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熱中症 ? の白毛門、朝日岳  2016.6 記
6月1日(水)に木曽駒ヶ岳に登ったものの、その後 梅雨入りしたこともあって、 なかなか山に行くタイミングが掴めない状態が続いていたのだが、漸く 18日は自身の都合と天候とがマッチし、山に行くことができるようになる。
但し、土曜日であるため、前から行きたいと思っていた山は余程 早く着かない限り駐車場が満員になると思われたので断念することとし、 3度目となる群馬県の朝日岳に登ることにする。
この地域の天気が良いとの予報が出ていることに加え、前回 宝川温泉からこの朝日岳に登った時には山頂にてガスに覆われてしまい、 予定していた土合方面への下山を断念したことが少々気になっていたからである。
そして、今回は 10年ぶりに土合側から登って、余裕があれば土樽駅方面へと半馬蹄形縦走を行うことにする。6月18日(土)、3時30分に横浜の自宅を出発する。横浜ICから東名高速道に入り、海老名JCT経由にて圏央道に入る。
4時を過ぎると周囲はかなり明るくなり、この時期 山に登るのならばもっと早い時間に出発すべきだったと少々反省をしながら車を進める。
空は薄い雲に覆われており、快晴とまではいかないが、果たして朝日岳のある地域はどうであろう。
八王子JCTを直進してそのまま圏央道を進む。イメージでは東京都をもっと早く抜けられると思っていたのだが、結構これが長く感じられる。 周囲が明るいこともあると思うが、後で考えると、この時 既に身体が不調のシグナルを出していたのかもしれない。青梅ICを過ぎて漸く埼玉県に入った後、暫く進んで鶴ヶ島JCTから関越自動車道に入る。 水上ICを目差しているのだが、そこまでの運転もかなり長く感じられる。
先日 木曽駒ヶ岳に登った際に利用した伊那ICと比べると、横浜ICからの距離は水上ICの方が 16km程短いのであるが、 今回の方がずっと長く、そして退屈なのである。南アルプスや中央アルプスなどの心躍らせる山々が見えないことも理由の一つなのかも知れないが、 とにかく運転が面倒と思えて仕方が無い状態であった。それでも道は空いているので順調に進み、水上ICからは国道291号線に入る。 途中、川上の交差点を左折したりするが、道自体はずっと国道291号線を進むことになる。
みなかみの街並みを抜け、湯桧曽駅、土合駅を過ぎて上越線の踏切を渡ると、やがて土合橋に至るので、橋の手前を右折して国道を離れる。 そこから少し進めば広い白毛門登山口駐車場である。到着時間は 6時9分。
駐車場は 50台ほど駐車できるとのことであるが、この時間で既に 8割方埋まっている。梅雨の晴れ間の土曜日とあって、 多くの人が山に入っているようである。
なお、関越自動車道通行中に見た谷川岳方面は雲に覆われていたが、新潟方面は午後から晴れることになっているのでこれは想定内。
一方、予報では群馬側は朝から晴れることになっているのだが、今の状況は薄曇りである。身支度をして 6時14分に出発し、駐車場の奥へと進む。
東黒沢にかかる橋を渡る手前に置かれている 『 谷川連峰馬蹄形概念図 』 を見ると、 馬蹄形縦走の半分でしかない土樽駅までであってもかなり遠く感じられ、18時9分発の水上駅行きの最終電車もギリギリのように思われる。
まあ、電車に間に合いそうもない場合はピストン登山に切り換えれば良い訳で、そういう意味では少し気が楽である。
橋を渡り、樹林帯に入って平らな道を進むと、本来はジグザグに登る道が崩れており、ロープを使って斜面をよじ登ってショートカットすることになる。 その後 暫くは緩やかな登りの道が続き、ブナ林の中を進む。
やがて、『 笠ヶ岳・朝日岳入口 』 と書かれた標識の所で、道は左に直角に曲り、ここから厳しい登りが始まる。時刻は 6時21分。足下には石がゴロゴロしていて、所々で木の根が剥き出しになったブナ林の斜面を登る。
ブナというと、その幹に地衣類がついて模様ができているものが多いが、この辺のブナの幹は灰白色のままでなかなか美しい。
一方、登りはかなりキツク感じられ、最初から息が上がる。
6月1日の木曽駒ヶ岳以降、ほとんど運動らしいことをしておらず、体力が落ちていることは間違いなく、 加えて、本日は気温も高いようで、額から汗が滝のように流れ落ちる。体調もあまり良くないようである。苦しい登りが続くが、漸く傾斜が少し緩んでくると、 左手樹林越しに谷川岳方面がチラチラ見えるようになる。
しかし、その頂上付近は雲に覆われており、見えるのは西黒尾根、ラクダのコル、東尾根のみであって、その上部のトマノ耳、オキノ耳は見ることができない。
道は尾根のすぐ左下を登るようになっており、時折 尾根上、あるいは尾根の右下を進むことになる。
尾根の右側を進む場合、東側の展望が開けるが、見えるのは周辺の緑多き尾根のみで、これといった山が見える訳ではない。
天候の方は薄曇りではあるが、時折 日が差してかなり暑い。周囲はブナ林から松などを含む雑木林に変わり、時折その中に檜の大木が見られるようになる。
時に道は緩やか、あるいは平らになるが、基本的には登りがずっと続き、体調が今一つの身にとってはかなり苦しい。
もうこの時点で半馬蹄形縦走は無理と諦め、後はどこで折り合いをつけて戻ることにするかということだけを考えながら登る。
樹林帯を進むため、時々左右の展望は見えても、前方は見ることができないのだが、一瞬、樹林の向こうに松ノ木沢ノ頭と思しき高み、 そしてさらにその後方に白毛門の山頂が見えるようになる。
しかし、そのかなり遠いことに唖然とする。このように感じるのは体調が悪い証拠でもあろう。樹林の中の登りから徐々に周囲は灌木帯に変わり、さらには露岩帯も通るようになって変化が生じてくるが、辛いことに変わりはない。
しかも、再び灌木帯から樹林帯へと変わって、少々ガッカリさせられる。
滑りやすい岩と土の混ざった溝状の道を登る。
高度を上げるに連れ、周囲は再び灌木帯に変わり、足下には落下したベニサラサドウダンの花が目に入るようになる。 不思議なことに、周囲を見回してもサラサドウダンがなかなか見つからない。
喘ぎつつ溝状の斜面を登り切ると、鎖場のある岩場に出る。但し、鎖はそれ程必要とはせずに登っていけるレベルである。ここで展望もグッと開け、谷川岳方面がよく見えるようになる。
相変わらずその頂上部は雲の中であるが、その右側の一ノ倉岳は雲の中からしっかりと顔を出している。
しかし、谷川岳の頂上は見えずとも、マチガ沢、一ノ倉沢、幽ノ沢それぞれの上部にある岩壁はよく見えており、その迫力に圧倒される。
また、来し方を振り返れば、辿ってきた尾根の向こうに谷川岳ベースプラザ、上越線、そして土合駅を確認することができる。
そして、その岩場を越えてさらに灌木帯を進めば、前方に白毛門の姿がよく見えるようになり、 その少し先にて松ノ木沢ノ頭に到着したのだった。時刻は 8時12分。かなりバテてしまったので、岩に腰掛け、ペットボトルの水を一気飲みする。
少し落ち着いた所で周囲を改めてよく見回すと、東の方角には目差す白毛門が台形の頂上を見せており、その後方には白い雲が湧き出ている。 ただ、そのさらに上方には青空が見えており、結構日差しが強い。
そして、白毛門の頂上直下にはジジ岩とババ岩が仲良く並んでいるのが見える。
谷川岳方面に目をやれば、先程よりも雲が北に移動したらしく、左側のトマノ耳が姿を見せ、オキノ耳ももう少しで見えそうな状況である。
反対に先程までよく見えていた一ノ倉岳はやや雲に飲まれそうで、その右後方にある茂倉岳は全く見ることができない。8時20分に出発。ここからは完全に灌木帯となり、白毛門を見ながらの登りが続く。
ありがたいことに傾斜の方も少し緩み、バテ気味の身体には大変ありがたい。とは言え、頂上まではアップダウンが待っている。
少し高度を上げて振り返れば、先程の松ノ木沢ノ頭の後方に、ロープウェイ天神平駅のある天神平、そしてその後方に天神山が見え、 天神山の左後方には台形をした吾妻耶山がうっすらと見えている。
右手にはジジ岩、ババ岩が大きく見えるようになってきており、特にババ岩のドッシリとした姿はなかなかのものであるが、 それに比べてジジ岩はやや弱々しく、女性の強さを象徴しているようである。足下の方は草つきの露岩帯へと変わり、染み出る水で濡れた岩の上をジグザグに登っていく。
途中、ロープに頼って身体を引き上げねばならない所があったものの、さほど問題なく登っていくことができる。
吹く風も意外と強いため、暑い日差しにほてった身体を冷やしてくれて心地よい。
やがて白毛門の山頂部がよく見えるようになるが、山頂にはかなりの人がいるようである。
道の方が少し右に曲がって頂上からの尾根上に出ると、左手に笠ヶ岳、そしてその右に小烏帽子、大烏帽子が見えてくる。
その背後は白い雲に覆われており、ともするとその雲が小烏帽子、大烏帽子の山頂部分を覆う。
かなりバテている状態のため、これを見て登高意欲がグッと下がる。
そして、鎖のついた大岩の上には登らずに大岩の下を巻いて少し登れば、白毛門の山頂であった。時刻は 9時6分。
山頂には方位盤、笠ヶ岳・朝日岳の方向を示す案内標識の他、ピッケルが埋め込まれた手製の標識が置かれている。
なお、山頂は下方から見たとおり登山者で満員状態のため、少し先に進んだ所にある岩場で休憩する。
大勢の登山者はどうやら高校の登山部のようで、皆 元気。小生の方は岩に腰掛けてグッタリである。朝日岳を目差すには、目の前に見えている笠ヶ岳、小烏帽子、大烏帽子を越え、 さらに小さなアップダウンを繰り返しながら進まねばならず、そこまでの登りもかなりキツそうに見え、 さらには先に述べたように小烏帽子、大烏帽子には雲が掛かったりしているのを見て、かなり気持ちが萎える。 体調が悪いこともあってこのまま下山することも アリと思いながら、とにかくユックリ休むことにする。
周囲を見渡せば、谷川岳は相変わらずオキノ耳が見えそうで見えない。
その右にある一ノ倉岳は再度その姿を見せつつあるが、さらに右の茂倉岳はその山頂部分に雲が掛かっている。
さらにその右側に目を向ければ、武能岳がハッキリと見えている。
また、気温が高いためか、全体に展望はぼやけ気味であり、本来ならば東側に良く見えるはずの武尊山も、 その姿はうっすらとシルエット状に見えるだけである。やがて、山頂を占領していた高校生達が笠ヶ岳方面に向かって移動し始める。
この先、ずっと山頂を占領されるのはイヤだなと勝手なことを思い、それを理由にこのまま下山することも考えていたところ、 何と高校生達は途中からルートを外れ、ヤブを漕ぎながら東に派生する尾根を進んで行くではないか。
手元の地図を広げると、その先には武能岳 (= 丸山。茂倉岳の北に位置する山とは別の山。) があるが、その後 どちらへ進むのだろう。
背中のザックはかなり大きかったので、山中一泊し、宝川温泉へと下るのかも知れない。
こうした高校生の姿を見て、このまま下山するのは名折れであると思い、とにかく行けるところまで行くことにする。
9時31分、笠ヶ岳に向けて出発する。この白毛門で 25分も休んだことになり、小生としては異例の長時間休憩である。
しかし、そのため身体の方も少々回復基調となり、また当面は下り斜面が続くため足が進む。
途中、高校生が縦走路を離れたと思われる場所に赤い布を見つけたので、この先はバリエーションルートとしてそれなりの扱いを受けているのであろう。 しかし、かなりの藪漕ぎを強いられることは間違いない。
道は目の前に見える笠ヶ岳、小烏帽子、大烏帽子を見ながらドンドン下る。ということは、帰りにここを通る際、かなり厳しい登りとなる訳で、 実際 振り返れば、先程まで居た白毛門がかなり高く見える。ササ原の斜面をドンドン下り、少し小さな高みを登り越した後、 笠ヶ岳への斜面に取りつく。ここはササ原の気持ちの良い斜面になっており、風が時折強く吹く中を登っていく。
気持ちの良い斜面ではあるが、やはり本日は身体に応える。それでも先行する 2人組との距離が縮まっているのを励みに登り続け、 最後は少しザレた道を登って、笠ヶ岳頂上には 10時22分に到着する。
白毛門から 51分、コースタイムを若干下回る状況であるが、現在の調子を考えればまあまあで、意外と早く着けたことに自分でも驚く。
やはり、タップリと休憩したのが良かったのかも知れない。笠ヶ岳の山頂は狭いものの、三等三角点と立派な標柱が立っている。
ここから本日初めて朝日岳を見ることができるようになるが、そこに至るには目の前に大きな障害物のように立ちはだかる小烏帽子、大烏帽子を越えて行かねばならない。 これを見てまたまた気力が萎え、この後の行程を億劫に感じてしまう。
しかし、ここで引き返すのでは何とも中途半端であり、また白毛門−笠ヶ岳間にてまあまあの足運びができたので、とにかく朝日岳まで行くことにする。 あまり長く休んでしまうとこの決心が鈍ると考え、ノドを潤し、少し休んだだけで先へと進む。
10時25分に出発。折角稼いできた高度を吐き出すように斜面を下る。
カマボコ型の避難小屋の横を通り岩の目立つ斜面を下る。草原となった鞍部からは小烏帽子に向けての登りが始まる。
この鞍部から見上げる小烏帽子は美しいピラミッド型である。ここの登りも急斜面ではあるが、この辺は開放感に溢れていることもあって、 苦しいけれども先程の松ノ木沢ノ頭までの登りに比べれば楽しく登っていくことができる。
振り返れば谷川岳、一ノ倉岳の急峻な岩壁をバックに笠ヶ岳が見え、その形は確かに菅笠のようである。
また、その左手下方には白毛門が見え、笠ヶ岳まで辿ってきた尾根も見えているが、そこを戻ることを考えると少し気が滅入る。
漸く急斜面を登り切ると暫く平らな道が続き、先の方に 2つの高みが見えてくる。奥の高みが大烏帽子であろう。
小さなアップダウンを繰り返しながら進む。アカモノなどの花が足下に咲く道を進み、大烏帽子の頂上を巻くと、さらに先に 3つの小ピークの連なりが見えてくる。 朝日岳までは障害物競走のようにこれらのピークを越えていかねばならない。
その 2つ目のピークに達した所で、先の方に朝日岳の山頂部が見えてくる。朝日岳までのルートもよく見え、 ここからは一旦下って 3つ目のピークを越え、そこからさらに下った後、小さな高みを越えて最後の登りにかかるようであるが、ハイマツ、ササ、シャクナゲの生える道を進む。
吹く風が心地よいので助かるが、この頃になると太陽光がかなり強くなってきており、下山後は日焼けで悩まされそうである。
目の前の朝日岳は大きな山容の山で、こちらから続く尾根の右側には岩が目立ち、左側は緩やかなササ原の斜面が続いている。
気持ちの良い稜線を歩く。左手を見れば、武能岳から続く稜線上に七ツ小屋山が見え、その後方に大源太山も見えている。
大源太山は 『 上越のマッターホルン 』 と呼ばれ、見る方向によっては鋭角な山頂が天に突き上げているのだが、 こちらから見る大源太山はゴツゴツした岩の固まりのようである。それでも、その姿は周囲の山の中で異彩を放っている。先程見えた小さなピークを越えると、少し下った後、登りが始まるが、 予想に反して 頂上まではもう 1回アップダウンがあるようである。
尾根の下を進んだ後、岩場の尾根を通る。尾根通しにも行けるようであるが、道の方は左下に少し下って進むのが正解のようである。
ここを下ると、目の前に記憶通りの大岩が見えてくる。登りに入り、その大岩の左を進む。
大岩は 3つほどの岩からなっているようであるが、その隙間には小判でも挟まっているような、信仰の対象としたくなる雰囲気を持っている。
しかし、どうやら名前は付いていないようである。
そして、左手斜面の下方に地塘を見て、背の低い高山植物が生える斜面をジグザグに登っていくと、やがて朝日岳頂上であった。
到着時刻は 11時24分。先程までの身体の状況を考えると、良くここまで辿り着けたものである。頂上には標識の他、二等三角点、そして地蔵尊が置かれている。
残念ながら少しガスが出てきており、あまり展望は得られない。前回、宝川温泉から登った時ほどには悪くないものの、 この朝日岳ではあまり展望に恵まれない運命にあるようで、谷川岳方面は完全に靄っている。
しかしそれでも、笠ヶ岳、大烏帽子など、ここまで辿ってきた尾根はしっかりと見ることができ、北側にはジャンクションピークとそこまで続くササ原、 そしてその中に作られた木道が見え、木道の右側には未だ残る雪、そして地塘が見えている。
ただ、ジャンクションピークの右後方にある大烏帽子山は霞み気味でほとんど見ることができない。南東の岩場に立つ石祠まで往復した後、標識近くの岩場にて暫し休憩する。
しかし、風が結構強く、汗をかいた身体に吹きつけて体温を奪っていくため、あまり長居はできない状況である。
さて、ここからは往路を戻るつもりであるが、障害物のように続くアップダウンが非常に苦痛に思えたため、 当初の目的である土樽駅までの縦走を検討してみる。
しかし、ここから土樽駅までのコースタイムは 7時間半以上となっており、余程頑張らないと最終の水上駅行に乗れないと分かり、 素直に往路を戻ることにする。もっと体力をつけ、さらにはもう少し早い時間に出発しないと、このコースは無理である。11時36分に下山開始。往路を戻る。しかし、思った通りこの道は下山時でもかなり辛い。
何とか笠ヶ岳頂上まで戻って来たものの (12時38分到着)、軽い頭痛を覚え、オマケに足が攣る症状まで出始める。
水分を補給し、さらには吹く風にて身体のほてりをとることで漸く症状が治まったが、道はまだまだ長い。
12時50分に笠ヶ岳を出発し、ササ原の斜面をユックリと下る。運動不足に加え、これまで家に閉じこもり気味で強い日差しをほとんど浴びていなかったため、 直射日光がかなり応え、またまたバテ気味になる。
従って、懸念した通り、白毛門への登り返しがかなりキツく感じられる。喘ぎつつも何とか登り切り、白毛門には 13時31分に到着。
ここでも水分補給を行って休みを取り、13時39分に出発する。松ノ木沢ノ頭には 14時14分に到着。ここでも 9分ほど休む。
この頃になると、谷川岳方面に掛かっていた雲は取れ、トマノ耳、オキノ耳、そして一ノ倉岳と続く稜線がよく見えるようになるが、 バテているためあまり興味が湧かない。
なお、この松ノ木沢ノ頭までは足がそれなりに進んだのだったが、樹林帯に入って風がほとんど当たらなくなってからは、歩みがかなり遅くなり、 しかも歩くことが苦痛に感じられるようになる。加えて、出だしは岩と土の混ざる道のために滑りやすく、余計に体力を消耗する。
それでも何とか下り続けるが、時折見える谷川岳ベースプラザの建物はなかなか近づいてこない。
そして、ついに気力・体力も限界となり、樹林帯の中にあった岩場にて大休止する。ここは樹林の中であるにも拘わらずかなり風通しが良く、 身体を冷やしてくれて気持ちが良い。
20分程休んだお陰でかなり体調がスッキリし、漸く下り続ける気力が湧いてくるようになったが、この間に何人もの人に追い抜かれる。その後はさらにユックリと下る。
そして、長く続く斜面の下りに辟易しながらも何とか下りきり、16時5分に東黒沢に架かる橋に辿り着いたのであった。
橋を渡れば駐車場はすぐであるが、ここは東黒沢の方へと下りて川の水で顔を洗う。冷たい水を期待していたのだが、 意外に温く感じる水に少々ガッカリである。それでも顔に吹き出た塩を拭い去ることができてサッパリとする。
そして、駐車場には 16時10分に戻り着いたのであった。今回は天候を優先して白毛門、朝日岳に登ったが、日頃の運動不足がたたり、 身体がついてこないなど反省点の多い山行であった。
また、安易にこの山域を選んだのは失敗で、この山域は秋に登るのがベストであり、炎天下の登山には適さないと心から思ったのだった。なお、余談であるが、かなり塩が吹き出たということは以下の問題点があると帰宅後に知る。
汗には良い汗と悪い汗があり、良い汗の場合、水分が大部分を占めていて塩分などのミネラル分は汗腺で再吸収され、体内に戻っていくらしいのだが、 運動不足などで汗腺機能が衰えていると、悪い汗をかくようになり、体に必要なミネラルを再吸収できずに水分と一緒に排出してしまうらしい。 これもバテの原因だったようである。
尤も、急激に大量の汗をかいて発汗スピードが上がった場合でも、汗腺におけるミネラル再吸収速度が発汗速度に追いつけず、 ミネラルは体外に排出され、塩分を多く含んだ汗になるとのことであるから、小生の場合は、どちらにも当てはまるということになる。そして、この発汗時に水分のみ補給して塩分を補わないと、 『 低ナトリウム血症 』 ( = 疲労感、運動能力の低下、頭痛、吐き気、ひどくなると痙攣や昏睡を起こす) を招くとのことで、 大量発汗時には必ず水分と一緒にミネラル分の補給もせねばならないということである。
今回、小生はポカリスエットを飲んだのだが、ポカリスエットのナトリウム量は 100ml当たり 49mg。 この 49mgのナトリウムが全て食塩から由来していると考えた場合、食塩相当量は 0.125gということになり (計算式省略)、 およそ 0.12%の塩分濃度ということになる。
一方、運動時の汗の塩分濃度は 0.3〜0.9%と言われているので、ポカリスエットを飲んだだけでは足りないということになり、 経口補水液 (0.3%の塩分濃度) の摂取やその他の塩分補給を考えるべきということが分かったのだった。今後の参考にしたい。(注) なお、この汗に関する記述は、主に 『 汗ナビ 』 から引用させて戴きました。
コース、山頂独り占めの木曽駒ヶ岳  2016.6 記
比較的天気の良い日が続いた 5月だが、20日に鎌倉アルプスを歩くイベントがあって小生が案内をすることになったため、 その下見を行うとともに、本番前に怪我をしてはイベントが成立しなくなるため暫く登山を自重する。 若い頃ならば山での怪我など考えもしなかったのだが、昨年の奥白根山にて大怪我をしたこともあり少し慎重になったという訳である。
そのイベントも無事終了し、山に行けるようになったものの、今度は用事が重なり、さらには天候の問題もあって、 結局 5月は和名倉山に登っただけで終わってしまったのだった。
少し焦りを感じながら天気予報を睨んでいたところ、フリーの状態である 6月1日は中央アルプスの天候が比較的良いと分かり、 早速 木曽駒ヶ岳を目差すことにする。木曽駒ヶ岳には既に 5回登っており、『 またか 』 の感は免れないところであるが、 今回登る上松 (あげまつ) Aコースは初めてなので、楽しみの方が大きい。6月1日(水)、2時半過ぎに自宅を出発。いつも通り横浜ICから東名高速道に乗った後、 海老名JCTから圏央道へと進み、さらに八王子JCTからは中央自動車道に入る。
天気予報では木曽駒ヶ岳頂上のある上松町、宮田村、木曽町はいずれも晴れとなっているものの、5時を過ぎて明るくなった空には雲が多く、 また途中見えた南アルプスもやや薄いベールが掛かったようになっていて今一つである。
それでも、岡谷JCTを過ぎて見えてきた中央アルプスは稜線がハッキリと見え、今後に期待がもてそうな状況で少し安心する (左手の南アルプスはやはり霞み気味)。伊那ICで高速道を下りた後は、過去に木曽駒ヶ岳 (福島Bや茶臼山経由のコース)、御嶽に登った際と同じく、 権兵衛トンネル (国道361号線) を抜けて国道19号線へと進む。
この後は少々複雑で、ナビに従って上松第3トンネルを抜けた所で国道19号線を離れて上松町の市街地に入り、 中山道を進んで途中から山の方へと向かってアルプス山荘を目差したのだった。
しかし、帰宅後に調べると、国道19号線の 『 寝覚の床 』 の信号にて左折すれば、市街地を通らずとも行けるようなので、 このルートは少し解せない。舗装された林道を長い間進んでいくと、道はやがてアルプス山荘を過ぎたところで左に大きくカーブして高度を上げていく。
そのカーブが終わるところの右手に 『 ○○霊神 』 (○○にはそれぞれ違う言葉が入る) と彫られた石碑が林立する場所があり、 その手前に 『 駒ヶ岳登山道 Aコース → 』 と書かれた標識が置かれている。
そして、石碑群の向かい側は駐車場になっているようで、駐車場の端には登山届用のポストも置かれている。 車を駐めて用意してきた登山届を投函したところ、登山道を示す標識の先に駐車している車が見えたので、そちらに移動することにする。
そこにはプレハブ事務所もあったので、ここは砂防工事の車が駐車する場所のようであったが、 時刻は 6時1分であるため駐車している車は工事関係者のものではなく、登山者のものと思われる。初めてのコースであり、先行者がいるのは心強い限りである。
なお、石碑群を通り越して林道をさらに先へと進み、砂防公園に駐車すれば、歩行時間が短縮できるらしい。 しかし、ピストン登山の場合、帰りの砂防公園までの登り返しがキツイようなので、ここに駐車するのが正解のようである。身支度をして 6時9分に出発。駐車スペースの奥にゲートがあり、そこから舗装道と砂利道が分かれている。
どちらを進むべきか分からず舗装道を進んでみる。少し登ると、道が左にカーブするところに 『 登山道 → 』 と書かれた標識が立っていたので、 標識通り右に曲がって灌木帯の脇を進む。すぐにゲートからの砂利道と合流したので、砂利道を進むのが正解だったようである。
その合流点には 『 木曽駒ヶ岳 Aコース → 』 と書かれた標識が立っており、その先で北俣沢を橋ではなく幅広い砂利道にて渡る。 ただ、沢と言っても砂防工事が為されて川幅はかなり広く、水は道の下を流れている。
少し進んで振り返れば、すぐ近くの尾根の後方に御嶽が見えている。ここからの御嶽は、台形をした中に剣ヶ峰だけ盛り上がっていて、 さらには剣ヶ峰の左にうっすらと煙が見えている。北俣沢を渡ると今度は滑川にぶつかるが、道は左に曲がって北俣沢と滑川の間の広い河原を進んでいく。
やがて道の両サイドは樹林帯となり、林道のような道を進む。道の脇には標識や岩に書かれた黄ペンキの矢印が頻繁に見られる。
この辺は 2つの川の扇状地のようになっており、そこを砂防工事によって整備したようである。
また、途中には 『 如建覚霊神 』、『 天龍権現 』 といった石碑が建っており、先程の石碑群とともに御嶽の王滝登山口へ向かう道を彷彿とさせ、 木曽駒ヶ岳が信仰の山であることがよく分かる。
ほぼ平らな道を進んでいくと、やがて道は舗装道にぶつかる。この道は先程車で辿ってきた道の延長上にあり、 砂防公園を経てグルッと回って来ているようである。右に道を取る。滑川の方も右に大きく曲がっており、その滑川の広い河原に沿って作られた、周囲より一段高い土手道を進む。
ここからも御嶽の姿を樹林越しに見ることができたが、その後方に青空はあるものの、雲が薄い膜を形成している状況である。 本日は雨の心配は無いものの、期待した快晴とまではいかないようである。
なお、土手道の左下は林になっているのだが、その林の中に石碑群が見えてきたのでゾッとする。 道から外れた林の中にそのような場所があること驚いたのだが、元々の道は林沿いにあったようで、 この土手道が新たに作られたためにこのような状況になったようである。
また、道の右側に 『 風越山登山口 → 』 と書かれた立派な標識が現れる。しかし、その方向はガードレールで塞がれており、 例えガードレールを越えても、さらに 1m程のコンクリートの法面を下りねばならず、とても行ける状態ではない (下りた先にも道は見えない)。
この標識も旧道にあったものを移設しただけのようで、登山道は廃道に近いと思われる。やがて、舗装道が砂利道に変わる所に 『 ← 登山道 』 の標識があり、 左を見ると、無人の敬神の滝小屋が建っていた。時刻は 6時32分。
二階のガラス窓から顔が覗くのではとの変な想像をしながら小屋の前を通り、その先から山に取り付く。
敬神ノ滝からの流れを渡り、右へと進む。傾斜が一旦緩やかになった所で、道の左手に祠が現れる。 そこには 『 敬神不動明王 』 と書かれていたので敬神ノ滝を祀っているものらしい。時刻は 6時36分。
道は檜林を登っていく。傾斜も徐々にキツクなるが、息が上がるという程ではない。なお、道は谷を詰めていくという感じで、 左右が斜面に囲まれているために少しジメッとしており、またこの辺は北側なので日が当たらず少々暗い。 熊が出るのではとビクビクしながら登っていく。やがて三合目に到着。時刻は 6時45分。登り始めてすぐに三合目となることに驚くが、 これは起点が上松町の市街地 (あるいは上松駅) であるためで、因みに二合目はアルプス山荘の所にあるようである。
なお、標識には 『 四合目 50分、頂上 7時間 』 とあり、本日はかなりの長丁場になりそうである。
三合目を過ぎて道は右の斜面に取り付く。周囲には檜の他、シラビソやトウヒなどが見られる。この辺は展望もなく、ひたすら登り続けるのみである。 小さな振幅、大きな振幅を組み合わせながらジグザグに登っていくと、やがて先の方に 『 合目 』 を示す標識が見えてきたので、 早くも四合目かと期待したのだが、標識には 『 三合半 』 とある。時刻は 7時9分。
少々ガッカリしたが、ここで嬉しいことがあった。標識の後ろに樹林が切れた場所があり、そこから御嶽を見通すことができたのである。
なお、この辺になると風が強くなり、地形によっては身体に強く吹き付けてきて寒い位である。稜線に出たらかなり厳しいかもしれない。道の方は、急斜面が続いた後、その疲れを癒してくれるかのように平らな道が現れる というパターンにて徐々に高度を上げていく。
また、この頃には漸く樹林を通して日の光が当たるようになり、気持ちの方も少しウキウキしてくる。 一方、相変わらず吹く風は強く、上方では木が風に揺れてゴーゴーと音を立てている。周辺にはブナの木、そして足下にはササが目立つ道を登る。
四合目を 7時24分に通過。三合目の標識に書かれていた時間では 7時35分に四合目のはずなので、まあまあのペースであるが、 本日のコースは長く、あまり張り切りすぎると後がバテそうなので自重する。
なお、時々樹林越しに御嶽が見えるものの、なかなか全体を見通すことができない。とにかく黙々と登り続ける。道の方は相変わらず急登、平らな道の組み合わせが続く。
展望のほとんど無い道が相変わらず続くが、途中、右手に三ノ沢岳が見えた。三ノ沢岳は一度登っており、 その時にコンパクトなピラミッド型というイメージを持ったのだったが、こちらから見る三ノ沢岳はかなりボリューミーである。
周囲にはシラビソ、コメツガが多くなり、さらにはそれらに混ざってダケカンバなども見られるようになる。
やがて四合半に到着。時刻は 7時49分。三合半、四合半が現れたことで、この道は 『 半合 』 毎に標識があると悟ったが、 それにしても 『 合目 』 間の距離が長い。
足下の方は先程までのササに変わり、まだ花期には早いカニコウモリの群落が見られるようになる。
やがて周囲に大きな岩が見られるようになり、少し朽ちかけている桟橋を渡ると、 登って行く先に大きな岩が見えてくる。
岩は垂直の節理が発達しており、まさに岩壁の如く立ち塞がっているが、道の方はその岩壁の下を右に折れて登っていく。
また、その岩の所には手書きの五合目の標識があり、少し登ると、すぐ先の方に小屋が見えたので、五合目の金懸 (かねかけ)小屋に着いたことを知る。 ということは先程の岩が金懸岩であろう (本によっては水場の手前の岩を金懸岩としている)。小屋到着は 8時13分。
小屋の横を通って、玄関の方へと進む。小屋の横は右下に下る斜面になっていて大きく開けているので、 ここからは遮るものなく御嶽を見ることができる。
噴煙が漂う剣ヶ峰の左下には、王滝頂上と思しき平らな尾根が見えており、その左端には継母岳も見えるのかもしれないが、肉眼では分からない。 また、剣ヶ峰の右に見える高みは恐らく摩利支天山で、その右側、御嶽の右斜面が始まるところにある高みは継子岳であろう。小屋の玄関先にあるベンチに腰掛け、暫し休憩。 ベンチ後方の岩の根本には小さな石祠と木製の祠が置かれており、鉄剣も立っている。
8時23分に出発。道は小屋の建つ台地状の場所から少し下って行く。大岩の真下を通っていくのだが、ここは落石もあるようで、 傍らには注意書きが立っている。
その先で道は岩壁に突き当たって右へ大きくと曲がるが、そのカーブの頂点に水場があって、細いながらも、水はしっかりと流れている。
道は登りに入り、徐々に傾斜がキツクなってくる。傍らには 『 法心霊神 』 と彫られた石碑もあり、 この道が信仰の道であることを改めて思い起こさせてくれる。
ここでも周囲には大岩が見られ、また足下にも岩がゴロゴロし始める。桟橋を過ぎて高度を上げていくと、 やがて足下にイワカガミが見られるようになるが、この辺の登りは結構キツク、楽しむ余裕はない。やがて 『 胸突き八丁 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 8時37分。
ここまでの行程もキツかったのに、ここからはもっと厳しい登りが待っていることになる訳で、少し気持ちが萎える。
苔生した岩や倒木の間を登っていく。確かに厳しい登りであるが、ここでも先程と同じように時々平らな道が現れ、 上がった息を整えさせてくれるのがありがたい。
コメツガ、トウヒなどの中を登っていくと、やがて平らな道が続くようになるが、この辺が 2,074.3mの三角点がある高みであろう。
暫く続いた平らな道もやがて下りに入り、平らな鞍部を少し進んだ後、再び登りが始まる。この鞍部には 『 らくだの背 』 と書かれた標識が立っていたが、 前後する 2つの高みをらくだのコブに見立ててのものであろう。時刻は 8時54分。
ここからは基本的にずっと登りが続くことになる。展望の無い道が続くが、六合目を 9時丁度に通過した後( 五合半は見落としたらしい)、 少し登ると、樹林が切れて三ノ沢岳が良く見通せる場所に出る。
やはり三ノ沢岳は堂々としていて風格があり、これまでこの山に抱いていたイメージとは違うことに驚かされる。 また、三ノ沢岳から右に連なる尾根も見え、地図には中三ノ沢岳、蕎麦粒岳といった山名が書かれているが、馴染みのない地域だけに同定が難しい。この辺も登りの後に平坦な道が現れるパターンが続く。9時19分に六合半を通過、 その先で三ノ沢岳、さらには恵那山を見る。
この辺からは左手樹林の向こうに、御嶽、さらには乗鞍岳を始めとする北アルプスの山々がチラチラ確認できるようになるが、見通すことができず、 少々イライラしながらの登りが続く。それでも、何とか樹林の隙間から笠ヶ岳をチラリと見ることができたのであった。
また、近くにある麦草岳も確認できるようになるが、こちらも見通すことができない。
その後、乗鞍岳と御嶽はどうにか見ることができるようになり、さらには 『 遠見場 』 と書かれた標識の立つ場所からはこの 2つの山をしっかりと見ることができたのだった。 この遠見場には祠、そして不動明王の石像も置かれている。時刻は 9時41分。遠見場を過ぎると、道はすぐに 『 天の岩戸 』 と書かれた標識のある大岩の下を通過する。
岩は大きな花崗岩が縦に割れたものであり、割れた中には空間があるようなので、確かに天の岩戸である。時刻は 9時47分。
道は天の岩戸の下を過ぎた後、右に登り、天の岩戸の上部に出る。その少し先が七合目であった。時刻は 9時49分。
七合目を過ぎると、御嶽を良く見通せる場所や、恵那山や南木曾岳が見える場所を通過した後、再び樹林帯の登りに入る。
シラビソの樹林帯を登っていくのだが、この辺の木々はかなり細くなってきており、森林限界が近いのではないかと期待させてくれる。
やがて七合半に到着。時刻は 10時18分。金懸小屋を出てから 2時間近く経つので、傍らの岩に腰掛けて休憩する。
10時26分に出発。少し進むと三ノ沢岳、恵那山、南木曾岳、そして木曽川の流れと大桑村の市街地を見ることができるようになる。
この辺になると、かなり木々が疎らになり、展望がドンドン広がり始める。三ノ沢岳は勿論のこと、宝剣岳や中岳も見えてくる。 少し疲れてきてはいるが、これでテンションがグッと上がる。少し朽ちかけた階段を登って高度を上げていくと、今まであまり見ることができなかった北側の景色が見え始める。
麦草岳から木曽前岳へと続く尾根も見えるようになり、そのほとんど草木のない、崩壊した斜面に驚かされる。
道の周囲には灌木が多くなり、やがて右手の崩壊地を過ぎれば、そのすぐ先が八合目であった。
ここは 『 覺照霊神 』、『 福嘉霊神 』 などの石碑が建つ広場となっており、かつては小屋があったようである。時刻は 10時49分。
休憩にもってこいの場所ではあるものの、休んだばかりなので、そのまま通り過ぎる。
周囲は完全に灌木となり、やがてハイマツ帯に変わると、またまた石碑群が現れる。
面白いことに、ここから御嶽が見えているにも拘わらず、石碑群は皆 三ノ沢岳を向いている。さらには 『 三沢不動明王 』 の石像も置かれていたので、 三ノ沢岳を崇める信仰があるのであろうか。この石碑群からは完全に岩とハイマツの道となる。 そして目の前の高みの右側を巻いて少し登っていくと、展望が一気に開ける。
前方には木曽前岳、その右後方には目差す木曽駒ヶ岳の姿が確認できる。そして木曽駒ヶ岳から右に中岳、宝剣岳、そして三ノ沢岳へと続く稜線もしっかり見えており、 宝剣岳と三ノ沢岳を結ぶ稜線の後方には島田娘と思しき高みも見えている。
三ノ沢岳の右後方には安平路山、摺古木山が見え、そのさらに右に恵那山、南木曾岳が見えている。 そして少し間を空けて御嶽が見え、そのさらに右には乗鞍岳、そして十石山が続いている。しかし、さらに右の北アルプスの山々は、残念ながら手前の麦草岳に遮られている。
また、面白いことに、山々の後方を見ると、木曽前岳より左側は完璧な青空となっており、木曽駒ヶ岳の後方は青空に薄い雲が混ざっている状態、 そして中岳より右側は雲が多く、その背景は灰色である。また、御嶽の後方は相変わらず薄い雲が多く、乗鞍岳の後方には青空が広がっている。 天候は先程よりも良い方向に推移しているようなので、この後さらに青空が広がることに期待したいところである。
なお、先程まで強く吹いていた風は今や弱まりつつあり、却って身体を冷やしてくれて心地よい。少し登って振り返ると、先程巻いた高みの頂上にも石碑群があることに気がつく。 石碑が御嶽を向いていないのは良しとしても、ここでは木曽駒ヶ岳が見えているにも拘わらず、やはり皆 三ノ沢岳を向いているのが面白い。
道はやがて、木曽前岳経由の道と、大ナギを通る木曽前岳のトラバース道との分岐点に到着する。時刻は 11時8分。
時間的、体力的にはトラバース道の方が楽なのであるが、事前の情報ではまだ残雪が多く少々危険とのことなので、 登り下りがあるのは辛いが木曽前岳経由の道を選択する。
左の道に入り斜面を登る。前方にはハイマツ帯に付けられた登りの道が見えており、ここからは厳しい登りが続く。
小さな高みを越えていくと、さらに前に高みがあり、そのさらに先に木曽前岳への最後の登りが控えている。 三段階にて高度を上げていく訳だが、疲れが出てきた身体にはこの登りがかなり応える。
一方、登るに連れ、途中で見えなくなっていた麦草岳から右の稜線が再び見えるようになり、その稜線の途中に牙岩を確認する。 こちらから見る牙岩はまさに牙そのものの鋭利な三角形をしており、丁度こちら側が口の中で、下あごから牙が天に向かって伸びているようである。さらには、二段目の高みに登ると三ノ沢岳の左後方に空木岳の姿が見えてくる。
また、宝剣岳から空木岳へと続く稜線も浮かび上がってきており、稜線上に濁沢大峰、檜尾岳、大滝山などを確認することができる。
それにしても、この木曽前岳に至る最後のハイマツ帯の登りがキツイ。少し足を進めては立ち止まって上を見るというパターンを繰り返しつつ、 ハイマツと白き大岩が並ぶ山頂方面を目差して登り続ける。
展望の方はさらに広がり、空木岳の右後方には赤椰岳、そして南駒ヶ岳の姿も見えるようになる。
喘ぎつつも、11時42分に牙岩・麦草岳への分岐に到着。漸く傾斜も緩んでホッとする。
ここでは足下にキバナシャクナゲの花がチラホラ見られるようになるが、高山であるためなのか、その高さは 30センチ程と低い。また、ここからは待望の乗鞍岳より右側の北アルプスの山々が見えるようになる。
残念ながら少し雲が絡み始めているために全部を見ることはできないが、槍ヶ岳が良く見えている。
また、槍ヶ岳の左にも同じような高さの山が見えて少し戸惑うが、恐らく前穂高岳であろう。槍ヶ岳から左に大喰岳、中岳、南岳と続き、 大キレットを挟んで穂高連峰へと続くという並びが頭に刷り込まれているので、この前穂高岳の姿には少々ビックリである。
そして、前穂高岳の左には北穂高岳、奥穂高岳が続くと思われるのだが、残念ながらその頂上部分は雲の中である。 ただ、そのさらに左の天狗ノ頭や西穂高岳は確認することができる。
西穂高岳のさらに左には、双六岳と覚しき山が見え、双六岳の手前には霞沢岳も確認できる。 しかし、双六岳の左にある抜戸岳から笠ヶ岳へと続く稜線は雲が覆っていて見ることができない。槍ヶ岳の右側に目を向ければ、まず北鎌独標が見え、その右後方に野口五郎岳、立山を確認することができる。 写真を拡大したところ、立山の右に剱岳も確認できたのだった。
立山の右手前には西岳、赤岩岳が続き、さらに右に牛首展望台を挟んで大天井岳、常念岳が続いている。 しかし、そのさらに右側の山々は雲に隠れてしまって見ることができない。また、常念岳の手前には鉢盛山も確認することができる。
東北の方向には木曽駒ヶ岳から続く馬ノ背、将棊頭山、行者岩、茶臼山も見え、行者岩の後方には浅間山がうっすらと確認できる。
そして、馬ノ背と将棊頭山を結ぶ尾根の後方には八ヶ岳が見えている。
目差す木曽駒ヶ岳もかなり大きくなっており、山頂直下の頂上木曽小屋、そして山頂の臨時売店の建物も見えている。
さらには南アルプスも少し見え始めており、檜尾岳の後方には双耳峰の池口岳、光岳が確認できる。岩の下に置かれた祠 (前嶽金山比古大神) の横を通り、岩伝いに進む。
小さな雪渓を横断して少し進むと、少し傾いた 『 木曽前岳 』 の道標が現れるが、ここは本当の頂上ではない。
この後、道は少し窪地に下りて雪渓を渡ることになるのを見て、道を左に外れて岩伝いに進み、本当の頂上を目差す。
記憶通りの 『 木曽前 2826 』 と彫られた手製の標識がある頂上には 11時57分に到着。後方には御嶽が見えている。
そこから正規の道へと進んだ後、玉ノ窪山荘のある九合目へと下る。まだ雪がかなり残る斜面を下り、九合目には 12時9分に到着。
山荘横の岩に腰掛け、暫し栄養補給した後、12時17分に木曽駒ヶ岳山頂を目指して出発する。
この頃には北アルプスの雲はさらに増え、槍ヶ岳も今や飲み込まれんばかりの状態である。なお、乗鞍岳と十石山は未だ健在である。小屋の横を通り、多くの石碑が建つ、岩とハイマツの道を登る。 途中、右手にある神社に立ち寄り、さらに岩の道を登って高度を上げる。
振り返れば、双耳峰の様に見える木曽前岳、そして麦草岳がよく見え、その 2つの山の間に御嶽が見えている。
ここでも喘ぎながらの登りが続く。少し登っては立ち止まるというパターンを繰り返しながら何とか登り続ける。
そして、頂上木曽小屋の横を 12時44分に通過、木曽側の駒ヶ岳神社前には 12時54分に登り着く。
なお、山頂に人は全く居らず、人気の山を独占することになったのであった。三角点を踏み、伊那側の駒ヶ岳神社にも参拝した後、周囲を見渡す。
頂上は広く、また構造物もあるので、一箇所から全体を見渡すことはできないが、少し動き回れば 360度の展望を得ることができる。
ここに至るまでに見えた山は全て見ることができ、さらにはそこに南アルプスが加わることになる。
宝剣岳の右後方には池口岳、そしてその左に加加森山、光岳が続く。さらに左に易老岳、仁田岳、茶臼岳が続き、兎岳を経て聖岳に至っている。 聖岳の左には赤石岳、小赤石岳が続き、さらに荒川前岳、中岳、そして荒川東岳 (悪沢岳) といった主役級の山々が並ぶ。
そして前小河内岳、烏帽子岳、本谷山といった山々を経て塩見岳が続く。塩見岳の左には笹山 (黒河内岳)、広河内岳、 そして西農鳥岳と続く稜線が見えているが、その後方に富士山が頭を出している。あまりハッキリとはしないが、富士山の雪はほとんど無いようである。西農鳥岳の左には間ノ岳、中白根山、北岳、大仙丈ヶ岳、仙丈ヶ岳、小仙丈ヶ岳が続く。 なお、間ノ岳の手前には伊那前岳が見えている。
そして、小仙丈ヶ岳の左にアサヨ峰が見えた後、一旦下った稜線は甲斐駒ヶ岳に向けて再び上っていく。
甲斐駒ヶ岳の左には鋸岳、さらには編笠山、白岩岳、釜無山、そして入笠山といった山々を有する稜線が続くが、 その稜線の後方には北奥千丈岳、金峰山などの奥秩父の山々がうっすらと見えている。
また、この木曽駒ヶ岳のすぐ前には三ノ沢岳が大きいが、やはりこちらから見る三ノ沢岳は先程までの姿とは異なり、 ピラミッド型をしていてスリムである。
三ノ沢岳とは 180度反対側の北東の方向には経ヶ岳が見えており、その右後方に美ヶ原が薄ボンヤリと確認できる。
美ヶ原の右には浅間山が確認でき、浅間山の右手前には霧ヶ峰、そしてその右に蓼科山が見えている。周囲の景色を堪能した後、13時7分に下山開始。下山は往路を忠実に戻る。
乗鞍岳、御嶽、麦草岳、木曽前岳などの姿を見ながら岩の道を下り、九合目の玉ノ窪山荘前には 13時28分に戻り着く。
ここで暫し休憩し、13時42分に出発。雪の斜面を登って木曽前岳を目差す。
今度は正規ルートを歩いて前嶽金山比古大神を祀る祠の前を 14時5分に通過する。この後、八合目を 14時38分に通過、 そして金懸小屋のある五合目には 16時2分に戻り着く。
小屋前にて 7分程休憩。三合目を 17時8分に通過した後、敬神不動明王を祀る祠を過ぎた所で、右の斜面に登って敬神ノ滝を眺める。
さらには、滝からの流れの所まで下ったところで、流れを遡って下の方からも滝の方へ行ってみると、そこには多くの石碑とともに、 祠もあったのだった。
敬神の滝山荘の前で少し休憩した後、林道を歩き、駐車場には 17時42分に戻り着く。11時間33分を要した久々の長丁場であった。しかし、平日だったこともあって、この日は山中で誰にも会わず、 木曽駒ヶ岳山頂を含むコース全体を独占できたのが大変嬉しい。
天候も徐々に良くなり、素晴らしい展望にも恵まれ、久々に快心の山行であった。
なお、今朝ほど駐まっていた車は既になくなっていたのだが、もしかしたら釣り人の車だったのかもしれない。
意外に楽しめた鎌倉アルプス  2016.5 記
昨年の 12月、とある関係にて鎌倉アルプスを歩くという企画に参加することになり、 建長寺から天園、そして瑞泉寺までのコースの案内をしたのだったが、この 5月にその第二弾を行うことになって、 またまた鎌倉アルプスを歩くことになる。
今回は前回のコースとは反対側となる、一般的に葛原岡 (くずはらおか)・大仏ハイキングコースと言われているコースを辿るもので、 標高 100m程で推移する鎌倉の丘陵地帯を辿りながら、周辺の寺社仏閣を訪れるというものである。
しかし、前回と同様、参加される方は 50歳以上の方々であり、しかも必ずしも山に慣れた (あるいは歩き慣れた) 方々ではないということなので、 いきなり本番と言う訳にはいかず、責任上コースの下見に出かけることにする。快晴が期待される 5月13日(金)、こういう日は高い山に登りたい という気持ちを抑えつつ、 電車にて北鎌倉へと向かう。
瀬谷駅から相鉄線に乗って横浜駅には時間通りに着いたものの、タイミング良くやってきた横須賀線は実は大幅に遅れているもので、 しかもこの日に限って急遽大船止まりとなってしまう。
大船駅で暫く待ち、北鎌倉駅に着いたのは 10時14分。横須賀線自体は 30分程遅延したのだが、少し早めに家を出てきたため、 本番当日の予定到着時間に比して 10分程の遅れで済む。北鎌倉駅を今回は県道21号線に面した表口の方に出る。平日ではあるが、駅前には大勢の人たちがおり、鎌倉の人気の程を実感する。
また、上空には青空が広がっており、本日は暑くなりそうである。
県道21号線に沿って建長寺、鎌倉方面へと進む。右手に縁切寺、そして花の寺として有名な東慶寺を見て暫く進んでいくと、 やがて右手に今時 珍しい赤い郵便ポストが見えてくるので、そこを右折する。
車道を進んでいくと、車道の方は左に緩やかにカーブしていくことになるが、車道の先、 正面の木立の中に 『 近在所寶 』( = 宝所在近 ) と書かれた額が掛かる惣門が見えてくる。 浄智寺である。時刻は 10時21分。
本番当日はこの浄智寺に立ち寄る予定なので、車道を離れて直進し、惣門へと進む。惣門の手前には池、そして今は通れないようになっている石橋があり、さらに池の奥には、 『 甘露の井 』 と彫られた石柱のある小さな井戸 (鎌倉十井の一つとのこと) もある。
石の階段を昇って惣門を潜ると、その先にかなりすり減った石の階段と鐘楼門と言われる三門 (山門) が見えてくる。 この石段はなかなか歴史を感じさせるもので、映画 『 武士の一分 』 の撮影にも使われたとのことである。
拝観料 200円を払い境内を一回りする。浄智寺の詳細は割愛するが、まずは境内に入ると、『 曇華殿 (どんげでん)』 の額が掛かった仏殿が右手に現れる。
仏殿には、本尊として阿弥陀、釈迦、弥勒の 3如来の坐像が祀られており、この 3坐像はそれぞれ過去・現在・未来の三世を代表しているとのことである。
また、寺の奥は崖になっており、そこには 『 やぐら 』 も見られ、さらには鎌倉・江ノ島七福神の一つである布袋様も祀られている。ユックリと境内を見て回り、10時41分に浄智寺を後にする。
出口の木戸を抜けると、先程の車道の続きに至るので、右に進んで山に向かっていく。右手には浄智寺の三門が緑の中に美しい。
車道を暫く進んでいくと、やがてシェアアトリエ・ハウス 『 たからの庭 』 の所で車道は終了し、道は細くなってアトリエの左横を抜けていく。
足下はコンクリートの緩やかな階段となり、続いて傾斜が急な階段が現れる。階段を昇って高度を上げていくと、 やがてコンクリートの階段は丸太で土留めした土の階段へと変わり、さらには木の根が露出した土の道が現れて、そこから山道が続くようになる。
前回の鎌倉アルプス散策でも見られた凝灰質砂岩が所々に露出した山道を進む。山慣れた者には何でも無い傾斜の道であるが、 初めてこういう所を歩く人にとっては少々辛いかも知れない。暫く緑を楽しみながら登ってくと、目の前に小さな高みが現れ、 登り着いた所には 『 天柱峰 』 と彫られた石碑や供養塔などが立っている。時刻は 10時51分。
この天柱峰は浄智寺の裏手に位置しており、中国の高僧であり浄智寺の住職を勤めた竺仙梵僊 (じくせんぼくせん) がその名を付けたとのことである。 標高は約 97m。因みに、供養塔はその竺仙梵僊を供養したものらしい。
天柱峰を過ぎ、小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて 『 葛原岡神社・源氏山公園 200m、銭洗弁財天 600m 』 と書かれた標識が現れ、 その少し先で道は丸太で土留めされた階段にて大きく下っていく。
その後、小さなアップダウンを経て道はやがて平らになり、すぐに葛原岡神社の横手に飛び出す。右に入れば葛原岡神社であるが、 やはりここは鳥居を潜ってから境内に入るべきと思い、さらに少し進んでいくと道は広い参道に合流する。右手には葛原岡神社の石の鳥居があり、そこを潜って境内に入る。時刻は 10時58分。
この葛原岡神社の祭神は後醍醐天皇に仕えた日野俊基 (ひのとしもと) で、俊基は 1332年 (元弘2年)、 鎌倉幕府倒幕計画に参加した罪でこの葛原岡で斬首されたとのことである。
しかし、後醍醐天皇による倒幕計画は俊基の死後も着々と進められ、俊基が処刑されてから約一年後の 1333年 (元弘三年) に楠木正成、新田義貞らの活躍によって、 ついに鎌倉幕府は滅亡し、さらに建武の中興へと繋がったとのことである。
このことから、明治天皇は俊基の足跡を明治維新の先駆けとして深く追慕せられ、明治20年にこの葛原岡に俊基を祭神とした神社を創建されたとのことである。境内を一回りした後、広い参道を源氏山公園に向かって進む。時刻は 11時2分。
途中、参道から右手に下る道が分かれる場所から、青空に浮かぶ富士山の姿を樹林の上に見ることができた。
そこから少し進むと、右手に葛原岡神社の祭神である日野俊基の墓があったので、参道を離れて立ち寄ってみる。 墓は木立の中にあり、石に囲まれた所に宝篋印塔 (ほうきょういんとう) が立っている。
この墓は 1927年 (昭和2年) に国指定史蹟となっているが、本来は違う場所にあったものがここに移設されたらしい。
ここで再び参道に戻れば良いものを、墓の横手からも道が出ていたのでそのまま進んでみる。すると、すぐに階段が現れ、 そこを昇ると広場に出たのだが、ここには源頼朝の像はなく、東屋そして広場の中央付近に丸い生垣があるのみである。ここでも参道に戻れば良かったのだが、時間に余裕があるので公園の先から樹林帯の中に入り、斜面を下ってみる。
この林の中に東屋もあったものの、やや下草が五月蝿く、手入れがあまり行き届いていないようである。 ただ、周囲には紅葉しそうな木々が多く見られたので、秋に訪れるには良い場所なのかも知れない。
本来の道に戻れるのかと思いつつ 石にて土留めされた階段を下っていくと、やがて車道に飛び出したのだが、 そこにある標示板には 『 ← 銭洗弁財天・鎌倉駅 葛原岡神社・浄智寺、 長谷駅・高徳院(大仏) → 』 と書かれている。
どうやら、大仏に通じるハイキングコースに戻れたようだが、それでは源氏山を飛ばしてしまったことになる。
仕方なく、車道を左に戻っていくと、源頼朝像を示す標示板があったので、車両進入禁止のチェーンを越えて遊歩道に入る。
暫く広い遊歩道を進んでいくと、化粧坂への道を左に分けて登った所が源頼朝像のある広場であった。 ここは遠足の子供達で大変賑やかである。時刻は 11時15分。広場を進んで頼朝像を写真に収め、さらに先へ進んでいくと右手の高台にトイレが現れる。
源氏山に登るにはそちらに進むべきであったのだが、トイレ付近も修学旅行生や遠足の子供達でごった返していたため、 よく確かめもせずに道をそのまま先に進んでしまう。
道は右手の山の斜面を巻くようにして下り始めたので、また道を間違えたことに気づいたが、ありがたいことに途中にその右側の斜面を登る階段が現れたので、 その階段に取り付く。
思いの外 長い階段を昇っていくと、頂上の一角と思しき平坦な場所に登り着き、少し進むとそこには石祠の他、 石塔のようなものが置かれていたのだった。時刻は 11時20分。
ここが源氏山頂上に違いないとは思ったが、周囲に標識はなく、また樹林に囲まれているので展望もない。
一方、下方からは子供達の声が聞こえてくるので、位置的には先程見たトイレが下方にあるに違いないと想像する。
さらに先に進み、今度は緩やかな階段にて右方向に下っていくと、案の定、下り着いた所はトイレのある高台であった。この高台では遠足の子供達が地面にシートを敷いて昼食の準備をしている。 その中を縫うようにしてトイレへと進んで用を足した後、トイレ後方にある階段を昇って再び先程の高みに登ってみる。
今度はすぐに頂上で、先程とは逆方向から祠に近づくことになったのだが、何と石塔のソバの木には 『 源氏山 』 と書かれた小さな標識が付けられていたのであった。 先程は逆方向から来たので、見落としてしまったようだ。時刻は11時24分。
今度は最初にこの源氏山に登ってきた階段を下り、再び源頼朝像の所へと戻る。時刻は 11時30分。
さらに道を戻って車道へと進む。左に下れば銭洗弁財天 (正式には銭洗弁財天宇賀福神社) であるが、案内をする身としては葛原岡神社・日野俊基の墓と、 この源頼朝像・銭洗弁財天との位置関係をしっかり把握しておく必要があるため、確認すべくさらに葛原岡神社方面へと戻る。
結局、日野俊基の墓の所まで戻ってそれぞれの位置関係をしっかり頭に入れた後、再び源頼朝像・銭洗弁財天の分岐まで戻って、 そこから右に折れて車道を下る。急坂を暫く下っていくと、道路右手に銭洗弁財天の鳥居が見えてくる。時刻は 11時36分。
鳥居の前は写真を撮る人たちで混んでおり、人が居なくなるのを待って小生も鳥居の写真を撮った後、鳥居を潜って岩を刳り貫いた隧道に入る。 そして、隧道を抜け、鳥居が多く立ち並ぶ中を抜けると、そこは人々でごった返す銭洗弁財天の境内であった。
本宮の左奥には広い洞窟があり、そこに湧き出す水 (銭洗水) で多くの人がお金を洗っている。
この銭洗水でお金を洗うと何倍にも増えると言われているためであるが、本来の教えは、財宝を洗うことにより我が身と心の不浄を洗い清め、 それによって福徳利益がもたらされるということなのだそうである。さて、この銭洗弁財天の境内からは、入ってきた隧道には戻らずに本宮の前方に多く立ち並んでいる鳥居を潜っていく。
鳥居が終わると階段が現れるので、そこを右の方へと昇っていくと、すぐに民家の建つ場所に至り、細い道を左に曲がってコンクリート製の階段を下れば、 やがて住宅地に下り立つ。
住宅地を暫く進んでいくと、道は丁字路にぶつかるが、目差す佐助稲荷神社は右手である。右に道を取り、 少し進んで前方左手に佐助稲荷神社下社が現れたところで思わぬ光景にぶつかった。
何と、撮影クルーらしき一団が前をユックリと進んでおり、その先頭に 梅沢富美男と 水森かおりが歩いていたのである。
聞けば、『 梅沢富美男・水森かおりの歌の二人旅 〜三浦半島・鎌倉絶景歴史旅〜』 とのタイトルで、 BS朝日にて 6月6日、18時から放送されるとか。
小生にとっては全く興味の無い 2人であり、さらには進むのが遅れるのに一寸イラついたのだが、幸い、撮影クルーが先に行くようにと促してくれたので、 件の 2人、撮影クルーを抜いて赤い鳥居、そして赤地に白抜きの文字で 『 佐助稲荷神社 』 と書かれた旗がズラリと並ぶ中を進む。京都の伏見稲荷ほどの密度と数はないものの、ズラリと並ぶ真っ赤な鳥居群はなかなか見物である。
鳥居の下を潜る道は、坂、階段などで徐々に高度を上げていくのだが、途中途中には狛犬の代わりに狐の像が左右に見られ、それも大小様々、 そして表情も様々でなかなか楽しい。
最後に石の階段を昇ると拝殿の前に出る。なお、本殿は、拝殿の裏手、さらに階段を昇った所にあるのだが、まずは境内を右手に進み、 『 霊狐泉 』 と呼ばれる御神水が湧き出る所まで行って、そこのベンチにて一休みする。時刻は 11時51分。
ノドを潤し、5分程休んで出発する。その間に 梅沢富美男と 水森かおりも境内に到着したが、ギターを持った方もおり、 その後 2人は境内で歌を披露したようである。
小生は撮影クルーを避けるようにして拝殿裏手の階段を昇り、本殿に至る。本殿にお参りした後は、左に折れて山の方へと進む。 途中、赤い鳥居の奥に大岩があり、その下に祠、そして陶器製の小さなお狐様がいくつも置かれていたが、 ここは 『 御塚 』 といい、まだ社 (やしろ) がなかった頃から続く佐助稲荷の最古の祭場とのことである。
その御塚の前を横切ると、急坂が現れる。山登りをしている身にとってはどうということのないレベルであるが、 ここも普段 山登りなどしない高齢者にはキツイかもしれない (恐らくコース最大の難所になろう)。
ただ、滑りやすい道ではあるものの、鉄パイプの手すりが設置されているので、何とかなるであろうと判断する。登り着くと山道に合流するが、そこにあった標識をよく見れば、 ハイキングコースが右であることがその標識の形から判断できたにも拘わらず、もう一つに標識に 『 ← 大仏 』 とあったため、 左に道をとってしまう。
山道は徐々に下り始め、やがて住宅地に下りることが決定的になったことから、道を誤ったと気づく (大仏には行くことができる)。
仕方なく来た道を戻り、先程の佐助稲荷神社への下降点を過ぎてまっすぐ進んでいくと、立派な標識が現れ、ハイキングコースに合流したのであった。 時刻は 12時7分。7分程のロスである。
合流点から左に道をとり、よく踏まれた山道を進む。小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、 やがて左手樹林越しに相模湾が見える場所を通過する。
そして、そこからすぐに 天空のカフェと呼ばれる 『 樹ガーデン 』 の分岐が現れる。時刻は 12時16分。本番当日はこの 樹ガーデンにも立ち寄る予定なので、道を右に取る。
少し進み、樹ガーデンの屋外看板が現れた所から右に下って行くと、下方に広がる緑の中に、レンガ造りのスペースと紅白のパラソルが見えてくる。
樹ガーデンは最近テレビでも取り上げられたようであり、また昼時ということもあって、テーブルはかなり埋まっている。 本番当日に席が空いていることを祈るばかりである。本日は場所を確かめるだけにして、ハイキングコースへと戻る。ここからはずっと山道が続くが、道は結構アップダウンがあり (と言ってもそれ程の高低差はない)、 またロープを使って岩場を下る場所もあったりして、意外と楽しめる。 しかし、本番当日のメンバーの年齢構成・経験を考えると少々心配になる。
鉄条網が道の左手に現れるようになると、すぐに道は下りに入り、少し歩きにくい道となるが、それも長くは続かず、 足下は階段となってすぐに樹林帯を抜けることになる。周囲には民家も現れ、大仏のある高徳院へと続く県道32号線も近いことが窺える。
すると、道は下って行く途中で丁字路にぶつかる。時刻は 12時28分。
左は県道32号線へと至るのであるが、右は 『 大仏切通 』 とあり、しかもここから 150mとのこと。 切通には興味があったので寄り道することにする。右に進むといきなり階段の昇りが始まる。
階段自体はしっかりしているものの、左右から伸びる草が道を少し塞ぎ気味で、あまり歩かれていないようである。
階段を昇り切ると、今度はすぐに下り階段が現れ、下り着いた所からはほぼ平らな道が続くようになる。
道は斜面を横切って進んだ後、やがて 『 国指定史跡 大仏切通 』 と書かれた標識が現れたのだが、 朝比奈の切通などと同じ状況を想像していたのでガッカリであった。
左側はかなり直立した崖になっており、そこに木の根がむき出していてなかなか見せるものがあるが、右側は山の斜面のようになっているので、 切通という感じがほとんどしないのである。
帰宅後調べると、写真に載っていた大仏切通は左右切り立った崖になっていたので、今の姿は安全を考えて片側を削ったのかも知れない。ガッカリしながらさらに先に進んでいくと、道は下りに入り、やがて先の方に車道が見えてきたので、Uターンする。
大仏切通の分岐点には 12時37分に戻り、そのまま真っ直ぐ進んで階段を下っていくと、すぐに県道32号線の脇に下り着く。後方には大仏隧道が見えている。
車道を鎌倉方面へと進んでいくと、やがて多くの人々で賑わう高徳院に到着。時刻は 12時43分。
拝観料 200円を払って高徳院に入り、保存・修理作業が終わった大仏を眺める。
14年ぶりとはいえ、小生にとって 4回目の大仏であるが、青空と緑の山をバックにしたその姿に厳かなものを感じ、ハッとさせられる。
一方で、大仏は穏やかな表情をしておられ、しかも見上げる角度によって少しずつ表情を変えるのが面白い。境内を一通り見学した後、12時50分、高徳院を後にする。
この後、長谷寺へ行くことも考えたが、高徳院から長谷寺方面の道は平日というのに人の波が続いているため、とても行く気にはなれない。
本番当日の計画では、この高徳院で解散するつもりなので、下見はこれにて終了することにする。
一方で、本日の帰りは女房殿に迎えに来てもらうことになっているのだが、女房殿も立ち寄り先から回ってくるので、 待ち合わせ時間は 15時となっている。まだまだ時間があり、また昼食 (横浜駅でシウマイ弁当を購入) も食べねばならない。
さらにはかなり余力もあることから、本日の復習を兼ね、取り敢えずは辿ってきた道を戻ることにする。大仏隧道の脇から階段を昇って尾根を目差す。時刻は 12時55分。
山道を進み、樹ガーデンの分岐には 13時6分に到着。
海を右手に眺めた後 少し進むと、右手の木に 『 浅間神社経由鎌倉駅 → 』 と書かれた小さな標識が付けられているのが目に入る。時刻は 13時8分。
このままハイキングコースを戻ってもしょうがないかな と思い始めたところだったので、浅間神社に行ってみることにする。
道を右に取りややササが五月蝿い道を下る。少し滑りやすい道をドンドン下って行くと、やがて小さな高みに登り返すことになり、 登り着くと、台地状になった小広い場所に小さな祠と 2つの石碑が置かれていたのだった。浅間神社到着である。時刻は 13時10分。
祠の脇にベンチがあったので、そこに腰掛けて昼食とする。
ユックリと休んで 13時29分に神社を後にする。石の鳥居を潜り、階段を下った後、山の斜面を横切っている山道を下る。
3分程で車道に出たので、左に道を取る。右は高徳院方面に戻ることになる。修学旅行の中学生に混じりながら車道を進んでいくと、 やがて長谷大谷戸の交差点にて市役所通りとぶつかるので、ここは左に道をとって待ち合わせの場所であるセブンイレブンを目差す (場所確認)。
道はすぐに長谷隧道に入り、隧道を抜けると、左手に 樹ガーデンの駐車場が現れる。ここに車を駐車した場合、約150段の階段を昇らねばならないようである。
緩やかに道を下って行くと、右手に柵に囲まれた扇状地のような草地が現れたが、ここは 『 国指定史跡 北条氏常磐亭跡 』 とのことで、 道路際には鎌倉市教育委員会による解説板も立っている。
さらに下って行くと、やがて待ち合わせ場所のセブンイレブンに到着。しかし、時刻はまだ 13時45分。待ち合わせの時間までタップリ時間があるので、 今 下ってきた市役所通りを戻り、長谷隧道、先程の長谷大谷戸の交差点を過ぎ、佐助隧道を抜けて鎌倉方面へと進む。やがて道は佐助一丁目の交差点に至るので、ここで左に曲がって佐助稲荷神社を目差す。
狭い車道を進んでいくと、やがて 『 左 佐助稲荷神社 』 の標識が現れるのでそこを左折して住宅街を暫く進む。
先程 銭洗弁財天から歩いて来た道を右に見た後、左手に佐助稲荷神社下社が現れる。さすがに今は撮影クルーもおらず、 人がかなり少なくなった中、再び赤い鳥居の立ち並ぶ参道を進む。
佐助稲荷神社には 14時3分に到着。再び本殿の前を通り山に取り付く。
山道に出てから右に進み、ハイキングコースに合流した後は、今度は右に道を取って、本日初めてとなる道を進む。
山道はやがて民家のある車道に変わり、その先で銭洗弁財天の道に合流する。銭洗弁財天には 14時16分に到着。
その後、一回目の時と同じく本殿前の鳥居群を潜って階段を登り、住宅地に下りる。
さすがに本日 3回目となる佐助稲荷神社には行かずに左に曲り、先程辿ってきた道を戻って佐助一丁目の交差点から市役所通りを進む。
そして、佐助隧道、長谷隧道を抜け、坂を下って、セブンイレブンには 15時前に到着したのだった。本日は下見のため葛原岡・大仏コースを回ってみたが、いい加減な事前学習しかしなかったため、 結構 道を間違えてしまったのだった。
しかし、お陰でかなり周辺の地理に詳しくなり、本番当日この経験が大いに役だったのであった。
なお、5月にしてはかなり気温の高い日が続いているため心配していたのだが、幸い本番の 5月20日(金)は曇りで涼しく、大変助かったのであった。
もし、夏日であったら、50歳以上の山に慣れていない方々にはかなり辛かったであろうし、熱中症も懸念されたので、曇り空に感謝である。
また、樹ガーデンも 10人を越える団体だったにも拘わらず席を確保することができ、大変ツキのある一日であった。
これも下見の際に回った神社の御利益であろうか。
漸く和名倉山再登頂  2016.5 記
頂上を目差したものの、体調不良や天候の悪化などにより登頂を断念した山は過去に沢山あるが、 直近におけるその類いの山としては和名倉山が上げられる。
その和名倉山は、昨年の暮れに 14年ぶりの再登山を試みたのであったが、体調不良のために途中で断念し、 その時は手前にある竜喰山に登って何とか体裁を取り繕ったのであった。
そして、その後も和名倉山に登る機会を窺ってはいたものの、厳冬期に入り、小生の車では登山基地となる一ノ瀬までアプローチするのが難しくなったこともあって、 今日まで再登山に至っていないのである。一方、4月も末になってゴールデンウィークに突入した中、平日の山歩きに慣れてしまっている身にとっては道路、 そして山が混雑するこの期間中に山に行くことに怖じ気づいてしまい、結局、連休の狭間の 5月6日に山に行くことに決めたのであった。
しかし、残念ながらこの日はあまり天候が良くないようなのである。
そこで思い浮かんだのがこの和名倉山である。
和名倉山の頂上は樹林に囲まれていて展望は全く無いため、折角頂上に到達したのに展望を得られないというケースは起こりえず、 また奥秩父の山々には数多く登っていることから、途中の展望が今一つであっても残念に思わないであろうということがその理由である。
加えて、自宅からそう遠くないということも決め手の一つになったのだった。5月6日(金)、4時30分に自宅を出発する。
天気予報通り空は曇り模様。しかし、起床して最新の予報を見たところ、14時前後には関東地方にも雨雲がかかってくるとのことだったので少々慌てる。 前日の予報では雨は夕方からとのことで安心していたのだが、これでは下山中に雨となる可能性もある訳で、少々不安を抱えながらの出発となる。
いつも通り横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTにて圏央道へと進んで、さらに八王子JCTから中央自動車道に入る。 やはり平日だけあって道路は空いている。
空の方は相変わらず曇り気味で、笹子トンネル、日影トンネルを抜けると見えてくる南アルプスも薄ボンヤリとした状態である。勝沼ICで高速を下り、国道20号線を大月方面へと進んで、最初の信号である柏尾にて左折して県道38号線に入る。
そして、200m程進んだところですぐに右折して、今度はフルーツラインと呼ばれる広域農道に入る。 このフルーツラインは果樹園地帯となっている山の斜面中腹を横切って進むため、左下方に勝沼の街並み、 そしてその後方に南アルプスや奥秩父の山並みを見ることができるのだが、やはり本日は曇り空で景色はあまりハッキリしない。
暫くフルーツラインを進んでいくと、やがて新千野橋東詰の交差点にて国道411号線にぶつかるので、そこを右折して丹波山、奥多摩方面へと進む。 ここからは 23km程この国道を進むことになる。
道は徐々に高度を上げていき、やがて大菩薩嶺への道を右に分けると、カーブが多く続く山の中に入る。 以前に比べてかなり道が良くなっているのがありがたい。途中、柳沢峠の少し手前にて富士山が見えたが、やはり背景が曇り空だと、少々ぼやけ気味である。
柳沢峠を越すと、今まで登り一辺倒だった道は下りに変わる。この辺も道が大分整備されているが、途中少々狭いところもあるので、 スピードの出し過ぎには要注意である。
柳沢峠から 9km程下り続けていくと、やがてヘアピン状に右に曲がる所に、一ノ瀬高原へと続く林道一ノ瀬線の入口が現れるので、そちらに入る。
ここからは林道を 6kmほど進むことになるのだが、道は舗装されてはいるものの、途中、狭くて擦れ違えないところもあるため慎重に進む。
そして、前回、和名倉山に登れなかった山行の際に車を駐めた民宿みはらしには 6時48分に到着したのだった。早朝のため民宿はまだ開いていなかったのだが、身支度中に民宿のおばあさんが窓を開けられたので、駐車料金 500円/日を支払う。
なお、駐車場には既に車が 2台駐まっており、先行する登山者がいると分かったが、必ずしも全員が和名倉山に登っているとは限らない。
身支度を調え、6時56分に出発。車道を少し下って戻り、『 将監登山道入口 』 と書かれた標識の所から未舗装の林道に入る。
暫くは一ノ瀬川の支流に沿って林道を進む。この林道は結構勾配があり、朝一番でまだ目覚めきっていない身体には少々キツイ。
暫く林道を登っていくと、やがてお馴染みの牛王院平への分岐 (牛王院下) が現れたので、いつも通り ここで林道を離れて山に取り付く。 時刻は 7時21分。ここからはいきなりササ原の中の急登が始まる。前回の和名倉山断念時には、 この登りで身体の変調に気づいたのだが、本日は大丈夫のようである。
一旦 平らになった道は再び傾斜がついて、やがて左にカーブして斜面を横切って進むようになる。この辺になると、 本来であれば左手に南アルプスを見ることができるはずであるが、本日は全く見ることができない。
道の周囲は自然林からカラマツ林へと変わり、それに呼応するように傾斜もかなりキツクなる。しかし、その分 高度が上がって展望が開けてくる訳で、 右手には飛竜山、そしてさらに登っていくと、後方樹林越しに大菩薩嶺の姿も見えるようになる。
さらに少し先で、大菩薩嶺の右後方に富士山の姿も見えるようになるが、こちらはまだ雪もあって山自体が白っぽいため、 背景の灰色の中に紛れ気味である。キツかった登りも漸く緩み始め、ほぼ平らな道が続くようになり、周囲の木々はシラビソに変わる。
気持ちの良いササ原の中を進んでいけば、やがて前方に西御殿岩から唐松尾山、黒槐ノ頭 (くろえんじゅのあたま) へと続く尾根が見えてくる。 それとともに、周囲は再びカラマツ林に変わり、そこに鹿除けのネットが加わるようになる。
そして、鹿除けネットに沿うようにして暫く進んでいくと、道は将監峠から山ノ神土 (やまのかんど) 方面へと向かう道にぶつかることになる。 時刻は 8時19分。
和名倉山へは左に進んで山ノ神土方面を目差すのだが、その前に いつものように道を外れて右手前の高みへと立ち寄ることにする。
その高みに立つと、北北東の方角にカバアノ頭が見え、東の方向には竜喰山とそこから飛竜山方面へと続く尾根を一望することができる。
そして、その高みを東の方へと少し下れば、南西方向に大菩薩嶺、富士山が遮るものなく見ることができる。
本日は曇りではあるものの、昨年ここに登った時よりも展望は良いようである。先程の分岐に 8時25分に戻り、左に道をとる。 木々が疎らに生えるササ原の中を少し進めば、すぐに山ノ神土に到着。時刻は 8時32分。
ここで道は 3方向に分かれる。右に進めば目差す和名倉山で、残り 2つの道は左へと進むのだが、 1つは山側を進んで唐松尾山経由にて笠取山に至るもので、もう 1つは等高線に沿って進み、やはり笠取山へと至るものである (笠取山の手前で 2つの道は合流する)。
なお、ここの標識には 『 和名倉山 』 ではなく 『 白石山 』 と書かれている。白石山というのは甲州側の呼び名で、 和名倉山というのは武州側におけるこの山の呼び名である。
また、この山ノ神土の所で本日最初の登山者を見かけたが、その若者は唐松尾山方面へと進むようであった。
ここは休まずにそのまま右へと進む。この山ノ神土まではよく踏まれた道であったが、ここからはややササが五月蝿くなる。 しかし、テープもしっかりとあり、またササの下にある踏み跡は明瞭なので迷うことは無い。
道は小さなアップダウンを続けながら、頂上に西御殿岩を有する高みの斜面右側を横切って進んでいく。8時44分に水場となる小さな流れを横切り、徐々に高度を上げていくと、 やがて道は樹林帯を抜け出し、ササ原の斜面を南側に有する小さな高みと、こちらからその高みまで続くササ原の斜面が見えるようになる。
大変気持ちの良い場所で、後方に青空が広がっていればなお良いのだが、本日は曇りとなることを承知の山行なので、贅沢は言えない。
道は右に緩やかなカーブを描きながらササ原の斜面を横切って高度を上げ、すぐに先程見えた小さな高みから派生する尾根上に登り着く。 道はその高みへと向かって進んでいくものの、途中から左に折れて高みを巻くことになるのだが、そこに至る迄の間、右手に素晴らしい展望が広がる。 最初に雲取山が目に着き、緩やかにカーブして行くに連れて、雁ヶ腹摺山、大菩薩嶺、富士山を見ることができるようになる。
但し、この辺は風の通り道なのであろうか、風が結構強く、少し寒い位である。本日は気温が高いと聞いていたので、シャツだけで十分と思っていたが、 どうやらこの先 薄手のアウターが必要になりそうである。道は先に述べたように高みを巻いて左へと折れ、再び樹林帯の中を進むようになる。
少し進むと、前方樹林越しに目差す和名倉山の姿が見えてくる。記憶通り、大きな山容、そして頂上付近は平らべったく長い。しかし、まだまだ遠い。
やがて道が下りに入ると、先の方に形の良い三角形の高みが見えてくる。リンノ峰である。
ありがたいことに、道の方はこのリンノ峰も巻いてその左側を進んでいく。斜面を横切っていく道は、 青笹から黒金山に登るルートにおける牛首という高みを巻く道の雰囲気と似ており、少し荒れ気味の岩混じりの道が続く。
しかし、倒木などはほとんど無く、道はしっかりと踏まれている。
この巻き道を過ぎると、狭いササ原が現れるが、恐らくここは仙波ノタルで、位置的にはリンノ峰とこれから登る西仙波との鞍部となる。
ここからは緩やかながらも登りが続く。やがて周囲にはコメツガに変わってシャクナゲが現れ始め、 登るに連れてその量は増えていき、最後は甲武信ヶ岳を彷彿とさせるシャクナゲのトンネルへと変わる。但し、まだシャクナゲに花は見られない。
断続するシャクナゲのトンネルを進んでいくと、やがてトンネルの出口の先に岩場が見え、その岩場に登り着くと、 そこには手書きで 『 西仙波 』 と書かれた標識が置かれていた。時刻は 9時24分。 ここは岩場ながら樹林が多く展望は得られない。
道は再びシャクナゲのトンネルに入るが、この辺はほとんど平らな道が続く。
シャクナゲのトンネルを抜けると、木が疎らに生えるササ原となり、その後、コメツガとシャクナゲが混生する樹林帯を過ぎた後、 再びシャクナゲのトンネルが続くようになる。この辺では傾斜のある斜面を登って行くのだが、それ程キツイものではない。シャクナゲのトンネルを抜け出すと、周囲は岩稜地帯となり、 その尾根上を登っていくことになる。その岩稜帯の先にはササ原の斜面が美しい東仙波も少し見えている。
岩稜帯であるため展望は大きく開け、上部にある岩の上に立てば、周囲の山々をしっかりと見渡すことができるようになる。 南の方角には富士山、大菩薩嶺が見え、さらに右手を見れば、リンノ峰の他、西御殿岩、唐松尾山と続く尾根がよく見えている。
唐松尾山の右後方には古礼山、水晶山、そして雁坂嶺が続き、古礼山の後方にはうっすらと北奥千丈岳、国師ヶ岳も見えている。また、雁坂嶺を真ん中にして、その左後方には木賊山、甲武信ヶ岳、 右後方には甲武信ヶ岳から続く三宝山を確認することができる。
そして、三宝山のさらに右にも尾根が続いており、恐らく武信白岩山、大山、十文字山といった山々と思われるが、あまり馴染みのない地域のため、 確信が持てない。
さらに右には御座山 (おぐらさん) と覚しき山や浅間山もうっすらとではあるが確認することができる。 そして、北の方向にはこれから目差す和名倉山が見えている。しかし、そこに至る迄にはいくつもの高みを越えていかねばならないのがよく分かり、 少し怯んでしまう。
また、目を大菩薩嶺の方へと戻せば、大菩薩嶺の左手前、この岩場の目の前には、谷を間に挟んで竜喰山が見え、 さらにその左に大常木山、飛竜山が並んでいる。一頻り周囲の山々を眺めた後、さらに岩稜帯を進む。
ここも風が強く、やはり寒いくらいである。また、この岩稜帯にもシャクナゲが見られるが、ここは日当たりが良いためなのか、 赤い蕾が膨らみ始めている。
やがて下り斜面に入ると、南側がササ原、北側が樹林帯となっている東仙波が目の前に良く見えるようになり、東仙波の後方には雲取山も見えている。
慎重に岩の斜面を下った後、鞍部からはササ原の斜面を登って、東仙波には 9時47分に登り着く。
ここには三等三角点が置かれており、南側が開けているので、富士山方面がよく見える。
なお、出発してから 3時間近く経っているのでここで休憩したかったのだが、先程も述べた様に風が強いため、休まずにそのまま北側の斜面を下って先へと進む。
ダケカンバの生える斜面をジグザグに下り、鞍部からは木々のない斜面を登って目の前の高みを目指すことになるのだが、 この高みが焼小屋ノ頭であろう。右手には武甲山も見えている。木々のない斜面もやがて周囲にダケカンバが見られるようになり、 また傾斜の方も緩んで気持ちの良い尾根歩きが続くようになる。
ここで 1名の登山者と擦れ違う。昨日 山中で 1泊していないのであれば、相当な健脚の方なのであろう。
右手には芋木ノドッケ、雲取山、三ツ山、飛竜山と続く尾根もよく見える。そして、振り向けば、 三ツ山の左手前、東仙波から東に派生している尾根の先には、美しい姿のカバアノ頭も見えている。 帰りに時間と体力があれば、このカバアノ頭にも登ってみたいところであるが、14時前後からは雨とのことなので無理かも知れない。ほぼ平らな道も、やがて岩屑の目立つ下りへと変わる。下った所からは樹林帯に入り、そこを抜けるとまた岩屑の下りとなる。
そして、この辺では面白い岩が見られるようになる。岩の構成が層状になっており、しかもその層が真っ直ぐではなく途中で褶曲しているのである。 NHKのブラタモリ 嵐山編にて、チャートから地形の成り立ちを知るということをやっていたが、専門家から見ればこの和名倉山においても岩から地形の成り立ちを知ることができるのであろう。
道はこの辺から小さなアップダウンを繰り返していくことになり、加えて樹林に入ったり、開けた場所を通過したりといったことが続くようになる。 基本的に尾根の左側 (西側) を進むことになるため、開けた場所では甲武信ヶ岳方面を見ることができる。吹上ノ頭と言われる高みの西側を巻き、シラビソの樹林帯を進む。
足下の岩や倒木は苔生しており、如何にも奥秩父という雰囲気が漂う。
また、この辺からは道の周辺に錆びたワイヤーロープがかなり多く見られるようになる。林業が盛んだった頃に使われていたものと思うが、 道の周辺に見られたものだけでもその量は多く、合わせればその長さは “ km ” という単位になるのではなかろうか。
山に登っていると、トロッコ軌道やウインチ類の残骸などを多く見かけるが、日本全国の山々に放置されているそういった鉄類を合わせると、 相当な量になることであろう。勿体ないことである。樹林帯を黙々と進む。一方で、休憩場所を求めているのだが、なかなか良い場所が見つからない。 時刻は 10時をとっくに回っており、また少し風を受けて肌寒く感じるので、 休憩して体制を整え直したいところなのだが、休むのならそれなりの開けた場所が良いと思い、ズルズルと進んでしまう。
さすがにノドの渇きに耐えられなくなり始めた頃、周囲の木々が疎らになってきたかと思うと、道は樹林を抜け出し、 奥の方にダケカンバが生える広い場所に飛び出すことになる。恐らくここが八百平であろう。
実際には、道の方はこの八百平には踏み込まずに、西側の樹林帯の中を進むのであるが、時刻を見ると既に 10時38分、 かなり空腹も覚えてきているので、道を外れ、小さな岩に腰掛けて休憩することとする。
しかし、この場所は奥のダケカンバがなかなか美しいものの、周囲は樹林に囲まれていて展望も無く静かな上に、 足下には草も生えておらずに倒木が骨のように散らばっていることから、木々の墓場という雰囲気を感じてしまい、どうも落ち着かない。ノドを潤し、空腹を満たし、さらには薄手のアウターを着込んで 10時44分に出発する。 やはり、あまり落ち着いて休むことができなかった次第である。
再び樹林帯を進んでいくと、今までほぼ平らであった道が一旦下った後、久々に登りが始まるようになる。
ここから周囲はカラマツ林に変わる。ほとんど下草がない斜面を登っていき、周囲に再びシラビソが現れるようになると、 前方に 『 川又分岐 』 と書かれた手書きの標示板が見えてくる。和名倉山の山頂は右、左は秩父湖の西にある川又へと下る分岐となっている。
久々に文字を見た気になったが、そう言えば、東仙波からこの分岐までの 1時間程の行程の間、全く標識を見なかったのであった。 時刻は 10時53分。表示に従って右方へと斜面を登っていく。
一旦、勾配が少し緩やかになると、また周囲はカラマツの林となり、その後、その斜面をジグザグに登っていくことになる。
ここで 1人の登山者を追い抜く。追い抜く際、『 かなり長い行程ですね 』 と声をかけたのだが、その方の 『 本当に長いね 』 という返事には、 かなり実感が込められていたのであった。確かに長い。長く続くと思われたこの登りは、斜面の途中、 『 二瀬分岐 』 と書かれた手書きの標示板が現れた所で終わりになる。
左へ進めば二瀬尾根を秩父湖畔まで下る道であり、和名倉山に向かうには右へ進むのだが、ここから暫くは斜面を横切るような道が続くようになるのである。 時刻は 11時5分。
なお、面白いことに、この手書きの標識が取り付けられている柱には、プラスチックに印刷された標識もいくつか付けられている。
そのプラスチック板を見て、山奥、それも山頂近くになった所で急に文明に接した様な気がして、少々ビックリした次第。
しかし、標識の内容を見ると、秩父側からの登り中心のもののようなので、埼玉側が力を入れているということなのであろう。
この分岐を過ぎて暫く進んだ所で 1名の登山者と擦れ違う。道が下り始めると、すぐにカラマツ林を抜け出し、 斜面が大きく切り拓かれた場所を通過することになる。ここが千代蔵ノ休場である。
ここは前回 和名倉山に登った時、頂上を踏んだ後に休憩した場所である。その時は道から離れて斜面を少し登った所で休んだ記憶があるが、 今は道の周囲にシラビソか何かの若木がびっしりと生えていて、斜面を登るのが少々面倒くさい状態になっている。
開けた斜面を横切り、再び樹林帯に入る。頂上方面へと向かって道にも徐々に勾配がつき始める。
暫く緩やかに登っていくと、やがて前方に 『 左 和名倉山 』 を示す標識が現れるので、ここで左に道をとる。時刻は 11時14分。
ダケカンバが生え、足下に岩が少々見られる斜面を登っていくと、少し平らな場所に登り着き、その後 道はシラビソの樹林帯に入っていく。 先程の標識を見てからすぐに頂上だと思っていた身にとっては (前回登った時のことなど全く覚えていない)、頂上までの行程が結構長く感じられる。ほぼ平らになった樹林帯の中を進む。シラビソの密度は高く、 また道の両側には苔生した倒木が多く見られ、奥秩父の雰囲気十分である。
そして、まだかまだかと思いながら進んでいくと、やがて樹林に囲まれた小さなスペースに飛び出した。和名倉山頂上に到着である。 時刻は 11時20分。ここには標識の他、二等三角点があるだけで、冒頭に述べたように展望は全く得られない。
なお、15年前の記憶なのでかなり不確かであるが、この頂上付近のスペースは当時に比べて心持ち広くなったような気がするし、 また周囲の木々の密度もかなり増したような気がする。
なお、奥の方に 『 仁田小屋登山口 』 を示す標識があったが、これは仁田小屋尾根、仁田小屋ノ頭を経て雲取林道へと進む道らしく、 健脚、そしてルートファインディングができるベテラン向きの道と思われる。この頂上は、先の八百平よりもさらに落ち着かない雰囲気にさせられる場所なので、 周囲の写真を撮った後、すぐに下山することにする。時刻は 11時22分。
往路を戻る。途中、樹林帯を抜けた所の岩場にて暫し休憩する。ここはダケカンバの向こうに西御殿岩から唐松尾山へと続く尾根が見えているので、 少し落ち着いて休むことができる。
10分程休憩した後、往路を戻る。途中、二瀬分岐の下部でテントを設営している方がいたが、 個人的にはあまりこの山で山中泊をしたいという気にはなれない。
2012年に アサヨ峰に登った際、頂上で一緒になった方と色々な話をしながら北沢峠まで下ったところ、この和名倉山のことも話題となり、 その方曰く、霊的な雰囲気を感じ、気味が悪く二度と行きたくない山とのことであったが、小生もその言葉に感化されてしまったようである。さすがに疲れて足が重くなってきてはいるものの、何とか休まずに進み続け、 東仙波には 12時57分に戻り着く。
ここから東に進めば、形が美しいカバアノ頭であるが、疲労気味である上に、雨が降り出す雰囲気がかなり出てきたため、 立ち寄らずに下山することにする。
その後、今朝ほどと同じ岩稜帯で周囲の写真を撮る。しかし、この頃には富士山は全く見えなくなっている。
そして懸念したとおり、西仙波 (13時18分に通過) を過ぎた頃からポツリポツリと雨が降り始める。 総じて雨の量はそれ程多くなかったものの、途中、リンノ峰を巻いた後、ササ原の尾根道を歩く頃には、 強く吹く風に雨が横殴りに降ってくるという状態であった。
カメラを濡らさないように注意しながら進み、山ノ神土を 14時1分に通過する。
雨なので、時間がかかる将監峠経由の道はとらず、往路を忠実に下ることにする。ここからは道がしっかりしているので、 雨傘をさしながら下山したのだったが、とにかく牛王院下までの下りが長く感じられたのであった (牛王院下を14時47分に通過)。
林道を歩く頃には雨はほぼ止んでくれ、民宿みはらしには 15時7分に戻り着く。本日は、昨年暮れに途中で断念することになった和名倉山に登り (15年ぶり)、 宿題を 1つ片付けることができたので嬉しい。
昔は秘峰と言われたこの和名倉山であるが、今は最早 普通の山と変わらない状況に驚いた次第である。
しかし、急登はほとんどないものの、とにかく遠い山であった。
一方で、ほとんど人と会わず、静かな山旅を楽しむにはもってこいの山である。
残雪の山を独り占め(十石山)  2016.4 記
春と言うよりは初夏の陽気となりつつある中、山の雪もかなり減りつつあるようだが、 そうなると今年になってまだスノーシューを使用していないことが心に引っかかってくる。
昨年は節刀ヶ岳と美ヶ原においてスノーシューによる雪上歩行を楽しんだことから、今年も何とか1回くらいは使用してみたいと思い、 スノーシューがまだ使用可能な山を探すことにする。
そして、なかなか情報が得られない中で候補に上がったのが会津駒ヶ岳、乗鞍岳、十石山である。この中で会津駒ヶ岳は一度スノーシューを使用したことがあるので却下し、 また乗鞍岳はその行程の長さに加え、最後はアイゼンとピッケルが必要と思われることから、荷物の多さと履き替えの面倒さによりこれも却下する。
ということで消去法にて十石山に決定したのだが、十石山からの展望が素晴らしいことは過去に経験済みであり、 先日の天狗岳では薄ボンヤリとしか見えなかった北アルプスの山々が間近で眺められるのが非常に楽しみである。4月20日(水)、3時35分に横浜の自宅を出発する。
いつも通り横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCT経由にて圏央道へと進んで、さらに八王子JCTにて中央自動車道に入る。
途中、少し雲が多かったものの、進むに連れて雲は消え、岡谷JCTから長野自動車道に入った頃には上空に青空が広がる。
また、先般の鉢伏山の時と違い、北アルプスもハッキリと見え、真白き穂高連峰、常念岳の姿に心が浮き立つ。
松本ICで高速を下り、国道158号線を上高地方面へと進む。多くのトンネルを抜け、お馴染みの沢渡へと進んで、 沢渡岩見平の先にて右折して県道300号線に入る。梓川の支流となる湯川に沿って山間を暫く進んでいくと、 やがて白骨温泉のバス停が見えてくる。県道300号線はここで左に曲がるのだが、 目的地へは真っ直ぐに白骨温泉へと進み、『 白船グランドホテル、ゑびすや 』 などと書かれた看板の所で右折する。
かつて乗鞍スーパー林道の料金所だった場所の脇を抜け、さらに山に登っていくと、やがて中部電力白骨無線中継所の施設が見えてくるので、 その脇に車を駐める。時刻は 6時49分。駐車スペースに他の車はなく、本日 十石山に登るのは小生 1人となる可能性もありそうである (実際 そうなった)。
身支度を調え、6時55分に出発。駐車スペースのすぐ脇から林に入っていくのだが、ここで大失敗をしてしまった。
この十石山には 2013年の 11月に一度登っているため、どこか油断したところがあったのだろう、 本来の道は林に入ってすぐに右の斜面に取り付くのだが、まっすぐに進んでしまったのである。
ストックの長さを調整しながら進んだため、すぐの取り付きを見逃してしまったのであるが、間違った方向にも斜面を横切る道がしっかり見えていたのである。
記憶ではベンチがあったはずと思いながらもドンドン道を進む。所々で道が荒れていたり、ササが五月蝿いところがあったものの、 冬の間 雪の下にあった道はこんなものだろうと気に掛けずに進む。
やがて斜面に雪崩防止用の柵が縦にいくつも並んだ場所が現れる。確かこの柵を見たような記憶があるので、 柵を吊ってあるワイヤーロープを跨いでさらに先へと進む。しかし、いつまでたっても記憶にあるカラマツ林の平らな道に辿り着かない。斜面を横切る道は途中、かなり荒れた所があり、いよいよおかしいと思う気持ちが強くなるが、 途中で見逃した道はないはずであるし、先の方にはよく踏まれた道が見えるので、ついつい進んでしまう。間違いを認めたくないという気持ちもあったと思う。
その時、上の方でガサッという音が聞こえたので斜面の先を見上げると、1頭のカモシカがこちらをジッと見ている。 今思えば、何故こちらの方に登山者がやって来たのだろうと訝しげに見ていたに違いない。
やがて道には梯子やロープが現れ、ガレ場を横切ったりするようになる。周囲には水を引くための黒いゴムチューブ管が多く見られるので、 もしかしたらこの道はゴムチューブ管を管理・メインテナンスするためのものかもしれないという疑念が持ち上がる。
そして、やがて大きくガレた所で道は行き詰まり、ロープにて右手の斜面を登る状況になる。その先を見れば、 多くのゴムチューブ管が集められた足場のような場所が設置されていたので、やはりこの道はゴムチューブを保全するためのものだということを確信する。 もう道間違いを認めざるを得ない。どこで間違えたのだろうと思いつつ、気落ちしながら辿ってきた道を戻るが、 足下が脆い下りが多いため、意外に手強い。
何とか斜面を横切る所まで戻り、暫く進んでいくと、やがて樹林越しに小生の車が見えてくる。
そして、そこで すぐ目の前に左の斜面を登っていく道があることに気がついたのであった。
ストックを調整していたため、この取り付きを見逃してしまった訳で、しかも理性が間違っていると告げているにも拘わらず、 ドンドン進んでしまうという過ちを犯してしまった次第である。大いに反省。
時計を見ると 7時50分、結局 1時間近く時間を無駄にしてしまい、体力的、精神的にかなり疲れてしまったのだった。これが後で響いてこなければ良いのだがと思いつつ、その斜面を登り、 コンクリート製の貯水槽 ? の脇を抜けていくと、周囲に記憶通りベンチが現れるとともに、すぐに道は緩やかになり、 先程までとは比べものにならないほどよく踏まれた道が続くようになる。
やがて、左斜面の下方を見ると、先程と同じ雪崩防止策が縦に設置されているのが見える (先程の上部かも知れない)。 この記憶が僅かに残っていたために、先程の道にある雪崩防止柵を受け入れてしまったようである。
緩やかな道はやがてほぼ平らな道へと変わり、記憶通りにカラマツの林の中を進んでいくことになる。
時間を無駄にしてしまったことを悔やみながら進んでいくと、やがて十石山への分岐が現れる。時刻は 8時丁度。
そこにある標識には真っ直ぐ進めば乗鞍スーパー林道とあるが、今はその道を通る人はいないようで、そちらは完全にササヤブである。道を左に折れて斜面を登る。最初は ほぼ真っ直ぐに登り、 途中で大きく左に折れてからは振幅の大きなジグザグの道が続くようになる。
足下はササ原、周囲はカラマツの林が続く。カラマツはまだ葉が全くないので、日の光が当たって周囲は明るい。
見上げる空も雲一つ無く、気持ちが弾むが、一方で、もうこの斜面の登りでかなり身体が苦しくなり始める。 1時間の無駄による精神的、肉体的な疲れは予想以上のものだったようである。
やがて、ジグザグの道が北に向かって進んでいる時、前方 樹林越しに富士山のような形をした山が見えてきた。 前回、霞沢岳の南側にある 2,553m峰と同定した山に違いない。道が大きな振幅からやがて小さな振幅に変わると、斜面を横切って南へと登る長い道となる。
周囲の木々はダケカンバへと変わり始め、その後 小さな振幅のジグザグとなった道を登っていくと、足下に雪が現れる。
そしてそこからすぐに平らな場所に登り着いたのだった。湯沢ノ平である。時刻は 8時35分。
ここまででかなりバテてしまったので、切り株に腰掛けて暫し休憩する。 記憶ではこの湯沢ノ平を過ぎると急登が待っているはずで、それを考えるとため息が出る。8時47分に出発。出発に際し、この湯沢ノ平は一面の雪であることから、早速スノーシューを履く。
実際は、少し寒い日が続いたためであろうか、雪はしっかりと締まっており、スノーシューをわざわざ装着する必要の無いコンディションであったのだが、 スノーシュー使用が主目的であり、さらには背中の荷物を軽くしたかったため早々とスノーシューを履くことにしたのである。 やはり、いつもより 2kg程重い荷物は少々身体に応える。平らな樹林帯を進む。最初、雪が無い場所が数ヶ所出てきたものの、その距離は短く、 そこを抜ければずっと雪が続くようになる。雪の上には足跡が残っており、また目印も頻繁に付けられているので迷うことはない。
しかし、暫く進んでハタと気がついた。アイゼンを付けて登った方が絶対に早いのである。小生のスノーシューは長さが 80センチ近くあるため、 一歩の幅が小さくならざるを得ず、効率が悪いのである。
とは言え、スノーシューはやはり楽しい。早く森林限界を抜け出し、雪の斜面を登りたいという気持ちが強くなる。ほぼ平らであった道もやがて登り斜面に変わり始める。 最初は緩やかな登りと平らな道のミックスが続くが、暫くすると急斜面に変わる。
そのため、足首が折れてふくらはぎに負担がかかり始めたので、斜面でも足が平らになるようスノーシューのヒールリフトバーを上げる。
確かに楽である。一方で、この辺の斜面は雪が凸凹しており、少々歩きにくい。
喘ぎつつ斜面を登っていくと、やがて右手樹林越しに先程の 2,553m峰が見えるとともに、その左後方に霞沢岳が見えるようになる。
そして、その後方には雲一つ無い青空が広がっている。これを見て少し元気をもらったが、この登りは兎に角 長くキツイ。
暫く進むと、今度は左側の展望が少し開け、見慣れない山々が見えるようになる。山頂部分にはかなり雪があるので、 かなり高い山であることは確かだが、暫し考えてしまう。
漸く中央アルプスであることに気がついたのだが、いつも見慣れている光景とは違い、木曽駒ヶ岳が左側にあり、 その右にも見慣れない山が続いていたため戸惑ってしまったのであった。さらに少し登っていくと、今度は左手に乗鞍岳の高天ヶ原と思しき真っ白な山がチラリと見える。
この後、樹林越しに左右の展望が時々見えるようになる。右側では、先程の景観に加え、霞沢岳の左後方に前穂高岳が見えてくる。
左手においては、乗鞍岳の剣ヶ峰が見通せる場所を通過する。
苦しい登りではあるが、少しずつ楽しみが増えてくるので、何とか我慢して登り続ける。
密度の高い樹林が続いていたが、やがて木々が少しずつ疎らになり始め、それとともに展望がドンドン開けてくる。
右手には、前穂高岳に加えて奥穂高岳も見えるようになり、振り返れば針盛山も見えている。 そして前方右手、樹林の向こうに十石山へと続く十石尾根もチラチラと見え始め、その白き姿に心が躍る。
しかし、一方で身体の方がついてこない。さらには、スノーシューが負担になったのだろうか、左足付け根の外側部分に痛みが走り始め、 身体の方は散々である。休もうにも周囲は雪で適当な場所が見つからず、森林限界近くまで行ったら休もうと自分に言い聞かせながら進む。やがて正面の樹林の先に、先程見えた十石尾根の続きが見えてくる。 尾根は真っ白で雪はまだタップリあるようだ。
但し、稜線はほぼ平らであり、どこが十石山なのか全く検討がつかない。
おまけにそこに至るには雪の急斜面が待っている訳で、少し億劫と思う気持ちが出始める。
一方、展望の方はさらに開け、霞沢岳の右には蝶ヶ岳、大滝山と思しき山が見え、さらに後方には八ヶ岳も見えてくる。しかし、斜面を登っているため、 スノーシューで身体の向きを変えるのは少々難しく全体を見ることができない。
左足の付け根に生じた痛みをこらえつつ登る。やがて周囲はシラビソが疎らに生える斜面となり、 その中に 1本だけ生えているダケカンバの所まで進んだところで少々傾斜が緩くなったため、振り返って周囲を眺めることにする。やはり奥穂高岳、前穂高岳、霞沢岳、2,553m峰と並ぶ姿が一番目立ち、次に南の方角の中央アルプスが目に着く。
そして、その間にある八ヶ岳、鉢盛山、南アルプスは少し霞み気味ではあるものの、しっかりと個々の山を確認することができる。 十石山の頂上からの展望が楽しみになり、テンションが上がる。
一方、身体の方は頻りと休憩を要求しているのだが、もう少し傾斜が平らでないと落ち着かないため、平らな場所を求めてさらに進むことにする。
この頃になると、斜面の足跡はかなりばらけ、小生もそれに倣って、スノーシューの歩き易い所を選んで登る。
さらに登っていくと、周囲の木々は一層疎らとなり、いよいよ十石尾根へと至る最後の斜面が近づいてくる。その前に小さなマウンドを越えねばならないので、 斜面の登りに備え、そのマウンドの手前にある少し平らな場所にて漸く休憩することにする。2本のストックを雪の上に寝かせてその上にザックを置き、立ったまま飲み物、食べ物を口にする。 しかし、疲れているのか、それ程 食欲がわかない。6分程休んで 11時20分に出発。
目の前の小さなマウンドを越え、いよいよ最後の斜面に取り付く。
前方を見上げれば、木々が疎らに生える白い雪の斜面がずっと続いており、その後方には雲一つ無い青空が広がっている。
少し休憩したことで元気になったこともあり、再びテンションが上がる。冷たい風が時々吹くが、汗ばんだ身体にはそれが結構心地よい。
雪の斜面を登る。急傾斜には見えるが、スノーシューはしっかりと雪面を捉え、滑ることなく登っていくことができる。
右には穂高連峰が見え、やがて左手には乗鞍岳の高天ヶ原、そして剣ヶ峰が見えてくる。雪の上につけられている踏み跡を辿る。稜線はほとんど起伏がないためどこが頂上か分からないので、 ここは先達の足跡を追うしかない。
やがて踏み跡は斜面を右に横切って登っていくようになる。スノーシューが雪をしっかり捉えてくれてはいるものの、 やはり傾斜のある斜面を横切るのは少々怖い。慎重に一歩一歩進む。
少し傾斜が緩み始め、雪の中にハイマツが見られるようになると、斜めに進んでいる方向の先に十石峠避難小屋の屋根が見えてくる。
ということは、十石山の頂上は今居る場所の真上辺りに違いないと検討をつけ、踏み跡から離れて斜面を直登することにする。
とは言え、身体に無理をしての直登はかなり息が上がって苦しく、右足の太腿も少し痙攣し始める。やはり、休憩をしっかりとらず、栄養補給を怠ったことが響いてきているようだが、 頂上はもうすぐのはずである。苦しいながらも何とか登り続けていくと、徐々に傾斜は緩み始め、ほぼ平らな場所に登り着く。 ここが頂上に違いない。
三角点は雪の下であり、その場所は全く分からない。しかし、この十石山の三角点はハイマツ帯の中にあり、 三角点の後方にもハイマツ帯が続いていたはずなので、ハイマツ帯が雪に覆われている今、その小広い部分は間違いなく頂上であろう。 時刻は 11時57分。
前回この山に登った時には、ハイマツ帯が邪魔で乗鞍岳をじっくり眺めるには、ハイマツを掻き分けるようにして金山岩方面に少し進まねばならなかったのだが、 今はここから 360度遮るものなく展望を得ることができる。まずは南から西にかけて乗鞍岳の山群がズラリと並ぶ。分かっているだけでも、 高天ヶ原、剣ヶ峰、蚕玉岳 (こだまだけ)、朝日岳、摩利支天岳、恵比寿岳、大丹入岳 (おおにゅうだけ)、四ツ岳、猫岳、大崩山 (おおくずれやま) といった山々が並ぶ。
そして四ツ岳の手前には、この十石山から続く金山岩も見えているが、さすがに本日はそこまで向かう気にはなれない。
乗鞍岳の山群が大崩山にて終わり、大崩山の斜面が右に下って行く後方には白山の姿が見えている。小生の住む横浜からは遠い山であるが、 白山には是非とももう一度登りたいものである。
白山の右、北西の方向のすぐ近くに目を向けると、輝山 (てらしやま) が見えている。馴染みのない山ではあるが、 独立峰のように存在感を示しており、加えてその名前に惹かれてしまう。輝山の右にはアカンダナ山と白谷山が 1つの山のようにくっついて見え、 さらにその右に焼岳が見えている。
しかし、焼岳は百名山にも選ばれている立派な山ではあるものの、その後方に見える笠ヶ岳から抜戸岳へと続く稜線に飲み込まれ、 やや存在感が薄くなっているのが気の毒である。
ここから見る笠ヶ岳は、抜戸岳からの縦走時に見えるような てっぺんが平らな深編笠型ではなく、美しい三角形である。
そして、抜戸岳の稜線が右に下る後方には、昨年登った双六岳、水晶岳 (黒岳)、鷲羽岳と思しき山が見えている。
そのさらに右にズングリとした山が見えているが、恐らく野口五郎岳であろう。これらの山々の手前を横切って右に高度上げている尾根が西鎌尾根で、 その登っていく先に槍ヶ岳の穂先を確認することができる。
また、槍ヶ岳の右手前には西穂高岳がグッと迫り上がってきているが、西穂高岳から左に下る尾根を辿っていくと手前の焼岳へと続いているのが分かる。
西穂高岳の右には間ノ岳、天狗岩、ジャンダルムといったピークが続いて堂々とした姿の奥穂高岳へと至り、 奥穂高岳の右には吊尾根を経て前穂高岳が存在感ある姿を見せている。
前穂高岳から右に下る尾根は途中から明神岳の尾根へと変わり上高地方面へと下っている。
その尾根の右後方には横通岳が見えているので、その右にあるはずの常念岳を探すが、残念ながら目の前の霞沢岳と丁度重なってしまっており、 左側の尾根と頂上部分がわずかに見えるだけである。ただ、霞沢岳の右には前常念岳が少し見えている。前常念岳の右手前には蝶槍、そして蝶ヶ岳が見え、さらに右には大滝山も見えている。
大滝山の手前には霞沢岳の東にあるジャンクションピークから派生する尾根が見え、さらにその右後方に小嵩沢山 (こたけざわやま) が見えている。 また、小嵩沢山の後方にはうっすらと浅間山と思しき山が確認でき、小嵩沢山の右後方には美ヶ原、そしてその右に鉢伏山もうっすらと見えている。
鉢伏山のさらに右後方には蓼科山が見えており、そこから八ヶ岳連峰が続く。八ヶ岳連峰はやや霞み気味ではあるものの、先日登った天狗岳の他、 硫黄岳、横岳、赤岳、権現岳、編笠山といった山々をしっかりと確認することができる。
そして、八ヶ岳の右手前、この十石山のすぐ目の前には鉢盛山、小鉢盛山が見えており、昨年 鉢盛山に登った際に辿った野麦峠スキー場も確認することができる。鉢盛山の右後方からは南アルプスが始まっている。こちらもやや霞み気味ではあるものの、小鉢盛山の後方に甲斐駒ヶ岳が見える。
甲斐駒ヶ岳の右に少し平らな稜線が続いているが、駒津峰、双児山へと続く稜線と、その後方の鳳凰三山が絡んでいるのかも知れない。
そしてその平らな稜線は栗沢山、アサヨ峰と思われる重なりにて一旦盛り上がり、そこから北沢峠方面へと下っていく。
下った稜線は広角の Vの字を描いて再び盛り上がり、小仙丈ヶ岳、仙丈ヶ岳へと登っていくが、その V字の向こうに何と富士山が見えているではないか。 そのあまりにもうまい組み合わせに少々ビックリするとともに、思いがけず富士山が見えたことで嬉しくなる。仙丈ヶ岳の右には間ノ岳が続き、間ノ岳の右後方には農鳥岳と思しき山が見えている。
なお、仙丈ヶ岳の頂上後方には北岳が少し顔を見せているのだが、それは写真を拡大して分かったことで、この時は全く気がつかなかったのだった。
農鳥岳のさらに右には塩見岳、悪沢岳 (荒川東岳)、荒川中岳、前岳、そして赤石岳が続き、塩見岳の左手前には中央アルプスの経ヶ岳も見えている。
また、赤石岳のさらに右には聖岳が見えるのかも知れないが、生憎 雲に隠れてしまっている。その聖岳があると思われる手前からは、中央アルプスの主稜が立ち上がり、南アルプスの山を遮っている。
ただ、ここからの中央アルプスは、将棊頭山、木曽駒ヶ岳までは分かるのだが、先にも述べたように、その右に見慣れない山が続いている。
こちら側から中央アルプスを眺める機会は少ないのでかなり戸惑ってしまったが、どうやら木曽前岳のようである。
となると、その右手前の山は麦草岳ということになり、麦草岳の右後方の鈍角三角形の山は三ノ沢岳の可能性が強い。 そして、三ノ沢岳の右後方には南駒ヶ岳が見えている。この中岳、宝剣岳、熊沢岳などをすっ飛ばしている意外な並びに少々ビックリする。
なお、南駒ヶ岳の右には越百山も確認できるが、さらに右の山々は雲が山頂を覆っていて同定することができない。
その後はあまり遠くの山が見えないまま、乗鞍岳へと戻って展望が一周することになるが、乗鞍岳へと至る手前にピラミッド型をした美しい山が見える。 どうやら野麦峠の南にある鎌ヶ峰のようである。素晴らしい 360度の展望にずっと頂上に留まっていたい気分であったが、 一方で意外と風が強く冷たいことからジッとしているのが辛く、12時7分に下山を開始する。
とにかく休憩と栄養補給が必要なので、今度は北東にある避難小屋へと向かう。小屋横の広場には雪が全く無い状態であるため、 スノーシューを外して手に持ったまま小屋へと下る。
下り斜面に入ると、すぐに道は夏道となり、ハイマツの斜面を下って、小屋横の広場には 12時13分に辿り着く。
ここには休憩に適した岩が多くあるものの、何しろ風が冷たいので、小屋の北側を通り、夏玄関の前へと下る。
こちら側は屋根から落ちた雪が山のようになっており、夏玄関の扉も雪で開けられない状態であるが、小屋、そして雪のマウンドに囲まれているので、 風はそれ程強く当たらない。夏玄関のそばにある、小屋を支える斜めの柱の所で暫し休憩する。
さて、下山であるが、急斜面のことを考え、スノーシューをザックに括りつけて代わりにアイゼンを履く。
タップリ休憩した後、12時41分に小屋前を出発。この時間、既に富士山は雲に隠れて見えなくなっている。
まずは、登って来た場所を目差して急斜面を斜めに下る。幸い、雪はこの時間でも締まっていて踏み抜くことはない。
やがて、登って来た時の足跡と合流して暫く進んだ後、今度はほぼ直線的に斜面を下る。
すぐに疎らに木々が生える中へと入り、踏み跡を辿りながらドンドン下る。あれ程苦しかった斜面だが、下りは本当に楽で、進むのが早い。
途中、ふと右手を見ると、高天ヶ原から左に下ると思しき尾根の左後方に、 何と御嶽らしき山の頂上部分がチラリと見えたのでハッとする。
御嶽を見て 2年前の悲劇を思い出すとともに、先週から未だ収まらない状況にある熊本地震のことが頭をよぎり、 山で遊んでいることに少し後ろめたさを感じてしまう。
順調に雪の斜面を下る。踏み抜きは 2回。深く踏み抜いた跡が沢山見られる中、ほとんど踏み抜かずに下ることができたのはありがたい。
湯沢ノ平には 13時55分に到着。ここからは雪が無くなるのでアイゼンを外すとともに、少々休憩して 14時4分に出発。
雪の無い斜面をジグザグに下り、14時25分に十石山への標識がある場所に下り着く。 ここからは平ら、あるいは緩やかな下りの道を辿って行くと、やがてコンクリート製の貯水槽が見え、そこからすぐに駐車場所であった。本日は苦しかったけれどもスノーシューにて残雪の山を大いに楽しむことができ、 また展望も素晴らしく、さらにはそういう素晴らしい山を独り占めできたことに大きな喜びを感じた山行であった。
しかし一方で、1回登った経験があるばかりに、予め情報を得る (あるいは前回の山行を確認する) こともほとんどしなかったために 大失敗をしてしまったのだった。一度登っているからと、やや山を舐めたところがあったことを大いに反省した次第である。
残雪を求めて天狗岳  2016.4 記
昨冬 (こう表現しても良いと思うが) は降雪量が少なかったことから、 この時期、山の残雪は例年よりも 1ヶ月程前倒しした状態のようである。
つまり、この 4月においては、ゴールデンウィーク頃の雪の量となっている山が多いということで、 そうなると小生でもかなり高い山に挑戦できるということになる。
逆に言えば、グズグズしていると、折角の雪道も踏み抜きが多くなるということで、早速 手頃な雪山を目差すことにする。そして、手頃と言うことですぐ思い浮かんだのが八ヶ岳の北横岳と天狗岳なのであるが、 北横岳はいつもと同じコースを登り下りすることになるので却下することとし、今回は渋ノ湯から天狗岳を登ることにする。
天狗岳には既に 3回登っており、しかも昨年の 10月に登ったばかりではあるが、雪が多い時期ならば趣も違うであろうし、 さらには渋ノ湯からは初めて登るので、これは登る気を起こさせてくれる条件に当てはまるという訳である。4月6日(水)、朝 4時30分過ぎに自宅を出発する。 空に雲はなく、本日は天気予報通り快晴のようである。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTから圏央道へと進んで、さらに八王子JCTにて中央道に入る。
途中、岩殿トンネルを抜けて左手を見ると、富士山がかなり下方まで見えたのでビックリする。今まで数十回この道を通っているが、 中央道を下る場合、手前の山の上に少しだけ頂上を覗かせている富士山しか見たことがなかったので、 このような富士山も見えたことにハッとした次第である。
また、笹子トンネル、日影トンネルを抜けると、南アルプスの山々がよく見えるようになり、さらに進んで行くと、 先日登った鳳凰山が朝日を浴びて光り輝いている。その美しさは、本日 天狗岳を止めてもう一度地蔵岳に登りたいという誘惑に駆られる程である。諏訪南ICにて高速を下りた後、左に曲がって県道425号線に入る。 その先、御射山の丁字路にて左折するが道は県道425号線のままである。
暫く道なりに進んでいくと八ツ手の丁字路に至るので、そこを左に曲がって今度は県道17号線に入る。右手に八ヶ岳連峰を見ながら暫く進んでいくと、 ナビが神社前の六差路 ? にて右折するよう指示を出す。
しかし、少々道が分かりにくいのでさらに先へと進み、南大塩の交差点にて右折する。縄文の湯の前を通り、やがて尖石考古館西の十字路にて左折して八ヶ岳エコーラインを進む。
そして、新井上の十字路にて右折して県道191号線に入れば、後は駐車場のある渋御殿湯まで一直線である。道は途中から山の中をクネクネと曲がって高度を上げていくが、 やがて道の傍らに石仏が頻繁に見られるようになる。
帰宅後調べると、この道は 『 湯みち街道 』 と呼ばれ、石仏は江戸時代にこの地を訪れた湯治客らが温泉の効能に感謝をして寄進した観音様であり、 全部で 66体あるとのことであった。
渋御殿湯の玄関前には 7時10分に到着。玄関口で駐車場の受付をして (料金 1日1,000円也)、女将さんの案内にて指定場所に駐車する。 駐車場には既に 3台の車が駐まっており、さらに身支度中にもう 1台到着する。駐車場設置のトイレを使用した後、身支度を整えて 7時21分に出発する。
渋川を渡って再び渋御殿湯の前を進み、さらに廃業した渋の湯ホテルの横を進む。右に曲がって再び渋川を渡る手前にある奥蓼科補導所にて 用意してきた登山届を提出する。
渋川にかかる鉄製の橋を渡ると、すぐに山に取り付くことになるが、いきなりアイスバーンと化した斜面が待っている。
この状況はヤマレコにて事前に把握しており、予め 10本爪アイゼンを手にしていたため、早速 橋の袂にて装着する。
凍った斜面を登ると、すぐに高見石との分岐となるので右に道を取り、シラビソの樹林帯の中をジグザグに登っていく。
最初、少しだけ雪の無い所があったものの、後は完全に雪あるいはアイスバーンの状態が続き、アイゼンが活躍する。
傾斜は最初少々キツイものの、すぐに緩やかな登りが続くようになる。
多くの人が歩いているため、雪はしっかりと踏み固められており、アイゼンが利いて快調に進んでいくことができる。暫く進んでいくと、再び高見石への分岐を左に分ける。時刻は 7時47分。
道は緩やかな登りに時々平らな道が加わるといったパターンが続く。周囲はシラビソ、オオシラビソ、コメツガ、ダケカンバなどに囲まれているが、 木々を通して日が差し込んでくるのでかなり明るい。
上空は青空、久々の快晴に心がウキウキする。
やがて、八方台、唐沢鉱泉との分岐を通過し、ここで道は左に大きく曲がることになる。時刻は 8時10分。
この分岐を過ぎると、左手樹林越しに尾根が見えるようになるが、中山から派生する尾根と思われる。
この辺も緩やかな登り、あるいはほぼ平らな道が続くため、快調に足を進めることができる。
やがて、登り勾配だった道も初めて下り斜面に入ると、その先で再び唐沢鉱泉からの道と合流する。時刻は 8時27分。ここから先は過去 2回、唐沢鉱泉から登った時と同じ道を辿ることになる。
と言うことは、折角 初めてとなる渋御殿湯からの道を選んではみたものの、ずっと樹林帯であり、 雰囲気的には唐沢鉱泉からの道とほぼ変わらない状況だった訳で、これでは全く刺激がなくて面白くない。
そこで、この先 黒百合平に着いてからは、初めてとなる中山峠経由にて登ることにする (過去 2回はいずれも天狗の奥庭経由)。
緩やかだった勾配も、先程の分岐から 7分程進むと、少し急傾斜となり始める。また、この辺からは沢の流れに沿って進むことになるのだが、 沢は凍っており、その氷の表面を水が流れているという状況である。
過去 2回は 5月に登ったため、沢は勢いよく流れており、また雪の下からも水の流れる音が聞こえていたのだったが、 やはり今の時期、雪は少ないとは言え、まだ寒さは厳しいということなのであろう。雪の斜面をジグザグに登る。今までよりも傾斜は急になったとは言え、 身体に応えるというレベルではない。アイゼンがスベリを防止してくれ、足が進む。
所々で左手の樹林が切れて稜線が見えるようになるが、南斜面なので雪は全く見られず、シラビソと岩が目立っている。
やがて、今度は右手の斜面も見えるようになるが、こちらは北側斜面のため雪が多く、その中に岩やシラビソが点在している。
傾斜の方も徐々に緩やかになり、この辺ではお馴染みの金網の橋を渡って少し進めば、 樹林を抜けて黒百合ヒュッテの立つ黒百合平に飛び出したのだった。時刻は 9時1分。
ソーラー設備の前を通り、小屋前のベンチに腰を下ろす。
上空を仰げば、青い空は広がってはいるものの、春ゆえ気温も高いためか、抜けるような青空とはいかない。それ程 空腹ではなかったので、飲み物を口にしただけで 9時5分に出発する。
先に考えた通り、今回は中山峠経由にて天狗岳を目差す。小屋の前を進み、張られたロープに沿って再び樹林帯に入る。 シラビソ、オオシラビソの樹林帯の中、ほぼ平らな道を少し進んで行くと、やがて前方樹林越しに岩場が見えてくる。
そして、その岩場へと進んで樹林帯を抜けると、そこは大きな岩がゴロゴロしている中山峠であった。時刻は 9時11分。
天狗岳は右、真っ直ぐ進んで斜面を下ればミドリ池に至り、左に斜面を登れば中山、高見石である。
前日、地図を見ていた時には、余裕があればこの中山峠から中山を往復してみるのも面白いかなと思っていたのだが、大きな岩がゴロゴロ並ぶ斜面、 しかもそこには雪が無さそうなのを見て、その案は却下する。標識に従って右に進むと、前方に屈折ピラミッド (途中で傾斜角度が変わっているピラミッド) を彷彿させる高みが見えてくる。東天狗であるが、頂上までは見えず、代わりに頂上手前にある天狗の鼻と呼ばれる岩峰がそのピラミッドの頂点を形作っている。
その斜面は雪に覆われており、目を凝らすと、その左の方に雪を踏んだ跡が筋となって見えている。これにはテンションがグッと上がる。
道は再び樹林帯を進むようになるが、この辺の木々はまだ幹も細い。緩やかな傾斜が続いた後、樹林帯を抜ける手前から少しずつ傾斜がつき始め、 最後は雪の土手を登っていくようになる。その土手を登りきると、そこは岩場となり、展望がグッと開ける。
目の前には東天狗、そしてその右に饅頭型をした西天狗が見えている。西天狗の手前には雪原の広がりが見えているが、天狗の奥庭の一部で、 今なら縦横無尽にその上を歩けそうである。
東天狗の左後方には金峰山を中心とした奥秩父の山々が見えるのだが、靄がかかったような感じでぼやけ気味である。
さらにその左には天狗山、男山、そして御座山 (おぐらさん) も見えているが、こちらも霞み気味でハッキリしない。
そして東の方角には稲子岳の南壁が迫力ある姿を見せており、その左後方には ニュウの岩峰が少し顔を出している。
また、振り返れば中山が大きく懐を広げていて、その斜面には縞枯現象が目立っている。雪の無い岩場をアイゼンのまま何とか通過すると、 道は背の低いシラビソの林を進むようになる。
そして、そこを抜けると道は崖の縁を進むようになるが、本来ならばそこに張られているはずのロープは雪の下であり、崖の縁に近づくのは危険と思い、 できるだけ内側を進むようにする。
矮性のシラビソ、そしてハイマツやシャクナゲが雪の中から顔を出している場所を通過すると、やがて再び雪の無い場所に入る。 ここには道標も立っている。
振り返れば、中山の左斜面後方に蓼科山が少し顔を出している。そしてその左には美ヶ原、霧ヶ峰、鉢伏山が確認できるとともに、 その後方に北アルプスも見えている。
しかし、霧ヶ峰、鉢伏山は霞んで見えており、その後方の北アルプスに至っては、白い山肌が空のキャンパスに滲んでいるような状態である。 それでも穂高連峰、大キレット、槍ヶ岳、常念岳は何とか確認することができる。道は再び雪道に変わり、シラビソの樹林帯に入るが、すぐに抜け出して岩場に至る。 岩にはペンキ印が付けられているものの、踏み跡はその岩場を避けてその下部の雪の上に続いている。
そして、前方を見やれば、樹林の先に東天狗の急斜面が見えている。ピッケルが必要かとも思われるような急斜面に見えるのだが、 事前の調べでは皆さんストックのままで登っているようなので、小生もそのまま登り続けることにする。
道は再び樹林の中に入り、最後は急斜面を登っていくと、樹林を抜けて目の前に東天狗の斜面が現れる。ただ、頂上、あるいは天狗の鼻まで一直線ではなく、 まずは目の前 20m程の斜面しか見えていないので、威圧感は全く無い。雪の斜面を登る。
所々に踏み抜いた跡があるものの、昨晩から今朝にかけてはかなり気温も下がったのであろう、 この時点では雪はかなり固く締まっていて何の支障も無く登っていくことができる。
左手の崖の後方を見れば、硫黄岳の爆裂火口が少し見えている。
急斜面を登る。
途中振り返れば、蓼科山もかなり迫り上がってきているが、蓼科山はその山頂部分が白いだけで、その下方は真っ黒な状態である。 やはり今年は雪が少ないようである。蓼科山の右、中山の斜面の後方には北横岳も少し顔を出している。一旦、第一段階の斜面を登り切ると、目の前に東天狗上部の岩場まで続く長い斜面が現れる。
この斜面はなかなか迫力があり、手強そうであるが、その後方に広がる青空が元気をくれる。
ここは足下に気をつけながら黙々と登っていく。
先程とは違い、少々息が切れる。少し登っては立ち止まって上を見上げるという 疲れてきた時のパターンを繰り返しながら登っていくのだが、 それも長くは続かず、やがて傾斜が緩んできたかと思うと、先の方に天狗の鼻が見えてくる。
それとともに、右手には西天狗も再び見えるようになり、そこからすぐに天狗の奥庭へと下る分岐に到着したのだった。時刻は 9時52分。一息ついて振り返れば、蓼科山、北横岳、縞枯山、大岳といった山々がよく見えるようになっている。
北アルプスは相変わらずボーッとしたような状態であるが、それでも先程と同じく穂高連峰、槍ヶ岳、常念岳が確認できるとともに、 さらに左方には乗鞍岳が同じような状態で見えている。
道は東天狗を巻いて西天狗の鞍部へと繋がる道を右に分け、天狗の鼻に向かって登っていく。
やがて足下は岩場となり、アイゼンでは少々歩きにくくなるが、できるだけ雪の上を歩くようにして登っていく。
天狗の鼻の真下に至ると、先の方に東天狗の頂上が見えてくる。もう少しである。
再び足下は雪の斜面となり、緩やかに左の方へと登っていけば、今度は南アルプス、そして中央アルプスの山々が目に飛び込んでくる。
こちらも少しボンヤリとしてはいるものの、南アルプスの方は近いだけあって、まだその山容をハッキリと確認できる。
そして少し登れば、標柱の立つ東天狗であった。時刻は 10時9分。ここからの景色は昨年の 10月に眺めたばかりなので、さして驚くものはないのだが、 やはり硫黄岳、赤岳、中岳、阿弥陀岳、そして編笠山、峰の松目といった南八ヶ岳の山々が見えるようになって嬉しくなってくる。
そして、阿弥陀岳の右後方には南アルプスの山々がズラリと並んでいる。左から薬師岳、観音岳、地蔵岳と鳳凰三山が並び、その右には高嶺が続く。
少し間を空けて農鳥岳、西農鳥岳が見え、その右に北岳が堂々とした山容を見せている。北岳の右後方には塩見岳があるのだが、 白き峰が続く中であるため、肉眼では分かりにくい。
そしてその右に甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳が並ぶ。仙丈ヶ岳の右には少し間を空けて白岩岳、釜無山、入笠山などが続いた後、 今度は中央アルプスが始まる。こちらはやや薄ボンヤリとしているものの、それでも仙涯嶺、南駒ヶ岳、空木岳は同定でき、 盟主の木曽駒ヶ岳はハッキリと確認することができる。 そしてその右には黒き山々が続いているが、本日は少々分かりにくい。
真白き西天狗を間に挟んで、さらに右に乗鞍岳から始まる北アルプスが続いている。北アルプスの連なりの手前には、先般登った鉢伏山、 そして霧ヶ峰、美ヶ原が見えるが、こちらも今一つハッキリしない。
また、硫黄岳の左には金峰山など奥秩父の山々が見えるものの、先にも述べたようにこちらも霞み気味である。
この東天狗頂上は岩に雪が無く、休憩にはもってこいなのであるが、やはり早く西天狗に登りたいと思い、休むことなく 10時12分に出発する。岩の斜面を下っていくのだが、雪が少なく、アイゼンを装着したままでは下りにくい。 雪の上に下り立ってホッとする。
やがて、右に東天狗を巻いて天狗の奥庭への分岐へと通じる道を分け、鞍部を進む。
雪は締まってはいるものの、所々で柔らかくなっている所も有り、少し気を遣いながら進む。
ただ、2009年5月にこの鞍部を進んだ時には何回も踏み抜いたことを思えば、本日は大変楽である。
順調に足を進め、いよいよ西天狗の登りにかかる。ここは本来ならば岩屑の斜面であるが、今は全面雪に覆われ大変歩き易い。 とは言え、左下を見れば一気に谷へと落ち込んでいるので油断は禁物である。急斜面に見えたこの登りも、実際に登ってみればそれ程厳しいものではなく、 やがて傾斜が緩み始めるとともに、足下の雪が少し柔らかくなり始めると、先の方に斜めになった標柱の先が見えてくる。 そしてその標柱の所には 10時30分に到着したのだった。
今は標柱もかなり雪から顔を出しており、『 西天狗岳山頂 』 の文字までは雪の上である (それより下の部分も、 標柱の周りの雪が凹んでいるので書かれている文字を確認できる)。先の東天狗もそうであったが、この西天狗においても うまい具合に人が居なくなっており、 山頂独り占めの状態である。
ここからは、先程の東天狗から見えた山々に加えて、御嶽を見ることができる。しかし、残念ながら白き山がそこにあるというのが分かる程度である。
後は、先程 東天狗では気がつかなかった浅間山を北北東の方向に確認できたのだが、やはりこちらも薄ボンヤリといった状況である。
誰もいない山頂を歩き回る。面白いことに標柱のある場所よりもその北側の方が雪で高くなっている。
眼下には天狗の奥庭が見え、さらにその後方にある中山のさらに後方には真白き雨池も見えている。
また、稲子岳南壁、そしてニュウ方面もよく見える。
東天狗と違い、西天狗頂上は一面の雪であるものの、雪の上に顔を出している数少ない岩の上にザックを置いて暫し休憩し、 10時42分に下山を開始する。まずは東天狗との鞍部へと下るが、少々足下が崩れやすいので体重を後ろに掛けて慎重に下る。
右手に見える硫黄岳の手前には、根石岳、根石山荘、そして箕冠山 (みかぶりやま) も見えている。
東天狗の方を見れば、その頂上に登山者が 3人程居るようである。
10時52分に東天狗を巻く道の分岐に到着。巻き道を進んで天狗の奥庭への分岐を目差す。
雪の斜面を横切る道はしっかりとでき上がっているものの、滑落したら下まで止まらない状況のため、慎重に進む。
途中、踏み抜きの跡がいくつも見られたが、本日はまだ雪が締まっていて踏み抜くことなく進むことができる。
斜面にダケカンバが見られるようになると、すぐに分岐に到着。時刻は 11時1分。
ここからは今朝ほど登ってきた道と分かれて左下、天狗の奥庭へと下る。雪の斜面はすぐに岩場へと変わるが、岩の間にある雪を踏みながら下っていく。 岩の間の雪は所々で凍っており、ここでもアイゼンが威力を発揮する。
先の方を見やれば、中山、北横岳、蓼科山がよく見えている。
斜面を下りた後は、岩とハイマツ、シャクナゲそして雪が混ざる中を緩やかに登っていく。気温も高くなってきたためか、 この辺では時折 雪を踏み抜くようになる。
振り返れば、東天狗、西天狗が見えているが、こちらはほとんど白と黒の世界、今進んでいる白と黒に緑が多く混ざっている状況とは全く雰囲気が違う。
やがて岩場に登ると、そこには標柱があり、『 ここは天狗の奥庭上 』 と書かれていた。
その岩場を下った後、また岩場への登りとなるが、ここはできるだけ岩場を避けて雪のある場所を登る。やがて前方にスリバチ池が見えてくる。この時期、池の水はかなり少ないようだが、 よく見ると凍っているようである。
スリバチ池の縁を周って右に回り込み、溶岩が固まったと思われる岩場へと進む。
この辺から見る天狗岳はなかなか美しく絵になるはずなのだが、それはもう少し東、西 両天狗の雪が解けて斜面に緑が多くなり、 さらにはスリバチ池に水が十分にある時のことである。現状、天狗岳はモノトーンの世界であることから、ここからの眺めもそれ程 魅力的ではない。
岩場から離れて北へと進めば、雪の斜面の下りが待っており、下った先に黒百合ヒュッテが見えている。
少しシャリついた斜面を下り、ヒュッテの前には 11時40分に到着。今朝ほどと同じベンチにて暫し休憩する。
なお、小屋前の温度計を見ると 18℃を示しており、本日は確かに暖かい。その時、ヒュッテの横に祠があることに気がついた。 今までヒュッテに近づくことはなかったのでその存在に気がつかなかったのだが、聞けば 諏訪大社の分社であるとか。
11時48分に下山開始、往路を戻る。途中、樹林越しに乗鞍岳が見えたものの、先程よりも霞んでいる。
アイゼンを利かせながら順調に下り、12時4分に唐沢鉱泉との分岐を通過する。そしてもう一つの唐沢鉱泉の分岐には 12時17分に到着する。そこに若者がおり、しきりに地図を眺めている。 そこにある新しい標識を見ると、『 八方台 』、そして 『 奥蓼科登山口 』 と書かれている。 今まで 『 渋ノ湯 』 の文字を頼りに進んでいたので、ここで迷ってしまい、誤って八方台の方へと進んでしまう。 しかし、少し進むと、踏み跡が薄くなり始めたので、間違いに気づき、標識の所へと戻って奥蓼科登山口方面へと進んだのだったが、 件の若者もこの標識に戸惑ったとのことであった。
1つ前にあった標識には 『 渋の湯入口 』 と書かれていたので、突然現れた 『 奥蓼科登山口 』 の文字に惑わされてしまい、 今朝ほどここを進んできた時に この標識の所から左に曲がったことをすっかり忘れていたのだった。
尤も、往路において標識の表示内容をしっかり見ていれば、戸惑うこともなかったのであるが・・・。この後は順調に足を進め、渋川にかかる橋の袂には 12時41分に到着する。 橋を渡る前にアイゼンを外し、その後、渋御殿湯の前を 12時45分に通過、そして駐車場には 12時47分に戻り着いたのだった。
駐車している車は出発時と全く同じ状態で全部で 5台。小生が出発した後は誰も来なかったようである。
しかし、4番目に出発したのに 1番早く戻り着いたことになるが、他の人たちはもっと他にも色々寄り道していたのかもしれない。 なお、先の若者は 1番目の車であった。本日は、消えゆく残雪を追いかけるようにして、慌てて手頃と思われる天狗岳に登ったのであったが、 やはりこの天狗岳はもう少し雪が多い時に登った方が面白いと感じたのであった。
しかし、そうなると小生の車ではここまで来ることができないのであるが・・・。
時間は掛かったが楽しめた地蔵岳  2016.3 記
今年に入って 7回山に登っているが、どれも 2,000mに満たない低山ばかりであることから、 そろそろ高い山に登りたくなってくる。しかし、なかなか良い山が見つからない。
というのは、雪が多く残る山で、できれば初めて登る山が良く、さらにはノーマルタイヤによる登山口へのアプローチができ、 しかも日帰り可能な山という条件のためである。
仕方なく、条件を少し緩め、登ったことがある山であっても初めてのコースなら よしとしてさらに探していたところ、 ヤマレコに御座石温泉 (鉱泉) から鳳凰山の地蔵岳をピストン登山した記録が掲載されているのを見つけてハッとする。馬鹿みたいな話だが、鳳凰山は地蔵岳、観音岳、薬師岳の 3つの山の総称であることから、 鳳凰山登山では 3つとも登らねばならないと強く思い込んでおり、このように地蔵岳だけを目差すという発想が全くなかったのである。
そして、前回 (2014年5月) 夜叉神峠から鳳凰山に登った時には、薬師岳、観音岳には登ったものの、 地蔵岳まで足を伸ばすのは体力的に無理と考えて鳳凰 2山になってしまったという負い目もあったことから、 俄然この地蔵岳が候補として浮かび上がって来ることになる。しかも、鳳凰山には過去に 5回ほど登っているが、この御座石温泉からのコースは初めてであり、 さらには御座石温泉までのアプローチもノーマルタイヤで問題ないようなので、早速行ってみることにする。
当初、多くの人々が山に入る 3連休を避け、天気の良さそうな 3月22日を予定していたのだが、前日に所要があり少々疲れてしまい、 登る日を 23日に変更する。
22日の天気は快晴だったようで、この日に行けなかったことを大いに悔やんだのだが、幸いなことに 23日の天気予報も晴れとなっており、 久々の高山に期待が高まる。3月23日(水)、朝の 5時に自宅を出発。もう少し早く家を出るつもりだったのだが、 『 春眠暁を覚えず 』 のことわざ ? どおり、少々寝過ごしてしまい、出発が 1時間近く遅れてしまったのであった。
周囲がかなり明るくなった中、上空を見上げると雲が多いが、横浜市は午前中が曇りの予報なのであまり気にならない。
横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTから圏央道に入って、その後 八王子JCTから中央道へと進む。
笹子トンネルを抜けると、空は相変わらず曇天模様ではあるものの、南アルプスの山々はその稜線がよく見えている。
韮崎ICで高速を下りた後、県道27号線を西へと向かう。道は東中学校前の信号にて国道141号線に変わるが、道自体は真っ直ぐで、 一ツ谷の信号にて国道20号線にぶつかるのでそこを右折する。
国道20号線を暫く進み、上円井の信号にて左折。左折した途端、道は 2つに分かれるのだが、本来は右に進むべきところを左に進んでしまい少々慌てることになる。
しかし袋小路になる手前にて左折し、本来出るべきなかなか立派な農道 ? に出て事なきを得る。その農道を右に進んでいくと、本来の国道20号線からの道を右に見た少し先で 『 ← 鳳凰三山 』 の標識が現れるのでそこを左に曲がる。ここからは少々狭い道が続く。
途中、小武川沿いの狭い土手の上を進んだり、かなり凸凹の未舗装道路があったり、 あるいは落石が道路に散らばっている崖の下を通過したりと少々ビビらされるところもあったものの、迷うこと無く進むことができ、 御座石温泉市営駐車場には 7時2分に到着したのだった。
駐車場の奥には御座石温泉の建物があり、その後方には燕頭山 (つばくろあたまやま) と思しき高みも見えている。
なお、駐車場には大宮ナンバーの車が 1台駐まっており、先行する登山者がいることを知ってホッとする。
駐車場にあるトイレを利用した後、注意書きに従って登山届を出すべく御座石温泉へと向かったものの、玄関は閉まっており、明かりも点いておらず、 登山届の提出はできず仕舞い。車に戻り、身支度をして 7時20分に出発する。
実は御座石温泉の所からも登山道に出られるので、少し時間をロスした形である。御座石温泉の裏手を進み、落ち葉の敷き詰められた斜面をジグザグに登っていく。
途中、建物の横には布団が干してあったので、温泉に人はいるようであるが、そんな気配は全く感じられずに建物はひっそりとしている。
見上げれば空は雲に覆われ青空は全く見えない。どうやら天気予報は完全に外れたようであり、気分が落ち込む。
御座石温泉の建物を過ぎると、いきなりの急登が始まる。すっかり葉が落ちている樹林帯をジグザグに登っていく。
いきなりの急登に息が上がるが、それも長くは続かず、やがて傾斜は緩やかになり、周囲にはコメツガなどの常緑樹も見られるようになる。 そして左手の樹林の間からコンクリートの大きな法面がチラチラ見えるようになると、道の方は左に緩やかに曲り、 その法面に向かって尾根上を進んでいくようになる。途中、左手樹林越しに山が見えたが、方向から考えると御所山ではないかと思われる。
以前、甘利山、千頭星山に登った時に、一寸寄り道をしてこの御所山にも登ってみたのだが、 御所山からは青木鉱泉へと下る道があるので、途中に 『 青木のお湯が待っている 云々 』 と書かれた標識があったのが印象的であった。
閑話休題。巨大なコンクリートの法面の近くに至ったところで (法面自体は見えない)、 道は右に折れてその法面の縁に沿って登っていくようになり、傾斜の方もキツクなってくる。
そして、すぐに左手に法面が見えるようになるが、その規模に驚かされる。まるで巨大なダムを見ているようである。
道の方はその法面の上方へと登っていき、登り着いた所からは暫くほぼ平らな道が続くようになる。道の周囲には治山工事の説明書きがある他、 ロープが張られ、しっかりとした道標も置かれている。
やがて道は下り斜面に入り、すぐに小さな広場に下り着く。西ノ平である。時刻は 8時2分。
先程の法面工事のためにここまで車が入ってきていたようで、今は何も無いが如何にも資材置き場も兼ねていたような雰囲気が残っている。道はその西ノ平を横切って、反対側の斜面に再び取り付くことになるのだが、 ここからは容赦の無い急登が始まる。
今年に入って登った山々が如何に楽であったかを思い知らされる登りが続くのだが、パターンとしては急登の後少し道が平坦になり、 少し進むとまた急登、そして平坦ということを繰り返しながらドンドン高度を上げていくことになる。
日頃の運動不足に加え、空を雲が覆っていることで今一つモラールが上がらず、足がなかなか進んでいかない。
20分程登り続けると、足下に雪が少しずつ現れ始める。雪は一部凍っている所があるものの、アイゼンは不要である。
展望のない登りが長く続く。ここは耐えるしかなく、黙々と登り続けていく。
時折、薄日が射すものの、空を見上げても青い部分は皆無、そして今後回復する兆しは全く見られない。 やはり昨日登るべきであったと後悔しつつ足を進めていく。展望の無い登りが続くが、途中、右手の樹林が切れて北杜市の市街地、 そして八ヶ岳が見通せる場所に出る。
しかし、春霞がかかったようで、肉眼では何とか八ヶ岳を捉えることはできても、カメラの方はなかなか合焦しない。
ここのところ、鉢伏山、大山三峰山と天候が今一つの状態が続いているが、大山三峰山の時は曇り覚悟の登山だったので納得はできるものの、 本日は快晴と思っていただけにかなりへこみ、それが足取りにも影響している。
やがて現れた道標の足下に 『 七合目 』 と彫られた石碑があり、さらにはその傍らに 『 立身山五竜不動・・・』(不動以下は雪の下) と彫られた石碑も置かれている。
突然現れた 『 七合目 』 に驚き、今まで 『 合目 』 が彫られた石碑を見落としてきたのではとの疑念が湧く。
一方で、ここが七合目ということは、距離から考えて十合目は旭岳あろうと推測する。時刻は 9時11分。そこから 7分程登っていくと、今度は岩の手前に 『 八合目 』 の石碑を見る。 そこには 『 旭 』 の文字も見られたので、やはり旭岳が十合目のようである。
なお、帰宅後調べると、昔は今登っている尾根の北側にある北精進ヶ滝方面からの道があったようで、そちらに六合目以下の石碑があるものと思われる。
八合目を過ぎると、断続的だった雪が徐々に繋がり始める。それと同時に、凍っている箇所も多く現れるようになり、少々苦労しながら登ることになる。
やがて道は左下方に落ち込む崩壊地の縁を進む。崩壊地の先を見れば、先程見えた御所山とそこから千頭星山方面へと続く尾根が見えている。 途中にある高みは小西峰、大西峰のはずだが、その同定は難しい。
また、その尾根の後方に富士山が見えるらしいのだが、今は全く見ることができない。一旦崩壊地から離れて樹林帯を進んだ後、また崩壊地の縁を通る。 こちらの方は先程の崩壊地よりも迫力があり、谷に向かって急角度で落ち込んでいる。
道は再び樹林帯に入るが、この辺になると足下の雪は完全に連続するようになる。しかし、その量はそれ程多くない。
暫く登っていくと、やがて石祠のある場所に登り着く。旭岳である。時刻は 9時36分。
ここはこの先 燕頭山への登りが待っており、頂上というよりは尾根上の通過点という感じの場所である。
なお、ここには祠の他、『 旭嶽 頂上 』 と彫られた石碑や、『 猿田彦大神 』 と彫られた石碑も置かれている。旭岳から道は右へと折れ、またまた崩壊地の縁を通る。
見上げれば、先の方に見える尾根上に丸い形をした高みが見える。燕頭山であろうと思われるがまだ遠く、高い。
崩壊地の縁を通る道には雪がなく、また面倒臭さも手伝ってアイゼンを装着しなかったのだが、これが大失敗であった。
樹林帯に入ってからは雪の道が続くようになり、凍っている箇所も頻繁に現れるようになり、アイゼン無しではかなり効率が悪くなる。
なお、本来の道は溝状になっているのであろう、そこに雪が残っているのであるが、道の左右は苔生した土や岩であり、 雪の白の中に苔色が絡んでなかなか美しい。シラビソ、コメツガの樹林の中、急斜面を喘ぎつつ登る。 凍った箇所が現れた場合、足の踏む場所を考えたり、木の根に掴まったりして登ることになるので余計苦しい。 旭岳で素直にアイゼンを装着すべきだったと反省する。
無論、途中でアイゼンを装着すれば良いだけのことなのだが、何と雪の上にはアイゼンを装着していない靴跡が残っていたため、 つまらない意地を張ってそのまま登り続けてしまう。反省。今度は右手に小さなザレ場を見ると、傾斜は徐々に緩み始め、 やがてほぼ平らな場所に登り着く。
前方を見れば、樹林の間から薬師岳と思しき白き高みが見え、さらに少し進んでいくとベンチのある燕頭山頂上であった。時刻は 10時18分。
登り始めて 3時間、急登の連続でかなり疲れたため、ベンチに腰掛け、ノドを潤し、餡ドーナツを食べてやっと一息つく。
ベンチのそばにある標識には 2,105mと書かれており、本年初めての 2,000m峰ということになる。
この燕頭山頂上はかなり広く、足下はササ原 (実際は雪原に近い)、そこにシラビソ、コメツガ、そしてダケカンバなどの大木が生えており、 さらにはその枝からサルオガセがぶら下がっていて、南アルプスという雰囲気が漂っている。
なお、展望の方は南西方面が少し開けているだけで、ほとんど展望は得られない。腹を満たした後、ここまでの登りの反省を踏まえ、10本爪アイゼンを装着して 10時32分に出発する。
ほぼ平らな山頂を暫く進むと、前方から 2人の若者がやって来た。挨拶を交わしただけであったが、この後 山では誰にも会わず、 さらには下山した時に駐車場に車はなかったので、彼らが大宮ナンバーの持ち主だったようである。
背負っている荷物から見て山で一泊したのであろうか。
道はやがて下り斜面に入ると、前方樹林越しに本日目差す地蔵岳の姿が見えてくる。
しかし、遠い。あとどれくらい時間がかかるのか不安を覚える。さらに少し進むと、今度は地蔵岳の右後方に甲斐駒ヶ岳が見えるようになる。
こちらはやや霞み気味であるものの、それが返って甲斐駒ヶ岳の魅力を増している。ただ少々残念なのは、 摩利支天が邪魔をして美しいピラミッドが崩れていることである。なお、甲斐駒ヶ岳の左後方には駒津峰も見えている。
道の方は燕頭山までの急斜面が嘘のように緩やかな登りの道が続くようになる。
桟橋を渡ってザレ場を過ぎ、小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていく。
途中、右手が開けて八ヶ岳方面が見えたが、八ヶ岳は相変わらず霞んでいて大変見辛い状態である。やがて道は牛首のザレ場を通過する。ここは左右が切れ落ちており、 かつてはその稜線上に道があったと聞くが、今は稜線の左下に桟橋を設けて通るようになっている。
足下は花崗岩の砕けた砂地なのだが、今はその大半が雪の覆われており、また桟橋の上部には鎖も張られている。
なお、桟橋は最後の方が崩壊して斜めになっており、道はその山側を進む。
ザレ場を通過して振り返れば、燕頭山が見えている。こちらから見る燕頭山はどちらかというとピラミッド型で、下方から見たような丸い頂上ではない。時々 地蔵岳、甲斐駒ヶ岳を見ながら尾根の北側を進んでいく。
足下の雪は多くなってきているが、本日はまだ雪が締まっており、踏み跡を外さなければ踏み抜くことはない。
しかし、数日前は暖かかったのであろう、50センチ程の穴が所々に見られる。
やがて道は稜線上を進むようになり、苔と雪、そして岩と木々が混じり合った中を登る。途中、丸太の桟橋も現れる。
再び地蔵岳、甲斐駒ヶ岳が良く見通せるようになるが、地蔵岳の左には賽ノ河原と思しき鞍部も確認できるようになる。道は再び尾根の北側を進むようになり、暫くは樹林の中、展望の無い道が続く。 右斜面を横切るように進み、少し登りとなって高度を上げた後、また暫く平らな道が続き、その後また登りが現れるというパターンにて徐々に高度を上げていく。
道はしっかり踏まれているが、油断をすると、谷側の右足が少しスベリ気味になってバランスを崩すことがあるので要注意である。
周囲の雪の量はかなり増えてきており、踏み抜いた跡を見ると、70センチ近くあるようである。
また、雪の下で良く見えないものの、この道には桟橋も多く現れる。やがて、再び樹林の向こうに地蔵岳が見え、そして桟橋が現れた所で、 道はそこから左に折れて急斜面を直登するようになる。想像するに、ここは桟橋がそのまま斜面を横切っているのだが、 雪で危ないため、山側に迂回ルートを造ったものと思われる。
しかし、この迂回するための斜面は急でかなりキツイ。喘ぎつつ斜面を登ると、道は途中から右に折れ、すぐに平らなシャクナゲの群生地に辿り着いて一息つく。
ここから振り返れば、観音岳の姿が見えている。また、地蔵岳も見えるが、オベリスクの姿が大きくなり、先程よりも近づいたことが実感できる。 しかし、まだまだ先は長い。
ありがたいことに、そこから少し下った後はほぼ平らな道が続くようになる。張られたロープに沿って進み、下りに入る所からは再び地蔵岳が見えるが、 賽ノ河原もこれまで以上によく見えるようになっている。その後は暫くほぼ平らな道が続くようになり、今度は地蔵岳から直接下ってくる尾根の左側を進むようになる。
少し進むと左側が大きく開け、薬師岳や観音岳の他、下方にはドンドコ沢の谷筋が見えるようになる。
また、谷筋の後方を見やれば、千頭星山らしき山が見えている。しかし、本来ならばその後方に見えるはずの富士山は全くその姿を確認できない。
シラビソの樹林帯の中、左に下る斜面をほぼ平らに横切っていく。さすがに歩き疲れ、飲み物、食べ物の補給を身体が欲しているが、 もう少し頑張れば鳳凰小屋のはずなので、我慢して足を進める。
やがて、前方に小さな小屋らしきものが見え隠れし始めたので、鳳凰小屋に着いたと思い元気が出てくる。実は見えたのはトイレであったのだが、 すぐに先の方に鳳凰小屋の茶色の建物が見えてくる。
そしてドンドコ沢からの道との合流点を通過すれば、もう鳳凰小屋であった。時刻は 12時19分。
御座石温泉からここまで 5時間を要したことになる。鳳凰小屋の入口にある玄関屋根には母屋の屋根から落ちてきた雪がどっさり積もっており、 屋根が潰れないか心配になる状態である。冬期小屋の方へと進み、入口の所で暫し休憩する。乾いていて荷物がおける場所は、 ここと先程の玄関屋根の下だけである。
タップリ休んで 12時33分に出発。この頃になると、薄い雲を通して日差しが周囲に当たるようになり、さらには東の方に少し青空も見え始めるが、 空はまだほとんど雲に覆われている。
出発に際し、これまでのダブルストックからピッケルに切り換える。地蔵岳直下の斜面では滑落も考えられるので、安全を考えてのことである。最初は平らな道を進んだ後、すぐにシラビソの樹林帯の登りとなる。 雪の量は 50センチほどであろうと思われるが、雪の上にしっかりと踏み固められた道が続いているので安心して進むことができる。
しかし、ここまで体力を結構使ってしまった身にとっては、ここの登りも辛い。
展望のない樹林帯の中をジグザグに登る。雪の多く積もった桟橋を渡り、とにかく登り続ける。
この道は最初の鳳凰山登山の時に登っているが、その後は下りに使うばかり。もっと早く樹林帯を抜けられるという気でいたが、身体の疲れもあってか、 とにかく長く感じられる。その長い樹林帯も、一旦 左側の縁に出ることになり、振り返れば観音岳がよく見える。
なお、そこから急斜面を横切る足跡が 1つあったが、これは正規のルートではなく、道の方は再び樹林帯の中に入る。
辛かった樹林帯の登りもやがて周囲にダケカンバが目立つようになると、その先で漸く終わりとなる。
しかし、まだまだ先は長い。ここからは雪が無ければ、白ザレの斜面をジグザグに登っていくことになるのだが、 ここは雪の急斜面を直登することになる。
無論、踏み跡とは別に自分の意思でジグザグに登ることは可能であるが、その場合、さらに体力を要することになるので、 踏み跡を追って辛い直登を行う。少し登っては立ち止まって上を見上げるという 疲れた時のパターンを繰り返しながら登る。
雪の斜面の先には多くの岩が見えてくる。
また、この斜面を吹く風は強く、雪を踏み抜いてバランスを崩しそうになった時に強い風に煽られると、 そのまま下方の谷へと滑落しそうである。慎重に登る。
喘ぎつつ登っていくと、足跡は途中から 2方向に分かれる。オベリスク直下の岩場に進むものと、 左に曲がって賽ノ河原、赤抜沢ノ頭を目差すものである。ここは左に進んで賽ノ河原を目差す。
今度は急斜面を斜めに横切って登るため、先よりも風に煽られてバランスを崩すことが多くなり、さらに慎重に進む。見覚えのある大岩の左を進み、余裕が出てきたところで振り返れば、観音岳が高く大きい。
そして、前方にはオベリスクがチューリップの蕾のような形で見えている。しかし、個人的にはこの形は好みではない。
しかし、そこからさらに進むと、オベリスクは形を変え、オベリスクを先頭にして、そこから鳳凰のシッポのように連なる岩の芸術を見ることができるようになる。 もう素晴らしい の一言である。
喘ぎつつ、牛歩ながらも登り続け、何とか地蔵岳の標識前に到着。時刻は 13時39分。
ここから見るオベリスクとそれに連なる岩々の姿も素晴らしい。そこからさらに賽ノ河原へと進む。ここは西側から吹いてくる風が強く、 多くの小さな地蔵尊が立ち並ぶ中、周辺の雪はかなり吹き飛ばされていて、ほとんどの地蔵尊がしっかりと見えている。
そしてその後方には甲斐駒ヶ岳、アサヨ峰が見える。甲斐駒ヶ岳は摩利支天をその懐に抱え込んだため、先程よりもスッキリしている。
また、もう少し右に寄れば仙丈ヶ岳も見えそうだったため、雪の斜面に登ってみたのだが、踏み抜きが多く、小仙丈ヶ岳が見えた所で諦める。
吹く風は強く冷たいためジッとしていられず、13時48分に下山開始。谷に向かって落ち込んでいるような急斜面を慎重に下る。樹林帯に入ってからは往路を忠実に辿り、鳳凰小屋到着は 14時23分。
今度は鳳凰小屋の玄関屋根の下に潜り込み (雪で周囲を囲まれている)、暫し休憩。雪の重さに屋根が耐えられなくなったら小生もアウトであるが、 柱の強さを信じてベンチにて休む。
休みながら地図を見て御座石温泉の到着時間を予測する。地図では 3時間半を要することになっているので、到着時間は 18時過ぎとなろうが、 今は日も長くなっているので安心である。
14時35分、下山開始。往路を忠実に戻る。
15時43分に牛首のザレを通過、燕頭山には 15時58分に戻り着く。暫し休憩して 16時5分に出発する。旭岳を 16時24分に通過、その後 八合目を過ぎた所でアイゼンを外す。 ところが、この後も雪が凍っている箇所がかなり出てきて、下るのに非常に気を遣い、かなりペースが落ちる。
チェーンスパイクを履く手もあったが、雪の無い区間がかなりあるため、やはり ノーアイゼンで下らざるを得ない。 若い時ほどバランスが良くないのでかなり苦労する。
徐々に周囲が薄暗くなりつつある中、西ノ平には 17時24分に戻り着く。
ここでも 7分程休憩。そして、西ノ平からは辛い登り返しをこなし、御座石温泉には 18時3分に戻り着いたのであった。本日はいきなりの 2,700m峰、しかもかなりの距離を歩くことになり、 またまた体力不足を痛感したが、雪と戯れ、楽しい一日であった。
天気予報には裏切られたものの、オベリスクや周囲の山々をしっかりと見ることができたのでよしとしたい。
なかなかに侮れない大山三峰山  2016.3 記
鉢伏山 (2月27日) に登った翌週はまあまあの天気が続いていたものの、 いろいろ予定が立て込んで山に行けず、それではと期待した次の週は曇りや雨の日が多くて なかなか山に行くチャンスが掴めない状態となっていたのであった。
一方、気温がグッと下がった中で降った雨は山に雪を降らせたようで、雪が無くなったはずの低山もまた雪の山に戻ったようである。
そこで、晴天であることには拘らずに 雪の山を楽しもうと、大山三峰山 (以下 三峰山) に行くことにする。実はこの三峰山に登るのは今回が初めてなのである。 登山を始めた頃は丹沢の山を全部登る意気込みで丹沢に通い詰めていたのだったが、この三峰山については 1,000mにも満たない山であることから つい後回しにしていたところ、その後 他の地域の山に興味が移ってしまって今日まで至ってしまったという次第である。
そして、先日、久々に大山に登った際、途中の見晴台にてこの山を眺め、28年前の積み残しを思い出したのであるが、 天候が悪く展望が得られなくても、良く知る丹沢ならば気にならないということで、早速でかけることにしたものである。3月12日(土)、6時過ぎに自宅を出発する。一般道を通って国道246号線に入り、妻田の交差点にて右折。
暫く先で国道412号線にぶつかるのでそこを右折して北上し、及川児童館前にて左折する。
その後 県道63号線にぶつかるので左折し、すぐの所にある千頭橋際の交差点を右折して県道60号線に入る。
後は、途中から道路名が県道64号線に変わるものの一本道である。
空には雲が多く、一日中晴れであると予報していた YAHOOの予報は敗れ、どうやら Mapionの予報に軍配が上がったようである。
道なりに進んでいくと、やがて前方左手に清川村役場の建物が見えてくるので、その役場の向かい側にある原下駐車場に車を駐める。 広い駐車場には 2台しか駐まっておらず、それも林業関係の公用車のようである。時刻は 7時5分。身支度をして、7時10分に出発、県道64号線を北に向かう。
途中、左方を見上げれば、真っ白になった 3つのピークが見えている。あれが目差す三峰山かと思ったが、方向が若干違うようである。 恐らく、物見峠から三峰山へと至る尾根上の小ピークと思われる。
しかしそれにしても、あの山の白さは霧氷ではなく、間違いなく雪であろう。期待が高まるが、一方で山の後方は灰色、 やはり本日 青空を期待するのは無理のようである。
やがて左手に酒屋が見えてくるのでその手前を左折し、谷太郎川沿いに進む。
川と民家の間を進んでいくと、前方に今歩いている道とは別に、右上方に登っていくコンクリート道が現れる。
その登り口には標識も立っており、三峰山へはその坂を登っていくことになる。
坂を登ると、すぐに前方に登山口が現れる。時刻は 7時18分。用意してきた登山届をポストに入れるが、ポストは登山届で一杯である。 過去分が回収されていないようだが、清川村役場や駐在所が近いことでもあり、キチンと管理して欲しいところである。
法面の左下の細い道を進んでいくと、すぐ法面は草付きの斜面に変わり、一方で今度は歩いている左側が低くなって、 そこの法面の上を歩くことになる。
やがて道は山の中に入っていくと、すぐに鹿よけの柵・ゲートが現れる。
ゲートを開いて柵の中に入ると、道は左にカーブして川を渡ることになり、その後 林の中を進んでいく。溝状になった道を進んでいくのだが、左手は杉林、 そして右手は自然林の道が暫く続く。緩やかに登っていくと、やがて樹林が一旦途切れて、 目の前に壁のような尾根が現れ、道はその尾根を避けるようにして左に進んでいく。
再び自然林の中を進んでいくことになるが、足下は落ち葉が多く、それが濡れているので、斜面を横切っていく場合には滑らないように注意が必要である。やがて、小さな流れを渡る。流れの周囲にある石を見ると、 大山の表参道で見られるボタン岩と同じ形状であることに気がつく。つまり、岩がタマネギの皮をむいたような形状をしており、 実際 タマネギ石と呼ばれているらしいのだが、ここの石は緑の苔に覆われていて、タマネギというよりはキャベツのようである。
道は斜面を横切りながら徐々に高度を上げていく。所々で樹林が切れ、周囲の山が見えるが、あまりにも断片的であり、 加えてあまり馴染みのない地域であるため、全く山の名は分からない。
やがて、道は鹿よけと思われるグリーンのネットにぶつかるので、そこからは右に曲がってネットに沿って登っていく。
この頃になると、周囲に薄日が差し始めるが、空はほとんど雲に覆われていて、やはり青空は期待できないようである。道は再び杉林の中を進むようになり、やがてその杉林を抜けると、 少々明るい斜面を横切って進むようになる。
周囲はイヌシデ、アカシデ、アラカシ、アブラチャンなどの自然林へと変わり、葉が落ちた枝の先には、 先程 清川村役場付近から見えた白き尾根がうっすらと見えている。
やがて、進む方向に土手のように左右に延びる尾根が見えてくる。かなり低いので、そのまま尾根に直登するのかと思ったら、 道は左に折れて尾根と平行するように進み、緩やかに高度を上げていく。
途中、ジグザグに斜面を進む所もあり、そこには 『 物見峠 1.5km、三峰山 3.4km 』 の標識が立っている。周囲にシラビソが見られるようになる中、緩やかに登っていくと、 やがて前方に鹿よけゲートが現れるが、扉の金網は無くなっており、全く用をなしていない。
ゲートを通り抜けると、再び杉林の中の登りとなり、溝状になった道を緩やかに登っていく。
右手上方の尾根はすぐそこであるが、すぐに尾根に登らないように道は造られている。
もう 1つ壊れたゲートを潜ると、少し先で漸く尾根上に飛び出すが、尾根の方はそこから上方へと登っており、 道はすぐに尾根から外れてその左側を巻くように進んでいく。
なお、この尾根との合流点からは周囲に雪が見られるようになるが、足下はまだチラホラという程度である。
しかし、道際にある檜の葉は雪で結構 真っ白になっている。やがて、道の先にテーブルが現れたが、テーブルの上には 1〜2cm程雪が積もっており、 この先、雪が結構 期待できそうである。時刻は 8時18分。
ここから道は二手に分かれることになる。どちらも三峰山に至るのだが、右手の道は物見峠経由のため、左手の道よりも遠回りになっている。 ここは右に道を取って、物見峠経由にて三峰山に向かう。
『 三峰山は地形が急峻で、〜(中略)〜 経験者向きの登山道です。(後略)』 と書かれた立て札を過ぎ、右の道を登る。
道は尾根上に登り着いた後、今度は尾根の右側を横切って進むようになる (今までと違って尾根が左手になる)。
ここからは周囲の風景が一変する。樹林越しに真っ白になった辺室山 (へむろさん、へんむろさん) が見え、足下にも雪の白さが目立つようになる。 但し、積雪は 1cm程度である。
一方、木々には雪が積もっており、時々見られるシラビソの葉の上にはかなりの雪が載っかっている。右斜面を巻くように進む道はほぼ平らで、明瞭である。 全体的に白く霞んだようになっていて遠望は得られないものの、白き世界を楽しく進んでいくことができる。
途中、『 この先 800m区間は崩壊箇所が多数あります。(後略)』 と書かれた注意書きが立っているが、道の方はそれ程危険ではなく、 気を緩めることなく進めば問題ない。
『 物見峠 0.8km 』 の標識を 8時27分に通過、この辺から周囲の木々はさらに真っ白になってくる。
道は山の襞を忠実に辿っており、時折 谷の突端を横切るが、下方を覗き見ると、今までの斜面の緩やかさとは異なり、 谷へはほぼ垂直に落ち込んでおり、さらにその先がゴルジュのようになっていることに驚かされる。
右手には辺室山が時折見えるものの、その後方は真っ白で何も見えない。途中、立ち止まって写真を撮っていると、後ろから来られた登山者に挨拶される。 誰もいないと思っていただけにかなりビックリしてしまった。
その方に先に行ってもらうと、その時、斜面上部から小さなカモシカが登山道上に飛び降りてきて、脱兎の如く走り去ったのだった。
その方とは物見峠にてまた一緒になったが、丹沢でカモシカを見るのは初めてと言っておられた。そう言えば、小生も丹沢でカモシカを見た記憶がない。
その物見峠には 8時47分に到着。ここからは華厳山、高取山が見えるのみである。
先程 小生を追い抜いていった方はもう暫く休憩する様子であったが、小生は休まずに先へと進む。ここからは今までの登山道とは打って変わって急登が始まる。 足下には丸太の階段が現れ、そこをほぼ一直線に登っていくのである。このように歩幅が限定され、前の段に置く足が片方に集中しやすい登りは辛い。
なお、階段に付いた雪の上にはうっすらと足跡が残っているが、これは恐らく昨日のものと思われる。
喘ぎながら登り続けていくと、やがて階段の急登も終わりとなり、ほぼ平らな尾根道が続くようになる。
雪の量は増え、足下では 3〜4cmほど、そして周囲の木々は完全に真っ白になっている。
暫くほぼ平らな尾根を進んでいくと前方にテーブルが見えてくる。そして、テーブルの横には道標もあって、左手に進めば煤ヶ谷に下ることを示している。
一瞬、アレッと思ったが、すぐに先程の分岐から直接登ってくる道であることに気がつく。時刻は 9時2分。この辺から道は小さなアップダウンを繰り返しながら進むようになり、 途中、丸太の階段も多く現れるようになる。
やがて、『 この先斜面崩壊が多数あります。(後略)』 と書かれた注意書きが現れ、道はヤセ尾根を進むようになる。
かなり雪を被って枝が垂れ下がってきているシラビソの下を潜り、暫く進むと、今度は 『 この先、崩壊地有り。』 と書かれた標識が現れる。 しかし、崩壊地には雪化粧がなされ、崩壊している状況は全く掴めない。
なお、ここは右手(西)が大きく開けているが、残念ながら本来見えるはずの丹沢の山々は全く見えず、雪を被った近くの山が見えるだけである。 とは言え、その様子は墨絵のような感じで、なかなか美しい。崩壊地を過ぎると、またまた小さなアップダウンが続く。 この辺は今朝ほど清川村役場付近から見えた尾根ではないかと思われる。 『 三峰山 1.3km 』の標識を 9時29分に通過、その少し手前で先程の方に再度追い抜かれる。
丸太の橋を 2つほど渡り、アップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて少し平らな道が続くようになり、またまたテーブルが現れる。 時刻は 9時41分。
傍らの標識には 『 三峰山 0.8km 』 とある。前方を見上げれば、三角形の高みが見えているが、恐らく北峰であろう。この北峰への登りには、またまた丸太の階段の上を歩くことになる。 長い丸太の階段を登り、小さなピークを乗り越えた後、また丸太の階段が続く。
途中、階段の脇にはお助けロープも用意されていたが、雪に埋もれつつあるロープを掴もうという気にはなれない。
喘ぎながら急斜面を登り、まずは丸太による土留めが為されている場所に登り着く。そこから斜面を横切るようにして登り、 丸太の階段を辿って狭いピークに登り着いたが、そこには北峰を示すものはなく (あるいは雪の下かもしれない)、そのまま下りに入る。 時刻は 9時56分。ここの下りからは鎖場が現れる。鎖といっても、一般的な先端だけをフィックスしているものではなく、 輪っか型の頭を有したロープ止めの鉄杭が何本も並び、その輪っかの間をロープならぬ鎖が通してあるのである (鎖はそれぞれの杭に固定されている)。
最初、鎖は不要に感じたが、途中、雪に埋もれた階段も現れ、やはり安全を考えて鎖を掴みながら下る。
その後も鎖場は断続的に現れるが、ここでも鎖に全体重を掛けるということではなく、どちらかというとバランスを崩さないようにするために使うことが多い。
また、狭い尾根を下って行くのだが、この辺はシラビソやアセビなどの常緑樹が多く、そこに積もった雪が背中のザックにあたって雪をまき散らす。
背中のザックは 40リットルもあり、この山域では大き過ぎるが、いつもこの大きさのザックを背負うことで、夏山に備えたいと思っているので、 このザックで年間を通しているのである。尤も、中味は衣類など軽いものが多いのだが・・・。下り一辺倒の道も、やがて鞍部に到達したのであろう、 狭く平らな尾根に下り着くと、その先から梯子の登りが始まる。
金属製の梯子も現れるが、踏ざんの上に雪が結構 積もっており、横滑りしないかと心配で、念のために傍らの鎖を掴んで登る。
一旦 小さな高みを越えて下った後、再び鎖場 + 梯子が現れるが、その時 上方からカップルが下ってきた。
雪の付いた梯子や木橋を下るのにかなり苦労されていたが、確かに下りは滑って怖いようである。軽アイゼンを付けてもよいかもしれない。
梯子、鎖の連続を何とかクリアしていくと、やがて 『 三峰山 100m 』 の標識が現れる。時刻は 10時18分。
ここは恐らく中峰である。ところで、この大山三峰山は北峰、中峰、南峰の 3つのピークからなり、 三角点のある最後峰は南峰なのであるが、南峰のさらに先にある 七沢山 (竹沢ノ頭) を南峰として、 この中峰をピークとして認めていない登山記録が多々見られる (従って、三角点があるのは中峰という位置づけ)。
しかし、大山方面から見ると、現在 小生が立っている中峰もしっかり存在感を示しており、大山三峰山と七沢山とは別と考えるべきであろう。
ちなみに、ヤマレコなどでは三角点のあるピークを南峰としており、一方で神奈川県警が作成した 『 登山ルート危険箇所 』 のページにある 『 三峰山、辺室山 』 の資料では、七沢山を南峰としている。この中峰からは少し下った後、すぐに登りが始まる。 ここでも鎖場、梯子、桟橋などが連続する。
先にも述べた様に、雪が付いて垂れ下がった木々がザックに触れ、ザックや頭は雪で真っ白である。
そのような苦労をしながらも、一旦 狭い尾根を進み、そこから連続する丸太の階段を登っていけば、やがて三峰山頂上であった。時刻は 10時26分。
狭い山頂には、今やその役目を果たしていないような三角点の他、立派な標識とテーブルが 1つ置かれており、2人の登山者がおられた。 先程 小生を再度抜いていった方と 不動尻方面から登ってこられた方である。
少しお二人と話をした後、暫し休憩する。なお、狭い頂上は展望が無く、周囲の木々は真っ白である。
お二人がそれぞれ異なる方向へと進まれた後、もう 1人登山者が物見峠方面からやって来た。その方もすぐに先へと進まれ、頂上直下にある標識には 『 不動尻 2.1km 』 とあり、 ここからも急斜面の下りが待っていて、途中、鎖場も現れる。
そして、一旦鞍部に下ったところから長い丸太の階段の登りが始まる。上方を見れば、登山者がお尻をこちらに向けて後ろ向きに下りてきているが、 さすがに雪の付いた階段では後ろ向きに下りざるを得ないところである。
長い階段にて登り着いた所には進む方向を示す標識があったが、ここは七沢山ではないようである。
標識に従って左に道を取り、また急斜面を下って行く。
丸太の階段や鎖に掴まりながら下り着いた所はヤセ尾根になっており、ここにも安全確保のため鎖が設置されている。
すぐにまた鎖場のある下りとなり、そこを過ぎると丸太の階段の登り、さらには鎖場のある岩場の登りが現れる。小さなピークを越え、桟橋を渡ると、また岩場の登りとなる。 ここにも鎖が設置されているが、今までの鎖場と違い、上部だけがフィックスされた鎖となっている。
その鎖場を終え、少し狭い尾根を進むと、再び今までのように鉄杭に固定された鎖場が現れ、そこを登り切ったところが七沢山であった。 時刻は 10時51分。
ここにも七沢山を示すものは何も無く、ただ通り過ぎてしまうだけの場所である。
再び下りに入り、桟橋、鎖場を越えて行くと、不動尻の方向を示す標識が現れ、そこからは鎖場の下りが断続的に現れるようになる。
漸く傾斜も緩み、幅の広い尾根を進むようになると、やがて前方にテーブルが見えてくる。
ここは不動尻と大山との分岐になっており、左に下ってテーブルの横を進めば不動尻方面へと至り、右の尾根を登っていけば唐沢峠を経由して大山に登り着く。 時刻は 11時4分。そこにある標識は不動尻のみを示しており、『 不動尻 1.4km 』 とある。
なお、物見峠、三峰山で一緒になった方は、三峰山にて話されていた通り、大山に向かうべく右の尾根を進んで行ったようで、 雪の上に足跡が残っていた。
小生は不動尻を目差すべく左の道を進む。テーブルを過ぎた所からは下り一辺倒となる。
ただ、今までのような厳しい下りではなく、斜面をジグザグに下って行く。
途中、左手上方を見上げれば、なかなか形の良い高みが見えたが、残念ながらどのピークであるか分からない。恐らく七沢山ではないかと思われる。
滑らないように気をつけながらドンドン下る。途中、もう無いであろうと思っていた鎖場が現れるが、カニの横バイのようであまり大したところではない と思っていたところ、 その後、斜面を一直線に下る鎖場が現れた。
苔生した岩の斜面を鎖に掴まりながら下り、先を急ぐ。左手の谷には水音がし始め、やがて水の流れがハッキリと見えるようになる。
人工的に造られた堰堤の滝の他、自然のナメ滝もありなかなか素晴らしいが、若干 荒れ気味である。
この頃になると、足下の雪は消え、雪は斜面に少し残るだけとなる。橋を 3回ほど渡り、桟橋を過ぎると、またまた鎖場が現れる。 ここは岩場になっており、雪解けのため岩が濡れていたので、一番厳しい所だったかもしれない。
なお、鎖場の途中に水が塩ビパイプから湧き出している所があったが、身体の硬い身にとっては手で水を掬うのも難しく、水を飲みたかったが飲まずにそのまま下る。
やがて、大山との分岐を通過。時刻は 11時44分。そこから少し下れば、かつて県立不動尻青少年キャンプ場のあった場所に下り着く。
ここにはバンガローもあったはずで、今は皆 取り壊されているが、当時を思わせる土留めは今も残っている。ここからは林道歩きとなり、暫く緩やかに下って行くと、やがて杉林の向こうに不動尻にある簡易トイレが見えてくる。
不動尻には 11時53分に到着。そのまま林道を進めば広沢寺であるが、煤ヶ谷を目差すべく橋の手前を左に曲がる。
ここからは再び山道となり、谷太郎川沿いに進むことになる。ただ道はほぼ平坦、少し荒れているところもあるが歩くのに全く問題はない。
鎖場を過ぎ、その後何回か現れる橋にて右岸、左岸と渡り返すことが続く。
やがて、道は一旦 右岸に渡るが、すぐに左岸に渡り返して暫く進むと、前方 樹林越しに車が見えてくる。
最後に橋をもう一度渡って右岸に至れば、そこは谷太郎林道の終点にある駐車場であった。時刻は 12時20分。しかし、ここからの林道歩きも長い。傍らの標識には 『 煤ヶ谷バス停 3.0km 』 とある。
林道を黙々と進む。この辺はマス釣り場になっているようである。
やがて民家が見えてくるとトイレが現れ、その先で清川リバーランドを過ぎると、やがて今朝の道に戻り着き、12時53分に県道64号線に合流したのだった。
県道を右に進み、駐車場を目差す。途中、右手を仰ぎ見れば、今朝ほど見えた尾根が今も真っ白というか灰色の状態のままで見えている。 こちらには雪が全く無いのに、あの尾根上は雪だらけ、そのギャップが面白い。
駐車場到着は 12時57分。今朝ほどは 2台 (それも公用車) しか駐まっていなかった駐車場は、今は 20台くらいの車が駐まっている。 隣に道の駅があるためである。本日は、長年の積み残しを解決すべく大山三峰山に登ったが、 天候は今一つであったものの、雪に恵まれての楽しい山行となった。
1,000mに満たない低山ではあるが、どうしてどうして、鎖場の連続、そしてそこに雪があり、少々スリルもあって侮れない山であった。
予てから気になっていた鉢伏山  2016.3 記
2月10日に杓子山に登った後、寒暖の差が大きい日が続いたためか、風邪気味になり、 加えて花粉症の症状が出始めたことから、コンディション最悪の状況が暫く続くことになる。
この間、今年登った山々 (丹沢山塊、三ツ峠山、杓子山) の雪はドンドン融けて最早 雪山という状況ではなくなってしまったようで、 今後は雪を楽しめる山選びに苦労しそうである。
と思っていたら、ヤマレコに鉢伏山に登った記録がアップされ、しかも登山基地となる牛伏寺 (ごふくじ) まではノーマルタイヤでも行けそうだ ということが分かったので早速登ることにする。この鉢伏山は同じ形をした鉢盛山とともに、八ヶ岳や北アルプスの山に登るたびに目に入ることが多く、 また昨年登った美ヶ原からもよく見えたことで、少々気になる山であった。
そして、昨年 鉢盛山に登ったことで、次は鉢伏山と思って調べてみたところ、何と頂上直下まで車が入るとのことではないか。 それではとても登る気にはなれず、雪で車が入れなくなる時期を待つことにしたのであった。
そして、今がその時期なのだが、一方で周辺に雪が多いと小生の車ではアプローチが難しいため、登るタイミングがなかなか掴めないでいたのだが、 漸くチャンス到来となった次第である。2月27日(土)、5時に自宅を出発する。空には星が瞬き、本日は快晴のようだ (尤も、現地は150km先だが・・・)。
横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCT−圏央道−八王子JCTを経て中央道に入る。思った通り本日は快晴で、南アルプスの山々、 特に甲斐駒ヶ岳が朝日を浴びて美しい。
岡谷JCTからは長野自動車道に入り塩尻ICを目差す。今度は北アルプスが見えるのを楽しみにしていたのだが、 山は薄いベールを被ったようにぼやけている。春霞かと思ったが、車載の温度計は マイナス1℃を示しているので 昼夜の温度差はそれ程ないはずである。この後どうなるのだろうと思いつつ塩尻ICで高速を下り、国道20号線を西へと進む。すぐの桟敷の交差点にて右折し、県道63号線を北上する。 やがて南内田立石にて右折するが、道は県道63号線のままである。さらに暫く進んで行くと、右が牛伏寺であることを示す道路案内標識が現れ、 さらには 『 → 牛伏寺駐車場 』 と書かれた看板が出てくるので、そこを右折する。
暫く進むと道は二股に分かれるが、牛伏寺は左で、そこには案内板が立てられている。静山荘を過ぎ、林の中を進んで行くと、 やがて牛伏川に架かる橋を渡って川沿いを進むようになる。
左手に牛伏寺の石門を見て暫く進むと、道は川と分かれてヘアピンカーブにて左手の斜面を登っていく。
もう 1つヘアピンカーブを過ぎると、やがて前方に石垣のような法面が現れ、行き止まりのような錯覚を覚えるが、 実はここが登山口のある駐車場である。道は緩やかに右に曲がっており、左側が広いスペースになっているのである。
時刻は 7時31分。駐車場には千葉ナンバーの車が駐まっていたので、どうやら先行者がいるようである。身支度をして 7時38分に出発。
駐車場の左奥から山に取り付くことになるが、そこには 『 鉢伏山 5.7km 』 と書かれた標識が立っている。
道はいきなり急坂を登ることになり、しかも足下には落ち葉が敷き詰められていて少々滑りやすい。そのためか、お助けロープが設置されている。 しかしその距離はそれ程長くはなく、先の方に獣よけの金網柵が見えてくると徐々に傾斜が緩み始め、その後、道はその柵の右側を進むようになる。
道がほぼ平らになると、やがて左側の柵が直角に曲って道を横切った後、さらに直角に曲がって先へと続くようになる。
その道を塞いでいる部分がゲートになっているので、チェーンを外して潜り、今度は柵を右側に見ながら進む。
やがて、柵は右へと曲がっていき、道もそれに伴って右へと曲がる。
途中、倒木が道を塞ぐ所もあるが何とか通り抜けて進んで行くと、柵は左へと曲がった後、再び右へと曲がる。この時点で柵は左から右へと下る斜面を横切るようになっており、 道はやがて柵と離れて左側斜面を登るようになる。
溝状になった所が道と思われたのでそこを進もうとしたところ、少し先で溝は倒木に塞がれてしまっている。仕方なく、その溝を横切ってさらに先へと進み、 薄い踏み跡を見つけて斜面を登り、ようやく塞がれていた溝の上部に登り着く。
この辺は薄い踏み跡が多くあり、少々迷うところでもある。
溝の上部に出ると、溝から少し離れた場所にペンキ印を見つけてホッとする。ここからはピンクテープ、赤ペンキが頻繁に続くようになり、 さらには鉢伏山を示す標識も現れる。
しかし、できれば先程の柵から離れて斜面を登るようになる所に目印を付けて欲しいものである。ミズナラなどが多く見られる樹林帯の中、目印を追ってドンドン進む。 この辺は道も明瞭、加えて傾斜も緩やかである。
落ち葉を踏みしめながらピンクテープや赤ペンキを追っていくと、やがて道は右に下る斜面を横切って進むようになる。その途中、 送電鉄塔の番号を表す 『 信濃東信線 No.38、No.39 』 と書かれた標識が見えてきたかと思うと、 登山道左手の斜面に赤ペンキで 『 ← 入口 』 とか 『 ← ムライ入口 』 と書かれた木が数本現れる。
そして、そちらの斜面を見上げると、赤ペンキ印やピンクテープが続いているのだが、方向的に少々おかしい。
一方で、今歩いている道の前方を見ると、そこに 1本だけ生えている白樺に赤テープが二重に巻いてあるのが見える。
かなり迷ったが、基本的に東に進むのが正しいと考え、そのまま真っ直ぐ進むことにする。これが正解であった。やがて右下の谷の部分が詰まってきた所で、道は右に曲がって右の尾根へと進んでいく。 この辺も道は明瞭であるが、一方で倒木が五月蝿いところが頻繁に出てくる。
小さなアップダウンを繰り返しながら進んでいくと、やがて雪の斜面のトラバースが現れる。
少し足を踏み入れてみると、雪は結構 固い。アイゼン無しでも行けそうな気がしたが、滑ってしまえば左下へと転落してしまう。 どうしようかと迷っていると、前方から犬を連れた方がやって来た。
斜面を横切る道は狭いため、こちら側で待つことにしたが、その間を利用してチェーンスパイクを装着することにする。
やって来た方とは簡単な挨拶しか交わさなかったのだが、登山者のようには見えなかったので千葉ナンバーの車の方とは違うようである。 と思っていたら、右の斜面上部から猟銃を担いだ方が下ってきた。その後 2人は話をしていたので、やはり地元の方だったようである。固い雪の上を進む。やはりチェーンスパイクがあると安心である。 意外と長いトラバースを過ぎ、朝日を正面に見ながら斜面を登っていくと、また足下に雪が全く見られなくなったため、仕方なくチェーンスパイクを外す。
雪のない落ち葉の道を黙々と登っていくと、久々に鉢伏山を示す標識が現れ、その少し先で道はヤセ尾根に変わり、少し進むと急登になる。 ここにもお助けロープが設置されている。
急登を終えると道は再び緩やかな登りとなって、周辺にはササ、そして残雪が見られるようになる。
そして、途中から完全に雪の斜面になるが、アイゼン等は不要である。
雪の斜面が終わると、雪も無くなって道は少し下りに入る。下った所からは フランス式階段工経由にて牛伏寺へと至る道が右に分岐している。 時刻は 9時18分。
そしてそこから少し進めばブナノキ権現で、ここには大きなブナノキがあり、その根元に石碑が 2つ置かれている。このブナノキ権現からはコメツガの林の縁を登っていく。日が当たりにくいためか、足下には凍結した雪が残っている。
踏み場所を考えながら登り、やがて林を抜けると、車道に飛び出すことになる。漸く高ボッチから続く車道に合流である。時刻は 9時25分。 但し、登山道は車道まで進まずにその手前を左に曲がることになる。
雪の残るササ原を進んで行くと、再び車道の縁に飛び出すが、すぐにまた林の中に入る。こういうパターンがこの後も続くが、 4回目に車道に飛び出した所で前方に鉢伏山が見えたことから、そちらに気をとられて登山道への取り付き口を見落としてしまう。
ここから見える鉢伏山は逆光気味であり、しかもその左側は木々に隠れて右側 3/4程しか見えないが、その丸い山頂部分はしっかりと確認できる。 しかし、驚いたのは山が結構 高く見え、しかもかなり距離があるということである。雪の積もっている車道を進む。この辺の車道にはまだ多くの雪が残っているが、驚いたことにその上に車の轍がある。 ここのルートは通行止めと聞いたが、轍は結構 新しい。
雪の道も 2つ程カーブミラーを過ぎると、アスファルト部分が断然多くなる。
さらにはその先で標識と登山道の出口 (入口) が現れたので、登山道を見落としていたことに気がついたのだった。
暫く雪の無い車道を登っていくと、再び鉢伏山の右側 3/4が見えるようになり、さらには鉢伏山の右手下方に諏訪湖も見えてくる。 しかし、春霞がかかったように今一つハッキリしない。
そして、次のカーブを曲がると、鉢伏山のほぼ全体が見えるようになるとともに、そこに至るまでの車道が見通せるようになり、 さらには鉢伏山荘らしき建物も確認できるようになる。
直線的に見た鉢伏山でもかなり距離があると思ったのだが、道の方は左手からグルッと回っており、しかも道は途中にある高みの山襞を忠実に辿っているので、 まだまだ先が長いことを思い知る。また、鉢伏山の右手を見れば、高ボッチと高ボッチ高原に立つ電波塔が見えている。 こちらも霞み気味で、本来ならば、その右側に見えるはずの北アルプスの山々は全く見ることができない。
車道はやがて斜面の縁を進むようになり、かなり強い風が吹き抜けるようになる。周囲の雰囲気は春霞みがかかったようであるが、吹く風はまだ冷たい。
やがて、登山道に入るテープを見つけたので道路左手の斜面に入る。確かに道路を歩くよりはこちらの方が歩き易い。
しかし、再び車道に下りた後は車道歩きが続く。左手に高みはあるが、そこには 『 立入禁止 』 の標示板が立っている。
今は、車が走っていないから良いが、車の乗り入れが可能な時期にこの車道を歩くのは少々怖かろう。アスファルトの割合が大きかった車道も、やがて完全に雪に覆われるようになる。
固く締まった雪の上を進んでいくと、『 鉢伏山 1.0km 』 と書かれた標識が現れる。時刻は 10時4分。
この頃になると、饅頭型をした鉢伏山の全容が見えるようになるが、斜面に草が目立っており、雪は少ないようである。
振り返れば、辿ってきた車道のガードレールが草地の斜面を横切る雪道のようである。
また、その後方に市街地の広がりがうっすらと確認できるが、見える範囲は非常に狭く、市街地の後方部分は靄の中に消えてしまっており、 ましてや北アルプスの山々は全く見ることができない。
先日の杓子山では、かなり距離があるにも拘わらず南アルプスがよく見えたのだが、その半分程の距離しかなく、 すぐそばにあるはずの山が全く見えない。残念だがこれも登山、晴れているだけでもありがたいと思うべきであろう。左手の高みを回り込んで左に大きく曲がっていくと、先程まで遠くに見えていた鉢伏山荘がかなり近づいてきている。
その鉢伏山荘の横を 10時11分に通過。そのまま真っ直ぐ進む。山荘の横からは砂利道に変わり、そこに雪は無い。
少し進むと十字路にぶつかり、右は鉢伏山、左は前鉢伏山、そして真っ直ぐ進めば扉温泉登山口となる。
右に道を取り、遊歩道のような道を緩やかに登っていく。すぐに左手に美ヶ原が見えてくるが、霞み気味ではあるものの、 その平らな台地の存在感には少しビックリさせられる。
冷たい風に吹かれつつ遊歩道を登っていくと、やがて足下に雪が目立ち始め、暫く進むと、足下がアイスバーンとなる。
チェーンスパイクを装着するのも面倒なので、雪の上ということでご容赦戴いて道を外れ、雪の斜面を進む。
左手を見れば、この鉢伏山から二ツ山を経て繋がっている三峰山がなかなか貫禄ある姿を見せている。
そして、この鉢伏山の左手を見ると、スノーシューを履いた方が二ツ山方面へと進んでいるのが確認できる。あの方が恐らく千葉ナンバーの車の主であろう。道をショートカットするように雪の斜面を登り、再び遊歩道に戻ると、 ここからは雪道が続く。
緩やかな傾斜の道であるが、それがほぼ平らになってくると、道の左手に三角点が現れ、傍らには 『 鉢伏山頂上 』 と書かれた手作りの標識も立っている。 時刻は 10時31分。
この頂上は広い高原になっており、現在は雪よりもササ原の方が目立っているが、全面 雪の原の時に来ればさぞ気持ちよいことであろう。 また、その頂上の広がりの向こうに南、中央、北のアルプスが見えればさらに嬉しいところであるが、今は全く何も見えない。三角点を踏んだ後はさらに先へと進む。
ササ原の向こうには鳥居と展望台が見えている。鳥居は鉢伏神社で、雨乞いの神として鉢伏大権現が祀られている。
まずは神社に立ち寄ることにして、道を外れ一旦戻るようにして鳥居を潜ると、そこには石祠が置かれていた。
石祠は西を向いていて、松本市を見下ろしているかのようである。もしかしたら乗鞍岳を見ているのかも知れない。
無事に登頂できたお礼をした後、遊歩道へと戻る。そこから少し下れば展望台で、その周囲にはベンチも置かれている。 しかし、休もうにも風が強く冷たい。時刻は 10時35分。展望もないので展望台には登らずに周囲を見渡す。
南の方角には諏訪湖の湖面がボンヤリ見え、その右手には高ボッチが見えているが、展望はほぼそれだけである。
展望台を風除けにして少々休憩した後、10時44分に往路を戻る。
途中、右手に祠が見え、ここに石造物群があったことを思い出す。周囲を見渡していなければ見落とすところであった。
右に少し進んで 石造物が固まって置かれている場所に到着。面白いことに、10基を越えるこれらの石造物は 先程の鉢伏神社の祠とは違って、 皆 岡谷市の方を向いている。諏訪湖あるいは富士山を見ているのかもしれない。石造物群を後にして遊歩道に戻る。平らな台地の向こうに美ヶ原が浮かび上がっている。
下る途中、右手に展望台のような高みが見えたので、そちらに登ってみる。丸太の階段を登り切ると、目の前に美ヶ原が大きく、その右に茶臼山、 そして三峰山、二ツ山、霧ヶ峰などの山々が薄ボンヤリと見えている。
先程の分岐には 11時3分に到着。登って来た車道は左であるが、ここは前鉢伏山に向かうべく真っ直ぐ進む。
こちらの道はほぼ雪に覆われているが、量は少ない。右手前方には前鉢伏山がしっかり見えている。雪を楽しみながら進んでいくと、『 第一種特別保護地域 遊歩道以外立入禁止 』 と書かれた看板があり、 その脇から雪に覆われたササ原の中に入っていく。
道はササ原の中を進み、緩やかに登っていく。最初、周囲に雪が多いものの、途中からササ原の割合が多くなり、 仕舞いには道のみが雪に覆われている状態になる。
また、ササ原には矮性化したカラマツが疎らに生えており、この辺の風の強さを物語っている。
やがて先の方に少し雪が見えてくると、そこは三角点のある前鉢伏山の頂上であった。時刻は 11時15分。
ここからはすぐ下に松本市街地が望める他、美ヶ原も見えているが、やはり北アルプスは全く見えない。
振り返れば、先程その頂上を踏んだ鉢伏山が見えている。すぐに来た道を戻り、扉温泉、鉢伏山の分岐には 11時30分に戻り着く。
右に道をとり、鉢伏山荘の横を通って車道を下る。この復路では見落とすこと無く登山道を全て歩き、 牛伏寺への道の取り付き口には 12時4分に戻り着く。
そしてブナノキ権現を 12時7分に通過し、その先の分岐からは左に道を取って フランス式階段工経由にて牛伏寺を目差す。 このコースは牛伏寺まで 3.4kmとのことで、今朝ほどの道より 0.5km程長い。
この道の出だしは良く整備されているものの、尾根を越えて谷側に入る頃から少し荒れ気味になる。しかし道は明瞭であり、足下の雪も疎らであるため、 問題なく進んで行ける。
道はやがて鯉のぼり (真鯉1匹) が泳いでいる台地状の所に下り着く。時刻は 12時14分。
傍らにある手書きの標識には 『 地獄谷石切り場 』 とある。ここは西側の展望が開けており、松本カントリークラブと思しきゴルフ場と市街地がうっすらと見えている。なかなか見応えのあるシナノキを所々に見ながら落ち葉の斜面を下る。
途中 ロープが道の脇に張られていたりするが、この辺は歩きやすい。
しかし、『 牛伏寺 3.1km 』 の標識を見て斜面をジグザグに下るようになると、すぐに斜面は雪の道に変わる。
雪は凍ってはいないものの少し固く、急斜面を横切って下るので、再びチェーンスパイクを装着する。
途中、雪が全く無い場所もあったものの、その先で再び雪の斜面となり、チェーンスパイクがその効力を発揮する。
『 牛伏寺 2.7km 』 の標識を見てからは少々道が荒れ始め、朽ちかけたような丸太の階段、そして雪、さらには倒木が多く見られるようになる。
やがて、瀬音が聞こえるようになったかと思うと、左下に細い流れが現れる。そして川筋がハッキリ見えるようになると、周囲の雪は無くなり、 川に沿った日当たりの良い斜面を横切る道が続くようになる。ここでチェーンスパイクを外す。『 牛伏寺 2.4km 』 の標識を 12時53分に通過。傍らには 『 地獄谷 → 』 という標識もあったので、 地獄谷を通過し終えたようである。
また、川の流れを見ると、川底には石が敷き詰められている。この川の下流には、重要文化財となっている フランス式階段工という土砂崩れなどを防ぐためにつくられた砂防用の施設があり、 そこの川床も石が敷き詰められていると聞くが、それはこのような上流から既に行われているようである。
さて、ここまでは倒木が道を塞ぐことはあっても難なくクリアできていたのだが、地獄谷を過ぎると逆に地獄が始まる。
まずは川に沿って下って行くと、登山道、並びに川を 3本の大きな倒木が完全に塞いでしまっている。塞がれた道の右側は石垣になっていてその上にも倒木が多くあるため、 とても抜けられそうもない。
右岸がだめならと考え、川を越えて (川幅は狭い) 左岸に渡り、倒木を踏み越え、枝を掻き分けて何とか通り抜ける。
この倒木の先には木橋があり、丁度道は右岸から左岸に移るところだったので、すぐに正規の道に飛び出す。しかしこれはまだ序の口。この後も次々に試練が現れる。
少し進むと、小さな滝の所で、今度は 5、6本の倒木によって道が完全に塞がれる。それぞれの倒木の枝が絡まり合っており、 バリケード封鎖のようである。右岸はと見ると、斜面が崩れてしまっていてそちらを通るのは危険。
仕方なく倒木を越えることにするが、これが思った以上に幅と量があって厳しい。小さな枝が多くあり、それがかなり邪魔をして苦労するが、 何とか通り抜ける。
その先でまた木橋が現れたので、再び右岸に渡り返す。ここからは暫く道を邪魔するものがなく順調に下る。
また、この辺からは川の左右どちらにも道らしきものが現れて不思議に思う。
やがて、また倒木が道を塞いでいたため、川を越えて左岸に渡りさらに下って行くと、再び木橋が現れる。その橋を渡った所に分岐があり、 そこに 『 左右のどっちを登っても 150m先で合流。歩行は、橋を渡る右道の方が楽です。ハイ。 』 との標示板が立っていたので、 両岸に道があることに納得する。右岸を進み、『 牛伏寺2.0km 』 の標識を 13時15分に通過。
足下に再び雪が現れたものの、それなりに歩いて行けるので、試練ももう終わりと思っていたらとんでもなかった。
道の右側に獣よけの柵が現れ、その柵が倒木によって押しつぶされて、倒木とともに完全に道を塞いでいるのである。
柵の内側に入ろうにも柵が邪魔をして入れず、左岸の方も倒木があり通れる状況ではない。完全に煮詰まってしまったが、暫し考え、 唯一通れる可能性のありそうな川の縁を進むことにする。
2m程下の川の縁に何とか下りたものの、こちらも倒木が五月蝿い。それでも何とか進み、倒木帯を迂回して再び右岸に登る。 しかし、倒木はさらに先にも現れ、結局、再び川の縁に戻ることになる。
そして、完全に倒木が無くなったところで右岸に戻ったのだったが、結構 疲れてしまった。このように大変苦労したが、漸く試練も終わったようで、 そこから少し下って行くと前方に小屋が見えてきてホッとする。
小屋は長野県松本建設事務所であり 13時29分に到着。ここからはコンクリート道になるが、この道でも倒木が所々で邪魔をする。 その後、川を渡ってすぐに渡り返し、さらにもう一度渡って左岸を進む。
右岸にキャンプ場が見える頃になると、道の状態もやや落ち着き、観光客の姿をチラホラ見かけるようになる。
そしてその人たちのお目当てである フランス式階段工が現れる。先程までの川に、人力によって自然石を積み上げた階段状の水路が造られており、 それが延長 141メートル、19段の段差となって続いているのである。
人工物にはあまり興味がないのだが、この階段流路が 100年前に、しかも人力だけで作られたにも拘わらず、今もその役割を十分果たしており、 しかも自然と調和していることに驚かされる。やがて道は観光者用の駐車場を過ぎ、橋を渡った所から完全に車道となる。
車道は全く問題ないが、驚くのは右手の斜面、そして左手の牛伏川周辺に多くの倒木が見られることである。
思えば、登り始めからここまでかなりの倒木を見てきている。今年はそれ程雪が降ってはいないはずなので、地形的に痩せた土地なのかも知れない。
やがて水面が半分凍った牛伏寺砂防ダムを過ぎ、樹林帯に入ると今度は読経の声が聞こえてくる。牛伏寺は近いと思っていると、 前方右手にお堂が現れた。牛堂である。時刻は 13時56分。
折角なので牛伏寺に立ち寄る。状況は省略するが、観音堂、そして萱葺き屋根の如意輪堂などなかなか立派であった。
再び車道へと戻り、駐車場には 14時12分に戻り着く。千葉ナンバーの車はまだ駐まっていたので、 やはり鉢伏山から二ツ山へと向かっていった方が車の主であろう。本日は念願叶って鉢伏山に登ることができて嬉しかったものの、 展望に恵まれなかったのは少々残念である。
そして、荒れた下山路にも苦労させられたが、それはそれで楽しい山行であった。
いつかは鉢伏山と三峰山とを繋ぐ美ヶ原ロングトレイルにも挑戦してみたいところである。
快晴の杓子山・鹿留山  2016.2 記
2月3日(水)に登った三ツ峠山は、天候には恵まれなかったものの、下山時、 いつの間にかバリエーションルートに入り込んでしまい、一寸したスリルを味わうことができて、なかなか楽しい山行であった。
とは言え、折角富士山の好展望地に登ったにも拘わらず、その頂上から富士山を眺めることができなかったのは少々悔しい訳で、早速リベンジを考える。
地図を見ながら、どういうルートで三ツ峠山に登り直そうかと考えていたところ、ふと富士急行線を挟んで三ツ峠山の反対側に杓子山があることに気がついた。 そう言えば、この杓子山も富士山の好展望地であることを思い出し、2回続けて同じ山に登るのも芸がないと考え、すぐに目的地を杓子山に変更する。この杓子山には 18年前に登っており、その時は富士急行線 下吉田駅から歩き、 不動湯経由にて大榷首峠 (おおざすとうげ) から登り、さらに鹿留山の頂上も踏んだ後、立ノ塚峠経由にて下山したのであった。
同じルートを避けるべく、今回は忍野村役場前からスタートし、鳥居地峠、高座山 (たかざすやま)、大榷首峠経由にて登る計画とする。
実はこの鳥居地峠には苦い思い出がある。1989年の 7月、その時も杓子山を目差そうと下吉田駅から歩き出し、 鳥居地峠分岐から鳥居地峠へと向かったところまでは良かったものの、どういう訳か肝心の鳥居地峠を通り過ぎてしまい、 忍野村まで下ってしまったのであった。
結局、杓子山には登れず、辿り着いたところが十二曲峠。そこから石割山を往復しただけで終わってしまったのである。
ということで、今回はおよそ 27年前に辿れなかったルートを登ることになる。2月10日(水)、5時過ぎに自宅を出発。空には雲一つ無く星が瞬いており、 本日は間違いなく快晴のようである。
横浜ICから東名高速道に乗り、いつも通り海老名JCT、圏央道、八王子JCT経由にて中央自動車道へと進み、大月ICを目差す。 前週の三ツ峠山と同じく、今回も大月駅前の駐車場に車を駐め、富士急行線を使用する予定である。
駅前の駐車場には 6時7分に到着。朝食をとり、身支度を調えて、6時22分の始発に乗るべく大月駅に向かう。
富士山駅到着は 7時6分、そして富士山駅発内野行きのバスは 7時10分であるため、富士山駅からすぐ出られるよう一番前の車両に座る。
前回の三ツ峠山と違い、本日は車窓から見える空に雲一つ無い。途中、車掌さんが親切に富士山の見える側の座席を教えてくれる。 富士山は大きく、その後方に雲は全く無く、本日は間違いなく快晴のようである。定刻に富士山駅に到着。前回の三ツ峠山の帰りに富士山駅までバスで戻って来ていたため、 バスの発着所には迷うことなく進むことが出来、無事に 7時10分のバスに乗る。
しかし、定刻にバスは発車したものの、国道138号線に入ると渋滞につかまる。バスを降りてからは自分の足次第で、 時間に制約されるものがある訳では無いのだが、やはり天候の変化を恐れてなるべく早く着きたいという気持ちが強く、少々イライラさせられる。
しかし、その渋滞も忍野入口にて国道138号線と分かれてからは解消され、バスは順調に進んで、役場前には 7時40分に到着する。
下りた場所は忍野小学校と忍野村役場の境目なので、小学校に沿って少し道を戻る。小学校の敷地の角に右に曲がる道があるのでそこを曲り、 また暫く小学校の敷地に沿って進む。
道路上に雪はないものの、周囲の畑は雪で真っ白で、これで前方の山が白かったら雪国の風景である。
この時間帯は小学生、中学生の通学時間となっており、進む方向に中学校があるため、中学生とともに歩道を進む。左手を見れば、雪の原の向こうに富士山が美しい姿を見せている。 富士山はその麓から頂上までしっかりと見えており、また左右の裾野も全部見えていて完璧な姿である。
また、前方を見れば、これから登る高座山が見え、その左手後方には三ツ峠山も見えている。空には雲一つ無く、久々に心が躍り、 途中、何度も立ち止まって写真を撮りまくる。
中学校の脇を抜け、丁字路にぶつかったところで左折。少し進むと、『 忍野窯 』、『 民宿かやの 』 の看板が現れるので、そこから右の道に入る。 時刻は 7時54分。
道なりに進んでいくと、すぐに登り勾配となり、道路は雪に覆われるようになる。足下は車による圧雪・凍結状態なので滑りやすく、慎重に進む。 樹林に囲まれた少々暗い道を暫く進むと、周囲の樹林が切れて明るい場所に飛び出し、そこから少し進めば鳥居地峠であった。時刻は 8時9分。 峠には 2台の車が駐まっている。どうやら先行者がいるようだ。この鳥居地峠からは右に延びている林道に入る。こちらの林道もかなりの雪に覆われているが、 何とその雪の上に新しい轍の跡がある。林道は土手状になっていて狭く、良くもこんな雪道を車で進む気になるなと感心させられる。
しかし、轍は暫く続いていたものの、さすがに雪の量も多くなり、また道幅もさらに狭くなってきた所でギブアップしたようで、 途中の少し広い場所にて Uターンしたようである。
ここからは先行者の足跡を追う。雪は多いが、本日に限らず結構歩かれているのだろう、踏み跡がしっかりついている。
やがて 『 ↑ これより杓子山登山コースです 云々 』 と書かれた標示板が林道脇に現れたところで、林道と分かれて山に取り付く。時刻は 8時22分。左の斜面に取り付き、樹林の尾根を登っていく。勾配は緩やかであり、 日の光も差し込んで、気持ちよく進んでいける。
やがて、左手樹林越しに三ツ峠山や御坂黒岳の姿が見え始めるが、枝が邪魔をしてなかなか見通すことができない。
そして、小さな坂を一登りすると樹林を抜け出してカヤトの原に飛び出す。時刻は 8時29分。
前方には黒々とした木々に覆われているドーム型の高座山が見えており、そこに至る迄の間に気持ちの良いカヤトの斜面が続いている。 この辺は日当たりも良いため雪は少なく、霜柱のできた道が多くなる。緩やかに高度を上げて振り返れば、富士山の姿が遮るもの無く見えている。
左右の裾野もしっかり見え、こちらから富士山の頂上までの間に邪魔になるものは何も無い。こういった光景は毛無山近辺でも見ているのだが、 こちらの方が感激も大きい。富士山との間に人々の営みが見えているからであろうか。
さらに高度を上げて振り返ると、今度は富士山の右側の山々も見えるようになる。
毛無山、タカデッキ、雨ヶ岳が見え、その右後方に南アルプスが見えている。 まず布引山、笊ヶ岳、そして偃松尾山といった黒い山が並び、その後方に白い山々が姿を見せている。
布引山の左後方には上河内岳が少し見え、笊ヶ岳と偃松尾山を結ぶ稜線の後方には聖岳が見えている。
さらに偃松尾山の右後方には赤石岳、そしてその右に荒川前岳、中岳、悪沢岳 (荒川東岳) の荒川三山が見えている。これら南アルプスの山々のさらに手前には、この高座山から続く山々が見えているが、 地図にはその名前が載っていない。帰宅後調べると、忍草山 (しぼくさやま)、権現山などの名前があるようである。
右側が開けた広いカヤトの下り斜面、左側が垣根のように木々が並ぶ尾根を登る。右手のカヤトの斜面にはそこを横切る白き雪の道がいくつも見えているが、 どうやら、先程の林道と繋がっているようである。
右側は見晴らしが良い一方、左側は木々が邪魔でなかなか見通すことができない。それでも御坂黒岳などの御坂山塊の山を時々見ることができる。
緩やかな道も途中から急坂となり、霜柱の足下では少々滑りやすく登りにくい。しかし、高度は一気に上がり、展望もさらに広がるようになる。
右手下方には先程その脇を通って来た小学校、中学校が見えており、それらを含む平地は雪で真っ白で、校庭も雪に埋まっている。不動湯へと下る道を左に分けると、やがて道は 2つに分かれる。
右はカヤトの斜面を横切っていくようであるが、登山道は左の小さな高みへと登っていく。その小さな高みに登りついて振り返れば、 今まで辿ってきたカヤトの尾根、そしてカヤトの斜面につけられた白い道が見えている。
その後方には雪で白くなった忍野村が広がり、さらに後方には黒い樹林帯を挟んで、自衛隊の演習場と思しき原が広がっている。 そして、それらを包み込むように富士山が大きく裾野を広げているのである。暫く緩やかな道が続くが、最後に高座山に向けての急登が待っており、 やや溝状になった急斜面を真っ直ぐ登ることになる。足下に雪はないものの、先にも述べたように霜柱ができており、少し滑りやすい。 まだ朝の寒さで地面も凍り気味なので未だ良いが、暖かくなってきたら、登りも下りもかなり苦労しそうである。
そのためか、ここにはロープが置かれている。そのロープに頼らずに何とか急斜面を登っていくと、周囲に木々が見られるようになり、 そこを抜けた所が高座山頂上であった。時刻は 9時8分。
ここには四等三角点が置かれており、振り返れば少々木々が邪魔ではあるものの富士山を見ることができる。
頂上は狭く、富士山以外には木々の間から富士吉田の市街地が少し見えるだけである。道はこの山頂を真っ直ぐ進むことになる。休まずに通過しようとしたところ、 ここからの下り斜面は先程までと違って完全に雪に覆われている。雪の量も多いようであり、この先軽アイゼンが必要になった場合、 雪の上では装着しにくいと考え、この頂上でチェーンスパイクを装着する。ついでに少々休憩し、9時16分に出発、雪の斜面を下る。
雪は 20センチ程であり、先行者の足跡はあるものの、所々で踏み抜く場所も出てくる。
傾斜は一旦緩やかになり、細い尾根の樹林帯歩きが続く。足下の雪はこの辺でも 20センチほど、サラサラしており楽しみながら歩いて行ける。
前方を見れば、木々の向こうに高みが見えている。小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていく。 左手樹林越しに三ツ峠山が見えているが、ここでも枝が邪魔をして見通すことができない。
やがて、目の前の小さな高みに登り着くと、展望が開ける。この高みの下方には鉄塔があり、その後方に山が見えている。 あれが杓子山かと思ったが、地図を見ると杓子山に続く尾根の一部ではあるものの杓子山ではないようである。
一旦下り、鉄塔の真下を通る。その鉄塔に至る迄、そして鉄塔を抜けてからの登りも少し痩せた尾根が続くので油断は禁物である。
鉄塔を抜けて岩場の登りに入ると、展望がグッと広がる。今まで見えなかった悪沢岳より右側の南アルプスの山々が見えるようになり、 合わせて御坂山塊もしっかりと見えるようになる。
杓子山から西に派生していると思しき尾根の後方に三ツ峠山が見え、そこから霜山、天上山へと続く府戸尾 (太い尾根という意味らしい) の尾根が左に下っている。
府戸尾の後方には御坂山が見え、そこから左に御坂黒岳、破風山、中藤山 (なかっとうやま)、不逢山 (あわずやま)、金掘山、 節刀ヶ岳、十二ヶ岳、鬼ヶ岳、鍵掛、王岳とお馴染みの山が続いている。そしてそれら御坂山塊の後方には南アルプスの山々が並ぶ。
不逢山の後方には鳳凰三山、そしてその左に辻山が並び、辻山の左後方には仙丈ヶ岳が雲に隠れつつも確認できる。
仙丈ヶ岳の左には北岳、そしてその頂上付近が少し雲に覆われた間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳が続く。そのさらに左の広河内岳は雲に隠れているが、 その先の白河内岳、黒河内岳 (笹山)、そして塩見岳、蝙蝠岳は確認することができる。
蝙蝠岳のさらに左側には小河内岳、そして悪沢岳が続き、その後に先程高座山への登りで見えた赤石岳、聖岳などの山々が続いている。
無論、富士山も見えているが、目の前の鉄塔が邪魔で、むしろ富士山の手前に見えているドーム型の高座山が目立っている。 素晴らしい景色に見とれ、5分程時間を費やす。ここからも痩せた尾根歩きが暫く続き、小さな岩場を通り越して下りに入ると安定した尾根が続くようになる。
道は再び登りになり、気持ちの良い雪の斜面を登っていく。しかし、折角登り着いた高みではあるが、道はそこから下りに入る。
下り着いた所が大榷首峠で、時刻は 10時丁度。ここから左に下れば不動湯に至り、18年前に登って来た道となる。
大榷首峠からは暫く林道のような平らな道が続き、林道途中から右の斜面に取り付くことになる。なお、林道の右手にはモノレール軌道があったが、 この上にあるハングライダーの離陸デッキまで荷物を運び上げるためのものらしい。
斜面に取り付いて一登りすると、そのハングライダーの離陸デッキで、ここからの眺めも素晴らしく、富士山をしっかりと見ることができる。
また、風向きを見るためであろう、デッキの横には小さな緋鯉がポールに取り付けられている。風向きはかなり変化しているらしく、 緋鯉はクルクル向きを変えながら泳いでいる。その離陸デッキを過ぎると、道は松林の斜面を真っ直ぐに登っていくことになる。
さほどの急登では無いが、歩き始めてから 2時間半を過ぎているので、少々疲れが出始める。暫く登ると、道は左に曲がり、 日当たりの良い斜面をジグザグに登っていくようになる。イメージ的には梅園の斜面をジグザグに登るという感じで、 あまり背の高くない木々が斜面に疎らに生えた中を進む。
この斜面は南西を向いているため、日当たりが良く、泥の道が続くようになる。仕方なくチェーンスパイクを外す。
また、ジグザグの振幅は大きく、従って勾配はかなり緩やかである。ここからも富士山がよく見えているが、時刻は 10時半になろうとしているにも拘わらず、 富士山の後方、そしてこちらの上空に雲一つ無い。
また、富士山の左には愛鷹山も見えるようになり、その手前には山中湖も少し見えている。日当たりの良い斜面歩きも終わり、足下には再び雪が出てきたのでチェーンスパイクを装着する。 軽アイゼンに比べて簡単に着脱ができるのがありがたい。
ここからは雪に覆われた斜面をほぼ真っ直ぐに登っていく。右手樹林越しには大洞山、鉄砲木ノ頭などの山々が見え、 その後方には神山、金時山、明神ヶ岳などの箱根の山も見えている。
周囲に灌木が目立ち始め、足下にササが現れるようになると、やがて斜面の先に青空が見えてくる。
少し岩がゴロゴロした斜面を登り、周囲の木々がなくなると、ヒョイと杓子山の頂上に飛び出す。時刻は 10時42分。雪に覆われた頂上には三等三角点の他、祠、そして数個の山頂標識がある他、 いくつかのテーブルとベンチ、そして 『 天空の鐘 』 と名が付いた鐘が置かれている。誰もいなければ、鐘を鳴らしても良かったのだが、 先行していたカップルが休んでおられたのでここは自粛する。
ベンチに腰を下ろして暫し休憩。食事をして腹を満たした後は周囲の展望を堪能する。
ここからは、鹿留山方面と三ツ峠山方面に少し木が五月蝿いだけで、ほぼ 360度の大展望を得ることができる。
まず東の方向には子ノ神と呼ばれる高みとその左後方に鹿留山が見えている。こちらから見る子ノ神はなかなか立派で、 地図で確認するまで子ノ神が鹿留山と思っていた程である (昔の記憶などスッカリ飛んでしまっている)。
鹿留山の左後方には奥多摩の山々が並ぶ。奥多摩方面の山はあまり馴染みがないのだが、帰宅後調べると、 陣馬山、高岩山、醍醐丸、連行峰、生藤山、熊倉山といった並びのようである。
また、それらの山々の手前には倉岳山、高畑山、大桑山といった道志山塊の山が並んでいる。熊倉山のさらに左には大岳山、権現山、御前山、三頭山といった山々が見えているが、 こちらもあまり馴染みがなく、同定に苦戦する。
三頭山の左からは漸くお馴染みの山々が登場し始める。まずは鷹ノ巣山が見え、その左に日陰名栗山、高丸山、七ツ石山と続いて雲取山へと至っている。 雲取山の左手前には、雁ヶ腹摺山、黒岳 (小金沢連嶺) が並び、その左後方にそれぞれ飛竜山、大菩薩嶺が見えている。
そして大菩薩嶺の左側後方からは水晶山、雁坂嶺、破風山、木賊山、甲武信ヶ岳、ミズシ、富士見、東梓といった奥秩父の主稜が続き、 東梓の左手前に黒金山を挟んだ後、その主稜はさらに国師ヶ岳、北奥千丈岳、朝日岳、鉄山と続いて金峰山へと至っている。
また、黒岳の左から手前の方にハマイバ丸、大谷ヶ丸といった南大菩薩の山々が延びてきている。
金峰山の手前には本社ヶ丸、清八山が見えており、その左側は木々で隠されてしまうが、すぐに三ツ峠山が見えてくる。三ツ峠山の左後方からは、先に鉄塔付近の岩場で見たように御坂山から王岳に至る山が見えており、 そのさらに左に三方分山、パノラマ台、烏帽子岳が続いている。
その御坂山塊にある破風山の左後方からは南アルプスが始まっている。まず、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山、辻山が前に並び、 辻山の後方から仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳、広河内岳、白河内岳、黒河内岳といった山々が続く。
さらには塩見岳、蝙蝠岳、小河内岳、そして悪沢岳、荒川中岳、前岳と続いた後、小赤石岳、赤石岳、聖岳、上河内岳といった山々が姿を見せている。
そして、その白き山の前に別当代山、偃松尾山、笊ヶ岳、布引山、稲又山、青薙山などの黒き山が並ぶ。
青薙山の左後方にも白き山が見えるが、もしかしたら光岳なのかもしれない。
この南アルプスの山々は、途中、その手前にあるタカデッキ、毛無山に隠されるが、毛無山の左にその続きが見えており、 そこに大無間山も確認することができる。南アルプスが終わると、富士山が大きく裾野を広げており、改めてその美しさに魅入ってしまう。
富士山の左には愛鷹山が見え、さらに神山、金時山、明神ヶ岳などの箱根の山が続いている。
また、愛鷹山と箱根の山の後方にはうっすらと天城山も確認できる。
そして明神ヶ岳の左手前に石割山が見え、さらにその左側、360度の展望の終わりには丹沢の塔ノ岳も見えている。展望を大いに楽しんだ後、鹿留山へと向かう。時刻は 11時2分。
ありがたいことに、雪の斜面にはつけられたばかりの足跡がある。
杓子岳からは一旦下った後、小さなアップダウンを繰り返す。
この辺は雪の量が多く、尾根もそれなりの幅があるので、スノーシューでも面白いと思っていたら、実際にスノーシューを履いた方に出会う。 聞けば石割山から縦走してきたとのことで、グルッと一回りするようである。
先行者ならびにその方がつけられたスノーシューの跡を辿る。やがて、前方に子ノ神が見えてくるが、まだ結構遠い。
途中、展望の良い岩場に立つと、富士山、南アルプスの他、先程までいた杓子山がよく見える。 頂上に居たカップルはまだそこに留まっているようである。
この岩場を過ぎてから、目の前の子ノ神への登りとなる。一旦少し下った後、登り返すのだが、途中足を踏み抜くこともあり、 かなりキツク感じられる。11時40分に子ノ神の一角に登り着くが、ここには標識など見当たらない。
暫くほぼ平らな頂上を進み、下りに入ると下方に人がいる。そこは立ノ塚峠へと下る分岐点であり、少し言葉を交わす。
聞けば、杓子山からの先行者はこの方だったようで、たった今、鹿留山を往復してきたとのことであったが、 この分岐から鹿留山までの間に踏み跡は無く、雪に大変苦労したとのことであった。これから進む小生としては大変ありがたい。
11時46分、分岐から鹿留山へと進む。確かにここからは雪が多くなり、その人の苦労の跡が見て取れる。
膝下の雪を蹴散らしながら進むが、途中、ミニ雪庇などもあり、また左右に落ち込む急斜面もあって、慎重に進む。
そして、11時59分、鹿留山頂上に到着。山頂にある大きなブナの木は記憶通りであった。山頂は樹林に囲まれ展望は無いものの、静かで雰囲気の良い場所である。
なお、ここには三角点もあるはずだが、今は完全に雪の下であった。
すぐに山頂を後にする。途中、樹林越しに御正体山が見えたが、往路では足下に気をとられていて、気づかなかったようである。 分岐には 12時14分に戻り着き、左に道をとって立ノ塚峠を目差す。
本当はもう一度杓子山まで戻り、そこから不動湯を目差すつもりであったのだが、少々億劫になって立ノ塚峠に下ることにした次第。
ここからは急斜面の下りが待っており、所々にロープも設置されている。また、途中からは岩場の下りとなり、雪がほとんどないため、 チェーンスパイクを外して下る。ここは急斜面の後少し平らになり、また急斜面というパターンが続く。
途中、右手の展望が開け、富士山がよく見える。午後になっても雲一つ無く、本当に本日は良い天気である。暫く下って行くと、先の方でガサゴソ音がする。何事かと見ると、 まだ子供と思われるカモシカが木の陰からこちらをずっと見ていたのだった。
ほぼ雪の無い斜面の下りが続くが、傾斜が緩やかになり、広い尾根に立つようになると再び雪が現れ出す。 雪は凍っていないのでチェーンスパイクを装着せずにそのまま下り続ける。
暫くほぼ平らに近い尾根道が続いた後、再び斜面の下りに入るが、こちらは至って普通の斜面であり、 岩場など無いのでドンドン下って行くことができる。
再び傾斜が緩やかになり、土手のような道を進むようになるとやがて立ノ塚峠に到着。時刻は 13時10分。ここから右に道を取り、林道のような雪道を下る。 最初は明るい斜面を下るが、途中から展望の無い樹林帯を進むようになる。勾配は無くなっているものの、足下の雪は結構あり、 踏み抜くことが多くなる。途中から轍の跡が現れたので助かったが、踏み抜きが続いていたらかなり体力を消費したことであろう。
長い林道歩きもやがて広い道路に出る。正面には富士山が大きいが、この時間は逆光になっており、少々見にくい。ここからも暫く車道歩きが続くが、養鶏場の脇を通る頃には内野の集落に入る。
振り返れば高座山、杓子山、子ノ神と続く稜線が青空に浮かんでいる。
正面に富士山を見ながら進み、内野のバス停には 14時5分に到着。
バス停は少し離れて 2つあったが、1つは全く本数が少なく、スーパーの向かい側にあるバス停の方は 13時59分にバスが出たばかり。 次は 14時59分と言うことで、かなり待たねばならないと覚悟していたところ、何と 14時10分過ぎにバスがやって来たのであった。 遅れていたようである。
バスは貸切状態で、14時28分に富士山駅に到着 (バスは河口湖駅行) し、うまい具合に 14時33分の大月行きに乗ることができたのだった。18年ぶりに杓子山、鹿留山に登ったが、好天に恵まれ、 雪も部分的に豊富で、楽しい 1日を過ごすことができた。
三ツ峠山でのスリルも良いが、やはりノンビリと何の憂いもなく楽しめる登山も素晴らしい。
一寸したスリルの三ツ峠山  2016.2 記
1月27日(水)に大山に登り、3回連続の丹沢となったが、こうなると丹沢以外の山にも登りたくなってくる。
とは言え、ノーマルタイヤの車では山へアプローチ範囲が狭く、山選びに苦労する。
そんな中、昨年の瑞牆山 カンマンボロン、年初の塔ノ岳 尊仏岩跡を訪れたことで梵字のことが頭に残っていたのか、ふと三ツ峠山のことが思い浮かぶ。 富士急行線三つ峠駅から三ツ峠山を目差せば、途中に達磨石と呼ばれるダルマに似た石造物があり、そこに 『 アーク 』 という梵字が彫られているのである。
調べると、『 アーク 』 は大日如来を意味しており、先般の尊仏岩跡の石碑に彫られていた梵字 ? も小生の解釈では 『 アーンク 』 でやはり大日如来、 さらには瑞牆山のカンマンボロンも不動明王 (大日如来の化身) とのことであるから、少し因縁めいたもの感じ、早速三ツ峠山を目差すことにする。ただ、下山時に達磨石を見るのでは面白くない訳で、達磨石のある表登山道を登ることとし、 なおかつピストン登山を避け、さらには寒いので山に近い所まで車でアプローチするとの条件にて、アプローチ方法、登山ルートを検討する。
その結果、富士急行線月江寺駅近くに 24時間営業の市営西裏駐車場があるのを見つけたので、そこに車を駐め、 月江寺駅から電車にて三つ峠駅まで行き、三ツ峠山下山後はバスにて富士急行線の駅に戻って来るという計画が効率的と判断する。
登る日は 2月3日。天気予報では、朝の 6時頃までは曇りであるもののそれ以降は晴れとなっている。しかし、 朝 6時頃の現地の気温は マイナス8℃の予想になっており、さらには前夜の 22時頃に YAHOO天気予報の 『 ○○の今の天気はどうですか ? 』 という欄を確認したところ、 現地では降雪との回答が多数寄せられていたのである。
こうなると、車で月江寺に行くのは難しいのでは との心配が頭をもたげ、暫し思案した結果、安全を考えて車を大月駅前に駐めることにする。2月3日(水)、5時20分過ぎに自宅を出発する。富士急行線の始発に乗るべく自宅を 5時に出発するつもりであったのだが、 少々寝過ごしてしまったのであった。
横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTから圏央道へ、そして八王子JCTにて中央道へと進む。
空には雲が多く、これは天気予報通りではあるものの、少し心配になる。
大月ICにて高速を下りた後、国道20号線を東京方面に戻って、大月駅近くの駐車場には 6時27分に到着する。
朝食をとり、身支度を調え、第二便である 6時53分の富士急行線に乗るべく、大月駅に向かう。三つ峠駅には 7時21分に到着。心配された天候も、駅を下りた時には青空がかなり広がっており、 日差しも明るく、また家々の間から少し見える富士山の周囲に雲は全く無い。
国道139号線の方へと進み、国道の少し手前を標識に従って左折する。この辺はしっかり案内板が立てられているので迷うことはない。
西桂町役場の裏手を進み、最初の十字路を左に曲がって三ツ峠山へと向かう。ガード下を潜り、車道を進むが、周囲は宅地であり、この時間帯、 小学生が通学中である。
また、車道は狭い上に丁度通勤時間になっているのか、車が頻繁に通るので注意が必要である。見上げれば、前方に三ツ峠山の姿が見えている。
三ツ峠山の名前の由来は諸説あるようだが、ここから見えているように、山頂には三つのトッケ (尖峰 = 突起) があるため、 それが訛って三ツ峠山になったというのが一番シックリくる。
なお、三ツ峠山の後方には少し雲が残っているものの、青空の面積の方が多い。と思って安心していたら、進むに連れ、三ツ峠山後方に雲が増え始める。さて、本日はどうなることであろう。
車道を 15分弱進んで宅地を抜けると、車道はやがてフットサル場の所で右にカーブするが、 三ツ峠山へはそのカーブの所から左に入る道を進むことになる。分岐の周囲には多くの標示板が立っている。
周囲の雪は増え、途中、道路上に雪が凍結した箇所も出てくる。
見上げれば、三ツ峠山後方の雲はさらに多くなってきており、先行きがますます心配になる。
右手に山祇 (やまつみ) 神社を見て、舗装道を緩やかに登っていく。
道の右側は山、左側は公園になっているが、公園の方は完全に雪に埋もれている。但し、道に雪はない。
やがて作業場のような建物が見えてきた所で、道は右に少し曲がって檜の林に入っていく。すぐに林を抜けると前方に再び三ツ峠山が見えてきたが、 そのバックは完全に灰色になってしまっている。コンクリートの舗装道を登っていくと、やがて 『 神鈴の滝遊歩道 』 の分岐が正面に現れるので、 ここで林道を離れて遊歩道に入る。時刻は 8時1分。遊歩道は雪に覆われているものの踏み跡がしっかり残っている。
遊歩道の左には柄杓流川 (しゃくながれがわ) が流れており、この辺の川底は全長約 400mにも及ぶ 1枚の岩盤になっていて、 『 神鈴の滝 』 と呼ばれる緩やかな流れの滝になっている。
やがて上流に、景観を慮ってか自然石のように見える堰堤が現れる。
その先に見えている三ツ峠山はその後方が完全に灰色である。
道は再び車道に合流するが、この辺からは車道も雪に覆われるようになる。道は再び公園らしき場所を通過する。そこにトイレがあったので利用させて戴いたが、 トイレを済ませて三ツ峠山の方を見ると、何と山頂付近にガスが掛かり始めているではないか。ガッカリである。
気を取り直して、暫く登っていくと、やがて 『 眺望逆さ富士 』 と書かれたバス停が現れる。無雪期にはここまでバスが来るようになったのか と驚いてしまったが、どうやらハイヤーをここまで呼ぶための案内板のようで、バス停は河口湖畔にて使われていたものの再利用らしい。
長い車道歩きも、前方に木の橋が見えてくると終わりとなる (車道はまだ先に続く)。標識に従って木橋を渡り、すぐに右の林を登っていくと、 本日のお目当ての 1つである達磨石に到着する。時刻は 8時34分。
以前の記憶では、達磨石の梵字は赤く塗られていたと思うが、月日も経ち、今は少しだけピンク色が残っているだけで、石の地肌となっている。ここからは杉の植林帯の中を登ることになり、漸く山道らしくなるが、すぐに先程の車道の延長となる林道に合流する。
しかし、林道を少し進んだ後、右手の斜面に取りついてからは完全に山道となり、なかなかの急坂が続くようになる。
足下は全面雪であるが、しっかり踏み跡がついており、また凍っている箇所はないのでアイゼンは不要である。
但し、足跡はいずれも古いもので、本日の先行者はいないようだ。
杉林の中をジグザグに登っていく。赤テープなどの目印はないが、道が溝状になっており、さらには雪の上に足跡が残っているので迷うことは無い。高度を上げていくと、やがて周囲は自然林に変わり、木に付着した雨氷が朝日にキラキラと輝いている。
雨氷は 1月末頃がピークだったようで、今は枝が氷で薄くコーティングされているだけという感じであるが、それでもなかなか美しい。
高度が上がるに連れ、左手樹林越しに富士山がチラチラと見えるようになる。見た限り、富士山周辺には全く雲がないようなのでホッとする。 しかし、先にも述べたように、三ツ峠山山頂付近にはガスが掛かっているので、果たして頂上から富士山が眺められるのかヤキモキするところである。
一方、今登っている辺りでは日の光が樹林越しに差し込んで大変明るい。
雪の斜面を黙々と登っていくと、9時14分に 『 股のぞき 』 に登り着く。ここからは遮るもの無く富士山を見ることができ、 富士山は五合目付近に帯状の雲が見られるものの、頂上、そして麓がハッキリと見えているのでホッとする。ここからも急坂が続く。三ツ峠山はこの表登山道よりも、金ヶ窪登山口からの裏口登山道の方が人気だというのも頷ける。こちらは結構キツい。
そのキツい登りも漸く緩やかになり、ほぼ平らな道が続くようになると、『 馬返し 』 の標識が現れる。時刻は 9時34分。
しかし、楽になった道も再び急斜面を登るようになり、岩も所々に現れるようになる。若い頃にこの道を登った時も、途中かなりキツかった記憶があり、 確かにこの登山道はなかなかのものである。
とは言え、この先、久々に八十八大師や親不知の碑などの興味深い史跡に会えるという楽しみが残っている。ところがである、先程山頂付近にあったガスは下まで下り始めたようで、 あれ程明るかった登山道周辺はガスっぽく、そしてやや薄暗くなり始める。
さらには先程 股のぞきにてしっかり見えていた富士山が、今や雲に飲まれようとしているではないか。股のぞきから僅か 40分程の間に 状況は完全に悪い方に転んでしまったのである。
こうなると気持ちも沈み、ガッカリして足取りも重くなる。周囲に岩が目立つようになってくると、大岩の下に 『 城山 観音 』 と白字で書かれた岩が置かれていたり、 『 不二石 』 と名がついた岩が現れる。但し、『 愛染明王塔 』 は見逃してしまったようである。
そして、その岩群のところから一登りすると、八十八大師に登り着く。時刻は 10時19分。
八十八大師とは、八十八体の弘法大師像を祀ってある場所で、遠くて四国八十八ヶ所巡りができない人々のための写しとのことである。 赤い前掛けをかけた八十八の石仏 (今は八十一体が確認されているとか) の顔は、皆異なっていると言われているが、 中には雪から首だけが出ている石仏もあり、かなり寒そうである。
また、ここには石仏群の他、三ツ峠山中興の祖である空胎上人の墓や八十八躰供養塔、そして首がない状態の地蔵尊も置かれている。石仏群が見下ろす中、ベンチにて暫し休憩。周囲は完全にガスに囲まれ、灰色の世界となっている。
この後の天候の回復は見込めそうもないので、少しユックリ休み、10時32分に出発する。 その際、この後のことも考えてチェーンスパイクを装着する。
ここからは三ツ峠山の南側斜面をトラバースする形で進むようになり、傾斜は緩やかになるとともに、 前方には下から見えた三ツ峠山の 3つの尖峰 (トッケ) が大きく見えてくる。
すぐに、登山者の安全を祈願して作られた 『 親不知 』 の石碑を通過、その後、ガレ場を横切り、沢の源頭部の下を進んでいく。 左側はかなり急激に落ち込んでおり、足下が雪道だけに滑らないように慎重に進む。やがて登りに入ると、かつて白雲荘があった場所に登り着く。 テラスだったと思しき柱が残っているところには 『 愛宕尊 』、『 板東三十三ヵ所観音塔 』 といった立て札が立っているが、 周囲は雪に覆われていてその実物がどこにあるのか分からない。
道はテラスの上部を横断した後、徐々に高度を上げていく。登り着いた所に 『 一字一石供養塔 』 が現れるが、これは小石に一字ずつ経文を書写し、 地面に埋めて石塔を建てたものだそうである。時刻は 10時52分。
すぐに今度は 『 神鈴 (みすず) 権現社 』 の標識が現れるものの、祠などは見当たらない。恐らく、少し斜面を登った所の岩場に祠があるものと思われるが、 そちらは雪に覆われ足跡もないのでそのまま通り過ぎる。ここからは屏風岩がその姿を見せるようになる。屏風岩はロッククライミングの練習場として有名で、 標高差 130メートルのほぼ垂直な岩壁である。ここからはその全容が捉えにくいが、その一部を見ただけでもその存在感に圧倒される。
道の方はその屏風岩の基部を回り込んでいく。左下を見れば、富士吉田の街並みが見えているが、平野部は雪で真っ白である。
垂直に切り立った岩の下を進む。見上げれば、氷柱が垂れ下がっており、それが落ちてきた時のことを思うと身が縮む。
やがて、前方、屏風岩の左後方にある高みに四季楽園の建物が見えてくる。屏風岩の下に置かれている 『 千手観世音 』 や 『 十壱面観音 云々 』 と彫られた石碑の前を通過し、 さらには氷柱の横を通って屏風岩の下を通過し終えると、道は目の前の高みに向けて登っていくことになる。
すぐに道は 2つに分かれ、左は三つ峠山荘へ、右はかつての富士見荘 (今は室内クライミングジムになっているらしい) 経由にて山頂に通じている。
右に道を取り、木の階段になっている急坂を登って、最後は雪の斜面をジグザグに登り切ると、その富士見荘前に飛び出す。時刻は 11時17分。
本来ならばここから富士山が見えるはずであるが、今は全く何も見えない状態で、ガスの切れ間に白い平野部が見えているだけである。
小屋前を通り、三ツ峠山へと向かう。少し登っていくと、ガスの中にぼんやりと御坂山方面が見えてくるが、頂上部分はガスの中なので御坂山以外の山を同定するのは難しい。
右に曲がってNHKの電波反射板の前を登り、最後は鎖の柵に沿って登っていくと、三ツ峠山 (開運山) 頂上であった。時刻は 11時26分。頂上には誰もおらず、展望も全く得られない。ただ、2羽のイワヒバリが山頂の石碑や方位盤の間を飛び回っている。
やがて、1人登って来られ、さらには数人のパーティも後から続いてくるようだったので、11時32分に下山する。
登って来た道は戻らず、山頂の東側から北へと下る。最初、雪の上の踏み跡は薄かったものの、すぐに新しい足跡に合流する。 しかしこれは登山者のものではなく、その先にあるNTTの電波塔をメンテナンスに来た方のものであった。
そして、NTT電波塔横から御巣鷹山へと下る斜面には雪の上にうっすらと足跡が残っているだけである。
時々足を踏み抜きながらその斜面を下っていくと、次々に電波塔が現れるので少々驚く。手前は日本ネットワークサービス、 次が山梨県防災無線の電波塔らしい。やがて林道らしき場所に下り着いたが、そのまま左に進めば木無山方面のはずである。
傍らに 『 御巣鷹山 10分 』 と書かれた標識があったので、右の林へと進む。林を抜けると、前方に高みが見え、 その頂上に電波塔が立っている。東京電力と山梨日々新聞社の施設らしいが、電波塔の上部はガスに霞んでいる。
少し雪が多い道を登っていく。途中、右手に宝鉱山へと下る北口下山道が現れるが、雪の上に踏み跡はない。
振り返れば、三ツ峠山山頂の電波塔群がガスの中にうっすらと見えている。
御巣鷹山の施設には 11時50分に登り着く。フェンスに沿って斜面の縁を奥まで進んでみる。途中、左側の斜面の木に 『 三つ峠 本社ヶ丸 清八峠 』 と書かれた 手書きの標識が打ちつけられていたが、雪の斜面に足跡は全くない。
足跡があれば清八山まで行き、清八林道経由にて金ヶ窪登山口に下山しようと思っていたのだが、残念ながらというか、幸いというか、 雪の上に踏み跡が全く無いため、木無山方面に戻ることにする。しかし、一応施設のある高みの縁まで進んでみると、 何とそこから左に下る斜面にピンクテープが続いており、しかも雪の上に足跡があるではないか。 少し迷ったが、折角だから行こうと決め、急斜面を下る。時刻は 11時51分。
雪の上の足跡は明瞭で、恐らく数日前のものであろう。しかも、ピンクテープも頻繁に続いている。
安心して急斜面を下っていくと、足跡が続く左手にトラロープが現れ、その向こう側に 『 右、千段の滝を経て都留市宝 云々 』 と書かれた標識が現れた。 もしかしたら宝鉱山へと続く道に入ってしまったのかと心配になる。
というのは、事前の下調べでは、宝鉱山発都留市駅行きのバスは 16時20分までないはずだからである。
しかし、その後 踏み跡の方も方向修正され、前方の樹林の間からは釈迦ヶ岳の姿がうっすらと見えるようになる。ピンクテープ、木につけられた赤ペンキは頻繁に現れ、雪の上の踏み跡も明瞭であるため、急斜面をドンドン下る。
道は、少し平らになったかと思うとまた急斜面の下りが始まる というパターンを繰り返しながら高度を下げていく。
順調に行けば、この後 茶臼山に登ることになるはずである。
ところが、あれ程頼りにしていたピンクテープとペンキ印が途中からパッタリ見えなくなる。
それでも足跡は続くのでドンドン下って行ったところ、山の上部では見られなかった樹氷が周囲に見られるようになってきたところで、 頼りの足跡も少し心許ない状況になる。
恐らくこの辺では風が吹き抜け、雪が飛んだものと思われ、その少し先でまた足跡を見つけてホッとしたものの、 この先本当にこの足跡を頼りに進んで良いものか不安になる。
さらに、足跡の中心にカモシカらしき足跡があるのを見て、オイオイと思い、不安がさらに増してきたところで、意を決し斜面を戻ることにする。
今思えば、あのまま進んでいれば清八山に至ったのであろうが、やはりテープ、赤ペンキ類が全く見えなくなり、GPSも持っていないので、 その時は本当に不安であった。しかし、戻るにしても急斜面であり、しかも雪が崩れやすいので登るのが辛い。
喘ぎ喘ぎ足を進め、何とかピンクテープ、赤ペンキがある所まで戻り着く。この間、15分程の苦闘であった。
さて、ここから周辺を歩き回りテープの続きを探す。そして、先程下った尾根の左側の斜面下方に、小さな棒につけられたピンクテープを発見してホッとする。
しかし、そこは先程にも増して急斜面の下りとなっており、雪の上に足跡は全く無い。つまり、一旦下ったら、蟻地獄に入り込むが如く、 引き返すことはできないような状態なのである。
とは言え、ピンクテープは点々と続いているようなので、意を決し急斜面に飛び込む。時刻は 12時25分。雪の表面はクラストしており、そこに足を踏み入れることで表面の雪がコロコロと斜面を下って行く。
雪崩を起こす程の雪は積もっていないが、雪は 30センチ近くあり、しかもクラストしているため、足を引き抜く時に引っかかる。 つんのめって斜面を転げ落ちないように、踵に体重を掛けながら下って行く。
この斜面は途中に平らなところはほとんど無く、下りっぱなしのため、先程述べたようにもう引き返せない状況である。
また、テープ、赤ペンキ類はしっかりとあるものの、先程下っていた斜面ほど頻繁に出てくる訳ではなく、途中で見えなくなって、 少し進むと先の方に発見するという感じである。
こういう状況は、スリルがあって面白いが、一方でこの先どういう状態が待っているか分からないので、不安でもある。30分程下り続けると、やがて斜面の先が三角形のように細くなり、傾斜も緩んでくる。 つまり、進んでいる右手からも、左手からも小川の流れが現れ、その合流点に到達したのである。
しかし、ここで行き詰まってしまった。ピンクテープが見当たらないのである。合流点の先には堰堤が見えるものの、 そこに至るには小川を渡らねばならない。右手の小川は水量も多く、少々深そうである。
左手の方は水量が少ないようであるが、雪がこんもりと積もっていて川の流れがよく見えない。
渡った先にピンクテープでもあれば良いのだが、全く見つけることができない。
右手の小川の向こう側は急斜面の山となっているので、普通に考えれば左手を進むべきと思い、左の小川に下りる。
丸く積もっているように見えた雪は中が空洞で、そのまま川底に足が着いてしまったが、幸い水量は少なく、靴に水が入り込まずに済む。
足を探るようにしながら 2歩目を出し、またまた雪を踏み抜きながら進んで、何とか向こう岸に登り着いたが、それでもピンクテープは見つからない。それではと、堰堤の方へと進んでみたものの、雪が多く、太腿付近まで潜り込んでしまう。
しかもよく見ると、堰堤は端っこではなく、水が流れ落ちる部分であり、しかも先にも述べたようにその右側は山の斜面なので、堰堤に行くのは諦めて、 比較的平らな左側へと進むことにする。
無闇に進むのは危険とは思ったものの、雪に足跡が残るので何とかなろうと歩き出す。
すると、何ということだろう、少し進むと目の前に林道が現れ、しかもその上には車の轍もあるではないか。
あれ程迷い、苦労したのに (15分程ウロウロ)、解答はすぐそばにあったのである。こういう状況では最早笑うしかない。時刻は 13時9分。そして林道を右に進んで行くと、すぐにトイレのある金ヶ窪登山口に到着したのであった。
つまり林道は裏口登山道だったのである。時刻は 13時11分。
こうなると、先程途中で戻ったルートは清八山への正しい道であったと思えるが、状況を考えると戻ったのも致し方ないところである。 しかし、一方で三ツ峠山に弄ばれたような感じも否めないが、あの少々の不安感とワクワク感が入り交じった状況は、なかなか痺れるものであった。
ここからは車道歩きが続く。最初は車道上に圧雪された雪が多かったのでチェーンスパイクのまま進んだのだが、途中からアスファルトの露出が多くなってきたので、 ゲートの所でチェーンスパイクを外す。そして 13時25分に御坂みちに合流。このまま進めば、 三つ峠入口バス停 14時43分の富士山駅行きのバスに余裕で乗ることができると思っていたところ、ふと両手が手ぶらであることに気がついた。
チェーンスパイクを脱いだ際、ゲートに立てかけたストックを忘れてきてしまったのである。先程の下りでの出来事は、ワクワク感の一方で、 意外と心に動揺をもたらしていたようである。
仕方なく、折角下ってきた車道を戻る。登り勾配になっているので辛い。見上げれば、御巣鷹山頂上の電波塔群が見えている。
13時55分にゲートに戻り着き、無事にストックを回収。再び車道を下る。30分ほどのロスである。
ただ、バスが少し遅れていれば、14時43分のバスに間に合うかも知れない状況なので、疲れた身体に鞭打って車道を下る。 途中、山間に河口湖が見えたが、その後方にある富士山は完全に雲の中であった。14時46分に国道137号線に合流、左に曲がってバス停へと向かっていたところ、 横に件のバスが止まってくれたらしかたのだが、気づかなかったために乗り損ねてしまう。やはり下山時の出来事でボーッとしていたようである。
仕方なく、バス停手前にあった旅館風の建物の玄関前で着替えさせて戴く。
そして、15時32分のバスを待っていると、何と雪がちらつきだしたのであった。本日は、三ツ峠山に 19年ぶりとなる表登山口から登り (三ツ峠山自体は 8年ぶり)、 史跡群を楽しむことができたが、天候には裏切られてしまった。
しかし、少々スリルを味わうことも出来、なかなか楽しい山行であった。
ただ、こういうハラハラドキドキする展開が病みつきになっては困るのであるが・・・。
相州大山を楽しむ  2016.2 記
1月22日(金)に雪の塔ノ岳、丹沢山に登ったことで、暫くの間 低空飛行状態にあった登高意欲も、 元に戻りつつあるといった感じである。
こういう時は間髪入れずに山に登り、さらに楽しい思いをすれば完全復活となると思い、次の金曜日辺りにまた山に行こうと思っていたところ、 金曜日からは雨の予報が出ており、さらには山沿いでは雪になる可能性もあるとのことで少々慌てる。
結果、先般の丹沢山と同じく、天候に追い立てられるようにして山に行くことにしたのだが、色々予定があって、27日の水曜日しか空いていない。 しかも、その日はできれば 16時頃には家に戻っていたいのである。
1月18〜19日に降った大雪の影響で、未だに小生の山の行動範囲が狭いままである中 (冬用のタイヤを持っていないためである)、 いろいろ検討した結果、結局 またまた丹沢となってしまうが、大山 (おおやま) に登ることにする。3回連続の丹沢であるが、久々に鍋割山や丹沢山に登って、丹沢の魅力に改めて気づき、 大山にも登ってみたくなったのである。無論、家から近く、登山時間も短いということが大きな決め手になったのは言うまでもない。
大山には過去に 3回登っており、塔ノ岳から表尾根を縦走してきた後にヤビツ峠から登ったことが 2回 (そのうち 1回は日向薬師へ下山、 もう 1回はヤビツ峠ピストン)、そして記録には上げていないが、家族とともに当時休業中 (今は廃止) であった不動尻キャンプ場から 唐沢峠経由で登ったのが 1回である。
そのため、当初は初めてとなる表参道を登り、下山は見晴台経由にてまた表参道を下るという計画を立てていたのだが、 その場合、登りは朝早いのでコマ参道、女坂 (あるいは男坂) を進むのは問題ないとしても、下山時には観光客と一緒になる可能性もあるので、 やはり躊躇するところがある。
色々悩んだあげく、最終的に計画を変更し、人が比較的少ないと思われる ふれあいの森日向キャンプ場から登ることにする (道路上に雪がないことはヤマレコで確認済み)。1月27日(水)、朝 5時50分に自宅を出発。空には雲一つ無く、間違いなく本日は快晴のようである。
横浜ICから東名高速道に乗って厚木ICまで進み、そこから小田原厚木道路に入って、すぐに厚木西で県道63号線に下りる。 少しの間 小田原厚木道路の下を進んだ後、田谷の交差点にて右折して県道604号線に入り、500m程進んだ愛甲宮前にて左折して国道246号線に入る。
暫く国道246号線を進んだ後、市役所入口にて右折して県道63号線に入り、2km弱進んだところで西富岡にて左折して県道603号線へと進む。 やがて、温泉入口の信号を過ぎると、道は県道603号線と分かれて一般道に変わるが、道自体は直進である。前方には大山の姿も見えてくる。
日向川に架かる橋を渡ると、やがて道は日向川に沿って進むようになり、道幅も徐々に狭くなる。浄発願寺を左手に見て、山の中に入って行き、 再び橋を渡って日向川が右側に見えるようになると、ふれあいの森日向キャンプ場の駐車場が右手に見えてくる。到着時刻は 6時45分。駐車場は道路と日向川の間のスペースにあり、道路に直角に 1台ずつ駐車するようになっていて、 かなりの車が駐車できるのだが、平日というのに既に 10台近い車が駐まっている。
朝食を済ませ、身支度をして 6時59分に出発。車道をさらに先へと進む。
前方を見上げれば、大山と思しき山が朝日を浴びて赤く輝いている (実際は大山の肩あたりの高み)。
キャンプ場へと通じる急坂を右に分け、ヘアピン状の道を登っていくと、すぐに車止めのゲートが現れるが、車道自体はさらに先へと続く。
やがて、日向ふれあい学習センターからの登山道が左から合流し、大山へはその合流点から道路を挟んだ反対側 (右手) にある階段を昇っていくことになる。 この合流地点にはベンチとともに簡易トイレもあったので利用させてもらう。
7時12分、階段を昇って山に取り付く。道は杉林の中を登っていく。この道は 『 関東ふれあいの道 (首都圏自然歩道) 』 における 『 大山参り蓑毛のみち 』 であり、従って足下はしっかり踏まれている。
杉林の中をジグザグに登っていくのだが、ふれあいの道という割には結構 傾斜があるので侮れない。20分程展望のない斜面を登っていくと、 足下に少しずつ雪が現れ始めるが、雪の量はまだ少なく、土の部分の方が断然多い。
やがて、上方に地蔵尊が見えてくる。赤い頭巾 (実際はターバンのようだが) を被り、赤い前垂れ、そしてチェック柄の袈裟というかマントを纏っている。 それら身につけているものは皆 新しそうなので信仰のあつい方がおられるのであろう。時刻は 7時47分。 地蔵尊の前にある標識には 『 大山 3.0km 』 とある。地蔵尊の所から道は右に折れ、今までの急斜面とは打って変わってほぼ平らな道が続くようになる。
すぐに ふれあいの森日向キャンプ場に直接下る道を右に見て平坦な杉林の中の道を進む。
やがて杉の木が疎らとなり、自然林に変わり始めると、左手の展望が開けるようになる。相模湾、真鶴岬、そしてその後方に伊豆半島が見え、 大室山、天城山もハッキリ見ることができる。
さらに右には箱根の双子山、そして駒ヶ岳、神山も見えており、神山の右手前には恐らく大涌谷からのものと思われる垂直に昇る白い水蒸気 ? も見えている。
空には雲一つ無く、日の光で周囲は明るい。今日は本当に良い天気である。この辺は明るい尾根歩きとなり、溝状になった道を進む。 足下の雪は徐々に増え始めるが、一方で日当たりの良い場所では全く雪が無いといった状態が続く。
道が緩やかに登り始めると、左手に疎らに生える木の間から大山の斜面と、その途中にある大山阿夫利神社下社が見えてくる。
また、前方の樹林の上方には大山の頂上部が少し見え始め、頂上にある無線中継所のアンテナが確認できる。
やがて、丸太の横木が連なる斜面の先に青空が見え、そこに登り着くと目の前に東屋が現れる。東屋の後方には大山、そしてその手前の大山の肩がその姿を見せている。 見晴台に到着である。時刻は8時8分。『 山岳安全 』 と彫られた石碑の前を進み、東屋の横を通ってテーブルとベンチが並んだ場所へと進む。 この時間はテーブル付近に日が当たっており、居心地が良さそうである。
また、この時間、先達は皆もっと先に進んでしまっているのであろう、周辺には誰もいない。
本日は行程も短く時間的に余裕があることから、居心地の良いベンチにて少々休憩する。顔を上げれば、正面には大山、その右手には三峰山が見え、 さらに右には厚木市街地であろうか、街並みが見えている。
8時13分に出発。ここからは関東ふれあいの道とは分かれて、真っ直ぐに進むことになる。 関東ふれあいの道の方は、左手斜面を下って杉の林に入り、大山阿夫利神社下社へと向かうことになる。道はすぐに樹林帯に入り、少し下った後、登りが始まる。傍らにあった標識には 『 大山 2.0km 』 と書かれている。
丸太の横木がある道を登る。目の前に高みが見え、以前はそこへ直登するようになっていた道が残っているが、 今は高みの左から巻くようにして登っていく。
途中 雪が現れるものの、すぐに雪は無くなり、日当たりの良い道が続く。高みに登り着き、以前の直登の道と合流した後 暫く進むと、 岩がゴロゴロした場所を抜け、やがて道は斜面の左を横切って進むようになる。
ここで斜面に 2羽のアオバトを見る。アオバトを見るのは本当に久しぶりであったが、そう言えばここから 15km程の所にある大磯の海岸では、 海水を飲むべくアオバトが連日飛来していると聞く。確かに左手樹林越しには相模湾が見えており、アオバト達にとっては短い距離であろう。道はやがてジグザグに斜面を登っていくようになり、進む方向によって江ノ島方面や天城山方面が交互に見えるようになるが、 いずれも逆光気味である。
この頃になると、足下に雪が頻繁に見られるようになるものの、未だ土の部分も多い。しかし、丸太の横木や階段が続くようになり、 右手上方に唐沢峠からの尾根がチラチラ見えるようになると、足下の雪も徐々に量が多くなってくる。
見上げれば斜面の先には青空が見えており、雰囲気的には唐沢峠からの尾根との合流点も近いと思われるのだが、合流点までは意外に距離がある。
また、高度が上がった分、時折 道の傍らに現れる開けた場所からは横浜のランドマークタワー、新宿副都心のビル群、 さらにはスカイツリーなどがうっすらと見え、さらには大磯町がある辺りの後方の海には伊豆大島もボンヤリとしてはいるが見えている。木の梯子が現れる頃には足下は完全に雪になり、それとともに徐々に傾斜が緩んでくると、 ようやく待望の唐沢峠からの道と合流する。時刻は 9時17分。
ここからの道はかなり傾斜が緩やかになり、一方で展望も広がってくる。先程は少しだけ低い位置に見えた大山阿夫利神社下社がかなり下方に見えている。
周囲も完全に雪に変わり、ほぼ平らな道を進んでいくと、やがて 『 大山の肩 』 と書かれた標識のある場所に到着する。時刻は 9時22分。
先の方には大山の頂上が見えているが、そこに辿り着くためにはもう一登りせねばならない。
大山の肩からは一旦下った後、大山への最後の登りに入る。雪の斜面をジグザグに登っていくのだが、雪はよく踏まれており、 また凍ってはいないのでアイゼンは全く不要である。左手斜面の上を見れば、大山阿夫利神社本社本殿らしき建物が見えている。
そして、9時36分、小広いスペースに登り着いたのだが、ここはトイレのある広場で、大山山頂に至るにはまだ目の前にある高みを左側から登っていかねばならない。
9時37分、大山山頂に到着。山頂には大山阿夫利神社奥の院があるが、シャッターが閉まっていたのでお参りすることを諦め、 少し下って大山阿夫利神社本社本殿の方へと進む。
幸い、本社本殿の手前にある社殿の扉は開けることができたのでお参りさせて戴く。
この本社本殿前からは、富士山が樹林の間に少し見えている他、相模湾を中心に、江ノ島方面、伊豆大島、そして天城山 (伊豆半島)、 箱根の山 (駒ヶ岳、神山、金時山) が見えている。再び山頂に戻ると、若い女性に記念写真の撮影を依頼される。 実は、その女性は、先程小生が山頂に登り着いた時にストックで素振りをしていた方である。
聞けば、その方は蓑毛から登って 9時過ぎに山頂に着いたものの、誰もいないので 30分以上山頂で待っていたとのことである。
記念写真を撮って欲しかったらしいのだが、小生はそのことに気づかずにすぐ本社御本殿に行ってしまい、再び山頂に戻ってきたところで、 撮影を依頼されたという次第。
どうやらベイスターズのファンらしい (帰宅後、ヤマレコに記録をアップされていた)。山頂のベンチにて暫し休憩し、9時52分に下山する。
先程の本社本殿の前を進み、大山阿夫利神社摂社 (前社) の前を通った後、鳥居を潜って階段を下りようとしたが、 階段には雪があって少し足下が危ない。この後のことも考えるとチェーンスパイクを装着した方が良かろうと考え、 前社まで戻ってチェーンスパイクを装着する。
その後、先程の鳥居を潜って下っていくと、さらにもう一つの鳥居を潜ることになる。ここから大山阿夫利神社下社へと下るには真っ直ぐに進めば良いのだが、 鳥居の前から右手に延びている道がある。
この右に延びる道は、下から見えた無線中継所に至る道であり、中継所の周辺からは西側の展望が得られるはずなので行ってみることにする。 暫く雪道を進むと、確かに素晴らしい展望が待っていた。途中に何も遮るもの無く富士山が見えており、富士山の左には愛鷹山が見えている。
なお、富士山の左右の稜線には、どちらにも途中で張り出たところが見えている。左が宝永山、右が小御岳 (富士スバルライン五合目付近) である。
この構図は塔ノ岳からも見えるはずなのだが、最近 2回登った塔ノ岳 (あるいはその周辺) では、宝永山が雲に隠れてしまっており、 このようにどちらも見えるのは久しぶりである。
また、富士山の右には上河内岳、聖岳、赤石岳といった白き山々と、その手前に布引山、笊ヶ岳等の黒き山が絡む南アルプスが見えている。富士山の手前には三国山、鉄砲木ノ頭 (明神山) といった山々が並び、 さらにその手前には二ノ塔、三ノ塔が大きい。
三ノ塔の右には表尾根が続き、その後方に大倉尾根、そして先日下った小丸尾根が重なるように見えている。小丸尾根の後方には先程の南アルプスが並んでいるのだが、 南アルプスが赤石岳までしか見えないのは、その右に並ぶ山々を小丸尾根の頂点となる小丸が遮っているからである。
小丸の右には花立、塔ノ岳が続いているが、大倉尾根は花立に、表尾根は塔ノ岳に続いているのは言うまでもない。
なかなか形の良い塔ノ岳の右には、日高 (ひったか)、竜ヶ馬場、丹沢山と続く、先日辿った尾根が見えていて、 丹沢山がかなりのボリュームであることに驚かされる。また、竜ヶ馬場と丹沢山を繋ぐ稜線の後方には不動ノ峰が顔を出しており、 蛭ヶ岳が見えない中、丹沢山塊第二位の高さであることを誇示しているようである。
丹沢山の右には太礼ノ頭、円山木ノ頭、本間ノ頭と続く丹沢三峰が続き、その丹沢三峰の右後方には飛竜山、雲取山、芋木ノドッケ、 鷹ノ巣山といった奥秩父の山々が並んでいる。
こちら側から見る雲取山は鈍角ながらもなかなかの形をしていて一寸驚くが、よくよく考えたら七ツ石山から見た雲取山の姿そのものであった。素晴らしい展望を十分楽しんだ後、また鳥居の所まで戻り (10時12分到着)、 右に道を取って大山阿夫利神社下社へと下る。
良く踏まれた雪道を下っていくと、すぐにヤビツ峠との分岐に到着。時刻は 10時18分。ヤビツ峠の方に気持ちの良さそうな雪道が続いているが、 ここは左に折れて下社を目差す。傍らの標識には 『 下社 1.7km 』 と書かれている。
ここからは日当たりの良い斜面を下っていく。そのためであろう、すぐに足下には雪に混ざって土が現れてきたので、『 下社 1.6km 』 の標識があるベンチの所で チェーンスパイクを外す。そしてそのすぐ先で、富士山がよく見える場所に下り着く。富士見台である。時刻は 10時30分。
富士山の前には二ノ塔、三ノ塔が大きい。
ここで年配の登山者 (小生も同じだが) に、この先の雪道の状況を聞かれる。
登りはアイゼン不要だが、下山時はアイゼンがあった方が良いと答えると、その方はアイゼンを持ってこなかったので、このまま下山するとのこと。 勿体ない話だが、安全を考えれば致し方ないところか。
溝状になった道を下る。途中、軽アイゼンを装着していないが故に少々怖い思いをした場所が 2箇所ほどあったものの、順調に下り、 10時38分に 『 十六丁目追分の碑 』 が立つ場所を通過する。
ここからは左に折れて明るい斜面を下る。途中、岩に穴が空いた 『 天狗の鼻突き岩 』 や、幾重にもタマネギの皮をむいたような 『 牡丹岩 』、そして左右同形の巨木で樹齢 5〜6百年という 『 夫婦杉 』 などといった興味深い自然物が現れる。
夫婦杉を過ぎると、道は杉の樹林帯の中を下るようになる。少々アイスバーンになりかけの場所を下り、やがて門のようになった 2つの岩の間を通り過ぎると、 下方に石碑が見えてくる。
石碑には 『 阿夫利大神 』 と彫られており、傍らに 『 白山神社』 について記述した立て札が立っていたが、石碑との関係が今一つよく分からない。 時刻は11時6分。この石碑の前からは、長い石段を下るようになり、下ったところで鳥居、 さらには鳥居の前に立つ登拝門を潜って大山阿夫利神社下社の一角に入り込む。
登拝門から左に進み、入山祓所、天満宮、浅間神社の前を通って拝殿の前に出る。時刻は 11時10分。
拝殿は修復中なのか、周りに足場が組まれている。お賽銭を投じてお参りし、その後 鳥居を潜って石段を下る。
階段を下り終えると左手に売店があり、売店の左を見ると 『 見晴台ハイキングコース入口 』 の看板が立っていたので、 参道と分かれて左に道をとってさらに階段を下り、そのハイキングコースに入る。
すぐに標識が現れ、そこには 『 見晴台 1.3km 』 との表記とともに、『 関東ふれあいの道 』 と書かれている。 そう、ここは先程 見晴台まで辿ってきた 『 関東ふれあいの道 』 の続きなのである。ここからは斜面を横切るほぼ平らな道が続く。足下に雪は見られるものの、歩行に支障は無い。
赤い鳥居と祠 (大新稲荷神社) の横を通り、桟橋を越えていくと、やがて前方に建物が見えてくる。阿夫利神社の摂社である二重社で、 その左手に二重滝がある。時刻は 11時23分。
滝は小さく、この時期水量もかなり少ないが、ここはパワースポットになっているらしく、またかつては修験者の禊ぎの行場だったようである。
二重滝を過ぎると、また桟橋が現れた後、斜面を横切る道が続く。谷側の方には柵が設置されており、さすが 『 関東ふれあいの道 』、 安全確保の気配りが行き届いている。
道は小さなアップダウンはあるものの、総じて平らで、歩き易い。また樹林に囲まれた斜面を横切る道ではあるが、良く歩かれているのであろう、 斜面には雪が残っているものの、足下に雪はあまり見られない。樹林の中を黙々と歩いていくと、やがて周囲は杉林に変わり、さらには左手の斜面上方に尾根が見えてくる。 見晴台はもうすぐである。
そして、11時44分、見晴台に到着。少し大山方面に進んで、今朝ほどのテーブルにて休憩する。今朝は誰もいなかったテーブルであるが、 今は数あるテーブルの半分位が休憩する登山者で埋まっている。
テーブルに座って見上げれば、先程その頂上に立った大山が青空をバックにその姿を見せていて気持ちが良い。
暫し休憩し、11時52分に出発。ここからは往路 (関東ふれあいの道) を戻り、緩やかに斜面を下る。
さすがにこの時間では天城山などはほとんど見えない状態であるが、先程お参りした大山阿夫利神社下社は樹林越しによく見えている。順調に進み、やがて杉林の中、『 ふれあいの森 日向キャンプ場 』 への分岐に到着。時刻は 12時4分。
今朝ほどの道はそのままさらに先へと続いているが、同じ道を下るのも面白くないと思い、左に道を折れてキャンプ場への道を辿る。
こちらは杉林ではなく自然林であり、周囲に落ち葉が見られる冬枯れの道である。
また、北側斜面を下っているにも拘わらず、雪は少なく、樹林越しには大山の姿も見ることができる。
斜面をジグザグに下っていくと、やがて東屋に到着。時刻は 12時23分。東屋からは厚木や伊勢原市街が見えるが、意外に木の枝が邪魔をしていて、 写真撮影には適さない。さらに下り続けていくと、堰堤が並ぶ谷へと至り (但し水の流れはない)、谷の上部を回って谷の反対側へと進むと、 ふれあいの森日向キャンプ場のバンガロー群が見えてくる。
谷沿いに数分下ればすぐに道路に飛び出すことになり、そこから今朝ほどのスタート時に右手に見えた急坂を下って行けば、すぐに駐車場であった。 駐車場到着は 12時35分。本日は短時間の登山で身体がかなり楽であった上に、雪の大山を楽しむことができて、気分の良い山行であった。
大山の知らなかった部分を沢山知り、先日の鍋割山、塔ノ岳、丹沢山と同じく、丹沢の魅力を再認識した次第である。
なお、これで登高意欲も完全復活したと言っても良かろう。
久々の丹沢山  2016.1 記
1月9日(土)に塔ノ岳、鍋割山に登って今年の初登山を済ませたものの、 その後グズグズしていたら 17日から 18日にかけての大雪によって一気に登山の行動範囲が狭まってしまった。
これは小生が冬用タイヤを所有していないからであるが、無論、公共交通機関を利用すればその範囲を広げることは可能である。 しかし、時刻表によって往復の時刻が制限されてしまう状況はなるべく避けたいところであるし、 加えてこの寒い時期にはやはり車での山行は捨てがたい。
ということで、ヤマレコを見て各山へのアプローチの状況を調べていたところ、またまた 23日〜24日にかけて降雪の可能性があると聞き、 少々追い込まれた気分になって 22日に慌てて山に行くことにする。
行き先はまたまた塔ノ岳。ノーマルタイヤの車によるアプローチ可能な山の情報がほとんど得られなかったため、 結局は安易に塔ノ岳を選んでしまった次第だが、今回は雪の山ということで少し趣が異なるはずである。
さらには、前回 久々に塔ノ岳〜鍋割山間を歩いたところ、とても新鮮に思えたことから、今回は 16年ぶりに丹沢山まで足を延ばしてみることにする。1月22日(金)、5時40分に自宅を出発する。
前回と同じルートを辿り、大倉の有料駐車場には 6時58分に到着する。今回は平日であるため、駐車場はガラガラの状態、余裕で良い場所を確保する。
朝食をとり、バス停脇のトイレを利用した後、身支度をして 7時10分に出発する。なお、トイレから出てきた際、丁度朝一番のバスが到着したのだが、 平日にも拘わらず結構 登山者がいることに驚かされる。
車道を進み、山神社の分岐まできたところで、急に思いついて山神社経由にて登ってみることにする。前回、帰宅後調べたところ、 山神社からでも大倉尾根に辿り着けると知ったからで、同じ道を通るマンネリを少しでも防ぎたいためである。7時17分に山神社に到着。本日の登山の無事を祈願した後、神社横の道をさらに進む。 人家の脇を通り、杉の樹林帯に入っていくと、すぐに 『 塔ノ岳 』 と書かれた標識が現れ、左斜面を登るようになる。
一登りで車道に飛び出すが、この車道はいつもの塔ノ岳登山口の右横を通る車道である。従って、左に戻ればすぐに塔ノ岳登山口であるが、 それでは面白くないので右に曲がって車道をさらに先へと進む。
緩やかに登っていくと、やがて左手に山小屋・水無ォが現れ、その脇に 『 塔ノ岳登り口 』 と書かれた大きな板が見えてくる。時刻は 7時28分。
表示に従って、水無寮の脇を通って山に取り付く。竹や欅の生える斜面の縁を登っていくことになるのだが、 足下には落ち葉が敷き詰められている上に意外と傾斜がある。しかし、よく踏まれた道である。やがて杉の植林帯に入ると、急斜面をジグザグに登っていくことになる。
足下に雪は全く無いので問題ないが、積雪がある場合、少々苦労するかもしれない。
鹿よけの柵を潜り、さらに斜面を登っていくと、斜面の先に小さな建物が見えてくる。何の建物だろうかと思いながら登っていくと、 それはバイオトイレで、そのすぐ先で観音茶屋の前に飛び出したのだった。時刻は 7時42分。
普通に道を進んでくれば、観音茶屋には 7時35分くらいに着いているはずなので、7分程の遠回りとなったが、 マンネリ防止として大変効果的であった。
急斜面を登ってきたためか、結構暑くなったので茶屋のベンチでインナーを 1枚脱ぎ、7時45分に出発する。ここからは先日と同じ道を辿ることになるが、この辺では足下に雪は全く見られない。
雑事場ノ平には 8時2分に登り着き、そこから土手のような道を少し進めば見晴茶屋に到着する。
茶屋のトイレを改修しているようで、道は茶屋の前側ではなく、裏側を回ることになる。そしてすぐに正規の登山道に合流し、急登が始まる。
この辺も雪は無く、前回と同じ状況であるため、途中から現れる丸太の横木、そして木道が煩わしい。
雪は木道の辺りから徐々に現れ始めるが、その量は少なく、むしろ木道上に踏み固められた雪が邪魔である。
雪が残っている部分と、土の部分が交互に現れる急斜面を登っていくと、やがて一本松、時刻は 8時26分。その先からは足下の雪も多くなってくるが、よく踏まれて圧雪状態であるため、問題もなく登っていくことができる。
やがて、左手樹林越しに富士山の頂上部が見えるようになる。山頂の雪は前回に比べてかなり増えているようである。
道が平らになると傍らにベンチが現れ、多くの人がそこで軽アイゼンを装着している。まだ不要とは思ったものの、皆が装着しているのならば と思い、 チェーンスパイクを装着する。
確かに、チェーンスパイクは踏み固められた雪の上を歩くのにかなり有効であったが、この後 雪の無い場所も結構 出てきたので、 装着しない方が良かったと反省したのだった。平らな道も徐々に傾斜が出始めると、登り着いた所が駒止茶屋。時刻は 8時52分。
前回はここで休憩したが、今回はベンチ横から三ノ塔方面をカメラに収めた後、すぐに先へと進む。
道は再び平らになるが、出だしの木道は雪に埋もれ気味で、周囲の雪も徐々に増えてきている。
ここでも左手樹林越しに富士山が見えている。しかし、その頂上部分はしっかりと見えているものの、五合目付近より下方は雲に覆われているようである。
途中、全く雪の無い所も現れたが、申し訳ないとは思いつつ、チェーンスパイクならインパクトも低かろうと勝手な解釈をし、装着したまま進む。
そして、堀山の家には 9時15分に到着。小屋前のベンチでは数人が休憩している。
しかし、平日のため前回ほどの混みようではない。そのため、今回、ベンチ付近から富士山が見えることに気がついた。前回は混雑を避け、 周囲を見渡すこともなく、そのまま素通りしてしまったから気がつかなかったようである。堀山の家からは また急登が始まる。富士山を見て、急斜面を登る。
やがて、また苦手な階段が現れる。階段は結構 雪に覆われているので自分のペースで登っていけると思ったのだが、結局は階段に歩幅、 歩行のペースを握られてしまう。
天神尾根分岐を 9時35分に通過、道はその先で再び平らになった後、花立山荘までの登りが始まる。
高度を上げて振り返れば、日の光を受けて輝く相模湾、そして東海道本線二宮駅付近にある吾妻山が見えている。
足下はまたまた階段となるが、ありがたいことにこの辺はかなり雪に覆われているため、先程よりも歩き易い。
左手には富士山、そして金時山、神山などの箱根の山々が見えている。しかし、愛鷹山は雲に隠れていて見えない。
また、神山をよく見ると、そのすぐ手前に垂直な雲のようなものが見える。恐らく大涌谷から上がる水蒸気であろう。10時3分に花立山荘に到着。前回よりもペースが遅いようだ。
前回感じた運動不足を反省して、できるだけ毎日歩くようにしてきたのだが、効果はあまり出ていないようである。
足下が雪であることが言い訳になりうるが、ラッセルしている訳でもないので、やはり もっと日頃の鍛錬が必要ということであろう。
山荘前のベンチにて暫し休憩する。この頃になると、富士山の左斜面は完全に雲に飲み込まれており、富士山全体が雲に隠れてしまうのも時間の問題のようである。
10時12分に出発。山荘横に設置されていた温度計を見ると 1℃を示しており、この時期としては暖かいようである。
ここのところ寒い日が続いていただけに、この気温はありがたい。花立への斜面を登る。途中振り返れば、花立山荘の屋根が見えている。 前回、塔ノ岳から鍋割山へと向かう途中にて この花立を見た時、花立山荘の屋根が青いことにビックリしたのだが、 成る程、山荘の破風板は赤いものの 屋根は確かに青い。
花立に登り着くと、目の前に塔ノ岳の姿が見えるようになる。左手を見れば、富士山、南アルプスが見えているものの、 この頃には富士山はほぼ雲に飲み込まれてしまっており、その右に見える赤石岳、悪沢岳も少し霞み気味である。
一方、檜洞丸、蛭ヶ岳などの丹沢の山々は、山肌が雪で白くなっているのに加え、そこに生える木々の焦げ茶色が輪郭を作り出していて、 前回よりもかなり目立つようになっている。花立を過ぎると足下は完全に雪になるが、凍っている訳ではないので安心して進んで行くことができる。
ヤセ尾根を過ぎ、金冷しを 10時30分に通過。雪の量は格段に増えてくるが、道の方はしっかりと踏み固められている。
しかし、ただでさえ狭い階段は、雪でさらに狭くなっており、人と擦れ違う場合は少し苦労する。
その長い階段を登り切って、塔ノ岳頂上には 10時48分に到着。
頂上はほぼ全面雪で覆われており、人の足跡がない場所では膝下ぐらいまでの積雪量である。
前回と同じベンチまでプチラッセルして進み、暫し休憩する。ここから見る周囲の眺めは、前回に比べてやや劣る感じである。
富士山は最早 完全に雲に飲み込まれており、その右側の南アルプスにも雲が絡んでいる部分が多い。聖岳は雲の中であり、赤石岳、悪沢岳はその姿をしっかり見ることができるものの、 塩見岳、農鳥岳は雲に隠れ気味である。
間ノ岳、北岳、仙丈ヶ岳には雲が少し絡んでおり、鳳凰三山は雲で頂上付近が見えない。しかし、その右の甲斐駒ヶ岳は前回よりも白くなった姿が良く見えている。
また、そのさらに右に続く檜洞丸、臼ヶ岳、蛭ヶ岳、棚沢ノ頭、不動ノ峰、そしてこれから目差す丹沢山については、 臼ヶ岳の後方に見える大室山も含めて、ハッキリと見ることができる。丹沢主稜の後方にある奥秩父の山々もよく見えており、 その左後方の八ヶ岳も前回よりは山の形が分かる状況である。10時59分、丹沢山に向けて出発、尊仏山荘の横を下る。
すぐに前回 登山道を外れて 尊仏岩跡へと向かった場所を通過するが、その斜面は雪に覆われており、その上に足跡は皆無である。 さすがにこの積雪期に 尊仏岩跡へと向かう人はいないようで、第一、途中の急斜面が危険である。
雪の斜面をドンドン下っていく。正面にはこれから登る丹沢山とそこまでの間に連なる日高 (ひったか) などの高みが見えるが、 丹沢山はかなり遠くに見え、またそこまでのアップダウンがキツそうである。
道の方は一旦平らになってスノーシューがあれば楽しそうな雪原が続いた後、またすぐに下り斜面となって日高との最低鞍部に下ることになる。
鞍部は狭く、雪が踏まれて道が出来ているから良いものの、雪の上に踏み跡がなければ少々怖いところである。
鞍部を通過して梯子を昇った後、斜面を登る。高度を上げて振り返れば、塔ノ岳の姿が見えるが、かなり高く見え、 帰りにまた登り返すことを思うと少し気持ちが萎える。登り着いた所からは、ほぼ平らな尾根が続き、気持ちよく歩いて行ける。 左には不動ノ峰、右には大山が見えている。
道は、一旦少し下った後、すぐに登りに入るが、傾斜は緩やかである。
やがて道は再びほぼ平らになり、気持ちよくブナ林の中を進む。
過去にこの道は数回通っているのだが、その時はとにかく先を急ぐことばかり考えていたようで、尾根歩きを楽しむというよりは、 傾斜がなくなったことを喜ぶだけだったような気がする。
丹沢の山にはもう 20回以上登っているものの、ようやくこの年になって丹沢の魅力に気がついたというような感じで、お恥ずかしい限りである。緩やかな道を進んでいくと、やがて日高に到着。時刻は 11時26分。
ここからは一旦下りに入る。前方を見れば、下った先から竜ヶ馬場への登りが待っており、目差す丹沢山はそのさらに先である。
まだこの先いくつものアップダウンが待っているようであるが、足の方はなかなか進まないという状況ではあるものの、雪の斜面、 そして斜面の先の青空を目差しながら進むのは結構楽しい。
雪の中にササが所々に顔を出している気持ちの良い斜面を登っていく。
周囲に木々はあまりなく、気持ちの良い所であるが、興ざめは左右に立つ鹿よけの柵である。以前はこのような柵は全く無かった気がするが、 鹿の数はかなり増えているようで、その食害を考えると致し方ないところであろう。小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていくと、やがて竜ヶ馬場に到着。時刻は 11時42分。
さらに少し登り、小さな樹林を抜ければ、先の方に丹沢山の姿が見えてくる。しかし、それよりも立派なのは左手の不動ノ峰である。
不動ノ峰の標高は 1,614mであり、丹沢山塊では蛭ヶ岳に次ぐ高さを有している上、山容も立派であるにも拘わらず、 丹沢山と蛭ヶ岳に挟まれているためなのか、この山が登山の目標となっていないのは少々気の毒な気がする。道は緩やかに下った後、丹沢山への登りに入る。
一旦 目の前の高みに登り着くと、少しの間、木道の敷かれた平らな道が続くが、その後 最後の登りが待っている。
傾斜はさほどでもなく、右手上方に みやま山荘の建物を見て少し登れば、ソーラーパネルの設置されたバーが並ぶ丹沢山の一角に立つ。
そして、ソーラーパネル群の脇を右に回り込むと、木道とその横に一等三角点があり、その周囲に標識が立つ丹沢山頂上であった。時刻は 12時6分。
頂上はかなり広く、右奥に みやま山荘、そして奥のほうにベンチがある。ベンチまで行って腰を下ろし、暫し休憩。
15分程休んだ後、三角点の方へと戻って、斜面の縁に立って周囲を眺める。
富士山は相変わらず雲の中、ここからはやはり目の前の不動ノ峰が立派である。12時28分、下山開始、往路を戻る。
先の方を見れば、三角形をした塔ノ岳が見え、その後方にうっすらとではあるが相模湾、真鶴岬、相模灘が見えている。 しかし、そのすぐ上方には雲が垂れ込めており、天城山などの山々は全く見えない。
先程、丹沢山に向かっている時にはその後方に青空が広がっていたのだが、今、塔ノ岳に戻る方向には雲が多い。 太陽は雲に隠れ気味で、時々日が差すといった状況。従って、先程と同じ道を通っても雰囲気が微妙に違う。
竜ヶ馬場には 12時47分に到着。雪の中のベンチに立ち寄り、カメラの電池を交換する。ここからは大山、三ノ塔方面がよく見え、 その左手後方には霞み気味ながらも町の広がりが見えている。
帰宅後調べると、小生の住む横浜IC付近も見えているようである。12時50分に出発。道は緩やかに下った後、日高への登りに入る。
一見きつそうであるが、登ってみると意外に足が進み、日高を 13時3分に通過、その後 少し平らな道を進んだ後、 思いの外ピラミダルな塔ノ岳を見ながら最低鞍部へと下る。
そして、懸念した鞍部からの少々キツい斜面を何とか登りきり、塔ノ岳頂上には 13時32分に戻り着く。先程のベンチが空いていたので、そこに腰掛けてこの後どうするか考える。
大倉尾根を戻るのは面白味がないので除外することにしたのだが、思案中にガスが上がって来て周囲がガスに包まれるという出来事があり、 少し迷いが生じる。
しかし、ガスはすぐに抜けてくれたのでやはり往路とは違うルートにて下山することにする。
表尾根経由にて烏尾山あるいは三ノ塔から大倉に下るか、あるいは前回と同じく鍋割山へと向かい、途中の小丸尾根を下るかということで検討し、 結局、所要時間を考慮して小丸尾根を下ることにする。13時43分、塔ノ岳を後にして金冷しへと下る。
さすがにこの時間になると登ってくる人は少なくなっているので、狭い階段も 1、2回立ち止まっただけで下り切り、金冷しには 13時54分に到着、 まっすぐ進んで鍋割山方面へと向かう。
この頃になると、太陽は雲に隠れてしまい、何となく山全体がやや暗く感じられ、少し気分が沈む。
雪の上に道は明瞭につけられているが、それでも大丸への登り斜面にて雪が少々邪魔な所があったことから、 こちらは大倉−塔ノ岳間ほどは歩かれていないようだ。
大丸を 14時5分に通過、そして小丸尾根分岐には 14時15分に到着する。ここからは道を左にとり、初めてとなる小丸尾根を下ることになる。
道はすぐに草付きの見晴らしの良い場所に出て、そこから斜面をジグザグに下っていくことになる。
右手を見れば、今朝ほどはその姿が雲の中であった愛鷹山が見えている。
道はやや急斜面であるが明瞭、日当たりが良いためであろう、斜面の雪はシャリシャリしていて、チェーンスパイクの小さな歯ではあまり制御が利かない。 しかし、危険な箇所はないので足場を考えながらユックリと下っていけば問題ない。
暫く下っていくと、ありがたいことに太陽が雲間から再び顔を出し、周囲を明るく照らすようになる。そうなると、気分も明るくなるから不思議である。途中、下から登って来た若者に 『 軽アイゼンが落ちていなかったか 』 と問われる。
一応、足下に注意しながら下ってきたので、無かった旨伝えると、また若者はアイゼンを探しながら下りに入ったが、しかしそれにしても、 この斜面を登り返すエネルギーは大したものである (結局、軽アイゼンはもっと下の方で見つかったようである)。
斜面は徐々に緩やかになり、仕舞いには一時的にほぼ平らになる。それに呼応するように足下の雪もなくなったのでチェーンスパイクを外す。道はここから緩やかに尾根を下っていくが、先程までとは違い、 ほぼ直線の下りが続くようになる。
道は明瞭であり、途中に 『 小丸まで 1000m 』 と書かれた標識が現れる。次に 『 小丸まで 1500m 』 と書かれた標識を過ぎて小さなマウンドを越えると、 平坦な道が暫く続くようになる。
もう楽勝かと思ったのだが、その後 道が少し不明瞭になる。印となるテープ類が、下方の杉林にも見られ、さらには途中で道が 2つに分かれるような所もあったからである。
ただ、よく見ると、左に進む道は途中ロープで通行止めになっていたようである。『 小丸まで 2000m 』 の標識を通過し、 さらには 『 大倉 4.3km、二俣 0.3km 』 と書かれた標識を過ぎると、 やがて斜面右下に前回歩いた鍋割山、後沢乗越方面からの林道が見えてくる。
そのまま道を外れて斜面を下れば林道に下り立つことが可能な状況であるが、登山道の方は先へと続く。
そして、暫く進んだ後、ジグザグに斜面を下っていくと、やがて先程の林道に合流したのであった。時刻は 15時28分。
ここからは、前回通った林道を歩くことになる。川に架かる橋を渡り、二俣を 15時30分に通過。
その後、神奈川県山岳連盟会長として、自然保護のために丹沢の国定公園化運動や、県立登山訓練所の設立に尽力された 尾関 廣氏の銅像の前で休憩する。
なお、ベンチに立てばその登山訓練所の建屋が見えるが、訓練所自体は 1966年に設立された後、 1997年にその機能を戸川公園に新たに建てられた山岳スポーツセンターに移し、現在は廃屋となっているようである。7分程休憩した後、黙々と林道を歩き続け、林道ゲート前には 16時19分に到着。
ゲートの手前を左に折れ、林の中を進み、鹿よけのネットを潜る。やがて牛舎 (と思う) の横を通り、車道に飛び出す。
見上げれば烏尾山、三ノ塔、二ノ塔が夕日を浴びて少し黄色味を帯びている。
そして駐車場には 16時34分に戻り着く。前回に続いての丹沢となり、しかも塔ノ岳までは同じ大倉尾根を辿ったのだが、 今回は一転して雪の山となり、新鮮な気持ちで登ることができたので大変良かったと思う。さらには 16年ぶりとなる丹沢山に登ることができたのも嬉しい。
当時は目的の山に登ることに気をとられ、途中の行程は黙々と消化するだけという感じだった気がするが、年を取った所為であろうか、 本日は途中の行程も楽しむことが出来、随所に丹沢の魅力を感じて、なかなか楽しめた山旅であった。
尊仏岩跡を尋ねて塔ノ岳  2016.1 記
昨年 (12月19日)、竜ヶ岳から毛無山まで縦走し、 凜とした朝の空気の中で富士山頂上から昇る朝日を眺め (ダイヤモンド富士)、さらには南アルプスの姿を楽しんだことで、 漸く登山に対する意欲も上向き始めてきたのであった。
そこで間髪入れずに山に行ければよかったのだが、諸般の事情で 2015年はそれが最後の山行となり、その後のダラダラとした年末年始の生活に、 またまた少し億劫さが顔を出し始める。
しかし、好天が続く中、家の中でジッとしているのも辛くなり、さらには、いつまでも 2016年の登り初めを行わないのは まずいと思い、 やや重くなった腰を上げて山に行くことにした。行き先は丹沢の塔ノ岳。何回も登っている山なので新鮮味は全く無く、 昨年 11月頃の気分ならば とても登る気になれない山なのであるが (塔ノ岳には申し訳ない)、今回は塔ノ岳の裏手にある尊仏岩跡に詣でることが モチベーションになっている。
尊仏岩というのは、かつて塔ノ岳の山頂付近にあった大岩で、『 お塔 』 と呼ばれて雨乞いの神として地元の人々に親しまれていたのであるが、 関東大震災の余震である丹沢地震により大金沢へと崩れ落ちてしまったのである。
ただ、尊仏岩のあった場所には今でも石仏や石碑が残っているとのことで、このことを数年前に知り、一度は行ってみたいと思っていたのであった。しかし、ネット上にはその尊仏岩跡に行った記録が多数上がっているものの、 そこまでの行き方を詳しく書いている方はおらず、また一方で尊仏岩跡を探せずに諦めたという記録も多々上がっており、少々躊躇するところでもあった。
加えて、その場所は急斜面途中にあるらしいので、雪が深くなると場所を良く知らない身にとっては難易度が増しそうであるし、 一方で春から秋にかけてはヒルの存在が煩わしく、なかなか行く決心がつかない場所でもあったのである。
しかし、1月にも拘わらず塔ノ岳には雪がないと聞き、それでは今年の運試しと思い、行ってみることにした次第である。3連休の初日である 1月9日(土)、5時半過ぎに横浜の自宅を出発する。 丹沢は自宅から比較的近いため、この時間でも十分に間に合うはずである。
横浜ICから東名高速道に乗り、秦野中井ICへと進む。上空には雲一つ無く、本日は快晴のようである。
高速を下りた後、県道71号線を北上する。西大竹隧道を抜け、西大竹の交差点を左折して県道62号線に入り、暫く真っ直ぐ進む (途中で一般道、 そして県道706号線と名前が変わる)。
やがて、新橋の丁字路にぶつかるのでそこを右折し (道路は県道706号線のまま)、500m程進むと大倉入口の信号が見えてくるので、 今度はそこを左折する (道は県道706号線のまま)。
後は一本道で、やがて右手前方に大倉バス停のロータリーが見えてきたので、少し手前にあった駐車場に駐車する。
駐車場の混み具合が心配であったが、6時45分の時点でまだ大分空きがあった。朝食を取り、バス停のトイレを利用した後、身支度をして 7時3分に出発。
丁度 渋沢駅からのバスが到着するタイミングであったが、何とバスは 2台。この山域の人気の程がうかがえる。
車道をさらに先へと進み、山神社への道を右に分けて緩やかに登っていく。やがて、道は二股に分かれるが、塔ノ岳は左の道を進む。 道はまだ車が 1台通れる程に広いものの、徐々にその幅は狭まってくる。
樹林帯の中を進んでいくが、所々で右手の樹林が切れ、烏尾山、三ノ塔、二の塔が見えている。
杉林の中をジグザグに登っていくと、やがて観音茶屋に到着。ここは休まずそのまま通過する。時刻は 7時28分。
すぐに登山道は 2つに分かれるが、少し先にある雑事 (ゾージ) 場ノ平にて合流することになる。 右の方が距離は短いので、いつも通り右の道を選ぶ。杉林の中をジグザグに登って行くと、先程分かれた道との合流点となる雑事場ノ平に登り着く。 時刻は7時43分。
ここからは土手のような道となり、その後少し登っていくと見晴茶屋に到着する。時刻は 7時46分。
ここからは相模湾を見ることができるようだが、完全に逆光となっていてよく見えない。
さて、道は茶屋の前を通った後、左に曲がり、そこから最初の急登が始まる。記憶通りの、岩がゴロゴロした坂道が続くが、 途中から丸太の横木が置かれた階段状の道になり、さらに登っていくと今度は木道に変わる。
削れやすい斜面を慮ってのこととは思うが、このように人工物が沢山現れるのはどうもシックリこない。
また、歩幅がかなり制限されるので、階段は苦手である。
一本松の標識がある場所を通過する頃になると、昨年の竜ヶ岳以来、ほとんど運動らしいことをしなかったツケが回ってくる。 登り続けるのがしんどくなり、太股の裏側も少しピリピリし始め、とにかく運動不足を実感させられるようになる。それでも何とか登り続けていくと、足下は石畳のような道となり、 そこを過ぎるとほぼ平らな尾根道へと変わってくれたのでホッとする。左手樹林越しには富士山が見えている。
体力不足を痛感したこともあって、この辺からはユックリ登ることにして、富士山の写真を撮ることを口実に、 後続の登山者に先に行ってもらうようにし、登山者が疎らになったところで、先へ進むというやり方に変える。
この頃、平日に山に登ることが多く、登山者の数が少ないことから、自分の勝手なペースで登ることに慣れてしまっており、 後からドンドン人が続いてくるような状況には耐えられないのである。加えて運動不足ではさらに対応が難しい。道の方は暫く平らな状態が続いた後、少し急坂を登っていくと駒止茶屋が現れる。 時刻は 8時21分。
ここのベンチにて暫し休憩し、後続の人達を先に行かせ、人の隙間ができたところで出発する。時刻は 8時33分。
なお、休憩中に表尾根の方を眺めれば、三ノ塔、烏尾山が見え、それぞれの頂上にある小屋も確認できたのだった。
ここからは少しの間 木道が続き、木道が途切れた後も気持ちの良い平らな道が続く。所々で樹林が切れて左手に富士山が見えている。
さすがに、1ヶ月前の竜ヶ岳などから見た時よりも富士山の雪は増えているが、この時期としてはまだ少ない気がする。
道は左に曲がり、傾斜がキツくなり始めるが、すぐに 堀山の家に到着する。時刻は 8時55分。小屋前のベンチでは大勢の登山者が憩っているが、 ここは休まずに小屋の前から右に曲がると、また登りが始まる。
記憶ではこの辺はかなり狭い岩場の道だったような気がするのだが、今は道幅の広い道が続く。少し高度を上げると、 またまた左手に富士山が見えてくる。
岩屑のある斜面を登り、富士山が良く見通せる場所を通過した後、丸太の横木が置かれている場所を登っていく。
さらに進んで行くと、今度は階段がずっと続くようになり、階段が苦手な小生にとっては、運動不足もあって大変辛い。
天神尾根の分岐を 9時15分に通過し、さらに階段を昇っていくと、道はようやく平らとなりホッとする。
この大倉尾根は、急登、平らな道が交互に現れるので、かつてはこれが大変心地よかったのだが、今はほぼ行程を知っているので、 道が平らになってもこの先の急登を思い、素直に喜べなくなっている。またまた富士山を樹林越しに眺めた後、階段状の登りが現れ、その後、 岩がゴロゴロした急坂を登っていくことになる。
再び階段を昇るようになる頃には展望が大きく開け、振り返れば、うっすらとではあるが富士山の左に愛鷹山、 そしてさらにその左手前に箱根の金時山、神山、駒ヶ岳が見えている。
さらに左には相模湾も見えているが、逆光のため海は明るく輝いているだけであまりハッキリしない。
階段はまだまだ続く。ただ、階段の先には青空が広がっているので、花立山荘が近いことが分かる。
そして、その花立山荘には 9時45分に到着。登山道脇のベンチにて暫し休憩する。
休憩中、展望の良い西側に行ってみれば、ここからも富士山、愛鷹山、金時山、神山、駒ヶ岳などを見ることができる。 しかし、やはり暖かい所為であろう、富士山を含め、山々は皆やや霞み気味である。ユックリ休み、登山者が途切れた合間を縫って 9時53分に出発する。
丸太の横木が置かれている斜面を一登りすると、花立の平らな頂上に登り着く。
ここには木道が敷かれており、その木道の先には塔ノ岳の姿が見えている。塔ノ岳の左後方には不動ノ峰、棚沢ノ頭、蛭ヶ岳も見えている。
そして、左手には富士山が見え、さらにはその右に南アルプスの山々も見えるようになってくる。南アルプスもやや滲んだような感じであるが、 それでも左から聖岳、赤石岳、そして悪沢岳、小河内岳を確認することができる。道は一旦下った後、金冷しに向かって登り返す。 途中にはヤセ尾根 (馬ノ背) があるが、今は橋も架けられ、柵も設置されているので安心して進むことができる。 再び丸太の階段を昇っていけば金冷しで、到着時刻は 10時10分。
ここは丁字路になっており、左に進めば鍋割山、塔ノ岳は右である。
かつてはこの時期、ここから塔ノ岳までの間は泥んこの道が続いたのであるが、今はほとんど木道や階段が続き、それ程 泥に煩わされることはない。 一方、階段はやや幅が狭く、人の行き来が多い塔ノ岳には少し問題のような気がする。そして、最後に長い階段を昇り切ると、多くの人で賑わう塔ノ岳頂上であった。時刻は 10時27分。
大倉から何と 3時間24分を要した次第で、かつて 2時間20分程で登っていたことを思うと、少し悲しい。
しかし、年齢とともに体力が落ちるのは仕方ないとしても、この 3時間を越える時間には運動不足もかなり影響しているはずである。 やはり日頃の鍛錬が重要であると、大いに反省したのであった。丹沢山やユーシンへの分岐の近くにあるベンチに腰掛けながら暫し休憩。
その後、横着をしてベンチに腰掛けながら周囲の写真を撮る。
右手 (北側) には不動ノ峰、棚沢ノ頭、蛭ヶ岳が見え (横着したので 丹沢山は少し見えるのみ)、蛭ヶ岳の左奥には破風山、 甲武信ヶ岳などの奥秩父の山々が並び、その左手前には大菩薩嶺、小金沢連嶺が連なっている。
その小金沢連嶺の後方には国師ヶ岳、金峰山も見えている。小金沢連嶺の左には南大菩薩の山々が連なり、その後方に白き山が見えているが、 恐らく八ヶ岳であろう。しかし、八ヶ岳はやや雲が多く、同定が難しい。
八ヶ岳、南大菩薩の山々の左には大室山が見え、その手前には臼ヶ岳が大きい。 臼ヶ岳の左には檜洞丸がズングリとした姿を見せており、その左後方から南アルプスの山々がずっと続くようになる。まずは未だ黒色が目立つ甲斐駒ヶ岳、 そして地蔵岳、観音岳、薬師岳と連なる鳳凰三山が続く。
鳳凰三山の左後方には真っ白な仙丈ヶ岳が見え、仙丈ヶ岳の左には北岳、間ノ岳、西農鳥岳、農鳥岳が続く。
また、仙丈ヶ岳と北岳の手前には三ツ峠山、御坂黒岳の姿も確認できる。
南アルプスの山はまだまだ続き、農鳥岳の左には広河内岳、さらにその左に塩見岳、蝙蝠岳が見えている。
塩見岳の右手前には御正体山が大きい。蝙蝠岳の左には小河内岳、そして悪沢岳(荒川東岳)、荒川中岳、前岳と続き、 さらに赤石岳、聖岳、上河内岳、茶臼岳を確認することができる。
そして、先日の竜ヶ岳〜毛無山間の縦走の時と同じように、聖岳の左手前には黒々とした笊ヶ岳、布引山も見えている。茶臼岳の左には富士山が大きいが、左斜面の宝永山付近には雲がかかっている。
富士山の左には、先に見たように愛鷹山 (越前岳と位牌岳の連なり)、そしてさらに左方に金時山、神山、駒ヶ岳などの箱根の山々が続く。
空気が澄んでいれば、その左に天城山も見えるのであろうが、箱根の山から左側は逆光気味であり、ほとんど山を確認することができない。さて、腹も満たされ、少し元気になったところで、本日のハイライトである 新年の運試し、尊仏岩跡へと向かう。
10時40分、尊仏山荘の左を進み、丹沢山への登山路に入る。少し進むと、柵に囲まれた登山道左手の草地に踏み跡が見えてくる。 ここが尊仏岩跡への入口であるが、踏み跡はその先にもあるので、どこからでも入っていくことができる。
雪の無い登山道左側斜面を下る。ありがたいことに踏み跡は明瞭である。2年ほど前には尊仏岩跡へのルートにテープが付けられていたようだが、 今はない (1つだけ見つけることができた)。そっとしておきたいという配慮であろうか。さて、ルートが明確なのでこれは楽勝かと思ったのだが、それ程甘くはない。 ドンドン下っていくと、斜面の先に岬のように突き出た場所が左右に現れる。
最初に右側の突き出しへと進んだのだが、途中に少し土が崩れそうな場所があり、人が歩いた気配が全くないので、 その突き出しまでは行かずに周囲を見回す。
しかし、目印となる尖った岩は見つからない。それではと、下ってきた斜面を少し上の方へと戻り、そこから今度は左手の突き出しへと進んでみる。 途中でテープを見つけたが、その先が不明なので、とにかく左の突き出しへと下ってみる。しかし、やはり目印となる岩は見つからない。 先程途中まで進んだ右手の突き出しを見ると、そちらの方が低く、もう少し周囲が見えそうである。
無駄をしたな と思いつつ、斜面をトラバースし、何とか右手の突き出しへと進んでその上に立つ。
が、やはり目印となる岩は見つからない。尊仏岩跡が見つからずに戻った人や、見つけるのにかなりの時間を要した人も多いらしいので、 そう簡単に見つかるはずはないのである。少し焦りが出てきたが、とにかく その突き出しの上から周囲に目を凝らすと、 先程その上に立った左側の突き出しの下方、木々がゴチャゴチャしている中に何やら黒い岩のようなものが見えるではないか。
もしかしたら、あれが目印の岩ではないかと思い、そちらへと進んでみる。すると、何と嬉しいことに写真で見覚えのある目印の岩だったのである。
つまり左側の突き出しの下部は苔生す大岩となっており、その岩の下を道らしきものが横切っていて、目印の岩はその道のさらに下にあったのである。
冬場であり、周辺の木々に葉が全く無かったから何とか見つかったのだが、葉が生い茂っていたら、上方からこの岩を探すことはできなかったであろう。さて、岩が見つかっても、今度は尊仏岩跡を見つけなければならない。
岩の手前からその右下の斜面を眺めると、斜面の先に先程と同じような突き出しが見え、その先に何やら黒いものが見える。 あれが尊仏岩跡に違いないと思ったが、そこに至るには急斜面が待っている。
仕方が無いので、少し先程の右側の突き出しの方へと戻り、斜面を斜めに下る。小生は土が剥き出しになって崩れかけている斜面を無理矢理に横断したのだが、 帰りはそこを通らなくても済んだので、目印の岩の手前 (斜面下方に向かって右側) を慎重に下れば問題ないようだ。
慎重に、崩れかけの斜面を横断し、尊仏岩跡があると思しき突き出しの基部に立つ。前を向けば、少し雪が残る草付きの細い突き出しの先に黒い固まりがある。
そして、そちらへと進めば、先端にある岩の上に 2体の石仏と石碑があったのである。尊仏岩跡に到着である。時刻は 11時5分。
縦走路を外れ斜面に入ったのが 10時41分だったので、24分程時間を要したが、正規に斜面を下る時間を引けば、15分くらいの捜索だったであろうか。 こんなに早く見つかってラッキーであった。今年は春から縁起が良い。その 2体の石仏であるが、皆が述べているように思いの外小さい (高さ 30センチ弱)。
2体とも頭がもがれた状態になっているが、頭は人の握り拳くらいであろう。
2体の石仏は鎌倉の大仏と同じく、どちらも親指と人差し指で輪を作っておられるので、阿弥陀如来像らしい。
一方、石碑の方には 3つの文字が刻まれており、一番上が 梵字のような文字、その次の 2つが漢字で 『 尊佛 』 とハッキリ読むことができる。さて、こうなると一番上の文字に興味が湧くが、 帰宅後に調べて小生が出した勝手な結論は、その梵字のような文字は 梵字の 『 アーンク 』 を簡略化したものではないかということである。
『 アーンク 』 とは、胎蔵界における大日如来を意味している (胎蔵界 = 密教で説く二つの世界の一つ。 大日如来を本来的な悟りである理性 (りしよう = 普遍の真理) の面から表す。もう一方の 金剛界は大日如来の智慧の面を表す。)。
となると、尊仏岩と大日如来との関係がどうなのかということになるのだが、これはよく分からない。
ただ、毎年 5月に塔ノ岳山頂で開かれる尊仏祭にて戴ける 『 狗留孫佛御守護 』 と書かれた守護札には、 『 アーンク 』 の梵字も書かれていることから、強ち見当外れではないような気がする。
そう言えば、丹沢周辺にも多くの伝説を残している弘法大師が、この塔ノ岳に大日如来を祀ったともいう話もあり、 さらにはかつて塔ノ岳の山頂に大日如来像があったとも聞く。閑話休題。 石仏、石碑にお参りし、余裕が出てきたので上部を見上げると丹沢山がよく見えている。
11時13分、満足感に浸りながら尊仏岩跡を後にする。振り返って見上げれば、かなりの急斜面が待っている。
しかし、下りに比べて登りは少し楽である。ただ、滑落すればかなり下方へと転げ落ちてしまうので、慎重に足を進める。
危険箇所を登りきり、例の岩の近くまで辿り着けばもう安心。振り返れば、丹沢山から蛭ヶ岳へと続く稜線がよく見える。また、富士山も見えている。
ササ原の斜面を登り、11時28分に縦走路へと戻り着く。少し時間がかかったのは、道を覚えるべく周囲の様子をカメラに納めていたからである。 再び塔ノ岳へと戻り、大きな標識の前を 11時30分に通過。
前回 (2011年2月) は塔ノ岳からヤビツ峠、蓑毛へと下ったことから、今回は鍋割山経由にて下山することにする。
木の階段に入る前に、もう一度富士山とその周辺の山を眺めるべく頂上の西の端に立ち寄る。富士山は相変わらず雲が宝永山付近にあるものの、 その頂上はしっかりと見えているが、南アルプスなどの山々は先程よりも霞んでいる。11時33分、下山開始。
しかし、さすが人気の山、未だ登ってくる人が多いので、階段途中で待つことが多くなる。やはり階段は少々幅が狭い。
金冷しを 11時44分に通過。左に曲がれば、今朝ほど登ってきた大倉尾根であるが、ここは真っ直ぐに進む。
金冷しの少し先からは階段、木道などにて大きく下った後、暫くは平らな道が続く。
気温も高くなったためであろう、足下にはぬかるみが見られるようになる。
やがて、道は大丸への登りに入る。ここも丸太の横木や階段がしっかりと設置されている。途中で振り返れば花立が見え、 その頂上を歩く登山者も見えている。
あまり疲れることなく 11時55分に大丸の頂上を通過、ここからは木道の下りに入る。小さなアップダウンを繰り返していくと、 やがて小丸尾根分岐に到着、時刻は 12時5分。
ここから左に下れば二俣で、小生のように鍋割山経由で大倉に下る場合でも、その二俣を通ることになる。気持ちの良いブナ林の尾根道が続く。やがて緩やかに登っていくと、小丸に到着。時刻は 12時12分。
暫く樹林の中の平らな道を進み、道が大きく下る手前にて富士山が正面に見えるようになる。富士山の右下手前には鍋割山も見えている。 また、富士山の真下には鉄砲木ノ頭、三国山などがうっすらと見え、富士山の右裾の先、鍋割山の後方には石割山の姿も見えている。
道は下りに入った後、小さなアップダウンを繰り返していく。前方を見れば、富士山は鍋割山の後方に位置するようになってきている。
右側がかなり崩れた場所 (柵がある) を通過した後、少し右によって振り返れば、塔ノ岳が見えている。こちらから塔ノ岳へと向かう場合、 塔ノ岳は高く、遠くに感じることであろう。
そして落ち葉が敷き詰められた斜面を登っていけば鍋割山頂上であった。時刻は 12時32分。頂上は人が多く、人口密度は塔ノ岳の倍くらい。とても 鍋焼きうどんを頼む状況ではなく、そのまま大倉へと下る。
右手には富士山が見えているが、今やかなり雲が上がって来ている。
ここからは下りが続く。木道も所々にあり、道の左右には植生保護のためか、柵が設けられている。その柵のための杭が横に積まれた場所があったので、 そこにザックを置き、立ったまま休憩する。
8分程休んだ後、12時51分に出発。さらに緩やかに下っていく。こけしのような小さなお地蔵様が置かれた岩を過ぎ、暫く下っていくと、木道が途切れ、少々荒れ気味の道となる。
さらには平らな尾根道を過ぎると、やはりやや荒れた斜面の急坂となり、ジグザグに下る。
途中、10数人の団体を抜かせてもらい、後沢乗越には 13時19分に到着。ここからは左に道を折れてドンドン下り、やがて杉の樹林帯に入る。 この辺は道が良いので足が進む。
ミズヒ沢を渡ると道は林道になり、そこから延々と林道歩きが続くようになる。
再び小さな流れを渡り、広い河原の脇を進んで行く。暫く進んで振り返れば、樹間に鍋割山らしき山が見えている。
小丸への登り口を 13時52分に通過、その後またまた橋を渡り、二俣に到着。後は黙々と林道を歩き続け、 漸く現れた林道ゲート手前を折り返すようにして左に曲がって林の中に入る。
鹿よけの柵を潜って道なりに進んでいくとやがて車道に飛び出す。ここからは大倉バス停を示す標識に従って進めばやがて大倉バス停である。 駐車場到着は 14時50分であった。本日は、目的通り尊仏岩跡詣でができて大満足であったが、 一方で如何に普段の運動が大切かを思い知らされた 1日でもあった。
また、塔ノ岳は木道、階段などが多すぎて、最早小生には不向きの山になってしまったのが残念である。
4年ぶりのダイヤモンド富士  2015.12 記
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
さて、昨年の 12月12日(土)の和名倉山登山は、体調不良により途中で断念することになり、 代わりに竜喰山に登って何とか形を整えはしたものの、やはり昨年の黒金山 (敗退) と同様、敗北感は否めない。
こうなったら、すぐにでも和名倉山に再挑戦したいところであるが、一方でまた同じ登山道を歩くことにどうしても気分が乗らず、色々考えた末に、 この時期限定となる竜ヶ岳からのダイヤモンド富士を見に行くことにする。
勿論、前回 (2011年12月) と同様、本栖湖湖畔から竜ヶ岳に登った後、雨ヶ岳、毛無山と縦走して、 『 朝霧グリーンパーク入口 』 バス停からバスにて本栖湖へと戻ってくる計画である。しかしである、富士急山梨バスの時刻表を調べると (新富士駅→富士山駅行き)、 前回利用した 『 朝霧グリーンパーク入口 』 15時53分のバスは 14時53分に変更されており、 次のバスは 17時53分ということになっているではないか。前回は、6時43分に本栖湖の駐車場を出発し、『 朝霧グリーンパーク入口 』 に到着したのが 15時17分。 となると、前回よりも 24分以上早く到着しなければならないことになり、少々難しくなるが、まだチャンスがない訳ではない。
前回は竜ヶ岳の頂上からではなく、その途中にある石仏と東屋のある場所からダイヤモンド富士を眺めており、これを竜ヶ岳頂上にすれば時間を節約できる訳であるし、 さらには前回バスの時間に合わせて、後半かなりペースを落とした覚えがあるからである。ということで、12月19日(土)、少し早目の 4時に横浜の自宅を出発する。
上空には雲一つ無く、星が瞬いており、間違いなく本日は快晴のようである。
横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTから圏央道に入った後、八王子JCTにて中央自動車道へと進む。
前回は国道16号線を嫌い (圏央道は東名高速道と未接続)、東名高速道を富士ICまで進み、 その後、西富士道路経由にて本栖湖へと向かったのだが、これはかなりの遠回り。今回はそれに比べて大分時間を短縮できるはずである。
順調に車を進め、大月JCTからは中央自動車道富士吉田線に入る。河口湖ICで高速道を下りた後は国道139号線を西へと進む。
車載の温度計はマイナス2℃を示しているが、この時期としては暖かいのではないかと思う。道の周囲に雪は全くない。
かなり長い間 樹海の中を走った後、精進湖への分岐を過ぎて 4km程進み、本栖で右折して国道300号線に入る。 すぐ 『 ← 本栖湖キャンプ場 』 の標識が現れるので左折して湖畔へと下る。駐車場到着は 6時11分。まだ辺りは暗い。毛無山付近には雪があるだろうと予想し、スパッツを着けて駐車場を 6時18分に出発する。
暗闇の中、サングラスを掛けて出発したのが間違いで、林の中を進んで行くうちに道が分からなくなる。慌てて周囲を探したところ、 竜ヶ岳の案内板があったのでホッとしたが、ここでも間違えて右へと進んでしまう (暗くてよく分からなかったのだが、右へと進む他にも竜ヶ岳に行く道が示されていた気がする)。
しかし、進めども お馴染みの登山口は現れず、最終的に竜ヶ岳頂上手前に至る登山道の入口に到着してしまう。この道は竜ヶ岳の北側を登り続けるので、 稜線に出るまで富士山は見ることができないことになり、遅れた場合にダイヤモンド富士を見逃してしまうことになる。
ソバにあった地図を見ると、辿ってきた道を戻り、先程右に曲がってこの道に入ったポイントをさらに先へと進めばいつもの登山口に出ると知り、 急いで戻る。結局、いつもの登山口到着は 6時43分。何のことはない、 この時点で当初の目論見 (竜ヶ岳頂上にてダイヤモンド富士を眺める) は吹っ飛んでしまったのだった。
しかし、まだバスの時間に完全に間に合わないという訳ではないので、少しスピードを上げて登っていく。ジグザグに斜面を登る。 周囲は少し明るくなってきており、焦りが増す。
やがて、右手に竜ヶ岳のズングリとした姿が見えるようになるが、まだかなり遠い。
とにかく時間を短縮すべくひたすら登り続け、現れた丸太の階段を登りきって少し進めば、富士山がよく見える台地状の場所に飛び出したのだった。 時刻は 7時9分。
周囲は明るくなっており、富士山の雪もよく見えているが、今年は雪がかなり少ないようである。道は一旦下りとなり、先の方には竜ヶ岳がまた見えるようになる。やがて、道は再び登りとなり、ササ原の中を進む。
左手には富士山がよく見える。富士山の頂上から太陽が出てくる時間はおそらく 7時45分前後であろうから、それまでにできるだけ頂上に近づいておきたいところである。
斜面をジグザグに登り高度を上げて振り返ると、今まで樹林が邪魔をして良く見通すことができなかった御坂山塊がよく見えるようになる。
結構 存在を主張している王岳、そしてその右には鍵掛、節刀ヶ岳、鬼ヶ岳、十二ヶ岳が続き、さらに十二ヶ岳の右後方には御坂黒岳も見えている。 いずれも朝日を浴びてうっすらと赤く染まっている。
御坂黒岳の右には三ツ峠山がうっすらと見え、その手前には足和田山も見えている。足和田山は独立峰のように平地から立ち上がっている上に、 その左には西湖の水面が少し見えているので、まるで島のようである。
足和田山のさらに右には今倉山や杓子山、鹿留山、そして御正体山がうっすらと見えている。やがて、前方に饅頭のような竜ヶ岳の姿が常に見えるようになり、 暫く緩やかに登っていけば東屋のある石仏に登り着く。時刻は 7時28分。
東屋周辺にはダイヤモンド富士を待つ 7、8人の人たちがいたが、まだ時間があるのでそのまま先へと進む。
前を向けば、竜ヶ岳の左斜面後方に、毛無山手前にあるタカデッキが朝日を浴びているのが見えている。富士山の後方では陽が完全に昇っているようで、 富士山の影から外れている山は皆朝日に輝いている。
道は再びササ原の斜面を登っていく。ここからは東から西に向かって進み、ほとんど木がない斜面をジグザグに登っていくので、 南側 (つまり主に左手) の展望が大きく開けている。
従って、富士山、そしてその手前に広がる広大な裾野を見ながらの気持ちの良い登りとなる。
振り返れば、先程は少々霞み気味であった三ツ峠山方面がかなりハッキリ見えるようになっている。さて、時計を見ると既に 7時40分を回っており、富士山の山頂から太陽が顔を出すタイミングである。
ジグザグに登っていくため、富士山に背中を向けている時に太陽が顔を出してしまっては大変と、富士山がよく見える所で足を止め、その時を待つ。
7時45分 (カメラ内臓の時計の記録)、ついに富士山の山頂に黄色い光が少し見え始める。そして、光はドンドン大きくなり、 僅か 1分程の間に大きなダイヤモンドへと成長したのであった。
この瞬間、下方から歓声が上がる。朝の清々しい空気の中、富士山自体が神々しい上に、さらにその山頂から昇る朝日を見られるとは・・・、 まさに感動である。7時46分、この後の行程は長く、時間もないこともあって、感動に浸っていたい気分を押しのけて先へと進む。
周囲のササ原には朝日が当たり、明るく輝き始める。しかし、それにしても今冬は本当に暖かいようだ。足下に雪は全く無く、 少し霜が見られる程度である。
前回、ダイヤモンド富士を見るべくこの山に登った時には、ササ原は霜で真っ白であったが、本日はササも本来の色にて朝日に輝いている。
気持ちよく斜面を登っていくが、出発時に慌てたこともあり、少々バテが出始める。
前方左を見れば、先程のタカデッキの左後方に長者ヶ岳、天子ヶ岳も見えている。やがて傾斜も緩み、少し南西の方向へ進み始めると、 今まで見えなかった西側の景色が見え始め、北岳、間ノ岳、農鳥岳と並ぶ白根三山が見えてくる。そして竜ヶ岳頂上には 8時16分に到着。出だしで色々あったが、前回よりも 10分程早く到着したことになる。
ここからの展望は相変わらず素晴らしく、ズラリと並んだ南アルプスの山々を見ることができる。
手前に黒々とした青薙山、稲又山、布引山、笊ヶ岳、偃松尾山などの山々が左から右へと並び、 その後方に白き聖岳 (笊ヶ岳の右後方)、赤石岳 (偃松尾山の右後方)、荒川三山 (前岳、中岳、悪沢岳)、小河内岳、塩見岳、黒河内岳 (笹山)、 広河内岳、そして先程の白根三山が並ぶ。
白根三山の 1つ、北岳の右には小太郎山が見えるものの、やや雲に隠れ気味。そして、さらに右には頂上部分が完全に雲に覆われたアサヨ峰らしき山が見え、 その右には鳳凰三山の 1つ、観音岳が見えている。さて、本来ならここで休むべきであったが、山頂に人が多かったことと、 出来るだけ時間を稼ぎたいとの思いから、そのまま端足 (はした) 峠へと下る。これが失敗であった。
この下りもササ原の中となるが、かつて一直線につけられていた登山道は今や整備し直され、ジグザグになっているので歩き易い。
この下り斜面からも南アルプスがよく見える。無論、左手には富士山、そして前方には雨ヶ岳とタカデッキが大きい。
斜面を下り終えると暫くほぼ平らな尾根道が続き、やがて端足峠に到着。時刻は 8時46分。前回この場所の通過時刻は 8時57分だったので、 まだ 10分程早い。峠を過ぎると雨ヶ岳への登りが始まる。最初は緩やかであるが、徐々に登りがキツくなる。
そして、それと同時に身体が悲鳴を上げ出す。ここまで休み無しに来たこと、そして序盤の失敗でかなり体力を消耗してしまったのが、 諸に影響し始めたようである。
ここで素直に休めば良かったのだが、展望もほとんどない斜面の途中では休む気になれず登り続ける。
高度を上げて振り返れば、竜ヶ岳が樹林の上にズングリとした姿を見せている。
もう少し登れば、富士山が見通せる場所があったはずと思い、喘ぎながら登っていく。
足下に全く雪は無いので、前回よりもコンディションは良いのであるが、疲れが出てきたことに加え、4年前に比して体力が落ちているのであろう、足がなかなか進まない。
それでも喘ぎながら登り続け、富士山が見通せる少し開けた場所には 9時56分に到着。
前回、雨ヶ岳には 10時15分に到着しているので、この時点でもう諦めムードが漂い出す。8分程休んで出発。諦め気分になったためか、栄養補給したにも拘わらず、 足が進まない。
ここでも少々喘ぎつつ登り続け、雨ヶ岳には 10時22分に到着。ここからはやや逆光気味ながら富士山がよく見える。
なお、頂上には 7、8人程の人がいたが、ほとんどすぐに端足峠方面に下山し、残ったのは先程の休憩時に追い抜いていったカップルと後から登って来た若者だけになる。
さて、これからどうするか思案である。時間、そして今の体力を考えると、完全に 14時53分のバスは諦めざるをえない。 次のバスは 17時53分なので、その場合、大幅に時間が余ってしまう。下手をすれば、暗く寒い中で 2時間以上待っていなければならない訳で、 それを考えると気が滅入る。
そうなると、この雨ヶ岳から端足峠へと戻り、そこから本栖湖に下山するという案が俄然浮上してくる。
と思い悩んでいたら、何と件のカップル、そして若者も毛無山方面へと進んで行くではないか。そうなると、 ここで小生だけおめおめと引き返す訳にはいかない。初志貫徹、時間を如何に潰すかは後々考えることにして先へと進むことにする。 まあ、できるだけユックリ歩き、出来るだけ休みを多く取り、そして休憩時間を長くするしかないのだが・・・。ユックリ休んで 10時42分に出発。暫く下った後、ほぼ平らな尾根が続く。
その後 登りが続くが、ダラダラと長いだけで先程の雨ヶ岳への登りよりは大分楽である。
展望のない斜面を登っていくと、やがて前方が明るくなって周囲はダケカンバの林となり、そこを抜けると展望の良い場所に飛び出す。
この辺はタカデッキの頂上付近と思われるが、見た限りではタカデッキを示す標識はない。時刻は 11時25分。
このタカデッキ頂上付近は開けたササ原となっており、前方にはこれから進む大見岳が大きく、その右後方に毛無山が少し見えている。少し進んで左手を見ればササ原の向こうに富士山が大きい。 先にも述べたように、富士山に雪は少なく、岩の斜面に刷毛で白いペンキを一塗りしたという風情である。
そしてササ原の斜面を下っていくと、今度は右手に南アルプスの悪沢岳 (荒川東岳)、荒川中岳、荒川前岳、そして赤石岳が見え始める。 さらに少し下れば、今度は上述の山々に加え、そのさらに左側にある聖岳、上河内岳、大無間山が見え、手前には七面山も確認できるようになる。
そして、さらには赤石岳の右にある塩見岳、そして白根三山も見えるようになってくるが、間ノ岳頂上は雲に隠れ、農鳥岳、北岳は頂上部分が見えているものの、 その右側の山々は雲に隠れてしまっている状態である。道はササ原の中を緩やかに下った後、再び登りに入る。 富士山の右には駿河湾もうっすらと見えている。
道はほぼ平坦になり、足下もしっかりしているので問題なく進んで行くことができる。
かつてこの辺は胸元近いササ原に覆われていたことを思うと、今の歩き易い登山道が嘘のようである。
暖かい日差しが心地よい。しかし、一方でこの時期に全く雪が無いことに驚いてしまう。
道は再び登りとなり、登って行くに連れて徐々に樹林の密度が高くなり始める。
やがて、大見岳と書かれた標識が置かれている高みに到着。時刻は 12時15分。
標識の後方にはロープが張られているので、ここはかつて麓への下山道があったところのようである (現在は廃道)。大見岳を過ぎると、草付きの展望の良い場所が断続的に現れるようになり、 その 1つにて先程のカップルが憩っていた。と言うことは 14時53分のバスは無理、東海自然歩道を端足峠方面へと戻るにしてもユックリしすぎである。 もしかしたら、このカップルも 17時53分のバスなのかも知れないし、別の手段があるのかもしれない。
そこから少し進むと、またまた草付きの展望の良い場所に出たので、そこにあった岩に腰掛けて休憩する。そう、時間つぶしには休憩が一番である。 時刻は 12時23分。
ここからは駿河湾を挟んで伊豆半島も見え、天城連山らしき連なりもうっすらと見えている。12時34分に出発。少し進むと、右手樹林の上方に見慣れぬ山が見えている。 南アルプスの南端になるはずなので、もしかしたら光岳と思ったが、帰宅後地図で確認すると、イザルガ岳と光岳が重なっていたようである。
富士山を眺めながら、緩やかな登りの道を進む。富士山をよく見ると、右側の斜面は綺麗なスロープを描いてなだらかに下っていくのに対し、 左側の方は途中にコブのようなものがあって、スロープが途中で途切れている。 調べると、このコブは富士スバルラインの五合目のある小御岳 (こみたけ) と呼ばれる場所で、そこは富士山形成のもととなった小御岳火山の山頂部分が露出しているらしい。
その富士山に絡むようにしてパラグライダーが上空を舞っている。富士山よりも高度を上げているとは思えないが、こちらから見ると富士山よりも高い所を飛んでいるように見える。 さぞかし気持ちの良いことであろう。
また、右手樹林帯の上部を見ると、コメツガの葉に白いものが付着している。この辺は朝方霧氷で真っ白だったようだ。毛無山の三角点には 12時46分に到着。三角点ソバの露岩に腰掛け、 休憩しながら この後どうするか考える。
『 朝霧グリーンパーク入口 』 17時53分のバスでは、どう考えても時間が余りすぎる。地図ではこの山頂からバス停まで 2時間45分となっており、 ユックリ下るにしても 2時間半程時間が余ることになる。
少し遠回りして地蔵峠経由にて下山するにしても、3時間35分、それでもやはり待ち時間は 1時間半近くある。
暗く寒い中で 2時間前後も待つのは耐えられないと思い、こうなったら下山後に東海自然歩道を歩き、『 根原 』 あるいはその手前の 『 道の駅朝霧高原 』 に行けば丁度良いとの結論に至る。
ユックリ休憩した後、13時5分に下山開始。途中、『 北アルプス展望台 』 に立ち寄り、 岩の上に登って南アルプスの山々を眺める。
となると、『 南アルプス展望台 』 と言うべきだが、聞くところによると、条件が整えばここから北アルプスも見えるらしく、 それで敢えて 『 北アルプス展望台 』 としたらしい。しかしどうも釈然としない。
なお、南アルプスの方は茶臼岳、上河内岳、聖岳、荒川三山、塩見岳はよく見えたものの、白根三山の方はかなり雲が絡んでいる状態であった。
また、南アルプスの右、ほぼ北の方角には八ヶ岳も見えている。本日、八ヶ岳を認識したのはこれが初めてであったが、 実際にはここに至るまでに見る機会があったのかもしれない。13時15分に地蔵峠経由の道との分岐に到着。左に道を取っていつもの登山道を下る。
途中、富士山展望台にて富士山の姿を眺めた後、ひたすら斜面を下り続ける。
この登山道には 『 ○合目 』 の標示板が置かれていて目安となるのだが、途中 『 四合目 』 を見逃してしまったらしく、 なかなか現れない標識にイライラさせられたのであった。疲れてきているので、こういうのは精神的に宜しくない。
急斜面を下り続け、14時40分に 『 不動の滝 』 の見える場所に到着。滝の写真を数枚撮った後、さらに下り続け、お馴染みの 『 麓金山金鉱石破砕機 』 のある場所には 15時12分に下り着く。
神社 (麓宮) の脇を通り、少し進めば 『 毛無山登山道案内図 』 が立っている場所となり、ここからは車道歩きとなる。
多くのイヌが吠える中、人家の脇を通り、バス停へと至る道を右に見て、まずはトイレにて用を足し、暗くなるのに備えてサングラスをメガネに替える。ここからは当面真っ直ぐ進み続けることになる。杉の林を抜けると、 展望がグッと開け、右手には 『 ふもとっぱら 』 の (オート) キャンプ場の広々とした草原が広がっており、その後方に富士山が大きい。
この東海自然歩道は毛無山に初めて登った際、端足峠から戻ってくる時に通っているのだが、所々思い出す場所はあるものの、 ほとんどは初めて見るという感じで結構楽しい。
ススキの原の中を進んだり、殺風景な杉林が出てきたりと変化に富んでいる。しかし、その杉林を抜けると登りが待っていたのには些か参った。 もう平地歩きしかないと思っていただけに、疲れた身体には厳しい。
やがて、道は牧場の横を通り、暫く進むと東屋に到着。さすがに疲れたので休むことにする。時刻は 16時3分。
どうやらここから右に進めば、国道139号線に出て、『 道の駅朝霧高原 』 にも行けるようだったが、その場合も時間が余るため、 左に進んで 『 根原 』 を目差す。心配は途中で暗くなることであるが、道はしっかりしているはずなのでライトがあれば何とかなろう。東屋を過ぎると、道は少し先で左に直角に曲がり、広い草地の縁を回る。 この辺は降雨時や雪解け時に水溜まりが出来て通行困難になるらしく、その場合は先程の東屋から右に道を取るらしい。
広い草地の先には富士山が見えているが、先程までとは違い、富士山の山肌が赤みを帯びている。そう、日が沈もうとしている訳で、少し足を速める。
道は草地を抜けて樹林帯を進むようになるが、林道のような道なので迷うことは無い。また、標識も頻繁に立っているので助かるが、 一方でそこに表記してある距離や時間がマチマチなのには些か参った。
再び草原の縁に出て富士山が見えるようになるが、赤みを帯びた部分がかなり上方にシフトしている。もう日没である。
道は見覚えのある谷沿いに作られた木道 (桟橋) の上を歩くようになる。もう辺りは暗くなり始め、道を間違えないように慎重に進む。
暗い中、根原吊橋を渡り、A沢貯水池へと向かって進む。そして薄暗い中に A沢貯水池の金網が見えてきて、根原へと続く林道の分岐には 17時8分に到着したのだった。さすがに辺りはかなり暗い。しかし、うっすらと月明かりが足下を照らしてくれるので、 何とかライト無しで林道を進んで行くことができる。
そして、林道を歩くこと 10数分、井之頭小 根原分校の脇を通って 漸く国道139号線に辿り着いたのだった。
バス停は根原分校の入口、歩道橋の下にあり、到着時刻は 17時20分。まだ余裕十分である。
人気の無い歩道橋の下で着替えをし、バスを待つ。しかし、定刻の 17時59分になってもバスは来ず、18時5分になっても来ない。 土日は運休かと心配になった頃、漸く到着してくれたのだったが、バスは小生を見落とし、慌てて止まる始末。非常にドキドキしたのであった。
なお、そのバスには雨ヶ岳で一緒になったカップルが乗っており、同じく本栖湖で下りたのだったが、どうやって時間を潰したのだろう。 道の駅に行ったのかも知れない。久々の長丁場で、少々疲れたが、同時に登山に対する意欲もかなり復活してきた感がある。
と、折角気分が上向いてきたのではあるが、諸般の都合により 2015年はこの山行が最後となったのだった。
和名倉山を諦め竜喰山  2015.12 記
12月2日(水)に急遽 硫黄岳に登り初冬の山を楽しんだお陰なのか、 徐々に登高意欲が戻りつつあるが、一方で相変わらず登りたいと強く思う山がなかなか見つからない。
惰性で山選びをしてしまうのはその山への冒涜とも思え、心から登りたいという気持ちにさせてくれる山はないかと いろいろ考えを巡らせたところ、 ふと 和名倉山 (別名 白石山) のことが頭に思い浮かんだ。この和名倉山には 14年前に登っているのだが、その時は他の奥秩父の山とは少し違った雰囲気を楽しめはしたものの、 少し地味であったことから、もう一度登ろうという気にはならないだろうな という印象を持ったのであった。
しかし、2012年にアサヨ峰に登った際、頂上で一緒になった方と色々な話をしながら北沢峠まで下ったところ、この和名倉山のことも話題となり、 その方が言うには 霊的な雰囲気を感じ、気味が悪く二度と行きたくない山との評価であった。
そう言われると、へそ曲がりの小生としては もう一度登ってみたくなるし、霊的な雰囲気を確かめたくなる訳で、 再登山すべき山のリストの片隅に載せていたと言う訳である。
ただ、その優先順位はかなり低いものであったのだが、登りたいと思う山がなかなか見つからない今、和名倉山には失礼だが、 消極的ながら今回行き先に浮上したという次第である。12月12日(土)、朝の 4時過ぎに横浜の自宅を出発する。
上空には雲が多いものの、和名倉山のある秩父市の天気予報は晴れのはずである。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTを経由して圏央道に入った後、八王子JCTから中央道へと進む。 天候の方は依然として曇り状態であり、少々先行きが不安になる。
実は YAHOOと Mapionの天気予報に少々違いがあり、Mapionの方は 9時までは曇り、その後晴れることになっていたので、 どうやらそちらが当たったようである。
勝沼ICで高速を下り、いつも通り国道20号線、県道38号線、県道34号線を経て、等々力から国道411号線に入る。
ナビの方は、手前の県道38号線からすぐにフルーツラインに入る道を指示していたのだが、コンビニにて食料・水を調達する必要があったため、 遠回りしたという訳である。国道411号線をかなり長い間進む。大菩薩嶺登山口への道を右に見た後、 道は人家を離れて山へと入っていく。
かなり改修されて良くなった道を進み、柳沢峠に登り着いた所でトイレ休憩を行う。本来ならばここから見えるはずの富士山は雲に隠れて全く見えない。 テンションが下がる。
柳沢峠を越えると今度は下り一辺倒となる。落合を過ぎ、柳沢川沿いに下っていくと、やがてヘアピンカーブの手前 (オイラン淵の手前) 左側に 『 一ノ瀬高原入口 』 の標識が見えてきたので、そこを左折して一ノ瀬林道へと入る。
道は一ノ瀬川の渓谷沿いに進んでいくことになるのだが、所々に擦れ違いが難しいところがあるため、結構 気を遣いながらの運転が続く (尤も 対向車は一台もなかったが・・・)。
やがて、一ノ瀬から周辺の山々 (飛竜山、唐松尾山、笠取山、和名倉山、竜喰山 等) に登る際にはいつも車を駐めている民宿に到着したのだが、 本日はどういう訳か全くそこに車を駐める気になれず、さらに先にある民宿みはらしの駐車場へと進んでしまう。 民宿みはらしの駐車場の方が断然登山口に近いためで、これは後々明らかになる身体の不調がそうさせたのかもしれない。民宿みはらしの駐車場には 6時49分に到着。 早朝にも拘わらず民宿のおばあさんが出てきてくれたので駐車料金を支払った後、身支度をして 6時56分に出発する。
この身支度の最中、周囲の気温はかなり低いにも拘わらず身体が暑さを感じたのだが、今考えると少々熱があったのかもしれない。
車道を少し下り、『 将監登山道入口 』 と書かれた標識の所から林道に入る。空は相変わらず雲が多い。
過去に何回も歩いている林道を登っていくが、身体が重い。林道を横切る水の流れを渡り、高度を上げていくと、やがて牛王院下の分岐に到着する。 時刻は 7時25分。ここから左に道を取って山に取り付く。 以前ここにあった標識は小さく、見落としがちなものであったが、今はしっかりした標識が立っている。
ここからはいきなりササ原の中の急登が始まる。足下に落ち葉が敷き詰められている中、一直線の急坂を登る。
この時点で身体の変調に気づく。胃から腸にかけての腹部が消化不良を起こしているかのように重苦しいのである。
年を取ったために胃酸分泌が少なくなったためか、近頃胃もたれに似た症状を起こすことが増えてきているが、 今回はそれが急に出てきたという感じである。イヤ、それよりももっと重苦しい。
さらには、登っていくに連れて足や腰、そして肩などが筋肉痛とまではいかないものの少々痛み始め、全身の怠さも現れ始めたのである。 そう言えば、昨日は鼻水が止まらなかったこともあり、これは風邪かなと思ったのだが、まだ何とかなりそうなので先へと進む。
こういう風邪の諸症状らしきものが現れたのならば、すぐに引き返すべきであるのは 頭では分かっているが、高速料金を支払い、 かなりの距離を運転しておきながら、何もせずに帰ってしまうことに気持ちの方が納得しない。
頑張れるところまで行ってみようと喘ぎながら登り続ける。やがて道の方は少し平坦になり、キツい登りから開放されて少し楽になったものの、 胃もたれ感は相変わらずである。
加えて、本来ならば、左手樹林越しに見えるはずの南アルプスの山々は雲で全く見えず、また、振り返れば、丹沢方面は少し見えているものの、 雁ヶ腹摺山、大菩薩嶺、そして富士山は全く見えない状態である。
もともとあまり高くないテンションの中、この身体の不調、そしてほとんど見えない景色という状況が加わり、登る意欲はドンドン下がっていく。
さらには、後から登って来た若者に抜かれ、そしてアッと言う間に差をつけられてしまい、かなり気持ちが落ち込む。
加えて、少し進むと、今度は風花が舞い始める始末。ますます気持ちが沈む。それでも、何回も立ち止まっては上を見上げるという動作を繰り返しながら、 喘ぎつつ小さな高みを越えていくと、道は再び平らになる。
シラビソの林を過ぎ、鹿よけのネットが張られたカラマツ林を越えて行くと、周辺は完全に牛王院平の一角に入り、 やがて、道は主稜線に合流する。時刻は 8時30分。
和名倉山に登るには、左に道をとって 山ノ神土まで進み、そこにある分岐を右に進むことになるのだが、この時点でも胃もたれ感は相変わらず続いており、 さらには倦怠感もかなり増してきているので、道をはずれて右手の高みに登り、この後どうするかについて考えることにする。
3分程で高みに登り着いたが、晴れていればここから良く見えるはずの富士山はやはり見えない。しかし、大菩薩嶺、そして雁ヶ腹摺山は見えるようになっており、 その左には大室山、蛭ヶ岳といった丹沢山塊がシルエット状に並んでいる。
相変わらず雲が空全体を覆っているが (風花はなくなった)、天気予報通り、少しずつ良くなってきてはいるようである。そして、当初の目的である和名倉山方面を見れば (和名倉山は見えないが)、 黒々とした樹林を頂上部分に有するリンノ峰が見えており、その右後方に恐らく東仙波と思しきピークが少し顔を出し、 さらにその右にササ原の斜面が魅力的な カバアノ頭が見えている。
しかし、その後方は先程より少し明るくなってきてはいるものの、やはり雲が多く青空は見えない。
ここから和名倉山に至るには、これらの山を越えた後、さらに長い距離が待っていることであり、加えて本日の体調を考慮すると、 とても和名倉山に向かうのは無理と考えて諦めることにする。しかし、和名倉山は諦めたとは言え、このまま下山したのではコスト的に見合わず、 気持ちの収まりもつかない。
と思いながらカバアノ頭の右手、東の方角に目を向けると、今いる高みから広い防火帯が下っていくその先に竜喰山、大常木山が見えている。
そうだ、ここから一番近い山として竜喰山があったではないか。竜喰山に登れば、本日の体調最悪の山行も何とか体裁を調えられると思い、 何としても竜喰山に登ってから下山することにする。
なお、この竜喰山の他、唐松尾山に登るという案も頭に思い浮かんだのだが、途中の御殿岩に登らねば画竜点睛を欠く気がし、 そうなると過去の記憶を辿ればかなり時間要することになるので、やはり竜喰山に向かうことにする。8時37分、高みを離れて防火帯を下る。 先程の分岐から続く正規の道は、この防火帯の左側、樹林の中にあるのだが、この防火帯の方が気持ちよく下っていける。
上方にリンノ峰、カバアノ頭を見ながら防火帯を下り、将監峠には 8時46分に到着。
ここからは、南に下る防火帯の後方に雁ヶ腹摺山を見ることができる。
峠からは飛竜山方面へと向かう。道を少し登っていくと、記憶通り道の左側に鹿よけのネットが現れたので、 そこから道を左に外れてササの斜面へと入っていく。
よく見ると、この竜喰山への取り付き口にある木にはタン色をしたテープが巻かれており、その少し右には森林保護、鹿害対策について書かれた お願いの書類が木に取り付けられている。ここからはササの斜面の急登が待っており、しかも、ササが五月蝿い中、 わずかにつけられた踏み跡を辿りながら登っていくことになる。
前回この山に登ったのは、2012年の 4月で、まだ斜面に雪が少し残っていた状態であったため、登るのに少々苦労したのだが、 今回 雪は全くないため足下は安心である。しかし一方で、身体が怠いためになかなか足が進まない。
場所によっては腰下まであるササの斜面がずっと続き、足下の踏み跡がササに隠れ気味の状態であるが、踏み跡のある所はササが少し低くなっていることから、 そういった状態の部分を探しながら進む。
もし、ここに正規の登山道が作られるとしたら、斜面をジグザグに登るように設定されることになるのであろうが、 このインフォーマルな道はほぼ直線的に斜面を登っていく。時々、倒れているササを踏んでしまい、足が滑りそうになるので、 足下をしっかり確認しながら登っていく。
途中、上方を鹿が横切っていくのが見えた。この辺は鹿除けネットもあるくらいであるから鹿の生息数も多いのであろう、足下には鹿の糞が沢山見られる。
急斜面の直登が続く。身体と相談しながらユックリと登っているつもりではあるが、それでもこの急斜面はかなり身体に応える。
やがて、ササの斜面の先の方に岩がいくつも見られるようになり、その間を進んで、最後は岩をよじ登っていけば、見晴らしの良い岩場に飛び出す。 ここは 1,833m峰で、到着時刻は 9時3分。
雲に隠れて太陽が出ていないためか、吹く風が冷たい。この岩場はかなり展望が開けているのだが、本来見えるはずの南アルプス、 そして富士山は雲に隠れて全く見えない。それでも、西の方角には乾徳山が見え、その右に笠盛山、黒金山が続く。
乾徳山の左方には、今年の 3月に登った倉掛山が大きく、その左に柳沢ノ頭まで続く稜線が見えていて、途中の高みには無線中継塔も見えている。
さらに左に目を向ければ、すぐ先の方に藤尾山が大きく、その左後方に黒川山、鶏冠山が見えている。そして鶏冠山の左後方、 南の方角には大菩薩嶺が見えているのだが、またもやその頂上付近には少し雲がかかっている。
大菩薩嶺の左後方に見える雁ヶ腹摺山も、その山頂付近に雲というかガスがかかっていて山頂はよく見えない。 天候は回復気味と思っていたのだが、大菩薩嶺を含め、その周辺の山は今朝ほどよりも条件が悪くなっている。
ただ、さらに左の丹沢方面は大室山、檜洞丸、蛭ヶ岳がうっすらと確認できる。2分程周囲の景色を眺めた後、先へと進む。進むべき方向(東)を見れば、 先の方に大きな高みが見えている。
ここで、竜喰山はその高みの右後ろに少しだけ見えている山であったことを思い出す。そうであった、意外に距離があるのである。 体調が良ければどうと言うことはないのだが、今の状況では億劫さが先に立つ。
ササ原を緩やかに下り、その後ササ原の尾根歩きとなる。気持ちの良い尾根であるが、身体が怠く、 今は一刻も早く竜喰山に登って帰路に就きたいとの思いの方が強い。また、右下を見ると、将監小屋の青い屋根が見えている。
ササ原が続く中、小さなアップダウンを繰り返しながら先程見えた高みへと進み、やがて、登り斜面に入るが、これまた身体が苦しく、喘ぎながら登ることになる。
この辺もササが五月蝿いものの、周辺には木々も多くなり、その木々にテープが巻かれているので迷うことは無い。
大きな岩の横を抜け、さらにまた登りが続く。相変わらず胃がもたれ、身体全体に倦怠感が漂う。ようやく斜面を登り切ると、再び平らなササの尾根道が続くようになる。
ここの展望もなかなかではあるものの、楽しむ余裕は全く無い。
やがて、周辺に木々が目立つようになるが、樹林帯という程のレベルではない。緩やかな道も また登り斜面に変わるが、それも長くは続かず、 再びほぼ平らな道が続く。この辺はササ原にしっかりと踏み跡がついている。
尾根を進み、再び傾斜が増してくると、今度は樹林帯の中に入っていくようになる。そしてそこから一登りすれば、漸く樹林に囲まれた竜喰山頂上であった。 時刻は 9時45分。展望の利かない頂上には三角点の他、立派な標識が地面に横たわっている。
前回登った時には、この標識には柱があったのだが (尤も、柱の方は折れており、柱ごと標識は木に立てかけられている状態であった)、 今は柱がなくなっており、標識だけが残っている状態である。
しかも、立派な標識ではあるが、そこには 『 2,011m 』 と書かれている。三角点があるこの竜喰山の実際の高さは 2,011.8mであり、従って 2,012mと表記すべきであるのに残念である。
というのは、2012年の 『 辰年 』 に 2,012mの 『 竜 』 の名の付くこの山に登るという ちょっとした記念登山を行った際、 この標識を見て しらけてしまった思いがあるからである。なお、この竜喰山頂上に着いた途端に、周囲に日の光が差し込み、 これは天候が好転したのかと思わせたが、大常木山方面に少し下ると見えるはずの富士山は相変わらず全く見えない状態であった。
さて、取り敢えず “ 登山の目標とされる山 ” に登ったということで何とか面目が立ったため、少し食料を口にした後、すぐに下山することにする。
9時51分に下山を開始し、辿ってきた道を戻る。小さなアップダウンを繰り返しながら徐々に高度を下げていく。
前方には西御殿岩と唐松尾山らしき峰がかなり高い位置に見えている。この竜喰山への登りにおいても、気怠い身体にはかなりキツく感じられたので、 唐松尾山を目差していたら もっと大変な思いをしたに違いない。ササ原の斜面を下り、気持ちの良い尾根道を進む。 もうほぼ下り一辺倒であり、キツい登りが待っていることはないので、ここは気分良く進むことができる。 しかし、吹く風は冷たく、先程 風花が舞ったのも頷ける。
左手に見える大菩薩嶺、雁ヶ腹摺山にかかっていた雲も、少し取れ始めているが、どうもスッキリしない光景である。
また、時々右手の樹林が切れて東仙波方面が見えるが、皮肉にも そちらの方はうっすらと青空が広がり始めている。
体調が良く、当初の目的通り和名倉山を目差していれば、青空に出会えたのかもしれない。 とは言っても、やはり富士山や南アルプスが見えないのでは面白くない。ドンドン下り続け、時々平らな尾根を進み、やがて少し登り返せば、 1,883m峰に戻り着く。時刻は 10時23分。
少し余裕が出てきたので、岩の上にて先程よりも丁寧に周囲を見渡す。すると、樹林越しに白岩山、芋木ノドッケが見えるとともに、 何と意外にも雲取山の山頂部分が見えたのであった。
予期していなかっただけに、これはこの最低の状況となったこの日の中で、唯一嬉しさを感じた出来事であった。
唐松尾山を見ながらササ原の急斜面を下る。登りの時は気怠さ故にかなりキツく感じられたこの斜面だが、 下りの場合はササなどに足をとられて滑り落ちてしまうことが懸念される。慎重に足場を考えながら下っていく。
そして、登山道へは 10時36分に下り着く。そこから右に 1分程下れば将監峠で、峠から今度は左に折れて良く刈り払われた防火帯を下る。
このまま防火帯を下っていけば将監小屋なのだが、本日の体調を考え、できるだけ負担を少なくしたいと思い、途中から右手の山道に入る。 思った通り、こちらの山道は緩やかな下りであり、身体が楽である。
左手の斜面下に将監小屋を見て進む。その上方を見れば、樹林越しに先程その頂上を踏んだ竜喰山が見えている。
やがて将監小屋からの道と合流することとなり、ここからは林道歩きが続く。時刻は 10時45分。
この頃になると、林道に日差しが当たり始める。天気予報よりも少々遅くなったが、漸く天気が良くなってきたようである。
左手樹林越しには飛竜山も見えている。しかしそれにしても、この林道歩きは非常に長い。この道は過去に数回下っており、 その時でさえも長く感じられたのであるから、ましてや体調不良の身にはかなり辛いし、なかなか終わりが見えてこないのが耐えがたい。
それでも何とか下り続け、今朝ほどの牛王院下の分岐を 11時29分に通過する。そして、民宿みはらしの駐車場には 11時50分に戻り着いたのであった。
民宿のおばあさんが 『 随分早いネ 』 と声を掛けて下さり、お茶も勧めてくれたのだが、体調不良で竜喰山だけにして引き返してきた旨を伝え、 一刻も早く帰途に就きたいため、お茶も辞退させて戴く。
なお、皮肉なことに、この頃になると上空には青空が広がり、周囲は暖かい日の光で包まれる状態になったのであった。
さらには、帰路、柳沢峠を越えてからは、本日ここまで全く見えなかった富士山が逆光ながらしっかりと見えるようになる。 やはり本日は全くツキがなかったようである。今まで数多く山に登っている中、登っている最中に身体が重いと感じたことは多々あったものの、 今日ほど体調不良で辛かった山登りは初めてである。
思えば、朝起きた時に布団から出たくない、もっと寝ていたいと強く思ったことが、既に体調不良のシグナルだったに違いない。 やはり、他の山に惰性で登るよりはまだマシと、消極的な心持ちでこの和名倉山を選んだことが山の怒りを買ったのかもしれない。
しかし、こうなると、和名倉山には再チャレンジしたくなるし、また和名倉山に限らず次回は計画通りに山に登りたいと強く思うようになる。
ということは、登高意欲が今よりも少し高まってきたということなのか ? 怪我の功名なのかもしれない。