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◆和銅5年(712)創建◆祭神:保食神(宇迦之御魂神・豊宇比賣神) 北海道の叔母が遊びに来ていたので、時期も良いし長瀞で紅葉狩り&温泉でもと思い 叔母・祖母・母と出かけました。しかし時期的に混雑もひどく、 国道254の小川町手前から渋滞で全く進まなくなったことで皆が音を上げてしまい、 途中で見つけた嵐山渓谷の健康センターで我慢することになりました。 付近の見所も全然分からず早く帰宅すると言い出したので、 これまた途中で見つけた箭弓稲荷神社に寄ってみることにしました。 神社は東武東上線東松山駅から少し離れたところにあります。道路案内も多く、 大きな鳥居が見えるので分かりやすい場所です。 御由緒によると、祭神は保食神(うけもちのかみ)( 宇迦之御魂神(うがのみたまのかみ)・ 豊宇比賣神(とようけひめのかみ))となっています。 この三柱はともに食物の神・五穀豊穣の神であり、同一神の別名とする説もありますが、 『古事記』では独立した三神として記載されています。それによると、 保食神は別名大宜都比売神(おおげつひめのかみ) といい伊邪那岐命・伊邪那美命の子で五穀発生の起源神です。 豊宇比賣神は豊宇気毘売神とも書き、伊邪那美命の尿から生れた 和久産巣日神(わくむすひのかみ)の子で 天照大神の食事を司る豊受大神のことです。 また、宇迦之御魂神は須佐之男命の子で、一般には、 この神が全国に4万社以上祀られている稲荷社の祭神とされています。 御由緒の「保食神(宇迦之御魂神・豊宇比賣神)」という記載が同一神説を採るのか否かは よくわかりません。 創建は和銅5年(712)と伝えられ、野久または矢久稲荷と称され、 関東の代表的な稲荷大社として里人の信仰の的になっていました。 第68代後一条天皇の御宇、長元元年(1028)に関東では平忠常の乱が起き拡大しました。 長元3年に追討使に任じられた甲斐守源頼信が野久ヶ原に本陣を張り祈願したところ、 神徳があって乱を平定したと伝わります。そのお礼として御社殿を再建建立し、 箭弓稲荷大明神と称し奉ったのが現在の御社名の元になります。 境内には、文政4年(1821)秋七代目市川団十郎が建立したという末社彌栄神社 (通称、穴宮、団十郎稲荷)が鎮座し、「芸能向上・商売繁盛」 の守護神として広く崇敬を集めているそうです。
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