これまでの話題(2000年3月前半)

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2000年3月15日(水)

「製造業が国を救う?」

3月2日の「今日の話題」は“製造業の復権?”をテーマにしました。 ところが昨年買ったままで積読になっていた、エーモン・フィングルドン著“In Praise of Hard Industries: Why Manufacturing, Not the Information Economy, Is the key to Future Prosperity”の邦訳が 出て話題になっています。

それは『製造業が国を救う』(早川書房)と題する本で、米国の情報化経済の問題点を指摘し、製造業の重要性を説いています。つまり、米国が優位性をもつソフトウェア、インターネット、映画などの産業は、堅実な経済基盤を持っておらず、日本やドイツ、スイスなど製造業に強みを持つ国々の方が長期的に安定した繁栄を築くというものです。

著者はポスト工業化産業が支配する米国の情報化経済では、次の3つの問題点があると指摘しています。つまり、製造業に比べて

1.雇用のバランスが悪い
2.所得の伸びが鈍い
3.輸出競争力が弱い

この3点が問題だというのです。

確かに、米国の情報化経済では所得のトップ10%の高学歴者達にしか雇用を提供していない、という調査結果が出ています。これに比べて製造の業の雇用創出力は高いことは事実だと思います。

それから、高学歴者偏重の雇用創出パターンから出てくる帰結として、よくいわれる所得の二極分化が生じ、その結果全体の所得の伸びは鈍化しているのです。asktakaの推測では、極端な話、所得が正規分布していないので高学歴を中心とした山とそれ以外の山の二つがあって、前者は伸びているが後者はほとんど伸びていない結果だと思うのです。

最後の点は、情報化経済の中核産業といえるソフトウエアなどのサービス業が、本来ドメスティックな性格を持つ点に起因します。つまり、サービス業は、顧客のすぐそばでビジネスを行うことが前提となりますから、圧倒的な強さを誇る米国の企業群といえども輸出貢献度は低いのです。例えば、あのマイクロソフトでも、売上に占める輸出比率はたかだが20%ですからね。

著者は、米国ではこうした問題を抱きながら、製造業は空洞化して新たな製造業が生まれていないことが問題だとも指摘しています。その点日本では、ハイテク分野をはじめ、衰退産業ともいえる鉄鋼、造船、繊維の各産業でさえ設備投資や技術開発を進めてきました。こうした製造業の力では日本は他の追随を許さないと、著者はいうのです。

過去10年は“失われた10年”といわれるほど低迷していた日本ですが、製造業は堅調だったと著者はみているようです。ただ利益水準が低い点は認めていて、その原因は円高と高賃金にあると指摘しています。90年代は35%ほど円高になり、賃金は米国に比べ4割ほど高いのですから、これはごもっともなお話だ、とasktakaも思います。

フィングルドン氏の本は、自信喪失気味の日本企業の人々を元気付けるものではあります。日本企業にとって、米国の情報化経済の動きに気をとられるばかりではなく、製造業の強みをいかした再生の可能性を指摘している点で傾聴に値すると思います。

Amazom.comの書評を見ても同氏の本は評価されており、意外にアメリカ人もバランス感覚があるな、と何故かほっとしたasktakaでした。

余談になりますが、著者はビジネスに対するインターネットの影響を過大評価しすぎていると述べています。その原因は、インターネットによって最も影響を受けるマスメディアや証券会社が、大げさな宣伝や、ものごとをあおり立てることを最も得意としているからだといっています。この点については、asktakaはネット社会にはまっている一人ですが、インターネットを道具として割り切って考えれば、それに使われることはないと思っていますし、影響もその範囲だと思っています。皆さんはどう思われますか?



お知らせ:昨日の話題は「ROE経営を超えて」でした。


2000年3月14日(火)

「ROE経営を超えて」

ROE(株主資本利益率)を経営指標として採用する企業が増えています。株主重視の姿勢を示そうとする一環のようですが、すでに米国企業はROE離れをしているようです。ファイナンスの標準的な教科書では、ROEの企業の財務パフォーマンスを表す指標としての問題点が指摘されていますからね。そこで、今日はROEの問題点を整理した上で、市場や株主重視のマネジメントのあり方について述べてみたいと思います。

ROEが注目され始めた背景として、バブル崩壊後の日本企業の投資効率の悪さと株式市場におけるリターンの低下をあげることができます。この点は日米の企業のROEを比較すると一目瞭然です。日本の上場企業の98年度のROEは0.2%で、前年に比べ2.5ポイント減少しています。99年度はやや増加するとしても一桁台であることには変わりはないと思います。一方、米国企業はS&P500種ベースで20%を超えています。

ところで、ROEの問題点をasktakaなりにまとめると、財務指標一般の問題点とROEに固有の問題点とに分けることができます。前者は次の2点です(専門用語は財務のテキストをご覧下さい)。

1.当期純利益(R)など会計上の利益は、会計制度や税制の相違によって数値が変動するので企業の業績測定や意思決定の指標としては完全でない

2.ROEを含めて単年度指標なので成長性を評価していない

後者のROE固有の問題は、主に次の4点です。

1.財務レバレッジの制御可能性からくるリスクを無視
2.簿価ベースなので投資家が知りたい時価を反映していない
3.意図的な自社株買入消却によって数値が上昇
4.株主資本が小さい企業や業種は数値が変動しやすい

このようにROEの問題はあるのですが、指標である以上完全無欠ということはありえません。そして幸いなことに、ROEと株価との関係を回帰分析すると、正の相関関係がありかつ説明力もあることが分かっていますから、ROEは時価を代用しているということもできます。要は問題点を認識して上手く使うことだと思います。

それよりも従業員主権、人本主義といった日本的経営から実質的に株主重視を定着させるには、これまでの労使の価値観の再構築やコーポレート・ガバナンスの確立、効果的なIR活動などが不可欠です。もちろん単にROEを指標とすることで株主重視だと勘違いしているトップがいるとすれば、その意識改革が先決ですね。

いずれにしてもROE問題はこれまでの日本的経営とは対立する考え方ですが、こればかりはA or Bとういう二者択一ではなく、昔懐かしい止揚(アウフヘーベン)という言葉を使う方が適切だと思います。すなわち、私達の文化を背景とする日本的経営の良さを生かしながら、グローバルな標準に適応しうる“ネオ日本的経営”の創造が重要だと考えるからです。asktakaはROE問題もこうした視点から捉えなおしてほしいと思うのです。



お知らせ:昨日の話題は「“大国”日本の幻想とビジネス道」でした。


2000年3月13日(月)


「“大国”日本の幻想とビジネス道」

経済大国日本と言う言葉はよく聞きました。しかし、大国といわれても どうもピンと来なかったのは事実です。単に量的な話では意味がないです しね。そう思っていたら、堺屋太一氏がある雑誌の対談の中で大国につい て面白いことを言っていました。

大国というには二つの要素が必要とのことです。一つは経済的自立で、 二つ目は軍事的自立だそうです。つまり、経済的独立とは、外国と意見の 相違が生じて貿易や投資がストップされても機能が停止しない経済のことをいうそうです。それから、軍事力を持っていて外国と全面対立になっても怯えずに戦える力がなければ、軍事的自立とはいえないそうです。asktakaもそれはそうだと思います。

堺屋氏は、日本の場合、経済的にも軍事的にも自立していないので、 政治力学的には大国とはいえないといいたかったようです。そして、仮に この二つが自立していても、決定的に欠けているものがあるから駄目だと もいっています。それは、武人の文化だそうです。

戦前までは武人を尊ぶ文化があって、死を恐れぬ勇気が徳目として重要 でした。また、諸外国では今でもそうであるように、戦前は軍関係者が諸団体のトップになっていました。つまり、それだけ社会的地位が高かったのですが、今は財界人がその地位についていますからね。

つまり、日本は武人道ではなく、かって通産官僚だった天谷直弘氏がいった商人道の国、商人国家で、今後もこの線でいくべきだというのです。

なるほど、とasktakaは思いました。商人をビジネスと置き換えれば、 いいえて妙というか、ぴったりです。昔からビジネス道として、“論語と ソロバン”とか“損して得とれ”とかビジネスの真髄は引き継がれてい ます。

今、世界で大国として覇権を目指す国は、米国と中国しか存在しません。ここは日本も割り切って、ビジネス道を極める覚悟を決めてこそ、21世紀の展望が拓けるというものです。

道を極めるには、大国の真似をするばかりではお話になりません。日本 の資本主義の原点ともいうべき戦前の財閥やマネジメントを、もう一度再確認することも重要だと思うのです。時価総額を偏重する金融至上主義のアメリカ流経営に流されずに、製造業の強みを生かした独自の“ネオ”日本的経営を創造するにはこのへんにもヒントがあると思います。皆さんはどうお考えですか?



お知らせ:昨日の話題は「垂直型サイトの時代」でした。


2000年3月11日(土)〜12日(日)

「垂直型サイトの時代」

先日この欄でAOLやYahooなどの広域ベース(水平型)の大手ポータル・サイトの時代は終焉を迎え、今後は特定分野に焦点を絞った無数の垂直型サイトの時代になると、という話をしました(1月31日 付け「Eコマースは“ハイパーメディエーション”が鍵」)。今日は具体的な米国の垂直型サイトについて述べたいと思います。

バーティカルネット(こちら)は、その名の通り垂直型サイトで、50を超える業界のB2B(企業間電子商取引)向けオンライン・ビジネス・コミュニティです。Eコマース、コンテンツそしてコミュニティを軸に構成され、“世界にまたがる各種の産業にオンライン・コミュニティを提供し、電子商取引のリーダー”となることをミッションにしています。

同社は業界別に新たなコミュニティ(サイト)を作り、そこでEコマースや必要な情報(コンテンツ)へのアクセスが可能となるようにしたのです。現在では月間200万人以上が利用するサイトに成長しています。

現状では、業界は次の9つに大別されています。つまり、「アドバンスト・テクノロジー」「コミュニケーション」「環境」「食品・包装」「フードサービス・ホスピタリティ」「ヘルスケア・サイエンス」「製造・金属」「プロセス(加工・組立など)」「サービス」などです。

こうした分野別に、各業界の専門家が運営するサイトに細分化されており、それぞれのサイトで専門家同士が最小限の時間で効果的にコミュニケーションでき、またコンテンツを入手できるようになっています。そして、各業界のコミュニティでは、売り手と買い手を結びつけるベンダーのサイトがあり、各社の情報や商品情報が入手できるようになっているのです。なお、99年よりオークションも開始されました。

バーティカルネットはネット上のメジャーなプレーヤーと提携して、その顧客を取り込むことで顧客を増加させ、グローバルな大規模コミュニティに成長しました。例えばヤフーなどの検索エンジン、ポータルサイト、コンテンツ・プロバイダーなどと提携です。同社はこうした提携を利用して、利用者が増加すれば一層サイトの価値が高まる収穫逓増型のビジネスを実現したわけです。

ところで、バーティカルネットは現在のところ垂直型のビジネスモデルとして独走していますが、潜在的な競合の本格的な参入の脅威は拭い去れません。特定業界に特化したより専門的な垂直型サイトがメジャー・プレーヤーとして出現する可能性は高いからです。そのため、今後同社が垂直型サイトとしてリーダーであり続けるには、特化した垂直型サイトと比べ商品情報や商取引の実績面で優位を保てるかどうかにかかっていると思います。

日本においても、遅まきながらトヨタを始め主要企業がB2Bに乗り出す動きが活発化してきました。日本のB2Bも当初は、個々の企業を中心にしたサプライヤーの囲い込みという形で進行すると思います。

しかしながら、同時に日本でのオープンな業界別垂直型サイトの将来性に注目すべきだと思いのです。但し、その際の視点は、経路依存性の強い業界の取引慣行が市場原理のもとに崩壊するかどうかを見極めることです。この意味では、一昨日の話題に取り上げた建材業界は格好の観察対象になりますね。皆さんもこの業界の動きに注目してはいかがでしょうか?きっと日本におけるB2Bの市場性が直感的に見えてくると思いますよ。



お知らせ:昨日の話題は「M字型曲線と女性の時代」でした。


2000年3月10日(金)

「M字型曲線と女性の時代」

男女共同参画白書なるものが99年4月に発表されました。この白書は、政府が96年12月に男女平等の社会参画を推進するために策定したプランの推進をフォローするためのもので、今年で3回目です。

この白書の中で女性の雇用に関して2つのデータが注目されます。一つはM字型曲線で、二つ目は女性の管理職比率です。

先ず、15歳以上の人口に占める労働力人口の割合を労働力率といいます。そこで、女性の労働力率を年齢別にグラフ化すると、20歳代前半と40歳代後半をピークとして、30歳代前半をボトムとするM字型の曲線を描くのです。こうしたカーブは、日本と韓国のみで米国などの欧米諸国では男性と同じ逆U字型曲線を描いています。つまり、欧米の女性は30代から40代で労働力率がピークに達し、その前後の年代ではそれが低下しているのです。

それから、管理職に占める女性の割合をみると、アメリカの44%やノルウェーの31%、ドイツの27%などに比べて、日本は9.3%と大差があります。

このように、日本では欧米に比べて女性の就労状況が著しく見劣りします。その原因は、出産や子育てで職場を離れざるをえない社会環境と継続的な就労ができないため年功序列制度の下では昇進昇格で不利になる点があげられます。

ところで、日本は世界でも類のない高齢化社会に突入し、21世紀の生産人口が減少することはこの欄でも何回か述べています。経済成長率は単純には生産性増加率と労働人口増加率に依存するので、生産人口がマイナスになればGDPの伸びに影響するわけです。

従って、生産性のアップを相殺する労働人口のマイナス成長を阻止しなければ、GDPの伸びの鈍化は避けられないのです。つまり、現状の15歳から65歳までの生産人口の定義を、例えば70歳にして高齢者雇用を更に促進するか、欧米に比べ見劣りのする女性の社会進出を促進することが求められます。

高齢者雇用については年金支給との兼ね合いと個人の体力差があるし、欧米に比べて現状でも65歳以上の労働力率が高いので、これを積極的に進めるよりも個人の自由に任せた方がよいと思います。

こうしてみると、育児や出産、介護などによってやむを得ず就業の機会を失っている女性達を労働市場に呼び戻す動きの方が、自然とは思いませんか?そのためには専業主婦が有利になっている税制の是正や人事諸制度の改革、そして企業あるいは行政による託児所などの働く女性のためのサービスの提供などが不可欠となります。この点の制度的整備については、ヒューレット・パッカード社やエンロン社などの例が参考になるはずです。

かくして女性の社会参加が促進できるかどうかが、21世紀の日本の経済成長率を左右するといえそうです。“原始女性は太陽であった”とは平塚らいちょうの言葉ですが、さしずめ“21世紀、女性は成長のためのdeus ex machina(注)”ということか。あまり女性を優遇すると、男性群から逆差別っていう話も出てきそうですが、日本人の意識を変えるにはそれくらいが丁度いいと思いますよ。

(注)デウス・エクス・マキナ、古代演劇で急場の解決に登場する宙乗りの神のことをいう。



お知らせ:昨日の話題は「建材流通のネット取引」でした。


2000年3月9日(木)

「建材流通のネット取引」

来月から建材の“電子カタログ”ともいうべきKISS(建材インフォメーション・サービス・システム)がスタートします。これを機会に業界のEコマース化が進展すれば、建材流通も大きく変化することが予想されます。

以前この欄でも述べましたが、建設業界は一部の大手ゼネコンを除いて、中小零細業者が多数を占める業界です。そのため情報化も進んでおらず、価格面での不透明感もあって電子商取引が遅れています。

KISSは通産省の外郭団体である日本建材産業協会が運営するサイトで、メーカー別商品情報と価格が一覧できる点が特徴です。サッシ、壁材、床材などの建材メーカー100社が参加する予定で、将来的にはこの分野の8割をカバーする意向だそうです。

これまで、建材に関する電子商取引ないしは電子化の動きは、企業内部の効率化に主眼をおいたクローズドなものでした。つまり、ニチメンの欧米産木材の電子商取引や三井物産の電子データ交換システム構築などです。 こうした内部向けに限定せざるをえなかったのは、業界では価格情報の公開をタブー視していた点も影響していると思われます。

KISSでは、海外メーカーにも門戸を開くため、自ずと日本のメーカーも世界の標準的慣行である価格公表に動かざるをえなくなるというわけです。そうすると、これまでの値引き慣行や、いわゆる“一物百価”から一物一価への流れが加速し、価格の透明性が増すことが期待されます。

この結果、設計会社や工務店などのユーザーは従来よりも安い価格で建材を購入できるし、中小メーカーの受注機会も増加することになります。 そして、これまでの営業マンの頭数に比例した固定的なシェア構造は変動する可能性が大です。

では、こうした動きに建材メーカーはどう対処すべきなのでしょうか。 結論からいえば、差別化された製品やサービスをもつか、どのメーカーが作っても同じ製品、つまりコモディティに付加サービスや付属品あるいは消耗品を付けて売るか、この点がポイントとなります。一物一価のコモディティの世界では利幅が低くなることは必定だからです。

日本的商慣習にどっぷり浸かっていた建材業界も、電子商取引が進むに従い従来のマネジメント発想から脱皮しなければ生き残りは困難です。超ドメスチック業界の今後の変身に期待したいですね。そして、その他の超ドメ業界や企業も他人事とは思わずに、建材業界のこうした挑戦から学んでほしいと思うのです。



お知らせ:昨日の話題は「日本的経営再考」でした。


2000年3月8日(水)

「日本的経営再考」

日本的経営といえば、先ず思い浮かぶのは、終身雇用制、年功制、企業別組合といった三種の神器説です。これはアベグレンが1958年に書いた「日本の経営」の中で述べたものです。

同氏は70年前後に日本に戦略系コンサルティング会社として初めて参入した、BCGの日本事務所代表を務めた人物としても有名です。「日本の経営」は、私がマネジメント系の書物をまともに読んだ最初の2冊のうちの1冊です。ちなみに他の1冊はドラッカーの「現代の経営(上・下)」でした。

これまで三種の神器説が日本的経営の概念として主流になっているようですが、これ以外にも諸説あるのです。つまり、経営理念・組織風土、企業戦略、人事管理、業務遂行などの観点から日本的経営を説く方々も存在するわけです。

一概に日本的経営といっても、歴史的背景と日本の産業史の中で位置付けなければ本質を見失います。三種の神器説は、日本の産業復興期の重厚長大型企業が成長するプロセスの中で顕著にあらわれた特徴だとする説も説得的です。戦前の日本では終身雇用制や年功制を特徴としてしたわけではないし、終身雇用制は何も日本だけに限ったことではないからです。

日本企業が実施している経営システムを「日本的経営」とする見方も有力です。京都大学の市村真一教授らが調べた結果、雇用の安定、稟議制、経営理念の重視、小集団活動の活用、人間関係の重視、ジョブ・ローテーションなどが50%以上の実施率を示しているそうです。こうした観点からこれらの6点が、日本的経営のエッセンスだと見ることもできるわけです。

更に、NY市立大学大学院の霍見芳浩教授が指摘する、次の3点は興味深い。つまり、現場主義、チームワーク、平等主義を日本的経営のエッセンスだとする説です。

ところで、asktakaとしては日本的経営の定義に興味があるわけではありません。それは学者先生にまかせるとして、日本的経営のどこを直していけば21世紀に通用する経営システムになるか、この点に関心があるのです。

そこで、asktakaは、市村、霍見両氏の説をまとめて、次の5点を日本的経営として考えることにします。

1.経営理念の重視(いわゆる戦略的意図を含む)
2.雇用・人間関係の重視
3.平等主義
4.現場主義
5.チームワーク重視

このように日本的経営を考えると、asktakaには雇用・人間関係の重視と平等主義を能力のある人が報われる新たなシステムにすれば、十分に通用すると思うのです。そうそう、もちろん戦略思考ができて自ら意思決定できる経営トップの存在が前提ですよ。えっ、この前提こそ問題ですって?いつもこの点に落ち着くのは不本意ですよね、皆さん!



お知らせ:昨日の話題は「ネット型市場の特徴」でした。


2000年3月7日(火)

「ネット型市場の特徴」

21世紀はインターネットを通じて情報が同時に世界を駆け巡る時代になります。どうしてこうなるかというと、双方向コミュニケーションのコストが限りなくゼロに近くなるからです。つまり、誰でも利用でき、多数が相手でも一人が相手でもコミュニケートするコストは変わらなくなるのです。

ただ日本の場合、現状では通信コストと英語力の点でやや問題があります。だが、将来的には前者は安い固定通信料への移行、後者は自動翻訳の精度の向上あるいは英語力の向上によって問題は解決されると思います。

こうしたネット社会において、市場はどのように変化するのでしょうか?霍見芳弘氏(NY市立大学大学院教授)が指摘した10の特徴を、ここでは次の8つにまとめてみました。

1.マス市場の消滅
2.ボーダレス経済、商圏の消滅
3.マス・カスタマイゼーションの普及
4.入札購買の普及
5.バーチャル・ワンストップ・ショッピング
6.24時間ショッピング
7.比較購買により最優秀製品・サービスの勝利
8.付加サービスと消耗品のリピートが利益の源泉

大体のイメージはお分かりでしょうが、ちょっと補足したいと思います。ネット市場において、マスを対象にした市場が消滅するのは、規模の経済が発生しないからです。これまでは大量生産とマス・マーケティングによってある一定の限界まではコスト優位を保てたわけです。ところが、ネット市場では、冒頭に述べたように対象が何人でもコストは変わらないのです。従って、これまでコスト高だった個々の消費者への対応も可能になり、消費者も自由に好みに合わせてモノやサービスを選択する自由度が高まるのです。

それから、ネット社会はボーダーレスで、国境や商圏という場の定義を超えることはよくお分かりでしょう。これとインターネットのマーケティングで重要な個々の顧客との関係づくりを考えると、ネット市場の特徴は次の3点に要約されます。

1.個人向けカスタマイズ
2.ボーダレスな比較購買
3.最優秀製品・サービスの一物一価

こうしてみると、ネット市場で生き残るには、次の点が鍵を握ると思います。つまり、いかに迅速に顧客ニーズに対応するか、顧客とのツーウエイ・コミュニケーションによっていかに学ぶか、そして顧客のチャットなどを通じた口コミでの評価をいかに獲得するかです。

ネット市場での勝者は、上述した点を踏まえリピート客の定着化、つまり、顧客の囲い込みができ、それからモノ以外に付加するサービス等を提供できることが肝要です。さて、勝者への道は、皆さんは険しいとお思いですか、それとも容易とお思いですか?asktakaはトップと組織(人を含む)とインセンティブがそろえば案ずるよりも生むが易しと思うのですが、いかがでしょうか?



お知らせ:昨日の話題は「Sグループの創業者T氏の功罪」でした。


2000年3月6日(月)

「Sグループの創業者T氏の功罪」

昨晩久しぶりに夢をみました。どうも昔々のお話のようですが、何故か今日的なんですね。それで、寝ぼけ眼を覚まして夢を再現してみました。

昔ある国にSグループという流通業を中核事業とする企業集団がありました。その実質的な創業者はT氏で、一代で鉄道業を含むコンツェルンを築いた父親の二男として生まれました。ただ、本流は三男が継いだことから、 兄であるT氏の複雑な事業への旅立ちが始まりました。

T氏はT大学在学中から、事業家であり自民党の政治家でもあった父親に反発してか、共産党員として学生運動に参加したり、詩を書いたりしていました。S鉄道のトップを勤める三男が学生時代から、父親のそばで帝王学を学んだのとは大違いでした。

Sグループは、T氏の詩人としての独特の感性も手伝ってか、新しいタイプの商業施設を作ってきました。また、海外のホテルチェーンを傘下に収めたり、今最もお荷物になっているリゾート開発会社を経営するなど多角経営を行ってきました。T氏の功績は、経営に感性という“知的資産”を持ち込んだことにあると思います。ただ、これを真似た企業も多かったですが、 いずれも上手くいかなかったようですね。

しかし、こうした事業展開は、T氏のビジョンというよりも単なる夢の実現を目指したものといえそうです。マネジメントの言葉でビジョンといえば、それを実現するシナリオ、つまり戦略オプションと実行プランが不可欠ですからね。これらがない以上単なる夢です。

もっともT氏の語る夢を、企業としてのビジョンと勘違いする人が多くても責められません。T氏は経営者であるとともに、詩や小説を書く文化人ですから、お話を聞く限りではうっとりするではありませんか。まさか、超ワンマンで聞く耳を持たず、採算性という言葉を知らないとは思いませんからね。そして、少なくともちゃんとした参謀がいてチェック機能が働いていると思うし、いちいち最終決定したホテルの設計図に目を通し、採算を度外視して設計変更させるほどお馬鹿さんとは、誰が想像するでしょうか。

いずれにしても、経営が破綻したリゾート開発会社の処理のいかんによってはSグループの将来も危ぶまれます。やはり、この直接的な原因は、バブル期に調子に乗ってお金を借りた側と貸した側にあります。だが、夢の中でtakasaidとかいうコンサルタントが、真の問題は意思決定の仕組みとコーポレート・ガバナンスにあるとかいってましたっけ。

ところで、こんなややこしい話を夢が覚めてから思い出そうとするのは、気骨が折れることです。でも、結末がどうなったかは、どうも思い出せません。この夢は平成よりもはるかに遠い時代に、某国で実際に起きたことだけは確かなようですが。

夢を語るトップを抱くことは重要ですね。しかし、それを企業ビジョンとして共通のイメージに昇華して、ちゃんと実現する戦略があってこそ生きてくると思います。そして、トップの暴走を押さえられる人物の存在が不可欠だという意味で、夢の中での教訓を生かしてコーポレート・ガバナンスの問題を真剣に考えるべきですね。

でも、夢の中のお話のように、暴君が相手じゃやりようがないな、という声が聞こえてきそうです。夢の結末はだんだん思い出してきましたが、確かこれまで部下のせいにしていたT氏が、やっと経営責任をとり私財を提供して名目だけではなく引退したような気がします。それとも暴君の歴史的結末と同様に・・・、思わず言葉を飲みこむasktakaでした。



お知らせ:昨日の話題は「米国で最も革新的なエンロン社」でした。


2000年3月4日(土)〜5日(日)

「米国で最も革新的なエンロン社」

先日(2月22日)この欄で、米国で“最も革新的”で“最も経営の質が高い”企業と評価されるエンロン社の話題に触れました。今日は、フォーチュン誌によるGEなどこれまでの優良企業を超える、エンロン社の高評価の背景について述べたいと思います。

エンロン社は1930年に創業した米国最大手の天然ガス供給会社で、3万8千マイルのパイプラインを有しています。最近では子会社を通じてサンマイクロシステムズと組んで、広帯域インターネットサービス事業を加速化させるとのことです。

先日はエンロン社の高評価を、女性管理職の登用や福利厚生など従業員向け対策の充実という観点からコメントしました。しかしながら、こうした視点のみでは同社を真に評価できないことが分かりました。エンロン社は、米国のニューエコノミーの中で、近未来を先取りする経営を行っている点を評価されたのです。

ニューエコノミーとは、情報通信革命を核として、グローバル化の進展、規制緩和と市場原理の進展、金融技術の高度化と資本市場の拡大などの同時進行によって引き起こされた“新しい経済”です。こうした環境下で企業経営のパラダイムは大きく転換を余儀なくされます。

ニューエコノミーでは、国内市場と海外市場の境界がなくなり、世界標準価格に収束される傾向が高まります。一方、こうした市場メカニズムが進展すれば、一層の効率化が求められデレギュレーションが進む結果、業種や業態の枠がなくなります。こうした市場構造と業界構造が大きく変容する時代にいかに対応するか、今、米国ではリスク・マネジメントが求められているのです。

このような動きを先導するのがエンロン社です。つまり、同社は

1.リスクの観点から事業ポートフォリオを管理
(→各事業リスクを評価し、全社的にリスク、投資、利益を管理)

2.リスクを前提に従来の製品を新しい契約形態で提供
(→大口顧客にたいする長期固定価格契約など)

3.新業態であるリスク仲介サービスの提供
(→天然ガス、電力などエネルギー市場におけるソリューション・プロバイダー)

といったリスク・マネジメントをベースにした経営を行っています。同社の評価が高いのは、この点を含めた積極的で斬新な経営姿勢によるものです(リスク・マネジメントに関しては後日詳しく取り上げる予定です)。

そして、エンロン社は、こうした企業戦略を展開するにあたって、戦略立案とリスク・マネジメントの専門家集団を組織化したそうです。asktakaには、エンロン社の一連の改革の陰に、米国の某コンサルティング会社の存在が見え隠れします。

この点はニューヨーク在住のY氏が、あるゲストブックでのasktakaとのやり取りの中で“「特に(エンロン社は)コンサルに評判の良い会社なのでは」という話を聞きましたのであとはご想像に任せます”と述べています。恐らくY氏はこのへんの事情を指していっているのだと思います。

ところで、一部で指摘されているように、何もニューエコノミーは米国の専売特許ではないのです。米国が何年か先行しているのは事実ですが、日本を含む世界各国がデジタル革命を核とするいわば産業革命の恩恵を受けるのです。そうした場合、日本企業にとってエンロン社は研究に値する対象だと、asktakaは思うのです。皆さんもエンロン社の動向とリスク・マネジメントに注目してはいかがでしょうか?



お知らせ:昨日の話題は「共存から“共創”へ」でした。


2000年3月3日(金)

「共存から“共創”へ」

世の中を見渡すと、右翼と左翼、国際派と国内派、進歩派と保守派など“対極”概念があふれています。そう思っていたら、何日か前の日経本誌の「春秋」にグローバル・スタンダードに対する反対論が紹介されていました。

この反対論とは、グローバル・スタンダードの名の下に勝者の論理がまかり通ると従来の“共存”という美風がそこなわれる、というものです。これに対して春秋は、グローバル・スタンダードはそうした美風の真の破壊者か、と反問します。

そして、ワインづくりを例にとり、グローバル化によって世界各地で高級ワインが育ち、その結果伝統産業を活性化させ見事に共存させた、と指摘しています。

asktakaは春秋のこうした反論とは違った意味で、共存の論理は問題の本質を見失っていると思います。すなわち、共存をいうのであれば、企業対企業の間での“大企業と中小企業”、“高シェア企業と低シェア企業”を対立軸にとるか、企業対消費者を対立軸にとるべきではないか。

前者の場合確かに、一時的には“弱者”なるものが出現するかもしれません。そして、グローバル・スタンダードの導入により弱者が現れる時期が早まるかもしれません。だが、むしろ弱者の出現は、産業のライフサイクルや規制下でのぬるま湯的環境、経営者の能力に起因すると思うのです。

後者に関しては、グローバル・スタンダードの導入によって消費者にはメリットがあります。この点は米国系金融機関の日本上陸を通じて、サービスが改善されたことを想起すれば分かりやすいと思います。また身近なところで、アウトレットなど海外の小売業態が導入され、好みのブランドを安く購入出来るようになりました。ただ、消費者によい物を安く提供できない企業は、市場から見放されるでしょうが、これを弱者というのでしょうか?

ところで、asktakaには“共存の美風”なるもの自体が問題だと思います。その実態は、系列に見られるように発注側と下請けとのコラボレーションと共存という名の非効率だと思うからです。

asktakaは、共存の背景にある規制と系列関係は、もはや歴史的使命を終え、共存を美風と考えるのは時間軸に逆行すると考えるからです。共存から“共創”へ、これが21世紀の日本経済の基本テーマだとasktakaは思います。個々の企業や個々人が、馴れ合うのではなく、ともに創造力を発揮すること、これが21世紀の日本に求められているのでないでしょうか?



お知らせ:昨日の話題は「製造業の復権?」でした。


2000年3月2日(木)

「製造業の復権?」

世の中には、自明のことをわざわざ確認しなければいけない時もあります。モノがあればお金がなくても生きていけますよね?この点は自給自足経済を考えれば理解できます。ではお金があってもモノがない世界では、人は生きていくことができるでしょうか?お金だけしかなければ生き残るのはやぎだけ?(笑)

冗談はともかく、モノは食料から電気製品、生活用品、機械一般に至るまで人間生活に不可欠です。にもかかわらず、先頭を走るソニーなどの一部を除いて世間一般の人気が低いのはどうしてでしょうか?

この理由は、経済のサービス化が進み、GDPに占める製造業のウエートが低くなったことと関係があると思います。つまり、生産量はむしろ増加していますから、付加価値が下がっています。この点は鉄などを使った機械系とICを使った電気系を比べてみるとよく理解できます。

前者は目方でいくらの世界が残っていて付加価値は横ばいかやや減少しているだけです。ところが、後者の付加価値合計はかなりの勢いで逓減しています。例えば、パソコンの低価格化をイメージすると分かりやすいと思います。モノづくりでは儲からなくなったといわれる所以です。こうした製造業の付加価値の低下は、経済がグローバル化してコモディティ化するスピードも早まり競争が激化したことによると思います。

この他に、製造業は給料が低い、イメージが暗い、ダサい、真面目、油くさい、地味、技術屋重視などのイメージが先行している点も人気低下の一因かもしれません。

ところで、日本経済にとって製造業を抜きに明日を語ることはできません。金融は米国の戦略産業としてアメリカン・スタンド―ドが世界を支配していますから、銀行、生損保を含めて数社以外は世界で戦うことは困難ではないでしょうか?復活の余地があるとすれば、製造業だと思われます。

これから製造業が復活するには、グローバルな調達と生産アウトソーシングなどを含む低コストシステムの構築が不可欠です。この意味で大胆な全体システムの構築とその後の地道な改善が製造業に求められるのです。

日本の製造業で、世界の売上トップ500に入るのはせいぜい150社前後、連結売上でみて3,000億円台までだと思います(注)。asktakaの印象では、下位グループ企業は、まだかっての中小企業の体質が残っています。ましてやこれ以外のメーカーは、一部の先進企業を除いてかっての行動パターンから抜けきれていないのが現状だと思います。

日本の製造業が再び元気を取り戻し、世界市場で競争優位に立つのは、改革を成し遂げたトップグループとトップが変身を主導する企業群であると思います。asktakaは、製造業の戦略の再構築と迅速な実行に期待しています。


(注)

ちょっとデータは古いですが、94年までフォーチューン誌で“製造業世界のトップ500(93年実績)”を発表していました。連結売上ベースで日本企業134社がランク入りしていましたが、下から数えると日本セメント(合併し太平洋セメントに)、三菱レイヨン、ライオンの順で、いずれも連結売上が3,000億円前半でした。ちなみに日本企業のトップスリー(世界ランク5位)はトヨタ、日立(同6位)、松下電器(同8位)の順でした。なお世界のトップ3は、GM、フォード、エクソンの順です。



お知らせ:昨日の話題は「ロースクールとビジネススクール」でした。


2000年3月1日(水)

「ロースクールとビジネススクール」

国立大学がロースクールを設置するそうです。その背景は法曹人口が諸外国に比べて少なく、法曹育成のための教育体制の整備が求められているからです。例えば、人口10万人当りでみて、米国は352.5人、英国は158.3人ですが、日本ではわずか17.0人に過ぎません。

日本において法曹が少ないのは、ことを荒立てることを好まない民族性からくる需要面と法曹界自らが既得権を守るために希少性を求めて ていた供給面の、両面の問題があったはずです。

需要面に関しては、社会が複雑化しグロバール化するに従い訴訟や紛争が増加するであろうし、裁判の長さが象徴するように法曹の人手不足は否めません。であれば、法曹育成教育に的を絞ったロースクールの出現は遅すぎたくらいだと思います。

こうした法曹界の動きを見ると、asktakaにはビジネスの世界も同様な問題を抱えていると思えるのです。つまり、今後日本企業がボーダレスなマーケットで競争するには、経営のプロに対する需要が更に高まることは明らかだと思います。ところが、そうした経営のプロはどこで誰が育てるのでしょうか?人がいないのは法曹界(この業界はasktakaは不案内なので質ではなく量をさしています)や政界のみならず、経済界も同様なのです。

これまではOJTの名の下に、それぞれの会社のいわば我流のやり方で、よくいえば独創的なやり方で、自社でしか使い物にならない人間を育ててきたのです。そして、現業にどっぷり浸かった事業のプロが社内政治に精を出した結果トップとなり、あたかもマネジメントのプロのように日本企業を牛耳ってきたのです。こうした日本に対して米国や欧州では、経営のプロを養成する教育システムが確立しています。そうです。ビジネススクールなのです。

ところで、ここまで経営のプロという言葉を定義せずに使ってきましたが、一体経営のプロとはどんなイメージなのでしょうか?asktakaが考える経営のプロとはこのようなイメージです。つまり、“会社の問題点を客観的に把握することが出来て、かつ具体的な対策を講じるために、企業ビジョンから戦略、計画、実施に至る一連の流れをコントロールし、自分で意思決定できる知識と実行力を持っている人”ということになります。この“自分で意思決定”あるいは判断できるというところがポイントです。これが出来なければプロとはいえませんからね。

今後の経営には、シュムペーターのいう主観的独創性、つまり物まねではなく、真の創造力が求められます。というのはビジネスモデルの知的所有権が認められる機会が多くなり、独創的でなければビジネスチャンスが少なくなるからです。またリアルとバーチャル空間双方での市場競争が盛んになると、これまで以上に競争ポジションや戦略の重要性が増してきます。そして、こうした状況に対処するには、先人の歩んだ道を研究することが不可欠だと思うのです。

たびたび指摘しているように、これまで日本企業は理論や探求的姿勢に対して冷ややかでした。しかし、日本企業に経営のプロが育ち、根付いていくには、先ず学んだ人を尊重することが肝要です。

そのためには、社費でビジネススクールに派遣することばかりでなく、MBAを受け入れて最新のマネジメント理論を意思決定に生かしていく仕組みをつくることが不可欠です。経営トップが直ちにやるべきことは、そうした環境づくりにあると思いますが、いかがでしょうか?


[お知らせ:昨日の話題は「GE戦略の終焉」でした。]



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