文明と森林

過去の文明は周辺の森林の木を伐り尽くして滅んだようです。文明とは大規模な人工物を構築することです。大規模な活動は人口が多いことを前提とします。人工物の構築や人間の生活には材料や燃料として木を使用するので、文明活動の規模が周辺の森林の木材生産量の許容範囲を超えると、必然的に森林は減少し、遂には消滅してしまいます。そして、森林がなくなれば文明も滅びることになります。

文明が存続するためには、自らの規模に対する反省が必要です。文明活動とは人工物の構築のことなので、文明の規模は放っておけば拡大する性質があります。拡大し過ぎると燃料を失って滅びるのですから、文明には自らを滅ぼそうとする性質があるのだともいえます。文明にとって、規模に対する反省とは自らの根本的な性質に対する反省であり一つの逆説ですが、反省がなければ必然的に文明は自滅してしまうでしょう。

現代文明は、森林に対する規模という点では既に限界を超えていると思われます。それでも今のところ滅亡せずにすんでいるのは、森の木の代わりに化石燃料(原料)を使用しているからです。化石燃料は森林のように再生しません。我々は現代文明の規模について反省し、森林の生産の範囲内で生活するような文化を作り出す必要があるのかも知れません。

文明は視覚的であり、目に見える物を構築します。文明を象徴する大規模な人工物の構築は、複雑な社会組織によって可能となります。複雑な社会組織は視覚言語(文字や図)による情報伝達を必要とするでしょう。文明がモノを構築するのに対し、文化は人間の技能を蓄積します。文明に関する視覚情報は遠隔的に伝達することができますが、文化は目に見えない無意識的情報も含むものなので、文化に関する情報の伝達は少人数の個人の対面によって行う必要があります。

文明と文化はモノとコトに対応し、また多人数の社会と少人数の社会にも対応しています。社会がモノ即ち文明の側に偏ることは物質的な危機であり、コト即ち文化の価値を思い出さなくてはならないのではないでしょうか。文明が自滅しないために必要な反省を行うのも文化の役割であると考えられます。