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◆式内社、旧国幣中社(現、別表神社)、越後国一の宮
◆祭神:天香山命 ゴールデンウィーク後半は、家族(両親・祖母)と群馬・新潟方面に3泊4日で 温泉旅行に行きました。当初、神社巡りは予定していなかったのですが、 前日の宿泊地(群馬県水上温泉)で地図を見て決めました。実は、 地ビール第一号の「エチゴビール」と名前が魅力的な「日本海夕日ブルワリー」 の2つの地ビール蔵の中間点あたりにあるのです。神社と地ビール、 どちらが「ついで」とも言えませんが、まあそんな訳でお参りして来ました。 北陸自動車道の三条燕IC(上越新幹線では燕三条駅)から日本海方面に向います。 弥彦山が見えてくる頃、昭和53年建立の高さ30.16mの日本一の大鳥居(本当にでかい!) をくぐります。更に進んで弥彦山の東麓、弥彦温泉の町に神社はあります。 地名弥彦は「やひこ」ですが、彌彦神社は「いやひこじんじゃ」 と読むのが正しいようで、『延喜式』でも明神大社 「越後国蒲原郡伊夜比古神社」とされています。祭神は、古くは伊夜比古神といわれ、 中世以降は天香山命とされます。 社務所発行の御由緒では、 「御祭神は天照大御神の御曽孫(ひまご) にあたる天香山命(アメノカゴヤマノミコト)です。 高天原より神々が天降り遊ばされた折にご一緒に降り、紀州熊野に住み、 神武天皇のご東征の時、 ![]() 神武天皇が国家統一を終え、大和の橿原の宮でご即位になられた4年後に今度は越後地方の 開拓経営の命を受け、日本海の荒波を船で渡られ、 はるばる越の国の野積浜にご上陸になられました。」 とあり、その後、 製塩・漁業・稲作を指導し蛮族を平定した、越後開拓・産業文化の始祖神です。しかし、 天香山命は尾張国造家の祖神であり越後に祀られているのは不合理で、本来の祭神は、 北陸地方の国造家高橋氏の祖神大彦命ではないかとの説もあります。 越後には一の宮を名乗る神社が三社ありますが、 旧社格では当社が一番格上です。社地は深い森に覆われ一の宮にふさわしい雰囲気です。 二の鳥居付近の旧本殿跡のそばには、石柵を囲らした椎の大木がありますが、 御祭神が携えた椎の杖から生じたと伝えられている御神木で、深い森の中でもひときわ こんもりと茂っています。ただ太さを誇る巨木とは違った不思議な勢いを感じます。 背後に霊峰・弥彦山を配した社殿も非常に美しく印象的でした。
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