読書録

シリアル番号 1189

書名

円仁 唐代中国への旅 「入唐求法巡礼行記」の研究

著者

エドウィン・O・ライシャワー

出版社

講談社

ジャンル

紀行文

発行日

1999/6/10第1刷

購入日

2014/04/18

評価



原題:Ennin's Travels in T'ang China by Edwin O. Reichauer 1955

鎌倉図書館蔵

友人Tが古田史学にのめり込んでいるうちに本著にたどり着き、はまったという。そしてついに円仁が行った五台山から長安への巡礼をロードムービーにしたい と言い出した。なにせ映画作りが彼の本職だ。日中が近代の歴史問題でぎくしゃくしているから本質的には有意義だと思うがどうだろう。しかし映画は大勢の人がわ ざわざでかけて見たいと思わねば成立しない。石原慎太郎 の国粋主義的言動に発して日中韓がきしんで居る時機なので、実現は困難を極めるだろうが、中国側にとっては歓迎する企画かもしれない。などと考えながら鎌倉図書館か ら借りてきて読み始めた。先日川越の喜多院を散策したが円仁(慈覚大師)の創立だと知った。同じように別所の北向き観音とか善光寺もそうだと。円仁はまた851年には鎌倉の杉本寺に参籠して十一面観音を刻んで安置している。

円仁の「入唐求法巡礼行記」はマルコポーロの「東方見聞録」や三蔵法師の「西遊記」とともに世界三大旅行記と言われるのだそうだが、漢語で書かれているためか、日本ではあまり知られていない。ライシャワーは漢語でよみ英語でこの本を書いた。

とにかく詳細を極めた旅行記の解説書だ。500ページある。まず遣唐使の船を建造するところから始まるがその資金は八溝山(1,022m)にかってあった金山の金を当てたという。坂東巡礼時にこの山に登ったとき司馬遼太郎の街道をゆくシリーズ33でそのことを知った。

この本を読んでいる時、韓国のフェリーの転覆沈没事故で二百数十人の就学旅行生が犠牲になった。日本の造船業が韓国に移転して盛況の様だが、いまだ船の運用 を安全に行う海運業は未熟のようだ。ところがこの本を読むと、朝鮮人の船員が水先案内として乗り組まなかった遣唐使船は全て遭難している。そのくらい当時の朝鮮人は海洋民族だった。海と 戦争に強い倭寇の時代は戦国時代まで待つことになる。

1/3読んでもまだ海の上で苦労している。円仁は天台山に行きたかったが許可が下りない。五台山ならOKというjことで山東半島の新羅系の寺院から西に向 かって出発。ところが途中トノサマバッタの大発生で人々が飢餓に苦しんでいる地域を通る。ここらへんはパール・バックの「大地」に描かれた相変異を起こすバッタの大 量発生のようだ。相変異の原因物質は、ホルモンの一種で、11種類のアミノ酸からなるコラゾニン (H-corazonin) というポリペプチドである。というわけでなかなか五台山にたどり着かない。その後50日かけて長安まで巡礼し、今も西安にある青龍寺な どで9年間学ぶとの案内だが、ようやく山東省の新羅系の寺院を出発して、黄河を渡ったと思ったら五台山につき、あっという間に再び黄河を渡ったとおもった ら長安についてしまった。

それでようやく分かったのだが、円仁の旅行記をだらだらと解説する手はとらず、まず巡礼の経路を説明し、次に行政、宗教、住民、旅費・滞在費の出所を項 目毎に解説するというスタイルをとっていることが分かった。丁度半分読んで、唐時代は仏教は完全に行政に支配されていること、日本やヨーロッパのように宗 派は大して意識されず、仏教は一つのものと理解されていることが分かる。それも国家宗教になっているからのようだ。それでも禅宗は自由闊達であると円仁は 感ずる。だから西洋人に受けがいいのだろう。鎌倉武士が好んだのもうなずける。

仏教は唐時代に国家の保護で全盛時代を迎えていたが、円仁が滞在した時代に衰退し始めていた。9年の滞在の最後には武宗の弾圧で追い出されて帰国するはめにな る。武宗は始めは仏教に帰依していたが、次第に道教に傾斜したためと当時の寺院は荘園の大規模保有者でありながら無税とされ、銅の不足に起因する銅銭不足を引き起こしていたため、儒教の影響下にある学者官僚は主として経済上の理由で仏教の弊害を説いていた。「会昌の廃 仏」と称される廃仏令を出している。気まぐれな独裁者の弊害である。

宦官は仏教を支持し、学者官僚と対立していた様が描写されている。武宗は宦官に支持されて皇帝になったが、権力を握るとすぐ学者官僚を引き立て、宦官を遠ざけた。円仁は政治記者の才能も持っていたらしく中国の正史には書かれなかった権力闘争の裏事情を記録している。

学者官僚は仏教など迷信だと蔑んでいた。韓愈(はんゆ)の「論仏骨表」という抗議文は有名。結局道教に帰依した武宗が不老不死の薬と信じて服用した薬の中毒で死ぬまで仏教弾圧が継続されたのである。

当時は朝鮮人は張宝高という貿易商人の配下が中心となって中国と朝鮮の貿易を一手に引き受け、中国内陸にも貿易網を敷き、南中国にたってくるアラビア商人 とも交易していたようだとライシャワーは推 測する。そもそも長安に位置は西域との内陸の交易路の出発点で、唐以降の中国はこの交易で繁栄するのである。円仁の帰路はこれら朝鮮の商船を雇って山東半 島 の突端から出向し、仁川沖で南に転身し、済州島沖からあっという間に博多に帰るのである。その航路はこの本を読んでいる間に起こった韓国フェリーがとった 航路に重なるのである。張宝高が野心をもって王室と縁戚関係をむすぼうとして暗殺され、朝鮮の海上貿易はその後、衰えるのである。おかしなことだが、円仁 を運んだ朝鮮船は日本の記録では中国船とされ、乗組員も中国人とされているのである。当時は中国人は船などで外洋には乗り出さなかったのである。メンツに こだわったためか不明だがおかしなものである。日本の公式記録には当時から公的ウソがみられるのである。

感想は「儒教国家は昔も今も洋の東西に係わらずいまとほとんど変わりない、ほとんどなにも変わっていない」だ。唐以降、宋、元、明、清と王朝は交代したが元、清の征服王朝でも儒教を学んだ官僚支配のため、ただ複写増殖しただけで社会の進化はなかった。

おかげで中国の都市と道路・水路網にくわしくなった。現在も基本は同じ。

ところで円仁は学問的には貴重な記録を残したが、日本ではなぜか知られていない。五台山への観光旅行パックがあるか調べたが、15万円で五台山に立ち寄るパックはある。しかし円仁のコースをたどるものではない。

日本の坊主はサンスクリットも知らずに漢字を読み下しているだけで、これは哲学の欠落した単純な儀式宗教だと思っていたが、「梵語千字文」をもちかえり、弟子も悉曇蔵などの辞書も編纂してているので本質は理解してていたようだ。その後の後輩たちが堕落したのだろう。

本書の巻頭言に中村元が出てくるのも驚いた。

ライシャワーのお父様は東京女子大の創立者だ。ならば知っているだろうと女房に聞くと、あれがライシャワー館というものだ位の認識がないという。そこで東大名誉教授の奥様に聞くと同じ認識だという。しかし俄然興味を持ってこの本を買い求めようという。


Rev. January 20, 2015


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