法の抜け道
近江八幡市は、こぢんまりしているけれども、歴史的建造物を大事にした、気持ちの良い綺麗な町だった。
加えて、左のように木造の家々をちゃぁぁんとメンテナンスして、景観を損なうことなく人々が暮らしている。何だか、タイムスリップしたみたいだった。
歴史的なうんちくのたくさん詰まった資料館の話しは、あえて置いておこうかと思う。
私が面白いと思った話しを1つ、ご紹介させてください。
…これも、沖島で出会ったご夫婦に伺った話が発端である。
私たちは、わくわくしながらその話を聞き、吸い寄せられるように「近江兄弟社」の本社へ向かった。
…皆さんご存じのメンソレータム、日本に初めて輸入したのが近江兄弟社なのである。
しかし、今メンソレータムは某大手製薬会社(脅迫事件があって、店頭から目薬を回収した会社っす!)が製造・販売している。そして、本来なら本家であるはずの近江兄弟社は「メンターム」を製造・販売。
…これってどうして??
近江兄弟社の設立者、ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(以下、メレルと表記)は、キリスト教伝道の志と共に明治38年に近江八幡の滋賀県立商業学校(現:八幡商業高校)の英語教師として来日し、生徒を教える傍ら、キリスト教の伝道と、その延長線上の社会奉仕のための組織作りを推進した。
そのような活動が、自らも敬虔なクリスチャンだったメンソレータム社のハイド氏の目に留まり、メンソレータムの輸入を手がけることになる。
この商品の成功で得た利益を資金源に、メレルは結核療養所や幼稚園(現在では、小〜高等学校まである)、図書館などなど、社会奉仕のための投資にいっそう乗り出していった。
彼の死後も社会奉仕の理念は引き継がれ、組織はさらに大きくなっていった。…が、主な資金源はメンソレータムの販売だけで、新製品の開発を怠ってしまったために組織は弱体化。ついに昭和50年に倒産してしまう。
倒産しても、実際に会社が消滅してしまうまでは少しの時間がある。
近江兄弟社はその間に役員が総入れ替えし、「このままメレルの志を終わらせてはならない」猛烈な巻き返しを図る。
新しく製造販売権を取得した会社に何度も折衝し、一応和解のような形で「メンソレータムという名称を使用しなければ黙認する」という確約を取り付けた。社員の数も1/5程度に減らした。
その一方で、以前商標を取得していた「メンターム」という名称で製造・販売を再開(?)し、何とか会社は消滅を免れたのである。
その時の失敗はかなり応えたらしく、今日は新製品の開発に余念がない。本社に遊びに行くと、新製品のサンプルをくれるぞ!
☆ 第5部地図
1唯一の淡水有人島 2無という存在感 3総員茫然自失
4近江牛! 5法の抜け道
6鮒寿司と臭い仲 EXIT!