新・山の雑記帳 5

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 1.最 新 の 雑 記 帳
 念願の美ヶ原 スノーシュー  2015.3 記

 楽しめた久々の御正体山  2015.3 記

 あわやの節刀ヶ岳  2015.3 記

 武甲山  2015.2 記

 快晴の大菩薩嶺  2015.2 記

 本年 登り初め  2015.1 記

 新年早々敗退 − 黒金山  2015.1 記

 スノーモンスターを楽しむ  2014.12 記

 お見それしました 乾徳山  2014.12 記

 快心の燕岳  2014.12 記

 こちらも天候にヤキモキの四阿山  2014.11 記

 天候の変化に驚かされた二度目の焼岳登山  2014.11 記

 苦行の平ヶ岳再々登山  2014.10 記

 24年ぶりの槍ヶ岳  2014.10 記

 充実の笠ヶ岳登山  2014.9 記

 モヤモヤ解消 荒沢岳  2014.8 記

 2.これまでの 新・山の雑記帳 4    ('2013/8 − '2014/8 )      ←   こちらもご覧下さい

 3.これまでの 新・山の雑記帳 3    ('2012/5 − '2013/7 )      ←   こちらもご覧下さい

 4.これまでの 新・山の雑記帳 2    ('2011/6 − '2012/4 )      ←   こちらもご覧下さい

 5.これまでの 新・山の雑記帳    ('2006/8 − '2011/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 6.これまでの山の雑記帳:INDEX 1    ('97/10 − '00/5 )      ←   こちらもご覧下さい

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念願の美ヶ原 スノーシュー  2015.3 記

3月も半ばを過ぎ、平地では春の訪れを日に日に感じるが、 各地の登山口からもノーマルタイヤでのアプローチが可能との情報がチラホラと届き始めている。
そんな中、ヤマレコに美ヶ原の登山記録が掲載され、登山口の一つである 『 三城いこいの広場 』 までノーマルタイヤで行けるとあったため、 これは是非とも登らねばと、早速出かけることにした。
美ヶ原には、昨年の 8月に女房殿との長野小旅行の際に立ち寄っているものの、実際には美ヶ原高原美術館前に車を駐めての散策であり、 しかも王ヶ頭には立ったものの、王ヶ鼻はパスをしているため、登山という観点からは大変物足りなさを感じていたのであった。
さらには、スノーシューを購入してから、雪の美ヶ原を一度は歩いてみたいとの気持ちを強く持っていたため、この時期、 最後のチャンスと思い実行することにした次第である。

美ヶ原のある松本市上山辺、上田市武石上本入の天気予報が晴れとなっていることを確認し、 3月18日(水)、5時に横浜の自宅を出発する。
横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTにて圏央道に入って、さらに八王子JCTからは中央道へと進む。 空は曇っており、笹子トンネルを抜けても、南アルプスの山々は雲の中である。この先晴れるのだろうかと心配しつつ車を進めていくと、 やがて雲が取れ始め、小淵沢IC付近からは甲斐駒ヶ岳、八ヶ岳がハッキリと見えるようになる。
さらには、岡谷JCTの手前では穂高連峰の姿も見え、長野自動車道を進む頃には、上空には青空が広がっていたのだった。

松本ICで高速を下り、国道158号線 (途中から国道143号線に表示が変わる) にて松本市街を目指す。 途中、中央一丁目にて右へと曲がる国道143号線と分かれ、真っ直ぐに一般道を進む。
やがて、中央二丁目の丁字路にぶつかるので、そこを左折した後、すぐに右折して、中町・蔵シック館の前を進む。1km程進むと、 再び国道143号線に合流するので、左に曲がり、城東二丁目の交差点を右折して県道67号線に入れば、暫く道なりである。
県道67号線を 20km弱進むと、三城口に到着するので、そこを左に曲がって山の中へと入っていく。ここまで雪は全く見られなかったのだが、 途中から道の左右に除雪した雪が積まれている中を進むことになる。本日は気温が高く、雪解け水は凍っていないから良いが、 氷点下になるとやはりノーマルタイヤでは難しいかもしれない。
やがて、休校となっている山辺小学校美ヶ原分校の前を過ぎると丁字路にぶつかるので、そこを右に曲がって少し進めば、三城いこいの広場であった。
しかし、広場の駐車場は雪の中、ヤマレコの登山記録にあったように、さらに先へと進み、道が冬期通行止めになっている付近の除雪スペースに車を駐める。 時刻は 7時58分。

身支度を調え、8時4分に出発。見上げれば、雪を抱く美ヶ原の稜線が丘のように連なっているのが見え、 烏帽子岩や王ヶ頭の鉄塔群が確認できる。そして、その後方には青空が広がっていて、テンションがグッと上がる。
車道を三城いこいの広場まで戻る。途中、左手を見れば、真っ白な乗鞍岳が見え、さらには穂高連峰、常念岳が手前の山の後方に少し顔を出している。 残念なことに、常念岳の左に見える槍ヶ岳はその穂先部分が雲に覆われている。
また、三城いこいの広場の手前、大きく道がカーブするところで、美ヶ原を一望できる場所があった。王ヶ頭から王ヶ鼻まで続く台地状の全容が見え、 ますますテンションが上がる。

登山口は三城バス停の向かい側、レストランの左横から始まる。 但し、道は除雪されておらず、道路脇の小さな雪の壁を乗り越えていく必要がある。
雪の上を少し進んで、雪が無い場所にてアイゼンを装着する。これが失敗であった。この日は暖かく、結果的にはアイゼンは全く不要で、 ここはスノーシューを履くべきであった。
確かに雪の上にはスノーシューの跡が残っていたのだが、それは下山時のもの。登りの場合は、百曲と呼ばれる場所でアイゼンが必要に違いないと思い込んでいたので、 初っぱなからアイゼンにした次第である。
暫くは平らな雪道を進む。時々雪を踏み抜くが、これはまだ高度が低いためと思い、気にせず進む。塩くれ場までの方向と距離を示す標識に従って、 二度程左に道を取る。
先にも述べたように、この日は気温が高く、またここ数日も気温が高い日が続いたのであろう、十数歩進むとそのうち 1回くらいは雪に足を取られる。 その度に、スノーシューに変えようかとの考えが浮かんだのだが、この先で再びアイゼンが必要になった場合に面倒と思い、そのまま進む。

林道と思われるような広い道を進んでいくと、前方左手下方にロッジのような建物が現れ、 車道も見えてくる。やがて 『 塩くれ場 3.0km 』 の標識が現れ、その標識に従って今度は右に曲がっていくと、道は樹林帯を進むようになり、 少しは登山道らしくなる。しかし、道は平坦なので、遊歩道というのが正しいのであろう。
1995年の美ヶ原登山の際にも見た覚えのある 『 県民の森 』 の標識を過ぎ、小さな流れを渡ると、樹林の密度が増してくる。
道を塞いでいる折れた木の下を潜り、小川の流れに沿って進む。積雪は 3〜40センチくらいであろうか。足下の雪は多いが、 一方で、左に現れた日当たりの良い斜面には所々、雪が無い。
やがて、前方に東屋が見え、その前が広場になっている場所に飛び出す。時刻は 8時57分。
ここは広小場という場所で、ここからは茶臼山への道が分かれるが、そちら方面の雪の上に足跡は見られない。

休まずに広小場を通過していくと、道は傾斜を持つようになり、 すぐに斜面をジグザグに登っていくようになる。
登りに入ったので踏み抜くことは無くなるかと思ったのだが、やはり雪は緩んでおり、数十歩に 1回の割合で踏み抜くという状況が続く。 これが結構体力を奪う。
シラカバ、コメツガ、ウラジロモミなどの林を登る。傾斜は緩やかなのでそれほどキツくはないが、先にも述べたように、 時々起こる踏み抜きが結構応える。
ジグザグに登っていくため、スノーシューによるショートカットが時々見られるのだが、ここは踏み抜きを恐れて、人が多く歩いている本来の道を進む。
やがて、『 塩くれ場 1.6km 』 の標識を通過。時刻は 9時27分。ここを過ぎると、左手樹林越しに周囲の山々がチラチラ見え始める。

樹林が邪魔をしてなかなか見通すことができないが、御嶽、乗鞍岳が確認できる。
そして、さらに高度を上げていくと、今度は中央アルプスが見通せる場所に出る。木曽駒ヶ岳が鈍角な三角形を見せており、その右に木曽前岳、 さらに麦草岳が見える。麦草岳の右には黒い山が見えているが、経ヶ岳と思われる。
木曽駒ヶ岳の前方には茶臼山、将棊頭山が並び、また木曽駒ヶ岳の左には宝剣岳と思われる高みも見え、さらに左には空木岳も見えている。
やがて、御嶽もスッキリと見通せるようになるが、やはり剣ヶ峰付近には白い噴煙が見えている。
さらに高度を上げていくと、乗鞍岳もスッキリと見通せるようになり、次いで霞沢岳も見えるようになる。
テンションがグッと上がるが、一方で、今までこれらの山々ならびに上空に見えていた青空が消えつつあることに気づく。 遠くの山々の背景は灰色っぽく、上空には薄い雲がかかり始めているのである。
美ヶ原の台地に登り着いた時、どこまでも広がる雪の原と、同じく果てしない青い空の広がりを期待していただけに、この後の展開が心配になる。

やがて、『 塩くれ場 1.0km 』 の標識を通過。時刻は 9時53分。
ここから先は、今までの緩やかな登りから一転して、急斜面の登りに変わる。周囲も灌木帯へと変わり、急斜面を登っていくと、 右手上方に岩場が見えてくる。恐らくあそこが美ヶ原の縁、下降点であろう。
しかし、そこまでは近いようで結構時間がかかる。急斜面をジグザグに登る。途中振り向けば、南アルプスの間ノ岳、仙丈ヶ岳が見え、 その左手にはすぐ目の前の茶臼山が大きい。
しかし、茶臼山の後方に青空は無く、前方の岩場を見上げても、その後方は薄い雲に覆われている。残念である。

この辺の登りでは、さらに足を踏み抜くことが多くなる。喘ぎながら斜面を登る。
やがて、『 塩くれ場 (近道) 急坂 』、『 塩くれ場 0.8km 』 と書かれた標識に到着。時刻は 10時10分。
但し、道は急坂の方にしかつけられておらず、ここは斜面を直登するしかない。何回も雪の斜面に足を取られながら登り続け、10時20分に下降点に到着。
しかし、ここからはまだ美ヶ原の台地は見えない。しかも、これからスノーシューの楽しみが待っているにも拘わらず、 もうこの時点でかなりの疲労である。雪を何回も踏み抜いたことがその原因で、ここはやはり素直に、最初からスノーシューで登るべきであった。 岩場にて暫し休憩。周囲の景色を楽しむ。

南東の方向には、今まで見えなかった八ヶ岳が見えるようになっている。 左の蓼科山から始まり、右に中山、東天狗岳、西天狗岳、硫黄岳、横岳、赤岳、阿弥陀岳、権現岳までよく見える。
その右には目の前の茶臼山。そして、その茶臼山の右奥には、北岳、間ノ岳、仙丈ヶ岳といった南アルプスの山々が見え、 さらに仙丈ヶ岳の右後方には荒川東岳 (悪沢岳)、赤石岳、聖岳がうっすらとではあるが見えている。
さらに右には中央アルプスが並び、その手前には鉢伏山、前鉢伏山が大きい。そして、中央アルプスの右には御嶽が見え、その右には間に鉢盛山を挟んで、 乗鞍岳が見えている。
空の色はライトスチールブルーへと変わってしまっており、山々もその色に紛れ気味であるが、それでも周囲の山々が見えているだけでもありがたい。

大休止の後、10時44分にスノーシューを履いて出発。 この休憩した場所は美ヶ原の台地の一角ではあるものの、もう少し登らねば広い台地は見えない。
雪の斜面を登っていくと、雪上車が作った道に到達。その道の脇をスノーシューで進む。
右手に蓼科山が大きく、また先程まで茶臼山の斜面に隠れて見えなかった編笠山が見えるようになる。 本来ならその右後方に富士山が見えるはずであるが、今の状況では確認できない。しかしである、帰宅後に写真を拡大してみると、 編笠山の右後方にうっすらと富士山が写っていたのであった。これには少々驚かされた。
さらに、前方、東北東の方向には浅間山が見えてくる。
少し進むと、左側の雪の高みが低くなり、王ヶ頭の鉄塔群が見えてくる。少し雪が消えている所はあるものの、真っ白な雪原の向こうに見えるそれは、 夏場とは違って、周囲に溶け込み、違和感なく受け入れられる。返す返すも、空が青くないのが残念である。
前方には雪の原が広がり、遙か向こうに美しの塔がポツンと見えている。吹く風は微風、あまり冷たく感じない。

>まずはその美しの塔を目指すことにする。雪上車が踏んだ道の脇を進む。 この辺も雪は結構柔らかくなっており、スノーシューでも 5センチほど沈む。塩くれ場のソバのトイレと思われる建屋は屋根付近まで雪で埋まっているものの、 先の方に見える牛伏山、鹿伏山の頂上付近、そして物見石山方面は雪が解けて、草地などが露出している。
美ヶ原も春が近いようだ。できたらもう少し早い時期に来たかったところであるが、ギリギリ間に合ったという感じである。

やがて、王ヶ頭の左右に北アルプスの山々が見えてくる。 バックが青空ではなく、また山が白いため、少し山容がぼやけ気味であるが、王ヶ頭の左側には、 左から明神岳、前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳と穂高連峰が見え、さらに右に大キレットを挟んで、 南岳、中岳、大喰岳、そして槍ヶ岳が続いている。槍の穂先は、今朝ほどは雲の中であったが、今は確認することができる。
そして、王ヶ頭の右には、餓鬼岳から始まり、その右に烏帽子岳、不動岳が続き、一旦不動岳から下った稜線は獅子岳、鬼岳、龍王岳とアップダウンを繰り返しながら立山 (雄山、大汝山、富士ノ折立) へと繋がっている。
富士ノ折立の右手前には針ノ木岳が見え、さらに右に蓮華岳が大きい。その蓮華岳の右後方には剱岳が見えている。さらに右に岩小屋沢岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳が続く。
そして、五竜岳の右には唐松岳、天狗ノ頭が続いた後、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳の白馬三山が続く。さらに右に乗鞍岳などの白き山々が続くが、 この辺になると、空の色に紛れて分かりにくい。

美しの塔前には 11時6分に到着。美しの塔の写真を数枚撮った後、 すぐに王ヶ頭を目指す。
ここからスノーシューの活躍が始まる。正規の道は雪上車の通り道を再び戻り、途中から右に曲がって王ヶ頭へと向かうのだが、 せっかくの雪原の広がりなので、本来 牧場である所を進んで、直線的に王ヶ頭を目指す。
最初は平らな雪原が続き、途中から窪地に下りて再び登り返すことになる。雪原には多くのスノーシューの跡が残っており、 この美ヶ原がスノーシューハイクの人気スポットであることが分かる。
窪地から再び登っていくと、草地が露出している場所が多くなる。やはりもうスノーシーズンも終盤に近い。
周囲を見渡せば、北の方角には妙高山、火打山も見えるようになる。また、北東には四阿山も見えている。

やがて、正規の道 (雪上車道) に近づき、その縁を登っていく。 『 美ヶ原高原 』 と書かれた大きな標示板の脇を通過し、王ヶ頭ホテルの横を通る。この辺は、除雪されたところも多く、 スノーシューでは少々歩きにくい。
ホテルの裏手へと進み、今は鳥居だけで、石仏群が雪の下となっている御嶽神社の横を進む。
そして王ヶ頭には 11時53分に到着。三角点は雪の下だが、王ヶ頭と彫られた石は根元まで全部露出している。
ここからは、霞み気味ながらも八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、北アルプスと、今まで見てきた山々が見えるが、 御嶽は最早 白く滲んだような状態である。
南アルプスでは、甲斐駒ヶ岳、鳳凰三山も見えるようになっている。ここは休まずにすぐに王ヶ鼻へと向かう。

ここからは北アルプスの山々を見ながら斜面を下る。鉄塔が邪魔をしているので、 五竜岳辺りまでしか見えないが、これで天候が良ければ、言うこと無い展望である。
道は、南側の崖と、武石峠方面から王ヶ頭ホテルに至る林道との間のスペースを進む。途中、雪が腐ったところが数ヶ所有り、 スノーシューでも何回か足を取られる。
やがて、紅白のポールに沿って進み、小さな樹林帯を抜けた後、少し下って崖の縁まで進めば、石像、石碑が並んでいる王ヶ鼻であった。時刻は 12時27分。
少し霞み気味ではあるが、ここからの展望は素晴らしい。特に、王ヶ頭では鉄塔などが邪魔をしていた北アルプスを、 ここからは遮るもの無く眺められる。
ただ、白馬三山方面は最早 白くボーッとした感じである。また、八ヶ岳、乗鞍岳もある程度しっかり見ることができるが、 南アルプス、中央アルプス、御嶽は最早 山の形を確認しづらい。

ここまで休憩無しだったので、石像横の岩場にザックを置いて休憩しようとしたところ、 岩の先で何かが動いた。一瞬ドキッとしたが、よく見るとカモシカで、先方もビックリしたらしく、慌てて崖を駆け下りていったのだった。
また、今朝方、下方からこの王ヶ鼻が見えたように、ここからも三城いこいの広場方面がよく見える。無論、周囲は真っ白であるが、 赤い屋根のレストランが確認でき、また、その前を走る よもぎこば林道が雪の原を割るようにして黒い筋をつけているのが見えている。

12時43分、王ヶ鼻を後にして、往路を戻る。こちらから見る王ヶ頭の鉄塔群も、 雪の中ではそれ程違和感を覚えない。
浅間山、四阿山などを眺め、雪上歩行を楽しみながら往路を忠実に戻り、王ヶ頭には 13時19分に戻り着く。再び王ヶ頭ホテルの横を通った後、 途中までは雪上車の通る道を進む。
途中、道を囲む牧場の柵が雪に隠れるようになったのを機に、右側の牧場の中に入る。百曲の下降点まで直線的に進むつもりであったのだが、 少し手前に出てしまい、昨年夏に通ったアルプス展望コースに沿って牧場の中を進む。
この辺は雪が腐っており、また所々、雪が無い所もあって、進むのにかなり苦労する。
14時4分に下降点に到着。再びここの岩場で休憩する。

14時10分に下山開始。ここからは急斜面であり、 さらには雪がグズグズな状態になっているので、スノーシューを履いた状態での下降は少々注意が必要である。
今朝方この斜面を登った時は、急斜面にも拘わらずスノーシューが下山に使われており、斜面に沿って跡が付いていたのが確認できたのだったが、 今の状態で斜面に沿ってスノーシューを置いたのでは、スキーのように滑ってしまう。
スノーシューを斜面に直角、あるいは斜めに置くようにして慎重に下る。かなり時間をかけて急斜面を下り、ようやく 『 塩くれ場 (近道) 急坂 』、 『 塩くれ場 0.8km 』 と書かれた標識の所まで下る。しかし、まだ少し急斜面が残っている。
やがて傾斜が緩み、道は斜面を横切る平らな道に変わってホッとしたのだが、気が緩んだのであろう、ここで失敗をしてしまう。 斜面を横切る道は、途中からさらに下へと下っていくのであるが、斜面を横切る道自体はさらに先へと続いていたので、下る場所に気づかず先へと進んでしまったのである。
途中、やけに足が沈むし、今まで見たことの無かったピンクテープが現れ出したので、おかしいとは思ったのだが、 新しい足跡がしっかりついていたのでさらに先へと進んでしまった次第。すると、今朝方には見たことない岩場が前方に見え、 さらには道が上の方へと進むようになってきたので、道間違いを確信する。
慌ててUターンし、目を凝らすようにして辿ってきた道を戻り、下降点を見つけて一安心。今しがた間違えて進んだ道は、王ヶ頭へと繋がる道なのかも知れない。

ここからは迷うこと無く下る。途中、スノーシューを履いているにも拘わらず、 何回か雪に足をとられたが (それもかなり潜った)、ショートカットを極力利用させてもらい、広小場には 15時14分に戻り着いたのだった。
広小場の手前にて子鹿の死骸を見たが、今朝ほどは気づかなかったのか、小生が通った後、死を迎えたのか・・・。
東屋で 7分程休憩。太陽はまだ空高くにあるものの、太陽を雲のベールが覆っており、何となく夕方の気分である。
この後も、雪に何回も足を取られつつ進み、いこいの広場には 15時51分に戻り着いたのであった。

車の所まで戻る途中、今朝ほどと同じ場所から美ヶ原を見上げる。 今朝ほどと違って、バックには灰色の空が広がっているが、ガスなどに巻かれることも無く、空模様を除いては良いコンディションであり、 なかなか充実した山行であった。
しかし、もう少し早い時期に同じコースを辿れたら、もっと楽しかったであろう。 少々雪に苦しめられた所があり、美ヶ原のスノーシューシーズンも終わりが近いと思われる。


楽しめた久々の御正体山  2015.3 記

3月の初め、奈良に旅行し、興福寺、東大寺、春日大社、薬師寺、法隆寺などを訪れてきたのだが、 中でも 1260年以上途絶えること無く続く東大寺二月堂の修二会 (しゅにえ) は圧巻であった。
夜の 7時、大松明 (たいまつ) を童子と呼ばれる人が担ぎ、それを道明かりとして、行を勤める練行衆 (れんぎょうしゅう) が二月堂のお堂へ入っていく様子、 そして大松明を持った童子が我々の頭上に大松明を突き出し、火の粉を散らしながら二月堂を駈け回る様子は、寒い中、 2時間前から待ち続けた甲斐のある、大変に荘厳なものであった。
この修二会の正式名称は 『 十一面悔過 (じゅういちめんけか) 』 で、十一面悔過とは、われわれが日常に犯しているさまざまな過ちを、 二月堂の本尊である十一面観世音菩薩の宝前で懺悔することを意味し、僧侶たちが一般の人々に代わって苦行を引き受け実践するものとのことである。 ありがたいことである。

と、話が山と関係ないところに行ってしまったが、旅路にて真白き富士山、 南アルプスの山々、そして鈴鹿の山々、奈良の山々を眺め、山に行きたくなったことも確かである。
ただ、このところ、天候が不順のため登山口の様子が分からないことから、前回の節刀ヶ岳に続き、無難な低山を物色することにする。
その結果、浮かび上がったのが御正体山。他の山もいくつか候補に挙がったのだが、当日は風が強いとの予報が出ていたので、 樹林の多いこの御正体山を選んだものである。
この山には 1996年に既に登っているのだが、登山の帰りなどに登山口である三輪神社の横をしょっちゅう通っているため (都留市から道志へと抜ける道 : 県道24号線)、結構気になっていた山なのである。
前回は、富士急行の谷村町 (やむらまち) から登山口となるその三輪神社まで歩き、御正体山を経て平野 (ひらの) へと下ったので、 今回は反対側の山伏峠から登ることにする。
理由は 2つ。1つは、同じルートを登るのは避けたいこと、もう 1つは、車で行くのでピストン登山にならざるをえず、 そうなると三輪神社から登った場合、富士山をほとんど見ることができないと思われるからである (記憶では、蜂宮跡でしか見ることができなかったはず)。

3月11日(水)、5時過ぎに横浜の自宅を出発する。空には星が瞬き、 本日は快晴のようである。しかし、久々に日本列島は寒気に覆われ、かなり気温が低い。
横浜ICから東名高速道に乗り、御殿場ICまで進む。山伏峠に行く場合、大井松田ICで下りることも考えられるのだが、本日はかなり気温が低く、 路面凍結の恐れがあるため、山道を避けた次第である。
御殿場ICからは国道138号線にて北へと向かい、須走ICから東富士五湖道路に入る。車載の温度計はマイナス 6℃を示しており、 山道を避けたのは正解だった様である。
山中湖ICにて東富士五湖道路を下り、山中湖を目指す。国道138号線とほぼ平行する道を進み、やがて山中湖にぶつかるので、 そこを左折して山中湖湖畔を進む (県道729号線。マリモ通り)。
やがて、平野。そこを左に曲がって道志みち (国道413号線) に入る。気温はマイナス 8℃を示しており、道路は凍結防止剤にて真っ白な状況。 少々ビビりながら車を進める。
やがて、山伏トンネルに到着したので、その手前を右折して、廃屋となった山中湖高原ホテルの手前に車を駐める。時刻は 6時52分。

身支度を調え、6時59分に出発。登山道は立入禁止の掲示がある旧ホテルの庭先へと進み、 そこにある神社の鳥居脇から始まっているのであるが、何を勘違いしたのか、あるいは立入禁止の札に恐れをなしたのか、 国道413号線の向こう側にも道らしきものが見えたので、そちらに進んでしまう。
国道を渡り、側溝を飛び越えて斜面に取り付く。小さな谷状の所を登っていったのだが、踏み跡は薄く、すぐに道間違いに気が付く。 しかし、ホテル前まで戻るのも億劫であるし、しかも上を見上げれば山伏峠の稜線が見えるので、何とかなろうかと、先へと進む。
途中から、谷と谷との間にある尾根に登り、その上を進む。足下の土はボロボロしていて滑りやすく、少し緊張しながら急斜面を登る。
ここを登るのは間違いであるが、この斜面を使っている人もいるのだろう、斜面には時々踏み跡らしきものが現れる。そして、7時15分、 苦労の末に登山道に合流する。

ここからは良く踏まれた道が続く。左に道を取り、御正体山と石割山とを結ぶ稜線を目指して登っていく。
やがて、左手樹林越しに富士山が見え始めるが、枝が邪魔をして見通すことができない。
7時48分、御正体山と石割山とを結ぶ稜線に登り着く。ここからは右に道をとって御正体山を目指す。しかし、できうれば帰りに石割山にも登ってみたいところである。 この尾根歩きは左から冷たい風が強く吹き、左の頬だけが強ばる。
ササの中の道を登っていくと、やがて文字の消えた標柱が現れる。辛うじて 『 奥 』 の文字が読み取れたので、ここが奥ノ岳であろう。 時刻は 8時丁度。
奥ノ岳は樹林に囲まれていて展望はあまりないが、樹林越しに御正体山が見えている。道は奥ノ岳から一旦下って再び登り返すことになる。 足下には雪が所々で現れるが、日当たりの良いところには全く雪が無い。
右が檜、左が自然林からなる樹林帯を進み、下りに入ると、やがて樹林帯を抜けて視界がパッと開ける。

ここはカヤトの原となっていて、高みには送電線の鉄塔が立っている。 この場所は御正体山のルートの中で、一番見晴らしの良い場所であり、鉄塔下の高みまで進めば、周囲の山々をよく見ることができる。 ここは風もそれ程吹いておらず、なかなか良いコンディションである。時刻は 8時5分。
さて、展望だが、まずは今まで樹林に邪魔をされて見通すことができなかった富士山が、南西の方向に見えている。残念ながら、 富士山の斜面には雲というか雪煙というか、ガスが掛かっていて、スッキリとした姿を見ることができないが、 それでも青空をバックにした白き姿は素晴らしい。
また、斜面の下方には、今朝方の寒さのためであろう、樹林に霧氷がついているのが良く分かる。
そして、富士山の手前には、石割山へと続く尾根が見えており、日向峰が大きい。

また、ここからは富士山の裾野が右に長く延びているのが良く見え、 その裾野が緩やかになる部分の後方に毛無山、タカデッキ、雨ヶ岳、竜ヶ岳が見えている。雨ヶ岳の後方には、布引山、 そしてその右に笊ヶ岳も確認できるが、その後方に見えるはずの上河内岳、聖岳、荒川東岳 (悪沢岳) といった山々は雲に覆われていて全く見ることができない。
そして、毛無山の右、少し間を空けて西北西の方向には、王岳、鬼ヶ岳、十二ヶ岳、そして先日登った節刀ヶ岳が続いているのが見える。 節刀ヶ岳のさらに右にも金掘山、不逢山といった御坂山塊が続くが、尾根は途中で目の前の杓子山の斜面に遮られてしまっている。
その杓子山の右には鹿留山 (ししどめやま) が続き、目の前に大きく存在感を示している。
鹿留山の右斜面後方には三ツ峠山が顔を出しており、さらにその右後方に本社ヶ丸と思しき山が見えている。
そして、その右側には奥秩父方面の山々が見えているが、こちらは同定がやや難しい。
目を反対側に転ずれば、丹沢方面が見える。ここからは大室山がなかなか見事で、その右に蛭ヶ岳などが確認できる。

休憩を兼ねながら、富士山の雲が無くなるのを待ったものの、結局 好転せず、 8時14分に鉄塔を後にする。道は再び樹林帯に入り、暫く下りが続く。途中、立派な標識があり、『 御正体山 約 1時間50分 』 とある。 今の時刻は 8時19分なので、頂上到着は 10時過ぎということになる。
所々に凍った雪があるのをうまく避けながら下っていくと、今度はササの斜面の かなりキツい登りとなる。こちらは南斜面なので日当たりも良く、 足下に雪は全くない。
息を切らせながら登っていくと、やがて道は緩やかになり、辺り一面の雪の上を歩くことになる。ただ、雪の量はそれ程 多くはなく、 また今朝の寒さのためか、かなり締まっているので、歩行には全く問題ない。
前方には樹林越しに御正体山と思しき山が見える。
暫く平らな雪道が続くと、中ノ岳の頂上に到着。ここの標柱の文字も消えかかっているが、 標柱の傍らに立派な標示板があり、中ノ岳と確認できる。時刻は 8時46分。

道はやがて下り斜面に入るが、こちら側は北斜面のため雪が残っており、 さらにその雪が凍っているので、足の置き場に苦労する。ただ、チェーンスパイクなどは不要、すぐに雪の無い道に変わる。
暫くは緩やかな登りが続き、雪の無い、落ち葉の斜面を登っていく。左手には富士山が見えているが、樹林が邪魔をしてなかなか見通すことができない。 そして、相変わらず富士山には雲というか、ガスが纏わり付いている。
日だまりハイクを楽しみながら登っていくと、徐々に傾斜が緩んでくるとともに、足下に雪が現れ始める。そして暫く緩やかな雪道を進んでいけば、 前ノ岳の頂上であった。時刻は 9時17分。
前ノ岳からは少し下った後、急登が始まる。
足下の雪は無くなっており、ササ原の樹林帯を登っていくことになる。やがて、周囲に大きなブナの木が目立つようになると、 足下に雪が現れるようになり、さらにはシラビソなども見られるようになると、周囲は完全に雪の斜面となる。 所々に凍った箇所があり、少々登るのに苦労する。
やがて傾斜も緩やかになり、ほぼ平らな状態になると、雪の量はかなり増え、足下には踏み抜いた跡も見られるようになるが、 本日は雪が締まっており、踏み抜くことは全く無い。

ミズナラ、ブナが目立つ雪の原を進む。明るい日差しが周囲を照らし、雪が眩しい。
先の方にはもう高いピークは見えず、僅かに盛り上がっている部分が見えるだけ。その後方には青空が見えている。 しかし、頂上が近いことは分かるが、なかなか頂上標識が見えてこない。
見覚えのある、銅葺きの祠の横を通過し、そこから少し進むと、先の方に標識が見えてきた。ようやく、御正体山の頂上に到着である。時刻は 10時3分。
頂上の雪は結構有り、山梨百名山の標識は 『 山梨 』 という所までしか見えないので、積雪量は 6〜70センチといったところか。
標識のソバにある祠は、赤い屋根だけが雪の上に出ている。また、標柱の傍らにあるテーブルと椅子のセットは、テーブル部分だけが雪の上に顔を出している。 そこに腰掛けて食事とする。
周囲は樹林に囲まれていて展望は全くないが、明るい日差しの下、雪の頂上で一人食事をするのもなかなか良いものである。 強く吹いていた風も今はほとんど感じられない。

10時19分、頂上を後にして往路を戻る。頂上から下り斜面の途中までは、 凍った箇所があるので、チェーンスパイクを装着する。
なお、予定では石割山まで行くつもりであるが、問題はその後である。石割山からまた山伏峠への分岐まで尾根道を戻って山伏トンネルに下るか、 それとも石割山から下山して車道歩きにてトンネルまで戻るかの択一である。悩みながら往路を戻る。
下り斜面ではチェーンスパイクが効力を発揮してくれたのだが、すぐに土の斜面に変わり、チェーンスパイクは用済みとなる。 下りながら富士山を見ると、富士山に掛かっていた雲も少し取れ始めている。しかし、木々が邪魔をして見通せず、イライラする。
展望の良い鉄塔下まで、今の状態が保ってくれることを願いながら、木々の隙間から取り敢えず富士山の姿を撮る。
前ノ岳を 10時52分に通過。テラテラと光っている凍った斜面を登って中ノ岳には 11時17分に到着。時々振り返って御正体山を眺めるが、 富士山と同様、木々が邪魔をして見通すことができない。
そして、鉄塔下には 11時47分に戻り着く。しかし、この時 既に富士山には再び雲が掛かっていて左半分が見えない状態であり、 非常にガッカリさせられた。

またまた、富士山の雲がとれることを祈りつつ、暫し休憩。 しかし、待てども今朝方と同じく富士山はスッキリとした姿を見せてくれない。
諦めて、12時6分に出発。奥ノ岳を 12時14分に通過し、山伏峠への分岐には 12時20分に戻り着く。
まだ時間に余裕があるので、迷わず石割山へと向かう。ここからは細い尾根のアップダウンが続く。途中、道が 2つに分かれ、 尾根通しの道と高みを巻く道があったが、滑るのを避け、なるべく雪の無い道を選ぶ。
足下が雪、そして周囲にササが五月蝿い道になったかと思うと、また日当たりの良い、良く踏まれた道が続いたりする。
振り返れば御正体山が見えるが、やはり樹林が邪魔である。
やがて、前方が見通せる場所に出る。先の方には鉄塔の所で富士山の下に見えていた日向峰が大きく、 そこに至るまでにいくつかの高みがあることが分かる。少々疲れてきたので、目の前に見える山々が苦痛に思えてしまう。

道はやや泥濘んだ細い尾根を下って、そこから暫く平らな道を進み、 その後 雪の斜面を登ることになる。
雪は現れたり、無くなったりという状況であるが、この辺は高度もそれ程高くないため、総じて日だまりハイクが続く。
登り着くと暫くほぼ平坦な道が続き、少し下ってまた登るという状態が続く。そして、先程見えた日向峰だが、途中に標識らしきものは見当たらず、 どこかよく分からずに通過してしまったようである。頂上を巻いたのかも知れない。
やがて道も緩やかになり、細い尾根を進んで行くと、右手樹林越しに南大菩薩方面の山々、そしてその左後方に奥秩父の山々が見えてきた。 一番目立つのが、なかなか良い形をした黒岳 (小金沢連嶺の黒岳) で、その右にピラミダルな雁ヶ腹摺山が見える。
黒岳の左にはハマイバ丸、大谷ヶ丸が続き、その後方に破風山、木賊山、そして甲武信ヶ岳が見えている。
そしてそこから少し進むと、今度はスッキリと御正体山を見通せる場所に出たのであった。ようやくモヤモヤした気持ちが解消する。 こちらから見る御正体山は、なかなか立派な三角形をしており、この山が信仰の山として崇められていたのも頷ける。

ササ原を進んで行くと、やがて先の方に鉄塔が現れ、展望が一気に開ける。
目の前に杓子山、鹿留山が大きく、その右後方には先程の奥秩父の山々、南大菩薩の山々が見えている。そして、杓子山の左後方には、 先程の鉄塔では見ることができなかった節刀ヶ岳よりも右側の中藤山、破風山、御坂黒岳といった御坂山塊の山々が見えている。 無論、左手に富士山も見えてはいるが、最早その頂上は雲の中、しかも逆光である。
そして、そこから雪の斜面を少し登れば、泥んこの石割山頂上であった。時刻は 13時36分。
ここからの展望は素晴らしいのだが、何せ、主役となる富士山はその頂上が雲に覆われており、見えるはずの南アルプスの山々は全く見えない状態である。
それでも、富士山の左斜面下には山中湖が広がっており、その後方にうっすらとではあるが、愛鷹山が見えている。
そして、目の前、富士山の下方には平尾山、大平山が見え、富士山の右裾野の後方には毛無山、タカデッキ、雨ヶ岳、竜ヶ岳が見えている。 しかし、鉄塔から見えた南アルプスの布引山、笊ヶ岳は雲の中である。
竜ヶ岳の右には、烏帽子岳、パノラマ台、三方分山が続き、さらに王岳への高みへと稜線は昇っていく。王岳の右には、雪頭ヶ岳、鬼ヶ岳が並び、 ポコッと飛び出た十二ヶ岳を間に挟んで節刀ヶ岳へと続いている。さらに右に金掘山が続き、先程の御坂黒岳へと続いている。

泥だらけの頂上では休む気になれず、すぐに立ち去ることにする。
さて、ここからどう下山するかであるが、山伏峠への分岐から石割山までのアップダウンを考えると、とても尾根上を戻る気になれず、 平野への下山を決める。車道歩きは少々道幅が狭いため怖い気がするが、あまりアップダウンが無いはずである。13時38分、下山開始。
ここからは泥濘んだ道に苦労することになる。転んだら雪より始末が悪いため、慎重に下る。日当たり良好の道を滑らないように下り、 石割神社前には 13時54分に到着。神社前のベンチで暫し休憩する。
この石割神社は、山中湖村の観光サイトによれば、『 漢字の 「 石 」 の字の形に割れた大岩を御神体とする珍しい神社で、 開運・厄除・追儺・長寿息災のご利益があります。古くからこの岩の隙間を3回通れば幸運が開けるといわれています。 子供でも大人でも、体の大きな人でもすれすれで通れることが神秘的ですが、悪いことをした人は岩に挟まれてしまうと言い伝えられています。 また石の割れ目からしみ出る水は霊水として眼病、皮膚病に効くともいわれています。 』 とのこと。 そのことは知らなかったのだが、岩の間は通れない気がしたので、トライせずに 5分程休憩した後下山する。

ここからは小型車が通れるのではないかというような林道のような道が続く。
途中、学生らしき十数人の団体と擦れ違う。登山の格好はしていなかったので、石割神社参拝を目的としていたと思うが、 今まで誰にも会わなかったことを喜んでいたのに、最後の最後で多人数と擦れ違うとは・・・。
途中の休憩舎から階段が始まる。旧 山中湖高原ホテルへと戻るには、階段とは別の石割の湯方面へと下るべきであったのに、目の前の階段に惑わされて、 何も考えずに階段を下ってしまったのであった。
この階段が結構きつい。400段近くあるそうだが、歩幅が決まってしまうので、疲れた身体には結構応える。足の出し方を工夫しながら下り続け、 赤い鳥居を 14時19分に潜り抜ける。
橋を渡り、広場にあったトイレを借用。そこから広い舗装道を歩く。やがて、国道413号線に合流。
石割の湯より 600mも平野寄りに出てしまい、車道歩きがさらに長くなる。

車道は石割の湯への入口まで歩道があるものの、 そこから先は狭い白線の内側を歩くことになる。
加えて、車道部分の道幅もそれ程広くなく、さらには背中に太陽を背負っての車道歩きとなって、前方から来る車が眩しくて小生を見落とすのではないか との心配まで浮上する。
一方、ありがたいことに、道は途中までほぼ平坦。但し道程は長い。
やがて、先の方に山伏峠を経て東海自然歩道へと至る稜線が見えてくるが、かなり遠い。橋の工事のため片側通行となっている箇所を過ぎ、 さらに歩き続ける。
ようやく道がカーブを繰り返すようになり、さらにはカーブに勾配が付き始めると、右手前方樹林越しに小生の車が見え、 さらに大きなカーブを右に曲がっていくと、山伏トンネルの前に出たのであった。
右に曲がって、山中湖高原ホテルの廃屋へと進み、ようやく長い歩きも終了である。時刻は 15時18分。
車道歩きは凡そ 3.6km (NAVITIMEにて計測)、大した距離では無いが、疲れた身体には大変厳しい道程であった。

本日は、19年ぶりの御正体山を目指し、雪は思ったよりも少なかったものの、 静かな山歩きを楽しむことができた。
富士山のスッキリとした姿を見ることができなかったのは残念だが、快晴の下での尾根歩きは楽しいものであった。


あわやの節刀ヶ岳  2015.3 記

2月12日に武甲山に登った後、晴天の平日が意外と少なく、 また せっかく晴天になってもその時は所要があったりと、なかなか山に行くチャンスに恵まれないまま 2月も最後の週になってしまった。
できれば、2月中にもう 1つ山に登っておきたいところであり、そのため、比較的天気が良さそうな日にち、地域を探していたところ、 24日(火)の富士五湖周辺が対象として浮上してきたのであった。

そうなると思い出すのが、2年前に登った御坂山塊。その時は、 御坂峠登山口から御坂峠経由にて黒岳に登った後、大石峠まで雪の尾根をスノーシューで楽しんだのだったが、 時期を考えると今回もスノーシューを楽しみたいところである。
天気予報は YAHOO、Mapion とも、15時頃まで晴れマークが並んでおり、河口湖とは御坂山塊を挟んで反対側の笛吹市側に至っては、 一日中晴天の予報となっている。

さて、今回どのようなルートを辿るかであるが、思い浮かぶのは 2つ。
1つは河口湖畔にある野天風呂 天水から黒岳に登り、そこから大石峠に至るというルート、そしてもう 1つは大石プチペンション村から大石峠へと登り、 節刀ヶ岳を往復するルートである。
検討の結果、結局 目新しさが詰まっている後者のルートを選ぶことにする。この大石峠−節刀ヶ岳間は初めての上、この区間を歩けば、 小間切れながらも三ツ峠 (あるいは本社ヶ丸) から王岳、三方分山までの全区間を歩いたことになるからである。

4時50分、横浜の自宅を出発する。空を見上げると雲が夜空を覆っているが、 天気予報では横浜は曇りということだったので、想定通りである。
コンビニに立ち寄った後、横浜ICから東名高速道下り線に入る。海老名JCTにて圏央道へと進み、八王子JCTからは中央自動車道に入る。 周囲の山は少しガスっており、イヤな予感がするものの、天気予報を信じて大月JCTを目指す。
大月JCTからは河口湖方面へと進む。天気が良ければ、前方に見えるはずの富士山は全く見えない状態であり、周囲の山にもガスがかかっていて、 気持ちが萎える。
河口湖ICにて高速を下りた後は国道139号線を西へと進み、東恋路にて右折して県道707号線を北上する。 河口湖大橋を渡って国道137号線に合流した後、すぐに左へと折れて県道21号線 (湖北ビューライン) に入って河口湖の周りを進む。
昔良く利用していた大石公園には 6時40分に到着。トイレを借り、身支度を調えた後、県道21号線まで戻って、 あけぼの荘前にて 7時5分の芦川農産物直売所行きのバスを待つ。
周囲を見渡せば、御坂山塊はガスが掛かっていて稜線が見えず、上空も雲に覆われていて青空は全く見えない状態である。 当然、河口湖の向こう側にある富士山も全く姿を見せていない。テンションがドンドン下がる。

定刻通りにやって来たバスに乗り、プチペンション村を過ぎて、 若彦トンネル手前にある大石峠バス停にてバスを降りる。時刻は7時13分。ここまで乗客は小生 1人であった。
トンネル手前にてガードレールを越え、県道719号線の下を通る林道に下りる。林道を山側へと進み、途中の河原にてアウターを脱ぐなど、 再度 身支度を調えた後、登山口を目指す。登山口までの林道は雪が凍った状態となっており、歩くのに苦労する。
登山口到着は 7時27分。そこから標識に従ってコンクリートの荒れた道を登っていく。すぐに右手の杉林の中に標識が現れ、 そこから山に入っていくことになるのだが、標識が壊れていて少々分かりにくい。しかし、コンクリートの道をそのまま進んでも、 途中で 『 右 大石峠 』 の標識が現れ、さらにその先で山道に入ることになるので問題ない。
なお、すぐに杉林の中に入った場合には、堰堤の縁を進み、やがて左上に現れる山道と合流することになるのだが、この左上に現れる道が、 上記で述べたコンクリートの道をさらに先へと進んだ場合の山道である。
但し、この山道は堰堤からの道と合流する手前にて急斜面を横切ることになるので、雪が積もっていた場合や雨の日など、少々歩くのが怖い気がする。

山道は杉林の中を進み、やがて立派な標示板が現れたところから、 斜面をジグザグに登っていくことになる。2年前は大石峠からこの道を下ってきており、その時はこの辺でも雪が積もっていたのだったが、 現時点では足下に全く雪は見られない。
展望のない中 高度を上げていくと、やがて足下に雪が現れ始めるが、その量は少なく、またすぐに土の道が現れる。
足下に、恐らく 『 馬頭観音 』 と彫られた古い石碑がある大岩を 7時58分に通過。ジグザグに登る道はまだまだ続く。
足下の雪は現れたり、消えたりという状態が続いていたが、やがて融けた雪が凍っている状態となって現れる。これが意外と長く続き、 氷の上に飛び出ている石などを滑り止めに使いながら何とか登って行く。
祠の一部だったと思われる加工した石が現れ、さらに周囲に大きな岩が見られるようになると、やがて先の方に稜線が見えてくる。 そこには大量の雪が見えている。

そして、8時59分に大石峠に到着。峠は雪が多いものの、 やはりこの処の暖かさでかなり融けているようで、尾根の縁には雪が無いところがあり、また盛り上がった雪も踏みしめるとかなり沈み込む。 ここで暫し休憩。
周囲を見渡すが富士山は全く見えず、また近くにある十二ヶ岳もその頂上付近はガスに覆われていて、全体的に雲が低く垂れ込めている感じである。 これでは全くテンションが上がらない。
なお、目指す節刀ヶ岳方面、そして黒岳方面にも雪の上に足跡があり、また上芦川への下りにも足跡が認められる。
食事を済ませ、テンションが上がらぬままスノーシューを装着する。少し雪が盛り上がった所に登ってみると、下方に河口湖が見えるが、 霞んでいるような状態である。ため息をつきつつ、9時16分、節刀ヶ岳へと出発する。

慰めは、この稜線上に雪が多く、スノーシューが楽しめそうなことである。 と思ったら、小さな高みを越え、再び登り斜面に入ると雪が少なくなり、土が所々見え始めたのである。
これを見て、スノーシューの出番も無くなってしまうのかと心配したが、そこを越えていくと雪の量は増えてきたので一安心であった。
ただ、この辺は灌木が五月蝿く、小生のスノーシュー (結構 大きい) では少々歩きにくい。 なお、雪の上には恐らく先週末のものであろう足跡が残っており、また、テープもしっかり付けられているのでルートは明瞭である。

結構 急な斜面を登り、またまた高みに登り着くと、道は少し左方へと折れて再び下りに入る。 この斜面でも雪が少なく、ちょっと苦しい。そのため、道を外れて、雪のあるところを進む。
やがて、右手樹林越しに南アルプスの山々、八ヶ岳などが見え始める。嬉しいことにこれらの山の後方には青空が広がっている。 しかし、木の枝が邪魔をして全くと言って良い程山々を見通すことができず、イライラさせられる。
登り斜面に入り雪が多くなってきたと思ったのも束の間、登り着いた先で一部完全に雪の無いところを歩かされることになる。 スノーシューを痛めないように気をつけながら、土の上を進む。
しかし、ありがたいことに、そこを過ぎると雪がずっと続くようになる。

途中、少し薄日が差し始めるが、すぐに周囲はガスに囲まれ始め、 河口湖方面から吹いてくる風も冷たく感じられるようになる。これでは踏んだり蹴ったりだと思いながら進んで行くと、やがてガスは抜け、 再び薄日が射すようになったのでホッとする。
漸く雪たっぷりの尾根が続くようになり、スノーシューの威力が発揮できるようになる。さらに嬉しいことに、左手の樹林が切れた場所を通ると、 富士山の裾野が見え始めているではないか。しかも、富士山にかかっている雲というかガスが、上の方に上がり始めている。
これはもしかしたらと思い、暫し立ち止まって上がって行くガスの状況を見守る。そして待つこと 5分、ついに富士山が姿を見せてくれたのであった。
麓の方は少しガスっているものの、頂上はハッキリと見える。しかも、周囲が雲で白いため、雪を抱いた真っ白な富士山は幻想的でさえある。 これで少し元気が出る。

そして、その場所から 4分程登ると、金掘山の頂上であった。時刻は 10時11分。
手製の標識が木の下に落ちている。よく見ると、その標識は割れており、木には針金で括りつけられた部分が残っている。 せっかくなので、針金を外し、その針金を使って落ちていた標識を木に括りつけて写真を撮る。
ただ、その標識の表記は 『 金堀山 』 となっているのが残念。10時16分、金掘山の頂上を後にして先へと進む。
前方樹林越しに目指す節刀ヶ岳の姿が見えてくるが、かなり遠く、そして高く見える。雪の斜面を下る。

少し下って小さく登り、また下るという状況。右手の南アルプスはなかなか見通すことができない状態が続いているが、 辛うじて塩見岳をカメラに納める。
やがて、大きくガレた場所の縁を通過する。ここからは河口湖方面が見えるが、霞み気味であり、周囲の山々はその多くが雲に隠れてしまっている。
この辺から雪の上の踏み跡が見えにくくなる。雨で流されたのか、強く吹く風で消えてしまったのであろう。従って、ここからは目印となるテープを探しながら進むことになる。
と、ここで左手に持つストックがやけに沈むことに気が付いた。よく見ると、ストックの先に着いていたスノーバスケットが無くなっているではないか。 深い雪に苦戦した場所があったので、そこでとれてしまったらしい。帰りも同じルートを戻るので、見つかることを願って先へと進む。
それにしても、スノーバスケットは小さいながらも、有ると無いとでは大違い。雪にスーッと沈んでしまうストックは全くと言って良い程役に立たない。

気持ちの良い、ほぼ平らな道が暫く続く。展望は利かないものの、 こういう所をスノーシューで歩くのは大変楽しい。
やがて、少し下った後、かなりの急斜面が目の前に現れる。その斜面には、かつての踏み跡が雪の上に盛り上がった状態で残っている。
この斜面に対応すべく、スノーシューのヒールリフトバーを上げようとしたところ、左手の方に赤テープが見えた。 ありがたいことに正規のルートは目の前の高みを巻くようである。
左側斜面を横切るように進み、2つほどの高みを迂回した後、右上に回り込んで斜面を登っていくことになる (つまり、迂回した 2つの高みの先へと登り着くようになる)。
気が付けば、周囲にシラビソが目立つようになっている。この辺の雪の量は多く、しかも結構フカフカしていて進みが鈍る。 しかも、片方のストックのスノーバスケットがないため、登る効率がますます落ちる。

喘ぎながら斜面を登り切り、小さな鞍部に登り着くと、 道はさらに左手へと登っていくことになる。カラマツ、シラビソの生える斜面を登り、やがて傾斜が緩やかになると、 前方に 『 ← 大石峠 金山 → 』 の標識が現れた。漸く、十二ヶ岳からの道に合流したのである。時刻は 11時27分。
道を右にとって、節刀ヶ岳へと向かう。シラビソの樹林を抜けると、斜面に溝状に付けられた道が現れる。 そこが雪で埋まっていればスノーシューのままで登ったのだが、溝は半分雪で埋まり、残り半分は小さな岩が沢山剥き出しになっているので、 やむを得ずスノーシューを外す。
スノーシューを手に持ち、雪の上に足を踏み出した途端、膝まで潜る。何とか抜け出し、雪に足を取られながら進み、展望の良い岩場に登り着く。
すぐ先には節刀ヶ岳の頂上が見えていて、そこまで細い雪の道が続いている。時刻は 11時36分。

もう慌てる必要は無いので、この岩場で暫し展望を楽しむ。ありがたいことに、 富士山は中腹以上が雲の上に出ていて、頂上がよく見える。
富士山の左手前には十二ヶ岳が無骨とも思える姿を見せており、河口湖方面に向かってさらに先に峰々が続いている。
富士山の右手前、目の前には鬼ヶ岳がなかなか立派な姿を見せており、さらに右に王岳がピラミダルな姿を見せている。 その鬼ヶ岳と王ヶ岳との間の後方には、毛無山が見えるはずであるが、今は雲の中である。
そして、王ヶ岳の右後方には南アルプスの山々が並んでいるのが見える。少々ボンヤリとしてはいるものの、西南西の方向に青薙山が見え、 そこから右に稲又山、布引山、笊ヶ岳といった山々が確認できる。そして、さらに右に真白き聖岳、兎岳、小兎岳、中盛丸山が続いている。 また、布引山と笊ヶ岳の間には上河内岳も確認できる。

笊ヶ岳の右には大きな赤石岳、小赤石岳が続き、 さらに右に荒川前岳、荒川東岳 (悪沢岳) が続いているが、荒川東岳より右は節刀ヶ岳の斜面に隠れてしまって見ることができない。
少しぼやけ気味とは言え、今朝ほどの状況ではまるで期待できなかった展望が得られたことが大変嬉しい。
また、東北東の方角を見やれば、大石峠より東にある中藤山、破風山、黒岳が見え、黒岳の右には三ツ峠山も見えている。 しかし、黒岳、三ツ峠山の頂上は雲の中である。そして北の方向には、樹林により途切れ途切れではあるものの、 甲武信ヶ岳、木賊山、破風山、雁坂嶺、古礼山といった山々、さらにはうっすらと八ヶ岳を確認することができる。

と、ここで大失敗を犯してしまった。北の方角に樹林の間から金峰山がチラチラ見えたので、 少し場所を変えようと崖の縁 (へり) にある雪の上に足を置いたところ、その雪の下は凍っていたため、足が滑ってバランスを崩し、 岩場から北側の崖下に転落してしまったのである。
幸いなことに足の方から落ち、一旦雪の斜面に着地した後、もんどりうって 1回転して斜面途中にある木にひっかかって止まったのであった。 後ろ向きに落ちたこと、そしてザックを背負ったままだったことが幸いし、ザックが身体を守ってくれたのであろう、身体が痛いところは皆無であった。
しかし、突然の出来事にただ呆然とするばかり。落ち着くようにと深呼吸をした後、見上げれば、落ちた岩場が壁のように立っている。

3m近く落ちて着地し、そこからさらに 2mほど転げ落ちたようである。 何とかここから脱出せねばならない。
木に掴まりながら斜面をよじ登り、垂直に立つ岩場の真下まで進む。そこからは岩場のスキマに生える木や、 岩場と平行して斜面に生えている木を使って何とか岩壁をよじ登ろうと試みる。
岩場の真下には雪が豊富であるが、そこに足を踏み入れると、ズブズブと潜ってしまい全く足がかりにならない。 尤も、この雪が落下した時にクッションになってくれたたことも確かであるが・・・。
硬い身体ではあるものの、何とか足を大きく上げて木に足を乗せ、そして足を大きく開いて次の木に反対の足を乗せ、 最後は手、足、腹部、太もも、そして膝まで動員して、何とか岩場の上に這い上がることができたのであった。
この間、およそ 5分。まるで夢を見ているような感覚であった。
今から思えば、崖下から上を見上げた写真を撮っておくべきであったが、その時は雪まみれになったカメラを掃除することに心が行き、 そこまで頭が回らなかったのである。
なお、この岩壁を登れなかった場合は、斜面をさらに下方まで下り、右へと回っていけば何とかなったのかも知れない。 しかし、兎に角 落ちた所が深い谷底ではなかったこと、下が岩場でなかったことが幸いであった。

岩場に登り着いてから暫くは放心状態。岩場に腰掛け、深呼吸する。
漸く落ち着いてきたので、スノーシューを岩場にデポして節刀ヶ岳の頂上へと進む。
雪に足を取られながら、斜面を登り、頂上には 11時52分に到着。何のことは無い、この頂上からは、転落の切っ掛けとなった金峰山方面がよく見える。
金峰山の右斜面下には瑞牆山も見え、金峰山の右には朝日岳、そして北奥千丈岳、国師ヶ岳が見えている。 こちらから見る北奥千丈岳、国師ヶ岳は、いつも見慣れている翼を広げたような姿では無く、台形をしているのが面白い。
そして、頂上に立つ 『 山梨百名山 』 の標柱付近からは、先程 下の岩場で見ることができなかった荒川東岳より右側の山を見ることができる。 小河内岳、蝙蝠岳、塩見岳が確認でき、さらに右に広河内岳、そして白根三山 (農鳥岳、間ノ岳、北岳) が続いている。
無論、富士山は南の方向に見えており、五合目より下は雲に隠れているものの、五合目の上に少し雲を挟んで、頂上はハッキリと見えている。 12時丁度に下山開始。スノーシューをデポした岩場まで戻る。

ここで暫し休憩。富士山を中心とした山々を眺めながら食事とする。 休憩していると、鬼ヶ岳と王岳の間に毛無山が少し見え始め、また大石峠方面を見れば、黒岳、三ツ峠山もその頂上を見せ始めている。
しかし、全体的に墨絵のような潤んだ光景である。晴天で無いのが本当に残念、天気予報は見事に外れである。
12時18分、下山開始。『 ← 大石峠 金山 → 』 の標識の所までスノーシューを手に持ったまま下る。 しかし、この短い間にスノーシューの威力を思い知る。スノーシューでは沈まなかった場所で、足が何回も沈んでしまったのである。

再びスノーシューを装着し、12時27分に大石峠へと向かう。 雪の上に明瞭についている自分の足跡を辿る。
往路で無くしてしまったスノーバスケットを回収すべく、途中からユックリと目を凝らしながら歩く。 そしてありがたいことに、スノーバスケットは無事回収できたのであった。雪道だからこそできたことであろう。
アップダウンを繰り返しながら金掘山を 13時21分に通過。大石峠には 14時丁度に戻り着いたのだった。
最早 富士山は見えなくなっている一方、十二ヶ岳は見えている。スノーシューを外し、暫し休憩。背中にスノーシューを括りつけ、 14時18分に峠を後にする。

往路では凍っていた道も、既にシャーベット状になっていたので、 何とか軽アイゼン等を使わずに下ることができ、登山口には 15時7分に戻り着く。 これならプチペンション村 16時のバスに十分に間に合うが、車を駐めた大石公園もそれ程の距離ではないはずなので、そこまで歩くことにする。
林道を下り、やがて県道719号線に合流。立派な歩道を南東へと進む。振り返れば、山の稜線が見え、節刀ヶ岳と思しき山も見えている。
丁字路を左に折れて県道21号線 (湖北ビューライン) に入り、大石公園には 15時57分に戻り着いたのだった。

本日は天気予報にすっかり裏切られてしまったものの、それなりに展望を得られ、 また目的であったスノーシューも楽しむことができて、なかなか面白い山行であった。
これで通過していなかった大石峠−節刀ヶ岳間も埋まり、御坂山塊はほぼ繋がったことになる。

しかし、何よりも今回は、油断による滑落があり、 幸運が重なって無事戻ってくることができたことが一番のハイライトになってしまった。 一歩間違えば死に至る危険性もあった訳で、油断大敵。低山といえども侮ってはいけないと大いに反省した山行でもあった。


武甲山  2015.2 記

2月6日の降雪情報は見事に空振りに終わったが、それは都市部でのこと。 山沿いでは雪が降ったところも多いようで、2月3日に登った大菩薩嶺も、さらに雪が降り積もったようである。
こうなると、登る山選びにまたまた苦労するが、逆にこういう時は、無雪期に登るのが少し躊躇われる低山に登るチャンスでもある (決して低山を軽んじているのではなく、 高速代等お金をかけて遠くに行くのなら、高い山を優先したいという意味)。そこで、今回、 以前から登りたいと思っていた秩父の武甲山に登ることにする。

武甲山は、ご存じのように、セメントの原料である石灰岩の良質な採鉱場所であり、 そのため採掘がかなり進んで山の姿が変貌してしまっている。さらには、山頂までも削りとられてしまったと聞けば、登るのが少し躊躇われてしまう。
しかし、秩父盆地からその姿を眺めれば、痛々しく削られた山肌は別として、あたかも独立峰のように聳える姿に心惹かれ、 山好きなら必ず登りたくなる山なのである。
ということで、早速、ヤマレコなどで情報を集めると、どうやら生川 (うぶがわ) にある一の鳥居の駐車場は路面凍結しているらしい。 仕方が無いので、安全を考え、西武秩父駅前の駐車場に車を駐め、西武秩父線にて横瀬 (よこぜ) 駅まで行き、そこから歩くことにする。
距離はあるが、このルートは表参道であり、信仰の山としてかつて先人が歩いたことを思うと、少し心躍るものがある。

2月12日(木)、西武秩父駅 7時1分発の電車に乗るべく、 4時45分に自宅を出発する。
横浜ICから東名高速道下り線に入り、海老名JCTから圏央道へと進む。八王子JCTを過ぎ、やがて入間ICが近づいてきたので下りる心積もりをしていたところ、 ナビはそのまま先へと進む気配。事前に NAVITIMEにてルートを調べたところ、入間ICにて高速を下りるとのことだったので、 これには少々焦ったが、ここはナビを信じて先へと進む。
しかし、鶴ヶ島JCTから関越道に入っても一向に下りる気配はなく、焦りは増す一方。結局、花園ICまで高速を利用することになり、 料金は 3,570円 (ETC料金) となってしまったのだった。入間ICで高速を下りた場合、料金が 2,490円のはずなので、 1,000円も多い出費となり、どこで下りるのか先が読めなかった不安と合わせ、かなり動揺してしまう。

しかし、これで終わりではない。花園ICからは国道140号線を西へと進み、 末野から今度は皆野寄居バイパスに入ることになり、ここでも 420円徴収される。別に金額がどう という訳ではないが、頭に入れていた料金に比べ、 1,500円も多くなってしまったのではやはり損をした気になってしまう。
カーナビのルートは NAVITIMEと同じものと思い込み、ルート確認をしなかったのが悪いのだが、アプローチで躓いたため、 本日の登山でも何か起こりはしないかと心配になる。

有料道路を下り、再び国道140号線を南下する。
西武秩父駅のロータリー手前にある駐車場に着いたのは 6時44分。身支度をして駅へと向かう。
見上げれば武甲山が大きく、その白い山肌は、敷き詰められた白砂に帚目がつけられた枯山水の如く、横筋が何本も入っている。 しかし、実際はそんな粋なものではなく、削られた姿が痛々しい。

予定通り 7時1分発の電車に乗り、横瀬駅には 7時4分に到着。 トイレ等を済ませ、スパッツを着けて出発。
ところが、どう勘違いしたのか、駅前から右に進まねばならないところを左に曲がり、さらにガード下を進んでしまう。間違ったかなと思ったが、 先の方に道標が見えたのでそちらに進んでみる。
しかし、そこには武甲山の文字は見えず、『 札所10番 云々 』 の文字があるのみ。幸い、駅へと向かう女性がやって来たので、 武甲山への道を尋ねると、駅前を右に折れ、線路沿いを進むとのこと。またまた失敗である。

横瀬駅前には 7時28分に戻り着く。教えられた通り、線路沿いの車道を進む。 通勤時間ということもあって、結構 車の往来があるが、歩道のようなものはなく、側溝の上を進むことになるので少々注意が必要である。
見上げれば、武甲山が大きく、先程よりも横筋の入った山肌が目立っている。
やがてガード下を潜り、右手前方に武甲山を眺めながらの車道歩きが続く。
三菱マテリアルの工場を左手線路の向こう側に見て (その工場から、こちら側の武甲山採石場に繋がるコンベア ? が道路の上を横断している)、 やがて国道299号線からの道に合流する。
丁字路を右に折れて、武甲山を目指す (この道には歩道が設置されている)。道路の先には武甲山が大きく羽を広げたように、迫力ある姿を見せている。
道は車通りが多く、ほとんどの車が武甲山の方へと向かっている。この先は行き止まりのはず と思ったが、能く能く考えると、 石灰関連の人たちの通勤の車のようだ。

やがて、道は左右に石灰関連の工場が目立ち始め、大型ダンプの往来も始まる。 しかも、今まであった歩道は途中からなくなって、白いラインが引かれているだけとなり、大型ダンプが通ると少々怖い。
無論、運転手の方も慣れているようで、スピードを落としたり、大きく避けてくれるのだが、あまり良い気持ちはしない。
さらに緩やかな勾配の道を登って行くと、白いラインの内側に残雪が現れ、ますます歩きにくくなる。
右手の工場の上方を見上げれば、武甲山の削られた岩肌が迫っている。
道は生川沿いを進む。やがて、通勤車、ダンプなどが Uターンする場所を過ぎ、林道に入っていくことになる。雪が多く残り、 所々でその雪が凍っている道を進む。
暫く進んで行くと、杉林の中、左手に水場が現れる。そこには今朝ほど横瀬駅にいた若い登山者が休んでおられた。小生が道を間違えたため、 大分先に進んでいたのだが、ようやく追い付いたことになる。
この方とは、頂上までの間で、何回か会うことになる。

長かった道も、ようやく右手に一の鳥居が現れる。時刻は 8時42分。
鳥居の前には 2対、4匹の狛犬がおり、そのソバには 『 壱丁目 』 と彫られた石柱が立っている。山頂までこの石柱に刻まれた 『 丁目 』 の数が増えていくと思われ、 七面山を思い出す。
なお、駐車場は一面の雪で、数台の車が駐まっている。長い道のりであったが、やはり小生の車でここまで来るのは無理であり、 歩いたのは正解であった。
しかし、道を間違えてしまったロスを取り戻そうと、少し無理をしたところもあって、この時点で既に少々疲れ気味である。
本日は武甲山に登った後、小持山、大持山、妻坂峠経由にてこの一の鳥居まで戻ってくるつもりであるが、その後の車道歩きを考えると気持ちが萎える。 少し休んだ後、登山届けを提出して 8時47分に出発する。

出発地点では足下が雪であったが、杉林の参道を登るに連れ、雪は少なくなり、 雪は所々に現れるという状態となる。
なお、丁目を示す石柱の間隔は狭く、出発してすぐに 『 二丁目 』 の石柱が現れたので驚かされる。どうやら、七面山と同様、 『 五十丁目 』 まであるようだ。
足下はコンクリート、左手に生川を見ながら登っていく。一つ気になるのが、右の斜面から崩れ落ちた石が結構参道に散乱していることである。
やがて、左手に魚の養殖場らしきものが現れ、そこで林道と合流する。一の鳥居を越えて、さらに先へと続いていた林道のようである。

コンクリートの道は 『 十五丁目 』 にて終わりとなり、 丸太の階段を昇って山に取り付くことになる。
ここからは展望の利かない杉林の中を登る。急傾斜という訳ではないので、息が上がることはないが、先程無理をした林道歩きがたたり、 足が重く感じられる。
やがて細い水が流れ落ちている不動滝に到着。時刻は 9時20分。ここは水が飲める様になっており、備え付けのコップにてノドを潤す。 水は冷たく甘露。また、不動滝の所には 『 十八丁目 』 の石柱とともに、祠も置かれている。

立派な木製の桟橋 (さんきょう) を渡り、ジグザグに杉林の中を登る。 足下の雪はうっすらとある程度、少し凍った場所もあるが、歩行には問題ない。
展望のない登りが続く。『 武甲山 御嶽神社 』 と彫られた石碑を過ぎ、さらに登っていくと、やがて左手に祠が現れ、 そこには 『 武甲 』 という銘柄のカップ酒が供えられていた。ここで、先程 水場で会った若者に抜かれる。
9時56分に 『 大杉の広場 』 に到着。ここで先程抜かれた若者に追い付き、少し言葉を交わす。
ここはその名の通り、小さな広場となっていて、杉に囲まれている中、周囲とは全く大きさが違う 1本の杉が立っている。
さすがに空腹を覚えたので、ここで食事とする。10時5分に出発。若者は既に出発している。

ここからは足下の雪がやや多くなり、先の方を見ても杉林の足下が完全に白くなっている。
ただ、雪の量は多くないので歩行には問題ないレベルである。
単調な杉林の中の登りも、やがて右手樹林越しに岩がゴロゴロしている斜面が見えてくる。単調な登り、そして展望のない状況だっただけに、 こういう光景はこの先の変化を期待させてくれてありがたい。
登山道脇の石柱は 『 四十八丁目 』 となり、頂上が近いことを感じさせてくれる。やがて、登山道脇に祠のようなものが現れるが、 中を覗くと塩ビパイプがある。水場のようであったが、パイプから流れ出る水は凍っている。
『 四十九丁目 』 を過ぎ、上方を見上げれば、杉林の先に稜線と青空が見える。もうすぐ頂上 と思ったら、『 五十丁目 』 の石柱が現れた。 どうやら、『五十丁目』で終わりではないようだ。七面山が 『 五十丁目 』 で敬慎院に到着するので、ここも 『 五十丁目 』 で終わりと勝手に決めつけていたのだった。 少しガッカリする。
しかし、頂上が近いことは間違いない。

『 五十一丁目 』 の石柱が現れた所で、シラジクボとの分岐に到着。 ここを右に曲がって少し進めば、御嶽神社の木の鳥居が見えてきたのだった。
神社到着は 10時52分。その鳥居の後方に 『 五十二丁目 』 の石柱が置かれていた。
鳥居を潜り、第一展望所へと進む前に、手水舎の奥にある武甲山の説明標示板の方に立ち寄る。標示板には、 武甲山が平安時代からの歴史ある信仰の山であることが書かれているが、山が削られ、山頂も低くなってしまったことについての記述はない。
その後、神社の裏手を登り、第一展望所には 10時58分に到着する。ここでまたまた先程の若者と会う。
ここは小さな広場になっていて、標柱の他、方位盤も置かれており、周囲は柵で囲まれている。また、標柱の横には三角点のような石柱も置かれていたが、 三角点ではないようだ。

ここからの展望は抜群と言いたいところであるが、 本日は気温が高いこともあって (第一展望所に備え付けの温度計は 8℃を示していた)、周囲の山は春霞がかかったようにほとんど見えない状態である。
辛うじて両神山が確認できたくらいで、浅間山は白くボーッと滲んだ感じであるし、見えるはずの谷川連峰、赤城山、日光連山は全く見えない。 しかし、眼下に広がる秩父盆地の眺めはなかなかのものであった。
なお、展望所直下では、石灰を掘り出す重機が忙しそうに動いており、音もかなり煩い。
11時12分、第一展望所を後にして、御嶽神社まで戻り、手水舎に腰掛けて食事とする。一応、休憩舎まで行ったのだが、中は日が当たらず寒いので、 日当たりの良い手水舎まで戻った次第。

しかし、事前に下調べをしていなかったのは大失敗。
休憩の後、そのまま小持山を目指してしまったのだが、帰宅後調べると、この武甲山には三角点 (1,295.4m) や、第二展望所もあって、 さらには 1,304mの最高点もあることが判明したのである。
第一展望所の右上に、もっと高い所があるのは分かっていたのだが、柵に仕切られていたため、立ち入り禁止だと勝手に思ってしまったのである。 三角点はともかく、最高点に立てなかったのは大変心残りである。この時はそんなこととはつゆ知らず、11時32分、小持山に向かって出発する。 まるで仁和寺の法師である。

下りに入るので、大菩薩嶺登山後に購入したチェーンスパイクを初めて装着する。
ところがである、シラジクボとの分岐をそのまま真っ直ぐ進み、雪の斜面を下って、裏参道との分岐に到着したところ、 そこからの斜面に雪は全くないのである。南側斜面なので当然と言えば当然だが、仕方なく、そこにあったベンチにてチェーンスパイクを脱着する。 わずか、3分程のデビューであった。

この分岐から南を見ると、これから目指す小持山、大持山が見える。 かなり遠く見える上に、一旦大きく下って登り返さねばならないことが見て取れたため、 少し気持ちがぐらついたのだったが、武甲山のみでは物足りなさを感じていたこともあり、ここは思い切って小持山を目指すことにする。
11時38分に出発。雪の無い急斜面をジグザグに下る。所々に泥濘んだ所があり、滑らないように注意が必要である。 途中から雪が現れるが、量は少ない。
気持ち良い草地を進み、やがてシラジクボに到着。時刻は 11時55分。

このシラジクボから小持山まで雪の急斜面が続く。 しかも、途中いくつものコブを越えて行くことになり、小生にとってはかなり厳しい登りとなった。
また、反省すべきは、シラジクボにて再度チェーンスパイクを装着しなかったことである。シラジクボからは北側斜面を登ることになるので雪の量は結構あり、 所によっては雪の下が凍っていて足下が滑るため、木にしがみつきながら登らねばならなかったからである。 登りではアイゼンは不要と思ったのが間違いであった。
ただ、ありがたいことに、雪の上に踏み跡はしっかり付けられていて、迷うことは無い。
それにしても、ここの登りは思った以上にキツく、時間がかかってしまった。今朝ほど車道歩きで無理をしたことが、結構響いてきたようで、 普通 40分程で登ることができる所を、1時間も掛かってしまったのである。
やはり、身体が鈍っているし、体力も落ちているようだ。

高度を上げて振り返れば、武甲山がよく見える。こちら側から見る武甲山は、 全く採掘が行われておらず、自然のままの姿であり、綺麗な三角錐を見せている。 しかも、下ってきた登山道の右側 (東側:下っている時には左側) は檜の樹林帯なのか、緑色をしており、 その反対側は杉林あるいはカラマツ林なのか、茶色になっていて、綺麗に色分けされているのが面白い。
喘ぎつつ雪の斜面を登り、小持山には 12時58分に到着。かなりくたびれた。 この小持山の山頂は狭く、細長い。展望もあまり良くないが、武甲山はよく見える。 ここまでの反省を踏まえ、この山頂でチェーンスパイクを装着する。

13時4分に出発。雪の斜面を下り、細い尾根を進む。 前方に高みが見えたので、大持山かと思ったのだが、登り着いた所は見晴らしの良い高みに過ぎず、さらに先の方に大持山が見えている。
この高みからは両神山が見え、さらには奥秩父の山々も見えたものの霞み気味で、山座同定は難しい状況であった。
再び下って細い尾根を進む。この辺は雪の量も多いが、しっかりと雪に溝状の道ができている。
大持山には 13時52分に到着。ここには三角点が置かれている。5分程休憩して先へと進む。
雪の斜面を下っていくと、雪が徐々に少なくなり、やがて大持山の肩に到着。時刻は 14時2分。ここは開けていて展望の良い場所であるが、 周囲の山は全く名前が分からない。

道はここで大きく左(東)に曲がり、妻坂峠まで斜面をずっと下ることになる。
雪の量は少なくなったり、多くなったりと変化が大きいが、この下りは結構楽しめる。
下りながら左手を見れば、武甲山から小持山まで続く尾根が樹林越しに見えている。2つの山の間に、いくつもの高みが見えていて、 結構 厳しい登りだったことが目でも確認できる。
緩急入り交じった下り斜面が続くが、途中からかなりの急斜面となる。恐らく実際の登山道はジグザグになっているのだろうが、 雪の上に付けられた道はほぼ一直線。しかもこの辺の雪の量は結構多い。
従って、チェーンスパイクでは歯止めが利かず、転倒しないように、そして つい出てしまうスピードを抑えながら下る。
その急斜面も徐々に緩やかになり、雪の量も減ってところどころ土が見え始めると、やがて妻坂峠に到着。
ここには標識の他、石像も置かれている。時刻は 14時44分。
まだ日は高いのだが、こちらは大持山の東側斜面下方なので、日が山に隠れていて、日暮れという感じがしてしまう。

道はここから北(左)へと下り、一の鳥居を目指すことになる。 谷間を下るため、周囲は雪であるが、足下の雪の量はそれ程多くない。前方には武甲山が樹林越しに見える。
やがて水の流れを横切り、沢沿いを下ることになる。足下の雪は疎らになるものの、チェーンスパイクは外さずに下る。
暫く下っていくと、やがて林道に合流。時刻は 15時8分。
ここでまたまた失敗をしてしまった。道は林道を横切ってそのまま斜面を下るらしいのだが、 丁度その時、左から車が登ってきたので、ルートは林道を下るものだと勝手に思い込んでしまい、標示板を見落としてしまったのである。
林道は完全に雪道。ここではチェーンスパイクが効力を発揮する。
林道を黙々と下っていくと、やがて丁字路にぶつかる。一の鳥居は右であるが、左は恐らく今朝ほどの養殖場へと続いているのであろう。
丁字路から暫く先で、右手に妻坂峠への山道が現れる。これを見て林道を下ってきたのは間違いであったことを知る。かなり遠回りをしたようである。

やがて下方樹林越しに、一の鳥居に駐車している車が見えてきてホッとする。
一の鳥居到着は 15時26分。狛犬の前でチェーンスパイクを外し、ノドを潤した後、15時30分に横瀬駅を目指す。
そう、ここからは今朝ほど登ってきた長い車道歩きが待っているのである。大型ダンプが多く走る道を下り、途中の自動販売機前にて暫し休憩。 振り返れば、武甲山が今朝と同じく大きく翼を広げている。
疲れた足を引きずって、横瀬駅には 16時45分に到着。17時の電車にて西武秩父駅に戻ったのだった。

本日は、念願であった武甲山に登ることができ、雪の山も楽しめたのだったが、 晴天であったにも拘わらず展望が今一つであったのが残念である。
しかも、仁和寺の法師よろしく、最高点を踏まず、さらには途中多くの失敗を重ねてしまい、反省すべきところが多々ある山行でもあった。


快晴の大菩薩嶺  2015.2 記

1月20日に雲取山に登った後、次の山行を考えていたところ、 30日にかなりの雪が降ったため、またまた登山口へのアプローチが難しくなる状況が生じてしまった。 そのため、各登山口周辺の道路状況が分かるまで待っていたのだが、どうやら大菩薩嶺付近は問題ないことが分かり、さらには、 2月6日にまた雪が降るという予報が出ているので、それならばと、天気の良さそうな 2月3日(火)に大菩薩嶺を目指すことにした。
このところ、乾徳山、黒金山(敗退)、雲取山と、奥秩父の山が続いているが、やはり、降雪期のアプローチを考えると、 どうしても奥秩父の山が頼りになるのは致し方ないところである。

5時に自宅を出発する。コンビニで食料・水を購入した後、いつも通り、 横浜ICから東名高速道の下り線に入る。海老名JCTにて圏央道へと進み、八王子JCTからは中央道に入る。 勝沼ICで高速道を下りた後、国道20号線を大月方面へと戻り、柏尾の信号で左折して県道38号線 (途中から県道34号線) に入って、 等々力の交差点を目指す。
ナビ任せだと、柏尾を左折してすぐの所で 東山広域農道 (通称フルーツライン) に入り、その後、 県道201号線 (国道411号線と平行している) を走らされてしまうような気がしたので、ここはナビに頼らずに自分の判断で進む。
フルーツライン・県道201号線が悪いという訳ではないのだが、途中、狭いところも有り、路面凍結も心配なため、 通行量が多いと思われる国道411号線経由にて大菩薩嶺の登山口である裂石に向かうことにしたものである。

等々力の交差点を右折して国道411号線を北上する。 途中、件のフルーツラインを横切り (先程のフルーツラインの続き。乾徳山、黒金山に行く時は、ここを左折。)、そのまま裂石を目指す。
やがて、大菩薩峠や雲峰寺を示す標識が見えてくるので、そこを右折。暫く進んで、雲峰寺の駐車場に車を駐める。時刻は 6時49分。
さらに先へと進めば、上日川峠まで続くこの道が冬期通行止めとなっているゲート手前に、裂石 (大菩薩峠登山口) 駐車場があるのだが、 道路状況が分からなかったので、いつも通りこの駐車場に駐めた次第である。
トイレを済ませ、身支度を調えて、6時56分に駐車場を出発する。

車道を少し登って振り返れば、徐々にピンク色に染まりつつある荒川東岳 (悪沢岳)、 赤石岳、聖岳が見えている。
また、赤石岳と聖岳の間にも三角形の白い山が少し顔を出しているが、兎岳かもしれない。
前を向けば、高圧送電線の向こうに大菩薩嶺が見えている。本日は快晴である。
車道を暫く登っていくと、やがて上記で述べた冬期通行止めのゲートが現れる。時刻は 7時9分。駐車場はそのゲート手前を左に曲がったところにある。
ここまでの道は凍結もなかったのだが、この駐車場入口の所は完全にアイスバーン状態。歩くのにも苦労する。
ここで 1名の登山者と出会う。この方の車もノーマルタイヤであったが、四駆なので駐車できたとのこと。小生の車も四駆なので駐車できた可能性が高いが、 これは結果論。急ぐ旅ではないので、10数分得をしてもあまり影響はない。

さて、いつもはこのまま林道を進み、千石茶屋の脇から登山口へと進んで、 上日川峠を目指すのであるが、このルートは既に 5、6回登っているので、さすがにマンネリの感は否めず、 今回は駐車場を突っ切って丸川峠を目指すルートを取ることにする。こちらは、3年前に黒川鶏冠山に登る際に使った以外、下りに使っているルートである。
駐車場を通り抜けると、足下に雪が現れる。うっすらと積もっている程度だが、先般の土日に多くの登山者に踏まれたためであろう、 結構 凍結しているので注意が必要である。
みそぎ沢沿いの道を進んでいくと、やがて尾根への取り付き口に到着。時刻は 7時24分。
ここから本格的な登りが始まるが、足下に雪は全くない。

道は暫く急登が続いたかと思うと、緩やかな勾配の道になるというパターンが繰り返される。 足下には落ち葉、そして時々雪が現れるが、量も少なく、歩行には全く問題ない。
やがて、右斜め前方の稜線から朝日が顔を出し、さらに登っていくと、今度は右手後方に富士山が顔を出し始める。
高度を上げるに連れて展望が開けてくるのが嬉しいが、木の枝が邪魔をしてなかなか見通すことができず、少々イライラさせられる。
やがて、左手 国師ヶ岳・北奥千丈岳から南へと下る尾根の後方に、金峰山がチラリと白い頂上部分を見せ始める。 さらには、南アルプス 白根三山 (北岳、間ノ岳、農鳥岳)の姿も樹林越しに見ることができるようになる。
足下には雪が目立ち始めるが、それ程の量はない。しかし、日陰の急斜面では、溝状になった登山道にツルツルに凍った雪が固まっていることがあり、 登るのに苦労する。

富士山の姿は徐々に迫り上がり始め、反対側の奥秩父方面では、 北奥千丈岳、国師ヶ岳が大きな姿を見せるようになる。そして、金峰山は先程よりも迫り上がり、頂上の五丈岩も確認できるようになる。
やがて、落石の恐れがあるとのことで、新たに作り直された道を登ることになる。再び元の登山道に戻ると、 その少し先から道はほぼ平坦になるとともに、足下の雪の量がグッと増すようになる。
この辺の標高は 1,650m前後であろうか、この高さから上は、完全に雪の世界である。
道はほぼ平坦、雪の中に溝状に作られた道を進む。灌木帯を抜けると、周囲は開け、左右に植生保護のためのロープが張られた中を進むようになる。 丸川峠はもうすぐである。

そして、8時59分、峠にある丸川荘に到着。 振り返れば、富士山の姿が青空に映えている。
ここではノドを潤すだけにして、食物を口にしなかったのだが、これが失敗であった。結局、大菩薩嶺頂上まで雪の道が続き、 休むのに適した場所がなかったので、途中、何も食べることができず、そのため、結構バテてしまったのである。読みが甘かった。
今後のことを考えて軽アイゼンを装着した後、小屋の裏手に回り、いつものように木彫りの地蔵尊を写真に収める。
前回見た時は、地蔵尊のみ よだれかけをしていたのだが、今回は地蔵尊の足下にいる旅の僧 ? にも よだれかけ (というか、大きすぎて袈裟のようだが) がかけられている。
9時9分、丸川荘前を出発し、大菩薩嶺へと向かう。

雪の斜面を登る。雪の量は結構多いが、足下は良く踏まれているため、全く問題ない。
高度を上げ、樹林帯に入る前に振り返れば、荒川東岳 (悪沢岳)、赤石岳、聖岳が良く見える。今朝ほど見たように、赤石岳と聖岳との間には、 兎岳と思しき高みも見えている。
また、聖岳の左側、恐らく偃松尾山と思われるおむすび型の山の後方に上河内岳らしき白き高みが見え、さらには偃松尾山の左に笊ヶ岳、 布引山が続いている。
また、さらに少し登ると、今度は右から甲斐駒ヶ岳、アサヨ峰、仙丈ヶ岳、鳳凰三山、北岳、間ノ岳と続く山々も見えるようになり、 テンションがグッと上がる。

樹林帯に入る。ここも良く踏まれた雪の道が続く。
暫くは樹林帯の中の登りが続くが、少し先で再び展望の良い場所に飛び出す。
ここからは富士山の他、先程見えた甲斐駒ヶ岳、アサヨ峰、仙丈ヶ岳、鳳凰三山、白根三山、塩見岳、荒川東岳 (悪沢岳)、 赤石岳、聖岳といった山々をもう一度眺めることができる。
ただ、樹林に遮られているため、少しずつ場所を変えることによって見ることができるという状態であり、早く大菩薩嶺の稜線上に飛び出して、 これらの山々の途切れることなき連なりを眺めたいとの気持ちが強くなる。

再び樹林の中を進む。道は山の北側斜面を横切るように進むので、 今度は左手樹林越しに奥秩父の山々が見えるようになる。但し、こちらは樹林が多く、先程のように見通すことがなかなかできない。
それでも、断片的ではあるが、羽を広げたような北奥千丈岳・国師ヶ岳、その後方に金峰山、 そして木賊山、破風山、雁坂嶺、飛竜山、雲取山などを確認することができる。
特に目を引くのが、飛竜山と雲取山。飛竜山の方は、2週間前に雲取山から見た姿とは全く異なり、おむすびのような形をしている。 そして、雲取山の方は、その山容よりも防火帯となっている石尾根の方に目が惹き付けられる。防火帯に積もっている雪の白が目立ち、 黒い山容に真っ白なストライプが入っているようである。
さらに進んで行くと、北奥千丈岳・国師ヶ岳から南に延びる尾根の後方に、金峰山と並んで八ヶ岳も少し顔を見せるようになる。 そして、何よりも驚いたのは、その八ヶ岳の左斜面後方に、乗鞍岳が見えたことである。

道の方は、前方樹林越しに大きな高みが見え、あれが大菩薩嶺かと思って進んで行くと、 道はその高みの北側斜面を巻いて、さらに先にまた高みが見えるといった状況が続き、結構長い。
空腹感もあり、足の進みが鈍くなる。休憩して何か口にしようかと思ったのだが、どうせなら日当たりと展望の良い場所で休みたいところである。 空腹を我慢しながら先へと進む。
ほぼ北側斜面を横切るように進んでいた道が、やがて途中で大きく右に曲がり、西側斜面を横切ることになる。 そのため、今まで左手樹林越しに見えていた山々が右手樹林越しに見えるようになる。
しかし、それも長く続かず、道は再び左に曲がって北側斜面を横切るように進む。
徐々に傾斜もキツくなり始め、頂上が近い雰囲気が漂い出す。その時、ふと後方を見ると、登山者が 1人登ってくるのに気が付いた。 先程駐車場で会った人とは違い、若い人である。
1人で勝手気ままに登っていると、いつの間にか楽をしようとして、ペースがダラダラしてしまうようで、慌てて少しスピードを上げ、 何とか抜かれないまま頂上に到着する (あるいは、その登山者が気を遣ってくれたのかもしれない)。
ほとんど人のいない山を歩くのは、自分のペースで登って行けて楽であるが、一方で誰とも会わず刺激を受けないと、 かなりペースがいい加減になるものである。少々反省した次第。

樹林に囲まれ、展望の利かない頂上到着は 10時56分。 裂石から 4時間を要した訳で、コースタイムを 30分程オーバーである。
この頂上では 5分程休んだものの、ノドを潤しただけで先へと進み、樹林帯の中を下る。かなり空腹感が募ってきているが、ここまで来たら、 やはり、食事は展望の良い場所で取りたいものである。
やがて樹林が切れた所が、唐松尾根ルートへの分岐がある雷岩。展望が一気に開け、思わず声を上げてしまう。
明るい日差しの下、南には富士山が大きく裾野を広げた姿を見せており、その手前下方に三ツ峠山、御坂黒岳が見えている。 さらにその手前には大菩薩湖がスティールブルーの水を湛えており、黒と白の光景にアクセントを加えている。
富士山の右には節刀ヶ岳などの御坂黒岳から連なる山々が続き、そのさらに右には毛無山が見えている。
また、毛無山の右後方に続くのは、七面山、大無間山などの山々であろうが、同定が難しい。

そして、それらの山々の右から、布引山、笊ヶ岳を始めとする南アルプスのオールスター達が一気に勢揃いする。 樹林の中では断片的に見えた山々が、今は遮るもの無く連続して見えている光景は圧巻である。
笊ヶ岳の右に上河内岳、聖岳、兎岳、赤石岳、荒川東岳 (悪沢岳)、 蝙蝠岳、塩見岳、広河内岳が続き、さらに農鳥岳+西農鳥岳、間ノ岳、北岳の白根三山が続く。
そして、北岳の前を鳳凰三山が横切り、鳳凰三山 地蔵岳の右後方には白き大仙丈ヶ岳、仙丈ヶ岳が見えている。 仙丈ヶ岳の右手前にはアサヨ峰が見え、アサヨ峰の右には甲斐駒ヶ岳が続く。
また、甲斐駒ヶ岳の右には鋸岳が続いているが、鋸岳からさらに右に続く山並みの後方に白き峰が少し顔を出している。 帰宅後に写真を拡大してみると、白い煙のようなものが写っていたので、もしかしたら御嶽かも知れない。
そしてさらに右、北北西の方向には真っ白な乗鞍岳も見えている。
素晴らしい景色の広がりに足が暫し止まり、写真を撮りまくる。
この美しき山並みに加え、南アルプスの手前に人々の住む街並みが見えていることが、何とも素晴らしい。 この光景を見ると、山岳信仰が発祥するのも頷けるような気がする。人々は山に見守られているのである。

これまで上日川峠の方から登っていたのは、 丸川峠から登るとあまり展望がないというイメージを抱いていたからであり、何故 丸川峠から登る人が多いのか不思議に思っていたのだったが、 これで氷解である。
丸川峠付近でもかなり展望を得られるし、何よりも、こちらのルートは、大菩薩嶺の頂上を踏んだ後に、 突然このような素晴らしい展望を得られるので、感動が大きいのである。
進む方向を見やれば、妙見ノ頭、熊沢山、そして、そこまでの雪の斜面が見えていて、気分良く進むことができる。 雪の尾根上につけられたトレースを辿る。
雪は良く踏まれており、本日はワカンも用意してきていたが、全く出番はなさそうである。
前方には大室山、蛭ヶ岳、丹沢山など、丹沢山塊も見えている。また、少し下って振り返れば、今まで木々に隠れて見えなかった、 乗鞍岳より右側の山々が見えるようなり、北奥千丈岳・国師ヶ岳から南の方へと下る尾根の後方に八ヶ岳が見え、 赤岳、権現岳、編笠山などが確認できる。

雪の斜面を下る。この尾根はいつも気持ちが良い。
11時25分に標高 2,000mの標識前を通過。振り返れば、八ヶ岳の右に金峰山、朝日岳も姿を見せている。
雪の斜面を楽しみ、富士山、南アルプスの山々の展望を眺めながらユックリと下る。11時46分に賽ノ河原にある休憩舎に到着。 空腹感がさらに募ってきたので、小屋手前にあるケルン (前回ここで休憩) に腰掛けて食事にしようかと思ったのだが、 少し風が強いのでさらに先へと進む。
小屋前からは登りとなり、今までしっかりと踏まれていた雪の道がやや乱れ、少々歩きにくい。 と言っても、ほんの一登りで親不知ノ頭に到着。そこから少し下った所にある岩場で休憩とする。
下方には大菩薩峠、介山荘が見えている。富士山、南アルプスの眺めをおかずにしてノンビリと食事する。ここは風もあまり吹かず、 日差しが暖かい。

20分程の大休止の後、大菩薩峠へと下る。途中、左手(東)を見れば、 奥多摩の大岳山、三頭山が見える。
写真を撮りまくりながら下り、大菩薩峠には 12時22分に到着。休憩したばかりなので、このまま介山荘前を通り、 右に折れて上日川峠へと下る。
明るい日差しの中、良く踏まれた雪道を下り、勝縁荘前を 12時41分に通過。勝縁荘は、小生の記憶に比べてかなり新しく、立派になっている。 リニューアルしたようである。
この勝縁荘からは車道歩きとなる。雪の上につけられた轍の跡を辿る。やがて、その名の通り富士山を見ることができる富士見山荘前に到着、 富士山の写真を数枚撮る。
さらに先へと進み、左手に小金沢山を見ながら下り続け、福ちゃん荘前には 12時52分に到着。ここからは、先程下ってきた大菩薩嶺の稜線がよく見える。

福ちゃん荘からは、山道と車道に分かれることになるが、 足場の良さそうな車道の方を下る。記憶よりも結構長い車道歩きが続き、上日川峠には 13時9分に到着。
トイレを拝借した後、駐車場の縁まで進んで南アルプスを眺める。この時間ではやや霞み気味である。
また、この駐車場からは木賊山、破風山方面も見え、木賊山の左後方に甲武信ヶ岳が少しだけ頂上部分を見せている。
13時15分に下山開始。

ロッジ長兵衛の前を通り、すぐに車道と分かれて斜面を下る。 暫く雪道が続くが、途中で雪は全くなくなり、日当たりの良い落ち葉の道へと変わる。そのため軽アイゼンを外す。
やがて、登山道崩落のための迂回路となり、一旦雪の車道を進み、再び登山道に入ることになる。ところが、この車道から正規の登山道へ下る所から、 その先ずっと雪の道が続くようになる。
しかも、所々凍っている箇所があり、足下への配慮がかなり必要になって、途端にスピードが遅くなる。 場所によっては完全にアイスバーンになっているところもあって、そこを越えるのに苦労する。
その凍結場所のすぐ後で、大菩薩峠で追い抜いた方に再び抜かれることになる。その方の足下を見るとチェーンスパイクを装着している。 小生の軽アイゼンはザックの中、従って再び取り出して装着するのが面倒という状態である。
ということで、小生も着脱、携帯に便利なチェーンスパイクを購入することに決める。

雪道を慎重に下る。第二展望台を 13時47分に通過。 次に第一展望台があるはずと思いながら下っていったのだが、いつの間にか登山口に着いてしまった。時刻は 14時10分。
足下にばかりに気を取られていたので、第一展望台は見落としてしまったようだ。尤も、今の時間では南アルプスの展望を得ることは難しかろう。
雪の道を慎重に下り、千石茶屋前には 14時14分に到着。橋を渡り、車道に入るが、すぐに登山道が待っている。
雪が少々残る道幅の広い道を下る。ここは昔 旅人が大菩薩峠 (旧大菩薩峠は今の場所より上方、賽ノ河原付近にあったらしい) を越えて武蔵国へと至る際に通ったのではないか という雰囲気の道である。
14時21分、車道に再び合流する。そこから少し下ると、冬期通行止めのゲートであった。時刻は 14時23分。
駐車場には数台の車が駐まっている。本日山中で会ったのは 9名程。雲取山と同様、平日でも人が多いと感心する。
車道を下り、雲峰寺前の駐車場には 14時34分に戻り着く。
途中、振り返れば、高圧送電線の向こうに大菩薩嶺が良く見える。

本日は天候に恵まれ、展望も素晴らしく、楽しい山行であった。 雲取山と比べて登山口から短い時間で稜線に出ることができ、全体的にコンパクトな上、素晴らしい展望が得られるのが大きな魅力の山であった。


本年 登り初め  2015.1 記

1月8日に奥秩父の黒金山を目指したものの、時間切れで頂上まで達することができず、 残念な結果に終わってしまったのだったが、一方で、雪の山をかなり楽しむことができ、意外と充実感を得ることができたのであった。
とは言え、この登山が 2015年の登り初めということを考えると、頂上を踏めずに 『 敗退 』 という結果は、あまり気持ちの良いものではない。 従って、早く何処かの頂上に立ちたいところであるが、不覚にも、その後 風邪を引いてしまい、ズルズルと時間が経ってしまった次第である。
しかし、漸く風邪も治ったので、天気の良さそうな この 1月20日(火)、山に出かけることにした。
行き先は雲取山。 関東地方が快晴の予報だったことに加え、風邪が治ったとは言うもののまだ体調不十分であることから、あまり無理はできないと考え、 それ程 雪が積もっていないと思われる雲取山を選んだのである。

雲取山には、奥多摩湖手前の水根から登り、鷹ノ巣山、七ツ石山を経由してその頂上に至り、 その後、鴨沢へと下るという行程をこのところ 3回ほど続けていたのであるが、寄る年波、最近の運動不足、さらには風邪引きの後ではとても無理と考え、 今回は鴨沢からのピストンとする。
その鴨沢だが、当初は車で行くつもりであったのだが、15日に降った雪がまだ残っているらしく、早朝では路面凍結の恐れもあると考え、 奥多摩駅からのバスを利用することにする。但し、電車を乗り継いでいてはバスの時間に間に合わないため、奥多摩駅までは車で行くことにしたのだった。
平日のため、奥多摩駅発の鴨沢方面へのバスは 5時38分発。近頃 5時前後に自宅を出ることに慣れてしまった身にとって、 このバスに乗るのは厳しく、その次の 6時40分発 留浦 (とずら:鴨沢の 2つ手前) 行きに乗ることにする。

横浜の自宅を 4時45分に出発。コンビニに寄った後、 横浜ICから東名高速道に入り、圏央道日の出ICを目指す。
ナビ任せにしていたところ、日の出ICからは梅ヶ谷峠を越えて吉野街道に入った後、国道411号線へと入るルートを進むことになる。 確かに一番効率的なルートなのだろうが、路面凍結を恐れていた小生の気持ちが反映されず、選りに選って、 狭くそして路面凍結しやすい道を通らされたので、少々緊張しながらの運転であった。
奥多摩駅の有料駐車場には 6時28分に到着。この時期、町営氷川駐車場が無料のようであるが、少し遠く、また駐車場の状況も不明なため、 役場横にある有料駐車場を利用する (1日 上限 800円)。

身支度を調え、6時40分発のバスに乗り込む。バスの乗客は小生以外に 2名おり、 うち 1名は登山者であった。
バスが奥多摩駅入口の交差点を右折して国道411号線に入ると、途端に周囲の状況が一変する。道路上に雪はないものの、 道路周辺は雪に覆われていて、真っ白なのである。今回のアプローチの仕方は正解であった。
留浦には定刻の 7時15分に到着。実際には、水根の駐車場、そしてこの留浦の駐車場にも雪は無く、また国道411号線に凍結箇所はなかったので、 車でここまでやって来ても問題ない状況であったのだが、それは結果論である。
留浦からは車道を歩いて鴨沢へと進む。鴨沢バス停には 7時24分に到着。バス待合所の横にあるトイレを借用した後、階段を昇って上の道へと向かう。

その階段を昇ったところに交番があり、そこに登山届のボックスが設置されていたので、 持参した登山届を投函する。
と、ここでふと気が付いた。ここは山梨県であるにも拘わらず、小生の登山届の宛名は東京都の青梅警察署長にしてしまっていたのだった。 雲取山 = 奥多摩 との発想から、良く考えずに記入してしまったのだが、大変失礼した。
右へと進んで行くと、すぐに案内標識が現れるので、それに従って、左斜め後方へと戻るように昇っていくコンクリート道に入る。 この登りが結構急で、すぐに息が上がる。やはり、本日 体調はあまり良くないようである。
民家の下を進んで行くと、やがて雲取山への案内標示板が現れるので、そこから左に分かれる道に入る。すぐにコンクリート道は土の道へと変わり、 杉の植林帯を登っていくことになる。

そして、登り着いた所が丹波山村村営駐車場。駐車場には 2台の車が駐まっている。 駐車場から少し車道を進むと、すぐに雲取山の登山口となり、法面に斜めに付けられた道を登って山へと入っていく。時刻は 7時58分。
道は右下へと下る斜面を横切って進んで行く。杉の植林帯、自然林が交互に現れる。傾斜は緩やかで、体調があまり良くない小生でも、 息を切らさずに登っていくことができる。
但し、足下には所々に凍結した雪が残っており、滑らないように足の置き場に神経を使う。
凍結した道が長く続いたかと思うと、全く雪の無い道が長く続く、といったことが繰り返される。
やがて、『 標高 1,150m、雲取山まで 約2時間45分、ブナ坂まで 約1時間半 等々 』 と書かれた標示板が現れる。時刻は 9時7分。 この記述に従えば、山頂到着は 12時ということになるが、山頂近くは雪道のはずであるし、自身の体調も今一つの状態なので、目標を 12時半と定める。

展望のない道が続くが、やがて右手前方に鷹ノ巣山らしき峰が見えてくる。
この頃になると、無性に腹が空くようになり、足に力が入らなくなる。確かに朝食を食べたのは 3時間半ほど前ではあるものの、 いつもならもう少し我慢できるはずであるが、この日は本当に空腹感が募ったため、登山道途中の、岩がいくつか並んでいる場所にて休憩することにする。 その直前、バスで一緒だった若者に追い抜かれる。時刻は 9時17分。
10分程休憩した後、出発。空腹が満たされたお陰で、少し足が進むようになるが、やはり身体が重い。

この休憩場所を過ぎると、今まで登山道上に断続的に現れていた雪が、 途切れることなく続くようになる。
堂所を 9時39分に通過。道の方は尾根の左右を交互に横切る形で進むようになる。 勾配は緩やかなのでそれ程負担ではないのだが、とにかく長いことに驚かされる。
このところ、この道は下りに使うことが多く、登りに使うのは 26年ぶりである。26年前は、四つ目の百名山として初トライであり、 珍しさの方が先に立って、このダラダラと長い道程を何とも思わなかったのだが、今は少々苦痛である。
やがて、左手後方、樹林越しに富士山が見えるようになる。前回の黒金山に引き続いての富士山となるが、奥秩父の山々の良い点の一つは、 富士山を眺めることができることである。そして、本日の晴天に感謝である。
また、富士山の右手前には、雁ヶ腹摺山が意外と見事な三角形を見せているのに驚かされる。

やがて、七ツ石小屋へと続くと思われる道が右側斜面に現れるが、 周辺にはそのことを示す標識がない。ただ、どう考えても方角的に七ツ石小屋方面への道と思われ、このことが後で役に立つことになる。
新たに作り直された桟橋 (さんきょう) の手前で、今度は正式な七ツ石小屋への分岐が現れる。時刻は 10時29分。
この辺から道は斜度を増し、斜面の上方へと登っていくようになる。ブナ坂が近いのかと期待するが、登り着いたら、まだ先に道が続くというパターンが繰り返される。 体調も今一つということもあって、徐々に長い歩きに嫌気が差してくる。
一方で、高度が上がった分、展望が開けるようになり、樹林越しに南アルプスの山々が見えるようになる。
まずは北岳、間ノ岳、農鳥岳の白根三山が見え始め、少し進むと鳳凰三山、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳も見えてくる。
さらに少し進んで行くと、塩見岳、荒川東岳 (悪沢岳)、赤石岳、聖岳も確認できるようになる。そして、すぐ目の前には、飛竜山が大きい。

さらにもう一つ 七ツ石小屋への分岐を分けた後、 すっかり雪に覆われた斜面を横切って進んでいくと、漸くブナ坂に到着したのであった。時刻は 11時13分。
先程 1,150mの場所にあった標識に従えば、ブナ坂には 10時50分位に着いていなければならないはずであり (休憩 10分を含む)、 これではかなり遅いペースである。この調子では 12時半に頂上に到着するのは無理なので、目標到着時間を 13時に修正する。
ブナ坂からは道を左にとって、『 石尾根 』 を進むことになる。少し登ると展望がグッと開け、富士山を左手に見ての気持ちの良い稜線歩きとなる。 南アルプスも良く見え、鳳凰三山から聖岳までの山々を一望することができるようになる。
やがて、ヘリポート横を通過。右手前方を見上げれば、雲取山山頂手前の高みと、そこにある避難小屋が見えている。まだまだ遠い。

11時52分に奥多摩小屋の脇に到着。尾根上にあるベンチにて再び休憩する。
このところ、登山中の食事量はかなり減っており、持参したお握りやパンを持ち帰ることが多かったのだが、本日はどういう訳か腹が減り、 ここで再び食事とする。
吹く風は緩やかながら、汗をかいた身体を冷やそうとするが、日差し自体が暖かいので、アウターを羽織れば尾根上にて休憩しても全く問題ない。 12時4分に出発。
今後のことを考え、軽アイゼンをザックから出し、手に持ったまま先へと進む。すぐに尾根通しの道と巻き道とに分かれるが、 ここは体調を考えて巻き道の方を選択する。
巻き道の方を見ると、雪が結構あり、さらにはこの先アイスバーンになり易い急坂が続くことも考慮して、ここで軽アイゼンを装着する。 久々の軽アイゼンのため、装着に 5分程かかってしまう (10本爪アイゼンに比べ、装着ベルトが短いことにビックリ)。

結構 雪がある樹林の中を進み、やがて尾根通しの道と合流。 ここからは小雲取山への登りとなる。3段階に分けて登っていく感じであるが、最後の登り手前では、案の定、アイスバーンが広がっていた。
2つ目となる富田新道への道を右に分け、小雲取山の斜面を横切って左へと曲がっていくと、目の前に雲取山避難小屋まで続く雪の尾根が広がる。 この尾根の展望も素晴らしく、富士山の他、雲取山から西に延びる尾根上に三ツ山、飛竜山が見えている。
そして、三ツ山の後方には竜喰山が少し顔を出し、そのさらに後方に北奥千丈岳、国師ヶ岳が羽を広げるような形を見せている。 国師ヶ岳の右手前には唐松尾山が見え、その右後方には甲武信ヶ岳、三宝山などの山々が並んでいる。
ただ、飛竜山の左後方に見える南アルプスの山々は、やや霞み気味である。

気持ちの良い雪の尾根を進む。ここで、バスで一緒であり、 最初の休憩場所手前で追い抜かれた若者と擦れ違う。この若者が早いということもあろうが、如何せん小生のペースが遅い。
やがて、雲取山に向けての最後の登りとなり、雪の斜面をジグザグに登っていく。そして、避難小屋の横には 13時17分に登り着く。
振り返れば、今し方登って来た真っ白な石尾根の眺めが素晴らしい。雲取山のお気に入りの光景の一つである。
避難小屋の前を通り先へと進む。すぐに東京都の頂上標識と、こちらに背を向けている埼玉県の頂上標識が見えてくる。頂上到着は 13時19分。 嬉しいことに頂上には誰もいない (避難小屋には 2名程いるようであったが・・・)。

少しだけ雪の中から顔を出していた一等三角点を掘り起こしてタッチする。 但し、原三角測點の方は雪の下であった。
この頂上からもやはり富士山に目が行くが、この時間では最早周囲の色に隠れ気味である。富士山の左下には、先程も述べたように、 意外と存在感を示している雁ヶ腹摺山がピラミダルな姿をみせており、富士山の右下からは黒岳、小金沢山、熊沢山、大菩薩嶺と続く山々が連なっている。
大菩薩嶺の右からは南アルプスの連なりが見えるが、こちらも最早 周囲の白さに紛れてしまい、あまりハッキリと見ることができない。 但し、北岳、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳はその形を確認することができる。
南アルプスの手前には、飛竜山、三ツ山が連なり、三ツ山の右後方には竜喰山が見えている。さらには、甲斐駒ヶ岳の手前に乾徳山も見え、 その右には先日敗退した黒金山も見えている (竜喰山の左後方)。
黒金山の右には北奥千丈岳、国師ヶ岳が大きく羽を広げており、その右翼手前には、竜喰山から続く、御殿岩、唐松尾山が見えている。 唐松尾山の右後方には、水師、甲武信ヶ岳、三宝山、さらに武信白岩山などの山々が続いている。
また、甲武信ヶ岳の手前には破風山、雁坂嶺が見え、そのさらに手前に西仙波、東仙波が見えている。そして、東仙波の少し右には和名倉山 (白石山) が大きい。

このように、ある程度山の名前が分かる西側方面に比べ、反対側 (東側) の山はほとんど分からない。 辛うじて分かるのが鷹ノ巣山、そしてその右後方、木々に隠れ気味な大岳山である。
暫し展望を楽しんだ後、13時28分に避難小屋の方へと戻り、腰掛けるのに適した岩場のある山梨県側へと進む。この岩場からは眼下に広がる石尾根、 そしてその先の鷹ノ巣山、日陰名栗峰、小雲取山などが見えて気持ちが良い。
小雲取山の右後方には七ツ石山と、先程ブナ坂から辿ってきた石尾根も見えている。また、七ツ石山の右後方にはズングリした三頭山が見え、 その後方にもうっすらと山並みが見えているが、恐らく丹沢山塊と思われる。
そして、その丹沢山塊のさらに右には御正体山のシルエットが見え、そこから少し間を空けて富士山が見えている。

さて、休憩しながらこの後のことを考える。今から下っても、 鴨沢 16時31分の奥多摩駅行きに乗るのは不可能。次のバスは 18時38分なので、こちらの方は待ち時間が長くなる。
ということで、浅はかにも、この山頂でユックリとし、さらには七ツ石山に登った後、初めて訪れることになる七ツ石小屋経由にて下山し、時間調節することにする。 浅はかと言ったのは、暗くなった中、凍った雪道を下ることにまで考えが及ばなかったためである。13時56分、下山開始。 気持ちの良い石尾根を下る。

本日は平日なので人が少ないかと思っていたのだが、 ブナ坂に至るまでに何と 9人の登山者と擦れ違ったのには驚かされた。本日は、登って来る際に、途中で追い抜かれた若者も含めて 5人と擦れ違っており、 さらには山頂避難小屋に 2人、そして小生が休憩している時に 1人登ってきているので、山中で合計 17人に会ったことになる。
このうち、下山者の 5人を引くと、山中に 12人もの人が泊まることになるわけで、少々ビックリである。雲取山荘、避難小屋、 テント泊と宿泊形式は様々であろうが、人気の山であることを改めて認識したのであった。

順調に下り、奥多摩小屋の脇には 14時36分に到着。ここで 5分程休憩する。 小屋の標識にぶら下がっていた温度計を見ると、気温は 1℃、本日は本当に暖かい。
ブナ坂には 15時2分に到着。右に下れば往路を戻ることになるが、ここはまっすぐ進んで七ツ石山を目指す。
しかし、体調不十分な上に、疲れが出てきた身体には、この雪の斜面の登りはかなり辛い。少し登っては立ち止まって上を見上げるという所作が続き、 喘ぎながら頂上に着いたのは 15時23分であった。当然、こんな時間では誰もいない。
なお、ここから見る雲取山はなかなかのものである。

15時30分、下山開始。登って来た斜面とは反対側へと下る。 すぐに七ツ石神社が現れるが、大きな祠は荒れ放題の状況であった。さらに下っていくと、七ツ石小屋への分岐に到着。時刻は 15時36分。
ここからは石尾根を離れて右に下る。ここの下りは結構急で、小さな振幅のジグザグを繰り返しながら下っていく。樹林の中のため、雪はそこそこあるが、 しっかり踏み跡が付けられている。
やがて、鷹ノ巣山からの巻き道に合流するので、右に進んでいくと、すぐに水場に到着。ここからは谷に沿って左へと下る。 まっすぐ進めば、往路の登山道に合流することになる。
日当たりの良い斜面を下っていくと、やがて七ツ石小屋が見えてくる。小屋前到着は 15時47分。ここはかなり日当たりの良い場所であるが、 誰もいない小屋はやはり少々薄気味が悪く、そのまま素通りする。

さらに下っていくと、道が 2つに分かれる。標識はなく、 右の道は雪の上に足跡が多いが、左側の道は土が出ていて足跡が分からない。しかし、往路にてこの左の道の合流点と思われる場所を通ってきたので、 迷わずに左の道を進む。
ササの斜面をドンドン下っていくと、思った通り、今朝ほど見た合流点に到着したのだった。時刻は 15時59分。
後は往路を戻るだけである。
堂所を 16時18分に通過し、今朝ほど休憩した岩場には 16時26分に到着。
ここで 10分程休憩するとともに、軽アイゼンを外す。この後も雪は残っているものの、 雪が全く無い道が結構長く続くことも分かっていたからであるが、これが失敗であった。
やがて暗くなった中、凍結した道を進むのはかなりのスリルとなる。途中でヘッドランプを点けたものの、 一歩一歩にかなり神経を遣わざるをえなくなり、安全を考えると、土の道があっても、軽アイゼンを装着したままにすべきであった。

凍った部分を極力避け、なるべく両端の雪が踏まれていない部分を歩いて下る。 急斜面がないので助かるが、それでも少々勾配がある場所では滑る。
しかしそれにしても、往路でも感じた様に、この下りは長い。しかも、往路においてポイントとなるもの (空き家、祠、道を塞ぐ倒木 等々) が頭に入っているため、 それがなかなか現れないことが余計嫌気を増加させる。
暗闇の中、本当に長く感じた道も、漸く左下に林道が見え、さらにその先で林道に合流してホッとしたのだった。時刻は 17時29分。 辺りは真っ暗である。
しかし、18時38分のバスにはまだ余裕があるので、ユックリと舗装道を下る。村営駐車場を 17時33分に通過。 真っ暗な駐車場には 1台駐まっているのみである。
この後、真っ暗な杉林の中を下り、17時44分に林道との合流点に到着。少し進み、民家の下を通る手前にあった街灯下の小スペースにて、 汗に濡れた服を着替える。そして、鴨沢バス停には 18時3分に戻り着いたのだった。

本日は、風邪引き後のため、やや体調不十分ではあったものの、 目論見通りに晴天の雪山を楽しむことができ、また、少々スリルも味わえて、楽しい山行であった。そして何よりも、 本年初めて山頂を踏むことができたのが嬉しい。


新年早々敗退 − 黒金山  2015.1 記

かなり遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。

さて、昨年末に北横岳に登って雪山を楽しんだので、 2015年の初登りとなる山も雪山であることが望ましい。
さらには、北横岳で、背中に担いだまま出番のなかったスノーシューにも活躍させたいという気持ちも強い。
ということで、今年の登り初めは、スノーシューのフィールドとして名高い、入笠山か霧ヶ峰にすることが真っ先に頭に浮かんだのだが (どちらの山もアプローチ可能)、 一方でこの 2つの山は人が多いのではないかとの思いもあり、結局、奥秩父の黒金山に登ることにしたのだった。
黒金山を選んだのは、恐らく積雪量が 2〜30センチ程で何とかなる範囲と思われ、加えて、あまり人が入っていないと推測してのことであり、 さらには、昨年 乾徳山までしか行けずに登り損ねたという思いが強くあったからである。

この黒金山に至るには、徳和から乾徳山経由のルートの他、 同じく徳和から大ダワ経由で登るルート、北側の西沢渓谷から登るルート、そして国道140号線近くの青笹 (天科) から登るルートがある。
このうち、乾徳山経由のルートは、先日乾徳山に登ったばかりなので不採用とし、また大ダワ経由のルートも少々分かりにくかった経験があるので不採用とする。 さらには、西沢渓谷からのルートは冬期通行止めであるのでこれも除外。
となると青笹からのルートとなるが、地図上は破線になっているので、少々心配である。
そこで今回は、先日 乾徳山に登った後、黒金山まで行くことができた場合 (結局は断念)、下山に使うつもりであった 変則ルートにて登ることにした次第である。
つまり、徳和から道満山の先まで登り、途中から林道を進んで、林道終点にて青笹からのルートに合流した後、 牛首ノタル経由にて黒金山に至るというものである。未知のルートであり、雪の量も少々心配ではあったものの、 晴天の予報が出ている 1月8日(木)、早速 出かけることにしたのであった。

先に結論を言うと見事に ? 敗退。青笹からのルートに合流するまでに思いの外 時間を要してしまい、 また、登山道上に雪も多く、さらには雪の上に全く踏み跡が無かったため、雪上歩行に加えてルート探しにも時間を費やし、 結局 時間切れにて撤退を余儀なくされたのであった。
計画が甘かったこと、そして足跡の無い積雪期の山を少々舐めていた結果であり、先般登った雪の燕岳や北横岳などの山々が、 如何に他力に頼ったものだったか ということを思い知らされたのであった。
2,800m近い雪山に登れたのは、雪上にしっかり道がつけられていたからこそであり、今回は、2,200m程の山とは言え、 一人で道を切り拓くことに慣れていない身には、とても大変な山旅であった。
新年早々敗退というのは残念だが、良い勉強になったし、雪山を楽しめたので、この経験を前向きに捉えたい。
一応、登山の状況は以下の通りである。

1月8日(木)、5時過ぎに横浜の自宅を出発する。 行き先は先日の乾徳山と同じ乾徳公園駐車場である。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に入り、圏央道経由にて中央道へと進む。勝沼ICで中央道を下りた後は、乾徳山の時と同じルートを辿り、 乾徳公園駐車場に着いたのは 6時50分であった。
平日だけあって、車は前回同様 1台のみ。その車も前回と同じ車だったので、登山者の車ではないようである。
車の中で朝食をとり、トイレを済ませた後、身支度を調えて 7時3分に出発する。車載の温度計は マイナス 6℃を示しているが、 それ程寒さは感じない。本日は快晴である。

先日の乾徳山と同じく道満尾根ルートへと進む。7時15分に徳和峠に到着し、 そこから山に取り付く。
道満山までは先日の乾徳山の時と全く同じ状況。足下に雪は無く、樹林越しに差し込む朝日が辺りを明るく照らす。
道満山を 8時15分に通過。道満山を越えてからは足下に雪が現れ始め、しかも踏み固められた雪は凍っているので、歩き辛い。 ただ、雪は断続的で、積雪という状態では無い。
道満山から一旦下り、暫く平らな道を進んだ後、左右が緩やかに落ち込んだ細い尾根を登っていくと、 やがて、前方に林道のガードレールが見えてくる。
前回、乾徳山を目指した時は、林道を掠めるようにしてそのまま登り続けたのだが、本日はここから林道へと進み、 ヘアピンカーブ状の所から林道に入る。時刻は 8時33分。右に下れば大平へ、左は青笹ルートと合流するはずである。

ここで本日最初の見込み違いが生じる。林道は冬期進入禁止と思い込んでおり、 従って林道は一面の雪と思っていたのだが、実際は工事関係の車の往来があるらしく、凍っていたのである。
アイスバーンとまではいかないものの、ホイールローダなどで一旦除雪されたところに雪が降り、それが融解凍結を繰り返しており、 さらに車の轍がそこに圧をかけていて、大変滑りやすく歩きにくいのである。
余程 軽アイゼンを装着しようと思ったが、そこまでは との思いもあり、何とか場所を選びながら林道を進む。スピードは出せないのが何とも歯がゆいが、 林道がほぼ平坦なのがありがたい。
少し進むと、オソバ沢ルートと同じ 『 乾徳山登山口 』 の標識が現れ、その横から左手の斜面に道が延びている。 この道を進めば、先程まで辿ってきた登山道の先、道満尾根の道と合流するはずである。時間は 8時40分。

と、その時、チェーンを巻いたトラックがやってきて、小生を追い抜いていった。 荷台に発電機らしきものを積んでいたので、狩猟目的の車では無く、工事車両のようである。
登山口からさらに少し進むと、今度は左に登っていく林道が現れる。林道は雪に覆われており、通行止めのゲートも設置されているが、 この道は、恐らく乾徳山の下、国師ヶ原の高原ヒュッテ前まで続いているものと思われる。
林道を苦労しながら進む。やがてゲートが現れるが、ここは開き放しのようである。振り返れば、樹林の間から富士山が見えている。
このゲートから道は左へと大きくカーブし、日当たりの悪い中を進むことになる。従って、足下の状況はさらに悪くなり、 歩みが益々遅くなる。やはり軽アイゼンを履くべきか と思ったのだが、ここでも面倒臭さが先に立ち、そのまま進む。

再び日当たりの良い場所に出ると、周囲が開け、前方には牛首と思しき高みが見えてくる。 その右手、北東の方向には雁坂嶺が少し顔を見せ、その右に水晶山、古礼山、燕山が続き、そこから一旦 雁峠へと下った稜線は笠取山へと再び盛り上がり、 さらに黒槐ノ頭、唐松尾山と続いている。さらには飛龍山なども見えている。
気分がグッと良くなるが、問題はこの林道の長さである。先の方に見える牛首から南に延びる尾根の斜面には、 この林道の続きと思われる道が見えており、それが結構遠く、しかも登りになっているのである。
空には雲一つ無い青空が広がり、周囲には雪の原が広がって気持ちが良いが、まだまだ続く林道歩きを思うと、ため息が出る。 ここは黙々と歩き続けるしかない。

前方に黒金山と思しき高みが見えてくると、やがて大きな堰堤が現れ、 さらには そこから左に分岐する林道が現れる。時刻は 9時31分。頭に入れておいた地図では、この分岐を過ぎれば青笹からの登山道との合流点も近いはずなので、 少し元気が出てくる。
この分岐から道は右に大きく曲がり、先程 見た通り、登り勾配の道が続くようになる。そして、10分程カラマツ林の中を登っていくと、 ようやく待望の登山道との合流点に到着したのだった。時刻は 9時47分。
結局、林道歩きは 1時間14分程、かなり時間を要してしまい、これも本日の誤算の一つであった。
山への取り付き口の先に林道ゲートがあるが、本日はここも開放されており、先程 小生を抜いていったトラックはさらに先に進んだようである。 また、ここは大きな広場になっていて、駐車スペースがあり、青笹への下降点の横にパジェロだったか、ランクルだったかが 1台駐まっている。 先行者かと思ったが、山に取り付いてみると、雪の上に足跡は皆無であった。工事関係者の車だったようである。

最初は雪が疎らだった斜面も、すぐに完全に雪に覆われるようになる。 しかも雪の上に足跡は全く無く、さらには目印がほとんど無いのである (古いテープが時折あるが、その間隔はかなり空いている)。 これも大きな誤算の一つである。
ただ、何となく木々の間が空いており、また周囲に比べて雪が僅かに凹んでいる部分があるので、恐らくここが登山道と検討をつけながら足を進めることにする。
最初はツボ足にて進んでいたものの、徐々に足が深く沈むようになってきたので、40分程登ったところで休憩を兼ね、ワカンを装着することにする。 本日はスノーシュー持参か、ワカン持参かで、かなり迷ったのだが、全く歩いたことのないルートであり、 スノーシューが使用可能か不明だったため、安全を見てワカンを持参したのだった。
しかし、斜面は結構広く、十分にスノーシューが使える状況であり、しかも、ワカンを装着してもかなり足は沈み込むので、 接地面積の大きいスノーシューの方が有利だったなと後悔する。
とは言え、後半になるとワカンの方が有利となるのだが (後述)、この時は悔やむこと頻りであった。

何とかルートを探りながら登っていく。木の並ぶ状態や地形などから判断するとともに、 所々にある木の切断跡などで、正規のルートを進んでいることを確認するといった状態が続く。
左手を見れば、樹林越しに、乾徳山、笠盛山と思しき山が見えている。
やがて、『 県有造林地 』 を示す白い立て札が斜面の先に現れたのでホッとする。 しかし、これは標識ではないので、必ずしも登山ルート上にあると限らないのであり、油断は禁物である。
道は土手のような場所を進むようになる。右下にはササ原であろうと思われる雪原が広がっている。
そのササを食べるのだろうか、今までほとんど足跡が見られなかった雪の上に、この辺から鹿と思しき偶蹄目の足跡が頻繁に現れるようになる。
中には、登山ルートを導いてくれるような足跡もあるのだが、いずれも途中で、左右どちらかに逸れてしまっている。
また、このササ原の近辺で、このルートで初めてとなる標識を見る。茶色い板に手書きの白い文字で 『 ← 至 青笹、至 牛首 → 』 と書かれており、 今まで辿ってきたルートが間違っていなかったことが確認でき、ようやく安心する。

雪の斜面を少し下って、小さな流れを 2つほど横切る。 流れる水自体は透明であるものの、真っ黒な土の上を流れているので、飲みたい という気は起こらない。時刻は 11時3分。
この小川を横切った後は、登りが続く。右側はササ原の斜面となっていて、雪よりも露出しているササの方が多くなるが、 小生が登っているところは雪が多く、時々深く潜るので進むのに苦労する。
斜面の先を見れば、立ち枯れの木々の後方に青空が広がっており、もうすぐ尾根上にたどり着けるようなので、少し元気が出てくる。
道はやがてササ原の斜面を斜めに横切って登るようになる。ここだけは雪混じりのササ原の中、登山道上だけに雪が残っていて、 まるで白い絨毯が敷かれているようである。

振り向けば富士山が見え、少しワクワクしながら斜面を登り切ると、 そこには 『 ササ原下展望台 』 と書かれた標識があり、さらに 『 牛首ノタル 1時間、林道出合 25分 』 と書かれていたのだった。 これを見てガッカリ。
今の時刻は 11時26分。途中、ワカンの装着を含めて、10分程休憩したとはいえ、林道出合からここまで 1時間39分を要したことになり、 『 下り 25分 』 ならば登りはその倍としても、実タイムはさらにその倍かかったということになる。
従って、ここから牛首ノタルまでの無雪期の標準タイムが 1時間であるのならば、本日は 2時間以上かかる可能性が強くなってきた訳で、 この調子だと本日は牛首ノタル、あるいはその手前までで時間切れ との危惧が出てくる。

途中撤退も有りとの覚悟を決め、タイムリミットを 13時半に定めて先へと進む。
なお、この 『 ササ原下展望台 』 近辺は大きく開けており、その名の通り、富士山、大菩薩嶺、飛龍山といった山々を見ることができるが、 展望を楽しむ余裕などなく、先を急ぐ。木が疎らに生えるササ原の斜面を進む。
左手には牛首、そして目指す黒金山が樹林越しに見えている。まだまだ遠く、しかもルートは一旦右の方へと黒金山とは反対方向に進んだ後、 牛首の下を巻いて戻り、黒金山へと至るようなので、見た目以上に距離があることになる。
やはり本日は頂上に達することができないかもしれないとの思いが強くなる。

尾根上を、ルートの見当をつけながら登っていく。 ただ、そのまま尾根上を登り続けるのかと思っていたら、途中から左へと折れて、斜面を横切って進むような雰囲気が感じられたので、 勘を信じて、左へと進む。どうやら正解だったようで、樹林を抜けると、ササ原の斜面が現れ、 そこには先程と同様に雪の絨毯が敷かれていたのだった。
道はここから尾根の中腹を横切るように進むことになる。ありがたいことに、この辺になると、目印となる新しいテープが一定の間隔で見つかるようになる。
ただ、斜面を横切る道は無雪期ならば問題ないのだが、現在の状況は雪が道を覆い、雪の斜面がずっと続いているだけなので、 そこを横切って進まねばならず、かなり神経を遣うことになる。
ここまではスノーシューが正解であったが、ここからはワカンが正解。小生のスノーシューでは斜面を横切るのにかなり難儀するであろうし、 この後 樹林帯に入ると、スノーシュー歩行の難易度がさらに増すことになったからである。

斜面を横滑りして滑落しないように、一歩ずつ慎重に足場を確保しながら進む。 前には牛首がピラミダルな姿を見せ、その左に黒金山が見えている。
また、ここは左側が開けているので、途中から展望がグッと広がる。振り向けば乾徳山が見え、その左後方に富士山も見えている。 さらには大菩薩嶺なども確認できる。
さすがに疲れてきたので、展望の良い所で 10分程休憩する。時間は 12時30分を回っており、いよいよ本日は頂上を踏まずに帰る公算が強くなる。

展望の開けた斜面を横切る道も、やがて牛首の斜面 (南側斜面) にぶつかり、 谷のドン詰まりに至る。
そこからは、牛首の斜面の縁 (谷の始まりの部分) に沿って左に回り、今歩いてきた斜面の反対側 (谷の向こう側) に移って樹林帯の中に入ることになる。 この時、一面の雪に どう進むのか分からなくなってしまったのだが、谷の向こう側にある樹林にピンクのテープを見つけ、 救われたのだった。
展望の利かないシラビソの樹林帯の中、斜面を斜めに登っていく。僅かに雪が凹んだ所が本来のルートであろうと検討をつけながら進み、 その進んだ先にてピンクテープを見つけて正解と知る といったパターンが続く。
しかも、樹林の中は雪が多く、しかもサラサラしているので、短い斜面を登るにも、足下の雪が崩れてなかなか登ることができず、 木に掴まりながら身体を引き上げるということも多くなる。

悪戦苦闘しながら進んで行くと、やがて斜面の途中に、手書きではない、 立派な 『 ← 青柳 − 牛首 → 』 と書かれた標識が現れた。今までの経験から、こういう標識が現れると要所が近い場合が多いので、 牛首ノタルも近いのではないかと思い、シャクナゲをかき分けるようにして斜面を登り切ると、明るい場所に飛び出したのだった (牛首の西側斜面)。
ここからは樹林越しに見える黒金山が大きい。しかし、直線的には近くに見えても、右手を見ると、黒金山への登山道があると思しき尾根 (牛首ノタル) はまだまだ先である。 これでまたガッカリする。

ここからのルートも、明るい樹林の中、牛首の斜面を横切って進むことになる。 しかし、今まで以上に雪の斜面の角度がキツく、横切って進むのにかなりの労力を要することになる。
ここの場合、斜面左下に滑落したとしても、すぐに木々に引っかかるので大怪我の可能性は低いが、それでも滑落は怖いので、 前にも増して一歩ずつ慎重に進む。雪の量が多いのがかなり応える。
喘ぎつつ進み、斜面の傾斜が少し緩やかになってきたところで時計を見ると、何と 13時57分になっているではないか。 すぐ先に牛首ノタルが見えていれば、まだ進むこともありえたのだが、目の前にはまだ樹林が続き、先が見えないので、 残念ではあるが諦めて引き返すことにする。
GPS端末を持っていないので、やや曖昧だが、ここは標高 2,000m程、牛首ノタルの 150m程手前と思われる。

無念さを胸に往路を戻る。リターン予定の時間を 30分程オーバーしてしまったことから、 かなり急がねばならないが、やはりスタミナ補給が重要と考え、斜面を横切ることが終わり、再び樹林帯に突入する手前にて休憩する。 テルモスに入れた、暖かく甘い紅茶が本当に美味である。
10分程休憩した後、樹林の中へと入る。帰りは快調。下り斜面中心ということもあるが、ルートを探す必要も無く、 自分の踏み跡を辿れば良いので、大変楽である。ルートがハッキリしているのと、そうでないのとでは雲泥の差である。
順調に下り続け、『 ササ原下展望台 』 には 15時3分に到着。ここで、往路では楽しめなかった周囲の景色を暫し眺めた後、 登るのに苦労した斜面を一気に下り、林道との合流点には 15時29分に戻り着いたのだった。
しかし、ここからも長い。凍った林道歩きが長く続き、その後、再び山中に入って道満尾根を下らねばならない。途中で日が暮れるのは必定であるが、 道満尾根に危険箇所はないので何とかなろう。

ワカンを外し、少し休んでから林道を下る。 心なしか、往路よりも道が凍っている気がしたが、気のせいだろうか。
途中、夕日に染まる山々、そして富士山の眺めを楽しみ、林道と道満尾根との接点には 16時41分に戻り着く。
5分程休憩した後、ヘッドランプを用意して下山を開始する。道満山までは、所々に雪が凍った箇所があるので注意しながら進み、 道満山を 16時59分に通過。後は雪の無い道なので、問題ないはずである。
途中でヘッドランプを点けてジグザグの山道を慎重に下り、登山口には 17時28分に到着したのだった。
辺りはもう真っ暗である。車道を下り、駐車場には 17時39分に戻り着く。

本日は目的の山に登ることはできなかったもの、 雪山を楽しむという点ではかなり満足できる山行であった。
とは言え、新年早々敗退というのも不名誉なことなので、早くどこかの頂上を踏みたいところである。 その山が、本日と同じような雪の量であるのならば、最高なのだが・・・。


スノーモンスターを楽しむ  2014.12 記

12月初旬の強い寒気の流れ込みは、 山のみならずその麓にも雪をもたらし、小生の山の行動範囲 (車でアプローチできる範囲) を一気に狭めてしまったのだった。
とは言え、探せばアプローチ可能な山もいくつかあるのだろうが、寒波襲来のすぐ後では情報も乏しく、 前回の登山は、間違いなく登山口まで車で行けるであろう乾徳山を選んだのだった。
しかし、久々の乾徳山もなかなか楽しめたとは言え、燕岳にて雪の山を楽しんだ後では、 やはり雪の無い山は今一つ物足りなさを覚えてしまう。

そんな中、ヤマレコなどを通じて徐々に登山口の情報が入ってくると、 少し工夫をすれば、小生でもアプローチ可能な山がまだまだあることが分かり始め、今回、 その中の一つである八ヶ岳連峰北部 北横岳に登ることにしたのだった。
北横岳には既に 2回登っているが、この時期は初めてであり、さらに現在は雪の量も結構あって、 スノーモンスター (樹氷) が楽しめるとのことなので、早速、12月24日(水)のクリスマスイブに出かけることにした。
無論、小生の車では北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅の駐車場まで行くことができないので、車で茅野駅まで行き、 茅野駅からバスで山麓駅まで行くという算段である。

茅野駅発北八ヶ岳ロープウェイ行きバスの始発は 7時55分と遅いので、 5時過ぎに横浜の自宅を出発する。
いつも通り、横浜ICから東名高速道に入り、圏央道経由にて中央道へと進む。天候はスカッとした青空とはいかないが、 高速道周辺の南アルプス、八ヶ岳の山々は良く見えており、特に甲斐駒ヶ岳が朝日に赤く染まる姿が素晴らしい。
順調に高速を進んでいくと、南諏訪IC付近から周囲は雪景色に変わる。
無論、高速道に雪は無いのだが、周辺の田畑は完全に雪に覆われており、辺り一面真っ白である。
諏訪ICで高速道を下り、諏訪バイパスを突っ切ってまっすぐ進む。すぐに丁字路 (四賀南神戸) となって国道20号線の本道に突き当たるので右折する。
上原の交差点にて左折して県道197号線 (途中の茅野町北から県道192号線に変わる) に入り、 800m程進んで茅野駅西口にて左折すれば、すぐに茅野市営青空駐車場が正面に見えてくる。
駐車場には雪が残っているので、なるべく雪の無いスペースを探して車を駐める。時刻は 7時35分。

車中で朝食をとった後、登山靴を履き、スパッツを着けるなどして身支度を調え、 駐車場の斜め向かいにあるバスターミナルへと向かう。乗車券売り場にて往復の乗車券を購入した後、7時55分のバスにて出発。
バスはビーナスラインを進むが、出発時の乗客は小生を含めて 2人。その乗客もすぐに降り、小生 1人の貸し切り状態となる。
周囲は完全に雪景色で、道路も所々に凍結箇所があり、しかもドンドン高度を上げていくので、とてもノーマルタイヤでは対応できない状態である。

ロープウェイ山麓駅には 8時53分に到着。ロープウェイの始発は 9時なので、 ロープウェイに乗ることも可能であったが、いつも通り歩いて登るつもりなのでトイレ等などユックリ準備をする。
その後、駐車場東側にある登山口へと進み、そこでアイゼンを装着する。本日はスノーシューも持参してきたのだが、 まずは様子見でアイゼンとダブルストックにてスタートである。
9時9分、雪の斜面に入り込む。林の中の登りとなるが、積雪は 5〜60センチ程であろうか。雪に溝状のトレースがつけられており、 しかもかなり踏み固められているので、スムーズに登っていくことができる。
なお、雪道にあるのは下山者の足跡、スノーシューばかりであり、本日このルートを登った人はいないようである。
また、雪溝の幅が小生のスノーシューには少々狭い感じであるため、ここはアイゼンが正解である。

20分程で樹林帯を抜け出し、雪原を歩くようになる。
空には薄い雲がかかっているものの、周囲の山々はハッキリ見ることができる。本日の天気は、Mapionが一日中快晴、 YAHOOが 12時より快晴との予報であったが、ここは YAHOOに軍配が上がる。早く青空を期待したいところである。
展望が開けたので、振り返れば、御嶽の姿が真っ先に飛び込んでくる。
あの戦後最悪の火山災害から 3ヶ月。この間、登る山を選び、極力火山灰を被った御嶽の姿を見ないようにしていたのだが、 今の御嶽は雪化粧しており、美しく魅力的である。
ただ、剣ヶ峰付近は未だ昇る噴煙に隠れてしまっている。暫し黙祷。

御嶽の右側には、小鉢盛山、鉢盛山が続き、鉢盛山の右後方からは真っ白になった 乗鞍岳の山々が始まっている。
一番左の大日岳、そして剣ヶ峰も良く確認でき、さらに摩利支天岳、富士見岳、恵比寿岳、四ツ岳が続く。
乗鞍岳の右には十石山も見え、さらに少し間を空けて霞沢岳、六百山も見えている。
六百山より右側の北アルプスの山々は、霧ヶ峰 車山の斜面に隠れて見えない。
御嶽の左側には、中央アルプスの経ヶ岳、大棚入山が確認でき、少し間を空けて、茶臼山、将棊頭山、木曽駒ヶ岳、中岳、伊那前岳といった山々が続く。
さらに左に濁沢大峰、檜尾岳、熊沢岳、東川岳と続いた後、稜線は一旦大きく下り、木曽殿越に至る。木曽殿越から再び盛り上がった稜線は、 空木岳へと延び、その左に南駒ヶ岳、仙涯嶺、越百山が続いており、さらに左に安平路山、念丈岳、池ノ平山が確認できる。

池ノ平山にて中央アルプスの稜線が徐々に下っていくと、 代わりに南アルプスの稜線が上がり始め、入笠山、釜無山などの山々が続き、なかなか立派に見える白岩岳へと至っている。
白岩岳の左には編笠山、鋸岳、そして甲斐駒ヶ岳が見え、鋸岳の後方には仙丈ヶ岳が顔を出している。
そして、甲斐駒ヶ岳の左後方には間ノ岳が少し顔を出し、その左に北岳が姿を見せているが、甲斐駒ヶ岳と北岳はまるで兄弟のように同じ形をしている。
北岳の左には高嶺、鳳凰三山が続き、南アルプスは終わりとなる。すると、今度は八ヶ岳が姿を見せ始め、 なだらかな斜面の西岳を最初として、その左に編笠山が顔を出し、さらにギボシ、権現岳が続いている。
そして、権現岳の前から峰の松目の稜線が盛り上がり始め、その後方に阿弥陀岳、そして主峰の赤岳が見えている。 赤岳から少し間を空けて、おむすび型の西天狗岳、そしてその左後方に東天狗岳が見えている。
飽くことのない、素晴らしい展望であるが、まだまだ先は長い。

緩やかな雪原を登っていく。前方には真っ白な山並みが見え、右に縞枯山、 間にロープウェイ山頂駅を挟み、左に北横岳が見え、少し進むと左手に蓼科山も見えてくる。
いずれも、かつて見たこと無い程に真っ白であり、テンションが上がるが、そのバックが青空ではなく、雲のベールがかかっているのが気になるところである。
ここまでの樹林帯、そして途中の雪原に疎らに生えてた木々は、広葉樹のため葉が落ち、従って雪がほとんど付着していない状態であったが、 ロープウェイケーブルの下方まで進んでくると、周囲の木々はシラビソなどに変わり、真っ白なクリスマスツリーが並ぶようになる。
やがて、スキーリフトの終点が左下方に見えてくると、右方に 『 ピラタスの丘 』 の標識が現れる。時刻は9時44分。
ここからはスキー場のゲレンデ、そして縞枯山を見通すことができるようになる。縞枯山に生えるシラビソなどの木々は、全て真っ白で、 それらが山頂まで密に繋がっている様子は本当に素晴らしい。

『 ピラタスの丘 』 から少し下って、ゲレンデを横切る。 今は誰も滑っていないが、スキーヤーが滑っている際はかなりスピードが出ているので、横断には注意が必要である。
スキー場を横断した後は、ロープウェイケーブルの下を通り、樹林帯へと入っていく。ここからは真っ白になった木々の間を縫うようにして進む。
途中、左手が切れて、霧ヶ峰方面が見えたが、その後方の北アルプスは、霞沢岳、六百山までしか見えず、 穂高連峰、槍ヶ岳と続く稜線は残念ながら霞んでいて見えない。
木の上、そして周囲の雪の量はかなり増してくるが、足下はしっかり溝状に踏み固められた雪道が続き、歩くのに支障は無い。 上方を見れば、うっすらと掛かっていた雲は少しずつ取れ始め、青空が見え始めている。

やがて、道は樹林帯を抜け、ゲレンデの縁を掠めるように進むことになる。
振り返れば、中央アルプスが良く見え、また手前には雪に覆われた平野部が広がっている。
ゲレンデを過ぎると、再び道は樹林帯へと入っていく。この辺から木々に付着する雪は木の幹にまで及び、 エビのシッポが多く見られるようになる。枝に付いた雪の量も多くなってかなり重そうであり、さらには風によって木全体が大きく、 ユラユラと揺れる様が面白い。

再び樹林帯を抜けると、またもやゲレンデの縁を進むことになる。 今まで明瞭だった道も、ここからはかなり乱れ始め、溝状の道は無くなり、いくつもの足跡が上方へと向かい始める。
道が1本だった時は、皆がそこを踏み固めるため、足が沈むことは無かったのだが、ここからはどの足跡を辿っても、 時々沈み込むようになる。スノーシューの跡を踏んだ時が一番ひどく、雪は踏み固められていないので、股下まで沈んでしまうこともあって、 抜け出すのに苦労する。
また、わずか、50センチほどの雪の壁を乗り越える際にも、軸となる足が沈んでしまって、乗り越えるのに結構労力を要することとなる。 従って、ここまで快調だった歩みが途端に遅くなり始め、かなりペースがユックリになる。
ここはスノーシューがあれば楽勝とも思えたのだが、山頂駅も近いと思われたので、敢えてそのまま進み続ける。

ようやく、左手前方、樹林越しに山頂駅が見え始め、 最後はゲレンデの縁を進んで、11時11分、山頂駅に到着したのだった。かかった時間は 2時間2分。 最後の 150m程は、かなりのペースダウンで、ほぼ地図通りの時間を要してしまった。 しかし、途中での雪景色、そして雪上歩行を大いに楽しめたので満足である。
駅の前のベンチで暫し休憩する。駅の前はロープウェイにてやって来た人たちで混雑しており、 そのほとんどがここから滑り降りるスキーヤーやボーダーであるが、登山者も何人か見受けられる。
また、周囲は完全に雪の世界であり、加えて、その背景に青空が広がり始めていて、テンションが上がる。
11時20分、山麓駅を出発し、坪庭・北横岳へと向かう。

ここからは再びしっかりと踏まれた道が続く。 周囲の木々はスノーモンスター化しており、全く木の本体が見えない状態である。 これ程の樹氷群は初めてであり、この時期に来られたことに感謝するとともに、非常に気分が高揚する。
第一休憩所まで登り着くと、途端に強い横風を受けるようになる。時折、小さな地吹雪も起こり、寒さを感じるが、結構楽しい。 第二休憩所を過ぎた後、標識に従って左へと進み (右は第三休憩所を経て縞枯山方面)、北横岳方面へと向かう。 地吹雪状態で、舞い上がった雪が頬に当たり、少々痛い。
ポールに沿って進んで広い坪庭の雪原を横断し、北横岳の胸元に入る。途端に、風が止み、暖かい日差しが身体を温める。 山は、このように状況の変化が極端なので面白い。

ここからは斜面をジグザグに登っていく。足下は良く踏まれており、 先の坪庭そしてこの斜面とも、アイゼンあるいはノーアイゼンで十分で、ワカン、スノーシューは不要である。 本日、背中のスノーシューの出番は無いのかも知れない。
木々には今にも上から落ちてきそうな程雪が積もっているが、寒さのためであろう、木に身体が多少触れたぐらいでは雪は落ちてこない。
樹林の中の登りが続くが、やがて右手の樹林が切れ、坪庭、そして縞枯山方面を見通せる場所を通過する。 下方には坪庭の雪原が広がり、その後方には山肌の樹林がまるで起毛したようになった、真っ白な縞枯山が見えている。
そして、縞枯山の右手には阿弥陀岳が顔を覗かせており、阿弥陀岳の右には権現岳、編笠山、西岳が続いている。 さらに進むと、阿弥陀岳の左に赤岳も見えてくる。
また、南八ヶ岳の右側には南アルプスの山並みが広がっている。この北横岳上空には青空が広がり始めているのに対し、 南八ヶ岳、南アルプス方面の上空はうっすらと雲に覆われたままである。

道が緩やかになってくると、やがて三ツ岳との分岐に到着。 時刻は 12時丁度。三ツ岳方面にもしっかりとしたトレースが続いている。さらに少し登って振り返れば、 真っ白な樹林の向こうに三ツ岳が見事な姿を見せている。
そして、そこから 2分程進むと、北横岳ヒュッテであった。時刻は 12時6分。本日は営業していないようである。
小屋前のビールケース ? の上にザックを置いて暫し休憩する。ここからは浅間山が見えるはずなので、登山道右のベンチの方へ行ってみると、 思った通り浅間山が美しい姿を見せていて、雪筋の縞模様も見えている。
12時15分、北横岳へと向かう。

すぐにスノーモンスターのトンネルに入り、トンネルを抜けると、 青空の下、スノーモンスターが林立する中を登っていくことになる。
やがて樹林帯を抜けると、風が強く当たり始め、油断をしていると身体がふらつくような状況の中で登ることになる。 一気に身体が冷え、風が当たる左頬は強ばり始める。ウェアのフードを被って進む。
そして、登り着いた所が北横岳南峰であった。時刻は 12時31分。ここには誰もいない。
ここからは蓼科山がすぐ目の前に見えるが、その後方に見えるはずの北アルプスの山々は雲に覆われている。
それにしても風が強く、写真を撮ろうにも身体が揺れ、なかなか撮ることができない。しかも、ジッとしているとドンドン体温が奪われていく。 従って、周囲の山々を撮る余裕など全く無く、すぐに北峰を目指す。

南峰から北峰へと続く道は、両側にスノーモンスターが並んでおり、 そのためか風の勢いが一気にダウンする。
左右のスノーモンスターは様々な形をしており、皆、何らかの動物を彷彿させる。
北峰到着は 12時36分。こちらも誰もいないので山頂独占である。
北峰は南峰ほど風が強くないので、何とか周囲の写真を撮る。
やはり、北西の方向、目の前にある蓼科山に真っ先に目が行くが、ここから見る冬の蓼科山は、いつも愚鈍なロバを連想させられる。 しかし、良く考えると 『 愚鈍 』 は余計で、山の形から逆さになったロバの顔を、そしてロバは鼻と口周りが白いという印象から、 山頂の白い部分がロバのそれを連想させるのかもしれない。

蓼科山の左後方には、三峰山、鉢伏山、霧ヶ峰が見えている。 また、蓼科山のずっと右側、北北東の方向には浅間山が見え、その右側に白き山々が続いている。どうやら谷川岳方面のようである。
浅間山の左側には、黒斑山、高峯山、東篭ノ登山、西篭ノ登山、湯ノ丸山が続き、四阿山、根子岳へと繋がっている。
また、南の方を振り返れば、スノーモンスターの間から八ヶ岳が見えている。

寒さに耐えかねて、12時40分、往路を戻る。 南峰には 12時44分に戻り着き、強風に耐えながら数枚の写真を撮った後、北横岳ヒュッテへと下る。
樹林帯に入る前、前方を見ると、縞枯山の左後方に金峰山、国師ヶ岳、さらには甲武信ヶ岳と続く奥秩父の主脈が見え、 さらにその左には御座山、そしてその左後方に両神山も見えたのだった。
また、国師ヶ岳の下方には男山、天狗山も見え、さらには下る途中、東北東の方向に荒船山も確認できたのだった。

北横岳ヒュッテには 12時52分に戻り着く。 水分を補給しながら今後のことを考える。地図では、ここから山頂駅まで 50分、 そして山頂駅から登山道を下ると 1時間30分となっている。
本日は平日のため、最終バスは 15時5分であり、もし、地図通りの時間を要した場合は、最終バスに乗れないことになる。 救いは、ロープウェイがあることで、山頂駅に着いた際にもう一度検討 (登山道にて下山するか、ロープウェイを使うか) することにして、 12時53分、先へと下る。

アイゼンを利かせて斜面を順調に下り、坪庭に入る。 往路での地吹雪もどきの強風が嘘のように穏やかである。
山頂駅には 13時20分に到着。地図で 50分のところを 27分で下ってきたので、このペースなら、 このまま登山道を下っても問題なかろうと思い、暫し休憩する。
周囲を見渡すと、いつの間にか青空は少なくなっており、今朝ほどのように薄い雲のベールがかかり始めている。
13時26分、下山開始。往路を戻る。

登って来た時の状況から、最初の 150mが難関かと思っていたのだが、 下りは大変楽である。無論、足が膝上まで潜ってしまうことはあったものの、下りの場合はそのまま押し切ることが可能で、 結構 順調に下ることができる。
スキーヤー、ボーダーが多く滑っている中、ゲレンデを注意して横切り、ピラタスの丘には 13時59分に到着。 ここまで来れば、もう余裕であり、逆に早く着きすぎて、時間を持て余すことが心配になり、かなりペースを落とすことにする。
周囲を見渡せば、蓼科山は青空をバックにしているものの、北横岳方面は薄雲がかかり、南八ヶ岳方面に至っては、 赤岳、阿弥陀岳の頂上は雲の中であった (その他の天狗岳、権現岳、編笠山、西岳は良く見えている)。
また、南アルプスはシルエット状に見え、中央アルプス、御嶽、北アルプスは最早ほとんど見えない状況である。

ユックリとペースを落として下り、登山口には 14時21分に下り着く。 汗びっしょりとなったので、駐車場の隅にて上半身だけ着替え、持参した食料などを食して時間を潰し、 15時5分のバスにて茅野駅へと向かったのだった。

本日は、天候が思ったほどには良くなかったものの、雪山を堪能でき、 楽しい一日であった。
残念なのは、背負ったスノーシューの出番がなかったこと (背中のスノーシューが泣いている)。バスの時間に制約が無ければ、 縞枯山方面へはスノーシューを使うこともできたはず。
この北横岳が今年最後の山であるが、来年の登り初めはスノーシュー使用といきたいところである。


お見それしました 乾徳山  2014.12 記

12月早々、真冬並みの強い寒気が日本列島に流れ込み、 日本海側の各地に大雪を降らせるとともに、太平洋側にも初雪や厳しい寒さをもたらした。
このため、小生が恐れていた登山口付近の積雪というケースも多くなり、一気に小生の山の行動範囲 (車でアプローチできる範囲) は狭まってしまったのだった。
こうした状況の中での登山を考えると、自ずと、まだアプローチが可能と思われる奥秩父周辺の山に目が向くことになるが、 甲武信ヶ岳や破風山、雁坂嶺、飛龍山、雲取山といった山々は、ここ数年の間に登っているため、ややマンネリと感じざるをえない。

ということで、どこか良い山はないかと地図を見ながら探したところ、 山梨県の乾徳山を思いついた。そして、もし状況が許せば、乾徳山の後に隣の黒金山まで足を伸ばすというオプションを持って登ることにしたのである (以前より、黒金山には西沢渓谷から登りたいと思っていたのだが、 このルートは現在冬季閉鎖中)。
なお、乾徳山は過去に 3回登っているが、今回登る予定の 道満山経由のルートは初めてなので、マンネリ感を抱くこともないはずである。

12月9日(火)、やや遅めの 4時25分に自宅を出発する。 いつも通り、横浜ICから東名高速道、圏央道と進んで、八王子JCTより中央高速道に入る。この日は快晴の予報であり、 実際、空には雲一つない。
勝沼ICで高速を下りた後は、甲州街道を大月方面に進み、柏尾にて左折して県道38号線 (途中で県道34号線に変わる) に入る。 等々力の交差点にて右折して国道411号線に入り、塩山上粟生野にて斜め左に進んで国道と分かれた後、すぐに左折して東山東部広域農道 (フルーツライン) へと入る。
塩山ふれあいの森総合公園を過ぎ、道なりに進んでいくと、やがて丁字路となって県道213号線に突き当たるので、そこを右折する。 暫く進むと、再び丁字路となって国道140号線 (雁坂みち) にぶつかるので右に道を取り、さらには、そこから 1.5km程進んで、 徳和入口の信号にて左折して県道209号線に入る。
後は道なりに徳和川沿いを進めば、やがて川を渡る手前に乾徳公園駐車場が見えてくる。到着時刻は 6時28分。
20台ほど収容できる駐車場には 1台駐まっているだけである。

車中で朝食を取っていると、近くの吉祥寺からであろうか、 時を告げる鐘の音が鳴り響く。
食事を済ませ、道路向かい側の乾徳公園のトイレを借用した後、身支度を調えて 6時51分に駐車場を出発する。
徳和川を渡った所で標識に従って右へと進み、県指定文化財の 『 旧坂本家住宅 』 へと進む。吉祥寺の横を通り、車道を登っていく。 途中、枝道が現れるが、しっかり道標が付けられているので迷うことはない。
やがて、『 旧坂本家住宅 』 が右手前方に見えてくるので、その手前を右折して墓地の方へと登っていく。
暫く進むと、道は獣害防止用ゲートに塞がれるが、扉を開けて通り抜け、さらに先に進んでいくと、すぐに 『 徳和峠 』 の標示板が見えてくる。 山には、この標示板の向かい側、道路左手から取り付くことになる。時刻は 7時7分。

石の法面を登ると、すぐに土の道となり、杉の植林帯の中に入る。 溝状になった道を登っていくのだが、杉の植林帯は結構長く続く。日が当たらずやや薄暗かった道も、すぐに樹林越しに差し込む朝日を受け、 明るく輝き出す。
やがて、周囲には杉に加え、ブナなどの広葉樹も見られるようになり、足下に落ち葉の絨毯が続くようになる。
緩やかだった傾斜も徐々にキツくなり始めると、周囲は自然林に変わり、足下には落ち葉に混ざって、ゴロゴロした石が現れ始める。 振り返れば、樹林越しに富士山がチラチラ見える。本日は快晴である。
登山道の方は、急斜面を登った後に暫く緩やかな道が続くというパターンを繰り返す。
樹林越しに周囲の山々が見えてくるが、キチンと見通せる所は無く、足を止めるまでには至らない。

やがて、見上げる斜面の先、樹林の間に青空が見え始める。 道満山も近いと思っていたら、案の定、斜面が終わると、そこは道満山の頂上であった。時刻は 8時6分。
頂上には四等三角点が置かれている他、標柱が木に立てかけられているだけで、展望は全く利かない。
道満山からは一旦下りとなり、その後、斜面の中腹につけられた平らな道を進む。道が緩やかな登りに変わり、左右が緩やかに落ち込んだ細い尾根を登っていくようになると、 やがて、前方にガードレールが見えてくる。
登山道はその林道と交わることなく、林道を掠めるようにして上へと続いているのだが、林道にも出られるようになっている。 この林道は大平牧場へと続いているようである。時刻は 8時22分。

この林道との接点を過ぎると、傾斜は少しキツくなり、 岩がゴロゴロした細い尾根をジグザグに登っていくことになる。
登山道の片側には鉄条網が張られているので、触れないよう注意が必要である。 右下を見れば、大平牧場の建物が見えている。
振り返れば富士山が見え、さらに高度を上げていくと、左手の山間 (やまあい) に、白き山々が見えてくる。見える部分が少なく、 また木々に邪魔されているので、山を同定することが難しいが、南アルプスであることは間違いない。
高度を上げるに連れ、その白き山々も迫り上がり、やがて樹林越しに 3つの山を見通すことができるようになる。 どうやら右から悪沢岳、赤石岳、聖岳のようであるが、聖岳はピラミッド型で、見慣れた形とは少々違っている。

道の方は、大平牧場からの道と合流した後、林道に飛び出すことになる。 時刻は 8時53分。
林道は今登っている山腹を蛇行しているようで、この後、2回林道を横切ることになる。3回目に林道を横切る所には標識があり、 左に林道を進めば国師ヶ原 (高原ヒュッテ)、尾根をまっすぐ登れば月見岩 (つまり 扇平) となっている。
当然、林道を横切ってまっすぐ尾根を登り続ける。振り返れば、富士山が木々の上方に位置するようになっている。

さらに登っていくと、周囲の木々は低くなり、生え方もかなり疎らになってくる。 従って、左側の南アルプスも良く見えるようになり、先程の悪沢岳、赤石岳、聖岳に加え、その左に上河内岳、笊ヶ岳、布引山が見えるようになる。
さらには、少し進むと左側が大きく開け、南アルプス、富士山の他、富士山の右に毛無山も見えるようになる。
道は、短い樹林帯に入った後、広々とした場所に出るといったパターンを繰り返し、足下の傾斜はほぼ無くなってくる。

南アルプスの展望はさらに広がり、まずは真っ白で大きな山容の間ノ岳が目に飛び込んでくる。
間ノ岳から左に下る稜線は西農鳥岳、農鳥岳に向かって再び盛り上がり、さらにその左には広河内岳から笹山 (黒河内岳) へと至る尾根が続いている。 そして、その尾根の後方、広河内岳の左にはズングリとした塩見岳が顔を出しており、さらには塩見岳の左方、少し離れた所には蝙蝠岳も顔を見せている。
間ノ岳の右側には、真っ白な北岳が見えているが、山頂付近には雲が掛かっている。
また、間ノ岳、北岳と続く白き稜線の手前を、まだ黒色が目立つ尾根が横切っている。辻山、鳳凰三山 (薬師岳、観音岳、地蔵岳) と続く尾根で、 薬師岳は北岳の真下、観音岳は北岳の右に見えている。地蔵岳は観音岳から少し離れた所にあって、その頂上にオベリスクが確認できる。
そして、地蔵岳の右に少し距離を置いて仙丈ヶ岳が見え、さらにその右に甲斐駒ヶ岳の摩利支天が見えている。

少し進むと、カヤトの原が広がる斜面の縁を歩くようになる。 登山道から外れて、南アルプス方面が良く見える位置までカヤトの斜面を下ると、今まで途切れ途切れに見えていた南アルプスが一望できるようになる。
甲斐駒ヶ岳については、その頂上が見えるようになったものの、山容のほとんどが手前の尾根に隠れてしまっている。 北岳の方は、頂上に掛かっていた雲が無くなり、少々横幅のある富士山のような形を見せている。
また、笊ヶ岳、布引山の左側、毛無山に至るまでの間に、いくつかの山が見えるが、この時点では山名が良く分からなかった。 帰宅後調べると、山伏、七面山、十枚山などの山々であった。

再び登山道に戻り、先へと進む。雰囲気的に扇平は近いと思われたが、 まだまだ先である。
細い木々が密に生え、トンネルのようになった所に至ると、木々の向こうに乾徳山らしき山が見え始める。
やがて、登山道上に大岩が多く現れ、大岩の間を抜けるようにして進むことになる。その大岩群を過ぎると、樹林の間からハッキリと乾徳山が見えるようになる。 足下には雪が現れ始めるが、凍っておらず、積雪量も 1cm以下である。
そして、その後すぐに広々としたカヤトの原に飛び出したのだった。扇平である。

カヤトの原の先には乾徳山がズングリとした姿を見せており、 その後方には青空が広がっている。
また、道の左側はカヤトの斜面となって下っているため、展望も大きく広がり、今まで見えなかった富士山の左側も少し見えるようになって、 三ツ峠山が確認できる。
富士山の右には毛無山、さらに右に七面山、山伏などの山々が続いた後、布引山、笊ヶ岳から始まる南アルプスの山々が続き、 鳳凰三山の地蔵岳までが見えている (仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳は目の前の尾根に隠れて見えない)。

カヤトの原を少し進むと、月見岩の前に出る。時刻は 9時54分。
ここで休憩とするが、日差しは暖かいものの、結構風が冷たい。この場所からは、三ツ峠山よりもさらに左側の山々を見ることができるようになり、 御正体山、小金沢山、大菩薩嶺などが確認できる。
また、ここは国師ヶ原からの道との合流点にもなっており、そちらから数人のグループが登って来た。10時2分に出発。

カヤトの原を緩やかに登っていくと、今度は右側 (東方面) の山々が見えるようになる。
まず、破風山、東破風山、雁坂嶺、水晶山、古礼山が見え、さらに進んで 『 手洗石 』 の標識がある岩の辺りまで来ると、 燕山、唐松尾山、飛龍山といった山も見えてくる。
『 手洗石 』 から道は樹林帯の登りに変わり、岩がゴロゴロする斜面をジグザグに登っていくことになる。 所々にピンクテープがあり、岩にペンキ印も付いているので迷うことは無いが、ボンヤリしていると道を外れてしまうことがある。
やがて、大きな岩が頻繁に現れるようになり、岩の間を縫うように進むことになる。10時39分に 『 髭剃岩 』 を通過。
その先で岩場を登り、岩の上に立つ。ここからの富士山は、真南にある為であろう、周囲の色に隠れ気味である。

『 カミナリ岩 』 にて最初の鎖場を登る。手に 2本のストックを持ったままであったが、 ここは難なく登ることができた。
また、この岩場で単独の女性と擦れ違う。この方には後程お世話になるのだが、この時は知るよしもない。
岩場に立って下方を見やれば、先程休憩した扇平が見えている。
順調に進んでいたところ、『 雨乞岩 』 を前にした時に、カメラのレンズフードが無くなっていることに気づく。 実際には、もっと前に落としたようである。
戻って探そうかとも思ったが、予定では黒金山に登った後、西沢渓谷側の牛首まで進み、そこから林道へと下って、 その林道を今朝ほど通過した林道の接点まで下り続け、最後は道満尾根にて下山するつもりなので、 探しに戻る余裕など全くない (尤も、ここまでかなり時間を要したので、黒金山は無理かも知れないと思い始めてはいたのだが・・・)。
また、戻っても見つかる保証は無く、どこまで戻れば良いのかも不明である。仕方なく、レンズフードは諦め、先に進むことにする。 しかし、また買うとなると 4千円弱、余計な出費は痛い。

道の方は斜面の縁を進み、展望がグッと開ける。 しかし、南アルプスの山々には雲が掛かり始めていて、今朝ほど見えた綺麗な稜線は見ることができない。
そんな中、甲斐駒ヶ岳がようやく下部の方まで姿を見せてくれたのだが、今度は逆に頂上部分が雲に覆われてしまっている。 また、甲斐駒ヶ岳の右には鋸岳が見えている。

やがて、目の前に 『 鳳岩 』 と名が付く岩の壁が現れる。 最後の鎖場であり、これを登り切ると乾徳山頂上である。
ここで横着をして、ストックを仕舞わずに、縮めてストラップ部分に左右の手に通した状態で鎖場に挑戦してしまう。 しかし、ここまで雪の上を歩いてきたためか、ビブラムの底が結構滑り、あまり岩を捉えてくれないため、自ずと手の力に頼りながら身体を引き上げることになって、 ストックが結構邪魔になる。下手をすれば、ブラブラしたストックが足に絡んで、転落の恐れもあったのだった。 横着をしてはいけないと大いに反省した次第。
なお、この鎖場は 2段階に分かれていて (鎖は 1本)、最初は垂直に近い、しかも岩の表面にあまり凹凸のない岩場を登り、 一旦登り着いた所からは、いくつかの岩が重なったような岩場の登りとなっている。
問題は最初の岩場で、先に述べたように靴底のフリクションがあまり利かず、足を置く場所に苦労する。 結局、クラックに無理矢理足がかりを作り、後は手の力に頼りながら身体を引き上げる。
2段階目の岩場は、足場が沢山あるので、それ程苦労すること無く登り切り、11時2分に頂上に到着したのだった。

頂上は岩場になっていて、石の祠の他、標柱が立っている。
頂上には誰もいないが、後から人が登ってくることを考慮し、祠よりさらに先の岩場にて休憩する。
周囲を見渡すと、まずはこれから目指す黒金山が目に着く。黒金山は台形をしており、上底部分の真ん中にドーム型の膨らみがある。 甲武信ヶ岳 徳ちゃん新道や、鶏冠山から眺める美しいピラミッド型とは大分違う。
黒金山の右には甲武信ヶ岳、木賊山が続き、さらに破風山、東破風山、雁坂嶺と続いた後、雁坂峠への下りとなる。 雁坂峠から再び盛り上がった稜線は、水晶山、古礼山、燕山と続き、その後 雁峠へと下っている。
また、燕山と雁峠を結ぶ稜線の後方には和名倉山が見えている。雁峠の右には笠取山、そして唐松尾山などが続き、さらに竜喰山、 大常木山と続いて飛龍山、前飛龍に至っている。
写真を拡大すると、飛龍山の左後方に雲取山が確認できる。そして、前飛龍から少し間を空けて黒川鶏冠山が見え、 さらにその右に大菩薩嶺が続く。

大菩薩嶺の右には熊沢山が目立ち、その後、小金沢山連嶺が続き、 さらに大蔵高丸を始めとする南大菩薩の山々が続いている。そして、南大菩薩の山々の右には御正体山、三ツ峠山などが続いて富士山へと至っている。
富士山の右側は先に述べた通りであるが、南アルプスにはますます雲が絡み始めていて、上河内岳付近は完全に雲の中、 そして間ノ岳、北岳、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳はその頂上が雲に覆われている。
また、先程まで見えていた塩見岳は、今や全く見えない。
そして、南アルプスは鋸岳の先にて、すぐ近くの遠見山の尾根に遮られることになる。
その遠見山の尾根が右側に下り始めると、そこから奥千丈岳へと続く尾根が持ち上がり、 さらに北奥千丈岳、国師ヶ岳へと至っている。そして、その 2つの尾根が交差する部分の後方には、金峰山の五丈岩が見えている。
また、遠見山を中心とする尾根の手前にもう一つ尾根が走っており、尾根はオオダワのササ原へと下った後、黒金山へと盛り上がっている。

展望を楽しんでいると、やがて単独の男性が登ってこられたのだが、 何と嬉しいことに、その方にレンズフードを落とさなかったか と聞かれたのであった。
もしかしたらという期待もあったのだが、実際にレンズフードが戻って来るとは・・・本当に嬉しい。
お礼を言いつつ状況をお聞きすると、先程、カミナリ岩で擦れ違った女性が見つけ、この男性に託してくれたとのこと。 その女性にお礼を言えないのは残念であるが、人の親切が身に染みた出来事であった。

気分を良くして、11時12分に山頂を後にする。 ルートはそのまま山頂の裏側へと下るのだが、結構急な岩場となっており、加えて岩に雪が付いていて、下方の鉄梯子に足をかけるまでが結構怖い。 雪は凍っていないものの、やはり無闇に雪の付着した岩に足を置くのは危険だからである。
何とか梯子を下り切ると、さらに鎖場、梯子の下りが続く。雪が無ければ問題ないのだが、滑ったら大変なので、 時間をかけながら慎重に下る。

その後、日当たりの良い岩場を通過し、樹林帯を進めば、 黒金山と徳和との分岐点に到着する。時刻は 11時25分。
ここから黒金山へ進もうとしたところ、雪の上に全く足跡が無い。もう少し早い時間ならば、勇気を出して進んだのであるが、 ここから黒金山まで 2時間半かかることになっており、さらに踏み跡の無い雪の道では苦労すると思い、 ここはあっさりと諦めて下山することにする。軟弱とは思ったが、無理は禁物と自分を納得させる。

国師ヶ原までの道を下る。しかし、道はかなり荒れている上、 急斜面には雪が残っていて苦労する。
このルートは、樹林に囲まれて視界は無く、乾徳山頂上から往路を戻るよりも 2、30分程余計に時間がかかるので、 使う人があまりいないのも頷ける。このルートは 2回下っているが、これ程荒れてしまったとは驚きであった。
高原ヒュッテ前には 12時36分に到着。樹林の中の、面白みの無いルートを辿っているうちに、空には雲が多くなり、太陽も隠れ気味である。
ヒュッテの脇にて暫し休憩。この高原ヒュッテは荒れ放題であったのだが、最近改修されたらしく、真新しい感じである。

12時45分に出発。すぐに十字路となり、右はオソバ沢ルートにて徳和へ、 左は扇平経由で乾徳山、まっすぐ林道を進めば今朝ほどのルートに合流することになる。 右へと進み、振り返れば、乾徳山が美しい姿を見せてくれている。
後はドンドン下るのみ。『 駒止 』 を 13時11分に通過、さらに樹林帯の中を下り続け、登山口には 13時41分に到着したのだった。 そこから林道を下り、乾徳公園駐車場に戻ったのは 14時1分であった。

本日は、前半部分、好天に恵まれ、乾徳山の魅力を存分に味わうことができ、 なかなか良い山旅であった。
レンズフードを落とすアクシデントもあったものの、親切な方々に助けられて手元に戻り、気分の良い一日でもあった。
黒金山を断念したのは残念であるが、まあ、今の実力では致し方ない。
それにしても、乾徳山には失礼だが、こんなに魅力的な山だったことに驚いた次第。やはり、山は晴天に登ってこそ、 その価値を十分に知ることができると改めて思ったのだった。


快心の燕岳  2014.12 記

11月5日に焼岳に登り、この冬最初の雪を踏んだものの その量は少なく、 また11日に登った四阿山では雪が全く無い状態だったため、できればもう少し雪の多い山に登りたいところである。
一方で、雪が麓まで降ってしまうと、ノーマルタイヤの車では登山口へのアプローチが難しくなることから、是非とも今のうちに雪山に登っておきたい。
昨年の今頃は、中央アルプスの麦草岳に登り、雪山を大いに楽しんだことから、今年も同じような条件の山はないかと考えたところ、 思い浮かんだのが燕岳である。ヤマレコなどでも盛んに登山記録がアップされていて雪が楽しめそうであり、 登山口までのアプローチも今ならノーマルタイヤでも大丈夫のようである。
また、人気の山であるため、雪の登山道はかなり踏まれていて、平日に登っても迷うことはなさそうだということで、 早速この 11月21日(金)にトライすることにする。

この燕岳には 2011年の 6月に登っており、 残雪期の登山を大いに楽しんだのだったが、初冬の燕岳も残雪期とは違った顔を見せてくれることが期待でき、楽しみである。
とはいっても、登山口のある中房温泉付近の標高は 1,400m以上あるため、朝晩の冷え込みが厳しい現状では路面凍結の恐れもある。 従って、まだ暗いうちに山間部を車両走行することは危険と考え、明るくなってから山道を進むべく、ユックリと目の3時15分に横浜の自宅を出発する。

空には雲が多いが、燕岳登山道がある安曇野市、 山頂のある大町市 (& 安曇野市) は一日中晴れの予報である。
6月末に、圏央道によってて東名高速道と中央高速道が繋がって以来、何回も利用しているルート (横浜IC−海老名JCT−八王子JCT) を進んで中央高速道に入る。 このルート利用は、高速料金が 700円弱 (安曇野ICまでETC利用の場合) 高くなり、走行距離も若干多くなるが、 国道16号線を使用して高尾山ICから圏央道・中央高速道に入る場合と比べて、30分以上も短縮できるのが嬉しい。
岡谷JCTからは長野自動車道に入り、安曇野IC (旧 豊科IC) へと進む。
途中、松本IC付近からガスが濃くなってくるが、この地域では何回も経験していることなので、気にせずに進む。
ただ、ここまで あまりにスムーズに進んできており、このままでは暗いうちに山道を進むことになりそうになったため、 途中の梓川SAにて立ち寄って休憩するとともに、SA内のコンビニにて本日の 水・食料を購入して時間を調整する。

安曇野ICにて高速を下りてからは、すぐに左折して県道57号線を進み、 豊科駅入口にて右折して国道147号線に入る。穂高川を渡った後、北穂高の信号を左折して県道25号線を進む。
ありがたいことに、この頃になると周囲のガスは消え、前方に白い山がチラチラ見えるようになる。
道の方はまっすぐであるが、途中、宮城の交差点からは県道327号線へと道路名が変わる。
有明山神社の横を過ぎ、道は山へと入っていく。周囲の気温はグングン下がり、車載の温度計はマイナス 2℃を示している。念のために四駆に切り換えるが、 零下にも拘わらず道に凍結はないようである。
観音峠、信濃坂を過ぎ、ドンドン山奥へと進む。道路脇に登山口までの距離が標示されているのがありがたい。

簡易トイレのある第一駐車場には 7時11分に到着。 明日から 3連休だからであろうか、平日にも拘わらず、駐車場は 四割方埋まっている。
身支度を調え、7時19分に出発。登山口まで車道を進み、7時29分に登山口に到着。
ここにもトイレが設置されているため、結構 人で賑わっているのを横目に、そのまま山に取り付く。雪の付いたササ原、 カラマツの斜面をジグザグに登っていく。
足下には途中から圧雪が現れて滑りやすくなるが、登りの場合はアイゼン無しでも問題なく登っていくことができる。 但し、雪の上には 6本爪のアイゼンの跡も見えている。
途中、樹林越しに山頂付近が白くなった清水岳が見え、その後ろには雲一つない青空が広がっている。本日は予報通り快晴であり、 テンションが上がるが、先の焼岳の例もあり油断は禁物、あまり喜び過ぎないようにする。

駐車場を出発する際の外気温はマイナス 2℃であったことから、 普段より 1枚多く着込んでいたのだが、斜面を登っているうちにかなり暑くなり、途中で 1枚脱ぐことにする。 そのため時間を少々ロス。
そこから少し進むと第一ベンチだったので、ちょっと損をした気分になる。時刻は 8時5分。
この第一ベンチからは雪の道が続いている様に見えたので、早めにアイゼンを装着することにする。久々のアイゼン装着に少し手間取り 8時13分に第一ベンチを出発。
しかし、折角アイゼンを装着したにも拘わらず、雪の道はすぐに途切れ、土の道が現れる。しまったと思ったが、そこから少し進むと、 また雪道に変わり、その後は、ほぼ雪道が続くことになったのだった。
ただ、木の根が剥き出しになっている所も多く、その際は根を傷つけないように足場を探しながら慎重に進む。
結局、登山道は多くの登山者に踏まれて圧雪状態が続いたものの、凍っている場所はほとんどなく、頂上まで恐らくアイゼン無しでも問題なかったと思われる。 この時期としては雪が少ないようだ。

>第二ベンチを 8時37分に通過する。多くの人はここでアイゼンを装着しているようで、 ここからは雪道の上にアイゼンの跡が多くなる。
やがて、左手樹林越しに、大天井岳から南へと続く尾根が見え隠れし始める。前回、このように尾根が見え始めた時には、 テンションがグッと上がったのだったが、今回は冷静。無理をして樹林越しの山々を撮らなくても、この先に見通せる場所があることを知っているからである。
その展望地に 9時1分に到着。ここからは東大天井岳、横通岳、そして横通岳から東に派生する尾根が良く見える。
9時9分に第三ベンチを通過。道の方はこの辺から傾斜が徐々にきつくなってくる。
やがて樹林越しに、鉢伏山、そしてその後方に八ヶ岳連峰が見えるようになり、さらに高度を上げていくと、うっすらとではあるが、 富士山も樹林越しに見えるようになる。

">周囲の雪は徐々に増えてきているものの、登山道の方は良く踏まれた圧雪状態なので、 全く歩行に問題はなく、アイゼンを履いている分、滑らずに効率良く登っていける。
9時45分に富士見ベンチに到着。ここでノドを潤す。本日はテルモスに暖かい紅茶を入れてきたが、ペットボトルのお茶で十分な陽気である。 5分程休んだ後、出発。
やがて、先程から樹林越しに時々見える横通岳とそこから東に下る尾根の向こうに、前常念とそこから常念岳に続く尾根が見え始めるが、 常念岳はまだ見えない。
また、高度を上げるに連れ、横通岳、東大天井岳を中心に見えていた尾根に、中天井岳、大天井岳が加わるようになる。 これらの山々は、もう山肌が真っ白である。

『 合戦小屋まであと 10分 』 と書かれた標識を過ぎて暫く進むと、 高い木は疎らとなり、先程までのように樹林によって小間切れにされることなく、大天井岳から中天井岳、東天井岳、横通岳と続く白銀の尾根を 一続きに見ることができるようになる。
『 合戦小屋まであと 5分 』 と書かれた標識を過ぎると、周囲の木々はさらに疎らとなり、日の光が足下の雪まで届いて、 その反射が目に眩しい。
振り返れば、横通岳の左後方に常念岳が少し顔を見せ始めている。やがて、木々の間から緑の屋根が見え始め、樹林を抜けると、 合戦小屋の前に飛び出したのであった。時刻は 10時24分。

小屋前のベンチで大休止。周囲を見渡す。
東の方向を見れば、浅間山、籠ノ登山、湯ノ丸山が目に入る。そしてその左には、先日登った四阿山、根子岳が見えている。 こちらから見る四阿山はピラミッド型をしていて、四阿山に対して抱いているイメージと異なる。
これは四阿山が東西に長い山頂を持っており、そのため南や北側から見れば東屋 (あずまや) のような形に見える一方、 東や西側から見ればピラミッド型に見えるという訳である。10時45分、小屋を出発する。

>ここからはササに囲まれた、溝状になった道をジグザグに登っていくことになる。
周囲に高い木々はほとんど見えないので、登るに連れて展望がドンドン開けていく。大天井岳から横通岳へと続く尾根が良く見えるのは無論のこと、 八ヶ岳、富士山、南アルプスの山々も見えている。
そして、さらに高度を上げると、大天井岳からこの燕岳へと続く尾根の後方に、槍ヶ岳が姿を見せてくれるようになり、 槍ヶ岳の右には小槍も見えている。さらには、有明山、そして浅間山も姿を見せるようになり、テンションが上がる。

やがて合戦沢ノ頭に登り着く。時刻は 11時7分。 ここで燕岳とのご対面となる。
燕岳の左には、雪の壁に立つ要塞のような燕山荘も見えているが、高く、遠くに見える。
槍ヶ岳は先程よりもかなり迫り上がってきており、槍ヶ岳の左には大喰岳も見えている。
北の方角を見れば、白いピラミッド型の山が目に着く。針ノ木岳である。こちらからの針ノ木岳はいつ見ても素晴らしい。
そして針ノ木岳の右後方には赤沢岳も見えている。赤沢岳の右には蓮華岳が大きく、 その蓮華岳に包まれるようにして、手前に唐沢岳が見え、唐沢岳の右には餓鬼岳も見えている。

この合戦沢ノ頭からは尾根通しの道を進むことになるが、 素晴らしい展望に足がしばしば止まる。
すぐ近くに見える東餓鬼岳の左後方には焼山、そして右後方には妙高山、高妻山、黒姫山が見えるようになる。
さらに進んでいくと、焼山の左に雨飾山も見え始め、東餓鬼岳に隠れていて見えなかった火打山も、その白く尖った山頂が東餓鬼岳頂上の後方に見えてくる。
燕岳の方は、燕山荘側から撮った写真などのピラミッド型ではなく、頂上が平らなフジツボ型をしており、その右に同じような岩峰が続いている。
やがて、火打山が東餓鬼岳の左に位置するようになると、反対側の槍ヶ岳方面では中岳も姿を見せるようになる。
南東方面を振り返れば、八ヶ岳、富士山がうっすらと見える他、富士山の右には、南アルプスが鳳凰山から聖岳方面までズラリと並んでいるのが見える。

道の方は斜面を横切るように進む。足下の雪はしっかり踏まれているので足が沈むことはないが、 擦れ違う際に少し道を外れると、途端に足が雪に沈む。
雪道を登るに連れて展望はさらに開け、蓮華岳の右には鹿島槍ヶ岳の双耳峰も見えるようになり、槍ヶ岳方面では、 中岳の左に南岳も加わっている。
さらには、燕岳も徐々に形を変え始め、お馴染みのピラミッド型に近づきつつある。
一方で、目指す燕山荘はなかなか近づいてこない。姿は見えているのだが、進むに連れて、燕山荘のある高みが非常に高く見えるようになる。 山荘までの登りはなかなか厳しそうである。

平らになった尾根上を進み、燕山荘への最後の登りに入る。
左手を見れば、槍ヶ岳から南岳へと続く尾根の先に、右から涸沢岳、北穂高岳、ジャンダルム、奥穂高岳という順に並んだ穂高連峰が姿を現す。 順番が頭の中にあるものと違うので、少し戸惑う。
さらには、槍ヶ岳の右に笠ヶ岳も姿を現しており、晴天の下、これだけの展望を得られたことを喜ぶとともに、 燕岳頂上からの展望が非常に楽しみになる。この状況ならば、焼岳のような天候の急変も考えられない。

燕山荘には裏側から回り込む。これは冬道のようであるが、 良く踏まれた雪の道が導いてくれ、また赤い旗がしっかり立てられているので、雪が降った直後でも迷うことはないと思われる。
山荘の裏手には 12時5分に登り着く。前回はここから良く分からずに山荘の西側を回ってしまったのだが、今回は雪の上の踏み跡を追い、 迷うことなく東側を回る。
先の方を見れば、赤い屋根の後方に美しいピラミッド型をした燕岳がしっかりと見えている。

天候がこれから急変することは考えられないので、 山荘前のベンチにて暫し休憩することとし、テルモスの紅茶を飲みながら食事とする。本日は寒くないものの、やはり暖かいお茶はありがたい。
休憩後、周囲の写真を撮りまくる。山荘前からは、南岳より左側の山々 (穂高連峰、大天井岳など) は見えないものの、 槍ヶ岳から立山までの山々がズラリと並んでいるのを見ることができる。
そして、立山の右側手前には、白砂青松ならぬ白砂白雪の均整のとれた燕岳が見えている。燕岳の右後方には蓮華岳が真っ白な姿を見せ、 さらに鹿島槍ヶ岳、餓鬼岳と続いて、餓鬼岳の右後方には雨飾山、火打山、妙高山が続く。
素晴らしい景色にテンションが上がりっぱなしであるが、こうなると早く山頂へと進みたくなる。

12時15分、山頂を目指す。 アイゼンは装着したままであったが、山荘からの稜線は、風で雪が吹き飛ばされるのであろう、白砂や岩が露出しているところが多い。 しかし、うまくしたもので、皆が積もった雪を踏み固めるため、登山道だけは白い絨毯のようになっている。
小さなアップダウンを繰り返しながら、イルカ岩などの奇岩の中を進む。本日は気温が高いとは言え、稜線上は吹きさらしとなるため風が冷たい。
振り返れば、涸沢岳から奥穂高岳までの連なりに加え、前穂高岳も姿を見せてくれている。目の前には美しい燕岳、左側は真っ白な北アルプス裏銀座の山々が続き、 気持ちよく進むことができる。
本当にこの好天に感謝であり、暫し足を止めて写真を撮りまくる。

メガネ岩を過ぎてからは、燕岳の懐に入る。山頂を巻く北燕岳への道を左に分け、 木の階段を登り、岩の間をすり抜けていくと、やがて前方に三角点を有する小さな高みが見えてくる。
頂上到着は 12時51分。嬉しいことに頂上には誰もおらず独り占め状態である。
吹きさらしの風の中、ジッとしているのが辛いが、周囲の写真を撮りまくる。
まず東には浅間山が見え、その左に四阿山が見える。さらにその左に草津白根山、横手山、岩菅山などが続き、少し間を空けて飯縄山が見える。
飯縄山の左には、黒姫山、戸隠山、高妻山が続く。高妻山の左後方には妙高山が顔を出しており、さらに左に火打山、焼山、雨飾山が続く。
雨飾山の右手前には餓鬼岳が見えるが、手前のケンズリから餓鬼岳山頂へと続く稜線が描いているカーブが、まるで火口の縁のようである。
餓鬼岳の左後方には鹿島槍ヶ岳が見えるが、その右にある爺ヶ岳は鹿島槍ヶ岳と重なって少々判別しにくい。鹿島槍ヶ岳の南峰 (双耳峰 左側のピーク) の左後方にも山が見えているが、 調べると白馬鑓ヶ岳のようで、さらには写真を拡大すると、白馬鑓ヶ岳の後方に、僅かながら白馬岳の頂上が確認できる。

鹿島槍ヶ岳の左には蓮華岳が大きく (丁度 北の方角)、 さらに赤沢岳、針ヶ岳が続いている。針ヶ岳の左後方には、剱岳、別山、立山 (富士ノ折立、大汝山、雄山) が続き、 さらに龍王岳、獅子岳、鷲岳といった山々が続く。
それらの山々の左には三ツ岳が大きく (北西の方角)、さらにその左に、これまた大きな山容の野口五郎岳が続いている。 野口五郎岳の左には水晶岳 (黒岳) が目立ち、さらに左、丁度 西の方角にワリモ岳、鷲羽岳が見えている。
鷲羽岳の左には黒部五郎岳が少し顔を出しており、さらに左に三俣蓮華岳、双六岳、樅沢岳が続く。
そして、その左側に笠ヶ岳が見えるが、こちらからは抜戸岳が笠ヶ岳の左側に見えている。こちらから見る笠ヶ岳はイメージ通りの、 てっぺんが平らな 『 深編笠 (浪人笠)』 の形をしている。

そして、笠ヶ岳の左方には槍ヶ岳、大喰岳、中岳、南岳が続き、 さらに奥穂高岳を中心とした穂高連峰が続いている。
前穂高岳の左には大天井岳が大きく、そこから左に中天井岳、東天井岳 (南の方角) と続き、常念岳へと繋がっている。 先程まで常念岳を隠していた横通岳は、今や常念岳の懐に隠れ気味である。
また、常念岳から東に延びる尾根上に前常念が見え、その左後方に南アルプスの山々を見ることができる。 かなり霞み気味ではあるものの、塩見岳、北岳、甲斐駒ヶ岳はハッキリとその形を確認できる。
南アルプスの左には富士山がうっすらと見え、さらに左に八ヶ岳が続いている。八ヶ岳が蓼科山で終わりになると、 すぐ目の前の有明山が目に入る。ここから見る有明山は、有明富士 (あるいは信濃富士) の名を持つとおり、富士の形をしている。 そして、展望は東の浅間山へと戻る。

素晴らしい展望をもっと眺めていたいところであるが、何せ風が冷たく、 手袋をしている手もかじかみ始める状況なので、13時1分、下山することにする。
下山は北燕岳側へと下り、途中左に道をとって巻き道を進み、メガネ岩の上部まで戻る。
後は往路を戻るのだが、途中、何遍も燕岳を振り返り、写真を撮りまくる。この山は山頂展望が素晴らしいのは勿論のこと、 山自体も、風化した花崗岩、白き砂、そして今の時期はそこに雪がアクセントを加え (無雪期は緑のハイマツがそれに代わる)、 大変魅力的で美しい。
これは本日のような好コンディションの下だからこそで、このところ、天気予報に裏切られることが多かっただけに、 喜びは大きい。

燕山荘には 13時32分に戻り着く。ここでもう一度休憩する。
この燕山荘に登り着いてからの山頂往復、そしてその前後 2回の休憩を含め、かなりノンビリ・ユックリとしていたところ、 大分遅くなってしまった。慌てて下山する。時刻は 13時52分。
アイゼンを利かせ、雪道を下る。途中、合戦沢ノ頭にテントを張っている人達がいたが、果たして許されるのだろうか。
順調に下り、合戦小屋には 14時23分に戻り着く。小屋で小用を足した後、恐らく本日下山する者のしんがりとなるだろうと思いつつ登山道を下る (実際には この後 トレランの若者に抜かれた)。
富士見ベンチを 14時42分、第三ベンチを 15時丁度に通過し、第2ベンチには 15時20分に到着。ここでノドを潤す。

そして第一ベンチに到着したのは 15時39分。 ここで小腹を満たし、アイゼンを外した後、15時50分に出発する。
第一ベンチからは、雪が無いところが多かったものの、雪のあるところは結構 凍っていて、階段、坂道で少々苦労する。
登山口には 16時14分に到着。車道を下り、駐車場には 16時20分に戻り着いたのだった。

本日は、目論見通りの天候となり、初冬の山を大いに楽しんだのだった。
ただ、雪は思った以上に少なく、雪山という点では、昨年同時期の麦草岳の方が楽しめた気がして、少々残念である。
しかし、何といっても、頂上からの展望も含め、燕岳の持つ魅力を十分に堪能でき、文句のない山行であった。


こちらも天候にヤキモキの四阿山  2014.11 記

11月5日(水)に焼岳に登り、 冬はすぐそこまでやって来ていることを実感する。
となると、ノーマルタイヤしかないため、冬になると登れる山が限られてしまう小生にとっては、 今のうちにできるだけ遠方の山に登っておきたいところである。
そうした中、11日(火)に山に行けるようになったため、早速登る山を検討する。なかなか、終日晴れという地域がみつからず、 ようやく探し当てたのが四阿山である。四阿山が位置する群馬県の嬬恋村、そして長野県の上田市、須坂市が、 Mapion、YAHOO両方とも終日快晴の予報となっている。
四阿山は既に 2回登っており、実のところ、今の気持ちとしてはそれ程登りたい山とは思わなかったものの、 この山では展望に恵まれた記憶がないことを思い出し、空気の澄んだ今なら多くの山々が見えるに違いないと考え、 トライすることにする。

あまり早く登り出すと寒いと思い、登り出しを遅くすべく、 かなりゆっくり目の 4時過ぎに横浜の自宅を出発する。
横浜ICから東名高速道に乗って海老名JCTまで進み、海老名JCTからは圏央道に入って鶴ヶ島JCTを目指す。
圏央道が東名高速道と繋がったことにより、かなり時間を短縮できるようになり大変ありがたい。 特に、関越道を利用する場合は、この道の利用メリットが大である。
鶴ヶ島JCTからは関越道に入り、今度は藤岡JCTへと進む。順調に車を進め、藤岡JCTからは上信越道に入る。
上田菅平ICで高速を下りたのだが、天候の方は今一つで、途中、浅間山の姿も見ることができない状態であった。

上田菅平ICからは国道144号線を暫く進み、 菅平口で国道144号線と分かれ国道406号線 (大笹街道) に入る。
菅平湖の横を通り、途中、菅平の丁字路を右折し (道は大笹街道のまま)、 そこから 1km強進んだ菅平国際ホテルベルニナの所で右折して県道182号線に入る。 すぐに左折して菅平プリンスホテルあるいは上田菅平高原グランヴィリオゴルフクラブを目指し、後は道なりに進めば菅平牧場の駐車場である。
牧場の駐車場への到着時刻は 7時20分。平日にも拘わらず、駐車場には既に車が 5台駐まっている。

身支度を調え、駐車場から少し高くなっている道路に上がると、 根子岳、そして四阿山方面は雲に覆われているのに気が付き、本日は快晴のはずだったのに出だしから躓いてしまう。
しかし一方で、反対側の西 (正確には西南西) の方向を見ると、北アルプスが薄ぼんやりながら見える。 白い頂を抱く前穂高岳、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、大キレット、南岳、中岳、大喰岳、槍ヶ岳といった山々が並び、 それと平行するように手前側に常念岳から大天井岳へと続く峰がシルエットのようになって見えている。
少し嬉しくなるが、やはり肝心の四阿山、根子岳が雲に覆われているのでは、力が入らない。

登山届を出し、トイレ (通常のトイレは閉鎖。 冬用に簡易トイレがある) を使用した後、今回は四阿山を先にすべく、 トイレの前を通って牧場内の林道を南へと進む。出発時刻は 7時32分。
前回この菅平牧場から登った時は根子岳を先にして、トイレの脇をまっすぐ根子岳に向かって進んだのだが、 今回そちらのルートが下山路になるはずである。
舗装された林道を暫く進むと、道路上に白線で書かれた大きな矢印が現れる。
その矢印は四阿山への登山口を見落として通り過ぎてしまわないように注意を喚起するものと思われ、 矢印に従って林道左手にある 『 四阿山登山口 』 と書かれたゲートを潜って山へと進む。

道は牧場の柵に沿って暫く進み、その後、白樺の林を抜けた後、 下り坂となって谷間へと下っていく。やがて、岩伝いに大明神沢の流れを渡った後、道は緩やかに斜面を横切って進んでいくことになる。
途中にあった標識には、『 四阿山 3.5km 』 とあり、頂上まで意外に距離があることに驚かされる。
上空ならびに斜面前方に青い空は全く見えず、テンションは全くと言って良いほど上がらない。

やがて道は 90度程左に曲がることになり、そこから本格的な登りが始まる。
樹林帯の中、足下はササ原であるが、所々でササ原が切れ、小さな広場のような場所を通過する。周囲は細いシラカバの林が続き、 やがてその中にダケカンバも見られるようになる。
高度を上げてくると、周囲の景色も時々見えるようになり、四阿山方面は相変わらず雲に覆われているものの、 振り返れば先程の駐車場で見た北アルプスの山々が、先程よりも少し良い状態で見えるようになってきている。
この分だと、頂上から展望は期待できそうもないので、途中で見える山々を時間を気にせずに撮りまくることにする。

先よりも良好になったとは言え、まだ少しぼやけており、 さらには木の枝が少々邪魔ではあるものの、先程の穂高連峰、槍ヶ岳、常念岳、大天井岳に加え、 西の方角には蓮華岳、針ノ木岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳といった山々が望めるようになり、 さらには白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳の白馬三山も確認することができる。
無論、槍ヶ岳右側から蓮華岳までの間にも山が見えているが、少し同定が難しい。 また、南の方角には烏帽子岳、湯の丸山がうっすらとシルエット状になって見えている。
やがて、道はダケカンバの樹林帯を抜け、草地の明るい尾根を登っていくことになる。
振り返れば、視界を遮る木々が全くなくなったことで、南から北西にかけての展望が一気に広がる。天候が今一つであり、 少しぼやけ気味なのは残念だが、前回、前々回の四阿山登山では得られなかった光景に少々興奮してしまう。

まずは、南には湯の丸山、烏帽子岳。こちらは雲が多く、 後方に見えるはずの八ヶ岳や南アルプスは確認できないし、西南西の前穂高岳までの間に見えるはずの、中央アルプス、御嶽、乗鞍岳も全く見えない。
ただ、先にも述べたように、前穂高岳からは、奥穂高岳、涸沢岳、北穂高岳、大キレット、南岳、中岳、大喰岳、槍ヶ岳までの山々と、 その稜線の手前に常念岳から大天井岳までの稜線が並んでいるのが確認できる。
さらには、槍ヶ岳から右、少し間を空けて、鷲羽岳、ワリモ岳、水晶岳(黒岳)、野口五郎岳、三ツ岳、薬師岳といった山々が見える。
さらに薬師岳の右側、西の方角には蓮華岳、針ノ木岳、爺ヶ岳、鹿島槍ヶ岳、五竜岳、唐松岳といった山々が続き、 針ノ木岳と爺ヶ岳の後方には立山、そして爺ヶ岳と鹿島槍ヶ岳の後方には剱岳が真っ白な姿を見せてくれている。
また、唐松岳のさらに右には、白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳、そして小蓮華岳を確認することができる。
また少し間を空けると、高妻山がその頂上部分だけを雲から出しており、さらに右に焼山、火打山、妙高山を確認することができる。
できれば、もう少しハッキリ・クッキリと見えて欲しいところであるが、これから登る四阿山、根子岳が期待できないため、 これだけ見えれば文句は言えまい。

小さなジグザグを繰り返しながら斜面を登っていくと、 やがて 『 四阿山 2.8km 』 を示す標識のある場所に登り着く。ここは小四阿と呼ばれる場所で、時刻は 8時42分。
ここからは本来 四阿山と根子岳が見えるのだが、現在見えているのは大スキマと呼ばれる両山を結ぶ吊尾根の部分のみ。 両山とも山頂付近は雲の中である。
北アルプスを眺めて少々上がって来たテンションも、この先行きに希望が持てない状態に、再び下がってしまう。
小四阿からは暫くほぼ平坦な道が続き、目の前の中四阿に向けてササや苔、そして岩がゴロゴロする道を進む。 周囲に生えているダケカンバもまだ小さく、草原のようであるが、天気もパッとしない所為もあって、 一方で何となく荒涼とした雰囲気も感じられ、四阿山が火山であったことを想起させてくれる。

道は再び登りとなり、ダケカンバの生えるササ原の道を登っていく。
周囲の木々は徐々に少なくなり、ダケカンバがシラビソに変わり始めると、やがて四阿高原へと下る分岐に到着する。 ここには 『 四阿山 2.1km 』 を示す標識も置かれている。時刻は 9時6分。
この分岐を過ぎると、周囲は一変し、高い木々は全くなくなり、ササと低木が生え、岩がゴロゴロした道へと変わる。 この頃になると、本日の唯一の楽しみであった北アルプスの眺めも、うっすらとガスがかかって見えにくくなり、 さらにテンションが下がる。
しかし、ありがたいことに、登っていくうちに周囲に陽が差し始め、根子岳を覆っていた雲が少しずつ上方へと上がっていくようになり、 さらには、根子岳のササ原の斜面に日の光も当たりはじめたのであった。

やがて中四阿の一角に登り着く。ここからは少しの間、尾根歩きが続く。
四阿山の方は相変わらず頂上が雲の中であるが、根子岳の方は雲が取れ、頂上が姿を現してくれており、 さらには、一時見えなくなっていた北アルプスの姿も再び見ることができるようになる。
もしかしたら、四阿山もその姿を見せてくれるのではないかとの期待が高まる中、暫くするうちに四阿山も徐々に雲が取れ始め、 ついにその姿を見せてくれたのであった。
まだ、完全にクリアな状態ではないものの、今朝ほどの状況に比べれば、格段の進歩である。一気に気分が高揚する。

中四阿の岩峰直下にある 『 四阿山 1.7km 』 を示す標識に下を 9時22分に通過。
目の前には雲の取れた四阿山が姿を見せてくれており、その斜面の崩壊が痛々しい。 こちらも根子岳の火口と繋がる大きな火口だったのだろうか。
道はササ原の下りに入り、崩壊地の上を進んだ後、再び登りとなる。周囲はササ原、そしてダケカンバ、シラビソなどが現れる。 少し高度を稼いで振り返れば、中四阿の後方に北アルプスがズラッと並ぶ。
天候の方はスッカリ回復し、青空が広がり始めている。そして、天候が良くなり始めたため、槍ヶ岳から鷲羽岳までの間の山も確認できるようになる。 ほぼ同じ高さの山が続き、真っ白になっている山はないが、どうやらその中で一番高い高みは燕岳のようである。

スッカリ気分を良くして斜面を登る。高度を上げるにつれて北アルプスの広がりが一望できるようになり、 立ち止まって写真を撮りまくる。
根子岳もスッキリと見えるようになっており、その女性的な山容、美しいササ原の斜面に目が行く一方で、真ん中辺の爆裂火口跡が痛々しく映る。
シラビソの樹林帯を抜け出すと、石がゴロゴロした斜面を登るようになり、やがて先の方にあるシラビソの樹林帯の上方に、 四阿山の山頂が見えてくる。こちらから見る山頂は少し左に傾いた三角錐をしている。
再び樹林帯に入ったかと思うと、すぐに樹林が切れて緩やかな平坦地を進むことになり、根子岳との分岐点に到着する。時刻は 9時59分。 標識には 『 四阿山 0.7km 』 とある。もうすぐである。

再び樹林帯に入った後、抜け出したところからは、 四阿山山頂部がよく見えるようになる。見事なピラミッド型である。
道の方は、一旦下って登り返し、四阿山山頂へと続く尾根に入る。すぐに記憶通りの木の階段が現れる。
左方を見れば、根子岳は既にこちらよりも下方にあり、その右後方に高妻山、焼山、火打山、妙高山が見えている。
さらには、高妻山の左手に、先程まで雲の下にて見えなかった戸隠山方面も見え始めている。
無論、北アルプスがよく見えるのは言うまでもない。

木の階段を登り終え、一登りすれば、まずは上州祠が現れる。 前回の登山記録では、ネットで調べて、こちらを信州祠としていたが、今回、この祠が向いているのは東の方、 上州側なのでこちらが上州祠というのが正しいようだ。
上州祠はかなり傷んでおり、以前登った時にはあった正面の軒を支える 2本の柱はなくなっており、 さらには扉も壊れてとれてしまっている。痛々しい限りである。
この上州祠から少し進めば、四阿山の最高点であり、標柱も立っている信州祠の前に出る。時刻は 10時12分。
この信州祠も外壁が剥がれてかなり傷んではいるものの、軒を支える 2本の柱は残っており、扉も付いたままである。

祠の周りには数人の人が居たので、今回も三角点を踏むべく、 そのまま先へと進む。
鎖場を下り、細い尾根を登り返せば、二等三角点と小さな地蔵尊が置かれている北峰であった。時刻は 10時16分。
こちらから見る四阿山山頂は、記憶通りかなり鋭角な三角形をしている。
すぐに山頂へと引き返し、信州祠の前には 10時22分に戻り着く。

祠の裏側にて周囲を見回す。 残念なことに、この頃になると再び北アルプスは雲に囲まれてしまい、ほとんど見えない状態。根子岳周辺にも少し雲が漂っている。
北東方面も雲が多く、雲の中に横手山が少し見えているだけであるが、 その左側、北西方面の妙高山、火打山、焼山は見えている。南東の浅間山は雲に隠れて全く見えない状況であった。
ただ、山頂で少し粘っているうちに、北アルプスも雲の間から少しずつ見え始めたが、 ここに登って来るまでに見えた広がりには叶わない。頂上は風が冷たかったため、10時28分、何も口にしないままで根子岳を目指す。

周囲の景色は雲に大きな影響を受けており、木道を下る頃には再び北アルプスも見えなくなる。
根子岳への分岐には 10時39分に到着。道を右にとって根子岳方面へと向かう。 少し進むと、道は下り斜面に入るが、その手前の見晴らしの良い場所で休憩する。この場所は前回の登山でも休んだ所である。
嬉しいことに、食事をしているうちに、またまた北アルプスの山々が見えるようになる。山の下部は霞んでいるため、 まるで稜線付近だけが空に浮かび上がっているように見え、なかなか面白い。
特に、白馬岳を始めとする白馬三山、そして唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、岩小屋沢岳、鳴沢岳、赤沢岳、スバリ岳、針ノ木岳、蓮華岳と続く稜線が朝方よりもハッキリと確認でき、 鹿島槍ヶ岳と爺ヶ岳の後方には剱岳、そして爺ヶ岳の左後方には立山 (大汝山) もハッキリと見えている。
また、この頃になると、戸隠連峰の本院岳、西岳もハッキリ確認できるようになる。10時54分、根子岳へと出発する。

ここからはシラビソ、トウヒなどの樹林帯の中をドンドン下ることになる。 足下は少々泥濘んでおり、加えて木の根がかなり露出しているので、滑りやすい。 実際、小生も一度足を滑らせ、尻餅をついてしまった。
足下に気をつけながら下っていくと、やがて樹林越しに根子岳の姿が見えるようになる。根子岳は 2つの顔を一度に見せており、 右側はササ原の美しい斜面、左側は迫力ある火口壁が占めている。
樹林帯を抜け、大スキマと呼ばれる鞍部の突端に到着する。ここには 『 根子岳 1.0km、四阿山 1.5km 』 と書かれた標識が置かれている。 時刻は 11時16分。
そこから少し進むと、根子岳が素晴らしい姿を見せてくれたのだった。先程まで 50%ずつの割合で見えていた根子岳の 2つの顔は、 今は火口壁部分の割合が 10%程となり、残りは美しいササ原の斜面となっている。
さらに、その後方には青い空も見えていて、眺めていると清々しい気分にさせられる。

気持ちの良いササ原の斜面を登る。少し登って振り返れば、 四阿山が姿を現すが、山頂には少し雲がかかっている。
右手を見れば、雲の中から横手山が顔を出し、さらに高度を上げていくと、横手山の右手には草津白根山が、 そして横手山の左手後方には岩菅山が姿を見せる。
やがて、ササ原を終えると、お馴染みのテーブル型の岩が並ぶ場所に登り着く。時刻は 11時36分。
道は再びササ原の斜面となり、登り着いた先には大岩が現れる。大岩の後ろ側を進み、少し登れば道は稜線歩きとなって火口壁の縁を進むようになる。 火口壁はこの山に似つかわしくない荒々しさを見せている。
そして、11時52分、根子岳山頂に到着。頂上には石の祠の他、『 禰固岳霊社 』 と彫られた石碑が置かれている。

ここは休まず、そのまま三角点のある小根子岳へと向かう。
小生は別に三角点マニアではないが、事前に少し下調べをしたところ、四阿山が二等三角点であるのに対し、それよりかなり低い小根子岳 (2,128.3m) が一等三角点であることに興味が湧き、 さらには小根子岳という名にも興味を惹かれたからである。
ササ原の斜面を下っていく。あまりに急斜面だと戻ってくるのが難儀になると恐れていたのだが、傾斜は意外と緩かったので一安心。 やがて下方に三角点の白い標柱が立つ小広い高みが見えてくる。
暫く下ると米子瀑布への分岐が現れ、右に道を取ってほんの少し登れば、小根子岳頂上であった。時刻は 12時9分。
ここには赤ペンキが塗られた一等三角点が置かれているほか、小さなケルンとともに、その横に白いペンキで 『 小根子岳山頂 2127m 』 と書かれた平たい石が置かれていた (国土地理院の電子地図では 上述の通り 2,128.3m。標高見直しがなされたのかもしれない。)。
ここからは根子岳と四阿山をペアで見ることができるほか、根子岳、四阿山に加え、浦倉山、奇妙山に囲まれた四阿火山のカルデラを一望できる。
また、嬉しいことに、北アルプスの山々も再びよく見える状況になっている。根子岳頂上では、北アルプスに再び雲がかかっていたのだが、 ここでは蓮華岳から白馬三山までを見ることができたのだった。12時17分、下山開始。

再び根子岳を目指し、根子岳には 12時35分に戻り着く。
後は駐車場まで下るだけである。ササ原の中、シラカバが多く見られる中をドンドン下る。
途中の東屋 (あずまや) には 13時17分に到着。この東屋は以前登った時にはなかった気がするが、前回登ったのは 2005年、 9年も経てば色々変化が現れるというものである。
東屋には西南西の西穂高岳から西北西の小蓮華岳まで、この東屋から見える北アルプスの展望図が掲げられている。 残念ながら、日が高くなった関係からか、北アルプスの山々は見えにくくなってしまっているが、もしよく見えていたら、 この展望図と照らし合わせたかったところである。
この東屋からは牧場の柵に沿って下り、駐車場には 13時30分に戻り着いたのだった。

本日は快晴の予報の下に臨んだものの、最初は予報が外れてなかなかテンションの上がらない登山であった。
しかし、天候の悪い時は北アルプスの眺めが沈みがちな気分をカバーしてくれ、しかも、そのうちに徐々に天候が回復し、 最終的には気持ちよく登山を終えることができたのだった。
四阿山は今回で 3回目となるが、過去 2回はあまり充実感を得られなかったのに比べ、今回は北アルプスの展望を得られて、 非常に充実感を味わえた山行となった。
山に対する (自分の) 評価というものは、天候や展望によって大きく左右されるものである ということを改めて知った山行でもあった。


天候の変化に驚かされた二度目の焼岳登山  2014.11 記

10月11日に平ヶ岳に登った後、グズグズしているうちに11月になってしまった。        理由は色々あるが、天候が今一パッとしなかったこと、そして 10月下旬には韓国に旅行するなど、他のことに時間をとられていたことが大きい。
しかし、そうこうしているうちにも、10月16日には富士山が初冠雪し、その他の山々でも続々と雪が降ったとの報告がネット上でなされ、 冬は確実に近づいてきている。
冬は登山口へのアプローチも含め、小生の行動範囲が極端に狭くなってしまうため、少々焦りを感じていたところ、 ようやくこの 11月5日(水)、以前より狙っていた焼岳に行く機会が巡ってきたのだった。

焼岳には 15年前の 1999年に登っているが、 今年 笠ヶ岳、槍ヶ岳と再登山を行った中、この 2つの山の近くにある焼岳にも是非再登山したいと思っていたのである。
ただ、その後、御嶽の大惨事があったため、同じく火山活動が続いていて常時観測対象の山になっているこの山に登ることに少し躊躇いが出ていたのだったが、 山は登りたい時に登っておかないと後悔することになるし、また焼岳頂上から御嶽は見えないようなので、ここは雪が根雪になる前にと思い、 実行することにした次第である。
さて、登山コースだが、前回は上高地から登り、新中の湯ルートで下山したため、ここは初めてのルートとなる岐阜県側 中尾高原から登ることにする。 やはり登山は初めてのコースを登るのが楽しい (なお、上高地からのルートは 11月2日にて冬期通行止め)。

中尾高原に行くには、今年の笠ヶ岳、槍ヶ岳と同様に新穂高温泉を目指せば良く、 さらには焼岳登山者用駐車場の詳細な場所についてはネットでマップコード (898024429) を調べたので、ナビにてスンナリと行けそうである。
このルートは焼岳の北西側の斜面を登ることになるので、陽が当たり出すのが遅いとの懸念から、登山開始を遅くすべく、3時過ぎに自宅を出発する。
笠ヶ岳、槍ヶ岳の時と同様、横浜ICから東名高速道に乗り、そのまま海老名JCT− (圏央道) −八王子JCT− (中央道) −岡谷JCT− (長野自動車道) −松本ICと進み、松本ICからは国道158号線 (野麦街道) にて沢渡、安房峠道路へと進む。 安房峠道路を通過後、平湯IC口からは国道471号線を北上し、栃尾の交差点にて右折して県道475号線に入って新穂高温泉を目指す。
途中、蒲田トンネルを抜けた所で右折し (中尾高原口)、合掌の森 中尾キャンプ場へと進む。前方に焼岳の姿が見える中、 さらに山の方へと登っていくと、やがて左手に 『焼岳登山者用駐車場』 の看板が現れる。
そこには 20台ほどの駐車スペースがあり、登山届のポストも設置されている。到着時刻は 6時33分。
平日だけあって駐車場には 1台の車もない。

身支度をし、登山届提出後、車道 (林道) をさらに先へと進む (6時39分出発)。
車道を少し進んで上方を見上げれば、焼岳が白い姿を見せている。ただ、斜面にべったり雪が付いているという状況ではなく、 焦げ茶色のクッキーにパウダーシュガーをまぶしたという感じで、この状態なら登山に支障はなさそうである。
林道を暫く進んで行くと簡易ゲートが現れ、この先は車両進入禁止となる。この場所からも焼岳がよく見える。 本日は、予報通り天気が良さそうである。
やがて、立派な 『焼岳登山口』 の標識が現れ、そこで林道と分かれて山に入っていくことになる (6時52分)。
小さな沢を渡った後、登りが始まる。道は今程渡った割谷の流れを左に、白水谷の流れを右にした斜面を登っていく。
すぐに小さな尾根に登り着くが、ここからは既に真っ白になった笠ヶ岳、抜戸岳の姿を樹林越しに見ることができる。

落ち葉が敷き詰められた道をジグザグに登っていく。 周囲にはブナが多く、大木も多い。時折振り返れば、樹林越しに笠ヶ岳が見えるが、編み笠というイメージとは異なった、その見事なピラミッド型に驚かされる。
やがて、先程の林道の続き、そしてその終点となる場所に飛び出す (7時23分)。
ここは小さな広場になっており、樹林の隙間から大木場ノ辻、錫杖岳、笠ヶ岳を見ることができる。
登山道はこの広場を横切るようにしてさらに山へと向かっており、少し登れば 『白水の滝』 と書かれた標識が現れる。
ここからは、谷を挟んだ向こう側に立派な滝を見ることができる。焦げ茶色の山肌に白い水の筋が流れ落ち、 その水の周辺の岩はベージュ色をしていて、さらにそこに濃い緑色が混ざっている。恐らく、今年 妙高山で見た光明滝・称明滝のように水に温泉の成分が含まれており、 ベージュや濃緑色の岩肌はその温泉成分が付着したものであろう。

道の方はササに囲まれた樹林帯の中をジグザグに登っていく。 傾斜は息が上がる程急という訳ではないものの、長く続く九十九折りの登りに少々疲れる。
周囲はオオシラビソの樹林帯に変わり、また高度を上げていくと、美しいダケカンバの樹林帯も見られるようになる。 静かな山登りであるが、あまりにも静かなため、熊が現れやしないかと思いながら登り続ける。やはり、こちら側は日が当たらず、雰囲気はあまり良くない。 単調な登りが続くが、慰めは時折樹林越しに見える笠ヶ岳の姿である。
やがて、坂の先の方に 『鍋助横手』 と書かれた標識が現れる (7時59分)。何の説明もないので、この地名 ? の意味は不明だが、 兎に角 ここまで続いた九十九折りの道は、ここで一段落となる。

ここからは暫く平らな道が続くようになり、さらに嬉しいことに、 笠ヶ岳方面が木々にほとんど邪魔されずに見通せるようになる。これまで断片的に見えた笠ヶ岳と抜戸岳が、 その間をつなぐ稜線とともにスッキリと見通せるようになり、その後方には青空が広がっていて、テンションがグッと上がる。
周囲にはダケカンバも多く見られるようになり、道は緩やかな登りが暫く続く。黙々と登り続けていくと、やがて足下に雪が現れる。 周囲に苔が多く見られる場所に入ると、緑の苔に降りかかった雪がまるで白い花のようである。
やがて、周囲、そして足下にはゴロゴロした岩が見られるようになると、ヒカリゴケと書かれた小さな標識が現れる。 その標識の後ろには岩の重なりでできた穴があり、その中にヒカリゴケがあるようである。
しかし、穴の奥を覗き込んでみたものの、ヒカリゴケを確認することはできずじまいであった。

苔むす岩の間を登る。岩や苔から流れ落ちる水は凍ってつららとなっているものの、 本日はそれ程寒くない。
やがて、2番目のヒカリゴケに到着 (8時22分)。ここでもヒカリゴケは確認できずじまい。
そこから少しジグザグに登っていくと、周囲の木々は少なくなり、展望が一気に開けるようになる。
笠ヶ岳と抜戸岳を結ぶ稜線は無論のこと、その下方の山肌、そして穴毛谷まで見ることができるようになる。
また、抜戸岳の右には大ノマ岳、弓折岳が見え、その 2つの山を結ぶ稜線の後方には東西に長い双六岳の稜線が見えている。 さらに弓折岳の右には、樅沢岳、左俣岳、そして槍ヶ岳に続く西鎌尾根が見えている。

道はやがて平坦な道へと変わり、両側を斜面に囲まれた谷状の地形を進むことになる。
そして、突然 簡易トイレのような雨量観測小屋が現れ、そのすぐ先で秀綱神社の前に飛び出たのだった (8時52分)。
この秀綱神社は、戦国時代に飛騨高山 松倉城主であった三木秀綱を祀ったものであり、この地は、羽柴(豊臣)秀吉による飛騨攻めによって落城し、 落ち延びることになった秀綱が一泊した場所とのことである (その後、秀綱は中尾峠を越えて信州に入ったものの、 金目当ての地元民に殺害されたとのこと。秀綱の奥方も別行動で徳本峠を越えて逃げようとしたが、やはり殺害されてしまったらしい。)
神社は小さいながらも立派な鳥居を有し、『秀綱神社』 と彫られた扁額も立派である。鳥居の奥には大きな岩があり、 その岩を割るようにして木が生えている。岩には庇のような部分もあるため、秀綱が一夜を明かしたというのも頷ける。

秀綱神社を過ぎると、足下にはパウダーシュガーを振りかけたような雪が頻繁に現れるようになる。 周囲はササ原、そしてオオシラビソの樹林帯が続く。
9時3分に焼岳小屋と中尾峠・焼岳の分岐に到着。ここは右に道をとって焼岳を目指す。最初は展望の利かない樹林帯を進むが、 高度を上げるにつれ、太陽も周囲を明るく照らすようになり、空には青空が広がって大変気持ち良く歩くことができるようになる。
先の方を見れば、樹林越しに焼岳の岩峰が見えるようになり、振り返れば笠ヶ岳−抜戸岳の稜線が白く輝き眩しい。

樹林帯を抜け出し灌木帯に入ると、さらに展望が広がり、 写真を撮りまくって足が進まなくなる。
また登山道の周囲には噴気 (恐らく蒸気のみ) を上げる場所が多くなる。その所為であろうか、斜面のササが雪などを被って真っ白くなっている中、 噴気孔の周辺は緑や赤茶色の苔が全く雪を被らずにそのままの姿を見せている。
左手には焼岳から北へと続く山並みの向こうに、白く輝く峰が顔を出し始めている。ジャンダルム、奥穂高岳のようだ。 これでますますテンションが上がる。また、右上方には焼岳の北峰と思しき岩峰が見えている。
高度が上がるにつれ、展望はますます良くなり、特に笠ヶ岳方面が素晴らしい。笠ヶ岳−抜戸岳が一つのパッケージとなって麓から迫り上がっているのが見え、 さらに抜戸岳の右、大ノマ岳の後方には双六岳の南峰、そして双六岳頂上も見えるようになってきている。
さらに目を右に向ければ、弓折岳−樅沢岳−左俣岳−西鎌尾根と続く稜線の向こうに、水晶岳(黒岳)も見えるようになり、 その右に鷲羽岳も姿を見せている。

やがて、明るい日差しの下、中尾峠に到着。時刻は 9時30分。
駐車場から 3時間程かかってしまったが、これはここまでに 105枚もの写真を撮ったことが大きい。 構図を決めるのに手間取ったり、露出調整を行って再度撮影することがあるため、恐らく写真 1枚に平均 10秒以上を要しており、 そのため 1,050秒、つまり 17分以上立ち止まったことになる (実際はもっと時間が掛かっていると思う)。
近頃、コースタイムと同じくらいの時間を要することが多くなってきたなと思っていたが、体力の衰えに加え、 現像コストの掛からないデジタルカメラに変わったことで、昔に比べ写真を撮る回数が格段に増えたことが原因と思われる。
日当たりの良い岩に腰掛けて食事とする。
峠というだけあって、今まで登って来た斜面とは反対側の展望も開け、東側に霞沢岳がよく見える。 また、笠ヶ岳の左方にも山が見えているが、石川県や富山県の山々と思われ、全く馴染みがないためその名前すら分からない。

9時40分に焼岳に向けて出発。木がほとんど生えていない、 枯れ草と砂礫の道をジグザグに登る。
少し高度を上げると、上高地、梓川の流れが見え始めるとともに、その左に 1峰から 5峰まで続く明神岳の姿が見え、 さらには前穂高岳も白い頂を現し始める。
上高地の右には六百山・霞沢岳が大きく、また明神岳と霞沢岳の間の後方には蝶ヶ岳、大滝山が見えている。 空には雲一つなく、素晴らしい天気であり、風もそれ程強くない。
さらに高度を上げて振り返ると、中尾峠の後方にある高み (焼岳展望台) によって今まで隠されていた山々が徐々に姿を現し始める。
焼岳展望台の後方には、丸山、西穂独標、西穂高岳が姿を見せ、その右後方には間ノ岳、ジャンダルム、ロバの耳、奥穂高岳が見える。 奥穂高岳から右に吊尾根が延びて前穂高岳へと続き、明神岳を経て上高地へと落ち込んでいる。
さらに高度を上げていくと、焼岳と西穂高岳の間にある割谷山の左後方に槍ヶ岳が姿を見せ始め、槍ヶ岳の右には大喰岳も見えている。 そして、やがて大喰岳の右には中岳も姿を見せてくれたのだった。

右手(西)を見れば、焼岳の右斜面後方に白山が見えている。 空気が冷たく澄んでいるからであろう、先日 笠ヶ岳や槍ヶ岳から見た時よりも白山の姿はハッキリとしている。
道の方は、硫黄臭のする噴気が上がっている場所の近くを横切り、左へと進む。この辺になると、草木は全く見えなくなり、 岩と雪の道が続くようになる。 まさに火山を登るという感じであるが、御嶽もこのような状態の中、突然爆発したのであり、 この焼岳も今は落ち着いていると言え、危険な火山であることを意識せざるを得ない。

好天の下、高度を上げるにつれてドンドン広がる素晴らしい景色に写真を撮りまくり、 なかなか足が進まない。
しかし、あまりに好天なので、そんなに急ぐこともなかろう と思っていたら、油断大敵、天候に変化が現れ始める。
まず、穂高連峰の後方に雲が現れ、その雲が少しずつ増え始める。 しかし、山自体はよく見えているのであまり気にしていなかったところ、 今度は上方を見上げると、焼岳の後ろにあった青空はいつの間にか消え、今は高層雲だろうか、筋状の雲が空を覆い始めている。
このアッという間の変化にビックリ。再び穂高連峰の方を振り返れば、こちらは墨流し (墨汁を水に垂らした際に出来る模様) のような雲が穂高連峰の上空を覆っている。
そして、筋状の雲が見えてから 20分程の間に上空は雲に覆われ、太陽は隠れてしまったのであった。
中尾峠に登り着いた時には雲一つない青空であったのに、それから 1時間程で上空は全面的に雲に覆われてしまったのである。 山の天候は変わりやすいとはいえ、この変化には本当に驚かされた。
幸い、周囲の山々はハッキリと見えているので、この後、雲が下がってこないことを祈るばかりである。

少し気落ちしながらうっすらと雪に覆われた岩場を登っていく。
岩には黄色いペンキ印がしっかりと付けられており、ガスにでも巻かれない限り、道を見失うことはない。 ただ、登るにつれて雪は 2〜3センチ程となり、一部凍っている所もあって、足を置く場所に気を遣うようになる。
そして、10時45分、稜線に登り着く。ここは新中の湯ルートとの合流点でもあり、今まで見えなかった乗鞍岳が目に飛び込んでくる。
ここで、既に頂上を踏んできた方と少し話をする。その後、稜線を右に進んで、吹き出す硫黄で周囲が黄色くなった、 硫黄臭漂う噴気孔のすぐソバを通り、岩場をひと登りすれば焼岳北峰であった。
到着時刻は 10時50分。中尾峠からかなり時間を要したが、この斜面の登りにおいても 74枚の写真を撮っており、 さらには雪で足下の危うい所があったために慎重に進んだこともあって、致し方ないところである。

なお、焼岳の最高点は立ち入り禁止となっている南峰であり、 その標高は 2,455.5mである。一方、この北峰の標高は 2,444.3mなので、南峰より 11m程低い。
少し残念であるが、ここは我慢である (実は、前回、禁を犯して南峰を踏んでいる。今は御嶽のこともあって、 とても挑む気にはなれない)。
曇ってしまったとは言え、ここからの展望は抜群である。
目の前、南南西の方角には南峰が見え、この北峰とを結ぶ火口壁の右下が噴火口となっている。 噴火口の底には火口湖である正賀池が見えている。
その正賀池を囲む火口壁の後方 (西の方角) には別山と白山が白くなった頂を見せている。
白山から右に目を向ければ、少し間を空けて大木場ノ辻、錫杖岳、そして笠ヶ岳、抜戸岳が並ぶ。そして、抜戸岳の右には大ノマ岳、弓折岳、樅沢岳、左俣岳が続き、 さらに西鎌尾根を経て槍ヶ岳へと至っている。

また、大ノマ岳、弓折岳の後方には、双六岳南峰、双六岳が続き、 双六岳と樅沢岳の間 (弓折岳の後方) には水晶岳(黒岳)、鷲羽岳が見えている。そして、樅沢岳と左俣岳を結ぶ稜線の後方には、 野口五郎岳も見えている。
槍ヶ岳の右には、先日歩いた大喰岳、中岳、南岳と続く稜線が見え、南岳の手前下方には蒲田富士も見える。
南岳の右には西穂高岳、赤石岳、間ノ岳、天狗ノ頭が続き、さらにジャンダルム、ロバの耳、奥穂高岳と続いている。
また、西穂高岳の右後方、間ノ岳と天狗ノ頭の後方には涸沢岳も顔を出している。
奥穂高岳より右には吊尾根を経て前穂高岳が続き、稜線は前穂高岳から明神岳を経て上高地へと下っている。

その上高地へと下る明神岳 5峰の斜面後方には、蝶ヶ岳、長塀山が見え、 そのさらに右後方に大滝山も見えている。
上高地からは六百山が立ち上がり、その稜線は霞沢岳へと盛り上がっていく。霞沢岳からさらに右へと続く稜線上にも立派な山が見えるが、 地図を見ると 2,553mの無名峰のようである。その無名峰から右に下る斜面の後方には鉢盛山が見え、 鉢盛山の頂上左後方には甲斐駒ヶ岳、そしてその右にアサヨ峰と思われる山が見えている。
アサヨ峰から一旦下った稜線は、北沢峠と思われる鞍部から再び盛り上がり、その先に北岳、仙丈ヶ岳が続くのだが (鉢盛山から右の小鉢盛山へと続く稜線の後方)、 この日は雲に紛れてしまっている。
また、小鉢盛山の右後方に塩見岳、悪沢岳、赤石岳、聖岳といった南アルプス南部の山々も見えるはずであるが、残念ながら確認できない。
ただ、本来 赤石岳などが見えるはずのスペースの右側には、木曽駒ヶ岳、空木岳、南駒ヶ岳といった中央アルプスの山々を確認することができる。

そして、その中央アルプスの右手前、小生のすぐ目の前には十石山へと盛り上がる尾根が見え、 十石山からさらに右に延びる稜線は金山岩、硫黄岳へと続く。 硫黄岳の左後方に高天ヶ原、その右 (硫黄岳の右後方) に乗鞍岳の剣ヶ峰が見えている。 剣ヶ峰の右には摩利支天岳、恵比寿岳、里見岳、四ツ岳といった乗鞍岳の山々が続く。
1時間前であれば、さらに素晴らしかったに違いない光景であるが、それでも 360度の展望を得られ、 しかも周囲の山々には雲が全く掛かっていないので満足である。

小生がこの北峰に着いた時には誰もいなかったのだが、平日というのに、 その後続々と中の湯方面から登山者が登ってきて、北峰は少々混み始める。
しかも頂上は吹きさらしで冷たい風が吹き、さらには風花まで舞うようになったので、何も口にせずに下山することとする。 下山開始は 11時11分、それでも 20分以上頂上に居たことになる。それ程素晴らしい眺めであった。

往路を忠実に戻る。下り始めは積雪のため、滑らないように慎重に下る。 今は雪が凍っておらず問題ないが、近いうちに凍結した斜面となり、アイゼンが必須となるであろう。
中尾峠には 12時2分に戻り着く。途中で、中尾高原から登ってこられたカップルと擦れ違う。
中尾峠からは、焼岳小屋、新中尾峠経由にて下山すべく、そのまままっすぐ目の前の高みに登る。この高みが焼岳展望台である。 山の至る所に噴気孔があり、そこから蒸気が出ている。硫黄臭はあまりしなかったものの、中には硫黄ガスを出しているところもあるようだ。
展望台から振り返れば、焼岳の荒々しい姿を見ることができる。特に上高地側へと下る斜面には、幾筋もの浸食溝が走っていて痛々しい。 焼岳の土石流が梓川を堰き止めて大正池を作ったのだが、今はこの溝を伝って土石流が流れ込み、大正池に影響を与えているようである。

ササ原の斜面を下り、焼岳小屋には 12時18分に到着。 営業を終えて閉まっている小屋は静かで、何となく居心地が悪く、すぐに新中尾峠経由にて下山する。 さして見所もないササ原・樹林帯の斜面を下り、中尾峠・焼岳への分岐点には 12時34分に到着。後は往路を戻るだけである。
秀綱神社を 12時42分に通過し、鍋助横手には 13時19分に到着。
途中、雨がパラつくことがあった一方で、時折日が差すこともあり、本当におかしな天候であった。
白水の滝が見える場所を 13時39分に通過、林道横の登山口には 14時10分に戻り着いたのだった。
後は林道をユックリ下るのみ。途中、焼岳、さらに笠ヶ岳や錫杖岳がよく見える場所があったので、ここでも写真を撮りまくり、 駐車場に戻ったのは 14時25分であった。

本日は、中尾峠まで天候に恵まれたものの、 その後の天候の変化に驚かされたが、周囲の山々は最後までよく見え、なかなか楽しめた登山であった。
一方で、焼岳は今も活発に活動中であり、何時爆発してもおかしくないとも感じさせられたのであった。 この焼岳を含め、草津白根山等同じような状況の山は沢山あるので、登山に際しては細心の注意、 そして事前の情報収集が重要と感じた山行であった。


苦行の平ヶ岳再々登山  2014.10 記

9月26日、27日の 2日間にて 24年ぶりの槍ヶ岳に登ったのだが、 下山後に御嶽噴火の惨状を知り、同じ山登りをする者として大変大きなショックを受けたのだった。
そのためであろうか、無意識のうちに御嶽が見える山は避けてしまったようで、次に登る山は東北、上信越の山から選ぶことを行い、 結局、3連休初日となる 10月11日(土)、平ヶ岳に登ることにしたのだった。

平ヶ岳には 2000年の 9月、10月に連続して登っているが、 その頃はフィルムカメラを使っており、従ってフィルム代・現像代が気になって十分に写真を撮ったとは言えない状況であった。 デジカメとなった現在、思う存分風景を撮影できるようになったから、もう一度登ってみようという気になったのが大きな理由である。
ただ、紅葉を考えるともっと早く登るべきであり、さらには平日登山とすべきであったのだが、タイミングが合わず、 加えてこの週明けには台風19号もやって来るとのことから、混雑覚悟でこの 3連休の初日に登ることにしたものである。

そうなると駐車場所の確保が心配になる。 2000年に登った時は、登山口への到着が 8時前後であっても何とか駐車場所を確保できたが、 近年の登山過熱ぶり、そして 3連休を考えると、最低でも 6時前後に到着しておらねばならぬと考え、北アルプス山行並みに 2時前に横浜の自宅を出発することにする。
なお、登山口までのルートであるが、一般的には関越道小出ICから向かうことになろうが、銀山平から先の道 (国道352号線) がどのような状況なのか分からなかったため、 前回、前々回と同様、東北自動車道経由にてアプローチすることにする。

予定通り、自宅を 1時30分に出発。 横浜ICから東名高速道に入り、首都高速を進んで、川口ICから東北自動車道に入る。連休初日ではあるものの、 真夜中近い時間では道路も空いており、順調に西那須野塩原ICまで進み、国道400号線に入る。
昨年の会津駒ヶ岳登山の際には見過ごしてしまい、食料購入に関してひどい目に遭ったセブンイレブンを、 今回は見落とさないようにと気をつけながら進む。 しかし、何と言うことであろう、今回も見落としてしまったというか、セブンイレブンが見当たらなかったのである。この瞬間真っ青になり、 前回同様この先の Yショップに頼るしかないのかと思いながら、すぐ先の信号が赤になったので停車する。
そして振り返ると、何とそこにセブンイレブンがあるではないか。夢を見ているような気になりつつ、慌てて信号の先で Uターンし、 セブンイレブンにて食料・水を購入する。
少しスピードを出し過ぎていたのだろうか、信号停止の際にセブンイレブンが見えた時には、狐につままれた気分であり、 信号が赤になった偶然に感謝する。とにかく食料購入ができて本当に良かった。

その後は国道400号線を順調に進み、 野岩鉄道会津鬼怒川線 上三依塩原温泉口駅 (かみみよりしおばらおんせんぐちえき) 付近にて国道121号線へと合流し、 会津鉄道線の下を潜った所で左折して国道352号線に入る。
後は、そのまま352号線を檜枝岐村、さらには登山口へと進んで行けば良い。
なお、天候の方であるが、途中、霧が出た所があったものの、檜枝岐村に入る頃には空に雲一つない状況であった。
檜枝岐村を過ぎると、やがて七入。ここを過ぎると、国道352号線は山に入る。クネクネした道を登っていくとやがて尾瀬御池への入口で、 左手に見える駐車場には既に多くに車が駐車している。

クネクネとした道はまだまだ続く。途中、尾瀬御池に向かう車であろうか、 10数台の車と擦れ違い、この時間、こんな山の中にしてはかなりの交通量となる。 しかも、所々擦れ違いができない箇所があるので慎重に進む。
やがて、道は下りへと変わり、平坦な道を進むようになる。 左右には人家、店なども見えるようになり、登山口が近くなってきたことを感じさせてくれる。
そして、5時45分に駐車場に到着。心配したとおり、この時間、既にかなりの車が駐まっており、 チョット見には数台の空きしかない状況であった。兎に角 駐車スペースが確保できて一安心。

身支度をして 5時57分に出発。出発前に駐車場設置のトイレにて小用を足す。
トイレは大の方も空いていたのだが、この時は全く便意がなかったものだから使用せずに、登山届を提出した上、 6時に駐車場横の林道に入る (これが後で後悔することになる)。
林道を暫く進むと、前方上方に紅葉の山肌を有する鷹ノ巣山 (と思う)、そしてその左上方に月が見えてくる。
駐車場では少しガスっていたものの、今はガスも消え、雲一つない状況になっていて嬉しい限りである。
但し、駐車場付近の気温は 4度。この辺ではもう冬が近いのかも知れない。
木橋を渡り、暫く進むと、『平ヶ岳登山道』 の標識が立っており、ここから山に取り付くことになる。時刻は 6時14分。

道は杉林を進むといきなり急登となり、その後、多少傾斜は緩むことはあっても、 結局、下台倉山までの登りが続くことになる。紅葉の進む灌木帯の中を登っていくと、やがて展望が開け、燧ヶ岳の双耳峰が見えるようになる。
蜂の巣があることによる迂回路を進み、朝日に赤く輝く紅葉の山を前方に見ながら登っていく。道はやがて砂礫混じりのヤセ尾根の登りへと変わる。
前方には下台倉山へと続く、これから辿る尾根が見え、朝日を浴びて紅葉の山肌が赤く染まっている。
この尾根は、途中、いくつものロープ場があり、また、登り着くと次の高みが待つといった感じであり、その節目には必ず松の木が立っている。
左手には燧ヶ岳が大きく迫り上がってきており、朝靄の中に立つ双耳の山頂はやはり魅力的である。

ヤセ尾根も終了となり、再び灌木帯に入ると、やがて前方正面に下台倉山が見えてくる。
紅葉の山肌の真ん中を割るようにして道が作られており、その急坂に少し怯んでしまう。
尾籠な話で恐縮であるが、まずいことに、この頃になると便意を催すようになり、そのため足の動きが鈍くなる。
先程、折角トイレが空いていたにも拘わらず、使わなかったことを後悔するがもう遅い。この先、トイレはないし、簡易トイレも持参していない。 余程の緊急事態にならない限りは我慢するしかなく、ここから苦行の山登りとなる。

急斜面に息を切らせつつ登っていき、下台倉山には 7時52分に到着。 ここまでの登りがキツく、またお腹が張っていたので休みたかったが、 山頂付近は数人のグループに占められていたため、そのまま先へと向かう。
加えて、丁度小生が下台倉山に登り着いた時、グループ内の男性であろうか、標柱の裏の茂みからトイレットペーパーを片手に出てきたのだった。 何をしていたか想像に難くないところであり、文句の一つも言いたいところであるが、今の小生はこの後同じようなことをしかねない状況なので、 ここは黙って通り過ぎる。
なお、この下台倉山に至るまでに 5、6人に追い抜かれてしまう。地図では 2時間20分のところを、2時間弱で登って来たので、 腹具合によりペースが落ちたとは言え、それ程遅くはないのだが、この山は日帰り健脚向きであることから、 足に自信のある方が登って来ているようである。

この下台倉山からは稜線歩きとなるので、少し身体 (腹) への負担も軽くなる。
無論、全くの平らという訳ではなく、それなりにアップダウンはあるものの、至って歩き易い。
加えて、ここからは展望がグッと良くなり、燧ヶ岳を見ながらの歩きが楽しめる。さらには、途中から本日目指す平ヶ岳の姿も見ることができるようになり、 テンションが上がる。
しかし、一方で改めてその遠さに驚くとともに、お腹の具合を思って、少し先行きが心配になる。
右側には時折 中ノ岳の姿も見えるようになり、その手前に灰ノ又山、源蔵山、巻倉山、兎岳も見えている。
さらには暫く進むと荒沢岳の姿も見え、また中ノ岳に加えて越後駒ヶ岳も姿を見せるようになる。
左側の燧ヶ岳の方を見れば、燧ヶ岳の右に奥白根山、錫ヶ岳も見えてきている。
お腹の具合も少し落ち着いてきたので、展望、そして周囲の紅葉を楽しみながら進んで行くと、やがて木道が現れ、 その先で真ん中に三角点のある小広い場所に飛び出した。台倉山到着である。時刻は8時37分。

登山道は、下台倉山からこの台倉山まで南へと進んでいたのだが、 台倉山の少し先からは右 (西) へと曲り、下り斜面に入る。
かつての記憶では、かなり泥濘んだ場所があった気がするが、今は木道も設置されており、ほとんど靴を汚すことはない。ありがたいことである。
下り着いた所が台倉清水。時刻は 8時48分。水場は少し下った所にあるようだ。ここで暫し休憩とし、ノドを潤し、あんパンを食す。 展望はなく、休憩には適していないが、既に 3時間近く歩いているので、仕方がない。
5分程休憩して出発。ここから道は緩やかな登りとなり、展望の利かない樹林帯の中を進むことになる。
足下には頻繁に木道が現れるようになり、大変ありがたい。しかし、一方で食事をしたためか、暫く落ち着いていたお腹の方がまた少々煩くなり始める。
よっぽど、左右の茂みに入り込もうかと思ったのだが、やはり余程の緊急事態でない限りやってはいけないことであるし、 さらには 3連休で人が結構いるので、難しい状況でもある。

お腹を騙しながら進むため、周囲の状況まで良く気が回らなかったが、 周囲はササに囲まれ、その中にコメツガなどが目立つ。
台倉清水から小さな高みを 2つほど越えて行くと、やがて白沢清水。時刻は 9時29分。ここは登山道のすぐソバに水場があるものの、 多くの人が指摘しているように、流水のようには見えず、飲む気にはなれない。
道はやがて樹林帯を抜け、ササ原の中の登りへと変わる。前方には平ヶ岳がチラリと見え、左手には燧ヶ岳、そして後方には会津駒ヶ岳が見えてくるようになる。 この辺から見る燧ヶ岳は双耳峰ではなく、赤ナグレ岳が加わって 3つの頂を持つように見える。
勾配は徐々にキツくなり始め、さらには前方を見上げれば、池ノ岳へと続く斜面、そしてその途中にあるササ原を真っ二つに割った登山道が見える。
前回、前々回ともかなり苦戦した斜面であるが、本日はお腹の調子が悪いだけにさらに苦戦しそうである。

息を切らせつつ、斜面を登る。高度がドンドン上がるにつれ、 周囲の展望はグッと開け、北には荒沢岳、そして奥只見湖の湖面、東には会津駒ヶ岳、南東には燧ヶ岳、その右に小真名子山、男体山、奥白根山、 錫ヶ岳などの山が続き、南には至仏山、そしてその右後方に武尊山が見えている。
やがて、目指す平ヶ岳の山容もよく見えるようになるが、足下は池ノ岳へと向かってまだまだ急斜面が続く。
お腹の方はかなりガスが溜まって来ているのが分かるものの、尾籠な話だが、ガスを外へ出そうとすると便の方も出てしまうように感じられ、 ここは我慢。従って、この後、お腹のガス圧でさらに悩まされるようになる。
漸く急坂も終わると、ここからはハイマツ・オオシラビソの中の平坦な道となり、その中を少し進むと、姫ノ池の前に飛び出したのだった。 時刻は 10時35分。

池の周囲は草紅葉に囲まれ、池には空の青が映り、 その向こうに平ヶ岳のなだらかな山容が見える。そして平ヶ岳の後方には雲一つない青空が拡がり、まさに山上の別天地である。
また、平ヶ岳の左にはピラミッド型をした至仏山、そしてその右に武尊山が見えている。
登山道横のウッドデッキ状の場所にて暫し休憩。これ以上腹にモノを詰め込むことは怖かったものの、やはりエネルギー補給は必要と、 コロッケパン 1個に、水 200CC程を飲み込む。10時41分、平ヶ岳に向けて出発。
辛い登りが終わったので、お腹の状態も再び落ち着いてきたようで、少し足が進むようになる。玉子石への分岐を右に見て、池塘が点在する中、 木道を緩やかに下り、オオシラビソの林に入っていく。
記憶では、このオオシラビソの林は 『ツガ廊下』 (従って、コメツガも生えているのかもしれない) と呼ばれる長い道だったと思うが、 今回は意外にあっさりと抜け出すことになった。14年前と状況は変わったのだろうか、それとも小生の記憶違いであろうか。

道は緩やかな登りとなり、やがて林を抜けて草付きの斜面を登るようになる。
途中、玉子石への分岐を過ぎ、再びオオシラビソの樹林を抜ければ、後は頂上に向かって木道を緩やかに登っていくだけである。
そして、多くの人々が憩う木道横のウッドデッキの間を右に曲がって少し進めば、二等三角点のある平ヶ岳頂上であった。時刻は 11時2分。
この三角点のある場所は、ハイマツ、オオシラビソなどに囲まれていて展望はない。また、三角点の後方に 『 2,141m 』 と書かれた標柱が立っているのだが、 この三角点の標高は 2,139.6mであるため標柱の表記は間違っている。
さらには、ここは平ヶ岳の最高点 (2,141m) ではない。平ヶ岳の山頂はこの三角点のある場所ではなく、 地図で見るとさらに木道を先に進んだ場所となっている。

木道に戻り、最高点を目指して先へと進む。
暫く進むと、前方に光電式積雪計のポールが見え、木道はその先で終点となる。木道の終点には、『この先通行止め』 の標柱が立っていて、 その後方には土の道が続いている。
この光電式積雪計のある所が最高点と言う説もあるようだが、行き止まりの先をよく見ると、巻機山が見える方向に標柱らしきものが立っている。 従って、恐らくそこが最高点であろう (何故 通行止めの先に標柱など立てているのであろう)。
しかし、平ヶ岳は平らな山頂であり、1m前後の差などは問題ではない。
この通行止めからの展望は頗る良く、池塘の広がりの向こうに多くの山々が見える。
まず目に着くのが、越後駒ヶ岳、中ノ岳。こちらから見る越後駒ヶ岳は、荒沢岳から見たズングリとした姿とは違い、キレイなピラミッド型を見せている。
越後駒ヶ岳の右方、北の方向に目をやれば、8月上旬に登った荒沢岳が美しい姿を見せてくれている。目を中ノ岳に戻せば、 中ノ岳の左には八海山の最高峰 入道岳が見え、中ノ岳の手前には兎岳、その左に丹後岳が続いている。
さらに左を見れば、少し間を空けて西の方角に巻機山が見え、巻機山から南に延びる尾根の後方にはうっすらと苗場山も見えている。
もっと左側、南西の方角には谷川岳が見え、さらに左には目の前の赤倉岳が大きく、赤倉岳の左後方には武尊山、 そしてその左に至仏山が見えている。
至仏山の左には皇海山、錫ヶ岳、奥白根山といった日光の山々が並び、さらに左、南東の方角には男体山が僅かに見える。 男体山の左には太郎山、小真名子山、女峰山が並び、女峰山の左には燧ヶ岳が大きい。
燧ヶ岳のさらに左、東の方角には帝釈山、田代山が見え、少し間を空けて会津駒ヶ岳が見えている。

7分程周囲の景色を眺めた後、11時13分に木道を引き返す。
次に目指すは玉子石である。もう一度三角点を踏んだ後、先程辿ってきた木道を戻る。
黄金色に染まった草原を木道が下っており、その先に池ノ岳が見える。池ノ岳の後方には、先日の荒沢岳登山で確認した丸山岳、 会津朝日岳が見えており、さらに左方、丁度真北の方向にはうっすらと浅草岳が見えている。
玉子石への分岐には 11時29分に到着。ここから左への木道を進み、水場ならびに玉子石を目指す。
どうにかお腹の調子は収まりつつあるものの、また暴れ出すことは十分に考えられ、心配の種を抱えたまま斜面を下る。
水場を過ぎると流れに沿った登りとなり、やがてテント場のある玉子石と池ノ岳との分岐に到着。時刻は 11時36分。
ここから道を左に取り、玉子石に向かって木道を進む。道は登りとなり、足下は草原からササ原へと変わる。
左手を見れば平ヶ岳が見えるが、ここからの平ヶ岳はその名の通り山頂が平べったく見える。

足下は再び草地となり、池塘が現れ、その向こうに荒沢岳を眺めながら進む。 気持ちの良い光景である。周囲にはハイマツ、そして矮性のオオシラビソなどが見られるとともに、草原にササがかなり入り込んでいる道を進む。
足下は木道が続くが、平ヶ岳頂上までのようなしっかりとした木道ではなく、少し斜めになったり、朽ちかけている木道も見られるようになる。
道は一旦下りとなり、池塘の横を進んで登り返すと、待望の奇岩 玉子石であった。到着は 11時54分。
玉子石は、岩の土台の上に玉子型をした岩が載っているのだが、その玉子型の岩の大きさは高さ 2m、横幅 3m程もあり、 自然の造形に驚かされる。 実際は、土台の岩と玉子型の岩はひと続きの花崗岩でできていて、花崗岩の節理 (割れ目) にそって風化が進み、 節理に囲まれた塊りの芯が残ったものだそうである。

手前の岩に登って玉子石を眺める。その後方にある池塘群も含めて記憶通り。 素晴らしい光景である。
少し疲れたので、暫し休憩。お腹が心配であったが、水分補給とともに焼きそばパンを食べる。
ここからは奥只見湖、荒沢岳、越後駒ヶ岳、中ノ岳、入道岳が見える他、目の前の剱ヶ倉山がなかなか良い形を見せている。 また、剱ヶ倉山の左後方には巻機山が見えている。
自然の不思議を眺め、周囲の景色を堪能した後、12時11分に玉子石を後にする。

先程のテント場近くの分岐点まで戻り、左に道をとって池ノ岳を目指す。
姫ノ池 (池ノ岳) には 12時33分に到着。ここでも暫し写真を撮りまくったが、登山道横のデッキにはテントが張られており、 折角の景色が台無しである。
その後、池ノ岳の下降点まで進み、そこの岩場で周囲の景色を楽しみながら大休止する。燧ヶ岳がよく見えるが、こちらから見るその姿は、 俎ー、柴安ーとの間の斜面が大きく抉れていて迫力がある。
15分程休んで下山開始。またまたお腹のガスが暴れだし、少々苦しく、あまりスピードが出せないままにササ原の斜面を下る。

白沢清水を 13時10分に通過し、台倉清水には 14時1分に到着。 ここで少々休憩し、台倉山頂上には 14時14分に登り着く。
お腹を駆け巡るガスに苦労しながら稜線を進み、途中、2回ほど休憩をとって、下台倉山頂上には 15時1分に到着。
この稜線上で数人の人たちと擦れ違ったが、この時間ではテントを張る頃にはかなり暗くなっていることだろう。
さて、下台倉山からは長い下りが続くことになるが、地図によれば駐車場到着は 16時半頃となるはずである。 恐らく、帰りの国道352号線は尾瀬御池からの車とひっきりなしに擦れ違うような気がするので、もう少し暗くなった方が運転しやすいと考え (山道で狭い所があり、 カーブも多いので、全ての車がライトを点けてくれる状況がありがたい)、加えてお腹の具合もあるので、ユックリ下山することにする。
途中に大休止を 2回挟み、お腹を宥めつつ下り、林道には 16時36分に下り着いたのだった。
林道を歩き、下台倉沢の水で顔を洗い、駐車場には 16時52分に戻り着く。
なお、お腹の方は何とか持ってくれ、無事正規のトイレで用を足すことができたのだった。

ロングコースである上に、お腹に爆弾を抱えての山行はかなり苦行であったが、 山頂付近の景色に癒やされ、苦労の甲斐を感じさせてくれたのだった。
惜しむらくは、もう少し早い時期に登っていれば、もっと素晴らしい紅葉を見ることができたということである。
しかし、本日は狙い通りの晴天で、満足度の高い山行であった。


24年ぶりの槍ヶ岳  2014.10 記

9月27日(土)の御嶽噴火は 50人を越える犠牲者を出し、 さらにはまだ多くの行方不明者が山頂付近に残っている状況で、戦後最悪の火山災害となった。
犠牲となった方々のご冥福を心からお祈り申し上げるとともに、一刻も早く行方不明の方々が見つかること、 そして麓の方々の生活に深刻な影響を及ぼしつつある火山活動が収束することを心から願うばかりである。
また、ニュースにて映し出される、変わり果てた御嶽の姿を見て胸が痛み、さらにはその過酷な環境下で救出作業に携わっておられる方々に対して 本当に頭が下がる思いである。

小生が御嶽の噴火を知ったのは、槍ヶ岳登山からの帰宅途中、時刻は 18時過ぎである。 かなり遅いが、それまで携帯を見ておらず、また車の中では音楽を聴いていたので、噴火のことは全く知らず、女房殿に家への到着予定時刻を知らせた際に 初めて知ったという次第である (女房殿から御嶽噴火のメールが入っていたことも知らなかった)。
今にして思えば、槍ヶ岳から下山し、新穂高登山指導センターにて下山届を書いている際 (13時48分頃)、センターの人が 『下呂温泉に直接問い合わせて 云々』 と電話で話しているのを小耳に挟み不思議に思ったのだが、家族の問い合わせだったのではないかと思われる。

さて、その槍ヶ岳だが、9月26日(金)、27日(土)の 2日間にて登って来た。
9月の初め、24年ぶりに笠ヶ岳に登ったが、その 24年前は常念岳、槍ヶ岳からの縦走であり、 従って小生の場合どうしてもこの 3つの山をセットで考えてしまう。 そのため、常念岳、そして今回笠ヶ岳を再登山したとなると、槍ヶ岳にも再度登らねばとの気持ちが強い。しかも、先日の笠ヶ岳付近から槍ヶ岳の姿を何度も眺めているだけに、 なおさらである。
気持ち的には即実行したかったのだが、混雑を嫌い、三連休や飛び石連休を避けているうちに、この時期になってしまった次第である。

横浜の自宅を午前 2時に出発。笠ヶ岳の時と同様、 今回も新穂高温泉 深山荘隣の新穂高第3駐車場 (無料駐車場) を目指す。 順調に車を進め、長野自動車道松本ICから国道158号線 (野麦街道) に入る。
天候の方はまあまあの状況であるものの、山には雲がかかってよく見えない。本日の天気予報では 9時頃から晴れとのことなので、 この状態も致し方ないかと思いつつ進む。
しかしである、安房峠道路を進み、国道471号線を北上して山間部を通過していると、周囲に濃い霧が立ちこめ、 ほとんど視界が利かない状況となる。本日の山行が思いやられ、ため息が出る。
しかし、県道475号線に入って新穂高温泉を目指す頃になると、徐々に霧は消え、しかも山の方も見えるようになり一安心であった。
駐車場到着は 5時41分。今回は 40%程の埋まり具合で、奥から 3番目の段に駐車することができたのだった。

車内で軽い食事を済ませ、身支度を調えて、5時52分に出発。
駐車場の奥へと進み、登山者用の道に入る。暫く蒲田川 (がまたがわ) 沿いを進み、車道に合流した後、新穂高登山指導センターに到着。 用意してきた登山届を提出し、清潔なトイレを拝借した後、6時8分に出発する。
笠ヶ岳の時はセンター左側の左俣 (ひだりまた) 林道を進んだが、今回はセンター右側の右俣林道を進む。
すぐに現れる中崎山荘奥飛騨の湯の後方を見上げれば、朝日を浴びた笠ヶ岳が見えており、すっかり回復した天候にテンションが上がる。
新穂高ロープウェイ駅の横を通り、新穂高第1駐車場を過ぎると、ここからは一般車通行止めとなる。
結構勾配のある林道をジグザグに登っていく。やがて、道も平らになり、蒲田川右俣谷の流れに沿って進む。 小鍋谷からの流れを渡る手前のゲートを過ぎ、暫く進むと林道右脇に 『 夏道 』 と書かれた看板が現れる。 ここが林道をショートカットする道とは知っていたものの、夜露に木々が濡れており、また事前に読んだヤマレコにもそのまま林道を進んだ方の記録があったので、 ここは迷わず林道を進む。
ショートカットしなかった部分は大したことはなかろうと思ったのだが、これが思いの外長く、恐らく 1km近くの回り道になったと思われる。

大回りだったと思いながら進むと、やがて穂高平小屋の前を通過する。 ショートカットの道はここに出てくるようである。
林道歩きはまだまだ続く。途中、抜戸岳の姿が見えてきたが、先般の笠ヶ岳登山から 2週間強を経た現在、山が秋色に大きく変わっていることに驚かされる。
奥穂高岳へと通じる白出沢の登山口を 7時33分に通過。そこから暫く進むと、治山工事中の白出沢で、林道はここで終わりとなる。 沢の手前には工事関係者のご厚意で登山者用休憩所が設置されていたが、休まずにそのまま進む。
沢を渡るために設置された簡易橋の手前からは、笠ヶ岳、抜戸岳の姿が見え、青空に浮かぶ美しい山容に気分がさらに高揚する。 そして、橋を渡り、少し進むと、斜面に取り付くことになる。

急な登りは最初だけ、後はほぼ平坦、あるいは緩やかな勾配の山道が続く。
足下には大きな石が敷かれており、それが濡れていて滑りやすく、少し歩き辛い。しかし、急登ではない上に、笠ヶ岳、抜戸岳が左手樹林越しに時折見え、 なかなか気分が良い。
勾配は徐々にキツくなるが、息が切れる程のものではなく、軽快に登っていくことができる。途中、涸れ沢、あるいは小沢を 3つ程横切るが、 最初がブドウ谷、最後がチビ谷であろう。
やがて、水の流れが大きな音を立てている滝谷出合に到着。時刻は 8時41分。ここは広い河原になっており、水が右の滝谷から右俣谷へと流れ込んでいる。
角材で作られた橋を渡り、日当たりの良い場所を選んで暫し休憩。西を見れば、錫杖岳、大木場ノ辻が見え、東側、滝谷の上流を見上げれば、 滝谷ドームの上に丁度太陽がある。
13分休憩して出発。すぐに藤木レリーフ、そしてその辺から勾配は結構急になる。

足下は相変わらず石が敷き詰められたようになっており、少し歩きにくい。
左手前方を見れば、右俣谷もかなり詰まってきたようで、紅葉の斜面に、河原が白く細く、稜線へと登っているのが見える。 登山道周辺もかなり色づいてきており、さらには右俣谷対岸を見れば、奥丸山へと続く峰の斜面が濃緑色、黄緑、黄色、赤と彩り鮮やかである。
また、振り返れば、滝谷出合では逆光でよく見えなかった滝谷ドームが樹林越しによく見える。
周囲の彩りがさらに鮮やかになってくると、やがて南沢を横切る。本日、全く水は見られず伏流水になっているようだが、 降雨時はかなりの流れになるらしい。
振り返れば、滝谷ドームに加え、涸沢岳、蒲田富士がよく見える。
暫く進むと、足下に木道が現れ、槍平小屋が近いことを知る。そして、周囲の秋色がさらに濃くなった頃、槍平小屋に到着。 時刻は 9時47分。

小屋前で少し休憩した後、小屋裏手のトイレを借りたところ、 キャンプ場が開放的であることを知り、そちらに進んでさらに休憩することにする。
小屋の後方からは、先程の山々に北穂高岳が加わり、さらには蒲田富士の右斜面後方に西穂高岳も見えている。
10時8分に出発。暫く進むと、周囲はシラビソの林となり、樹林の中の登りが続く。シラビソの林を抜けると、周囲は灌木帯へと変わり、 再び紅葉に包まれるようになる。空は青く気持ちが良いが、この長い登りに辟易し始める。
やがて、右手上方に岩峰、そしてその左後方にカール状地形と稜線が見えるようになる。どの辺の稜線なのか全く見当がつかないが、 大喰岳と中岳との間くらいであろうか。
周囲の紅葉はますます美しくなり、明るい日差しの下、黄色や赤が目に眩しい。
やがて、登山道上に水の流れが現れ、暫く登っていくと最終水場に到着する。時刻は 11時3分。水は倒木の下、岩の間から湧きだしていて冷たく、 疲れた身体には非常に甘露。折角なので、荷物を下ろし、顔を洗って気合いを入れる。
振り返れば、ジャンダルム、西穂高岳方面がよく見える。西穂高岳の右手後方には本日初めての乗鞍岳も見えたが、 その周囲は雲に隠れ気味である。

この頃になると、さすがに疲れが出始める。睡眠時間は 2時間程度。 起床してからすでに 10時間を経過しているので、中だるみ状態と思い、ここは無理せず岩の多い場所にて休憩する。
振り返れば、今まで下方から見ていたために、山容がよく分からなかった奥丸山がしっかりと姿を見せている。 ただ、その後方にガスが上がって来ており、先行きが若干心配になる。
15分程休憩を取った後、再び紅葉の中へと入っていく。斜面をジグザグに登り、やがて 2,400mの標識を通過。そこから暫く登ると、 前方左手に千丈(沢)乗越から奥丸山へと派生する尾根が見えるようになってきて少し元気が出る。
やがて道は飛騨沢カールの縁を進むようになる。暫く灌木帯の中を進むと、やがて前方が開け、稜線まで続くカール地形と、 その先に槍ヶ岳山荘が見えてきたのだった。ただ、カールには時折ガスが漂い、山荘を隠してしまう。
なお、事前に読んだガイドブックでは、この辺から槍ヶ岳が見え始めるとあったが、どうしても槍ヶ岳を見つけられない。

道は灌木帯を抜け、カールの中に入る。そこから暫く登っていくと、 救急箱のある千丈乗越分岐で、時刻は 12時15分。左手を見ると、千丈乗越に向かう斜面に人が見えるが、 ここはまっすぐに進んで飛騨乗越を目指す。
10分程休憩した後、先へと進む。先程も述べたように、カールには時折ガスが流れ、稜線上の槍ヶ岳山荘、そしてカール全体を覆うことはあるものの、 総じて見通しは良い。午後になってもこのような状況にあるのは嬉しい限りで、先般の笠ヶ岳杓子平のような状態になっていないのが嬉しい。
とは言え、振り向けば、笠ヶ岳から抜戸岳、大ノマ岳へと続く尾根はガスに飲み込まれており、辛うじて抜戸岳の頂上部分が見えるだけである。
茶色、黄色、そして時折赤色に染まった斜面をジグザグに登る。斜面には上記の色に加え、ハイマツの緑、岩の灰色、そしてその先に青い空、 白い雲が見え、「美しい」 の一言である。
高度を上げて振り返れば、千丈乗越から奥丸山へと繋がる尾根がガスの中に見え、その斜面は秋色に染まって美しい。 紅葉全盛期にはまだ早いかも知れないが、この景色を見ることができただけでも満足である。

一方、この斜面の登りは大変キツい。特に、目先に槍ヶ岳山荘が見えているにも拘わらず、 登っても登っても 稜線が近づいてこない。
岩がゴロゴロしている道を登る。道にはピンクテープが付けられた棒が頻繁に立てられており、迷うことはない。 周辺に色づいた草が少なくなり、岩だらけの斜面に入ると、嬉しいことに西鎌尾根の向こうに鷲羽岳、水晶岳 (黒岳) が見えるようになる。
さらには、ガスが流れて鷲羽岳の後方に薬師岳も見えるようになり、その左手前には三俣蓮華岳も見えている。 この斜面の登りでバテバテであったが、この光景に元気をもらう。
長かった登りも、漸く稜線上に標示板が見えるようになる。しかし、すぐには着かない。3,000mの標識を 13時57分に通過。 そして飛騨乗越には 14時丁度に登り着いたのだった。

ここからは常念岳がよく見える。常念岳側は全くガスが発生していない。
常念岳から左に目を向けると、何と槍ヶ岳が目の前にあるではないか。疲れて頭がボーッとしていたのか、槍ヶ岳のことを忘れており、 その姿を見てギョッとする。ここから見る槍ヶ岳は、東鎌尾根などから見た形と違い、左右均等ではなく、少し右に傾いていて、 天を突くというイメージではない。少しガッカリである。
常念岳、大天井岳、蝶ヶ岳、そして下方にある氷河が作った U字地形などを眺めて 13分程休憩した後、槍ヶ岳山荘に向かう。 岩屑の斜面をジグザグに登り、テント場を抜けて、槍ヶ岳山荘には 14時28分に到着。
受付を済ませ、荷物を寝床にキープしてから少し休憩した後、槍ヶ岳の頂上を目指す。

14時52分に山荘前を出発。槍ヶ岳頂上へのルートは、 一部重複する部分はあるものの、基本的に登り、下りと分かれており、しかも幸いに、この時間では登る人も少ないようで、 コース上に 1人いるのみである。
白ペンキで書かれた矢印や ○印に従って岩場を登り、最初の急登を終えると小槍側に回り込む。
普通の登山道のような道を少し進んだ後、また岩場の登りとなる。上方を見上げると、垂直に見える岩場の先に鉄梯子が見える。
少し登り、見晴らしの良い場所で穂高連峰方面を見れば、南岳まで続く尾根と、その向こうに北穂高岳が見えている。 北穂高岳の左には前穂高岳が槍ヶ岳のような形を見せており、北穂高岳の右には奥穂高岳、そしてその下方手前に涸沢岳が見える。 奥穂高岳の右後方にはジャンダルムが見えるはずだが、残念ながらガスに囲まれて見えない。

ペンキ印に従って岩場を登り、先程下から見えた鉄梯子を登る。 次に小さな梯子を登り、岩に取り付けられた鉄杭などに頼りながら高度を上げていくと鎖場に出る。 しかし、ここの鎖は岩場をうまく登れば使う必要がない。
そして最後に 2段梯子が現れ、そこを登り切れば、槍ヶ岳頂上であった。時刻は 15時12分。
頂上には三角点らしき標石が 2つあるものの、どちらも地面に固定されていない状況。帰宅後調べたら、 「成果使用不能」 扱いとなっているとのことであった。
また、頂上には記憶どおり木製の祠が置かれていたが、さすがに 24年前とは代替わりしたようである。

ここからの展望は 「素晴らしい」 の一言。 残念ながら、南〜西の山々は雲やガスのため見えないが (具体的にはジャンダルム、 西穂高岳、焼岳、御岳、乗鞍岳、笠ヶ岳など)、残りの 270度についてはほとんど山を見ることができる。
遠くの山は無理であるが、この範囲内の北アルプスの山々はほとんど見ることができ、しかも南東には雲に隠れ気味ながらも富士山が見えている。 また北鎌独標の右下、間ノ沢付近には槍ヶ岳の影も映っている。
頂上に 20分ほど居たところ、いつの間にか頂上独り占めに近い状態になり、満足して下山開始。
これまた空いている下り専用コースを下る。下りは鎖場が多いが、問題なく下りられる。

【 翌27日 】
この日も良い天気。ただ、東側に若干雲が多く、スッキリとご来光を眺めることができなかったのは残念である。 しかし、雲海の向こうに富士山、南アルプスも見ることができたのだった。
本日は下り中心なので、ユックリと 6時19分に山荘を出発する。昨日、槍ヶ岳山頂からの展望を堪能しており、 さらにこの早い時間では周囲の山々も見えにくいと考え、頂上再登頂は行わずに南岳方面を目指す。
本日は南岳まで進み、そこから南岳新道を下る予定である。
まずは、飛騨乗越へと下る。飛騨乗越からはいきなり大喰岳への急登が始まる。まだ完全に目覚めていない身体にはチョット辛い。
尾根の右側、岩屑の斜面を進む。右手を見れば、昨日槍ヶ岳山頂から見えなかった笠ヶ岳方面が良く見え、弓折岳の斜面に槍ヶ岳の影が映っている。 槍ヶ岳を振り返れば、やはりやや右に傾いているものの、少し遠くから見るようになったからであろうか、 飛騨乗越から見た時よりはお気に入りの形になりつつある。

大喰岳頂上には 6時47分に到着。振り返れば槍ヶ岳が大きく、 槍ヶ岳の右には唐沢岳、爺ヶ岳、そして左には立山が、それぞれ雲海に浮かんでいる。
ここからは暫く稜線歩きが続く。岩屑の道を進むのだが、アップダウンは小さく歩き易い。
前方の中岳の後方には前穂高岳、北穂高岳、奥穂高岳、ジャンダルム、西穂高岳等の山々が見える。西穂高岳の右には乗鞍岳が見え、 その左後方には御嶽も見えている。
また、登山道左手には常念岳が見えるのだが、逆光のためシルエット状である。
鉄梯子を 2つ程登っていくと、やがて中岳頂上。時刻は 7時13分。
槍ヶ岳方面を見れば、爺ヶ岳の左に鹿島槍ヶ岳、そしてさらに左に白馬岳も見えている。白馬岳の手前には針ノ木岳、蓮華岳が大きい。

5分程周囲の景色を楽しんだ後、先へと進む。道はここから大きく下り、 鞍部からはいくつかの小ピークを越えて南岳へと登っていくことになる。 前方の南岳右奥には、南岳小屋の赤い屋根が見えている。
ガラ場の斜面を下りながら槍ヶ岳を見ると、何と槍ヶ岳が好みの形になりつつある。また、笠ヶ岳方面を見れば、 その左後方に白山が見えている。
鞍部から岩屑の斜面を登っていくと、南岳北面がよく見えるようになるが、そこが絶壁になっていることに驚かされる。
少々切り立った岩場を越え、やがて天狗原への下降点に到着。時刻は 7時57分。巻き道もあったが、天狗原方面を覗いてみたいと思い、 登ったものである。下方を見ると、紅葉真っ盛りという感じであった。
高みから一旦下った後、緩やかに道を登り、南岳へと進む。南岳自身は丸い形をしているものの、 先程述べたようにその斜面は切り立った崖になっていて迫力がある。ただ、道は尾根上を進むので、安全である。
途中、右手を見れば、錫杖岳、大木場ノ辻が見えるとともに、その下方には中崎尾根、そしてその左下に右俣谷が見えている。

南岳には 8時14分に到着。振り返れば、ここまで越えてきた大喰岳、中岳と、 その後方に槍ヶ岳が見えている。ここから見る槍ヶ岳はほぼ理想型である。
南岳からは、下方に見える南岳小屋を目指し、岩屑の道をジグザグに下る。小屋到着は 8時22分。
小屋前で小休憩した後、ザックを置いて大キレットを覗きに行ってみる。ただ、獅子鼻展望台という場所があるとは知らず、 その手前の岩場から大キレットを覗いただけ。日陰になっていて見にくかったものの、長谷川ピーク、飛騨泣き、北穂高岳と続く行程が確認できる。 飛騨泣きの辺りが一番厳しそうである。

8時33分、南岳小屋を出発して南岳新道を下る。テント場を過ぎ、岩がゴロゴロした斜面をジグザグに下っていく。 岩場に架けられた丸太の桟橋を渡り、やがて崩れやすいガラ場の斜面を白ペンキ印に従って下っていく。
ガラ場を下り終えると、歩き易い道が続き、先に見える高みへと登っていく。この高みへの手前には鎖場 (横鎖)、 そして斜面には木製の梯子が置かれている。
梯子を登ると、細い尾根が続くことになるのだが、その尾根上に木道があったのでビックリ。危険防止、ハイマツ保護の目的であろう。
細い岩尾根を木道がらみで進んで行くと、下りに入る手前に小広い場所があったので休憩することとし、槍ヶ岳山荘のお弁当を戴く。 弁当は中華チマキ。これが結構うまい。もち米の中にチャーシュー、椎茸、にんじん、松の実などが入っており、 味が良くしみこんでいてかなりいけるのである。
竹の皮に包まれているのも好ましく、さらにはそれをクラフト封筒に入れており、封筒には 『 御辨当 』 の文字の他、 槍ヶ岳山荘の名前が印刷されていて、さらには消費期限がゴム印で押されている。なかなかしゃれている。

9時25分に出発、細い岩尾根から下りに入る。 下り途中にも小さなピークがあり、そこに救急箱が置かれていた。この辺からは滝谷ドームがよく見える。
ハイマツ帯の中を下る。途中に木道があったり、梯子があったりして忙しい。右手には中岳から西に下る斜面が見え、紅葉で美しく染まっている。 そして、その向こうには鷲羽岳、水晶岳 (黒岳) が見えている。 残念ながら笠ヶ岳は既に雲に隠れてしまったが、色とりどりの山々は本当に美しい。
小さな岩がゴロゴロしている道を下る。周囲は黄色、一方右側の中岳斜面には赤色が目立つ。
やがて、下方に槍平小屋の屋根が見えてきたが、まだまだ距離がある。
アルミ製、鉄製の梯子や、朽ちかけた木製の梯子が連続する急斜面を下る。 途中、こちら側を登ってくる方々数人と擦れ違ったが、ここを登るのは辛いのではないかと思う (案外、登っている時にはそう感じないことも多いが・・・)。
やがて南沢の上部を横切る。ここも水の流れはない。小屋も近いかと思ったが、沢を横切ってからもシラビソの樹林帯が結構続く。 しかし、2,000mの標識を過ぎれば、すぐに槍平小屋に到着。時刻は 10時52分。

小屋の前で 5分程休み、先へと進む。 ここからは昨日通った道なので状況が分かっており、しかも緩やかな下りのため足が進む。
再び南沢を横切り、滝谷出合には 11時31分に到着。今回もここで休憩、冷たい水で顔を洗い、気合いを入れる。
見上げれば、滝谷ドームがよく見える。
その後も順調に足を進め、白出沢出合の休憩所には 12時25分に到着。昨日見えた笠ヶ岳は雲に覆われ、抜戸岳のみが見えている。 休憩所の横に設置された水場でノドを潤し、ここでも顔を洗って気合いを入れる。この水は 600m上流から引いてきているとのことで、 冷たくて美味しく、ペットボトルに詰めてこの先チビリチビリやりながら進むことにする。ここからは林道歩きなので問題ない。

10分程休憩し林道を下る。穂高平小屋には 13時5分に到着。 前述のように、ショートカットの道はこの小屋の向かい側から出ているのだが、ちょっとした勘違いで、 往路もショートカットは使用できずじまい。
新穂高ロープウェイ駅前を 13時42分に通過、その後新穂高登山指導センターに下山届を提出し、トイレを借りた後、 駐車場には 13時59分に戻り着いたのだった。

先日の笠ヶ岳に引き続いての山中 1泊による槍ヶ岳登山。 天候にも恵まれ、秋の山を大いに楽しんだのだった。
と、喜んで帰宅したところ、御嶽の惨状を知る。1979年に御嶽が噴火したことは承知しており、その時、 被害はほとんどなかったことも知っていたので、女房殿からのメールを見てもピンとこなかったのだが、家でテレビを見てその惨状を知り絶句。 2011年の東日本大震災と全く同じ状況である (会社から 6時間かけて徒歩にて帰宅。帰宅後、テレビでその状況を知り、驚愕)。
冒頭で述べたように、犠牲となった方々のご冥福を心からお祈り申し上げるとともに、 一刻も早く行方不明の方々が見つかることを願うばかりである。


充実の笠ヶ岳登山  2014.9 記

8月は夏山登山最盛期であるはずにも拘わらず、 結局 8月5日に登った荒沢岳を最後に、山には行けずに終わってしまった。 荒沢岳登山の後、山に行くチャンスは何回かあったものの、小生の都合が悪かったり、狙っていた山域の天候が芳しくなかったりといった状態が続き、 一方で暑い中、さして登りたくない山に登るのも億劫と思っているうちに、結局月が変わってしまったというところである。
それでも 8月には美ヶ原 (どちらかというと散策)、荒沢岳の 2山に登ってはいるのだが、どちらも 2,000m前後の山であり、 夏山に相応しい山という訳ではないのでやや欲求不満の状態であった。

そして月が変わって 9月、ようやく登りたい山域の天候が良さそうなことから、 1ヶ月ぶりに山に登ることにする。
行き先は北アルプスの笠ヶ岳。笠ヶ岳は 1990年に常念岳、槍ヶ岳、笠ヶ岳と縦走しているものの、 当時に比べて周囲の山々の名前を良く知った現在、恐らく楽しみ方も違うであろうとの思いから、 いつか再登山したいと思っていた山である (無論、槍ヶ岳も再登山したい)。
登山ルートであるが、笠新道を登り、下りはクリヤ谷を下ることに決め (前回は双六小屋からの縦走のため、笠新道を下ったのみ)、 それ故 無理をせずに笠ヶ岳山荘で 1泊することにする。

となると、そんなに早く歩き出すこともなかろうと、 深山荘隣の新穂高第3駐車場 (無料駐車場) に 6時頃に着けば良いと考え (8月にはなかなか駐車場所を確保するのが難しいが、 9月ともなればそれ程混んでいないであろうと考えた)、9月9日の朝 2時過ぎに横浜の自宅を出発する。
8日は中秋の名月であり、9日のこの時間でも上空に見ることができるはずであるが、残念ながら横浜は雨、少々先行きを心配しながら出発する。
横浜ICから東名高速道に乗り、海老名JCTにて圏央道へと進み、八王子JCTから中央高速道に入る。雨の方は横浜を離れるにつれ止み始め、 小淵沢ICを通過する頃には上空に中秋の名月も見ることができるようになったのだった。
岡谷JCTから長野自動車道に入って松本ICまで進み、国道158号線 (野麦街道) に入る。このルートは上高地に行く際に車を駐める沢渡へと続く道なので、 もう慣れたものである。
その沢渡を過ぎると、やがて上高地への入口となる釜トンネルとなるので、その手前を左折し、有料道路である安房峠道路に入る。 長いトンネルを 2つ抜け、平湯IC口からはそのまま国道471号線を北上する。山間を抜け、新平湯温泉郷に入り、やがて栃尾の交差点を右折する。 この道は県道475号線であり、新穂高温泉へと通じている。
槍見温泉を過ぎると、やがて道はスノーシェルター内を進むことになるが、途中、左手に深山荘の案内を見たところで左折する。 そこから暫く進めば新穂高第3駐車場である。到着時刻は 5時35分。

予想に反して、150台駐車できるという無料駐車場は、平日にも拘わらず 90%方埋まっており、 空きスペースは 10台強という状況。これにはビックリであった。
コンビニ購入のお握りを車内にて食べた後、身支度をして 5時49分に駐車場を出発する。
上方を見れば、雲一つない空に抜戸岳と思しき山が朝日に輝いている。9時頃から晴れとの予報であったが、 どうやら天候は前倒しで回復しているようである。嬉しい限りだが、一方でガスが早く上がるのではないかとの懸念も生じる。
駐車場の奥へと進み、登山者用の道へと入る。暫く蒲田川 (がまたがわ) 沿いを進んでいくと、道は先程のスノーシェルター出口の少し先にて県道475号線に合流することになる。 車道を暫く進むと、建て替えられたばかりの新穂高センターに到着。自宅から用意してきた登山届を提出し、センター左側の左俣 (ひだりまた) 林道を進む。
暫くすると、右手の蒲田川越しにロープウェイ駅が見え、その左奥に涸沢岳、蒲田富士が見えてくる。
さらに舗装道を緩やかに登っていくと、やがてロッジ ニューホタカが左に見え、その先で車止めのゲートが現れる。

林道歩きはまだまだ続く。砂利道、コンクリート舗装が入り乱れた道を進む。
やがて、左に巨大な谷が顔を出す。恐らく穴毛谷と思われるが、砂防堰堤が続く先には笠ヶ岳から抜戸岳へと続く稜線が見えている。 その後方は青空、テンションが上がる。
「通行注意」 の警告板がある中崎橋を渡り、北陸電力の電源用取入口の小屋を過ぎると、再び視界が開け、 青空に映える笠ヶ岳の稜線が見えるようになったが、その斜面には崩れ落ちてきた岩々が川の流れのように蛇行しており、 それがこの林道ソバまで及んでいる。そこから 4分程進むと、ようやく笠新道登山口に到着。時刻は 6時53分。

登山口には沢から引いた水が流れており、大きな石が組み上げられていてなかなか立派である。
登山道はいきなり急登となるが、少し登ると傾斜も落ち着き、ブナの原生林の中を九十九折に登って行くようになる。
危険箇所は全くないものの、足下には石がゴロゴロしている箇所が多くあるため、ペースが掴みにくい。
ひたすら展望が利かない樹林帯を登り続けるのだが、慰めになるのが要所に置かれている標識。標高とチョットしたコメントが添えられている。
1,450mの標識から少し登った所で振り返ると、樹林越しに槍ヶ岳らしき山が見える。展望のない樹林帯歩きがその後も続くが、 1,700mの標識を過ぎると、樹林越しで途切れ途切れではあるものの、周囲の山々が徐々に見え始める。
まずは西穂高岳から奥穂高岳へと続く稜線が見え、次に中岳、大喰岳、槍ヶ岳と続く稜線が見える。さらには、乗鞍岳、焼岳が姿を現し、 北アルプスに来たことを実感させてくれ、テンションがグッと上がる。

1,800mの標識を過ぎて暫く登ると、周囲は灌木帯に変わり、 展望が大きく開ける。特に乗鞍岳と焼岳のツーショットが素晴らしい。今まで断片的にしか見えなかった穂高連峰も繋がって完全に見通せるようになる。 さらには、上を見上げれば、今登っている斜面の先に稜線も見えるようになる。
8時25分に 1,920mの標識を通過。標識には 『杓子平までの中間点』 とある。
展望が開け、気分が高揚してきていたのだが、このコメントを見てまだまだ先が長いことを知り、さらには先程見えた稜線が笠ヶ岳から抜戸岳へと続く稜線ではなく、 杓子平へ登り上げる稜線であることに気づき、気持ちが少ししぼみ始める。
とは言え、高度は確実に上がっているようで、周囲はササ + 草付きの斜面に変わり、広がる青空の下に北アルプスの山々の素晴らしい展望が広がり始める。
槍ヶ岳もスッキリと見通せるようになり、槍の穂先から千丈沢乗越へと下り、そこから西鎌尾根と奥丸山方面へと 2つに分かれる尾根が良く見える。

これまで岩と土が混じった道を登っていたが、途中 岩が積み上がった場所を登ることになり、 そこに木陰と座り心地の良さそうな岩があったため、休憩する。時刻は8時56分。
ここからは南岳そして大キレットを間に挟んで穂高連峰が良く見え、さらには西穂高岳から南西に下る尾根の向こうに霞沢岳も見える。10分程休んで出発。
すぐに 2,100mの標識を通過する。ここの標識には 『槍・穂高の眺めが、一望できます』 と書かれているが、その通り、 槍ヶ岳から西穂高岳、焼岳、乗鞍岳までを一望することができる。素晴らしい の一言である。
灌木帯の斜面を登る。上には稜線が見えてきているが、先程も述べたように笠ヶ岳、抜戸岳と続く稜線ではない。
9時30分に 2,200mの標識を通過。この頃から槍ヶ岳周辺にガスが上がり始め、さらには、振り返れば焼岳の後方、十石山、乗鞍岳周辺にも雲が湧き出している。
10時頃になるとガスが上がるのではないかとの危惧が現実になりそうだと思いつつ足を進めるが、なかなか稜線への距離は縮まらない。そうこうしているうちに、 こちらの斜面にもガスが漂い始める。
少し焦りながら岩と砂礫の道を登り詰めていくと、やがて目の前がパッと開け、待望の笠ヶ岳からの稜線が目に飛び込んできたのだった。 杓子平に到着である。時刻は 10時30分。

目の前にはカール地形が広がり、その詰めた所に台形をした抜戸岳、 そしてその左にピラミッド型をした 2,753m峰が見え、さらにはその左、いくつかのピークを越えた先に笠ヶ岳が見える。
と書いたものの、肝心の笠ヶ岳は穴毛谷方面から上がって来たガスに隠れ気味で、なかなか山頂を見通せない。とは言え、素晴らしい景色の広がりに、 再度ここで休憩することにする。
15分の大休止の後 出発、杓子平カールに入り込む。しかし、無情にもガスはドンドン上がって来ており、休憩中に笠ヶ岳は完全に見えなくなり、 カールを進むうちに抜戸岳、2,753m峰の姿も消え、ついにはカール自体もガスに囲まれてしまったのだった。
テンションが一気に下がり、本日は小屋泊まりなので急いでもしょうがないと思いながらカールの中を進む。

最初は平坦な道が続き、その後 抜戸岳から南に派生する尾根の左側 (カール内側) を登っていくことになる。
草地の中、ゴロゴロした岩と砂礫の道を登る。周囲の草は少しずつ黄色みを帯び始めており、その中に生えるコバイケイソウは完全に黄色に変わっている。 晴れていれば、さぞかし気持ちの良い場所であろう。
岩に付けられた白ペンキを辿って登る。傾斜は徐々にキツくなり始め、稜線へと詰めていくにつれ、その角度はさらに急になって、息が上がる。
そうした中、ガスの中からカエルのような鳴き声が聞こえる。恐らくライチョウであろうが、いくら探しても姿が見えない。
ガスの中に浮かび上がる壁を稜線と思って乗り越えると、さらに先にまた壁が現れるという状態が続く。テンションが上がらぬまま足を進めていくと、 やがて左 笠ヶ岳を示す標識が現れた。稜線に飛び出したのかと思ったら、さらに先があり、少し登ってからまた下ると待望の稜線であった。時刻は12時16分。

余りにも疲れたのでここでも小休止。先に休憩していた抜戸岳方面から来られた方と話をする。
その方によれば、笠新道は以前とかなり違っているとのことで、まず登り口付近が今朝ほど目にした大崩落 (岩小舎沢) により旧道は廃道となり、 新たに道が作り直されたとのこと、さらに この杓子平においても もっと 2,753m峰寄りに道があったとのことであった。
24年前に下山した際には、尾根から直接カールへ下った記憶があるし、途中 小川の流れを横切った覚えがあったのだが、 今回そういうことがなかったので不思議に思っていたのだが、これで疑問氷解である。

10分程休んで、全く先の見えない尾根上を笠ヶ岳へと向かう。
この道は笠ヶ岳の美しい姿が見られるので楽しみにしていたのだが、本日はもう無理。明日に期待するしかないが、 そうなると明日は笠新道のピストンとなり、クリヤ谷経由で下りられない。些細なことだが葛藤が生じる。
ガスで前方がほとんど見えない中を黙々と歩く。途中、左手に 「立入禁止」、「降りるな」 との標識のある場所があったが、 ここが旧笠新道への下降点に違いない。
尾根上の道は結構起伏があり、気落ちしている身にとってはかなり応える。それでも黙々と進んで行くと、やがて抜戸岩。 本来なら、この岩の間から笠ヶ岳や小笠が見えるはずなのにと思いながら進む。
暗闇を手探りで進むような感じを持ちつつ登っていくと、やがて板で岩屑を堰き止めた階段が現れる。これは小屋も近いと思われたのだが、 それからも結構長かった。

『ガンバ』 の白文字が書かれた岩を過ぎると、やがてキャンプ指定地。 そこからも積み重なった岩の上の登りが続き、笠ヶ岳山荘に到着したのは 13時33分であった。
少し休憩した後、小屋前の大ベンチにザックを置いて笠ヶ岳を目指す。
岩が累々と連なるガレ場の道を登る。周囲が全く見えない中、積み上がった岩を取り除いたら、実際はかなり低くなるのではないか、 逆に言えば、神様がもう少し岩を積み重ねていれば、2,900mに達したのに などと思いながら登る。
頂上の手前、祠のある場所には 13時51分に到着。そこから左に進めば、三角点のある笠ヶ岳頂上であった。時刻は 13時53分。
頂上はかなりシンプルで、随分と地面から露出した三角点の他、そばに 『笠ヶ岳』 と書かれた板が 1枚置いてあるだけであった。 記憶では、三角点はもっと岩に埋もれており、また周囲にはケルンがいくつも積まれていたような気がするが、整備されたようである。 個人的にはこのようにシンプルな頂上の方が好みである。

ガスに囲まれ何も見えないので、明日に希望を託してすぐに下山する。
笠ヶ岳山荘にて受付を済ませ、宿泊。登山靴の数を数えた限りでは、この日の宿泊者は 27名であった。
夕刻になるとガスはかなり下方へと下がり、小屋の前からは槍・穂高連峰が良く見えるようになる。笠ヶ岳もスッキリとその山頂を見せてくれている。
また、小屋の北側へと進めば、黒部五郎岳、薬師岳、剱岳、立山、水晶岳 (黒岳)、鷲羽岳、野口五郎岳といった山々も見える。 明日への期待が高まる。
なお、夕刻 18時過ぎ、スーパームーンが大キレットの間から昇るのを眺めることができた。これは予想外で嬉しい。

【 翌 10日 】
雲が多く、残念ながら小屋からご来光を眺められなかったものの、槍・穂高連峰、そして笠ヶ岳も良く見えている。
朝食後、空身で笠ヶ岳頂上を目指す。昨日はガスで何も見えなかったが、途中のガラ場では昨日と同じ印象を持つ。
頂上には 5時53分に到着。朝靄の中でややぼやけているものの、ほぼ 360度の大展望で、特に雲海の上に笠ヶ岳の影が映っているのが印象的であった。
下山後、ザックを背負って 6時24分に笠新道方面へと下山する。
岩が重なる斜面を下り、テント場を抜け順調に下る。途中の岩には 『サヨナラ』 の白文字。なかなか憎い演出である。
笠ヶ岳を振り返りながら下り、抜戸岩を 6時56分に通過。狙い通り、岩の間から笠ヶ岳を見ることができた。
抜戸岩の先にある高みに登った所で、またまた笠ヶ岳を振り返る。背後に青空が広がる中、小笠を右に従えた笠ヶ岳の姿はやはり美しい。 まさに優美といった言葉がピッタリである。

と、ここでふと、このまま笠新道を下るのは面白くないと思い始める。
昨日は杓子平まで快晴で展望が楽しめたことから、本日この先、新たに楽しめるのは抜戸岳の頂上を踏むことと杓子平の景色だけである。 それならば、まだ歩いたことのないクリヤ谷を下り、違った角度からの笠ヶ岳を楽しむ方が良いのではとの思いが強くなる。
思い立ったら即実行、再び笠ヶ岳頂上を目指すことにする。結構キツい登りを耐え、7時34分に笠ヶ岳山荘に戻り着く。
かなり息が上がったので 10分弱休憩し、その後、本日 2度目の山頂を目指す。そして山頂到着は 7時58分。

この時間故、山頂独り占め。さらには、今朝ほどよりも明るくなっているので、 遙かに良い展望を得られる。
南を見れば、昨日は見えなかった御嶽が姿を見せており、その左には乗鞍岳がデンと構えている。目を右に転じれば白山が雲に浮かび、 さらに北の方角には北俣岳、黒部五郎岳、薬師岳が見え、薬師岳の後方には大日岳が見えている。
少し間を空けて、剱岳、立山が並び、その右方に水晶岳 (黒岳) が黒々とした姿を見せている。そして水晶岳から右に連なる稜線上にはワリモ岳が見え、 その右に鷲羽岳がピラミダルな姿を見せてくれている。
鷲羽岳の右下には双六岳が横に長く、その後方に野口五郎岳が見える。双六岳の右には樅沢岳が見え、双六岳と樅沢岳の間に真砂岳が見えている。
また、写真を拡大すると、樅沢岳の後方に唐沢岳が見え、その右に餓鬼岳も見えている。餓鬼岳の右には燕岳を中心とした尾根が見え、 その手前に笠ヶ岳から抜戸岳、弓折岳を経て樅沢岳方面へと続く尾根が見えている。
燕岳の右方には槍ヶ岳があり、そこから大喰岳、中岳、南岳、大キレット、北穂高岳、涸沢岳、奥穂高岳、ジャンダルム、天狗ノ頭、間ノ岳、赤岩岳、 西穂高岳が続いている。
さらには霞沢岳、焼岳、十石山と続き、乗鞍岳へと至っている。残念ながら富士山、南アルプスは見えないものの、 中央アルプスはうっすらではあるが焼岳の後方に見えている。素晴らしい眺めであり、昨日の状況が嘘のようである。
また東側下方には池を有する播髟スも見えている。

8時8分に下山開始。岩に付けられたペンキ印を頼りに、頂上から南へと下る。
こちら側も岩が積み重なった崩れやすい斜面である。8分程下るとようやく土を踏むことができ一安心。道は明瞭で、先の行程も良く見える。
急坂が一段落した所で笠ヶ岳を振り返る。こちら側から見る笠ヶ岳は、丸い山頂をした鈍角三角形で、抜戸岳側から見たそれとは全く趣が違う。 やはり、笠ヶ岳は抜戸岳側から見た方が美しい。
前方に乗鞍岳、御嶽を見ながらの下降が続く。途中まで笠ヶ岳から南西に派生する尾根を下るが、途中でその尾根と分かれ、 南東に延びる枝尾根を下る。下方には鋸歯のようなピークの連なりが見え、道はその西側を巻くようである。
草しか生えていない東側斜面を下り、次にハイマツの多く生える西側斜面をジグザグに下る。下り着いた所が恐らく穴毛谷の四ノ沢左俣の上部。 下方を見れば脆そうな岩場が谷へと落ち込んでいる。

ここからは先に見えた鋸歯の連なりの西側を巻いて進む。 今まで明瞭だった道も、ここからは結構草木が煩い。右手には笠谷。こちら側は緑が美しい。
滑る足下、煩い草木に手を焼きながら進んで行くと、やがて鋸歯と鋸歯との鞍部に登り着く。時刻は 9時42分。
ここは、今まで隠れていた東側が開けており、新穂高ロープウェイ、その上方には霞沢岳の姿が見える。
振り返って見上げれば笠ヶ岳が高く遠い。とても こちら側を登りに使う気にはなれない。
前方を見れば、笠谷へと下る斜面上に岩が見える。もしかしたら雷鳥岩かもしれない。

再び鋸歯の斜面を横切って進み、10時1分にその雷鳥岩と覚しき岩の前に到着。
目の前の岩は 2枚の岩が重なるように立っているだけで、とてもライチョウを連想することはできないが、 先程の所からはハイマツから首をもたげているライチョウに見えないこともなかったので、やはりこの岩が雷鳥岩であろう。
ここで暫し休憩。この雷鳥岩の所で道は 90度左に曲り、岩峰の下を巻くので、笠ヶ岳はこれで見納めになる。
ここからの笠ヶ岳は少し笠を思わせる形をしている。

雷鳥岩からはクリヤノ頭を見ながら進むことになる。少し下ると、 周囲にコメツガが見られるようになり、先の方には錫杖岳の姿も見えてくる。
やがて、クリヤノ頭を巻き、ササ原の斜面を下る。先の方には焼岳、そしてその下方に中尾温泉が見えるが、下まではまだまだ距離と高さがあることが良く分かる。
この斜面を下る途中、若い単独の女性と擦れ違った。この尾根を登ってくることに驚いた旨伝えると、槍・穂高を見ながら登りたかったからとのこと。 確かにこの斜面からは槍・穂高が良く見えるが、それにしても根性があると感心させられる。

水場には 11時8分に到着。冷たい水にてノドを潤し、 顔を洗って気合いを入れる。5分程休憩した後、さらにササ原の斜面を下る。この斜面の下りは本当に長い。
長かった斜面の下りもようやく樹林帯に入って終わりとなるが、ここからもまだまだ先は長い。
沢沿いを進み、何回も沢を渡ることになる。水量が少なかったので問題なく渡って行けたが、最後の沢は水量も多く、 濡れた岩で足が滑らないようにすべく、かなり注意を払う必要があった。
その沢を渡ると、あとは普通の山道が続くようになるが、くたびれた身体には、普通の斜面の下りも辛い。
周囲に杉の木が多く見られるようになり、やがて一旦小さな平坦地に出る。そこから右斜め下に下っていくと、 暫くして、左手 樹林越し下方に槍見温泉の屋根が見えてきた。長い下りもようやく終わりのようである。ホッとする。
登山口に下り立ったのは 14時15分。本当に長い下りであり、くたびれた。

しかし未だ終わりではない。ここから駐車場まで 2km強の車道歩きが待っている。
ただ、登山口近くで追い抜かれたトレランの青年と一緒に話をしながら車道を戻ったので、 この緩やかな車道登りも全く苦痛ではなかったのだった。出会いに感謝。

今回は笠ヶ岳に 1泊で挑戦。 もっと早朝に出発すれば笠新道のピストン日帰りも可能だったかも知れないが、今回はクリヤ谷を下ったということが大変意味がある。
1日目はガスに囲まれたものの、ほぼ天候に恵まれ、満足のいく山行であった。夏季期間中のモヤモヤも解消である。


モヤモヤ解消 荒沢岳  2014.8 記

8月1日に思いがけず美ヶ原散策の機会を得たとはいえ、 やはり、山に登ったという実感がないものだったため、その前の悪沢岳登山における不完全燃焼を引きずったままの状態が続いている。
そのため、ここは少し大汗をかく山に登ってスカッとしたいところであるが、肝心の天候の方は台風 12号、11号等の影響により安定せず、 さらに、翌週のお盆休みを含む週に至っては、山に登るのが難しそうな天気予報となっている。
これは早く山に登らねばと焦りが出てきたものの、南、中央、北のアルプスはどこも予報が芳しくない。
そうした中、新潟県の天気が良いことが分かったので、迷うこと無く、荒沢岳に登ることにする。荒沢岳は、先日越後駒ヶ岳に登った際、 その両翼を大きく広げたような美しい山容に魅力を感じ、登りたい山のリストに加えていたものである。

8月5日(火)、横浜の自宅を 3時過ぎに出発する。 今回も圏央道を使うべく、東名高速道横浜ICから海老名JCT方面へと向かう。海老名JCTから圏央道に入り、 鶴ヶ島JCTに向けて道を北上する。先日 美ヶ原を散策することになった長野への小旅行でもこのルートは使用したので、 何の迷いも無く鶴ヶ島JCTから関越道に入る。
先般 越後駒ヶ岳に登った時は、まだ圏央道が開通しておらず、横浜ICから東名高速道、環状八号線・笹目通り・目白通り経由にて練馬ICから関越自動車道に乗ったのだが、 それに比べると今回は大幅な時間短縮となっている。
この日、関越道は空いており、順調。天候の方も予報通り良さそうである。

越後駒ヶ岳の時と同様、小出ICで高速を下り、 小出IC干溝入口の丁字路を左折して県道76号線に入る。その後、吉田の交差点を右折して国道352号線に入れば、暫くは道なりである。
やがて折立温泉を過ぎた所で、奥只見シルバーラインへの分岐が現れるので、そちらのレーンに入って左折。 今は使われていない料金所の横を通ってシルバーラインを進む。
この道は初めてであるが、道のほとんどがトンネルであることに驚かされる。対面通行の道で、やや道幅は狭いものの、 一応 大型車同士の擦れ違いも可能であるようだ。しかし、薄暗いトンネルのため、左右の壁の圧迫感をかなり感じる。 尤も、往路では全く車と擦れ違うことはなかったのだが・・・。
また、トンネル内の温度はかなり低く、車載の温度計は 17°C (帰りは 22°C) を指しており、 トンネルを抜けた時はサイドミラーが曇ってしまう程であった。

目指す銀山平はトンネル内にて右折する必要がある。 これも初めての経験で楽しい。銀山平右折の標識を受けて、点滅信号を右折、暫く進むとトンネルを抜け出し、 すぐに丁字路となるのでそこを右折する。
この道路は、先程まで進んでいた国道352号線である (シルバーラインに入らず、枝折峠経由にてもここまで来ることができる)。 その国道352号線を少し進めば、左手にトイレが見え、その手前のスペースに車が数台駐まっているのが目に入る。 ここが荒沢岳の登山口である。到着時刻は5時50分。
なお、駐まっていた車は 3台ほど。先行者がいるのはありがたい。

身支度をし、トイレを済ませてから 5時56分に出発。 登山ポストに用意してきた登山届を投函して先へと進む。
最初は平坦な道が続く。小さな流れを 2つ渡った後、後方を流れる沢の水を貯めている水場に到着。
道はここで左に曲がり、登りが始まる。最初は急坂であるが、すぐに緩やかになり、その後はそれなりの傾斜が続く。
空は最初雲が多かったものの、徐々に雲は少なくなり、青空が広がり始める。
やがて、左前方樹林越しに、チラリとピラミダルな山容が見えた。オッと思ったが、どうやら荒沢岳ではなく、その東 (左) にある 1,898m峰のようである。
道は当初 灌木が目立っていたが、やがてブナの美しい若木が両側に見られるようになる。
高度をかなり上げてきたのであろう、左下方、樹林の間より、奥只見湖ならびに銀山平船着場と覚しき建物が見える。 温度差により湖には霧が発生しているようである。本日はかなり気温が上がりそうである。

さらに登っていくと、右手樹林の間からなかなか形の良い山が見えた。 帰宅後調べてみると、唐松山らしい。双耳峰のように見え、1,079.4mしかない山ではあるものの、なかなか立派な山容である。
傾斜がかなり緩やかになってくると、今度は樹林越しに目指す荒沢岳の姿が見えるようになる。荒沢岳頂上から右へと下る尾根に平行するような形で、 頂上の左手前から尾根が下ってきており、それがこちらへと延びてきている。恐らくあの尾根を登ることになるのであろう。
さらに少し進むと、道の真ん中に三角点が現れた。周囲に標識など無かったが、ここが前山であろう。時刻は 6時37分。 ここからは目指す荒沢岳が良く見えるようになり、さらにはその左に先程チラリと見えた 1,898m峰、そして花降岳が見える。
また、反対側には樹林が少し邪魔ではあるものの、越後駒ヶ岳が姿を見せてくれたのだった。山々の後方には青い空が広がっており、 テンションがグッと上がる。

三角点を通過すると、道は下りとなり、すぐにほぼ平らな道が続くようになる。
やがて、また登りになるが、この辺は細い尾根道が続き、時々左手の展望が開けてなかなか気持ちが良い。上空には青空が広がり、 後方を見ても先程まで残っていた雲はなくなりつつある。従って、太陽の光がまともに当たるようになり、かなり暑さを感じるようになる。
越後駒ヶ岳が右手にチラチラ姿を見せ、前方には目指す荒沢岳が見えるのを楽しみながら小さなアップダウンを繰り返していくと、 やがて左側が大きく開けた場所を通過する。
高度が上がった分、奥只見湖も少しずつ見える湖面の幅が広がってきており、 その後方には会津朝日岳、丸山岳、高幽山、坪入山、窓明山といった山々の連なりが見えている (尤も、山の名は帰宅後確認した)。
さらに もう少し右の山が見えれば、会津駒ヶ岳も見えるはずである。また、会津朝日岳の左手前には、奥只見湖北西にある日向倉山がなかなか立派な姿を見せており、 その左後方に未丈ヶ岳も見えている。
そして、前方を見れば、先程まで見えていた荒沢岳は見えなくなり、目の前には大きな岩峰が立ちはだかっている。前ー (まえぐら) と呼ばれる本日一番の難所である。

道は一旦樹林帯に入り、ジグザグに斜面を登っていく。 そろそろ鎖場が始まるかなと思っていた所で、後方からかなりのスピードで登って来た人がいたため、登山道左に見えた小スペースに入り先に行ってもらうことにする。
ついでに、この先鎖場が始まるであろうことを踏まえ、ここで休憩することにする。余程ノドが渇いていたのであろう、ポカリスエット 500ml 1本を一気に空けてしまう。
鎖場に備えてストックをしまい、10分程休憩した後、7時43分に出発する。すぐに鎖場が始まり、急斜面を登ることになる。 縦の鎖場が長く続いた後、鉄梯子が現れる。登り着いたら、斜面に付けられた鎖場を横に進む。
すると、また鉄梯子が現れ、その後再び鉄梯子、鎖場が連続する。鎖を伝って大きな岩の間を抜け、さらに鉄梯子を登って岩の左手上部に出る。 その後も、鎖、鉄梯子が交互に現れるが、最後の鉄梯子を登り切ると、今まで姿を消していた荒沢岳の姿が青空をバックに再び見えるようになる。 後方には、湖面の幅がさらに広がった奥只見湖が見えている。

岩場を登り、暫く進むと、今度は迫力ある前ーの姿が目に飛び込んでくる。
岩壁は垂直。一見すると、とても先に進めそうもないように見えるが、よく見ると岩壁の下に細々とした道が見え、さらにその道は岩壁の下を通り抜けた後、 岩壁の向こう側を斜めに登り、その後、垂直に急斜面を登っていくように付けられている。
とは言え、遠目にはかなり鋭角な斜面を横切り、その後 垂直に近い斜面を登るように見えるので、とても登れるとは思えない。 今までの鎖場はまさに予行練習に過ぎず、これからが鎖場の核心部であることがよく分かる。
右手に越後駒ヶ岳を見た後、下り斜面に入る。トラロープの張られた、滑りやすい岩場を暫く下る。下り着いた所からは、 赤テープに従って、直径 30センチほどの岩が積み重なっている岩場を登っていく。
傾斜がきつくなる所からは鎖が現れるが、足下の岩場が右斜面から染み出したと思われる水で濡れており、滑りやすく、 慎重に登らねばならない。
息を切らせつつ、鎖に頼りながら岩の斜面を登っていく。おまけに、太陽がジリジリと照りつけて暑い。
ようやく一息つける場所に登り着いたので振り返ると、先程初めて前ーを見通せた高みが、切れ込む斜面の向こう側に見えている。 よくも あの急な斜面を下り、そしてその底からまたここまで這い上がってきたものだと感心してしまう。

しかし、鎖場はまだ終わりではない。ここからは岩場の直登が始まる。 今までは鎖に頼る割合も意外に少なかったのだが、ここからは鎖を握って腕の力にて自分を引き上げる場面が結構多くなる。
また、日が高くなっている分、鎖も太陽の熱に温められ、日当たりの良い場所の鎖は握ると熱いほどである。
腕がパンパンになる程長い鎖場を登り続けていくと、やがて道が 2つに分かれる。どちらも上で合流するようであるが、 直登は大きな岩の横の、かなり狭そうな場所を登らねばならず、やや面倒そうに見えたので左の迂回路を進む。
左に少し進んで再び右へと登っていくと、やがて先程の直登ルートに合流。合流点からは横に張ってある鎖を伝いながら岩場を登る。
すぐに鎖場は終わりとなり、岩場の先を見上げると青空が見える。そしてその岩場を登り切ると、ほぼ平らな道が続く尾根に登り着いたのだった。 時刻は 8時29分。

鎖場で気力・体力を結構消耗したので、ここで暫し休憩。
苦労した甲斐あって、ここからの展望は素晴らしい。目の前には荒沢岳が大きく翼を広げてデンと構えており、この場所から頂上左下まで延びる尾根が見えている。
奥只見湖方面を振り返れば、湖の向こう岸にある日向倉山の左に、未丈ヶ岳が端正な三角形を見せてくれている。 未丈ヶ岳の左後方には浅草岳が見え、浅草岳の左には先般 越後駒ヶ岳に登った時に目に付いた毛猛山、百字ヶ岳、檜岳の毛猛三山が見えている。
さらには、毛猛三山の左後方に守門岳も見えている。守門岳のずっと左には、今朝程目に付いた唐松山も見えている。
さらに帰宅後に写真をよく見ると、唐松山の後方に弥彦山らしき山も見えていたので少し驚いたのだった。
そして、さらに左には越後駒ヶ岳が大きい。

10分程休んだ後、出発。裸尾根を進む。今回の最大の難所は前ーの鎖場のはずであったが、 実際はこの尾根歩きの方が辛かった。全く普通の尾根道であり、大変な急登があるわけではないのだが、鎖場で体力・気力を結構使ってしまった後では、 この長いダラダラした尾根歩きは辛い。さらに山頂に近づくにつれ、いくつかのアップダウンがあり、これも辛さに拍車をかける。
そして一番厳しかったのは、裸尾根であるが故に、背後から太陽がまともに照りつけることである。晴天を望んではいたものの、 この直射日光は厳しい。首筋がヒリヒリする。
加えて抜かったことは、ここで再びダブルストックにすれば良かったのに、まだ鎖場があるかも知れないと思ってストックを使わなかったことである。 このところストックを使うことに慣れている身にとっては、ストック無しでは調子が狂う。

喘ぎつつ登り続け、いくつかのピークを越えた所で日陰を見つけて小休止。 とにかく水分補給を心懸ける。
この尾根歩きに時間がかかり過ぎたためか、越後駒ヶ岳方面の上空に雲が増え始めており、さらには見上げる尾根の後方にも雲が流れ始めている。
急がねばと思うが、足がなかなか進まない。それでも何とか高度を上げ続けていくと、かなり稜線へと詰めてきたのであろう、 見上げる斜面が壁のように垂直に見え始める。
もうすぐとは思ったものの、道は頂上に直登するのではなく、稜線に出た後、いくつかの高みを越えて右へと進むことになっており、 その高みの 凸凹 がため息を誘う。
一方で、高度を上げたため、周囲の景色が元気をくれることも多くなる。目の前に見える高みに登り着くと、 今まで見えなかった南側の景色が見えるようになる。
まず目に着くのは、燧ヶ岳の双耳峰。そしてその右に平ヶ岳が見える。また荒沢岳から東に続く尾根も見えるようになり、 目の前には下から良く見えた 1,892m峰、1、898m峰が良く見える。

小さなアップダウンを繰り返して進んでいくと、目の前に岩場の斜面を有した高みが現れる。 これも乗り越えるのかと思ったが、ありがたいことに左側を巻くらしい。但し、その岩場の道は狭く、下が切れ落ちているので結構スリルがある。
次に小さな岩場の高みを越えていくと、やがて先の方に鎖場が見え、その後方に頂上らしき高みが見えてきた。
苦しかった登りもようやく先が見えてきたようで嬉しくなる。
大きな岩が斜面に貼り付いたような岩場を鎖にて登った後、少し傾斜が緩くなった同じような岩場 (鎖はない) を登る。 登り着いたら頂上かと思ったが、さらに少し先に高みが見える。しかし、その高みも頂上には非ず。本当に疲れる。
高みの左を巻いて進んでいくと、今度は美しい三角錐をした高みが見えてきた。今度こそは間違いなかろうと、草や灌木の間を登っていくと、 最後はダチョウの卵大の岩が砂礫にて固められたような斜面となり、それを乗り越えると小広い荒沢岳頂上であった。 時刻は10時16分。4時間20分を要したことになる。

ここまで登ってくる途中、鎖場の手前で小生を抜いていた人と擦れ違ったので (この人はそうとう早い)、 頂上には誰も居ないものと思っていたら、1人おられた。その方は島根の方で、何でもこの夏、北海道から順に山に登りながら南下してきているとのこと。 昨日は浅草岳に登り、本日はこの荒沢岳、そして明日は中ノ岳に登るとのことである。羨ましい。

頂上には三角点の他、立派な石の標柱が立っている。 また、周りに遮るものがないため、展望は抜群で、360度の大展望である。
まずは、西方に ようやくハッキリとその姿を見ることができた中ノ岳が大きい。その右には越後駒ヶ岳が見えるが、最早その頂上付近は雲に覆われている。
中ノ岳の左には小兎岳、兎岳が続き、その後方には巻機山が見えている。また、兎岳の左後方には、大水上山、丹後山、さらには越後沢山、本谷山が続いている。 本谷山の右後方に見える山は谷川岳と思われるが、判別が難しい。しかし、谷川岳と思われる山の右手、間に小沢山、下津川山を挟んで、万太郎山はハッキリ確認できる。
また、この荒沢岳から兎岳の方に向かって尾根が延びており、途中、灰吹山、灰ノ又山、源蔵山といったピークが見える。 灰ノ又山の左後方にはニセ藤原山が見え、その尾根は剱ヶ倉山を経て平ヶ岳へと続いている。剱ヶ倉山の右後方には武尊山も見えている。

平ヶ岳の左後方には、錫ヶ岳が見え、さらに左に奥白根山も見えているが、 その頂上は雲の中である。奥白根山の左には燧ヶ岳が見えるものの、もう一方の至仏山は平ヶ岳に隠れて見えない。
燧ヶ岳の左後方にはテーブルマウンテンのように見える男体山が見え、男体山の左には太郎山、小真名子山、女峰山が続く。 女峰山からさらに左を見れば、台倉高山、帝釈山などの山々が見え、その左手前に会津駒ヶ岳が横に長い山容を見せている。 会津駒ヶ岳の左には、先程述べたように、窓明山、坪入山、高幽山、丸山岳、会津朝日岳が続く。
さらには、村杉岳、猿倉岳、浅草岳といった山が続き、その手前に未丈ヶ岳が立派な鈍角の三角形を見せている。 浅草岳の左手前には毛猛三山、そして毛猛三山の後方に守門岳が見え、さらには今朝ほど目に付いた唐松山もその姿を見せている。

越後駒ヶ岳の頂上に雲が掛かっているのは残念であるが、 本当に素晴らしい展望である。暑い最中でもこれだけの展望を得られるのなら、空気の澄んだ晩秋から初冬にかけては、 さらにもっと多くの山が見られることであろう。
頂上におられた方は先に下山され、頂上独り占め。周囲を飛び回るアキアカネに撮影を邪魔されながらも、暫し景色を楽しむ。
やがて、先に鎖場で追い抜いた方が登ってこられた。浜松の方だそうで、昨日は八海山に登られたとのこと。

展望を大いに楽しみ、10時53分に下山を開始する。
見下ろせば、先程登って来た尾根 (これから下る尾根) が、長くうねった姿を見せている。前ー手前までは特に問題なく下る。 30分程下って振り返れば、何と荒沢岳山頂付近はガスに囲まれてしまっているではないか。タイミングの良い登頂・下山であった。
11時59分に鎖場への下降点に到着。往路と同じくここで 10分程休憩した後、鎖場を慎重に下る。
鎖場終了は 12時49分。ここでも今朝と同じ場所で休憩する。
本日はペットボトル 5本を持参したのだが、この暑さでは不足。 残った 1本のボトルから休憩する毎にチビチビと水を飲む。早く登山口近くの水場にて思い切り水を飲みたいものである。
13時50分に前山を通過。そこに至るまで結構長く、そしてアップダウンがいくつもあったのには参った。相当身体が疲れているようである。
前山の先、日陰にて暫し休憩。ペットボトルの水を全部飲み干す。水場に早く到着したい気持ちで一杯である。

ペースを落としつつも、順調に下り、待望の水場には 14時28分に戻り着く。
しかし何と言うことであろう、コンクリートの貯水槽に取り付けられた蛇口を捻っても水が出ない。腹一杯に水が飲めることを期待してここまで頑張ってきたというのに・・・。 申し訳ないと思ったが、のどの渇きには勝てず、ロープを乗り越えて沢に近づき、ペットボトルに水を汲んで飲む。冷たくて美味。 生き返った心地がするというのはこういう気持ちを言うのだろう。駐車場には 14時37分に戻り着く。

>荒沢岳は 2,000mに満たない山であるが、 なかなか登り応えのある良い山であった。
事前にもっと下調べをしておけば、ストックの効率的な使い方もできたであろう。そして、何よりも、暑い最中の登山であることを踏まえ、 水をもっと携行すべきと反省したのであった。
しかし、充実感を得られる山に登ることができ、悪沢岳のモヤモヤはどうやら解消できたようである。


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