠取山の反対側から下山することにする。
シャクナゲのトンネルを進む。足下にはうっすらと雪が積もっているため、ここでも下り斜面になると滑らぬよう気を遣う。
なお、雪の上には足跡があるが、人影は全く見えない。
細い尾根道を進む。この笠取山は小さな分水嶺側 (西側) から見ると富士山に近い形をしているが、実際は円錐形ではなくその山容は東西に長い。 従って東へと延びる尾根道が長く続くのである。
道は徐々に下り、一旦小さな鞍部を通過して再び登りに入る。

途中、樹林が切れて富士山、そして南アルプス方面が良く見えるようになる。
今や赤石岳もその形をハッキリと確認できるようになり、その右に続く悪沢岳もその頂上に掛かる雲が少なくなっている。
悪沢岳の右には蝙蝠岳も確認でき、さらに右に白河内岳、そして広河内岳、農鳥岳、西農鳥岳も見えている。
また、広河内岳の左後方には塩見岳もその頂上部を見せてくれている。残念ながら西農鳥岳の右の間ノ岳はその頂上部分が雲に覆われており、 さらに右の北岳は辛うじてその頂上部分を確認できる程度であるが、午前中には考えられなかった光景にテンションが上がる。
また、西農鳥岳の右下手前には乾徳山が見えており、その右に続く尾根も今はハッキリ見ることができる。

道の方はピンクテープに従って右側斜面を下ることになる。 樹林の中、ササ原の道が続くが、登山道上に雪が積もっている上に急勾配の場所もあるため、滑らないように木に掴まりながら下る。
下り着いた所が水干尾根で、左に進めば黒槐ノ頭 (くろえんじゅのあたま) 方面、右に進めば水干、そして真っ直ぐに下れば一ノ瀬高原である。 時刻は 12時54分。
ここは右に曲がって水干、そして先程の小さな分水嶺を目差す。ここからは笠取山南側の山腹を巻く、ほぼ平らな道が続く。
山襞に沿ってクネクネとしている道を暫く進んでいくと、やがて水干に到着。斜面に沿って張り出している岩の上には 『 水神社 』 の額が掛かっている。 時刻は 13時2分。
ここは多摩川の最初のひとしずくが始まる場所であり、今は氷柱 (つらら) からしずくがしたたり落ちている。
また、振り返れば、富士山や大菩薩嶺がよく見える。

この水干の少し先にあるベンチで暫し休憩。この頃になると陽は間断無く当たるようになり、かなり暖かく、気持ちが良い。
13時12分に出発。なお、ベンチの所から 『 水場道 』 が下っているが、その先には、水干から一旦土に染み込んだ水が今度は最初の流れとなって湧き出る所があるらしい。
ほぼ平らな道を進んだ後、再び小さな分水嶺への道を登る。左側の樹林帯を進めば、小さな分水嶺を巻いて雁峠分岐に行けるのだが、 天候が回復してきているため、ここは小さな分水嶺経由にて雁峠へと進む。
確かに天候は回復してきており、途中、乾徳山から黒金山へと続く稜線がよく見え、さらに黒金山の右には大きく羽を広げているかの如き北奥千丈岳、 国師ヶ岳が見えるようになる。
そしてその右には古礼山、燕山が青空をバックに綺麗な稜線を見せてくれており、先程までの暗く重苦しい雰囲気は全く無い。

小さな分水嶺には 13時26分に到着。富士山は、先程までその頂上付近を流れていた分厚い雲がなくなり、 優美な姿を見せてくれている。
ただ、乾徳山の後方に見えるはずの白根三山は雲に覆われてしまっており、全く見えなくなっている。
すぐに小さな分水嶺を後にして、雁峠へと向かう。広い草原の中の道を進み、左手の雁峠分岐からの道と合流して右へと進む。
すると、雁峠方面から若者がやって来た。本日初めて山中で人と会った訳であるが、大きな荷物を背負って少々苦しそうだったので挨拶だけ交わす。
樹林に入って少し進むと、目の前に大きな燕山が見えてくる。その斜面の登りはかなりキツそうであり、それを見て、無理はせずに素直に雁峠から下ることにする。
老朽化して立入禁止となっている雁峠避難小屋を右手の樹林の中に見れば、すぐに明るく開けた雁峠に到着である。時刻は 13時35分。
ここから見上げる燕山の登り斜面は、やはり疲れた身体にはかなり厳しいものに見える。

この雁峠は西側が大きく開けており、笊ヶ岳、上河内岳、聖岳、赤石岳、悪沢岳方面を逆光気味の中に見ることができる。
ただ、先と同様、白根三山は雲の中である。また、振り返れば、笠取山が青空をバックに美しいピラミッド型を見せている。
13時38分、雁峠を後にして新地平へと下る。ササ原の斜面を下り、小さな流れを横切った後、樹林帯に入る。
樹林帯に入ると道は水の流れに沿って下るようになる。この辺は水が豊富なようで、左側の斜面からも水が幾筋か流れてきており、それを越えて行く。
前回ここを下った時は曇り空の下であったが、本日は急回復した天候の下、陽を浴びながらの明るい下りであり、かなり気持ちよく足を進めて行くことができる。
先にも述べたように小さな流れを幾度か越えて行くと、今度は本流に絡みながら何回か渡渉することになる。
いずれも問題なく渡ることができるが、最後の渡渉点では少々渡渉場所選びに迷う。 まだ暖かいから良いが、水の上に出ている岩に氷が付着するようになると、渡渉に苦労するかも知れない。

その最後の渡渉点を過ぎると、やがて道の幅は広くなり、林道のようになる。 恐らく亀田林業林道に既に入っていることになるのであろう。
しかし、この林道歩きも長い。この林道に足を踏み入れたのが 14時23分で、国道140号線に合流したのが 15時28分であるから、 1時間超の林道歩きが続くのである。
しかし、2001年の12月29日には、この林道を歩いて雁峠まで登り、笠取山を往復した後、燕山、古礼山、水晶山を経て雁坂峠へと進み、 さらには雁坂嶺を往復してから下山したのだから、その頃は本当に体力・気力が充実していたのであろう。
延々と続く林道を歩き続け、先に述べたように、国道140号線には 15時28分に合流。国道を右に進んで緩やかな勾配の道を歩き、 道の駅みとみには 15時43分に到着したのであった。

お陰でこの日は万歩計が 38,000歩を記録する。 万歩計を持って山登りをしても意外に歩数が伸びないことに驚かされるのだが、今回は林道歩きが多くあったこともあってこの歩数になったのであろう。
因みに、10月の立山は 23,000歩、奥大日岳が 24,000歩、そして 12月の金峰山は 26,000歩、北横岳が 21,500歩である。
無論、ほとんどが今回よりも厳しい山行だったことは間違いなく、歩数とは比例していないことになる。 閑話休題。

本日は念願の白沢峠に行くことができ、また 18年ぶりに笠取山にも登り、天候もかなり変化してなかなか面白い 1日であった。
しかしつくづく思ったことは、やはり初めての道を登るのはワクワク感があって楽しいということである。できれば 2017年は初めての山、 そしてそれが叶わないのならば初めてのルートを中心に山に登りたいものである。


快晴の北横岳  2016.12 記

金峰山に登った次の週は天候があまり芳しくなく、ようやく 17日、18日の土日に快晴が期待できそうな状況となる。
しかも、その翌週の予報を見るとほとんど晴れマークがないことから、これは是が非でも山に行かねばと思っていたところ、 こともあろうに少々体調を崩してしまい、18日は半日寝込んでしまったのであった。
もしかしたら、今年の山行は先の金峰山が最後となるとの危惧も出始めたところ、ありがたいことに 18日の週の天候は回復基調となり、 21日(水)はかなり天候が良さそうな気配である。
このチャンスを逃すまいと早速山に出かけることにしたのだが、数日前までの体調の悪さを考慮すると厳しい山は避けたいところである。
一方で、この時期であるから雪山に登りたいとの思いも強く、色々検討した結果、2年ぶりに北八ヶ岳の北横岳に登ることにする。
この北横岳であれば雪山という条件をクリアでき、さらには急登もほとんどないことから、まさに今の状況にピッタリである。

ただ、『 またか 』 との気持ちがあるのも確かだが、前回の北横岳ではスノーモンスター達が迎えてくれ、 真冬の山を大いに楽しんだことから、2匹目のドジョウをとの期待がこのマンネリズムを押さえ込む。
問題はそのアプローチで、登山起点となる北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅の標高は 1,771mもあるため、そこに至るまでの路面の凍結が懸念される。 このところ雪は降っておらず、また比較的気温も高めだったことから、ノーマルタイヤの車でも行ける可能性があったものの、もしもの場合を考え、 前回と同じく茅野駅まで車を進め、そこからバスにて北八ヶ岳ロープウェイ駅まで行くことにする。

12月21日(水) 5時20分に横浜の自宅を出発する。空には星が瞬いており、間違いなく本日は快晴のようである。
いつも通り横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCTからは圏央道へと進んで、さらに八王子JCTから中央自動車道に入る。
遅い出発のため周囲は明るくなっており、大月トンネルの手前にて久々に富士山を見て気分を良くする。
笹子トンネル・日影トンネルを抜けると南アルプスの山々も見えてきたが、ややボンヤリとしているのは本日気温が高いためかもしれない。
しかし、道が南アルプスに近づくと、鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳などがハッキリと見え、さらには八ヶ岳も雲一つない空をバックにクッキリと見えていて、 テンションが上がる。

しかしである、中央道原PAを過ぎると周囲は霧に囲まれ、山々は全く見えない状況に陥ってしまう。
諏訪ICで高速を下りて茅野駅に向かう途中も、周囲はガスに囲まれている状況で少々先行きが心配になる。
茅野駅前の市営青空駐車場には 7時27分に到着。車内で朝食を済ませ、身支度を調えた後、駐車場の斜め向かいにある アルピコ交通案内所に行って北八ヶ岳ロープウェイまでの往復切符を購入する (2,200円也で300円の割引)。
暫く案内所内で時間を潰した後、7時55分発のバスに乗車する。4人ほどが既に乗車していたが、登山者やスキーヤーではなく、 登山者は小生と後から乗って来たカップルの計 3名だけであった。

定刻に出発したバスは順調に茅野市街を抜けていくが、街全体が霧の中にスッポリと入っているようで、 全体的に薄ボンヤリとしており、さらには高いビルの上方部分は見えない状態である。
途中まであれ程天気が良かったのに、青空のないハッキリしない状況がずっと続いていることに不安が募ってくるが、 嬉しいことにバスがビーナスライン (県道192号線) に入る頃には霧から抜け出し、前方に青空を背景とした蓼科山、北横岳が見えてきたのであった。
途中、御嶽や中央アルプス、そして南アルプスもチラチラと見ることができ、本日の登山への期待が高まっていく。

バスは順調に進み、北八ヶ岳ロープウェイには 8時50分に到着。最後までバスに乗っていたのは、小生と件のカップルのみであった。
ところで道路状態であるが、見た限りでは完全にドライ。山麓駅手前で一部凍結箇所があったものの、恐らく小生の車でも問題なく到着できたと思われる。 少々悔しいが、こればかりは致し方ない。
まずは山麓駅内のトイレへと向かう。9時発のロープウェイ改札口の前には既に 8人程並んでいる。
トイレの後、用意してきた登山届を提出すべくポストを探したが見つからない。レストランの準備をしていた女性に聞いたところ、 登山届のポストは山頂駅にあるとのことであった。しかし、いくらほとんどの方が山頂駅から登り始めるとは言え、 この山麓駅から登るコースがあるのだから登山ポストはここにも設置すべきと思う。

駐車場からロープウェイ駅へと向かう人たちと擦れ違うようにして駐車場の北東にある登山口に向かう。
ここから登る人は誰もいないものと思っていたら、登山口の所にいた若者 2人が今にも登りだそうとしている。
小生が先になった場合、途中で抜かれるのは嫌だなと思い、彼らが登り出すのを待つべくユックリと登山口へと進んだのだったが、 先方の方が一緒に登り出すことを忌避しているような感じだったので、仕方なく小生が先に登り始める。時刻は 9時丁度。
なお、結局 最後まで彼らに抜かれることはなく、彼らとは山頂直下で擦れ違ったのであった。

最初は林の中を登る。足下には小さな岩が多く、その岩の間には再凍結した雪が詰まっている。
しかし、アイゼンを着ける程の量ではないので、少し滑るのを我慢しながら登っていく。
林はコナラやクヌギ類が多いので葉はスッカリ落ちており、その隙間の先に青空が見えている。本日は風もほとんどなくかなり暖かい。
隣接するスキー場から流れてくる音楽を聴きながら登っていくと、やがて、左手樹林越しに蓼科山が見えてくる。 蓼科山は相変わらず頂上部分だけが白く、まるで山が白いキッパー (ヤルムルケ = ユダヤ教の男性が被っている帽子のようなもの) を被っているようである。
また、少し登っていくと、今度は左手の山あいに真っ白な山々が見えてくる。最初はどこの山か分からなかったのだが、どうも既視感があると思いながらよく考えると、 何と立山、龍王岳、鬼岳、獅子岳であった。
ここから北アルプスが見えるのは分かっていたが、いきなり見えたのがこの秋に登ったばかりの立山であったことに少々驚く。

やがて樹林帯も終わりとなって周囲が灌木帯に変わると、展望が一気に開ける。
まずは北アルプスの穂高連峰から槍ヶ岳、そして常念岳へと続く白き山並みが目に飛び込んでくる。
さらに少し高度を上げると、乗鞍岳、そしてその右に少し間を空けて霞沢岳も見えてくる。
乗鞍岳の左には御嶽も姿を見せており、御嶽のさらに左には中央アルプスの山々が並び、木曽駒ヶ岳、中岳、伊那前岳、濁沢大峰、熊沢岳、空木岳、南駒ヶ岳といった山々が確認できる。
なお、中央アルプスの手前側の諏訪盆地の広がりに目をやると、茅野市付近を雲というか霧が覆っている。今朝方の状態は未だに続いているようである。

中央アルプスの左には南アルプスが見え、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、北岳などが確認できるが、やや逆光気味なのが残念である。
そして、南アルプスのさらに左には南八ヶ岳の山々がその頂上部分を見せている。右手に編笠山、そしてその左に権現岳が見え、 さらに左に阿弥陀岳、赤岳がその頂上部分を見せており、その手前を峰の松目とその稜線が走っている。
さらには、赤岳の左には西・東の天狗岳が見えている。

傾斜の方は緩やかになり、目の前にはカヤトの原が続く。
2年前には完全に雪の原だったのだが、今回雪はかなり少なく、雪よりもカヤトが目立っている。
そして、カヤトの原の先には縞枯山、北横岳が見え、その 2つの山を結ぶ稜線上にはロープウェイ山頂駅も見えている。
展望の方はさらに広がり、北アルプスは乗鞍岳から立山までの山並みを遮るもの無く見ることができるようになる。
またその手前には霧ヶ峰、八子ヶ峰 (やしがみね) なども見えている。
ロープウェイの右側下方 (南側) を進んでいた道は、途中から左に折れてロープウェイの真下を進むようになる。
この辺になると足下の雪も増えてくるが、道の雪はしっかり踏まれているので普通の山道と変わらないペースで進んでいくことができる。

やがて左下にスキー場のリフト施設が見えてくると、すぐに右側の雪のマウンドに 『 北八ヶ岳 ピラタスの丘 』 と書かれた標識が現れる。
時刻は 9時30分。
この標識を過ぎると道は下りとなり、すぐにゲレンデを横断することになる。
但し、このゲレンデはまだ使用されておらず、スキーヤー達は先程のリフト施設より下方を滑っているので、横断に気を遣う必要は無い。
ゲレンデを過ぎると道は再び樹林帯に入り、周辺にはササが多くなる。この辺でも雪の量はさほどではなく、場所によっては雪の上に石が飛び出ているところもあり、 アイゼンは全く不要である。
やがて道が左へと曲がると、その暫く先で左側の樹林が切れた場所を通過する。そこからは中央アルプス、御嶽、そして乗鞍岳、霞沢岳、穂高連峰が見えている。

道はほぼ平らなので足が進む。もう少し雪が多ければ、先程のカヤトの原、そしてこの場所でのスノーシュー使用も面白いかもしれない。
道は再び右に曲がる。平らな道もやがて緩やかな登りに入ると雪の量も増えてくるが、道は明瞭で歩行に支障は無い。
少し高度を上げて振り返れば、御嶽、乗鞍岳、霞沢岳、そして穂高連峰から槍ヶ岳にかけての山並みが見えている。
道は再びスキー場の横に出て (先程ゲレンデを横断したので右手にスキー場が現れる)、暫くスキー場の縁に沿って登っていく。
当然展望は大きく開け、右手には南アルプスの仙丈ヶ岳が見え、振り向けば中央アルプス、御嶽が見えている。
加えて、ここからは中央アルプスや御嶽に至るまでの諏訪盆地やその後方の小さな山並みが一望できて非常に気持ちが良い。

道はやがてスキー場と離れて左に折れ、樹林帯に入る。
こちら側は陽もあまり当たらないのであろう、雪の量が急に増えてくるが、道の方はしっかり踏まれている。
途中、またまた樹林が切れ、左手に御嶽、乗鞍岳、霞沢岳、穂高・槍ヶ岳方面が見える。何回見てもこれらの白き山々に飽くことはない。
かなり高度を上げてきたことと、少し斜面の北側に入ってきているためか、この辺ではシラビソなどの木々に雪が沢山残っている。
時々、それが風に吹かれてサラサラした雪の粉を巻き散らし、少し火照った顔に当たって気持ちが良い。
少し進むと、今度は右手の樹林が切れて縞枯山方面が見えてくる。こちらからその頂上方面に至る迄の木々には多くの雪が残っている。
やがて、周囲の木々の密度は疎らとなり、縞枯れ状態の木々も目立ってくる。雪の量は増えてきてはいるものの、 道は圧雪状態にあって歩行に全く問題はなく、また太陽の光を浴びて周囲がキラキラ光っていて大変気分良く進んでいくことができる。

南アルプスも仙丈ヶ岳に加えて、甲斐駒ヶ岳、北岳も見えるようになり、 目を凝らすと北岳の右後方に間ノ岳らしき高みも少し見えている。
ただ、南アルプス方面はあまりの天気の良さ、そして逆光気味なことから、ややシルエット状態なのが残念である。
やがて左手上方樹林越しにロープウェイの駅がチラチラ見え始め、左の方にカーブしていくと、ほどなく樹林を抜け出して山頂駅の下方に飛び出す。 そこから登山者用に指定された道を一登りすれば山頂駅である。時刻は 10時28分。
雪が少なかったお陰なのか、あるいはあまりの展望の良さにアドレナリンが多く出たのか、意外に早く着いたことに驚く。 体力が落ちている中では嬉しいことであるが、2週間前に金峰山に登ったばかりであることが効いているのかもしれない。

まずは駅に入り、登山届を提出する。その後、外のベンチにて少し休憩するとともに、出発時にチェーンスパイクを装着する。
ここまでアイゼン不要であったことから、この後もアイゼン無しで登れるとは思ったのだが、下山時には必要になると思われたので早めに装着した次第である。 少し食べ物を口に入れ、10時39分に出発する。
さて、ここに至るまでの間に何台のロープウェイが山頂に着いたのであろうか、周囲には観光客が 10人程おり、 既に周囲を散策して駅へと戻って来ている人達もいる。ただ、登山者は近くにはおらず小生一人で北横岳へと向かう。
前方には雪化粧された丘が見えているが、そこには第一休憩所があり、まずはその丘へと登らねばならない。

右手を見れば縞枯山が大きい。できれば久々にその山頂を踏みたいところであるが、 バスの時間の制約がある身にとっては少々厳しい。
尤も、2014年に登った時には 15時5分が茅野駅行きの最終バスであったのだが、今回は何と 16時45分のバスがあるので、 縞枯山に登ることは可能かもしれない。
どうしようかと考えていると、八ヶ岳の地図を忘れてしまったことに気がつく。ザックに入れねばと思いつつも、そのことをすっかり忘れてしまったのである。 こうなると途端に気力が失せる。そして、16時45分のバスでは茅野駅到着が 17時40分とかなり遅くなることから、それも嫌だなと思い始める。
ということで、縞枯山に登ることはアッサリと諦めたのだったが、そうなると一本前のバスは 14時45分である。
これは前回よりも条件が厳しくなる訳であるが、前回山頂駅まで 2時間を要したところを、今回は 1時間38分で登ったということで、 少々余裕がある。
しかしそれにしても、地図を忘れたのは大失態、登山者にあるまじきことである。大いに反省。

急坂を登って丘の上に登り着き、第一休憩所には 10時44分に到着。
ここからは山頂駅、そしてその後方の中央アルプスがよく見える。無論、その左には南アルプス、右には御嶽も見えている。
第二休憩所を 10時48分に通過、ほぼ平らな道を進む。
この辺は坪庭と呼ばれる広い溶岩台地であるが、さすがにこの高さになればほとんど雪に覆われていて、溶岩はあまり露出していない。
なお、本日は快晴であるため道は明瞭だが、この辺は地吹雪も起こりやすいため、視界が利かない時のために道の横には赤テープを巻いた長い竹が何本も立っている。
縞枯山・雨池峠との分岐には 10時49分に到着。北横岳へはここを左に曲がる。

ほぼ平らであった道は、その少し先から下りに入る。
グッと下って北横岳の足下に近づき、木橋を渡った所から登りが始まる。
明るい斜面を横切る道が暫く続く。傾斜は増してくるものの、アイゼン類はなくても登ることが可能なレベルである。
大きな振幅のジグザグにて山の南斜面を登っていく。やがて、樹林が切れて右手下方に坪庭、そして縞枯山がよく見えるようになる。
縞枯山の右後方には阿弥陀岳、権現岳、編笠山、西岳が見えており、さらに右には鳳凰三山、高嶺、北岳、間ノ岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳といった南アルプスの連なりが見える。
そしてさらに少し登ると、再び右側が切れて展望が広がり、今度は縞枯山の左後方に金峰山が確認できるようになる。
その少し先で両神山も見え、さらには三宝山、甲武信ヶ岳が加わるなど、奥秩父の山々が次々と見えるようになる。

ところで、この登りの途中にて今朝ほどバスで一緒だったカップルと擦れ違う。 ロープウェイに乗るか乗らないかによる 2時間ほどの時間差は、このような間隔の開きとなったということである。
やがて傾斜が緩んでくるとともに、道は左へと回り込み、ほぼ緩やかな登りの道が続くようになる。
周囲の樹林には雪が多く残っているが、今のような天候が長く続けば、やがて木には雪が無くなってしまうことであろう。 今週末くらいから気温が下がり、天候も崩れるとのことなので、もう 1週間後の方が雪山らしさを楽しめたのかも知れない。
しかし、これだけ天候の良い北横岳は初めてなので、これはこれで喜ばしいことである。
11時15分に三ツ岳・雨池峠方面への分岐を通過。その少し先にて金属の階段を昇れば、その三ツ岳がよく見えるようになる。
そしてそこから 2分程進むと樹林が切れ、北横岳ヒュッテに到着したのだった。時刻は 11時19分。

ヒュッテは閉まっているものの屋外トイレは使えるようである。
ヒュッテの前にて数人が憩っていたが、皆さん既に登頂してきたようである。ここは休まずに頂上へと向かう。
なお、ヒュッテ横の道から右手 (北東) を見れば、記憶通り樹林の間に浅間山が見えたのだった。
ヒュッテを過ぎて再び樹林帯に入ると、徐々に傾斜がキツクなり始める。道は溝状になっており、道の左右は低いながらも雪の壁である。
時間的にこの辺が一番苦しく、また最後はなかなかの急坂となるためかなり息が上がるが、やがて樹林のトンネルの先に青空が見えてきて元気をくれる。
喘ぎつつ樹林帯を抜け出すと、展望が一気に広がる。北横岳南峰はすぐそこであるにも拘わらず、ついつい立ち止まって周囲の写真を撮ってしまう。 前回はこの樹林帯を抜け出た所で強風の出迎えを受けたのだったが、本日は風も弱く全く問題ない。

眼下には辿ってきた坪庭の広がりが見え、その後方に縞枯山、そしてさらに後方に南八ヶ岳の山々が並んでいる。
今朝ほどよく見えた東・西の天狗岳は、今や後方の硫黄岳に抱かれるようにしてその存在が消えかけている。
また、硫黄岳の右奥には横岳が見え、さらに右に赤岳が続く。今朝ほどは頂上部分しか見えていなかった赤岳であるが、今は右に下る稜線、 そしてその先にある中岳、そして阿弥陀岳へと続く稜線もハッキリと見えている。
阿弥陀岳の右には権現岳、ギボシ、そして編笠山、西岳が続いている。

また、縞枯山の左後方には金峰山が見え、そこから左に鉄山、朝日岳、国師ヶ岳が続く。
国師ヶ岳から一旦下った稜線は、東梓、富士見などの高みを経て甲武信ヶ岳、三宝山へと続いている。甲武信ヶ岳の右後方に見える大きな山は木賊山と思われる。 また、三宝山の手前には天狗山、男山も確認できる。
三宝山の左手に名前の分からない山が暫く続いた後、御座山が見えているが、無論尾根続きではない。そして御座山の左後方には両神山が見えており、 さらに左、北東の方向には荒船山が見えている。

八ヶ岳の方に目を戻せば、西岳の右後方に鳳凰三山が見え、その右には高嶺、北岳、間ノ岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳が続いている。
さらに右に白岩岳、入笠山などが続いた後、その後方に中央アルプスが現れる。安平路山、越百山、仙涯嶺、南駒ヶ岳、空木岳も確認でき、 さらに東川岳、熊沢岳、檜尾岳、濁沢大峰と続いた後、伊那前岳、中岳、木曽駒ヶ岳、茶臼山などの山々が続く。
さらに少し間を空けて大棚入山、経ヶ岳が続き、御嶽、乗鞍岳へと続いている。

暫し、景色を堪能した後、少し登って北横岳南峰に登り着く。時刻は 11時33分。
ここからは蓼科山が目の前に大きい。そして、その蓼科山の左右後方には北アルプスの山々がズラリと並ぶ。
まずは、西に乗鞍岳が見えるが、乗鞍岳の左手前には鉢盛山も見えている。乗鞍岳の右には十石山、そして少し間を空けて霞沢岳が続き、 さらに西穂高岳、前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳と穂高連峰が続く。
その後、大キレットを挟んで南岳、中岳、大喰岳と続いて槍ヶ岳に至るが、槍の穂先は肉眼では少々分かりにくい。
槍ヶ岳の右には常念岳、大天井岳などの山々が続く。大天井岳のさらに右には同じような高さの山々が続き、冠雪していることもあって同定が難しい。 帰宅後に調べると水晶岳(黒岳)、野口五郎岳などの山々であった。

一旦、蓼科山に遮られた北アルプスは、蓼科山の右斜面後方の爺ヶ岳から再びその続きが始まる。
爺ヶ岳の右には鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳が続き、さらに天狗ノ頭などを経て白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳と続いている。
白馬岳の右に小蓮華岳、乗鞍岳が続いた後に北アルプスは終わりに近づく。そしてその右からは雨飾山、高妻山、焼山、火打山、黒姫山、妙高山といった山々が続いている。
そして、少し間を空けて北の方向には根子岳、四阿山が確認できるが、そのさらに右側は北横岳北峰に遮られる。
この素晴らしい光景を写真に収めた後、11時37分に北峰へと向かう。

前回はこの南峰と北峰とを繋ぐ雪の回廊にスノーモンスターがズラリと並んでいたのだが、 本日はシラビソの木が剥き出しである。
北峰には 11時40分に到着。先程の南峰からの展望に加え、蓼科山の右後方、爺ヶ岳の左には剱岳が姿を現している。
また四阿山の右側の山々も見えるようになり、草津白根山、そのさらに右に浅間山が続く。浅間山の右後方には真白き越後の山々が見えているが、 白さが目立つ故に同定がなかなか難しい。
越後の山々のさらに右には至仏山、燧ヶ岳が続いている。そしてその右には日光の山々が見えており、白いドーム型の奥白根山の他、太郎山、女峰山、男体山を確認することができる。

山頂を独占して暫し景観を楽しんだ後、11時49分に下山開始。
南峰を 11時51分に通過し、斜面を下る。雪は凍っておらずシャリシャリしているため、下りでは歯の長い軽アイゼンの方が良い気がする。
少々苦労するも順調に下り、北横岳ヒュッテには 11時58分に戻り着く。今や誰も居ないヒュッテ前で軽く食事をとり、12時5分に出発。
12時8分に三ツ岳分岐に到着したところで、時間に余裕があることから三ツ岳に行ってみることにする。
分岐点には 『 三ツ岳は岩場で危険 云々 』 の注意書きがあるにも拘わらず多くの人が登っているようで、雪の上にはしっかりとした道ができている。
シャクナゲ、シラビソの中を進む。道はほぼ平ら、所々で小さなアップダウンがあり、道の両サイドの雪の量は多い。
そして、道を外すと時々大きく足をとられることがある。実際、途中で左足がグッと潜ってしまい、バランスを崩して慌てて立て直したものの、 前につんのめってしまう。お陰でカメラを雪の中に突っ込んでしまい、その処置に数分を要する。

その頂上の岩と岩の間に標識が見えている。
この位の距離であれば、往復しても十分に 14時45分のバスに乗れるはずである。万が一そのバスに乗り遅れても、16時45分のバスがあるのがありがたい。
少し登りになり、前方に大きな岩が出てくると、樹林帯をほぼ抜け出すことになる。その大岩の右下を進む際、振り返ると北横岳の南峰、北峰がよく見える。
大岩を過ぎれば三ツ岳はすぐ目の前である。足下には大きな岩が重なるようになり、チェーンスパイクでは少々歩き辛い。岩につけられたペンキ印、 そして雪の上に残る足跡を辿る。
そして、いよいよ岩場の登りとなり、手も使う必要が出てくるが、岩は凍っていないので全く問題はない。
横に張られた鎖を伝いながら斜め右に岩場を上がっていく。その後は左に進み、ペンキ印に従って岩場を一気に登れば、 そこは標識の立つ三ツ岳頂上であった。時刻は 12時32分。

ただ、標識を見ると、柱の所に 『 三ツ岳 V峰 』 の札が付いていたので少々戸惑う。
つまり他に U峰、T峰があり、合わせて三ツ岳ということなのであろうが、9年前に登った際には単純にここは三ツ岳であったはずであり、 さらに先の雨池峠への道の中でその存在を意識させるような高みがあった記憶が無いからである。
しかしこうなると U峰、T峰にも行ってみたくなるが、如何せん地図を持っていないため、どの位の時間を要するのか分からない。
ただ、今から雨池峠へと進めば、とても 14時45分のバスに乗れないことは感覚的に分かる訳で、当初の目論見通り来た道を引き返すことにする。
なお、ここからの展望も素晴らしいが、北横岳が邪魔をして北アルプスが見えないのが残念である。また、ここは北横岳よりも低いことから、 八ヶ岳方面を見ると、再び西天狗が硫黄岳の手前上方に迫り上がってきている。

12時37分に出発し、来た道を戻る。岩場を慎重に下り、シラビソとシャクナゲの道を進んで分岐には 13時1分に戻り着く。
左に道をとって山頂駅を目差す。順調に下って坪庭に入り、第一休憩所には 13時23分に戻り着く。少し余裕が出てきたので、 ここで暫し休憩した後、13時30分に出発して山頂駅には 13時35分に戻り着く。
駅の前を左に曲り、今朝ほど登ってきた道に入る。この頃になると、周囲の山々は皆 霞み気味で、今朝ほどのような光景は得られない。
14時6分にゲレンデを横断し、その後ピラタスの丘の横を通った後、カヤトの原を進む。
そして登山口には 14時32分に戻り着く。既に 14時45分のバスは待機中である。
バス停の建物の裏手で上半身のみ着替え、14時40分にバスに乗車。バスには今朝ほどのカップルが既に座っていたのであった。
そのカップルも途中の 『 滝の湯入口 』 にて下車したので、後は茅野駅までバスは貸切状態であった。

本日は少々体調を崩した後の雪山ということでこの北横岳を選んだのだったが、 雪は少なかったものの、過去 3回の登山よりもかなり良い天気となり、なかなか楽しい山行であった。
しかし、やはりバスを使ってこの山に登るのであれば、スノーモンスターができている時に登りたいと思ったことも確かである。


初冬の金峰山独り占め  2016.12 記

この 11月は鎌倉散策 (中高年を引き連れての鎌倉低山・寺社散策) の下見を 2回行っただけで、 高い山には行けずに終わってしまった。
昨年の 11月にも登山への意欲が低下し、結局 鎌倉アルプスに登っただけであったことを考えると、寒さが増してきたことに対して 身体が何となく抵抗を示しているのではないかと思われる。
ということで、月は既に 12月に入り、さすがに焦りを感じ始める。グズグズしていると、ノーマルタイヤの車で行くことができる山域がドンドン少なくなってしまう訳で、 12月2日(金)に鎌倉散策本番を行った後、怠惰な心に鞭を当てるようにして山に行くことを計画する。
ただ、本格的な山は 10月中旬の立山、奥大日岳以来となる訳で、ただでさえ体力が落ち気味なところに、この 2ヶ月近いブランクを経て高い山に登るのは少々怖い気もする。
しかし、ここは少し無理をすべきと考え、2,500m以上の山に登ることにしたのだった。

候補として八ヶ岳、北八ヶ岳、鳳凰三山などの山々が上がったが、さすがに雪が積もりつつある中、 今の体調ではこれらの山々は少々ハードルが高いと判断してパスすることとし (尤も、アプローチが可能かどうかも定かでは無いのだが)、 結局 甲武信ヶ岳と最後まで迷った末に金峰山に登ることにしたのであった。
この金峰山には既に 4回登っており、しかも、昨年の 6月に登ったばかりであるため、またかとの感も否めない。
しかし、今回選んだ瑞牆山荘からのコースは 27年ぶりとなるため かなり新鮮味を感じることができそうなこと、 そして冬が本格的になると瑞牆山荘へのアプローチが難しくなることから、金峰山に登るのなら今しかないと考え決定したものである (一方、甲武信ヶ岳の登山基地である西沢渓谷は、真冬でもアプローチできる可能性が高い)。
なお、過去 4回の金峰山登山の内訳は、瑞牆山荘側からが 1回、廻目平側からが 2回、そして御室小屋方面からが 1回ということになる。

12月7日(水)、4時半過ぎに横浜の自宅を出発する。上空には雲が多く、 少々先行きが心配になるが、現地の予報は快晴になっている。
いつも通り横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTからは圏央道へと進んで、八王子JCTにて中央自動車道に入る。
相変わらず空には雲が多いため不安が増してくるが、ありがたいことに韮崎ICを過ぎる頃には徐々に雲は消え始め、須玉ICにて高速を下り、 国道141号線を経て増富ラジウムラインに入る頃には、青空が広がるようになってくれたのであった。
JA梨北 増富出張所の先の丁字路を左折し、ラジウムラインと別れて県道610号線に入る。塩川ダムのある みずがき湖を渡り、 暫く山間部を進んでいくと、やがて右手に瑞牆山の岩峰が見えてくる。
車載の温度計はマイナス3℃を示しており、路面凍結が心配されたが、本谷釜瀬林道に入っても路面凍結はなく順調に進み、 瑞牆山荘近くの無料駐車場には 6時48分に到着したのであった。

広い駐車場には 1台が駐車しているだけであるが、それでもこの日、先行者がいるらしいことが分かっただけでもありがたい。
なお、ここでの車載温度計はマイナス5℃を示している。
身支度をして 6時54分に出発。駐車場入口の登山届ポストに用意してきた登山届を入れる。しかし、ポストは登山届で満杯で、 暫く回収されていない状況である。これでは何のための登山届提出なのか分からない。
昨年の 9月にここから瑞牆山に登った際には、トイレ利用のために瑞牆山荘まで戻ったのだったが、そのトイレは現在冬季閉鎖中であることを 駐車場に入る前に確認していたため、今回は駐車場からそのまま林の中に入る。
落ち葉が敷き詰められた中、やや薄い踏み跡を辿っていくと、やがて瑞牆山荘からの道に合流し、クヌギなどの木々の中にシラカバが混ざる林の中を進む。

落ち葉の絨毯の道はやがて木の根が剥き出した、土が抉れた斜面に変わり、その先で大岩が多く並ぶ中を登るようになる。
途中で道が分かれており、正規の道は右のようであったのだが、左に進んでしまったため少し荒れた道に苦労した次第である。
7時12分に林道に飛び出し、そこから左に少し進んで再び斜面に取りつく。気温はマイナス5℃とのことであるが、意外に寒さは感じない。
やがて里宮の参道が左手に現れるが、今回は長丁場であることを考慮して、里宮には立ち寄らずにそのまま真っ直ぐ登って行く。
なお、上空には青空が見えているものの、周囲を見回すと下方部分には雲が広がっているため、これはひょっとすると富士山や南アルプスは見えないのかもしれないとの懸念が生じる。
そんな中、樹林の先、低い所に位置している雲と山との間に白き山が見えてくる。見えた瞬間には南アルプスかと思ったのだが、 方角、そしてその形から考えると、どうやら御嶽の頂上部分のようである。ここの標高はまだ 1,700m程しかないのにも拘わらず、 南アルプスよりも遠い所にある御嶽が見えたことに少々ビックリする。

急坂を登っていくと、やがてベンチのある尾根に登り着く。時刻は 7時22分。ここからはカラマツ林の向こうに瑞牆山を見ることができる。
丁度 山頂部分と大ヤスリ岩に朝日が当たり始めているため少々神秘的なものを感じさせるとともに、その後方に青空が広がっているためテンションが上がる。
ここから道は右に曲り、緩やかな斜面を登っていく。その後、先程横切った林道の続きとなる道に少し入った後、再び斜面をジグザグに登っていけば、 やがて富士見平小屋の前に飛び出したのであった。時刻は 7時36分。
小屋は閉まっているものの、外のトイレは使用可であったことから、トイレを使わせて戴くとともに (100円也)、少し休憩する。
下方のテント場を見ると、テントが 2張あったので、駐車場にあった車の持ち主のテントかも知れない。

7時43分に出発。小屋の前を通り、小屋とトイレの間から緩やかに登っていく。
道は飯盛山 (めしもりやま) から西に延びる尾根の下方を進み、途中からその尾根上を登るようになる。
岩屑がゴロゴロしている斜面を真っ直ぐ登って行く。最初にこのルートを登って以来、何となくこのルートを避けていた感があるが、 今思えば、小生の苦手とする真っ直ぐな登りが続くのを潜在的に避けていたのかも知れない。途中、小さなジグザグはあっても、 とにかく頂上までは直線の登りが多いのである。
道の左手には樹林越しに瑞牆山がチラチラ見えるものの、木々が邪魔をして見通すことができない。

やがて、道は尾根上から外れるとともに、飯盛山の山腹を巻きながら進むようになり、従ってほぼ平らな道が続くようになる。
周囲は苔むしたコメツガ、シラビソなどの原生林へと変わり、足下には剥き出しになった木の根が多く見られるようになって、 いかにも奥秩父らしい雰囲気が漂うようになる。
道の方は小さなアップダウンを繰り返しながら進むが、全体的にはやや下り気味である。
展望の無い道が続く中、途中、右手の樹林が切れて南アルプスが見えるようになる。雲は南アルプスの下方へと下がってきており、 その雲の上に甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳といった山々が浮かんでいる。その後方には青空も広がっており、 本日は予報通り快晴となりそうなので嬉しくなる。
ただ、一方で上空は風が強いようで、木々が風に吹かれてゴーッと音を立てている。昨日 強く吹いていた風は、本日は治まると聞いていたのだが、 果たして稜線に出た時の風の状況はどうであろうか。

8時23分、鷹見岩分岐を通過。ここからも道は下り気味に進む。前方樹林越しには大日岩らしき高みがチラチラ見えている。
やがて道が平らになったかと思うと、樹林帯を飛び出して開けた場所に出る。
前方には木々に囲まれた高みの頂上部分に大日岩が見えており、また右下の窪地には大日小屋が見えている。時刻は 8時31分。
道は少し左上に進む。振り返れば、大日小屋の右後方に朝日を浴びた鷹見岩が見えている。
再び樹林帯に入り、ここからは本格的な登りが始まる。
土と岩の道を登っていくと、すぐに岩場となり、その先で鎖が付けられた岩場も現れるが、この日は岩が乾いていたため、 登り下りとも鎖を掴む必要はなかったのであった。

少し息を切らせながら登っていくと、やがて樹林が途切れ、大日岩の基部に登り着く。時刻は 8時55分。
ここは右側が大きく開けているため、南アルプスの山々がよく見える。
一番左端を見れば、雲海の上に笊ヶ岳の双耳峰が浮かんでおり、さらに右には上河内岳が雲の間からチラチラと見えている。
上河内岳の右には聖岳、赤石岳、悪沢岳、荒川中岳が続き、さらに蝙蝠岳、広河内岳、そして農鳥岳、西農鳥岳が続く。
広河内岳と農鳥岳を結ぶ稜線の後方には塩見岳が少し顔を出しているが、肉眼では少々分かりにくい。
西農鳥岳の右には間ノ岳、北岳といった白き峰が続いており、また、その手前下方には薬師岳、観音岳、地蔵岳の鳳凰三山が黒き姿にて横切っている。
北岳の右には小太郎山が続き、そこから一旦下った尾根は (実際は尾根続きではないが)、アサヨ峰へと再び立ち上がっていく。
アサヨ峰の右後方には少しイメージと違う形をした仙丈ヶ岳が見え、仙丈ヶ岳の右には摩利支天のコブを左に有した甲斐駒ヶ岳がドッシリとした姿を見せている。
甲斐駒ヶ岳の右には鋸岳、編笠山 (八ヶ岳のそれではない) などの山々が続き、編笠山の右後方からは中央アルプスが始まるのであるが、 残念ながら中央アルプスは雲の中である。

鎖場を登って少し高度を上げると、西の方向、飯盛山の後方に赤岳の姿が見え始め、さらに高度を上げると、 赤岳の右に横岳、硫黄岳も見えてくる。しかし、赤岳の左にある権現岳、編笠山は雲の中である。
素晴らしい景色に満足しつつさらに先へと進む。景色に見とれたせいであろうか、本来の道とは外れ、コメツガの林の中につけられた道を進んでしまったが、 やがて正規の道に合流する。その途中、瑞牆山の姿も見ることができたのであった。
『 大日岩 』 と書かれた標識のある場所を 9時9分に通過。その標識には金峰山頂まで 『 1時間50分 』 と書かれている。

ここからも登りが続くが、小さなピークを越えては平らな道が現れるというパターンを繰り返しながら 徐々に高度を上げていく。
また、ここまで足下に雪は無かったのだが、徐々に道の上に雪が現れ始める。それが融けて凍った状態になっているので慎重に進むが、 その頻度は疎らであり、チェーンスパイクなどを装着するタイミングが難しい。
そして、この辺からは左手樹林越しに金峰山山頂、五丈岩 (五丈石、御像石、蔵石ともいう) などがチラチラと見えるようになる。
しかし、なかなか見通すことができないので少々イライラさせられる。
凍った箇所は徐々に多くなるものの、何とか氷の上に飛び出している石などを伝って通り抜ける。
この辺は展望の無い道が続き、小さなアップダウンが繰り返されていくので少々辛いところであるが、黙々と進むのみである。
そして、途中からほぼ平らな道が続くようになってホッとするが、喜んだのも束の間、やがて道は砂払ノ頭に向けての急登が始まる。

展望の無い、樹林帯の中の登りが続く。登り始めてから 3時間近く経っているので疲れも出始めているが、 久々の登山にしては足が進む方である。それでもやはり登りの連続は辛い。
そんな中、部分的に樹林が切れて御嶽、中央アルプス方面が見えるようになる。先程 中央アルプスを覆っていた雲は今やすっかり消えており、 木曽駒ヶ岳、中岳、さらにはズングリした三ノ沢岳も確認することができる。
また、御嶽のほうは先程見た時よりもかなり迫り上がってきており、山腹にあるスキー場も確認できる状況である。
なお、御嶽の噴煙は確認できないが、これは強く吹く風のせいなのかもしれない。

岩がゴロゴロした斜面を登る。途中から凍った箇所が連続するようになったため、 チェーンスパイクを装着するとともに少々休憩する。
あまりノドは乾いていないが、冬場とは言え水分補給は重要である。テルモスに入れてきた少し甘くした紅茶が美味い。
7分程休んだ後に出発、小岩がゴロゴロした道を進む。
小岩の間には一度融けた雪が氷となった状態になっており、チェーンスパイクが活躍する。
息を切らせつつ急坂を登っていくと、やがて先の方の樹林の切れ間に標識が見えてくる。砂払ノ頭に到着である。時刻は 10時19分。
ここからは完全に岩稜帯となり、従って展望が一気に開ける。

南アルプス、中央アルプス、御嶽がしっかりと見え、さらに嬉しいことに、 所々で山を隠していた雲も今はかなり下方に落ち着いている。
先程見えなかった南アルプスの上河内岳も見えるようになっており、さらには中央アルプスでは空木岳、檜尾岳も確認できるようになる。
そして、南アルプスの左手を見れば、待望の富士山の姿も見ることができるようになったのであった。
ただ、富士山には雲が波のように掛かりつつあり、富士山は見え隠れしているといった状況である。それでも富士山が見えて嬉しい。
また、この金峰山とそれぞれの山の間には雲の海ができており、素晴らしい光景である。これを見ただけでも本日の山行は満足できるというものである。
なお、懸念していたとおり稜線に立つと風が強い。しかし、身体を振られる程の強さはなく、しかも吹き続けるのではなくて断続的なので助かるが、 それでも風が吹きつつけてくると体感温度はかなり下がっていく気がする。
一方、風が止んだ時は、太陽の光を浴びてポカポカするという状態で、まるでイソップ寓話の 『 北風と太陽 』 のようである。

暫し景色を堪能した後、左に曲がって稜線を進む。 ここからは岩稜帯の尾根歩きである。
少し登って振り返れば、八ヶ岳もしっかりと見えるようになり、先程は雲に隠れていた権現岳、三ツ頭、編笠山も見え、さらに硫黄岳の右には天狗岳、 そして蓼科山も見えている。
そして、編笠山の左手後方には乗鞍岳が真っ白な姿を見せてくれている。今年登った山であるためテンションが上がる。
また、左手を見れば、小川山が見えるとともに、その左後方に浅間山、そして四阿山も見えている。
無論、瑞牆山も見えているが、今やこちらよりも低い位置にある。

ここからは歩みが急に遅くなる。展望が素晴らしいため、 ついつい立ち止まって写真を撮ってしまうためであるが、もう一つの理由として凍結した道の連続になることが上げられる。
平らなところは良いが、岩の上や岩の間を進んでいく際、その岩は氷のコーティングがなされていて、手で掴むのが難しく、結構苦労するのである。
それでも登りの時は何とかなるが、下りの場面ではチェーンスパイクでは少々心許なく、ある場所ではツルツルした岩の上をシリセードでスベリ下りたのであった。

やがて、前方に金峰山頂上、五丈岩が見えるようになり、そこまで続く稜線もしっかりと見通せるようになる。
しかし、その稜線上にはいくつものピークがあり、まるで障害物のように立ちはだかっている。
いつもならこういう光景を見ると、ため息が出てしまうところであるが、本日は素晴らしい光景の連続にそれ程 気持ちは萎えずに進んでいくことができる。
右手に富士山を眺めながら進む。相変わらず雲に飲み込まれては再び現れることを繰り返しているが、やはり富士山を見ると元気をもらうことができる。

千代ノ吹上の岩壁の迫力に圧倒されつつ足を進めて行くと、やがてほぼ全面的に凍結した岩が現れる。
岩には鎖が付けられており、ありがたいことにその鎖は握れる状態であったので、チェーンスパイクで問題なく登れたが、 下山時はチェーンスパイクでは少々不安である。
氷の道に苦労しつつも、展望を楽しみながら登っていくと、やがて金峰山小屋への分岐に到着。時刻は 10時49分。
左下を見れば、確かに斜面の先に金峰山小屋が見えている。なお、そちらへの道は雪が少し多く、雪の上に足跡はあるものの かなり前のもののようであった。
その分岐からは雪がやや多い岩場を一登りすると、目の前に五丈岩手前の最後のピークが現れる。頂上はもうすぐである。

日当たりの良い斜面を登る。時々振り返っては、八ヶ岳、瑞牆山、そして登って来た尾根を眺める。
素晴らしい光景ではあるが、ここからは辿ってきた道程がかなり厳しかったことも見て取れる。
展望はますます広がり、浅間山は今や小川山の右上に見えるようになっており、浅間山の右手には草津白根山、さらに右には上信越の山々 (同定は難しい)、 そして至仏山、燧ヶ岳も見え、さらに右には奥白根山、太郎山、男体山も確認できる。
しかし、残念ながら北アルプスは乗鞍岳だけが見えるのみで、他の山々は雲に隠れてしまっていて全く見えない。

日当たりの良いピークを越えると、後は五丈岩までの緩やかな登りがあるだけである。
しかしそれにしても、五丈岩は見る方角によって形が全く違うことに驚かされる。
こちらから見るそれは男性のシンボルを彷彿させ、一方 金峰山山頂から見るそれは積み上げられたダンボール箱を思わせ、 遠くから見るそれは首回りなどにできるスキンタッグ (いぼ) のようである。
徐々に大きくなる五丈岩を眺めながら登る。足下の雪は少し多くなるが、せいぜい 10センチ程度である。

そして、11時23分、五丈岩の山頂側に到着。少し周囲の写真を撮った後、積み重なった岩の上を登って山頂へと向かう。
チェーンスパイクを履いたままだったので、少々苦労しつつも、三角点のある山頂には 11時27分に到着。
山頂には先行者がいるものとばかり思っていたが誰もいない。まさか人気の山である金峰山山頂を独り占めできるとはビックリである。
なお、ここから今まで見えなかった東側を見ると、鉄山、朝日岳は見えているものの、その後方は雲が多く、北奥千丈岳、国師ヶ岳は雲の中、 そして甲武信ヶ岳方面も全く見えない状態であった。
そのため、すぐに五丈岩へと戻り、今度は五丈岩の南側へと進む。

五丈岩の南側からは御室小屋方面へと下る道が出ているのだが、昨年、その御室小屋方面から金峰山に登った際、 五丈岩下方に置かれている蔵王権現の祠を見逃してしまったので、今回是非とも確認したかったのである。
15センチほどある雪を踏み、御室小屋方面への下り口に行ってみると、確かに石灯籠の左手奥に小さな石祠がある。これで目的完了、五丈岩の前にある鳥居の方へと戻る。
風が強い中、岩に腰掛けて食事。テルモスの暖かい紅茶が抜群に美味い。
食事をしながら富士山を見ると、富士山周辺の雲も今や落ち着き始めており、富士山の下方には、雲の切れ間に節刀ヶ岳などの御坂山塊が並んでいるのが見える。
食事を終え、チェーンスパイクを脱着して 10本爪アイゼンを装着する。これで凍った場所が多い下り斜面も安心である。

12時9分、下山開始、登り来たりし道を戻る。
確かに 10本爪アイゼンは威力を発揮してくれ、滅多に使う機会のない前爪までも使って順調に凍結した岩場をこなす。
周囲の景色を楽しみながら下り、12時34分に金峰山小屋との分岐を通過、凍った岩の鎖場も順調に下り、12時53分に砂払ノ頭に到着。
ここからは右に折れて樹林帯に入る。暫くは岩と氷と雪の斜面が続くのでアイゼンが役に立つが、雪が終わったところでアイゼンを脱着、 ついでに 5分程休憩する。
後は樹林帯の下りが続くだけであるが、これが結構長い。よくもまあこんな所を登って来たものだと我ながら感心する。

『 大日岩 』 と書かれた標識を 13時42分に通過し、大日小屋には 14時4分に戻り着く。
なお、朝方は好展望が得られた大日岩の基部であるが、今は雲が多く、南アルプスもほとんど見えない状況であった。
大日小屋の上部、樹林帯入口手前の岩に腰掛け、暫し休憩。ここから見上げる大日岩は日が当たって輝いており、かなり魅力的である (朝方は日が当たっておらず、 あまり魅力的ではなかった)。
14時11分に出発、樹林帯に入る。
鷹見岩への分岐を 14時21分に通過し、そこからは小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていく。
飯盛山の山腹を巻き、尾根を下った所で左に折れる。やがて富士見平小屋に到着、時刻は 14時47分。
今朝方の 2張のテントは今や撤去されている。思うに、昨日金峰山に登り、本日は瑞牆山をピストンして撤収したものと思われる。
お陰で金峰山を独占できた訳で、このテントの主のルート選びに感謝である。

14時51分に下山開始。途中、里宮に立ち寄る。時刻は 15時2分。
里宮の祠は、大岩に囲まれた中にあり、さらにその上部には庇状になった大岩まであって、なかなか自然の神秘性を感じさせる場所に置かれている。
傍らにある由緒書を要約すれば、『 この里宮はかつて金峰山・瑞牆山・朝日岳を参籠する村人の安全と五穀豊穣を願い、 大和国大峯金峯山より山神様の魂を迎えて祀っていたことを起源としている。しかし、その後 長い年月を経て社 (やしろ) は朽ち、 神霊が雨雪を被るようになっていたため、昭和45年、縁の深い奈良県吉野にある大峯金峯山より金剛蔵王大権現 (日本独自の山嶽仏教である修験道の本尊) を勧請し、 祀っている。』 とのことである。

登山路に戻り、順調に下る。
やがて樹林の先に瑞牆山荘の建物が見え隠れしてきた所で、登山道を左に外れて駐車場方面へと向かう。
この分岐に明確な道標はないものの、赤テープがあり、樹林の向こうに駐車場がチラチラ見えているので迷うことはない。
駐車場到着は 15時20分。今朝ほどの車は見当たらないので、やはり富士見平小屋にテントを張っていた方が持ち主なのであろう。
代わりに、赤いホンダ車が駐車していたが、山中では全く人に会わなかったので、持ち主は瑞牆山に登っているのかも知れない。

本日は 27年ぶりとなるコースを辿って金峰山に登ったが、 いくつかある金峰山へのコースの中でここが一番楽しめるような気がする。
27年前に登った時は雨模様のため展望も楽しめず、さらには長く苦しかった覚えがあって、その後ずっとこのコースを敬遠してきていたのであるが、 本日改めて登ってみてこのコースの素晴らしさにビックリした次第である。
勿論、好天に恵まれた上、初冬の金峰山を独占できたことが、このコースに対する印象をさらに良くしていることは間違いないところである。


鎌倉散策 2回の下見  2016.11 記

昨年の 12月、とある関係にて鎌倉アルプスを歩くという企画に参加することになり、 建長寺から天園、そして瑞泉寺までのコースを案内したのであった。さらには、その第二弾として、今年の 5月にも浄智寺から葛原岡 (くずはらおか) 神社、 銭洗弁天、佐助稲荷、そして大仏のある高徳院へと至るコースを案内したのだったが、その第三弾として 12月にまたまた鎌倉の山を歩くことになる。

さて、行き先であるが、紅葉を見るのであれば、昨年と同じコースを辿り、 途中から獅子舞谷へと下るのがベストと思われるが、恐らく同じメンバーが多く参加することになると思われるので、 ここはやはり今までとは違ったコースをとりたいところである。
ほとんど鎌倉の知識のない中、ネットにてコースを検討し、最終的に決めたのが杉本寺から衣張山 (きぬばりやま) に登り、名越 (なごえ) 切通に立ち寄った後、 鎌倉市材木座にある長勝寺へと下るコースである。
しかしそうなると、当然 事前調査が必要になる訳で、この 11月9日(水)、晴れとの予報の下に早速下見にでかけることにする。
しかし、期待に反して空には雲が多くガッカリ。この頃、天気予報は外れることが多い気がする。

実施日当日と同じ時間にすべく、横浜駅 9時44分の久里浜行きに乗り、鎌倉駅には 10時8分に到着。
東口に出て、バス乗り場 5番へと向かう。これまで 2回の鎌倉アルプスは、北鎌倉駅を起点とした徒歩であったが、今回は鎌倉駅を起点の駅とするとともに、 参加するメンバーに高齢者が多いことから、出発地点までバスで行くことにしたものである。
10時15分発の 『 ハイランド行き 』 に乗って、杉本観音のバス停には 10時24分に到着。そのまま車道を少し先に進んでいくと、 すぐに杉本寺の入口が現れる。ザックからカメラを取り出すなどして、身支度を調え、10時27分に杉本寺に入る。
この杉本寺は鎌倉最古の寺で、3体の十一面観音立像を本尊としており、拝観料は 200円である。

寺の詳細は省略するが、まずは階段を昇って運慶作と言われる仁王像が安置されている山門を潜る。
さらに階段はまっすぐ続いていて、上の方に本堂 (観音堂) も見えているのだが、この石段はすり減っているため今は通行禁止となっており、 左側の新しい階段を昇っていくことになる。
なお、この立入禁止の階段であるが、長い間人が入らなかったためか、緑の苔に覆われていて風情があるとともに、大変魅力的である。
先にも述べたように、観音堂には 3体の十一面観音立像がご本尊として安置されており、中央ならびに右の観音像は国の重要文化財に指定されている (なお、左の観音像は行基の作とされている)。
観音堂にはこの 3体の観音像の他に、前立十一面観音、新十一面観音、地蔵菩薩などが安置されている。

また、観音堂の周囲にも権現堂、六地蔵 + 身代わり地蔵、そして五輪塔群など見るべきものが多くある。
中でも五輪塔群は、北畠顕家 (きたばたけあきいえ) の鎌倉攻めによって戦死した斯波家長 (しばいえなが) とその家臣達の供養塔とのことである (かつてこの寺の裏山に杉本城があったが、ここで足利 (北朝) 方の武将で鎌倉府執事を務めた斯波家長と南朝方の北畠顕家が戦い、 家長以下 300人が自刃、杉本城は落城したとのこと)。
一通り境内を見て回った後、再び車道へと戻る。杉本寺入口脇の信号にて車道 (県道204号線=金沢街道) を横切り、南へと延びる道路に入る。 時刻は 10時49分。

滑川を渡った後、川沿いに進んでいくと、やがて十字路に到着する。 右は釈迦堂切通、左は報国寺、そして目差す衣張山は直進である。
時刻は 10時51分。ここは折角なので、当日のコースには入れていないものの 釈迦堂切通を見に行くことにする。
右折して暫く車道を進んでいくと、やがて赤茶色をしたトタン塀の家の横から左へと進む道が出てくるが、これが釈迦堂切通への道である。
左折して暫く住宅地内を進んでいくと道は行き止まりとなり、その先から釈迦堂切通への山道が始まる。
釈迦堂切通は現在通行止めとなっているため、人があまり通らないのであろう、少々周囲の草や木が煩い。
暫く山道を進んでいくと、『 工事関係者以外立入禁止 』 の立て札が現れるが、ここはその脇を通ってさらに先へと進む (けっして褒められたことではないが・・・)。
道はすぐに柵にて塞がれてしまい、完全に進むことができなくなるものの、その柵の向こうに釈迦堂切通が見えている。時刻は 10時57分。

この釈迦堂切通は鎌倉の他の切通と違い、崖を刳り貫いたトンネル型になっており、その姿は迫力満点である。
落石の危険があるために通行止めとしているようであるが、通れないにしても、是非とも見学だけはできるようにすべきであり、 その価値は十分にあるものである。
11時6分、先程の十字路へと戻り、今度はそこを右折する (左折は杉本寺)。民家の間を暫く進んでいくと、徐々に道は狭くなり、 やがて 『 浄明寺一丁目 12 』 の街区標示板が付けられた電柱が見えてくると、そこから衣張山への登りが始まる。時刻は 11時8分。
やぐら跡らしき洞窟を左に見て山道に入り、杉の中に檜が少し混ざった林の中を登っていく。杉は植林と思われるが、足下には多くの草木が生えていて、 丹沢などの植林帯とは全く趣が違っている。

そして意外だったのは、この山道が結構 本格的なことで、当日のメンバーを考えると、 これは少しキツイかもしれないレベルなのである。
道は明瞭、良く踏まれており、石段などもあって整備されているものの、如何せん登りが長く続き過ぎる。
前々回の建長寺裏手から大平山へと至るコースや、前回の浄智寺裏手の山でさえも少し苦労された方がおられたことを考えると、 この登りが長く続く道は厳しいかもしれない。
当日はどうしようかと思いつつ登り続けていくと、やがて前方に大きな岩が見えてきて、その足下に身を寄せ合うようにした男女 ? の石像が置かれている。 夫婦 (めおと) 像とのことらしいが、小生には母娘のように見える。時刻は 11時17分。
その石像の所からさらに少し登ると、道が 2つに分かれる。右の道は石段が続いていて明瞭だが、左の道は少しササに覆われていて分かりにくい。 時刻は 11時18分。

左の道には石切場跡があると聞いていたので、ここは迷わずに左の道に入る。
少し下ると右手に 4基ほどの五輪塔が現れ、そのすぐ先が石切場跡であった。時刻は 11時19分。
石切場は岩壁を刳り貫いた形になっており、その中は結構広くなっている。少し中に入ってみたが、曇り空の上に樹林の中であるため、 中は暗くてよく見えず全容が掴めない。それでも、ノミなどを使って岩を切り出していたことがしっかりと見て取れる。
しかし、やはり気味が悪いのですぐに外へと飛び出して山頂へと向かう。時刻は 11時21分。
ここからは自然林の中、石段の道が続くが、ここもかなり急登で高齢者には厳しかろう。
少し喘ぎつつ登っていくと、道は先の右側の道と合流した後、ササ藪の先の方に開けた場所が見えてくる。
衣張山頂上に到着である。時刻は 11時23分。

ここは広場になっていて、傍らには 2基の五輪塔と、比較的新しい石仏 1体が置かれている。
そして、広場の正面 (南) は開けており、そこから相模湾、鎌倉の街並み、江ノ島が見えるとともに、その後方には伊豆・箱根、 そして丹沢の山々が並んでおり、そのさらに後方に富士山も見ることができる。
と言いたいところであるが、この日は雲が多く、富士山は右側の小御岳 (こみたけ:五合目付近) が僅かに見える程度で、ほとんどが雲の中である。 その他の山々も、丹沢は丹沢三峰、丹沢山が辛うじて確認できるだけ、箱根の山も金時山がうっすらと見えているだけである。
好天、好展望を期待していただけに残念でならない。11時27分、衣張山を後にしてさらに先へと進む。

スダジイなども見られる樹林帯に入っていくと、道は一旦下った後、 少し平らな道が続き、その後 緩やかな登りとなる。
先程までと比べてかなり楽であるが、やはり問題は衣張山への登りをどうするかということである。
やがて、道の傍らに三角点が現れ (119.9mの三等三角点)、その少し先で再び小広い場所に飛び出す。
衣張山はどうやら双耳峰になっているようで、こちらは南峰、そして先程の頂上が北峰らしい。
ここにも五輪塔が置かれており、ここからは相模湾がよく見える。時刻は 11時30分。
道は左へと曲がり、再びスダジイ、ヤマザクラなどが見られる樹林帯に入る。小さなアップダウンを繰り返していくと、 やがて道は下りとなってすぐに公園のような場所に飛び出す。ここは報国寺方面からの道との合流点となっており、報国寺は左、名越切通は右である。
時刻は 11時38分。

右へと進み、地蔵尊を過ぎると、その先で 『 鎌倉市こども自然ふれあいの森 』 に入っていくが、 この辺は大変面白い構造になっている。
道自体は尾根道のようになっており、右側が下り斜面になっているため、西側の展望が大きく開けている。
一方、左側は生け垣を挟んで車道が通っており、その向こうには住宅地や幼稚園があるのである。
なお、ここからは富士山の他、伊豆や箱根、そして丹沢の山々を見渡すことができ、『 関東の富士見百景 』 77番目の場所にも登録されているとのことである。 しかし、折角の富士見百景ではあるが、先程の衣張山よりも状況は悪くなっており、富士山は完全に雲の中である。

その見晴らしの良い場所を過ぎると、再び樹林帯に入る。
階段を昇り、木橋を渡ると遊歩道の様な道に合流する。右に進むのが正しいのであるが、傍らにあった案内図を見ると、 先程の 『 関東の富士見百景 』 の場所にあるトイレを見落としてしまったことに気づく。
本番当日のことを考えると、ここはトイレの場所を確認しておくべきと思い、左に進んで車道に至り、途中から左に折れて先程の尾根筋のような道へと入る。
トイレを確認した後、再び先程の案内図の所へと戻ってからは右に道を取って、舗装された幅広い遊歩道を進む。時刻は 11時48分。
この道は左手の高みの方へ延びて行っており、登った先には展望広場があるとのことだが、名越切通へは途中から右に分かれて土の道に入ることになる。
その道の傍らには地蔵尊がある他、少し先に稲荷神社にある狛狐 ? が 2体置かれていたが、周囲に祠などなく、少々意味不明である。

やがて、道の右側にパノラマ台への分岐が現れる。本日、展望は期待できないと分かってはいるものの、 当日のことを考えて行ってみることにする。時刻は 11時51分。
ササの中の道を登る。この道も意外に急斜面。細い道をジグザグに登ってパノラマ台には 11時53分に到着。
パノラマ台というだけあって、ここは狭いながらも展望はかなり良い。後方の山々は相変わらず雲の中であるが、 手前の相模湾、稲村ヶ崎、そして江ノ島などがよく見える。
1分ほどでパノラマ台を後にして、先程の分岐には 11時56分に戻り、先へと進む。すぐに道は細くなって山道らしくなり、 少し下った後再び緩やかな登りに入る。

やがて左手に柵が現れ、土を盛り上げたような場所の横を通過していくと、 左右が落ち込んでいる、細い土手のような道となる。ただ、樹林に囲まれているため、展望は無い。 途中に、迷うような標識が現れるが、基本的にそのまままっすぐ進めば良い。
左下は大切岸 (おおきりぎし) と呼ばれる岩壁になっており、やがて道は少し下って樹林を抜け出し、その岩壁の下を通る道と合流する。
時刻は 12時1分。
道の左側にはウッドチップを敷き詰めた広場があり、そこにこの 『 お猿畠の大切岸 』 についての説明書きが置かれている。
振り返れば、先程通ってきた道の下方にある大切岸の岩壁が良く見えており、その下にウッドチップの道が通っている。
この大切岸は、かつては鎌倉幕府が三浦一族の攻撃に備えて防衛のために築いたものと言われていたようだが、 近年の調査で建物基礎に使う石材を切り出していた場所と判明したとのことである。ウッドチップが敷かれた道の下には石材を切り出した跡が埋まっているらしい。
ここの岩壁はなかなか見事で、高さはそれ程ではないものの (3〜10m程)、凝灰質砂岩と思われる岩壁が長く続いている姿は一見の価値がある。 岩の種類は違うようだが、その岩肌は宮崎県の双石山にある針の耳神社や瑞牆山のカンマンボロンを思い起こさせてくれる。

岩壁の下を往復した後、元の道に戻って先へと進む。時刻は 12時5分。
ここからは再び登りとなって樹林帯に入っていく。一登りすると、右手に小さな広場が現れ、そこにかなり風化した 2基の石廟が立っている。
説明書きなどはないのでその由来は不明だが、かつてはその内部に火葬骨を納めた蔵骨壺が納められていたとのことである。
時刻は 12時6分。
この石廟を過ぎると前方に洋館が現れ、道はその洋館の石塀に沿って進むようになる。石塀を離れると、金網柵の下、あるいは横を進むようになるのだが、 道の傍らにある大石には 『 法華宗 日蓮大上人 やきうちひなんろ 』 と書かれている。
日蓮四大法難と呼ばれるものの一つである 『 松葉ヶ谷法難 』 (鎌倉幕府に対して、法華経を正法とすべしと宗教政策の転換を促したため、 浄土教信者である念仏者たちによって草庵を夜間襲撃・焼き討ちされた事件) の際に、日蓮はこの道を逃げたということであろうか。

やがて、道は樹林を抜け出し、小広い場所に出る。 道の傍らには五輪塔の残骸のようなものがあったので、昔この場所には何かの建物があったのかも知れない。
すぐに道は左にヘアピンのように曲がっていく。カーブの内側には比較的新しい 『 無縁諸霊之碑 』 が立っている。
再び樹林帯に入って下って行くと、すぐに少し歪んだ形の丁字路に突き当たる。右は 『 長勝寺、安国論寺 』、左は 『 名越切通、まんだら堂やぐら群 』 となっている。 時刻は 12時13分。
まずは左に道をとって名越切通を目差す。道は低いながらも両側から斜面が迫っている間を抜けて徐々に下って行く。
普通の山道になった後、名越切通の説明書きを過ぎると、まんだら堂やぐら群への道が左手に現れる。時刻は 12時15分。

まんだら堂やぐら群には 150以上のやぐら (=横穴式墳墓) が集中して存在しており、 これだけ良い状態でまとまったやぐらを見ることができる遺跡は鎌倉市内にも少なく、たいへん貴重な遺跡とのことである。
現在保存工事を行っているため、柵で仕切られていて中には入れないが、毎年限られた期間だけ見学が可能である。
ちなみに、今年は 10月22日(土)〜12月12日(月)までの間の 土・日・月・祝日のみ見学することができるとのことである。
当然、本日は見学できないものの、階段を昇り、柵の所まで行ってその様子をカメラに納める。やぐら群は 3〜4階建ての団地のような感じで、 岩壁に横穴が掘られており、その中に五輪塔が見えている。なかなか不思議な光景であり、是非とも間近で見学したいものである。

12時18分に引き返し、先へと進む。なお、この頃になると時々薄日が差し出すが、まだまだ雲が多い。
第2切通を過ぎ、左手にやぐら跡と思しきものを見て、右に小坪への道を分けると、前方に両側がかなり狭まった第1切通が現れる。 左右の岩壁も高く、こちらも一見の価値がある代物である。
切通を抜けた後、先程と同じ説明書きが現れたところで Uターンする。時刻は 12時20分。
なお、第1切通の上部に登っていける道もあり、そこは展望台となっていて、切通を見下ろすことができるようになっている。

先程の丁字路には 12時25分に戻り、そのまままっすぐ進む。
ここちら側も下りとなっており、苔生した大岩が道の真ん中にあるなど、先程の名越切通を含め、古 (いにしえ) に多くの旅人が通ったであろうことを思い起こさせるような 風情のある道が続く。そして、すぐに道は急な下りに変わり、シダ類の中をジグザグに下っていく。
古の人々の往来に思いを馳せながら下って行くと、突然 道の左手にコンクリート + 金網の塀が現れて少々しらけてしまうが、 塀の向こうにある高みの下にはJR横須賀線のトンネルが通っているようである。
そして、前方下方にも線路が見えてきたので、再び文明の世界に戻って来たことになる。
なお、ここからも正面に富士山が見えるようであるが、本日は全く見ることができない。

左下に線路を見ながら、斜面を横切るようにして下って行く。 右手に五輪塔と仏像を見て桟橋を下って行くと、やがて道は車道に合流して住宅地に入る。時刻は 12時32分。 坂を下った後、左手に現れた横須賀線の踏切を渡り、すぐに右に曲がって住宅地を進む。
途中、道の左手に石に囲まれた場所があり、そこには 『 南無妙法蓮華経日蓮水 』 と彫られた石碑とともに、竹で蓋をされた井戸があったが、 ここが鎌倉五名水の一つ 『 日蓮乞水 (にちれんのこいみず)』 とのことである。時刻は 12時35分。
さらに進んでいくと、道は県道311号線にぶつかるとともに、名越踏切に至る。目差す長勝寺はこの県道311号線の向かい側である。
時刻は 12時37分。
ここからは長勝寺、安国論寺、安養院、八雲神社、常栄寺、妙本寺、本覚寺にそれぞれ立ち寄りながら車道を歩き、鎌倉駅には 14時10分に戻り着いたのであった。

その結果、名越切通から下山後に立ち寄る寺として、 当初は長勝寺を考えていたのであったが、紅葉の季節であること、寺の趣などを考え、安国論寺、妙本寺に立ち寄ることにする。 やはり現地で実際に確認しないと、こういうことは分からない。
特に安国論寺は、『 松葉ヶ谷法難 』 の原因となった 『 立正安国論 』 を日蓮が書いた場所に建っており、 法難の際に一時避難したと言われる南面窟も見ることができて歴史を感じることができる。
また、この安国論寺には富士見台なる高台があり、そこに登ってみると (この登りも意外とキツイ)、 これまで雲が多くほとんど見ることができなかった富士山をうっすらとではあるが確認することができたのであった。


ということで一応コースの下見は終了したものの、問題が生じてしまった。
先に述べたように、衣張山への登りが意外に本格的であり、当日のメンバーには少々厳しいのである。
例え、何とか引っ張り上げるようにして衣張山に登ったとしても、スタミナを使い切ってその後の行程が心配である。
そこで、帰宅後に本日のコース周辺についてネットで調べたところ、杉本寺から報国寺に至り、 そこから巡礼古道を進んで衣張山の南側に出るコースを辿るという案が浮上する。
このコースを辿ると衣張山はパスすることになるが、その後の行程で景色などはカバーできることから、十分と思われる。
なお、巡礼古道というのは、坂東三十三観音霊場の第1番札所である杉本寺から報国寺のある宅間ヶ谷を越えて、 第2番札所である逗子の岩殿寺 (がんでんじ) を目指すための巡礼の道とのことである。
しかし、古に巡礼者が通った道とは言え、実際に歩いてみなければ当日のメンバーに適しているかどうかの判断ができない訳で、 やむを得ず、11月16日(水)に下見の第二弾を実施する。

前回と同じ電車、そしてバスに乗り、杉本観音にて下車。 杉本寺を見て回った後、10時40分に杉本寺前から県道204号線を東へと進む。
なお、この日も天気予報は大きく外れて曇り空、本当についていない。
バス停 1区間を歩き、報国寺入口の信号にて右折して少し進むと、右手に報国寺の山門が見えてくる。時刻は 10時45分。
山門を潜り暫く進むと、右手に本堂が見えてくるが、この寺の一番の魅力はその本堂左手から入る 『 竹の庭 』 にある。
拝観料 200円也を払って中に入ると、すぐに目の前に孟宗竹の竹林が広がる。秋でも青々として真っ直ぐに伸びている竹の林は見事で、 加えて竹林の隙間から降り注ぐ日の光が優しく (尤もこの日は薄曇りのため、それが良かったのかも知れない)、何故かホッとさせられる場所である。 観光客が多いと少々しらけてしまうが、誰もいない時を見計らって是非とも写真に収めたい場所である。
また、この竹林の他に、やぐらや石仏、そして見事に手入れされた枯山水の庭園もあってなかなか見応えのある寺であった。

10時55分に報国寺を出発し、先程歩いてきた道をさらに先へと進む。
2分程歩くと、道の左手に巡礼古道の入口が見えてくるがこれが少々分かりにくい。少し入った所に 『 浄明寺宅間C地区急傾斜地崩壊危険区域 』 の標示板があり、 その下に手書きの 『 巡礼古道 』 と書かれた木札がぶら下がっているのだが、事前に知識を得ておかないと見過ごしてしまう可能性が高い。
なお、その入口の所には、『 浄明寺二丁目 6 』 との街区標示板が付いた電柱が立っているので、これを目印としたいところである。
時刻は 10時57分。
その電柱の横から民家の私道のような細い道に入る。民家の前を進んでいくと、すぐにコンクリート製の階段が現れる。
その階段を昇り、左に曲がって金網の塀の横を登っていくと、道はすぐに山道に変わる。既に樹林帯に入っており、足下には階段状に石が置かれていて、 いかにも古道という風情が漂っている。

ここも衣張山と同じくキツイ登りが続くのかと思ったら、 ありがたいことに道はその後かなり緩やかになったため、これならば当日のメンバーでも問題なかろうとホッとする。
道の傍らには 『 庚申塔 』 と彫られた板状の石 (板碑) が多く見られ、やはり巡礼の道であることを感じさせてくれる。
やがて、道の左側に小さな広場が見えてくる。ここは 『 金剛窟地蔵尊 』 のある場所で、岩壁にできた (あるいは彫られた) 奥行き 1m弱の窟 (いわや) に、 磨崖仏が造立されているのである。
周囲に説明書きなどないのでその由緒は分からないが、この場所は巡礼者の目的の 1つになっていたことであろう。時刻は 11時4分。

地蔵尊を過ぎ、緩やかなアップダウンのある道を進む。 これならばメンバーの負担も少ないはずである。そして、相変わらず道の周囲には多くの板碑が見られる。
小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて小さなマウンドを乗り越えた後に下りに入り、その先に人家が見えてくる。 ハイランド住宅地に到着であり、山道もこれで終了である。時刻は 11時16分。
車道に出ると、すぐに右側に公園があるのでそちらへと進む。ケヤキなどの紅葉が始まっている細長い公園の中を進んでいくと、 やがて広々とした芝生公園に出る。時刻は 11時20分。
ここには芝生に覆われた小山や東屋があり、ベンチとテーブルもいくつか置かれていて休憩にはもってこいの場所である。 当日はここで昼食にするのが良いかも知れない。

芝生公園を抜けると道は衣張山から下ってくる道との合流点に至り、 ここで 1週間前に歩いたコースと合流することになる。
時刻は 11時22分。
道を右に進めば衣張山、左に進めばすぐに 『 関東の富士見百景 』 77番目のスポットがある 『 鎌倉市こども自然ふれあいの森 』 である。
ここまでの行程を振り返り、本番当日はこの巡礼古道を辿ることに決める。これで一安心である。
さて、ここからはユックリと 1週間前に通った道を辿るだけである。
途中、まんだら堂やぐら群に立ち寄ったところ、この日は大勢の人たちが保存作業中であった。
そして、名越切通に立ち寄った後は、安国論寺、妙本寺の 2つの寺に立ち寄るだけとし、鎌倉駅には 13時2分に戻り着いたのであった。

2度に渡り衣張山近辺を歩くことになってしまったが、低山とは言え、 歴史的な見所が多く、なかなか楽しい散策であった。
惜しむらくは両日とも天候に恵まれなかったことであり、本番当日は是非とも快晴の小春日和になって欲しいものである。


快晴の奥大日岳  2016.11 記

(10月14日の立山登山からの続き)

その日 (10月14日) は立山室堂山荘に宿泊する。シーズンオフの平日のためか、個室にすることができたのだが、これが大正解。
他人に気兼ねすることなく気ままに動き回れるし、また夜は他人のイビキに悩まされることもなく快適であった。
また、温泉ではないようだが風呂もあり、浴場が広くてこちらも快適。さらには、浴槽の窓からは登ったばかりの雄山も見えて、 かなりリラックスできたのであった。

翌15日(土)は5時40分に起床。6時10分過ぎに食堂へ行って朝食をとる (朝食は 6時からとなっている)。
昨日の夕食時にはかなり混んでいた食堂であるが、今朝はガラガラ。早く食べ終えた人や朝食無しで出発した人が多かったのか、 あるいは室堂散策の後ユックリ朝食をとるという人が多いのかもしれない。
本日は慌てることもないのでユックリし、6時59分に山荘を出発する。目の前には立山の陰によってまだ日が当たらない草原が広がっており、 その向こうに朝日を浴びて輝く本日の目的地、奥大日岳が見えている。奥大日岳のみに日が当たっているため、 まさに本日のハイライトといった感じである。そしてその後方には雲一つない青空が広がっていて、本日も予報通り好天のようである。
また、振り向けば、山荘の後方に昨日登った雄山、そして頂上の社務所が見えている。

朝方は寒いと聞いていたが、この時間になれば薄手のアウター 1枚で十分。 しかし、周囲のベンチ、そして草やササには霜が降りているため、明け方はかなり気温が下がったのであろう。
石畳の道を右に進む。この辺はまさに遊歩道で、道の傍らには室堂平のエリアマップも置かれており、そこには日本語の他、英語、 中国語 (簡体字と繁体字)、韓国語も表記されている。実際に外国の方は多いようで、小生の前を歩く観光者のグループは韓国人のようであった。
まだ日の当たらぬ道を進む。振り返れば、立山室堂山荘、そしてその後方に浄土山が見えており、浄土山の左斜面が少しずつ黄色に染まり始めている。 こちら側も雲一つない青空が広がっており、本日は昨日よりも好天が期待できそうである。
道はミドリガ池の脇を通過する。今の時間、湖面も静かで、そこには雄山の山肌が綺麗に映っている。
そしてすぐに左にミクリガ池が見えてくる。こちらは湖面に小さな波が立っている上、眺める方角も悪いため、周囲の山を映し込めていない。
しかし、どちらの池も日が当たらないためか、その美しさが半分も現れていないようである。

やがて、エンマ台に到着。時刻は 7時13分。ここには火山ガス情報ステーションが建っている。
ここの北西にある地獄谷は、現在火山ガス活動が活発なために立入禁止となっており、 加えてこのエンマ台〜大日展望台間の歩道は風向きにより火山ガスの濃度が上昇することがあるようである。
そのため、このステーションには赤 (火山ガス警報発令中)、橙 (火山ガス注意報発令中) のランプが設置されていて、 火山ガス情報を知らせる役目を担うとともに、建物の横には火山ガスの濃度が強い時にタオルを濡らして口に当てるための水道が設置されている。
ここから奥大日岳方面を眺めれば、地獄谷から立ち上るガスがその山容を見えにくくさせている。かなりガスの量が多いように思えるが、 まだ気温が低いため水蒸気部分が多いのかもしれない。
また、風がないためガスはまっすぐ立ち上っており、それ程 硫黄の臭気はしない。

道はここから大きく方向転換して、一旦 東の方を向くので、石畳の道の先には立山が見えるようになる。
道は途中から左に曲がって左右が切れ落ちた尾根のようになり、やがて道の左下方に水溜まりが見えてくる。
後で地図を見ると、その水溜まりはリンドウ池と分かったのだが、池の周囲には草木がほとんど生えておらず、 採石現場にできた水溜まりという感じなのである。どうやら、このような状況になったのは火山ガスの所為らしい。
一方、右下には霜で白くなった草原の中に地塘がいくつか見えている。血の池とのことらしいが、今は氷が張っているため池は銀色である。
コンクリートと岩の道はやがて下り階段に変わりドンドン下って行く。ということは、帰りはここを登り返さねばならない訳で、少々気が滅入る。
道はヘアピンカーブのような急角度で左へと曲り、先程のリンドウ池の上部を回り込むように進む。

一旦下った道はやがて上り階段へと変わり、昇り着いたところに雷鳥荘が建っている。
雷鳥荘の前を通り過ぎると、朝日に輝く奥大日岳がよく見えるようになり、さらには左下方に地獄谷も見ることができるようになる。
火山帯であるから、白と茶色の山肌、そしてそこから立ち上るガスにはそれ程驚かないが、むしろ目を惹くのは 足下から地獄谷へと下る斜面の木々が全て枯れてしまっていることである。 火山ガスによるものであるが、その斜面の横に雷鳥荘が建っていることにも驚かされる。
また、道の右手下方には雷鳥平の広がりと、そこを占める雷鳥沢キャンプ場が見える。さすがに昨日は平日であり、 さらにシーズンオフであることもあって、キャンプ場には 20張ほどのテントしか見えない。
コンクリートと岩の階段を下る。この階段は大日展望台を過ぎてから右に曲がり、その先で雷鳥沢ヒュッテへの道を左に分けた後、 雷鳥平へと大きく下って行く。ここも帰りに登り返さねばならず、それを思うとため息が出る。

キャンプ場に下り立ち、石畳の道を進んで途中から左に折れていくと、 やがて少し下りになり、その後 浄土沢に架かる橋を渡る。
橋と言っても、4本の角材を並べて板状にしているだけの簡易なもので、普段ならどうということもないのだが、 今はその上にうっすらと霜が降りているので少し気を遣う。
滑らないように慎重に進んだのだが、木橋本体ではなく、途中にある石積みの橋脚を束ねている鉄網に足を取られそうになる。
沢を渡って左に曲がり流れに沿って進む。この辺は山の陰を抜け出しており、周囲は明るい。
前方には奥大日岳が少し顔を見せており、その左には奥大日岳に至る迄に越えねばならない 2つのピーク (2,440m峰、2,511m峰) が見えている。 そして、その後方には雲一つない青空が広がっていて弥が上にも気分が高揚する。

やがて、剱御前と大日岳方面との分岐に到着。時刻は 7時42分。
ここは流れに沿って真っ直ぐ進む。すぐに道は右手の斜面に取り付くようになり、紅葉の過ぎた草付きの道を一登りすると、 目の前に雷鳥沢の斜面が広がるようになる。
雷鳥沢というからには水が流れているものと思っていたが、剱御前小舎のある別山乗越から雷鳥平へと下る斜面のことを指しているようで、 山襞が意外に深いものの 緩やかな斜面がこちらへ下ってきている気持ちの良い場所である。
この深い山襞も積雪期、残雪期は完全に雪に埋まって平らな斜面に変わり、スキーヤー達のゲレンデとなるようである。
道の方は前方に土手のように見えている新室堂乗越に向かって、草地の中に敷かれた木道を歩くようになる。
この木道にも霜が降りているが、今は日が当たっているため融け気味であり、それ程 気を遣わずに進んでいくことができる。
但し、木道を打ち付けてある釘が緩んでいるのか、体重をかけると木道がシーソーのようにギッタンバッコン状態になってしまう箇所が 2、3あるので要注意である。

紅葉は終わったとは言え、黄色、茶色、そして所々に赤色が残っていて未だ美しい草地の中を進む。
周囲にはハイマツも見られ、明るい日差しの下で気分良く足を進めて行く。途中、雷鳥と思しき声が聞こえてきたが、 その姿を見ることはできず仕舞いであった。
やがて左手を見れば、雷鳥沢ヒュッテ、ロッジ立山連峰の建物が小高い場所に並んでいるのが見え、その後方に地獄谷とそこから立ち上る火山ガスが見えるようになる。 ガスは地獄谷の至る所から立ち上っており、その数は恐らく大小合わせて 30本以上あるのではなかろうかと思われる。なかなか面白い光景である。
やがて木道は終わりとなり、新室堂乗越への急斜面に入って、足下は岩がゴロゴロしたガラ場の様な状態になる。
息を切らせつつ斜面をジグザグに登る。新室堂乗越のある稜線はすぐそこに見えているのに、なかなか足が進まない。昨日の疲れが残っているのかもしれない。

それでもひたすら登り続けていくと、やがて平らな道に登り着き、そこから少し進むと丁字路にぶつかる。 右手の別山乗越から下ってくる道との合流点となる新室堂乗越である。時刻は 8時6分。
左に道を取り、最初は緩やかに登り、その後 平らとなった道を進む。左下には雷鳥平、そして地獄谷の広がりが見えており、 この頃になるとどちらにも日が当たり始めていて大変明るい。
特に目を惹くのが地獄谷で、多くのガスが立ち上る中に今は通行禁止となっている道が見えている。この立山について気象庁は、 現在 『 活火山であることに留意 』 のレベルとしているが、こういう状況を見ると、けっして気を許してはいけないのだとつくづく思う。

ほぼ平らな道が続いていたが、やがて道は緩やかな登りに入る。 少し登ると、前方には天狗平の溶岩台地、そしてそこに建つ立山高原ホテルが見え、 さらにその右後方にはなかなかよい形をした鍬崎山、そしてその後方にうっすらと白山が見えるようになる。
右手にはこれから越えて行かねばならない 2つの高み (2,440m峰、2,511m峰) も見えてくるが、 ありがたいことに手前の高みはその左側を巻くようである。
ササとハイマツの小さな高みを乗り越すと、先の 2つの高みの右側に奥大日岳も見えてくる。
そこから少し進むと小広い場所に至るが、ここが室堂乗越のようである。時刻は 8時15分。

ここから見る奥大日岳はおむすび型しており、その東側の斜面はかなり急峻で、 下方のカガミ谷に一気に落ち込んでいる。昨日の立山や本日の室堂から見た時には分からなかった奥大日岳の荒々しさを見て少々驚かされる。
無論、登山道はそのような斜面に作られるはずもなく、左側にある 2つの高みを越えて南東側から登ることになる。 しかし、そうであってもそこに至る迄の道程はかなり厳しそうである。
なお、見えているのは奥大日岳の最高点であり、かつては尾根通しでそこ迄行くことができたらしいのだが、今は廃道になっている。
地図上でもその最高点への道は書かれておらず、最高点の後方にある三角点を頂上としているようである。

また、この室堂乗越から振り返れば、剱御前から左に下る斜面の後方に剱岳が姿を現している。
丁度 山頂付近に日が当たり始めたところであり、剱岳の手前には前剱も確認できる。さらには、剱岳の左手に毛勝三山 (恐らく、左から釜谷山、猫又山、毛勝山の順) も見えている。
道の方は暫く緩やかな登りが続き、目の前に見える 2,440m峰の左側を巻いていく。
すぐに 2,511m峰が見えてくるが、その取り付きまでこのまま緩やかな道が続いてくれれば良いものの、 2,440m峰を巻く道は途中から岩場を登って一段高く上がってから先へと進むので息が上がる。
時刻は 8時30分を回っており、立山室堂山荘を出発して 1時間半が経過していることもあり、少々疲れが出始める。
そのためか、やがて 2,440m峰に隠れていた奥大日岳最高点が 2,511m峰の右に再び姿を表すと、 そこまでの道程を少々億劫と思う気持ちが生じてしまう。素直にここで休めば良かったのだが、後ろから人がやって来ているのでついつい先に進んでしまう。

道は 2,511m峰への登りに入る。最初は左側から巻くようにして進み、 途中から右に折れて岩がゴロゴロしている斜面を登っていく。
途中で周囲を見渡せば、下方には立山道路が走る天狗平の溶岩台地が広がっており、その手前側は称名川に抉られたのだろうか、深い谷となっていて、 平らな天狗平がテーブルのようである。
天狗平の後方には天狗山があり、さらにその後方に薬師岳が見えている。少し高度を上げていくと右手に再び剱岳も見えるようになる。
息を切らせつつ苦しい斜面を登る。ここで後から来た方に追い抜かれたが、この方はかなり足が速い。
喘ぎつつも漸く登りが終わると、ここは 2,511m峰のすぐ下で、恐らくカガミ谷乗越であろう (この先にある鞍部がカガミ谷乗越という説もある)。 時刻は 8時49分。
目の前には再び奥大日岳最高点の高みが見えている。先へと続く道を目で追うと、道は一旦少し下った後、その最高点の下方を横切って進んでおり、 目をその先に向ければ、奥大日岳頂上とされている三角点を有する高みが稜線上にポコッと飛び出しているのが見える。

道は少し右へと曲がり、奥大日岳最高点と剱岳を見ながら進む。
先程見たとおり一旦下った後、少し登って奥大日岳最高点から下ってくる尾根を横切り、最高点の南斜面の下に入っていく。
先に述べたように、かつてはここから尾根通しに最高点まで行けたようであるが、今はハイマツに囲まれていてその痕跡は確認できない。
振り向けば薬師岳がかなり迫り上がってきており、その左には笠ヶ岳が少し顔を見せ始めている。また、左手前方には中大日岳と大日岳が見えるようになり、 その鞍部には大日小屋の赤い屋根も見えている。
奥大日岳最高点から下るハイマツ帯を横切り、少し登ると、再び奥大日岳最高点の斜面とその下方を横切る登山道が見通せるようになる。 まだまだ道程は長い。
左手には中大日岳と大日岳、振り向けば薬師岳、笠ヶ岳、さらに左には水晶岳 (黒岳)、そして奥穂高岳も見え始める。

道は奥大日岳最高点の南側斜面の下方を斜めに登っていく。足下は岩がゴロゴロしていて少々歩きにくい。
おまけに疲れがかなり出てきており、少し進んでは立ち止まって上を見上げるというパターンを繰り返しながら進む。
ただ、この斜面からの展望は素晴らしい。特に目を惹くのが、下方に見える天狗平手前側のキワで、先にも述べたように称名川に深く削られた谷が素晴らしい。
草付きの斜面を横切る、岩がゴロゴロした道を登り続ける。しかし、登れども、登れどもなかなか終わりは近づいてこない。ここは我慢のしどころである。
立ち止まって振り返れば、天狗平の後方に見える山はさらに増え、奥穂高岳の左には槍ヶ岳も見えている。 但し、昨日見た景色とほぼ変わらないことから、嬉しさはあるものの、昨日ほどの感動はない。慣れとは恐ろしいものである。
さらに左には浄土山、立山も見えているが、逆光気味なのでその素晴らしさが少々削られてしまっている。

苦しかった登りも漸く終わりに近づき、奥大日岳最高点から西へと下る尾根との合流点が目の前となる。
傾斜も緩み、足下のゴロゴロした岩はほぼなくなり、やがてその尾根を横切って、これまでとは反対の北側に出る。時刻は 9時20分。
途端に剱岳の姿が飛び込んで来るが、昨日 立山から見た姿とは異なり、頂上部は少しスマートになって尖っていて、 右下に前剱を従えている姿は新たな魅力を醸し出している。また、前剱の右下、剱御前との鞍部後方には五竜岳も姿を見せている。
ここは丁字路になっていて、左手には三角点のある奥大日岳頂上が見えており、右手には奥大日岳の最高点へと至る尾根が続いている。
その尾根にはしっかりした道があり、最高点に行きたいとの誘惑に駆られるが、まずは左手の三角点を目差す。

緩やかな登りの道を進む。三角点のある高みの右後方には富山湾も見えている。
氷の張った地塘の横を通り、ハイマツ帯を少し登ると、大日岳へと続く縦走路が左に分かれ、そこから少し登れば奥大日岳頂上 (三角点) であった。 時刻は9時28分。
先程 小生を追い抜いた方は、小生が三角点を見ながら歩いている間に大日岳方面へと進んで行かれ、頂上には誰もいない。
狭い山頂には岩が積み上げられ、そこに三等三角点が置かれているが、柱石は傾いており、最早 『 故障点 』 扱いに近い気がする。
なお、小生の持つ 1991年の地図では奥大日岳の三角点の標高は 2,605.9mとなっているが、2015年の地図、 そして国土地理院の電子国土WEBには 2,606.1mと記されている。標高が改訂されたようである。

ここからの展望は素晴らしく、やはり一番に目が行くのが大日谷、 東大谷、西大谷といった谷を挟んで北東に対峙している剱岳である。
剱岳は他の北アルプスの山々から何回も眺めているが、北アルプスの北西の端に位置しているため、こちら側 (南西) から見る機会は全くなく、 そのためその姿は新鮮であり、鋭角に天を突く岩の峰は大変に魅力的である。来年には是非 再チャレンジしたいところである。
剱岳の右には前剱が続き、前剱から右へと下った尾根は剱御前に向けて再び立ち上がっていく。 そして、その鞍部近くにある一服剱の後方には五竜岳が姿を見せている。
剱御前の右には別山、真砂岳が続き、それらの山の手前、こちらのすぐソバには奥大日岳最高点の高みも見えている。

そして、真砂岳のさらに右には、立山 (富士ノ折立、大汝山、雄山) が続き、 立山の右には浄土山、そしてその右後方に鬼岳、獅子岳も見えている。さらに右側は一旦この頂上の隣にある高みに遮られるものの、 その高みの右からは野口五郎岳、槍ヶ岳、奥穂高岳、水晶岳、笠ヶ岳そして薬師岳といった山々が続いている。
薬師岳の手前には弥陀ヶ原の溶岩台地が広がっており、その右奥には鍬崎山、そしてさらにその後方に白山が見えていて、 鍬崎山の右には中大日岳、大日岳が見えている。
目を剱岳に戻し、その左側を見れば、白馬岳、旭岳、そして朝日岳といった山々が続いており、さらに左には毛勝三山、そして富山湾が見えている。

暫し、山頂からの景色を楽しんだ後、往路を戻るべく 9時36分に出発する。
大日岳方面への縦走路を見ると大変魅力的であるが、体力的、時間的な問題からここまでとしたものである。
9時42分に奥大日岳最高点との分岐に到着。傍らにある標識には 『 この先通行止め 』 とあるが、先にも述べたように道は明瞭であるため、 最高点から先への通行ができないと言う意味であると勝手に解釈して最高点へと向かう。
草付きの緩やかな斜面を登る。すぐ先に見えている高みが最高点かと思ったのだが、然にあらず。斜面を登り切ると、そこからほぼ平らな道が東へと延びており、 その先のハイマツに囲まれた中にケルンと標柱が見えている。そこが最高点のようである。
この道も明瞭、危険なところは全く無い。別山、真砂岳を先の方に見ながら 1分強歩けば、石積みのケルンがあり、 そこに立つ小さな木の棒に 『 奥大日岳 』 と書かれたプレートが付けられていたのであった。時刻は 9時47分。
ここが最高点であるのは間違いなく、ここより先は下り斜面である。

ここからの展望も素晴らしく、頂上からは見えなかった雷鳥平、地獄谷、室堂平の様子も眼下に見ることができ、 さらには浄土山の右に続く室堂山、国見山、天狗山も見え、その後方には鷲岳、鳶岳も見えている (無論、そのさらに後方には水晶岳などの山々も見えている)。
西側を見れば、先程までいた三角点のある頂上が見え、その後方に水平線が見えている。
また、今は頂上に 2人おり、さらにはその頂上へと至る道の上にも数人が見えている。狭い頂上だけに早く登り終えて正解であった。
なお、かつてあったこの最高点から先の尾根道 (カガミ谷乗越方面へと通じている) の方を見ると、うっすらと踏み跡が残っており、 その右後方には 2,511m峰も見えている。しかし、さすがに辿る気にはなれない。

9時57分、下山開始。10時2分に奥大日岳頂上と最高点との分岐に戻り、その後 最高点南側斜面を横切る道を下る。
登りの時と違って余裕で、眼下に広がる溶岩台地の様子を楽しみながら下る。10時25分にカガミ谷乗越を通過し、岩がゴロゴロした斜面を下る。 前方には地獄谷がよく見える。
10時46分に室堂乗越を通過、その後 平らな道に入ったところで、道端の岩に腰掛けて立山室堂山荘で用意してもらった弁当を広げる。 時刻は 10時56分。
眼下に雷鳥平、地獄谷、室堂平を一望でき、その上方、こちらの向かい側には立山が見えている。 このような素晴らしい眺めを見ながら食べる弁当は格別にうまい。
なお、地獄谷を見ると、今朝ほどよりもガスの量が増えているようであり、また風が出てきていてガスが東の方に流れている。 そのため、立山がガスで少し霞んで見える。

出発時、立山室堂山荘の風呂は何時から入れるかと聞いたところ、 お昼過ぎからとのことだったので、入浴できる時間に合わせるべく少しユックリする。無論、前回 立山・剱岳に登った時と同様に みくりが池温泉に入ることも考えたのだが、かなり混むような気がしたため、昨日入って気に入った、 しかも穴場である立山室堂山荘の湯に浸かることにしたものである。
11時11分に出発。道は少し先から緩やかに下って行く。前方を見れば、今朝ほどは気がつかなかったが剱岳が見えている。
そして、その右手にある別山乗越とそこへと登っていく斜面の様子が素晴らしい。

新室堂乗越には 11時17分に到着。右に曲がって岩と砂礫の斜面を下る。
急斜面を下り終えれば木道が続く。周囲は黄色や茶色の草原、そして正面には立山、浄土山が見えている。
しかし、先にも述べたように地獄谷から上がるガスによって立山は少々霞み気味である。
緩やかに下り、剱御前への分岐点には 11時31分に到着。浄土沢沿いに進み、木橋を渡って雷鳥沢キャンプ場に入る。
平らなキャンプ場を過ぎると、石畳、階段の登りが始まる。今朝ほど懸念した通り、やはりこの登りはキツく、息が上がる。
雷鳥沢ヒュッテの横を通り、漸く登り着いたところが大日展望台。ただ、その名に反して見えているのは奥大日岳で、その左方に中大日岳が少し見え、 肝心の大日岳はその頂上部分がほんの少し見えるだけである。時刻は 11時54分。

そこから再び階段を昇っていくと雷鳥荘で、その前を通過してその先にあるベンチで休憩する。 時刻は 12時1分。
地獄谷からの火山ガスの量はかなり多く、雷鳥荘の左手下方は時々ガスで真っ白になる程で、周囲には今朝ほどと比べてかなりの硫黄臭がする。 そして心なしかノドも痛い。
12時5分に出発、石畳の道を進む。その道がヘアピンカーブのように大きく曲がるところからリンドウ池、そして奥大日岳方面が見えるが、 時折 地獄谷から上がってくる火山ガスが視界を遮る。
道は血の池の上部を通過。日が当たる中、今朝ほど池に張っていた氷は融け、池は血の色とは言わないまでも茶色く見えている。
ここの登りも辛いが何とか登りきり、火山ガス情報ステーション前 (エンマ台) を 12時19分に通過。立山室堂山荘方面へと向かう。

今朝ほどとは違い、ミクリガ池、ミドリガ池にも日が当たっている。 ミクリガ池の水の色は縹色 (はなだいろ)、ミドリガ池の方は透明度が高く美しい。ただ、ミドリガ池の水面には波が立っており、 そこに映る立山の姿は今朝のようにははっきりとしていない。
観光客の間を抜け、立山室堂山荘には 12時32分に到着。一番風呂を独占できたのであった。風呂の窓から見える立山が素晴らしい。
入浴後、室堂ターミナルには 13時26分に到着。13時45分発のトロリーバスに乗り大観峰へと進む。
大観峰より乗ったロープウェイからは、下方に広がるタンボ平に目を凝らして昨日歩いた登山道を探しているうちに黒部平に到着。
黒部平からはケーブルカーにて黒部ダムへと下り、ダム堰堤を歩いてトロリーバスに乗る。流石にこのバスは混んでいて座ることはできなかったものの、 15時51分、無事に扇沢に戻り着いたのであった。

昨日の立山に引き続き、本日は奥大日岳に登ったが、 残念ながら紅葉は終わっていたものの、両日とも晴天に恵まれ、晩秋の山を大いに楽しんだのであった。
やはり晴天の下で登る山は2倍楽しめる。


20年ぶりの立山を黒部平から登る  2016.10 記

9月の天候は大変不順で、危うく山行ゼロに陥るところであったが、ギリギリの 27日に乗鞍岳に登ることができてホッとする。
その時は、肩の小屋近くになってガスが湧いてきてしまったものの、そこに至るまでの青い空と明るい日差しの下での登山に心浮き立ち、 やはり登山は快晴に限るとつくづく思ったのであった。
こうなると 10月の秋晴れに強く期待したいところであるが、残念ながら天候不順はその後も続き (無論、晴天の日もあったが、小生の都合が合わない)、 10月もズルズルと日を重ねて、気がつけばもう半ばである。
少しイライラしていたところ、漸く 14日、15日の両日は良い天気になるとの予報が出たため、早速、今年はまだ実行していない山中泊による山行を行うことにする。

行き先は立山。これは、先日 3,000m峰の登山を検討した際、乗鞍岳とともに候補に上げたことが影響しており、 その時は、折角 立山に登るのなら日帰りではなく剱岳と組ませたいと思い断念したのであった。
さて、その立山であるが、前回は室堂から登っており、畳平からの乗鞍岳と同様、かなり高い所からのスタートに少々後ろめたさを感じていたので、 今回はもう少し下の黒部平から登ることにする。
しかしそうなると、翌日の剱岳は難しくなる訳で、悩んだ結果、剱岳は来年以降に登ることにして、代わりに奥大日岳に登ることにする。

10月14日(金)、3時過ぎに横浜の自宅を出発。
先般の爺ヶ岳、そして針ノ木岳・蓮華岳の時と同様、東名高速道、圏央道、中央道と進んで、岡谷JCTから長野自動車道に入る。
梓川SAのコンビニで食料を調達した後、安曇野ICで高速を下りる。途中、空に雲が多く、安曇野ICから県道310号線、 そして一般道を経て県道306号線にて高瀬川沿いを進んでも、北アルプスの山々には雲が多く絡んでいる。
しかし、進んでいくうちに、前方左手の雲の切れ間から鹿島槍ヶ岳や五竜岳が見えるようになり、その後方に青空が広がっているのを見て、 本日の立山方面の晴天を確信する。
順調に車を進め、扇沢の無料市営駐車場には 6時25分に到着。さすがに 10月の平日ともなれば駐車場に空きはあったが、 それでも 6割程埋まっていたことに驚かされる。

扇沢発のトロリーバスはこの時期 7時30分発のため、少しユックリして車内で朝食をとり、 身支度を調えて 6時36分に駐車場を出発する。
駐車場の奥へと進み、林の中を少し登れば、扇沢の第3駐車場の前に飛び出す。
ユックリ車道を進んで扇沢駅前に着くと、既に切符売場には十数人が並んでいる。これにはビックリしたが、トイレを済ませて切符売場に戻ったところ、 大町からのバスが到着したばかりで、さらに人が増えていたのであった。
切符を購入してバス乗り場に並ぶ。人が多いとは言え、早朝に来た甲斐があってバスでは座ることができ (無論、遅く来た方は立たねばならなかった)、 7時46分に黒部ダムに到着する。
多くの人がダム展望台へと向かうのに対し、小生はそのままダム堰堤を歩き、ケーブルカーの黒部湖駅へと向かう。
途中、ダムが観光放水を行っていたが、やはりその迫力は満点である。
ケーブルカーも 8時10分発の始発に余裕で乗ることができ、黒部平駅には 8時15分に到着。立山ロープウェイに並ぼうとする人たちを横目に、 売店の中を通って外に出る。

ここは庭園になっており、湧水設備の横に 『 黒部平 標高 1,828m 』 の標識が置かれている。
ここもかなり標高が高いことになるが、室堂の標高が 2,450m程あることを思えば、先に述べた後ろめたさは少し解消される。
なお、ここは周囲を山に囲まれており、南には不動岳、赤牛岳などが、東には先日登った針ノ木岳の他、スバリ岳、赤沢岳などが、 そして西には立山の山並みが壁のように並んでいるのが見えている。
しかし、立山の雄山は見えず、立山ロープウェイ大観峰駅のある山の右後方に大汝山、富士ノ折立が確認できるのみである。
また、その山並みの左方には、最初に目差す東一ノ越も見えている。そして、その後方に青空が広がっているのが嬉しい。
ただ、それらの山肌はほぼ茶色に染まっており、紅葉のピークは過ぎてしまったようである。

ストックなどの準備をして 8時21分に出発。『 室堂・黒部湖方面 登山道 ↓ 』 の標識に従って高山植物観察園の方へと下りる。
ここにも湧水設備があったので、試しに飲んでみたところ、それ程冷たくはないものの、ノドをスーッと通る美味しい水であった。
さらに下って行くと、黒部湖方面との分岐に到着、時刻は 8時26分。ここは真っ直ぐ進んで東一ノ越を目差す。
やがて道は下りから登りへと変わり、左右から伸びるササが煩い道となる。
最初はロープウェイの下方を進む。この立山ロープウェイは、黒部平駅と大観峰駅を結ぶ 1.7kmの間に全く支柱がなく、 ロープだけで結んでいるとのこと。景観を損ねないように、また雪崩が多い地帯であることを考慮してのことらしい。

涸れた沢を渡りササの中を登っていく。上空には青空が広がり、日差しも意外と強いため、徐々に暑くなり始め、途中でアウターを脱ぐ。
前方を見上げればタンボ平の広がりと、その後方に稜線が見えており、その左側の一番低い所が目差す東一ノ越である。
先にも述べたように紅葉はもう終わったようで全体的に茶色が目立つが、所々に黄色の濃淡が入っており、まだ少し楽しむことができる。
8時45分に 『 標高 1,870m 』 の標識を通過。黒部平から一旦下ったため、歩いた時間の割に標高は上がっていない。

暫く展望の無い道が続くが、やがて赤沢岳、鳴沢岳が見えるようになる。 赤沢岳はなかなか立派な形をしており、登高意欲をそそられる。
また、赤沢岳の右にはスバリ岳、針ノ木岳も見えているが、木々が邪魔をしてなかなか見通すことができない。
前方には大観峰駅とその駅を中腹に抱く山が見えているものの、大観峰駅はまだまだ小さい。大観峰駅の標高は 2,316mで、 東一ノ越の標高は 2,480m程であるから、大観峰駅を下方に見るところまで登らねばならず、道程が遠いことを思い知らされる。
ただ、傾斜はそれほどキツクなく、時折平らな場所も出てくるので、喘ぐことなく登っていくことができる。

道の方はササが煩い場所が時折あるものの、よく踏まれており、木で階段状に整えた場所もあるなど、しっかり整備されていて歩き易い。
やがて道はササが多い地域を抜け、灌木帯を進むようになる。この頃になると道はロープウェイの下から離れて左 (南西) へと進んでおり、 進む方向の先には東一ノ越がよく見えるようになる。
大きな岩の連なりが下方へと落ち込むガレ場を横切ると、背後の展望が一気に開ける。先程の針ノ木岳、スバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳に加え、 その左に岩小屋沢岳が見えるようになり、さらに左側には布引山、鹿島槍ヶ岳 (南峰) も姿を見せてくれるようになる。
さらに少し進めば、鹿島槍ヶ岳の左に五竜岳も見え始め、ドンドン広がる展望にテンションが上がる。
右手を見れば、大観峰駅がかなり大きくなってきてはいるものの、位置的にはまだ駅の方が高い。

道は南西へと進み、大観峰駅からドンドン離れて進む。この辺は平らな道が続くのがありがたい。
やがて、道は再び大きくガレた岩の流れにぶつかり、その縁に沿って右上に登る。ロープのある少し足下が崩れかけた場所を通過し、 丸太の階段を登っていくと、今度は丸太の階段を使って先程のガレ場へ下っていくようになる。
ガレ場を横切って東一ノ越方面を見れば、その後方から四角形をしたウロコ雲が断続的に流れてきている。なかなか面白いが、雲が流れていることに少々不安を感じる。
この辺になると灌木も疎らとなり、草地の斜面が広がるようになる。展望もさらに開け、五竜岳の左後方には唐松岳も見えている。
右手を見れば、大観峰駅がほぼ真横に見えており、かなり高度を上げてきたことが分かる。

道はまたまたガレ場を横切るが、その縁に水の流れがあったのでノドを潤す。 先程の高山植物観察園の水に比べてこちらはかなり冷たい。
岩がゴロゴロした斜面を登っていく。もう完全に東一ノ越の下に広がるカール地形を実感できる場所に入っており、 黄色や茶色に染まった草地の斜面の先には東一ノ越が待っている。
東一ノ越から右に続く稜線が岩壁のように広がっている光景は、笠ヶ岳の杓子平を彷彿させる。
さらに進んでいくと、東一ノ越からの急斜面が緩やかな傾斜に変わる場所がかなり近くなる。目の前に広がる原が素晴らしい。
振り返れば黒部平駅が見え、その右下方には黒部ダム、黒部湖も見えている。

少し進むと、東一ノ越など前方に広がる尾根から転げ落ちてきた岩が集まっている場所に出る。
傍らの岩を見ると、窪みに溜まった水が凍っており、もう山の上では冬が始まっているようである。しかし本日は暖かい。
道はその広い原の右側を進んでいき、やがて東一ノ越の斜面に取り付く。斜面を横切るようにして左に登って行くのだが、 さすがにこの頃になると疲れが出始める。
余程休もうかと思ったのだが、東一ノ越はすぐ先に見えており、そこならば展望がさらに良いことが分かっているため、頑張って進み続ける。
道の傍らには 2,390mの標識があり、『 東一ノ越 0.4km 』 と書かれている。平地の 0.4kmは 5分程であるが、 山での 0.4kmは時間が読めない。しかし、今の時刻は 10時32分なので、11時前には着けるだろうと踏む。

草付きの斜面を左方向に斜めに横切っていく。道は再び灌木帯に入る。
振り返れば、大観峰駅が少し低く見えている。もう少しである。
また、大観峰駅の後方、唐松岳の左には天狗の大下りと思しき急斜面、そしてその左には天狗ノ頭、白馬鑓ヶ岳の姿が見えており、 また岩小屋沢岳の左後方には爺ヶ岳の姿も見え始めている。
道は右上へと曲り、大岩の下を登っていく。右手を見れば、白馬岳も見え始めている。
そして最後に岩屑の斜面を登れば、そこは東一ノ越であった。時刻は 10時51分。
東一ノ越は小広い場所になっていて、腰掛けるのに適した四角いコンクリートがいくつも並び、また以前は祠があったのか、 テントを張るのに適した石積みの塀が残っている。

ここからは、今まで見えなかった南〜西側の山々が見えるようになる。
まず目立つのが御山谷を挟んで目の前に並ぶ龍王岳、鬼岳、獅子岳の姿である。いずれの山も厳しい風雪に身を削られ、贅肉をそぎ落とされて、 険しさが目立っている。
これらの山のさらに左に目を向ければ、北薬師岳、薬師岳が見え、さらに左にはその特徴あるカールを横から眺めるために、 少しイメージと違う黒部五郎岳が続いている。黒部五郎岳の左には赤牛岳が見え、その左後方には水晶岳 (黒岳) が見えている。
また、反対側の、登って来たタンボ平方面を見やれば、北北東の白馬岳から始まり、右に白馬鑓ヶ岳、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、赤沢岳、 そしてスバリ岳等々、ここに至るまで見えた山々を一望することができる (但し、針ノ木岳は手前の山に隠れて見えない)。

暫し休憩し、11時1分に出発。道は左に下る立山 (雄山) の斜面を横切って進む。
ここまでの登りと違い、緩やかな登り道が続き、足が進む。少し進むと、左手の薬師岳は手前の山に隠れてしまうものの、 その代わり水晶岳の左に野口五郎岳が見えるようになり、さらに左には三ツ岳が続き、その左手前に烏帽子岳、南沢岳が見えるようになる。
烏帽子岳の左後方には大天井岳が見え、南沢岳の左後方には燕岳が見えている。燕岳の左手前には不動岳、そして不動岳の左後方には餓鬼岳が見えている。
しかし何よりも目を惹くのは、目の前の龍王岳、鬼岳、獅子岳の姿で、先にも述べたように、その筋骨隆々とした山容は大変魅力的である。
山襞に沿いながら雄山の斜面を横切っていくと、やがて左下の御山谷が詰まった先に一ノ越山荘の建物が見えてくる。 意外に早く見えたことに驚くとともに、元気が出てくるが、実際はそこまでまだまだ時間がかかる。

岩の斜面、ハイマツの斜面を横切りながら進む。キツイ登りがないのがありがたい。
左手、赤牛岳の右には笠ヶ岳も見え始めるが、その富士山の斜面をさらに急にしたような姿には少々驚かされる。 先の黒部五郎岳と言い、この笠ヶ岳と言い、見る方向によってその形が大分違っている。 そして、やがて野口五郎岳の右後方に槍ヶ岳も見え始める。
道の方は草付きの斜面を横切るようになり、山荘が近づくにつれてやや急になる。
そして、最後に急斜面をジグザグに登れば、多くの人々が憩う一ノ越山荘であった。時刻は 11時56分。
小屋前のベンチは空いていなかったので、トイレ横のベンチに腰掛けて暫し休憩する。

ここからは、右の龍王岳と左の雄山の両斜面に挟まれている範囲内で北アルプスの山々を見ることができる。
右端に笠ヶ岳、そして左端に餓鬼岳という状況で、東一ノ越からここに至るまでに見えた山々に加え、槍ヶ岳も迫り上がってきてその右横に奥穂高岳も見えている。
また、うっすらとではあるが北アルプス以外の山も見え、不動岳の後方には甲斐駒ヶ岳、北岳が確認でき、さらには餓鬼岳の左後方に八ヶ岳も見えている。
なお、帰宅後に写真を拡大して分かったのだが、餓鬼岳から右に続く稜線の後方に富士山の山頂部も見えていたのであった。 しかし、この時はそのことを知る由もない。

12時9分に出発。雄山に登ろうとしたところ、この一ノ越の南西側、室堂方面の景色が目に飛び込んできて足が止まる。
眼下には台地状の地形の上に本日宿泊予定の立山室堂山荘、そして室堂ターミナルが建っており、室堂山荘の後方にはミクリガ池、 ミドリ池が濃紺の湖面を見せている。
そしてその後方には地獄谷から上げる火山ガスがうっすらと見え、台地の右下方には雷鳥平が見えている。
これらの素晴らしい光景をさらに魅力的にしているのが、明日登る予定の奥大日岳、そしてその左に続く中大日岳、大日岳 (大日三山) の姿である。
今や眼下の台地も含め、山肌にも茶色が目立つが、その所々に見えるハイマツ帯の緑がアクセントを加えてくれている。

暫し写真を撮った後、右に進んで雄山へと取り付く。
岩場の道をジグザグに登る。ここからは 20年前に通った道になるのだが、あまり記憶がない。
岩と砂礫の斜面は少々歩きにくく、浮き石を落とさないようにと気を遣いながら登る。道はいくつもできており、下山者に合わせ、 その都度 都合の良い道を選びながら登る。
10分程登ると、左手、別山から西に延びる尾根の後方に剱岳が顔を出し始める。手前の山がハイマツの緑や岩の白であるのに対し、 剱岳は黒い岩肌を見せ、別格であることを誇示しているようである。
見上げれば岩の斜面がずっと続くが、その先には雲一つない青空が広がっていてテンションが上がる。

息を切らせながらも登り続ける。左手下方には室堂を中心とした台地が広がり、 その台地を守るように後方に立つ大日三山が素晴らしい。山の形も素晴らしく登高意欲を掻き立てる。 明日も好天のはずなので、奥大日岳に登るのが楽しみである。
途中、小さな祠の横を通過する。どうやらここが二ノ越のようで、山頂の五ノ越までそれぞれ祠があるようである。時刻は 12時25分。
また、この辺りから岩の間に少量の雪が現れ始めるが、立山では 12日に初雪が降ったようである。
この立山で思い出すのが 1989年10月8日の大量遭難事故である。吹雪に見舞われ、8名が低体温症にて死亡するという事故だったのだが、 中高年の登山ブームにより未熟な登山者が増加したことで発生した最初の大量遭難として記憶されている。
この時期、小生も登山を始めて 1年程、しかもその日は丁度 甲斐駒ヶ岳に登っていたのであった。下山後にこの事故を知って驚くとともに、 犠牲になった方には気の毒ではあるが、山を軽く見てはいけないと肝に銘じたので強く印象に残っているのである。

閑話休題。やがて、見上げる斜面の先に雄山神社 峰本社の社務所が見えてくる。しかし、まだまだ遠い。
振り返れば、一ノ越では隠れていた黒部五郎岳、そして薬師岳といった、笠ヶ岳より右側の山々が再び見えるようになる。
そしてさらに右、龍王岳の右横には浄土山が見えるようになり、山頂にある富山大学の施設も見えている。 前回はガスの中で通過した浄土山だったので、本日の好天下、是非とも登りたいところである。
息を切らせながら岩場を登り、2つ目の祠がある小広い台地状の場所に登り着く。三ノ越である。時刻は 12時40分。
ここからは大きな岩が多くなり、足下が崩れにくくなって、これまでよりも歩きやすくなる。四ノ越の祠を 12時55分に通過。
そして、右側から回り込むようにして岩場を登っていくと、やがて三角点に到達する。時刻は 12時59分。

この時期 既に社務所は閉まっており、前回の様に峰本社神殿前で祈祷は受けることができないが、神殿には行けるのでそちらへと進む。
社務所の前を通り、鳥居を潜って神殿へと登る。神殿到着は 13時3分。ここは 3,003mあり、 今年 乗鞍岳に次いでの 3,000m峰登頂である (先程の三角点は 2,991.8m)。
ここからの展望は素晴らしく、眼下に黒部湖と黒部ダムが見え、北の方向には立山の最高峰である大汝山が見えている。 大汝山の左後方には真砂岳、別山が続き、その後方に剱岳が見えている。
剱岳の左後方には毛勝三山が見え、別山から左に延びる、剱岳、毛勝三山の前を横切っている尾根の先には剱御前が確認できる。
そして、その左には富山湾の広がりがうっすらと見えている。

大汝山の右後方には白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳の白馬三山が並び、さらに右に唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳が続く。 そして、それらの山の後方には焼山、火打山、妙高山といった頸城三山がうっすらと見えている。
五竜岳の右後方には高妻山、黒姫山が確認でき、鹿島槍ヶ岳の右には爺ヶ岳もしっかりと姿を見せていて、さらに右に、 先程タンボ平を登っている時に見えた針ノ木岳までの山々が続く。
そして、そのうちの一つ、鳴沢岳の左後方には四阿山が確認でき、赤沢岳の右後方には浅間山がうっすらと見えている。
また、針ノ木岳の左後方に蓮華岳も姿を見せており、針ノ木岳の右には北葛岳、七倉岳、そして餓鬼岳が続く。

特筆すべきは、餓鬼岳の後方にうっすらと富士山が見えていることで、 富士山の右には甲斐駒ヶ岳、北岳、仙丈ヶ岳といった山々も何とか確認することができる。
燕岳と大天井岳を結ぶ稜線の後方には常念岳が少しだけ見えており、さらに右、野口五郎岳の後方に見える槍ヶ岳の左には前穂高岳の姿も見えている。
そして、野口五郎岳の右にある水晶岳の右後方には乗鞍岳がうっすらと見え、その右には御嶽の姿も見ることができる。
御嶽の右には笠ヶ岳、黒部五郎岳が続き、さらに薬師岳と続いている。
素晴らしい景色を堪能した後、13時10分に神殿から下り、『 立山雄山神社本宮 』 と彫られた石碑前で小休止。
その後、13時17分に大汝山へと向かう。

ここから大汝山へはそれ程大きなアップダウンのない岩場の道が続く。 こちら側はあまり日が当たらないのか、先日の雪が多く残っている。
前方には別山へと続く縦走路がよく見え、その後方には剱岳がドッシリとした姿を見せている。今年は剱岳を諦めたが、 来年は是非とも登りたいものである。また、左下に見える室堂方面、そして大日三山も素晴らしい。
ペンキ印に従いながら岩場を進み、途中から標識に従って右手の岩場を登る。すぐに大汝山の頂上で、そこには岩峰の上に手製の標識が置かれていた。 時刻は 13時38分。
雄山と同様、ここからは周囲の山々がよく見えるとともに、下方に黒部湖のかなりの範囲を見ることができる。

暫し周囲の景色を堪能した後、13時41分に大汝山を後にする。
縦走路に合流する手前に小さな広場があったので、そこで暫し休憩し、後のことを考える。富士ノ折立にも登りたいところであるが、 この後 浄土山に登ることを考えると、往復 30分の時間、そして体力消耗は厳しい。従って、このまま辿ってきた道を戻ることにする。
13時55分に出発、往路を戻る。雄山の社務所前を 14時13分に通過し、そのまま岩場を下る。
前を人が下っていたので、落石を起こさないように慎重に下り、一ノ越山荘前には 14時50分に戻り着く。
ベンチに腰掛けて休憩しながら地図を見る。ここからダイレクトに室堂山荘に下れば 40分だが、浄土山経由では 80分と 2倍の時間を要する。 昨日、室堂山荘に予約を入れた際に、チェックインは 16時を過ぎると言ってあるので少々遅くなっても構わないのだが、問題は体力である。 来年以降に剱岳とともに浄土山に登ることも考えたが、その時天候が良いとは限らないので、やはり好天の本日に登ることにする。

15時1分に出発。小屋の横を通り浄土山へと向かう。
石垣の横の平らな道を進み、その後 尾根を登っていく。途中、尾根を塞ぐ大岩の集まりを越え、ハイマツと土の斜面をジグザグに登る。
前方左手には龍王岳、そして右手には浄土山が見えているが、丁度太陽の位置がその方向にあり、なかなか写真を撮るのが難しい。
息を切らせつつ黙々と斜面を登る。振り返れば雄山が大きく、その斜面に日が当たって輝いている。
足下はやがて岩と砂礫の道に変わり、ハイマツ帯の中を登る。疲れが出て苦しい。
岩に付けられた赤ペンキ印に従いながら岩の間を進んでいくと、徐々に傾斜が緩やかになり、やがて頂上の一角に飛び出す。 前方には富山大学立山施設の建物とその横にある気象観測用の展望台 ? が見えている。
広い平坦地を進み、富山大学の設備の横を通過。時刻は 15時35分。振り返れば、平坦地の向こうに雄山、そして剱岳が見えている。

ここも浄土山の一角であるが、こちらは南峰で、最高点は北峰の方になる。
右に曲がりほぼ平らな尾根を進む。途中に地塘を見て、少々細くなった尾根を進んでいくと、ケルンが積まれた場所があり、その先にも高みがある。 地図上ではこの辺が最高点のはずであるが標識はない。時刻は 15時45分。
しかし、むしろ目立つのはその先にある石積み塀に囲まれた軍人霊碑である。日露戦争で戦病死した富山県出身者 2,595名 (第9師団歩兵第35連隊) を祀ったものであるが、 山頂に突然現れる石積みは、マチュピチュの遺跡を彷彿とさせる (行ったことはないが・・・)。
軍人霊碑の周辺を少し歩いてみると、先の方に標柱のようなものが見えたが、それは例の 『 人類が平和・・・』 と書かれたものであった。
頂上を踏んだという確信がないまま下山する (恐らく最高点は先のケルンであろう)。

大岩が重なった斜面を下る。下方には室堂山とその手前の展望台が見えている。
やがて、足下は岩と砂礫の道へと変わり、少々歩きにくい斜面をジグザグに下る。 下り着いてガレ場を渡り、少し登った所が浄土山の登山口であった。時刻は 16時11分。
右に道を取り、石畳の道を下る (左へ進めば展望台)。下方にはミクリガ池、そして地獄谷から上がる火山ガスが見えている。足下は人工的なコンクリートの道や階段が続く。
先の方には今夜の宿である立山室堂山荘が見え、新しい棟の右手前には古い建物があるのが分かる。恐らく国の重要文化財に指定されている日本最古の山小屋、室堂小屋であろう。
周囲は夕日によって黄色く染まりつつあり、山荘の後方に見える別山から剱御前へと続く山並みが美しい。
また、明日登る奥大日岳は焦げ茶色の山肌を見せている。

立山室堂山荘には 16時38分に到着。長い一日が漸く終わったのだった。
疲れたが大いに満足した 1日であった。


大いに満足、乗鞍高原側からの乗鞍岳  2016.10 記

8月の山行は針ノ木岳&蓮華岳、甲斐駒ヶ岳のわずか 2回と、 夏山のハイシーズンにしてはあまり芳しくない結果に終わってしまった。
しかし、天候があまり良くなかったことに加え、この時期はどこへ行っても混むことから、意図的に避けていたところもあったため、 これはある程度納得ずくのことでもある。
ということで、山が比較的空く 9月に大いに期待していたのであったが、今年は台風、秋雨前線の停滞によりこの目論見は大きく外れ、 ズルズルと 9月も末になってしまった次第である。9月は山行ゼロかと諦めかけていたところ、27日は久々に晴れるとのことであり、 この日は用事もないので、待ってましたとばかりに山に行くことにする。

さて、行き先であるが、このままでは 2006年以来続いている 3,000m峰への登頂が途絶えてしまうため、 3,000m峰に狙いを定める。
実は昨年も同じ状況に陥り、少々付け焼き刃な感じで北岳に登ったのだったが、そのことを反省し、今年は納得の山選びをすべく じっくり検討して、 最終的に北アルプスの乗鞍岳に決めたのだった。
この乗鞍岳には過去 2回登っている。
1回目は焼岳に登った後、バスで畳平まで行き、そこから全く展望の無いガスの中を進んで肩の小屋に宿泊し、 翌日快晴の頂上を踏んだのであった。しかし、あまりにも登る距離が短く、登山と言うには少々気が引け、下山時に乗鞍観光センターまで下った際に、 是非ともこの道を登って頂上を踏みたいと強く思ったのであった。
2回目は全く違うルートを選び、中洞権現ノ尾根を登って千町尾根に至り、反対側から乗鞍岳に登ったものである。 こちらは登り応えもあり、静かな山旅を大いに楽しむとともに、1回目の乗鞍岳登山におけるやや後ろめたい気分を払拭してくれたのであった。
そして今回、念願の乗鞍高原側から挑戦することにした次第であるが、さすがに車道歩きが長くなるため乗鞍観光センターからの登りは諦め、 三本滝レストハウスから登ることにする。

9月27日(火)、15時半に横浜の自宅を出発。見上げれば、夜空に星が瞬いており、本日は天気予報通り晴れそうである。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCTから圏央道へと進む。さらに八王子JCTにて中央道へと進んだのだが、 出発時と違って空は雲に覆われた状況になってしまっているため、先行きがやや心配になる。
岡野JCTからは長野自動車道へと進み、松本ICにて高速道を下りる。途中見えた北アルプスの山々にはかなり雲が絡んでおり、 これを見てさらに不安が増す。
松本ICからは上高地を目差すべく国道158号線を進む。しかし、上高地へ向かう車も多く、 さらには車列の先頭をバスが走っているためになかなかスピードを出すことができない。

梓湖 (奈良渡ダム) を過ぎるとトンネルが連続するようになる。
そのうちの一つである前川渡トンネルを抜けたすぐの信号にて左折して県道84号線に入る。 ありがたいことに小生の前を進んでいたバス、乗用車は、皆 上高地方面へと直進したため、道はガラ空きとなり快調に飛ばすことができるようになる。
しかも、この頃になると上空には青空が広がっており、さらには前方に乗鞍岳の姿も見えてテンションがグッと上がる。
なお、この道は十石山に初めて登った際に通っているので 2回目となるが、それも白骨温泉への道を右に分けるまでのこと。 その先、乗鞍観光センターの横を過ぎてからは初めての道となって、道路にも乗鞍エコーラインとの名前が付くようになる。

道は徐々に高度を上げていき、所々で見える乗鞍岳の姿、その後方に広がる青空に心が弾む。
山道のドライブを楽しみながら順調に進んでいくと、やがて三本滝レストハウスに到着 (一般車両はここまで)。広い駐車場に車を駐める。
途中の観光センタ、その他の駐車場に比べ、駐車場に車は少なく 10%程の充足率である。時刻は 6時50分。
トイレを済ませ、身支度を整えて 6時58分に出発。レストハウス右横の道を進み、緩やかに砂利道を下っていく。
すぐに 『 ← 三本滝 』 の標識が現れるので、左に曲がりササ原の道に入る。木橋を渡り、その後も下りが続く。 道は登山道らしくなり、左右を笹に囲まれた中を下って行く。 再び木橋にて小さな流れを渡った所からは所々に木道が現れるようになる。
道はドンドン下って行くため、復路、疲れた身体でここを登り返すのは辛いだろうな と思いながら進む。
周囲は昨日の雨でかなり濡れており、滑らないように慎重に下る。右手樹林越しに朝日が差し込み始め、周囲は明るい。

またまた木道を進んでいくと、やがて乗鞍岳方面への分岐に到着。時刻は 7時9分。
帰りに三本滝に立ち寄るのは億劫と思われたため、まずは三本滝を目差して真っ直ぐに進む。
木道、土の道と進み、再び木道が現れると、道は小大野川の流れを渡ることになる。階段を昇った後、吊り橋を渡るのだが、 橋の下にある滝もなかなか見事である。
橋を渡って左に進み、小さな滝を右に見ると、三本滝の説明書きがある広場に出る。そこから少し登れば三本滝で、到着時刻は 7時14分。
3つの滝はなかなか見事で、左の滝は水量が少ないものの、岩壁の前側を水が落ちているので、水垢離に適しているように思われる (なお、 この三本滝は修験者の行場だったとのこと)。
真ん中の滝は水量も多く、黄色の岩肌の上を水が豪快に流れ落ちている。右側の滝は、大きな黒い溶岩の上を舐めるように幅広く白き水が流れ落ちており、 一番見応えがある。

暫し滝を眺めた後、7時17分に辿ってきた道を戻る。
7時21分に乗鞍岳への分岐に到着、左に道をとって下りに入る。ここも帰りに登り返しで苦労しそうである。
立派な木橋を渡り、ロープの張られた少し足場が悪い場所を過ぎると、道は登りに変わる。
斜面をジグザグに登る。良く踏まれた道であるが、足下には小さな白いウジのような虫が沢山落ちている。 恐らくヤスデの幼虫ではないかと思われるが、足の踏み場もないほど沢山おり、その状態がかなり長く続いて気持ちが悪い。
キツイ登りが続くが、3つ程大岩を過ぎるとやがて斜面の上方、樹林の間にチラチラ青空が見え始める。もうすぐ乗鞍岳の登山道に合流かと思ったら、 その通り 7時38分に登山道に合流し、左に道を取る。

ここからは先程までとは打って変わってほぼ平ら、あるいは緩やかな登りの道が続く。
暫く平らな道が続いたかと思うと、少し登りとなり、一段高くなった所で再び平らな道が続くという感じで、右手の尾根の下を横切っていく。
やがて、その尾根が徐々に低くなってきて登山道と交わることになり、その後は尾根上を進むようになる。
そして、木道が現れると、その暫く先で先程の乗鞍エコーラインの続きに飛び出したのであった。時刻は 8時1分。

ここまでは常緑樹の中を進んできたが、車道周辺の木々は少し色づいていて秋を感じさせてくれる。
車道を右に進んでカーブを曲がっていくと、前方の山の後方に剣ヶ峰と思しき尖ったピークが少し見え、さらに進んでいくと、 高天ヶ原のドーム型の高みも見えてくる。
さらには紅葉の斜面の向こうに、摩利支天岳、富士見岳と思しき高みも見え、その下方をこの乗鞍エコーラインの続きが横切っている。
嬉しいことに、その後方には雲一つない青空が広がっており、気分が高揚する。しかし、そこまでかなりの高さ、距離があるため、 小生が稜線に立つまでこの天候が持ってくれることを願うばかりである。

暫く車道を登っていくと、やがて摩利支天のバス停に至り、その先で車道と分かれて、 再び樹林帯に入る。時刻は 8時6分。
すぐに木橋にて流れを渡り、その後 木道を経て、小さな岩がゴロゴロした、水が流れる道を登っていく。再び木道を進み、その後また岩の道を進む。
周囲には最初大きな木々が見られるが、登るに連れて徐々に灌木帯へと変わっていく。しかも灌木帯はかなり色づき始めている。 ほぼ1ヶ月間 山に登っていないうちに、すっかり山は秋へと変身したようである。 やがて道は再び車道に飛び出す。時刻は 8時24分。
車道歩きと登山道の組み合わせがこの後も続くが、これは 最初の乗鞍岳登山の際に経験済みなので驚きはしない。しかし、車道に飛び出した際に標識もないので、 どちらに進んで良いのか少々迷ってしまう (赤ペンキの矢印がある所もある)。
基本的に登り勾配の方へと進めば良いのだが、標識がない所が多いため下山時は登山道の取り付きを見落としてしまうかもしれない (事実 2回見落とした)。

左に曲がって荒田沢橋を渡ると、その先、右側に山への取り付きが見えてくる。 ここにはガードレールがなく標識が立っている。
この登山道は長くは続かずにすぐに車道にぶつかり、その先で再び登山道に入ることになる。ここの登山道も短く、再び車道に出た後、 左に少し進んでいくと、また立派な標識の所から登山道に入る。
この辺はかなり紅葉が進んでおり、赤や黄色に染まった木々が目立つ。面白いことに、紅葉が進んでいるのは登山道よりもむしろ車道の周辺であり、 明るい日差しの下、色づいた葉が眩しい。

道はまたすぐに車道に出たかと思うと、今度は長い車道歩きが続く。
途中、右手の大岩に 『 白骨 → 』 と赤ペンキで書かれていたが、この道は今や廃道になっているらしい。
やがて、右手斜面の上方に冷泉小屋と思しき建物が見えてくる。斜面を直登する道にて小屋まで行けるのかと思ったが、 結局 車道を大きく回っていくしか道はない。
その冷泉小屋 (休業中) には 8時40分に到着。登山道には小屋の少し手前から入るのだが、休憩すべく小屋まで進んだものである。
小屋の向かい側は小さな滝となっており、勢いよく水が流れている。この水は小屋の名前の通り冷泉となっているようで、 周囲には硫黄の臭いが漂っている。
なお、ここは東面が大きく開けていて鉢盛山、小鉢盛山がよく見える。そして、鉢盛山から北へと連なる尾根の後方には蓼科山が少し顔を出している。 ただ、その右側、八ヶ岳方面は雲が多いようである。

8時43分に出発。車道を少し戻って登山道に入る。
この道は階段状になった所が多い、と思ったらすぐにまた車道に飛び出し、左に道をとって暫く車道を進むことになる。
やがて、カーブの所に標識と大岩が見え、そこから再び登山道に入る。
やや急な斜面を登っていく。周囲にはダケカンバの細木の他、灌木が目立つとともに、足下には岩が少々多くなる。
しかし、この登山道も長くは続かず、すぐに階段を登って車道に合流する。
今度は右に車道を登っていくと、すぐに左側の法面の隙間から登山道に取り付くようになる。ここには赤ペンキの矢印が書かれている。
法面の内側を少し戻るようにして進み、その後 階段状の木道を登っていく。この登山道も距離は短く、すぐに左手上方に位ヶ原山荘の建物が見えてきて、 またまた道路に飛び出すことになる。位ヶ原山荘前には 9時2分に到着。

山荘前、車道との間にあるスペースにはいくつかのテーブルが置かれており、多くの人が憩っている。
下から登って来た人たちだと思っていたら、ほとんどの人は頂上から下ってきたようで、ここでバスを待っていたのであった。
山荘の少し手前からは、紅葉の山々の後方に朝日岳、蚕玉岳 (こだまだけ)、そして剣ヶ峰を見ることができ、山荘前からは富士見岳方面がよく見える。
山々の後方に少し雲が出てきているのが気懸かりであるが、青空部分も多く、また黄色と緑、そして茶色に染まった山々、 そしてその後方に見える白い岩肌と緑のハイマツを有する乗鞍岳の姿が素晴らしい。 しかし、その頂上に立つまでにはまだかなり時間を要しそうである。
一方で、今まではほとんど風がなかったのであるが、この山荘に登り着いた途端、乗鞍岳方面から冷たい風が吹き付けてきて体温を奪う。
慌てて薄手のアウターを羽織り、9時11分に出発。道路を先へと進む。

左にカーブし、橋を渡って暫く進むと、右手に標識が見え、そこから再び登山道に入る。
ここからは岩がゴロゴロした道を登っていく。暫く登って振り返れば、紅葉した稜線の向こうに前穂高岳が少しだけ姿を見せており、 さらにはその右に霞沢岳、そして後方に常念岳が見えている。
やがて乗鞍岳の剣ヶ峰も再び見えるようになるが、先程よりも後方に雲が広がっているのが気になるところである。
かなり秋色に色づいた灌木帯の中を登る。足下は相変わらず岩がゴロゴロしていて少し歩きにくい。
高度が上がるに連れ展望はさらに広がり、十石山、そしてその後方に奥穂高岳も姿を現す。ロバの耳、ジャンダルムも確認でき、 さらには西穂高岳も姿を見せてくれている。

道は灌木帯を抜け出し、岩と砂礫の斜面を登る。振り返れば常念岳の右には蝶ヶ岳、大滝山も見えている。
道は、左下方に下っている、岩がゴロゴロした谷筋 (流れはない) の道と合流し、岩の上を登っていくようになる。
やがて、前方にまたまた剣ヶ峰が見えてきたかと思うと、すぐに車道に合流する。この車道からは剣ヶ峰方面がよく見える。
手前に黄色や赤に染まった低木帯、そしてその先には緑のハイマツ帯が続き、それが剣ヶ峰の斜面途中まで続いている。 剣ヶ峰の後方には白き雲と青空が広がっていて、灰色や黄色をした山肌とのコントラストが素晴らしい。本当に本日は良い天気である。

車道を進み、左にカーブした先で再び登山道に入る。周囲はハイマツ、そして紅葉した低木が多くなり、 足下は岩と砂礫の斜面となる。
振り返れば、穂高連峰の左後方に槍ヶ岳方面も見えてきているが、残念ながら槍の穂先は雲に覆われている。
また、北北東の方向にはうっすらと四阿山、湯ノ丸山、浅間山といった山々が確認できるようになる。
足下は相変わらず岩の道が続くが、この辺では岩の間に水の流れが現れる。ノドが乾いていたので、飲もうかと思ったのだが、上方に肩の小屋があり、 さらには人々が多く歩く道があることを考慮して我慢する。
やがて岩の上に石碑や石仏の立つ宝徳霊神を通過。時刻は 10時1分。さらに水の流れる中を登る。

道は岩の上を伝い、あるいは流れの縁を歩きながら緩やかに高度を上げていく。
そうこうしているうちに、懸念していたとおり、剣ヶ峰の後方が真っ白になる。三本滝から登るのであれば、もう 1時間ほど早く出発すべきであったが、 前日の帰宅が 22時を過ぎていたため、致し方ないところである。北アルプスはやはり遠い。
谷を詰めるようにして登っていくと、やがてまたまた車道に飛び出す。右に道を取れば、トイレもある肩の小屋登山口である。
車道を進み、道路を挟んでそのトイレの向かい側にある登山口から再び山道に入る。時刻は 10時12分。 標識には 『 肩の小屋 25分 』 と書かれている。

ここからはガレた岩場の縁を進む。乗鞍岳を見ながら登って行くことができるのだが、 この頃になるとガスが山頂付近に流れ始める。
やはり、天候は待ってくれなかったようだ。少し気落ちしながら岩畳の道を登る。疲れも出てきているため、さほど急ではない登りがキツく感じられる。
なお、一旦は山頂を隠したガスであったが、その流れは早く、時折 青空が広がるようになる。
何度か立ち止まりつつも登り続けていくと、やがて上方に肩の小屋が見えてくる。もう少しで休憩できるということで元気が出てくる。
最後は溶岩と草紅葉の斜面を登る。右手を見上げれば、摩利支天岳頂上にある乗鞍観測所 (旧乗鞍コロナ観測所) の建物が見えている。

少々ヘバリながらも 10時40分に肩の小屋に到着。 先の登山口から 28分も掛かってしまった (尤も、地図では 30分になっている)。
小屋周辺は畳平から登って来た登山者で一杯である。幸いテーブルに空いている所があったので、腰掛けて暫し休憩。
剣ヶ峰方面を見やれば、うっすらとガスが掛かっている。
タップリ休憩して、10時54分に出発。平日にも拘わらず、登り下りの人でかなり混んでいる登山道を登る。
見上げれば剣ヶ峰方面の後方には少し青空も見え始め、ガスも消えている。この後もかなり変化しそうであり、良いタイミングで頂上に着くことを願いながら登る。

冷え固まった溶岩、火山礫など、いかにもここが火山であることを思わせる道が続く。
周囲にハイマツは見られるものの、道の周辺は火山らしく、荒涼とした感じである。
高度を上げて左下を見やれば、緑のハイマツ、そして黄色く紅葉したダケカンバが絨毯のように広がっていて、大変美しい。
一方、その後方に見える山々は、雲が頂上付近を覆っていて、全く同定することができない。先程まで見えていた穂高連峰、常念岳も今は全く見えない。
前方を見上げれば、火山礫の斜面が道の左側に大きく広がっており、そこに点在する黄色や茶色に染まった草が美しい。
天候の方は目まぐるしく変わり、一時、ガスでほとんど視界が利かなくなったかと思うと、サーッとガスが引いて青空が見え、日が差すといった状態が続く。

岩が多かった道も、やがて砂礫の割合が多くなり、そのザレた斜面を登り切って稜線の一角に立つと、右手下方に権現池が見えてくる。
一方、この稜線に立った途端に風が強く吹きつけるようになり、油断をすると帽子が飛ばされそうである。
権現池の方は、その強い風が運んでくるガスによって見え隠れしており、池の周囲を囲む屏風岳などの山々もガスの中に時々姿を見せてくれるといった状態である。
そこから少し登ると蚕玉岳であるが、その頂上には帰りに寄ることにして巻き道を進む (と言っても、蚕玉岳との高低差はほとんどない)。
剣ヶ峰の方も強く吹く風がもたらすガスにて見え隠れしており、時折、ガスが全く無くなると、頂上の鳥居、神社を確認することができる。 もうすぐである。

途中で道は 2つに分かれる。右の道は頂上に直登できるようで、左の道は頂上小屋、朝日権現社を経由することになる。
左が順路と考え、左の道を進む。再び道には岩が多くなり、浮き石に注意しつつ登っていく。
頂上小屋を 11時33分に通過、『 落石注意 』 の注意書きを見ながら岩の道を登る。やがて朝日権現社の前を通過すれば、 すぐに人々で混み合っている剣ヶ峰頂上であった。時刻は 11時39分。

周囲はガスでほとんど見えない。三角点を踏み、暫しガスが切れるのを待つ。
ありがたいことに、すぐにガスが切れ、周囲が見えるようになるが、見える範囲は狭く、乗鞍岳を構成する山々のみである。
眼下に権現池、その周囲に朝日岳、その左に水分岳 (みくまりだけ)、屏風岳、そして大日岳が見える。大日岳の下方には前回通った千町尾根、 中洞権現ノ尾根へと通じる道が見えている。
朝日岳の右手前には蚕玉岳、そしてその右後方には乗鞍観測所を有する摩利支天岳が見えており、その左後方には不動岳、そして烏帽子岳が見えている。 不動岳の後方、烏帽子岳の左手前に恵比寿岳も見えているのかも知れないが、ガスが邪魔をして確認できない。
また、烏帽子岳の右後方には四ツ岳が大きく、四ツ岳の手前には大丹入岳 (おおにゅうだけ) も確認できる。

先程まで存在感を示していた富士見岳は摩利支天岳の右側にかなり低く見えており、 むしろその右後方の大黒岳の方がよく目立っている。
また、大黒岳の右後方に見えている三角形の山は硫黄岳のようである。
現時点で見えるのはここまでで、後方の山々は雲に覆われており、乗鞍岳と対峙する御嶽も全く見えず、 先程まで見えていた穂高連峰、霞沢岳なども今や雲の中、無論 その他の北アルプスの山々も全く見えない。
これ以上の好転は望めないと思われたので、11時43分に下山する。
先程この剣ヶ峰手前にて 2つに分かれていた道のもう一方を下る。時々サーッとガスが流れるので、その都度 写真を撮りながら下り、 先程その頂上を巻いた蚕玉岳には 11時53分に到着。そこには、『 蠺玉神社 』 と彫られた石碑が倒れた状態で置かれていた。

少々休憩して 11時57分に出発、往路を戻る。
下方を見れば、肩の小屋の左に東大宇宙線研究所乗鞍観測所の赤い建物が見え、その左には五ノ池のうちの 2つの池が見えている。
順調に下り、肩の小屋には 12時16分に到着。ここでも休憩して 12時24分に出発し、肩の小屋登山口には 12時38分に戻り着く。
かなり暑くなってきたのでここでアウターを脱ぎ、その後 沢沿いの道を下る。12時47分に宝徳霊神を通過、その後 一旦車道に出た後、 すぐに岩のゴロゴロした道を下る。
そして、多くの人がバス停に並んでいる位ヶ原山荘には 13時16分に到着。ここでも 3分程休憩してまた山道に入る。

再び車道に出たところで右に進んだが、カーブの先にあるガードレールの間のコンクリート階段を見落としてしまい、 そのまま車道歩きを続けてしまう。幸い、ヘアピンカーブ 1つ分を余計に歩いただけで済んだが、距離として 0.6kmほどのロスと思われる。
しかし、滑りやすく、岩の多い登山道を下るよりは、むしろ緩やかな車道を下る方が身体的には楽であった。
本来の登山道の出口があるカーブに至り、次の登山道取り付きは見落とすことなく下って行くと、すぐに冷泉小屋の手前に飛び出す。
時刻は 13時32分。
今度は冷泉小屋には寄らずに右に車道を下る。暫く車道を進み、廃道となっている白骨温泉への道を分けた後、 その次の取り付きも見落とすことなく登山道に入る。すぐに車道に飛び出したかと思うと、また登山道に入り、 その後また車道に飛び出して荒田沢橋を渡る。
時刻は 13時43分。

登山道の取り付きは橋を渡ってすぐの所にあるのだが、これを見落として、そのまま車道を下ってしまう。
2度目の見落としであるが、今回はかなりの遠回りを強いられることになる。言い訳をすれば、道路際の紅葉に見とれていたためであるが、 どこか緊張感に欠けていたのであろう。前回、この道を下山した際には、道を見落とすまいと目を凝らしながら下ったのでミスはなかったのだが、 今回は往路で一度通ったということで どこか油断があったに違いない。
誤って進んでしまった車道は、大きく北側に膨らみ、さらにはヘアピンカーブを 3つ程通過することになる。 途中、戻ることも考えたのだが、先にも述べたように車道歩きの方が楽であり、さらには道路際の紅葉が見事だったことから、そのまま下り続ける。

かなり遠回りとなっていることを強く実感してきた頃、カーブの先にある樹林の中に木橋らしきものが見えてくる。
漸く遠回りも終了であるが、そこは摩利支天のバス停がある場所であった。時刻は 14時1分。
さらに車道を少し下り、カーブミラーの所からまた登山道に入る。これにて車道歩きは終了で、ここからは緩やかな歩き易い下りの道が続く。
途中、今朝ほどはなかった大きな倒木が道を塞いでいたため、一瞬道を間違えたのではと慌てさせられたものの、無事に三本滝への分岐に到着する。 時刻は 14時20分。
ここからは暫く下りが続いた後、小大野川を渡ったところから登りが始まる。この登り返しがきついと懸念していたのだが、意外と足が進み、 三本滝との分岐には 14時36分に到着。
少し休憩した後、緩やかな登り斜面を進み、三本滝レストハウスの駐車場には 14時52分に戻り着いたのであった。

本日は久々の晴天の下、3,000m級の山に登ることができて大変晴れ晴れとした気分である。
頂上での展望には恵まれなかったものの、秋の山を大いに楽しむとともに、17年越しとなる念願の乗鞍高原側からの登山を果たせたことで大いに満足した山行であった。


運動不足を痛感した甲斐駒ヶ岳  2016.9 記

山のハイシーズンにも拘わらず、7月は 1回しか山に行くことができず (爺ヶ岳)、 さらには 8月に入っても台風などあってなかなかタイミングが合わずに、たった 1回の山行 (針ノ木岳、蓮華岳) で終わってしまうかと思っていたところ、 ギリギリの 8月31日に山に行くことができるようになる。

さて、そうなると行き先であるが、実は 9月2日に健康診断があるため、 怠惰な生活で弛みきった身体を少しでも絞りたいと考え、少々ハードな山を選ぶことにする。
色々検討した結果、黒戸尾根を使って日帰りにて甲斐駒ヶ岳に登ることにしたのだが、今年の 6月に木曽駒ヶ岳に登った際、 頂上から甲斐駒ヶ岳を見て、西駒 (= 木曽駒) に登ったのなら、東駒 (= 甲斐駒) にも登らねばと漠然と思ったことが心に残っていたようである。
しかし一方で、2009年9月にこの黒戸尾根往復による甲斐駒ヶ岳登山を行った時にも 12時間12分を要したことから、 その時よりも遙かに体力が落ちている今の状態では少々無謀かとも思われ、かなり迷う。
最終的には、ヘッドランプを点けての下山もまた楽しかろうと思い、思い切ってトライすることにしたのであった。

8月31日(水)、2時半過ぎに横浜の自宅を出発する。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に入って海老名JCTから圏央道へと進み、さらに八王子JCTにて中央道へと入る。
空の状態はやや雲が多いが、本日の天気は晴れとの予報なので、この後の回復を祈りながら進む。
順調に車を進め、須玉ICで高速を下りて国道141号線を北へと進む。中央道の下を潜った後、薬師堂橋東詰の交差点を左折して県道611号線に入る。 暫く道なりに進み、日野春駅への道を過ぎると、やがて牧原の交差点に至るので、そこを右折して国道20号線に入る。
この国道20号線を 5km強ほど進み、道の駅はくしゅうの手前、白州農協前の信号にて左折する。

後は道なりに進み、途中に出てくる竹宇駒ヶ岳神社の標識に従って左折すれば尾白渓谷の駐車場と記憶していたのだが、 ナビは新しい道を指示しており、白州中学校の手前を左折して中学校の塀沿いに進み、中学校を過ぎた少し先で右折して田んぼの中の道を進む (舗装道で良い道)。
とにかく真っ直ぐ進んで行くと、やがて道は少し右にカーブした後、竹宇駒ヶ岳神社からの道と合流するのでそこを左折する。
後は道なりに進んでいけば、尾白川渓谷の駐車場である。到着時刻は 4時35分。
まだ暗く、また少し眠いこともあり、明るくなるまで 30分程仮眠する。なお、駐車場には 10数台程の車しかなく、ガラガラである。

5時8分に起床。 駐車場のトイレを借り、身支度を整えて 5時17分に出発する。
キャンプ場の方へと下って行くと、やがて竹宇駒ヶ岳神社に至るので、本殿前にて本日の無事を祈った後、そのまま本殿横を左に下って吊り橋に至り、 尾白川を渡る。
すぐに山道が始まるが、数分で甲斐駒ヶ岳への道と尾白川渓谷への道との分岐が現れる。時刻は 5時26分。
左に道を取り斜面をジグザグに登っていく。この頃になると、樹林越しに朝日が当たるようになり、周囲が黄色に染まり始める。 本日は良い天気のようである。
やがて再び尾白川渓谷の分岐が現れるが、これは尾白川渓谷への道が渓谷沿いの道と尾根道の 2つあるからで、今回現れたのは尾根道である。 時刻は 5時36分。

ここからも樹林帯をジグザグに登る道が続く。順調と言いたいところであるが、鼻水が出て咳も時々出る状態。 この頃 涼しい夜が続いたため、若干風邪気味であるらしい。これは本日苦労しそうである。
黙々と登る。道には時折大きな花崗岩が現れるが、花崗岩はこの甲斐駒ヶ岳のトレードマークで、道の上にも花崗岩の屑が多く見られる。
傾斜はそれ程急ではなく、また足下はよく踏まれており、さらには左右を土手に囲まれたような溝状の道が多く現れる。
これならば暗くなっても道に迷うことなく歩けそうだと思いながら登っていく。
展望のほとんどない登りが長く続くため、この辺は我慢であるが、それでも途中、前方樹林越しに烏帽子岳、坊主山方面がチラリと見える。 ただ、その左方はガスが多く、甲斐駒ヶ岳はガスの中のようである。一方、青空も見えるので、今後の回復に期待したいところである。

平らな道が時々現れる中、緩やかに高度を上げていく。
横手駒ヶ岳神社の分岐はまだかと思いながら登っていくと、烏帽子岳がチラリと見えてから 5分程進んだところで周囲にササ原が現れ始め、 その後 分岐に到着。時刻は 7時丁度。
標識にはここから甲斐駒ヶ岳まで 7時間とあるが、それほど時間はかからないと思うものの、今の体力、体調ではやはり 13時間を過ぎることを覚悟する。
この分岐を過ぎて暫く登ると、やがて道は右へと下るササ原の斜面を横切っている、ほぼ平らな道が長く続くようになる。
今の体力では、登り斜面での時間稼ぎは難しいため、こういう平らな道で時間を稼ぐべく足を速める。
そのほぼ平らな道も、やがて小さな谷にぶつかって左の斜面を登ることになる。ササ原の斜面を登り、少し平らな場所に登り着くと、 そこには記憶通りに 『 駒ヶ岳黒心龍神 』 と彫られた石碑、そして石仏が置かれていた。時刻は 7時23分。

3分程休憩した後、出発。ここからはササ原の急斜面が始まる。
恐らくここが八丁登りと言われる急坂であろうが、この辺から日頃の運動不足が露呈し始める。 さらに風邪気味ということも加わってとにかく苦しい。少し登っては立ち止まって上を見上げるというバテた時のパターンを繰り返しながら登る。 先の石碑の所で一緒になった女性はドンドン先へと進んで行き、差がつく一方である。
山に登る度に日頃の運動不足を痛感し、普段から運動せねばと強く思うのだが、下山するとそんなことはケロッと忘れてしまう次第で、 この頃ますます体力低下がひどくなっているという状況である。とにかく苦しい。
なお、この登りも展望がほとんど無いが、時折右手樹林越しに日向山とその頂上付近にある白き 雁ヶ原を見ることができる。

辛かった登りも徐々に傾斜が緩み始め、やがて前回休憩した場所に到着する。時刻は 8時8分。
ここからは鳳凰三山の地蔵岳がよく見えるはずなのだが、本日はガスに覆われていて全く見ることができない。
テンションがグッと下がってしまった上に、身体の方が休憩を強く欲しているため、前回と同じく木の根に腰掛けて休憩する。
小腹を満たし、8時16分に出発。嬉しいことに、その頃になるとガスの中から地蔵岳のオベリスクが姿を見せ始め、少し元気をもらう。
この休憩場所からも登りが続くが、ここからはそれ程急斜面ではなく、また周囲はササ原に代わって苔生した土が目立つようになる。
足下はすぐに平らとなり、やがて弓を持った武神が彫られている石碑の立つ場所に到着する。ここが地図上に記されている前屏風ノ頭かもしれない。 時刻は 8時23分。

その石碑から少し進めば刃渡りで、到着時刻は 8時27分。
ここはナイフリッジの岩場を登っていくことになるのだが、鎖が付けられているので安心して登っていくことができる。
一方、ここは岩場のため展望が一気に開ける。地蔵岳の他、八ヶ岳、そしてすぐ手前には日向山、鞍掛山などお馴染みの山が見えている。 しかし、全体に雲が多く、遠くの山々は見ることができない。
刃渡りを過ぎても、岩場のヤセ尾根は続く。但し、左右が樹林に囲まれているため、刃渡りのような高度感、スリルはない。
再び樹林帯に入り、コメツガなどの木々の間を進む。道は意外と緩やかで、尾根の下方を進んで行くのがありがたい。

やがて、この甲斐駒ヶ岳黒戸尾根の特徴の 1つである梯子が現れる。
そして、ここから梯子、鎖場が連続し、それがかなり長い間続くようになる。基本的にはそれ程危険はないのだが、 それでも梯子に手すりがあるわけではないので、場合によっては両手で踏ざん (横木) の部分を握る必要がある。
1つづつ慎重にクリアしていき、やがて丸太を象ったパイプ状の踏ざんのある梯子を昇った後、その上の鎖場を過ぎると 2つの祠が建っている 刀利天であった。 時刻は 8時49分。連続する梯子昇りでかなり息が上がったので、ここでも暫し休憩する。

ユックリ休んで 8時59分に出発。この刀利天を過ぎると、最初 急坂が続くが、 すぐに比較的なだらかな道が続くようになりホッとする。
この辺は黒戸山の斜面を巻くようにして道が作られているため、大変歩き易い。周囲にはシラビソも見られるようになり、 苔生した岩などの間を進んでいく。
この歩きやすい道は比較的長く続くものの、徐々に道は下り始め、やがて大きく下るようになる。そして、下り着いた台地状の場所が五合目小屋跡。 時刻は 9時36分。
なお、その手前の斜面から前方を見上げれば、これから越えて行かねばならない高みが 2つほど高く聳え、

前回はこの小屋跡にて小休止したのだが、今回は小屋跡の奥にある五丈岩 (岩を刳り貫いた祈祷所跡) に立ち寄るだけとし、 ここよりさらに下にある五合目鞍部まで下ることにする。斜面をジグザグに少し下り、祠のある五合目鞍部には 9時39分に到着。
ここからは再び登りが始まるので、それに備えて祠の前にて休憩する。
9時50分に出発。ここからは、いきなり長い梯子が現れる。岩の間を梯子にて昇った後は鎖場となり、その後 桟橋のような梯子を昇る。
さらにロープ、鎖場、梯子が現れるのだが、その間隔は空いており、さらには途中 平らな場所もあるため、 先程の刀利天手前よりも余裕を持って登っていくことができる。しかし、厳しいことに変わりはない。
また、そこかしこに多くの石碑 (霊神碑)、剣などが見られ、この山に対する信仰の深さを感じさせてくれる。

道はやがて緩やかになり、今度は少し下りになった後、キレット状の場所を橋にて渡ることになる。
この橋の先にはまた急登が待っていて、今度は梯子が連続するようになって息が上がる。慎重に梯子をクリアし、最後に鎖場を乗り越えれば、 漸く傾斜が緩やかになって一息つけることになる。
しかし、本日は晴れているから良いものの、雨の日などは梯子も滑りやすく、緊張感を伴う区間である。
岩のゴロゴロした斜面を登り、傾斜がさらに緩み始めると、やがて七丈小屋に到着。時刻は 10時38分。
ここまでの梯子、鎖場の登りにかなり体力を消耗したため、小屋横のベンチで暫し休憩する。

10時48分に小屋前を出発し、桟橋などを通って崖の縁を進む。
すぐに七丈第二小屋で、道は小屋横の岩壁を梯子にて登っていく。その岩壁の上に立てば、前方に高みが見えてくるが、ほぼガスに覆われており、 やはり本日甲斐駒ヶ岳からの展望は期待できないようである。
テント場を過ぎ、樹林帯の中を登っていく。この辺も展望は得られない。
周囲にダケカンバが目立つようになり、木々もかなり低くなってくると、やがて道は岩の斜面にぶつかり、そこを梯子にて昇る。
その先で、『 㳒力不動明王 』 (と思う) と彫られた石碑と剣が立っている大岩の下を回っていくと、そこから周囲はハイマツ帯へと変わる。
当然展望も開けるはずであるが、甲斐駒ヶ岳方面は完全にガスに覆われており、時折ガスの間から剣が 2本突き刺さった岩 (九合目) が見える程度である。
かなりくたびれてきている中、このコンディションではテンションがグッと下がる。

ハイマツの斜面を緩やかに登っていく。恐らく登り着いた所が御来迎場 (八合目) と思われるが、 足がなかなか進まない。
ただ、所々に青空が見え、さらには先程の剣が突き刺さった岩も時折ハッキリ見えるようになるので、まだ望みはあるようである。
喘ぎつつも斜面を登り切り、御来迎場には 11時41分に到着。もうバテバテである。
日頃の運動不足に加え、風邪気味であるため、さらに体力は落ちており、壊れた鳥居の横の岩に倒れ込むように座り込む。
地図ではここから頂上まで 1時間30分となっており、頂上到着は 13時半近くになる計算である。 従って、下山途中で真っ暗になってしまうことは間違いないが、ここまで来ながら時間切れとして戻るのは絶対に納得できない。
とは言え、周囲はガスで何も見えない状態であるため、気力の方は今一つである。と思ったら、やがて八ヶ岳方面のガスが切れ、 赤岳、横岳、阿弥陀岳、硫黄岳が見えてくる。
さらには、まだガスが多いものの、今まで全く姿を見ることができなかった甲斐駒ヶ岳方面も見えるようになり、その周辺には青空が広がり始めている。

この状況に少し元気をもらい、頂上を目差して 11時52分に出発する。
暫く緩やかな道を進み、やがて登りとなって大きな岩群の右側を登っていく。すぐに岩場を鎖にて越えることになるが、 岩にはステップがしっかりと付けられているので安心である。なお、ここの鎖には 『 結婚記念 』 云々の金属札が付けられていることで結構 有名である。
この鎖場を終えると、難所の鎖場が現れる。三角錐の形をした岩がこちら側に飛び出していて足場が取りにくいのであるが、 今回はその三角錐の岩の左下にコンクリートで固めたような足場があり、前回よりも楽に登ることができたのであった。

前方を見れば、先程 御来迎場手前から見えた 2本の剣が突き刺ささる岩もかなり近づいてきているが、 まだまだ遠い。
一方で、ここで少々嬉しいことがあった。ガスに囲まれてしまって全く見えなかった地蔵岳が再び姿を現しており、 さらには北岳、間ノ岳も見えるようになってきたのである。そして、少し進むと、地蔵岳の右後方には観音岳も見え始める。
この状況に久々にテンションが上がるが、頂上までの道程はまだまだ長い。
再び鎖場を通過していくと、今度は甲斐駒ヶ岳がハッキリ見えるようになり、その後方には青空が広がっている。 先程まで甲斐駒ヶ岳を覆い隠していたガスはすっかり抜けてくれたようである。これは嬉しい。

道は大岩の間を登っていく。鎖場もあるが、さほど難しくはなく、むしろ下りの方が気を遣う気がする。
やがて件 (くだん) の 2本の剣が刺さった岩が大きく見えるようになり、道はその大岩の下を左から巻いていく。
周囲はすっかりガスがなくなったため、ここから北岳、間ノ岳がよく見える。そして鳳凰三山の方を見ると、まだガスが絡んではいるものの、 地蔵岳の後方に富士山が少しだけ姿を見せてくれている。
かなり ノロい歩みを続けてきたが、このことが逆に幸いし、タイミングの良い時に頂上に着けそうである。

この 2本の剣が刺さった大岩 (九合目) を過ぎれば、甲斐駒ヶ岳の急所部分は終わりとなり、 後は岩場の道が続くだけである。
大きな岩がゴロゴロした間を縫うように進む。再びガスが少し絡み始めるが、左手には北岳、間ノ岳、そして右手には鋸岳が見えている。
ハイマツの中、左手の高みを巻くようにして岩の道を登っていく。
高みに沿って左へ左へと登って高度を上げていくと、やがて前方に甲斐駒ヶ岳頂上が見えてくる。 さらに左へと進んでいくと、甲斐駒ヶ岳の東峰も姿を見せる。頂上はその右後方である。
まずはハイマツの斜面を登って東峰を目差す。甲斐駒ヶ岳頂上の方を見れば、頂上の石祠も見えてきている。もう少しである。
また、鳳凰三山はガスに囲まれているものの、その後方にある富士山はその平らな頂上がガスから顔を出している。

そして、13時丁度に駒ヶ岳神社本社の立つ東峰に到着。
そこから少し登れば東峰と頂上の鞍部に至るが、ここは北沢峠からの道との合流点にもなっている。
この鞍部からは北岳、間ノ岳に加え、その右後方に悪沢岳も見ることができるようになる。
悪沢岳の右には赤石岳が少し姿を見せ、その赤石岳の右手前には塩見岳がズングリとした姿を見せている。
そして、さらに右の方には本日初めてのご対面となる仙丈ヶ岳がドッシリとした姿を見せている。
頂上はすぐそこであるにも拘わらず、つい写真を撮りまくる。

その後、岩場を登って甲斐駒ヶ岳頂上へと向かう。そして、13時6分、三角点、石祠のある甲斐駒ヶ岳頂上に到着。
何と竹宇駒ヶ岳神社から 7時間49分もかかったことになる。前回は 6時間47分で登ったことから、1時間も遅くなった訳で、 この 1時間の差が如実に体力が落ちていることを示している。
さて、途中まではガスに完全に囲まれていた甲斐駒ヶ岳であるが、この時間はガスも無く、ほぼ 360度の展望を得ることができる。
遅く着いたことがこの好展望に繋がった訳で、何が幸いするか分からないものである。

その展望であるが、まず南の方角に北岳が見え、先にも述べたように、 その右に間ノ岳、悪沢岳、赤石岳、塩見岳が並び、さらに右に兎岳、中盛丸山、大沢岳が続く。
中盛丸山、大沢岳の手前に見えるのは恐らく小河内岳であろう。そしてさらに右には奥茶臼山がうっすらと見え、 その右手前、南西の方向には仙丈ヶ岳が大きく、小仙丈沢カールもよく見えている。
仙丈ヶ岳の右側には、少し間を空けて中央アルプスが姿を見せている。確認できただけでも越百山、仙涯嶺、南駒ヶ岳、空木岳、熊沢岳、檜尾岳、三ノ沢岳、 宝剣岳、中岳、木曽駒ヶ岳、将棊頭山、茶臼山といった山々が壁のように並んでいる。
そして、茶臼山の右後方には御嶽が姿を見せてくれているが、剣ヶ峰付近に噴煙は確認できない。

さらに、御嶽の右には乗鞍岳を初めとする北アルプスの山々が見えるはずであるが、 残念ながら雲の中。その北アルプスがあると思しき北西の方向には、すぐ目の前に鋸岳が見えている。
そして、北西から北に掛けては雲が多く山を見ることができない。北北東の方向に蓼科山、八ヶ岳が見えているものの、かなりガスが周囲を覆っている。
八ヶ岳の右にも暫く雲の波が続き、奥秩父の山々はほとんど確認することができない。
さらに右に目を巡らせれば、南東の方向にガスに囲まれた鳳凰三山が見え、辛うじて地蔵岳、観音岳の頂上部が確認できる。
そして地蔵岳後方の富士山は、頂上、そして右側斜面が少し見えている状況である。
しかし、今朝ほどのことを思えば、かなりの展望であり、苦労して登って来た甲斐があるというものである。

展望に満足して 13時19分に下山開始。往路を戻る。
下る途中で一時的にガスに囲まれたものの、その後ガスがサーッと引いて北岳が見えるようになるなど、周囲の状況は目まぐるしく変わる。
慎重に鎖場を下り、御来迎場には 14時11分に到着。ここでも 9分程休憩する。
ハイマツの斜面を下り、鎖場、梯子を下って七丈小屋には 14時54分に到着。ここでも 10分程休憩し、15時5分に出発する。
下山時に暗くなるのは覚悟の上とは言え、刃渡りまでは明るいうちに通過したいところである (刃渡りより下には梯子、鎖場はない)。
五合目の鞍部には 15時44分に到着、ここでも 5分程休憩する。かなりへばってきているので、小忠実な休憩を取ることにしたものである。
この鞍部からは黒戸山への登り返しとなるが、これがかなり辛い。喘ぎつつ何とか斜面を登り切り、黒戸山を横切るほぼ平らな道を進む。
疲れた身体には、こういう道は本当にありがたい。

刀利天には 16時30分に到着。ここでも 5分間休憩する。
そして梯子、鎖場を下り、刃渡りを 16時54分に通過、まだ明るい。
この頃になると鳳凰三山を囲んでいたガスも無くなり、地蔵岳、赤抜沢ノ頭、高嶺がよく見える。一方、八ヶ岳方面にはガスが掛かっており、 赤岳を初めとした頂上部分は全く見えない。
前屏風ノ頭を 17時丁度に通過した後、今朝ほど休んだ場所で再び 3分程休む。その後、八丁登りの急斜面を下り、 『 駒ヶ岳黒心龍神 』 と彫られた石碑の所には 17時38分に到着する。またまたここで 3分程休憩。
そして、そこから少し下れば、平らな道が続くようになるが、これが本当にありがたい。
この辺は順調に足を進め、横手駒ヶ岳神社との分岐には 17時58分に到着。

周囲はかなり暗くなってきているが、空はまだ明るいため、道は十分に確認できる。
とは言えサングラスではもう無理なので、普通のメガネに交換するとともに、この後のことを考えてヘッドランプをザックから出して手に持ちながら下る。
しかしである、ここで大失敗をしてしまった。少しバランスを崩した時に手に持ったヘッドランプを岩にぶつけてしまい (引っかけてしまい)、 調べてみるとランプが全く点灯しないのである。
さらにはいじくり回しているうちに電池部分とランプを繋いでいる線が切れてしまったのであった。岩にぶつけた際、 線が引っかかって引っ張られてしまったらしい。こうなってはもう使用不可である。
ただ、こういうこともあろうかと、もう一つ簡易懐中電灯を持参していたので、そちらを使用することにするが、 まだまだ行程は 1時間以上残っており、この懐中電灯の電池がどの位持つのか分からず不安になる。 そのため、ギリギリまで懐中電灯を使用しないことにする。

この日の日没時間は 18時16分頃であることを事前に調べていたが、 山の中ではもっと早く太陽は隠れてしまう。
しかし、空の方はまだ明るく、何とか懐中電灯を点けずとも下っていくことができる。しかも、道は溝状になっている所が多いため、 多少暗くても分かり易く、さらには道に散らばる花崗岩の屑が白くボンヤリと見えているために明かり無しでも何とか進むことができる。
ただ、2010年に雁坂嶺、破風山に登った際、暗い中をヘッドランプ無しで下り、その際に滑って足を捻って捻挫状態になってしまった苦い経験があるので、 段差に気をつけながら進み、暗く怪しい場所では懐中電灯を点けて確認しながら下る。

結局 6時30分頃までは何とか懐中電灯無しで大丈夫だったものの、 流石に周囲は真っ暗になってしまい、仕方なく懐中電灯を点けることにする。恐ろしいのは途中で電池が切れた時であるが、 その場合は携帯の明かりとか、あるいは枯れ木を松明代わりにして下るとかの案を思い浮かべながら下る。
途中、岩に腰掛けて 2分程休憩。ライトを消すと本当に辺りは真っ暗である。電池が切れた時のことを思うとゾッとする。
今どの辺に居るのかも分からずにドンドン下って行くと、やがて樹林の向こう、遙か遠くに文明の明かりが見えてくる。 しかし、その明かりがどこのものかは分からない。

このように不安を抱えながらの下山であったが、LEDであったことが良かったのか、 幸い電池切れすることなく 19時5分に尾白川渓谷 (尾根道) との分岐を通過、この時には本当にホッとする。
さらに 19時13分にもう一つの尾白川渓谷との分岐 (渓谷沿い) を通過してすぐに吊橋を渡る。ここまで来れば一安心。
街灯に照らされた竹宇駒ヶ岳神社の脇を通り、キャンプ場の横の道を登る。この道がかなり長く、辛く感じられる。
そして、19時25分、漸く駐車場に戻り着いたのであった。
駐車場には数台の車が残っていたが、本日の登山者ではなく、明日に登る方達の車のようである。

本日は体力の落ちている中、無理をして甲斐駒ヶ岳の往復にトライしたのだったが、 最終的には天候にも恵まれ、苦しいながらも山を楽しむことができたのだった。
しかし、所要時間は休憩も含めて 14時間8分で、前回 12時間12分であるから 2時間も多く時間を要してしまったのであった。
風邪気味だったこと、そしてヘッドランプの不備などの問題を割り引いても、時間が掛かりすぎ、そして休憩時間が多すぎである (休憩時間はざっと計算して 1時間43分にもなる)。
あらためて日頃の運動不足を反省した 1日でもあった。


これまた久々の針ノ木岳、蓮華岳  2016.8 記

リオ五輪も始まり、夜更かしが常態化している状況においては、 早起きをして山に行くのはなかなか難しい。
とは言え、梅雨も明け、本格的な夏山シーズンに突入したのであるから、山に行きたいという気持ちも強く、ここは誘惑を断ち切って、 少し早めに床について山に出かけることにする。
8月9日(火)の夜 21時過ぎに就寝、そして起床は 10日(水)の 0時半とかなり変則的ではあったが、連日の夜更かしのため寝不足だったのか、 意外とよく眠ることができ、1時過ぎに横浜の自宅を出発する。

行き先は、5年前の丁度同じ日 (8月10日) に登った針ノ木岳、蓮華岳である。
先日の爺ヶ岳から眺めたこの 2つの山が魅力的だったことと、ハイシーズンの割に比較的人が入らない地域と思われたための選択である。
北アルプスの山を本格的に楽しむのならば、やはり山中に数泊すべきであろうが、この時期 山小屋は恐らく相当な混雑と思われ、 そうなるとどうしても二の足を踏んでしまう。
ということで日帰りで対応しようとすると、必然的に北アルプスの外側の山に限定され、登る山の選択肢がかなり狭くなる。
その中で、この針ノ木岳、蓮華岳は穴場的存在、そしてその素晴らしさは 5年前に体験済みである。

先日の爺ヶ岳登山と同じ行程を辿り、扇沢の市営第一駐車場には 5時前に到着。 しかし、やはりこの時期 無料の駐車場は満杯であったため、仕方なく、24時間 1,000円の第3駐車場に車を駐めたのだが、 こちらはガラガラであった。
扇沢駅のトイレを借り、身支度を調えて 5時1分に駐車場を出発する。
山の稜線はハッキリ見えているものの、空には雲が多く、少々先行きが心配になる。因みに、天気予報では本日は晴れとなっている。
車道を緩やかに登っていく。右手を見れば、扇沢駅の後方に朝日に赤く輝く尾根が見えている。恐らく、スバリ岳と赤沢岳とを結ぶ尾根と思われるが、 その稜線の周辺にはガスが多く、やはり先行きが少々不安である。

舗装道歩きを終えて針ノ木岳登山道入口に着くと、そこに山岳指導員がおられたので、 用意してきた登山届を渡す。時刻は 5時5分。
その際、針ノ木雪渓に関するアドバイスを戴く。今年は雪が少ないため今の時期雪渓歩きはなく、さらにはノドと呼ばれる部分の通過は左岸の巻き道を通ることになるそうで、 その巻き道には鎖場などあってかなり歩き辛いとのことであった。
5年前の同じ日に針ノ木雪渓を登った時には、雪が少ないと言われてはいたものの、ノドの辺りにはまだタップリと雪が残っていたのだが、 今回雪渓歩きが無いとは驚きである。

道の方はすぐに樹林帯に入り、緩やかな傾斜の道を進む。
周囲の木々が狭い登山道 (遊歩道) に伸びてきており、少々五月蝿く、さらにはその葉が夜露に濡れているのでチョットやっかいである。
この登山道はすぐに車道に飛び出すのであるが、この後、こうしたパターンを 3回程繰り返すことになる。
なお、道は明瞭であるものの、1箇所だけ少々分かりにくい場所がある。2つ目と 3つ目の車道の間にゴーロ帯があり、 ゴロゴロした岩の上を斜めに進んでいくのだが、一応赤ペンキが岩に付けられているものの色が褪せており、 ガスなどが発生した時には分かりにくい可能性があるのである。特に、帰りにここを通る際に視界が利かない場合は要注意と思われる。
とは言え、道が分からなくなった場合は、車道を歩き続けるという手があるのでそう心配はいらない。

4回目となる道路に飛び出すと、本日 目差す針ノ木岳、スバリ岳がよく見えるようになり、 嬉しいことにその後方には青空が広がっている。樹林帯を歩いているうちに天候は急速に回復したようである。
その車道を左に歩いて行くと、すぐに道の左手に 『 針ノ木岳自然遊歩道 』 の案内図と、その手前に 『 針ノ木岳登山道 』 と書かれた黄色い標識が現れる。 時刻は 5時28分。
ここで道は車道と完全に分かれることになるのだが、車道の方を見ると先の方にトンネルが見えている。黒部ダムまで続く針ノ木隧道 (関電トンネル) で、 無論一般車は通行できず、トロリーバスのみ走行できるものである。
樹林帯を進む。この辺も背の高い草が登山道まで伸びていて少々五月蝿い。道は途中で小さなアップダウンが何回か現れるものの、 総じて緩やかである。

途中、針ノ木岳、スバリ岳、針ノ木雪渓 (篭川) を見通せる場所を通過したが、 やはり雪渓はかなり小さくなっているようである。
その谷間にはうっすらとガスが浮かんでいるものの、青空の割合の方が遙かに多いのが大変嬉しい。5年前は雪渓の上方をガスが完全に覆っており、 針ノ木岳の姿を全く見ることができなかったので、本日はかなり良いコンディションである。
とは言え、気温が上昇してくれば、ガスや雲がたちどころに上がってくることが考えられるため、楽観は禁物である。
道は一旦少し下って流れの無い広い沢を横断する。そこから少し登っていくと、再び針ノ木岳方面が見えるようになる。 蓮華岳も見えるが、ここからではどこが頂上なのか分からない。
もう一度流れの無い沢のようなガレ場を過ぎて暫く進んでいくとブナ林に入り、その先、少し下って小さな沢を横切ることになる。 その水でノドを潤したところ、かなり美味であり、今の時期でも手が切れるように冷たい。時刻は 5時56分。

登りに入って再び針ノ木岳が見えてくると、今度は水の流れがある河原を横切ることになる。 赤沢である。
5年前はここに簡易な橋があったと記憶するが、現状 橋はなく、岩伝いに流れを渡る。川幅は狭く、全く問題ないのだが、流れは結構早い。
この流れを過ぎれば、道はほぼ平坦となり、やがて前方に大沢小屋が見えてくる。時刻は 6時13分。
前回は小屋の前にて軽アイゼンの貸し出しを行っていたが、雪渓の縮小に伴って現在貸し出しは行われていない。
針ノ木小屋とこの大沢小屋を開設した文人 百瀬 慎太郎のレリーフの前を通って先へと進む。振り返れば、爺ヶ岳の南峰がシルエットとなって見えている。

周囲にダケカンバの大木が見られるようになると、やがて左手下方に篭川の流れが近づいてきたので、 このまま河原へと下りるのかと思いきや、道は右に曲がって斜面を登っていく。
少し登るとやがて道は左に曲がり、下方に見えてきた篭川の流れと平行して進むようになる。壊れかけた梯子を昇り、岩場を進む。 岩場にはロープが設置されている。
前方には針ノ木岳と針ノ木雪渓 (篭川) がよく見えるようになるが、確かに雪が少ない。しかし、それよりも何よりも、 針ノ木岳の後方に雲一つ無い青空が広がっているのが嬉しい。先程まで針ノ木岳や雪渓周辺を漂っていたガスは全く消えてしまったようである。
なお、この岩場には針ノ木小屋まで 2時間30分と書かれたプレートが埋め込まれている。時刻は 6時36分。

岩場を下り徐々に河原に下りていく。小さな沢を渡り、ミヤマシシウドの咲く草地を横切れば、 やがて篭川の流れに下り立つ。雪渓尻と言われる場所 (のはず) である。
道は簡易の橋を渡って右岸へと進むが、この辺から道標として小さな鯉のぼりが見られるようになる。
前方にはほとんど雪の残っていない谷が針ノ木岳へと向かって伸びており、振り返れば爺ヶ岳がシルエット状になって見えている。
右岸につけられた道を進む。道は少し荒れ気味であり、加えて岩屑が多いため滑りやすいので注意が必要である。
また、左手斜面上方からの落石も考えられるため慎重に進む必要がある。
やがて雪渓が現れ、雪の上には赤いベンガラも残っているが、歩ける距離はほんの僅か、そしてその先は少し荒れているので、 雪渓に入らずにそのまま岩と砂礫の道を進む。結局、この日は一回も雪を踏むことは無かったのであった。

歩きにくい道を登る。右下に見られる雪渓はかなり崩壊が進んでいて、 確かに足を踏み入れるのは危険である。
谷の幅は徐々に狭くなり始め、やがて鯉のぼりに導かれて今度は左岸に渡ることになる。5年前はこの辺から雪渓の上を歩いており、 そのままノドと呼ばれる両岸が迫った場所を登っていったのであるが、今は雪が全くなく、岩場を進み、簡易の橋を渡って左岸へと進む。
前方にはノドが見えてくるが、その狭くなった両岸の間に雪はほとんどない。道の方はそのノドを高巻きすべく、右の斜面へと登っていく。
先の指導員の方が述べていたように鎖を使って岩場を登る。但し、登る時には鎖はほとんど保険という程度、しかし、下山時はかなり鎖のお世話になることになる。

崩れやすい岩場をペンキ印に従って登り、ノドの上を巻く。 鎖が連続するが、先にも述べたように登る場合にはあまり鎖に頼る必要は無い。
左下方を見れば、ノドの上方に分断したスノーブリッジが見える。雪はかなり分厚いのだが、所々に穴が開いており、 また崩れ落ちている部分もあるのでは確かに雪渓上は歩けない。振り返れば、岩小屋沢岳、爺ヶ岳がよく見えている。
やがてノドの高巻きは終了し、ノドの上へと出て河原の上部を進む。鯉のぼりを追いながら歩きにくいザレた道を進んでいくと、 『雪渓危険』、『立入禁止』と書かれた注意書きの立つ場所に到着する。時刻は 7時37分。
無論この注意書きは下山者向けであり、その注意書きの先、谷の下方には崩壊した雪渓が見えている。

ここからは少し歩き易い道が続く。谷は先まで続いているが、 ここからは針ノ木岳の姿は見えない。
途中、腰掛けるのに適した岩があり、さらには日陰であるため暫し休憩し、ノドを潤す。時刻は 7時40分。
太陽は稜線の上に出ていて、日差しの下では結構暑いのだが、一方で日陰では汗に濡れた背中が少し寒い位である。
7時45分に出発。ペンキ印、鯉のぼりに従って河原の中を登っていく。道は小さな流れを横切った後、再び右岸を進むことになり、 草付きの斜面を横切っていく。
ミヤマアキノキリンソウと思しき花が咲く中をジグザグに登っていくと、再び前方上方右手に針ノ木岳が見えてくる。

大きな岩の横を抜け、低木帯を進んでいくと、道はレンゲ沢を横切り、 その少し先から傾斜が徐々にキツくなり始める。
針ノ木峠へと通じる谷を詰めていくのだが、道は九十九折りとなり、息が上がる。面白いことに今まで結構耳に付いた水の音は全く聞こえなくなり、 静かである。
振り返れば、赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳と続く稜線がよく見えるようになり、さらには岩小屋沢岳の右後方に鹿島槍ヶ岳も少しだけ姿を見せ始めている。 本日は本当に良い天気である。
徐々に谷を詰めていくと、やがて前方上方に針ノ木峠の稜線が見えてきて、長い登りも漸く一段落と思えるようになるが、 実際はそこまでの距離が意外とあることを前回経験済みである。

岩がゴロゴロした場所を過ぎると、道は滑りやすい赤茶けた土の斜面をジグザグに登っていくようになる。 崩れやすい斜面のため、道の端はしっかりと丸太で補強されている。
かなりバテてきているが、一方で高度はドンドン上がり、景観が広がるのでテンションが上がる。
振り返れば岩小屋沢岳と爺ヶ岳を結ぶ稜線の後方に鹿島槍ヶ岳がその双耳峰をしっかりと見せ始めており、爺ヶ岳の方も南峰に加え、 その右後方に中峰も見えるようになっていて、こちらも双耳峰のようである (実際はさらに北峰もある)。
息を切らせつつジグザグの斜面を登る。針ノ木峠はもう少しなのであるが、最後のこの登りはかなり応える。
一方、展望はさらに良くなり、岩小屋沢岳の左後方には旭岳、白馬岳、白馬鑓ヶ岳も顔を出し始めている。また、スバリ岳も見えている。

かなりヘトヘトになりながらも急斜面を登り切り、針ノ木小屋の建つ針ノ木峠には 8時54分に到着。
針ノ木小屋の玄関の方へと回ると、今度は今まで見ることができなかった西から南側にかけての景色がパッと広がる。人が居なければその素晴らしさに声を上げているところである。
見える範囲は針ノ木岳の斜面と蓮華岳の斜面の間、つまり南西からほぼ南東に掛けての範囲であるが、この間には素晴らしい山々が並んでいる。 まず、南西の方向に赤牛岳が大きく、その左に水晶岳 (黒岳) が見え、さらに左に鷲羽岳が少し顔を出している。
さらに左には野口五郎岳が大きく、野口五郎岳の左後方には槍ヶ岳、奥穂高岳、前穂高岳という良く知った山々が、あまり馴染みのない順番にて続いている。

前穂高岳の左には西岳、牛首展望台、大天井岳、さらには燕岳が続くが、 常念岳は燕岳に隠れて見ることができない。但し、前常念岳は見えている。 燕岳の左手前には唐沢岳がズングリとした姿を見せており、その左後方に餓鬼岳が見えている。
餓鬼岳の左手前、すぐ目の前には北葛岳が見え、蓮華岳から続いていると思われる登山道がその頂上へと向かっている。
再び目は右へと戻るが、北葛岳の右には七倉岳がピラミッド型の姿を見せており (丁度 大天井岳の手前になる)、 さらに右に船窪岳、そして大きな崩壊が見られる不動岳が続く。
不動岳の右後方にはドーム型をした烏帽子岳が見え、その右には南沢岳が見えている。
烏帽子岳と南沢岳を結ぶ稜線の後方には先程の水晶岳が見えるという位置づけである。

小屋横のベンチに腰掛け暫し休憩。5年前、 この小屋でハーゲンダッツのアイスクリームを購入した記憶があるので受付で聞いたところ、苦笑気味に今は無いと言われたのだった。
9時8分に出発、まずは前回と同様に針ノ木岳を目差す。テント場を過ぎ、岩場の斜面、そして灌木帯を登って行くと、前方に針ノ木岳が見えてくるが、 残念ながらその後方に青空は無く、灰色の空が広がっている。
ただ、前回、この行程ではガスが時々流れて視界を遮ったことに比べれば、今回は数段に良いコンディションである。
ハイマツ帯を進み、道は緩やかに登っていく。進んでいるうちに先程登って来た右下の谷がガスで完全に覆われてしまい、 針ノ木岳、スバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳、爺ヶ岳と続く稜線は雲海の上に浮かんでいるような状態である。
一方、岩小屋沢岳の左の白馬岳方はさらによく見えるようになり、岩小屋沢岳の後方には五竜岳も姿を見せ始めている。 五竜岳の右には鹿島槍ヶ岳が南峰、北峰ともしっかり見えていて、これらの山々の後方には青空が多いので天候の方は問題なさそうである。

ハイマツ帯を抜けると、道は茶色がかった砂礫の斜面をジグザグに登るようになる。
振り返れば蓮華岳が大きいが、頂上は見えない。ただ、その高さには少々圧倒され、前回と同じく、登るのが少々億劫にも感じられる。
果たして針ノ木小屋まで戻って来た時に蓮華岳に登る気力は残っているであろうか。
高度を上げるに連れて展望はさらに広がり、鹿島槍ヶ岳と爺ヶ岳とを結ぶ稜線の後方には妙高山、火打山も見え始めている。
道は前回ライチョウを見た窪地状の場所を通過するが、今回はライチョウにはお目にかかれずじまいであった。
砂礫の道はやがて白い岩屑と草地の道へと変わり、徐々に傾斜がキツくなり始める。右下方の谷は完全にガスというか、雲に覆われているが、 現在 谷を歩いている人たちにはどういう景色が見えているのであろう。

左手にそれなりの高さを有するピークを巻いて進んでいくと、やがて針ノ木岳とスバリ岳との鞍部後方に剱岳の姿が見えてくる。
さすがに先月 爺ヶ岳から見た時よりも雪が少なくなってはいるが、それでもまだ白い部分が多く残っていて、『 岩と雪の殿堂 』 と呼ばれるとおりの、 その高く険しい岩だらけの山容には圧倒される。
道の方はさらに急になり、岩がゴロゴロした斜面を登っていく。ありがたいことに、針ノ木岳後方は青空に変わっており、 頂上からの展望が大変楽しみになる。
右下を見れば、先程まで完全に谷を覆い尽くしていたガスはアッと言う間に消えて無くなり、今や登って来た谷筋がよく見えている。

ガレ場の斜面を登り、やがて針ノ木岳から下ってくる稜線上に登り着く。 ここからは再び南側の景色が見えるようになり、先程針ノ木小屋から見えた山々に加え、赤牛岳の右に薬師岳、北薬師岳の姿が加わることになる。
また、先程は少ししか見えなかった鷲羽岳がかなり迫り上がってきているのも嬉しい。
道は小さな岩が積み上がった、ハイマツが多く見られる斜面を登っていく。前回、この場所を登った際にはガスでほとんど展望が無かったのだが、 今は先に見える頂上後方に青空が広がっている。

そして、10時7分、針ノ木岳頂上に到着。5年前と異なり、今回は 360度の大展望でテンションがグッと上がる。
ここに至る迄に見えた山々に加え、五竜岳の左後方には唐松岳が見えており、剱岳の左には別山、真砂岳が続き、 さらには富士ノ折立、大汝山、雄山と続く立山がよく見えている。
雄山の左には浄土山、龍王岳、鬼岳、獅子岳、鷲岳、鳶岳、そして越中沢岳が続き、北薬師岳がそのさらに左に続く。
また、赤牛岳の頂上左後方には黒部五郎岳も頭を覗かせており、水晶岳の左の鷲羽岳の姿もかなり大きく見えるようになっている。
また、その鷲羽岳の右後方に台形をした頂上部分が少し見えているが、帰宅後調べると笠ヶ岳であることが分かったのだった。
一方、本来なら槍ヶ岳の右後方に乗鞍岳が見えるようであるが、残念ながら雲に覆われていてこの日は見ることができなかったのだった。

槍ヶ岳のさらに左側、西岳の手前、丁度 船窪岳の後方には高瀬ダムの湖面も見えている。 加えて、今や常念岳も姿を見せてくれている。
なお、餓鬼岳の後方に南アルプスや富士山も見えるらしいのだが、小生が確認した限りでは雲に覆われていて見ることができなかったのだった。
そして忘れてはいけないのが、この針ノ木岳の直下、立山連峰の下方に広がる納戸色をした黒部湖である。
黒部湖の右端には黒部ダムが少し見え、その斜め上方、立山の中腹には黒部平と大観峰の 2つの立山ロープウェイ駅も見えている。

暫し 360度の展望を楽しんだ後、10時23分に下山を開始。 往路を忠実に戻って針ノ木峠には 11時3分に戻り着く。
再び針ノ木小屋のベンチに腰掛けて腹拵えをし、地図を見ながらこの後 蓮華岳を往復するかどうか検討する。初めて登るのならば迷わず進むのだが、 一度登ったことがある故に行程が長いことが頭をよぎり、少し二の足を踏んでしまう。
地図を見れば、ここから蓮華岳まで 1時間10分。ここから針ノ木岳までは 1時間となっていて、ほぼ同じコースタイムであるため、 見た目ほど厳しい登りではないはずと自分に言い聞かせ、11時27分、蓮華岳を目差して急斜面に取り付く。
足下はすぐに丸太の横木が置かれた、岩がゴロゴロした道へと変わり、ドンドン高度を上げていく。
振り返れば、先程その頂上に立った針ノ木岳がよく見え、スバリ岳の右後方には剱岳が姿を見せている。但し、立山はスバリ岳に隠れて見ることができない。

ハイマツの斜面を横切るようにして進んでいくと、すぐにこの先の行程が見通せる場所に出る。
ハイマツの斜面が続き、その奥の方に頂上らしきピークが見えているのだが、かなり高く見え、その斜面を登ることに億劫さを感じてしまう。 しかも、見えている頂上らしきピークは蓮華岳の頂上ではないことを知っているので余計に気力が萎える。
しかし、ここまで来て止めるのは癪であるため、ユックリながらも進み続ける。左に回り込んで尾根上に登り、そこから砂礫とハイマツの斜面を登っていく。
途中の砂礫地にはコマクサの小群落が現れる。この蓮華岳はコマクサの群生地として有名であり、その通り、この後 多くのコマクサを見ることになる。
左手に大きな崩壊地を見ながら登って行く。振り返れば、剱岳の左に別山が見えるようになってきており、さらに左に真砂岳も見え始めているが、 立山はまだ見えない。

火山の噴火によってできたことを感じさせる大岩の横を通り (これが溶結凝灰岩 ?)、 さらに登っていくと、先程見えた頂上のようなピークが目の前に現れるが、無論そこは頂上ではない。
その岩屑を集めて積み上げたようなピークを登り終え、少し下ると、かなり先の方に本当の頂上らしきピークが見えてくる。
よく見ると、そのピークは 2つに分かれており、手前が祠の置かれている場所で、奥が三角点のある蓮華岳頂上である (こういうことも、1回登っていないと分からない)。
なお、蓮華岳頂上の後方には青空とともに秋を感じさせる雲が見えている。一方、辿ってきた雪渓のある谷の方には再びガスが上がり始めており、 爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳はそのガスに隠れ気味で、さらにはそのガスが剱岳方面にも少しずつ進み始めている。

小さな舟窪状になっている場所を抜け、蓮華岳山頂を目差す。 まだまだ距離があるが、最後のピークに至る迄は緩やかな斜面が続くのがありがたい。
周囲にはコマクサの群落が多く見られるものの、花をよく見ると、少し形が欠け始めているので、ピークは過ぎているのかも知れない。
ハイマツと砂礫の緩やかな斜面を登り、やがて最後の急斜面に取り付く。稜線上では吹く風が心地よいが、少し稜線下方に入ると、風が止んで、 少し暑い位である。
右手には南側の山々がよく見えており、槍ヶ岳もその穂先までよく見ることができる。振り返れば、谷のガスはこの蓮華岳の稜線まで登り始めている。 しかし、蓮華岳の頂上はまだその範囲ではなく、よく見えている。

喘ぎつつ登り、若一王子神社 (にゃくいちおうじじんじゃ) の奥宮がある頂上の一角に到着。 時刻は 12時29分。なお、この若一王子神社は大町市にある神社とのことである。
ここからは立山もよく見える。蓮華岳の頂上はこの場所から東に少し進んだ所にある。そして、ほぼ平らな道を進んで少し登れば、 標柱、そして三角点のある蓮華岳頂上であった。時刻は 12時31分。
ここからも素晴らしい展望が得られるが、時刻は午後に入っているため、槍ヶ岳方面はやや霞み気味、また立山、剱岳方面、そして白馬岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳方面は 上がってきたガスで少し見にくい。

なお、標柱がある場所からは、南へと大きく下る道が出ている。 先程 針ノ木小屋から見えた北葛岳方面へと向かう道で、この蓮華岳からは 『 蓮華の大下り 』 と名の付く長い下りとなっている。
一方、頂上から東側には東尾根が続いているのが見えるが、前回と同じくそこに道が見えている。地図ではその方向に進めば今朝方通ってきた県道45号線へと至るのだが、 使える道なのだろうか。尤も、岩の上に 『 × 』 印が付けられており、進入禁止のようであるが・・・。

谷から湧き出るガスで見え隠れする周囲の山々を見ながら暫し休んだ後、12時46分に下山を開始する。
ここも往路を忠実に戻るだけであるが、ガスで見え隠れする剱岳、針ノ木岳を見ながらの下りはなかなか楽しい。
そして、針ノ木峠には 13時27分に到着。小屋の横で 5分程休んだ後、扇沢を目差して下山を開始する。
谷はガスが多く、また足下が滑りやすいのでなかなか足が進まない。前回は雪渓を下ることができたため、かなり早く雪渓尻まで下ることができたのだが、 今回はノドの高巻きなどがあり、しかも岩場の下りで苦労するため時間がかかる。周囲に水が豊富なことだけがありがたい。
途中 2度ほど休憩し、簡易橋の架かる雪渓尻には 14時55分に到着。振り返れば、谷はガスに覆われている。
雪渓尻から小さなアップダウンを繰り返しながら進み、大沢小屋には 15時25分に到着。
かなりバテてきたので休憩し、15時32分に出発。途中でもう一度休んで扇沢には 16時35分に戻り着いたのだった。

後半かなりバテ、また途中、太陽がかなり照りつけて厳しいところがあったが、 ほぼ快晴に恵まれ、5年ぶりの針ノ木岳、蓮華岳を大いに楽しむことができたのだった。
しかし、5年前と全く同じ時期に登ったにも拘わらず、残雪の量が全然違っているのには驚かされた。
雪が少ないのは今年だけの特異現象ならば良いのだが・・・。  


久々の爺ヶ岳  2016.7 記

6月18日の白毛門・朝日岳では熱中症に近い状況に陥り、 散々な登山となってしまったのだった。
しかし、これに懲りることなく、山に行きたいという気持ちは強く持っていたものの、その後、なかなかチャンスが無く、 いつのまにか 7月も後半に入ってしまったのである。
梅雨時とは言え、時折 晴れの日が巡ってきてはいたのだが、どういう訳か山行に適した日に用事があることが多く、 また用事がなくても体調の方が今一つという状態の時もあって、ズルズルと日を重ねてしまったという次第である。

流石に焦りが出始めてきた中、小生がフリーな状態にある 7月20日は比較的天候が良さそうだということで、 待ってましたとばかりに山に行くことにする。
さて、行き先であるが、この時期であればやはりアルプスに登りたくなる訳で、色々考えた結果、天候なども考慮して、 今年初めてとなる北アルプスを目差すことにする。ただ、1ヶ月ぶりの登山、しかもその間に運動らしいことはほとんどしておらず、 現状 体力にあまり自信が無いことから、足慣らしを主体とした山選びを行うこととし、結局 爺ヶ岳に登ることにする。
この爺ヶ岳には 22年前に扇沢から鹿島槍ヶ岳、五竜岳を縦走した際に登ってはいるのだが、当時は通過点という位置づけでしか無くてあまり記憶に残っていないことから、 今度はじっくり楽しみながら登ろうというものである。
さらには、この爺ヶ岳に 4、5月の残雪期に登ろうと狙ってもいたのだったが (残雪期は途中から南尾根を登る)、 残念ながらタイミングを逃してしまい、そのことが頭に残っていたこともこの山を選んだ理由である。

7月20日(水)、2時過ぎに横浜の自宅を出発する。 上空には雲が多いものの、目差す北アルプス方面は晴れているはずである。
しかし、このところ午前1時過ぎに寝るという生活を続けているため、早く床についても眠れるはずもなく、結局 2時間弱の睡眠時間である。 これが後で響いてこなければよいのだが・・・。今後は前夜に現地に入り、車中で仮眠を取るという方法も考えねばならないようである。
いつも通り横浜ICから東名高速道に入り、海老名JCTから圏央道へと進んで、さらに八王子JCTにて中央自動車道へと入る。
この辺も空に雲が多く、少々本日の天気が心配になる。
岡谷JCTから長野自動車道に入っても、やはり空に雲が多く、本来見えるはずの北アルプスの山々はほとんど見えない。
梓川SAにてトイレ休憩を行うとともに、SA内のコンビニにて本日の食料、水などを購入し、安曇野ICにて高速道を下りる。

ICからはまっすぐに進んで県道310号線を走り、 いつもの通り 重柳の交差点にて右折して一般道を進む。
道は途中から県道306号線となり、右手に高瀬川を見ながらの長いドライブが続く。やがて一般道へと変わるが、基本的に道なりである。
なお、嬉しいことに、この頃になると前方の雲間に鹿島槍ヶ岳と思しき山が見えるようになり、少し本日の天候に光明が見えてくる。
蓮華大橋南の丁字路を右折して安曇野アートラインに入り、すぐに高瀬川に架かる橋を渡ると 『 ← 大町温泉郷 』 の標識が見えてくるので、 そこを左折して暫く進む。
やがて道は県道45号線にぶつかり、そこを左折すれば後は扇沢まで道なりである。

道は山に入って行き、木立の中を抜けていく。 いくつかのスノーシェッド、ロックシェッドを潜っていくと、右手に柏原新道の入口が見えてくるが、 その向かい側、道路左手にある駐車スペース (8台程のスペース) は満杯である。
さらに先の扇沢橋を渡った所にある駐車スペースの方は、『 7/19−11/30まで治山工事のため駐車不可 』 との立て札があるためここもパスし (但し、結構 登山者が駐車していたようである)、さらに先にある市営第二駐車場に車を駐める。
こちらは四割程度の埋まり具合であるが、平日であることを考えると結構な数になる訳で、 もう既に夏山のハイシーズンに入っているということなのであろう。時刻は5時26分。

身支度を調え、5時33分に駐車場を出発。県道45号線を下って戻り、 柏原新道入口へと向かう。
5時38分に柏原新道の入口に到着。入口には登山相談所が開設されており、持参した登山届を提出する。
さて、肝心の空模様であるが、どうやら天気予報通りのようで、上空に雲はほぼ無くなり、本日は晴れが期待できそうである。
暫く緩やかな登りの道を進んで樹林帯に入ると、途中から右の支尾根に取り付くことになり、ここから急登が始まる。
道は良く整備されており、石が敷かれた歩きやすい道が続くが、未だ目覚めぬ身体には結構キツイ。
また、平日にも拘わらず登山者は多く、途中で合計 10人程の登山者を追い抜く。平日のために若い方がおらず、小生のような年配者が多いため、 体力の落ちている小生でも追い抜くことができるという訳である。
また、この辺はモミジ坂と呼ばれているようで、周囲にはカエデらしき木も見られるが、この時期 周囲は緑一色である。

ジグザグに斜面を登っていく。足下には木の根、そして石が敷かれた状態が続く。
基本的に登りが続くが、途中、踊り場のように平らな道が現れて少し早くなった呼吸を整えることができる。
また、左手の樹林越しに周囲の山々がチラチラ見え始めるが、断片的であるため、どの辺の山なのか全く分からない。
やがて周囲は低木帯に変わり、少し進むと、左手に遮るもの無く稜線が見通せるようになる。どうやら蓮華岳方面のようである。
その稜線の後方には雲一つ無い青空が広がっており、テンションがグッと上がる。
そして、そこから少し登れば 『 八ツ見ベンチ 』 であった。時刻は 6時13分。
ここにはその名の通りベンチが置かれていて、ここから八ヶ岳が見えるためにその名が付けられたようであるが、 本日 八ヶ岳方面は雲に覆われており、全くその姿を見ることができない。

八ツ見ベンチを過ぎると、再び樹木が多くなり、その間から今度は先程の蓮華岳の右側にある針ノ木岳、 スバリ岳の姿が見えるようになる。但し、針ノ木岳の手前にある大雪渓は角度的にまだ見ることができない。
また、針ノ木岳からそのまま手前下方に目を下ろせば、扇沢駅とその手前の駐車場が見えている。さすがに有料駐車場の方はガラガラのようである。
緩やかながらも登りはまだまだ続くが、やがて周囲に杉の木が多く見られるようになり少し雰囲気が変わる。今度は樹林の間から岩小屋沢岳が見えるようになるが、 岩小屋沢岳よりもむしろその右側に続く小さなピークの固まりの方が魅力的である。
傾斜の方は大分緩やかになり、足が結構進む。暫く展望の利かない道が続いた後、今度はスバリ岳と岩小屋沢岳の間にある赤沢岳、鳴沢岳の姿が見えるようになる。
この種池山荘から岩小屋沢岳、鳴沢岳、赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳と続く稜線はなかなか魅力的であり、いつかトライしてみたいところであるが、 今の体力では山中に一泊せざるを得ないため、少々二の足を踏むところである。

道はやがて樹林帯を抜け、崖の縁を進むようになる。この辺はほぼ平らな道が続き、 展望も開けて気持ちが良いが、左下は崖であり足下には注意が必要である。但し、下り斜面に草木が多く、高度感はほとんど無い。
ここからは、ここに至る迄に断片的に見えていた稜線を遮るもの無く見ることができるようになる。まずは南西の方向に蓮華岳が見え、 そこから右に針ノ木岳、スバリ岳、赤沢岳、鳴沢岳、岩小屋沢岳が続いている。
また、針ノ木岳の下方に針ノ木雪渓も見ることができるようになり、その急角度に少々驚かされる。
そして、見晴らしの良い崖の縁を通過し終えると、その少し先にはケルンがあり、『 種池 3時間半 』 と書かれたプレートも置かれている。 時刻は 6時35分。出発してからまだ 1時間しか経っていないので、ここも休まずに通過する。

この先も少しの間 崖の縁を進むが、下方に草木が多く、 全く谷底は見えることができない。
一方で、岩小屋沢岳とそこから右に続く稜線がよく見えるようになり、その深く刻まれた山襞とそこに未だ残る雪が印象的である。
ここまで真っ直ぐな道が長く続いていたが、道は再びジグザグになって高度を上げていく。そしてそのジグザグな登りが終わると、再度展望が開け、 蓮華岳、針ノ木岳方面がよく見えるようになり、やがて 『 駅見岬 (えきみさき) 』 と書かれた標識がぶら下がる場所に到着する。
時刻は 6時53分。
ここからは扇沢駅が見えるので、この名が付けられたのかもしれない。
因みにこの柏原新道では、谷側に張り出した尾根を道が横切る場所に 『 岬 』 という名が付けられているようである。

道の方はかなり緩やかになって、前方には岩小屋沢岳よりもさらに右側の稜線が良く見えるようになり、 その稜線上に本日の通過点となる種池山荘も見えてくる。しかし、そこまでまだかなり距離がある。
また、先程までよく見えていた針ノ木岳から鳴沢岳に掛けての稜線下方に少し雲が湧き始めている。
やがて 『 一枚岩 』 と書かれた標識のある場所を通過したが、一枚岩というのがどれなのかよく分からない。足下に分厚い板状の岩が少し露出していたのでこれが一枚岩なのであろうか。
なお、帰宅後に調べると、この辺が柏原新道のほぼ中間点とのことである。時刻は 7時10分。
一枚岩から暫く進むと、また左手に針ノ木岳から岩小屋沢岳へと続く稜線が見えてくるが、今や雲が鳴沢岳、赤沢岳を隠しており、 徐々にスバリ岳・針ノ木岳方面へも延び始めている。

足下には相変わらず石がゴロゴロしているが、その密度が徐々に高くなり、 仕舞いには完全に石畳のようになる。
また、道の周囲には細いダケカンバ、そしてシラビソなどの木々が見られるようになる。
この石畳は人力にて整備されたと思うが、結構距離が長く、この道を整備された方々の苦労は大変なものであったと思われる。
見上げれば、再び稜線上に種池山荘の建物がチラチラと見えるが、やはりまだまだ遠い。
7時28分に 『 石畳 』 と書かれた標識の横を通過、石畳はこの後も続く。
時折 開けた場所を通過し、そこから針ノ木岳方面が見えるが、今やスバリ岳は雲に飲み込まれんばかりの状態である。 この時期、午前中は雲がなく、気温が上がる午後から雲が湧き出るというイメージがあるが、本日はそれがかなり早いようである。
はてさて、目差す爺ヶ岳、そしてそこから見えるはずの鹿島槍ヶ岳、剱岳、立山はどのような状態であろう。

意外と長かった石畳が終わると、道の方は今まで以上に緩やかになり、 やがて 『 水平道 』 と書かれた標識が現れ、その名の通り水平な道が続くようになる。時刻は 7時35分。
時折 展望が開けるが、今やスバリ岳は頂上直下まで雲が迫っており、針ノ木岳、そして蓮華岳の下方にも雲が湧き上がってきている。
7時37分 『 水平岬 』、7時40分 『 包優岬 』 と書かれた標識を通過する。ただ 『 包優 』 と言われてもその謂われ、意味が分からない。
また、さすがにこの頃になると、種池山荘のある稜線はかなり近くに感じられるようになるが、一方で稜線に到達するためには急斜面が待っており、 疲れが出始めた身にはやや億劫に思われる。
歩き始めてから既に 2時間を経過しているため、そろそろ休憩しても良いかなと思い始めた頃、『 石ベンチ 』 と書かれた標識が現れ、 その名の通りそこには腰掛けるに適当な岩がいくつか置かれている。
ただ、ここまでまあまあのペースで来られたこと、そして岩小屋沢岳方面に雲が湧き上がってきているのを見ると、できるだけ早く稜線に立つべきとの思いが強くなり、 そのまま通過して先へと進む。時刻は 7時44分。

左手後方を見ればスバリ岳は完全に雲の中であり、雲は次に針ノ木岳を飲み込もうとしている。 これを見て、自然と足が速くなる。
道の方は、『 アザミ沢 』 と書かれた標識にて左に大きく曲がっていく。なお、アザミ沢に水は流れていない。時刻は 7時48分。
大きく向きを変えたことで、ここからは登山道に日が当たり始める。本日は先日の白毛門、朝日岳の時と違い、涼しいのがありがたい。
やがてガラ場に到着。時刻は 7時56分。
ガラ場の手前には、通過時の注意点が書かれた標識が立っている。その中で気になったのは、 『 サルやカモシカが上方にいる時 石が降ってくることもあります 』 との一文。 22年前にこの柏原新道を登った際に、登山道脇の木の上にサルを見かけたことを思い出す。
22年前は、宮崎に単身赴任中で、夏休みに家族のもとに帰る際、まっすぐには帰らずに名古屋空港に下り、 名古屋から扇沢への夜行バスにて鹿島槍ヶ岳、五竜岳の縦走を行ったのだった。
九州には 2,000mを超える山がなく、少々ストレスが溜まっていたため、大切な家族をないがしろ ? にしてしまった次第である。

さて、ガラ場であるが、左に下るガレた急斜面を横切っていく。 確かに上部にサルやカモシカが居て落石を起こされたらかなり危ない状況である。また、足下も細い道のため、慎重に通過する必要がある。
ガラ場を通過すると、道は左に曲がっていくが、道自体が少々左下の谷へと傾いているためか、右の斜面にロープ、鎖がつけられている。 しかし、利用しなくても問題なく通過することができる。
また、この辺からは道の周囲に高山植物が多く見られるようになり、特に黄色いキンポウゲがよく目立つ。
少し高度を上げて右に回り込んでいくと、再び周囲の展望が開ける。しかし、最早 針ノ木岳は雲に飲み込まれてしまっており、 蓮華岳も風前の灯火といった状態である。これを見て、稜線に登り着いた時の状況がますます気になり始める。

道の方は少し傾斜がキツくなり、その途中に 『 富士見坂 』 の標識が現れる。 時刻は 8時7分。
富士見坂というからには、富士山が見えるのかもしれないが、蓮華岳の左側は完全に雲に覆われており、確認することができない。
さらに傾斜のある道を登っていく。どうやら道は既に種池山荘のある稜線への登りに入っているようである。
ジグザグに斜面を登る。足下が再び石畳のようになり始めると、今度は 『 鉄砲坂 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 8時16分。
雰囲気的に種池山荘はもうすぐのようである。

周囲は灌木帯となり、先の方に灌木帯の切れ目が見え、その後方に空が広がっている。
しかし、その空は青ではなく、どちらかというと白い状態である。こちら側にもガスや雲が出てきているようだ。
その灌木帯を登りきると、種池山荘が現れることを期待していたのだが、残念ながらそう甘くはない。その後 草の斜面が続く。
しかし、左に緩やかに曲がって行くと、すぐにガスが漂う中に種池山荘の建物が見えてきてホッとする。 ただ、周囲はガス、これでは爺ヶ岳山頂のコンディションも悪そうである。
ハクサンフウロが沢山咲く斜面を登り、種池山荘には 8時29分に到着。山荘前のベンチに荷を下ろし暫し休憩。
トイレをお借りした後、周囲を見渡す。ガスが上がってきてあまり展望は得られないものの、西側のガスが僅かに切れて、 別山、真砂岳が見えており、別山の右後方には剱御前も見えている。
これらの山々は山襞の間に雪がまだ多く残っており、如何にもアルプスらしい雰囲気を醸し出している。
しかし、喜んだのも束の間、すぐに山はガスに飲み込まれてしまったのであった。

この状況にガッカリしながら 8時47分、爺ヶ岳に向けて出発する。
東側へと進むのだが、ガスでほとんど周囲の景色を見ることができない。
やや盛りを過ぎたチングルマなどが咲くお花畑の中を進む。前方を見れば、こちらから延びていく稜線が途中からガスの中に入ってしまっている。 但し、左方には爺ヶ岳の北峰らしき高みがボンヤリと見えている。
道は左へと曲がりながら高度を上げ、やがて稜線上に登り着く。ここからは暫く平らな道が続く。
振り返れば、ガスの中にうっすらと剱岳の姿が見えている。先程の状況から展望は諦めていただけに、薄い膜が掛かったような状態とはいえ、 テンションが上がる。さすがに剱岳には多くの雪が残っている。
そして道の左手には鹿島槍ヶ岳も見えている。鹿島槍ヶ岳の左側はほとんどガスがないため、南峰の方は青空をバックにハッキリと見えている。 しかし、南峰から冷乗越へと下ってくる尾根上には雲が掛かっている状態で、北峰はその雲に隠れてしまって見ることができない。

ハイマツ帯を進む。前方には相変わらずガスが漂っており、 爺ヶ岳の南峰はその姿が全く見えない。
しかし、南峰左手後方の中峰は一応その形を確認することができる。
緩やかな道を進む。ありがたいことにガスの動きは早いようで、進んで行くうちにて少しずつ爺ヶ岳南峰も姿を現し始める。 ただ、丁度東の方角に進んでいるため、逆光気味であり、しかもそこにガスが絡んでいることから、ややぼやけ気味である。
時折 振り返って、後方のガスの状況を確認すると、こちらもガスの動きが速く、徐々に剱岳の姿がハッキリと見え始める。 これにはテンションがさらに上がる。
鹿島槍ヶ岳の方も、冷乗越から南峰にかけての稜線上には雲が停滞しているものの、北峰の方も雲の上に徐々に顔を出し始め、 その間を結ぶ吊尾根も見え始めている。

道の方はハイマツ帯の丸い高みから少し下った後、矮性化したシラビソ帯を進んでいく。
ありがたいことに、正面には均整の取れた三角形をした爺ヶ岳南峰がよく見えるようになり、 そのハイマツの斜面を割るようにして道が頂上へと続いているのがよく分かるようになる。完全にアルペンムードに突入であり、気分が高揚する。
一方で、まだ少しガスが漂っていることからライチョウが現れることを期待したのだが、残念ながらこの日はライチョウを見ることはできなかったのだった。
ハイマツ帯に入り、砂礫の道を登る。振り返れば、剱岳、そしてその右に池平山、さらにその右には猫又山、釜谷山、毛勝山と続く毛勝三山が並んでいるのが見える。
鹿島槍ヶ岳はと言えば、先にも述べたように冷乗越から鹿島槍ヶ岳南峰へと続く尾根は綺麗に見えるものの、尾根の反対側 (東側) は雲に埋められているという状況で、 北峰は再びその雲に飲み込まれてしまっている。

斜面の傾斜が増してくると、足下は岩がゴロゴロした道となり、 その中を小さな振幅ながらもジグザグに登っていく。
剱岳は再びガスに隠れたかと思うと、また徐々に姿を現すといった状況が続いており、鹿島槍ヶ岳の方は南峰がずっと姿を見せているのに対し、 北峰は雲に飲み込まれたり、また現れたりといった状況を繰り返している。
息を切らせつつ斜面を登る。しかし、見た目ほどには道は厳しくなく、高度がドンドン上がる。
周囲の状況変化が激しいので、シャッターチャンスを逃すまいと、周囲をキョロキョロしながら少しユックリと登る。
爺ヶ岳南峰の左奥には中峰、そして北峰と続く稜線がよく見えているものの、鹿島槍ヶ岳と同様、稜線の向こう側は雲あるいはガスが多く漂っている。

やがて南峰との分岐に到着。そこから少し右に登れば立派な標柱、 そして大きなケルンがある爺ヶ岳南峰であった。時刻は 9時33分。
ここからは剱岳が良く見えているが、その左右の山々は雲の中。そして鹿島槍ヶ岳の方は、双耳峰、吊尾根が見えているものの、 そのすぐ下には雲が掛かっており、先程はよく見えていた冷乗越から続く尾根にも雲が覆い被さろうとしている。
頂上付近を少しウロウロした後、9時35分に中峰を目差す。そのまま尾根通しに進めるのかと思ったのだが、道が見つからず、 先程の分岐まで戻って縦走路を進む。
振り返れば、嬉しいことに剱岳の左側に前剱、剱御前、そして別山が見えている。

砂礫の道を一旦大きく下り、壊れかけた標示板のある鞍部から登りが始まる。 傾斜はそれ程でもなく、青空をバックにした中峰を見ながら登って行く。
やがて、中峰分岐に到着。そこから岩屑の道をジグザグに登っていけば、三角点のある中峰であった。時刻は 9時52分。
なお、頂上手前にて左方を見ると、50m程先の岩上に一匹のサルがいる。このような場所にサルがいることに少々驚かされたが、 サルがライチョウのヒナを食べているという話も聞いたことがあるため、少々心配になる。
この中峰で暫し休憩。周囲を眺めると、鹿島槍ヶ岳は南峰、北峰とも雲に隠れてその穂先しか見えない状態へと変わってしまっている。
但し、実際には雲は手前にあるだけで、頂上の展望は良いに違いない。
剱岳方面はと言えば、剱岳自身はしっかりと見えているものの、その左はガスの流れが激しく、別山、そして真砂岳、さらにはその左にある富士ノ折立、 大汝山、雄山が時折見え隠れするといった状況である。

10時7分に下山開始、往路を戻る。
鹿島槍ヶ岳の往復も少し頭に浮かんだが、今の体力では少々難しいと諦める。下山するにつれてガスがまた少し流れ出し、 今朝ほどと同じように爺ヶ岳を隠し始める。
種池山荘には 10時46分に戻り着く。少し休んで 10時52分に下山開始。この頃になるとガスがさらに多くなり、 周囲の山々はほとんど見えない状態である。
今朝ほど見えた岩小屋沢岳から蓮華岳へと続く稜線もガス (あるいは雲) に覆われ全く見えない。こうなったら黙々と下るのみである。
途中、100人程の中学生の団体と擦れ違う。聞けば本日は種池山荘に泊まるとか。種池山荘は 200人の収容人員ということなので、 十分収容可能だが、一般の宿泊者は少々ビックリすることであろう。

11時14分にガラ場を通過、一枚岩を 11時44分に通過して、 12時8分にケルンに到着する。ここで暫し休憩。
この頃になると稜線は完全に雲の中であるが、下方の扇沢駅方面はよく見えている。
12時13分にケルンを出発、12時28分に八ツ見ベンチを通過し、柏原新道入口には 12時57分に戻り着いたのだった。
そこから車道を登り、駐車場到着が 13時2分。

北アルプス入門の山だけあってかなり早く戻ってくることができたのだったが、 一方で久々の登山であり、身体の方は結構疲れを覚えた次第である。
しかし、短時間でアルペンムードが味わえ、さらには立山、剱岳、鹿島槍ヶ岳といった山々を眺めることができ、なかなか満足のいく山行であった。


ホームページへ戻る