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◆創建時期不明 嘉祥3年(850)国史初見◆式内社・明神大、旧県社、常陸二ノ宮 ◆主祭神:建葉槌命(倭文神)、相殿神:手力雄神・高皇産霊命・思兼命 【大凶収集紀行】のテーマが「おみくじ&寺社観光」から「神様&古代史」 に変りつつあるのは鹿島神武甕槌神(たけみかづちのかみ) がきっかけでした。そしてその後の勉強で、常陸国と呼ばれた茨城県の神社には いろいろと興味深い話が多い事を知りました。今は特に『日本書紀』の神話で、 国内を平定してまわった武甕槌神と経津主神(ふつぬしのかみ) に最後まで抵抗したと見られる星神天津甕星(あまつみかほし) 亦の名天香香背男(あまのかかせお)や、 二神を助け天香香背男を破ったとされる 建葉槌命(たけはづちのみこと)に興味を持っています。 その建葉槌命を祀るのが常陸国二の宮の静神社です。 主祭神建葉槌命は又の名を倭文神(しどりのかみ) といい、織物の神様です。倭文(しず)とは古代の織物の一種の倭文織りの事で、 『続日本紀(しょくにほんぎ)』によると、 常陸国は倭文織物の特産地だったようです。『常陸国風土記』には、 「久慈の西、静織の里は、 昔まだ綾を織る機を知る人がなかった時に、初めてこの里で織った。 このためにこの名がある」 と記されています。 天香香背男を討伐した武神と織物の神とでは同一神とは思い難いのですが、 日本の神には本来、荒々しく恐ろしい自然の脅威を神格化した 荒魂(あらみたま)と温和で愛情に満ちた自然の恵みを神格化した 和魂(にぎみたま)の二面性があり、まさしくその一例と言えます。 相殿神は、手力雄命(たぢからをのみこと)・高皇産霊命 (たかみむすびのみこと)・思兼命(おもいかねのみこと) です。創建の時期は不明ですが、『文徳実録』という書に 「文徳帝嘉祥三年(八五〇年)九月庚午、 使を遣して静神社に奉幣せしむ」 と見られ、また、 『延喜式』の明神大社でもあり、 格式の高い古社であることは間違いありません。 境内は杉の巨木に覆われ、急な石段の参道も薄暗く厳かな雰囲気です。 ここは水戸藩の祈願所と定められ、藩主は代々参拝するのを常例としたそうです。 二代目藩主光圀公が寛文7年(1667)に御社殿を新たに造営していますが、 その際、本殿わきの巨檜の根元から発掘された奈良時代の銅印が伝わります。 現在の社殿は、天保12年(1841)の火災の後、九代藩主斉昭公によって再建されたものです。 拝殿の右側には元の御神木の地上4m部分が屋根付きで保存されています。 さらに、本殿裏の山の中に末社手接足尾神社(てつぎあしおじんじゃ) が鎮座します。手足の安全・健康の守護神として草履や靴下、 ギブスまでが供えられていました。これは、最近興味を持っているアラハバキ神 の特徴であり、かなり深い由来が期待できます。必ず再訪することを誓いました。
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