やりたいこととは何か

やりたいこととは何でしょうか。つまらなそうなことはやりたいはずがないので、やりたいことは面白そうなことだと言えます。面白いというのは未知の情報の発見があることで、やりたいことはまだやってないからこそやりたいわけです。また、我々が何かをやりたい時には、それを実現している自分をイメージしています。つまり、何かをやりたいと思う時には実現の可能性を感じていることになります。

しかし、やりたいことの実現までの道筋がはっきりわかっている場合は未知の情報がないので面白くありません。やり方が明確に示されているようなことは我々が本当にやりたいことではないのです。自分がやりたいことの実現可能性は明確にではなく「何となく」感じるものなわけです。そして、それは「何となく」だから自分にしかわからないのです。

つまり、自分のやりたいことは常に「何となく自分が実現できそうな気がする未知の可能性」というものなのです。では、なぜ未知なのに実現できそうな気がするのでしょうか。「何となく」ですから、そこに明確な理由はありません。明確に説明できたら面白くないのでやりたいことではなくなってしまいます。あくまでも「何となく」(つまり無意識に)感じているからやりたいのです。未知とは未来のことです。我々は無意識的シミュレーションによって未来を予測し、それを漠然と感じているのではないでしょうか。

やりたいことには「何となく」という不明確さがあります。一方、我々の生きる文明社会の価値観の本質は明確さにあります。つまり、文明社会とは「やりたくもないこと」をやる社会だということになります。文明は明確さによって拡大してきたわけですが、これから維持または縮小に向かうとすれば、今後は我々のやるべきことの量は減ります。今、我々がやるべきことは自分のやりたいことを探すことでしょう。我々が自分のやりたいことがわからなくなっているのは文明的価値観によって不明確なものを軽視してきたからです。やりたいことをやるというのは、自分の中の「何となく」を表現する努力であるとも言えます。

やりたいことをやるというと気楽なようですが、やりたいことを実現するには現実を知るための勉強もしなくてはなりません。また、みんながやりたいことをやっていると社会の秩序が崩れそうな気がしますが、社会において何かを実現するためには社会性も身に付ける必要があります。社会性とは個人の中の無秩序と折り合うことです。自分の中の無秩序と折り合わなければ、やりたいことは実現できないので、本当にやりたいこと(もっと面白いこと)のための我慢も必要なわけです。

 → やりたいことの見分け方