杉本寺

杉本寺の杉本観音は鎌倉時代に制定された坂東三十三ヶ所観音霊場の1番札所であり、大正・昭和初期に制定された鎌倉三十三ヶ所観音霊場の1番札所でもある。

杉本寺 はかなりきつい石段を登る。藤原不比等の娘にして聖武天皇の皇后の光明皇后が天平6年(734年)に僧行基に命じてお堂を建立したという。そして行基が自ら刻んだ十一面観音を安置してという。日向薬師も行基の開山だった。851年に僧円仁(慈覚大師)が参籠して十一面観音を刻み安置。985年に僧源信(恵心僧都)が花山(かざん)法王の命にて十一面観音像を刻み、杉本寺に納めて坂東第一の札所と定め、法王自ら巡礼したため貴賎の別なく普及したという縁起が残っている。花山法王は藤原一族にたった2年の在位期間で天皇を降ろされた人で西国三十三ヶ所観音霊場の再興の祖といわれる平安時代の人である。鎌倉幕府もなかった時代である。

此処を初めて訪問したのは2005年12月5日の
秋晴れの下での坂東巡礼予備調査の時である。白色のノボリが多数並んでいるのはチョッと下品と感じたものである。

2006/5の坂東巡礼で2度目の訪問したときは、あわただしく、お堂にも上がらなかった。

2015/1/19に鎌倉33巡りで3 度目の訪問をしたとき、初めて本堂にはじめて登り、頼朝が寄進した運慶作といわれる前立本尊の後ろの内陣にある秘仏本尊三尊同殿を初めて拝んだ。一番左に 行基作と言われる像(覆面・下馬観音)、真ん中に円仁の刻んだ像(重文)、右に恵心僧都作の像が薄明りのなかにあった。
ライシャワーの円仁の日誌を読んだあと、川越の喜多院で円仁の足跡を見たが、鎌倉にも円仁の足跡があったとはと特別の感慨があった。

吾妻鏡によれば、隣家から火災が出たとき、本尊が大杉の下に火を避けたので、杉本観音といわれるようになったという。頼朝公が火災後 の本堂再興と前立の十一面観音を寄進したという。その後、不信心者が寺の前を下馬しないで通るとバチが当たって落馬したことから一時、下馬観音ともいわれ たが、建長寺の開山大覚禅師が行基菩薩御作の慈眼を袈裟で覆ってから落馬などの利罪も止んだので覆面観音といわれるようになり、秘仏となったと縁起に書い てある。

杉本寺本堂

@が杉本寺

December 6, 2005

Rev. January 19, 2015


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