時間論

我々は時間というものをどのようにして知るのでしょうか。それは、変化を知ることによってです。何の変化もない世界では、時間という概念は意味を持ちません。我々は時間の経過を「正確に」知るために時計を用いますが、時計というのは一定速度で変化するように作られた機械です。時計の変化量を変化速度で割ると経過した時間の長さを求めることができます。時計を用いる場合でも、我々は時間というものを直接的に知るのではなく、変化を知ることによって間接的に知るわけです。

時計という手段を用いても直接知ることができないのですから、時間というのは仮説です。この仮説のもとでは、時間は一定速度で進むと考えられています。そのように思えるのは時間を知るために時計を使うからです。この世界の全てが変化する中で、時計の変化は速度が一定であるという特殊な変化です。時計の元祖は日時計ですが、日時計は地球の回転という変化を示しています。天体(地球)の回転速度が一定なのを真似て、時計は一定速度で変化するように作ってあるわけです。

一定の速度で変化する時計を見ていると、時間というものが一定速度で進んでいるように見えます。しかし、それは「時計の変化」が一定速度になるように作られているのであって、時間が一定速度なのではありません。では時間の速度は不定なのかというとそうではなく、時間に速度は無いのです。速度というのは「時間あたりの変化量」であって「時間の速度」という概念は無意味です。物事は変化しても、時間は進まないということです。

時間が進まないのなら過去、現在、未来はどのように区別されるのでしょうか。我々の意識は常に現在にあります。過去も未来も我々の頭の中にある情報であって時間的に区別はできません。情報として既に知っていることが過去であり、未だ知らないことが未来です。我々が過去から未来に向かって進んでいるのではなく、我々の頭の中の情報が「未来」の区切りから「過去」の区切りに移っていくのです。

→ 主観的時間