コペンハーゲン市

スキポール空港からコペンハーゲンまでは約1時間のフライトだ。着陸直前に海の中に半円状に円弧を描いて大型風力発電機が20台並んで林立しているのが見える。最近はドイツの躍進が大きいが、デンマークには大型風力発電機メーカーがあり、日本にも大量輸出しているのだ。1991年にビジネスでここを訪れたときにはなかったのでその後建設されたのだろう。日本で海岸線にそって風車を建設する提案をする人がいるが、ここを見て言っているのだ理解した。

鉄道をさがしてコペンハーゲン中央駅に難なく到着。鉄道システムはオランダとほぼ同じ。ホームばかりでなく、駅舎の天井も木製のカマボコ屋根で覆われている。オランダもそうであったが、意外にタバコをふかす人が多い。それも女の方が多いといっていいくらいだ。日本のように米国の方を向いていないためなのだろうか?

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コペンハーゲン中央駅

到着したホームの隣には煙をモクモクと上げる蒸気機関車が止まっていてビックリ。ヘルシンゴーまでの特別列車らしく、記念乗車希望者が切符を買い求めている。

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蒸気機関車

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機関士室

予約したホテルは希望通り、中央駅のすぐ裏手にあった。かっては赤線地帯だったそうであるが、今はホテル街になっている。ちょうど丸の内ホテルといった雰囲気。むろん丸の内ホテルのほうがずっとレベルは高い。

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市庁舎前広場

チェックイン後、中央駅を横断して反対側のチボリ公園に出かけるが、9月末以後はクリスマスまで閉園とのこと。いま世界にある全ての遊園地のモデルとなった元祖チボリ公園はついに訪れるチャンスはなかった。やむを得ず市庁舎前にでて、ストロイエ通りをガンメル広場まで散策する。ストロイエ通りは世界ではじめて歩行者天国を始めたところだそうだ。ストロイエ通りでバイキングレッドの灯台のモデルを買う。聖母教会ではまたまた結婚式に出会う。

デンマーク人もオランダ人のように自転車愛好者であるが、オランダ人はほぼ99%自国産のブレーキを後輪のハブの中に仕込んだ独特の自転車を使っているのに対し、ここの人は米国式のマウンテンバイクを使っている。多段ギヤは無論シマノだ。オランダもデンマークも製鉄業を持たないので自国産の自動車はない。オランダの自動車はほぼすべてドイツ製であるが、ここデンマークには日本車も結構使われている。デンマーク人は英国にあこがれる風潮があるみたいで、コンゲンス・ニュ広場に面するコペンハーゲン最高級のホテルの名はずばりホテル・ダングラテール(Hotel D'Angleteterre)である。

ここでは街のそこここにある屋台(キオスク)でソーセージを売っている。これを試食してみたら、絶品であった。

コペンハーゲン第二日目はパレスホテル前から2時間半かけて市内ツァーバスにのって、旧証券取引所、国会となっているクリスチャンボー宮殿、ニューハウン、女王の居城となっているアマリエンボー宮殿などをまわる。ちょうど正午に行なわれる衛兵の交代を見物する。たまたま今回の滞在期間中、デンマークのプリンスはスコットランド系のオーストラリア人のとてもステキな女性と婚約された。

デンマークが立憲君主国になったのは、1849年に、時の絶対君主が、貴族が所有していた土地を実際に耕作している農民に開放し、憲法を公布してからとガイドが説明していた。土地開放記念碑が中央駅前に建っている。

ナチドイツから開放してくれた英国・米国には感謝の気持ちを持っていてチャーチルの銅像とルーズベルトの胸像が公園に設置されている。ここも中国人の団体観光客が多い。

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アマリエンボー宮殿の衛兵の交代

次ぎに人魚姫の訪問となるのだが、この9月11日になにものかによって爆破され海の中におちて顔に引っかき傷がついてしまって今修理中とのこと。台石だけみて帰る。1977年、ビジネスでコペンハーゲンを訪問したときその像は見ている。

対岸にはシドニーのオペラハウスを設計したヨーン・ウッソン設計のオペラハウスが建設中だった。1977年にはここは造船所があったのだ。平凡な四角の巨大な建物であった。はるか会場には海中に設置した風車群が見えた。

最後は1913年頃前期量子論を開拓した、ニールス・ボーアが在籍したコペンハーゲン大学と聖母教会の見学だ。ボーアの胸像が広場にある。パレスホテル前でバスを降りたのち、バスで見かけて気に入ったニューハウンに行く。

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ニューハウン界隈

水辺を散策しているとき、大きなヨットをシングルハンドで折からの北西の風を上手く利用して狭い運河のなかで方向転換し、出港して行くスキッパーの練達の腕をほれぼれと見とれる。

水辺の散策後、スキッパーコーンでビールとお茶にする。(Restaurant Serial No.222)周りは黄色のユニフォームを着た船仲間が大勢、ビールを楽しみながら大騒ぎしている。英国人が一般に人前では静かにふるまうのになれた目にはオランダ人も含め、北欧の人々が人前をはばからず日本人のように大声で話すのは奇異な感じもするが、親しみを覚える。

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スキッパーコーンで

ローゼンボー宮殿と公園は午後4時以降は閉門のため、これでコペンハーゲン観光は終了とする。滞在中、イングリットバーグマンのような北欧美人と会えないかと期待したが、残念ながらみつからなかった。オランダもそうで、美人は多くはないのだと納得がいった。

デンマーク滞在の残り2日はヘルシンゴー市とロスキル市を訪れてすごした。コペンハーゲン最後の夜は中央駅構内にあるレストラン、ビストロで夕食をとる。(Restaurant Serial No.221)

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2003/10/10

Rev. July 21, 2009


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