川越

萩和会の有志は2013年4月22日に第1回として上野寛永寺界隈を 散策したが、第3回歩こう会の行事として2014年4月11日(金)、川越に繰り出した。川越は江戸時代の日本橋界隈の街並みをよく保存しているので小江 戸と呼ばれる。その理由は1638年の川越大火で街が全焼したのち、江戸の大工を呼んで当時の耐火建築様式で復興したからである。

10:15東武東上線川越駅改札口集合で12名集まった。全行程歩きとして右回りに歩き出す。まず光西寺の前に達する。立派な門があるがパス。隣のかわいい鐘楼付きの門をくぐって中院(なかいん)に入る。中院の正面には無量壽という扁額がかかっている。



中院(なかいん) 藤間氏撮影

中院は830年に、円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺仏地院と号した由緒ある寺である。無量寿寺には仏蔵院(北院=喜多院)、仏 地院(中院)、多聞院(南院)が存在し、後伏見天皇が尊海僧正に命じ関東天台宗の本山とした。慈眼大師天海大僧正が喜多院(北院)の住職となるまでは、中院が無量 寿寺の中心的な役割を果たした。仙波東照宮建立の際に中院は移動した。

ここでハタと友人Tが最近読んで面白いといったエドウィン・O・ライシャワー著の「円仁唐代中国への旅」に思い至る。マルコポーロの「東方見聞録」、玄弉 三蔵の「西遊記」とともに、世界三大旅行記の一つ『入唐求法巡礼 行記』を生き生きと描写し、歴史的意義と価値を論じるライシャワ-の名著であるというのでこれから手に入れて読もうとおもっていたところだ。 円仁は入唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵 運・円珍・宗叡)の一人である。下野国の豪族・壬生氏の出身。この他別所の北向き観音、松島の瑞巌寺、山形市の立石寺、岩手県平泉町の中尊寺、毛越寺、秋田県象潟町の蚶満寺、青森県恐山の円通寺など沢山の開山とされる。

中院の北側の小高い地に家康を祀った仙波東照宮がある。日光・久能山と並ぶ日本三大東照宮の1つというがかなりさびれている。



仙波東照宮


東照宮の北に隣接していよいよ円仁ゆかりの喜多院(川越大師とも呼ばれる)がある。本堂の慈恵堂といい庫裏・事務所はいずれも豪壮な建物である。1638年の川越大火で山門と経蔵以外の伽藍を焼失する が、翌年、徳川家光の命で、江戸城紅葉山御殿の一部を移築したものだそうだ。そういうわけで畳敷きの雪隠や春日局の化粧部屋などがのこる。

紅葉山御殿の移設のために川越の丘陵を取り巻く新河岸川が整備されたという。水位を維持するためにロックは使わず蛇行させて流れを緩やかにする方法を採用 した。明治以降洪水防止のために河川は再びまっすぐに付け替えられた。地形をみるとこの新河岸川の外側に同心円状に入間川が流れている。



慈恵堂 藤間氏撮影

境内にある五百羅漢はなかなかのものである。


五百羅漢

更に北上して川越城本丸御殿に向かう。川越城は1457年に、この地方を治めていた扇谷上杉持朝(もちとも)の 命により、家臣の太田道真・道灌親子が築いたといわれている。その後は小田原の北条氏に攻め落とされる。秀吉の関東攻めで前田利家に降伏。江戸時代には江 戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主となっていた。現存する建物は1848年に建てられたもので、本丸御殿の一部として玄関・大広間・家 老詰所が残っている。

川越城に取り込まれた三芳野神社の境内で持参した弁当で昼食。童歌「通りゃんせ」はこの神社の参道が舞台といわれる。川越城築城以前から当地にあったが、太田道真・太田道灌父子による川越城築城により城内の天神曲輪に位置することになったという。

太田道灌といえば江戸城も造た人だ。越生(おごせ)の地を通過するとき道灌の山吹の故事を聞いたが、この界隈の出身のようだ。 英国から帰って「吾輩は猫である」を書いた漱石の千駄木の借家の東側には太田邸の広大な屋敷跡があった。太田家は太田道灌の子孫で家康の側室お梶(かじ)の 方(英勝院)をだした家でもある。

本丸御殿の家老詰所の縁側で日向ぼっこをしながら休息後、本丸御殿玄関の唐破風で記念撮影。



本丸御殿にて  三浦氏撮影


本丸御殿は小高い丘で東側の新河岸川は一段低くなっている。蔵つくりの街にむかうため西に向かう。途中川越城の中ノ門堀跡を見る。



中ノ門堀跡

まず菓子屋横丁に立ち寄る。駄菓子屋が軒をつらねているこの横丁の西側は新河岸川があり一段低くなっている。蔵づくりの町に戻って南下開始。

蔵造り資料館はパスして「時の鐘」に向かう。1627〜1634年の間に川越城主酒井忠勝が、建てたものが最初といわれている。 16mの塔をくぐると奥に薬師神社がある。


時の鐘

川越の蔵屋敷は漆喰の上に黒く塗ってある。これは「江戸黒」と呼ばれ、武士に遠慮して町人は黒にしたという。土蔵の観音開きの扉は防火用で普段は開けっ放し。火事の時だけ閉じた。そのため鉄格子がはまっている。

あとは見るべきものはない。くらづくり本舗をみつけて「くらづくり最中」を土産に買う。カフェに入って休む。午后4:00開店の「花の舞」で飲んで帰る。

April 13, 2014

Rev. June 20, 2015


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