これまでの話題(2000年2月前半)

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2000年2月15日(火)

「新資本主義を求めて」

昨日は「欧州の二つの実験に学ぶ」をテーマにして、日本企業もアメリカ一辺倒から脱して、ネオ日本的経営モデルを構築してはどうかと述べました。視点を変えると、何も米国流対欧州流という構図があるばかりではなく、米国も決して一枚岩ではないのです。

この背景として、米国には、もはや模倣すべきアメリカモデルも国際社会のリーダーとしての自覚もないという認識があります。前財務官の榊原氏が指摘しているように、今日本でいわれている“アメリカモデル“なるものは多分に日本のマスコミが作った幻想で、80年代以降米国はモデルなき多元社会に入っているのです。

そして、国際社会において米国は世界のリーダーとしての調整機能を失いつつあります。つまり、米国は国内問題を重視し、ナショナル・インタレストをいかに守るかといった姿勢に変わっているのです。asktakaは米国がこうした視点から世界を見ていると認識することは、極めて重要だと思います。なぜならば、多元化した米国のナショナル・インタレストを主張することは、その時々の政治勢力に左右され、ますますモデルなき世界に入ることになるからです。

確かに金融を含む米国の戦略産業に関しては、アメリカン・スタンダードが世界標準になりつつあります。この点に関する米国政府の努力はよく報道されているところです。しかし、これをナショナル・インタレストといった観点から改めて眺めてみるとよく見えてくる、とasktakaは思うのですがいかがでしょうか?

具体的には、現在の経済システムに関して、米国では大きく二つの問題点が指摘されています。

先ず、金の世界の金融経済とモノの動き示す実体経済との乖離に警鐘を鳴らす声は米国内でも多いのです。マネーゲームや株価の高騰などによる直接金融の肥大化によって生じたお金が、主にヨット、高級車、別荘などの一部の商品と金融商品の中で回り、他の消費市場に向かっていない点が指摘されています。これが米国経済がITを牽引力にしてインフレなき成長を持続している一因だと見る向きもありますが、宴の後はどうなるのでしょうか?

先日の日曜日の朝のテレビ番組で宮沢蔵相の、“お金がふんだんにあっても供給が追いつかないので、かえて貿易赤字が膨らむ”という指摘は、金融経済と実物経済との乖離をよく物語っています。

それから、所得の二極分化、中間所得層の欠落といった所得分配の問題ひいては雇用構造の問題が深刻になりつつあります。企業あるいは個人において、「勝ち組」と「負け組」が明確になる市場原理主義や情報通信革命の進展は効率的な反面、必ずしも安定的な社会構造を生むとは限らないのです。

先般も述べたように、少数の経営トップと専門家(MBAやロースクール出身、技術者など)そして多数の単純労働者しか必要としない雇用構造をどう考えるのでしょうか?

加えて、米国では、所得水準によってパソコン習熟度に差が生じ、その結果所得格差が一段と拡大する現象(これを「デジタル・デバイド」と呼ぶ)が、すでに顕著になっています。これが日本でも広がる兆しをみせています。

こうしてみてみると、米国や欧州から学ぶべき点を取捨選択して、経営モデルのみならず新たな資本主義のかたちを創るべき時期にきていると思います。21世紀に向けて、卓越した思想家、オピニオン・リーダーが求められる所以です。皆さんはどのような将来の資本主義像をお考えでしょうか?



お知らせ:昨日の話題は「欧州の二つの実験に学ぶ」でした。


2000年2月14日(月)

「欧州の二つの実験に学ぶ」

世の中はグローバリゼーションと情報通信革命の話題で賑わってい ます。だが、私の情報もどちらかというと米国よりで、真にグロー バルな観点からはややバランスに欠けるのではないか、と時々思う ことがあります。中央公論の最新号を読んでいたら、この点を考 える上でヒントとなる寺島論文が目に付きました。

寺島氏は、21世紀のテーマは「IT主導の産業革命」と「欧州二つ の実験」だと述べています。ご承知の通り、米国は90年代の経済的 成功を背景に「政治的には民主主義」を「経済的には市場主義」を普 遍的な価値として掲げてきました。ところが、欧州はこうした米国型 とは違った価値、政治経済システムを模索し始めた、と同氏は指摘し ています。

二つの実験のうちの一つは、EUの経済統合です。これはユーロとし て、これまでの一民族一国家を原則とする国民国家制の基本となる 通貨発行権を放棄する通貨統合にまで進展しました。こうした動き は、ドルの一極支配に対する欧州の復権を賭けた試みであると述べ ています。

もう一つは、ユーロ社民主義の実験です。90年前半は欧州に おいても、米国流の市場主義や競争原理を導入して活性化を図る 動きが活発でした。しかし、97年に英国で労働党のブレア政権 が成立して以来、フランス、ドイツと相次いで中道左派政権が 誕生しました。もっとも、こうした政治的な流れの背景にあるの は、社会主義への回帰ではありません。あくまでも市場経済の下 で、分配の公正や雇用の安定、福祉の充実、環境保護などの 社会政策を重視する動きだといっています。

このように、欧州では経済統合に加えて、市場の効率性と社会 的公正とのバランスをとるために試行錯誤しています。だが、ユー ロ社民主義も必ずしも順調とはいえませんが、新しい分配・福祉政策 である“セーフティネット”や“ワークシェアリング”及び“週35 時間労働制”などの雇用政策は米国型システムとは別のシステムを 模索する試みとして注目されると指摘しています。

以上は寺島氏の論文に従って、二つの欧州の実験についてのエッ センスを述べたものです。asktakaは、こうした政治経済システム の実験に加えて、欧州企業の新たな経営モデルづくりの実験に注目 すべきだと思います。

例えば、ダイムラー・クライスラーは、アメリカン・スタンダード とは別のモデルづくりを試行しています。つまり、労組代表の経営 参加といったドイツ流経営スタイルと株主価値の最大化を目的とす る米国流経営を両立させて、新たなモデルを模索中です。この他にも、 国家とういう概念が変化した欧州では、企業間の融合が始まっています。

米国の最長記録を更新した好況を背景に、米国流の考え方や 経営手法が世界を支配するかにみえます。しかし、欧州では確かに 異なる動きが大きなうねりとなっています。かっての米国企業が 日本的経営から学び新たなビジネスモデルに作り変えたように、 日本企業も単に米国流を導入するだけでなく、新たな日本流経営 モデルづくりを模索すべきではないでしょうか。

asktakaは、この点こそ欧州の実験から学ぶべきだと思います。 米国一辺倒から脱皮し、欧州モデルをも視野に入れた第三のモデル づくりの実験は、今静かに進行していると信じたい。



お知らせ:昨日の話題は「情報時代のCEO」でした。


2000年2月12日(土)〜13(日)

「情報時代のCEO」

MITのビジネス・スクール、Sloanから出ているスローン・ マネジメント・レビュー(SMR)という雑誌があります。ハーバード であればHBRのようなものです。SMRの最新号(冬号)に “情報時代のCEO”に関する論文が載っていました。今日はこのさわり の部分をご紹介します。欧米のすべての経営トップがITに対して理解して いるわけではないことを知って、皆さんもほっとすることでしょう。

このペーパーは英国の二人の学者が書いたものですが、情報技術に 対する信条、考え方によって、CEOを次の7つのタイプに分けています。

1.偽善者:
ITの戦略的重要性を支持するが、実際の個人の行動に結びついていないCEO

2.躊躇者:
ITの重要性を渋々受け入れてはいるが、IT問題に関わっていないCEO

3.無神論者:
ITには価値がないと信じて、これを広言しているCEO

4.熱狂者:
ITの戦略的重要性を確信し、自分がIT問題の権威だと信じているCEO

5.不可知論者:
ITは戦略的に重要だと思ってはいるが、絶えず納得させる材料を求めるCEO

6.君主:
ITの戦略的重要性を受け入れて、最良のCIOに全てを任せるCEO

7.信者:
ITが戦略的優位性になることを信じて、自らの行動でそれを証明しようとするCEO

著者達の結論として、これからのCEOは、上記の7番目の“信者” タイプであるべきだと述べています。その理由は、90年代のITに関 する失敗はほとんどが経営トップ、CEOの情報リテラシーの欠如によ るところが大きいし、今後の10年を展望すると情報技術抜きに企業戦略 を考え好業績を達成することは不可能だからです。この点はasktakaを含 めて、誰もが否定できないと思います。

それから、著者達は具体的にIT信者(あるいはIT志向やIT賢者) になる道は二通りあると述べています。一つは、キャリアの中ですでにIT信者になっている会社に勤めること、そしてEコマースの世界で活躍して いるCEOと一緒に仕事をすることです。二つ目は、CEOになる前に ITプロジェクトに実際に関与することです。

ところで、皆さんの会社のトップはどのタイプでしょうか?まさか 無神論者は少ないとは思いますが、案外偽善者タイプが多いのではないでしょうか?

せめて未来の企業のために、後継者には上記の二つの道のいずれかを経験 した人を選んでほしいと思います。そしてCEO志願の皆さんは、今後 のキャリアプランの参考にして頑張ってくださいね。



お知らせ:昨日の話題は「未来のリーディング産業を育てるには」でした。


2000年2月11日(金)

「未来のリーディング産業を育てるには」

かって雁行形態理論がよく話題になりました。英語で言うと、フライング・ギース(flying geese)といって故赤松要博士が唱えた説で、国際経済学でいう製品ライフサイクル理論に似た考え方です。この理論は、各国の産業の発展はあたかも雁が空を飛ぶように、より高度なものに移行し、これまでの主力産業はキャッチアップしてくる国々にゆだねられる、というものです。

具体的には、日本のかっての絹織物がアジアの国々に移行し、日本では繊維産業から重厚長大型の産業に主力が移るにしたがって、繊維産業はアジアの開発途上国が主力になるという発展プロセスを示したものです。

これまで日本は、欧米諸国にキャッチアップしてきましたが、今はアジア諸国からキャッチアップされて、かつ先端分野は米国に引き離されています。一体これから先の日本のリーディング産業はどうなるのでしょうか?

製造業では研究開発を主体にしたハイテク分野、サービス業では情報関連、そして高齢化社会に対応した介護等のサービスなどが中心になるものと思われます。しかし、日本のリーディング産業は何かと問われると、はたと困るのは私だけではないでしょう(先日も日本の代表的な理論経済学者の一人である恩師に質問されて、あわてて答を探しました)。まだ、明確なビジョンがないし、まして国の戦略産業としての位置付けも定まっていません。

では、こうした産業構造の転換を円滑に行い、リーディング産業を育てるにはどうすればよいでしょうか?asktakaは、次の6点を実行すべきだと思います。

1.産業構造のビジョンの提示とリーディング産業を戦略産業と位置付ける
2.規制緩和を促進して市場原理を活用
3.労働者の企業間移動を妨げない雇用環境の整備
4.労働モビリティを高めるための税制整備
5.直接金融への移行を促進
6.戦略産業向け教育投資の強化

この6つの個別説明は別の機会に譲りますが、大体のイメージはお分かりいただけると思います。この中で、asktakaは特に戦略産業の明確化が緊急課題だと思います。そして、政府がやるべきことはハード投資、行政指導、業界のとりまとめなどの従来型手法ではなく、教育を含むソフトへの投資と迅速な関連制度の整備だと思うのです。

もちろん個々の企業は、生き残りをかけて苦手な戦略づくりに励み、経営革新と事業ポ−トフォリオの改革を実践することが前提ではあります。この点は大丈夫でしょうね?



お知らせ:昨日の話題は「建設業の未来:その2」でした。


2000年2月10日(木)

「建設業の未来:その2」

2月7日(月)付けの話題では「建設業の将来」をテーマにしました。しかし、環境認識はともかく将来像についてはスーパーゼネコンや中堅ゼネコンをイメージしていました。そこで、今日はお約束通り中小の建設会社の将来について私見を述べてみたいと思います。

市場環境については、公共事業も減少するし市場規模が縮小傾向となることは間違いないと思います。その結果、中小であっても次の点は前回の指摘と同様です。つまり、

「こうなってくると、建設業界は次の二つの対応を迫られることになります。一番目は、徹底的な施行面と管理面でのコストダウンです。二番目は、市場を特定セグメントに絞って競争しない道を選ぶことです。ただ、この場合はブランドや技術力など他社と価格以外で差別化できる要因がなければ困難です」

そこで、地域に密着している大多数の中小建設会社はどうすればよいのか?私は基本的には、“サービス業として原点に帰る”こと、これが生き残りの道だと思います。

もちろん建設会社と一口に言っても、公共事業のウエートが高い会社から民間からの受注が多い会社、ホームビルダーまで幅が広いのが現状です。 しかし、市場が縮小する今、これまでの儲けの源泉は何だったのかを考えるべきです。そうすると、共通していえるのは、施工あるいは役務の提供といったサービスの部分で付加価値を付けていたことが理解できると思います。

ではサービス業とはどのような特徴をもつのか。私は日頃次の3点がポイントだと思っています。

1.財・サービスの無形性
2.標準化の困難性
3.顧客との協働性

上記の点は、美容院や理髪店でのサービスを思い浮かべるとよく理解できると思います。先ず、髪をカットするにしても上手、下手は事前にはよく分かりませんね。また、人によって力量に差があり、誰しも同じサービスを提供できませんよね。最後に、自分の頭の形や髪の癖などを相手によく話をして、はじめてよりよいサービスを受けることができますよね。

こうしたサービス業の特徴を生かして、中小の建設会社は次のような手を打つべきではないでしょうか?先ず、地域密着という利点をいかし、エンドユーザーである顧客の顔を見て、相手をよく知ることが大事です。そして、自社の提供する商品・サービスを事前に見える形する。つまり、地域での評判、ブランドを確立して形がイメージできるようにすることが肝要です。それから、施工やサービスを標準化するためのシステムや低コスト化を図る調達、施工のシステムを作ることです(これから先の具体的な話はここでは割愛します)。

上述した点を追求すれば、地域でのリニューアル需要や高齢化に対応した 市場創造、事業創造も可能なはずです。現に、各地の地場の建設会社の中には、リフォーム事業や高齢者向けバリアフリー住宅などに注力している企業も増えています。しかしながら、これらの事業は従来の発想から抜けて、サービス業の視点で事業展開することが求められています。asktakaは、この点の認識がまだ不十分だと思います。

以上、中小建設会社の進むべき方向のイメージを述べたつもりです。サービス業として再生を、というのがasktakaの主張ですが、そういえばコンサルティング業界もまさに“サービス業”であったなと今更ながらに思うのです。



お知らせ:昨日の話題は「東商会頭は“裸の王様”?」でした。 


2000年2月9日(水)

「東商会頭は“裸の王様”?」

私は祖父に可愛がられた、いわゆる“おじいちゃん子”です。そのため人一倍敬老精神は旺盛だと思います。また、20代の頃から20〜30歳上の知人とよくお酒を飲みに行き、現在でも70代前半までの方々とは酒宴をご一緒する機会があります。しかし、最近の稲葉東商会頭の続投宣言はなんとも見苦しく感じるのは私だけででしょうか?

私は必ずしも稲葉会頭の76歳という年齢のことを言っているのではありません。失礼ながら、次の5点に疑問を持っているのです。

1.中小企業の活性化に全力というが適任なのか?
2.2期6年の内規を遵守すべきではないか?
3.「後継絞れず」は自分の責任ではないのか?
4.出身企業が凋落する中で人様のことを心配できるのか?
5.発言内容からみて器なのか?

先ず、稲葉会頭は、重厚長大型の伝統的製造業である石播出身です。 東商は中小企業を中心に会員10万人を集める最大の商工会議所ですが、この激動する環境の中で、果たして中小企業のビジョンを語ることが出来るのか、この点が疑問です。

次に、97年8月に会頭、副会頭の任期は2期6年までと決めた経緯はともかく、会頭自らが“内規であり絶対ではない”とするのはいかがなものか。任期制を提案した中小企業出身の論客であり副会頭であった中西氏を更迭して(もう1人の提案者はソニーの大賀氏)、自分が居座りたかったと勘ぐられても仕方がないと思うのです。

それから、現在8人の副会頭の中には適任はいないというのですが、では選んだのは誰か?中西氏を更迭できるくらいですから、その気になれば意中の後継者を任命できるでしょ。

更に、石播が経営再建中なのに、人様のことよりも自分がいた会社のことを考えてはどうでしょう。石播内部でも「いい年をして恥ずかしいとは思わないのか」という声があることをご存じないのでしょうか。

最後に、これは人それぞれの考え方もありますから、いちいち発言を取り上げませんが、asktakaには稲葉氏の発言は時代感覚がずれていると思うのです。皆さんも、今後発言に注目してください。きっと私の述べた意味がおわかりだと思います。

以上が続投にたいする疑問点です。何も1月12日付け今日の話題の「老人パワーを活かす法」で述べたように、ボランティアをやれとは申しません。だが、会頭の座にしがみつかず、勇気を持って退任することが男の美学ではないでしょうか?

それにしても、稲葉氏の先輩の土光さんあたりが草葉の陰から引導を渡さなければ辞めないのでしょうかね。asktakaには稲葉氏が可哀相な“裸の王様”と映るのですが、いかがでしょうか?



お知らせ:昨日の話題は「米フォードの全社員パソコン配布」でした。


2000年2月8日(火)

「米フォードの全社員パソコン配布」

1月7日及び11日付けの「今日の話題」では、インターネットを普及させるには景気対策にもなるし、どうせやるなら全世帯にパソコンを配ってはどうかと述べました。ところが、先週、米フォード社は全世界の社員35万人にパソコンを配布するというニュースが飛び込んできました。

配布するのはヒューレット・パッカード社のパソコンとプリンターで、米国の従業員には4−6月期に、それ以外には1年以内に配るというのです。更に、フォード社は、米通信会社大手MCIワールドコムのネット接続子会社と契約し、従業員が相場の半額程度の毎月5ドルの割安料金でネットに接続できるようにしたという。

現在、フォード社のナッサ−社長兼CEOは、米国を主体に約十万人の従業員に週一回電子メールを送信しているそうです。経営方針などを伝える内容だそうですが、今後は全世界の従業員に送る予定だそうです。

こうした全社員へのパソコン無償配布は、社員のインターネット習熟度の向上を狙ったものです。そして、伝統的産業に属する大企業のネット企業への変身の第一歩なのだと思います。何せCEOは、“ネットから消費者の考え方を吸収し、新たなネット事業の創造”する効果を期待しているのですから。

asktakaには、社員がすでに家庭にパソコンがあるかどうかを問わず、企業がパソコンの無償配布を実施する試みに拍手したいと思います。1人当りパソコンとプリンターで15万円と見積もっても525億円を投じるわけですが、この投資効果をポジティブに考えるところがすごいと思います。日経が報じるところによると、ダイムラー・クライスラーもこうした無償配布を検討中だとのことですが、米国企業の間で無償配布がブームになる可能性もありますね。

キーボードアレルギーのない米国でさえ、企業はネット社会に対応できるようパソコンのスキルを向上させようとしているのです。日本では、先ず、キーボード・アレルギーをなくすことから始めなければいけません。全国民にパソコンを無償配布するのが困難であれば、自治体単位でもできるところから実施していってはいかがでしょうか?前回も述べましたが“習うより慣れろ”なんですから。

役人が実施の条件など技術的な点であれこれとネガティブなことをいうかもしれません。だが、手始めにまだ自治体間で格差がある、学校での一人当りパソコン設置台数を一人一台を目指して向上を図るとか、通学中の子供がいる世帯から配るとか、出来ることから手をつけるべきだと思います。

上述した提案は比較的中長期の効果を期待してのお話です。しかし、企業がこの何年かで一気にネット社会対応を図るには、自らのリスクで社員にパソコン無償配布という投資を行うべきではないでしょうか?社員1万人として1人15万円で15億円です。売上高が単独で5,000億円とすれば、売上比0.3%です。見えざる資産として近未来の果実が期待できるとは思いませんか?

そうそう、日本のネット社会では、パソコンよりもむしろ携帯端末ではないかという議論もあります。確かに若い人を中心にiモードによるアクセスが増加しているとのことです。しかし、asktakaは、やはりパソコンによるキーボード入力が基本で、他は代替的ではなく補完的だと思うのです。 皆さんは、どうお考えですか?



お知らせ:昨日の話題は「建設業の将来」でした。 


2000年2月7日(月)

「建設業の将来」

ご承知のように、建設業は日本ではとてもウエートの高い業界です。 大まかに数字を押さえると、建設投資額はGDPの約2割を占め、建設業就業者の数は600万人を超え全就業者のほぼ1割に達します。これに建設資材、建設機械などに従事する人や設計事務所、建設関連コンサルタントなどを加えると建設関連労働者の数は更に増加します。

それから建設業の認可業者数は60万社弱と多い点もこの産業の特徴です。巷にあふれているように見える飲食店(バー・クラブを除く)の数が46万店弱ですから、建設業者の多さが想像できると思います。

産業組織論の観点からみると、上位5社の産業集中度は土木が4%、建築が15%で、全体では10%です。上位20社でも集中度は20%ですから、他の産業に比べて集中度は低く競争的だといえます。

こうした巨大な建設産業が、この十年多少の波はあったもののまだ出口が見えない状態にあります。今後をみても、官公需が増加するには限界があるし、欧米諸国のGDP比が1割の建設産業と比べると過剰感は否めません。では、建設業の将来はどうなるのでしょうか?

先ず、マーケットを見ると、全体の市場規模は減少傾向にあり、その内訳は新規需要が減り更新(リニューアル)需要が増大すると予測されています。

需要が減少するのですから、供給量(業者数)が一定ならば価格は下落しますから、コストダウンに耐えられない業者は市場から退出することになるでしょう。ここまでは経済学の基本的な考え方で予想できることです。

実際、発注側、施主側の施行コスト削減の動きは高まっています。つまり、大手マンション業者が一括総合発注から分離発注したり、米国流のコンストラクション・マネジメント(CM)がサブコン(専門業者)に直接発注する傾向が強まるものと思われます。これまでゼネコンが工程管理やコスト管理などを行いCMの機能を担ってきたわけですが、設計会社や建設コンサルなどがCM機能を担当するケースも増加しそうです。

こうなってくると、建設業界は次の二つの対応を迫られることになります。一番目は、徹底的な施行面と管理面でのコストダウンです。二番目は、市場を特定セグメントに絞って競争しない道を選ぶことです。ただ、この場合はブランドや技術力など他社と価格以外で差別化できる要因がなければ困難です。

このように一部で指摘されている通り、日本独特のゼネコンという業態は変容を余儀なくされることが分かります。つまり、ゼネコンは、従来の元請けといった請負業務から、CM機能の強化、専門・エンジニアリング機能の強化、更新・メンテナンス機能の強化、PFI(民間資金とノウハウ活用による社会資本整備)や不動産証券化などの事業化など、専門化と多機能化とのニ軸での展開が不可欠となります。

こうした事業パラダイムの変化を迅速に行うには、スーパーゼネコンは持ち株会社化して専門機能に特化した事業会社をもつといった形が考えられます。そして、その他のゼネコンはCM機能から特化した施工機能のレンジの中で自社のポジショニングを明確にすることが肝要です。体質が古いといわれるゼネコンも、待ったなしの変革が目前に迫っていますね。

今日はゼネコンのお話が中心になってしまいましたが、大多数を占める中小建設会社の将来については別の機会に譲りたいと思います。



お知らせ:昨日の話題は「連結納税遅延の意味」でした。


2000年2月5日(土)〜6日(日)

「連結納税遅延の意味」

連結納税制度の法整備が遅れ、施行が2002年以降にずれ込むようです。連結重視の会計制度が2000年3月期から始まりましたが、税体系を一緒に改正しないのは問題が大だという指摘が産業界で高まっています。

そもそも連結納税制度とは子会社や系列会社の損益を親会社と合算し、企業グループ単位で税を納める制度です。そのため個々の企業ごとに納税する場合に比べて、赤字子会社があると連結後の利益水準が低くなり、納税額は少なくなります。このように連結決算と連結納税は一体となっているのが世界のルールです。

だが、連結納税を導入すれば、意識的な租税回避行為に悪用されかねないことや税収減が生じるため、大蔵当局の本音は出来るだけ導入を先延ばしにしたいわけです。

米国のようにグループ内の取引や損益を厳密に把握し、確実に課税する制度を構築するには確かに時間が必要かもしれません。しかしこの点は、東レの前田会長が指摘しているように、役人だけでは手が足りなければ“アウトソーシング”すればよい問題だと思います。

やはり、asktakaには税収減を恐れて当局が根回しをしてサボタージュしているとしか思えません。抜本的な税制改革と財政支出の見直しが必要なのですが、何せ政治がからんでいますからなかなか前には進みませんし、結局は、アクセルを踏みながら一方では急ブレーキをかけるといったちぐはぐな結果になります。

ところで、そもそも連結決算が導入され連結納税が問題になっているのは、何も世界標準に合わせ、海外投資家の便を図ることだけを目的にしたものではないはずです。真の狙いは、日本企業の戦略経営能力を高め、その結果国際競争力を高めることであった、とasktakaは理解しています。

そして、持ち株会社の解禁も、戦略立案機能と事業遂行機能とを分けて、新事業への進出や既存事業のリストラクチャリングを推進しやすい環境をつくることではなかったでしょうか?つまり、持ち株会社や連結決算によって事業ポートフォリオを最適化しやすくすること、及び事業会社への一層の権限委譲によって環境変化へのより機敏な対応を可能にすること、この点に狙いがあったはずです。

このように考えると、持ち株会社と連結決算及び連結納税は、パッケージで考えるべきであることがよく分かると思います。連結納税が実施されなければ、事業ポートフォリオを改善しようと新分野への参入を考えている企業の 意欲をそぐことになりますからね。

前述した前田会長が、“日本では大企業の分社化でベンチャーを起こす潜在力も大きい”し、“このままでは大企業の新規事業への意欲に影響が出る”と警鐘をならしているのも、こうした文脈でみるとよく理解できると思います。

もちろん、本社や持ち株会社にプールする資金が減少し国際競争力にも影響を与えますが、asktakaは企業の新事業進出に対するデメリットの方が心配です。というのは、80年代から大企業が新しい事業を手がけては失敗している例を数多く見てきましたが、どうもこのへんが日本の開業率の低さの原因だと思うからです。日本人はお上と大企業に弱いですから、大企業の失敗事例を見ては、“やはりベンチャーは駄目だ”と思いこんでいるふしがあると思います。

大企業も情報通信革命の波に乗ろうと、若手ベンチャーと組んで新事業への進出を模索しています。一番怖いのは、やっと芽生えてきたこうした大企業の起業家魂に水をさすことです。日本ではまだまだ大企業のお墨付きが活きていて、asktakaはこれを上手く活用することがベンチャー輩出の鍵を握ると思うのです。ここまで書いてきましたが、でも真に戦略的に考えている企業は、納税問題なんて目じゃない、税金を払ったってやるべきことをやると考えている、とasktakaは思いますがね。皆さんはどうお考えですか?



お知らせ:昨日の話題は「労働のモビリティ」でした。


2000年2月4日(金)

「労働のモビリティ」

日本の雇用問題は深刻です。とうとう失業率は日米で逆転しました。企業が経営改革を進める以上大幅な雇用増は考えにくく、こと雇用に関しては今後の見通しも明るくはないでしょう。

完全失業率をみると、60年代から70年代までは1%台、80年代から94年までは2%台で95年以降3%台になり、98年からは4%台になっています。このように傾向的に失業率が上昇しているのは、やはり日本企業の終身雇用を含む雇用に対する考え方が変わってきたからだと思います。

ところで、日本的経営の代名詞の一つであった終身雇用が崩壊した原因は、海外要因と国内要因とに分けることが出来ます。海外要因としては、グローバル・スタンダードを握る外資金融等の米国企業の台頭及び外資のコスト競争力の向上をあげることができます。国内要因は、長引く不況と団塊世代の加齢による就業者の年齢構成の上方シフト、瓢箪型ピラミッドへの移行が大きいと思います。

内外の要因はともあれ、日本企業がこれまでの人を聖域とした経営手法では競争に勝てなくなってきたことが直接的な原因で、俗に言う“背に腹は変えられぬ”状況になったといえます。とすれば、従来のように景気回復が最大の失業対策だと言っているわけにはいかない、とasktakaは思うのです。

ではどうすればよいのか?私が思うには、事業創造や起業の促進とともに、縦、横、斜め及び上方、下方への労働移動性(ジョブ・モビリティ)を高めることが重要です。

縦、横、斜めの移動とは、それぞれ同業種内転職、異業種への転職、関連業種への転職を意味します。そして、下方、上方への移動は、より上位の役職(年収の上昇)への転職とランクが下がる転職(年収の下落)のことをいっています。

今後は縦と上方への移動のみではなく、横と下方への移動も社会と個人が許容せざるをえない時代になるのではないでしょうか?なぜならば、労働需要の旺盛な成長産業の賃金体系は短期的には必ずしも高いとはいえないからです。また、そうした労働市場では、労働供給も増加する結果賃金は下落する可能性もあるからです。

しかしながら、一流のプロとしてのスキルを身に付けていれば、縦、横、斜めいずれも上方への移動は可能です。先般、大リストラを実施した上場企業の関連会社で、社員の受け皿としての使命をもつ会社の社長がしみじみと語っていました。“経理や総務が専門の人とシステム系の技術者は就職先に苦労しないが、営業と現場上がりの人を世話するのに随分苦労した”と。後の二つはいずれも企業文化の権化で、蛸壺に入ったようなものですから、横、斜めの移動は難しいのでしょうか?

それから革新的な成長企業は、ますます実力のある人を高給で採用できる条件を整えることでしょう。一方、旧態依然とした革新できない企業は、有能な人材、つまり上方移動が可能な人材は流出し、残った人達で日本的経営を維持するという皮肉な結果になりかねません。

今後数年で、業種を問わず勝ち組と負け組が一層明確になるものと思われます。asktakaは、その差は経営トップの戦略眼とリーダーシップにある と思っています。しかし、それを支えるのは現場のマネジャーの戦略的行動なのです。とすれば、いかに有能な人材を集めるかがこれまで以上に重要です。

労働のモビリティが高まる中で、有能な人々を集めるにはどうするのか?この点では、まだまだ日本企業の課題は多いですね。



お知らせ:昨日の話題は「二つの日本復活論」でした。


2000年2月3日(木)

「二つの日本復活論」

最近官僚が書いた2冊の本が話題になっています。原田泰氏の「日本の失われた十年」と石黒憲彦氏の「日本10年後への戦略」(いずれも日経より出版)です。両者がやや違った視点から日本の過去10年を総括して、異なった日本復活論を唱えているところが面白いと思います。

原田氏は、日本はアメリカの真似をするのではなく、日本らしくなることが復活の道だと主張しています。つまり、かってグローバルな競争に打ち勝った日本的経営、その中心は製造業だが、この成功の秘訣は“改善”にあったと喝破しています。

しかしながら、日本的経営で対応できる業種とそうでない業種とがあると指摘しています。情報通信やエンターテインメント、ファッションの分野は、ブレークスルーと嗜好の変化への機敏な対応が求められるため、日本的経営には不向きです。ところが、その他の製造業や商業など大多数の業種は改善をベースにした日本的経営で十分対応できると述べています。

そして、生産の現場での“品質”と会計処理のごまかしをやめ販売の現場での“現金回収”といった、日本的経営の核心を再認識して日本らしさを発揮することで、復活しようと主張しています。

一方、石黒氏の主張は次のようです。米国は日本的経営から優れたところを吸収して、“ネオアメリカモデル”という経営の世界標準を構築した。しかし、このモデルは米国の文化や社会構造を反映しているため、日本モデルとは同一ではない。従って、日本復活を担う“ネオ日本モデル”も“ネオアメリカモデル”と同根であるゆえに似てはいるが同じではない、と述べています。

では“ネオ日本モデル”とは何か?石橋氏は、“頑張ることがより報われる社会”“看板で仕事をしない社会”“もっと自由に正直に生きていける社会”、こうした産業経済社会を目指すべきだといっています。これは“フェアに評価される仕組み”をもつ“ネオ戦後環境”つくることであり、政府の今後の構造改革推進のポイントはこうした競争的労働環境整備にあるともいっています。

それから企業経営に関しては、収益性重視、選択と集中、コーポレートガバナンスと経営の透明性の確保が求められ、企業グループや系列もすべてが崩壊するのではなく更に経済合理性を発揮する形に変容するとみています。つまり、曖昧さを排除して効率性を追求するパートナー関係に変わるのです。また、雇用に関しても、終身雇用は少なくなるが長期的雇用関係と実力主義を徹底させ、中途採用を活発化する形となると述べています。

こうして二人の日本復活論をみると、原田氏は日本的経営の原点回帰論であるし、石橋氏は米国流経営との折衷論であることが分かります。asktakaは結論を期待していたのですが、むしろ前段の分析の方がよっぽど面白いと思いました。結論だけ見ると、どちらも一長一短がありますね。

ところで、原点回帰論と折衷論ではどちらに歩があるのでしょうか?asktakaはこの二つをまとめれば、一層現実的だと思います。石橋氏の指摘する“ネオ日本モデル”は米国の経験の延長線上にあり、もはや世界のビジネス界では大きな流れになっています。しかし、業界によっては日本的経営を生かして競争優位を保つことも可能なのです。

原田氏が示したように、産業を技術の性質(改善&ミドル主体vs.ブレークスルー&トップ・専門家主体)と会計の特質(損益が明確vs.損益が不明確)とのニ軸でマトリックスにすると、具体的な日本企業復活のイメージが見えてきますよ。さあ、皆さんも自分でマトリックスを作ってみませんか?



お知らせ:昨日の話題は「ビジネス・モデルと特許」でした。


2000年2月2日(水)

「ビジネス・モデルと特許」

これまで特許といえば技術が中心でした。ところが最近米国では、ビジネス・モデル、つまりビジネスの仕組みや手法そのものに特許を与えて保護する動きが活発です。具体的には、インターネットによる商取引や金融工学の分野で特許が成立しているし、すでに特許侵害の係争も起きています。

プライスラインは、仲介者が消費者が登録した購入条件に合致する販売業者を見つける、“逆オークション(reverse auctions)”と呼ばれるビジネス・モデルで特許をとって一躍有名になりました。おまけにマイクロソフトがこの特許を侵害したとして提訴したことで話題を呼んでいます。

逆オークションのビジネスの仕組みは次の通りです。

1.消費者は購入したい商品の購入条件を仲介者に送信する (例えば、「東京−パリ間の往復航空券を25万円以内で購入したい」)

2.仲介者は上記の購入条件を販売会社に伝える

3.各社は購入条件に従い仲介者に見積もりを提示する

4. 仲介者は各社の見積もりを比較して、消費者の希望条件に合致する会社を選択し、その内容を消費者に連絡する

また類似事例として、仲介者は消費者の希望条件等を各社に伝えるだけで、取引自体は当事者間で行う、といったビジネス・モデルもあります。

ではどうしてこのようなビジネス・モデルが、特許で保護されるようになったのでしょうか?もちろん知的財産権を重視する米国の風土もベースにあることは確かです。だが、重要なのは、ネット社会では新たなビジネス・モデルの創造が生き残りの鍵を握るという点です。そのためビジネス・モデルを保護せず追随者の模倣を許すとすれば、折角のダイナミックな起業家の意欲をそぐ結果となることが明らかだからです。

実は、このような特許申請の動きは日本でも始まっています。特許庁のデータによれば、電子商取引仲介ビジネスの特許出願件数は、97年が18件、98年が20件を示し、99年は半年で20件に達しています。仲介ビジネスはオークションとその他の仲介の二つに分かれますが、大半が後者のその他の仲介が占めています。

こうして日米ともにビジネス・モデルの特許問題が話題になっています。だが、日本のモデルがどこまでオリジナルかというとやや疑問です。というのも、これまで日本企業は模倣を得意としてきました。果たしてお手本なしにオリジナルなモデルを考えついたのかな、と思うわけです。

もし米国のビジネス・モデルの物まねあるいはマイナーチェンジであれば、ネットで世界を駆け巡るようになると特許侵害で訴えられる可能性も否定できません。asktakaは、あの83年のIBMに訴えられた富士通、日立の事件の悪夢を思い出すのです。

日本企業がインターネット時代に生き残る道は、新たなモデルを創造するか、それとも特許に裏付けられたビジネス・モデルをもつ欧米企業と手を組むか、このいずれかです。さて、皆さんの会社はどちらの道を選びますか?



お知らせ:昨日の話題は「シリコンバレーモデルから学ぶ」でした。


2000年2月1日(火)

「シリコンバレーモデルから学ぶ」

昨日はインターネット商取引の将来を話題にしました。だが、私はむしろ企業間取引(B2B)や消費者向け商取引(B2C)の拡大による企業組織の変化に興味があります。そこで、米国の企業組織やマネジメントの変化を概観して、シリコンバレーモデルから学ぶべき点について述べたいと思います。

先ず、米国の大企業の組織は簡単化すると、機能別組織から分権的事業部組織、それから多国籍コングロマリットへと進化してきました。この過程では、製造や購買など各機能の取引を内部組織化して規模の経済や範囲の経済を追求することが戦略を考える上でのポイントでした。

90年代の米国の情報通信革命は、こうした垂直統合的な組織を陳腐化させました。つまり、競争に勝つにはスピードや機敏さが要求されるようになると、新製品や新サービスを開発するのに必要な資源をすべて内部でまかなうことは難しくなりました。

そこで従来の企業内資源蓄積から、企業の中核能力(コア・コンピタンス)以外はアウトソーシングする方式に変わっていったのです。このアウトソーシングは米国による日本の系列研究の成果であり、米国版ケイレツ ともいうべきものです。90年代前半の米国のマネジメント改革は、ケイレツを始めとした日本的マネジメントのメリットを巧みに取り入れたものです。

更に競争力を高めるには、中核能力を強化するために各社がそれぞれの中核能力を出し合うネットワーク型あるいはバーチャル型などの緩やかな連携組織が有効です。この代表的なケースがディレクTVで、ヒューズ社はネットワーク型組織によって素早い事業展開を可能としたのです。

このようなネットワーク型組織を考えた場合、シリコンバレーのような地域ビジネスモデルが機能します。シリコンバレーモデルの特色は、スタンフォード大学などの優秀な頭脳の存在と試行錯誤しながら失敗から学ぶ仕組みが確立している点にあります。

Eビジネスの時代はドッグタイムともいわれる時間軸をもつのが特徴です。こうした時代には、多種多様な中核能力をもち試行錯誤により学習した企業群がバーチャルに連携して事業展開することが求められます。何よりも機敏な行動が勝ち組となるために不可欠だからです。この意味ではシリコンバレーから学ぶべき点は多いと思います。

日本の現状を見ると、試行錯誤や失敗経験を許容する資金供給者が存在するかという問題があります。そして、倒産や失敗によって一生落伍者の烙印を押す社会慣習は一朝一夕に変えることはできません。

asktakaは、卓越したスキルや中核能力をもった企業や人を集めたバーチャル組織づくりについては、さほど心配していません。しかし、一番問題なのは失敗を許す社会、コミュニティづくりではないでしょうか?渋谷のビットバレーあたりで試行錯誤や失敗を許容する一大プロジェクトを実行してみる手もありますね。



お知らせ:昨日の話題は「Eコマースは“ハイパーメディエーション”が鍵」でした。



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