平成11.4.12月 新作
大凶収集紀行へ '98 その15 平成10年9月13日(日)
かしま じんぐう
鹿島神宮
茨城県鹿嶋市宮中

社殿(10.9KB)
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◆式内社、旧官幣大社(現、別表神社)◆祭神:武甕槌神

 その14 大洗磯前神社と同じく、今年2度目のお参りです。 前回の訪問ではあまり下調べをしなかったので、 撮り損ねた写真もありその補填も兼ねて寄りました。
 祭神武甕槌神(たけみかづちのかみ)は国譲り神話の英雄ですが、 神武天皇の東征にも大きく関わっています。『古事記』では、神武天皇が熊野に至ったおり、 巨大な熊が現れその毒気によって正気を失い倒れます。 そこに、高倉下(たかくらじ) という人物が夢のお告げによって武甕槌神から下された霊剣布都御魂 を持って来て天皇に献上すると、即座に正気を取り戻し熊野の山の荒ぶる神を倒した、 とされます。この恩に感謝し、神武天皇は即位の年(紀元前660)に使者を鹿島に遣わして 武甕槌神を祀ったとされるのです。社伝もこの説を採っています。 ちなみに、高倉下は越後国一の宮彌彦神社 の祭神天香山命のことです。
 しかし実際には、鹿島神宮のことは『記紀』には記載されていません。 『常陸国風土記』によると、香島の神郡は大化5年(649)に建てられたとされます。 当時その地にあった「天の大神の社・坂戸の社・沼尾の社」の三社を合わせて 「香島の天の大神(かしまのあまのおおかみ)」と称したとあり、 香島と呼ぶのは、神島または神栖間(かみすま)の意とされます。 「香島の天の大神」は、昔この国土に天孫が降臨するに先立って天降った神で、 その高天原での宮居を日香島宮といい、この国土での名を豊香島宮といった、そうです。 風土記は、和銅6年(713)の勅命によって諸国から撰進されました。 その後、大同2年(807)に斎部(忌部(いむべ))氏の『古語拾遺』 に武甕槌神の注として「今常陸国の鹿島神是也」とあることから同一神とされていますが、 異論もあり定かではありません。
 ところで、前回は気付きませんでしたが、拝殿の向かいに高房社 (たかふさしゃ)という摂社があります。 拝殿に進む前に参拝する習わしで、主祭神武甕槌神への取り次ぎをする神様だそうです。 祭神は建葉槌神(たけはづちのかみ)で武甕槌神の第一の武将で、 常陸国二ノ宮静神社の祭神です。 この神は、武甕槌神・経津主神が手を焼いた悪神 天香々背男(あまのかかせお)、 別名天津甕星(あまつみかほし)を討った神とされ、 私にとっては、神社伝承から隠された古代史につながりそうな興味をそそる話なのです (その話は、さらに勉強が進んでから紹介したいと思います)

おみくじは、お金を入れて、箱の中から籤を一本取り出す方式でした(百円)
… おみくじページ 工事中 お待ち下さい。

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