新・山の雑記帳  ('2006/8 − '2011/5 )

 1.最 新 の 雑 記 帳
 登山の準備に必要な情報をネットで  2011.5 記

 16年ぶりの恵那山で思ったこと  2011.5 記

 連休中の不幸で ラッキーな登山に関する出来事  2011.5 記

 東日本大地震後の久々の登山  2011.4 記

 東北地方太平洋沖地震の起こった日  2011.3 記

 雪の丹沢を楽しむ  2011.2 記

 2011年の初登山 他  2011.2 記

 2010年を振り返る  2010.12 記

 反省の雁坂嶺・破風山  2010.12 記

 快晴の蓼科山  2010.12 記

 素晴らしき前掛山  2010.11 記

 念願の南駒ヶ岳登頂  2010.10 記

 20年ぶりの空木岳  2010.10 記

 本当の鶏冠山頂上を目指して  2010.9 記

 20年ぶりの常念岳  2010.9 記

 久々の北アルプス & 『 背番号 0 』のこと  2010.9 記

 黒河内岳(笹山)直登  2010.8 記

 リベンジを果たした白根三山  2010.8 記

 達成感十分 笊ヶ岳  2010.7 記

 梅雨の晴れ間の登山  2010.7 記

 念願の錫ヶ岳  2010.6 記

 連続して南ア 深南部  2010.6 記

 新しいザックを購入して  2010.5 記

 鶏冠山と黒法師岳  2010.5 記

 素晴らしき編笠山  2010.4 記

 寸又三山 前黒法師岳  2010.4 記

 リハビリ登山  2010.3 記

 久々の大菩薩嶺  2010.2 記

 2010年登り初め  2010.1 記

 久々の天城山縦走  2009.12 記

 ハードディスクの突然死と SSD  2009.12 記

 突然に 寸又三山 朝日岳  2009.12 記

 山を目的としない登山  2009.11 記

 手強き皇海山  2009.11 記

 鳳凰三山と高嶺、そして感じたこと  2009.10 記

 20年ぶりの甲斐駒ヶ岳  2009.9 記

 19年ぶりの男体山  2009.9 記

 白根三山は散々  2009.8 記

 7月は 山行 ゼロ  2009.8 記

 万太郎山日帰り登山  2009.7 記

 仲仙寺から経ヶ岳  2009.6 記

 甲斐駒の好展望台  2009.6 記

 残雪の山を楽しむ  2009.5 記

 ゴールデンウィーク中の登山  2009.5 記

 天候に恵まれた黒斑山登山  2009.4 記

 満足の飯縄山登山  2009.4 記

 突然の痛みに七転八倒  2009.3 記

 2009年最初の登山  2009.2 記

 2009年は箱根越えから  2009.1 記

 2008年最後の山登り  2009.1 記

 諏訪山登山 他  2008.12 記

 山の天気予報  2008.11 記

 自作パソコンのグレードアップ  2008.11 記

 御嶽再登山  2008.10 記

 会津駒ヶ岳再登山  2008.10 記

 聖岳−光岳縦走  2008.08 記

 肋骨骨折  2008.08 記

 安原 修次氏のこと  2008.07 記

 スループ・ジョン・B  2008.06 記

 3年8ヶ月ぶり  2006.08.13 記

 2.これまでの山の雑記帳:INDEX 1    ('97/10 − '00/5 )      ←   こちらもご覧下さい

 3.これまでの山の雑記帳:INDEX 2    ('00/5 − '02/11 )      ←   こちらもご覧下さい


登山の準備に必要な情報をネットで  2011.5 記

山に行くに際しては、 ネットで事前に入手する情報が大変重要である。
その最たるものが、 山がある地域の天気予報であるが、 この頃は細かく地域別に予報が出されているので大変助かる。
加えて、 YAHOO系 (Japan Weather Association = 財団法人 日本気象協会からの情報) と Mapion系 (株式会社ウェザーニューズからの情報) の天気予報を照合しておけば、 ほぼ天気の状況はキチンと把握できるのである。
しかし、 時として両者の間で微妙に見解が分かれることがあり、 そういう時は困ってしまう。 両者とも 時間ごとの天気予報において 晴れマークが並んでいれば良いのだが、 同じ時間帯で 一方は晴れのマークなのに、 もう一方は雨や曇りのマークが出ていて、 しかもその時間帯が 山頂に登頂することが多い 9時から 12時だったりすると、 ちょっと迷うことになる。
感覚的な話で申し訳ないが、 どちらかというと Mapion系の方が当たる確率が高い気がしているので、 両者で見解が分かれた場合は、 Mapion系に従うことにしている。
ただ、先日 残雪の空木岳に行こうとしたところ、 事前の天気予報において、 YAHOO系は全日晴れマークが付いていたのに対し、 Mapion系は 9時から 12時の間が 曇りマークとなっていたことがあった。 残雪が多いはずなので、 頂上に着くのは 12時以降になると思い、 それならばどちらが正しくても大した影響はないと、 そのまま山に向かったのだったが、 結果は YAHOO系の勝ち。 終日晴天が続き、 残雪の空木岳を大いに楽しんだのだった (一方で、大いに残雪に苦労させられたが・・・)。
まあ、 今後もできるだけ両者の見解が 「晴れ」 ということで一致している山域に行くことにしたい。

また、 この天気予報に加えて、 ネットで事前に得る情報で重要なのは その山の登山記録である。
登山路などの状況はもとより、 そこまでの車でのアプローチの方法とか、 駐車する場所とかの情報なども 参考にしたいのである。 そうなると、 情報が新しければ新しい程良い訳で、 そういう意味では ヤマレコなどは ほぼリアルタイムに情報を得られるので 大変重宝している。
上記で述べた空木岳も、 丁度その 1週間前に登った人の記録が ヤマレコに載っていたため、 山の状況は 現状小生が持っている装備で十分と知り、 そこに天気予報の情報を加えて 登山を実行することに決めたのだった。
尤も、体力などは人によって大きく違うし、 また残雪などに対する感じ方も 人それぞれであるから、 情報をそのまま鵜呑みにしてはいけない。
今回の空木岳も、 ヤマレコの記録から、 勝手に 昨年の秋に登ったイメージに 残雪を少々足した感じで臨んだのだったが、 残雪は想像以上に多く、 滑ったらかなり下まで落ち込んでしまうような 雪の急斜面などを登ることになって スリルを味わったり、 股下まで両足が雪に潜ってしまって 身動きがとれなくなったりと、 安易に考えていた自分を呪いながら登ったのだった (無論、件の登山記録の方も かなり苦労されていたようである。 しかし、1週間経つと、 雪もさらに腐るなど 状態が変わってしまうことでもあり、 やはりそれなりの覚悟が必要であった。)。
しかし、 この時期に 2,800m以上の山に登ることができ大変満足。 景色も昨年の秋に登った時とはまた違って、 雪が白く輝く頂と そこまで続く雪のスロープ、 そして周囲の山々の 未だ白き姿も含め、 大いに堪能したのだった (残念ながら南アルプスの方は霞んでしまい、 あまりよく見えなかったのだが、 宝剣岳から空木岳へと続く稜線、 またさらに 空木岳から南駒ヶ岳へと続く稜線は 大変素晴らしかった)。
従来ならば、 このような残雪の多い状態の山に登るようなことはないはずで、 この時期 もっと低い山で それなりに楽しんでいたのだが、 これもヤマレコ情報のお陰、 感謝である。
また、 下山後の楽しみにも、 このヤマレコは結構貢献してくれている。
同じ山に、 同じ時間帯に登った人の登山記録を発見して、 ああ、あの人だったのか と思ったりするのもまた楽しい。
うまくすると、 ヤマレコに掲載された写真に 小生が写っていることもあり (無論 写るのを意識したものではない)、 それを見つけ出すのもまた楽しいのである。
例えば、 2月の塔ノ岳登山では、 後ろ姿ではあるけれども、 2枚も自分の姿が写っている写真を見つけ、 一人ニンマリとした次第である (花立山荘前と塔ノ岳頂上の 2ヶ所で写っていた。 どちらも小生はカメラに背を向けて、 富士山を撮っている姿である。)。
さて、 上で述べた空木岳に登ったのは、 5月21日の土曜日。
実は、その前の週の14日にも、 ヤマレコ情報を参考にして 初めて登った山がある。 それは南アルプスの西にある奥茶臼山である。
シラビソ峠からのピストンであったが、 この山も空木岳ほどではないにしても、 残雪で苦労しながらの登りであった。
そして、 その頂上では展望は得られないものの、 頂上手前にある倒木帯から 南アルプス南部の山々 (特に荒川三山、赤石岳、聖岳の姿は圧巻) の景観を楽しんだのであった。
余談になるが、 当日この奥茶臼山に登ったのは、 小生の他にはもう 1人だけ。
頂上直下の倒木帯で話をさせてもらったところ、 何と同じ年齢 (小生は4月生まれ、その人は5月生まれ) であることが分かって お互いびっくりしたのだった。 かなり低い確率の中での こうした出会いは驚きである。
ただ、 山に対する取り組み方が小生とは全然違う。 この方はワゴン車で移動されていたのだが、 車の中を改造していて 人が座れるのは前席だけ。 後部座席等をつぶして畳を敷き、 そこにシュラフならぬ マイ布団を敷いているとか。 登山口に早朝あるいは深夜に到着し、 そこで寝て 夜明けを待つとのことであった。
この日も、 シラビソ峠に早く着き、 寝ていたとのこと。
熊谷の方だったが、 翌日は池口岳を目指すと言っておられた。 同じ年齢の方のすごいバイタリティに、 大いに刺激を受けたのだった。

さて、話は またまた変わるが、 今年に入ってから 8回程山に登っている。
そのうち、 2回目、3回目の塔ノ岳、雲取山を除くと、 社山、北横岳、丸盆岳、恵那山、奥茶臼山、 そして空木岳と、 山の中で ほとんど人に会わない山旅を楽しめている (会った人の数は皆 1桁台)。
これも嬉しいところであるが、 積雪期や残雪期の山ということに加え、 今年は雪が多いことも、 人の少ない山旅を実現させてくれているようだ。 ちなみに、先の空木岳では 4人。 小生は 3番目に頂上に到着したのであった。
しかし、 こうした高い山も、 やがて登山に適したシーズンがやってきて、 混み始める。 今後も、 なるべく混まない山を選んで登っていきたいものである。
ヤマレコに、 そのような山に登った記録が掲載されることを 大いに期待したいものである。


16年ぶりの恵那山で思ったこと  2011.5 記

このゴールデンウィーク、 本日アップしたように 4月29日に丸盆岳に登った後、 翌日は恵那山に登るはずであった。
しかし、 丸盆岳のある水窪町から飯田市に移動して 飯田市のホテルで一泊し、 翌日、恵那山に登るべく ホテルの駐車場に行ったところ、 車の左後輪がパンクしていたのである。
仕方が無いので、 ホテルで休ませてもらい、 8時に再度起床。 駐車場でスペアタイヤに交換し、 飯田市内のオートバックスに行ったところ、 結局 タイヤは 4つとも交換する羽目になってしまったのだった。
それでも、 タイヤ交換が終わったのは 10時50分だったため、 もしかしたら まだ恵那山登山はできるかもしれないと思い、 急いで登山口の広河原へと向かう。 広河原駐車場には 11時57分に到着。 これなら登れないこともないと、 身支度をして 12時に出発。
ところがである、 広河原登山口に向かうべく 林道を歩いていると、 何と雨が降り出したのである。 パンクと言い、 雨と言い、 ツキに見放されたと感じたので、 結局、恵那山登山は断念 と相成ったのだった。

しかし、残念でした ということで、 そのまま終わりにする訳にはいかない。 時間とガソリン代、 高速代の無駄ではあるものの、 同じゴールデンウィーク中の 5月4日、 再度 恵那山にチャレンジすることにしたのである。

その5月4日は 少々早めの 2時35分に横浜の自宅を出発。
事前に確認した渋滞予想情報通り、 この日は ゴールデンウィークのまっただ中にも拘わらず、 中央自動車道に渋滞は全く無く、 快調に進む。
飯田山本ICで高速を下り、 国道153号線、256号線を通って 今回 2度目となる広河原の駐車場へと向かう。
中央道 園原IC (東京方面からは下りられない) の横を通過した後は、 4月29日の時と同じく 阿智村 月川花桃まつり開催中のため、 道は一方通行。 道脇には、 早朝というのに 花桃を撮影している人達が 何人もいる。
駐車場に着いたのは、 5時50分。 既に 6台くらいの車が駐まっていた。
身支度をして、 4月30日に途中まで歩いた 林道を進む。 今日は間違いなく晴れ。 雨の心配は全く無い。

さて、 後は登山記録にアップするので、 恵那山登山の状況についてはここまでにするが、 16年ぶりとなる恵那山に登って、 いくつか気になったことがある。
1つは、 この広河原ルートをピストン登山したのでは、 恵那山の素晴らしさはほとんど分からないであろう ということ。
調べてみると、 この登山道ができたのは 2001年のことらしい。 確かに、私が黒井沢ルートにて この山に登った 1995年にはなかった登山道で、 最近よく見ているヤマレコに このルートを使った登山記録が出ているのを見て、 初めてその存在を知った次第である。
恵那山にもう一度登りたいという気持ちを 強く持ってはいたものの、 黒井沢ルートはどうも使う気にはなれずにいたのだった。 同じルートを登りたくない ということに加えて、 小生がこのルートを登った当時、 登山口までの林道はかなり狭く、 そこを大型ダンプまで通っていたので大変ビックリし (無論、当時はタクシー使用)、 それがトラウマのようになっているからである (無論、 今は 整備されているのかもしれないが・・・)。
となると、 登山口までのアプローチが遠そうであり、 しかもコース自体も距離の長い 神坂(みさか)峠のルートしかない と思い込んでいたものだから、 恵那山の再登山は なかなか実現しそうもなかったのである。
しかし、 この広河原ルートがあることを知って ちょっとビックリするとともに、 恵那山 再登山に 光明が差したと思ったのであった。
尤も、 歴史ある 恵那山神社前宮からのルートというのも 同じ 2001年に復活したらしく、 恵那山への登山ルートは 現在 4つあることになるようだ (この前宮ルートは かなりのロングコース、 そして かなりの 標高差を伴うらしい)。
さて 話は戻るが、 その恵那山再登山の光明となった 広河原ルートを登ってみると、 アップダウンが少なく、 また急傾斜もあまりない状況で、 山慣れた者にとっては物足りなさを覚える。 短時間で登ることができるので、 ピークハントを主目的とする人には 手頃なコースということになるだろうし、 一番楽なルートだけあって、 百名山を登るツアーは この広河原ルートが中心らしい。
加えて、 このルートは黒井沢ルートと同じように、 登っていても 恵那山の一部しか見えず、 その全容を見ることができない。 「つかみ所がない山」、 「起承転結がない山」 と言う 恵那山にとってありがたくない評価が、 このルートにも当てはまるのである。
従って、 そのようなルートの往復では、 欲求不満が残るに違いない と思った次第であるし、 恵那山の良さを気づかずに 登山は終わってしまうことになろう。
小生の場合は、 恵那山頂に到着した後、 避難小屋裏の岩に立ち、 その後は 神坂峠ルートを辿って、 恵那山の最高点と言われる神明社を経て、 大判山、鳥越峠、 そして千両山 (地図にこのような名前は載っていないが) と進んで、 最後は林道を下って広河原に戻ったのであるが、 この下山路にとった 神坂コースは、 恵那山の姿もよく見え、 また道も起伏に富んでおり、 大変楽しめたのだった。
広河原からのピストンにしていたら、 恵那山全体を見ることはできない上に、 小生が登った時は 遠くの山々は霞んでいたため、 南アルプス、中央アルプスも見ることはできず、 ただひたすら登っただけ という結果に終わるところであった。 所要時間も短いために、 恵那山の最短ルートとして人気があるようだが、 ピストン登山にしたら、 やはり 何か今ひとつ 充実感を得られないのではないかと思う。
ヤマレコにも このルートをピストン登山して、 恵那山をあまり良く言っていない方がいたが、 それは間違いというもの。
是非とも 神坂峠ルートを登るか、 小生のように 下山に神坂峠ルートを使うようにして 恵那山の魅力を満喫して欲しいものである。 ササ原の向こうに見える恵那山の姿は 本当に素晴らしい。 但し、林道歩きは 落石に注意が必要である。

もう 1つ気になったことは、 頂上に展望台が建っていたこと。
いくら樹林に囲まれ 展望が得られない場所が 頂上とされているとは言え (前述のように 恵那山の最高点は 三ノ宮 神明社の祠がある場所)、 それはないだろうということである。 山は遊園地とは違うのである。
こういうものを山頂に建てる という発想をする人の見識を疑ってしまう。
調べたら、 建てたのは中津川市観光課。 組み立てのボランティアまで募集して建てたようだが、 募集のお知らせに書かれていた 展望台建設の目的には、 『「日本百名山」のひとつで、 毎年たくさんの登山者が訪れます。 過去には木製の展望台がありましたが、 朽ち果て現在は有りません。 以前に比べ周辺の樹木も伸び地面からでは眺望も悪く、 登山者の醍醐味である頂上からの景色を楽しむことと、 登頂記念に 登山者からも展望台があると良い との声が多くあります。 そこで、観光協会、 山岳関係団体、一般登山者、 地権者の方の賛同の意見を聞き、 今回、展望台を設置する運びとなりました。 今回、恵那山と自然に対する理解を深めるため 市民参加により、 中津川市の大切な財産である恵那山に展望台をつくり 登山者の要望に答えることを目的とします。』 と書かれている。 これには首を傾げざるを得ない。 展望の全く無い大菩薩嶺頂上に 展望台を、 という声は聞かないではないか。 これも、広河原ルートや黒井沢ルートによって生じさせられる 欲求不満の所為にちがいない。
さらには、 展望台に昇っても あまり景色は得られないとも聞く。
それならいっそのこと開き直って、 丹沢 仏果山頂上にあるような 13mの立派な展望台を建ててはどうであろう。 中途半端な展望台なら建てない方が良い。 いかにもお役所仕事という感じである。
むしろ、これだけ歴史ある山を もっと観光課は自慢して良く、 大衆に迎合するような手段をとるべきではなかったと思う。
文句ばかりが続いたが、 恵那山自体は 素晴らしい。 百名山の中では評判が悪い などとの話を聞くと 大変残念である。


連休中の不幸で ラッキーな登山に関する出来事  2011.5 記

東日本大震災のショックからようやく抜けだし、 4月2日に北八ヶ岳の北横岳、縞枯山に登ってきたものの、 その後 花粉症が酷くなり、 その上 風邪を引いてしまったものだから体調は最悪。 ズルズルとゴールデンウィークまで 山に行けない状態が続いてしまった。
おまけに、 ゴールデンウィーク直前の 4日間は仕事が結構忙しく、 加えて不摂生の夜更かしなどもあって、 睡眠時間は毎日 6時間以下。 万全とは言えない状態のまま ゴールデンウィークに突入してしまったのだった。
身体の疲れはかなりあり、 従って ゴールデンウィークの初日となる 4月29日は 自宅で休養と思っていたのだが、 天気予報を見ると 5月1日は雨。 これでは 4月29日を休養に充ててしまうと、 活動の時間がかなり制約される。 散々考えた挙げ句、 少々キツイが 4月29日に山に行くことにしたのであった。

行き先は 南アルプス深南部の 丸盆岳、黒法師岳。 黒法師岳には昨年の今頃登っているのだが、 その時は バラ谷の頭と組み合わせたので 丸盆岳は時間的にパスせざるを得ず、 宿題をやり残したという思いを ずっと持っていたからである。
加えて、 この山は、 家から近い 東名高速道を使うことができるので、 時間的に早く高速に乗れることから、 中央道よりも ゴールデンウィークの渋滞を避け易い というメリットもある (尤も 本来は 中央道を使うのが正しいようで、 ナビで水窪町と入れると中央道が推奨される。)。
そしてさらには、 丸盆岳、黒法師岳を登った後は、 水窪町から飯田市まで進んでそこで一泊し、 次の日は 広河原から恵那山を狙おう という目論見もあるのだった。

ということで、 4月29日は 3時10分に横浜の自宅を出発し、 横浜ICから東名高速道に入る。
しかし、考えが甘かった。 世の中、自粛ムードを当てにしてはいけないようで、 この時間 既に渋滞は発生しており、 大井松田〜富士IC間で渋滞 30kmとか・・・。 その電光掲示板の表示を見た時は思わず絶句。 どこか手前のICで下りて、 付近の山でお茶を濁そうか などといった考えが頭をよぎる。 しかし、折角 身体に無理をさせ、 こうして出てきたのに 目的地を変えるのは悔しい。 そのまま進むことにする。
さて渋滞だが、 実際は 御殿場ICが分かれ道で、 御殿場ICを過ぎるとすぐに渋滞、 ノロノロ運転が始まったのであった。
富士ICを過ぎても、 断続的に渋滞が発生し、 結局 目的の袋井ICを下りたのは 6時40分過ぎであった。
ナビに従って袋井ICを下りてから左折。 県道 61号線そして県道 40号線を使って北上し、 やがてお馴染みの秋葉街道 (国道152号線) に合流。 後は過去に 2往復している道であり、 全く迷いもなく進むことができたのだった。
そして、水窪ダムを過ぎ、戸中山林道に入り、 林道ゲート前に車を駐めたのは 8時30分であった。
前回 黒法師岳に登った時は、 このゲート前に 7時45分に到着しており、 また 不動岳に登った時は 6時53分の到着だったので、 ちょっと今日はかなり厳しい状況である。 ガソリンスタンドが閉まらないうちに 下山してガソリンを補給したいし、 飯田市まで行って 宿も見つけなくてはならないからである。

身支度をして 8時39分にゲートを出発。
ここから 6kmの林道歩きである。 ゲート前には車が 2台。 1台は三河ナンバー、 もう 1台は とちぎナンバーであった。
黒法師岳の登山口には 9時54分に到着。 ここまでのペースは 前回と変わらないが、 何せ 時間が 1時間弱遅い。
その時、 不動岳の方から人が歩いて来たのでビックリ。 聞けば、水補給のため、 この先の水場まで行ってきたとのこと。 その方は 最近 不動岳に登ったばかりで、 今日は黒法師岳を目指すとのこと。 三河ナンバーの車の持ち主であった。
その方には先に行ってもらったが、 途中 ドンドン離される。 その方の足が速いこともあるのだろうが、 小生の調子も悪い。 身体がかなり重いのである。
おまけに、 登山口の所でパンを食べたにも拘わらず、 腹が減ってきて 力が入らない。 仕方が無く、 中間地点の鞍部の上方で食事。 そして弁当転がしと呼ばれる 急坂では もうバテバテであった。
主脈尾根の出合には 12時15分に到着。 ここで道を左に取り、 丸盆岳へと向かう。
この時点で、身体の調子、 できるだけ早く下山したいという事情、 そして今の時間を総合的に勘案し、 黒法師岳の再登頂は半ば諦める。
さて、身体の調子が悪い上に、 尾根上を吹き抜ける風が強くて 丸盆岳への登りはかなり難儀したが、 この山は本当に素晴らしい所であった。
横浜から余りに遠い上に、 この山域の主役は 黒法師岳、不動岳、 そしてバラ谷の頭 と思っており、 これらの山を登ったので 丸盆岳には登る必要ない と思わないでもなかったのだが、 イヤー、 来て大正解。 むしろ黒法師岳よりも お薦めの山である。
行程のパターンとしては、 近くにある不動岳と同じ。 ( )書きを不動岳とすると、 この主脈尾根の出合 (= 鎌崩ノ頭) から一旦下り、 細い尾根を進んで登り着いた所が カモシカ平 (= 鹿ノ平)、 そこからササ原の斜面を登っていけば 丸盆岳 (= 不動岳) である。
丸盆岳頂上到着は 13時7分。 ここからの 黒法師岳、バラ谷の頭、直下のカモシカ平の眺め、 そして頂上より少し先の高みからの鎌崩、鹿ノ平、不動岳、 さらには雲に上部を隠された 未だ白き 聖岳、茶臼岳の眺めは素晴らしい。
主脈尾根の出合に戻り着いたのは 14時5分。 体調を考えても、 ここから 1時間少しあれば 黒法師岳往復は可能であったが、 後のことを考えて 断念。 つくづく渋滞が恨めしい。
そして、 ゲートに戻り着いたのは 16時50分。 これなら黒法師岳を犠牲にした甲斐はあるというものである。

ところがである、 この後 色々大変なことが起こってしまったのである。
まず、水窪町に戻り、 ガソリンスタンドで給油。 その時、車の左後輪の空気が減っていることを指摘される。 林道には尖った岩屑も多く散らばっており、 それを踏んでパンクしたのでは という考えが頭を過ぎる。 取りあえず 今日の宿泊先確保が先決なので、 件のタイヤに多めに空気を入れてもらい、 国道152号線を飯田に向かう。 狭い山道を快調に飛ばすも、 タイヤのことがかなり気にかかる。
19時20分に飯田市街に到着。 飯田市中央通りにあるホテルに宿を取ることができた。 その際、タイヤを見ると 全く問題無さそうだったので、 一安心。
しかしである、 翌日 4時半にホテルを出ようとすると、 件のタイヤはペッチャンコ。 やはり怖れていたことが起こってしまった。 が、こうなってはどうしようもないので、 親切なホテルの人のご厚意により 再度 部屋に戻って睡眠。
8時に再度起床し、 スペアタイヤに交換した後、 電話帳で見つけた オートバックス K・E・飯田店に行く。 10時の開店を待って、 タイヤの状況を相談。 結局 全部のタイヤを交換した方が良い ということになってしまったのだった。
タイヤ交換が終わったのが、 10時50分。 もしかしたら まだ恵那山登山はできるかもしれないと思い、 急いで広河原へと向かうことにする。
広河原到着は 11時57分。 身支度をして 12時に出発。 ここでも林道歩きが待っている。
ところがである、 15分ばかり進んだところで 何と雨が降り出したのである。 進む方向の空は明るいが、 かといって雨が止むという保証はない。
ということで、恵那山登山は断念。 ガックリ肩を落として林道を戻ったのだった。 でも 雨はその後 かなり強く降ってきたので、 下山して正解である。
こうなると、温泉でもなければ、 サクラ見物でもない。
中央道 飯田山本ICへと進み、 そのまま まっすぐ我が家を目指したのであった。 皮肉にも、 中央道はエアポケットに入ったように 空いていて順調に進む。 小仏トンネルの渋滞表示を見た所で 相模湖ICで高速を下り、 そのまま下を通って横浜の自宅まで スムーズに戻れたのだった。
しかしこうなると、 もし、あのまま パンクなど無く 早朝に恵那山に登っていれば、 今と同じような時間に 帰宅できたはず。 大変悔しい。

だが、発想を変えれば、 丸盆岳に登る前にガソリン補給をしなかったのは大正解 (無論、時間的に焦っていたので 後回しにしたもの)。 また、帰りに寄ったガソリンスタンドの店主が タイヤの空気が抜けているのを目ざとく見つけてくれたことも ラッキー (この時点では それ程 顕著に 空気が減っている状況ではなかった)。
そして、 空気を多めに注入したことで、 水窪から飯田市までの 70km近くの山道を 無事に通り抜けられたこともラッキー。 そして、宿泊を山の中の温泉ではなく、 飯田市街のホテルにしたことや、 そのホテルのご主人が親切だったこと、 また、飯田市街なので、 オートバックスが近かったこと 等々 ラッキー続きとも言える。
このようなラッキーがなく、 ガソリンを登山前に入れて 下山後 そのまま高速に乗ったり、 山道を進んでしまっていたら どうなったことやら・・・。 突然の大出費は痛かったが、 かなりのラッキーに恵まれたことを 素直に喜ぶべきであろう。

しかし、 今度は恵那山が宿題として残ってしまったのには参った。


東日本大地震後の久々の登山  2011.4 記

東日本大震災 (東北地方太平洋沖地震) から 3週間以上経過したが、 死者の数は 1万2千人を超え、 さらに行方不明者が 1万5千人以上いるという。 写真や映像で見る被災地の状況は、 まさに壊滅という一言。 避難生活を送られている方、 肉親や友人を亡くされた方、 生活の場が一瞬にして失われた方、 その人達のことを思うと 本当に心が痛む。
さらに、 福島第一原発は未だ予断を許さぬ状況にあり、 震災の直接的影響はないにも拘わらず、 原発 30km圏内に住んでいるということで 避難を余儀なくされた方々、 農作物の販売ができなくなった方々も お気の毒というしかない。
そして、危険な原子力発電所において、 懸命の復旧作業を続けている方々にも 本当に頭が下がる。
首都圏では計画停電が行われ、 節電のために暗くなったオフィス、 そして毎日の通勤においても 電車の本数が減ったことにより かなりの混雑が生じて苦痛を味わっているが、 震災に遭われた方々のことを思い、 皆 文句も言わず我慢しているのを見ると、 やはり日本人だからかな と嬉しくなる。
また、このような大災害に対して日本中ばかりでなく、 世界中からも義捐金や支援が寄せられており、 本当にありがたく、 そして人の絆は素晴らしいと感じる次第である。
一方で、 この日本全体が一致団結しなければならない時に、 震災地を荒らす火事場泥棒がいるとか、 心無い風評を流す人がいるとか、 買い占めに走る人がいるとか、 どういうつもりか知らないが プロ野球セリーグの開幕を 3月25日に強行しようとしたお偉方がいたとか、 残念なニュースも流れてくる。

毎日 こういう状況であるから、 エピソードとして聞こえてくる人情に嬉しさを感じる反面、 気が晴れない事柄の方が多く続いていて、 山に行く気にもなれずに 3月は終わってしまった。
しかし、 世の中 自粛ムード一辺倒では、 やはり ますます負のスパイラルに陥るだけである。 自分のできること (例えば 義捐金拠出、節電 等々) をやる中で、 後はできるだけ今までの日常を取り戻し、 経済が今まで以上に回っていくようにすべきなのかもしれない。
ということで、 いつまでも晴天の土日に家に閉じこもっているのは良くないと考え、 山に行ってみることにした。 大震災から 3週間経って、 ようやく自分の気持ちも落ち着いてきたものであり、 全く被害に遭っていない我々までが落ち込んでいては 世の中回っていかない と思えてきたのである。
と 書くと、 何かいい訳めいて聞こえるが、 やはり折角 山に登ろうという気持ちが 震災後 3週間経って湧いてきたのを、 無理して抑えるのは却って良くない。 とは言え、 未だ厳しい避難所生活をおくられている方々のことを思うと、 少々後ろめたさを感じるのも事実である。 そこで、自分を納得させるだけかもしれないが、 山に登った際、 その高さの分だけ義捐金を送ることにした。

そして、 気持ちの整理がついた中、 この4月2日に山に登ってきた。
山の高さ分だけの義捐金を送る ということを踏まえると、 あまり低い山では申し訳ない。 加えて、 楽な山行でも申し訳ない気がして、 選んだ山が北八ヶ岳の北横岳である。
この時期、 まだ雪は豊富にありそうであるし、 昨年 蓼科山に登った時、 本来はこの北横岳を登るつもりであったので、 その埋め合わせでもある。 加えて、3月28日から 4月27日まで定期整備のためロープウェイは運休。 山はあまり混雑しないことが期待できることも大きい。
さらに天気予報を見ると、 茅野市あたりの予報は 6時から9時まで曇りとなっているものの、 後は晴天のようであり、 山頂に着く時間帯を考えると、 丁度良い。

ということで、少し遅めの 4時半に横浜の自宅を出発したのであった (無論、車)。
ピラタスロープウェイ駅には 7時25分に到着。 身支度をして登山口に進む。 登山口近くには 四駆車が 1台駐まっており、 先達が居るようである。
登山道にはいきなり雪が現れる。 しかし、凍っておらず、 また良く締まっているので アイゼン無しでも十分に登っていける。 トレースもしっかりついているので安心である。
暫し樹林帯を登ると、 広い裸の斜面に出る。 上空は薄い雲に覆われているが、 これは天気予報通り。 徐々に晴れそうな気配が見える。
左手にはズングリとした蓼科山。 右手には南八ヶ岳の山々が見える。 その少し右には北岳、甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳が見えるが、 この時間、もうやや霞み気味である。
南アルプスのさらに右には、 中央アルプスもうっすらと見える。 しかし、北アルプスはほとんど見えない状況であった。
良く締まった雪原を進む。 快調に登っていったが、 ピラタスロープウェイ山頂駅手前の樹林帯の中では、 スノーモービルの跡を辿ってしまい、 本来なら駅の南側に飛び出すところを北側に進んでしまって、 上空にあるロープウェイのロープを見て 慌てて修正したのだった。 お陰で、雪の中をプチラッセルする羽目になってしまった。 これも結構楽しい。
山頂駅には 8時55分に到着。 誰も居ない山頂駅にてトイレを借用。 トイレは暖房が効いていて暖かい。
一面の雪原を北横岳に向かって進む。 トレースは残っており、 雪に立てられた赤テープ付きのポールが道を教えてくれる。 山腹に取り付くまでの坪庭歩きは 凄い横風を受けて雪煙が舞う 厳しいものであった。 しかし、山腹に辿り着くと 今までの強い風が嘘のように穏やかな山歩きとなる。 山腹をジグザグに登る雪道は良く踏まれており、 また凍ってもいないので、 軽アイゼンは不要。 雪の上には 1人分の新しい足跡が見える。
北横岳ヒュッテには 9時47分に到着。 閉まっている小屋の前には 先行者が休んでいた。 この頃になると、 空は青空に変わり、日差しが温かい。
小屋前で 10分ほど休憩した後、先に進む。 ここからは北横岳への急斜面が続く。 一応 念のために 小屋前で軽アイゼンを装着したが 結果的には不要であった。
北横岳南峰には 10時11分に到着。 手前の樹林帯を抜けると、 もの凄い横風。 南峰に止まり、写真を撮ろうにも風がそれを許さない。 先行者は南峰をそのまま通過し、北峰へと進む。 小生としては 何とか写真を撮ろうと努力したものの、 風に身体を揺らされ、 辛うじて蓼科山が 1枚撮れたのみであった。
写真撮影を諦め、北峰へと向かう。 この鞍部でも風は左側から強く吹き、 身体をよろけさせる。 ついにはバランスを崩してしまい、 右足が登山道をはずれると、 そのまま雪にズボッと膝近くまで潜り込んでしまった。 慌ててバランスを保とうと左足を動かして踏ん張ると、 今度は左足も潜ってしまい、 結局、両足とも股下まで潜ってしまった。 さすがに慌てたが、 両足を何とか前の雪壁に押しつけることで、 ようやくお尻の方から抜け出すことができ 北峰へと向かう。
北峰には 10時16分に到着。 ここも風が強いが、何とか頂上写真を数枚撮影。 晴天のため、シャッタースピードが速かったので、 何とかブレずに済んだ次第。
ここも 3分程で撤退し、往路を戻る。 斜面を順調に下っていったのだが、 途中で足を滑らせてしまい、 バランスを崩して前のめりで転倒。 カメラは雪だらけになってしまい、 北横岳ヒュッテ前でその清掃に追われる。
その後は順調に下り、坪庭を進んで、 北横岳への分岐点に戻る。 右に進めば山頂駅。 左は坪庭を回って雨池峠に向かうことができる。 時刻はまだ 11時を過ぎたばかり。 余裕があるので、 雨池峠経由で縞枯山に登ることにする。
前回 この雨池峠から縞枯山への登りは 北横岳、大岳、再び北横岳、 三ツ岳、雨池山を登った後だったため、 体力的に大変きつかった覚えがあるが、 今回は北横岳を登っただけであるにも拘わらず 結構きつかった。 特に 頂上直下の登りは急で、 滑りやすく、 雪に足を蹴り込んで足場を作りながらの登りであった。
縞枯山には 11時47分に到着。 前回登り切ったところにあった縞枯山の標柱は 今回見当たらなかった。 ここでも強い風に苦労しながら、 南八ヶ岳を写真に収め下山。 往路を戻る。
山頂駅には 12時33分に戻り着く。 そのまま駅を素通りして下山。 今度は迷うことなくすんなり下山できたが、 朝と違って雪も緩くなり、 何回も足を取られて苦労したのだった。 この時期はワカンが必要である。
駐車場には 13時23分に戻り着く。 久々の山、そして雪の山を堪能し、 ストレス解消。 山中で会った人も 10人程、 狙い通り静かな山旅であった。

今回登った 北横岳は北峰で 2,480m。 今年になって登った社山、塔ノ岳、雲取山の標高を加えると、 7,800m余り。 そこで、今まで実施した 震災に対する寄付とは別に、 今回、山行分として 1万円を赤十字に寄付することにした。 僅かではあるが、 何とか一日も早い復興に少しでも役立てばと思うばかりである。 今後、山に行く限り、 寄付は続けることにしようと思う。


東北地方太平洋沖地震の起こった日  2011.3 記

平成23年3月11日に発生した 「東北地方太平洋沖地震」 により被災された皆さまに対しまして、 心からお見舞いを申し上げます。

未曾有の犠牲者、被害をもたらした 東北地方太平洋沖地震が起きた 3月11日の金曜日は、 都内を走る列車が全てストップ。 このため、会社に泊まることを余儀なくされた方、 長い距離を家まで歩いて帰った方、 急遽自転車を購入するなどして 帰宅した方 等々、 様々な対応が見られたようだ (最終的には一部私鉄は動いたが)。
小生の場合、 翌日、翌々日が土日で会社が休みということもあり、 一度やりたかった徒歩での帰宅 (横浜市瀬谷区) にトライすべく、 午後5時20分に赤坂の会社を出発。
まずは 都道412号線霞ヶ関渋谷線 (通称 六本木通り) を通って渋谷に向かう。 すでに路上は帰宅する人で溢れ、 中には歩道を飛び出して、 車が渋滞している車道の端を歩く人達もいる。
一番ネックなのが信号待ち。 一気に人の塊ができ、歩道は大混雑。
六本木を過ぎても人の波は変わらない。 バスの方は動いているようで、 バス停には多くの人達が並んでいる。 ビルの中にはガラスが割れて落下したところもあったようで、 落下したガラスの周りを 工事用のコーンで囲んでいたりする。
渋谷からは 国道246号線に入る。 事前に頭に入れておいた地図では、 この246号線沿いにずっと進むのが 自宅へは最短のようである。
渋谷を抜けても人の流れは変わらない。 ただ、不思議なことに 厚木に向かって左側の歩道に人が多い。 右の歩道は比較的空いているので、 横断歩道を渡って右側の歩道に入る。
池尻、三軒茶屋、駒沢大学と 人混みをすり抜けつつ順調に進む。 頭上には常に首都高速道があるが、 よく考えたら 大地震の時に 首都高速道の下を通るのは危険なのかもしれない。 用賀でようやく首都高速道の下から逃れることになる。
瀬田を過ぎて道が 2つに分かれることになった。 246号線 (厚木街道) は右、 左は玉川通りで二子玉川に向かう道である。 当然、246号線を進みたかったのだが、 どうも多摩川を渡る246号線には歩道がないようである (勘違いかもしれないが)。 しかたがないので、 玉川通りを進み 二子橋を渡る。 この橋も大混雑。 橋の反対側から来る人とのすれ違いに加え、 橋を渡った所にある 二子橋交差点の信号で多くの人が足止めを食い、 人の波が徐々に膨らんでいったからである。
それでもようやく橋を渡り、 溝の口へと繋がる道路を進む。 この道路は 狭い上に左右とも自動車で渋滞。 そこに多くの人が歩くものだから 進むのにかなり時間がかかる。 ようやく高津の交差点に辿り着いたので、 ここで右折して府中街道に入り、 246号線への再合流を目指す。 この府中街道はガラガラで、 難なく246号線に合流。 再び246号線沿いに歩き始める。
やがて身代り不動。 この246号線は何回か車で通っているので、 まだまだ先が長いことがよく分かる。
道路沿いには時折標識があり、 三宅坂から○○kmと表示されている。 三宅坂も赤坂もほぼ同じと思うので、 かなり歩いてきたことを実感させられる (例えば、溝口で 15km)。
途中、高架になっている 246号線の下を進むことが何回かあったのだが、 ところによっては 下が停電している場所があり、 信号も消えていて 道路を横断するのが怖い箇所があった。 気の利いた人が 携帯電話のライトで自分たちの存在を知らせ、 道路を横断したのだが、 真っ暗の中 自動車の運転手が気づかねば 事故が起きてもおかしくない状況であった。
快調に足を運んで、 やがて江田駅前を通過。 見上げると田園都市線が動いている。 復旧したのかと思ったのだが、 電車は空っぽ状態。 まだまだ運行はしていないようである。
やがて市ヶ尾 (この辺で三宅坂から 25km)。 そこを過ぎると、 東名高速道 横浜青葉IC。 高速道上では 車は結構スムーズに流れているようである。
ここでアイデアが浮かぶ。 妻に頼んで 自宅傍の東名高速道 横浜ICから 高速に乗って この横浜青葉ICまで迎えに来てもらうという手である。 しかし、携帯電話が繋がらない。 よく考えたら、 道路脇のコンビニエンスストアにある公衆電話は 長蛇の列であった。 やはりイザと言う時は 公衆電話なのであろうか。
連絡を諦め、 さらに歩き続ける。 青葉台を過ぎ、長津田も近くなってきた。 ここまで飲まず食わず。 ウォークマンで懐かしの音楽を聴きながら ただひたすら歩くだけである。
道路も平らであれば問題ないのだが、 結構アップダウンが激しい。 これは歩いて初めて気づいたことである。
長津田の東工大入口に来たところで、 また妻に迎えに来てもらおうかと思ったが、 道路も混んでいるようなので諦め、 さらに先に進む。
そして ようやく国道16号線大和バイパスとの交差点に到着 (この辺で三宅坂から 33km)。 ここから自宅まで 近道がありそうだが、 どうも思い浮かばない。 しかたなく、旧の16号線 (八王子街道) の交差点までさらに進む (この辺で恐らく三宅坂から 34km)。
その目黒の交差点に着いた時は 既に 23時を回っていた。 ここまでくれば一安心 と思った途端に疲れがドッと出てきた。 八王子街道を横浜方面に戻り、 途中の自動販売機でジュースを購入して ようやく一息つく。 後は勝手知ったる道。 上瀬谷小学校経由で海軍道路に入り、 家に着いたのは 23時40分であった。
家人とはほとんど連絡が取れていなかったため、 小生の帰宅には皆ビックリ (会社に泊まるかと思ったとのこと)。
しかしまあ、 都合 6時間20分、 ほとんど飲まず食わずで歩き通し。 日頃 山で鍛えた成果が出たというところか と自画自賛していたら、 テレビを見て驚いた。
東北地方の惨状を目の当たりにし、 暫し言葉を失う。 徒歩での帰宅に達成感を得ていた自分が恥ずかしい。 確かに、 地震後、ネットで 津波により沢山の車がプカプカ浮いている などの情報は得ていたものの、 被害については良く分からず、 それが映像を見て驚愕の一言。
さらに翌日、翌々日と1日中テレビの前に釘付け。 見る度に被害の大きさを知り、 気持ちが暗くなる。
当面 山にも行く気にならず、 このホームページ更新も気乗りがせず という状態。
遠く離れた地でこういう状況であるのだから、 被災地で被害に遭われた方、 肉親を亡くされた方のお気持ちは 計り知れないものがある。
何とか一日も早い復興を心から願うばかりである。


雪の丹沢を楽しむ  2011.2 記

先日の 日光 社山 に引き続き、 2月11日からの三連休 最終日となる 13日の日曜日、 丹沢 塔ノ岳 (表尾根) に登ってきた。
詳細は 本日掲載した 『 百文は一見にしかず 』 をご覧戴きたいが、 久々に車を全く使わず、 交通機関を乗り継いでの山行であった。 理由は、11日に降り積もった雪が 道路に残っている確率が高かったこと、 さらに 12日〜13日の寒さで 早朝は道路が凍結している可能性が高い と思われたからである。
こういう状態の中、 快晴となる見込みの高い 13日にどこに行こうか迷ったのだが、 結局 臆病さが前面に出て、 積雪を考慮し、 初めてのルートは避けるべき と考えて、 近間の三つ峠か丹沢にすることにしたのであった。 そして、三つ峠は 登山記録には上げていないものの、 2008年に登っているので、 11年ぶりとなる丹沢に登ることに した次第である。
そういう訳だが、 丹沢と言えば、 やはり 大倉から塔ノ岳である。 バカ尾根と呼ばれる尾根を久々に登り、 塔ノ岳から先は表尾根を下山するか、 丹沢山往復の後、 往路を戻るか という位の漠然としたプランを持って 出かけることにしたのであった。 無論、次の日は仕事なので、 あまりハードなプランは避けたいところであり、 さらに足の状況も未だ完全で無いことも考慮してのことである。
小田急小田原線渋沢駅発 大倉行きのバスの時間を調べると、 6時48分発。 そのバスに乗るためには、 相鉄線の瀬谷駅を 5時46分に発車する 海老名行きに乗る必要がある。 無論そのつもりで 13日は起床したものの、 なんだかんだと手間取ってしまい、 結局 瀬谷駅 6時12分発の電車になってしまい、 渋沢駅発のバスは 7時2分のバス (2番バス) となったのだった。
手間取った理由は、 車の場合、 出発時は荷物を車に押し込んでおき、 現地で支度をすれば良いのだが、 徒歩の場合、 登山靴を履くことを始めとして、 キチンと身支度を調えて出発する必要があることを 迂闊にも忘れていたからである。
もう一つ戸惑ったのが、 朝食である。 車で行く場合、 運転をしながら朝食をとることが可能で有り、 その分 時間を有効に使えるのだが、 電車の場合はそうはいかない。 無論、電車の中で食事をすることも考えられるが、 旅行するための長距離列車とは違うことから なかなかそのようなことはできず (満員に近い通勤電車の中でも 食事をしている人がいるのを 時々見かけるが・・・)、 結局 久々の 車を使わない山行故に 戸惑うことが多かったのだった。

さて、肝心の山の方はと言うと、 天候に恵まれ、 雪の量も豊富で かなり楽しむことができたのだった。 現時点の同コースは、 雪がかなり融けて泥んこ状態の所もあると聞く。 良い時に登ることができて、 ラッキーであった。
それにしてもやはり丹沢は人気が高い。 小生の乗った 7時2分のバスは満員。 続く 7時18分のバスも満員であった。 ルート上に人も多く、 塔ノ岳も多くの人が憩っていた。 塔ノ岳から表尾根を下った際も、 多くの人と擦れ違っており、 アプローチが容易な山であるということは 大変なメリットだな とつくづく感じたのだった。
尤も、 この日は積雪のため、 秦野からヤビツ峠までのバスはなく、 手前の蓑毛止まりであった。 それでも、 ヤビツ峠の駐車場には 多くの車が駐まっていたから、 行動力ある人が多い。 朝、7時半頃に大倉を出発したのだが、 車道が凍っている所もあった状況であり、 まあ、車で来なくて正解。 もっと寒い山梨県の山に 車で向かっていたらどうなったことやら。
山は楽しかったが、 少々物足りなさが残ったのも事実。
11年ぶりとなる丹沢であったが、 建物が新しくなっていたりすることはあっても、 全く 11年前と変わらない状態で、 記憶通りの景色、道であった。 こうなると物足りなさを感じてしまう。
塔ノ岳から丹沢山に向かわなかったのも、 過去に頭に焼き付いた光景が そのまま出てくるだろうと思い、 それなら無理して行かなくても良いかな という考えが頭に浮かんだからである。
これはあまり芳しくない心理状態であるが、 山の高さよりも 初めてのコース、 初めて登る山でなければ、 もう満足できない感じになってきている。 そういう意味では、 今年は今後どこへ行こうか 少々迷う所である。


2011年の初登山 他  2011.2 記

このホームページも昨年の 12月26日以来の更新となる。
この間、 昨年の雁坂嶺、破風山登山における 右足首の捻挫が完治せず、 山には行けず仕舞い。 そのため、ホームページ更新もままならず、 明けましておめでとう と書きそびれて本日まで至ってしまった次第である。
右足首の状況は思ったよりも重傷で、 未だに捻ったり 足首を折り曲げると痛みが走る。 従って、 2月も山に登れない という危機に直面したのだったが、 あまり臆病になっていても先に進まないと思い、 この2月4日、 思い切って出かけることにしたのだった。
登ってきた山は 日光の社山 (しゃざん)。 詳細は本日アップした登山記録をご覧戴きたいが、 晴天、雪山、吹雪、素晴らしい展望 と盛り沢山で、 大いに満足したのであった。
まだ足首が痛いので、 ハードな山行は難しいが、 これを機に またドンドン山に登りたいと思う。

話は変わるが、 今 九州 霧島連山の新燃岳が大変なことになっている。
登ったことがある山だけに 噴火の様子を見ると本当に驚かざるを得ない。 小生が最後に登ったのは 1993年。 もう 18年近くも前になるので、 活動に変化があってもおかしくはないのだろうが、 大きな火口の下の方に エメラルド色の水が溜まり、 噴煙が少し上がっていた山が、 今やその火口に溶岩ドームが盛り上がり、 火口の縁と同じ高さまで達している と聞けば 自然の恐ろしさ、 不思議さを思わざるを得ない。
現時点では、 地域住民に対する避難勧告の方は大半が解除されたと聞くが、 決して火山活動が沈静化した訳ではなく、 安全宣言ではないので くれぐれもご注意戴きたいものである。
一方で、 今回の爆発はマグマ爆発とのことで、 かなり長引くという話もある。 また溶岩ドームが吹っ飛んで、 火砕流が発生する可能性も完全には否定できないようで、 地域の方々は心配な日々が続くことであろう。 一刻も早い沈静化を祈るばかりである。

山に行っていないので 書くこともあまりない。 そのため、山に関係ない話を少し。
年をとってくると、 若かりし頃の音楽が無性に聴きたくなるようだ。 そのため、会社の帰りに駅から歩く際、 ビートルズやCCR (クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、 グランドファンク(レイルロード)、 ディープパープルなどの曲をウォークマンで聴いている。 そんな中、 今 一番ハマっているのが サム・クックである。
サム・クックが活動したのは 1950年から1964年までであるから、 当然 リアルタイムで聴いていた訳ではない。 むしろ、 彼の曲をカバーしたバージョンで聴いていたことの方が多いのかもしれない。
中学校生の時に オーティス・レディングの 「 オーティス・ブルー 」 というLPを聴いて、 気に入った ワンダフル・ワールドや A CHANGE IS GONNA COME を作ったのが サム・クックということ。 当時はそんなことを知りもしなかったのだが・・・。
そして、 40年以上の時を経て、 たまたま 1月23日の日曜日、 NHK BS2で 「 第2回 シリーズ・ソウル・ディープ 」 を見て サム・クックを知り、 その時にかかった 「 A CHANGE IS GONNA COME 」 で突然 頭にオーティスの曲が蘇り、 サム・クックの曲であることを知って 大いに興味を持ったのであった。 しかも、 この曲作りの背景に 白人である ボブ・ディランの 「風に吹かれて」 があったことも番組で知る。 これは意味が深い。
感銘を受けて、 早速、Amazonで サム・クックの 『 Portrait of a Legend 1951-1964 』 を購入。 今 聴きまくっている という次第である。 曲自体も素晴らしいが、 その背景にあることを知ると、 一層 その曲の良さが分かるというもの。 当時の人種差別は 凄まじいものがあったようだ。
小説などが色々な問題を提起することがあるが、 音楽にもメッセージ性が強いものもある。 そういう意味では 当時の音楽の方が心に響くのかもしれない。 そして、今はサム・クック。
しかしこうなると、 オーティスの曲も聴きたくなる。 今度は オーティス・レディングのCD購入だろうか。 とにかく 当時の音楽が無性に聴きたくなる今日この頃である。


2010年を振り返る  2010.12 記

先日の雁坂嶺、破風山登山において捻挫してしまった右足首の状況は 未だ芳しくなく、 一応普通に歩くことはできるものの、 踏ん張ったり、 捻ることはまだできない状態にある。
従って、 この25日、26日の晴天に恵まれた週末も自宅待機状態。 非常に悔しい思いをしている。
また、 小生の会社は 暮れの 29日まで出勤なので、 30日、31日に行う大掃除のことを考えると、 今年の登山はもうほぼ無理ということになる。
従って、 12月11日の雁坂嶺、破風山が今年最後の登山 ということになる公算が強い。
今年は、 結構充実した登山ができた と喜んでいたので、 この終わり方は大変残念であるが、 まあ これも山を些か舐めていたところがあったが故であり、 あまり図に乗るな との山の神様のお告げと思って、 来年の登山に備えることにしたい。

そういうことなので、 新しい登山ネタはないことから、 今年の登山を少し振り返ってみたい。
今年の登山は、 最後を除けば 総じて順調であり、 大変充実していたと言えよう。
北アルプスも 日帰りの範疇に入れることができるようになったし (唐松岳−五竜岳、常念岳−蝶ヶ岳)、 とても日帰りは無理と思っていた 南アルプスの笊ヶ岳や、 中央アルプスの 南駒ヶ岳・越百山にも 日帰りで登ってこれたし、 奥秩父の鶏冠山に登れたことも嬉しい限りである (しかも、同じ年に 2回も)。
また、 1月の厳冬期に 甲武信岳に登ることができたことも大変嬉しく、 八ヶ岳に西岳という山があることを知ったことも収穫であった。 さらに、南アルプス深南部の山、 黒法師岳−バラ谷の頭、不動岳に登ったことは大変印象深く、 日光の錫ヶ岳に登ったことと合わせて、 少々自慢したいところである。
再登山となった山では、 やはり 昨年 雨に祟られた白根三山に リベンジ登山できたことが嬉しく、 その際、農鳥小屋で話をした方に 白峰南嶺の魅力を教えてもらって、 黒河内岳 (笹山) に登ることになったのは 思わぬ拾い物をした感じである。
また、八ヶ岳の権現岳は 12年ぶりの登山、 さらには上掲の五竜岳、常念岳が それぞれ 16年ぶり、20年ぶり、 そして 中央アルプス 空木岳も これまた 20年ぶりと、 かなりの年月を経て再登山となった山々があったことも、 大変感慨深い。 皆 当時の印象のまま、 素晴らしい山であった。
特に、空木岳については、 この山の魅力を再確認するとともに、 さらに次の南駒ヶ岳登山に繋げたことが 大変大きな価値を持つ。
ここ数ヶ月では、 前掛山、蓼科山が印象的だが、 山は季節を通して登ってみないと、 その山の本当の素晴らしさは分からない と改めて感じたのであった。
しかし、こうして今年登った山を振り返ると、 やはり 日本百名山が中心になっていることに気がつく。 甲武信岳、大菩薩嶺、八ヶ岳、北岳、間ノ岳、 五竜岳、常念岳、 そして空木岳、浅間山、蓼科山と、 10座ほど 登っている。
不動岳や錫ヶ岳、南駒ヶ岳など、 百名山以外でも素晴らしい魅力を持つ山々が 沢山あることを実感しているにも拘わらず、 こういう状況なのである。 確かに、百名山は登って失望することのない 安心ブランドである。 だから無意識に選んでしまっているのかもしれない。 しかし、それだけに頼っていたのでは 山の世界が狭くなってしまうので、 来年は 初めて登る山の数を さらに増やし、 脱 百名山としても良いかもしれない。
『 めざせ百名山 』 を標榜していながら 脱 百名山 もないものであるが、 近い所に素晴らしい山が沢山あるにも拘わらず、 高い金を出して 北海道などの遠隔地まで行くことに、 近頃は疑問を感じつつあるのも事実である。
百名山とそれ以外の山、 うまく、折り合いをつけながら、 そして百名山以外の山のウェイトを大きくして、 山を楽しめばそれが一番良いと思う。
まだまだ、素晴らしい山が沢山あるにも拘わらず、 登る山の範囲を自ら狭める必要はないのだから・・・ (決して 百名山全部に登頂することを諦めたということではないのだが)。

充実した登山の一方で、 かなり身体にガタが来ている と感じた年でもあった。
医者に診せた訳ではないので、 素人判断は危険であるが、 現状の捻挫とは別に、 長年の酷使で足が痛いのである。 足と言っても、足底の方で、 どうやら ネットで見て同じ症状を確認した 足底筋膜炎 (足底腱膜炎) のようである。
つまり、足の裏にある腱膜の炎症により、 歩いた時に踵などが痛むのである。 さらに、 起床時や椅子に長く座っていた後に 歩き出す際にも痛む。
原因は加齢にもあるようだが、 マラソンなどをやっている人に起こる スポーツ障害でもあるようである。 自分のことを考えると、 昔から歩くことが好きで、 高校時代からバス通学を避けて あえて毎日 20分の道を駅まで歩くなどしており、 さらに登山も加わわったことで、 恐らく今まで歩いてきた距離は 普通の人の 5倍近いと思う (全く根拠無し)。
足への酷使が、 加齢と相俟って、 この足底筋膜炎になった (まだ断定ではないが、ほぼ間違いない) に違いない。 医者の診断により 歩くことを制限させられることが怖く、 また 痛みも我慢できる範囲内なので、 医者に行っていないのであるが、 やはり ここはしっかり診てもらい、 正しい治療を受けるべきであろう。
そして、今は 五十肩にも悩まされている。 これも医者に診せていないので素人判断だが、 症状は肩から腕にかけての痛みがあることと 後方への腕の動きが制限されることであり、 ほぼ五十肩に間違いないと思う。
今のところは つり革などを掴むことはできるものの、 後ろに手を回すことができず、 従ってズボンを履いて シャツの裾をズボンに押し込む際に苦労する (一応 前に手を伸ばしたり、 上げたりはできるので、 シャツなどを着ることはできるのだが、 シャツを脱ぐ際にも困ることがある)。
ただ、五十肩は 20代、30代はならないとのことらしいが、 以前 30代の頃に 今と同じような痛みで、 手が前に上がらないことが 2回程あった。 その時は 自然に治ったのだったが、 今は 前述の症状に加えて、 夜寝返りを打つ時に腕が痛くて目が覚めることもある。 これも医者に行くのが怖いので行っていないが、 やはり 自分の年齢を考え、 自然治癒などを当てにしていてはダメであろう。
足底筋膜炎と合わせて、 医者に診てもらい、 正しい治療を受け、 また 正しい予防法も 教えてもらうべきである。 と、頭では分かっているのだが、 余程 日常生活に支障がでない限り 医者に行く気にならない。 医者嫌いではないつもりなのだが・・・。
今年は 結構 ハードな山歩きが多かったことも 身体をガタつかせている原因かもしれない。 やはり 来年はユッタリとした 余裕を持った登山を 心懸けたいものである。


反省の雁坂嶺・破風山  2010.12 記

12月11日の土曜日、 先般の蓼科山以来 3週間ぶりに山に登ってきた。
この時点で、 山々の降雪状況はそれ程でもないようだったが、 それでも高い山に向かう道は降雪、凍結があるため、 ノーマルタイヤしか持っていない小生にとっては、 登山口までのアプローチの方がなかなか大変であり、 登りたい山にも登れないことが多い。 そのため、12月11日も行き先に少々迷い、 無難に 2,000m以下の山にしようかと思ったものの、 山の雪自体はそれほど多くないようなので、 やはり 2,000m以上の山を狙うこととし、 久々に雁坂嶺、破風山に登ることにした。
これは1月に登った甲武信岳、4月に登った鶏冠山、 それぞれから眺めた雁坂嶺、破風山の様子がなかなか見事だったことと、 甲武信岳、鶏冠尾根を登った後に 戸渡尾根を下る際、 破不山と書かれた標識がいつも気になっていたこと、 そして登山口までの車のアプローチが 全く問題ないと思われることが理由である。
車を駐めた場所は、 雁坂トンネル料金所手前の駐車場。 前回、雁坂峠、雁坂嶺、破風山、甲武信岳と縦走した時と同じである。 但し、今回は雪山でもあり、 また日も短くなっているので、 破風山までのピストンと決めて 7時2分に出発したのだった。

いつもの長い林道歩き (しかも勾配があるので結構きつい) の後、 沓切沢橋を渡った所から山に取り付く。
林道は雪に覆われたところが多かったものの、 ほぼ 2、3センチ程度しか積もっていない。 この状況は山に取り付いても同じである。 しかも、雪はサラサラ状態で全く凍っていないので、 アイゼン無しで問題なく進むことができる。
やがて道は沢筋を進むようになる。 この辺は記憶通りであるが、 途中の岩場では少々ルートが変わっていた気がする。
沢を離れて斜面を登る頃になると、 先ほどまで見えていた青空はすっかり雲に覆われてしまい、 加えて 身体のだるさも手伝って 全くテンションの上がらない登山となったのだった。
途中、 斜面から黒金山や国師ヶ岳、富士山などが見えたものの、 テンションの方は全く上がらず、 冷たい風、全くの曇天状況に ため息をつきながらの登りであった。 身体がかなり重く感じられ、 疲れもあるようで、 足がなかなか進まず、 いっそのこと雁坂峠までで戻ろうか と思った程である。
そして、かなりくたびれた状態で 9時50分に雁坂峠に到着。
雪の上の足跡を見ると、 本日先行者が 1名いるようだが、 もう雁坂嶺の方に進んでしまっているようで、 峠には誰も居ない。 風はかなり強く峠を吹き抜け、 非常に寒い。 身を隠すところがないため、 登ってきた側とは反対の斜面に少々下り、 風を避けながら立ったままで食事をする。 寒く、顎が強ばって、 なかなか握り飯が咀嚼できない。
さて、この先どうしようかと悩んでいると、 何と、強い風に雲も流れ始めたのか、 瞬く間に青空が広がりだし、 太陽も古礼山の上に顔を出して 辺りが一気に明るくなったのだった。 途端に元気が出てくるから不思議なものである。 テンションも上がり始め、 雁坂嶺、破風山方面に進もう という意欲が湧いてくる。
先行者のトレースを追って斜面を登る。 本日は 2本のストックを使用している。 雪の量はそれ程でもなく、 ツボ足状態になるのは稀。 積雪は精々 10cmといったところか。 樹林帯の中でも雪は凍っていないのがありがたい。
雁坂嶺には 10時49分に到着。
ここから先は大変気持ちの良い尾根歩きが続く。 途中見えた富士山は、 逆光気味だが素晴らしく、 先ほどまでのテンションが低い状態が嘘のように 足が進む。
東破風山には 11時53分に到着。
途中、西破風山頂上を踏んできた先行者と擦れ違う。 この方は 長い林道を自転車で進み、 沓切沢橋の所に置かれてたとのこと。 賢い。
西破風山頂上には 12時28分に到着。
この先、雪の上にはトレースがない。 さて、ここからどうするかである。 先程までのテンションなら、 即 往路を戻るところであるが、 今まで人の踏み跡ばかりを追ってきたこともあって、 先に行ってみたいという思いが強くなる。 少々迷い、結論も出ない中、 確かこの先に見晴らしの良い場所があったはずと、 先に進んでみる。
すると、 思った通り展望は一気に開け、 破風山の急斜面の下りの先には 笹平の避難小屋も見え、 そしてその後方には木賊山が大きい。 さらに後方には、 甲武信岳、三宝山も見える。
ここで暫しどうしようか考えたが、 結局、目の前の雄大な景色に誘われ、 先に進むことにしたのだった。
しかし、この斜面の下りが大変であった。 無雪期であれば、急斜面とは言えそれ程問題ない下りなのだが、 雪が斜面を覆っている状況では結構苦労する。 斜面には大きな岩がかなりあり、 その上を雪が綺麗に覆っている。 平らと思って雪の上に足を載っけると、 雪の下の岩が斜めになっている場合は、 雪ごと足を持って行かれる。 このように騙されてバランスを崩すこと数十回、 そしてそのまま尻餅をつくこと 3回。 かなり苦労しながらの下りであった。
ようやく到着した笹平の避難小屋は、 前回から建て替えられたようで、 外見しか見ていないものの 大変綺麗な小屋であった。 裏手には薪が積まれ、 小屋からは煙突も出ていたので、 暖もとれるのだろう。
笹平からは木賊山への登り斜面。 傾斜は徐々にきつくなる。
途中、上から下りてきた男女のカップルと擦れ違った。 本日はあの避難小屋に泊まるようだ。 さて、これでまたまた人の踏んだ跡を辿ることになる。 急斜面を喘ぎながら登っていくと、 やがて賽の河原。 ここからの破風山の姿は見事の一言である。 綺麗な三角形をしており、 真ん中に苦労しながら下ってきた登山道が、 白い筋となって見えている。
賽の河原からも登りは続く。 かなりへばってきたこともあって この登りは非常にきつかった。 おまけに、 こちらにも登山道上に大岩があるようで、 足を載せると雪ごと滑り落ちてしまうことが多々あった。 尤も、踏み跡があったお陰で、 かなりそういう状況は回避できたのだったが・・・。
ようやく、 14時23分に甲武信小屋への巻き道の分岐に到着。 雪の上の踏み跡は皆、 甲武信小屋への巻き道の方にあり、 木賊山へと進む踏み跡は皆無。 しかし、ここは直登して木賊山を目指す。 時間を考えると、 甲武信岳を往復している時間は無いからである。
戸渡尾根の分岐には 14時31分に到着。 このまま戸渡尾根を下れば良いのだが、 ここまで木賊山斜面を苦労して登ってきたからには 木賊山頂上をパスする訳にはいかないと思い、 木賊山頂上へと向かう。 ここからは雪の上に多く足跡が残っている。 この1月に登った時には、 ここでの積雪が一番多く感じたのだったが、 今現在の雪の量は少ない。
木賊山頂上には 14時39分に到着。 ここでまた欲が出てしまい、 ここまで来たのなら甲武信岳も見ておかねばと、 さらに先に進むことにする。 木賊山頂から下り、 樹林が切れる所まで進む。 ここから見る甲武信岳は定番であるが、 やはり相変わらず見事である。
しかし、この時、ウッカリ滑って転んでしまい、 カメラが雪だらけ。 その対応に追われ、 お陰でかなり時間を食ってしまったのだった。 慌てて引き返す。
戸渡尾根の分岐には 15時5分に戻り着く。 この時間であれば、 途中から暗くなってしまうのは必定。 暗くならないうちに どれだけ下れるかが勝負である。
今年 3回目となる尾根道を下る。 ここからは沈みゆく太陽との勝負。 徳ちゃん新道と近丸新道との分岐には 16時9分に到着。 そこから徳ちゃん新道の岩場を駆けるように下る。 暗くなる前に、 難しいところは できるだけクリアしておきたいからである。
やがて、 太陽は山の向こうに隠れてしまったものの、 まだまだ明るい。 その頃、 小生はカラマツ林の中のジグザグ道を下り終えており、 後はまっすぐな尾根道がずっと続くはずである。 周囲は薄暗くなってきたが、 道は ほぼまっすぐで しかも緩やかなので全く問題なく下っていける。
やがて、尾根途中で左に曲がることになり、 暫くジグザグに下った後、 再びまっすぐな尾根道の下りが続く。 周囲はもうかなり暗くなってきたのだが、 ザックを下ろしてヘッドランプを取り出すのが面倒だったことと、 先の方に見える雁坂みちの街灯が かなりこちらと同じ高さになってきたので、 もうそろそろ西沢山荘も近そうと思い、 そのままズルズルと下ってしまったのだった。
しかし、やはり暗闇は怖い。 間違いなく道の上に足を置いたのだったが、 ぬかるんでいたのであろう、 足が滑り、 そのまま倒れこんでしまい、 その時、足を捻ってしまったのである。
立ち上がれるか心配であったが、 何とか立つことができた。 足は痛いが、 ストックを使えば何とか下れそうである。 自分のものぐさを反省し、 ヘッドランプを装着して下る。 足はかなり痛いし、 捻ることができないので、 踏ん張りがきかない。 ピンチと思ったが、 ありがたいことに そこからすぐ先で道は平らになり、 暫く進むと西沢山荘の横に飛び出したのだった。
ちょっとの手間を惜しんだが為に 余計な怪我をしてしまったことを大いに反省。 まだ歩けたから良かったものの、 これが骨折でもしていたら大変であった。
足を引きずりながら林道を進み 西沢渓谷の入口へと戻る。 雁坂みちに合流し、 そしてお馴染みの道の駅 みとみに到着しても、 まだまだ先は長い。 時刻はまだ 18時前というのに、 店は皆閉まっており、 人の気配はない。
雁坂みちを暫く塩山の方に戻ると、 やがて雁坂嶺登山口の標識。 そこで道を左に折れて暫く進むと、 釣り堀。 ここから道は少々複雑になる (明るければ全く問題ない)。
釣り堀の横を登っていくと、 やがて立派な雁坂峠への登山道を示す標識が現れる。 そこから再び山に取り付くのだが、 ヘッドランプだけでは少々分かりにくい。
暫く登ると、林道に飛び出す。 これでもう安心である。 この道は料金所横の駐車場、 そして今朝ほど歩いた道に繋がっている。 しかし、これは一度通った経験があるから分かること。 もし、初めてで、 しかもこのような暗い中を歩くとしたら、 かなり不安であろう。
途中、雁坂トンネルを工事した際の宿舎跡を通る。 これも気味が悪い。 そこからの林道はかなり登っており、 疲れている上に、 足を引きずっている身体にはかなり応える。
やがて料金所の明かりが見えてくる。 もう少しである。
そして、 駐車場には 18時12分に戻り着いたのであった。 時刻としては、 まだどうということない時間であるが、 感覚的には 周囲が暗かったこともあって、 夜中近い感覚である。 本当にお疲れ様である。
朝方の不調から一転して 欲張った登山をしてしまったため、 暗くなってしまい、 さらに怪我までしてしまった。 歩くことができたから良かったものの、 歩けなくなったら本当に大変である。 反省しきりの山行であった。


快晴の蓼科山  2010.12 記

11月21日の日曜日に蓼科山に登ってきた。
蓼科山には既に数回登っていることもあって、 現時点では 登りたい山のリストには入れていなかったのであるが、 早朝、ビーナスラインから見たその姿が あまりにも見事だったので、 急遽登ることにしたのである。
実は この日は雪山への慣らし運転と思い、 北八ヶ岳の北横岳に登るつもりであった。 計画としては、 前回と同じように ピラタスロープウェイ山麓駅に車を駐め、 無論 歩いて山頂駅へと登り、 そこから坪庭、北横岳と進んで、 さらには大岳、双子池に至り、 双子山をピストンした後は、 大石川林道を通って 雨池峠から山頂駅経由で下山する というものである。 少々ハードな山行が続いていたことを反省し、 北八ヶ岳を逍遙する というような気持ちで組んだ計画であったが、 ピラタスロープウェイを目指してビーナスラインを進んでいると、 雲一つない空に 蓼科山が見事な姿を見せているのが目に入り、 蓼科山に登りたいという気持ちが強く湧き上がってきたのである。
冒頭にて 蓼科山には数回登っていると述べたが、 最初に登った時を除いて天候には恵まれておらず、 広い頂上を見渡し、 また頂上からの景色を楽しむことが出来ない状態が続いて、 少々不満が溜まっていたことも この急な計画変更の一因になっている。 蓼科山から展望を得られたのは、 もう 21年も前のこと。 まだ登山を始めて間もないこともあって、 展望を楽しむことはあっても、 山を同定することは十分ではなく、 恐らく今ならもっと楽しめるだろう との考えも浮かぶ。
そこで、車を運転しながら北横岳、 蓼科山周辺の地図を思い浮かべ、 どのようなコース取りをしようか考える。 結果、蓼科山に登る時にいつも使っている 女神茶屋向かいの駐車場ではなくて、 竜源橋の方に車を駐めれば、 登山ルートの選択肢がかなり広がると気がつき、 ピラタスロープウェイへの分岐をやり過ごして、 竜源橋へと向かったのであった。 ただ、竜源橋の駐車場は狭い と聞いていたので心配だったのだが、 ありがたいことに 7時を過ぎているにも拘わらず 先客は 1台しかおらず、 これはラッキーとばかりに 早速車を駐めたのだった (確かに駐車場は狭く、 せいぜい 5台駐車が限度であろうと思われる)。
まずは、 地図を見ながら暫しルートを検討する。 そして選んだルートは、 この竜源橋から まずは天祥寺原まで進み、 そこから将軍平経由にて蓼科山に登る。 そして、 再び将軍平に戻った後は 大河原峠へと進み、 大河原峠からは双子山を越えて双子池に至り、 双子池からは亀甲池へとルートをとって 再び天祥寺原へと戻り、 そこからは往路と同じ道を辿って 竜源橋へ戻るというものである。 こうすれば、 当初組んだ北横岳を中心としたプランの半分近くを カバーできることになる。
身支度を整え、 7時28分に駐車場を出発。 このルートは 21年前に 蓼科山から下山する時に使ったことがあり、 途中、平らな道がかなり続いた記憶がある。
駐車場脇から標識に従って山に取り付く。 ササをかき分けるようにして暫し登ると、 すぐに林道に飛び出した。 ただ林道歩きはほんの僅か。 少し林道を進むと、 左手に再び樹林帯に入る道が現れる。
登りはさほどきついものではなく、 先日の前掛山登山から使用し始めたストックを片手に、 快調に登っていける。 ただ、この辺はまだ日が当たらないため少々寒く、 特に手が冷たい。 一応冬用の手袋を持参してはいたものの、 日中は気温が高いと聞いていたので、 軍手の方を使用しているためである。
道の方は記憶通り 途中からほぼ平らな道が続き、 左に見える蓼科山の周囲を回る感じで進む。
樹林越しにチラチラとしか見えなかった蓼科山が よく見えるようになってくると、 やがて天祥寺原。 ここで標識に従い大河原峠へと続く道と分かれ、 左のササ原に入っていく。 時刻は8時40分。
ササ原を少し進むと樹林帯に入る。 やがて道は沢を登り詰める感じになる。 足下には雪が時折現れるが、 雪化粧といった程度で 積もっているという感覚ではない。
また、ありがたいことに、 この登りの頃には太陽は背後の北横岳を越え、 背中を照らしてくれるようになり暖かい。
小生の苦手とするほぼ一直線の登りが続き、 加えて足下にゴロゴロした石があって 少々歩きにくいものの、 きつくてバテるという程ではない。 徐々に傾斜が緩み始めると、 やがて将軍平に到着。 時刻は 9時38分。 ここから見上げる蓼科山は 丸いドーム状に見える。
体調も良いので、 休まずにそのまま登る。 ここも一直線の登り。 大きな岩がゴロゴロした斜面である。 そこに雪がうっすらと積もっているのだが、 ありがたいことに 雪はサラサラ状態。 全く凍っていない。
暫くして樹林帯を抜けると、 展望が一気に広がる。 振り返れば、先日登った前掛山 (蓼科山の隣の前掛山ではない)、 浅間山がすぐそこに見える。 前掛山から見た蓼科山は それほど大きくはなかったのだが、 こちらから見る浅間山は存在感十分に大きい。
そして西方には 北アルプスの山並みが広がっている。 素晴らしい展望であるが、 よく考えたら 先日の前掛山とほとんど同じ光景である。 そういう意味では新鮮味に欠けるのだが、 それは贅沢と言うもの、 気分良く足が進む。
蓼科山頂ヒュッテには 10時5分に到着。 そこから頂上はすぐそこである。 頂上には 10時9分に到着。 快晴のもと、 広い運動場のような火口原を隅々まで見渡すことができる。
頂上の三角点を踏んだ後は、 火口原の中央付近にある蓼科神社奥宮の祠に向かう。 前回、前々回はガスの中、 鳥居、祠とも 全くのモノトーンの世界であったが、 本日は青空をバックに祠が浮き上がっている。
さらに、北に進んで 火口原の北端にある方向表示盤の方に行ってみる。 ここでは、北アルプス、御岳等々、 360度の展望から得られる山の名を、 表示盤を使って確認することができる。 しかし、風が強く冷たいので、 吹きさらしとなる頂上での長居は辛い。 そのまま往路を戻る。 蓼科山頂ヒュッテもベンチに先客が居たのでパスし、 そのまま下る。 登りよりも下りの方が怖い感じである。 足下の雪が凍っていなくて本当に良かった。
将軍平で握り飯を頬張りながら、 今朝ほど出発前に立てた計画を再確認し、 大河原峠へと向かう。 途中、赤谷の分岐が現れ、 そちらの方に前掛山 (浅間山の第二外輪山と同名) 頂上があると地図に出ていたので、 道を左にとって樹林帯の中を進んでみるが、 途中で道が分からなくなり、 引き返さざるをえなかった。 これで10分ほどロス。
大河原峠には 12時2分に到着。 ここでも休まず、 すぐに双子山へと取り付く。
ここも気持ちの良い斜面で、 草付きの見晴らしの良い斜面と 樹林帯が交互に現れる。 ストックがここでも大活躍してくれた。 今後、登山にストックは欠かせなくなりそうである (まだ 1本だけで、 ダブルストックとはいかないが・・・)。
双子山頂上には 12時20分に到着。 頂上にはテントが張ってあり、 小さいお子さんとお父さんが食事中であった。 この双子山への登り斜面の途中に 子供用の長靴が片方落ちていたのだが、 下に持って行くべきか、 上に持って行くべきか迷い、 結局 そのままにしておいたのだったが、 正解は上に持って行くべきであった。 何でもお子さんを背負って登った時に、 片方が脱げたらしい。 大河原峠に誰もいなかったことを考えると、 上に持って行くべきであった。 一寸悔しい。
双子山の頂上は南北に長く、 裸尾根が続いており、 気持ち良く歩くことができる。 蓼科山、北横岳、浅間山、奥秩父の山々がよく見える。 その後、樹林帯をドンドン下れば双子池。
その名の通り、 雄池と雌池の 2つの池があり、 もうすでに凍っている。 今は誰もおらず、 暑いくらいの日差しを浴びながら 静かな湖畔の風景を楽しんだのだったが、 シーズン最盛期には ここはかなりの賑わいを見せることであろう。
キャンプ場もある雌池の周囲を半周して 再び樹林帯に入っていく。 眼鏡に偏光グラス着けていたからかもしれないが、 薄暗く やや気味が悪い樹林の中の登りが続く。 足下の道は雪に覆われているものの、 ここでも凍ってはいないので歩きやすい。 本来、周囲は苔むした状況なのかもしれない。
大きな岩の所に登り着くと、 道は下りに変わる。 下り着いたところが、亀甲池。 亀甲の名は、 池の底に亀甲模様が見えところからきているようだが、 今の時点では完全に池は凍っており、 池の底など見ることはできない。
池からは再び登り。 きついなと思ったら、 すぐに平らな道が続くようになり、 樹林帯を抜けると 気持ちの良い山間のササ原を行くことになった。 先の方には 山と山の間に蓼科山が見える。 ここから見る蓼科山は、 やや鈍角ではあるが、 まさに諏訪富士の名を持つ如く、 富士山と同じ形をしている。
天祥寺原には 13時45分に到着。 左に道を取り、 蓼科山将軍平への道を右に分ければ、 後は今朝ほど進んできた道。 ほぼ平らなので、 疲れてはいるものの足は結構進む。
そして竜源橋には 14時45分に戻り着いたのであった。 この日は 急な予定変更であったものの、 北八ヶ岳の一部も楽しむことができ、 楽しい登山となって大満足である。 雪は想像以上に少なかったので、 雪山の慣らし運転とはいかなかったが、 先日の前掛山と言い、 この日の蓼科山と言い、 こういう楽しむ登山の回数は 今後増やしていきたいものである。


素晴らしき前掛山  2010.11 記

11月6日、久々に山に登ってきた。
10月11日に南駒ヶ岳を登った後、 体調を崩してしまい、 加えて台風などもあって 天候も芳しくない週末が続いたため、 ズルズルと 1ヶ月近い間が空いてしまった次第である。 そして、実は11月6日も、 体調、特に肩を中心に疲れがとれない状態であったため、 家で休養するつもりだったのだが、 どうもこの 1ヶ月の状況を振り返ってみると、 家でゴロゴロしている方が 翌日以降の体調に悪影響が出るような感じがしたため、 思い切って出かけることにしたのである。
行き先としては、 直ぐさま大清水から燧ヶ岳に登るプランが浮かんだものの (11月8日にて戸台から大清水までの道が冬季閉鎖となることから、 その前に大清水から登ることを考えた)、 どうも燧ヶ岳は雪がかなり積もっている所があるようなので、 小生自身が冬に対する心構えがまだできていないことを踏まえ、 このプランは却下することにしたのだった。 そして次の候補を考え、 最終的に決めたのが、 浅間山の第二外輪山、前掛山である。 理由は、体調を考慮してあまりハードな登山ルートは避けたいこと、 とは言えそれなりに高さがある山が良いこと、 一方で雪が積もっていない山であること、 そして、まだ登っていない山・コースであることなど を総合的に勘案して選んだ結果である。 無論、その地域が晴天ということが 必須条件であることは言うまでもない。
登るコースは、浅間山荘 (といっても、 連合赤軍による占拠事件のあった 河合楽器保養所のあさま山荘ではない) から火山館、湯の平を経由して前掛山に至り、 その後再び湯の平 (火口原)、 Jバンドへと進んで、 仙人岳、蛇骨岳、黒斑山を経由して戻ってくる というものである。
前掛山を除けば、 ほとんど登った山ばかりであるが、 広い火口原は以前からどうしても歩いてみたい と思っていたため、 少々紅葉の盛りは過ぎているものの 出かけることにしたのである。
なお、前掛山は、 現在浅間山が登山禁止であることから、 百名山登頂を目指す人たちにとっての 浅間山の代替地になっている (事実、前掛山の頂上には 浅間山と書かれた標識があり、 その横に括弧書きで前掛山とあった)。 かつては、第一外輪山にある黒斑山が浅間山の代替地であったが、 このところ浅間山の火山活動も落ち着き、 警告レベルが 1となっていることから、 浅間山にさらに近い前掛山までの登山が 許されているということである。 そういう状況であるから、 いつまたその頂上が踏めない状況になるやもしれず、 この時期に登っておきたいところでもある。

ということで、 4時に横浜の自宅を出発。
横浜ICから東名高速道に乗り、 東京ICを目指す。 久々に中央高速道を通らずに済んだのでホッとしたが、 これは中央高速道が嫌いなのではなく、 そこに至るまでの国道16号線が嫌いなのである。 ただ、関越自動車道に乗るためには、 東京ICから環八を通る必要があり、 こちらも大変混むので 好きな道路ではないのだが・・・。
そして案の定、 早朝というのに環八で渋滞発生、 イライラさせられた。 しかし、練馬ICからは順調で、 藤岡JCTを経て小諸ICまで快調に車を飛ばす。 小諸ICで下りたら左折して 県道79号線を北に進む。 すぐにでT字路 (小諸IC北) となるので、 ここを右に曲がり、 暫くは浅間サンラインを東へと進む。 2つ目 (だったと思う) のトンネルを抜けたところで右折。 さらにすぐに右折して、 チェリーパークラインに入り、 先ほどのトンネルの上を通って山の方へと進む。
この行程は、 以前 黒斑山登山のために車坂峠に向かったルートでもある。 暫く進むと、 浅間山荘天狗温泉への分岐が現れるので、右折。 ここから未舗装の林道のような道が 4kmほど続く。
しかしそれにしても、 かつて浅間山に登った後、 浅間山荘に下山してからこの道を下り、 さらには車道を延々と下って、 小諸駅まで歩いたのだった (もっと近い山道もあったようだが・・・)。
今回車を運転していて、 その距離には呆れるばかり。 今ではそんな気力は全くなく、 即タクシーを呼ぶところである。
浅間山荘前の駐車場には 6時50分に到着。 上にある 2つの駐車場のうち 1つはほぼ満車であった。
トイレや、駐車料金 (500円) の支払、 また、歩き始めてから 偏光グラスを忘れたことに気づいて戻ったりと、 かなり手間取ったため、 最終的に出発したのは 7時9分であった。
大きな鳥居をくぐって林道のような道を進む。 この後の詳細は いずれアップする登山記録を参照戴きたいが、 前掛山までの登山道は変化に富んでいて大変素晴らしい。 雑木林、カラマツの林、シラビソの林、 火山館手前の硫黄臭漂うガレ場、 背丈の低いカラマツの生えた砂礫の道、 そして富士山のように草木の生えていない砂礫の斜面の登り等々。
また、周囲を見渡せば、 第一外輪山の火口壁が左側から威圧感ある姿を見せており、 右には牙山(ギッパヤマ)など鋭い岩峰、 そして茶臼のような形をした前掛山が見える。
そして樹林帯を抜ければ、 Jバンドから黒斑山へと続く壁のような第一外輪山の山並みが目に飛び込んでくる。 空は青く、大変気持ちが良い。
また、前掛山を目指して砂礫の斜面を登っていくと、 左手に真っ白となった北アルプスの山々が ドンドン現れる。 ドンドン現れるというのは、 最初に見えていた白馬岳方面に加え、 高度を上げるにつれて第一外輪山が隠していた 常念岳などの山々が次々に見え始めるからである。 空気が澄んでいて大変見通しが良い。
前掛山の頂上には 9時49分に到着。 ここからの展望も素晴らしい。 目の前の浅間山は無論のこと、 八ヶ岳、富士山、南アルプス、中央アルプス、 御岳、北アルプス、そして四阿山等々 360度の素晴らしい展望である。
ただ、山頂は風が強く寒かったため 15分ほどで下山することとし、 Jバンドへと向かう。
しかしである、 この後どういう訳か、 小1時間ほど空白の時間が生じてしまった。 当初はそんなつもりは全くなかったものの、 やはりソバにあるのを見てしまうと 我慢できなかった次第。 帰宅後、同じ日に前掛山に登った人の記録が ヤマレコに載っていたが、 こうした小生のような行為に対して かなりきついことが書いてあった。 少々自己嫌悪に陥る。
さて、空白の時間の後は順調に往路を戻り、 Jバンドへの分岐に到着。 時刻は11時28分。 ここからJバンドを目指す。
ここからの火口原 (湯の平) 横断は素晴らしい。 厳しい環境に カラマツなどの木々も生長を止められているのであろう、 周囲が広く見渡せるところが素晴らしい。 前掛山の姿を右に見つつ、 左には迫力ある第一外輪山の火口壁。 そして進む道は ほぼまっすぐで平らな道。 最高に気持ちの良い場所であった。
Jバンドへは紫色をした岩壁を登る。 遠目にはとても登れないような垂直の壁に見えるが、 しっかり道がつけられていて、 鎖場などもなく 全く問題なく登ることができる。 Jバンドという名は言い得て妙、 その名の通りJの字の形に道は曲がっている。
ここには11時54分に登り着く。 しかし、ここで失敗をしてしまった。 鋸岳と呼ばれる岩峰にも登るつもりでいたのだが、 良く調べもせずにJバンドから左に曲がって 仙人岳の方へと進んでしまったのである。 鋸岳はJバンドから右に進んだ岩峰であった。 もっとも、小生の持っている 1997年の地図 (日地出版) では、 鋸岳の記述はなく、 一方で浅間山のお鉢巡りの道まで記述されている。
Jバンドから蛇骨岳までは岩稜帯の道が続き、 ここも見晴らしが良い。 さすがにこの時間になると、 北アルプスの山々は霞み始めているが、 浅間山、前掛山の眺めは とにかく素晴らしい。
蛇骨岳からは樹林帯と崖縁の道が交互に現れるという形になる。 前回 残雪期にこの道を逆方向から進んできた時は、 もっと樹林帯の奥まで入っていくことになり、 深い雪に腰まで沈んでしまうなど 大変苦労したのであった。 雪の上に残る消えかかった足跡を辿った結果であるが、 恐らくその人も道を間違えていたのであろう (そう言えば、 その時の帰りは、 火口原側の道がかなり続き、 スンナリ戻ることができたのだった)。
黒斑岳の頂上には 13時12分に到着。 狭い頂上には大勢の人が憩っており、 写真を撮っただけで通り過ぎるしかない状況であった。
浅間山荘へと下る道は、 トーミの頭の手前にある。 ちょっと油断していると通り過ぎてしまう。 今回はトーミの頭はパスし、 そのまま草付きの斜面を下る。 Jバンドが岩場の急斜面だったのに比べ、 こちら側は土の道。 少々滑りやすい。
火山館に戻り着いたのは 14時頃。 ここで 5分ほど休憩した後、浅間山荘へと向かう。
前回浅間山に登った時、 そして その後の黒斑山の時も カモシカを見ることができたので、 今回もと期待していたのだが、 ここまでは見られず仕舞い。 今回は無理かと思いながら下っていくと、 右の斜面の上でガサゴソ音がする。 見上げると、 ちょっと距離はあるが カモシカであった。 これで心置きなく下ることができるというものである。
その後、 往路でパスした不動の滝経由の道を下る。 不動の滝を眺め、 後は落ち葉の敷き詰められた道を下れば、 一の鳥居。 そしてやがて浅間山荘であった。 時刻は14時55分。
1ヶ月ぶりの登山であったが、 道がそれほどきつくなく、 終日天候に恵まれたこともあって 楽しい山歩きになった。 空白の時間については、 先ほど述べたように、 帰宅後 少々自己嫌悪に陥った次第。
なお、この日の山行のお陰で 次の日は体調も良くなったのだったが、 月曜日から仕事を始めた途端に また肩こりがひどくなってしまった。 精神的なものに加え、 パソコンの使い過ぎで 目の方から疲れが来ているのかもしれない。


念願の南駒ヶ岳登頂  2010.10 記

10月9日からの3連休、 最初の 2日間は天候が芳しくなく、 またもや 連休の最終日に山に行く羽目になってしまった。
このように連休の最終日や日曜日に山に行くのは、 翌日から 1週間の仕事が待っていることを考えると 極力避けたいところであり、 よしんば、 山に行くにしても ハードなコースは避け、 翌日以降に疲れを残さないようにしたいものである。 ただ、天候ばかりはコントロールが利かないので、 9月の 3連休に引き続き (最終日に鶏冠尾根を登った)、 今回 連休最終日の山行も致し方ない。
さて、 それではこの 11日にどこに行こうか ということになるのだが、 行き先はすぐに決まった。 10月2日に登った空木岳の山頂から見た 南駒ヶ岳の印象が強かったため、 この山に早速トライすることにしたのである。
翌日から仕事がある場合には ハードな山行は避けたい と言っておきながら、 ハードな山行となること間違いなしの この南駒ヶ岳に登ることを選ぶのだから、 自分でも呆れてしまう。
しかし、 やはり山は登りたいと思った時が登り時 ?? であるし、 また、日に日に日が短くなっていく中、 あまり登山日を先延ばしもできないことから、 ハードであることを覚悟で行くことにしたのであった。
どれほどハードかと言えば、 まず登山基地である伊奈川ダムの場所が遠い。 何しろ、中央アルプスの向こう側 (西側)、 木曽川沿いの中山道側から入るのだから、 小生の自宅がある横浜から かなりの時間を要することになる。
そして、 登山コースもハードである。 当初、南駒ヶ岳のピストン登山も考えたものの、 折角だからと、 駐車場からまずは南駒ヶ岳を目指し、 そこから仙涯嶺を経て 越百山に至る稜線歩きを行った後、 越百山から駐車場に戻ってくるコースを選ぶことにしたのである。 このコースは、 先般の 三股から常念岳・蝶ヶ岳を登って戻ってくるコースと同様に 三角形となっているので、 それを利用しない手はない ということである。
但し、 手元の昭文社 山と高原地図 「2010年版 木曽駒ヶ岳 空木岳」 では、 このコースを辿ると合計 15.5時間にもなっており、 日帰りはありえないことになる。 尤も、この地図に記載のコースタイムは 割り引いて考えねばならないことは、 先日の空木岳登山で実証済みであり、 ネット上でも 何人もの人たちが日帰り登山の報告をしているので、 日帰りは可能なはずである。 それでも、 さらに復路の運転も加えると、 かなりハードであることは間違いない。

前日は、夜の 9時過ぎに寝て、 夜中の 1時に起床。 1時半過ぎに横浜の自宅を出発する。
空を見上げれば、 オリオン座が空に輝いている。 今日は好天が期待できそうでワクワクする。
またまた 中央高速道を使い (5回連続)、 八王子ICから伊那ICまで進む。 高速道を下りてからは、 ナビに従って右折して県道476号線に入る。 大萱で左折し、 さらに中の原で右折して 国道361号線 (権兵衛峠道路) に入って西へと進む。 全長 4kmを越す権兵衛トンネルを通って 中央アルプスの西側に抜け、 神谷入口にて中山道 (国道19号線) に入る。
中山道に入ってからは、 木曽川に沿って南下 (尤も、暗くて川など見えないが)。 やがて、木曽福島を過ぎ、 伊奈川ダムのある大桑村に入る。
ここまでは大変順調で、 ナビも当初示していた到着時間を かなり前倒ししてきており、 伊奈川ダムには 5時過ぎに到着予定となっている。
中央本線の須原駅が近づいた所で、 ナビに従って左に入る。 真っ暗な中、 道路状態が ナビに登録されている時から少々変わっているらしいこともあって、 さらに左折すべき場所が全く分からず、 そのまま旧の須原宿場内を進んでしまったのだった。 しかし、そこは良くしたもので、 すぐにナビが修正ルートを探してくれる。
その指示に従って、 少し先で道を左折。 そこまでは良かったのだが、 道はすぐに車が 1台通れるだけの 狭い道となり、 しかも右側は石積みの石垣 、 左側は崖となっていて 下に田畑が広がっている (暗かったので定かではないが) という所へと入り込んだのであった。 それでもまだ 5時前であり、 対向車も来ないと思われるので、 躊躇無く進んでいくと、 突然、目の前に通行止めの立て札が現れ、 唖然としてしまったのだった。
何と、 道は道路工事によって完全に通行止めになっており、 しかも 狭いために Uターンもできない状態なのである。 どうやら、この道に入る前に注意書きがあったのを 見落としたらしい。
暫し呆然。 兎にも角にも戻るしかなく、 深呼吸して気を取り直し、 狭い上に 上述の通り石垣と崖によって圧迫感のある道を、 30m近くバックしたのだった。
崖上に張り出した駐車場に空きスペースがあったので、 ようやく 車の向きを変えて来た道を戻る。 真っ暗で周りが見えない中、 本当に冷や汗ものであった。 体制を立て直して、 旧の宿場内に再び合流し、 須原駅の方へと戻ってみる。
すると、 ナビは最初に指示した道に入るように指示するのかと思ったら、 ナビの方も こいつには無理だと思ったのであろう、 中山道まで戻らされ、 中山道をさらに南下して 大桑中学校の方からグルッと回り込み、 最終的に伊奈川林道に入ることができたのだった。 林道に入った時には 本当にホッとしたのだったが、 20分近く時間をロスしてしまったことになる。
ようやく入ることができた伊奈川林道は、 舗装されてはいるものの、 狭く、所々に落石や穴があり 慎重に進む必要がある。 今の時間、 対向車が来ることは九分九厘無いので安心だったが、 果たして帰りはどうであろうか と少々心配しながら進む。
結局、 駐車場に着いたのは 5時20分過ぎ。 周囲はまだ暗い。
暗い中、 初めての道を歩き出すのは何となくイヤだったので、 腹ごしらえをして時間をつぶし、 少し周囲が明るくなった 5時39分に駐車場を出発したのだった。 結局、 こうしてみると 到着が遅れたのは却って良かったのかもしれない。
なお駐車場は 2つあって、 小生が車を駐めた奥の駐車場の方は、 小生の車の後 もう 1台が入ってきて ほぼ満車の状態となったのだった。 手前はまだ空きがあったようである。

さて、肝心の山であるが、 とにかく素晴らしいの一言。
最初の林道歩きが長く (特に、南駒ヶ岳へのルートは、 長い林道歩きの後、 越百山へのルートを右に分けてからも、 さらに長い林道歩きが続き、 合計 1時間近い林道歩きを強いられたのだった)、 山に取り付いてからも、 稜線に立つまでの行程が長くきつかったものの、 稜線に近づいてからは 樹林越しに御嶽、白山、乗鞍岳が見え始め、 テンションが一気に上がったのだった。
さらには、 三ノ沢岳、宝剣岳、空木岳と 中央アルプスの山々が次々に見え始め、 そして 目的の南駒ヶ岳とそこから南に仙涯嶺、 越百山と続く素晴らしい稜線も見えて、 少々重いと感じていた身体も、 一気に元気を取り戻したのだった。
上空には雲一つ無い青空が広がり、 暑くもなければ寒くもなく 快適なコンディション。 そして、 緑のハイマツ、白い花崗岩、 さらには少々終盤にさしかかってはいるが、 紅葉の灌木の組み合わさった山肌も素晴らしく、 秋の山を大いに楽しみながらの登山であった。
このコースだと、 先日登った空木岳は 今回反対側から眺めることになる。 池山尾根から見た空木岳は、 女性的な優美さを感じさせてくれたが、 こちら側からのそれは 完全に男性的な岩の世界。 全く正反対の二面性を持った山である。
また、この日は北アルプスも見ることができ、 笠ヶ岳、焼岳、槍・穂高連峰などを確認できたのだった。 御岳や乗鞍岳も、 先日の空木岳の時とは違って、 雲一つ無い姿を見せている。 当然、もっと近くにある南アルプス方面は、 空木岳の時と同様、大変良く見え、 雲が多くかかっていたのは八ヶ岳だけであった (しかし、赤岳には雲がかかっていなかった)。
南駒ヶ岳から仙涯嶺、越百山へと続く稜線も素晴らしく、 そこを歩けると思うと、 心が浮き立つ思いであった。 南駒ヶ岳頂上に到着したのは 10時48分、 頂上には誰もいない (あとから1名やって来た)。
15分ほど休んで、 11時過ぎに仙涯嶺に向かったのだが、 50分程進んで振り返ると、 御嶽には雲がかかっており、 また前回と同じように 空木平の方からガスがわき始めてきたのであった。
従って、 仙涯嶺を過ぎるとガスに囲まれ始め、 かなり視界が狭まる状態に陥ったのである。 やはり午後はガスが煩い。
越百山に着いたのは 13時少し前。 この時もガスに囲まれ、 僅かに越百小屋方面が見えるだけ。 それでも下山し始めて少し経つと 青空が再び広がり、 越百山の姿を眺めることができたので 十分に満足である。
最後にまた長い林道歩きがあり (緩い下り勾配だったので楽だった)、 駐車場に戻り着いたのは 15時55分であった。
結局、10時間15分程でこのコースを周遊したことになる。 手応え、見応えのある 素晴らしい山行であった。
なお、山自体は素晴らしかったのだが、 帰りは岡谷JCTまで長い渋滞があり、 さらには小仏トンネルから大月JCTまでの 30kmの渋滞などもあって、 家に着いたのは 9時30分を回ってしまったのだった (渋滞を避けるべく、いつものように、 大月JCTから都留ICへと回り、 道志村経由で帰宅)。
とにかく疲れた。 翌日からは仕事、 やはりもう 1日休みが欲しいところであった。


20年ぶりの空木岳  2010.10 記

9月の末からぐずつき気味な天候が続く中、 10月2日は久々に良い天気になるとのことだったので、 早速山に行くことにした。
近頃は予め登る山の候補をリストアップしているので、 山選びに迷うことはなく、 直ぐさま 中央アルプスの空木岳に決めたのだった。
理由は単純で、 このところ南アルプス、北アルプスの山々を堪能したので、 今度は中央アルプスに行こう と思っただけなのであるが、 何故 2回目の登山となる空木岳なのか ということについては、 それなりの思いがあってのことである。
空木岳には 20年前に登っており、 その時は桂小場から聖職の碑、 馬の背を経由して木曽駒ヶ岳に登り、 宝剣岳手前の宝剣山荘に一泊。 翌日は宝剣岳、檜尾岳、熊沢岳、東川岳と縦走して 木曽殿越から空木岳に至り、 そこから池山尾根を下って 麓の駒ヶ池まで歩いたのだった。
台風一過の晴天の中、 素晴らしい稜線歩きを大いに楽しんだのであるが、 空木岳については少々心残りがあるのである。
それは 空木岳からの下山時、 尾根コースを通らずに空木平のカールの中の道をとってしまい、 駒石など遙か下方から見上げるだけとなり、 山の特徴を知る上で 尾根道をはずしてしまったのは失敗だった とずっと思っていた ということである。
一方で、 下山時、小地獄、大地獄は 特に危険とは感じなかったものの、 とにかく池山尾根が長く苦しかった印象が強く、 池山尾根を使って空木岳を日帰り登山するのは無理と考え、 空木岳にもう一度登るには 木曽駒ヶ岳からの縦走を試みない限り難しい とずっと思っていたのだった。
しかし、近頃 ネットなどを見ていると、 林道を使って池山尾根も かなりの高さまで車で行くことができ、 日帰りも容易になっていることを知って、 是非とも池山尾根から登りたい と考えていたのであった。

ということで、朝の2時半過ぎに横浜の自宅を出発。
またまた国道16号線を通って 中央高速道八王子ICに向かい、 高速道に乗る。 順調に車を飛ばし、 駒ヶ根ICで高速道を下りてからは ナビの指示に従って右折し、 県道75号線を西に進む。 ナビには駒ヶ根高原スキー場を目的地として入れており、 車は駒ヶ岳ロープウェイ方面へと進む道を途中で左折し、 山の中に入っていく。 小生の前後にいた車は、 皆 直進。 早朝であることを考えると、 ロープウェイに乗るべく 菅ノ台バスセンターに向かう登山者の車なのであろう。
スキー場を過ぎると 後はほぼ一本道。 途中で 2箇所ほど分岐があるものの、 明確な方向指示板が出ているので迷うことはない。 林道は古城公園を過ぎた辺りから 砂利道へと変わり、 そこからの距離が意外にある。 あまりにも山奥に入っていくので、 徐々に不安を感じるようになってきたのだったが、 所々で林道を横切る登山道と標識が確認でき、 また先行の車に追いついたので 一安心であった (登山以外の目的でワゴン車が こんな山道を進む訳がない)。
そして、5時40分に駐車場に到着。 既にかなりの数の車が駐車しており、 明確に空いているスペースは無い状態。 何とか東屋の横にスペースを見つけて駐車する。
なお、林道はさらに先へと続いており、 本来であれば その終点に立派な駐車スペースがあるらしいのだが、 現在林道修復工事中とやらで、 今はここで通行止めとなっている。
トイレを済ませ、 身支度をして 5時48分に出発。
登山道は林道を 500mほど戻った所にある。 そこからはほぼ一直線の急登が始まる。 まだ完全に目覚めていない身体には 少々きつい。
やがて 先ほどの林道の続きに合流し、 右に進んで少し登っていくと、 すぐに林道の終点であった。 ここが本来の駐車場である。 登山届用のポスト、トイレ、東屋もあり、 見晴らしも良さそうな場所である。
登山届用ポストのソバにあった標示板には、 標高 1,365mと書いてある。 こんなに高い所まで車で来られるのなら、 最早 空木岳は遠い山ではなく、 お手軽な山になってしまう。
ここからの登山道はほぼ平坦な道が続く。 道の傍らにはハイキングコースの表示も見え、 登山とハイキングを明確に分けることが本当にできるとしたら、 この道はまさにハイキング向きの道である。 所々急登はあっても、 総じて緩やかな登りが続く。
やがて、水場への分岐。 標識には旧池山小屋とある。 どうやら以前とは道が変わったらしい。 前回下ってきた際、 小屋前にあった水量豊富に流れる水が 本当に美味しかったのは今でも覚えている。 当然、水場には寄らずそのまま進む。
サルオガセなども見られる樹林の中を登っていくと、 やがて十字路に到着。 そこにも水場があり、 竹で作られた吐水口から 下に置かれた飼い葉桶のような水受けに 細いながらも水が流れ落ちている。
ここで道は 3つに分かれ、 一番左が遊歩道、真ん中が登山道、 そして右が (新)池山小屋への道となる。 当然登山道を選び、 山間(ヤマアイ)のために まだ日が当たらず暗い樹林帯へと入っていく。 さすがに登山道と言うだけあって、 今までとは違い かなりの急登が所々に現れる。
下山時、 遊歩道の方を通ったのだが、 そちらの方は傾斜が緩くなるように 大きな振幅をもったジグザグ道になっており、 また白樺、ダケカンバとササの中の道で 気分良く歩くことができ、 まさに遊歩道そのものであった。
登山道はやがてその遊歩道と合流。 ここからは完全に登山の世界であり、 この後に大地獄、小地獄など 鎖や梯子のある厳しい道が待ち受けている。 しかし、一方で結構平らな道が続くことも多く、 総じて楽な登山道と言えよう。
時折、右手樹林越しに 宝剣岳を中心とした尾根が見え、 紅葉に染まりつつある斜面が美しい。 空は青空であるが、 千畳敷カールの方からガスが上がりつつあり、 自然と足が速まる。
やがて樹林帯を抜け、 周囲が色づき始めた灌木帯に変わると、 コースが 2つに分かれるようになる。 右が尾根通しのコース、 左が空木平を行くコースであり、 当然尾根通しのコースを選ぶ。
灌木の中に切り開かれた道を進む。 暫くは左右の灌木が壁となって 視界が利かないが、 小さなピークに登り着くと、 突然視界が一気に開ける。 目の前には、 駒石をそのトップに抱いた高み、 そしてその後方には 空木岳が青い空をバックにその姿を見せている。
山腹に点在する白い花崗岩群、 足下も白い砂地、 そしてハイマツの緑、紅葉した灌木群、 この景色を見ずして 前回下山したのはやはり失敗であり、 本日その素晴らしい姿を 晴天の元で見ることができたことに感謝である。 胸の支えがようやく下りた上に、 さらにおつりが来たという感じである。
駒石、そして空木岳への登りを前に、 見晴らしの良い場所で暫し休憩。 南アルプスもシルエット状ではあるが大変良く見え、 甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、北岳、間ノ岳、 農鳥岳、 塩見岳、荒川三山、赤石岳、聖岳 等 オールスターが勢揃いである。 富士山は大半が塩見岳に隠れてしまっているが、 それでもその輪郭は確認できる。 10分ほど休んで頂上を目指す。
駒石を過ぎ、駒峰ヒュッテを抜けて、 頂上到着は 10時32分。 既にこの時には 宝剣岳からこちらへと続く尾根は ガスに囲まれており、 また反対側に見えるはずの御嶽も 雲に囲まれている状態であった。 良く見えるのは、南アルプスの山々、 足下に広がる空木岳の斜面。 そしてそれとは反対側の赤椰岳、南駒ヶ岳、 南木曽岳 等々である。
しかし、それも長くは続かず、 徐々にこちらにもガスが上がり始め、 一時は何も見えない状態にまでなってしまったのだった。 それでも時折、 ガスの間に塩見岳や富士山が見え、 反対側の南駒ヶ岳もガスの中に浮かび上がる。 あまりに南駒ヶ岳の姿が素晴らしいので、 往復しようか という気になりかけたが、 地図では往復に 4時間20分かかることになっており、 これでは下山後半に日が沈んでしまい、 真っ暗になってしまう可能性が高いため、 諦めることにした (そう言えば、前回も南駒ヶ岳往復に食指が動いたのだった)。
1時間程頂上にいた後下山。 下山も尾根道を下る。
順調に下り、小地獄、大地獄も難なく通過。 マセナギを通過後は、 往路に使った登山道を避け、 遊歩道を下ってみる。
ここは先に述べたように 気持ちの良い道が続く。 登山道とは先の水場で合流。
その後も順調に下って、 駐車場には 14時36分に戻り着いたのだった。
体力的にはやや物足りなさが残るものの、 素晴らしい空木岳の姿を目にすることができ、 また待望の尾根歩きも堪能でき、 大いに満足したのであった。
この山は木曽駒ヶ岳からの縦走も良いが、 池山尾根から登り、 その姿を眺めながら斜面を登るのが ベストと思う (無論、尾根コースを取るべし)。 尾根は素晴らしく、 そこから見る空木岳の姿は美しい。
次は南駒ヶ岳を何とかしたいところである。


本当の鶏冠山頂上を目指して  2010.9 記

9月18日からの3連休、 当然山に行かない手はないのだが、 一番天候が良いとされていた 18日土曜日は腰の調子が芳しくなく、 加えて疲労感がかなりあったのでパス。
19日の日曜日は ちょっとした手違いで、 山に行く機会を逃してしまい、 結局20日の月曜日に山に行くことにしたというか、 行く羽目になってしまった。
この日、残念ながら天候の方は どこの地域も芳しくなく、 曇りの地域が多い。 晴れの日を厳選 ? して山に登っている小生としては、 こういう状態の時はどこへ行こうか 悩むところである。
暫し考え、 こういう時は、 登ったことのない山に行くことは避け、 ガスなどが湧いてきて展望が得られなくても あまり残念に思わない山、 つまり頂上からの展望を良く知っている山に行くに限る と結論づけ、 候補を探したのであった。 そして、丹沢山系とか、奥秩父の山とか、 色々候補が浮かんだ中、 最終的に選んだのは奥秩父の鶏冠山 (トサカヤマ) である。
この山は 今年のゴールデンウィークに登ったばかりであるが、 鶏冠山には 少々スッキリさせたいことがあるのである。 登山記録に書いたように、 小生が頂上として踏んできた場所は、 例の 『山梨百名山』 の標柱が立っているところである。 しかし、 この標柱のあるところの高さは、 2,020m。 国土地理院の 2万5千分の1の地形図では、 鶏冠山の高さは 2,115mとなっており、 標柱のある場所よりも さらに北、 直線距離にして 500m程進んだところにあるのである。
このことは下山してから知った訳で、 その時は、皆が頂上としている所を踏んだのだから、 本当の頂上を踏まなかったことは さして気にすることはないと思っていたのであった。 しかし、一方で、 昔 古文で習った徒然草第52段の 「石清水八幡宮に詣でた仁和寺の法師」 を思い出してしまい、 何となく後味の悪さを覚えたのも事実であった。 徒然草ではこの段で、 「少しのことにも、先達はあらまほしき事なり」 と結んでいるが、 確かに先達はネット上に沢山おられたのであり、 その事実を事前に確認できなかったのは 小生のミスである。
そして、 気にすまいと思っていたのに、 徐々に悔しさが増してきて、 本当の頂上を踏みたい という気持ちが強くなってきたのであった。 加えて、鶏冠山からさらに上に進み、 木賊山まで至るルートにも挑戦してみたい と以前から思っており、 先般はまだ残雪が多いと思われたので諦めたものの、 いつかは登りたいと思っていたのだった。 とはいえ、他に登りたい山が沢山ある中、 わざわざ登ったばかりの鶏冠山に出かけるのも もったいない気がして、 敢えて再チャレンジは試みなかったのだが、 今回はこういう状況であるから、 2つの課題をクリアする絶好のチャンスと言える訳である。

と言うことで、 日の出時間、そして曇りの予報を考慮し、 4時前に横浜の自宅を出発する。
国道16号線を経て、 八王子ICから中央高速道に乗り、勝沼ICで下りる。 西沢渓谷手前にある 道の駅 みとみ に着いたのは 5時50分。 案の定、 日の出の時間は過ぎているのに上空に太陽は見えず、 駐車場から見上げる鶏冠尾根にも ガスがかかっている。 想定内のこととは言え、 やはり志気が上がらない。
林道を進み、 甲武信岳への登山道である近丸新道、 徳ちゃん新道の入口を右にやり過ごし、 西沢山荘のところから西沢渓谷へと向かう。 例の吊り橋から鶏冠山を眺めると、 稜線を覆っていたガスも 引き始めているようである。
前回、サンダルに履き替えて渡渉した東沢は 今回水量が少なく、 登山靴のまま飛び石づたいに渡ることができた。 後は、記憶通りのルートが続く。
しかし、 尾根にぶつかるまで登り詰め。 そして第一岩峰を巻いてからも 樹林の中の急登が続くこのルートは結構応える。 今回、天候により あまり志気が上がっていないことも一因かもしれない。
第二岩峰に登り、 第三岩峰を見やれば、 ガスで半分以上隠れている。 従って、 展望の方もほとんどなく、 前回見えた黒金山、富士山、 そして国師岳やそこから延びる尾根も全く見えない。 かろうじて、 下方に西沢渓谷が見えたものの、 それもすぐにガスに飲み込まれてしまったのだった。 これも一応想定内である。
前回の経験が生きたのか、 ロープがフィックスされた岩峰も難なくクリアし、 前回の時に一番苦労した岩場の登りも、 周囲の岩への取り付き方を工夫して あっさりクリアする。 第三峰へは当然迂回路を使用。
9時23分に 『山梨百名山』 のある場所に到達したのであった。
見晴らしの良いはずのこの場所からも、 展望は全くと言って良いほど無し。 15分ほど休憩した後、 本日の目的の一つである 本当の頂上を目指す。
なお、第一岩峰直下を登っている時、 雨がポツリポツリと降ってきて慌てさせられたが、 今はありがたいことに 止んでくれている。
ここからはテープ頼りで進む。 足下の方は結構踏まれているのだが、 腰から上はシャクナゲが伸びていて煩い。 場所によっては、 シャクナゲをかき分けながら登ったり、 腰をかがめたままで登ることもあったりする。
そして、念願 ? の鶏冠山頂上に到着。 縦走路から少し外れて岩に登ったところが頂上であるが、 標識も何もない。 これは分かっていたことではあるものの、 少々どころか大いに拍子抜け。 この場所は周囲より少し飛び出しているので、 本来ならば展望が得られるはずだが、 全く視界はなし。 それではと、すぐに先に進む。
ここからも、 テープがキチンと付けられているので、 思ったよりも快調に進む。
不動岳や錫ヶ岳のように ササが煩くて少々迷うような所はなく、 シャクナゲが煩いものの、 ササのように道全体を隠していないので全く問題ない。 大したことないな と思いながら進んでいくと、 やはり思い上がりや油断は大敵、 その後 道迷いをしてしまい、 40分ほど時間をロスしてしまったのだった。 状況は以下の通りである。

2つならんだピークを巻いてから下りに入り、 明瞭な道をまっすぐ下る。 やがて大きな岩の横を一旦下り登り返す。 この辺から少々踏み跡が怪しくなったが、 登り返した所に 細い木に巻かれた黄色いテープが見つかった。
今までの赤テープが 急に黄色に変わったので 不審に思ったものの、 一安心である。 さらに踏み跡が薄くなるが、 それでも先に進んでみると、 赤が黄色に変色したテープが見つかる。 かなり踏み跡が薄くなったなと思いつつも、 テープ横から 1mほどの崖を下りる。
下りてみると、踏み跡は薄いが、 道らしいものが見える。 しかし、テープ類が一切見つからない。 それでも、 もう少し先へ行ってみよう と進んでみたものの、 その先テープ類は一切無く、 徐々に踏み跡は薄くなり、 ついにはシャクナゲに囲まれて 道らしきものは全くなくなり、 立ち往生に至ったのであった。
どこかで道を間違えたかなと思い、 来た道を戻ろうとしたが、 何と シャクナゲがまばらに生えた斜面上を 辿ってきたルートが分からない。 その為、かなりの時間 周辺をウロウロする。
普通ならパニックに陥っても良さそうだが、 時刻はまだ 10時台。 その時間的余裕が 精神的余裕を生み出し、 慌てることなく冷静に対応でき、 何とか辿ってきたルートを見つけ出せたのであった。
崖をよじ登り、 何とか黄色テープの所まで戻る。 再度慎重に進んでみるが、 変色テープ以降は 先ほど進んだルートしか行くべき所が見つからない。
仕方がないので、 もう一度黄テープの所まで戻り、 少し怪しいが 先程とは別の道らしき所を下りてみる。 しかし、 それも最終的には変色テープの下部に出てしまい、 NG。
さすがにこれはダメと思い、 思い切って 赤テープがキチンと付けられていた ピークの基部まで登り返すことにした。 すると、何ということであろう。 この辺はシャクナゲの斜面だったのだが、 道の途中で右 (上から下ってくれば左) に大きく曲がる道があり、 そこにシャクナゲに付けられた 赤テープが点々と続いているではないか。
地形を説明すると、 ピークの下部は 牛の蹄のように先が 2つに分かれた斜面になっており、 道は当初 右側の斜面を下っていくのだが、 途中で左に大きく曲がり、 左側の斜面へと移るようになっているのである。 斜面と斜面の間には谷があり、 完全に 2つの斜面は隔たっていて、 下るにつれてその隔たりがかなり大きくなり、 完全に別になるのである。
小生はその肝心な分岐ポイントを見逃してしまい、 そのまま右斜面を 大きな岩の所まで下ってしまったという訳である。 さらに、間違えて下った先に黄テープ、 変色テープがあったものだから始末が悪い。 恐らく、右の斜面を下っても、 木賊山に繋がる道がかつてはあったのかもしれないが、 今は完全に廃道ということなのであろう。 40分のロスは痛いし、 とにかく疲れた。

正規の道に戻ってからは順調に進む。 ただ距離がやたらと長い。 時折、展望の良さそうな場所に出るが、 ガスは相変わらずで、 全く現在地が分からない。
2,177m峰、2,190m峰等あるらしいのだが、 標識があるわけでもなく、 とにかく、 テープをひたすら追い続けるしかない。
道は斜面を横切ることが多く、 急登はあまり無い。 それでも最後は急登となる。 そして、 ようやく傾斜が緩くなってきたと思ったら、 ヒョイと木賊山の三角点の所に 飛び出したのであった。 時刻は12時45分。
道迷いのため、 『山梨百名山』 の標識があるところから、 3時間と少しかかってしまった。 この日は結構涼しかったのだが、 もう汗ビッショリである。
その後、甲武信岳を往復し、 帰りは久々にトロッコの軌道跡を見たくなり 近丸新道を下る。
駐車場に戻りついたのは 16時45分。 結局 またまた 10時間を超える山行になってしまったのだった。
しかし、 一応、2つの課題はクリアしたし、 こういう少々冒険的な山登りも たまには刺激があって良いものである (半分負け惜しみ)。


20年ぶりの常念岳  2010.9 記

先般の唐松岳、五竜岳に味を占めて、 9月4日の土曜日、 またまた北アルプスに登ってきた。
今回登ったのは常念岳と蝶ヶ岳。 コースとしては 安曇野市側の三股から 前常念を経て常念岳へと至る 20年前に登った道を進み、 常念岳からは南に進んで蝶ヶ岳へと縦走し、 蝶ヶ岳から三股に戻ってくるというものである。
地図を見ると分かるが、 この三股、常念岳、蝶ヶ岳のコースは 綺麗な三角形になっており、 車を使用してのアプローチの場合に陥りがちな ピストン登山という状況が避けられる 理想的なコース設定になっている。 従って、前から狙っていたコースであるが、 これまで北アルプスはかなり遠い というイメージがあって、 なかなか踏み切れずにいたのである。
しかし、先般 黒菱から唐松岳、五竜岳を登ってみて、 北アルプスにおける日帰り登山に自信を持ち、 黒菱よりも横浜から近い三股ならば さらに楽であろうと考えて出かけたのであった。
しかしそうは言っても、 横浜から三股までの距離はかなりあり、 早朝に三股に着くためには 夜中の 2時に横浜の自宅を出発せざるを得ない。 睡眠時間は 3時間弱。 さすがにきつい。
この状況は 先般の唐松岳・五竜岳とほぼ同じであるものの、 あの時は夏休みの最中であって 休養十分であったのに比べ、 今回は仕事を 1週間した後ということで、 身体の疲れが全く違う。
だるさを感じながら、 中央高速道、長野自動車道と進み、 豊科ICで高速を下りる。
ここからはナビ任せであるが、 ナビには 三股への山道に入る手前にある ほりでーゆ〜四季の郷を目指すように入力してある。 豊科ICを下りると道は県道57号線に入り、 豊科駅方面に向かう。 豊科駅入口で右折して 国道147号線に入り、 すぐに新田交差点を左折して 県道495号線を進む。 そのまま暫く道なりに進み、 岩原北の T字路にて右折。 すぐに左折してのまま道なりに進めば、 四季の郷であった。
四季の郷を左に見てさらに進むと、 道は 2つに分かれたが、 しっかり常念岳登山口である三股を示す標識があり、 迷うことなく右の道に入る。 舗装された山道を進む。 時間的にみて 下山者の車が下りてくる心配はないものの、 登山者を送り届けたタクシーが 下りてくる可能性があるので、 慎重に進む。 そして 三股には 5時4分に到着。
70台駐車できるという 立派な駐車場はほぼ満車に近い状態。 これにはさすがに驚かされた。 やはり利便性の高い登山基地は 人気があるということなのだろう。 空きスペースを何とか見つけて車を駐める。
身支度をして林道を進むと、 登山届・水場・トイレのある登山口に到着。 20年前は夜行列車で 早朝に豊科駅に着き、 タクシーでこの三股までやって来たのだったが、 確か この登山口近くまでタクシーが入った気がする (今は駐車場のところで通行止めになっている)。
登山口から少し進み鉄製の橋を渡ると、 道は 2つに分かれる。 右はこれから進む常念岳へのコース。 左は蝶ヶ岳へのコースで、 本日 グルッと回って この蝶ヶ岳コースを下ってくることになる。
右の道を進むといきなり急登が待っていた。 やはり身体が疲れているのであろう、 唐松岳への登りと比べて 明らかに調子が落ちているのが分かる。 それでもそれなりにペースを掴み、 高度を上げていく。 やがて朝日が当たり始め、 周囲がオレンジ色に輝きだす。 天気予報は YAHOOと Mapionでは少々異なる見解をだしていたのだが、 6時以降は晴れることでは 一致していたので安心である。
事実、駐車場まではやや曇り気味だった空も、 今は快晴で 上空には青空が広がっている。
さすがに 20年前に登ったこのコースのことは 詳細に覚えてはいなかったが、 所々で記憶に結びつく場所があったのには 驚かされた。 前回はほとんどガスの中。 初めての北アルプスがこれでは とやや意気消沈しながら登ったのだったが、 今回は樹林越しに蝶槍、蝶ヶ岳も見えていて、 気分が良い。
ダルさを感じながらもそれなりに高度を上げていく。 やがて森林限界を抜け、 前常念に向かっての岩場の登りとなる。 この登りはほとんど記憶にない。 前回はガスの中であったし、 また初めての夜行列車使用で身体が慣れず、 登るのに必死だったからであろう。 今回は快晴。 やがて見えだした穂高連峰に歓声を上げる。 登る途中にこんな素晴らしい光景があったとは驚きであった。
前常念手前の避難小屋は記憶通り。 前常念からさらに先の高みに進むと、 今度は正面に槍ヶ岳も見えてきた。 前回も前常念に至ると、 周囲を覆っていたガスは嘘のように消え、 そこからは展望の良い登りとなったのは覚えているが、 槍ヶ岳、穂高連峰の姿は 頂上からのそれしか記憶にない。
しかし何度も言うようだが、 登りは結構きつかった。 唐松岳・五竜岳の時のように リズムカルに進まないのである。 やはり休養不十分の所為であろう。
常念岳頂上には 9時27分に到着。 三股の駐車場から 4時間17分かかったことになる (途中、前常念にて10分程休憩)。 ここからの展望は素晴らしい。 前回は初めての北アルプスであり、 気持ちも高ぶっていたはずなのに、 今回の方が感激の度合が深い気がする。 前回も同じ条件で景色を見ているはずなのだが、 知っている山の数が大きく違うことが 気持ちに差をつけているようだ。
9時58分に常念岳を出発し 蝶ヶ岳へと向かう。 一旦大きく下り、 途中いくつかのピークを越えて 蝶槍へと至るパターンは、 つい最近登ったばかりの 八ヶ岳赤岳からキレット経由で 権現岳へ至る行程と似ている。 しかし、ずっと槍穂高連峰を見続けていられるこのルートは 素晴らしい。
そして 2,592mピークへの途中で振り返ると見えた 常念岳の姿も素晴らしく、 また、そのピークから眺める蝶槍、 蝶ヶ岳も素晴らしい。 やはり山は快晴でなければ面白くない。

とまあ大いに満足した今回の山行であったが、 好事魔多し。
帰宅後 ぎっくり腰でダウンしてしまったのである。 原因は、 このところの山行が 小生の年齢を考えるとハードなものが続いており、 知らぬ間に疲れが溜まっていたこと、 ならびに 深夜の出発、睡眠不足、長時間の運転が伏線。 そしてハッキリ身に覚えがあるのは、 蝶槍への登りの途中、 数段の鉄梯子を登っている時、 ちょっとバランスを崩した際に グキッと腰に痛みを覚えたことである。 その時は違和感を感じはしたものの、 あまり気にする程ではなかったのだが、 帰宅後 腰が痛くなって寝込んでしまった次第である。
ということで、 このところのオーバーペース、 長い時間の登山を反省し、 もっとゆったりした山行を心がけねばならない と思っている。 今回の常念岳、蝶ヶ岳と同様に 綺麗な三角形のコースが描ける 白馬三山も日帰りで踏破できないか などと考えていたのだが、 山中1泊にすべきであろう。
『 ビスターリ 』 という 「のんびり」 といった意味のネパール語もある。 これからはビスターリを心がけよう。
と言いつつも、 せっかちな性格がそれを許してくれるかどうか・・・。

ところで、 三股登山口までの烏川林道は 9月13日から 11月30日まで林道改良工事に入り、 この期間中、 日曜日を除く 8時から 17時まで 通行止めになるとのこと (この時間内でも 通行可能な時間が 3回 = 30分から 1時間 ある)。
要注意である。 詳しくは 安曇野市のホームページをご覧下さい。


久々の北アルプス & 『 背番号 0 』のこと  2010.9 記

会社の夏休みは 8月14日から22日までの9日間。 16日には 白峰南嶺黒河内岳(笹山)へのピストン登山を行ったものの、 これだけではまだ量的に物足りないし、 山自体も 天候が今一だったこともあって 十分に満足したとは言えない状況であった。
ということで、 もう 1回位夏休み中に山に行きたい と考えて天気予報をチェックしていたところ、 夏休み終盤の 21日土曜日、 白馬村近辺の天候がかなり良いことが分かり、 急遽 山に出かけることにした。
登ったのは 後立山連峰の唐松岳、五竜岳である。 登山のスタートは八方尾根の 黒菱。 ここから歩き始め、 八方山から唐松山荘に至り、 山荘から唐松岳を往復。 その後、五竜岳を目指し、 五竜山荘から五竜岳を往復した後、 白岳から遠見尾根を下り、 アルプス平へ。 アルプス平からは 懐かしきテレキャビンにて下山。 風呂に浸かって汗を流した後は、 神城駅から白馬駅に列車で向かい、 白馬駅からタクシーにて黒菱へ戻る という少々(金額的に)贅沢をした縦走であった。

横浜の自宅を車で出発したのが 午前1時30分。 睡眠時間は3時間弱。 ちょっと厳しい。
眠い目をこすりつつ 八王子ICから中央高速道に乗り、 岡谷JCTから長野自動車道へ。 ナビに従って、 豊科ICで高速を下りた後は、 県道310号線から重柳を経て 安曇橋南へ。 安曇橋南から県道306号線に入り、 高瀬川沿いに進む。
その後、国道147号線を経て、 大町街道に入る。 大町街道とは青具で分かれて、 県道33号線にて白馬村に向かう。 白馬村の別荘地から山に入り、 牧場の中を通って 黒菱の駐車場に着いたのは 5時16分であった。
中央高速道、長野自動車道を通っている時、 空は曇り気味、 心配が募る。 さらに大町街道を通っている時は 完全にガスの中、 目論見が狂ったと 意気消沈しながら進んだのであったが、 八方尾根入口を通過する頃には、 周囲は明るくなり、 しかも青空が広がり始め、 その後 目に入ってきた朝日に染まりつつある 白馬鑓ヶ岳の姿に歓声を上げたのであった。
黒菱までの山道では、 周囲の山の間からチラチラ見える 白馬鑓ヶ岳、白馬岳に興奮を抑えきれず、 黒菱に着くや否や、 登山支度も後にして 雄大な景色を写真に納めたのであった。
さて、肝心の山であるが、 黒菱を出発したのが 5時32分。 快晴のもと、八方尾根を登り、 先ほどの白馬三山を右に、 五竜岳、鹿島槍ヶ岳の姿を左に、 正面に迫力ある不帰ノ嶮を見て 唐松岳まで 最高の景色を堪能しながらの楽しい登りであった。
唐松山荘前では久々の剱岳、立山の姿に感激し、 美しい稜線を見せる唐松岳の姿に心惹かれ、 唐松岳山頂では 目の前の五竜岳の迫力ある姿を眺め、 そしてその右に 小さいながらも槍ヶ岳の姿を認めて嬉しくなり、 頂上で所謂 至福の時を過ごしたのであった。
ただ、残念なのはこの頃(9時頃)になると、 五竜岳にガスが掛かり始めたこと。 前回、五竜岳に登った時も、 頂上からの展望は全くなかったので、 今回もダメかもしれないと思いながら、 五竜岳へと向かったのであった。
鎖場を通過し、 いくつかのピークを越えていく。 行程は長いのだが、 寝不足が逆に気持ちをハイにさせるのか、 久々の北アルプスで興奮しているのか、 足取りは軽く、良いリズムで進む。
五竜山荘に着いたのは 10時45分。 ここで暫し休憩して五竜岳往復に備える。 五竜岳頂上はガスに覆われたり、 晴れたりの繰り返しだが、 やはり時間が遅くなるにつれて、 晴れの度合は低くなり、 今回も頂上からの景色は望めそうもない状況のようであった。 振り返れば、先ほどまで頂上にいた唐松岳もガスの中。 致し方ない。
頂上には 11時41分に到着。 やはり視界は得られなかったものの、 時折 五竜山荘や鹿島槍ヶ岳へと続く 縦走路が見えたりして、 前回よりは良いコンディションであった。
下山ルートについては、 辿ってきた道を戻ることも考えたのだが、 鎖場の通過で人が多かったら渋滞するであろうし、 何よりも唐松山荘に向かう尾根道が かなりの急勾配に見えたのでやや怯み、 遠見尾根を進んで テレキャビンを目指すことにした。 この道は 16年ぶりとなる。
まず白岳に登り、その後急斜面を下る。 下る途中、かなりの人が登ってくるので驚いたが、 行程中、 急斜面はこの白岳への登りに集中しており、 後は比較的楽な行程が続く。 成る程、皆 この道を登ってくるのも納得である。
西遠見、大遠見、中遠見と進み、 小遠見は巻き道を通ってパス。 観光客が大勢いるアルプス平駅前には 15時21分に到着。
以前のゴンドラはもっと小さかった記憶があるが、 今回乗ったゴンドラは 8人乗りの大型に変わっていた。 8人乗りを独占状態にて下る。
テレキャビンを下りてからは 風呂に浸かって汗を流し、 神城駅までの無料シャトルバスにて神城駅へ。 駅で 40分ほど待って 17時2分発の下り電車にて 白馬駅へ。 そして上述のように、 白馬駅から黒菱まではタクシーを利用。 タクシー料金は3900円であった。
タクシーの運転手さん曰く、 朝 綺麗に稜線が見えたのは本当に久々とのこと。 この日を選んで大正解であった。 五竜岳頂上では 今回も展望を得られなかったものの、 そこに至るまでに周囲の山々の景観を 大いに楽しんだので大満足である。
それにしても 南アルプスに比べて、 この北アルプスの山々が麓から近いことに驚かされる。 名だたる山々が 甲斐駒ヶ岳なみに麓から近いのである。 自宅からここに至るまでの距離は少々長いものの、 もっと北アルプスにチャレンジしても良いかな と心から思った山行であった。 もっとも、 天候に絶対的自信がないと来られないが・・・。


話はガラッと変わるが、 マンガショップから 8月に寺田ヒロオ氏の 『背番号0(学年誌版)』(上中下3巻) が発刊され、 つい購入してしまった。 価格も 1冊 1800円を超えているので 漫画としてはかなり高額であり、 妻にも呆れられたが、 この『背番号0』 には懐かしさ以上のモノがあるのである。
学年誌版の他に 野球少年版(全5巻)もあるらしいのだが、 この学年誌版というところが何よりも良い。
今を去ること 50年近く前、 新潟に住む いとこのところに遊びに行くたびに、 小学館発行の学年誌 小学○年生(四年生から六年生まで掲載) に掲載されていた この漫画に夢中になっていたからである。
そして、50年の時間を経て読んでみて、 期待に違わぬ内容に大満足したのであった。
その要素はいくつかあるが、 とにかくヒューマンなストーリーが泣かせるのである。 ゼロ君を始めとするZチームの面々、 そしてゼロ君の家族、 チームの応援団長であるノンキ先生等々 登場するキャラクターが 皆心豊かな人たちであること。 そして当時(昭和30年代)の人たちが 決して裕福ではないけれど 心にゆとりがあることに驚かされるのである。
無論、 登場人物は聖人君子ではない。 しかし、正しいことを行わなかった時に持つ 後ろめたい気持ちが、 やはり正しいことをしよう という方向に向かわせる、 そんな少年達のストーリーなのである。 現在の我が身に照らして、反省することしきり。
そして、 50年近くの時を経て読み返すことになったにも拘わらず、 かなりストーリーを覚えていたことに 自分自身大変驚かされたのであった。 良いモノは、漫画であれ小説であれ、 映画やテレビであれ、 心に残るということなのであろう。
当時、この漫画が好きだった人は 是非とも購入して欲しいと思う次第である。 無論、もっと若い人たちが読んでも、 違和感はなかろう。 ちばあきお氏の 『キャプテン』 や 『プレイボール』 にも大いに影響を与えたのではないかとも思われ、 このちば氏の作品や、 ビッグコミックオリジナルに連載されている 『三丁目の夕日』 が好きな人は、 この漫画も好きになること間違いなしである。
そうそう、この学年誌版の最後は、 小学六年生からボーイズライフへと掲載誌が変わったのだった。
小生もボーイズライフを読んでいた 1人であるが、 それは 『背番号0』 が終了(1964年)した もっとずっと後、 さいとうたかを氏の 『007シリーズ』 の後半の頃である。
ボーイズライフの名前も飛び出して、 当時を懐かしく思ったのだったが、 近頃、購入するCDも 1960年代、 70年代の音楽ばかり。 このように昔を懐かしむ行為が始まっているということは、 年をとってきた証拠なのかもしれない。


黒河内岳(笹山)直登  2010.8 記

小生の勤めている会社はへそ曲がりなのか、 お盆の時期から少々ずれた 8月14日から22日までの一週間が夏休みとなっている。
従って、交通渋滞が避けられ、 山に行くのには大変ありがたい設定なのだが、 あいにく この期間中の天気予報は 晴れマークが続く状態になく、 従って、山中に 1、2泊することが 少々躊躇われる状況である。
仕方なく 単発 日帰り登山を組むことにしたのだが、 さてどこへ行こうかと考えた時、 真っ先に頭に浮かんだ山が 南アルプス 白峰南嶺 (北岳から南に延びる白峰山脈のうち、 広河内岳以南を指す。 先日登った笊ヶ岳、 そしてお馴染みの山伏も含まれる) の黒河内岳(笹山)である。 この山は、 山梨百名山にも選ばれているのだが、 小生としては全く登ることを意識していなかった山である。 しかし、先日の白根三山縦走において、 農鳥小屋で一緒になったご夫婦の方 (というより、ご主人の方) に、 しきりに白峰南嶺の縦走を勧められ、 地図を見ている内に意識しだしたという次第である。
かといって、 この黒河内岳がある白峰南嶺第三区 (広河内岳−伝付峠間を言う。 第二区は 伝付峠−所ノ沢越であり、 第一区は 所ノ沢越−山伏。) を縦走するには、 山中テント泊が必須である。 一方で、小生のテントもかなり古くなってきており、 加えて年のせいか、 重い荷物を担ぐのが億劫に感じられて、 どうも山中テント泊には二の足を踏んでしまう。
そんな中、 ネットを調べていたら、 奈良田から黒河内岳への直登ルートがあることが分かったのである。 無論、白峰南嶺の縦走を勧めてくれた先のご主人は、 黒河内岳だけ登るために縦走を勧めてくれたのではないのであり、 また 広河内岳から見た白峰南嶺の山々は 大変魅力的だったのも確かであるが、 小生の頭の中には もはや黒河内岳の存在が大きくなってきていて、 直登ルートと聞いて飛びついたという訳である。
問題は、 登山口となる奈良田へのメイン道路である 県道南アルプス公園線が、 途中の蓬莱橋と新青崖トンネルの間で崩落があって 通行止めになっており、 スムーズに奈良田に入れないことである。 富士川町平林と奈良田を結ぶ 丸山林道の通行が許可されているのだが、 この林道の通行時間は朝6時から夜の7時半 (土日は 朝7時〜夕方5時半) と決められており、 しかもかなり狭いと聞いているので、 どうしようかと迷っていたのであった。
念のため、 再度 山梨県の道路規制情報を調べたところ、 何と 8月13日から 県道南アルプス公園線が 片側通行で通れるようになったというではないか。 全く素晴らしいタイミングである。

ということで、 16日の月曜日、 朝 3時半前に横浜の家を出発したのだった。
昨年の白根三山、 今年の笊ヶ岳と、 通り慣れた早川町への道を進む。 途中、 小之島トンネル(だったと思う) 手前で 車を止めさせられる。 奈良田への通行時間は 6時から (夜 7時半まで通行可)なので、 その時間が来るまで待機という次第である。 既にトンネル前には 5〜6台の車が通行可となる時間を待っている。
5時50分に通行可となり、 待機していた車が列をなして進む。 崩壊場所には、 H型鋼 ? で作った仮設トンネルが設置されており、 車1台がギリギリ通れる幅の中を進むようになっている。 当然、 大型車は通れず、 また片側通行、時間規制ということで 未だ状況は厳しいが、 この県道南アルプス公園線が開通したので、 ようやく 奈良田も活気を取り戻すことであろう。
6時に奈良田湖に到着。 吊り橋のソバにある駐車スペースに車を駐める。 既に2台の車が駐まっており、 1台の車では 登山の身支度をした方が まさに出発しようとしていた。
小生も身支度を調え、吊り橋を渡る。 最低、車の数だけ登山者がいるとすると、 2人以上が先行していることになる。 また、小生が吊り橋を渡っている時、 もう1台 車がやってきた。 結局の所、 黒河内岳に登ったのは 小生を含めたこの 4人だけだったようである。 一応 お盆休みの終盤とは言え、 昭文社の 『山と高原地図』 にも書かれていないルートを登ろう という人はあまりいないようだ。
奈良田バス停脇の駐車場も 7割程度の充足率であった。
道は、吊り橋を渡って発電施設の周辺を進むことになる。 奈良田発電所の施設が現れるので、 右折すると、 やがて道が終わりとなり、 笹山 と書かれた小さな道標が付けられた登山口に到着。 暫くは、 鉄パイプの手すりが付けられた巡視道をジグザグに登る。
やがて、導水施設に着くので、 そこから本当の登山道に変わる。 暫く登ると、 平坦地となり、 小さな祠が現れる。 山の神であろう。
祠の傍らには、ご神木であろうか、 ヒノキ(OR スギ)と マツ(もしかしたらトウヒやコメツガかもしれない) の大木が抱き合っており、 仲睦まじく見えたのだが、 よく見ると、 ヒノキの枝がマツの木を突き刺し、 反対側に飛び出している。 げに恐ろしき愛の執念 !!
さてここからが大変であった。 先日の笊ヶ岳登山と同じように、 距離が長く、傾斜もきついのである。
ただ、 笊ヶ岳 (というよりは布引山への登り) と違うのは、 笊ヶ岳がひたすら登り詰めだったのに対し、 こちらは途中に ほぼ平らな道がかなりあったことである。 段階を踏んで 次のステージに登る という感じであるが、 逆に考えれば、 平らな距離が長い分、 傾斜の方がきつくなる ということかもしれない。
もう一つ助かったのは、 途中に展望の良い場所があったこと。 実際はガスであまり展望を得られなかったのだが、 兎に角 視界のない中を登り詰めであった笊ヶ岳に比べれば、 途中に何回も平らな道が現れ、 また時折 展望が開けるなどして、 メリハリをつけてくれたのは良かったと思う。
道は かなり明瞭。 テープや紐、ペンキ印がしっかり付けられており、 視界さえ得られれば (ガスなどに巻かれなければ)、 迷うことはない。
しかし、この日はかなり暑かったらしい。 らしいというのは変であるが、 谷から吹き上がる風に 涼しさを感じていたにも拘わらず、 汗の量が半端ではなかったからである。 500mlのペットボトルを 5本持って行ったのだが、 頂上までに 3本半を使用。 流れる汗でTシャツはビショビショ状態。 袖口や裾は汗が絞れるまでに濡れ、 汗はやがてズボンにも伝わり、 本当に水を被ったような状態となったのであった。
苦しい登りを続けて 11時16分に黒河内岳頂上(南峰)に到着。 周囲を樹木に囲まれた円形の場所 (足下は岩屑)の真ん中に 『山梨百名山』 の標柱が立っていた。 三角点は、 この場所から少し伝付峠方面に進んだところにある。
展望がない頂上に 2分程で見切りをつけ、 展望がよいとされる北峰へと進む。 北峰は頂上から 10分弱の場所にある。 こちらは岩稜地帯で 周囲から飛び出しており、 晴れていれば 360度の展望を得られるところであろう。
残念ながら この日はやや曇り気味。 目の前の蝙蝠岳や塩見岳も 薄い膜がかかったような状態であったし、 先日登った北岳方面はガスの中。 それでも ガスの中に農鳥岳、西農鳥岳の姿を見ることができたので 大変嬉しかった。
北峰で 30分近く休憩。 霞み気味とは言え、 蝙蝠岳、塩見岳の他、 荒川三山、笊ヶ岳の姿を堪能し、 下山。 南峰に戻ると、 奈良田方面から1人登ってきた。 今朝ほど 小生が身支度中に吊り橋を渡っていった人である。 どこで逆転したのであろう。
下山中に 2人とすれ違う。 1人は 山の神のさらに先で追い抜いた人。 もう1人は 小生が吊り橋を渡っている時に 駐車場にやってきた車の人であろう。
先に述べたように、 結局、この日は3人としか会わず、 駐車場に戻ると小生の車の他、 3台が駐まっていたので、 直登ルートを登った人は 小生も含め 4人ということになる。
と言うことから、 白峰南嶺を縦走している者を除けば (いたのかどうかも分からないが)、 黒河内岳 本日一番乗りということであった。 先の農鳥岳、広河内岳に続いて 一番乗りが続いているのがちょっと嬉しい。
しかし、 こういう山は 早朝に登れば、 もっと素晴らしい景色を得られるのであろう。 直登したことで 日帰りにて頂上を踏むことはできたが、 やはり本来は 白峰南嶺縦走の中で登るべき山であった。


リベンジを果たした白根三山  2010.8 記

先日の笊ヶ岳頂上から見た光景に触発され、 何としても南アルプスの山々に登りたい と思っていたのだが、 ついにこの 8月の5、6日、 休みを取って登ってくることができた。
登ってきたのは白根三山。 昨年、雨に祟られ、 農鳥小屋以降は全く展望を得られなかった山行の リベンジという訳である。 笊ヶ岳からは、 南アルプス南部の山々 (聖岳、赤石岳、荒川三山 など) が良く見えたので、 それらの山々を狙うことも考えたのだが、 このリベンジ登山を終わらせてしまわないと どうもスッキリしないことから、 交通の便がかなり悪くなっている状況ではあるものの、 白根三山縦走に再チャレンジしたものである。
交通事情がかなり悪くなっている というのは、 昨年 奈良田まで行くのに使った 県道南アルプス公園線が、 途中の蓬莱橋と新青崖トンネルの間で崩落があって 現在通行止めになっており、 奈良田に入れないからである。 この8月上旬の時点では、 代わりの道路として 富士川町平林と奈良田を結ぶ 丸山林道の通行が許可されているようだが、 この林道の通行時間は 朝6時から夜の7時半 (土日は 朝7時〜夕方5時半) と決められているため、 あまり山行使用には適さない状況である (しかも、かなり狭いらしい)。 そういう不便さはあるが、 やはり白根三山を登ってしまいたいということで (さらに 逆に混まないかもしれないという思惑もあって)、 結局 芦安まで車で行き、 芦安から広河原までバス (あるいは乗り合いタクシー) を使い、 広河原から登って奈良田に下山。 奈良田からはバスで広河原に戻り、 そこからさらに芦安までバス or 乗り合いタクシーにて戻る という計画で臨んだのだった。

そして、8月5日、 平日とは言え、 芦安の駐車場の混み具合が懸念されたことから、 夜中の2時に横浜の自宅を出発。 空には星が瞬き、 本日は快晴の予感。
国道16号線をイヤイヤ通り (案の定 遅い車にイライラさせられた)、 八王子ICから中央高速道に入る。 ナビに従って甲府昭和ICで高速道を下り、 国道20号線を韮崎方面に少し進んだ後、 竜王立体の所で左折して 県道20号線に入り、 芦安を目指す。 快調に進み、 芦安に到着したのが4時25分。 お陰で第二駐車場に駐めることができたのだった。 それでも第二駐車場はほぼ満車状態。 第三駐車場も九割方埋まっていた。
乗り合いタクシーにて5時前に芦安を出発。 夜叉神峠にて、 ゲートが開かれる5時半まで待たされた後、 広河原には6時に到着したのだった。
身支度をして出発。 ゲート横を過ぎる。 左手には北岳の姿。 快晴の空にバットレス、 雪渓がハッキリ見え、 今回リベンジは成し遂げられそうである。
と思ったが、 油断は禁物。 実際は、 本日よりは明日の農鳥岳がメインなのである。
さて、この後は登山記録に掲載するが、 かいつまんで言うと、 1日目はこの後にガスが上がってきて、 北岳頂上から見えた山は仙丈ヶ岳、 塩見岳、富士山のみ。 その塩見岳もあっという間にガスで見えなくなり、 甲斐駒ヶ岳はほんの一部が見えただけであった。 肝心の間ノ岳方面も、 途中の中白根山までは見えているものの、 間ノ岳頂上付近は雲の中、 そして農鳥岳方面は全く見えない状況であった。 そういう状態であったから、 その後 農鳥小屋に向かったものの、 北岳自体の姿を見ることはできず、 さらに間ノ岳においては ガスで展望が全くない状況であった。
昨年の二の舞かと ガックリしながら農鳥小屋に到着。 しかし、農鳥小屋で夕食の後、 小屋の主人のアドバイスで 19時頃まで外で待っていると、 周囲のガスは消えて無くなり、 夕焼けに赤く染まる富士山を始めとして、 鳳凰三山、間ノ岳、 そして目の前の西農鳥岳、農鳥岳を 見ることができたのであった。 これでかなり良い気分になる。
そして、翌日は嬉しいことに快晴。 4時18分に小屋を出発し、 暗い中、頭に懐中電灯を着けて斜面を登る。 大きく登山道が左に曲がるピーク上でご来光を眺め、 西農鳥岳と思しき山頂で周囲の景色に見とれる。 そして農鳥岳には5時28分に到着。 快晴のもと、 360度の景色を堪能し、 ついに昨年のリベンジを果たしたのであった。
さらに、 ついでに広河内岳に立ち寄り、 そこから見える塩見岳、荒川三山、赤石岳の姿を堪能した後、 下山開始。 相変わらず きつい下りにブツブツ文句を言いながら、 奈良田には10時49分に到着したのであった。
奈良田発 広河原行きのバスは 13時25分。 かなり余裕があるので、 温泉で汗を流し、 風呂上がりにビールを戴く (芦安に着くのは15時半頃になると思われ、 間に 4時間以上あるので 飲んでしまった次第。 最高に美味かった)。 そして、 13時25分のバスで広河原へ。 そこからは乗り継ぎよく、 乗り合いタクシーにて芦安に向かい、 ほとんどストレス無く戻ってこれたのだった。

ところで、 先に述べたように奈良田へのメイン道路が通行止めのため、 奈良田バス停横の駐車場は 数台しか車が駐まっておらず、 河原の駐車場は駐車ゼロ。 町に活気はなく、 眠ったようであった。 奈良田、そして大門沢小屋など 今回の通行止めによる経済的な損失は かなり大きいことであろう。

それにしても、 素晴らしい2日間であった。 昨年、一応 農鳥岳の頂上は踏んでいるものの、 この快晴のもとの素晴らしい景色を見ずして、 登頂した と満足していてはいけないと 心から思ったのだった。 やはり 山は快晴の日に登るに限る。 雨もまた良しなどというのは、 負け惜しみに過ぎないか、 何度もその山に登っていて、 その山を熟知している人が言う言葉であろう。
ところで、 今の南アルプスは、 10時を過ぎるとガスが上がってきてしまい、 15時を過ぎるとにわか雨が降るのが 日課のようになっているようである。 そうなると 下から無理をして時間を掛けて頂上に登ってくる という登山ではなく、 前日までにある程度の高さの所まで入り (例えば 北岳肩ノ小屋 等)、 早朝に出発して 10時頃まで景色を堪能する というのが一番良いことになる。 山行のやり方を見直す必要があるかもしれない。 次は そのやり方で 赤石岳あたりに 再チャレンジしたいものである。


達成感十分 笊ヶ岳  2010.7 記

このところ、 登山口を出発してから戻ってくるまでに 10時間を超えるような山行が続いている。
さすがにこの年になると、 最後の方はバテバテであり、 できたらもう少し楽な山行にしたい と思っているのだが、 登りたい山は皆 楽をさせてくれるような状況になく、 かような山には 体力のあったもっと若い頃に挑戦しておくべきだった と反省している次第である。
先の八ヶ岳キレット (美し森 たかね荘−真教寺尾根−赤岳−キレット−権現岳 −天女山−八ヶ岳横断自然歩道−美し森 たかね荘) を縦走した後も クタクタに疲れてしまったので、 このようなロングコースを選ぶことは もう止めようと心から思ったのも事実。 しかし、 八ヶ岳キレット縦走から 1週間しか経っていないこの 3連休、 梅雨明けしたこともあって、 日帰りで またまたロングコースに挑戦してしまったのであった。
本当は、次の日を休養に充てられる 18日の日曜日に登りたかったのだが、 生憎 その日は妻が車を使用するとのことで 車が空いておらず、 やむなく 19日の月曜日に山に向かった次第。 次の日は当然勤めがあり、 体力的に厳しいコースを登ることに 少々躊躇いがあったが、 是非とも挑戦したい と強く思っていた山だけに、 梅雨明け後の安定した天候が約束された このチャンスを逃す訳にはいかず、 決行したのであった。
前置きが長くなったが、 登ってきた山は南アルプスの笊ヶ岳。 雨畑からのピストン登山である。

朝というか、夜中の 2時に起床、 睡眠時間は 3時間ほど。
2時半過ぎに横浜の自宅を出て、 雨畑に向かう。 カーナビは当然ながら 中央高速道を使うルートを第一候補に上げたが、 いつも言うように、 八王子ICまでの国道16号線を走るのが あまり好きではないことから、 自宅近くの横浜ICからすぐに乗れる 東名高速道を使ったルートを選ぶ。
富士ICから西富士道路に入り、 小泉ICへ向かう。 小泉ICからは国道139号線に入り、 朝霧高原を抜けて やがて本栖湖の入口である本栖へ。 本栖からは お馴染みの本栖みち (国道300号線) を進み、 そのまま身延道との交差点である 上沢を抜けて雨畑へと進む。
家を出た時には上空に星が瞬いており、 また、途中でその横を通った富士山は 黒々とした姿が ハッキリとしていたので (しかも五合目から上に明かりが点在しているのが見えた)、 本日の晴天を確信したのだった。 ところがである、 朝霧高原を通過中は濃霧。 そして本栖みちにて下部温泉に向かう山道では、 南アルプス方面は完全に雲の中。 裏切られた思いで ガッカリしながら雨畑へと向かったのだった。 しかし、 雨畑が近づくに連れ、 上空の雲は徐々に無くなり始め、 青い空が広がるようになったのである。 本当に天候にはヤキモキさせられた。
雨畑の先、老平の駐車場に車を駐め、 5時13分に出発。 6台程しか駐められない駐車場が満車だったらどうしようか と心配しつつ駐車場に着いたところ、 ラッキーなことに 1台分のスペースが空いていたのだった。 尤も、 駐車場には釣り人に入漁券を販売する人がおり、 周囲のスペースにも車が駐まっていたので、 駐車場が満杯でも 件の人が差配してくれたのかもしれない。
そして、 笊ヶ岳の頂上に到着したのが 12時6分。 およそ 7時間のアルバイトであった。 下山してきた時間は17時34分。 合計で 12時間21分。 またまた疲労困憊の山行であった。
登山道は大変良く踏まれており、 迷うところはまず無い。 もっと分かりにくい道なのかと思っていたのだが、 先般の南アルプス深南部の山々や錫ヶ岳に比べ、 格段の整備状況であるのには驚いた。 しかし、 この山の問題点は 3つある。 とにかく行程が長いこと。 そして、布引大崩れの縁に立つまで 全くと言って良いほど展望がないこと (1ヶ所だけ 途中で富士山が見える所があるが)。 そして、 ひたすら登り続けねばならないということである。 これではいくら登山道がしっかり整備されていても、 ポピュラーになろうはずがない。 まあ、それがこの山の価値を高め、 また登り甲斐を作り出しているのだが・・・。
そんな山ではあるが、 さすが 3連休。 山中ですれ違った人は、 6人 (だったと思う。 苦しい登りだったせいか、 言葉を交わした人以外は あまり記憶が定かではない)。 そして、 笊ヶ岳山頂に後からやってきた人が 1名。 下山時にすれ違った人が 2名であった。
先の6名は、 殆どの人が前日 山頂近辺でテン泊。 その他、 椹島ロッジから笊ヶ岳に登り、 雨畑に下ってきた人が 1名、 朝 3時に雨畑を出発して 山頂を往復してきた人が 1名であった。 笊ヶ岳の山頂に後からやって来た人は、 日曜日に田代から伝付峠に登りテン泊、 この月曜日は伝付峠から尾根を縦走し、 この笊ヶ岳に到着したとのこと。 本日もこの周辺でテン泊の予定だそうである。 辿ったコースは 殆どが樹林の中だったとか。 通好みの、 地味でしかも長いコースを選んでいることに感心。

さて、笊ヶ岳の大変さだけを述べたが、 天気は快晴、 山頂からの眺めは最高であった。 正面の上河内岳、聖岳を始めとして、 赤石岳、荒川三山、塩見岳等々 南アルプス南部の主役達を、 雲一つ無い中 見ることが出来たのだった。
ただ、北側、東側はガスが上がってきてしまい、 白根三山、鳳凰三山の他、 目の前の小笊もガスに隠れ気味。 特に東側は 富士山を始めとして 全く山を見ることができなかったのだった。 尤も、富士山は 布引大崩れに到達した時点で見えたので、 不満はない。 とても達成感のある、 そして素晴らしい展望を堪能した 1日であった。
が、 一方で 南アルプス南部の山々を見て、 そこに自分が立っていないことに 少々寂しさを覚えたのも事実である。 富士山を見ても、 また登りたいとは思わないが、 南アルプスの山々は 大変魅力的で登高意欲をかき立てられる。 こんな快晴のもと、 自分がその晴れ舞台に立っておらず、 客席から見ているような気になって、 笊ヶ岳には悪いが、 ここは本意の場所ではない という思いを抱いてしまったのである。
でも、笊ヶ岳は遙か遠い山、 ましてや日帰りなど叶わない と思っていただけに、 登り切ったという達成感は 格段のものがあることも事実である。
次こそは少々楽が出来る山が良いのだが・・・。


梅雨の晴れ間の登山  2010.7 記

6月12日に念願の錫ヶ岳に登ることができた と喜んでいたら、 翌週から梅雨入りとなり、 以降 山に行けない日々が続いている。
尤も、 うまく梅雨の晴れ間を捉まえれば、 山に行けないことはないのだが、 何せ このところ 完全に晴れ というお墨付きが無い限り山に行かない という臆病状態になっている。
山を始めた当初は、 少しくらいの曇りは無論のこと、 雨の確率が高くても山に行ったものだが、 それは丹沢という山域にほぼ限定した 登山をしていたからである。 丹沢から他の山域へと行動範囲を拡大し始めると、 その山域で雨になってしまった場合、 折角 遠くまで出かけてきたのに大損した気分になる訳で、 そのため 極力晴れの確率の高い日を選んでいる という次第である。
実際、 遠くまで出かけたのにも拘わらず、 雨に祟られてあまり良い思いをしてない山を思い浮かべると、 宮ノ浦岳、剣山、 黒部五郎岳、農鳥岳、 岩手山、月山、安達太良山、 平ヶ岳、聖岳、光岳、仙丈ヶ岳 (思いつくまま 順不同) など 沢山の山が思いつく。 当然、 雨で視界も利かない状況では満足できず、 もう一度チャレンジした山も多々ある。 やはり天候に恵まれ、 周囲の景色、遠くの視界が得られると、 雨などでガスって視界が利かない山に登ったままで 満足していることなどできやしない。
最近では、 再チャレンジとなった聖岳などはその良い例で、 晴天下、 聖岳があれ程いろいろな場所で見ることができるとは 驚きであった。 二度目の仙丈ヶ岳でもそうであったし、 再チャレンジの岩手山などは 快晴であったからこそ、 その山の素晴らしさを感じることができた と思っている。
平ヶ岳は 雨の登山になったことが許せず、 1ヶ月の間を置いて再チャレンジし、 頂上の地塘、 越後駒ヶ岳など近隣の山々の展望、 そして錦秋の中、 地塘をバックにした たまご石をしっかりこの目に納めたのであった。
このように、 2回目のチャレンジで快晴に恵まれれば良いが、 再チャレンジでも天候に恵まれない山も多い。 やはりすぐに頭に浮かぶのが月山。 頂上における展望を是非とも味わってみたいものである。

と、梅雨を理由に山に行かないことを つい正当化したくなるが、 さすがに 体の調子が良いにも拘わらず (左足は相変わらず痛いが)、 1ヶ月も山に行けなくなると ストレスが溜まってくる。 仕方がないので、 この 7月10日、 少しくらいの雨でも 丹沢 三峰山にでも行って 汗を流してこようかと思っていたら、 何と 天候が急回復し、 10日は晴れが期待できるという 嬉しいサプライズが生じたのであった。
となると、 三峰山には申し訳ないが プランから下りてもらうことになり、 かねてから 登りたい山・コースにリストアップしていた 八ヶ岳のキレットを歩くことにした。
山としては、 八ヶ岳の主峰 赤岳そして権現岳ということになり、 いずれも既に登ったことのある山となるが、 先般 登った編笠山や西岳から権現岳を見て 再度登りたいと思っていたところであるし、 また 赤岳と権現岳を結ぶ キレットを挟むコースが魅力的だったからである。
辿ったコースは、 美し森 たかね荘から お馴染みの真教寺尾根を登って赤岳に至り、 そこからキレット、旭岳を経て権現岳へ。 そして権現岳からは 三ツ頭、前三ツ頭を経て天女山へ。 天女山からは八ヶ岳横断自然歩道を通って たかね荘に戻って来る というものである。
結果は、 ガス混じりで 赤岳からの展望は得られなかったものの、 ツルネ付近ではコマクサに出会い、 権現岳ではまあまあの展望を得られ、 縦走中にもそれなりに展望を得ることができ、 充実した登山を味わい、 ストレスを解消したのであった。
しかし、それにしても 天女山からたかね荘までは長い。 途中、牧草地の中を突っ切ったり、 展望台からは甲斐駒ヶ岳のシルエットを眺めたり とそれなりに楽しみはあったものの、 もう 天女山に着いた時点で 下山した気になっている身にとっては、 天女山から本当に緩やかではあるものの、 徐々に登っていく道には参ったの一言であった。
八ヶ岳の色々な面を見ることができ、 総じて楽しい山行であったが、 6時17分にたかね荘を出発して、 同じくたかね荘に戻り着いたのが 17時12分。 途中 休みはあったにしても、 11時間に及ぶ山歩きは やはり疲れた。
時間的には 先日の 錫ヶ岳と同じであるものの、 先に述べたように 天女山で登山が終わった気になった後、 1時間40分 (途中 展望台で 10分休み) ほどの 緩やかな山登りが大変きつかった。 一度 緊張感がなくなったら、 どんなに簡単な登りでも、 もう 苦痛でしかない ということが身に染みた次第。
まあ、一方で、 久々の登山に身体を虐め、 溜まった悪い汗を流しきった気になり、 疲れたけれども 気分は爽快である。
しかし、次回の山は もう少し楽をしたいものである。


念願の錫ヶ岳  2010.6 記

5日の南アルプス深南部 不動岳に続いて、 この12日、 日光の錫ヶ岳に登ってきた。
この山は 昨年の秋に皇海山を登った際に 日光方面の山々を眺めたところ、 奥白根山のポコッと盛り上がった山容の左側に、 きれいな三角錐をした山容が見えたことから興味を惹かれ、 意識し始めた山である。 その際に地図で調べて、 錫ヶ岳の名を確認したのだったが、 この錫ヶ岳(スズガタケ)という名前がなかなか良い。
ネットで調べると、 山名の由来は清水の湧き出るところがあった という説の他に、 スズタケが生い茂っていることによる という説もあるとのことだが、 錫という字は「シャク」とも読め、 錫杖の略でもあるらしい。 この錫ヶ岳の隣には、 宿堂坊山もあり、 かつては修験者の歩く山だったと聞くので、 由来としては錫杖からきていると なお一層 ロマンを感じるのだが・・・。
ということで、 山の形とともに名前にも惹かれ、 年が明けたら是非登りたい山の 1つに数えていたのであった。 そして、 来週から間違いなく梅雨入りしそうな状況となった この12日、 駆け込みで登ってきたという次第である。 また、不動岳の登山記録に書いたように、 黒法師岳の後、 極力不動岳に登るのは避けたいと思い (理由は不動岳登山記録を参照)、 5日は本来 この錫ヶ岳に登ることを狙っていたのだが、 残念ながら天候がそれを許さず、 南アルプス深南部の山を 連続して登ることになったのだった。
しかし、山の雰囲気がガラッと変わる と思っていた錫ヶ岳だが、 驚いたことに 南アルプス深南部を思わせる光景が多々あり、 未だに南アルプス深南部を歩いているのでは と錯覚してしまう程であった。
と書くと、 簡単に登ってきたように思われるかもしれないが、 この山はかなり手強い山なのである。 まず、この山はそれ程ポピュラーな山ではないらしく、 昭文社の発行する 山と高原地図 「白根山・男体山」には、 錫ヶ岳は記載されているものの、 登山ルートが書かれていない。 従って、 もっぱら情報はネットからとるしかないという状態である。 ただ、ルートファインディングが必要か と思ったのだが、 実際に登ってみると、 不動岳と同じように ササが煩いところが数カ所あるものの、 テープやペンキ印、金属製の目印が しっかり付けられており、 踏み跡もある程度しっかりしているので、 天候が良ければ迷うことはないという状況である。
手強さのもう1つは、 登山口 (実際は 奥白根山の登山口) から頂上までの距離がかなり長く、 体力勝負の山だということである。 おまけに、途中に多くの山やピークを抱えており、 それほど高低差はないものの、 アップダウンが連続することである。 そして、さらにこの時期、 残雪が未だ多く、 樹林の中の残雪歩きは少々苦労する。 ただ、雪の量が多い分、 まだ雪が腐った状態には陥っておらず、 しっかりと雪の上を歩くことができたのはありがたい。 もう少し経てば、 その雪が腐り始めて足がズボッと潜ってしまい、 余計な体力を使うことになるであろうからお勧めできない。 また、梅雨の時期は 濡れたササで ズボンがびしょ濡れになってしまうことも考えられる。 そして、すっかり残雪が無くなっても、 裸尾根を歩くことが多いため、 真夏は少々苦しいかもしれない。
結局、日差しも弱まる秋が一番良い ということになろう。 紅葉も楽しみである。
そして次に良いのは、 残雪がまだ腐っていない今、 ということになると思われる。

さて、小生が取ったルートは、 湯ノ湖に車を駐め、まずは前白根山を目指し、 そこから今度は尾根道を辿って白根隠山、 白桧岳と稜線を進んだ後、 4つほどのピークを越え 錫ヶ岳に至るというもの。 帰りは、前白根山までは同じルートを戻り、 前白根山からは五色山経由で湯ノ湖に下ったのだった。
この五色山から湯ノ湖へと下るコースは、 初めて奥白根山に登った時にも 下山に使ったコースで、 当時、やや薄暗くなってきた中、 まっすぐ行くべき所を魔が差したのか、 右に曲がって河原に入り込んでしまい、 道迷いをしたコースである (この辺のことは奥白根山登山記録や 1998年の山の雑記帳 「山におけるパニック」 に詳しい)。 間違えたと気づいて河原を戻ったが、 暗くなっているためか、 最早 登山道への取り付きが分からない。 何回も河原を行きつ戻りつしても埒があかず、 野宿もやむなしと思った時、 見上げた薄暗い空に 河原を横断するように架けられた紐があるのを見つけ、 ようやく正規ルートに復帰できたのであった。
更には、 夜遅く家に戻りつくと、 子供が高い所から落ちて頭を打ち、 硬膜下出血の状態で入院中であった (当時は携帯電話など無かった)。 従って、あまり良い思い出のないルートである。
今回は、そのリベンジとしてスッキリ下りたいし、 また調子に乗って入り込んでしまった河原も見ておきたいと思い、 遠回りと思ったのだが敢えて進んだのであった。
結果は、やはり厳しい道であった。 まだ残雪が非常に多く、 下山時、よく滑るので苦労する。 加えて、途中 ササ煩く、 道を隠している所が多々あり、 そう簡単ではなかったのだった。 それでも今回は問題なく下り、 当時間違えたと思われる河原も見ることができて満足であった。
問題の河原であるが、 今は絶対間違えないような状況となっている。 登山道を横切る河原の両側は 倒木で塞がれていたし、 当時登山道と河原の間を遮るように生えていたササも今はなく、 間違えて入り込んでも、 どこからでも登山道に戻れる状態だったからである。 当時は暗かったし、 小生自身、まだ未熟だったのかもしれない。

それにしても、 この錫ヶ岳へのルートは素晴らしい。 奥白根山の姿を見ながらの白桧岳までの稜線歩き。 そして所々に現れる ササ原の斜面と立ち枯れの木。 上で述べたように、 南アルプス深南部を歩いているようであった。 そして登山者も少なく、 静かな山歩きが楽しめる。 前白根山を過ぎて避難小屋への分岐を下らずに、 尾根通しに進むのだが、 実際、分岐以降山中で出会ったのは 3人だけであった。 そのなかの1人は、 厳しい行程だがそれだけに充実感がある と言っておられた。その通りである。
ところで、 そんな厳しい山は嫌だという人にも、 白根隠山、白桧岳までのルートはお勧めである。 奥白根山を間近に見ていながら、 そこに登らないというのは 山好きには辛いかもしれないが、 ここの稜線歩きは本当に素晴らしい。 右に奥白根山、左に男体山を始めとする日光の山々、 そして中禅寺湖の姿。 アルペンムードも十分にあり、 錫ヶ岳に行かずとも きっと満足を得られるであろう。 無論、余力があれば、 奥白根山を行程に絡めても良い。 なお、菅沼から弥陀ヶ池、 五色沼を経由して錫ヶ岳に登る場合、 避難小屋を過ぎてそのまま谷を詰め、 白桧岳手前から尾根に登ることもできる。 しかし、 是非とも避難小屋手前から尾根へと上がって アルペンムードに浸って欲しいものである。

とにかく、 日光の隠れ名山を堪能した 楽しい1日であった。


連続して南ア 深南部  2010.6 記

5月8日の黒法師岳以来、 1ヶ月近く山に行っていなかったが、 6月に入って 最初の土曜日である 6月5日、 ようやく山に行くことができた。
行った山は 南アルプス 深南部の 不動岳。 そう、先般登った黒法師岳のそばの山である。
小生の場合、 同じ山域に連続して行くことが結構多いが、 今回は黒法師岳と不動岳の間に 別の山域の山をいくつか挟むつもりでいたのだった。 というのは、 不動岳の登山口は黒法師岳登山口の近くにあり (戸中山林道を更に15分ほど進んだところにある)、 またもや 1時間以上の林道歩きを行うのが心理的にイヤで、 続けて行く気にはなれなかったからである。
しかし、巡り合わせというか、 運命 ? というか、 登りたい山のある地域で、 天気予報が快晴なのは 浜松市天竜区のみ。 今回、特に狙っていた地域は、 午後が曇り、 しかも雨まで降る予報も出ている。
ということで、 いつかは行くつもりであった不動岳が、 急遽 行き先に決まったのであった。

ガイドブックによれば、 不動岳は 登山口から頂上まで 4時間15分かかることになっている。 先日の 黒法師岳が、 登山口から 2時間45分 となっており、 そこにバラ谷の頭往復を加えて 出発地に帰り着いたのが 17時近くになったことを踏まえると、 黒法師岳と同じように 4時少し前に家を出たのでは 少々スケジュールがキツくなる。 そのため、2時半に起床。 横浜の家を 3時5分に出発したのであった。
一度通った道なので、 水窪(みさくぼ)ダムまで 全く迷うことなく進み、 6時27分に水窪ダムに到着。 そこからの 戸中山林道の状態は 相変わらずで、 水溜まりの規模は小さくなったものの、 いくつもの水溜まりが車を汚し、 落石が道路に散乱していて、 気を遣いながらのドライブであった。 ただ、前回と大きく違うのは、 道に新しい轍の跡がいくつもついていたこと。 先日の黒法師岳の時は、 小生の車も含めて 2台だけだったのに (登山者も合計2人)、 今回は4、5台の車が 先行しているようである。
ゲートに着いたのが、6時53分。 思った通り、 ゲート前には 5台の車が駐まっていた。 浜松ナンバー、豊田ナンバーに混じって、 小生と同じ 横浜ナンバーの車が駐まっていたのには 少々ビックリ。
身支度をして、6時57分に出発。 林道歩きは相変わらず長く感じるが、 一度往復しているのでペースは掴みやすい。 8時10分に 黒法師岳登山口に到着。 不動岳登山口は さらに先である。 不動岳登山口には 8時23分に到着。 いきなり急斜面を ジグザグに登ることになる。
ここで、今日のコンディションがあまり良くないことに気がついた。 左足首が痛いのである。 先日の黒法師岳登山の時、 足をひねったらしく、 その時は気づかなかったものの、 家に帰ってから少々痛み出したのであった。 しかし、その後 1ヶ月経って、 普段の生活では何の支障もなく、 もう直ったかと思っていたのだが、 本日 急斜面を登ると、足首が痛い。 これには参った。 一応登ってはいけるが、 この状態が悪化したら困ったことになる。
そこで、一旦 靴を脱ぎ、 念のために持参していた足首用のサポーターを履く。 かなりきつく足首が固定されたので、 何とかダイジョブそうである。 そしてその後は、足首に鈍痛はあるものの、 何とか登ることができたのであった。
備えの重要性を再認識するとともに、 テーピング (今回の場合は サポーターだが) の効果を初めて実感したのだった。 今後は、テーピングテープを持参することにしよう。 尤も、 その前に テーピングの仕方を 学ぶ必要があるが・・・。

さて、肝心の不動岳であるが、 憧れの鹿ノ平は遠くから見た時は素晴らしかったものの、 実際にその地に着いてみると、 かなり手強い状況であった。 というのは、 テープ類は 鎌崩(かまなぎ)の頭、 そして そこから鹿ノ平までは過剰なまでに付けられていたのだが、 鹿ノ平の一角に到達してからはなくなってしまったからである。 当初は どちらへ進んで良いか分からず、 鹿ノ平を歩き回ったのだった。 ササ原にはあらゆる方向に踏み跡が延びているが、 ササの丈は膝くらいまであり、 しかも 明瞭に踏まれた道ではなく ササの密度が濃いので、 歩くのにかなり抵抗がかかって結構疲れるのである。 この鹿ノ平のササの背丈が、 先の黒バラ平 (黒法師岳とバラ谷の頭の間の原) くらいに短ければ、 もっと快適な地であるのに・・・。
実際は、左の尾根上に登れば、テープが連続してあり、 しかも 道も明瞭な所が多い (一方で、 不明瞭になっているところも多い) のだが、 それを知ったのは 下山時のこと。 登りの時は、最初、下の原を進んでしまい、 途中から左の尾根に登ったので、 かなりササの中を泳ぎ回ることになった。 加えて、ササの背丈も高く、 テープが見つかっても、 テープが必ずしも一番良いルートを示しているとは限らず、 不動岳への登り斜面までの間は とにかく ササの中を泳ぎ回ったのであった。
不動岳への登りでも ササの原に沢山の踏み跡があり、 最初は少し戸惑う。 しかし、尾根が細くなるに連れ、道は収束し、 最後は1本道となったのだった。
頂上には 12時34分に到着。 狭い頂上で、ただ一人周囲を見ながら、 「思えば遠くへきたものだ」 との感慨にふけったのだった。
この日は 雲が多く、朝日岳は見えない。 前黒法師岳も雲に隠れ気味。 聖岳などの山々も 雲の中であった。 しかし、バラ谷の頭、黒法師岳、丸盆岳、 そして鎌崩の頭と続く 素晴らしい尾根はよく見えたし、 なにしろ 足下に広がる 鹿ノ平から不動岳頂上までの姿が良い。
ところで、 不動岳登山口にはマウンテンバイクが駐められていたにも拘わらず、 山中、誰にも会わなかった。 下山してみたら、 マウンテンバイクはなくなっていたので、 会わないはずはないのだが、 どこですれ違ったのだろう。 もしかしたら、その方は鎌崩の方まで 足を伸ばしていたのかもしれない。
お陰で、 今回 不動岳を独占。 ゲート前の車の人達は、 ほとんどが黒法師岳を目指したようである。

今回も 南ア 深南部を 十分に堪能させてもらった。 丸盆岳を登り損なったのは残念だが、 もうこの山域は 卒業で良かろう。 後は、さらに奥深く入り込むか、 他の山域に移るかであるが、 先日の黒バラ平、今回の鹿ノ平、 そしてササの中に 立ち枯れが続く不動岳の斜面といった この素晴らしい光景を見てしまうと、 もう卒業でも良いかと思う。


新しいザックを購入して  2010.5 記

5月8日の黒法師岳以来 山に行っていないので、 山の話と言うよりは雑談を少し。
本日登山記録を載せた 鶏冠山から下山後、 家でザックの整理をしていたら、 ザックに入っているアルミ製のバックパネル (長さ52センチ、幅2.5センチのアルミ板が左右1枚ずつ) のうち、 右側のバックパネルがザックを突き破って、 3センチほど飛び出してしまっていることに気がついた。 このバックパネルは ザックの内側に左右2本の袋状の格納場所があり、 ザックの形をキープする役割をしている。 無論、取り外しが可能で、 ザックを丸洗いする時など、 バックパネルを抜き取って 洗濯機にザックを入れたりしていたのだった。
破れた箇所を見てみると、 バックパネルが入っている袋の底の部分が 擦り切れてしまっている。
また、 アルミ板の先端と最後尾部分を保護していた プラスチックのカバーも壊れ、 角のあるアルミが むき出しになってしまったことも、 擦り切れを生じさせた一因である。 こうなると、 擦り切れた部分を補修しても またすぐ破れる可能性が高いし、 またザック自体も 何回もの洗濯によって かなりヨレヨレになってしまっていることから、 この際 ザックを買い換えることにした。
使っていたザックは カリマーの Ridge40(40リッター)である。 考えてみると、 このザックを購入したのは 2000年の3月。 その前のザック(Jack Wolfskin の ZERMATT )が、 丹沢主脈を歩いている時に、 突然 ショルダーハーネスというか、 ショルダーストラップの部分が切れてしまったので、 買い換えたのだった。 40リッターと少々大きいが、 日帰り山行にいつも使っており、 愛着を持っていただけに 買い換えは残念である。 しかし、仕方がない。
次のザックは どこのメーカのものを購入しようか 迷うところだが、 ザックについては 登山靴と同じで、 自分に合うかどうか> 実物を背負ってみる必要がある。 しかし、 いつも登山用品を購入する際に利用していた 鶴見のIBS石井スポーツは 昨年に店をたたんでしまっているし、 また、 ICI石井スポーツやさかいやスポーツは 新宿や神田なのでちょっと遠い。 横浜にも、 ICI石井スポーツやカモシカスポーツ、 好日山荘などの店はあるものの、 馴染みがないので どうも行く気がしない (そう嫌うことはないのだが・・・)。 そういうことから、 カリマー Ridgeなら 背負ってみなくても大丈夫だろう ということで、 無謀にも ネットで カリマーの Ridge40を 再び購入してしまったのだった (結局は ICI石井スポーツ)。
在庫も豊富にあるのか、 何と翌日には手元に届き、 また目論見通り身体にもフィットして、 先の黒法師岳登山にて デビューと相成ったのだった。

と、 まあ ありきたりの話を長々としてしまって ご容赦戴きたいが、 今回 ザックを購入するにあたっての 自分の一連の行為について見方を変えてみると、 登山用品を取り扱う店には 厳しい状況になっているなあ と感じたのであった。
というのは、 小生は年間に 15回前後しか山に行かず、 それほど山行回数は多くないので、 あまりサンプルにはならないかもしれないが、 ここ5年間のことを考えても、 新しく購入した登山用品というのは 数える程しかない。 登山靴が2足、 レインウェア1着、 そして今回のザックだけである。 それも、たまたま寿命が来たからであって、 小生にとっては これでも多い方である。 そして、 このような人は 私だけではないであろう。
つまり、 登山用品というのは 大事に使えばかなり長持ちするものであり、 従って 買い換えのサイクルは かなり長くなるということである。 そうなると、 新たに登山を始める人が ドンドン出てこない限り、 登山用品店は儲からないのではないか ということになる。
しかし一方で、 大学、高校の登山部は 衰退の一途とも聞く。 今の若者の気質を考えると、 わざわざ苦しいことをやってみたい という人が多いはずがない。 登山部新入生による 登山用品大量購入 というケースは かなり減ってきているに違いない。
そうなると 救いは小生を始めとする中高年であるが、 もともと我々の世代は あまり贅沢を好まず、 高いものを買って 長く大事に使う人の方が多い気がする。 従って、 登山用品は一時的には売れても、 リピーターが少ない (というか リピートには間が空きすぎる) ということで、 経営は大変厳しいのではなかろうか と思った次第である。 IBS石井スポーツが店をたたんだのも、 こういう世の中の変化が背景にあるのではないか、 と勝手に想像している。 もっと小さい店だと、 毎日売上が10万も20万円もあるとは思えない。 苦しいのではなかろうか。 従って、 登山ツアーやイベントを企画するようなこともあろうが、 そうなるとやはり体力勝負である。

と勝手な想像を巡らせたが、 一方で 今回のニューザックを見て驚いた。 これまで使っていたモデルに比して、 追加された機能がいろいろあるのである。 登山の世界にも 多くの新しいテクノロジーが入り込んでいるようであり、 今の道具を大事に使って長持ちさせる というのも、 時々は破ってみることも必要かもしれない と感じたのであった。 そうすれば、 登山用品店も助かる訳で、 中高年よ、 もっと登山用品の購入サイクルを縮めようではないか。
と勝手なことを思ったのだったが、 やはり 山は 道具が主ではなく、 自分が登るもの。 最低限の道具さえ揃っており、 自分に元気さえあれば、 山に登ることができるのである。 そうなると、 いくら新しい機能が加わっているからと言って、 そんなに食指が動くものではない。 ザックや登山靴が、 ファッションのように、 毎年のニューモデルを追っかけられる代物になる というのなら話は別だが・・・。 そうなると、 タウンユースの世界であり、 登山とは別物である。


鶏冠山と黒法師岳  2010.5 記

ゴールデンウィークも終わってしまったが、 勤め先も粋な計らいをするもので、 小生の場合、 4月29日から5月5日までの 7連休であった。
しかも、 この期間中の天候は 概ね 晴れ。 となると 山に行かずにはいられないところであるが、 一方で どこに行くにしても高速道路は渋滞。 結局 それが怖くて、 山に行ったのは 4月30日(金)の 鶏冠山(トサカヤマ 山梨県)だけであった。
鶏冠山は、 この1月、 甲武信岳の徳ちゃん新道を登っている際、 そのあまりにも険しそうで 尚且つ魅力的な峰々を見て、 大変 興味を持ち、 その後、ネットで色々調べていたのであった。
この山は、 小生が山を始めた 20年ほど前には、 大変危険な山としての印象が強く、 小生としては 登れない山 と決めていた山であった。 事実、 甲武信岳に向かう途中にある 木賊山の所には 鶏冠尾根への進入を禁止する立て札があった と記憶しているし、 また 鶏冠山への登山口である 西沢渓谷の方にも 入山禁止 と書かれた警告板があったはずである。
しかし、 今でも 入山禁止らしいが (小生が行った時には そのような立て札は無かったが・・・)、 一方で この山が 「山梨百名山」 に選ばれたこともあって、 かなりの人が入山しているらしい。 そのため、 登山道が定まってきており、 赤テープ、標識なども整備され、 さらに危険な岩には ロープがフィックスされたり、 巻き道ができたりと、 かなりその難易度は 低くなってきているようなのである (危険な山であることには変わりないので、 安易には行かない方が良い)。
そうなると、 私でも登れそうであり、 残雪もほぼなくなったと思われる このゴールデンウィーク、 意を決して出かけた という次第である。
結果は、 迷うこともなく、 何の問題もなく 第三岩峰に到着し (もっとも、 第三岩峰への直登ルートは避け、 巻き道を使っているが・・・)、 例の 「山梨百名山」 の標識とご対面できたのであった。
但し、 厳密に言うと、 この標識のある 第三岩峰の高さは 2,020m。 鶏冠山の高さは 2,115mであるから、 第三岩峰は本当の頂上ではないのである。 確かに、 第三岩峰から木賊山の方を見ても、 すぐそばに さらに高い峰が見える。 結局は 木賊山(2,468.6m)まで 尾根は続いているのであるから、 北側の峰々は皆高いのが当たり前なのだが、 兎にも角にも 第三岩峰は頂上ではないことは 確かなのである (色々な登山記録の記述では、 頂上は標識も無く、 寂しい場所とか・・・)。
実を言うと、 このことは 下山後 さらにネットを調べていて知った次第。 まあ、 少々心残りではあるが、 大方の人が頂上としている 第三岩峰を踏んだことで良しとしよう。
なお、 西沢渓谷から 鶏冠山に向かうには、 川を渡渉せねばならない。 その回数について 1〜4回とまちまちの情報が流れているが、 現在は 右岸をずっと進める道 (トラロープや針金のある 少々歩きにくいところもある道) ができていて、 1回の渡渉で済む。 サンダルを持って行き、 幅 5mにも満たない川を渡ったのだが、 その水の冷たいこと!! 僅かな時間にも拘わらず、 足がしびれてしまうほどであった。
なお、 この日は平日 ということもあって、 終日 山の中では 誰とも会うことなく、 静かな山旅を満喫したのであった。 その反面、 あまり冒険はできない という気持ちが強く働き、 第三岩峰は巻き道を選んだ次第。 ただ、巻き道とは言え、 4月27日に降った雨が山では雪だったらしく、 結構 危険な箇所を雪が覆い隠しており、 神経を遣うことになった。
まあ、 残雪がなくなったら、 鶏冠尾根を木賊山まで登ることにトライするのも 良いかもしれない。 ただ、 今は あまり 積極的に行こうとは思わないが・・・。

そして、 ゴールデンウィークが終わり、 高速道路の混雑も無くなった この5月8日の土曜日、 今度は 静岡県の黒法師岳に登ってきた。 そして、黒法師岳登山のついでに 「本邦 最南の 2,000mの地」 である お隣の バラ谷の頭にもピストン登山し、 南アルプス 深南部の一端に触れてきた次第。 これは最近、 寸又三山のうち、 朝日岳と前黒法師岳に登ったことで 周辺の山々の状況を知ることになり、 かなり触発されたことが大きい。
結果は 素晴らしいの一言。 特に、黒法師岳とバラ谷の頭の間にある 通称 黒バラ平 (国分寺と立川の中間にあるので 国立としたように、 黒法師岳とバラ谷の頭の中間にあるので 黒バラ平としたに違いない。 名前は格好良いが、 イメージを誤らせる ??) の素晴らしいこと。 広いササ原が一面に広がり、 所々にブナの木 ?、 シラビソの木が生え、 さらに 立ち枯れもあって 雰囲気が最高に良い。
また、 こんな高いところにも 生物の営みが キチンとなされているようで、 ササ原の途中にあった 池というより水溜まりには、 ヒキガエル(と思う) が多く生息していたことも 驚きであった。
また、 ササ原には 至る所に 鹿の糞。 ここは鹿の天国なのだろう。 南アルプスの深南部に来たことを 十分に感じさせてくれた場所であった。 ここがこれだけ素晴らしいのなら、 黒法師岳の近く、 不動岳手前にある 鹿ノ平はどんなところであろう。 山上の楽園と呼ばれているようなので、 大変に興味が湧く。
しかし、 まあ 黒法師岳・バラ谷の頭の日帰り登山は 大変キツイ。 朝 4時少し前に 家を出て、 登山口である 戸中山(とちゅうざん)林道のゲート前に着いたのが 7時45分。 身支度をして 出発したのが 7時54分。 そこから 黒法師岳登山口までの林道歩きが長く、 登山口到着が 9時8分であった。 1時間を越える 林道歩きである。
等高尾根と呼ばれるルートを進み、 途中に10分ほどの休憩を挟んで 黒法師岳頂上に着いたのが 11時59分。 12時14分に 頂上を出発してバラ谷の頭に向かう。 バラ谷の頭に到着したのが、 12時58分。 「本邦 最南の 2,000mの地」 の標示板がある場所にも行き、 バラ谷の頭を 13時11分に出発。 そして、 ササの中を平泳ぎ (両手でササをかき分け、 その際 ササを左右の手で掴み、 我が身を引き上げる) するようにして ササに覆われた黒法師岳の急斜面を登り、 再び 黒法師岳頂上に戻ってきたのが 14時2分。 頂上で8分程休憩した後、 下山を開始し、 ゲートに戻り着いたのは 17時であった。
そこから、 横浜の家まで延々とドライブし、 家に着いたのが 21時20分。 本当に疲れた。
でも、 山で出会ったのは 黒法師岳山頂での1人だけ。 静かな山旅と南アルプスの まだ自然の多く残る地域の散策ができ、 大満足の山行であった。


素晴らしき編笠山  2010.4 記

4月3日の寸又三山 前黒法師岳に続き、 この24日、山に行ってきた。
登った山は 八ヶ岳連峰の編笠山。 先日 登った西岳と組み合わせての登山である。
3月の終わりに西岳に登った時は、 血圧が高く体調不良だったため、 富士見高原ゴルフコースから 西岳へのピストン登山に止めたのであった。
その時の登山では、 西岳から見た赤岳を始めとする 八ヶ岳主峰の眺めに満足はしたものの、 やはり登り応えという点で 物足りなさは否めず、 しかも同じコースを登ってきたご夫婦が、 そのまま青年小屋の方に向かうのを見て、 羨望を覚えたのであった。
そこで、今回は体調も戻ってきたことから、 前回果たせなかった 編笠山−西岳の周回ルートを目指すことにした次第である。 と言っても、 最初から編笠山と決めていた訳ではない。 実は 19日月曜日から興味を持って見ていた 週末の天気予報では、 24日土曜日の天候はあまり芳しくなく、 25日の日曜日のほうが 快晴が期待できる状況だったのである。 しかしながら 25日の日曜日は用事があって山は無理。 週末の山行はあきらめていたのであった。
ところが、 天候の回復は思ったよりも早く、 土曜日もかなりの地域で 快晴が期待できるようになったのであった。 となると、急遽山に行きたくなる訳で、 色々地域の天気予報を調べたところ、 富士見町、茅野市、川上村周辺の天候が 一番良さそうだという結論に達し、 急遽 編笠山−西岳のコースを選択した次第である。 心配と言えば、 22日、23日は雨。 加えて、4月としては 異常とも思える寒い日が続いたことから、 山に新たに雪が積もっているのでは ということであった。 しかし、今年初めに登った甲武信岳を除けば、 大菩薩嶺、西岳、前黒法師岳とも ほとんど雪はなく、 残雪期の山を楽しむことが少なかったので、 逆に少しくらいの新雪は却って楽しみと思い、 件のコースを選んだのであった。
なお、 今回も西岳を登るコースを辿るのは芸がない ということで、 同じく 富士見高原ゴルフコースを起点とはするものの、 今回は編笠山を先に登ることにしたのであった。
結果は、素晴らしいの一言。 4月としては異常な寒さは、 山では積もっている雪をグッと締めてくれ、 普段なら 腐った雪に苦戦するであろうところを、 快適な雪上歩行を可能にしてくれたのであった。
編笠山直下では、 氷の斜面に軽アイゼンの歯を突き立てるように進み、 また編笠山から青年小屋、 西岳の区間では よく引き締まった残雪にアイゼンの歯が良く効き、 ロスの少ない歩行を楽しんだのであった。
また、編笠山からの展望も素晴らしく、 先般の西岳を遙かに上回る 八ヶ岳連峰の迫力を存分に楽しんだ次第である。
実は、 編笠山頂上では、 この後 往路をこのまま戻ろうか、 それとも 青年小屋から西岳経由にて 下山しようか、 少々 迷うところもあったのだが、 何と タイミングの良いことに、 青年小屋でアルバイトをしている という青年が登ってきて、 青年小屋までの雪の状況を教えてもらい、 西岳経由の道を選ぶことにしたのであった。 背中を押してもらったということである。 感謝。

そうそう、 今回とったコースでは、 間違いなく先頭を切っていたので、 小生が編笠山 一番乗りと思っていたところ、 何と 頂上には 先客がいたのであった。 聞けば、 その方は 観音平から登ってきたとのこと。 観音平までの道は閉鎖されているもの とばかり思っていたので 思わぬ伏兵(失礼)に やられたという感じである。
もっとも、 編笠山頂上直下の岩場 (大きな岩がゴロゴロしている) に到達してからも、 面倒くさいと思って 軽アイゼンを履いたまま登ったことが、 時間を大きくロスさせたことは間違いないところである。 恐らく 5分以上時間はロスしたことであろう。 タラレバは良くないが、 面倒くさがらずに 軽アイゼンをはずしていれば、 一番乗りだったかもしれない。 1月の甲武信岳と同じように 一番乗りできずに 残念。
なお、 八ヶ岳の姿は素晴らしかったものの、 今回も 残念ながら、 南アルプス方面はよく見ることができなかった。 高い山々の上部は、 皆 厚い雲に覆われていたのである。
しかし、良く考えたら、 北杜市近辺も快晴の予報が出ていたので、 当初 石尊神社から雨乞岳に登り、 ヴィレッヂ白州まで下って、 そこから 石尊神社まで戻って来るコースも プランとして浮上していたのであった。 恐らく そのコースを登っていたら、 山頂から見えるはずの 八ヶ岳、 甲斐駒ヶ岳の姿は全く得られず、 さらにもしかしたら 雨か雪になっていたかもしれないのである。 最終的に八ヶ岳に決めたことの幸運に 感謝したのであった。 非常に楽しい山行であった。


寸又三山 前黒法師岳  2010.4 記

4月3日 土曜日、 また山に行けるチャンスが巡ってきた。 そこで、どこに行こうか迷ったのだが、 天気予報では東海地方の天気が一番良かったので、 先般の 朝日岳に続いて、 同じく寸又三山の1つである 前黒法師岳に行くことに決めた。
寸又峡に至るまでの山道が狭いので 少々イヤだったのだが、 何せ小生の家は 東名高速横浜ICのすぐ近く。 先般の西岳のように、 高速道に入るまでの一般道で イライラせずにスンナリ進めるのが良い。
しかし、 事前に前黒法師岳の情報、 特に残雪の状況を得ようと ネットを探し回ったのだが、 全く 今年に入ってからの登山情報がない。 これには少々困ったが、 よく考えれば、 先般の西岳でも ほとんど雪がなかった訳で、 ましてや西岳よりも南に位置し、 標高も 2,000mをちょっと欠ける山であるから、 恐らく大丈夫だろう との見込みで、 行くことにしたのであった。
一応念のために、 雪の甲武信岳、その後の大菩薩嶺、 そして西岳でも持参しなかった ストックを持っていくことにした。

4時少し過ぎに自宅を出発。 ナビの示す現地到着時刻は 8時を過ぎている。 これでは遅いと思い、 できるだけスピードを上げる。
天候の方は、横浜では曇り。 これは想定内。 しかし、東名高速道を走っている時も 曇り空。 富士山が見えないどころではなく、 裾野IC付近を通過している時には 小雨までパラつく始末。 少々不安を覚える。
そして、清水ICを下りて、 静清バイパスに入っても 曇りの状況は変わらなかったのだが、 静清バイパスを羽鳥ICで下り、 国道362号線を進み、 山を越えて、 道が千頭への下りになる頃には、 徐々に青空が見え始めたのであった。
入口に水車がある 寸又峡の駐車場に着いたのは 6時58分。 かなりナビの示す時間を 短縮したことになるが、 これも早朝だからできた次第。 スピードの出し過ぎは 良いわけがない。
トイレ、身支度をして 7時7分に駐車場を出発。 先般の朝日岳登山と同じく温泉街の道を進む。 やがて、朝日岳への道を右に分け、 夢の吊橋、飛龍橋を目指して林道を進む。 この林道は 車両通行止めになっているので 安心して進むことができる。
天子トンネルを抜け、 暫くすると、 大間ダム・夢の吊橋への道を右に見る。 ここはそのまま林道を進む。 駐車場から30分程歩いた頃、 ようやく飛龍橋に到着。
橋を渡ると、 前黒法師岳への登山案内図と 登山届けのポストがあった。 そして そこからさらに林道を7分程進み、 ようやく前黒法師岳登山口に到着したのだった。
ここから、 やや崩れかけた斜面、 そして危ない感じの梯子の登りが始まる。 その後は、 ひたすら杉の植林帯を進む。 道はかなり急である。
やがて湯山集落跡。 今は植林された杉により 空き地がなくなっているが、 斜面に石垣をつくり、 斜面を利用した分譲地のようになった場所である。 これにはちょっと驚いた。 まさかこんな山奥に 人が住んでいたとは・・・。 平家の落人という訳でもないらしい。
湯山集落跡を過ぎて 暫くすると林道に飛び出した。 ここからの朝日岳の眺めは素晴らしい。 そして ここからもキツイ登りが続く。 樹林帯の中を進むので、 展望はあまり得られない。 それでも時折 樹林越しに白い頂を有する山が見える。
やがて、イワカガミの群生地。 本当に一面にイワカガミが生えている。 ただ、花の時期にはまだ早いので、 イワカガミの緑色ならびに茶色い葉が、 日に当たってキラキラ光っているだけである。 花が咲いた時はどんな感じであろう。
道は白ガレの頭を過ぎ、 さらに登りが続く。 道はやや不明瞭なところもあるが、 赤ペンキ、赤テープが 短い間隔で付けられているので、 迷う心配はない。 少し道を誤ったかなと思った時、 周囲を見渡せば、 必ず赤いマークが見つかる といった状況である。
展望は相変わらずほとんど無い。 僅かに樹林越しに 南アルプスの山が見え隠れする程度である。 前黒法師岳の山頂は 展望を得られないと聞いていたので、 南アルプスの山々が樹林越にしか見えないことに イライラしながら進んでいたところ、 必ず開けた場所はあるもので、 展望所なる見晴らしのよい場所がやがて現れた。 ちょっと寄り道して、 展望所に行ってみると、 そこから聖岳、光岳などの山々を、 遮るもの無しに見ることができたのであった。
山頂に着いたのは11時25分。 聞いていた通り、展望はほとんど得られず、 僅か開けている南方面の景色は 平凡であった。
心配した残雪だが、 全くと言って良いほどない。 わずかに頂上直下の数十メートルには 凍った雪がかなりあったが、 足下に注意すれば軽アイゼンも不要。 スパッツを着けていたこと自体が 恥ずかしいというような状況であった。 ただ、ストックは意外に役に立つ。
この前黒法師岳は、 淡々と登り、 淡々と下る といったあまりに地味な山であったが、 たまにはこういう登山も良いものである。 体力回復に自信をもった山でもあった。


リハビリ登山  2010.3 記

ついに 2月は山に行くことができなかった。 そして3月も もう半ばを過ぎてしまった中、 少々焦っていたのだったが、 ようやくこの20日の土曜日に 山に行くことができた。
昨年の初登山が 2月と出遅れたのに比べ、 今年は1月に2回も山に行くことができ、 幸先良いスタートが切れた と喜んでいたのも束の間、 やはり良いことばかりは続かないものである。 母親が入院したり、 仕事が忙しく 休日出勤せざるをえなくなったり、 加えて小生自身 血圧がかなり高くなって寝込んだりと 本当に色々なことが続き、 山に行けない週末が続いたのであった。
ようやく この色々なことも収束方向へ、 しかも良い方向に進み始めたので、 この20日に 山に行く状況が整った次第である。 ただ、未だ血圧は高め。 あまりハードな山は無理 と考え、 山レコなどを参考に 行き先を検討した結果、 八ヶ岳にある西岳に決めたのであった。
西岳は、 その名の通り八ヶ岳連峰の西に位置し、 高さは 2,398mしかないものの、 八ヶ岳、南アルプスの眺めが素晴らしい とのことである。 また、体力、気力が充実していれば、 西岳からさらに先に進み、 青年小屋を経て編笠山に至り、 そこから出発点に戻って来ることもできるので、 かなり魅力的である。 もっとも、今の体調、 そしてまだ雪も多く残っているであろうことを考えると それはとても無理。 今後の楽しみに取っておき、 ピストン登山 と決めて出かけたのであった。

4時半過ぎに横浜の自宅を出発。 国道16号線を進む。 やはり体調が完全ではないのであろうか、 早朝というのに なかなかスピードが出せない交通状況に かなりイライラする。 関越道を利用する際に通る環状八号線も 早朝、かなりの渋滞が生じるのだが、 どういう訳か、 この国道16号線の方が イライラさせられることが多い。 ましてや、 高血圧の所為か この日は イライラの度合いが大きい。 加えて、 この日は3連休の初日。 中央高速道に入ってからも、 なかなかスムーズに進まない。 普段 車に乗らない人が 多く乗り入れているのか、 少し上り坂に入るとスピードが落ちる。 そして、 皆 車間をあまり取らないので、 すぐにブレーキがかかり、 それがスピードダウンに繋がる。 早朝の高速道で、 時として時速 40km以下とは 血圧に悪い・・・。 閑話休題。
7時10分に 登山基地である 富士見高原ゴルフコースの駐車場に到着。 ゴルフ場はまだ閉鎖中なので、 付属のゴルフ練習場の前にある駐車場に車を駐める。 今なら文句は言われまい。
ゴルフ練習場への階段を登るところから登山が始まる。 途中、道を間違えて かなり時間をロスしたものの、 何とか不動清水に辿り着き、 そこから西岳への長い登りが始まった。 地図で見ると、 おいしい水がわき出ている不動清水の標高が 1,500m程。 先にも述べたように 西岳の高さは 2,398mであるから、 標高差は 900mほど。 水平の距離が 2.5kmほどだから、 それほど大した傾斜ではない。
ただ、 これがほぼ一直線。 ひたすらまっすぐ登り続けねばならないのが、 結構 リハビリ中 ? の身には辛い。 なお、雪の方は大したこともなかったのだが、 それでも頂上に近づくにつれ、 斜面がアイスバーン状態となった箇所が増える。 面倒臭くて 軽アイゼンを装着せずに登ったので、 アイスバーンを避けながら進まざるをえず、 時間がかなりかかる。 また、固まった雪に 2回以上足を蹴り込んで、 足場を確保したりと 余計な作業が続く。 時には、 完全にアイスバーンに囲まれ、 もはやこれまで、 進退きわまったか と思うことも 数回。 お陰で、 雪のない斜面で追い抜いた中年のご夫婦に 追い上げられる始末 (ご夫婦は アイゼンをしっかりつけておられた)。
しかし、 それでも何とか西岳には一番乗り。 頂上には 素晴らしい展望が待っていた。 残念ながら 南アルプスの山々は 春霞がかかったようになって あまりハッキリは見えなかったものの、 目の前の編笠山、権現岳、 赤岳、阿弥陀岳、硫黄岳と並んでいる 八ヶ岳の山々が兎に角 素晴らしい。 いつまでも見ていて飽きない光景に 小生としては珍しく 40分も頂上に居座ったのであった。 先のご夫婦は、 頂上に止まることなく、 そのまま青年小屋の方に向かわれたので、 頂上はほぼ独占状態であった。 そして、 あまりの素晴らしい光景に、 自分も編笠山に向かおう という気持ちが強く湧いてきたのだったが、 ここはやはり自重。 往路を下山したのであった。
この日は快晴であった上に 気温が高く、 もう完全に春。 南アルプスの山々が霞んでいたのも 致し方ないところである。 先だっての大菩薩登山から 1.5ヶ月経てば、 季節は大きく変わって当たり前。 身を切るように冷たい風が吹き、 口がこわばって 握り飯を食べるのに苦労した大菩薩のことを思い出し、 山とご無沙汰していた期間を 実感したのであった。
頂上での 40分の休憩、 そして途中で道に迷ったことを加えても、 5時間弱の登山であったが、 リハビリ登山としては最適な山であり、 大変満足した山行であった。

ところで話は変わるが、 今年早々 小生にとって 残念なニュースが続いた。
小生が大好きな作家が2人、 相次いで亡くなったことである。 その作家というのは ロバート・B・パーカー氏と ディック・フランシス氏 (パーカー氏は享年 77歳、 フランシス氏は 享年89歳)。 今更この 2人について ここで説明する必要はないと思うが、 最早 2人の新作が読めない と思うと残念でならない。
この2人は、 日本では早川書房から本を出しており、 翻訳者は ほとんどの著書が 故 菊池光氏 という共通点があったのは面白い。 小生の好みに ピッタリと合う小説だった理由は、 無論 ストーリーの面白さが第一だが、 翻訳者の力量によるところも 大きかったことは 間違いない。
兎に角 小生を若い時から 大いに楽しませてくれた。 ご冥福をお祈りします。


久々の大菩薩嶺  2010.2 記

1月9日に甲武信岳に登って以来、 いろいろあって、 天候が良いにも拘わらず 山に行けない週末が続いていたのだが、 1月の最終土曜日である30日、 山に行ける機会が巡ってきた。 今回は 行き先についてあまり悩まず、 本年の登り初めとして 当初登るつもりであった 大菩薩嶺に行くことに決めたのだった。 一応念のため 前日に山レコを見てみたが、 今回は食指が動くような山の登山記録もなく、 そのまま大菩薩嶺への登山を決行した次第である。
前回の甲武信岳の教訓を生かし、 横浜の家をやや遅めに出発。 順調に国道16号線、 中央高速道を進み、 勝沼ICで高速を降りてからは、 ナビに従って フルーツラインに入る。 その後、 一葉(樋口一葉のこと)のみち と呼ばれる県道202号線を進み、 あっという間 (そのように感じた) に大菩薩嶺の登山口である 裂石の雲峰寺のそばに出たのであった。 大菩薩嶺に登るときは、 いつも青梅街道を利用していたので、 このような道路があったことに驚く。 位置的に、 県道202号線は青梅街道と平行しているようである。
車を雲峰寺の駐車場に駐めて車道を登っていく。 裂石に車を駐める時は、 私はいつもここを利用している。 アプローチの距離は少々長くなるが、 人目に付く場所にあり、 そばに売店もあるので、 車上荒らしなども気にしないで済むからである。 なお、後で気づいたのだが、 この先 上日川峠に向かって車道を進むと、 冬期の車止めゲート手前に広い駐車場があった。 しかし、 この日の場合は、 ここまでノーマルタイヤの車でも 登ってくることは可能であったものの、 路上に積もった雪が凍結した際は、 無理であろう。
仙石茶屋の前から車道と分かれ、 上日川峠への山道を進む。 途中にある第一展望台、 第二展望台、 そして上日川峠とも、 南アルプスの眺めが素晴らしい。
上日川峠からは 少々へそ曲がりのルートを取ることにする。 大菩薩嶺を目指すには目指すが、 上日川峠から ダイレクトに大菩薩峠へは進まず、 道を一旦下って石丸峠へのルートをとり、 石丸峠から熊沢山を越えて 大菩薩峠に至るというものである。 何故なら、 途中のササ原が気持ちよいこと、 そこから見える富士山の眺めが素晴らしいこと、 そして 小金沢連嶺を登る時にいつも、 いつか熊沢山のササ原の斜面を登ってみたい と思っていたからである。
以前は少々荒れ気味だったこの道も、 かなり整備が進んで 遊歩道のようになっており、 途中に東屋も置かれている。 また、途中で横切った車道には バス停もあったのには驚かされた。
いつもは 尾根上に飛び出すまで なかなか富士山が見えないルートなのだが、 二番目の林道を横切った後に登る斜面のルートが崩れたらしく、 少し先の方に新しいルートが付けられており、 そこを進むと 富士山にすぐにご対面できたのであった。
この後は 石丸峠まで記憶通りのルート、光景。 富士山、南アルプスが素晴らしい。 そして石丸峠からは 念願であった熊沢山のササ原の斜面を登る。 しかし、良かったのはそこまで。 樹林帯に入ると、 どこが熊沢山のピークか分からない状態で、 拍子抜けであった。 一応 正規のルートを外れて、 尾根上を進んでみたのだが、 それらしい標識は見つからなかった。
熊沢山のピークらしきところを踏んでからは、 大菩薩峠に向かって樹林の中の斜面を下る。 こちら側は雪が凍っており、 アイゼンを付けずに下ったので 少々苦労した。 大菩薩峠からは 素晴らしい山上散歩が待っていた。 富士山や南アルプスの山々、 金峰山などの奥秩父の山々、 八ヶ岳が素晴らしい。 残念ながら雪はほとんどなく、 少し物足りなかったが、 素晴らしい景色が それをカバーしてくれている。
しかし、風は冷たく、 頬が強ばる。
大菩薩嶺からは丸川峠へと下る。 大菩薩嶺からのこの道では、 軽アイゼンを付けるべきであったが、 面倒臭さが先に立ち、 最後まで軽アイゼン無しで歩いてしまった。 そのため、 滑って尻餅をつくこと2回。 また、斜面を横切る道では、 凍った山道に置いた両足が ゆっくり斜面の方に流れていき、 そのまま斜面を転げ落ちてしまうところであり、 慌てて四つん這いになって 下落を阻止したのだった。
まあしかし、 こういうことも楽しい。 丸川峠からは雪もなく、 日だまりハイク。 順調に下って、 冬期ゲート横の駐車場に戻ってきたのであった。
雲峰寺の駐車場まで車道を下る。 先の方に見える 南アルプスの山々は もう白くなって空に溶け込んでしまっている。 振り返れば 大菩薩嶺がそのササ原を見せてくれている。 歩行時間6時間ほどであったが、 楽しい山行であった。 人の出はまあまあ。 へそ曲がりのルートを選んだこともあり、 今回も静かな山旅であった。


2010年登り初め  2010.1 記

昨年の初登山はかなり遅く、 2月7日になってしまったことを反省し、 今年は 9日からの 3連休中に山に行きたいと思っていたところ、 うまい具合に身体の方もフリーとなり、 9日の日に山に行けることになった。 加えて、9日の天候はかなり良さそうである。
そこで行き先であるが、 新年最初の山なので やはり富士山が見たいと思い、 色々考えた末、 久々に大菩薩嶺に登ることにした。
ところがである、 前日の 8日、 たまたまネットで山レコ (山行記録共有データベース) を覗いたところ、 8日の日に 甲武信岳に登った記録がアップされており、 それによれば、 件の山の状態は アイゼン無しで登ることができる ということであった。 そうなると、 俄然 甲武信岳に登りたくなる。 すぐに予定変更したのは言うまでもない。

4時半に横浜の家を出発。 空には星が瞬き、 本日は快晴の予感。
八王子ICから中央高速道に入り、 勝沼ICで降りる。 勝手知ったる西沢渓谷への道であるが、 車に付いている外気温度計はマイナス 5度を示しており、 さらには道が少し凍結した状態。 少々不安になる。
加えて、 正月に怠惰な生活をおくった所為で 5日からの仕事は疲れを呼び、 何回もあくびをするなど、 かなり眠い。
そこで、 日が出て少し温度が上がるまで休憩しようと、 西沢渓谷に通じる 雁坂みちの途中にある 道の駅まきおか の駐車場で 1時間ほど仮眠。 さらに、 車を置いた西沢渓谷入口にある 道の駅みとみ でも 20分ほど休んで、 7時46分に駐車場を出発したのであった。
西沢渓谷への林道に入ると、 雪が道を覆っている。 雪の林道を西沢山荘まで進み、 徳ちゃん新道に入る。 過去、 西沢渓谷から甲武信岳に登った際は、 いずれも軌道跡の残る 近丸新道を登っていたのだが、 今回は山レコの人が辿った 徳ちゃん新道を進む。 初めての道なので期待が湧く。
実際、 この道は展望が素晴らしかった。 途中、樹林越しに鶏冠山の ギザギザした尾根を眺めることができたし、 高度を上げれば、 乾徳山や黒金山、 富士山、広瀬湖などの景色が見え、 大変気持ち良く登ることができたのだった。 また、日差しも暖かく、 上はラガーシャツだけで十分であった。
さて、雪の方だが、 近丸新道との合流点までは 全く問題ないくらいの雪の量。 そこから先も アイゼンは不要であったものの、 雪の量は結構多くなる。 それでも 多くて 30センチくらいであった。 ただ、樹林帯の登りでは 足を滑らせることも多々あり、 軽アイゼンを装着した方が 効率が良かったかと思う。
また、 雪の上には 前日歩いたという件の人の足跡もあり、 さしたる問題もなく 尾根上に到達できたのであった。 尾根に登れば、 暫くは平らな道が続く。 ここでも雪の量は多いところで 30センチくらいか。 少々苦労する程度であった。
木賊山を過ぎ、 少し下って樹林帯を過ぎれば、 定番の構図、 甲武信岳の姿が 目に飛び込んでくる。 明るい日差しのもと、 冬の甲武信岳、 その後ろの三宝山、 そして金峰山や八ヶ岳の姿が素晴らしい。
甲武信小屋から 甲武信岳までの道も それほど苦労せずに登ることができた。 アイゼンはあった方が良い という程度。 そして、 12時51分、 甲武信岳頂上に到着。 そこには素晴らしい展望が待っていた。
なお、 一番乗りかと思ったのだが、 頂上には先客がおられた。 ただ、 その人は毛木平から 荒川源流を辿ってきたとのこと。 山梨側からは 小生が初登頂ということかもしれない。
展望はとにかく素晴らしい。 富士山が丁度逆光になってしまうのが 少々残念だが、 北岳、間ノ岳、甲斐駒ヶ岳など の南アルプスの山々、 国師ヶ岳、金峰山、小川山、八ヶ岳、浅間山など お馴染みの山々を見ることができ、 しかもこの時期に 2500m近いこの頂上にいることに 少なからず興奮を覚えたのであった。
いつも冬山というだけで、 高い山は敬遠していたが、 条件さえ整えば、 2500m級の山にも 登ることができる ということが分かり、 固定観念にとらわれた 思考パターンを反省したのであった。 無論、 冬山は低山でも危険なことがある。 キチンと正確な情報を入手し、 いつでも撤退する勇気が必要なのは言うまでもないが・・・。
結局、 山頂には 30分以上いて下山。 帰りは軽アイゼンを装着して、 文字通り滑るようにして下山。 駐車場に着いたのは 16時13分であった。
上で述べたように、 この時期に 簡単に 2500m級の山に登れたことに気分が高揚し、 素晴らしい景色に酔い、 2010年 登り初めとしては 満点の山行であった。


久々の天城山縦走  2009.12 記

今年 (2009年) の年末は 日の巡り合わせが悪く、 会社は29日まで。 従って、 残すところ今年も あと1週間余りとなった時点で、 山に行けるチャンスは 天皇誕生日の 23日と、 26、27日の土日ということになった。
ただ、 26、27日の天候はあまり良くないようであるから (実際はかなり良かった)、 23日の天皇誕生日が 今年最後の山行のチャンスという可能性が高い。
ということで、 23日の天気がかなり高い確率で晴れと出ている中、 どこに行こうか迷ったのだったが、 結局 静岡県の天気が一番良さそうだということで、 天城山に行くことに決めた。
天城山には 1989年に一度登っている。 従って、今回 再登山と言いたいところであるが、 実は山行記録には掲載しそびれてしまったものの、 2004年にも登っているのである。 それならば、 この時期 わざわざ天城山でなくても良い ということになるのだが、 先日、山レコ(山行記録共有データベース) を見ていたところ、 万三郎岳、万二郎岳を登った後、 定番の天城高原ゴルフコースには下らずに、 箒木山という山を経て、 そのまま伊豆急の伊豆大川駅に下った という記録を読み、 刺激されたことが 行き先に選んだ理由である。
1回目、2回目の天城山登山の時は、 天城トンネルから旧天城トンネルを経て、 天城峠に至り、 そこから八丁池、万三郎岳、万二郎岳まで縦走し、 天城高原ゴルフコースに下ったのであった。 しかし、 2回とも、 天城高原ゴルフコース発伊東駅行のバスの時間まで かなり長く待たねばならなかったため、 1回目は鹿路庭峠まで歩いてバスを待つ時間を調整し、 2回目も同じことをしようとしたところ、 途中、親切な人の車に乗せてもらえることになり、 伊豆高原駅まで送ってもらったのであった。 つまり、 このコースは万二郎岳から下山後、 バスを待つ時間が長く、 それが少々嫌だった思い出のある山なのである。
ところが、 万二郎岳から箒木山を経由して そのまま電車の駅まで歩けるコースがあるのであれば、 是非とも行きたくなるではないか (無論、車は上述のコースを辿れないので論外)。

ということで 23日の早朝、 瀬谷駅−(相鉄線)−大和駅− (小田急江ノ島線)−藤沢駅−(JR東海道線) −三島駅−(伊豆箱根鉄道駿豆線) −修善寺駅と電車を乗り継ぎ、 8時9分に修善寺着。 修善寺からは 8時15分発のバスで 天城峠へと向かったのだった。
前回、前々回と それなりに登山客がいたこのバスであるが、 今回 登山者は小生1人。 客も総勢 4人という寂しさであった (地震の影響でもあるまいと思うが・・・)。 天城トンネルの手前で下車、 トンネルの脇を登って、 旧天城トンネルへと進み、 そこからさらに登って天城峠へと至る。
ここからはほぼ平らな道が続くはずである。 ところが、 途中 道が崩壊した所があるらしく、 尾根に登って迂回する道ができていた。 それが2箇所。 お陰で少々時間をロスしてしまった。 但し、 高度を上げたお陰で、 富士山をよく見ることができたのは ラッキーであった。
凍った八丁池は誰もいない状態。 万三郎岳との間で 3人すれ違っただけの 静かな山旅であった。
さて、肝心の箒木山への道だが、 万二郎岳頂上のすぐ脇から出ている。 道は結構荒れていて 木に付けられた赤テープ頼りの道であった。 途中からロープが導いてくれたのだが、 箒木山手前のピークで赤テープを見失い、 結局 手探りをしながらの道行きとなった。 恐らく、 正しい道は箒木山手前のピークを しっかり越えていくのが正しいのであろうが、 私のとった道は そのピークの西側を巻くルートで、 道らしきものはあるものの ほとんど歩かれた跡がなく、 やや藪こぎに近いものであった。
ただ、ピークを巻き終えたところで、 左の尾根に登っていくと、 そこには防火帯のように ササを切り開いた道があり、 後は箒木山までスンナリ行くことができたのであった。
しかし、 そこからの林道歩きが長かった。 山レコの人は、 林道を辿らずに 東斜面を藪こぎ覚悟で進んだようだが、 冬至の次の日では 日が短いため それは無理。 安全策をとって林道を辿ったのだったが、 まあ とにかく長かった。 クネクネとした道を歩くこと 1時間50分強。 伊豆大川駅には 16時50分に到着。 幸いなことに 17時6分発の電車があり、 伊東駅発の東京駅行きへの連結も良く、 スムーズに帰ることができたのであった。 しかし、疲れた。


ハードディスクの突然死と SSD  2009.12 記

3週間ほど山に行っていないので、 パソコンの話を少し。
前回 この欄で触れたように、 Windows7をインストールしている 500Gのハードディスクが突然死してしまった。 前の晩に正常に終了。 次の日、会社から帰宅後、 パソコンのスイッチを入れたところ、 Windowsが起動しないのである。 そして、出されたメッセージは Windowsが見つからない云々。 BIOSを立ち上げて調べてみると、 何と Windowsをインストールしているハードディスク自体が 認識されていないのであった。
結線の問題かと思って、 筐体を開けて 件のハードディスクを取り外し、 電源を入れてみたところ、 ハードディスクの中で モーターは動いているらしく、 結線や電源の問題ではないようである。
ということは、 これはハードディスクが突然死した としか思えない。 これには慌てた。 急いでもう一台のパソコンを立ち上げ、 『ハードディスクの突然死』 と入れて Google検索したところ、 いきなり 『 Seagate製ハードディスクの ファームウェアに致命的な不具合、 起動不能・アクセス不能になることが判明 』 の文字が飛び込んできたのであった。 そう、小生のパソコンにおいて Windowsをインストールしていたのは、 その Seagate製のハードディスクだったのである。 もろにこれに引っかかったのではないか ということで、 このハードディスクの シリアルナンバーを確認し、 Seagateのホームページで 該当するハーディスクかどうか確認したところ (しっかりした判定ソフトがある)、 残念なことに 該当するモデルと判明したのであった。
この Seagate製ハードディスクの突然死については、 ファームウェアを書き換えさえすれば 防止できるのだそうだが、 死んでしまった場合は もう救いようがないらしい。 後の祭りである。
ということで、 新たにハードディスクを購入し、 Windowsを再インストールしなければならない羽目に陥ってしまったのだった。 それにしても腹立たしい。 何とか損害を補償してもらうことを考えねばならない。

一方で、Windowsの再インストールであるが、 まずハードディスクの購入から始める必要がある。 大容量のハードディスクもかなり安価になっているので、 新たな購入も 経済的には問題ないのだが、 それでは何となくつまらない。 ここは災い転じて何とやらを目指し、 ハードディスクではなく、 SSD(Solid State Disk) を使ってみようか との冒険心が芽生えてきたのであった (冒険心というのは、 新しいものを試す ということよりも 価格的な方が大きいのだが・・・)。
早速、 会社の帰りに横浜の Sofmapに立ち寄って、 大枚2万数千円をはたき、 Intelの X25-M SATA の 80G (SSDSA2MH080G2R5)を購入。 Windows7のインストールを行ったのであった。
小生の持っている Windows7は、 アップグレード版なので、 正式には Windows XPをインストールし (Windows Vista、Windows XP もアップグレード版だが、 Windows XP は 途中で 求めに応じ Windows 98 等のディスクを PCに入れれば、 インストールできる)、 そこからグレードアップせねばならない。
しかし、そんなことをしていたら、 いくら時間があっても足りない。 そこで、ネット上に出ていた裏技を使い、 Windows7アップグレード版から 新規インストールを試み、 見事成功。 さらに、以前 Windows Vista から Windows7 にアップグレードした時に行った バックアップデータから、 種々のデータを読み込み、 短時間で もとの機能を取り戻すことに成功したのであった。 これは嬉しい。
そして、 早速 SSDの効果を享受し始めている。 とにかく、Windows7の立ち上がりが劇的に早くなったのである。 ウィルスバスターなども、 Vistaや XPでは、 パソコンが立ち上がっても ちゃんと機能するまでに かなりの時間を要していたのだが (起動中と出て、保護されています という状態になるまでに時間が掛かる)、 今はパソコンが立ち上がった時点で、 ウィルスバスターも機能し始めるようになり、 ストレスがかなり軽減されたのであった。 快適そのものである。
結果的には、 災い転じて福となす ということになったが、 それにしても Seagateには腹が立つ。 保証期間も確かめ、対応を検討したい。
なお、小生のパソコンには他に 2つのSeagate製のハードディスクが入っているが、 この 2つは判定でセーフと出たのであった。 そして、 もう 1つのパソコンにも Seagate製のハードディスクを 2つ載せているが、 そちらもセーフ。 結局、5基のハードディスクのうち、 該当したのは 私のプライマリディスクのみであった。 これも腹が立つ。 どうせ被害を受けるのなら、 ローカルディスクであったら良かったのに・・・。


突然に 寸又三山 朝日岳  2009.12 記

かなり更新に間が空いたが、 これはパソコンのハードディスクが突然死してしまい、 OSとともに せっかく作成した登山記録が すっ飛んでしまったためである。 ネットで調べると、 突然死したハードディスクは ファームウェアのバグで 前から突然死が警告されていたものであった。 警告に気づかなかったのは迂闊であったが、 何となく割り切れない。 しかし、そのお陰で OSをインストールするメインディスクを SSD (Solid State Drive) に交換。 劇的な速度アップに感激している次第である。

さて、11月9日から片品村戸倉−大清水間の 国道401号線が冬期閉鎖されることを知り、 少々風邪気味でノドが痛いのを押して 11月8日、 大清水−毘沙門山(物見山)−鬼怒沼湿原への山行を行ったところ、 帰宅後に風邪が悪化。 結局、体調を崩して、 11月21日からの 3連休も 自宅待機と相成ってしまった。 11月6日に インフルエンザの予防接種 (新型ではない) を行ったのも悪かったようで、 11月8日以降 暫くは散々の状態であった。
そして、 ようやく体調も回復してきたので、 11月28日の土曜日、山に行ってきた。
登ったのは 静岡県寸又峡にある朝日岳。 何故 唐突にこの山が出てきたかというと、 3連休中に机の上に山積みになった山の地図 (昭文社の 山と高原地図) を片付けていたところ、 昨年登った聖岳、光岳の地図があり、 たまたまその裏を見たら、 七面山、山伏、大無間山(実際は小無間山止まり)など、 今まで地図が手元に無く、 ガイドブックだけに頼っていた山々が 載っていたのに驚くとともに (どうして気づかなかったのであろう? それとも忘れていたのか?)、 その中にあった寸又三山 (前黒法師岳、沢口山、朝日岳) に目が止まったからである。
無論、かなり遠い場所にあるので、 その時は積極的に登ろうとは思っていなかったのだが、 28日の土曜日に登るべき山を検討する際、 一番天気が良いのは 静岡県であることが分かり、 俄に寸又三山がクローズアップされた という次第である。
そして、 寸又三山の中から何故 朝日岳を選んだのかというと、 先般小無間山まで行った際、 1,796mの三角点から見た朝日岳が なかなか印象的だったからである。
ただ、一つ躊躇させることがあるとしたら、 山自体ではなく、 そこまでのアプローチである。 とにかく、大井川本線の千頭駅付近に行くまでの 国道362号線が狭い。 そして千頭から寸又峡までの道も、 途中かなり狭いところがあって、 混雑時が心配だったからである。 無論、行きは朝早いので問題ないであろうが、 帰りのことを考えると少々憂鬱になる。
とはいえ、 そんなことで山行を取り止めるのは沽券に関わる ということで、 28日の土曜日、 朝 3時40分に横浜の家を出発したのであった。
すぐに横浜ICから東名高速道に乗り、 清水ICまで進む。 清水ICからは静清バイパスに入り、 羽鳥ICから 件の国道362号線に入る。 この道は途中までは快適なのだが、 山間部に入るとかなり狭い道が続く。 朝まだ暗いので対向車があってもライトで分かり、 何とか譲り合いをしながら進む。 虻塚の集落を過ぎ、 細い山道を進む。 茶店が右に現れるとホッとする。 後は道が広くなるからである (この道は小無間山に登った際に通ったので、 ある程度分かっている)。
千頭駅近くまで下り、 川根大橋を渡って大井川を越える。 橋を渡ったところで右折すれば、 寸又峡まではほぼ一本道。 しかし、ここも山間部はかなり狭い。
寸又峡までは ほとんど車とすれ違わなかったので良かったが、 こちらも帰りが憂鬱。 と思ったら、 帰り道、 寸又峡から千頭駅までの要所要所には、 交通整理の方が出て、 無線で連絡を取り合いながら、 行き来する車を交互に 一方通行にして通らせていたのである。 これには感心することしきり。 寸又峡の駐車場で 500円徴収されたのも これなら納得である。
また 千頭駅からの国道362号線も、 3台ほど連なって進んで行ったところ(小生は3台目)、 スンナリ通過できたのであった。 ちょっと考えすぎていたようである。

さて、肝心の山であるが、 なかなか登り応えのある山であった。
寸又峡から朝日岳頂上まで 約3時間半ほど。 ようやく着いた朝日岳頂上は、 樹林に囲まれ、 ほとんど展望が利かない状態。 全体的に地味であったが、 途中の展望所から見上げる朝日岳の姿、 山腹の大崩壊地、 そして頂上からの富士山など、 ところどころに見所があり、 結構楽しめたのであった。
頂上からの富士山は、 東方面に見えるのだが、 探したけれどなかなか見つからない。 目を凝らすこと数分、 ようやく真っ白な雲を背景にした、 真っ白な富士の姿を見つけることができたのであった。 まるで保護色によって隠れているようであった。
それにしても静かな山行であった。 山で出会ったのは、わずかに4人。 下山したところ、 寸又峡がかなり混雑していたので、 そのギャップに驚かされた。 温泉に浸かって汗を流した後、 帰りの道路状況を思って憂鬱な気持ちで出発。 ところが先に述べた通り、 スムーズに通り抜けられたのであった。
帰りに千頭から国道362号線の坂を登る際、 朝日岳の姿が見えた。 何とも威厳のある姿に またまた驚かされたのであった。


山を目的としない登山  2009.11 記

ここのところ、 甲斐駒ヶ岳や鳳凰三山、 そして皇海山など、 日帰りのハードな山行が続いたので、 少しノンビリした山登りを楽しもうと、 日光の温泉ヶ岳、根名草山、金精山に登ってきた。
これらの山々は、 特に前から狙っていた山 という訳ではなく、 先般の男体山、そして皇海山に登った時に、 地図(昭文社 『日光 白根山・男体山』)を眺めていて、 たまたま目に止まったという次第である。
何せ、 金精峠トンネルの手前から登って、 すぐに尾根上に到達できるのが良い。 そして、未踏の奥日光の山を思う存分楽しめるのが魅力的で、 さらに温泉ヶ岳という名前が気に入ったからである。
尤も、 温泉ヶ岳は 『オンセンガタケ』 と読むのではなく、 『ユゼンガタケ』 と読むらしいことを 後で知って少々がっかりしたのだが・・・。
そして、これらの山々は期待通り 素晴らしいものであった。 道は良く踏まれている割に人が少なく、 静かな山歩きが楽しめたのが一番で、 また、人の手が入らない原生林は 何とも魅力的であり、 さらに所々で得られる 男体山や奥白根山などの日光の山々、 そして菅沼、刈込湖などの展望も素晴らしく、 言うことなしであった。
体力的には、 意外と呆気なく根名草山に到達してしまい、 やや物足りなさを感じたのだが、 その後に金精峠から 反対側の金精山に登り、 結構ハードな登りを経験できたので、 十分に満足したのであった。

で、この登山には続きがある。
根名草山からは、 遠く 燧ヶ岳の双耳峰、 そしてその手前に鬼怒沼の広がりを見ることができ、 感激したのだが、 その鬼怒沼を見た瞬間、 どうしても鬼怒沼に行ってみたくなったのである。
根名草山から見えた鬼怒沼は、 左右が山に囲まれ、 前後は谷から盛り上がって 台地状になっている感じで、 そう簡単にはたどり着けない 秘境の地のような印象を与えてくれたからである。 実際は、女夫淵温泉から日光沢温泉経由のルートをとれば、 日帰りも可能なハイキングとなるらしいが、 地図を見ると、 大清水から毘沙門山(物見山)を越えて 鬼怒沼に至るルートがあり、 山を越えて秘境の地にたどり着く という冒険心をくすぐるようなシチュエーションがあることを知り、 行きたい気持ちに拍車をかけたのであった。
それではと、 もう少し詳しく調べてみると、 片品村戸倉から大清水までの国道401号線は、 何と 11月9日から通行止めとのこと。 大清水から登ることができるのは 11月7、8日しかないことになり、 慌てて8日の日曜日に出かけたのであった。
結果はこれも素晴らしいものであった。
天候はやや曇りがちではあったが、 鬼怒沼の高層湿原の向こうに奥白根山が見え、 誰もいない湿原を独り占めであった。 山としては、 毘沙門山と鬼怒沼山に登ったのだが、 山の魅力は今ひとつ。 しかし、 今回の主役はあくまで鬼怒沼。 こういう登山もありかなと思った次第である。

しかし、 大清水までの道が冬期閉鎖されるということで、 少々ノドが痛いの押して 8日に登ったのだったが、 お陰で下山後に 風邪がひどくなり、 寝込む羽目になってしまったのだった。
とはいえ、 時折、こういう登山も入れていきたい と心から思った最近 2つの山行であった。


手強き皇海山  2009.11 記

10月22日、 休暇を取って山に行ってきた。
当初、 白根三山の再縦走を試みよう と思ったのだが、 既にこの時期、 3,000m級の山は 冬山に近い状態となっているらしく、 北岳山荘から間ノ岳の斜面は アイスバーン状態のためアイゼンが必要 などという北岳山荘からの情報や、 稜線上は風が強く、 吹き飛ばされないように要注意 などといった情報を得て、 すぐに行き先をもっと低い山に変えたのであった。
そして、検討の結果、 登ることにしたのが皇海山。 この山も既に 13年前に登っているのだが、 その時はガスが湧くというあいにくのコンディション。 あまり展望を得られず、 やや不完全燃焼状態であり、 いつかはもう一度トライせねばならない と思っていた山であった。
とはいえ、 13年間も再トライをしなかったのは、 登頂までの距離が長いことと、 途中にあるいくつものピークは鎖場などが多く、 なかなか手強かったためである。 無論、 今は栗原川林道から不動沢経由で登るコースが主流になっているようなのだが、 それでは再トライとはならない訳で、 どうしても庚申山経由の登山に拘りたいところである。

さて、結果であるが、 久々の皇海山はやはり手強かったの一言。 稼いできた高度を、 一旦はき出してはさらに登り返す といった行程がいくつも続き、 おまけに鎖場や梯子、 ロープなどがそこに付随してくるのだから、 簡単にはいかないということである。
しかし、そうは言っても 皇海山まではまあまあのペースで到達し、 皇海山から鋸山までの戻りも それほど苦ではなく、 逆にスリルを楽しめた感じであった。 しかし、そこからがいけなかった。 再び往路をそのまま戻れば、 鎖場や梯子をクリアし、 さらにいくつものピークを登っては下る という行程が待っている。 しかも、前回 同じコースを辿った際は、 庚申山への最後の登りで かなりへばってしまったのを思い出したので、 今回は比較的平坦な道が続くと思われる 六林班峠経由の道をとることにしたのだった。
これが それほど甘くなかったということである。 確かにきついアップダウンはない。 最初に鋸山から急斜面を下り、 そこから少し登り返せば、 後はほぼ緩やかな下りか、 平らな道が続く。
しかし、 ほとんど人が通らないのであろう。 ササがかなり伸び放題になっており、 ひどいところでは 胸元までササに覆われ、 ササの海を泳ぐという感じであった。
伸び放題のササでも、 道の部分は 少し周囲より背が低くなっているので、 一応ルートは判断がつくのだが、 難点がいくつかあった。 足下を隠すササの下に、 多くの倒木があるので、 ルートを探す作業と、 足下をケアする作業で、 かなり神経を使わねばならなかったこと。
また、ササ原の中で、 少し背が低くなっていて道を示している と思われる部分が、 途中でいくつも分かれる場合があり、 結構 カンを要求されたこと などである。 一応テープやマークが付けられているが、 それは木に付けられているのであり、 ササにはないため、 全面ササ原の所で、2度ほど迷ったのだった。
ようやく 庚申山荘への分岐に到着した後は、 ササ原も歩きやすくなったが、 今度は違う問題が現れた。 道は山腹をほぼ平らに横切ってつけられており、 それはそれで 体力を消耗しないからありがたいのだが、 一方で山腹を横切ることで、 山襞を全て辿ることになり、 距離がエラく長いのである。
そして、 疲れて庚申山荘に着いた時は17時。 ここからは道も良くなるのだが、 まだ安心はできない。 辺りは暗くなり始めており、 ヘッドライトを照らしながらの下山となったからである。
猿田彦神社跡に着いた時はもう真っ暗。 道を探しつつの下山であり、 結構神経を使うことになったのである。 庚申山荘から一の鳥居の間は、 遊歩道のように整備されているのでまだ助かったものの、 それでも、 道を逸れて沢に入り込むこと2回。 スリルに満ちた下山であり、 林道の始まりとなる 一の鳥居に戻りついた時は、 本当に嬉しかった。
一の鳥居からの林道歩きは、 もう道に迷う心配はなくなったのだが、 その約4kmの道程が 暗闇の中では大変長く感じられたのであった。
この日の登山は、 鎖場、梯子、ロープ、ササ原、暗闇の中の道と、 スリルを味わい、 苦労することが多かったが、 逆にこういう刺激がある登山も面白い。 病み付きになりそうである。


鳳凰三山と高嶺、そして感じたこと  2009.10 記

10月10日から3連休。 初日はどうも山の天候が怪しかったのでパスすることとし、 11日の日曜日に山に行ってきた。
行き先は鳳凰三山。 登山ルートは青木鉱泉から中道コースを辿って薬師岳に登頂、 その後、 観音岳から赤抜沢ノ頭へと至り、 そこから高嶺を往復。 赤抜沢ノ頭からは地蔵岳を経て、 ドンドコ沢沿いに下り、 青木鉱泉に戻るというものである。 このルートを辿るのは3回目、 鳳凰三山としては4回目の登山となる。
実は今回の3連休も、 前回の9月のシルバーウィークと同様、 白根三山のリベンジ登山を考えなくもなかったのだが、 やはりアプローチ、 山小屋も含めた山での混雑が恐ろしく、 結局 日帰りで南アルプスを堪能できる 上述のコースに決めた次第である。
しかし、 登る季節が若干違うとは言え (過去7月、9月に登山)、 同じコースを3度も登るのも 少々マンネリである。 そこで、先般の白根三山、 そして甲斐駒ヶ岳登山の時に気になった山、 高嶺に登ることを付け加えることにした。
北岳や甲斐駒ヶ岳から鳳凰三山を眺めた時、 オベリスクを頂上に抱く地蔵岳が目につくのは当然だが、 その横にある高嶺のなかなか形の良い山容は、 地蔵岳を凌ぐ高さとボリュームを有して、 なかなか魅力的だったからである。
さて、結果であるが、 前日の10日は雪もちらついたようだが、 11日は快晴、気温も問題なし。
途中、 薬師岳から観音岳の間はガスに囲まれたものの、 それ以降は素晴らしい天候に恵まれ、 過去2回の縦走では見ることができなかった 北岳、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳の姿をハッキリと目にすることができ、 大変ハッピーであった。 今年最後の南アルプスになろうと思うが、 先日の甲斐駒ヶ岳に続いての気持ちの良い登山であった。
そして、高嶺も最高。 あまり立ち寄る人もいないから、 頂上でゆっくり出来たし、 何しろ展望が素晴らしい。 この山に登ることを付け加えたのは大正解であった。 大満足である。

ところで、 今回の登山で気になることが3つほどあった。
1つは、 登り優先の原則を守らない人たちが多いこと。 エチケットルール自体が変わったのではないか と思いたくなるほど酷い。 特に、意外と高齢の方が守らないのにはビックリ。
2つ目は、 小生が登り優先を守って上で待っているにも拘わらず、 ぺちゃくちゃと私語を交わしながら 知らん顔で通り過ぎるおばさん達、 あるいは道を譲られるのは当然 といった感じで黙って通り過ぎる人たち。 お礼を求めるつもりはないが、 何らかの挨拶があって然るべきであろう。
3つ目は、 ドンドコ沢を下っている時、 既に15時を過ぎているにも拘わらず すれ違った人たちが 10人弱いたこと。 恐らく鳳凰小屋に着くのは 18時を過ぎる可能性が高い。 連休で混雑している中、 そんなに遅く小屋に到着したのでは 山小屋も大迷惑であろう。 何を考えているのであろう。 農鳥小屋のご主人なら、 コンコンと説教をしたに違いない・・・。
まあ、 こんなことがいちいち気になるようだと、 小生も年を取ってきた証拠、 口うるさい老人の仲間入りか。 けれども 大事なことと思うが・・・。


20年ぶりの甲斐駒ヶ岳  2009.9 記

9月19日からはシルバーウィーク。 この 5日間の休みに 全国の行楽地は 大賑わいだったようだが、> 私も 20日の日曜日、 山に行ってきた。
折角の連休であるから、 先日 雨に祟られて散々だった 白根三山への再挑戦も考えたのだが、 広河原までのバス便や登山道、山頂、 そして山小屋の混み具合を考えると、 とてもトライする勇気が湧かず、 考えた末に 黒戸尾根を使った 甲斐駒ヶ岳の日帰り登山を決行することにした。
要するに、 登山の出発点まで車でスムーズに行け、 しかも あまり混みそうもない登山道、 そして折角なら 3,000m近い山を狙おうと考え、 色々検討したところ、 この甲斐駒ヶ岳に決定した という次第である。 問題は 体力的に大丈夫か ということで、 地図では 竹宇駒ヶ岳神社から、 登り 9時間30分、 下り 5時間40分、 つまり合計 15時間10分となっている行程を 歩ききることができるか という点にある。
しかし、 ありがたいことに 途中の七丈小屋は 予約不要とのこと。 甲斐駒ヶ岳登頂後、 そのまま麓まで下山するのが体力的に無理であったら、 泊まらせてもらう という予備案をもって、 トライすることにしたのであった。

20日は 午前3時に家を出発。 八王子ICから中央高速道に入って須玉ICを目指す。 竹宇駒ヶ岳神社への道順は 日向山登山と同じルート。 何回か通っているので、 スムーズである。
渋滞が心配された中央高速道も、 朝早かったためか、 車の通行量はいつもより多かったものの 全く問題なく、 5時23分には竹宇駒ヶ岳神社駐車場に到着したのであった。
詳細は いずれアップする登山記録をご覧戴きたいが、 1日中 雲一つ無い快晴のもと、 久々に頂上での好展望を得ることができ、 また、どうにか真っ暗にならないうちに無事下山できたのであった。 それにしても 素晴らしい天気であった。 南アルプスの山々、中央アルプス、 御嶽、北アルプス、 八ヶ岳、奥秩父の山々、 そして富士山と、 四方八方の山々は全てその頂上が見えていたので、 この日これらの山々に登った人たちは 皆 頂上で至福の時を味わったことであろう。

私にとって、 この甲斐駒ヶ岳は 2回目の登山となる。 前回も竹宇駒ヶ岳神社から登り、 七丈小屋で1泊。次の日、甲斐駒ヶ岳に登頂した後、 駒津峰から仙水峠経由にて北沢峠へと下ったのであった。
しかし、 1日目は雨の中の登山。 楽しみにしていた刃渡りはガスの中で全く様子が掴めず、 その他の場所でも 全く展望は得られずと、 七丈小屋までとにかく登っただけ という状況。 しかし、一転して2日目は快晴。 甲斐駒ヶ岳 1番乗りを果たしたのであった。
今回も 先日の男体山と同様、 当時を思い出しつつ登ったのだが、 大分様相が変わっているのに驚かされた。 前回印象に残っていた ザレた崩壊地の横断や 粥餅石は通らなくなっており、 囲炉裏(だったと思う)横で休憩させてもらった 五合目小屋も今は無く、 登山道に架かる梯子は立派なものに変わり、 八合目 御来迎場の鳥居は崩壊、 頂上の標識も変わっていた(以前は 東駒ヶ岳 と書かれた標識。 東の字が削られていた)。
20年という年月が流れたのだから致し方ないが、 粥餅石の水は大変美味しかった記憶があるだけに、 今回 そこを通らなかったのが一番残念であった。 前回、しきりに 復路も黒戸尾根を下りるように勧めてくれた 五合目小屋の主人もいなくなり(というか 小屋自体が無くなった)、 やはり寂しい限りである。
それにしても疲れた。 5時30分に駐車場を出発して、 甲斐駒ヶ岳頂上到着が 12時18分。 30分程頂上に居て、 駐車場に戻ってきたのは 17時42分であった。
時間にして 12時間12分。 しかし、 世の中には凄い人もいて、 往復 7時間半という人もいる。 どうしてそんなに早く登ってこれるのか理解不能である。 まあ、人は人。 今回は久々に晴天下に登頂でき、 疲れたけれど充実感一杯の山行であった。


19年ぶりの男体山  2009.9 記

9月5日は晴れるとのことだったので、 急遽山に行くことにした。 ただ、少々疲れ気味であることから、 あまりハードな山は避けたいと思い、 日光の男体山に登ることにした。 実に19年ぶりの再登山となる。
何故男体山かというと、 大した理由があるわけではない。 実は数日前、 大学生の息子が友人たちと 富士山に登ってきた。 登る前日に話を聞いたら、 地図は持っていない、 登山靴も持っていない、 夜間登山でご来光を拝む というのに懐中電灯も持っていない、 小雨という天気予報にも拘わらず 雨具も用意していないと、 万が一遭難した場合、 世間の批難を浴びること間違い無し のノー天気状態。 仕方がないので、 地図、雨具、懐中電灯、ザックカバー、登山靴を貸与し、 もし五合目に着いた時に 雨が降っているようなら、 登山は中止するように と諭して送り出したのだった (本人たちは初めての富士山登山。 というより、 初めての登山 と言っても間違いではない状況のようだ。 それなのに多くの山小屋が閉まる この時期の富士登山も無謀。)。
翌日、 無事戻ってきたので話を聞くと、 天気予報では小雨 と言っていたのだが 実際は晴れ、 月明かりで懐中電灯は全く不要、 当然 雨具は不要、 頂上ではご来光を拝むことができ、 ゆっくりと登ったので 全然バテなかったとのこと。 若さとその無鉄砲さに呆れ、 山も彼らに試練を与えるのを 止めたようだ。 恐らく 私の場合であれば、 小雨模様との天気予報を聞いた時点で 登山は諦め、 現地にも行かなかったはずである。
私も登山を始めた頃は、 結構 無茶な山登りをしていたのにな と この頃 保守的になっているのを反省するとともに、 彼らの富士登山を聞いて、 3回目の富士山も良いかなと思った次第。 しかし、小生の場合、 五合目からの登山では納得しない となると、 今の身体の状況では富士山はきつい。
と そこで思いついたのが、 日光富士と呼ばれる男体山という次第。 全く単純な発想である。
ただ、 周辺の女峰山、奥白根山などは2回登っており、 男体山は 登山を始めた当初に登ったきりだったので、 もう一度登ってみたい とは思っていた山である。 富士山がきつければ、 日光富士と呼ばれる 男体山が思い浮かんだのも まあ自然なところか。

で、肝心の登山であるが、 天気予報では午前中が晴れ、 午後は曇りあるいは雨とのこと。 実は 山梨県の方の天気予報の方が、 1日中好天だったので、 そちらにしようとの気持ちもあったが、 やはり息子たちの行動を見て、 少々の天候のことで止めるのも情けない と思い、 朝、 3時半に自宅を出発。
日光宇都宮道路を走る頃には、 青い空に男体山と女峰山が仲良く並んでいて、 晴天を予感させてくれたのであった。 しかし、 6時17分に登拝門を出発した時には 晴れていたものの、 頂上に着いた時は 完全にガスの中。 全くついていない。 本来は、19年前と同様、 志津小屋の方に下って 三本松からバスで戻ってこよう と思っていたのだが、 全く視界を得られない中、 下ってもつまらないと思い、 急遽ピストン登山に切り替えた次第。
お陰で、 10時44分に登拝門に戻り着く。 あまりにも早すぎる。 中禅寺湖の反対側、 阿世潟の方へ行って 中禅寺湖と男体山を カメラに収めようと思ったが、 肝心の男体山の他、 中禅寺湖周囲の山もガスに霞んでおり、 展望は得られそうもないので、 あきらめて帰宅することにした。
一応 このモヤモヤ解消のため、 帰路は足尾、草木ダムの方を経由して ドライブを楽しんだ次第である。

これもまた登山であるが、 このところ、鋸岳、白根三山とガスに祟られ、 今回の男体山もガスでは ちょっと気分が悪い。 晴天のもと、 登山を楽しみたいものである。


白根三山は散々  2009.8 記

8月も残り1週間弱。 そして、先日の23日は処暑。 処暑とは真夏の暑さがやわらぎ、 朝や夜に涼しさを感じ始める時期を言う のだそうだが、 事実、この頃 秋の気配を そこかしこで感じるようになってきている。 結局、この夏、 夏らしい暑さを感じた日は数えるほどしか無く、 真夏の太陽の下、 夏山を思いっきり楽しむ との思いも適わないまま、 夏は終わってしまおうとしている。
本当に この夏は天候不順に悩まされ、 7月は全く山に行けず仕舞い。 8月に入っても天候不順は続き、 夏休みもかなり予定を狂わされたのであった。 一応、夏休みには南アルプスの鋸岳 (釜無川からのピストン) に登ってきたものの、 これだけで満足できるわけではなく、 当初計画していた北岳、間ノ岳、農鳥岳 の白根三山縦走が実行出来なかったので、 ずっと欲求不満のままであった。
一方で、 南アルプスの登山基地である 広河原への早朝バス便は、 8月23日まで (後は 11月9日までの土休日の運行) ということを最近知り、 何となく船に乗り遅れた感じも 抱いてしまっていたのである。 こうなると、 イライラは募るばかり。 これは身体に良くないということで、 思い切って会社を休んで 山に行くことに決めたのだった。

21日の金曜日に休暇を取り、 白根三山に登ることを計画。
21日は午前1時半に横浜の自宅を出発。 横浜ICから東名高速道に乗り、 御殿場ICまで進む。 御殿場ICからは東富士五湖道路へと進み、 富士吉田ICで下りる。 その後は、 何回か通ったことがある 富士パノラマライン(139号線)、 本栖みち(300号線)を進んで、 早川町へと向かったのであった。
21日の天候は曇り。 当初は晴れの予報だったのだが、 21日が近づくにつれてドンドン悪くなり、 最終的には曇りとなってしまったのだった。 しかし、翌日の22日は晴れになりそうなので、 それを期待しての山行である。
奈良田に 4時40分に到着。 時間がかかったのは、 身延町に入ってからコンビニを探そうと思い、 本栖みちと身延道(52号線)が交差するところで、 感に任せて左折し コンビニを探したところ、 行けども行けども 見つからなかったからである。 仕方なく、車を路肩に駐めて ナビでコンビニを探すと、 何のことはない、 先ほど左折した交差点を右折すれば、 すぐにヤマザキデイリーストアーや ローソンなどがあったのである。 勘が悪いことこの上ないが、 これが今回の山行の先行きを 物語っていたのであった。
奈良田発5時30分発のバスで広河原へと向かい、 広河原からは歩き慣れた ? 大樺沢を登る。
気が滅入るのは、 いつもなら見える北岳の姿が ガスの中であったこと。 そして、 大雪渓の行き着く先も ガスに飲み込まれていたことである。 一方で、身体の方は意外と快調。 1週間ほど前の鋸岳登山で 身体が慣れていたのであろう。 まあまあのペースで雪渓を登り切り、 八本歯ノコルに到着。 そこで嬉しいことに 短い時間ではあるが ガスが引き、 鳳凰三山の姿を見ることができるとともに、 反対側では富士山の姿も 見ることができたのであった。
しかし、結局はガスの中。 北岳山頂では全く展望を得られず、 北岳山荘から中白根山の登りでは 雨も降り出し、 間ノ岳頂上でも 全く展望をえられない状態であった。
ここまでは想定内としても、 残念ながら翌日も雨。 横殴りの雨に頬を叩かれ、 農鳥岳まではガスと強い風、 雨で散々であった。 しかし、奇跡とまでは言えないまでも、 農鳥岳の山頂に到達した途端に 雨と風が止み、 何とか頂上で写真を撮ることができたのは 不幸中の幸いであった。 無論、頂上からの視界はゼロ。
農鳥岳を過ぎるとまたガス、 雨と風が強くなり、 下降点手前の台地状の場所では、 前を行く人が風によって 転ばされるほどであった。 カメラを取り出せるようになったのは、 大門沢小屋を過ぎてから。 そうなると撮る対象は少ない。
結局、農鳥小屋から農鳥岳、 そして下降点まで、 全く視界が得られない、 ただ登り下りしただけの 味気ない山行に終わってしまったのだった。 やはり、無理して会社を休んだことがいけなかったのか ?
宿泊した農鳥小屋から下降点までの岩稜地帯は 晴れであればかなり魅力的であろう。 また登って確かめねばならない。
結局、宿題をまたもらった感じである。


7月は 山行 ゼロ  2009.8 記

ついにこの7月は 1回も山に行かずに終わってしまった。
プライベートで色々忙しかったこともあるが、 何よりもここのところの天候不順が大きい。 無論、曇り空を覚悟して山に行けば、 それなりに登頂はできたであろうが、 折角 山に行くのなら 天候が良い時に登りたいではないか。
ということで タイミングを待ち続けていたら、 休日と天候の折り合いがずっと悪く、 とうとう8月に入ってしまったという次第。
それにしても このところの天候不順は何なのであろう。
これを書いている今も、外は雨。 関東地方は梅雨明け宣言が7月の半ばに出されたのだが、 梅雨明け 10日(だったか、 1週間だったか) と言われる安定した天気は 実際は 3日と持たず、 実質は 梅雨明け宣言撤回が正しい という状態が続いている。 本当にイライラする。
この天候不順は 農作物にも影響を及ぼしているようで、 ジャガイモなど 価格が高騰するものも出ているようであるし、 米の収穫も心配である。 また、中国・九州地方は豪雨に見舞われ、 家屋倒壊も多く、 また死者もかなりの数出ており、 目を覆わんばかりの災害になっている。 これも温暖化の所為であろうか。 人類に対する因果応報 と言ってしまえばそれまでだが、 一部地域の人たちに被害が集中するのは 何とも気の毒な話。 国政選挙が近い中、 景気回復、生活安定の問題に加え、 各党とも もっと真剣に温暖化の問題への取り組みを 前面に出すべきであろう。

と、このように家に居る機会が多くなると、 必然的にパソコンの方に目が向いてしまう。
そして、その結果、 ほぼ衝動的な形で この7月にメイン機のマザーボード、 CPU、メモリーを一気に交換してしまった。
マザーボードは 変態マザーと呼ばれる Jetway HA08 COMBO。 これは DDR2メモリー、DDR3メモリー どちらも使えることと (それが変態と言われる所以。 無論 2種のメモリーは排他的である)、 安価なことが決め手になった (DDR2、DDR3の両方が使えるという機能は、 今のシステムから徐々にグレードアップするには もってこいなのである)。
CPUは AMD の Phenom II X4 945 (3.0GHz、L2 512KB×4、L3 6MB、TDP 95W) へとグレードアップ。 ついに 3GHzへの到達である。
メモリーは 当初 グレードアップ前の DDR2(2G×2)を使い回していたのだが、 結局 DDR3(2G×2)へと変えてしまった。 それなら始めから DDR3 メモリーも購入して、 マザーボードも AM3マザーを選べば良かった ということになるが、 まあ こういう無駄な過程も楽しいのである。
そして、 このメイン機のグレードアップは、 家族が使う弐号機にも影響を及ぼした。
ついでとばかり、 弐号機もマザーボード交換 (Foxconn A7DA-S。メイン機のお下がり)、 CPU交換 (これはメイン機で使用していた Phenom X4 9750 は使わず、 45Wという低電力消費の CPU、 Athlon X2 5050e (2.6GHz、L2 512KB×2) に交換)。 メモリーはメイン機の DDR2 を回して、 これまでの 1G×2から 2G×2へとアップさせたのだった。

しかし、 こういうグレードアップは楽しいことは楽しいが、 作業が終わってしまうと虚しさが残る。 結局、今のパソコンの能力はかなり上がっているので、 少々グレードアップしても それほど体感的に変わるものではないからである。 数値的には、 例えば Super Pi (円周率計算ソフト) の 104万桁計算スコアが、 これまでの 43秒前後から 23秒に大幅にアップ (Cool & Quiet は切らず) するなどの進歩は見られるものの、 ゲームはやらない小生にとっては、 一時的な満足でしかない。
やはり山に行かねば と改めて強く思ったのだが、 8月も天候不順が予想され、 今年の夏山登山はどうなることやら 大変に心配である。


万太郎山日帰り登山  2009.7 記

6月20日(経ヶ岳に登頂)に引き続き、 6月27日の土曜日も 梅雨の晴れ間となると聞き、 山に出かけることにした。
例のごとく行き先に迷ったのだが、 数日前に受講した 『特定保健指導(小生の場合、 メタボリックの予備軍として、動機付け支援)』 を真摯に受け止め、 少々身体を苛める位の登山ルートを選ぶこととし、 検討の結果、 新潟県の万太郎山に日帰り登山することに決めた。
この万太郎山は、 先般 平標山、仙ノ倉山、大源太山 (河内沢の頭) に登った際や、 3年前に谷川岳に登った際に 登ってみたいと思った山であり、 一方で 日帰り登山は無理 とあきらめていた山でもあった。 しかし、 27日の谷川岳周辺の天候がすこぶる良いことを YAHOO、Mapion 両方の天気予報サイトで確認した上で、 ネットで万太郎山への日帰り登山を検索したところ、 前例があるある、 中には 60歳を超えた方も達成しているではないか。 勝手に日帰りは無理 とあきらめていた自分を反省したのであった。 年を取ると どうも保守的になってしまう。
さて、万太郎山登山日帰りルートとしては、 (1) 土合から西黒尾根(あるいは巌剛新道)を登り、 谷川岳の頂上を踏んだ後、 万太郎山まで縦走し、 万太郎山からは吾策新道を下って土樽駅へ進み、 そこからJRにて土合に戻ってくるルート、 (2) 土合から谷川岳ロープウェイを使い天神平へと進み、 そこから天神尾根を登って谷川岳、 そして後は (1) と同じルートをたどるもの、 (3) 土樽から吾策新道を登り、ピストン登山するもの、 (4) 反対側の平標山から登り、 仙ノ倉山、万太郎山と縦走し、 吾策新道を下って土樽駅から越後湯沢駅、 そして平標山駐車場まで戻ってくるルート、 そして、(5) 前述の (1)、(2)、(4) のピストン登山 といったルートが考えられる。 さて、ここは思案のしどころだが、 その前に土樽駅発の上り電車、 下り電車を調べる必要がある。 下り 長岡方面行きは13時59分発、 上り 水上方面行きは15時21分、 これは余程 朝早い出発でなければ無理である。 次の上り、下りは 何と3〜4時間待ちの 18時1分 (下り) と 18時11分 (上り)。 やや遅い時間だが、 逆に登山に余裕が生まれることになる。
といったことを総合的に勘案して考えた。 まずはピストン登山は除外、そして平標山経由のルートは、 途中になるエビス大黒の頭が魅力的であるものの、 先般登ったばかりのコースであり、 また越後湯沢駅から戻ってくる手段が タクシーになる可能性が高いのでこれも除外、 そしてロープウェイを使うのは 小生の登山信条に反する ということで、 (1) のルートを辿ることに決めたのであった。 後は体力、そして天候が崩れないことである。

さて、結果であるが、 天候は時々薄曇りになったものの、 ほぼ快晴状態。 日差しの強さはかなりのものがあり、 腕、首など相当日焼けした。 帽子(野球帽)を被ってはいたのだが、 首筋が焼けるのは仕方がないにしても、 帽子が隠し得ない帽子と首との間の髪の毛の部分も、 櫛を通すと地肌がヒリヒリする状態である。
一方、体力の方は、 西黒尾根を登っている段階で身体の重さを感じだし、 あまり快調とは言えない状態であった。 谷川岳トマノ耳、オキノ耳には少々へばり気味で到着。 それでも万太郎山へと続く 素晴らしい稜線の魅力に惹かれ、 縦走開始。 最後の大障子ノ頭、万太郎山への登りは、 本当に苦しかった。 しかし、良くしたもので、 少しずつでも歩みを進めていると、 最初は はるかに高い所に見えた 万太郎山と吾策新道との分岐を示す標柱が 徐々に近くなり、 何とか登り切ることができたのだった。
万太郎山頂上には 30分ほどいたが独占状態。 先般登った仙ノ倉山を眺めて、 体力回復に努めたのであった。 そして吾策新道であるが、これが長い。 本当に苦しく長い下りであった。 これを登ろうなどと考えなくて 本当に良かった と心から思った次第。 土樽駅には16時50分に到着。 電車が来るまでの時間を、 持参した小説を読んでつぶしたのであった。 こういうこともまた楽し。
厳しいコースであったが、 徐々に新陳代謝が活発になれば、 もっと楽に歩き切ることができるであろう。
いよいよこれから夏山シーズン、 また少し厳しいコースにチャレンジしたいものである。


仲仙寺から経ヶ岳  2009.6 記

梅雨入りはしたものの、 ありがたいことに このところ土日は どちらかが晴れる状況が続いている。
6月20日の土曜日も 当初の曇りの予報から、 晴れ間が覗くという状況に回復してきたので、 それならばと 山に行くことにした。 とはいえ、 こういう時期であるから 天候は地域によってかなり状況が異なる訳で、 検討の結果、 晴れの確率の高そうな 長野県飯田地方を選んだのだった。
晴れる確率と書いたが、 自分で天気図を書いたり 読んだりしている訳ではない。 YAHOOと Mapionの天気予報を比べて、 どちらにおいても 同じく晴れマーク (時間ごとに) がついている地域を選んでいるだけである。 先般もこの欄で書いたが、 YAHOOと Mapionでは 予報を出す会社が違っている。 Yahooの方は Japan Weather Association (つまり財団法人 日本気象協会) と株式会社 eTEN (イー・テン) からの情報をベースにしているのに対し、 Mapion、nifty、So-netは 株式会社ウェザーニューズ から情報を得ている。 同じ天気図を見て、 予想が違うというのも困りものだが、 ピンポイントで地域を指定し、 時間毎の予報を見ると、 この両陣営で微妙に違う場合がある。 一方が晴れマークを出しているにも拘わらず、 一方では曇りマークのオンパレード。 こういう地域には行かないことにしている。
従って、 今回両者とも日中に晴れマークが並んでいるのは、 長野県飯田地方だったという次第で、 早速登る山の検討に入ったのだった。 飯田地方というと、 すぐに木曽駒ヶ岳が思い浮かぶが、 2年前に登ったばかりであるし、 結構キツイので 今回はパス。 手元にある1995年版の アルペンガイド、 『中央アルプス・御岳山・白山』 を引っ張り出して検討した結果、 行き先を経ヶ岳に決めたのだった。 高さも 2,296m とそこそこあり、 しかも 歩く距離は結構ありそうなので、 ある程度の手応えは得られそうだ という期待が湧く。
今回はかなり遠い場所であることを踏まえ、 4時10分に自宅を出発。 途中の国道16号線では雨がぱらついたが、 高速道の降り口である 伊那ICに向かうにつれ 天候は回復し始め、 登山口の仲仙寺に着いた時は 青空も見える状態であった。
さらに天候が回復することを祈りつつ出発したが、 結果は ガスが多く湧き上がり、 あまり展望を得られなかったのだった。 見えるはずの南アルプスは全然駄目。 中央アルプスは 八合目付近でチラリと見えたが、 すぐに湧き上がってくるガスに 飲み込まれてしまった。 救いは、 御嶽が見えたことで、 雪を残す上部の頂が 空中に浮いているように見え、 不思議な気分であった。

さて、山自体は頂上まで距離があり、 なかなか登り応えがあって楽しかった。 面白かったのは、 手元の古いアルペンガイドでは 九合目以降 ササが五月蠅いと書かれていたのに対し、 実際は全く問題がなかったこと。 そして仲仙寺から4合目までの方が ササが五月蠅かったことである。 4合目から上はしっかり手入れがされており、 あまり手入れがされていないのは 仲仙寺と4合目の間である。
4合目に着いたら 大泉所ダムからのルートと合流したのだが、 そちらのルートは しっかり手入れされていたようだったので、 今は仲仙寺からのルートよりも 大泉所ダムからの道の方が メインルートなのかもしれない (無論、このルートは 1995年のアルペンガイドには 載っていない)。
しかしそれにしても、 歩いていても、 休憩しても、 また山頂で憩っていても、 多くの虫が顔の周りを飛び交うのには本当に参った。 お陰で 落ち着いて昼食もできず状態。 また、カメラを構えると レンズに虫がたかる、 レンズの周りを飛び交うと いった状態で、 本当に大変であった。
とまあ、 いろいろあったが、 大きなハイライトは無い山であったものの、 こういう登山も良いかな と思わせる山であった。 ガスで周囲が見えない分、 景色に気を取られることなく、 黙々と登ることになる。 その分、色々なことを考えることができ、 修行の山、信仰の山というのは こうあるべきなのかもしれない と勝手に思ったりしたのであった。


甲斐駒の好展望台  2009.6 記

このところ梅雨のような天候が続いており、 さらに週日が晴れ、 土日に天候が悪くなるというパターンが定着している。 従って、 折角 ゴールデンウィークから 山登りのペースが上がってきたのに、 5月9日の天狗岳以来、 山はご無沙汰状態となっている。
先日の6月6日、7日の土日も、 天気予報では当初 雨や曇りとなっており、 実際、土曜日は 金曜日からの雨が続いた状態であった。 当然、 今週末も山は無理とあきらめていたところ、 突然、 7日 日曜日が快晴との予報が出て、 慌てて山に行くことに決めたのであった。
本来ならば、 土曜日の晩は サッカーワールドカップ予選 (ウズベキスタンvs日本) を見るつもりだったのだが、 来週以降の週間天気予報でも 次の土日は雨模様のようだったので、 この7日を逃したら 6月はいつ登れるか分からないと思い、 サッカーは前半を見終わったところでテレビ観戦を断念、 就寝したのだった。 後で確認したら、 前半入れた1点が決勝点だったとのこと、 そのシーンを見ることができ、 その後 押されっぱなしの日本に ハラハラドキドキせずに済んだのは 良かったのかもしれない。
さて、急遽山に行くことに決めたが、 日曜日にあまり肉体的にきつい登山を行うと、 翌日が辛い。 従って、軽い登山をと思い、 候補を考えたが、 なかなか良い山が見つからない。 そうこうしているうち、 最近の登山で 本来の目的を果たせなかった山行を何とかしよう という考えが浮かんできた。 そのような山行のうち、 北八ヶ岳 (高速道を進んでいると、真っ白な八ヶ岳にビックリ。 加えて、諏訪南ICで高速を降りたものの、 ガスで視界が悪く、 山の状況も期待できないと、 甘利山、千頭星山に変更) や五郎山 (道路の積雪状態を見て 行くのをあきらめ、 南大菩薩再登山に変更)、 そして天狗岳 (渋ノ湯まで行ったものの、 これまた道路上の雪とガスによりあきらめ、 雨乞岳再登山に変更)は、 その後リベンジしたので、 後は鞍掛山ということになる。
この鞍掛山は、 手前の日向山まで行ったものの、 前日の雨が山では雪だったらしく、 日向山もかなりの積雪、しかも私が雪を踏む第一号者。 もともとルートが分かりにくい と言われている山だけに、 この新雪状態で鞍掛山に踏み込むのは危険と、 日向山までとして急いで下山。 その後、 横尾山に登ったのだった。
ということで 日向山経由鞍掛山を目的地に定め、 横浜の自宅を4時20分に出発。
家を出るときは雲が多かった空も、 中央高速道を進むに連れ青空が広がりだし、 日向山登山口の林道を走る頃には、 快晴状態であった。 前回 雪で覆われていた日向山の雁ヶ原も、 今回は明るい日差しを浴びて砂浜のように白く輝き美しい。
また、 何よりも素晴らしかったのは、 新緑の向こうに聳える甲斐駒ヶ岳の姿。 まだ山肌に残雪を有しており、 それがアクセントとなって、 キリリとした表情に見える。
また、 この日の目的地であった鞍掛山へのルートは、 あまりポピュラーでない分、 荒らされた状況になく、 なかなか楽しめた。 最初は 細い尾根上の登下降が続き、 途中からきつい登りが始まったが、 所々で見える甲斐駒ヶ岳の姿が力を与えてくれる。 駒岩というピークからは道を左にとり、 今まで稼いできた高度を一旦はき出す。 そして、急な登りを経て着いた鞍掛山頂上はただのピーク。 展望も利かず、面白くも何ともないが、 その先の展望台(岩場)は素晴らしい。 その名の通り、 甲斐駒ヶ岳、鋸岳の好展望台となっており、 谷を挟んで間近に見える山の迫力は ここまで来た甲斐があった と感じさせるに十分のものであった。
また、展望台には、壊れてはいたが祠があり、 その他 石碑や石仏もあって、 この場所のステータスを高めてくれていたのも 気分を良くしてくれたのだった。
帰りは同じルートを戻ったのだが、 どういう訳か途中で道を間違えてしまい、 駒岩の反対側に出てしまった。 最近 人が踏んだ跡がないので、 道を間違えたとは思ったのだが、 道らしい状態になっているのでそのまま進んだ次第。 周囲が明るく、 いつでも右の斜面を登れば、 正規のルートに戻れるだろう という安心感があったのが大きい。
という訳で、 少し楽な山を選ぶつもりだったのだが、 結局 かなりの距離を歩くことになってしまった。 しかし、これでまた懸案の1つを消すことができ、 また、苦労の先に待っていた素晴らしい光景に、 山に登った喜びとはこういうものだ ということをを実感させてもらったのだった。 充実の1日であった。


残雪の山を楽しむ  2009.5 記

ゴールデンウィークの残滓のような5月9日の土曜日、 前日まで降り続いた雨から 一転して当日は好天となるとの予報だったので、 山に行ってきた。 登ったのは八ヶ岳の天狗岳。 8年前にも登った山である。 コースも前回と全く同じで、 唐沢鉱泉に車を置き、 まずは黒百合平を目指し、 黒百合平からは 天狗の奥庭と呼ばれる スリバチ池と東天狗、 西天狗の素晴らしい景観を眺めながら まずは東天狗に登り、 その後 西天狗の頂上を踏んだ後、 枯尾の峰経由で 唐沢鉱泉に向けて下山するというものである。
当初は中山峠にも行き、 そこからニュウにも登って下山するつもりで、 唐沢鉱泉から西天狗に直登し、 東天狗、中山峠そしてニュウ、中山峠、唐沢鉱泉 というコースをとるつもりであったのだが、 このコースだと スリバチ池と東天狗、西天狗の絶景が 時間的に逆光になるように思えたし、 さらにゴールデンウィークの疲れなのか、 全体的に身体が重い感じがしたので、 見知ったコースを取ることにしたのである。
当日の天候は天気予報通り快晴。 前日までの雨は 山では雪だったようで、 新雪も踏むことができ、 また八ヶ岳の主峰 赤岳を中心とした 素晴らしい景観を思う存分堪能することができ、 大いに残雪の山を楽しんだのであった。 残念ながらこの時期、 春霞がかかったような状態で、 遠くの南・北アルプスをはっきり見ることはできなかったが、 新雪により この時期に化粧直しをした 八ヶ岳の迫力を感じられただけでも幸せであった。
お陰で 手と顔は結構日に焼けてしまったものの、 残雪・新雪どちらも楽しむことができ、 充実感のある1日であった。 また、唐沢鉱泉前で挨拶した人が、 当初 私が登ろうとしていた 西天狗への直登コースを選ばれ、 私が西天狗で休憩している時に 丁度頂上に辿り着いたのだったが、 途中、新雪・残雪にかなり苦労され、 ご本人の計算よりも 30分以上タイムロスしたとのことであった。
事実、下山時、 西天狗直下の岩場は新雪で覆われていて歩きにくく、 また第二展望台と西天狗の間も雪がかなり残っていて、 かなり難儀するコースであった。 結果的に 黒百合平経由であったのは正解であったと言えよう。 もちろん黒百合平経由の道も それなりに雪があり、 樹林帯の途中から黒百合平までは アイスバーンの連続で軽アイゼンが必要。 また、黒百合平からは 軽アイゼンは不要であったものの、 東天狗の登りで新雪に少々苦労させられた。
さらに、東天狗を下って 西天狗に登る際、 鞍部の腐りかけた残雪に何回か足を取られ、 少々苦労させられたのだったが、 これはどちらのコースをとっても同じであるから、 私のとったコースは 西天狗に直登するよりも かなり楽であったと思う。
唐沢鉱泉では時間的に余裕があったので、 鉱泉に浸かって汗を流し、 久々に山と温泉(鉱泉)を楽しんだ。
そして帰りの高速道はほとんど渋滞なし。 加えて八王子ICと諏訪南IC間は 往復で 2,000円とくれば、 本当に幸せである。 本当に楽しい1日であった。
ちなみに、 山で出会ったのは先の人と、 西天狗から唐沢鉱泉への下山時に 若い男女のペアに会っただけで、 東天狗では頂上独り占め、 西天狗も先の人が登ってくるまでは独占状態で、 静かな山旅を満喫したのであった。
こうなると、 次に登る山に迷ってしまう。 同じように楽しめる山なら良いのだが・・・。


ゴールデンウィーク中の登山  2009.5 記

ゴールデンウィークもほぼ終わりに近づいた。 中には5月9日、10日まで全部休みとして、 4月25日から 16連休という人もおられるようだが、 小生の場合は カレンダー通り。 羨ましい限りである。
さて、 このゴールデンウィーク中、 じっと家に留まっていられるはずもなく、 山に出かけてきた。
まずは、 4月29日の昭和の日。 週の半ばの1日だけの休みなので、 あまり体力を使う山は避けようと、 長野県川上村の五郎山に登ってきた。 この五郎山は、 昨年の暮れに登ろうと思った山で、 中央高速道須玉ICから 佐久甲州街道(国道141号線)を北上し、 八ヶ岳高原線 (小海線) の野辺山駅のところまで行ったものの、 そこから川上村に向かう道が すっかり雪に覆われており、 自分の車では無理 と断念した山であった(その代わり、 南大菩薩を再縦走)。
さすがに4月も下旬ともなれば、 道に雪などあろうはずもなく、 快調に車を飛ばし、 登山口に近い町田市自然休暇村に無事到着。 自然休暇村からは、 本館を左に見て さらに林道を進み、 キャンピングサイトの駐車場に車を駐めた。 林道はさらに先に続いているが、 林道歩きも登山のうち、 身体を慣らす意味もあって 敢えて手前に駐めた次第(本来は駐めてはいけない場所なのだろうが、 今はシーズンオフなので大丈夫だろうと思った。 無断駐車ご容赦下さい。)。
林道歩きは35分。 登山口からはカラマツ林の中の急登が続く。 この山はあまり整備されていない と聞いたが、 要所要所にテープ(但し かなり古い)もあり、 無雪期なら問題ない。 途中迷ったのは 1カ所だけで、 P2と呼ばれる頂上手前の鋭峰に直登してしまったことくらい。 P2から尾根通しに行くのは無理なので、 北側を巻いて鞍部に下りるのが正しい。 そこから壁のような 本峰への登りが待っているが、 良くしたもので しっかり南側に巻く道があり、 9時12分には頂上に着いたのだった。
駐車場から丁度2時間。 頂上からの展望は素晴らしいが これでは歩き足りない。
頂上に先に着いていたご夫婦も物足りなげなので、 周辺の簡単に登れそうな山を紹介する。 周辺の有名な山(男山、天狗山、横尾山、御座山など) は登っておられるようだったので、 御陵山(おみはかやま)と 高登谷山(たかどやさん)を紹介した。 どうやら 御陵山に興味を持たれたようで、 小生、偶然にも下山後、 川上佐久線へと向かわれる お二人の車を見かけたが、 駐車場となる馬越峠に 駐車スペースは確保できたであろうか。
小生は、 前から決めていた通り 高登谷山へと向かう。 駐車場となる 別荘地の野外ステージ前に スペースが確保できるか心配だったのだが、 車はゼロ。 結局 登山者もゼロであった。 穴場の山である。
登山口からは コナラの中の直登。 本当にほぼまっすぐに斜面を登っていくことになり、 一旦冷えた身体には 結構きつかった。 それでも駐車場から 57分で頂上到着。 こちらは八ヶ岳の眺めが素晴らしかった。 帰りは 高登谷山より高いと思われる 東南のピークと 天狗岩経由にて下山。 頂上での休憩も含め、 所要時間2時間6分という手頃な山であった。 でも、誰もおらず、 静かな小旅行が楽しめた。

そして5月2日には 新潟県の平標山に登ってきた。 五郎山や高登谷山も良かったが、 手応えという意味ではやや不満で、 残雪の山を目指して出かけた次第。 アプローチでは高速道の渋滞に悩まされたものの、 山の方は素晴らしかった。 松手山、平標山、仙ノ倉山、大源太山(河内沢ノ頭) の頂上を踏み、 まだ豊富に残る雪の山を楽しんだのだった。 天候も快晴。 充実した1日であった。 この山は2回目になるが、 前回 仙ノ倉山ではガスのため 全く展望が得られず状態。 そして体力的にへばったので 大源太山にも寄らなかったのだったが、 今回は素晴らしい展望を得られ、 大源太山にも登り、 大満足であった。 しかも、 帰りの高速は渋滞もなく順調。 環八の方が渋滞でイライラさせられた。
期間中、 もう1回位 山に行こうと思っていたが、 後半は天候も悪く、 断念した次第。 9日が狙い目かもしれない。


天候に恵まれた黒斑山登山  2009.4 記

4月19日の日曜日、2週間ぶりに山に登ってきた。
行き先は黒斑山。 この黒斑山は浅間山の好展望台であり、 さらに現在のように 浅間山がすぐ手前の前掛山まで登ることが許される前は、 この山に登ることで百名山である 浅間山に登ったこととしていた山でもある (現在は火山活動が活発なため、 前掛山も立ち入り禁止)。 従って 今も人気が高く混雑が予想され、 さらに登山口である高峰高原が すでに 2,000m近くあることから 登り応えという点では少々物足りなく、 私的には登りたいものの、 なかなか行きにくい山でもあった。
しかし、 先日飯縄山に向かう途中、 高速道路から見た浅間山が 大変印象に残ったこと、 そして 今なら黒斑山はまだ残雪期であるから それほど混雑はしてないと思われること、 さらに 先日の飯縄山がそうだったように 残雪期の山は結構楽しいということで、 急遽登ることに決めたのであった。
また、 最近火山活動が活発だった浅間山も 現在は小康状態にあり、 警戒レベルは2まで下げられていることから、 黒斑山から先の蛇骨岳、 仙人岳にも登ることが可能となっており、 雪の状態次第では 黒斑山より先に足を伸ばすこともできる という期待もあったのだった。

関越道−信越道と乗り継いで小諸ICまで行き、 そこから高峰高原を目指す。 空には雲もなく青空が広がっているが、 やや春霞がかかっているようで、 北アルプスの山々は見えない。
7時5分過ぎに高峰高原に到着。 どこに車を止めるべきか 迷いながら進んでいくと、 左の駐車場らしきスペースに 登山支度をしている夫婦が見えたので、 そこに駐車する。 道路には雪はないが、 道路から一歩踏み出せば雪の世界。 身支度をしたものの、 どこへ進めば良いか分からない。 身支度中のご夫婦に尋ねると、 何と道路を挟んで駐車場の向かい側が登山口とのこと。 確かに、そこに行ってみると、 中コース登山口と書かれた小さな立て札があった。
当初は表コースを登るつもりであったが、 登山口を探すのも面倒と思い、 また雪も結構多いようだったので、 そのまま中コースを進むことにする。 雪の上には足跡もあり、 何とか問題なく進めそうである。 事実、樹林の中は結構雪が残っていたが、 表コースとの合流点となる尾根に出ると ほとんど雪はなく、 トーミの頭までは全く無雪。 そして、 トーミの頭から黒斑山は 再び樹林帯で雪が結構あり、 時々ズボッと足が沈んでしまったものの、 問題なく進めたのであった。
黒斑山頂上に着いたのは 8時40分。 やや逆光気味だが、 正面に見える浅間山が素晴らしい。 現在はもうほとんど雪が融けてしまっており、 山容はほぼ真っ黒だが、 雪が山襞に入って 黒と白のコントラストを造っている時期は 特に素晴らしいことであろう。
さて、 黒斑山にて 浅間山とその周囲の景観を楽しむことができたものの、 やはりこれだけでは物足りない。 左方を見れば、 蛇骨岳、仙人岳へと続く 火口壁らしい荒々しい斜面の連なりが なかなか魅力的である。
しかも、よく見ると 雪の上に蛇骨岳方面への足跡がある。 林の中を行くので雪に悩まされそうだが、 このまま下山したのでは面白くないと 先に進むことにした。
踏み跡は当日のものではなく、 前日のもののようであるが、 それでもハッキリついているので、 ルートは問題なくとれた。 しかし、 林の中でズボッと足をとられること数十回。 ある時には、 両足とも沈み、 腰の上まで潜ってしまった時には 底なし沼かと大変焦ってしまった。
それでも、 苦労の甲斐あって蛇骨岳、 そして仙人岳にも無事到着。 恐らくこの日一番乗りであろう。
とにかく浅間山、 そして外輪山の景観が素晴らしい。 帰りは往路を戻ったのだが、 往路ほど苦労しなかった。 往路は林の中を通ることが多かったのだが、 復路は稜線沿いを進み、 あっけなく 黒斑山に戻ってくることができたのだった。
下山は、 表コースを使うことにした。 しかし、蛇骨岳への縦走で何回も雪に足を取られたせいで 体力を予想以上に使っていたのであろう、 車坂山の登りが辛かった。
でも天候は素晴らしく、 残雪の山を大いに楽しんだ一日であった。


満足の飯縄山登山  2009.4 記

先般の尿路結石事件(?)以降 なかなか山に行く踏ん切りがつかなかったのだが、 ちょっと心配だったものの、 本日アップしたように、 3月20日からの 3連休の中日に 八紘嶺に登ってきた。
ただ、 その時も、 そしてそれ以降も 何となく右脇腹の鈍痛は 治まっていない。 石が排出されるまでに 3ヶ月ほどかかる場合もある と聞くから、 まだ調子が悪いのも仕方ない と我慢しているが、 どうもスッキリしない。 このままだとドンドン時が過ぎ、 また山行に大きなブランクを生じさせかねない との思いが強くなり、 この4月4日の土曜日、 思い切って山に登ることにした。

登ってきたのは長野県の飯縄山。
標高 1,917.4mと 2,000mに満たない山であるが、 一昨年 黒姫山に登った際、 しらたま平から見た その優美な姿が強く印象に残っており、 今回選んだ次第である。
加えて、 3月に登った八紘嶺、 その前の2月に登った 富士見山もそうだったのだが、 暖冬の所為か 雪がほとんどなく、 それなりに楽しかったとは言え、 冬の山という観点からは 少々物足りなさを感じていたことも 理由の1つである。 この時期の飯縄山なら まだ雪も残っているだろう との期待である。 無論、 高速道路料金が 格安になったことも見逃せない。

ということで、 4月4日の朝4時15分に横浜を出発。 東名高速道、環八、関越道、 上信越道と進んで、 長野ICへ。 そこからは長野市街を通って 戸隠バードラインを進み、 飯縄登山口 (南登山道) に着いたのは7時27分であった。
途中の道路から見えた飯縄山は、 その山肌に雪を十分残しているようであり、 期待通りである。 一方で、 駐車場には1台停まっているきりであり、 何も好きこのんで この時期に飯縄山に登る人はいないようで、 少々心配になった次第。
身支度をして7時38分に駐車場を出発。 さて、雪であるが、 奥宮一の鳥居までは ほとんど雪も消えかけていたものの、 鳥居を潜った後は ほぼ雪の道が続くようになった。 しかも、 予想以上に雪の量が多く、 期待以上の状況である。 また、 ありがたいことに 雪の上には 2人分の足跡があり、 迷う心配がなかったのは ありがたい。
ただ、 登山道が雪で埋まり、 雪の急斜面を横切らねばならない所が何ヶ所かあった。 滑ったら そのままかなり下まで転落し大けがをする危険性があり、 少々緊張を強いられた次第である。 しかしそうは言っても、 アイゼンやワカンは不要であった。
そして、 稜線に出て暫く登ると、 素晴らしい景色が待っていた。 高妻山、戸隠連峰、そして黒姫山、 妙高山、火打山と まだ多くの雪を擁する山々がズラリと並んでおり、 いつまでも見ていて飽きない光景が広がっていたのである。
残念ながら 北アルプスはガスがかかって ハッキリと見えなかったのだが、 それでも十分満足であった。
そして雪もかなり多く、 いくつかある鳥居や祠は、 ほとんどが雪に埋もれており、 また、 飯縄山山頂の大きな標柱も1/3ほど雪に埋まっている状態で、 従って 三角点に至っては 全く探し出すことができなかったのだった。 風も冷たく、 しかも強く吹いているため、 頂上に長居はできなかったものの、 冬の山を十分に味わえることができ 大変満足であった。

下山は往路を戻ろうと思ったのだが、 それも味気ないと思っていたところ、 戸隠神社中社へ下る道に踏み跡が1つだけあったので、 それを辿ることにした。 こちらのコースは 南登山道に比べて標識もほとんどなく、 雪の上に踏み跡が無ければ 到底小生1人では下れなかったであろう。 踏み跡の主は この山に相当慣れた人であろうと思う。
こちらのコースは辿る人も少ないようで、 雪も深く、 南登山道以上に冬を楽しむことができた。
中社到着は12時8分。 嬉しいことに 12時30分のバスがあったので、 中社を見学しても十分余裕であった。

天候はイマイチだったが、 なかなか楽しい山行であり、 大いに満足した 1日であった。


突然の痛みに七転八倒  2009.3 記

2月は 富士見山、御殿山に行っただけで終わってしまった。
実は 2月の最終日である 28日は 絶好の登山チャンスであったのだが、 その前々日の26日、 我が身に大変なことが起こってしまったのである。
夜の9時過ぎに会社を出て、 新橋から東海道線にて横浜に向かう車中、 つり革につかまりながら 文庫本を読んでいると、 何となく右脇腹が痛い。 最初はあまり気にしていなかったのだが、 鈍痛がずっと続く。 それでも、 問題なく横浜駅で乗り換え、 相鉄線に乗車。 すると、 乗って2分くらいしたところで、 痛みがかなり激しくなってきたのである。 最初は 下痢腹にでもなったと思ったのだが、 どうもそうでは無いらしい。 痛みはドンドン増し、 身体は汗だらけ。 額も脂汗でびっしょりである。 しかも、吐き気もする。
こういう時、 急行は辛い。 横浜を出ると、 次の二俣川駅まで 11分間ほどは停まらないのである。 汗びっしょりになりながら痛みに耐え、 何遍も時計を見ながら じっと我慢。 周囲の人は 私の体調変化には気づいていないようだが、 もしひどいようなら 急病発生による緊急停止も考えた次第。
それでもどうにか二俣川駅までは持ち、 とりあえず駅のトイレに駆け込む。
しかし、 やはり 下痢などではなく、 内臓自体が痛むという感じで、 一向に痛みは治まらない。
便座に座って身体を丸くしていること 約10分。 どうにか少し楽になったので、 再び電車にて瀬谷に向かった。 二俣川駅で電車を待つ間、 ベンチに座っていたのだが、 周囲の人が何となく小生を避ける感じである。 後で 妻に聞くと、 顔色が真っ青と言うよりは 真っ黄色で 気味が悪い状況だったというから、 ベンチに座っている時も 相当ひどい顔色をしていたのだろう。
瀬谷駅から 少々雨の降る中を家に急ぐ。 冷たい空気に触れたら 何となく楽になったので、 妻に車で迎えに来てもらうことはせず 家まで歩くことにしたのである。
しかし、 急ぎ足で歩いたのがいけなかったのだろうか、 歩くに連れ、 少し和らいでいた痛みは ドンドン悪化し始め、 その場にしゃがみ込みたくなるような状況に陥ったのであった。 とにかく これほど 家までの距離が長く感じられたことはない。 身体を丸くするようにして とにかく歩き続け、 どうにか家に到着。 その時には もう痛くて立っていられない状況であった。
家では 畳に倒れて あまりの痛さに七転八倒。 妻も驚き、 救急病院に電話をする。 1件目は手が空いていないと断られ、 2件目でどうにか受け入れてもらえそうな気配。 妻が電話で症状を伝える。
一方、 小生の方は 脇腹の激痛は一向に治まる気配を見せず、 口から出る言葉は 「痛い、痛い」 のみであったにもかかわらず、 頭の方は意外に冷静で、 これは結石ではないかと 踏んでいたのであった。
妻を通じて その旨を 病院に伝えると、 尿検査をすればすぐ分かるので すぐに来なさいとの回答。 妻の運転で 大急ぎで救急病院へと向かう。 その間も激痛は治まらず、 しかも車の揺れがもろに応え、 車中では 「痛い。痛い」 の連呼であった。 我ながら情けないが、 この痛みは 経験した者でなければ分からないと思う。 20分後、 どうにか病院に到着。 採尿すると、 尿の色が茶褐色。 検査の結果、 血が混じっているとのことで、 医者 (当直医のため、泌尿器専門ではなかったが) も尿路結石を疑っている。 そしてレントゲン。 そのレントゲン準備におよそ 5分程待たされたが、 その間 立っているのも辛く、 床にしゃがみ込む始末であった。
結果は やはり結石ということで、 薬と痛み止めの座薬をもらう。 とりあえず自分で 座薬を注入して家に帰る。 家に着くまでの間、 痛みが引くことはなかったが、 それでも徐々に薬が効いてきたようで、 家について暫くすると痛みは治まり始め、 夜中の2時には寝ることができたのであった。
翌朝、 起きた時には 昨日の痛みが嘘のようになくなっていたが、 昨晩は救急病院での応急処置だったため、 正式に泌尿器科にかかる。 そして 結果はやはり結石。 そして引っ張られるような鈍痛と、 時々痛みが増すという状態が 暫く続いたのであった。

ということで、 今は 山に行くなど言語道断の状況。 石は薬と水を飲んで出すしかないようで、 今もシクシク痛む脇腹を抱えたままである。 ネットで調べると、 石が体外に出るまで 3ヶ月くらいかかる場合もあるとのこと、 爆弾を抱えた状態では 山に行くことなどできはしない。 早く 石を外に出し、 山に行きたいという思いが募っている 今日この頃である。
それにしても、 凄い一夜であった。 医者は 「死ぬことはない」 と気軽に言っていたが、 拷問にあっているようで ある意味 死よりも恐ろしい体験であった。
年をとるに連れ、 眩暈とか結石とか、 若い頃には考えられなかった 病気 ? に罹るようになってきた。 元気になったら また山にいくつもりだが、 今回のことは 山中でも 今までできたことが できなくなりつつある ということを意味しているのかもしれない。 あまり 無理をしない山行を心がけよう と思う。


2009年最初の登山  2009.2 記

結局1月は山に行けずに終わってしまった。 仕事その他で精神的プレッシャーがきつく、 なかなか山に行く気になれなかった というのが実情。 1月は こうして悶々とした日々が続いたが (ちょっと大袈裟)、 2月に入って どうにか仕事の目処がついたので、 この 7日の土曜日、 久々に山に行ってきた。
こういう気持ちが続いた時は、 山頂でスカッとした景色を眺めるのが一番で、 当然、富士山が見える山を考えた次第。 最近、 小噴火を繰り返しているという 浅間山を眺められる山 ということも考えたのだが、 やはり年の初登りは 富士山が見える山で行くべきあろう。

ということで、 選んだのが その名の通り富士山が見える山、 山梨県の富士見山である (もっとも、 この山は山頂では展望が利かず、 富士山を見ることができないのだが・・・)。
天気予報はこの日快晴であることを告げており、 期待して 4時過ぎに自宅を出発。 しかし、 空は曇っていて星が見えない。 少々嫌な予感がしたが、 現地では晴れることを期待して 車を中央高速道路 八王子ICに向けたのであった。
中央高速道を 甲府南ICで降り、 国道358号線から140号線へと入って笛吹川 (途中から富士川に合流) 沿いに南西へと向かう。 途中で富士川を渡って 国道52号線に入り南下。 やがて身延町役場が近づいてくるが、 そこまで行かず、 寺沢川を渡る橋の手前で右折し、 川沿いに西へと進む。 カーナビには 「なかとみ青少年自然の里」 の電話番号を入れておいたので、 カーナビの指示通り 途中で左折して寺沢川を渡り、 山の中に入っていくことになった。 ところが、 この道は狭く、 すれ違いもままならない状況が続き、 対向車がこないことを祈りながらの ヒヤヒヤのドライブであった。
やがて、 「なかとみ青少年自然の里」 に到着。 そこから先はどう進んで良いか分からないまま、 村落の中につくられた 本当に狭い道を恐る恐る進むことになった。 民家の軒先をかすめるように進み、 道を間違えたのかと焦りが出てきた頃、 目の前に三叉路が現れ、 その三叉路手前が 富士見山登山の駐車スペースであった。 これで一安心。
登山前にかなり神経を使い、 少々くたびれてしまった次第である。 登山口は 駐車スペースから少し登った所にある。
身支度を調えて登山口に向かうと、 何と登山口の真ん前には バス停があるではないか。 これには唖然。
結局、 「なかとみ青少年自然の里」 を目標にしたのが失敗で、 少々遠回りになるが 途中で寺沢川を渡らずに川沿いに進み、 道路脇に多くの句碑が立てられている 句碑の里まで至り、 そこから左折して 堂所経由富士観橋と進んで、 この駐車スペースにくれば 朝から冷や汗をかかずに済んだのであった。
もっと事前の下調べを良くすべきであったと反省。

と、前置きが長くなったが、 天候の方も やや先行きが暗い状態での出発となった。
というのは 西の方には青空が見えているものの、 空には雲が多くて とても快晴とは言えず、 しかも肝心の富士山がある方向は 完全に雲がかかっていて、 何も見えなかったからである。
これでは、 富士見山ならず、 「富士見えず山」 状態であり、 がっかりしながらの山登りであった。
しかしである、 高度を上げていき、 登り始めて 2時間ほど経った頃であろうか、 振り向くと南東方面の雲が消えており、 富士山が 雲の上に姿を現してくれていたのであった。 これは嬉しい。 思わず ヤッたと叫んでしまったほどである。 富士見山に登って 富士山を見ることができなかったら、 何のために わざわざ今年最初の登山で この山を選んだのか分からない訳で、 とにかく良かった良かった。

冒頭に述べたように 富士見山山頂は樹林に囲まれていて展望が利かないが、 その手前にある富士見山展望台からの眺めは 素晴らしい。 富士山は無論のこと、 その反対側には荒川三山、 白根三山などの 南アルプスの山々が屏風のように並んでおり、 しかも 昨年末に登った南大菩薩よりも 距離が近いことから、 素晴らしい迫力を見せてくれているである。
加えて、 上空の雲もなくなり、 日差しも暖かく、 素晴らしい一時を過ごすことができたのであった。
また、 富士見山の後に向かった 御殿山でも 同様に素晴らしい景色を得ることができ、 かなり満足のいく登山であった。
不満を言えば、 雪が少なかったこと。 稜線に辿り着くまでは ほとんど雪がない状態。 稜線上でも 日の当たる場所では 全て雪が融けてしまっている状態であった。 スパッツは全く不要。 軽アイゼンも不要の状況であったが、 これではつまらないと、 富士見山からの下山、 御殿山への往復時には 軽アイゼンを装着し、 一応 雪山歩きのまねごとを楽しんだのであった。
ただ、 雪のないところでも軽アイゼンをつけていたので、 むき出しの根っこを踏まないように歩くのに 却って神経を使ってしまった次第である。
とはいえ、 1ヶ月半ぶりとなる登山となった今回、 素晴らしい景色を得ることができ、 天候にも恵まれ、 しかも山中では 2人しか会わずという状態で、 大変静かで 充実した山旅を楽しむことができ、 大満足であった。
今年1年、 このような満足行く登山が続きますように。


2009年は箱根越えから  2009.1 記

1月10日からの3連休、 そしてこの土日も 残念ながら山へ行くことができずに終わってしまった (終わってしまう)。
毎日晴天が続いているのを 怨めしげに眺めつつ、 家あるいは会社で仕事という状況であり、 全く情けない。 この状況は昨年も同様であった。
今年もこうなることは分かっていたことから、 1月4日までの正月休み中に 山に行くことも考えたのだが (一応、昨年暮れの 12月27日には 南大菩薩を歩いている)、 初詣、新年会等 結構日程が詰まっており、 それも適わずという状況であった。
と、 年始めから愚痴で始まったが、 正月休み中 食っちゃ寝といった生活ばかりを送っていた訳でもない。 箱根駅伝 (往路) をテレビ見ていて、 登山に代わるものとして 東海道 箱根越えをふと思いつき、 翌日の 3日に 旧東海道を小田原から三島まで歩いてみた次第である。 この日は夕方 17時から湘南台 (小田急江ノ島線) にて宴会が入っており、 少々時間的に綱渡りであったのだが、 晴天のもと 富士山も見ることができ、 また三島大社にもお参りすることができて 大変充実した 1日であった。
詳しくは、 本日 (1月17日) 掲載の 『番外編 旧東海道 箱根越え』 を見て戴きたいが、 実はこの箱根越えは今回で3回目になる。
山に行かず、 必然的にホームページの更新も滞らせていた 2003年に、 少々目先を変えようと 旧東海道を歩くことを思いついたのである。 無論、ずっと通しで歩ける訳もなく、 まずは日本橋から川崎、 2回目が川崎から天王町 (相鉄線)、 3回目が天王町から戸塚、 4回目が戸塚から小田原、 5回目が小田原から三島という区間を それぞれ日帰りで歩いたのである。
三島以降はというと、 これ以上は交通費も馬鹿にならず、 また日帰りもきつくなるし、 さらには 結構車道歩きがあることから、 積極的に足を伸ばす気になれず、 中断というか、中止状態にある。
こうして歩いた日本橋から三島までのコース中、 やはり山好きとして一番気に入ったのが、 小田原から箱根を越えて三島に入る区間である。 この区間は 一番当時の雰囲気が残っているようであるし、 自然も、そして山道も多く、 登山に似た充実感を味わえるのである。
従って 何回も歩いても良い気がして、 その後 2005年の暮れに 再度この区間のみをトライ。 そして今回は箱根駅伝に触発され、 再々度のトライとなった次第である。
先にも述べたように、 今回は夕方 17時に湘南台に行っていなければならず、 そのためには三島駅を 15時22分に出発する 東海道本線熱海行に乗る必要がある。 朝一番に横浜 瀬谷の自宅を出て、 小田原駅到着が 6時21分。 9時間で小田原−三島間を踏破せねばならない という時間的制約も この旅にスリルを加えてくれ、 大いに楽しめた (無論、前回も同じ時間に出発し、 確か三島大社に 15時頃に着いた覚えがあるので、 始めからある程度大丈夫 という見込みはあったのだが・・・)。

世の中の景気悪化が進んでいる一方で、 この日の晴天、 そして富士山や芦ノ湖の姿からは 何の憂いも感じられず、 全く人間達の営みとは別のところで 時を刻んでいるのだなあ と実感した次第。 今は大変厳しい経済危機ではあるが、 天の摂理のもとでは それも一瞬のことに過ぎないのであろう。 日はまた昇るということである。
ということで、 今回の旅で少々元気ももらったのであった。


2008年最後の山登り  2009.1 記

明けましておめでとうございます。 本年も我がホームページを 宜しくお願い申し上げます。

昨年の12月20日の諏訪山に引き続き、 12月27日の土曜日、南大菩薩を歩いてきた。 やや変則的なルートであったが、 天候に恵まれ、 富士山や南アルプスの山々がよく見え、 静かな山旅を大いに楽しんだのであった。
前回のこの欄で、 年内にもう一つくらい未踏の山に登っておきたいところだ と書いたにも拘わらず、 この南大菩薩縦走は2度目の山になる。 前回はJR笹子駅から出発し、 滝子山、大谷ヶ丸、破魔射場丸、 大蔵高丸、湯ノ沢峠、JR甲斐大和駅 という正統な ? ルートを辿ったのだが、 今回は武田勝頼の墓所である景徳院から登り、 大鹿山、曲沢峠、 コンドウ丸、そして大谷ヶ丸、破魔射場丸、 大蔵高丸、湯ノ沢峠、 景徳院へと戻るコースとした次第。
このように再登山となり、 しかも変則的なルートとしたのには理由がある。
というのは、 当初狙っていたのは この南大菩薩ではなく、 長野県の川上村近辺にある まだ登ったことのない山であった (山の名は秘密)。 そしてこの日、 ちゃんと中央自動車道を飛ばして 須玉ICに至り、 そこから141号線を北上、 川上村を目指したことは 目指したのであった。 しかし、141号線を進むに連れ 周囲は銀世界へと変化し、 JR野辺山駅で右折して 川上村に向かう道路に入った途端に、 全面雪に覆われた道路状態に 出くわしたのである。 この状態では、 ノーマルタイヤの私の車では山道を越えるのは無理、 やむなく引き返すことにした という次第である。
素人の読みの甘さであり 全くお恥ずかしい限りである。
さて、 当初の目的は諦めざるを得なかったが、 天候は快晴。 どこか代わりの山を登らねば気が済まない。 ということで、 須玉ICへと戻りながら考え、 いくつか思いついた山が 茅ヶ岳、雁ヶ腹摺山、 そしてこの南大菩薩である。 そして、 いつも小金沢連嶺や南大菩薩縦走の後、 湯ノ沢峠から甲斐大和駅まで戻る途中、 気になっていたはいたが、 疲れていることと 暗くなってしまっていることで 立ち寄らずに素通りしていた 景徳院を思い出したのである。
小金沢連嶺や南大菩薩縦走から帰った後、 家で景徳院のことを調べ、 また景徳院からの登山ルートもあることを 知識として得ていたので、 今回 フト景徳院からの南大菩薩縦走を思いついた訳で、 日頃地図を見て研究 (?) しておく重要性を再認識したのであった。

先に述べたように、 登山自体は静かで、 途中出会ったのは大蔵高丸手前ですれ違った 2人のみ。 快晴のもと、 日だまりハイクと雄大な景色を楽しんだ。 前回、このルートを通った時は、 南アルプスが見えなかったのだが、 今回は 甲斐駒ヶ岳から始まって 聖岳まで並ぶ 南アルプスオールスターキャスト の姿を目にすることができた。 その素晴らしい光景に触れ、 1回だけの登山で その山の全ての魅力を知るのは難しい と心から思ったのであった。 そして加えて、 南アルプスを見て 2009年の夏山に思いを馳せたのは言うまでもない。
素人の浅はかさで、 当初狙った山の足下にも達することはできなかったが、 やむを得ず変更した先の南大菩薩で 素晴らしい登山を楽しめ、 年の最後に何か得をした気分である。
2009年も山に登るぞ !


諏訪山登山 他  2008.12 記

山へ行けない言い訳が続いていたが、 この12月20日の土曜日、 群馬県の諏訪山に登ってきた。
また、 12月6日には 飛竜山への再登山も行っていて、 このところ山行のペースが上がりつつある。

飛竜山の方は本日 (12月22日) 簡易登山記録に掲載したので ご覧戴きたいが、 前回は三条ノ湯から雲取山、飛竜山、 三条ノ湯というルートだったのに対し、 今回は反対側の 一ノ瀬高原−将監峠からの往復を行ったものである。
なるべく、 一度登った山を再登山するのは止め、 できるだけ未踏の山にチャレンジしようと 心に決めているのだが、 今回 このルートを選んで 飛竜山再登山を行ったのには訳がある。
この将監峠−飛竜山間を歩くことで、 断続的とは言え、 奥多摩の水根から 甲武信岳(毛木平)間を 歩いたことになるからである。 後は甲武信岳−国師岳間を歩けば、 増富鉱泉からの奥秩父主脈ルートを 全行程歩いたことになるという訳だ。 しかし、 さすがに残されたルートは日帰りでの達成は厳しい。 かといって、 山中 一泊までして歩いてみるのも億劫。 最後の手段としては、 大弛峠までタクシーで入り、 そこから甲武信岳まで縦走して、 西沢渓谷に下るという手が考えられるが、 それは小生の好みに合わない。 ということで、 今回のルートを歩いたところで 中途半端な状態でしかないが、 奥秩父主脈を通して歩くことへの リーチだけはかけておきたい ということでトライした次第。
残された区間についても、 地図とにらめっこして いつか 何とか歩き通したいものである。

さて、諏訪山の方は、 未踏の山チャレンジの趣旨に合っており、 前から少々気になっていたので、 雪が深くなる前に登ることにしたのであった。 浜平からの往復で、 6時間半ほどの山旅であったが、 シーズンオフの山なのだろうか、 誰とも会わず 静寂の山を楽しむことができた。
また穏やかな晴天のもと、 気持ちもはずんだ上、 三笠山 (諏訪山手前の山) の頂上からの 浅間山を始めとする素晴らしい眺めに 暫し時の経つのを忘れたのであった。
諏訪山は 1,549mしかなく、 その低さ故 あまり多くを期待していなかったのだが、 自分の不明を恥じ入った次第である。 まさに 深田久弥氏が言うように、 『百の頂に百の喜びあり』 を実感したのだった。 この調子で、 年内にもう一つくらい 未踏の山に登っておきたいところである。 さて、次はどこにしよう。

話はガラリと変わるが、 先般交換したマザーボード (Jetway HA07-Ultra)は、 コールドブートができない状況が続き、 電源を交換しても直らず、 結局 別のマザーボード (FOXCONN A7DA-S)に交換してしまった。
今度のマザーボードは頗る快調で、 逆に物足りなさを覚えた位である。 HA07-Ultraの方は修理に出し、 直ってきたら家族で使っている 弐号機の方に使うつもりだ。 これはこれで楽しみである。
それにしても、 今まで ASUS、Gigabyte、MSI などの大手のマザーを使っていたのに、 Jetwayや FOXCONN をついつい選んでしまった。 そういえば、 過去にも EPoX や ECS などのマザーボードを使ったことがあった。 CPUも AMDを使っているし、 車や、カメラもどちらかというと マイナー気味なメーカーを選んでいるし、 少々へそ曲がりな性格が そのまま好みにも反映されているようだ。


山の天気予報  2008.11 記

またまた山に行けなかった言い訳で申し訳ないが、 この11月最後の土日は天候に恵まれたのも拘わらず、 身体の疲れが抜けず、 山はパスしてしまった。
土曜日は9時半まで寝坊し、 体力を回復させたつもりであったのだが、 翌 日曜日の早朝、 山に行くべく起きようとすると、 身体と頭が布団から出ることを拒絶する。
結局、 布団から抜け出すことなく、 山行は取り止め。 無為な一日を過ごすことになってしまった次第である (こうして遅れ気味のホームページ更新を行いつつ、 言い訳を書いている自分が情けない)。

登ろうとした山は 那須岳。
3年前に登ったばかりの山であるが、 その時は6月。 今回は初冬の那須岳に登ってみたくなり、 計画した次第なのだが、 那須の天候はどうだったのだろう。 少々気になるところである。
というのは、 前日 夜遅くまで 那須郡那須町の天気予報をいろいろ調べたところ、 Yahoo の天気予報では 朝の6時から終日曇りの予想。
一方、 Mapionや nifty、So-netなどの提供する天気予報は 6時以降 晴れマークが続いていたのである。 これでは大変迷う。 天気予報は多数決で決められるものではないし、 どうしようかと迷ったのだが、 エイッ ままよ ということで那須に出かけることにしたのだった。
しかし、 結果は冒頭に述べた通り 行かずじまいだったので、 どちらの天候が正解だったのか 定かではない。
現時点でそれぞれのサイトを覗くと、 Mapion、nifty、So-netなどは 既に過ぎてしまった 朝6時から夕方までの時間毎の天気は 空欄になっていて示していないし、 一方 Yahoo の方は 曇りマークがうっすらと当該時間の欄に残っていて、 あたかも当該時間が曇りだったような印象を与えている。
何となく、 Yahooの勝ちのような印象を受けるが、 実のところはどうだったのであろう。 那須に知り合いもいないし、 結果は藪の中か と思っていたら、 さすがにインターネット、 情報量が豊富だ。 何と 『とちぎ リアルタイム雨量 河川水位観測情報』 というホームページがあり、 そこで那須岳ライブカメラ映像と 那須共同牧場ライブカメラ映像 が見られるようになっていて、 しかも、それぞれ 24時間前から現時点までの映像が 1時間毎に残っているのである。
そして、 結果はどうみても終日曇り。 というより、 一日中 那須岳はガス あるいは雨模様だったようである。 山の天気は変わりやすい ということを割り引いても、 那須共同牧場の方の映像も ほとんど曇り状態であるから、 今回は Yahoo の勝ち ということであろう。 行かなくて良かった (というのは負け惜しみでしかないが・・・)。

よくよく調べると、 Yahooの方は Japan Weather Association (つまり財団法人 日本気象協会) と 株式会社 eTEN (イー・テン) からの情報をベースにしているのに対し、 Mapion、nifty、So-netは 株式会社ウェザーニューズ からの情報によるものらしい。 今回の那須郡那須町の天気予報は それぞれの会社の読みの違いが現れた ということになる訳だが、 このように天気予報が大きく違っていては、 山行計画を立てる際に大いに悩むところである。
今回はたまたま Yahoo の勝ちだったようだが、 過去には Yahoo の予報とは全く違う結果となった場合も多々ある訳で、 今後は 3者 (気象協会、イー・テン、ウェザーニュース) の予報がピッタリ一致して 晴天となった時のみ、 その場所 (山) を目指すべきであろう。
とまあ、 つまらないことを考えて終わった1日であった。


自作パソコンのグレードアップ  2008.11 記

またまた1ヶ月のご無沙汰。
山の方も10月12日に御嶽に登って以来、 どこも登っておらず、 結局 山登りに最適なシーズンをパスしてしまった。
この頃は結構寒くなり、 もう山は冬山モードに近づきつつあることであろう。 これに伴い、 私も低山モードに徐々に切り替えていくことになる。 それはそれで楽しみである。

さて、こういう状況だから山についてはさして書くこともないので、パソコンについての状況を少々。
現在のパソコン組み合わせ (自作) で何の不自由も感じていなかったのだが、 いつもの通り 自作の虫が起き出した。 ゲームはやらず、 CPUに負荷をかけるとしても 精々デジカメの現像ぐらいなのだが、 やはり新しいもの、 よりパフォーマンスの高いものを 求めたくなってしまうのである。 8年くらい前までは、 DOS-V パーツを新しいものにドンドン換えていき、 最先端は走れないまでも、 3〜4番手ぐらいには食らいついていたのだが、 さすがに世の中の進化スピードには 金銭的にも知識的にもついて行けなくなり、 それ以降 細々とした改良をしている状態であった。
それでも、 時折 新しいものを無性に求めたくなる といった次第。 今回も、 安くなった CPU、 マザーボード等で自分を納得させ、 さして金はかけていない。
その内容であるが、 まず CPUを念願の クアッドコアである AMD Phenom X4 9750 に換装。 マザーボードは今の ASUS M2N-SLI DELUXE でも対応できるのだが、 やはりここは最新のマザーボードとすべく、 Jetway の HA07-Ultra へとこれまた換装。 ついでにデジカメ写真は RAW で撮っているので、 どうしても RAWファイル保存と現像には 容量の大きなハードディスクが必要ということで、 500GBのハードディスクを追加購入 といった程度である。

マザーボード + CPU は難なく組み上がり、 BIOSもちゃんと立ち上がったので、 Windows Vista Ultimate をクリーンインストールし直す。
私の Vista はアップグレード版なので、 本来であれば、 もう一度 Windows XP (しかもさらに Service Pack 2(SP2)に上げねばならない) を入れ直すところから始めねばならない。 しかし、 これは大変に手間がかかり面倒で、 どうしてもやる気にならない。 この回避策をいろいろ調べたところ、 アップグレード版を 2回使用することで クリーンインストールできる裏技があることをネット上でを知り、 ダメ元で挑戦したところ、 何とか成功することができたのであった。 これは嬉しい。 かなりの時間節約になった。
しかし、 それからも実は時間がかかったのであった。 Windows Vista も既に Service Pack 1(SP1)が出ており、 その他、 いろいろな修正プログラムが出ているからで、 そのインストールが次々に Windows Update から自動的になされたからである。 それでもどうにか OS インストールは終了し、 後はいくつかのソフトをインストールして、 どうにか新マザーボードと 新CPUにてのパソコン生活が始まったのであった。

久々の組み直し、そして OS インストールであり、1日仕事になってしまったのは致し方ないところであるが、結構楽しかった。
そうそう、 ハードの換装とともに、 久々に DOS から BIOS のアップデートも行った。 これまでほとんど Windows 上からの BIOS アップデートばかりだったので、 久々の DOS の扱い、 BIOSのアップは緊張した。 特に、BIOSアップデートが始まってから 終了するまでの時間は、 ほんの数十秒であるものの、 固唾をのんで見守るといった状況。 パソコンの自作を始めた当時の感覚を 思い出したのであった。
なお、 BIOS の大きさが 1MB近いため、 1枚のフロッピーによるアップデートができず、 今回は USBメモリーを使用しての アップデートも経験させてもらった。 USB メモリーの DOSフォーマット用ソフトなども使用し、 結構楽しかった次第である。
また、 Windows Vista をインストールする際、 少々失敗してしまい、 Windows Vista が見かけ上 3つ入っている形となってしまった。 そのため、 パソコンを起動する度に デュアルブート画面が出て、 3つの Windows Vista の中からの選択を迫られる形となってしまったのである。 これの解消にも随分悩まされた。 Bcdeditなどでも操作したものの、 2つの Windows Vista は実体がないために削除できず 一時は修正を諦めかけたのだったが、 何とか最終的に Vista Boot Pro というソフトにたどり着き、 実体のない2つの Windows Vista を消すことができたのであった。

と、まあ少々苦労したように見えるが、 実際はほとんど問題なく新パソコンは動いてしまった。 旨く行き過ぎて 却って物足りない。 昔はなかなか問題が解決できず 汗をかき通しだったのに・・・。
と思っていたら、 ハードディスクを 3つにしたところ、 コールドスタートができなくなってしまった。 ハードディスクの数が増えたのに加え、 CPUも 95Wへと上がり、 FANもいっぱい付けている状況を考えると、 どうやら電源が怪しそうである。 さてどうしたものか・・・。 こうしたトラブルが何故か嬉しく感じてしまう。 まさか、また自作、自作の泥沼には入りこまないとは思うが・・・。


御嶽再登山  2008.10 記

先週の会津駒ヶ岳に続いて、 この10月11日からの3連休の中日、 御嶽山 (以下 個人の好みで 御嶽とする) に登ってきた。
またまた百名山ということで、 山の選択肢を狭くしている自分にあきれるが、 一方で さすが名山 (百名山ではない) と呼ばれる山は、 その魅力の度合が違う と改めて思った山行であった。
御嶽はこれで2回目。 前回は王滝口登山道 七合目 田の原から登ったのだったが、 今回はまた違った御嶽に触れようと、 黒沢口登山道 六合目 中の湯から登ることにした。
中の湯の駐車場を出発したのが 7時28分。 多くの人は御岳ロープウェイを使い、 中の湯から少し離れたところにある 鹿ノ瀬駅から七合目まで上がってしまうようで、 中の湯の駐車場はあまり混んでいない。 七合目の行場小屋に着いたのが 8時3分。 この時期、ロープウェイの始発は 8時であり、 所要時間は約14分とのことであるから、 ロープウェイに乗って 七合目までやってくる登山者の先を行けた次第。 狭い登山道が多くの登山者で混み合う前で本当に良かった。
というのは、 最初、中の湯への道を間違え、 鹿ノ瀬駅に行ってしまい、 だだっ広い駐車場で多くの登山者が ロープウェイ運転開始を待っているのを 目の当たりにし、 この登山者の波に飲み込まれるのを 恐れていたからである。

さて、この登山道は何と言っても 八合目からが魅力的である。
王滝口登山道 田の原スタートの場合、 御嶽の姿を初めから見ることができるのだが、 この黒沢口登山道を六合目から登った場合は、 八合目付近に着いて初めて 御嶽の姿を見ることができるのである。 それだけに、 有り難みが増す訳で、 しかも御嶽自身が素晴らしい姿であるから、 そのご対面にはハッとさせられるものがある。
さらに、 この時期、紅葉は八合目辺りが盛りらしく、 赤・黄色に染まった灌木の向こう、 青い空に映えるその岩肌は 素晴らしいの一言であった。
この日は結局、 八合目から九合目、剣ヶ峰へと登り、 その後は一ノ池の周囲を囲む岸壁の上を辿って 賽ノ河原へと下り、 摩利支天乗越に登り返してから 摩利支天山を往復した後、 飛騨頂上、 そして継子岳と回って 四の池へと下り、 そこから再び登り返して三の池へ。 そして三の池から、先の黒沢口八合目に戻って、 六合目 中の湯まで下山する というルートをとったのであった。
ところで、 今回の登山も前回とほぼ同じような要所を押さえはしたものの、 前回と比較して欠けているのは 王滝頂上と奥ノ院ということになる。 今回は、 ルートの関係から この2つを回るのは非効率なので省いてしまったのだが 少々残念だ。
それにしても御嶽は懐が広い。 私のようにセカセカと日帰りなどせず、 山頂で一泊して大いにその魅力に触れるべきであろう。 2度の登山とも登ることはなかった 継母岳も魅力的な姿を見せてくれていたので、 もしもう一度チャンスがあれば トライして見たいところである。

ということで、ついつい天気が良く、 時間に余裕があると、 選んでしまう山は百名山となる。 百名山ばかりを登ることについては、 「傷だらけの百名山」、「続 傷だらけの百名山」 といった本も出ているように、 百名山に集中する愚かさと そのことが引き起こす山の破壊などを指摘する声が多いが、 それでも良い山は良い。 言わば安心ブランドである。 そしてこの安心ブランドは、 季節・ルートによって違う魅力を見せてくれており、 1回だけ登って終わりにしてしまうには 勿体ないのである。
今回の御嶽登山も、 前回 気づかなかった この山の魅力をいくつも見せてくれた。 だから、 山の魅力を本当に知るには 何回も通うことが必要かなと 少々考えを改めた次第。 従って、 今後も 百名山中心の山行になってしまうのかもしれない。


会津駒ヶ岳再登山  2008.10 記

遂に9月は山に行けなかった。 天候があまり良くなかったことに加え、 中旬にちょっとした旅行などをした関係で、 チャンスを逃してしまったのである。 これは大変残念至極、 先に書いたように、 できれば北岳 〜 農鳥岳への縦走を試みたかっただけに、 大変悔しい。
ということで、 8月中旬の聖岳 − 光岳の縦走以来、 山登りに1ヶ月半のブランクを生じさせてしまっていたのだが、 この10月4日の土曜日、 久々に良い天気になりそうだということで、 慌てて山に出かけることにした。

以前は 次に登る山をかなり前からいくつか決めていて、当日の天気予報に応じて行き先を臨機応変に決定する というパターンであった。 しかし、 この頃は いざ山に行こうという段になって、 慌てて前日に行き先を決めるケースが本当に多くなっている。 今回も 火打山、妙高山、男体山などの山が候補に挙がったものの、 結局は皆 過去に一度登っている山で、 登ったことのない山が なかなか候補に浮かばない。 そして、結局、天気予報と照らし合わせて、 最終的に決めたのが会津駒ヶ岳であった。 この山も再登山ということで、 どうも山登りの幅が狭くなっている。
好きな山に何回も登るという人もいるが、 小生はできれば 多くの山に登りたいと思っている。 しかし、この頃は山に対する情報をあまり収集していないことから、 自ずと一度以上登った 景色の良さ・コースの面白さなど、 安心できる山に流れてしまうのである。 こういうのを保守的になっているというのであろう。 これは大いに反省せねばならない。 百名山ばかりが山であろうはずもなく、 百名山以外にも素晴らしい山は沢山あるのだから・・・。

ということで、反省しつつも登ってきた会津駒ヶ岳は、 天候にも恵まれ、 秋の山を十分に満喫させてくれたのであった。
例の如く、 西那須野塩原ICから檜枝岐村へと向かう際、 塩原温泉を通り、 尾頭トンネルを抜けると、 辺り一面ガスに覆われた世界であった。 しかし、これはいつものことで全く慌てる必要なし。 燧ヶ岳、平ヶ岳、会津駒ヶ岳、 そして尾瀬散策などで計6回ほどこの道を通っているので、 ガスは朝の一時的なものであることを 知っていたからである。 こういう場合は、 何回も同じ山に登っていることが役に立つ。
そして、 案の定、檜枝岐村の中土合公園に車を駐めた時には、 完全に雲一つ無い青空が広がっていたのであった。 これは前回の会津駒ヶ岳登山と同じである。 そして 登り始めから下山までの天候状態も 前回とほほ同じで、 従って、気持ち良く登山でき、 紅葉の山を楽しんだのであった。
しかし、人が多い。 前回登ったのが1999年の10月11日。 ほぼ今回も同じ時期であるが、 人の数は1.5〜2倍くらいになっているのではなかろうか。 これも登山ブームのためであろうか。 まあ、この山はそれほどキツイ登りはなく、 ゆっくりとしたペースで登れるので、 老若男女、 誰からも好かれる山であろうことも想像できる。

しかしそれにしても、 皆、滝沢登山口周辺に車を駐め、 会津駒ヶ岳・中門岳とのピストン登山のようである。 これは実に勿体ない。 駒ヶ岳・中門岳の後は、 やはり富士見林道を進み、 大津岐峠からキリンテに下山するのが絶対お勧めである。
林道と言っても、 尾根上の山道であり、 本当に素晴らしいプロムナードで、 いつも目の先に燧ヶ岳の双耳峰を目にすることができるのである。 秋のこの道は本当に素晴らしいのである。 是非ともこちらの道を下山に使うべきだ と声高に言いたい (今回も縦走路独り占めであった)。 大津岐峠からの下山路も勾配は緩やかで、 足に負担がかからない。 キリンテからはバスで戻れば良いのである。
もっとも、 中土合公園に車を駐めたのであれば、 小生の足で25分ほど。 平らな車道を35分ほど歩くと見ておけば間違いなく、 苦になるものでもない。

折角の登山である。 もっとお宝を探そうではないか と保守的な登山になりつつある小生が言っても 説得力がないが・・・。


聖岳−光岳縦走  2008.08 記

ここのところ またまたホームページの更新が途絶えているが、 一応 この盆休みには山に登ってはいる。
登ったのは聖岳と光岳で、 今回でそれぞれ2回目の登山となる。 但し、 1回目はいずれも雨やガスに祟られ、 あまり満足の行く山行ではなく、 いつかは再登山と思っていた山々なので、 今回再トライした次第である。
行程は、 前回の聖岳と同様、 飯田市側の便ヶ島から薊畑に向かい、 聖平小屋で一泊。 翌日、聖岳をピストン登山した後、 念願だった上河内岳へと向かい、 その日は茶臼小屋に宿泊。 次の日は、 茶臼岳から易老岳へと進み、 易老岳に主な荷物を置いて、 軽い荷物で光岳を往復した後、 易老渡に下山、 林道を便ヶ島まで歩いたという次第である。

肝心の天候であるが、 最初の日、薊畑に着く頃には完全にガスに囲まれ、 その日の内に聖岳に登ることを断念、 まるで前回の登山の再現のような状況であった。 翌日は、 早朝に雨が降っていたものの、 小屋を出発する時には止んでくれ、 聖岳頂上ではやや霞んでいた状態ではあったが、 向かい側の赤石岳、 悪沢岳を見ることが出来たのであった。
聖岳の下山途中から天候は急回復を見せ、 聖平から茶臼小屋までの間は、 本当に好天に恵まれた 素晴らしい山旅であった。
しかし、 良いことは続かないもので、 翌日はガスが視界を完全に周囲を覆ってしまっており、 茶臼岳はただ通過しただけ、 そしてガスのために仁田岳はパス、 易老岳まではほとんど視界のないままの山歩きであった。 易老岳から光岳に向かう途中では、 青空がわずかに垣間見えたものの、 やはりガスが周囲を覆っており、 またも寂しい光岳登頂かと思われたのだが、 光岳小屋に着く頃には、 時々ガスが流れて視界が利くことがある という状態になってくれたのであった。
そして、 光岳山頂に登頂後、 頂上横の展望の良い場所での大休止の際、 ガスが流れ、 眼下に光石を見ることができたのであった。 光石は、 日の光が当たると真っ白な輝きを見せ、 少し曇ると灰色になるなど、 面白い色の変化を見せてくれ、 大いに満足したのであった (しかし、 頂上から見えた岩は 光石ではないようである。 やはり実際に実物にさわらなくては、 本当のことは分からない ということだ)。

今回の山行は、 当初 久々にテントを担いでいくつもりであったのだが、 重い荷物を背負うと、 ヒビが入っている肋骨が痛むことが分かり、 やむなく小屋泊まりにした次第。 お盆休みなので小屋の混雑を覚悟していたところ、 実際は8分ほどの混み具合で、 寝るスペースは十分に確保でき、 快適であった (但し、イビキには悩まされた。 アレは凶器だ)。
今年は、 井川手前の道が崩れており、 静岡からのバス直行便が運行されていないことも 幸いしたのかもしれない。 久々の小屋泊まりであったが、 小屋は清潔でしかも皆親切であった。 これならば、 小屋泊まりも悪くない。 小屋泊まりでもう少し行動範囲を広げても良いかもしれない。 できれば、北岳、間ノ岳の後、 農鳥岳を登ってみたいと考えているが、 近頃天候が悪いため、 来年になるかもしれない。
それにしても、 2泊3日、しかも余裕のある登山であり (聖平小屋、茶臼小屋 いずれも13時前後のチェックイン)、 久々の山中泊の旅に大満足したのであった。
そうそう、 この山行は新たに購入したスカルパ ゼログラビティ10GTXのデビューでもあった。 やはり、 このような長い山行に おろしたての登山靴を履いていくのは無謀で、 案の定 踵に靴擦れを作り、 少々痛い思いをしながらの 山行でもあった。


肋骨骨折  2008.08 記

先日の戸隠山、高妻山登山の際、 不覚にも下りで滑ってしまい、 さらに悪いことに、 その際に首からぶら下げていたカメラが 胸の下に入ってしまったことから、 肋骨を痛めてしまった (幸い? カメラは無事)。
滑ったのは、 戸隠山の下り斜面。 痛いと思いつつも、 その後高妻山にも登ることができたので、 打ち身程度と思っていたのだが、 さすがに高妻山からの下り斜面では、 歩く度に結構胸に響いて辛いものがあった。
家に帰ってからも痛みが引かないことから、 登山 3日後の火曜日に医者に行ったところ、 どうやら肋骨にヒビ (骨折) が入っているらしいことが分かったのであった (らしい というのもヘンであるが、 部位は軟骨との境目らしく、 なかなかレントゲンでも明確に出ないらしい。 レントゲンで見て怪しいと言った程度)。 ただ、 骨折とは言っても、 場所が肋骨となると特段の治療法も無いらしく、 痛み止めの薬と 胸をギュッと押さえる コルセットを巻いてもらっただけである。 ジッと治るのを待てということか・・・。
そして、 あれからもう2週間ほど経つが、 さすがに普通にしていれば問題ないものの、 寝返りなどで胸を圧迫すると少々痛い。 そのため、 この間 山は自粛したという次第である。 従って、 夏空が広がる中、 家でグタグタしている状態である。 来週からは長期のお盆休みなので、 その時は山に行こうと思う。 ただ渋滞が心配であるが・・・。

ところで、滑ったのにはそれなりに理由がある。 無論、ぬかるんだ斜面であったことも理由の1つであるが、 何よりも登山靴がいけなかった。 全く踏ん張りが効かないのである。
この登山靴は 昨年の10月以来久々に履いたものであり、 考えたらその購入は 2002年のはずである。 一般的にソールの耐用年数は 5年とか聞く。 従って、この靴は 耐用年数をはるかに過ぎてしまっており、 完全にゴム部分が硬化してしまったようである。 岩に足を乗せ、 ビブラムを効かせて登る (あるいは下る) ということができない。 大丈夫と思っても、 体重をかけた足がズルズル滑ってしまうことが多く、 かなり神経を使った下山であった。
従って、 高妻山の下り、 特に一不動避難小屋を過ぎてからの 石がゴロゴロした下り道は大変であった。 全く踏ん張りが効かず、 すぐに滑ってしまうので、 安心して足を下ろせないのである。 加えて、氷清水からは完全に沢の中を下るようになり、 濡れた石にバランスを崩すことが何回もあったのだった。
先日までの登山では、 新しい方の登山靴を履いていたのだが、 この靴はどちらかというと 冬を意識して昨年に購入したものである。 夏になったのでもう少し軽めの方でも良かろうと、 軽い気持ちで 古い登山靴を引っ張り出したのが間違いであった。
見た目は全く問題ないため、 気にせずにそのまま車に積み込んだのだったが、 このような危険が潜んでいようとは 驚きであった。 その結果が肋骨骨折である。
この登山靴ソールの劣化について、 滑って胸を打つ前に気づいていれば、 もう少し対応の方法があったと思うが、 登りでは全く気がつかなかったのである。 考えたら、 蟻の戸渡といった難所を、 この靴でほぼ立ったまま渡ったのだから、 後から考えたら恐ろしい限りである。
ということがあって、 早速 新たに登山靴を購入してしまった。 購入したのは スカルパのゼログラビティ10GTX。 会社の帰りにIBS石井スポーツ本店に寄り、 履き心地が良かったのですぐに購入。 これで昨年に購入した スカルパ シャルモGTXと合わせて、 登山靴はスカルパに統一 と相成った次第である。
登山を始めた頃、 スカルパのシェルパ という登山靴に憧れており、 いつかはスカルパを履いてみたいと思っていたので、 こうして種類は違えども スカルパを履くことになり、 少々感慨深いものがある。
と言っても、 上述のように肋骨骨折のため、 ゼログラビティのデビューはまだの状態。 来週のお盆休みに履き心地を試したい。 いきなりデビューで厳しい山に履いて行くと、 靴擦れが心配であるが・・・。


安原 修次氏のこと  2008.07 記

HPの更新が1ヶ月以上滞っているが、この間、全く山に行かなかった訳ではない。
7月12日には大無間山を目指しており (後述のように小無間山までで撤退)、 この21日には念願だった戸隠山、 そしてついでに高妻山に登ってきた。
まず大無間山であるが、 梅雨未だ開けぬ状況の中、 12日の土曜日は比較的好天に恵まれそうだったので、 当初は長野の戸隠山を目指そうとしたのであった。 ところが、 当地の天気予報は 時間が経つにつれてドンドン悪くなり、 仕舞いには1日中曇りの予報となってしまったことから、 急遽 日中晴天が続くと予報されている 東海地方に行き場所を変更したのであった。
ただ、 この地域にはなかなかお眼鏡に叶う山がない (高さが2,000m以上あり、 日帰り可能)。 暫し、ガイドブックをひっくり返して山を捜したところ、 この小無間山、大無間山がひっかかった次第である。 問題は、 果たして日帰りが可能かというところであるが、 ネットで調べると井川湖の北、 田代からのピストン登山で日帰り登山の記録が結構ある。 但し、 皆 前日に田代近くまで来ていて、 早朝の出発である。 横浜からの出発では日帰り可能かどうか少々心配だったが、 最悪の場合は小無間山までとしても良かろう という気持ちで出かけたのであった。

という状況であるから、早起きしようと思っていたものの、この週は結構寝不足状態が続き、しかも前週の5日、6日の土日は 大分への出張があったりと、 少々疲れ気味であったため、 決めた時間には起きられず、 横浜の自宅を出発したのは4時過ぎであった。 しかも、 なおも悪いことに、 井川湖へ最短となる富士見峠経由の道は 通行止めとなっていることが、 その日、念のために調べたネットで知ることになり、 慌ててルート変更して、 東名高速道清水ICからまずは362号線に入り、 山道を越えて大井川鉄道本線千頭駅に至り、 そこから井川・田代を目指すことにしたのであった。
ところがである、 千頭駅前には何とか辿り着いたものの、 そこから井川に行く道が分からない。 周辺をウロウロしてしまい、 仕舞いには寸又峡温泉の方まで進んでしまうなど、 さんざん迷ったあげく、 ようやく川根大橋の横にあった案内図で、 接阻峡温泉経由の道を行けば 井川にたどり着けることが分かったのであった。 加えて、 奥泉駅手前の道では大きな岩が 2つほど道に転がり落ちていて、 道路規制が始まりだしており、 かなり時間をとられ、 田代の駐車場に車を駐めたのは既に8時過ぎであった。 これでは、大無間山などとても無理である。

一応行けるところまで行こうと登り始めたのだが、 先週の疲れがあって足の方もなかなか進まず、 しかもコースのアップダウンが非常にキツい。 結局 小無間山の山頂に着いたは 13時、 大無間山往復はあきらめたのであった。 何しろ、地図上の時間を足せば、 田代への下山は20時近くになってしまうことになるので、 真っ暗な山中を下ることは 2度目の赤城山の例もあって、 本当に躊躇われたからである。
さて、 無事に田代に戻ってはきたが、 今度は今朝ほど落石があった道路が 交通閉鎖されたとの情報が入ってきた。 まるで陸の孤島状態である。
結局、 車1台が通れる井川大橋 (吊り橋)を渡り、 狭い林道を延々と進んで、 どうにか富士見峠に到着。 そこからも長い道を進んで、 疲れ果てての帰宅であった。
ということで、 大無間山は登れなかったのだが、 この山にはもうトライしないであろう。 何しろ、田代と小無間山の中間点である三角点までは登りずくめ、 そして その三角点から小無間山までは 大小8つほどのアップダウンがあり、 コースはほとんど視界のない樹林の中を 黙々と歩くだけだったからである。 小無間山から大無間山への道は少し楽になるようだが、 それでもやはり樹林の中をほとんど歩くだけのようで、 私の好みではないのである。 敢えてもう一度トライをする気にはなれない。

そして、この21日の月曜日は 戸隠山、そして高妻山に登ってきた。
小無間山から1週間ほどのインターバルだったため、 身体も結構動き、戸隠山のいくつかの難所、 そして不動避難小屋から高妻山頂上までの長い登りも 何とかこなすことができたのであった。
しかし、 この日の最大の出来事は、 戸隠山登山でもなく、 2回目の高妻山頂上到達でもなく、 戸隠山 蟻の戸渡付近で出会った 安原修次さんであった。
この日まで安原さんのことは全く知らなかったのだが、 ペンタックスの中判カメラを持った老人 (失礼。しかし72歳だとか・・・)が、 しきりに花を撮影している姿に興味を覚え、 話を聞いてみると、 何と一箇所 (例えば県、政令都市等) に長く滞在して、 その場所の花を写真に納め、 写真集を出しているとか。 それだけではピンとこなかったのだが、 氏から戴いたわらじのお守り (氏の手作り) に同封されていた自己紹介文から氏の名前を知り、 さらに家に帰って詳しく調べてみたところ、 凄い人であることが分かったのであった。

何と千葉県内の小学校に勤務しながら 趣味で野草を撮っていた氏は、 野草ブームによる盗掘などで野の花が消えていくのを憂い、今ある植物を記録し、 植物保護の世論づくりに少しでも役立てばと考え、 48歳で教職を辞めて 植物写真家へと転向したとのこと。 以来23年間にわたって都市に咲く花を撮り続け、 その貴重な生態をまとめた本を 数々出版しているのだそうである。 そして、今年は長野県に4月から滞在しているのであった (船橋市の自宅を離れ、 戸隠豊岡の農家に家を借りているとのこと)。
氏の心情を知るべく、 氏が13年前に書かれた 「野の花に生きがい求めて(安原修次 ほおずき書籍)」 を古本屋で入手しようと思う。
それにしても 世の中には凄い人がいるものだ。 そういう人たちを知らないのは恥ずかしい限りである。


スループ・ジョン・B  2008.06 記

5月4日に山伏・大谷嶺に登って以来、 1ヶ月以上 山とはご無沙汰であったが、 この梅雨の晴れ間、 久々に山に登ることができた。 行き先は4度目となる甲武信岳。 ルートはいつもの戸渡尾根からではなく、 長野県側 毛木平から 千曲川源流遊歩道を登り、 下りは三宝山、大山、十文字峠を経て、 毛木平に戻ってくるというものである。
このルートは前から登ってみたいと思っていたもので、 小生の住む横浜からはかなり遠回りとなるものの、 それだけの価値がある素晴らしいコースであった。 以上 近況報告。

さて、登山で1ヶ月以上のブランクを生じさせているくらいであるから、 山についてあまり書くことがない。 そこで山とは全く関係ない話を少し。
ふとしたことから、 ビーチボーイズのベストCDを入手した。 実のところ、 ビーチボーイズは私の好みではなく、 今までLPレコード、 CDは一切購入したことがない。 今回のベスト盤も、 本当に偶然手に入れたものだが、 このCDの中に 「スループ・ジョン・B(ジョン・B号の遭難)」 が入っていたので、 かなり懐かしい気持ちにさせられた。
というのは、 「スループ・ジョン・B」 は 私が中学生になったばかりの頃、 友達に勧められて聞いていたラジオ番組 『9500万人のポピュラーリクエスト』 で、 かなりかかっていた曲だからである。 そして、この番組で 洋楽に興味を持ち始め、 ビーチボーイズを知ったのもこの時である (と思う) から、 私の中ではビーチボーイズといえば、 「サーフィンUSA」でもなければ、 「グッドバイブレーション」でもなく、 この 「スループ・ジョン・B」 なのである。
しかも、 この曲がヒットしたのは1966年。 その後、42年間もこの曲を聴いたことがなかっただけに、 感慨一入であった。

ところで、この『9500万人のポピュラーリクエスト』といえば、その司会は 小島正雄 である。
先にも述べたように、 42年も前のことであるが、 結構記憶に残っていて、 ラジオ局も文化放送だったと記憶している。 この小島正雄という名前を覚えているのは、 ファンだったというような理由ではなく、 その少し前にフジテレビでやっていた 「グーチョキパー」 というドラマで、 彼がお父さん役を演じていたからである。 その後、 お父さん役が 小山田宗徳に変わり、 家族も変わってしまったので、 子供心に少々ガッカリした記憶があり、 印象深いのである。
この 「スループ・ジョン・B」 と同じ頃に流行っていた曲はと言えば、 この年 来日したビートルズが 「ガール」 や 「ミッシェル」 をヒットさせていた記憶があるし、 確かベンチャーズが 加山雄三の 「君といつまでも」 を演奏して ヒットさせていたはずである。 そして、 メロディが印象に残っているのは、 ウィルマ・ゴイックの 「花のささやき」 であり、 フランク・シナトラの娘である ナンシー・シナトラの 「にくいあなた」 であり、 ハーブ・アルパートとティファナ・ブラスの 「蜜の味」 である。
とにかく 「スループ・ジョン・B」 を聴いて 当時のヒット曲が次々と脳裏に蘇ってきたのであった。

言うわけで俄然懐かしさがこみ上げ、 ネットで 『9500万人のポピュラーリクエスト』 を検索したところ、 さすがインターネット、 当時のランキングが残されていた。 それによれば、 「スループ・ジョン・B」 がランクインしたのが1966年の5月5日、 そして何と6月30日と7月7日の放送では、 見事1位に輝いたのである。 これだけヒットしたのなら、 その後42年の間に1回くらいは耳にしても良いはずなのだが、 聴いた記憶が一切ない。 ポピュラー番組を聴かなくなったからかもしれないが、 ビーチボーイズと言えばどうしても サーフィンというイメージが浸透しており、 余程のことがない限り 「スループ・ジョン・B」 のような曲はかからない というのが本当のところであろう (もっともこの原曲は バハマ諸島の民謡らしい)。

ちなみに、1966年5月から12月までの間に 『9500万人のポピュラーリクエスト』で1位を取った曲は、 ビートルズが最多で、「ガール」、 「ミッシェル」、 「ペーパーバック・ライター」、 「イエロー・サブマリン」、 「エリナー・リグビー」、 「タックス・マン」 の6曲であり、 延べ20週にも及ぶ。 その他に、先ほど述べたベンチャーズが 「君といつまでも」で4週、 ビーチボーイズが 「スループ・ジョン・B」 で2週、 ローリングストーンズの 「黒く塗れ」 が1週、 ダスティ・スプリングフィールドの 「この胸のときめきを」が2週、 ピーター、ポール&マリーの 「虹とともに消えた恋」が2週、 そしてモンキーズの 「恋の終列車」が2週 等々となっている。 この中で モンキーズは やはり中学時代に忘れられないグループである。 テレビ番組 「ザ・モンキーズ」 が日本で放送されたのは、 恐らく1967年になってからだと思うが、 何せスゴイ人気だったのである。
と、 1つの曲に触発され、 当時のことが色々思い出されてきたが、 それだけ私も歳をとったということだろうか・・・。

ところで、 今回の岩手・宮城内陸地震にはビックリである。 山から帰ってきて、 初めて大きな地震があったことを知ったのだが、 発生時間が 8時43分とすると、 私が千曲川源流をかなり奥まで遡っていた頃である。 もし栗駒山近辺で山登りをしていたとしたら、 やはり かなり山奥に入り込んでいることになっていた訳で、 その時点で被災したらと思うと恐ろしいし、 他人事では済まされない。
今回の地震で亡くなられた方 ・家族の方々に対し 心よりお悔やみ申し上げますとともに、 行方不明の方々の無事をお祈り致します。


3年8ヶ月ぶり  2006.08.13 記

何と、我がホームページは 3年8ヶ月ぶりの更新とあいなる。
さらに、この山の雑記帳に至っては、 ホームページ更新が止まるかなり前からまばらな更新状態だったので、 ほぼ 4年の長きに亘り放置状態であったということである。 本当に情けない限りだ。

もっと深刻なのは登山の方で、途中に1年ほどのブランクが2回ほどあり、百名山は 2002年10月の 鳥海山 以来ストップしたまま。つまり未だに88座という状況である。
こういうことだから、今や我がホームページは崩壊寸前の状態である。
何とかこの状態の立て直しを図ろうと幾度かトライしたのだが、 肝心の山に行かない状態が続いていたのではメシのタネがないのと同じで、 結局 4年近い時間が流れてしまったのであった。

しかし、この間にも我がホームページを訪れて戴く方々はおられ、カウント数も上がっているのだから本当に申し訳ない限りである。
これからは何度目かの心の入れ替えを行い、 何とか更新を続けていくつもりなので、 これに懲りずに訪れて戴ければと思う次第である。

さて、この山に行かない状態は、考えればホームページ更新がストップした 2002年よりも以前、 2000年頃から頻繁に起きており、 私はこれを山鬱状態と呼んでいる。
日常の仕事やら、海外出張やら、 天候やら、体調 (風邪など) やらで、 山に行けない状態が長く続くと、 どういう訳か山に行くのが億劫になってきてしまい、 休日は家でゴロゴロしているのが好ましく感じてしまうのである。
しかも、この山鬱状態は一定のサイクルをもってやってくるというのではなく、 先に述べた周囲の環境が重なって作られるものだから始末に悪い。
仕事などで山に行けない状態が続いても、 初めのうちは山に行きたいという気持ちが強く働く。 しかし、その状態がさらに長引くと、 次第に山に行かない日常生活が当たり前のように身体に染みついてしまい、 最後には山に行くのが億劫になってしまうのである。
一度自分の心を打ち破り、 思い切って山に出かければ、アッという間に元の山好きに戻れるのは良く分かっているのだが、 なかなか身体がそれに反応してこない。 これを人は老いたというのかもしれない。辛いところである。

今の状態はと言えば、どうにかこの山鬱状態から抜け出しつつあるのだが、それでも完全という状況ではない。
最近も 4月から 5月にかけて連続して山に登ったのであったが (三方分山、七面山、八紘嶺、山伏) またまた種々の状況が重なって山に行けなくなり、 この 8月、 ようやく 3ヶ月ぶりに山に登ったといった状況である 女峰山/小真名子山/大真名子山登山 参照)
まあ一度エンジンが掛かったので、 当面は大丈夫と思うが、 焦らず、ボチボチと山登りをしていきたいし、 またホームページ更新もゆっくりやっていきたい。
なお、ホームページ更新だが、 過去、2年ほどの山登りのブランクがあったとは言え、 いくつかの山には登っているので、 それを少しずつ報告していこうと思う。 些か古新聞であるがご容赦戴きたい。

久々の雑記帳なのでもう少し長く書こうと思ったが、 書きたいことがありすぎて頭の中でまとまりがつかなくなっている状態なので、 今回は単なるご挨拶にとどめ、 次回からということにしたい。
さてどうなりますことやら・・・・・・。


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