ノースウエスト・アース・フォーラム

西沢農場の枝豆取り

2007年8月23日、西沢さん、三ツ井さん共催の「西沢農場の枝豆取りと有機農業に関する フォーラム」が鍋倉高原で開催された。グリーンウッド氏は北国街道・修那羅峠・木島平 ・鍋倉高原周遊ドライブを兼ねてこれに参加。

鍋倉高原森の家のターミナルハウスの大広間で夕食を摂りながら開催された。(Hotel Serial No.354)西沢さんはこれを北高OB+西高OG+地元を意味する「ノースウエスト・アース・フォーラム」と呼ぶことを提案した。

鍋倉高原森の家のターミナルハウス前に全員集合 (西沢重篤氏撮影)

地元参加者は飯山市役所の山崎夫妻、高橋さん、米作農家代表北川さん、野菜農家代表江口さん、有機食供給業者の坪根さん。

西高OGの参加者は東京から一戸、進藤、大沢、小野、小堀、武井、内藤、永山、長谷川、長野から横川、三ツ井さんの各位であった。

北高OBの参加者は、東京から西沢、池田、田原、土屋(敬)、青木、名古屋から畑中、小出三代、長野から北沢(栄)、佐々木(悦)の各位であった。

このうち内藤・永山・土屋(敬)はグリーンウッド氏と同じ今は無き川端中学出身であった。

 

西沢さんの基調講演

テーマは「有機農業が人類を救う 〜生命脳業の時代〜」である。講演主旨は

1)食は人を良くすると書く

2)今の食品は安全で人を良くしているか?

3)我が国の耕地は全世界の0.3%で農薬の20%を使っている

4)化学物質の残留は恐ろしい。この汚染は止めなければならない

5)子供や孫の健康を考えると今の様な食事で良いか?

6)農業は生命産業だ!

7)有機農業、自然農法、循環型リサイクル農業こそが人類を救う

8)本当の農業をやってくれる農家、農民に満腔の敬意を表し、感謝しよう

9)次世代のために我々の出来ることを実践しよう。定年後は就農を!

であった。

彼は若き頃、大規模農業こそ日本の農業を救うと、勤務していた会社に辞表を出し、米国の大規模農業を学ぶべく退職金で渡米したのだ。だが帰国後、大規模農業を開始するための巨額の資金を融資してくれるところがなかった。近年になってようやく日本の農政は農業規模の大型化の必要性に目ざめたようであるが、西沢さんが渡米したころはそうではなかた。ヨーロッパは米国に学び、大規模化を達成し、目下英国がその過程にある。ただ大規模化はコスト低下には有効だが、環境も破壊するし風景は殺風景になるという欠点を持っている。

西沢さんはやむを得ず資金がなくとも可能な有機農業に転向したのだという。しかしいまだアマチュアのままで、飯山で土地を借りて、三ツ井夫妻と豆畑を維持したり、職場のある神奈川県で野菜を栽培しているだけで食品会社の廃野菜のコンポスト化業で糊口をしのいでいる。ただ廃野菜のコンポスト化業は有機肥料栽培の肥料供給業であり、有機農業と本業は一気通貫でスジが通っている。

 

生産者の言葉

北川さんは5haを減農薬の特別栽培米として直接消費者に販売している。今年、1haを有機栽培で試みている。成長が少し遅いだけだが、台風の季節になっ てイモチ病などの病気が発生しなければいいのだがと心配している。いずれにせよ収穫減は覚悟している。1人ではこれが限度。子供達が後継者にならないなど 苦労は多いが、米作りの喜びはある。

江口さんは野菜畑15haをズッキーニ中心に親子三代で営農している。農薬を使わないと害虫に食べられてしまう。アザディラクチンという成分が昆虫の幼虫の脱皮や羽化を妨げる効果があるといわれているインド産のニームの 木を植えて、その葉の抽出液を噴霧してみたが虫は臭いで元気がなくなるだけで死ぬわけではない、臭いがなくなれば元気になってしまう。このように有機野菜 は手間がかかるわりに儲からない。農産物の価格は他産地の不作で高騰するという幸運もあるが、災害にあうと収入がゼロになるというリスクがある。農家と消 費者の共存できる方策がないものかと日々挑戦である。

有機食供給業者の坪根さんはグリーンライフで地産地消活動を進めている。田舎の智慧を都会の人々に現地にきてもらって確認してもらいたい。なべくら大豆を広めたい。

 

自由討議

土屋さんの司会で自由討議をした。

イタリアでは曲がったキウリは高価だが売れている。日本では見た目が優先して、姿形で購買者は判断しているのではないか?

昔の八百屋さんがスーパーに駆逐されてしまった。イタリアが古き零細ネットワークを破壊せずに残した叡智??はたまたなにもしなかった社会的慣性による幸 運と比較してみる必要があるかもしれない。生産者と消費者を結ぶ有機食品ルートが自発的に成長する何らかの仕掛けが必要なのだろう。

米国型の大規模スーパーや外食産業が発達し、有機野菜や有機米は量が少ないためにコスト的に引き合わず、隅に追いやられている。漁業でも地 場の魚は量が少なくて大規模流通にのせることが出来ずに捨てられているのだ。生協にも有機野菜のコーナーが設けられているが、依然として曲がったキュウリ は置いてないようだ。建て前とホンネがまた解離した消費者が多いのか、流通経路の担当者の考え方が古いのか、看板だけに有機野菜と称しているのか分からな い。曲がったキュウリは有機栽培というより品種の違いでもありそう。

世界の人口が60億人に増えても養えても余剰農産物があふれているのは、作物の必須栄養素である窒素、燐酸、カリのうち、窒素は化石燃料を使った空中窒素固定法を使って合成出来るようになったからだ。

化学合成肥料による硝酸性窒素汚染は1070年代に喧伝されたほど危険ではないことが判明しつつある。問題はそれより合成肥料、有機肥料を問わず過剰投入である。そうして食料生産国では水質汚染を引き起こしているのだ。消費国である日本は外国から穀物などの食料を輸入している。こうして世界的な物質循環のバランスを崩している。窒素循環の観点からみると日本には窒素が蓄積され続けていることになる。すなわち生産国は地味の枯渇、日本は過剰窒素による生産性の減少が発生するのだ。バランスを保つためには有機肥料をリサイクルして化学合成肥料の追加的投入を減らさねばならないのだ。

害虫から作物をまもる農薬による弊害が深刻だ。有機リン系の殺虫剤を代替するニコチン誘導体の農薬も日本で開発されたが、これもまだ壮大な人体実験中といった趣だ。コンポストなどの有機肥料が評価されるのは農薬の使用量を減らすことができるという点にある。このような意味で 問題意識をもち、かつ経済的な余裕のある人々はコスト高であっても農薬を使わない有機農法に注目するようになった。これは豊かさゆえの報酬のようなものだ。

参加者からは家庭菜園を楽しむのと、専業農家として苦しむ違いは何かとか、消費者はもっと生産者の声を聞くべきとさとったとか、生産者と消費者を結ぶネットワークの構築が大切との感想が述べられた。そして今後も飯山のイベントには参加してゆきたいということになった。

フォーラムの締めは小出さんのお嬢さんのハープ演奏であった。

小出真美さんのハープ演奏

 

プレ・フォーラム・イベント(西沢農場の枝豆取り)

そもそもこのフォーラムは三ツ井さんが飯山で西沢さんと共同で土地を借りて栽培している大豆を枝豆として収穫しないかと東京在住の西高OGにたいして行った誘いに彼女らが乗ったのが始まりという。折角だからと西沢さんが北高の友人達に声をかけて合コンとしたものらしい。

フォーラムの前に西沢・三ツ井さんの大豆畑での枝豆の収穫をすることになっていた。しかし西沢・三ツ井さんの大豆畑は雑草が生い茂ってまだ実が大きくなっていない。そこで千曲川の対岸にある「菜の花公園」近くの畑の枝豆とスワップすることになり。参加者全員で収穫した。

枝豆の収穫風景写真の背景は寺尾聰・樋口可南子主演の映画「阿弥陀堂だより」の舞台になった福島棚田のある福島集落である。ここには映画に使われた阿弥陀堂のセットはそのまま保存されているという。

唱歌「朧月夜」の歌碑のまえで参加者全員集合して記念撮影し、唱歌を歌う。「いいやま湯滝温泉」で汗を流して鍋倉高原森の家に帰る。

菜の花公園と千曲川と斑尾山

24名の参加者は4つのコテージに分散宿泊する。なかなか立派な施設だ。ウルガイ・ラウンド合意時、農水省が慰謝料として5億円の補助金を出したのでこれ を造ったという。これも行政がばら撒いた我々都会住民の血税である。都会住民としてはこれを利用しなければ回収できない仕掛けとなっている。

菜の花公園近くで 枝豆の収穫

1ヶ月後に西沢・三ツ井畑の収穫物をいいただいたが、軽井沢と長野でそれぞれ趣味の菜園を営んでいる土屋・北沢両名も収穫を手伝いに行ったらしい。

 

ポスト・フォーラム・イベント

ポスト・フォーラム・イベントとして全員で近くにある小菅神社(こすげじんじゃ)にでかけた。

小菅神社は現在は神社であるが、もともとは戸隠飯綱とともに信州三大修験霊場の一つとされていた。武田信玄と上杉謙信の1557年の第3次川中島の戦いは謙信が負けてほうほうの体で上杉の庇護下にあったこの寺に逃げ込み匿ってもらったという。追撃する武田軍が全山を焼き払い、後に上杉景勝が奥社本殿を再建したという。明治時代の廃仏毀釈運動により、寺を菩提寺として分離し、小菅神社とされ、今日に至っている。信濃巡礼19番札所でもある菩提寺の観音堂は破壊されずに生き残った。

19番札所菩提院観音堂にて (西沢重篤氏撮影)

歴史を知ることは越し方行く末を考える上で有意義なことである。皆満足して戸狩の蕎麦屋で蕎麦を食して鍋倉高原森の家に帰った。14:00に散会した。

阿弥陀堂物語という映画があったが、原作者の南木佳士はこの近くにある阿弥陀堂をモデルにした書いたと聞いた。なるほど、遠くから望むと緩やかな北面の傾斜地が山に向かって次第に斜度をましている辺りにぽつんと阿弥陀堂があった。

 

ポスト・フォーラム考察

グリーンウッド家はいまから30年前、息子のアレルギーに悩んで、「大地の会」という有機野菜の産地直送の会に加 入したことがある。加藤登紀子のダンナであった元反帝全学連委員長の藤本敏男氏がはじめたものだったと記憶している。曲がったキュウリはよしとしても、 腐った野菜が混じっていたので、生産者の倫理不足と考え、脱会したことがある。農水省やJAが米ばかりにこだわらず、有機野菜などの品質保証に取り組んで ほしい。価格に口を出す国家統制主義の国家は皆失敗しているため、日本でも一部の例外を除き、ほぼ自由化されている。しかし国家の最低限の機能すなわち国防、警察、消防、航空、交通、建物 ・原発の安全点検、食品検査、温暖化に伴う大雨の治水に熱心ではないのが心もとない。

世界人口が増えているため、必ず食料不足時代が今世紀中には到来する。村の人口の減少、後継者になやむなどの中山間問題は 深刻で国は手も打てていない。米国政府はウルガイ・ラウンドで農産物の関税を撤廃させておきながら、自国農家に補助金を出している。そして価格の安い余剰 生産物は世界に輸出され、日本などの消費国の農業を破壊してきた。なにもせずに手をこまぬいていたら日本では農業就労者は10年以内にいなくなるであろ う。日本は工業製品の輸出で生きてゆかねばならないのだから、ウルガイ・ラウンドの受益者だ。だから関税をあげることはできない。補助金は価格を人為的に 操作するという意味で国家統制主義の一種であり、そのような国家は長い目でみて失敗するにちがいない。とはいえ対抗上、米国がしていると同じ程度の補助金 を農業に当てる選択肢があってよいだろう。グリーンウッド氏は仮に政府が無能でも、勇気ある若者が今、農業を選択すれば人生の後半、必ず報われると予想し ている。なぜなら石油価格が石油時代に入ってズット10ドルで低迷していたのが、資源の枯渇でいまや100ドルを 越える勢いである(2008年にはあっさり越えた)。価格はすべて需給バランスで決るのだ。ポール・クルーグマンが予測するように地球は有限の惑星である。21世紀後半には確実に資源枯渇になり、価格は高騰するのだ。

外国から輸入した食糧を我々が食べ、排泄する。こうしてできた生活排水を活性汚泥法で浄化してもリンや有機窒素は除去できず、下水排水に残留して海に流れ る。東京湾のような大洋に開かれていない閉鎖海域では、リンや有機窒素を餌にしたプランクトンが増殖し、海底では酸欠になっている。工場廃水中のリンや有 機窒素は15年位前に規制したが、地方自治体の生活排水処理の規制は甘く、東京湾の海底は死の海となって年々悪化しているという。

日本では幸い採用されていないようだが、米国で特定の除草剤とその除草剤に耐性を持たせるために遺伝子操作したダイズ、トウモロコシ、ナタネ、ワタの種子が開発され市販されている。 しかしこういうものはできれば食べたくないものだ。

September 4, 2007

Rev. December 13, 2017


ナチュラルアート社長鈴木誠氏が実践しているように農家を救うには

@川上から川下の加工や流通まで一貫して関り、農家に価格の決定権や交渉力を持たせることが大切。

A異業種交流によるバリューチェーンの創造。

B情報をきちっと行き渡らせる農業版ヤフーサイトの立ち上げなど。

Rev. July 27, 2008


トップページへ