やりたいことの見分け方

自分ではやりたいことをやっているつもりで、それをやらないではいられないとする。その場合、やらないではいられないというくらいだから、「それこそ本当にやりたいことに違いない」と思ってしまいそうである。が、しかし。例えば、毎日たくさんのドーナツを食べている人がいるとして、本人はドーナツを食べたいから食べているつもりだとする。その人が、別に食べないなら食べないでいられるのなら、本人の意志によってドーナツを食べることを選択しているのだと言えるが、どうしても毎日ドーナツを食べずにはいられないのだとしたら、本当に食べたくて食べているとは言えない。食べないでいようと思っても意志に反して食べてしまうのだから、食べたいという意志とは無関係に、必要があって食べていることになる。

つまり、何かを本当にやりたくてやっていると言えるための条件は「やらずにいることもできる」ということである。本当にやりたいことというのは自発的な意志によって選択されるもので、それは自発的である以上「いつでもやめられる」はずである。本当の意味でやりたいことというのは我々が必要としている行為ではない。必要なことじゃないから、やりたいことというのは気楽にやれるのだ。我々にとって必要な行為というのは、やめるわけにいかないし確実にやらなくてはならないので(必然的に)気楽にやれない。したがって、本当にやりたいことをやっているかどうかは、気楽にやれるかどうかでも分かる。

ところで、何かをやらずにいられないのは、それをしないと退屈で孤独な自分に向き合わなくてはならないからだ。ということは、退屈を楽しむことができるようになれば、やらずにいられないことは減っていくはずである。やらずにいられないことが減るということは、気楽じゃないことが減るということでもある。つまり、退屈を楽しむと気楽になるのだ。

また、やらずにいられないことが減っていくとしたら、色んなことを「やらないでいられる」ようになる。だから、退屈を楽しめるようになると、色んなことが自分の本当にやりたいことの候補として浮かび上がってくるわけである。もし、全く何もせずにいられるようになったとしたら、全ての行為を「やらないでいられる」わけだ。そうなったら、何をするにも「やりたいから」という理由しかないことになる。何かをした途端に「それをしたのはやりたかったからだ」と判るのだ。

 → やりたいことはどこにあるのか