小京都を考える

金沢旅日記 『考察編』

命題:金沢は何故、日本一の小京都と言われるのか??

小京都とは何ぞや??
1.太平洋戦争の被害がなく、昔の建物が多く残る。
2.文化の発信地(残存地)である
3.独自文化の発信地である
4.住民が古都としての自覚を持っている

 …こんなところか?

考察
☆他の小京都と呼ばれる場所(ex.大分の日田(ひた)、四国の中村、岐阜の飛騨高山、山形の米沢、福島の会津)にある特色をすべて兼ね備え、その上、本場京都に迫るものを持っている。
 以下は、それをまとめたものである。

  金 沢 その他の小京都
町並み 香林坊〜武蔵辻、主計町など 飛騨高山
料理

加賀料理(治部煮や、犀川の川魚料理、能登から来る珍味)

中村(川料理。例えば川海苔や、鮎を使ったもの)

着物 加賀友禅 丹後縮緬(ちりめん)
塗り物 輪島塗り 会津塗り
裏庭 能登 会津→喜多方、萩→津和野(京都→宇治)
焼き物 九谷焼 萩焼

 金沢のすごいところは、ここからである。ここからは京都との比較。

  金 沢 京 都
 庭園 兼六園 桂離宮
 花街 東野茶屋街 祇園
 野菜 加賀野菜(太キュウリなど)    京野菜(京人参など)  


☆他の小京都と決定的に違うのは、首都としての経験や機能があることである。
 …古い町並みがあると「小京都」と呼ばれがちだが、金沢は室町時代に一向一揆があってから約1世紀に渡って(信長に滅ぼされるまで)浄土真宗を柱とした国を形成していた。
 金沢には小京都の中でも唯一といっても良い首都機能を果たした(その他の所で、50年くらいのスパンで自治を納めたところもあったが、これだけの長い間国としてなっていたところは他にない)、豊かな(その後も、江戸や大坂などの天領以外では1番石高が高かったらしい)町であった。
 城(金沢城)があり、町は城塞としての機能を果たしていた。江戸時代は加賀藩が幕府に目を付けられていたこともあり、市街戦の準備に余念がなかった。忍者寺なんかは明らかにその名残だし、長町武家屋敷の辺りなど道が迷路のようになっているのは、敵が侵入してきた際の時間稼ぎを考慮してのことだったのだろう。


まとめ
 大阪は商人の町である。東京は武士の町である。
 …これらは生活者の町であって、国を統べるものが住む首都ではない。
 京都と金沢は、1つは天皇であり、1つは神であり、慕うものの違いこそあれ、国を統べるものがいる首都であった。

 まぁ要するに、各小京都にある京都らしさをすべて持ち、なおかつ京都と金沢にしかないものを持っているから小京都No.1(第2の京都)と言われるのだろう。

 以上、レポート(笑)終わり。かづよでした。
 毎度ご愛読、感謝!

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☆ 00年2月 金沢旅日記目次
1 大丈夫か?ほくほく線  2 ごりや     3 難読の風情
4 まいどさん活躍     5 新保屋の夜   6 お持ち帰りとお詫びと猫
7 小京都を考える