北ラス・フォーラム

東京北ラス会には医者 が11名居る。会員比6%で多い方だろう。医者の一人である田島知郎氏が幹事を務めた2006年に米国 の大学に留学中、家族ぐるみで付き合った西高(女学校)卒業生某*を呼んで欲しいと西校東京同窓会に申し入れた。西校の幹事の進藤さんが、酒を飲む会に出 席する意味がない。講演会なら出席するのも有意義だろうと返答した。

その時の北ラス会の幹事の土屋らが「60歳そこそこで定年退職し、ぶらぶらしているのはもったいない(社会的損失)。各界の問題点を一番良く知っていて、 これはいけないと思いつつ、組織にいたときは出来なかった。組織から離れ発言・行動もこれまでの拘束から開放される。各分界(官・学・民)でリーダー的存 在だった北ラス会員が夫々関わった業界の問題を開陳し皆で議論し、集約し行動する。その場として北ラス会を使おう。ただ集まり、飲み食い、雑談するだけ の、くそ爺の集まりにしておかないで・・」と賛同した。

その心は「各自の生き方は50年誌を見てもお分かりの様、その50年間の社会活動は一つ一つが感動と涙の人生です。その人生体験を語ってもらい、自分のこ れまでの生き方と比べ、今後の少ない人生をさらに豊かに生きていく糧にしたい。もっと積極的には、これで隠居生活に入るのではなく、少しでも社会のため・ 子孫の為・国の将来に役立つことをして余生を送ろうということです」

こうして北ラス・フォーラムが北ラス会と同時開催ということで始まった。 西高卒業生には才媛が多く、トップ入学した産総研の中原博士や国際結婚してカナダ在住のMcQueen女史などが参加してくれた。

北ラス・フォーラム後の懇談会 小野さん撮影

第一回(2007):言いだしっぺの田島知郎氏が自ら現在の日本の医療システムが抱える問題点を解 決する方法「病院のオー プンシステム化」を提案した。そして西沢重篤氏が「無農薬・有機農業」について語っ た。 その後、病院のオープン化は中央公論新社刊の「病院選びの前に知るべきこと 医療崩壊から再生に向けて」 として出版された。

第二回(2008):川上洋一氏が「朝日新聞海外特派員時代の思い出」、細木正志氏の「商社マンのうちあけ話ー船をかつ いで世界を駆ける」であった。

第三回(2009):松島恵之氏**が最近翻訳して朝日新聞から出版した「オバマの真実」、 グリーンウッド氏の「エネルギーの世代交代ー原発の止まる 日ー」 であった。

第四回(2010):田中角栄の主治医だった安藤幸彦氏と東北電力で風力発電を手がけた土屋敬一氏から興 味あるお話をうかがった。

第五回(2012):元NHKディレクター小笠原昌夫氏の「歴史 ドキュメンタリーよもやま話」と小山政夫氏の「エベレスト街道トレッキング」であった。

第六回(2013):腎臓病の食事療法の権威出浦照国氏の「医者の願い」と元最高裁判事才口千晴氏の「奇岩城の実相」ー私の見たこと、したこと、考えたこと 

第一回の西沢氏の講演が縁となりNEW Forumが結成された。

土屋氏は「このフォーラムが継続するかは毎回の幹事のやる気に掛かっている。講師選定は先ず50 周年記念誌を熟読すれば誰が良いか判断つくはず。気力の無い幹事ならやらなくても良いし、やる気のある幹事の時ならまた別の企画が出るであろう」 と語る。

July 7, 2009

Rev. May 11, 2013


*西高(女学校)卒業生某とはグリーンウッド氏の中学時代の才媛であったと後日判明する。

**松島恵之氏の2冊目の翻訳本は講談社刊 ハウエル・コナン撮 影 グレー ス・ケリー写真集3,990円 。2009/7/11のBS2のNHKエンタープライズ製作のビデオによるとグレース・ケリーは1929年生まれ。生きていれば80才。(実はオード リー・ヘップバーンも2009年で80周年)。52歳の時にモナコ公国にある別荘から宮殿への帰途、脳梗塞を起こして崖から墜落死した。自ら運転していた 車種はボルボ800。同乗していたステファニー公女は転落する車両から放り出され軽傷で済んだ。ハウエル・コナンは グレース・ケリーの女優時代、世紀の結婚式、そして公妃とそのすべてを撮り続けたグレースお気に入りのカメラマンであったという。


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