一歩前の会

吉田昭彦氏の話を聞く

熱帯降雨林問題と中山間地域問題

一歩前の会は2003年2月10日、神奈川県中小企業団体中央会の会議室で、NPO 2050テクニカル・アドバイザーの吉田 昭彦医学博士のお話を聞いた。一歩前の会の世話役、西沢重篤氏が1995年初夏(平成7年)夕刻帰宅のため、七里ガ浜の海岸道路をドライブ中、吉田氏のラジオ放送を聞いたのがきっかけである。氏はNHKラジオの番組で「日本は大豆の栽培を考えよう」と主張していた。感銘をうけて吉田氏に手紙を書いたのが縁でその後の交流に繋がったのである。今回、一歩前の会でぜひ講演してほしいとお願いして来ていただいたものである。

お話はとても面白くかつ有意義であったので少し詳しくご紹介する。氏は元産能大学教授の医学博士。講演日の2月10日は60才の誕生日だとのこと。現在NPO 2050で環境カウンセラ−として活躍し、環境とゼロエミッション、養蚕と教育に関する講演活動を展開中である。

吉田氏は京都大学の湯川教授の弟子となり、物理学を勉強したが、物理学はほぼやりつくしたと教授の了解を得て、生物物理学に転向した。この学問は物理学を使って生物を研究するものだが、必然に生物の進化、適応戦略、脳神経の研究、動物行動学などに有効で行き着くところは経済学にもおよぶ。関西で学んだが、出身は東京で、家庭の都合で東京に就職することにした。1975年に産業能率大学の教官となってマネジメントを教えた。

熱帯降雨林問題

大学では東南アジアからの留学生の面倒をみた縁で、1980年代、留学生を連れて日系人のいるブラジルに行き、地球環境問題に目覚めるようになった。まだマスコミには環境という言葉が使われる前のことである。

そもそもブラジルでは国民の20%が国民総所得の80%を得ているというほど貧富の差がおおきい。特にブラジルの東北部はノルデステと呼ばれ、熱帯降雨林のなかで人々は農業に従事している。しかし農業は一次産業であるため収入が少なく、貧困地帯である。このノルデステとアマゾナスの間にトランス・アマゾン道路が完成してからこの貧困層がアマゾナスに移住し焼畑農業を始めた。

熱帯降雨林の土壌は気温が高い故、微生物の分解速度も高く、腐葉土の厚さは30センチ位しかない。焼畑にしても3年位で作物は育たなくなり、また隣の森林を焼くという悪循環に陥っている。このジレンマを熱帯降雨林問題という。ここで現地ジャーナリストの前で、熱帯降雨林問題を批判したら取材に来た現地人ジャーナリストが怒り出し、通訳も彼のいうことを訳すことを中断していることに気が付いた。現地では解決策を持たずに熱帯降雨林問題は話題にしてはならないというタブーがあったのである。批判しても不愉快になるだけで物事は改善しないからである。いたく反省して、ではこの環境破壊問題を解決してやろうと思い立った。

ブラジルの最低賃金法が月収600ドルと定めているのに、実際の月収は150ドルしかない。一次産業では筋肉を使う労働なので女は不利である。このような社会では女性は自立できない。したがって女は男にすがって生きるしかなく、「貧の片隅に恋の歌」というフレーズがあるが、女にとっては恋しかないということになる。結果として女は30才まで7-8人生み、3人は死ぬというということを繰り返しつつ、人口だけは増えてゆく。農村で食えない人は文盲のまま、リオデジャネイロやサンパウロに出てゆく。いわゆるアーバニゼーションである。そしてその大都市の周辺にファベラという貧民街を作って住み込む。ストリート・チルドレンが増えて大都市の治安が悪くなれば、外国資本が逃げ出し、国家の経済がおかしくなるということになる。ブラジルがしばしばくりかえしてきたことである。ブラジルの国旗の中心にはORDEM. PROGRESSO (規律と進歩) という言葉が書いてあるが、それが実現できていないところに悲劇がある。

吉田氏は熱帯降雨林問題の解決は人口問題であり、人口問題の解決はピルやコンドームでは無理で、女性の自立によって解決できると考えた。 >女性の自立のためには女性に適した職場または産業を育成すればよい。(グリーンウッド氏が化学工学誌編集長だった時、1992年5月号の論壇に掲載した論文「炭酸ガス排出量削減策のパラドックス」は人口問題は年収を増すことによって解決するというロジックであったが、吉田氏の慧眼はばくぜんとした年収増を深く分析し、具体的に女性の自立問題ととらえたことである。)

ヨーロッパ式のブドウ畑はブドウ棚をつくらないので男の労働者の方が有利である。しかし、ブドウ棚方式をとると女性のほうが有利になる。吉田氏は自費で何度もブラジルを訪れ、実際に女性1,000人が働くブドウ棚方式農園を支援した。旅費に使った私費は1,000万円に達したのではないか。さてこの農園では女性13人でチームを作り、2.5ヘクタールを管理させるのである。月収も最低賃金法の600ドル支払った。リーダーはその3倍である。ここで働く女性の夫も次第に同じ農園で働くようになる。彼らは子供は平均3人以上つくらない。よく「子は親の姿をみて育つ」といわれるが、実際かれらの子供は良く勉強し、次世代を担えるしっかりした子供に育った。

この観察結果を日本の学界で発表してやろうと論文をまとめたが、残念ながらこのような広いテーマを論じた論文を受理してくれる学会がない。やむをえず日経連と地球環境研究所共催の年会に投稿したら何とグランプリ賞を受賞し、賞金500万円をいただいてしまった。

このブドウ棚方式をブラジル以外にも広めようとペルー、オーストラリア北部などを検討し、ペルーにでかけた。ここで思わぬ展開が待っていた。

キャッサバ→虫→鳥変換サイクル

ペルーの赤道の南北15度以内では赤道上を西に吹く貿易風に海表面の海水が西に流されこれを埋めるべく南太平洋の冷たい寒流(フンボルト海流)がペルー沖を洗っている。このため赤道に近い割には寒い位である。貿易風が海表面の海水を西に流したあとに流れ込む海水はフンボルト海流だけではなく、海底からも塩類豊富な海水が湧き上がり、アンチョビなどの魚が育つ海域ともなっている。貿易風の加減でエルニーニョが発生したり弱くなって世界の気候にも影響のあるのは有名。冷たい海で冷やされた水分を含んだ風が山脈に当たると、雨は降らないが、霧が発生する。太陽を直接見てもまぶしくないくらいの霧である。この気候で桑を育てて養蚕をやれば女性の自立に役立つと気が付いた。事業のパートナーと話が進行中にフジモリ氏が大統領に当選してこの話はオジャンになってしまった。

蚕が作る繭は長い長い1本の糸でできている。数個の 繭から数本の糸をひきそろえて >1本の糸にし、糸車でまく。こうしてできた糸は生糸とよばれる。糸は切れることなくつながっており、綿や羊毛などのほかの天然繊維からつむいだ糸とはことなり、きわめて長い繊維からつくられている。こうした生糸から高級な絹織物を作る技術が日本の養蚕である。しかし化学繊維で生糸と同じ繊細な繊維は簡単に出来る時代である。ここは発想を変えていわゆる短い絹糸を撚りあわせて作った糸で紬( つむぎ)を織れば良いではないかと考えた。ツムギとはもともとくず繭を廃物利用した養蚕農家の自家用織物で、くず繭を真綿にしたものから撚(よ)りをかけてつくった緯糸と、本絹糸(ふつうの絹糸)の経糸でおったものである。

桑のかわりに熱帯リーム、いわゆるキャッサバを餌にし、野蚕の一つ、エリサン蚕を飼い、生糸を作る必要はないので繭に入ったま殺さず、出がら繭から紬を作ろうというわけである。気温18-35度の下では42-43日サイクルで年8回世代交代し、1匹のメスが500個の卵を産む。1000カップルで始めても蛹の状態で間引かないと1年で天文学的数字になる。間引いた蛹は人間が食べてもよい。実際戦争中は日本でも蛹を食べた。しかしあまりうまいものでもないのでシャモの餌にして人間はシャモを食べればよい。エリサン蚕は8つの必須アミノ酸を全て含み、豚や鳥より良い栄養源ではある。虫は体温を持たないので発熱しない分、変換効率がよく、キャッサバが高い効率で繭とシャモの餌になる。鳥も40日で食用になるのでこれも変換効率はよい。イスラム圏は一般に貧困地帯で、その貧困ゆえに9月11日事件などを起こす。都合がよいことに鳥はイスラム教徒、キリスト教徒、仏教徒いずれにとっても食タブーの対象になっていない。今後生じる食料難は牛、豚などをやめてこのキャッサバ→虫→鳥変換サイクルを適用すれば解決できるであろうと夢想している。

中山間地域問題

さて最後に日本の中山間地域問題についての吉田氏の見解が披瀝された。中山間地域とは、一般的には「平野の周辺部から山間部に至る、まとまった耕地が少ない地域(農業白書)」とされている。山がちなわが国では、こうした中山間地域は国土の7割にも及び、食糧生産や水源の涵養地域、そして心のふるさととして、また森林を中心にわが国の生態系全体の土台として、私たちのいのちと暮らしを支える「みなもと」となっている。現在わが国の総人口の13.7%が暮らす中山間地域は、高度経済成長期以降若年層を中心に激しい人口減少が続き、また、高齢化も急速に進んでおり、65歳以上の高齢者は、都市的地域の倍近い25.1%の高率に上っている。今や、「みなもと」を支える力が足りなくなっているわけである。

中山間地域問題を取り上げたのは、早稲田大学の原剛教授である。彼は農産物流通の国際化がWTO体制のもとで進展する一方で、日本の農業の価値を食料の安全性や自然保護、環境保全との関連で再評価する社会的な気運が高まっていると指摘している。

中山間地域問題とは人口問題に置き換えることができる。物理学では問題を考えるとき、かならず境界条件と初期条件を考える。人口問題は環境問題でもある。日本の高度成長に伴い、多量の人が農村、漁村地域から大都市とこれを取り巻く工業地帯に移動した。東南アジアでも日本を先頭にしていわゆる雁行モデルといわれるように約20年遅れで人口の大部分が一次産業から二次・三次産業に移行した。人々が農村地帯にとどまっておれば飢饉が起こっても東南アジアではバナナやキャッサバを食いつないで、生きられる。しかし大都市ではこうはいかない。悲劇が待っている。

各国がWTOが要求する農業部門の関税の撤廃をすると、現時点で競争力のある米国の農業に各国の農業が負けて壊滅してしまう。日本などはまだ経済力があるから当分は問題ないが、インドネシアなどは食料輸入にたよると、為替などの変動で食えない階層がでて悲惨なことになる。日本は当面問題ないとしても米国にも供給の限界はあるのだ。世界人口が増え、世界中が米国からの輸入に頼っていれば、いずれ需要と供給が反転し、価格は急騰する。そのときにはすでに遅いのだ。吉田氏は日本政府に要請されてマクナマラとはげしくやりあったことがあるそうだが、WTOの要求に譲歩することは間違いであると断言した。日本はヨーロッパと共闘し、米国の近視眼的要求に屈すべきでないと。

吉田氏が中山間地域問題にのめりこんだのも元反帝全学連委員長の藤本敏男氏に会ったことだそうである。防衛庁襲撃で実刑判決を受け、服役中の1972年に加藤登紀子と獄中結婚。出所後は千葉県に鴨川自然王国を設立、代表を務め有機無農薬農業を実践した人である。藤本は死んでしまったがその意志はついでゆこうと思っている。

農業とは植物を育てる産業である。大都市はこの植物を消費して排泄物を出す。非生物由来の廃棄物はReuse、 Reduce、 Recycleすればよい。植物は独立栄養生物である。生物由来の廃棄物は微生物によって分解し、無機塩類にすることによって植物に再び取り込まれるようになる。人間のし尿は残念ながら下水に流れて農地にリサイクルされない。そこで牧畜のし尿も含め農地にリサイクルする必要がある。輸入食物や輸入飼料のから発生する生物由来の廃棄物はバーゼル条約で国境を越えられない。環境のためのリサイクルという面ではおかしな条約である。

環境を象徴する言葉に持続可能という言葉がある。持続可能とはリサイクルするということである。サイクルという言葉はエンジンを連想する。物理学ではエンジンには入力と出力との間にカルノー効率というものが定義されている。よくゼロエミッションという言葉があるが、ゼロエミッションとは効率100%ということでありえない。持続可能とはできるだけ無駄をはぶけということであろう。江戸時代の生活様式に学べということになる。

中山間地域問題に林業問題も含まれる。横浜大学のある教授が森に木を植えることを提唱している。彼の地元のここ横浜ではいいにくいのだが、林業問題を全く理解していない人のたわごとである。日本の林業は過植の木を切ることから始めなければならない。スギ、ヒノキなどを切り、カエデ、クリなどを植えるべきである。ブナの葉が分解しにくいため腐葉土が厚くなる。(グリーンウッド氏は木を切るという意見に全く賛同する。なぜなら木を切って森から取り出しさないと結局、立枯・倒木となって全て炭酸ガスとなり、森は地球温暖化防止には全く役にたたないからだ。木は切ってこそ炭酸ガスが固定されるのである。またブナという木は地球に残された希少種で日本はこれを温存する義務がある。

下水処理には緩速ろ過する英国方式と凝集沈殿と組み合わせる急速ろ過を行なう米国方式がある。英国方式は大きな砂ろ過装置の上端で太陽光で成長するメロシラという珪藻類が生長して光合成しつつ、排水の分解もおこなう。これの有効利用も考えられるのだが、残念ながら日本では排水処理設備を小型化するために英国方式は駆逐されてしまい余った跡地にビルが建っている。

生物由来の廃棄物を分解する分解菌はそれぞれの土地にいる菌が自然に働くのが自然で、琉球大学農学部の比嘉照夫(ひがてるお)教授が発見したというEM菌は完全な間違いでうまく働くはずがない。(グリーンウッド氏は吉田氏と全く同意見でかって奉職していたエンジニアリング企業で技術評価を担当していたとき、EM菌に関しては同じ判断をして却下したことがある。深層水とかパイウォターとか世に出回っているものにはいかがわしいものが混じっているので注意が必要だ。)

二次会で吉田氏から出たなぞなぞ。「春の小川はさらさらと・・・という歌の小川はどこの川?」 答え

グリーンウッド氏の感想

February 11, 2003


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