串田孫一 くしだ・まごいち(1915—2005)


 

本名=串田孫一(くしだ・まごいち)
大正4年11月12日—平成17年7月8日 
享年89歳(豊徳院孫誉文岳哲道居士)
東京都台東区谷中7丁目5–24 谷中霊園甲4号8側 



詩人・哲学者・随筆家。東京府生。東京帝国大学卒。昭和13年処女短編集『白椿』を刊行。21年『永遠の沈黙パスカル小論』を上梓、また『歴程』同人となる。30年初めての山の本『若き日の山』を上梓。33年尾崎喜八らと山の文芸誌『アルプ』創刊し、編集に携わった。詩集『羊飼の時計』『山のパンセ』などがある。







 人は自分のこれまでの生命の道程は長かったとも短かったとも思えるものだが、今それをゆっくり辿り直してみようと思うと、一切が片々としていて、何故かずっとこうした寒月の凍った夜道だったような気がする。自分が経験したことは夢ではなく、事実だったのだろうが、過去はすべて例外なく、もう溶けることのない凍った世界に閉され、これを揺り動かすことも、叫んで呼び戻すことも出来ない。専ら森閑とした幻影として凝固したままのものである。
 私はこのことが悲しくなり、冷たい過去の巨大な器から、これと思うものを掬い上げ、現在の体温でゆっくり暖めて、蘇生させることが出来ないものかと願う。だがそれは不可能だと判っているから願うのであって、若し蘇生が可能となれば、それを拒み続けたい迷いが必ず起こるのではないか。
 過去は閉された扉の彼方で、恐らく永遠に凍ったままだと判っているから掬われ、ただ自分の羞恥の想いがそんなことを想わせたのかもしれない。
 寒月の鋭い光の中で、私の想いは躓きそうになる。
 
(寒月の下での躓き)



 

 平成17年7月8日、梅雨の明けやらぬまま、どんよりと熱に浮かされたような日の早朝午前5時30分、山の哲学者串田孫一は老衰のため死去した。
 哲学者と書いたが、詩人でもあり画家でもあった。当然の如く著書は多岐にわたっており山岳文学や画集、小説から随想、人生論、哲学書のほか翻訳ものまで枚挙にいとまがない。中でも昭和33年に詩人尾崎喜八らと創刊、58年に300号で終刊した伝説の山の文芸誌『アルプ』は彼にとって、山腹に吹く快い風のようなものであったのだろう。何より自然との対話は深い思索をあらわした。
 〈人間は死者を考えることによって、その個人が死者から教えられるばかりでなく、死者を考えるもの同士が結びつくのです〉。



 

 〈死ぬことよりもその後の葬られ方が妙に気になる、自分の両親を埋葬した墓の中がまだゆとりがあった筈で、おそらくそこへ埋められるのだろう。可なり湿気臭いが土の中は何処も大して変わりがない〉。
 と串田孫一が予期していた通り、両親と同じ「串田家之墓」に眠ることになった。幸田露伴の『五重塔』のモデルとなった谷中天王寺の五重塔は、昭和32年に心中事件のあおりを食って焼け落ちてしまって今は存在しない。その跡地近く、天王寺駐在所脇にあるこの墓は父の一周忌の昭和15年に孫一が建てた。墓碑の最後尾に孫一の戒名「豊徳院孫譽文岳哲道居士」の刻がある。「文」、「岳」、「哲」、「道」、それぞれが結びついて串田孫一にぴったりの戒名ではないか。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

編集後記


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