これまでの話題(2000年4月前半)

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2000年4月15日(土)〜16日

「米国株はバブルか?」

NY株やナスダックが急落しています。風間れいさんもゲストブックに書き込んでいますが、今朝はCNNをはじめとして株価大幅続落のニュースでもちきりです。米国株は本当にバブルなのか、今日はasktakaの独断と偏見でこの点について述べてみます。

世の中で投機による価格高騰という意味で“バブル”という言葉が初めて使われたのは、オランダの“チューリップ・バブル”です。17世紀はじめの頃、珍種のチューリップの球根が投機により一年で十倍も高騰したそうです。ちなみに、「現代用語の基礎知識」によると、バブルとは“各種の資産の価格が、投機目的で異常に上がり続けること”と定義されています。

時代は1980年代後半の日本に戻ると、日経平均株価が1万円を超えたのは84年で、2万円を超えたのは87年の初めでした。それが89年の年末にはピークを迎え4万円を超える寸前まで高騰したのです。つまり、3年弱で2倍になりました。その後90年以降株価は下落し、何回か1万5千円を割り込む局面を迎え、最近になって2万円台に回復したことは皆さんもご承知でしょう。

では、日本のバブル発生の原因は何でしょうか?asktakaは批判を恐れずにあえて単純化していうと次の通りです。つまり、国土庁のオフィス需要予測に端を発した地価高騰とこれを更に助長する人為的な地価上昇メカニズムが働きました。その結果、だぶついた資金が投機的な株取引に回り、株価の高騰をもたらしたのです。もちろん80年代半ばからの円高差益で企業などの手元資金が豊富になった点も見逃せません。ただ、こうした地価と株価の高騰の背景には作為的な行動があった点は重要です(地価の作為的な高騰メカニズムは99年11月23日付今日の話題「論語とソロバン」を参照)。

一方、米国株は、ダウ工業株30種平均で96年央の約6千ドルから3年で2倍弱になって、1万1千ドルを超え2万ドルをうかがうまで高騰しました。また、ナスダック総合指標を見ると、98年の2000弱から2年足らずで2倍以上の4000台に急騰しています。

よくいわれる通り、米国株の上昇はIT革命による将来の期待収益によるもので、いわゆるニューエコノミーに属するドットコムが牽引したものです。しかしながら、何回かこの欄でも触れているように、赤字のドットコム企業の時価総額が、ちゃんと利益を出して実業を行っている企業のそれを上回っているというのは、どう考えても異常です。ただ、それも米国の長い好景気を背景にしたもので、日本のバブルのように人為的に操作したものではなさそうです。もっとも“時価総額経営”志向の経営者がIRを重視するあまり、株価操作が可能だという錯覚に陥ることは否定できませんが。

こうして見ると米国の株価高騰は、ナスダックのドットコム企業に見られるように、期待だけの投機的な部分はバブルに近いかもしれません。しかし、大部分は株価収益率(PER)からみてやや高めではあるものの、日本のバブル時のような異常な水準ではないのです。つまり、米国株は一部でバブル状態にあるにせよ、全体を見ると景気を反映しているだけでバブルとはいえない状況にあると思います。

今回の株価急落も下げ幅自体は史上最大ですが、ダウ平均の下落率は前日比5.7%です。この数字は、87年10月19日のブラックマンデー(世界同時株安)の際の22.6%をトップとする下落率ランキングのトップ20にも入っていません。ただ、ナスダック総合指数の下落率は、ブラックマンデー時の11.4%に次いで過去2番目となっています。 この結果も、上述した“一部を除く”正常さを現しているのではないでしょうか?

ところで、先日、日米のエコノミストによるNY景気討論会が開かれましたが、米国のエコノミストは“米国株はバブルではない”と主張していたのが印象的でした。日本のバブルの頃、日本のエコノミストは一様に更なる株価の高騰を主張し、バブルであることを否定していました。米国のエコノミストは、かってのわが国のエコノミストの二の舞にならないと信じています。ただ、米国は日本と違って個人の株式投資参加率が高いですから、株価が消費に及ぼす影響が大である点は気になるところです。

それよりも、 asktakaは日本のネットバブルの方が心配です。ちょうど2ヵ月前の2月中旬に、ソフトバンクの株式時価総額がトヨタ自動車を抜いて話題になりました。だが、現在はトヨタは21兆円強で、ソフトバンクは7兆円弱にまで時価総額は下落している有様です。光通信やマザーズ上場企業も軒並み暴落しています。あまりも早い化けの皮のはがれ方に、米国株との差を感じているのです。さて、皆さん、どうせならネットバブルの芽を早く摘んだ方が、長い目で見てよいとは思いませんか?



お知らせ:昨日の話題は「日本的経営をどこまで超えるか?」でした。


2000年4月14日(金)

「日本的経営をどこまで超えるか?」

日本的経営が槍玉に上がって久しい。ところが、一頃のなんでもグローバル・スタンダードといった熱病がさめたようで、今、産業界や学界で日本的経営の創造的破壊による再生が進められています。

つい先日も日経ビジネスで、日本的経営に絶えず最先端の経営手法を加え、よりよい経営システムを目指すトヨタの経営手法が米国でも通用するといった記事がでていました。もっともこの記事は、米国でベストセラーになっている「レクサスとオリーブの木」に触発されたものですが。

日本的経営の再生の動きは、日本的経営の長所を生かし、欧米の企業から見習うべきところをとり入れて、新たな日本的経営へ挑戦するというものです。各企業はそれぞれに新しい経営システムを模索しています。

つまり、コーポレート・ガバナンスの考え方は株主主権か従業員主権かそれともその両方か、ROEあるいは時価総額重視か付加価値経営か、それと米国の経営者のような高報酬が日本でも実現するのか、こういった問題が論点になっています。asktakaが思うには、実はこれらの問題さえ決着がつけば、日本的経営は十分に通用すると思うのです。

ここで、日本的経営とは次の5つの特徴をもつものと考えています(3月8日付「日本的経営再考」(こちら)を参照)。

1.経営理念の重視(いわゆる戦略的意図を含む)
2.雇用・人間関係の重視
3.平等主義
4.現場主義
5.チームワーク重視

そして、次のように述べました。

“このように日本的経営を考えると、asktakaには雇用・人間関係の重視と平等主義を能力のある人が報われる新たなシステムにすれば、十分に通用すると思うのです。そうそう、もちろん戦略思考ができて自ら意思決定できる経営トップの存在が前提ですよ。えっ、この前提こそ問題ですって?いつもこの点に落ち着くのは不本意ですよね、皆さん!”

ところで、日本的経営を見直す動きの中に、多元的な資本主義からグローバル資本主義への移行を前提とする議論が見うけられます。asktakaは、この前提が日本的経営を過度に過小評価する結果となっていると思います。

何回か指摘しているように、経路依存性が存在する以上資本主義の多元性が消滅することはありえません。asktakaは、こうした異質性とグローバル市場における企業行動の共通性とを分けて考えることが重要だと思います。後者のポイントは、一橋大学の伊藤邦雄教授が指摘している通り、“企業価値を創造しない企業は市場から淘汰される”という点にあります。

この点を押さえていれば、日本的経営を超えるというよりも、進化させることが重要だと思います。いみじくも米国のジャーナリストによって、トヨタの“日本的経営”が世界の最先端であることを指摘され、日本的経営の長所と短所をもう一度客観的に再確認する気運が高まることを願ってやみません。



お知らせ:昨日の話題は「景気対策の効果」でした。


2000年4月13日(木)

「景気対策の効果」

ようやく日銀もゼロ金利政策の解除をうかがう姿勢になったようです。95年9月8日から公定歩合0.5%という未曾有の低水準が続いています。加えて、99年2月から短期金融市場向け金融緩和策、つまり、無担保コール翌日物金利をゼロに近づけるといった政策が実施されました。ここにきてようやく景気回復の兆しが見えてきたので、日銀総裁の“ゼロ金利解除”発言につながったわけです。

それにしても、“10年不況”といわれるほど日本経済が低迷したのは、これまでの財政金融政策、つまり経済政策の効果がなかった点と失政が原因でした。先ず、失政はご存じの通り、97年4月の消費税引き上げです。それと97年11月の拓銀、山一証券の破綻を引き金とする金融システム不安とこれに先立つ不良債権処理に、的確でスピーディな措置をとれなかった点が問題だったと思います。

景気対策の効果がなかった最大の原因は、いわゆる“バブル後遺症”である点は誰もが認めるところでしょう。地価高騰に伴う含み資産の増加を背景にした巨額な投資は、過剰設備、過剰人員をもたらし、更に10兆円とも20兆円ともいわれる需給ギャップを生みました。

こうした環境下で、政府は補正予算ベースでその場しのぎの景気対策をうってきたのです。つまり、98年4月の総合経済対策にしても、その後の対策にしても、従来型の道路、港湾などの公共投資を中心にしたものでした。成長分野への重点投資という正論はいつもお題目だけで、相変わらずあまり利用されない道路や橋などを整備するのですから波及効果はしれています。まさか、お題目の好きな政党と連立を組んでいるせいでもないでしょうけどね。

また、金融政策にしても、もう4年半も公定歩合が0.5%の水準です。このような低金利では、いくら経済白書(九八年版)で“流動性のわな”に落ち込んでいないと主張しても、asktakaには虚しく聞こえます。 クルーグマン先生がいうように、日本経済は“流動性のわな”にかかっており、公定歩合を下げても新しい資金需要はおきず、効果はないのです。 この点は数年に及ぶ低金利政策が、これまで景気刺激につながってこなかったことを考えれば納得できるはずです。

昨秋から景気回復の兆候が現れはじめたのは、景気対策の効果というよりも、米国経済の好調さと企業の努力のおかげではないでしょうか?米国発の情報通信革命の世界的な広がりによって、IT関連企業が景気を牽引し、さらにその他の企業も生き残りをかけてIT投資を行うといった環境になっているからです。もちろん、コスト削減をを含めて競争力を強化するための企業努力が実ってきた点も見逃せません。

こうして考えると、今回の景気回復は大企業の企業努力やベンチャーを始めとする起業家魂によるところが大きく、政府の対策が効いたかどうかは 疑問に思います。まだ、消費支出があまり回復する気配が出ていませんが、これも企業の収益が回復し、先行きの不安が一掃されるまで当面はお預けだと思います。

今、政府並びに金融当局に望むことは、少なくても景気に対して中立的でいてほしいということです。もはや、asktakaはこれ以上は望まず、真に民間活力を生かした小さな政府の実現を期待しています。そして、ケインズを持ち出すまでもなく、大企業の経営トップや起業家の“アニマル・スピリット”こそ資本主義発展の原動力である点を思い出すべきだと思います。



お知らせ:昨日の話題は次「後継人事は“人格”から“専門”へ」でした。


2000年4月12日(水)

「後継人事は“人格”から“専門”へ」

最近、赤字企業でもトップが交代するケースが増えている、と日経ビジネスのコラムで指摘されていました。そういえば、このところ業績が悪化している中で、引責辞任の声を恐れずに後継を指名するケースが多いですね。

これまで、体面や“恥”を考えて、業績が悪くても“回復軌道に乗せるのがトップの務め”とかいって、トップの座に居座りつづけた例が多かったのです。任期半ばで、あるいは1期か2期で新社長にバトンを渡すのは、それだけ危機感が強いわけで歓迎すべきだと思います。

ところが、実質的に引責辞任といえども、代表権をもつ会長に居座ったり、今流行りのCEOを名乗ってみたり、必ずしも引き際がよくないのが気になるところです。

この背景には、日本のサラリーマン社長の報酬の低さを、フリンジ・ベネフィットで補っているという側面も見逃せません。是非論はあるにしても、ストックオプションを含めて何十億、何百億円の報酬をえる米国企業のトップに比べて、引退すれば必ずしも悠々自適とはいかないのが実態でしょう。

こうした事情から、人事権を行使して周りにイエスマンを集め、長期政権を目指して院政をしこうというトップのインセンティブがある点は否めません。実は、トップが早く引退できる環境づくりには、報酬を上げるべきだというのがasktakaの持論なのです。もちろん、現在の一部の(多くのではないと思いますがいかが?)トップのように、上げ膳据え膳で自ら意思決定できず、一人で出張もできず議論も出来ない、こうした人達を対象にしているわけではありません。

多くの報酬を払ってもいいと思えるトップを選ぶには、コーポレート・ガバナンスが問われるわけで、もう少し時間がかかる問題です。現時点では、むしろ後継者の選び方が変わってきた点を評価すべきだと思います。

従来、後継者選びにあっては、“人格”“識見”“バランス感覚”など、広義の調整能力を重視していました。この点は、皆さんもトップ人事に関する新聞記事などでよくご承知だと思います。

ところが、日経ビジネス誌によると、近頃では専門能力を買って後継者を指名するケースが増えているそうです。つまり、財務のプロ、研究開発のプロ、情報通信分野に強いなど、“一芸”に秀でた人を新社長に選ぶケースが多いと指摘しています。

こうした後継選びも、企業の取り巻く環境を正しく認識し、問題点が明らかになっているからこそ可能なので、積極的に評価したいと思います。そして、一歩進んで、一芸のみならず“経営のプロ”が選ばれる日は何時の日か、asktakaはこの日の到来を切に願っているのです。



お知らせ:昨日の話題は「アニメの世界と下請構造」でした。


2000年4月11日(火)

「アニメの世界と下請構造」
(本稿はGデザイナー風間れいさんとの共同執筆です!)

3月の掲示板を賑わせた『漫画とアニメ』は予想以上に大きな反響を呼び ました。今日は、あまり一般には知られていない日本のアニメーター達の 仕事環境等を話題にしたいと思います。

日本のテレビアニメはご承知のように30分1話形式ですが、その製作費 は低く押さえられています。そのしわ寄せは製作会社の方にくるのですが、 知人達から話を聞けば聞くほど、日本のアニメ界は“情熱”で成り立って いると感じます。

そこで、アニメがどのようなフローで製作されているかについて述べま しょう。アニメの『絵』は、先ずキャラクターデザインの後にストーリーに合わせて『原画』が描かれ、その次に原画と原画の間をつなぐ『動画』が描かれます。そして『セル仕上げ』とそのセル画を撮影する時に欠かせない『背景』を作成する、おおまかにはこうしたフローで成り立っています。

これに声優が声をあて、効果音を入れたりして一本のアニメが出来上 がります。これを800〜1000万円以下で製作するのですから、いかに厳しい 予算かは想像出きると思います。

こんなに製作費は低く押さえられているのにスケジュールだけは過密です。 そのうえ作画監督がNGを出して描き直しを余儀無くされるので、更にスケジュールを遅らせる原因になっています。一例をあげると、一時期日本を一斉風靡した『エヴァンゲリオン』などは、完成品が放映30分前にバイク便でテレビ局に届けられたそうです。

こうした製作環境もさることながら、原画マンの待遇面も恵まれたものではありません。それから、動画や背景、そしてセル仕上げは大きな製作スタジオが下請けに出しているケースがほとんどです(ガンダムでお馴染みのスタジオ・サンライズをみてもほとんどが外注です)。下請けスタジオは動画1枚につき100円前後をスタッフに支払っています(セル仕上げは一枚当り250円前後)。

しかも、この待遇は10年前とほとんど変わっていないのですから驚きです。 スタッフの給料はほとんどが歩合制ですが、下請けなので保証は無く“おたくの所は使わないよ”と言われればそれまでの不安定な状況です。

これだけ苛酷な環境下で、あきらめずに頂点を目指す人達だけが生き残り、 脚光を浴びているのですから、“情熱産業”といわれる所以です。

ところで、こうしたアニメ業界の状況は、筆者達には日本の下請構造の縮図のように思えます。このような過酷な下請構造が成立するのも、末端の技術者の量が多いことに起因するのではないでしょうか。この点は下請で成り立っている建設業界とよく似ていますね。

これを打破するには、日本から世界のリーダーが出現し、アニメーターも“情熱”だけでなく、質が問われて淘汰される時代がこなければ何も変わらないと思います。つまり、デジタルアニメで世界を制覇する企業が、いわゆるブーメラン効果で日本のアニメ界の地位を向上させる結果を生むのではないでしょうか?

筆者達は、AKIRAの作者である大友克弘氏と攻殻機動隊の押井守監督を擁するバンダイビジュアルに注目しています。同社が世界標準のビジネスモデルを確立し、グローバル企業として飛躍することを期待しています。あのタイタニックのジェームス・キャメロン監督も応援していると思います。というのは、監督はこの二人の大フアンだそうですから。



お知らせ:昨日の話題は「比較制度分析の意味するもの」でした。


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2000年4月10日(月)

「比較制度分析の意味するもの」

理論経済学も随分変化しています。ミクロ経済学ではゲーム理論の進展が著しく、マクロ経済学では景気循環を内生的に説明する理論や経済成長理論の新展開がみられます。筆者が70年代の初頭に学んだ経済学の教科書はもはや役に立ちません。

ところで、応用経済学の分野で比較制度分析と呼ばれる研究が進んでいます。スタンフォード大の青木昌彦教授を中心とするメンバーによる研究ですが、asktakaはこの研究成果が日本のマネジメントの今後の方向を展望する上で参考になると思います。

比較制度分析のエッセンスは、次の5つの分析視点をみれば理解できると思います。

1.資本主義経済システムの多様性:同じ資本主義であっても、どのような制度措置がその内部に成立しているかによって、さまざまな資本主義システムがあり得る。

2.制度の持つ戦略的補完性:1つの制度が安定的な仕組みとして存在するには、社会の中である行動パターンが普遍的になればなるほど、その行動パターンを選ぶことが戦略的に有利になり、自己拘束的な制約として定着するからである。

3.経済システム内部の制度的補完性:多様なシステムが生まれるのは、1つのシステム内のさまざまな制度がお互いに補完的であり、システム全体としての強さを生み出しているからである。

4.経済システムの進化と経路依存性:そのため経済システムには慣性があり、経済の置かれた外部環境と蓄積された内部環境の変化と共に徐々に進化・変貌する。

5.改革や移行における斬新的アプローチ:経済システムの改革や計画経済から市場経済への移行にあたっては、ビッグバン型のアプローチよりも漸進的改革の方が望ましいと考える理由がある。

(青木昌彦・奥野正寛編著「経済システムの比較制度分析」(東京大学出版会)の2頁より引用)

先ず、多様な資本主義があるという点はよく知られていますが、1はこの理論的根拠を与えています。2から4は、こうした多様な資本主義が存在してかつ安定的に機能する制度的要因を明らかにしています。最後の5は、 経済システムの大改革はビッグバン型よりも漸進型、芋づる型の方が有効であると指摘しています。

このように比較制度分析は、経済システムが進化する際には、歴史的初期条件の違いによって異なる均衡状態(つまり異なるシステム)に到達する可能性を示唆しています。

では日本の経営システムはどこへ行くのか?アメリカン・スタンダード一色に染まることはありえないことは確かです。この点は、比較制度分析を引き合いに出すまでもないかもしれません。だが、今求められているのは、外部環境の変化をにらみながら内部の力を結集させて、漸進的にせよ企業を変化させることだという点だけは間違いないと思います。ただ、漸進的とはいえそれなりのスピードが必要だとは思いませんか?



お知らせ:昨日の話題は「ゴ−ン氏は日産改革にとって無用?」でした。


2000年4月8日(土)〜9日(日)

「ゴ−ン氏は日産改革にとって無用?」

元来コンサルタントは天邪鬼なところがあって、通説や世間でよく言われている事柄を疑ってかかる癖があります。有名なO氏の新著「ドットコム・ショック」が売れているのも、広範な事例をもとにこうした通説をバッサリ切るところにあると思います。

私がコンサルタントになり立ての頃、O氏の名著「企業参謀」は実に新鮮で、戦略的な思考法を学ぶには最適でした。最近新装版が出ましたが、現在でもコンサルタントや企画部門の人達にとって必読書といえましょう。

この本の事例の主要な部分は、O氏がコンサルティングをしていた日本を代表する某重厚長大企業のものです。この話は某社が後にasktakaのクライアントになったので分かりました。勝手に使ったとぼやいていましたが。 この点を割り引いても、この本をベースに英訳本も出版され、O氏の最高傑作をあげるとしたらこれしかありません。

ところで、新著の中に“日産ゴーン革命”の話が出てきます。コンサルタントとして、はっきり言い切るという習性が身に付いていることは分かります。だが、このお話にはasktakaは異論があります。

O氏はゴーン氏の手腕は、日産の再建にとって無関係だというのです。その理由は、日産の最大の問題は、そして大多数の大企業の問題でもありますが、自己改革が出来ない点にあるというのです。こうした企業は誰かが大ナタをふるって変えていけばプラスになると主張しています。

つまり、ゴーン氏でなくても、誰か乗り込んで思い切った手を打てば日産は再生するというのです。皆さんは、この話をどう思われますか。さすがO氏だ、なるほどなー、と思われますか?でも、この話はちょっと無理があるとは思いませんか?

日産はルノーの資本参加という危機になってはじめて、改革者を受け入れたのです。そして、ゴーン氏が世界の一流の経営のプロではないとしても、“コストカッター“という異名と神話があったからこそ、従業員などは観念して思い切った改革を受け入れたのではないでしょうか?

いくら思い切った改革をやれといわれても、内部昇格者がどこまでやれるのかは疑問です。O氏は、その原因は、日本の役員は“質素で(人格が)立派”という美風を忘れているからだと指摘しています。それに比べて、ゴーン氏やマツダのミラー前社長などは、朝早くから働き、日本のトップのように秘書付き自家用車でふんぞり返り、宴会やゴルフに明け暮れているわけではありません。

こう考えてみると、O氏の話の流れからいっても必ずしも“誰でも”というわけにはいきませんね。もしかすると、誰でもという意味はO氏がやっても、という意味であればよく分かります。まさか、そんな話ではないですよね。とすれば、asktakaは、日本人の経営のプロの出現に期待する言葉か、自己改革を促す激励と解釈したいですね。



お知らせ:昨日の話題は「企業ビジョンが米国企業再生の鍵?」でした。


2000年4月6日(木)〜7日(金)

「企業ビジョンが米国企業再生の鍵?」

80年代の末に出版された「Made in America」は、日本企業との競争に負けた米国企業の再生のガイドラインを示した本として有名です。「The Productive Edge」(邦訳「競争力」、生産性出版)は、その続編としてMITの研究グループの中心メンバーであったレスターMIT教授が著したものです。

この本の結論は通説とはやや異なり、面白い結果となっています。つまり、成功企業の特徴は企業ビジョンに基づく目的意識や使命感を重視して、首尾一貫したシステムに統合されているというのです。言いかえれば、“コアとなるイデオロギー”に基づき、“進歩に対するあくなき意欲”をもって“連携する組織”を作り、“組織の卓越性”を追求しているのです。

著者によると、90年代の米国企業がTQCやリエンジニアリングなどの経営手法、従業員重視志向や情報技術などを導入したが、いずれも期待通りの効果が得られなかったという。不確実で予測不可能な企業環境下では、上述したビジョンに基づく組織的統合が有効だと指摘しているのです。

こうした主張は、「ビジョナリー・カンパニー」の著者、コリンズとポラスの指摘と類似しています。すなわち、彼らは、従来成功企業にとって効果的だと考えられていた特徴は、実はあまり効果が無かったと述べています。つまり、利益とマーケットシェアの最大化への注力、ビジョンを持つカリスマの存在、洗練された戦略計画の存在などは、ビジネスの成功とはあまり関係が無いと指摘しているのです。

「競争力」にしても「ビジョナリー・カンパニー」にしても、“コアとなるイデオロギー”や“ビジョン”に基づき統合システムを構築している企業をどう定義し、対象企業をどう抽出するか、この点に異論をもつ向きもあると思います。両書の著者が否定した経営手法が、必ずしも効果が無いとは言いきれないからです。 

しかしながら、asktakaには“ビジョンに基づく統合システム”という考え方は、日本企業にとって有効だと思います。何故ならば、日本企業はこれまで往々にして現場主義で、局所的改善が得意なので、全体の経営システムを整合性を持って構築することが出来なかったからです。価値観やビジョンの共有化は得意な日本企業ですから、これで統合システムができれば鬼に金棒だと思うのです。

具体的には、“品質”を重視するという理念を統合システムに仕上げるにはどうするか?それには、統計的手法を含む品質管理方式の確立、従業員参加システムによる品質管理、品質管理技術の訓練システム、品質管理技術や管理能力に基づく昇進・報酬システムなどの相互に連関した一連のシステムを機能させるのです。制度を作っても“弾力的”運用で骨抜きにしないことが前提ですが。

皆さんも「競争力」を一読されることをお薦めします。ただ、翻訳の拙い章があるので少し我慢してくださいね。その部分は原書で読んだ方が素直に分かりますよ。



お知らせ:昨日の話題は「次期社長は総務出身、それとも企画?」でした。


2000年4月5日(水)

「次期社長は総務出身、それとも企画?」

これまで財閥系などの伝統企業や公益法人の社長は総務出身者が多い。 また、このような企業では、労組の委員長経験者がトップになるケースもあります。

asktakaは、この変化の激しい時代に、今更総務出身者を社長にする企業は少ない、と思っていましたがそうでもないらしい。最近でも某公益法人では、次期社長レースで総務か企画かでもめているようです。

総務とは、もともとGeneral affairsということで、本社機能の中で何でも屋なのです。表には出せない揉めごとの処理からトップの女性問題の処理まで、表と裏の問題処理には不可欠な部署で、調整型の部門です。そのため、かっては総務部長はトップをはじめ役員、幹部などの弱み(?)を握っているとも言われていました。

一方、労組出身者については、あまり説明の必要はないでしょう。いわゆる人本主義ということで従業員重視の日本企業にとっては、労組の委員長経験者は人心掌握にとって好都合だったわけです。もちろん、委員長に選ばれるくらいですから人望はあるとは思います。そしていかなる組織にも人心掌握が大事なことは百も承知していますが、どうも今更と思ってしまいます。

これからの日本企業にとって調整型のトップは必要なのでしょうか? 例えば、規制緩和が進む業界や成熟市場をメーンとする業界はどうでしょう?asktakaには、こうした業界こそ、従来とは毛色の違うトップが必要だと思います。では、ITなどの成長分野に属する業界は?これはいわずもがなですね。調整ばかりではドッグイヤーと呼ばれる業界で生き残ることは困難です。

やはり、これからの日本企業のトップには、企画力とリーダーシップが求められます。そう考えると、asktakaには、総務よりも企画出身者の方が概して適任だと思えます。皆さんもこうした視点からトップ人事に注目してみませんか?



お知らせ:昨日の話題は「首相の健康問題と危機管理」でした。


2000年4月4日(火)

「首相の健康問題と危機管理」

4月2日の午後11時30分から始まった青木官房長官の記者会見を聞いて、誰もが不自然さを感じたと思います。治療中の小渕首相の病状に関するお話があいまいで、何かを隠そうとする気配がありありだったからです。

結局は翌3日になって、首相が脳梗塞で集中治療室で加療中であったことが明らかになって、前日の会見の際には事実を隠していたことが分かりました。いかに官房長官のようなベテラン政治家といえども、白を切るには大分苦労した形跡がうかがえ、ほほえましく感じたのはasktakaだけでないでしょう。

さて、今回の一連の動きを海外ではどのように報道されているのか、ウェブサイトを覗いてみました。比較的ていねいに報道しているのは米国系で、欧州系の新聞は割合淡白な報道でした。

WSJやCNNなどの報道によると、海外では次の点が奇異に思われているようです。

1.日本の首相を選ぶ際に健康があまり問題にならない
2.首相が執務不可能な事態になった際、後継指名のルールがない
3.こうした不測の事態に関する情報開示の姿勢が希薄

そういえば、米国では大統領選挙にあたり候補者の健康問題が予備選段階で徹底的に究明されますね。また、大統領が不測の事態になれば、かってのケネディ大統領が凶弾に倒れた時のように、副大統領が後継者になるというルールがあります。こうしたルールがあるせいか、米国では政治家の健康問題も日本のように“包み隠す”のではなく、国民の利益のためにオープンにされるのだと思います。

この差はどこからくるのでしょうか?海外の論調は日本の危機管理意識の不足を指摘しているようです。だが、この本質は、日本は武器を持たない、戦争をしない(できない)国だからではないでしょうか?どうしてか?他国が攻めてきた場合戦争をするという前提がなければ、危機感を持ちようがないですね。誰かが代わりに戦争を行うのですから、国の存亡に関わる問題に意思決定する必要はないのですから、これほど脳天気なことはありません。

このように書くと、asktakaは憲法9条改正派、軍国主義者だと思われるかもしれませんが、決してそうではありませんよ。不測の事態を考えて、予め後継者を選んでおく、あるいは後継選定のルールを作っておくことが重要だといっているのです。幸い今回の問題で、直接的な経済への悪影響はなさそうです。これも誰が首相をやっても同じだということであれば、あまり喜んでもいられませんが。

asktakaは、こと企業の場合、後継問題や事業承継問題について危機管理意識を持って不測の事態に備えるべきだと思います。政府と違って、市場での戦争に備えなければいけませんからね。皆さんの会社はいかがですか?



お知らせ:昨日の話題は「花見酒の経済」でした。


2000年4月3日(月)

「花見酒の経済」

桜の時期になると「花見酒の経済」を思い出します。それはバブル期の日本経済を揶揄したもので、お金だけが活発に動いて経済は繁栄しているように見えるのですが、実際には何も生産していない状況をいっています。 年に一度は思い出すことで、かってのバブルを教訓とするにはいいかもしれませんね。

この話は、落語の「花見酒」に由来します。つまり、このような話です。

八っつぁん熊さんがお酒を一樽買って、花見客に売って一儲けしようと花見の山へと向かいました。

“熊よ、重いな、こうも汗をかいちゃあ喉が渇いていけねぇ。一杯飲ましてくんな。”

“おいおい、こいつは売りもんだ。無料(ただ)じゃあいけねぇ。”

八は“金ならあるぜ”とばかりに酒屋から借りた釣銭用のお金を熊に渡して、一杯飲みました。しばらくすると、今度は熊が我慢できず一杯飲んで、さっきのお金を八に戻しました。そんなことを繰り返して、山に着いた時には樽は空っぽになっていたのです。

そして“全部売れたか。儲かったろ。”“ああ、全部売れたが、銭はこれだけ。”といった調子で手を見たら、釣銭用のお金しかなかった。ざっとこんな話です。

花見酒の経済は、地価の問題を考えるとよくわかります。バブル期には、地価は利用価値に関係なく高騰し、結局は元に戻ったのですからね。こうした高騰の背景には、もちろん地価上昇を見込んだ旺盛な土地需要があったのですが、“人為的”に銀行と不動産会社、不動産鑑定士がつるんで地価を吊り上げた点も見逃せません(99年11月23日付今日の話題「論語とソロバン」を参照)。

こうした人為性も、わが国独特の土地本位性なるものがベースにあり、不動産鑑定による地価の評価も収益還元法ではなく、周辺相場で決めていたことに起因します。

asktakaはネットバブルとやらが、まさに「花見酒」の様相を呈しているような気がしてなりません。すでに米国ではネット関連株の二極分化が始まっています。日本はといえば、次のマネーゲームの戦場にしようと外資を始め資金が集まっています。だが、問題は技術に裏付けされたまともなネット関連企業が少ない点です。もっともベンチャー・キャピタルにとっては、 10社に投資して2、3社公開すれば元がとれるといった話から、300社中3、4社でもペイするといった話にまでエスカレートしています。 

asktakaは、日本での昨今の動きがネットバブルに終らずに、確かな果実を残すことを祈っているのです。そして、花見酒を楽しめるのは、一時に過ぎないことを忘れないでほしいと思うのです。



お知らせ:昨日の話題は「リーダーシップとEQ」でした。


2000年4月1日(土)〜2日(日)

「リーダーシップとEQ」

先般、当ホームページの常連さんで、ほとんど毎日ゲストブックに“雑感シリーズ”を投稿されているファイト!さんがEQ(心の知能指数)をテーマにしていました。その際asktakaは、若手を想定してEQよりもビジネスパースンとしてのファンダメンタルズを身に付ける方が先だろう、とコメントしました。だが、ファンダメンタルズをすでに身に付けたマネジャー以上の人達を念頭に置くと、EQの精神が重要になってきます。

「EQ−こころの知能指数」の著者として知られるダニエル・ゴールマン氏がHBRの最新号に“リーダシップが結果を生む”と題する論文を寄稿していました。そのエッセンスは、6つのリーダシップのスタイルを状況によって使い分けることが業績をあげるポイントだということです。

つまり、その6つのスタイルは次の通りです。

1.強制型(Coercive):命令で人を動かすスタイル

2.ビジョナリー型(Authoritative):方向性で人を動かす

3.人間関係重視型(Affliative):“飲み屋で一杯”や“ニコポン”スタイル

4.民主型(Democratic):意見を吸い上げコンセンサスを重視
5.率先垂範型(Pacesetting):やってみて、やらせるスタイル

6.コーチ型(Coaching):ポテンシャルを考え育成するスタイル

ゴールマン氏は、次のような企業のライフサイクルや状況に応じてリーダーシップを使い分けることが重要だと指摘しています。

先ず、強制型については、スタートアップの時期や問題のある社員に対して有効だといっています。命令で服従させるタイプは流行らないと思うのは早計で、時には今でも効果的なのです。

ビジョナリー型は本業が成熟化したり環境変化によって大きな変革が求められる時期に、人間関係重視型は組織がぎくしゃくしていたり、困難な状況にある時期に効き目があるとのことです。どんな時でも後者のスタイルというのが、これまでの日本企業に多いタイプですよね?

民主型は、有能なスタッフに囲まれている専門家集団などに有効です。 無能が多い時はどうするか?そういう場合民主型は、衆愚政治と同様に組織の結果を出すにはかえって有害だ、とasktakaは思いますね。

率先垂範型はモチベーションが高い、有能なチームが早く結果を出したい時に効き目があるそうです。また、コーチ型は部下の業績改善や長期的な能力育成が必要な時期に効果的だと述べています。

上述したスタイルを見みると、日本のリーダーは往々にしてワンパターンだと思います。それはきっとEQが低いからではないでしょうか。EQ、つまり感情知能は、自己認識、自己統制、モチベーション、共感性、社会的スキルズ、この5つの能力からなります。先ずは、何が欠けているかをチェックすることが先決ですね。そして6つのスタイルを学べば、皆さんは立派なリーダ−候補生です。頑張ってくださいね。



お知らせ:昨日の話題は「荏原のダイオキシン汚染事故」でした。



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