北ラス・フォーラム-4
歴史ドキュメンタリーよもやま話
小笠原昌夫
ドキュメンタリーはニュースとドラマの中間的位置づけである。いわゆる「やらせ」はたとえば富士の山開きのとき山小屋のドアがひらいて人が入ってくるとい
うショットがそれだ。ナチがベルリン・オリンピックを映画にした1935年の記録映画「民族の祭典」は走り高跳びのシーンが夕暮れで撮影できなくなった。
やむをえず翌朝撮影しなおしたという逸話がのこる。
そういえば私も昔、ダス島でLNGプラント建設のPR映画を作ったときカメラマンからいろいろ面白い話を聞いたことがある。「南極大陸に第一歩というショットが大陸
側から撮影されていたが、あれは私が第一歩を踏み出したから取れたシーンですよね」などなど。
小笠原氏
ヤラセはぎりぎりゆるされるとしてもウソはまずい。映像の記録「ミッドウェー海戦」にジョン・フォード監督の記録映画のシーンを借用したことがある。放送
後、「あのシーンに出てきた航空機はあの時点ではまだ戦線の投入されていなかった」という指摘を受けた。ジョン・フォードはフィクション作家だからドキュ
メンタリーに違う戦場のフィルムをあまり深く考えずに取り込んでいたわけで、ドキュメンタリー作家は原典にこだわらねば落とし穴に落ちる。いういい戒めと
なったという。米国のABC放送と共同制作であったが資料堀り出しに役たつが、最後の編集は決して共同ではできないということもよくわかった。歴史の見方が全く
ちがうためである。
May 11, 2012
Rev. June 27, 2012