2004年の航海日誌

2月21日(土)、晴れ、南の風6.5m/sec。ついに1月は一度も船を見にゆかなかった。寒いし、それなりに忙しかったのだ。このところ春一番も吹いたが、船は異常なし。カモメの糞をふき取る。マリーナ東の広大な駐車場には、ボーリング場、屋内テニス場、風呂屋ができるそうだ。どうも風呂ばやりのようだ。そのため多層の駐車場を建設中。

4月3日(土)、晴れ、南の風4.5m/sec。3月も風力発電解析モデル作りにいそがしく、風が強く、雨でついに1度も船を訪れず。モアリング・ロープの擦れ止めがずれていた以外異常なし。エンジンを1時間動かしてバッテリー・チャージ。多層の駐車場はほぼ完成。ラダーと船底の生物を取り除く。

4月28日(水)、晴れ、東の風7m/sec。昨日は日本海の低気圧に吹き込む風で台風のようであった。午前中もその風が残ったが、起きぬけに発生した逆さマツゲが取れず眼科のお世話になる。午後、アルコール燃料を薬局で購入して船につく。急に東の強風になり、レッドフラッグになる。空気の抜けたフェンダーに空気をいれ、予備のフェンダーを購入する。落水者のマーク用に投入する目的である。コーヒーを沸かして、買ってきたサイエンスのエレクトロルミネッセンスのディスプレーデバイスについての解説記事を読み出すが、目がまだ正常でないため昼寝に切り替える。

マリンショップで米国ユナイテッド・ソーラー社製のフレキシブルなソーラーセルを見つける。三層アモルファスシリコンを使ってスペクトル分割方式になっているという。キャンバス地の上にソーラーセルフィルムが乗っていて高分子保護膜でカバーされた造りになっている。夜間バッテリーからの逆流防止のブロッキングダイオードも作りこんであるという。32Wで72,000円である。周辺6箇所をロープで固定するようになっている。これなら浮ぶ別荘と化した船でPCを使うことも可能なのではないかと考えた。2個のバッテリーに充電するための6Aの逆流防止ユニットが5,500円、8-16Vの電圧計が6,200円である。これをセットにすれば自動操舵装置も安心して使える。ちなみに古いシャープのノートパソコンの消費電力は44Wである。ただ電圧は20Vである。VAIOは16V。これでどうするか調査してみよう。インバーターはロスが大きいので使いたくない。

4月30日(金)、晴れ、南南西の風、5-6m/sec。昨日まで日本海に居座った低気圧も東にぬけ高気圧の中心が四国沖に居座り、夏型の気圧配置になったので出かける。ゆっくり朝食をとり朝刊を読んだのでマリーナについたのは10:15。バース離岸したのが10:45。しばらく乗ってないので常用のライフジャケットがみつからない。港外にでてから自動操縦に切り替えて船内の収納場所をすべて開けてようやく見つける。

いい風が吹き、かつ連休中日で、船も少なく、観音崎まで一回のタックもなくまっしぐらにつきすすむ。フルセールには強すぎる風で30度以上のヒールだが、風が安定しているのでそのまま突っ走る。スプレーが飛ぶ。横須賀沖で海上保安庁の巡視艇が白波をけたてて追跡してきて、エンジンを止め、不届きなヤカラか観察している様子。時節柄、ご苦労さん。以前カメラを向けたらいつまでも付きまとわれた覚えがあるので無視。怪しいそぶりもないので残念そうに引き返してゆく。

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観音崎めがけてまっしぐら

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ころがり落ちそう

猿島も過ぎ、馬堀海岸が目前にせまってきたのでタック。ランニングの舵を自動操縦まかせで、異常事態発生。急に船首が風の方にふれてしまう。あわてて舵を手動にする。安定したので再度任せてみるがブローが来ると無理で同じ現象が再現される。三回目をトライしているとき、ワイルドジャイブに見舞われる。観念して帰りは帰港するまで自ら舵をとる。ランニングでは船速が早く、舵は重くなる。ブローがくると手で舵を一杯に切っても、船首は風の方を向いてしまう。ブームを大きく繰り出せばウェザーヘルムは少し楽になる。結論としてランニングでは自動操縦装置は無理ということになった。船速があがると舵板が振動する。おかげで貝がきれいにとれた。

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ボンボヤージュ旗に送られて

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猿島

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お隣に越してきたコーニッシグラバー 24

午後3時帰着。スプレーをかぶったジブセールを水洗し、風で干す。レストラン・ピアで生ビールとなぜかラーメンをとる。これがうまい。コーヒーを沸かしてジュリアン・ロイド・ウェーバーのチェロを聞く。

お隣に、購入を検討したロングキールボートのコーニッシグラバー 24が引っ越してきた。ロングキールボートなので出入港が大変で引越してきたのだろう。このクラシックな姿には魅了される。

明日は日本海に高気圧が張り出すので苦手の東北の風が吹くはず。家にいよう。メインシート上げ、ジブセールをコーヒーグラインダーでしめたのせところどころ筋肉痛がするのでちょうどよい。

5月21日(金)、晴れ、南の風、3m/sec。台風2号、沖合いを通過ご、暖かく汗ばむ季節となった。6月17日を中間検査の日と申請するための準備に船を訪問。船体識別番号(メーカーの国名ー製造業者の識別ー製造番号ー製造年月日から構成される国際協定に準拠した15桁のアルファベット混じりの番号)を調べる。いままで気がつかなかったが船尾トランサム部右上の本体に刻印してあった。検査手帳に記載の製造番号と同じこと確認。黒球に空気を入れてパンクの有無を点検。船灯を点灯して異常なきこと確認。工具点検異常なし。

救命胴衣格納場所と着用方法説明表示シートをマリンショップで購入。7月で有効期限が切れる信号紅炎の新品を購入すべく、ショップに予約。

5月22日(土曜日)、曇り、北の風、3.5m/sec。赤バケツとビルジポンプの操作ハンドルを探す。救命胴衣格納場所と着用方法説明表示シートをロッカー上に貼る。救命胴衣、救命浮環に船名と船籍港名を白スプレーペンキで描く。6月4日の小型船舶操縦士講習会申し込み準備として免状のコピー、所定サイズの写真の撮影。

5月25日(火曜日)、晴れ、南東の風、3m/sec。エバーフィールド氏所有のシエラザードにご招待を受ける。

6月4日(金曜日)、晴れ、南西の風、1m/sec。5年に1回の海技免許更新の身体検査と講習会に横浜海技専門学院に出向く。過去5年間の大きな変化は免許制度が沿岸5海里以内の沿岸免許と世界の果てまでゆける外洋免許の2段階に簡便化されたことだ。20トン以下の小型船に限定されていることは同じだが、米国などの圧力もあり、一人で操縦できる設備を持つ特認船に限定すれば、船のサイズに制限はなくなった。これも米国の圧力とのことだが、9/11以降のテロ対策として人工衛星とGPSを使うAIS (Automatic Identification System)の普及が次ぎの5年以内に実用化されるであろうとのこと。レーダーで見えない小型1船でもAIS 機器上にはその位置が表示される。

水上オートバイの衝突事故が多いのは、水上オートバイには舵も逆噴射装置もついていないため、陸のオートバイになれた人はパニック時、かえって危険に陥る。水上オートバイにはジェット噴流の噴出ノズルの方向を変える装置しかない。操縦者が衝突の危機を察知してパニックになるとついオートバイのクセがでて、反射的にスロットルを絞って、ハンドルを切ることになる。結果として60m直進して衝突するのだ。逆噴射装置も3人乗り以外は付いていない。このように水上オートバイは法的には合法であるが、人間工学的に欠陥商品のため、水上オートバイには近づかないのが賢明であるということがわかった。

6月14日(月曜日)、晴れ、はじめ南東の風、2m/sec、後、南西の風、3.5m/sec。梅雨も中休みとなり、日本全土が大陸の高気圧につつまれ、乾燥したすがすがしい日であった。エンジンは1発でかかることを確認。10:30から14:30までゆっくりと国会討論を聞きながら4時間のシングルハンドセーリングを楽しむ。横須賀の軍港前には2隻の暗灰色の小型軍艦が停泊している。いままで港外で見かけなかったのが、4月30日は1隻、今回は2隻になっていた。そのかわり、海上保安庁とどこかの勝手連の船も見当たらない。船尾に掲揚されている旗が旭日旗か星条旗か手持ちのオペラグラスでは確認できない。明らかに米軍艦とおぼしき船が入港してくると、このうちの1隻が出迎えに出動した。一種の護衛行動のようにも見えた。帰路東京方面より大型のフリゲート艦が2隻湾外にでて行ったが、これは明るい灰色に塗装されて、自衛艦のようであった。

シャワーを浴びて、生ビールとカツどんで本日を締めくくった。帰路ショップで向こう3年間有効の信号紅炎2個セットを購入。官定品のため5,000円もする。期限残1ヶ月とあわせ手持ち4個となる。自動車用の期限切れも入れて沢山ある。いつ遭難してもよさそうだ。これで、船検査の準備完了。

6月17日(木曜日)、晴れ、はじめ南東の風、3m/sec、後、南南東の風、4m/sec。船検合格。船外機は検査の対象になっていない。法改正にともなう新規登録もおこなったが、新しい登録番号はつくらず。船舶検査番号を船舶番号と呼びかえ、国際取り決めに従ってハルに刻印されたメーカー製造番号を船体識別番号として登録票に記載することにしたらしい。新しい番号を作らなかったことは役所としてはスマート。検査員は拓本の要領で製造番号を記録にとる。検査番号のステッカーの横に神奈川のステッカーを貼って完了。これで遠目にも登録済とわかる仕掛けとなっている。あと中間検査済ステッカーも貼れという。ヤレヤレ、ステッカーだらけだ。

7月3日(土曜日)、晴れ、南西の風、5m/sec。 ケロニア号の乗艇会に参加。

7月10日(土曜日)、晴れ、南南西の風、7m/sec。風が強いのでセーリングしないつもりで点検に出かける。うしろのもやいが緩んだ位で異常なし。ラダーと船底をブラシで掃除。中間検査後買っておいた日章旗を船尾のポールに掲揚してみる。ベルギー製のポールにぴったりである。多分、旗の大きさは国際標準で作ってあるのだろう。

船尾に掲揚した日章旗

コーヒーを沸かしてジェームス・ワトソンの「DNA」を読んでいたら、水路を通過中のヨットが風に吹き寄せられて、風下側に係留中のヨットの船外機に接触している。むりして出航しなかった判断が正しかったわけだ。

7月21日(水)、晴れのち曇り、東北の風、4m/sec。のち南の風。久しぶりに東北の風が吹いている。このような時シングルハンドで発桟の失敗を2回もして船体を傷つけている。バウが風下に流されるためとわかったので、昨年12月27日に考えたように風上にスターンが向くように舵をセット(ようするに西風の時と反対に)して押し出して、シミュレーション通り成功。500ccのボトルを持ちこんだだけで10時出航。

東北の風(50度)のため、観音岬方向(150度)に向かうとアビームの風となり、1回もタックせず、フルセールで適度のヒールで観音岬に到達する。漁船も貨物船も比較的少ない。ここまでくると観音岬と房総半島の緑のため、相模湾よりセーリングの楽しみが増すと感じた。岬を抜けようというとき、風が南に変わり、タックなしには風上に昇れなくなり、帰路につく。南の風も弱く、2時間では帰港できそうもないので、セールを下ろし、機走で帰る。飲料水が500ccでは不足し、船内にあった、500ccもすべて飲み干す。帰路すべて機走となったため、タンクに1/4しかなかったガソリンがほぼ空になる。予備のタンクを持っているが、代えずに走り続ける。もし港内でガス欠になったら、直ちにアンカーを投げて岸壁やテトラポットなどに接触せずに停船できるか自信なし。練習しておく必要がありそうだ。午後3時、生ビール中ジョッキで渇きを癒し、うな丼を食す。シャワーを浴びて、日焼け止めクリームを洗い流す。

19日の海の日にキティーホークが演習のため、出航してしまったので横須賀港は閑散としている。例のお節介な笹川の自称番犬が一隻寂しそうに見張りしているだけである。戦艦三笠の2本エントツが海側から遠望できた。エントツは見えても船体は波間に沈み見えない。艦砲射撃のための着弾距離を、ゆれる艦上に設置された当時の光学式の三角測量の原理をつかう測距儀(そっきょうぎ)でよくも測定できたものだと感心する。

ところで海の日にNHK-TVがキティーホークが訓練海域にむけ出航したと報道しているそのとき、目を転じて窓の外を見れば当のキティーホークが物見遊山かどうか江ノ島沖に停船しているではないか。キティーホークは秋の静かな日によく江ノ島にやってきてゆっくりと回頭して沖合いに去って行くのをいままで2回目撃している。しかし今回は休日のため、たちまち沢山の物見高いヨットに取り囲まれてしまい、へさきを江ノ島に向けたまま回頭すらできない状態に陥ってしまった。月曜日の海の日に特にヨットが多いということを知らなかった可能性はある。盛んに汽笛を鳴らすが、ヨット達ははまとわりついてはなれない。近くに停船している海上保安庁の巡視船も下手にうごけない。どうするものかと思っていると錨を投げ込み、南の風を利用して回頭してしまった。見事!。どけどけと汽笛は鳴らしっぱなしだったけれど。コペンハーゲンのニューハウンでみたシングルハンドセーラーが使ったとおなじスキルだ。バクダンを隠しもった自爆ヨットが接近したらヤバイなとおもったけれど、米海軍も意外に抜けたところがあって、愛嬌がある。

8月8日(日)、晴れのち曇り、南の風、6m/sec。自宅の風車が勢いよく回っていたので、強い風を覚悟して出かける。空になったガソリンタンクを予備のタンクに交換し、ラダーと船底のフジツボをこそげ落とす。ついでに前回ステムにつけたバースの当り跡をクリーナーでふき取る。

ガソリン補給量は14.8リッターだった。久しぶりの補給のため、パスワードすら忘れるしまつ。ワンポイントリーフで約1時間セーリングして帰り、ビジターズバースに横付けしてPier-1で生ビールとウナギ弁当で昼食。昨日もバイクでわざわざ三島 の「うなよし」までウナギを食べに出かけたのだが、夏はなぜかウナギがうまい。Pier-1はBGMに好きなブルース・スプリングティーンの曲をかけてくれるのでありがたい。

ビジターズバースに横付けしたまま 酔い覚ましに懸案事項を片付ける。まずアンカーをはじめて海底まで沈める。重くて腰痛には難儀な作業だ。次に水タンクのフラッシングをする。前にもやった失敗を繰り返す。シンクに蓋をしていたたので、蛇口から出た水がキッチン周りであふれ、バラス トボルトにまで流れ込む。モップでふき取り、乾燥。一段落してコーヒーを沸かして眠気をさます。

隣にPow Wow号が横付けして本日の釣果の112kgのクロカワカジキを持ち帰った。「老人と海」のもう一匹の主人公だ。これですっかり目がさめる。シャンパンを噴水のようにして頭からかぶり、祝っている。もう1隻も同様の獲物を持ち帰った。カジキの ビル( ツノ)は触ると鋭利でこれにさされたら助かりそうもない。ウロコなど見えなく、表面はすべすべしているように見えるが、尻尾から頭に向かって指を動かすと剃刀の刃のようなウロコが指を切るという。 尻尾の付け根、ちょうどロープがかかっているところに航空機の主翼の端につけるウィングレットのような小さな突起が2枚ついている。背骨の突起かなにかだったのだろうが、泳ぎにプラスになるので発達したのだろう。それにしてもその形はウィングレットそっくりだ。航空機の設計者がこの形を真似したのか、必然でそうなったのか興味のあるところ。航空機の設計者はウィングレットを最も効果的なところ、すなわち翼端に付けているが、カジキは残念ながらそのようなことはできない。進化の枝分かれで後戻りはできないからだ。

そういえば、7月初旬から黒潮が北上し、遠州灘から大島に向かって流れているため、大島、下田でカジキの釣果が期待できるとの予告がハーバーマスターから出ていた。 カジキはビルフィッシュまたはブルーマーリンといわれ、トローリングの究極の目的魚である。ハワイ、グアム、ケアンズなどがゲームフィッシングで知られているが日本近海もゲームフィッシングが可能で2000年6月3日に日本の佐久間文子という女性アングラーが 三宅島沖で428kgのクロカジキを5時間半かけて釣り上げ、女性世界記録を書き換えている。

釣り上げる他にもタグ・アンド・リリースといって背中にタグを打ち込み、ビルをつかんでフックをはずし、ルアーを回収したのち、ビルをつかんだまま船を微速前進させてカジキのエラに水を通し、カジキを蘇生させてからリリースする。タグについていたハガキは米国のTBF (The Billfish Foundation)に送る。

Pow Wow号の成果、112kgのクロカワカジキ

8月13日(金)、晴れ、南の風、6m/sec。自宅を出る時は無風であったが、マリーナでは南の風が吹いていた。出港するつもりであったが、もやい綱の摺れ止めのプラスチックホースの可塑剤が連日の炎天下であぶり出され船を汚している。これをなんとかすることにした。ショップでファブリック製の摺れ止めがあることを知り、これを3メートル購入。 スイスアーミーナイフで適当な長さに切り、アルコールストーブで切断面を熔解固定。これをいかれたプラスチックホースと交換し、船体の汚れをアセトンでふき取る。ついでにドジャーの天蓋上面にも可塑剤が滲みだしてベトベトしているのでこれもアセトンでふき取ると新品同様のピカピカ の天蓋になった。メーカーラベルはふき取ると全て消えてしまう。

以上の作業に2時間を費やしたため、出航はあきらめ、船底の貝殻落としを継続。遅い昼食をピアー1で摂り、シャワーを浴びて帰る。

8月16日(月)、晴れ、東の風、3.5m/sec。ベテランセーラーのエバーフィールド氏をゲストとしてROCA号で2時間セーリング。お盆休みで海は閑散としている。ビジターズ・バースにとめ、ピアー1で生ビールとカレーライスの昼食。アセトンでクリーニングしたドジャーが輝いている。

ヘルムをとるエバーフィールド氏

ビジターズバースで

9月6日(月)、晴れ、南の風、5m/sec。蓼科に滞在中に台風17号が日本列島を縦断し、またまた気圧940ヘクトパスカルの台風18号が同じコースをたどり、台風19号もうかがっているため、係留ロープ点検に午後でかける。へさきがバースフェンダーに触れた跡が見えたのでロープを締め直し、ファーリングジブセールもしっかり固定した。作業後、コーヒーを立てて、ニューズウィークを読む。

9月12日(日)、晴れ、無風。エバーフィールド氏のシエラザード号回航を手伝う。

9月17日(金)、曇り、南南西の風、3-5m/secで不安定。台風19号以降、初めての船の点検に出かける。8月13日アセトン洗浄したドジャーが黄変した以外、異常なし。風が適当と感じ、12:00より2時間程セーリング。金沢沖に帆の影なし。東京ガス/東京電力の 根岸LNG基地とエネオスの根岸の石油精製工場を1984年のベガ以降 、初めて海から視察。LNG基地は日本の第一号基地だが増設した地中式タンク以外はグリーンウッド氏が設計した当時の姿を維持していた。ここに採用してもらった逆ポドビルニアクサイクルを採用したLNG冷熱 利用発電装置はいまでも稼動しているはずだ。エネオスの石油精製工場は海から見るとタンクが少なく見える。根岸台界隈の海に臨む坂上には林立する高層マンションが増えた。まるで九龍城のようだ。

帰港して船底の貝殻を掻き落とす。

9月23日(木)、薄曇り、東北の風、5.5m/secで安定。久保野氏と東谷仁氏をゲストクルーに迎え、11:00出航。観音崎に向かいアビームでセ−リング。横須賀沖で反転、13:00帰港。ピアー1で生ビールと昼食。シャワーを浴びて帰る。

横須賀沖にはおなじみの情報提供船の他にはじめてみる船が停泊していた。数百トンの戦車を吊れそうな巨大クレーン4基搭載、横 には日本のフェリーや自動車運搬船がもっているような車両の出入り口がある。船尾には もっと大きなゲートがあり舟艇を直接海に放出したりバージに車両を移す大型シューターを繰り出せるようになっている。また数百人の兵員を収容できそうな客船のような船室はデッキの1/3を占めている。最近米国が力を入れている事前集積艦のようだ。ハルは黒色に塗り、船名の表示もない。5万トン位のおおきさかなと思ったが果たしてインターネットで米軍関係を調べてみるとフレッド・W・ストッカム号 (T-ak3017)という英領ディエゴガルシア島の米海軍基地を拠点とする第2事前集積艦隊所属の54,298トンの船だった。

ヘルムをとる東谷氏

おそろいのTシャツ

10月1日(金)、晴、東南の風、4m/secで安定。エバーフィールド氏が湘南港に置いてディンギーでセーリング。

10月8日(金)、小雨、北北西の風、3.5m/sec。フローティング・ボート・ショー展示後の船の状態チェックと台風22号接近準備のために雨の中、出かける。ハルはバフがけしたそうで美肌になっている。エンジン整備もしたが、雨のためチェックせず。ファーリングジブの収納ロープが新しくなっていた。台風時に展帆しないとうにとの配慮か?モアリングロープも展示用に使ったものか2本増えていた。予備の1本も使い、台風用に総数9本のもやいをとる。今回は伊豆を狙う最悪のコースのため用心した。

10月11日(月)、朝小雨のち曇り、東の風、1.5m/sec。台風22号はベイサイドマリーナの少し南を通過し、近くの駐車場のCOOPのデリバリートラック20台を横倒しにして去ったという記事を読み、マリーナに点検に出かける。外見に傷なし。しかし船内東側の棚に収納してあるコーヒーカップが床に散乱しており、東側のフェンダーが3個ともデッキ上に横になっていた。また東側のロープが緩んでいた。非常に強い東風が吹いたことがわかる。いままでセーリング中30度傾いてもコーヒーマッグが落ちることはなかった。従ってそれ以上傾いたことにな る。ぶら下がっているフェンダーが舷側を吹き上がり、デッキの上で横になったことも合点がゆく。隣のモーターボート所有者から、ジブが開いてしまい、ディスマストした艇があったというウワサを聞いた。

ビルジが少々溜まっていたが淡水である。フローティング・ボートショーでドジャーをはずしている時、雨になったというのでその時吹き込んだ雨水なのか、今回の台風下で隙間から吹きこんだ雨水なのかは不明。

10月15日(金)、晴れ、北北西の風、8m/sec。貸したジープを回収に白金台に出かけたついでに、トビーを連れて、山手通り→湾岸道路→ベイブリッジ経由ベイサイドマリーナにゆく。山手通り→湾岸道路は始めてである。ベイブリッジからは富士山がよく見えた。エンジンをかけ、空になったガソリンタンクを交換し、出航準備するも、風が強くなり、イエローフラッグになる。出航を断念して帰る。エンジン整備を依頼したところ、まだ請求書を見ていないが、冷却水ポンプと アノードを交換したらしく、外された部品がバッテリーボックス内にあるのを発見。ポンプのインペラーはゴム製を使っている。いずれもまだ使えそうだが、安心料というところか? ウォーターポンプリペアキット部品番号は68T-W0078-00。

交換した冷却水ポンプインペラとアノード

後日郵送された費用明細によると

項目
オイル交換人件費 19,500
ロアユニット脱着、海水ポンプ分秋、インペラ交換人件費 12,000
ウォーターポンプリペアキット 3,785
アノード 560
エンジンオイル 1,200
ギアオイル 450

オイル交換人件費が不当に高い。今回はやむをえないが、今後は上架するたびに自分で行うべきだろう。

10月16日(土)、曇、北東の風、3m/sec。昨日、ジブシートを外して帰った。台風の時、ジブセールが展帆してマストが折れないようにとの配慮だが、夜中に良く考えてみるとマストは折れないが、ジブセールがほどけて旗のようにたなびきぼろぼろになる恐れはあると気がついた。気が気ではなくなり、朝5時には眼がさめてしまった。午後、北鎌倉の東慶寺に座禅を組みに行くが、待てないと久しぶりでジープででかける。昨日発見した横浜環状号線から田谷の交差点に抜ける新設の道路を逆行した。幸いジブは何事もなく巻きついていた。他の船はどうしているかと見ればほとんどはジブシートを何回も巻きつけている。なかにはジブジートを外しているのもあった。同じ考えだと思うが。どんなものであろうか?

10月29日(金)、曇、北東の風、4.2m/sec。台風23号が20日、東京を西から東に通過後始めて船をチェックにでかける。内外、異常なし。念のため、ジブファーラー・ロープを一杯に引いた時、ジブシートが2回転分巻きつくようにセットアップしなおす。6月に受領したままになっていた中間検査標を検査後始めて左舷の所定の位置に張る。

11月22日(月)、晴、北の風、3m/sec。このところシエラザードに入れあげて、ROCAをかえりみてない。久しぶりで点検に出かける。異常なし。ロープをクロスしてあるところが擦れていたので雑巾でプロテクト。次期携帯にと検討中のF505iGPSを借りてテストする。正確にROCAの位置を表示した。

シエラザードのエンジン部品のハンドキャリーをするためにマリーナ近くのヤンマー東日本を訪問。かってリバースティールの場所を借りてイラク向けのスキッドマウントのガス処理プラントを製作した時、訪れたことがある場所であった。隣は巨大な佐川急便の仕分け施設がある。連絡がないのでスターバックスでサンドイッチとラテを飲みながら約1時間、ニクソン元大統領の補佐官だったハルデマンの弁明書 、「権力の終焉」を読む。

12月6日(月)、晴、北の風、6m/sec。一昨日40m/secを越える風が急に吹き出し、寄棟屋根の雨押さえが風で少し浮き上がって修理を必要とするようになった。昨日も一日強い南風が吹きつづけた。今日になりようやく風もおさまったので風が運んだゴミを集め、家を水洗いした後、船の点検にでかける。1隻シブセールが破れた艇もあったが、何事もなし。ハッチを開け、風を通しながらコーヒーを沸かして、「継体王朝の謎」を読む。帰路藤沢のレコードショップに立ち寄りマタチッチ指揮のN響ブルックナー交響曲8番のライブ録音のCD(Denon COCO78551)を探すが在庫無し。注文するが、製造中止の場合もあるという。藤沢から自宅まで片瀬山越えで徒歩帰る。途中菊池夫人が経営する輸入小物のお店J-Mariを見つけるが月曜日は定休日であった。

12月15日(水)、雨、北の風、4m/sec。注文しておいたバウフェンダーが船に届けられたので確認に出向く。なかなかしっかりしたもので使えそうだ。その他異常なし。

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