TRAVELL DIARY / AFRICA 5-4

SENEGAL / MALI [4]


■■■ コレクターとの出会い ■■■

5月10日(月)

5時にベッドに入ったが、昨晩の興奮のせいかさっぱり眠られず8時に起きてしまう。
さて今日はどう過ごそうか?
資料用に街の写真くらいは撮っておこう、先週当たりをつけておいたカセットも買わなくては。けれども日本を出発してからまともに寝ていない、ダカールでの最大の山も超えたことだし、少しゆっくりしよう。もう一度ゴレ島に行き何もしないというのも悪くない。そんなことなど考えていたが甘かった。

本人から口止めされているため詳しい話はできないが、ようやくひとりのレコード・コレクターとコンタクトがとれた。自宅にアフリカのレコードがあり、譲っても構わないと言うのだ。
しかし街中で稀にレコードを見つけても、ありきたりなポップスばかりだった。時間の無駄とは分かっていながら、すぐさま断るのも失礼かと考え、出かけていってみた。実は地元の人々の生活振りを見てみたいという、ヤジ馬根性が多分に含まれていたからなのだが、、、。

部屋の中に通されてまず驚いた。一体何千枚あることか。
次にそのコレクションを見てまたまた驚いた。西アフリカ、コンゴ、ケニアなどのLPとシングルがどっさりとある。

ここの主人、「これはセネガルのバンドで、セ・ボンだ。次のこれはコンゴのバンドで、これもセ・ボンだ」と一枚一枚説明し始める。
「そんなこととっくに知っているから、自分で選ばせてくれる?」
許しが出た途端、猛烈なスピードでレコードをめくりチェックを始めた。

いきなりSTAR BANDBAOBABYOUSSOU N'DOURの見たことのないアルバムがぞろぞろ出てくる。BEMBEYA JAZZHOROYA BANDLES AMBASSADOURSといった近隣国の名盤も出てくる。
恐る恐る、本当に譲ってもらえるか確認すると、ジャケットを一瞥し黙って頷く。

シングル盤のチェックに移ると、OK JAZZNICOFELA KUTIBEMBEYA JAZZVICTORIA JAZZなどに混じって、DEXTER JOHNSONが次々と出てくる。これでセネガルの初期のポピュラー音楽をようやく聞くことができる。

10インチをチェックすると、アラブ音楽やGILLES SALAとともにBANTOUS JAZZらの編集盤が、これもちょっとめずらしいのではないか?

さらに別のLPの山にかかろうとすると、そっちはキューバとジャズだから絶対に売らないと言う。ここは敬意を表して一切、手を触れずに帰って来た。

そう言いつつもコレクション外のクズ盤らしきの山の中にARSENIO RODRIGUEZ"VIVA ARSENIO !"を発見。(『レコード・コレクターズ』1997年2月号参照)現在、市場価格が数100ドルと言われるこの希少盤、ほとんどただみたいな値段でもらってきてしまった。
だけどキューバは一体何を持っているのかちょっと気になるな〜。

絶対欲しいクラスの物から値段次第のものまで様々選び出したところで値段交渉、初めの言い値が結構高い。仕方がないので、買う枚数を10枚から徐々に増やしていくが、なかなか希望するほど下がらない。短期滞在の悲しさ、途中でギブ・アップ、タクシーで銀行まで走ることに。

レコードの種分け中、内心では興奮しながらも、そのことが相手に伝わると値段の交渉が難しくなるのでなるべく冷静に努めたが、やはり悟られたかな。

また、売らないと言われたレコードの中にもどうしても欲しいものがあったので、試しにいくらなら売るか質問すると、ただただ笑顔で首を横に振るばかり。残念だけれど諦めた。

レコードと現金を交換し終え、くたくたになりながらホテルに戻るとすでに食事に出かける力すらなく、ベッドに倒れ込む。しかし眠る訳にはいかない。どうやって日本に送るか何か方法を考えなくては。

5月11日(火)

ダカール滞在もあと1日限りなので、地元の人達といくつか約束を入れていたのだったが、すべて実現しなかった。何故かというと、またまた新たなレコード・コレクターが登場したからである。

まるで昨日の延長戦だった。コレクションの種分け、値段交渉、銀行までの往復、すっかり疲れて帰ろうとすると「もう一ケ所行きますか?」これの繰り返し、初めに言ってくれヨ。

一体何ケ所行ったことか。気が付くとすでに太陽は沈み、あたりはまっ暗。どこにいるのか分からない上、蚊が体のあちこちを刺している。しかしレコードをめくる指は止まらない。

最後の所で商談成立しても今度は運ぶ手段がなく、隣の八百屋で空き箱を売ってもらうためにまた交渉のおまけも。

それにしてもCITICARDがあって本当に助かった。現金をあまり用意しておらず、これがなければ大量のレコードを涙を飲んで諦めるところだった。連日、限度額一杯の現金を引き出してようやく、間に合った状態だった。

近くの店で簡単に食事を済ませ、2本のビールを手に部屋に戻る。そして、早速レコードの整理とパッキングに取りかかるが、、、眠い。

2日間で約400枚、60kgの収穫だった。実際、コンディションにばらつきがあり、保存状態の良くないレコードもずいぶんあった。しかし極端に傷んでいるものを除いて、資料的価値のあるものは持ち帰れるだけ買ってきた。はたして日本国内にあるのか分からないようなレコードも種々みつかり、こうしたレコードが時が経るとともに朽ちていくかと考えると一種の義務感に捕われ、相当無理をして持ち帰ることとした。

それにしても凄い出会いだった。
まず、
BAOBAB、これまでディスコグラフィーで存在の分かっていたアルバムが全て出てきた。STAR BANDYOUSSOU N'DOURSTAR NUMBER ONEIFANG BONDIなども大量に発見した。ギネアのSYLIPHONE盤はほぼ全アルバムが出てきた(そのうちピカピカの未聴盤も多かった)。FRANCO & OK JAZZのEPなんて目にしたことすらもちろん初めて。

それらの全てを譲り受けた訳ではないが、それでも最高の目の保養になった。
YOUSSOUが参加したSTAR BANDのアルバムが5枚あることは知っていたけれど、はたして本当に存在するのか常々疑問に思っていたところ、何と5枚揃で持っている男がいた。だけどさすがに、これは売ってくれなかった。
どうしてもダメかと聞くと、10数人の名前がリストされた紙を見せ、ダビング待ちの人間だと言う。要するにこのレコードをカセットにダビングして売る商売をしているというのだ。これではいくら交渉しても無駄だ。素直に諦める。近いうちに私もダビングをお願いすることにしよう。

今回レコードを譲ってくれた人は50才代の男性ばかりだったが、一緒にいるととても楽しかった。金になるなら何でも売ってしまうのかと思っていると、それぞれに絶対売らないレコードがある。売らないと言われたものには、BAOBAB、GRAND KALLE、OK JAZZなどの貴重盤以外にも、"VIVA SUPER EAGLES"、"PANORAMA DU SENEGAL"といった特に珍しくないもの、ケニアン・ジャズやフランスのポップスなどがあり、各人の趣味や個性が窺われて面白かった。

一緒に付いてきて私がチェックし終えたキューバ盤の山から何枚かピック・アップして買っていくオジサンもいた。彼の幸せそうな顔を見ていると心底音楽が好きなことが伝わってきて、こちらも嬉しくなった。


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