忍者寺

 お腹が満たされたところで、金沢の市内観光。妙立寺(みょうりゅうじ)、別名、忍者寺(金沢市野町1−2−12)見学へ。
 近くの駐車場に車を止めたら、守衛さんに「忍者寺に行くなら予約取りなさい」と、言われた。…今の世の中便利だからね。その場で速攻ケータイで電話。20分後に予約を取る。

 行ってみて、予約してて良かったなぁ…とつくづく思ったね。夏休みということもあり、入場制限をしていて、境内はすごい人。
 …こんなに人がいても、この中で参拝のために来ている人はどのくらいいるんだろう??って、思う。
 私たちにしても、もちろん熱心な日蓮宗というわけでもないし、みんなこの寺のからくりを見に来たんだろうなぁと思う。

 さて、この妙立寺、何故忍者寺と呼ばれるかと言えば、ご想像の通りあちこちに仕掛けがあって、忍者屋敷みたいな造りをしているからである。
 …これは、妙立寺の説明にもあるのだが、忍者屋敷みたいな造りをしているだけで、忍者とは何の関係もない。


 加賀藩の初代藩主;前田利家は、金沢に入場して間もなく、政治の理念を日蓮宗・法華経の中道精神に求め、祈願所として「妙立寺」を建立した。
 その頃は普通の寺だったのだが、三代藩主;利常の時に、今日のような望楼、多くの隠し階段、切腹の間などの仕掛けを備えた寺に移築された。

 そもそも、何故そんな手の込んだ仕組みを作らねばならなかったかといえば、ご存じの通り、昔、加賀藩は百万石を治めるウルトラスーパー大名(笑)だった。こんなに大きな勢力を持った大名が、徳川幕府にとって"目の上のたんこぶ"にならない訳がない。

 利常は、徳川家から嫁を迎えたり、母親を人質に出したり、鼻毛を伸ばしてバカ殿ぶりを演じたり(バカっぽく見える程鼻毛を伸ばすって、大変な事よ!)して、幕府に「謀反なんておこす気は全くないよ」と、いうところをアピールした。

 その一方で、虎視眈々と加賀藩を含む諸大名を取りつぶそうとしていた幕府の攻撃に備え、城周辺の守りを完璧にし、それだけでは飽き足らず攻めてこられた時の前線基地とすべく、この寺を移転・改築したわけである。

 しかし、あからさまに前線基地っぽく仕上げては、取りつぶしの機会をうかがっている幕府に、その機会を与えるようなものである。

 当時、幕府は2階建て以上の建物を建てることを禁じていた。
 そこで、外観は2階建て、実際は4階7層29階段(部屋数は23)という複雑な造りをした建物を建立した。

 表向きは「寺 兼 お茶会の場」であり、実際不幸なことがあったときに祈願に来たり、境内にある井戸でお茶を点て、お茶会を催したりしていたらしい。

 利常が名役者だったお陰かどうかは分からないが、加賀藩はその後取りつぶしになることもなく幕末を迎え、更に何百年もの風雪に耐え、戦火に遭うこともなく、妙立寺は今もその姿のまま、ある。

 境内は写真撮影禁止のため、面白いからくりは現地に皆様が実際行って確かめていただかなくてはならない。…何度かガイドさんの目を盗んで撮影しようとしたんだけど、だめだった(笑)。

 そんなこんなで、加賀藩とつながりが深かったので、この妙立寺は、加賀藩の紋を使うことを許されている、ということだ。


 …何だか、説明ばっかりでつまらないページ(笑)!実際行くと面白いんだけどね。
 次からは琵琶湖編です。

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