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◆皇紀元年(前660)創建◆式内社、旧官幣大社(現、別表神社)
◆祭神:武甕槌神 鹿島神宮は、鹿嶋市街にある広大な深い森『鹿嶋の杜(もり)』 に鎮座します。鹿嶋市(旧大野村)には縁あって年十数回と頻繁に行きますが、 神宮には「いつでも行ける」という安心感のためかあまり行きません。 今年は初詣も行かず、3月末にやっとお参りしてきました。 古くから「鹿島・香取の神」と並称されているように、利根川を挟んで千葉県にある 香取神宮とは深い関係で結ばれています。 鹿島は藤原氏の祖(中臣)鎌足の生れた地とも伝えられ、 鹿島・香取の神は藤原氏の氏神として厚く奉られてきました。 『延喜式』では、「神宮」号をもつ神社は 伊勢・鹿島・香取の三社のみであり、重要視されていたことが伺えます。 祭神は、国譲りの神話で有名な武甕槌神(たけみかづちのかみ)です。 皇紀元年(紀元前660)の創建と伝えられる古い神社で、常陸国(ひたちのくに) 一の宮です。 御利益は、国譲りの業績から「平和外交」「立身出世」、また、武神として「勝運」 「戦勝・武運長久」「心願成就」などがあげられます。 さらに、古代九州の防備に派遣された防人(さきもり)たちの出陣を元に、 長旅に出るときの無事を祈る『鹿島立ち』の言葉と鹿島立守りがあります。 中央から割れるようになった板の片方に住所・氏名を記入し納め、 もう片方は「心願成就御守」として自分で持つようになっています。 境内の森は鹿島神宮社叢として県の天然記念物に指定されていて、 巨木も多く厳かな雰囲気です。非常に広く見所も多いため、 一巡りするにはかなり時間がかかります。格の高い古社だけに文化財も多く、 中でも宝物殿には茨城県唯一の国宝である日本最古最大の直刀を収蔵します。 今の所、いつでも寄れるからと安心してしまい、まだ目にしていません。 奥参道の終点に、慶長10年(1605)に徳川家康が建てた本殿を、 元和5年(1619)の作り替え時に移して摂社した奥宮があり、 そこから左右に更に奥深く進むことができます。 左の石段と坂道を下って行くと、鹿島七不思議の1つに数えられる御手洗池 (みたらしいけ)があります。 また、奥宮を裏手の右奥の方に進むと、これまた鹿島七不思議の一つで、 地震鯰(なまず)の頭を押さえていると伝わる要石 (かなめいし)があります。 この日は、要石は拝まず、御手洗池の前の茶屋で遅い食事をとり、 東国三社めぐりのため、次の 息栖神社に向かいました。
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