トニー・オーツセン(編) 平成元年一月 近藤 千雄(訳)
平成13年8月1日発行
これまでの『シルバーバーチの霊訓』の中には出てこなかった重要なシルバーバーチの言葉をピックアップしてあり、シルバーバーチの思想をより深く理解するために必読の書。
1989年に他社から出版され、長年絶版になっていた『シルバーバーチ 愛の摂理』の復刻本です。
目 次
編者まえがき
巻頭のメッセージ
第1章 死ぬことは悲劇ではありません
第2章 神はときには荒れ狂う嵐のごとく……
第3章 わたしたちは決して見捨てません
第4章 真理はすべて素晴らしいのです
第5章 あなたが大霊なのです
第6章 摂理は完全であり、自動的に作用します
第7章 ああ、真白き大霊よ
第8章 絶望してはなりません
第9章 霊は全生命の精髄(エッセンス)です
第10章 創造は無窮です
第11章 霊的真理は不変です
遺稿 シルバーバーチと私
訳者あとがき
編者まえがき
「人間が食べるものや着るものを得るために動物を殺すのは間違いでしょうか」
「霊媒は菜食にすべきなのでしょうか」
「今の世界にとって必要な最も緊急な改革は何でしょうか」
「新しい魂はひっきりなしに生まれてきているのでしょうか」
「微生物にも意識があるのでしょうか」
「指導霊(ガイド)というのは特別に付けられるものなのでしょうか」
次から次へと出されるこうした質問に、ハンネン・スワッハー・ホームサークルの指導霊であるシルバーバーチは喜んで耳を傾け、それをもとにして大きく話題をふくらませていく。そこには他に類を見ない絶妙のうまみがある。
そのシルバーバーチが入神霊媒モーリス・バーバネルの口を借りて語る叡智の言葉を聞くために、ここ半世紀の間には実に大勢の人が訪れている。各界の著名人も少なくなかったが、大半は真理を求めて霊的巡礼の旅をつづける、ごく平凡な人たちだった。
シルバーバーチがいらだちを見せたり、不満を口にしたり、面倒がったり、怒りを見せたりしたことは、ただの一度もない。その叡智にあふれた言葉、世界中から尊敬と崇拝の念すら受けた流麗な言葉を聞くために週一回――晩年は月一回――その交霊会に出席した人の人間性を個人的に品定めする言葉も一切もらしたことはなかった。
本書に収めた資料の大半は、ここしばらく入手が困難だったものである。断片的にはこれまでの霊言集に出ているものも無きにしもあらずであるが、大半は交霊会が始まった初期の頃にサイキックニューズ紙に掲載されたものを切り抜いて大切に保存して下さっていた当時のメンバーの方たち(の家族)から提供していただいたもので、それに私が念入りに目を通して構成した。
こうした珠玉の教えを読み、咀しゃくして、中身の濃いものに仕上げるという作業は、実に愛と忠誠心なくしては出来ない仕事である。永いあいだ忘れられ、そろそろ黄ばみかけてきた切り抜きに新しい生命を吹き込むことができるとは、何と素晴らしいことであろう。それも詰まるところは、シルバーバーチの哲学は決して古びることも、色あせることも、又、その言葉が光沢を失うことも有りえないとの確信があればこそなのである。
かつての交霊会のメンバーの大半はすでにこの地上を去り、実りの彼岸に到達しておられる。それゆえ本書は、そうした先輩たち、見えざる彼岸とこの世との掛け橋を、苦労しつつも喜んで築いてくださった人たちに捧げるものである。
「古くさいおとぎ話はぜんぶ捨て去りなさい。愚かしい迷信を破棄しなさい。偏見のくさりを解き放しなさい。そうしたものがあなたの視野をぼかし、精神を束縛するのです。心にゆとりを持ちなさい。謙虚になりなさい。そして叡智の泉から送られる神の啓示をいつでも受け入れられる用意をしておきなさい。わたしの言葉をお読み下さる方に申し上げます――“行きて汝もそのごとくせよ”と」(ルカ伝)。
かく述べるシルバーバーチのメッセージは、かつてと同様、今の時代にも通用する。いや、今この世にいるわれわれが人生の旅を終えて本来の住処(すみか)である輝かしき霊の世界へ戻ったあとも、末永く愛読されつづけることであろう。
トニー・オーツセン
巻頭のメッセージ
わたしは荒野に呼ばわる声です。
大霊の使者の一人として地上へ参っている者です。
わたしがどの程度の霊であるかは、
わたしの説いていることが志向しているものから判断してください。
わたしの述べるささやかな言葉、わたしの誠意、わたしの判断、
皆さんとともに励んでいる真理普及の仕事が、
たった一つの魂の支えとなり、たった一つの魂に安らぎを与え、
暗闇の中でもがいているたった一つの魂に
光明をもたらしてあげることが出来たら、
それだけでわたしはうれしいのです。
第1章 死ぬことは悲劇ではありません
人間は、この世にあっていつかは“死”の現実に直面せざるを得ない。それは、愛する人であるかも知れないし、親友であるかも知れない。近所の人であるかも知れないし、同僚や知人であるかも知れない。
中には、気の毒にもそれが身も心も打ち砕くほどの悲劇的体験となる人もいる。そしてその悲しみの淵から抜け出るのに何か月も、時には何年も、掛かることがある。
その観点からすると、人間が例外なく“死”を超えて生き続けるという事実について確固たる証拠に基づく信仰と内的確信をもつスピリチュアリストは、何と恵まれていることであろう。
シルバーバーチは語る――
「死ぬことは悲劇ではありません。今日のような地上世界に生き続けねばならないことこそ悲劇です。利己主義と貪欲と強欲の雑草で足の踏み場もなくなっている大霊(神)の庭に生き続けることこそ悲劇というべきです。
“死ぬ”ということは物的身体のオリの中に閉じ込められていた霊(真の自我)が自由を獲得することです。苦しみから解放され真の自我に目覚めることが悲劇でしょうか。豪華けんらんの色彩の世界を目のあたりにし、地上のいかなる楽器によっても出すことのできない妙なる音楽を聴くことが悲劇なのでしょうか。
地上で存分な創造活動ができなかった天才が、その潜在する才能を発揮する機会を得るのが悲劇なのでしょうか。利己主義もなく貪欲もない世界、魂の成長を妨げる金銭欲もない世界に生きることが悲劇でしょうか。あなたはそれを悲劇と呼ぶのでしょうか。一切の苦痛から解放された身体に宿り、一瞬の間に地上世界をひとめぐりでき、しかも霊的生活の醍醐味を味わえるようになることを、あなたは悲劇とお呼びになるのですか」
ある日の交霊会でシルバーバーチは、その日の出席者に睡眠中のことに言及して、人間は地上にいる時からしばしば霊界を訪れている話をして――
「そうでないと、いよいよこちらへ来て本当の意味での“生きる活動”を開始すべき霊にとって、霊界の環境がショックを与えることになりかねないのです」
「では、私たちが死んでそちらへ行くと、地上で睡眠中に訪れた時の体験をみな思い出すのでしょうか」
「もちろんです。なぜかと言えば、その時点であなたは肉体の制約から解放されて、睡眠中にほぐされていた霊的意識を発揮できるようになっているからです。その新たな自我の表現活動の中で睡眠中の全記憶、睡眠中の全体験の記憶が甦ってきます」
では、死後下層界へ赴かざるを得なくなった霊の場合はどうなるか、という質問が出された。つまり、そういう人もやはり地上時代の睡眠中の体験――たぶんやはり下層界での体験――を思い出し、それが下層界へ行ってからの反省にプラスになるのかという問いである。シルバーバーチが答える。
「死後下層界へ引かれていく人は睡眠中の訪問先もやはり下層界ですが、そこでの体験は死後の身の上の反省材料とはなりません。なぜなら、死後に置かれる環境はあい変わらず物質界とよく似ているからです。死後の世界は下層界ほど地上とよく似ております。波長が同じように物的だからです。高い界層になるほど波長が精妙になってまいります」
「地上にいる間でも睡眠中の体験を思い出すものでしょうか」――時おりおぼろげながらそれらしきものを思い出すという列席者が尋ねた。
「あなたの霊がその身体から離れると、脳という地上生活のための意識の中枢から解放されます。するとあなたの意識はこちらの世界の波長――といっても進化の程度による個人差がありますが――での体験をするようになり、体験している間はそれを意識しております。
が、朝その身体にもどり、その霊的体験を思い出そうとしても、思い出せません。なぜかと言えば、霊による意識の方が脳による意識より大きいからです。小は大を収容することができず、そこに歪みが生じるのです。それは例えば小さな袋にたくさんの物をぎゅうぎゅう詰めにするようなものです。ある程度までは入っても、それ以上のものを無理して入れようとすると形が歪んでしまいます。それと同じことが肉体にもどった時に生じているのです。
しかし、魂が進化してある一定以上のレベルの霊的意識が芽生えた人は、霊界での体験を意識できます。そうなると脳にもそれを意識するように訓練することができます。
実はわたしはここにおいでの皆さん全員に霊界でお会いしており、地上にもどったらこのことを思い出してくださいよ、とお願いしているのですが、どうも思い出していただけないようですね。お一人お一人と語り合い、またいろんな場所へご案内してあげているのですよ。ですが、たとえ今は思い出せなくても、何一つ無駄にはなりません」
「その体験の記憶が死後に役立つということでしょうか」
「その通りです。何一つ無駄にはなりません。摂理はうまくできているものです。霊界へ来て永い永い体験を積んだわたしたちは、摂理の完ぺきさにただただ感嘆するばかりなのです。地上でのホンのわずかな体験で宇宙の大霊にケチをつける人間を見ていると、情けなくなります。知らない人間ほど自分を顕示したがるものです」
続いて出された質問は、そうした睡眠中の体験はただ単に死後への準備なのか、それとも為すべき仕事があってそれに従事しに行く人もいるのか、というものだった。
シルバーバーチが答える――
「仕事をしに来る人もいます。睡眠状態において背後霊団の仕事にとって役立つ人がいるのです。(たとえば暗黒界へ降りて幽体で霊媒の役をすることがある)しかし、ふつうは死後への準備です。物質界での生活のあとから始まる仕事にとって役に立つような勉強をするために、あちらこちらへ連れて行かれているのです。そうしておかないと、いきなり次元の異なる生活形態の場へ来た時のショックが大きくて、その回復に相当な時間を要することになります。
そういうわけで、あらかじめ霊的知識をたずさえておけば、死後への適応がラクにできるのです。何も知らない人は適応力がつくまでに長期間の睡眠と休息が必要となります。知識があればすんなりと霊界入りして、しかも意識がしっかりとしています。要するに死後の目覚めは暗い部屋から太陽のさんさんと照る戸外へ出た時と似ていると思えばよろしい。光のまぶしさに慣れる必要があるわけです。
霊的なことを何も知らない人は死という過渡的現象の期間が長びいて、なかなか意識がもどりません。さしずめ地上の赤ん坊のような状態です。ハイハイしながらの行動しかできません。睡眠中に訪れた時の記憶は一応思い出すのですが、それがちょうど夢を思い出すのと同じように、おぼろげなのです。
良い心がけが無駄に終わることは、地上においてもこちらの世界においても、絶対にありません。そのことを常に念頭に置いておいてください。真心から出た思念、行為、人のためという願いは、いつか、どこかで、だれかの役に立ちます。そうした願いのあるところには必ず霊界から援助の手が差し向けられるからです。
地上は今やまったくの暗闇におおわれています。迷信と間違いと無知のモヤが立ちこめております。大霊の意志が届けられる道具はごくわずかしかいません。予言者の声は荒野に呼ばわる声のごとく、だれも聞いてくれる人がいません。洞察力に富む彼らの開かれた未来像はかき消され、聖なる道具(霊媒)は追い出され、聖職者の悪知恵と既得の権力が生ける神の声と取って代わってしまいました。
物質万能主義がその高慢な頭をもたげ、霊的真理をことごとく否定しました。その説くところは実に意気軒昂でしたが、それがもたらした結果は無益な流血・悲劇・怨恨・倦怠・心の病・絶望・惨めさ・混沌・混乱を伴った世界規模の大惨事でしかありませんでした。
しかし、大霊の声をいつまでも押し黙らせておくことはできません。霊的真理が今ふたたび宣戦を布告しました。その目的とするところは狂える世界に正気を取りもどさせることです」
その目的をさらに説明して――
「わたしたちは惨めさと取り越し苦労と自暴自棄の念を地上から追い払おうと努めているのです。それに代わって素朴な真理と理性の光、神からのインスピレーションと啓示、あまりにも永いあいだ押しつぶされ、もみ消され、抑え込まれてきた霊の叡智をもたらすべく努力しているのです。
わたしたちは人間の霊性を正しい視野のもとに置いて、霊的能力を引き出させ、幼稚な物質中心思想の間違いを暴いて、それに永遠の別れを告げさせたいと願っているのです。
わたしたちは既得の権力というものは国家であろうと教会であろうと、民族であろうと階級であろうと一宗一派であろうと、そのすべてに反抗してまいります。すべての人間に自由を――崇高にして深淵、そして純粋な意味における自由をもたらしてあげたいのです。
わたしたちは又、死にまつわる取り越し苦労と恐怖心をなくし、それが永遠の生命の機構の中でそれなりの役割を果たしていることを理解させてあげたいのです。
さらには物質界と霊界との自然なつながりの障害となるものを排除して、人間は本来が霊であることを理解させ、その理解のもとに真の自我を自覚してくれることを望んでいるのです。そうなることによって内部に宿る神性が目を覚まし、神の意志が子等のすべてを通して発現することになってほしいのです」
そう述べてから、今度はその目的のために地上で協力してくれている世界中のスピリチュアリストに向けて――
「皆さん方は新時代の先駆者です。先駆者ゆえの苦難は覚悟しなければなりません。が、掛けがえのない遺産を後世に残すことになります。
いつどこにいても人のため、世の中のため、人類のためを心がけるのです。自分を忘れるのです。ケチくさい打算の世界に超然としておれるようでないといけません。授かった能力を最大限に発揮して人のために役立てるのです。
わたしたちが公言している目的、わたしたち霊団の使命については、そのうちなるほどと得心していただけるものをお届けします。皆さんと血縁のあった人たち、他界した愛する人々が今こちらの世界で勢揃いして、わたしたちとともに真理の普及に心を砕いている事実を立証してさしあげます。
その方たちの背後にわたしたちが控え、そのわたしたちの背後には全人類・全民族が一丸となった高級霊団の一大組織が控え、魂の自由のために皆さんを援助し、惜しみなく尽力してくださっているのです。
そして、その全組織の背後には宇宙最大の力、全生命の大源、創造主、王の中の王、あなた方が神と呼んでおられる大霊(グレイトスピリット)が控えているのです」
イエス・キリストの降誕と復活を祝うクリスマスとイースターの季節には霊界でも最高級霊(地球神界の八百万(やおよろず)の神々)による大集会が開かれるという。それに欠かさず出席しているシルバーバーチは、ある年のイースターにその話を持ち出したあと、こう語った――
「その集会で積み重ねられる審議と討議、すっかり狂ってしまった病める地上世界を破滅から救うための努力を通して、わたしたちは地上の人間が真の自我を見出し、自らこしらえた問題を自らの力で解決していくための真理と自由と素朴さと叡智の道をお教えしようと腐心しているのです。一つの共通の目的のために善意の同志が一致協力することによって、今からでも得られる平和を手にしていただきたいのです。
いかなる困難の中にあっても、わたしたちは決してたじろぎません。わたしたちは常に楽観主義を強調し、大霊に守られている事実を申し上げています。目的は大霊の道具としてお役に立つことです。その大霊は絶対的存在なのですから、わたしたちの仕事が挫折することは有りえないのです。
人類がこの地上に誕生するはるかはるか以前から“摂理”というものが働いております。その摂理のもとに、宇宙の大霊が一つの目的をもって行動を開始し、地球上にその大霊の神性を帯びた無数の生命体を用意しました。それぞれが大霊の造化の目的へ向けての役割を担っていたのです。
同時に大霊は、すべてに自由意志を与えました。自由意志のもとに霊的・精神的に進化しながら、その大霊の大目的に貢献するためです。
この大宇宙を顕現させ、無生物にも生命力を、人類には意識を賦与された完全無欠の知性は、たとえご自身の創造物がその目的からそれたことをしようと、それで挫折するようなことはありません。
人間には大霊の御心のすべてを窺い知ることはできません。しかし大霊には人間の心の奥底までのぞき見ることができます。けっして騙されることはありません。大霊の前ではすべての人間の秘密が素っぱだかにされ、むき出しにされます。自分をごまかしていた人間も大霊だけはごまかせません。摂理というものがあり、これだけは裏をかくことも無視することもできないからです。
人間が大霊の計画の推進をおくらせ少しのあいだ障害となることはあっても、そのまま計画を押し留めつづけることはできません。
そういう次第でわたしは霊界での大集会に参列したあと、他の多くの同僚と同じように、この地上にあって人類のために刻苦している同志を新たな希望と熱意と情熱とで鼓舞するための努力を一段と強める覚悟で、地上へもどってまいります。
地上の同志の中には、真理普及の闘いで髪に白いものが目立っている人が大勢います。背負った重荷に腰が曲りかけている人もいます。時には、結局は大したことは出来なかったと、残念がる人もいます。しかし、仕事の成果の判定者は自分ではありません。判定者はただ一人、寸分の不公平もなくすべてを判定なさる大霊のみです。
わたしたちがこの暗黒の地上へ舞いもどってくるのは、地上人類への愛があるからこそです。無明から光明へと目覚めていただく、そのお手伝いをしたい――それ以外に理由はありません。住みなれた光明界の楽しみや美しさはそうたやすく手離したくはありません。が、それをあえて振り切って地上へ降りてくるのは、わたしたち指導霊の一人ひとりにとっては、それが光明界の楽しみや美しさにも勝る、偉大な仕事であるとの認識があるからです」
いわゆる“死者”が地上へもどってくることができること、そして現にもどってきている事実を認めた上で、ある若い新聞記者がなぜ霊はあのような奇っ怪な手段でしか通信できないのかと尋ねた。つまり暗い部屋でメガホンのような道具を使って代わるがわる語りかける実験会(セイアンス)のことを念頭においての質問だった。するとシルバーバーチがこう答えた。
「部屋を暗くすることがなぜ奇っ怪なのでしょうか。夜と昼とをこしらえたのは大霊です。暗い部屋で行うのがなぜ明るい部屋で行うより奇っ怪に思えるのでしょうか。暗闇も光も同じく大霊のものです。暗闇とは光が存在しないというだけの状態ではないでしょうか」
「それはそうなのですが、暗くすると五感の一つが使えなくなります」
「おっしゃる通りですが、霊的感覚を鋭敏にする効果があります。不幸にしてそれがふだんの地上生活で使用されることが滅多にないのです。なぜ霊的なものまで物的な手段で表現しなくてはならないのでしょうか。霊的高揚や霊的真理、そして霊的叡智までも、本来は物的存在であると同時に霊的存在である人間にその醍醐味を味わってもらうために、なぜ物的なものに還元しなくてはならないのでしょうか。
人間が最高にして至純のバイブレーションに感応しないのは、わたしたちが悪いのでしょうか。霊の声が聞こえないあなた方のために、わたしたちがメガホンを使って(その中に発声器官と同じものをこしらえて)人間と同じ音声を発しなければならないのは、わたしたちが悪いのでしょうか。非難の声はわたしたち霊側に向けられるべきなのでしょうか、それともあなた方人間の側に向けられるべきなのでしょうか。
わたしたちは今こうして実在の霊として存在し、皆さんもわたしたちと同じ霊的本質をそなえた霊的実在としてここにいらっしゃる。なのに、皆さんはわたしたちが半物質的次元にまでバイブレーションを下げてあげないと、見ることも聞くこともできないのです。
ところが、そういう工夫をしてまで霊の存在を示してあげようとすると、なぜそんな他愛もないマネをしなければならないのですかとおっしゃいます。それは、あなた方の世界が物質的なことにばかり浸り切って、物的感覚から抜け切れないからに過ぎません。そこから抜け切ることができたら、霊的世界の醍醐味をほしいままにできるのです。
わたしたちが悪いのではありません。わたしたちとしては皆さんの内部に宿る最高のものに訴えたいと努力しているのです。しかし、それが反応を見せてくれることは滅多にありません。子等の魂に内在する大霊の神性が発揮されることが一日のうち何度あるでしょうか。洗練された霊的資質がどれほど発揮されているでしょうか。
愛他主義と理想主義の精神がどれほど発揮されているでしょうか。それよりも利己主義の方が大手を振り物質中心の物の考え方が好き勝手に振る舞ってはいないでしょうか。そうしたことは地上世界の問題であり、わたしたちの問題ではありません。
わたしたちは物的外皮の下に埋もれている永遠の実在を見出させてあげようと努力しているのです。それを、できることなら霊的な方法で行いたいのです。すなわち強烈なインスピレーションに触れさせるとか魂の琴線に触れさせるという形の方が望ましいのです。また、そう努力してみました。が、その方法では、反応をみせる人間は情けないほど少ないのです。
それに引きかえ、テーブルを動かすとか叩音を出すとか、メガホンを部屋中を飛び回らせるとかの現象をお見せすると、皆さんは“すごい!”とおっしゃいます。その時わたしたちは内心“何をくだらないことを!”と思っているのです。音を出してみせることの方が魂を感動させることより大切なのでしょうか」
同じジャーナリストが尋ねる。
「私は時おり今の世界の実情、とくにその不公平に我慢ならないことがあります。飛び出していって闘いたい衝動に駆られるのですが、現実はどうしようもないように思えます。どうすればよいのでしょうか」
「わたしなりの考えをご披露しましょう。地上で生活している人間のすべて――富める者も貧しい者も、身分の高い人も低い人も、地位も肩書きも階級も職業もいっさい関係なくすべての人に、自分を人のために役立てるチャンスが必ず訪れることになっております。それは、小さな間違いを正してあげる仕事かも知れませんし、小さな不公平を公平にしてあげる仕事かも知れません。暗い片隅にささやかな光明をもたらしてあげる仕事かも知れません。
世間の目にハデに映る闘いばかりが意義ある闘いではありません。わたしたちは人間の行為の価値基準を、それが他人のために役立つことであるか否かに置いております。それなら誰にだってできるはずです。いつどこにいても、人のために自分を役立てるチャンスならいくらでもあるはずです。
どうか、ご自分を少しでも役立てることに努力してください。自分を役立てたいという願望で心を、精神を、そして魂を満たしてください。そうすれば、こちらであなたのような人材を求めているスピリットを自動的に引き寄せます。その時点であなたは、霊力が地上へ働きかける手段となることに成功したことになります。そして思いもかけなかったほどの力量を発揮する仕事が授けられることになるかも知れません。が、いずれにせよ、ラクな人生でないことだけは覚悟しておいてください」
「そういう期待はしておりません」
「そうでしょうとも。ですが、魂の奥底から湧き出る満足感を覚えるようになります。そして、見せかけだけで何の益もないものに捉われないようになります。無駄に使用されているエネルギー、目の前にありながらみすみす失われているチャンスをもったいなく思うようになります。そして自分は今どうすべきかが分かるようになります。
この交霊会もあなたにとっては初めての体験ですから不思議に思えることでしょう。ですが、これも宇宙の自然法則の一つを利用して行われているのです。地上の科学者は大自然の法則のすべてを発見したわけではありません。これまでに得た知識は全体のホンのひとかけらほどにすぎません。今後の開発を待ちうけている法則と知識の分野がまだまだ広がっております。
それは必ずしも実験室内で発見されるとはかぎりません。解剖して見つかるとはかぎりません。計器で測れるとはかぎりません。進化した魂のみが理解できるもの、さらに高度な叡智を受け入れる霊的準備が整った者でないと理解できないものもあります。
知識は本来人間を尊大にするものではなく謙虚にするものです。知れば知るほどまだまだその先に知るべきものがあることを自覚させるからです。尊大にさせるのはむしろ無知の方です。知らないから生意気が言えるのです。最高の知識人はみな謙虚でした。知れば知るほど、知らないことが多いことを思い知らされるからです。
わたしたちへ向けて軽蔑と嘲笑の指をさす人たちは、頭の中に何もない、無知で身を固めた人たちです。知識を求め、新しい真理をよろこんで受け入れる素直な魂には、霊の力が感動を及ぼすことができます。そういう素地ができているからです。大霊の使徒として、その知識と叡智と力と意志とを地上にもたらすことに心を砕いているわたしたちにとっては、そういう人こそ役に立つ人材なのです。
わたしたち霊団の者は、自分自身のことは何一つ求めません。求めているのは、皆さんが物的な面だけでなく、精神と霊にかかわる面においても、心がけ一つで我がものとすることができる無限の恩沢に少しでも気づいてくれること、それのみです。測り知れない価値をもつ真理が皆さんを待ちうけているのです。
利己主義・無知・既得権力――これがわたしたちの前途に立ちはだかる勢力です。そして、わたしたちはこれに真っ向から闘いを挑んでいるのです。徹底的に粉砕したいのです。魂を飢えさせ、精神を飢えさせ、そして身体を飢えさせる元凶であるこうした地上の悪の要素を取り除いて、その飢えを満たしてあげたいのです。
弱き者、堕落せる者の心を高揚し、寄るべなき人々に力を与えてあげたいのです。地上世界から飢餓と病気と不健康状態を取り除いてあげたいのです。地上の疫病であり人類の汚点である不潔なスラム街と汚れた住居を廃絶したいのです。
暗闇に閉ざされた人々に光を、何も知らずに生きている人々に霊的知識を授けてあげたいのです。人類の意識を高め、魂と精神と身体の足枷を解いてあげたいのです。あらゆる形での利己主義――文明を蝕(むしば)み、代わって混乱と破滅と戦争と破壊をもたらす地上の毒を取り除きたいのです。
言いかえれば、地上世界に霊力を甦らせ、お互いがお互いのために生き、お互いの幸せのために協力しあい、憎しみと貪欲と強欲と私利私欲が生み出す垣根を取り払い、大霊の意図された通りに平和と豊かさを満喫できるようにしてあげたいのです。
それがわたしたちの使命であり、今まさに前進を続けているところです。わたしたちが何者であるかはどうでもよろしい。通信の手段は大切ではありません。大切なのはメッセージそのものです。それは淵源を神に、わたしのいう大霊に発しております。だからこそ永続性があるのです。
俗世的なものはいずれ消滅するのです。束の間のものは、しょせん束の間の存在でしかありません。しかし、霊的実在は永遠です。移ろいやすい物的所有物を絶対と思い込んでいる人は、影を追い求めているようなものです。霊的真理を求めている人は、真に自分の所有物となるものを授かりつつある人です。自信をもって前進なさい。霊的知識――大霊の宝石を探し求めなさい。
わたしのことを暗黒の勢力の声と思ってはなりません(※1)。永遠の霊的実在のシンボルとお考えください。もっとも、わたし個人は取るに足らぬ存在です。又、わたし個人として求めるものは何一つありません。わたしはただ霊的メッセージをお届けに来ているだけです。そのメッセージが実に重大なのです。今日の地上世界にとって最も大切なもの、とあえて申し上げます。
これまでの試みはすべて失敗に終わりました。キリスト教、政治家、科学者、思想家――どれ一つとして地上世界を救うことができませんでした。むしろ無明ゆえに崩壊へ一歩一歩近づき、今まさに破滅寸前のところまで至っております(※2)。霊的真理と霊的実在についての知識こそが、まず自らを救う道を教えることによって、地上世界を救うことになるのです。
生命の実体は物質の世界には見出せません。実在は霊的なのです。霊的真理を否定する者は生命力そのものを否定していることになり、自分を生かしてくれているその生命力の恩恵にあずかることを拒否する者は、受難の人生を送ることになります。なぜなら大霊との連絡路を断つことばかりしているからです」
※1――シルバーバーチの霊言が公表されはじめた頃はキリスト教界から激しい語調でそう決めつけられていた。
※2――本書に収められている霊言は一九三九年の第二次大戦の勃発以前のものとして読まれたい。
祈り
ああ、真白き大霊よ。
人間の記憶を絶する遠き太古の昔より、子等はあなたを、そしてあなたの意図を理解せんと努めてまいりました。嵐の中に、雷鳴の中に、稲光の中にあなたの働きを想像したこともございました。
嫉妬ぶかき怒れる神、報復の機を窺い流血をよろこぶ神を想像したこともございました。ある者には力を授け、ある者には弱みを与え、ある者には勝利を与え、ある者には敗北を与える、えこひいき剥(む)き出しの神を想像したこともございました。自分の宗教のみの神を想像し、人間の有限性の範囲の中であなたを定義づけんとしたこともございました。
しかし、あなたの御名のもとに地上へ戻ってきたわたしどもは、あなたを全生命に宿る無限の霊――摂理として働き、摂理にのっとって顕現せる普遍的大霊として説いております。全生命に宿りたまい、全生命を通して働き、その霊力なくしては何ものも存在しえぬ、無限絶対の霊として説き明かさんとしているところでございます。
あなたは生命現象のあらゆる相――いま物質の世界において知られている相のみならず、死後、霊の無数の界層において知ることになる、より次元の高い生命の相においても、あなたが顕現しておられることを説いております。
あなたは全生命の大霊におわします。あなたの知ろしめされる全大宇宙においては、物質と霊との間に境界はございません。すべてを等しく支配しておられるのでございます。そして子等にあなたとの密接不離の絆、すなわち各自の内部に宿るあなたの分霊(わけみたま)の存在に気づかせ、その神性を認識することによってそれを生活の中で顕現させ、可能なかぎり崇高な体験を得さしめ、かくしてあなたの造化の大事業の道具となさしめんと意図しておられることを、わたしどもは説き明かさんとしているのでございます。
その目的のためにわたしどもは祈り、そして刻苦いたします。何とぞあなたの僕(しもべ)たるインディアンの祈りを聞き届けたまわんことを。
第2章 神はときには荒れ狂う嵐のごとく……
数年前に愛する妻に先立たれ、その妻が死後も生き続けている証拠を求めてきた英国の下院議員が、ある日の交霊会に招かれてシルバーバーチと長時間にわたる意義ある対話をもつことができた。
その議員は動物への虐待行為を中止させる運動に大きな貢献をしている人で、シルバーバーチから引き続き頑張るようにとの励ましを受けて、魂の高まりを覚えながら会場をあとにしたのだった。
まずシルバーバーチから語りかけた。
「地上世界は、洞察力に富む一部の人を除けば、大きな悲しみの体験をさせられる前に霊的真理の必要性を知る人がほとんどいませんね」
「でも、その洞察力はどうすれば得られるのでしょうか」
「もとより容易なことではありません。たとえば、こうした霊言や自動書記などの手段によって通信霊が自分はかくかくしかじかの霊であると述べた場合、それだけで直観的にその通りか否かを得心できるようでなければいけません。あなたもそう努力なさって来られました。もちろん、わたしたちとしては物質界の人間が要求する証拠性の基準に合わせる必要があることは認めます。が、それにも限界がありますから、これまであなたがなさってきたように、与えられたものを真剣な批判的態度で判断し検討しなければいけません。偏見を混じえずに心の扉を開き、理不尽な懐疑的態度さえ取らなければ、わたしたちとの連絡はラクになります」
「私が欲しくてならないのは、この地上を去った人たちが今も間違いなく生き続けていて、地上の人間とつながりをもち、現実に影響を及ぼしていることを立証してくれるものです。それを得るにはどうしたらいいのでしょうか」
「そのためには、わたしが使用しているこの霊媒よりも立派で、あなたの求めているような万全の証拠が提供できる波長に感応する霊媒を見出すしかないでしょう。ただし、そういう証拠を求めているのはあなたの魂ではありません。頭の中でそう思ってあがいていらっしゃるだけです」(※)
※――この一節には大切なことが含まれている。人間側からすれば、その霊が地上で誰であったかを立証する具体的な証拠くらい簡単に出せそうに思えるが、実際には具体的なことになるほど地上臭が強くなり、それだけ波長が低くなるので、それが受けられる霊媒は程度が低いことになる。ということは低級霊が感応しやすいという危険性があり、うまくハメられやすいことにもなる。“感激の対面”をして親子が抱き合って涙を流すその裏側では、イタズラ霊がしてやったりと、ほくそえんでいることが多い。シルバーバーチはそのことを露骨に言わず、いかにもシルバーバーチらしく、ちょっぴり皮肉も込めて述べている。
最後の一文はさらに大切なことを教えている。人間は大ざっぱに言えば肉体と精神と霊とで構成されているが、成長するにつれて意識の中枢が肉体から精神へ、そして霊へと移っていく。理屈ばかりこねている人間は精神的段階に留まっている証拠であり、まだ真の自我には目覚めていない。その段階を抜け出ると直観(直感ではない)で理解するようになる。理屈や証拠を超えて真相を洞察してしまう――わかるのである。霊的能力というとすぐに霊視や霊聴を思いうかべる人が多いが、最高の霊的能力はその直観力である。
「では、その魂がもっと意識できるようになるにはどうしたらよいのでしょうか」
「それは霊的開発の問題です。より精妙な波長が意識できるように、霊的次元にチャンネルを合わせる方法を会得することです」
「チャンネルを合わせるにはどうしたらよろしいのでしょうか」
「地上世界が活気にあふれている時にこちらの世界は静まり返っていることがあり、そちらが静まり返っている時にこちらでは活気にあふれていることがあるものです。ですから、精神活動を止めて静寂の世界へ入り、受身になってみられることです。じっと待っていると魂が活動を開始するのがわかるようになります」
「特殊な考えが浮かんだ時、それが自分の考えなのか霊界から送られてきたものかを見分けるにはどうしたらよいでしょうか」
「そうしたことはすべて、精神をいかにコントロールするかに係わる問題です。精神があてどもなくフラフラしている状態から、意識的にきちんと支配下において、完全な静寂の中で高度な波長がキャッチできるようになることです。直観がひらめくのはそういう時です。波長が高く、速く、そして微妙だからです。地上的な思念はのろくて、不活発で、重々しく感じられます」
「地上で最高といえるほどの魂にも同じことが言えるのでしょうか」
「言えます。すべての魂に当てはまります。よくお考えください。人間は本質的に二重の要素をそなえているのです。動物時代の本能の名残りと神の分霊とがあって、それがあなたの存在の中で常に葛藤しており、そして、そのいずれかを選ぶ自由意志を持つあなたがいるわけです。そこに進化の要素があるのです。あなたとしてはなるべく動物性を抑え、潜在する神性を発揮する方向で努力しないといけません。
神、わたしのいう大霊は、人間をはじめとしてあらゆる生命形態に内在しております。すべてが神であり、神がすべてなのです。ある人にとって神は優しいそよ風のごとく感じられ、又ある人にとっては、ときに荒れ狂う嵐のごとく感じられるものです。すべては各自の発達程度の問題です。
あなたの場合も魂の内奥の神性がうごめき、奥さんの死という悲しみの体験が触媒となって一段とその顕現の度合を増しつつあります。他界後の奥さんのことを求め続けられているのもそのためです。今夜こうしてこの交霊会に出席されたのもそのためです。これからのちも真理を求め続けられることでしょう。なぜなら、今やあなたは霊的真理への正道を歩んでいらっしゃるからです」
「ということは、発達の第一歩は願望を抱くことから始まるとおっしゃるのでしょうか」
「そうです。まず謙虚に、真摯に、そして敬虔な気持で知ろうとすることから始まり、今度は、そうして得た知識を自分の信念の確立のためだけでなく、他人のために役立てようという決意が出てこないといけません。
あなたはその願望をお持ちであり、これまでそう努力なさってこられました。そして、あなたが気力を無くしかけ、闘う意欲を失いかけ、いっそのこと第一線から引退して美術でも楽しむ生活を始めようかと思われた時などに、背後霊が懸命にあなたを鼓舞してまいりました。が、結局はあなたの魂の奥の神性がじっとしておれず、霊界からのインスピレーションにも鼓舞されて、恵まれない人たちのための闘いを続ける決意を新たにしてこられたのです」
このあとシルバーバーチはその下院議員の背後霊団について述べてから、さらに言葉を継いで――
「背後霊団のことを申し上げたのは、あなたもこちらの世界からの愛の保護下にあることを知っていただきたかったからです。人のためと思って努力している人々はみな霊界からの愛とエネルギーに取り囲まれていることを自覚し、仕事においてどれほど励まされ、勇気づけられ、感動させられ、そして支援されているかを知れば、いっそうの熱誠と情熱と集中力とをもって闘いに挑んでくださることと思うのです。人のために為された努力が無駄に終わったことは一度もありません。たとえ本来味方であるべきだった者から誤解され曲解され嘲笑され、あるいはこの人だけはと思って信頼していた人から裏切られることがあっても、あなたの奉仕の仕事は生き続けます」
「そのためのアドバイスをいただけたらと思うのですが……」
「あなたには細かいアドバイスはいりません。あなたはご自分で自覚しておられる以上に大きな仕事をなさっておられます。すでに立派に人のために役立つことをなさっている方から“私に何かお役に立つことがあるでしょうか”と聞かれると、わたしの心はうれしさでいっぱいになります。なぜなら、それは立派に人のためになることをしていながら、さらに大きな貢献をしたいと思っておられることの証拠だからです。
これまで同様に弱き者、無力なものを助け、力が不足している人に力を貸し、暗闇にいる人に光明をもたらし、足の不自由な人、あるいは何かの苦しみを抱えている人に救いの手を差しのべてあげてください。残虐行為――とくに魂が怯(おび)えるような残酷な行為、つまり人類の最大の友であるべき動物への虐待行為を止めさせるために闘ってください」
そう述べたあとシルバーバーチは、指導霊として霊界から地上での人間活動に影響力を行使することの難しさを次のように説明した。
「指導霊は自分の意図するところを物質界に感応させねばなりません。それが容易なことではないのです。なぜかと言いますと、ご存知のとおり物質界から放散されている波長は、およそ感心できる性質のものではないからです。現在の地上界は、光のあるべきところに闇があり、知識のあるべきところに無知があり、叡智のあるべきところに無分別があり、豊かさのあるべきところに欠乏があり、幸福のあるべきところに悲劇があり、優しさのあるべきところに残酷があり、愛があるべきところに憎しみがあります。霊がその威力を届けるための通路である霊的能力者はいたって少数です。しかし、その数は着実に増えつつあり、潮流はわれわれに有利な方向へ進みつつあります。
ところで、あなたの魂が目を覚ましたのは悲しい体験のお蔭だったのですよ」
「あの悲劇もある目的のためにもたらされたとおっしゃるのでしょうか」
「大きな悟りは大きな悲しみから生まれるものです。人生は“埋め合わせ”の原理によって営まれています。日陰のあとには日向があり、嵐になれば避難所が用意されます。光と闇、嵐と晴天、風と静寂――こうしたものはすべて大霊の配剤なのです。大霊は生命活動の全側面に宿っております。闇があるから光の有り難さがわかるのです。争いがあるから平和の有り難さがわかるのです。人生は比較対照の中で営まれています。魂は辛い体験、試練、苦難のるつぼの中で真の自我に目覚め、純化され、強化されて、より大きな人生の目的と意義を理解する素地が培われるのです」
「では、苦難は霊性の開発に必要なことを気づかせるために意図的にもたらされることがあるということでしょうか」
「そうです。魂がその深奥にあるもの、最高のものを発揮するには、さまざまな体験を必要とするからです。魂は永遠の存在であり、それまでの思念の一つ一つの結果、口にした言葉の一つ一つの結果、行為一つ一つの結果をたずさえており、結局今のあなたはあなた自身がこしらえた――一秒ごとに、一分ごとに、一時間ごとに、一日ごとに、一週間ごとに、一ヵ月ごとに、一年ごとに築いてきたことになるのです。自我の成長は自分で達成するのです。そして、行う行為の総決算があなたの現在の進化の程度を決めるのです。自分以外の誰にもそれはできないのです」
「意図的行為と無意識の反射的行為とは別のものでしょうか」
「反射的に行われたからといって、そこに因果律が働く余裕がなかったということはありません。その行為そのものが、因果律の存在を厳然と示しています。あなたの行為は現在のあなたという人格全体から生み出されるのです」
「その現在の人格は各自がこの地上で行ってきた行為の総決算だとおっしゃるのでしょうか」
「その通りです。これまでに行ってきたことの結果が今のあなたであり、今のあなたが行うことが未来のあなたをこしらえるのです。因果律は一瞬の途切れもなく、しかも完ぺきに働いています。完全にでき上がっていますから誤るということがありません。人間界では国家が定めた法律をごまかすことができますが、大自然の摂理をごまかすことはできません。なぜなら、魂にはそれまでの行為の結果が永久的に刻み込まれており、その有りのままの姿があなたであり、それと違うものに見せかけようとしても通用しません」
「間違ったことをした時は必ずそれに気づくものでしょうか」
「そうとは限りません。良心の声が聞こえない人がいますし、心が頑(かたくな)になっている人がいますし、魂が悪想念に取り巻かれて大霊の生命力の通路が塞がれている人がいます。人間は必ずしも自分の間違いに気づいているとはかぎりません。もし気づいているのなら、地上に戦争は起きないでしょうし、残酷な行為も見られないでしょうし、飢餓に苦しむ人もいないはずです。これほど多くの病気はないでしょうし、一方に飢えている人がいるというのに食べ放題のぜいたくをするということもしないはずです」
「それを改めるにはどうすればよいのでしょうか」
「あなたやわたし、ここに集える者と霊団の者全員が利己的な物質中心思想が生み出す不平等を撃破して、代わって大霊の恩寵をすべての子等に行きわたらせ、病気やスラム街、不健全なものや貧困、そのほか人間の魂と身体とを拘束するものすべてを何としてもこの地上から駆逐しようと固く決意することです。それらはみな間違ったことだからです。各自に内在する神性を自覚させ、人間として為すべきことは何であるかを、この地上を去る前に自覚させてあげないといけないのです」
ゲストの下院議員は多くのスピリチュアリストと同じように、動物愛護運動に深く係わっていた人である。そこで本章の締めくくりとして、かつてシルバーバーチが改革運動に係わった人々への霊界からの働きかけについて語ったものを紹介しておこう。
「わたしが説いていることは、過去のあらゆる時代に人類のために精励したすべての改革者、すべての聖人、すべての予言者、理想主義に燃えたすべての人々の先見の明がとらえた気高い崇高な考えと、まったく同じものです。
彼らはその霊格の高さゆえに霊眼をもって地上生活のあるべき本来の姿を垣間みることができ、その美しい未来像が、逆境と闘争の中にあって心の支えとなってきたのでした。彼らには、いつの日かきっと実現される霊的計画がわかっていたのです。そこで同胞である物質界の子等にとって、今のうちに少しでも霊性を高めることになる仕事に貢献したのです。奉仕です。
彼らは、皮肉にも、その奉仕的精神から正しい人の道を説いてあげた当の相手から貶(けな)され、抵抗にあい、嘲笑の的とされましたが、彼らの仕事は立派に生き続けました。それは今日世界中の無数の国において、この交霊会のようなささやかな集いの場において行われていることが引き継がれていくのと同じです。それにたずさわった人々は次々と忘れ去られていくでしょうけど……
大霊の強大な勢力が今ふたたび地球という物質の世界へ向けられているのです。地上のいかなる勢力をもってしても、その強大な潮流を遮ることはできません。
地上の人間は流血によって問題が解決するかに考えるようですが、かつて流血によって問題が解決された例(ためし)はありません。無益であり、何の解決にもなっていません。
人間はなぜ神から授かった理性が使えないのでしょうか。なぜ唯一の解決法が一人でも多くの敵を殺すことだと考えるのでしょうか。いちばん多くの敵を殺した者が英雄とされる――地上というところは不思議な世界です」
祈り
ああ、真白き大霊よ。
わたしたちはあなたを永遠の生命のあらゆる現象の背後に働く無限の法則として説き明かさんとしております。古き時代にはあなたは歪められた眼鏡を通して見られておりました。嫉妬に狂う神、腹を立てる神、好戦的な神と思われたこともございました。
しかし、わたしたちは無限なる霊、あらゆる生命現象を通じて息づき、あらゆる自然法則の働きとしてご自身をお示しになっている存在として説き明かさんとしております。無限の叡智と理解力、愛と真理の大霊――弱き者、悩める者、挫折せる者を鼓舞することに精励する人々の生きざまを通じて顕現している大いなる霊として説くのでございます。
ああ、大霊よ。
あなたはたった一冊の書物の中にいらっしゃるのではありません。たった一つの教会(チャーチ)、たった一つの寺院(モスク)、たった一つの神殿(テンプル)、たった一つの礼拝堂(シナゴーグ)の中にいらっしゃるのでもありません。物質界の子等の有限なる理解力によって規定することも制約することも圧縮することもできない、広大無辺の霊でいらっしゃいます。
とは申せ、あなたは断じて子等とは無縁の遠き存在ではございません。まさに子等の内奥にましますのです。あなたの分霊(わけみたま)としてでございます。その分霊を通じてあなたはご自身を顕現なさらんとしておられるのでございます。子等の奉仕的生活を通じてあなたのご意志が発揮され、あなたの摂理が理解され、かくしてあなたの造化の大業の目的と同胞とのつながり、そしてあなたとのつながりについて子等が理解を深めるのでございます。
その理解の深まりとともに地上世界に新たなる光明、新たなる希望がもたらされます。平和が行きわたり、闘争が無くなります。利己主義が消え、悲しみが喜びに置き換えられ、生きるための必需品に事欠いていた人たちが真実の地上天国に生きることになるのでございます。
それがわたしたちが説き明かさんとしている大霊でございます。そのあなたの摂理を子等に教えんとしているのでございます。それを理解することによってこそ子等は俯仰(ふぎょう)天地に愧(は)じない生き方ができるのでございます。自らの力で束縛を解き放すことができるのでこざいます。奴隷のごとき卑屈な生き方を止め、膝を折ってあなたに媚びへつらうことなく、あなたからの生得の遺産を主張する――すなわちあなたのご意志を日常生活の中で発揮していく権利を堂々と主張できるのでございます。
第3章 わたしたちは決して見捨てません
英国陸軍の従軍牧師がハンネン・スワッハーの招きで出席し、シルバーバーチとの対話で真実の霊的真理を悟って辞職を決意するまでに至った。ところが、それから二、三ヵ月後にあっさりと他界した。そして今度は奥さん一人が招待されて、シルバーバーチからその間の事情の説明を聞くという珍しいケースがあった。まず夫妻が揃って出席した最初の交霊会の様子から紹介しよう。シルバーバーチから語りかけた。
「わたしが申し上げることを全部受け入れる必要はないのですよ。あなたの理性を使って、わたしの言うこと、あなたがお聞きになっていることを吟味なさって、わたしに挑戦してください。もしも理性が納得しないものがあれば、どうぞ拒否してください。わたしたち霊団の者は絶対に間違ったことは言わないとは申しておりません。わたしたちは過去の聖人や霊覚者が説きながら神学や教義の瓦礫(がれき)の下に埋もれて忘れられてしまった真理と同じものを改めて説いているだけなのです。人間の霊的新生、霊的自主独立、経済的ならびに社会的自由への道を教えてくれる、古くからある永遠不滅の真理を瓦礫の下から救い出そうと努力しているのです。“二師に仕うること能(あた)わず”(マタイ伝)といいます。もちろんご存知ですね。自分自身、自分の心、自分の存在を見つめ直してごらんなさい。そこには多くの、いえ、すべての問題に対する回答が秘められるものです。これまで大切にされてきた信仰の中の真実のものは、これから先も生き永らえます。何ものもそれを揺るがすことはできません。が、間違っていたものは捨て去らないといけません。カビの生えた古い誤りは、霊的啓示を前にしたら潔(いさぎよ)くその場を譲らないといけません。
永いあいだ地上世界を束縛してきたものとの闘いにおいて、わたしたちは一歩も後へは退きません。宗教の名のもとに築かれてきた教義とドグマと戒律の組織に対して闘いを挑んでおります。間違っているものは廃棄しなければならないのです。真実のものだけが生き永らえるのです。永いあいだ人間が崇めてきた大言壮語――霊感や啓示ではなく、ただの政策、とくに政治的政策からこしらえられたドグマは、どうあっても許すわけにはまいりません。
あなたも永いことご自分のことを忘れてひたすら人のためを思って軍の中でのお仕事に専念してこられました。しかし最近、そうした体制下での善行にホトホト嫌気がさしてきた……あなたはそんなことはないとおっしゃることでしょうが、奥様はわたしと同意見だと思うのですが……」
「おっしゃる通りです」と同伴してきた奥さんが述べた。
「あなたのお仕事は人前でのハデなものばかりではありませんでした。そういうことも一、二度はありましたが、大抵は人目につかないところでの地味なものでした。そして今ついに真実の霊的真理に目を開かれました。あなたご自身は遅きに失した、もう少し早く知っていたら、と残念に思い、これから先どういう形での奉仕ができるだろうかと迷っておられますね?」
「その通りです」
「いいですか、真理というものは受け皿が用意されて初めて受け入れることができるのであって、それ以前は知らん顔をしているものです。精神が受け入れる気になった時に真理の方からやってくるのです。せっかく訪れてノックをしても冷たくあしらわれることがわかっている時は、真理は近づこうとはしないものです。そろそろドアが開いて入れてもらえると思うまでは、少し離れたところで待機しているのです」
ここでシルバーバーチが「何かお聞きになりたいことがありますか」と言うと、
「何からお聞きしてよいかわかりません。よく解らないことが山ほどあり、とても面倒な問題もありまして……」と牧師が言う。
「どうぞ、その中でも一ばん面倒な問題をおっしゃってみてください。わたしにお力添えできることでしたら、せいぜい努力いたしましょう」
「実はこれまで務めてきた従軍牧師としての仕事をこれを機に辞職することが果たして賢明であるかどうかで迷っております。辞めたあと、これとはまったく分野の違う仕事で私に合ったものを見つけるのを背後霊はちゃんと援助してくれるものでしょうか」
「“求めよ、さらば見出さん。尋ねよ、さらば授からん。叩けよ、さらば、開かれん”――この言葉をあなたは何度説いてこられましたか」
「ずいぶん説いてまいりました」
「今このわたしが同じことをあなたに向かって説くことにしましょう。ただし、わたしの場合はただの信仰ではなく、知識による確信をもって申し上げます。わたしの世界には大霊の使者の大軍が控え、いつでも地上世界のために手助けをする用意を整え、あなたのような“道具”が“私はいつでも用意ができております。どうぞお使いください”と言ってくださるのをお待ちしている事実を、この目で見て知っているのです。
わたしたちは決して見捨てません。しかし最初にしかけるのはそちらです。真理が手引きするところならどこへでも迷わずついて行く用意があるという意志表示をしてくださらないといけません。今あなたは古い土台を取り払おうとなさっておられるところです。しかし、向かわれる先は砂漠ではありません。荒野へ迷い込んで行かれるのではありません。半信半疑の世界から抜け出て、霊的実在へと向かっておられるのです。
ここまであなたを導いた力こそ霊の力なのです。あなたはそのことについて信者の方にずいぶん説いてこられましたが、まだ理解はしておられませんでした。これが実はキリスト教でいう“聖霊の降臨”なのです。大霊がその知識、その叡智、その啓示、その真理、その愛を地上へ届けられる手段なのです。わたしたちはそのための道具にすぎません。永い年月にわたる奉仕と進化と成長と経験の末に、そういう仕事にたずさわる資格を身につけたのです。わたしたちは自分のことは何一つ求めていません。わたしたちが持っているもの全てを地上人類のために使用できる、その栄誉を保ち続けたいと思っているだけなのです」
「どうも有り難うございました」
「わたしへの礼は無用です。大霊に感謝してください。わたしたちは大霊のために奉仕しているのですから……。わたしたちはただの道具にすぎません。代理として働いているその大中心の存在に感謝なさるべきです。
わたしたちは永いあいだ荒野に呼ばわり、叫び続け、真理普及の地ならしをしてまいりました。地上人類が耳を傾けてくれるように工夫を凝らしてまいりました。しかし一向に耳を傾けてくれませんでした。霊の声を聞こうとしませんでした。サムエルを見つけるまで、わたしたちも、三度も四度も呼び続けました」(*旧約聖書“サムエルの書”上、第三章参照)。
「あなたがご存知のイエスについてお聞かせください」
「わたしは何度となくお会いしております。イエスは“父”の右に座っておられるのではありません。その“父”も黄金の玉座に座っておられるのではありません。イエスは進化せる高級霊の一人です。地上人類の手の届かないほど誇張され神格化された、縁遠い存在ではありません。すぐに手の届くところで、あなた方がスピリチュアリズムと呼んでおられるこの真理――わたしたちにとってはただの自然法則の働きにすぎませんが――その普及の指揮をなさっておられるのです。
交霊会をはじめとするさまざまな仕事を指示しておられるのが、ほかならぬイエスその人なのです。病める者を癒し、悲しむ者を慰め、無知なる者に真理の光をもたらし、いずこへ向かうべきかもわからずに迷っている者に道を教え、家もなくさ迷える者に宿りの場を与え、人生に身も心も疲れ果てた者に生きる勇気をあたえるために世界中で献身している人たちを鼓舞しておられるのです。
わたしたちが実際にお会いし、そして激励の言葉をいただいているのが、実在の高級霊、かつて地上で“ナザレ人イエス”と呼ばれていた方なのです。あなたはこれまでイエスはどこにいらっしゃると思っておりましたか」
「以前ならイエスさまは“父”の右側に座していらっしゃると答えたと思います」と正直に答えてから「でも今はもう全く異なる神の概念を抱いております」
「そうです。神は右でも左でもないのです。法則なのですから……。その働きは完ぺきであり、しくじるということがなく、間違うということがなく、始まりもなく終わりもなく、無窮に働き続けているのです。一個の人間としての神の概念をお捨てになり、全生命の背後に存在する法則としての大霊とお考えになってください。
そしてイエスをあなたと同じ存在とお考えになることです。はるかに進化はしていても、決して手の届かない無縁の存在ではありません。なぜなら、イエスがたどった道をあなたも今たどりつつあるのであり、イエスが発揮したのと同じ霊的能力をあなたも発揮できるのですから……。
イエスが行ったことはすべてあなたにもできるのです。“あなたたちもこれ以上のことをする時が来るであろう……”“見よ、私は救い主、すなわち真理の霊を送り届けるであろう……”――こうした言葉が今あなたにとって真実となっているのです。このわたしが“救い主”だと言っているのではありません。わたしが“真理の霊”だという意味ではありません。地上人類に文明の汚点である信仰上の誤りを理解させそれを取り除かせるために、大霊に源を発する霊力の一部として、わたしもイエスの指揮のもとに参加しているということです」
話題が変わって、霊界とのつながりについてこう語った。
「いったん霊界との磁気的なつながりが出来あがると、それは二度と切れることはありません。霊力というのに接し、その影響力によって感銘を受ける段階に達していれば、その段階で出来あがったつながりは二度と解消されることはなく、いつでも霊的なものを認識できる状態が保たれます。
そうしたつながりが出来あがる最初のきっかけは往々にして悲哀の体験――死別の悲哀、苦痛の悲哀、病気の悲哀ないしは悲嘆となるものです。そこに地上生活における“苦”が果たす役割があるのです」
さらに話題が発展して霊の得手不得手の話になり、シルバーバーチは地上の霊媒が単なる好みではなく能力に合った分野を選ばねばならないように、霊界においてもどれにするかで迷うことがあり、自分の場合は結局は“教えを説く”という手段を選んだことを説明した。そしてこう続けた。
「皆さんと同じように、わたしたちも一ばん伸ばしやすい能力を選ばねばなりません。表面近くにあるものが一ばん伸ばしやすいことになります。しかし時には二つないし三つの能力が同じ程度に発達している場合があり、そのうちのどれにするかの選択を迫られることもあります」
ここで出された質問に答えて――
「わたしは霊的真理に基づいた原理を説いております。いかなる問題もこれを適用すれば遠からず解決します。わたしは人間の苦痛の叫び声に無神経なわけではありません。できることなら重荷のすべてをわたしが背負ってあげたいくらいの気持です。ですが、地上世界のことは地上世界で片づけないといけないのです。そこには“公正”というものが行きわたるようになっているのです。と言って、ただ単に苦しい体験を積むばかりでは無意味です。その中から教訓を学び取らないといけません。そこで霊的摂理についての知識が大切となります。それを広めないといけません。
人類は霊的知識を身につけて初めて、待ちうけている喜びを味わうことができるのです。あらゆる苦しみから教訓を学び取り、地上世界がたとえ絶望だらけに思われても神の意志は必ず成就されること、その遠大な目的を挫折させるほどの力をもったものは地上には存在しないことを確信してください。達成の時期を遅らせることはできます。また少しの間だけ視界を曇らせることはできます。しかし新しい世界はすでに生まれております。古い世界が崩壊しつつある徴候がそこここに見られます。あなた方も変革の証拠をその目でご覧になっておられます。
自分たちが支配しているつもりでいた者が独裁と圧制の時代は終わったことに気がつくのも、そう遠い先のことではありません。しかし忘れてならないのは、そうした独裁者は大霊が用意なさったのではありません。あなた方人間がその出現を許したのです。憎しみと無知と時の事情によって生み出されたのです。
大霊は地上人類のために用意される恩寵についてはきわめて寛大です。すべての者に十分に用意しておられます。領土問題で争う必要はないのです。そもそも誰のものでも、どの国のものでもないのです。大霊のものなのです。人間はその大霊の借地人(テナント)にすぎません。ホンの短い期間だけ地上に逗留するためにお借りしているだけなのです。
霊的知識さえあれば、一滴も血を流さずに、一人の命も失わずに、すべての問題が解決できるはずです。ところが無知と既得権力が障害をこしらえてきたのです。あなたのような方が物質万能主義と闘う軍隊に一人加わるごとに、暗黒の勢力を一歩押し返すことになるのです。
わたしたちには奇跡は起こせません。霊的な“呪術師”ではありません。摂理というものの存在を説いているのです。その働きを知っているからです。困難につぐ困難の末に今やっとその努力が実りつつあります。絶望感など一かけらもありません。自信にあふれております。
このわたしも、わたしの全存在の息吹きをもってあなたを支援します。迷わず進みなさい。あらゆる不安の念を振り切って、自分には愛の援護がある――血縁のあった霊の愛、物質のベールで仕切られてはいても霊的には親しく通じ合い身近にいて常に導いてくれている霊の愛、それから又、あなたはご存知なくてもあなたをよく知っていて、誕生の時からずっと待ってくれている、大勢の霊的家族の愛があることを知ってください。
そうした大勢の霊がこれまでずっとあなたを鼓舞し、保護し、導き、目にこそ見えなくても現実的影響力を行使してきたのです。喜びをともに喜び、悲しみをともに悲しんできました。まさしく笑いも涙も分け合ってきたのです。そうした霊とあなたとは文字どおり一体であり、決して見捨ててはおきません。あなたの方から一歩近づけば、彼らはさらにもう一歩近づくように援助します」
そして最後を次の言葉で力強く締めくくった。
「躊躇してはいけません。思い切りよく突き進みなさい。あなたの差し出す手が拒絶されることがあっても失望することはありません。あなたのことを気狂い呼ばわりしても悩むことはありません。ご存知でしょうか。かつてイエスの弟子たちは酔っぱらい扱いをされたのです。お二人に大霊の祝福のあらんことを!」
それから四ヵ月もたたないうちに、その牧師の奥さんが一人で出席した。実際にはご主人もいっしょなのだが、その時はすでにご主人はベールの向う側の人となっていた。シルバーバーチがその奥さんにこう挨拶した。
「再びあなたをこの場にお迎えして、この度の不幸を毅然たる態度で力強く耐え抜かれたお姿を拝見して、とてもうれしく存じます。あなたにとって実に厳しい試練でしたね。しかし、霊的知識が支えとなって、いささかも揺らぐことがありませんでした。ご主人は偉大な霊です。今でもあなたとともにいて、何とかしてあなたに存在を知らせたいと工夫していらっしゃいますよ」
「おっしゃる通りだろうと思います。私もそのことに気づいております」
「何度も姿を見せようとなさったそうですよ。でも時おりそのことが却ってあなたに少しばかり精神的な混乱を引き起こして、申し訳ないとおっしゃってますよ」
「存じております」
すでに自宅で家族交霊会(ホームサークル)を開いている奥さんは、ご主人からのメッセージを受け取っていたのである。シルバーバーチが言う――
「目には見えなくても、今なおご主人が陰で糸を引いておられるのがお分かりでしょう。あなたの喜びも幸せも今なおご主人がカギを握っているからです」
そう述べてから、牧師の妻としていろいろと処理すべき問題が残されていることを念頭において、こう助言する。
「ご主人の地上での仕事はまだ終わっていないのです。あなたの仕事もまだまだ終わりません。前途には問題が山積しております。ですが、辛抱なさることです。ご主人は死後の環境に慣れるのに時間が掛かりましたが、その後は長足の進歩を遂げておられます。お家(うち)での交霊会はぜひとも続けてほしいと希望していらっしゃいますよ」
「はい、続けるつもりでおります」
「あなたが受身の心になって静かに落着いている時には姿を見せることもできるとおっしゃっていますよ。ご覧になられたことがありますか」
「はい、あります」
「でも、おぼろげだったでしょう? 見えたような気がして見つめなおすと、もう見えない……でも、確かにそこにいらしたのです」
「わたしはこう言ってあげたことがあるのですよ――“今のはあまりあなたに似てませんでしたよ”って」
「なるほど。でも、何ごとも練習ですよ。悲しむことだけはお止めなさい――たとえ心の奥であっても。ご主人はその後霊格が向上しておられます。自らの努力で必然的にそうなられたのです。永年の奉仕への報酬として向上を得られたのです。と言って、あなたから遠ざかったわけではありませんよ。これからも常にあなたとともにいらっしゃると思ってください。今のご主人にとっては、あなた以上に大切な人はいないのですから。その辺のことはあなたもご存知のはずです。
お二人には宇宙最大の力があります――愛の力です。それが地上でお二人を巡り合わせ、これからも永遠にお二人に“別れ”はありません。
あなたには霊的知識があります。たとえ視界のすべてが見通せない時でも、その知識を手にしておられることを有り難いと思わないといけません。単なる期待や推測や思惑からではなく、いかに烈しい環境の嵐の中にあっても揺るぐことのない、“事実”を土台とした確信を抱くことができるからです」
ここでシルバーバーチから「何かお聞きになりたいことがありますか」と言われて奥さんは、夫のあまりに急な他界で少し戸惑いを感じたことを述べ、「死期というものは何によって決められるのでしょうか」と尋ねた。
「霊に用意が整った時に肉体から去るのです」
とシルバーバーチは述べて、それをこう説明した。
「リンゴが熟すると木から落ちますね。時として木が揺すられて熟さないうちに落下することもありますが、それは不味(まず)くて食べられませんね。同じように霊も時として時が熟さないうちに肉体から離されることがあります。この場合には霊に死後の生活への準備が整っていません。
しかしご主人の場合は霊に十分な用意が整い、肉体も十分にその目的を果たして、その上で朽ち果てたわけです。あなたがどう介抱されてもその時期を延ばすことはできなかったでしょうし、ご主人にもそれはできなかったでしょう。そのうち、ここにおいでの皆さん方にも同じことが起きるわけです。少しも恐れることはありません」
このあと奥さんが、主人が予告したことが未だに実現していない話を持ち出すとシルバーバーチが――
「いつというのは霊にはなかなか判断しにくいものなのです。そのわけは、わたしたちにはこうなるという結果の方が先にわかってしまい、ではそれが地上の時間にしていつになるかとなると、その計算ができないことがあるのです。霊によって、その計算が得意な霊とさほど得意でない霊とがいるものです。
いずれにせよ、あなたはそのことで気を揉まれる必要はありません。これからも何度も何度も姿を見せるようになり、助言を与え、あなたのことを大事にしてくださいます。ですからあなたも、こうした知識を積極的に広める活動をなさらないといけません。あなたにとってはご主人こそが霊的知識へ導いてくれた恩人であるごとく、あなたが広める知識が救いとなる人もいらっしゃるのですから……」
「それがわたしの大きな願いでございます」――夫を失ってまだ数週間しかたっていないというのに、早くもこの未亡人は他人の慰めとなる仕事のことを考えて、そう述べるのだった。このことばを聞いてシルバーバーチが力強く言う。
「おできになりますとも。人の荷を軽くしておあげなさい。道を教えてあげなさい。暗闇を明るくしてあげなさい。地上には無用の悲しみ、無用の不幸、無用の悲劇が多すぎます。わたしたちの世界からの愛は、進むべき道をすっかり見失っている人類が平和と悟りへの正道を見出し、地上世界の汚点である不公正と残虐を絶滅する、そのお手伝いをするために、霊の力を地上へもたらすことのできる道具を通して、少しでも多くの発現を求めているのです。
エデンの園は存在するのです。地上天国は目の前にあるのです。ただ人間の強欲と愚かさと利己主義と残忍性が道に立ちはだかっているのです。理屈の上では一日のうちにでも実現できるのです。しかし現実には、為さねばならないことが山ほどあります。全生命を創造なさり、生きる道を示さんとしておられる大霊の道具として、進んで志願する者を必要としているのです。
大霊の祝福のあらんことを祈ります。あなたがお帰りになられる時はご主人もいっしょにお帰りになられます。愛は本来あるべき所へ帰るものなのです」
祈り
ああ、真白き大霊よ。
わたしたちに生命を賦与してくださったことに深く感謝いたします。なぜなら、それはわたしたちの霊をあなたの霊の中へ融合させることによってわたしたちにもあなたの無窮の目的に参加することを可能ならしめ、あなたのご意志を顕現し、あなたの愛と叡智と真理と知識とを啓示する大事業のお手伝いをさせていただくことになるからでございます。
ああ、大いなる神よ。
わたしたちは宇宙に顕現せるあらゆる生命現象を通して啓示されているあなたの無限の相に対して感謝の言葉を捧げるものです。又わたしたちは“愛の橋”を通って“死の淵”を越える機会をお与えくださったことにも感謝の念を捧げます。
物的身体に宿る者であろうと霊の界層に生を営む者であろうと、あなたとあなたの子等のために進んで我が身を役立たせんとして励む者に対する感謝の気持を、わたしたちは御前に捧げるものです。
又あなたの神性を生活の中で体現している人たち、また彼らの理想とするところ、彼らの気高さ、彼らの犠牲的献身が、彼らより低き進化の階梯にある者への霊的感化となっている人たちへの感謝の気持を御前に捧げます。
人類の歴史のあらゆる時代において子等に明かされた、あなたご自身ならびにあなたの無窮の目的についての啓示に対しても、わたしたちは御前に深甚なる感謝を捧げます。そのために捧げられた殉教と英雄的行為のすべて、先駆者ならびに改革者のすべて、同時代の同胞を高揚せんとして腐心した人たちのすべてに対する感謝の気持を御前に捧げます。
あなたからのインスピレーションを啓示し人類に霊的摂理を理解せしめんと努力した人たち、又、同じ地上に身を置くがゆえにこそ同胞に恩恵をもたらすことができた人たちのすべてに対する感謝の気持を御前に捧げます。
物的世界と霊の世界との通路となっている人々――たとえその多くは無意識であっても――永遠の生命の大目的についての理解を深めさせる上で力となっている人々のすべてに対する感謝の心を御前に捧げます。
あるいは教会、あるいは寺院と、その場所を異にし、さらには宗教と名のつくものを標榜することなく、ただひたすら己の内部の最高のものを発揮せんとしてあなたを求めている謙虚にして潔き人たちへの感謝を御前に捧げます。
ああ、真白き大霊よ。
地上の愛する者たち――あなたの子等に知識と真理とを授け自らを霊的束縛から解放する方法を教えようとするわたしたちの仕事の忠実なる助力者たち――その人たちのために尽力することによってあなたに奉仕するこの機会をお与えくださったことに、わたしたちは感謝の意を捧げるものです。
願わくばこの交霊会ならびに他の交霊の場において行われることが人類により多くの知識を与え、それが友好と親善と平和の中での暮らしを生み、その暮らしの中で永遠の大霊たるあなたの無限の愛を発揮するようになる日の到来を一日でも早めることになりますように。
ここに、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。そしてこの祈りが一日も早く現実のものとならんことを。
第4章 真理はすべて素晴らしいのです
“ハンネン・スワッハー・ホームサークル”の名称のもとに発足したシルバーバーチの交霊会は、当初は毎週一回の割で開かれていたが、霊媒のバーバネルの体力の衰えを考慮して、後半は月一回となり、晩年は不定期となった。
いずれにしてもバーバネルは心霊週刊紙〈サイキックニューズ〉の編集主幹として時間ギリギリまで仕事をしたあと愛車で自宅へ帰り、そのまま交霊会が行われる応接室へ駆け込むのが常だった。そこにはすでに当日の出席者が集まって談笑している。レギュラーのほかに必ず二、三人の招待客がいるので、その人たちと簡単な挨拶を交わしたあと、バーバネルはいつもと同じ長椅子に腰かけ、用意されている水を一杯飲みほしてから瞑目する。やがていびきのような息づかいになるとともに形相が変わってきて、ようやくシルバーバーチが語りはじめる。
こうした形での催し――厳かさもなければ派手さもない、平凡な平家のアパートの一室での集いがほぼ五十年も続いたのである。すぐ近くの通りでは仕事を終えた人たちが車やバスやタクシーで帰りを急いでいる。その人たちにとっては、まさかすぐ近くのアパートの一室で霊界と地上界とが人類史上まれにみる生々しい現実味をもって交わっているとは、想像も及ばないことだった。そうした背景を念頭においてシルバーバーチが語る。
「皆さんから見れば確かにここは小さな一室にすぎません。しかし、わたしたちにとっては壮大な神殿なのです。壁という壁はぜんぶ取り払われております。あるのはただ眩(まばゆ)いばかりの光輝です。イルミネーションです。その中で何千もの霊が、それぞれに果たすべき使命をもって集結しております(※)。教える者もいれば教わる者もいます」
※――ハンネン・スワッハー・ホームサークルでは常時十人前後のメンバーしかいなかったが、それは人間界だけの話であって見えざる世界ではいつも数千人の霊が列席していて、シルバーバーチの話を聞いていた。その中には地縛の状態からやっと抜け出たばかりの霊の集団が高級霊に引率されて来ていたり、他の霊団の者が交霊会というものを勉強するために見学に来ていることもあった。そうしたことを念頭においてお読みいただきたい。
さらに言う。
「その内訳はあらゆる民族、あらゆる国家にまたがり、しかも現代の人も過去の時代の人もいます。東洋ならびに西洋の予言者、霊覚者、聖人・賢人、地位の高かった人・低かった人、ギリシャ・ローマ・シリア・カルデア・ペルシャ・バビロニアの思想家たち、それに比較的近世のイタリア・フランス・ドイツの思想家も混じっております。みんなで意見を出し合い、それを総合して皆さんにとって最も有益なものに仕上げるのです。
それとて霊界の舞台裏で行われていることのホンの一部にすぎません。皆さんのお一人お一人に霊団がついております。その中には顔見知りの者もいますし、地上的意識では感知できなくても、何かの時にふと意識する霊的意識でもって存在を感知している者も控えているのです」
さて、その日の交霊会の開会直後に心霊治療が話題となり、シルバーバーチがその本質について語ったところ、列席者の一人が「素晴らしい真理ですね」と述べた。するとシルバーバーチが――
「真理はすべて素晴らしいのです。つまらないのは間違った知識です。なのに間違っていると知りながら、その方が慣れ親しんでいるからという理由でそれに固執し、素晴らしい真理の方は馴染めないという理由で求めようとしない人がとても多いのです。
そういう人たちは、強くなれるはずなのに弱いままでいたいのです。新しい光を求めるよりも暗いところで、間違った知識の上に築いた信仰を揺さぶられないでいた方がいいのです。
求道者の道は容易ではありません。真理というものは簡単に手に入るものではないからです。価値あるもの、高い評価を受けるものほど軽々しくは手に入らず、迷いと懐疑心の中をくぐり抜け、しかも誠実・崇敬・飽くなき真理探求心をモットーとして努力した末に、ようやく手にすることができるものなのです。
魂の受け入れ準備がすべてに優先するということです。魂がその真理を理解できる段階まで成長した時にはじめて、その真理の方からやってくるのであり、それまでは得たいと思っても得られないということです。受け入れるだけの態勢が出来上がっていないからです。豚に真珠とはそのことを言っているのです」
このあと列席者の一人が、最近バイブルを修正しようとする試みがなされている話を持ち出したところ――
「何ごともやってみることです。既得権力に対抗する側のすることであれば、何であれ激励してあげることです。その新しい改革の精神をいたるところに浸透させるのです。
何ごとも目の眩(くら)むような一瞬の閃光の中で達成されることを期待してはなりません。あの手この手と試みていくほかはありません。まさに“点滴、石をも穿(うが)つ”ようにです。
わたしたちの仕事の大きさは次元が違うのです。無知な人が口をあんぐりと開けて驚き、目をまんまるにして感心するような現象を起こそうとしているのではありません。大観衆を集めて一気に信じさせようともしません。
利己主義、私利私欲といった人生の暗部に属する勢力との絶え間ない闘いこそ、わたしたちの仕事です。偏見・迷信・間違い・嫉妬・貪欲・強欲――わたしたちはこうしたものと闘っているのです。
そこで、地上にあってそうした目的を推進してくれる人――受容力に富む心の持ち主、受容力に富む精神の持ち主、受容力に富む魂の持ち主を通して働きかけているのです。当初は困難の連続でした。反抗勢力は途方もなく大きく、障害はとても克服困難かに思えました。が、背後に控える大霊の力と、数こそ少なくても忠実にして勇気ある協力者の活躍をもってすれば絶対に挫折はないとの信念でひたすら頑張り通しました。
今日の皆さんには、これまでの百年近い艱難辛苦の実りをご覧になることができます。しかし、それとても、これから成就されていくものに較べれば、物の数ではありません。もはや形勢が逆転しているからです。わたしたちは勝利へ向けて進撃しており、その勢いを止めることのできる者は地上には存在しません。
一見したところ穏やかではあっても、しかしあくまでも力強く、わたしたちは勝利へ向けて前進しているところです。光が闇を征服し、知識が無知を負かし、喜びが悲しみと取って代わり、そして真理が勝利者となるのです」
さらに、明らかに世界中のスピリチュアリストを念頭に置いてこう述べた。
「この真理普及の仕事にたずさわっておられる方に常に忘れないでいただきたいのは、背後に控える勢力は、皆さんが人のためと思って努力なさるのと同じように皆さんのためを思って働いているということです。
皆さんの目から目隠しを取り除いてその勢力を目のあたりにさせてあげることができたらと、どれほどわたしは願っていることでしょう。わたしが見ている通りにみなさんがご覧になれたらと、どれほど願っていることでしょう。そうすれば、絶望など絶対になくなることでしょう。暗い陰など、皆さんの存在のどこにも居座る場所はなくなるはずです。辺りを包んでくれている勢力の強大さを認識されるからです」
続いて霊界におけるインスピレーションの伝達方法に触れて「こちらの組織ははしご状に上へ上へと伸びているのです」と述べてから、こう続けた。
「一つ一つの段がみな連なっているのです。ですから、物質界のいちばん低い段階にいる者でも霊界の最高界とつながっているのです。
旧約聖書に出てくる“ヤコブのはしご”は空想の作り話ではなく、永遠の実在の象徴なのです。いかなる魂でもそのはしごを一段一段と上がって行くことができるのです。地上から天界へとつながっており、大霊の力で支えられているのです」
この日の交霊会ではシルバーバーチは珍しく個人的な悩みごとを取り上げて語り合うことが多かった。その中で次のような勇気づけの言葉を述べた。
「前途を影がよぎった時は、それはあくまでも影であって実在ではないことを思い起こしてください。雲が太陽を遮った時は、それはあくまでも雲にすぎないことを思い起こすのです。試練と困難に取り囲まれた時は、それは通りすがりの小鳥がホンの少しのあいだ立ち寄っただけで、そのうち飛び去って行くものと思えばよろしい。
皆さんが手にした霊的知識は物質界のいかなる宝にも勝る貴重なものです。わたしたちは金や銀、ダイヤモンドや貴金属はお持ちしません。それよりも霊の貴重品、この世で最高の宝をお持ちします。それを大切にしなさい。(象眼細工にたとえれば)愛をはめ込み台として、その上に霊的真理という宝石を散りばめるのです。そしてそれは大霊が細心の心づかいと神々しい情愛をもって授けてくださった賜物であることを認識してください。
常に上を向いて生きなさい。うつ向いてはいけません。皆さんに存在を与え自らの霊性のエッセンスを吹き込まれた、巨大にして壮厳な大霊の力が日々あなた方を鼓舞し支援してくれます。
迷いがちな心を大霊の心に合わせ、荒れがちな魂を鎮めて大霊の魂に合わせ、精神を無尽蔵の大霊の貯蔵庫から出る叡智で満たしなさい。そして弱き者、挫折せる者、窮状にあえぐ者のために刻苦する人は必ずや大霊の愛のマントに包まれていることを実感なさることです。
迷わず進みなさい。身につけられた知識の中で確信をもって着実に歩みなさい。せっかくの霊的知識を賢明に、そして上手にお使いなさい。そして大霊の道具としての義務を忘れないようにしてください。“忠良なる僕よ、よくぞ任務を果たされた!”(マタイ伝)との祝福の言葉を賜るよう、お互い、それぞれの道で励みましょう。皆さんに大霊の祝福のあらんことを!」
そのあとシルバーバーチは出席者全員に向かってこう述べた。
「皆さんは死んだあともずっと生き続けるのです。その時までは、本当の意味での“生きる”とはどういうことなのか、何ものにも拘束されずに生命の実感を味わうというのはどういうことなのか、肉体に閉じ込められた今の魂では理解できない“自由”の味を満喫するというのはどういうことかはお解りにならないでしょう。
一度もカゴの外に出たことのない鳥に、囲いのない広々した森の中で、枝から枝へと飛び渡れるということがどういうものかが解るでしょうか」
「ではなぜ、魂は肉体に閉じ込められたのでしょうか」と列席者の一人が尋ねた。
「種子が暗い土の中に埋められ、そこから勢いよく成長するための養分を摂取するのと同じです。人間の生命の種子も霊的生命を勢いよく成長させるための体験を得るために、肉体という暗い身体に閉じ込められるのです。
人生体験も大きな生命機構の中の一環なのです。およそ有り難いとは思えない体験――悲しみ、辛い思い、嘆き、失望、苦しみ、痛み――こうしたものは魂にとっては貴重なのです。
しかし、それを体験している最中(さなか)にはそうは思えません。こちらに来て地上生活を振り返り、部分的にではなく全体として眺めた時にはじめて、人生の価値が鮮明に理解できるのです。逆境の中にあってこそ性格が鍛えられるのです。悲哀を体験してこそ魂が強化されるのです。
わたしたちは人生を物質の目ではなく霊的生命の知識に照らして眺めます。その次元では完全な公正が行われるようになっているからです。ですから、賢明な人とは、すべての体験を魂の成長にとって有益となるように受け止める人、試練にしりごみせず、誘惑に負けることなく、困難に正面から立ち向かう人です。そういう心構えの中においてこそ人格が成長し強化されるからです。何でもない簡単な真理なのです。あまりに単純すぎるために地上の“知識人”から小バカにされてしまうのです」
話題が変わって、サークルのメンバーが比較的若い人たちによって構成されている事実について、シルバーバーチがこう説明した。
「前途にまだまだ永い物的生活が残っているうちに霊的真理の素晴らしさを知ることができていらっしゃることを、わたしは大変結構なことと喜んでいる次第です」
「大変な光栄と受け止めております」とメンバーの一人が言うと、
「大変な責任として受け止めないといけませんよ。知識には必ず責任という代価が伴うのです。つまり皆さんは物質界で最大の光栄――霊的知識を人のために役立てることができるという光栄に浴していらっしゃるのです。物質界で大事にされているもの全てが無に帰したあと、お互いのために尽くし合った行為のみが永遠に消えることのない進化をもたらしてくれるのです。
わたしたちはあくまでも“人のため”という宗教を説きます。教義や儀式やドグマは、人のために何かしなくてはという思いを育(はぐく)むものでないかぎり、価値は認めません。祭礼や行事は大切ではありません。大切なのは霊性、すなわち内部に存在する大霊を発揮する行為です」
「宗教をどう定義されますか」と別のメンバーが尋ねる。
「わたしにとってはたった一つしかありません。大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです」
話題が心霊現象の話になり、その中でシルバーバーチが心霊実験会における物質化現象では霊媒と列席者からだけでなく、実験室内に置かれているあらゆるものが材料として使用されていることを述べると、メンバーの一人が――
「それは、それらの材料から必要な成分を抽出するということでしょうか」
「そうです。カーペット、カーテン、書物、あるいは家具でも利用します。わたしたちは物的身体をもっておりませんから、まわりにある物質を利用せざるを得ないわけです。その成分は(主として霊媒と出席者とから取りますが)ある程度はその部屋にあるものから少しずつ取ります。取りすぎるとバラバラに分解してしまいます」
「物質化現象が行われた部屋のカーテンがすぐに朽ちてしまうことがあるのは、そのためでしょうか」
「そうです。それが原因です。十分用心はしているつもりですが……」
物質化霊の衣装に色をつけるために部屋中の素材から色素だけを抽き取ることもあるという話をしてから――
「わたしたちが行っていることをもっとお知りになれば、世の中には無用のものは一つもないことに気づかれるはずです。ですが、最大のエネルギー源は皆さん方お一人お一人です。皆さんが最大の素材です」
キリスト教を信じている人の中には、霊が交霊会に出てきてしゃべるということは“霊を無理やりひっぱり出して嫌々ながらしゃべらせる”ことだから“霊にとって迷惑”であると考えている人が多いという話が持ち出されると――
「わたしにとって、この霊媒の身体を借りて皆さんと話を交わすことがどれほど楽しいことであるか――それは皆さんにはとても理解していただけないほどです。皆さんと共にいるということは、わたしにとって格別のことではありませんが、こうして面と向かって皆さんとお話ができるというのは、大変楽しいことなのです。
どうぞ、このわたしが常にお側にいて皆さんのお役に立つ用意をしていることを忘れないでください。わたしは皆さんのお友だちなのです。多分わたしの姿はご覧になれないでしょうけど、むしろわたしの方から力になってあげたいと願っている側用人(サーバント)くらいにお考えください。何かご用がありましたら、いつでもお呼びください。どうぞ、この死者に迷惑をお掛けください!」
女性メンバーの一人が最近親戚の人に起きた出来事について話し、そういうことを起こす霊は善霊でしょうか邪霊でしょうかと尋ねた。すると――
「あなたの頭の中から低級な影響――あなたは邪悪な影響とおっしゃりたいのでしょうけど――そういうものが自分につきまとうという観念を拭い去ってください。あなたは大霊とその摂理の保護のもとに生活しそして行動していらっしゃるのです。
あなたの心の中に邪(よこしま)なものがなければ、あなたには善なるものしか近づきません。善のバイブレーションが支配するところには善なるものしか住めないのです。大霊の使者以外のものがあなたの存在の中へ入り込むことはありません。あなたは何一つ恐れを抱く必要はありません。あなたを包み込んでいる力、あなたを支え、導き、そして鼓舞せんとしている力は、ほかならぬ宇宙の大霊から発せられているのです。
その力はあらゆる試練と困難の中にあってあなたの支えとなってくれます。嵐を晴天に変え、絶望の暗黒から叡智の光明へと導いてくれます。あなたは着実に進歩の正道を歩んでおられます。恐れを抱く必要はどこにもありません。
地上世界で大切と思われているものの中には使い捨てのような価値しかないものが沢山あります。真に大切なのは魂の成長にかかわることです。霊的資質が発達して内奥の神性が開発されるごとに、魂の悟りが深まるのです。単なる知識の収集では大して価値はありません。もしもそれを他人のために使わないでいると、一種の利己主義ともなりかねません。
うわべだけで物事の価値判断をしてはなりません。わたしたちと皆さんとの根本的な違いは、皆さんが外面から判断なさるのに対して、わたしたちは霊の目でもって動機と目的を見抜いてしまう点です。その方が結果そのものよりも大切だからです。変転きわまりないうわべの現象の背後にある、永遠の実在を見抜くように努めないといけません。
階級・肩書き・職業・肌の色――こんなものが大霊を前にして何の意味がありましょう。真に誇れるもの、真の気高さは魂にかかわるもの、霊にかかわるもの、精神にかかわるものです。それこそが永遠の実在なのです。
イエスも同じことを説いています。“神の王国は自分の中にある”(ルカ伝)“地上の宝を貯えてはいけない――虫に食われず錆びつかず盗人も盗み出せない宝を貯えよ”(*マタイ伝)。
わたしたちも同じ真理を説いているのです。真理は真理であり、永遠の原理は決して変わることはないからです。
物質の中に閉じ込められている皆さんにとって霊的実在を原理とした物の考え方をするのが難しいものであることは、わたしもよく知っております。しかし、そういう考え方をお教えするのが、わたしたちがこうして地上へもどってきたそもそもの目的なのです。皆さんが人生を正しい視野、正しい焦点でとらえてくださるように導くことです。
忘れないでいただきたいのは、地上生活は永遠の生命活動の中のホンの一かけらにすぎないということです。ただの影を実在と思い違いをなさらないようにしてください」
それから最後の忠告として、こうして霊界から届けられる教訓はサークルのメンバーにとってはすでに当り前のことのようになっていても、他の人々――人生に疲れた人、心を病んでいる人、迷いと疑念に嘖(さいな)まれている人たちにとっては「心地よい、さわやかな新風であり、まとわりついたクモの糸を吹き払い、精神を鼓舞される思いがするものです」と述べて、こう締めくくった。
「魂が霊的真理の光の有り難さを味わえるようになるまでには、時として大きな迷いと疑念、悲哀と倦怠と幻滅を体験しなければならないことがあるのです。
わたしたちの仕事は順調に広がりつつあります。そのことだけは確信をもって断言できます。わたしがいつも楽観的な態度を強調し勝利は間違いないことを申し上げるのはそのためです」
祈り
ああ、真白き大霊よ。
あなたの無限性を物質に閉じ込められている子等にどう説明すればよろしいのでしょうか。言語を超越しておられるあなた、いかなる尺度をもってしても計ることのできないあなた、その叡智は地上のいかなる智者の叡智をも超越し、その愛はかつて地上で示されたすべての愛をも凌ぐ無限なる存在にあらせられるあなたを、わたしはどう説き明かせばよろしいのでしょうか。
全生命の大源におわしますあなた、あらゆる存在を通してその霊性を顕現しておられるあなた、物質の世界と霊の世界の区別なく、生きとし生けるものすべてに見出すことのできるあなたを、わたしはいかに表現すればよろしいのでしょうか。
わたしは全大宇宙とそこに顕現せるものすべて――あらゆる活動の中に顕現している生命の律動(リズム)に目を向けさせます。昇っては沈みゆく太陽、夜空にきらめく星座、心地よく屋根をうつ雨音、ささやくような小川のせせらぎ、のどかな蜜蜂の羽音、風に揺れる可憐な花々、そして轟く雷鳴と闇を切り裂く稲妻に目を向けさせます。
かくして生命のあらゆる現象に向けさせたあと、わたしはそれがあなたとあなたの摂理の表現であることを確信をもって明言いたします。何となれば、あなたは摂理そのものにあらせられる――永遠にして不変の摂理として顕現されているからでございます。
その顕現の中でも、物質の世界よりも高度な次元に属するわたしたちは、その次元すなわち霊の世界において知れわたっている不変の因果律を教えるべく、こうして地上へもどってまいります。わたしたちはあなたを有るがままの存在として啓示し、物質に対する霊の優位性を立証し、あなたとわたしたち子等との霊的な絆を教え、物質の子等もあなたの一部であり、あなたの霊性がすべての子等に宿り常に表現を求めている事実を理解させたいと願っております。
ああ、真白き大霊よ。
わたしたちはあなたの叡智のお蔭をもって、内奥のより高き自我を呼び覚まして生命の大源たるあなたとの調和をもとめることをお許しくだされたことに感謝の意を表します。神性を帯びたあなたの遺産を求めそして我がものとし、魂の内奥に潜む実在を見出しているところでございます。
願わくばこの光の神殿(交霊会)において、これまで久しく忘れ去られながらも、あなたを求めた数少ない霊覚者にのみ明かされてきた霊的摂理のいくつかを立証することができますように。
ここに、人の役に立ち愛の摂理を立証することをのみ求める、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。
第5章 あなたが大霊なのです
「霊的真理の威力が皆さん方を一堂に集めたのです。その場で各国の代表と協議を交わして、新たな力と新たな勇気を見出されました。これより新たな理解と新たな希望を胸に秘めて、それぞれのお国へ帰られるわけです」
これは九月のある日曜日の夜、ロンドンでの国際スピリチュアリスト連盟(※)の総会に出席した世界各国の代表の中から特別に招待された人々を前にして述べたシルバーバーチのメッセージの冒頭の言葉である。
※――ISFの略称で呼ばれている国際組織で、二、三年に一度の割で不定期に開催されている。ちなみに第一回は一九二三年にベルギーで、第二回は一九二五年にパリで、第三回は一九二八年にロンドンで、といったぐあいに開かれ、これまでに十四回開催されている。第三回総会には日本から浅野和三郎が出席して演説し注目を集めた。ここで紹介されている総会が何年のことであるかは定かではないが、多分、ロンドンにおける二度目の総会のことであろう。
シルバーバーチは続けてこう語った。
「この物質の世界は、もうこれ以上、霊の声に知らんふりをし続けることはできません。今まさに大きな岐路に立っており、どっちの道を選ぶかの選択を迫られております。
キリスト教は失敗に終わりました。完全に行き詰まっております。科学者も裏切りました。建設するどころか、破壊する方向を選びました。思想家も頼りになりませんでした。何の意味もない空虚な思索にばかり耽っております。政治家も国民を裏切り、自分を犠牲にする覚悟なしには平和は訪れないという崇高な教訓を未だに学んでいません。絶望の果てに、大霊の子等は導きを叫び求めます。
わたしはここで、皆さんにはとてつもなく大きな信任が委託されているという認識を新たにしていただきたいのです。言いかえればそれは担わされた大きな責任でもあります。それを委託なさったのは、絶対に裏切ることのない、全生命の始源である大霊にほかならないのです。皆さんがその大霊の力によって動かされ、その叡智によって導かれ、その愛によって支えられてさえいれば、いかなる困難が生じても必ず解決策を見出すことができます。なぜなら、大霊の援護のもとで皆さんは、真の自我、本当の自分――おのれ一個の栄光を求めるに留まらず、人のために役立ちたいという願望をもつ、より大きな自我に目覚めていくものだからです。
地上世界は争いごとや恨み合い――いわゆる不協和音に満ちております。悲哀と悲劇と流血にあふれております。それでいてお互いが“我らに平和を!”と叫びます。
わたしは皆さんにぜひとも、内部に潜在する可能性を改めて認識していただきたいと思います。あなた方お一人お一人が大霊なのです。大霊の無限の力が皆さんの内部に潜在しているという意味です。それを呼び覚まし表に出せば、人間であるがゆえの束縛(しがらみ)を打ち破ることができるのです。
隠れた霊的資質を存分に発揮なさってください。ほかならぬ自分が無限の力を駆使できる大霊であることを自覚してください。そうすれば、今ゆっくりと暗い世界を照らしはじめた新しい時代の道具として活躍することができます。
物的世界のものでしかないものを頼りにしてはなりません。いかに高い地位の人であろうと、地上に住む人間を当てにしてはなりません。その向こうへ目をやりなさい。人類への愛のもとに、皆さんの人生を啓発するために届けられているインスピレーションをキャッチしてください。
勇気をもって前進してください。もとより、これからも多くの困難と多くの失敗は免れません。が、そういう時でもわたしたちが背後に控えていて、苦しい時には不屈の情熱を吹き込み、疲れた時には希望と力とを与え、意気消沈している時には精神を高揚してあげるための努力をします。決して一人ぼっちでいることはありません。大霊が使者を遣わして援助します。
皆さんはこれよりそれぞれに遠い土地へ赴かれるわけですが、大霊の力は決して分散されて弱まるわけではありません。同じ力がお一人お一人について行き、人のためになる仕事にたずさわっておられるかぎり、その威力を発揮いたします。
お一人お一人に大霊の祝福のあらんことを。そして皆さんを包み込んでいるその愛がいかに限りないものであるかを自覚なさらんことを。神々しい愛のマントに包まれていることを自覚されんことを、物質界の困難や試練やトラブルには超然とした態度で、常にその目を大霊のシンボルである太陽へ向けられんことを。
心には愛を、精神には知識を、霊には断固たる奉仕の覚悟を満たしてください。そうすれば大霊の意志が皆さんを通して顕現し、心が大霊の心と同じリズムで鼓動するようになります。すなわち大霊と一体となられるのです」
別の日の交霊会でシルバーバーチはスピリチュアリズムの真実性を確信した者の義務についてこう述べた。
「皆さんもわたしも、そしてわれわれに協力してくれる人はみな大霊の使者として、大霊の意志を行使せんとしているのです。われわれはよく誤解されます。往々にして最大の味方であるべき人が最大の敵にまわることがあります。が、そういうことにはお構いなく仕事を遂行します。そして大霊の目から見て正しいことをしているかぎり、物質の世界の何よりも強力な霊の勢力を呼び寄せることができるのです。
かくして、徐々にではありますが善が悪を征服し、正義が不正を征服し、正しいことが間違ったことを征服してまいります。地上の勢力の方が優位に立つことが時にはありますが、それも一時的なことであり、永久的なものではありません。
わたしたちは必ず成功します。何となれば、わたしたちの目的としているのは人類を現在の間違った状態から救い出し、人生を人のために役立てる方法を教えてあげ、そうすることで魂と精神の豊かさ、地上的なものではなく、より高い霊的なものにかかわる安らぎと幸せが得られることを意図しているからです」
「スピリチュアリズムの真理を地上世界に行きわたらせるにはどうしたらよいのでしょうか」
「サウロがダマスカスへ向かう途中で改心したような調子で(使徒行伝)地上世界を目が眩むような一瞬の閃光のもとに改心させるわけにはまいりません。霊的知識に目覚める者が増え、大霊の力が利用できる道具(霊媒・霊覚者)が増えるにつれて、真理の光が少しずつ浸透していくのです。
霊にかかわるものはキメの細かい熟成と進歩とを要することを忘れてはなりません。突然の改心は長続きしません。わたしたちの仕事は永続性を意図したものなのです。
大霊の道具となる人が一人増えるごとに、暗黒から光明へ、無知から知識へ、迷信から真理へと進む者が一人増えるごとに、地上世界は進化するのです。なぜなら、その一人ひとりが物質第一主義の棺(ひつぎ)に打ちこまれるクギだからです。
進歩にも二つの種類があることを知ってください。一つは精神的能力にかかわるものであり、もう一つは霊的資質にかかわるものです。前者は心霊的能力の発達であり、後者は魂の発達、霊性の進化です。霊性の進化を伴わずに心霊的能力だけが発達しても、低いバイブレーションの仕事しかできません。両者がうまく連動した時には、すぐれた霊能者であると同時にすぐれた人格者となります」
別の日の交霊会でもスピリチュアリズムの重大性を強調してこう述べた。
「こうした交霊会で行っている仕事がますます必要性を増しております。地上人類はその無明(むみょう)ゆえに大霊の摂理にのっとった生き方をしておりません。暗黒と絶望への道を選んでまいりました。
そこでわたしたちは、希望と光明と平和と調和をもたらす霊的知識をお届けするのです。無知な人たちからは軽蔑されます。せっかくお届けしたメッセージが拒絶されます。わたしたちに伴って降りてくる霊力の働きが無視されます。しかし、わたしたちの説いている真理は必ず地上世界に広まります。大霊の息がかかっているからです。
摂理に逆らった生き方をする人は、その当然の報いとして、辛い収穫を刈り取らねばなりません。摂理にのっとった生き方をしている人は、その当然の報いとして、物的側面だけでなく霊的側面においても幸せで豊かな収穫を刈り取ることができます。
暗い空気が支配している現実の中にあっても、決して希望を捨てることなく、人類の高揚のために皆さんとともに働いている霊界の同志たち、物質界を少しでも住みよいところにするために活動している勢力は、必ずや勝利を手にするとの確信をもってください。皆さんの味方は宇宙で最強の力なのですから。
ただし、価値あるものを手に入れるには必ず苦しみと悲しみとが伴うものです。物質の世界で得られる教訓にはそれなりの宿命的な入手条件というものがあることを知らないといけません。
わたしたちの勢力が今や物質界全体に浸透しつつあります。わたしたちのメッセージが地上各地の心ある人たちを啓発しております。そして、霊的光明が浸透していくにつれてその光が物質万能主義の暗闇を消滅させてまいります」
スピリチュアリズムの発展と普及にとっては、霊媒すなわち地上界と霊界のかけ橋となる通信回線のような存在は不可欠である。それでシルバーバーチは訴える――
「もっともっと多くの霊媒がほしいのです。いくらいても多すぎるということはありません。今のところ、すべての面で順調に事が進行しております。われわれの勢力は勝利へ向けて前進しております。
そして、ここで銘記していただきたいのは、それはただ単に霊的真理の勝利というに留まらず、霊的真理の普及に伴って自然発生的に生じるもの――自由・刷新・改革・改善・公正・進歩といった面での運動にとっての勝利でもあるということです。
わたしたちは霊的勢力である以上、その浸透はまず宗教界に影響を及ぼしますが、それがさらに人間生活のあらゆる分野に波及してまいります。それが地上各地で活躍している各分野の開拓者(パイオニア)に新たな霊感、新たな衝動、新たな情熱、新たな熱誠、新たなやる気を起こさせ、心機一転、ますます意欲を燃やして仕事に専念し闘いに挑みます。
かくして霊力が全身にみなぎり、かつ周囲を包むようになれば、反抗する暗黒の勢力は退却せざるを得ません。そこに進歩が生まれ、人類の歴史に新たなページが記されることになります。人のために一心で奮闘する人はみな、そうしたページを炎の文字で綴っていることになるのです。
これまで堅固に身を守ってきた既得権力も今や根底から崩れつつあることに自ら気づいております。その基盤は砂上に築かれていたのであり、執拗な真理の攻撃に耐えられるものではないからです。
これまで“正統派”といわれてきた伝統的慣行があらゆる分野において消滅しつつあり、代わって新しい“異端派”が勢力を伸ばしつつあります。と言うのも、“異端”と呼ばれていたものも実は、それまでに親しまれていなかったから物珍しく思われたというにすぎず、それもやはり真理であることに人々が気づきはじめたからです」
そう述べたあとシルバーバーチは、こうしたことは実はずっと以前、すなわち自分がこの霊媒を通じて霊言を送りはじめた当初から述べていたことで、一八四八年の米国でのハイズビル現象をきっかけとして、霊界からの大々的な働きかけがあったことに改めて言及してから、さらに――
「しかし忘れないでいただきたいのは、皆さん方のような地上での道具がなくては、わたしたちも何も為し得ないということです。皆さんはわたしたちに闘いのための武具を供給してくださっているようなものなのです。皆さんの力をお借りする以外に地上には頼りにすべき手だてが何もないのです。喜んでわたしたちに身をゆだねてくださる人以外に、道具とすべきものが無いのです。
その道具が多すぎて困るということは決してありません。こちらの世界では、使用に耐えられる人物の出現を今か今かと待ちうけている霊がいくらでもいるのです。
わたしたちの方から皆さんを待ち望んでいるのです。皆さんがわたしたちを待ち望んでいるのではありません。地上への降下を待ち望んでいる霊力には、その表現形式が無数にあります。種類も様式もおびただしい数があり、さらには、用意された通路に合わせて形態を変えます。
もっともっと多くの人材――これがわたしたちの大きな叫びです。いつでも自我を滅却する用意のできた、勇気と誠意と率直さにあふれた男女――霊力がふんだんに地上世界へ降下して人生を大霊の意図された通りに豊かさと美しさと光輝にあふれたものにするためならいかなる犠牲をも厭わない人材がほしいのです。
わたしたちの仕事は、人生意気に感ず、の気概なくしては出来ない仕事です。その仕事の尊厳に誇りを覚えて全身全霊を打ち込むようでなくては成就できません。かつては軽蔑されるのを恐れて霊的なことを口にするのを憚(はばか)った時代がありました。目立たないように一握りの人間が奥の部屋でこっそりと会を催したものでした。
が、今は違います。自分たちの信じたことが真理であったことを確信して、堂々とそれを説くことができます。なぜなら、その真実性を立証してみせたからです。もはや恥じ入ることなく自分の存在を主張し、霊的実在の福音を誇りをもって説くことができます。
霊の話を口にしたからといって軽蔑されることは、もう無くなりました。それは過去の無知な時代の話となりました。今日では皆さんが敬意を払われるようになりました」
次にカンタベリ大主教(※)がラジオ放送で組織としての宗教活動の重大性を訴えたニュースが話題となり、シルバーバーチがこう説いた。
※――英国国教会はカンタベリとヨークの二大教区に区分されていて、双方に大主教が置かれているが、支配力としてはカンタベリ大主教の方が上。
「真の宗教は大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです。それには教会も司祭も牧師も聖なる書も――それによって奉仕の精神が植えつけられ同胞への愛を一段と強くすることにならないかぎり――必要ではありません。いつどこにいても人のために役立つことを心がけることです。同胞の荷を分かち合うのです。それが宗教です。
何度聞かれても、わたしは皆さんの多くが直観的に、ないしは理性と論理を通して理解しておられる、こうした単純な真理を繰り返すしかありません。わたしは(三千年前に地上を去って以来)これまでに霊界の高い界層で学んできた真理をお届けしているのです。すべての住民が実在を目(ま)のあたりにし、原因と結果の関係が瞬時にしてわかり、他の存在のために自分を役立てることが多い人ほど高級とされる、そういう世界からお届けしているのです。
そこでは地上で通用した仮面や偽装のすべてが剥(は)ぎ取られ、魂の正体が素っ裸にされ、長所と短所とがすべての人に知れてしまうのです。真価が知れてしまい、虚偽が存在せず、不公平が見当らない世界、そういう世界からわたしは来ているのです。貧乏人もいません。金持ちもいません。いるのは霊的に貧しい人と、霊的に豊かな人だけです。強者も弱者もいません。いるのは魂が強靭な人と、魂が虚弱な人だけです。
地上世界で有り難がられ崇められていたものすべてが過去のチリとなり果てたあとは、永遠の霊的実在のみが残り続けるのです」
そう述べてからシルバーバーチは、自分も宗教へ帰れという呼びかけはするが、それは萎びはてた教義や仰々しい儀式の宗教のことではなく、“人のため”の宗教へ帰れということだと説いてから、さらに――
「皆さんへのメッセージとしてわたしが何よりも強調したいのは、この新しい幕開けの時代に生きておられる皆さんには、大いなる貢献のチャンスがあるということです。地上界を見渡してごらんなさい。悲劇と絶望、悲哀と苦悩、涙にぬれた顔、顔、顔が見えるはずです。何とかしなければならない分野がいくらでもあることに気づかれるはずです。まだまだ無知がはびこっています。まだまだ権力の悪用が跡を絶ちません。改めなければならない偏見がいたるところに見受けられます。
飢餓に苦しむ人、飢え死にしていく人、食べすぎて病気になっている人、栄養失調で苦しむ人、こうした人が大勢いることに気づかれるでしょう。痛みに苦しめられて、内部の大霊の力を発揮できずにいる人が大勢いるのです。クリスチャンと名のる人のすべてが恥を知るべき(※)貧困と苦悩、人間の住居とは思えないあばら家が目に入りませんか。
また、地上世界も地上天国とすることができる――平和と豊かさに満ちた楽園となるための可能性を十分に秘めていながら、そこが利己主義の雑草で足の踏み場もなくなっているのです。
わたしたちは皆さんに奉仕への参加を呼びかけます。自分の利得損失を忘れ、霊的なものをこの世的な打算に優先させ、お一人お一人が生命の大霊の使者となっていただきたいのです。
お一人お一人が改善の仕事を引き継ぎ、快活さと楽しさとを忘れてしまった人たちにそれを取りもどさせ、涙を拭いてあげてその顔に笑みをもどしてあげ、無知と迷信と闘って正しい知識と置きかえ、暗黒を駆逐して霊的真理の光で照らし、心配・悲嘆・病気のすべてを無くして愛がすべてを支配する世の中にすべく、それぞれに努力していただきたいのです」
※――ここは、キリスト教では大聖堂のような豪華な建造物をこしらえ、それが近所の住民の日照を奪っているのに、その内部では聖職者が労働もせずに食うに事欠かない生活をしていることを念頭に置いて述べていることが、別の日の交霊会での霊言から察せられる。
最後に、こうした霊界通信の受け止め方について言及して――
「わたしたちは脅し文句で信じさせるような方法は採りません。あとの仕打ちが怖いから信じるというような、情けない臆病者にはしたくありません。反対に、各自の自我の内奥に神性が宿されている事実を自覚させ、それを少しでも多く発揮するように、言いかえれば霊的により高く向上して、より高度な真理と叡智とを身につけていただきたいと願っているのです。
今までに身につけたものでは物足りなく思うようであってほしいという言い方もできます。不満を抱くことからより高い知識を得たいという願望が生まれるからです。現状に満足する者はそこで進歩が止まります。満足しきれない者はより大きな自由を求めて葛藤するものです。
ですから、わたしは“理屈を言わずにただ信じなさい”とは申しません。“大霊から授かった理性を存分に使ってわたしを試しなさい。大いに吟味しなさい。そして万一わたしの言うことに下品なこと、酷(ひど)いこと、道徳に反するようなところがあったら、どうぞ拒否してください”と申し上げています。
又こうも申し上げています。“わたしたち霊団は皆さんが気高い生活、より立派な自己犠牲と理想主義に基づく生活をしていただきたいとの願望からメッセージを送っている以上、その教えには必ずや大霊による〈正真正銘〉の折り紙がつけられているはずです”と。
この大事業に直接たずさわっているわれわれが気をつけなければならないのは、かつては大変な啓示に思えたものが次第にごく当り前のことに思えてきて、そこに感動を覚えなくなることです。しかし、永いあいだ暗闇の中に閉じ込められていた者にとっては、ホンのわずかな真理の言葉でも目が眩むほどの感動的な光に思えることがあるのです。
そういう人をたった一人でも向上させ、喪の悲しみの中にいるたった一つの魂に慰めを与え、気落ちしているたった一人の人間に希望を与え、人生に疲れた孤独な人に生きる力を与えてあげることができたら、それだけで十分に価値ある仕事をしたことになるのではないでしょうか。
大言壮語をして俗受けを狙うのも結構です。が、その一方には、古い教義に縛られて身動きが取れなくなっていながら、魂の奥では自由を叫び求めている人がおり、そういう人たちにとっては大言壮語がかえって混乱と当惑と動揺を呼ぶことになることを忘れてはなりません。
わたしたちのメッセージはそういう人たちを意図したものなのです。それまでに到達できなかったものを得んとして努力する、その励みを与えてあげたいのです。しょせん真理とは次のより高い真理への踏み台にすぎないのです」
「本当にそうだと思います」と列席者の一人が述べると――
「わたしには確信があるからそう申し上げるのです。確信がなかったら申し上げません。しかしなおわたしは、謙虚な気持で改めてこう申し上げます――もしも幸いにしてこの霊媒の口を借りて語りかけることを許されているこのわたしの述べることの中に、皆さんの理性を反発させること、大霊の愛の概念と矛盾すること、愚かしいこと、知性を侮辱するようなことが出るようになったら、それはもう、このわたしの時代が終わったこと、つまりわたしの仕事が挫折したことを意味します、と。
とは言え、これまで何度となく申し上げてきましたように、わたしはこれまでにただの一度も、人間の魂が求める最高のものと矛盾するようなことは口にしていないと確信します。ひたすら皆さんの内奥の最高のものに訴えんとしてきているからです」
別の日の交霊会で霊団の仕事を次のように説いている。
「わたしたち霊団の仕事は、れっきとした目標をもったもの、意義のあるものを地上へもたらすことです。それは、一方においては厳然たる摂理の存在を証明することであると同時に、他方においては慰めを与え霊的知識を広めることでもあります。物理的法則を超えた霊的法則というものが存在することを明らかにすることであると同時に、宇宙の大源である“霊”の真理を明かすことでもあります。
そうした仕事の前に立ちはだかるものとして、途方途轍もない“誤った概念”があります。何世紀にもわたって引き継がれてきたものを解体しなければなりません。“教義”を土台として築き上げられた間違いだらけの上部構造を破壊しなければなりません。
わたしたちは物質の子等がいかにして魂の自由を獲得し、いかにして霊的真理の光に浴し、いかにして教義の足枷を解きほどくかをお教えしたいと思っているのです。もとよりそれは容易な仕事ではありません。なぜなら、いったん宗教の虚飾に目を奪われたら最後、霊的真理の光がその厚い迷信の壁を突き通すまでには大変な時間を要するものだからです。
そこでわたしたちは霊的真理の宗教的意義を解き明かすことに努力します。地上世界にその霊的意義の理解が行きわたれば、戦争や流血による革命よりはるかに強大な革命が生まれます。
それは魂の革命となるでしょう。そして世界中の人間が霊的存在としての当然の権利、すなわち霊としての自由を満喫する権利を主張するようになることでしょう。それまで足枷となっていた無用の制約が取り払われることでしょう。
あなた方はその先駆者(パイオニア)なのです。道を切り開き、障害を取り払い、後から来る人たちが楽に通れるようにしてあげるのです。本来ならそれを援助すべき立場にある者(既成宗教の聖職者)が霊的無明ゆえに敵にまわっております。が、それは自らを破滅へ追いやる行為です。
わたしたちが忠誠を尽すのは一個の教義でもなく、一冊の書物でもなく、一つの教会でもなく、生命の大霊とその永遠の摂理なのです」
祈り
ああ、真白き大霊よ。
あなたの無窮性、あなたの叡智、あなたの愛の豊かさ、あなたのインスピレーションの無上性をいかなる言葉に託すればよろしいのでしょうか。限りある物質の身体に包まれている地上の子等に、果てを知らず窮まることを知らない存在であるあなたを、いかに説き聞かせればよろしいのでしょうか。
これまで(キリスト教によって)嫉み深くて残虐性を好み、復讐すらしかねない神(ゴッド)として“啓示された”と説かれてきたあなたを、わたしたちはどう啓示すればあなたの真実の姿を伝えることができるのでしょうか。
あなたは全生命の大霊にあらせられ、大自然のあらゆる現象を通して息づき、宇宙間の一つ一つの生命の中に顕現しておられます。
わたしたちは、これまでに賜ったあなたについての知識、物的波長を超越し物的ベールを突き通す目をもって霊的真理を見ることのできる者に授けられた叡智を有り難く思います。より次元の高い波長を捉えることのできる耳によって、あなたから届けられる啓示を聞き、かつ又、愛と叡智と公正の権化としてのあなたを説くことができますことを、うれしく存じます。
ああ、神よ。
幾世紀にもわたって、いつの時代にもあなたの使者をよろこんで迎え入れる者を地上に用意してくださってきたこと、そして又、地上にいてその暗黒の土地にあなたの真理を広め、無知と迷信のはびこる場所にあなたの光と知識とをもたらすための道具として、あなたのインスピレーションを的確に捉えることのできる者を用意してくださったことを有り難く存じます。
あなたの霊力の数少ない証言者として、あなたの子等を高揚し改革し感化し、地上世界の子等にとって適切な住処(すみか)とするために尽力してきた人々の存在を有り難く思います。
又わたしたちは、この度あなたが再び悲劇と苦悩と悲哀に満ちた地上世界に、あなたの真理をもたらすための仕事をわたしどもに託してくださったこと、そして、あらゆる混乱と錯乱の中にあって、子等を自らこしらえた泥沼から引き上げてあげる用意のできた者があなたの霊力によって満たされ、あなたの使者に守られてその霊力を行使できることを、うれしく存じます。
すべての宗教の本来の遺産であるべき霊的摂理に関する知識を地上へもたらさんと努力しているわたしたちは、二つの世界の間であなたの力が存分に往き来することを妨げるものすべてが排除され、迷信と無知と偏見と狭量と頑迷のベールが剥ぎ取られ、子等があなたの霊的真理の光の中に立つことができますよう祈ります。
願わくば子等が今あなたによってこの地上に置かれている目的、あなたから託されている仕事を認識し、その理解のもとに、お互いがお互いのために役立つことをするという形での生活に徹し、戦争のすべて、戦争のうわさ(予言)のすべて、恐怖心のすべて、敵意のすべて、暗黒のすべてを駆逐し、平和と豊かさに満ちた御国を招来することができますように。
ここに、子等に仕えることによってあなたに奉仕せんことを願う、あなたの僕インディアンの祈りを捧げます。
第6章 摂理は完全であり、自動的に作用します
シルバーバーチの交霊会はおよそ五十年間に及んだ。その間に招待されたゲストもまた大変な数にのぼる。となると当然シルバーバーチが受けた質問はそのゲストの数だけ多種多様であった。その中から興味ぶかいものを幾つか拾って紹介しよう。
ある日の交霊会で菜食主義の是非について問われて――
「こんなことを言うとまたわたしは不評を買うことになるでしょうが、真実は真実として申し上げねばなりますまい。理想的な霊媒のあり方としては、アルコールや肉類、タバコ、その他、人体の質を低下させるものは極力控える方が霊媒の進化にとって良いに決まっています。
地上にあっては霊は肉体を通して自我を表現するしかありません。となれば、その肉体の質が高ければ高いほど霊媒の表現力も大きくなる道理です。したがってその肉体を汚すもの、間違った刺激を与えるものは、いかなるものであっても霊にとっては障害であり良いものではありません。肉体は霊の宿なのですから。
これでもうわたしの答えはお判りでしょう。動物の肉、タバコやアルコールによる刺激があなたの心霊的(サイキック)ないし霊的(スピリチュアル)(※)な能力(パワー)の開発に益があるでしょうか。もちろん無いに決まっています。適度に摂取するのであれば害は少ないというのは当り前の理屈ですが、理想を言うならば、霊媒は大地からの産物のみに限るのが好ましいと言えます」
※――“サイキックパワー”というのは五感の延長としての霊能、いわゆる超能力のことで、これは人間よりもむしろ動物や生物の方が発達している。これに背後霊の援助が加わって高次元の世界とのつながりに発展したものをシルバーバーチは“スピリチュアルパワー”と呼んでいる。
「動物を人間の食料や衣服にするために殺すのは間違ったことでしょうか。動物自身は自然界の原理で互いに殺し合っているのですが……」
「こうしたことはすべて程度問題であり、進化の一過程として捉えるべきです。自然界は弱肉強食であるとよく言われていますが、それは大自然の進化の部分的現象にすぎません。大自然がすでに完成されていると述べている霊界通信はないはずです。自然界も進化の途上にあるからです。
理想を言えば――わたしの答えはどうしても理想を述べることになってしまいますが――動物を人間の食料として、衣類として、また(遊牧民の)住まいとするために殺すのは間違いです。しかし、未熟な世界においては完全な理想が実現されることは期待できません。しかし、だからといって、理想へ向けての努力をしないでよいということにはなりません。
どうしても殺す必要がある時は、なるべく苦痛を与えない方法を取らないといけません。残酷な殺し方は止めてください。食料を得るために殺すのは間違いであることを人類が悟る段階まで一足跳びに到達することはできない以上、殺し方をできるだけ苦痛を与えないように工夫してください。
皆さんは変化しつつある世界に生きており、わたしたちも、どうせ今すぐには実現できないと知りつつ、理想を説いております。もしもわたしたちが努力目標としての理想を説かずにいたら、与えられた使命を全うしていないことになります。目標の水準は高めないといけません。低くしてはいけないのです」
次に出された催眠術についての質問で、「これは研究に値するものでしょうか」と聞かれて――
「施術者が善意の目的をもち、その能力を人のために役立たせたいという願望から行うのであれば、もちろん結構なことです。催眠術者も魂の潜在力を使用している点は同じです」
「催眠術者が接触するのは何なのでしょうか」
「大我、すなわち内部の大霊です。何度も申し上げていることですが、人間の各自に内在するその力を自覚すれば、そしてそれを使用することができれば、人間にとって克服できない困難はありません。
その力と接触する方法は霊性を発達させること、波長を高めること、人のためになる生活を心がけること、要するに霊格を高めるようなことです。この世的なものに心を奪われるほど波長は低下し、私利私欲を捨てるほど波長は高まり、接触する波長も高くなり、内部の大霊がより多く発揮されることになります」
「その内部の大霊というのは独立した存在でしょうか。意識的自我とは別個に理性を働かせ、思考し、行動することができるのでしょうか」
「いいえ、その肉体を通して顕現している意識的自我によって条件づけられます。物的世界で生活している間は脳の意識中枢によって程度が左右されます。催眠術によって左右されることはありません。なぜなら施術者は牢の番人のようなもので、牢の扉を開けて自由にしてあげるだけです。
施術者が善意の意図のもとに働けば被術者の内部の神性を刺激するという立派な仕事ができます。しかし同時に、動物性を刺激してしまうこともあるのです。が、どっちにしたところで、今あなたが表現しておられる意識は、いつの日か発揮するであろう大我のホンのひとかけらに過ぎません」
「いささか不満を覚えますね」
「でしょうね。でも、不満を覚えるということは結構なことです。ケチくさい満足は成長の足しにはなりません」
そう述べてから、どんな質問でもなさってくださいと言って、こう続けた。
「知識というのは自分のものとして取っておくためではなく、他人に分けてあげるために与えられるのです。他人に分けてあげることによって、さらに知識の泉に近づくのです。知識は他人にあげることによって減るものではありません。反対に増えるのです。霊的知識を分け与えれば、それだけ霊性が豊かになるのです」
そこで新しい質問が出された。キリスト教をはじめとする伝統的信仰は人間の精神にどのような影響を及ぼすかという質問だった。
それに答えて――
「教義による束縛は地上世界の苦痛のタネの一つです。伝染病や不健康より厄介です。病気による身体上の苦痛よりはるかにタチが悪いものです。なぜなら、それは魂の病気だからです。霊に目隠しをしてしまうのです。
にもかかわらず、大霊の息のかかった叡智が無限にあるというのに人間の浅知恵がこしらえた教義にしがみつこうとする人がいます。牢の中にいた方がラクだと思う人がいるものなのです。自由とは、その有り難さがわかった者のみが手にするものです。
その教義の足枷から逃れることのできたあなたは感謝すべきです。そして、その喜びをもって、こんどは、一人でも多くの人を自由にしてあげるように努力なさるべきです」
続いて“苦の効用”について問われて――
「体験の一つ一つがあなたの人生を織りなしております。皆さんは永遠というものを目先の出来事で裁こうとなさいます。表面上の矛盾撞着に捉われて、人生全体を大霊の叡智の糸が通っていることが理解できないのです。
調和を基調とするこの大宇宙の中で、あなた方一人ひとりが大霊の計画の推進に貢献しておられます。人生の出来事――時には辛く絶望的であり、時には苦しく悲劇的であったりしますが――その一つ一つが、これからたどり行く道に備えて、魂を鍛える役割を果たしているのです。
光と闇、日向と陰、こうしたものは一つの全体像の反映にすぎません。陰なくしては光もなく、光なくしては陰も存在しません。人生の苦難は魂が向上していくための階段です。
困難・障害・不利な条件――これらは魂の試練なのです。それらを克服していくことによって魂がいっそう充実し、向上し、一段と強くそして純粋になってまいります。
あなたは、無限の可能性を秘めた魂の潜在力が、困難も苦痛もなく、陰もなく悲しみもなく、人生の浮き沈みを何一つ体験せずして発揮されると思われますか? もちろんそうは思われないでしょう。
人生の喜び、愉快な笑いの時は、人生の辛酸をなめつくして初めて解るのです。なぜなら、深く沈んだだけ、それだけ高く上がれるからです。地上生活の陰を体験しただけ、それだけ日向の喜びを味わうことができるのです。
体験のすべてがあなたの進化の肥やしです。そのうちあなたにも、肉体の束縛から解放されて物的な曇りのない目で地上生活を振り返る時がまいります。そうすれば、紆余曲折した一見とりとめもない出来事の絡み合いの中で、一つ一つがちゃんとした意味をもち、あなたの魂を目覚めさせ、その可能性を引き出させる上で意義があったことを、つぶさに理解なさるはずです。
こちら側にいるわたしたちにとって耐え忍ばねばならない最大の試練は、愛情の絆で結ばれている地上の人間が苦難と闘っているのを目のあたりにしながら、それがその人の魂にとって是非とも必要であるとの認識のもとに手をこまねいて見ていなければならない時です。
地上のいかなる体験も、それに正しく対処し正しく理解すれば、必ずや人間にとってプラスになるものを有しております。いったい何の困難も、何の試練も、何のトラブルも、何の苦痛も、何の悩みもない世界が想像できるでしょうか。そこにはもはや向上進化の可能性がないことになります。克服すべきものが何もないことになります。ただ朽ち果てるのみです」
「魂の成長にとって苦しみが不可欠ならば、なぜ心霊治療のようにそれを軽減する仕事があるのでしょうか」
「その治療を通じて魂を真の自我に目覚めさせることができるからです。病気を治すということは確かに立派な仕事ですが、心霊治療家にはそれ以上に大きな仕事があるのです。すなわち病気が縁で訪れた人に真の自我を見出させてあげることです」
「それに較べれば身体の病気が治るということは大して重要ではないというお考えでしょうか」
「その通りです。物的身体に宿っている皆さんはどうしても地上生活のことだけを念頭におかれます。わたしたち地上を去った者は皆さんの永遠の生命を念頭に置いて、それをホンの一時期のものとして位置づけます。
病に苦しむ人を見て気の毒に思い胸に同情心が湧いてくるのは無理もないことであり、わたしもそれを咎めるつもりは毛頭ありません。しかし、その時のあなたは苦しみの一面のみを見ておられ、その人が苦しみの中で過ごす時間は、その代償として得られる喜びに較べれば実に些細(ささい)なものであるということまでは理解が及びません。
人間にとっては陰の中で過ごす時間の方が日向で過ごす時間よりも長く感じられるようですが、実際はそうではありません。
もう一つ理解しなくてはならないのは、病人のすべてが心霊治療で治るとはかぎらないということです。そこには法則というものが働いており、治療家にも治せない病気というのが出てきます。
病気は治るべき機が熟して治るもので、たまたま治っているのではありません。それは魂が地上的体験を卒業して新しい体験を必要とする機が熟すると死の関門を通過していくのと同じです。不意に死期が訪れるのではありません。すべては法則の働きで決まることなのです。が、その法則の働きの中にはあなたの役割も入っています。あなたも大霊の一部だからです」
「もしも病気治療が借金(カルマ)を支払ってしまうことによって魂にその資格ができた時にはじめて生じるものであるとすれば、その時は治療家のところへ行かなくても治ることになりませんか」
「かりに借金のすべてが支払い済みとなったら――実際にはそういうことにはならないのですが――もはや“苦”によって悩まされることが無くなるはずです。身体が完全な健康状態となるはずだからです。しかし人間は地上にいてもこちらへ来てからでも、常に借金を重ねております」
「病気の治癒が法則によって行われているとなると、治療家にはどんな役割があるのでしょうか」
「病気の人が治るべき段階にくると、治療家がその人のもとを訪れます。あるいは、その人の方から治療家のもとへ赴きます。あなたは永い間ここへ通っておられて人の出会いの不思議さを感じたことはありませんか。到達した進化の段階によってその人を治すべき治療家が決まるのです。
大霊は物忘れをなさいません。摂理は完全であり、自動的に作用します。誰一人として摂理を避けて通ることはできません。自由意志でさえ摂理の一環なのです。そしてその作用は、それがわかる段階まで進化した人にはまる見えなのです」
ここで列席者の一人が自由意志の存在は法則の存在と矛盾するのではないかと反論した。その理由として、もしもすべてが法則によって支配されているとなると、選択まで法則によって決められてしまうことになるので、そこには自由は無いことになるはずだと述べた。するとシルバーバーチが――
「あなたが自由意志を行使できる範囲はあなたがこれまでに到達した進化の程度によって決まるということです。言いかえれば、あなたが選択した行為以外のことをしたかも知れないという可能性はない――魂の進化の程度によって決まることだから、ということです」
「それは精神状態が正常でない人の場合にも言えることでしょうか」
「精神が異常をきたすということは、そうなるような何かをしでかしているということです。それも法則の範囲内のことです。異常な精神状態は結果にすぎません」
「選択も法則によって決まるとなると、人生体験が進化に影響を及ぼす余地はないのではないでしょうか。進化までも自動的なものになってしまわないでしょうか」
「そういうことにはなりません。その論理には、あなたも大霊の一部であり無限の神性を秘めているという認識が欠けています。その神性が発揮されるにつれて、あなたはより高い次元の法則の支配を受けるようになるのです。その法則は他の次元の法則と矛盾するものではありません。あなたの霊格が高まったためにその法則との係わり合いが生じたということです。あくまでも“霊格の程度”の問題です。
無限ということは究極が無いということです。美の極致にも、音楽の壮厳さにも究極が無いのです。その無限の階梯の中にあって個々の魂は、霊格が高まるにつれて、より大きな美と調和の世界へ近づいていくのです。向上するにつれて、より大きな調和の世界が待ちうけているということです。
低い階梯にある間はそれより高い階梯のことは意識できません。が、高い階梯にいて低い階梯のことを意識することはできます。こうした生命の実相を支配している法則の働きは自動的ですから、より高い法則の支配を受けるにはその段階まで霊性を高めるほかはありません」
「でも未来の魂の成長は過去の魂の成長度によって決まるのではないでしょうか」
「そうではありません。過去の成長度があなたを、未来の成長を選択する階梯に位置づけるということです。でも、選択を強要されるのではありません。先に延ばすことはできます」
「ということは、自由意志の行使は自動的でないということでしょうか」
「いえ、自動的です。その時点であなたが取る行動は、さまざまな法則の相互作用によって決まります。その一つ一つの法則は自動的に働きます。その際のあなたの選択は、その段階での魂の成長度における意識の反応によって決められます。霊的自我に目覚めている魂は進化をさらに促進する方向を(たとえ過酷なコースであっても)選択するものです」
「魂が自らの成長を遅らせることができるのでしょうか」
「できます。しかしそれは、物的な脳を通して顕現している物的意識にかかわるものだけです」
別のメンバーが、治してもらえる段階まで来ていない患者は心霊治療で治せないという先の話を持ち出して、そうなるとその患者は実に痛ましいことになりそうだと述べた。するとシルバーバーチが――
「その患者さんはどうなると思われるのでしょうか」
「たぶん死んでしまうと思います」
「それが果たして痛ましいことなのでしょうか。このわたしも“死んでいる”のですよ。少しも痛ましくはありません。あなたは物的な面ばかりを考えていらっしゃいます。
地上というところは実にこっけいな世界です。生命にとって最も重大な体験である“死”をみんな怖がります。牢から解き放されることを怖がります。自由の身となることを怖がります。小鳥はカゴから出るのを怖がるでしょうか。なぜ人間はその肉体というカゴから出るのを怖がるのでしょうか」
「でも、たとえば母親が子供を置き去りにしたくないのは自然の情ではないでしょうか」
「あなたは生命を五、七十年の地上人生のみで考えていらっしゃいます。永遠の生命をこの世的なことだけで判断できるのでしょうか。大霊の叡智をいま生活しておられるチリほどの物質の世界だけで裁いてはいけません。地上には比較の尺度がないのです。生命活動の世界の中でも最低の界層の一つしか見ていない人間に、どうして最高界のことが理解できましょう」
代わって他のメンバーが――
「治してもらえる段階まで来ないまま他界すれば、霊界の自由な生活がエンジョイできます。一方、治るべき段階に来ていた人が治ってしまえば、そのまま地上生活を続けることになりますが、これでは進化していない方が進化した人より幸せということになりそうですが……」
「治るべき段階に来ていたため全治して死を免れたとすれば、それはまだ死ぬべき時機が来ていなかったということと、魂にとって必要だった身体の苦痛が一応そこで終了したことを意味します。しかし、魂が地上を去って新しい世界へ進む前に体験しなければならないことなら、ほかにも沢山あります。肉体の苦痛が人間的体験の究極ではありません!」
キリスト教の悪影響についての先のシルバーバーチの説がまだしっくりこないメンバーが「クリスチャンの中にも立派な方が沢山いると思うのですが」と言うと――
「そういう人はクリスチャンにならなくても立派だった人です」とシルバーバーチが答える。
「でも、イエスの教えに忠実であろうと努力したからこそ立派になった人もいるのではないでしょうか」
「地上の人間が本当にイエスの生きざまを模範とするようになれば、人類史上に新しいページが始まります。しかし、まだそこまでは至っておりません。わたしにはその徴候が見えないのです。忠誠を表明しているはずのイエスを欺(あざむ)きつづけている人のことを、わたしの前でクリスチャンと呼ぶのは止めてください。そのイエス自身が言っているではありませんか――“私に向かって主よ、主よ、と言う者のすべてが天国へ入れるのではない。天にまします父の意志を実践する者のみが入れるのである”と」
「でも、キリスト教の教義には深くかかわらずに立派な無私の生活を心がけているクリスチャンも大勢います」と言って、一例として有名な牧師の名前をあげた。
するとシルバーバーチは――
「あの方は立派なクリスチャンではありません。クリスチャンとしては立派な人ではありません。が、人間としては立派な方です。
いいですか、教義というものは例外なく魂にとって足枷となるのです。人間は教義のお蔭で立派になるのではありません。教義を無視しても立派になれるのです。教義の名のもとに同胞を殺し、教義の名のもとに同胞を焼き殺した歴史があります。魂を縛るもの、魂を閉じ込めるもの、その自由な発想を妨げるものはすべて一掃しなくてはいけません」
なおも納得しないその質問者は、ハンセン病患者の施設を見舞う牧師の話を持ち出した。するとシルバーバーチが――
「その人たちは教義に動かされて行くのではありません。魂がそうしてあげたいと望むから行くのです。宗教とは教義を超えたものです。教義は宗教ではありません」
つづいて信仰の問題がメンバーの間で論議されたあと、シルバーバーチがこう締めくくった。
「ただそう信じるというだけの信仰では、厳しい体験の嵐が吹き荒れるとあっさりと崩されてしまいます。が、霊的事実を土台として生まれた信仰はいかなる嵐が吹いてもビクともしません。
目で確かめずして信じることのできる人は幸いです。しかし、確かめた上で信じ、なおかつ、宇宙が愛と叡智の摂理によって支配されているとの認識のもとに、まだ啓示されていないものまで信じることのできる人は、その何倍も幸せです。
わたしたちがお教えしていることは、至って簡単なことばかりです。にもかかわらず、わたしたちのことを悪魔の手先であると決めつけたがる人がいます。わたしたちは、自然の摂理の働きをお教えしようとしているのです。それによって皆さんが生活を正しく規制し、生命の大霊と調和することによって内部から湧き出る幸福感を味わっていただくためです」
祈り
ああ、真白き大霊よ。
全生命の裁定者にあらせられるあなた。“死”の存在しない御国の主にあらせられるあなた。わたしたちは、全てを包摂して慈しまれ、大自然の法則の一大パノラマの中に顕現しておられるあなたを啓示せんと務めている者たちでございます。
わたしたちはあなたを完全なる公正と叡智の大霊、全生命に潜在し、生きとし生けるもの全てに表現されている存在として啓示いたします。
ああ、大霊よ。あなたは無窮にして無限、子等の理解力を超えた存在にあらせられます。しかし、それでもなおあなたを知ることは可能でございます。なぜならあなたは、物質の次元と霊の次元の区別なく、あらゆる生命の相に顕現しておられるからでございます。
あなたは小鳥のさえずりの中に存在します。夜空の星のまたたきの中に、雨滴のきらめきの中にあなたを見ることができます。小川のせせらぎの中に、ミツバチの羽音の中に、風に揺れる木々の枝の中にいらっしゃいます。轟く雷鳴の中にも大海の怒濤の中にもあなたがいらっしゃいます。またあなたは昇りゆく太陽の中にも淡い月の光の中にもいらっしゃいます。
あなたは生命のすべての相の中におられます。しかし、人間の霊性があなたの愛と善性とを奉仕と自己犠牲と理想主義の行為の中に顕現せんとして躍動する時、最もあなたに近い形でその存在をお示しになられます。
霊の世界から派遣されたあなたの使者であるわたしどもは、かつて限られた少数の人間のみに啓示され、今は物的領域を超えてあなたの計画を垣間(かいま)見ることのできる者すべてに啓示されつつある摂理の働きを、あなたの働きそのものとして啓示せんとしているところでございます。
物質の束縛を解かれ、今はより大きな世界において生命活動を営んでいるわたしどもは、あなたの法則にのっとって地上へ舞い戻り、愛は消えることなくいつまでも相手を捜し求めるものであることを教え、慰めと確信、導きと希望、知識と霊感、叡智と真理を地上の同胞にもたらさんとしているところでございます。
かくして離別の悲しみと愛による再会という体験の中で、あなたの子等は内在するあなたの霊性を認識するようになり、霊界からの鼓舞を受けてあなたの道具として献身し、苦しむ者を救い、あなたの霊性を日常生活の中で発揮し、すべての者にあなたの御心をもって接するようになることでございましょう。
わたしたちもその御心を体(たい)して地上へ戻り、いずこにおいても手助けすることを心がけ、地上の全人類を結びつけている霊的な絆(きずな)を強化し、全生命の背後の一体性を認識せしめんとしているところでございます。
願わくばあなたの御力が地上におけるあなたの神殿たらんと志す全ての通路(ひと)を通して顕現し給わんことを。
ここにあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。
第7章 ああ、真白き大霊よ
最近ではシルバーバーチの交霊会の様子がカセットテープに録音され、世界中の数え切れない人々によって愛聴されているが、古くさかのぼると、かつては蓄音機用に何枚か吹き込まれたこともあったのである(*今では廃盤となっている)。
最初のレコーディングは出来ぐあいから言うと失敗だった。マイクの位置が遠すぎたためであるが、シルバーバーチは一言も文句を言わないどころか、ではもう一枚いきましょうと言った。最初のは身内を失った人たちへの慰めのメッセージだったが、「こんどは何にしましょうか」とシルバーバーチの方から言うので、司会のスワッハーが「“新しい時代”について述べられては?」と提案した。
するとシルバーバーチは一瞬のためらいもなく「では始めます」と言って、合図とともに語り始めた。そして、ぎりぎりの時間内で終わった。残念ながらそのレコードはもう手に入らない。
こうしてその日は全部で四枚の録音を行った。祈りが二枚とメッセージが二枚だった。なんと、その四枚とも一秒の違いもない、同じ長さだった。
録音の要領は、スタートを知らせるために列席者の一人が一から九まで数えて、十のところで係の者がスイッチを入れ、それと同時にシルバーバーチが語り始め、終わる三十秒前に霊媒の身体に手を触れる。するとピッタリ最後の一秒のところで終わった。霊界でリハーサルをしてきたわけではないとのことだった。
では当日の録音の中身を紹介しよう。
「まず初めに生命の大霊に祈りを捧げます。
王の中の王、造化の大霊、完全なる摂理の背後の無限なる知性にあらせられるあなた――あなたは全知にして全能なる存在におわします。あなたは無始無終に存在したまいます。なぜなら、あなたの霊は全宇宙に満ち、すべてがあなたの反映だからでございます。
しかし同時にあなたの神性はおのれを人のために役立てんと努める者の人生の中にも示されております。なぜなら、そこにあなたの神性が本来の表現の場を見出し、発現すればするほど既得の権力、憎悪、残虐、迷信、そして無知と闘うことになるからでございます。
わたしたちは完全なる愛と叡智の権化にあらせられるあなたに敬虔なる讃仰の気持を捧げ、あなたを荘厳なる存在そのままに啓示せんと努めているところでございます。これまで幾世紀にもわたってあなたは、直観力と洞察力とをそなえた少数の者を例外として、人類によって誤解されてまいられたからでございます。
あなたは復讐心を燃やす嫉妬ぶかい暴君ではございませぬ。あなたは全生命の大霊にあらせられます。なぜなら、あなたの霊は全宇宙のすべての子等に宿りたまい、永遠にあなたと結びついているからでございます。あなたの霊ありてこそ子等の存在があるのでございます。あなたの霊ありてこそ子等は死の彼方の世界にも存在し続けるのでございます」
この祈りの長さは三分だった。二分半が経過し、レコードはあと三十秒しかないという時点での印象では、まだ半分しか終わっていないような雰囲気だった。が、ぴったり最後の一秒で終わった。
では次に、録音としては失敗に終わった、身内の人を失った人たちへの慰めのメッセージを紹介しよう。
「皆さんからシルバーバーチと呼ばれている霊から、死によって愛する人を永遠に奪われたと信じて嘆き悲しみ、目に涙を浮かべておられる人たちへ、慰めのメッセージを贈りましょう。
自ら死を体験したのち三千年の霊界生活を体験してきたこのわたしから是非とも申し上げたいのは、死は愛する者どうしを裂くことは絶対にできないということです。愛はすべての障害を打ち砕きます。愛は必ずやその愛する相手を見つけ出すということです。
愛する人がこの残虐と誤解と無知の世界から、内部の神性がより豊かに発現される世界へと連れて行かれたことを泣いて悲しむのはお止めなさい。神があなたの庭から一本の花を抜き取って神の庭へ植え代えられたことを悲しんではなりません。その庭で、あらゆる制約と束縛とから解放されて、内在する香りをより多く放つことになるのです。
死も生命の法則の一環であることを理解してください。生と死はともに大霊のものであり、ともに大霊の摂理を教えるために使用されているのです。涙をお拭きなさい。悲しむのは間違いです。なぜなら、愛する人は今もなおあなたの身近にいらっしゃるのです。死は愛を滅ぼすことはできないのです。大霊が永遠であるごとく愛も永遠なのです」
終わると係の者が
「今のをお聞きになってみられますか。一度だけなら傷つけずにお掛けできますよ」と言うとシルバーバーチが――
「せっかくならこの霊媒が入神から覚めてからにしましょう。彼にも聞かせてやりたいですから……」と言った。
が、係の者は「二度掛けても大丈夫ですよ」と言ってさっそく掛けてみると、音声が低すぎてうまく録音されていないことがわかった。
マイクの位置が遠すぎたためだった。
係の者が「もう一度同じものをお述べになることができますか」と聞くと――
「いえ、それはできません。でも別のものならすぐに始められますよ」と言うので、さっそく次の録音に取りかかった。それは次のような祈りだった。
「真白き大霊に祈りを捧げます。
ああ、大霊よ。
聖なる創造主、王の中の王、全生命の背後の無限なる知性にあらせられるあなたを、わたしたちは在るがままのお姿、すなわち完全なる摂理として説き明かさんとしております。
あなたは幾世紀にもわたって誤解され、誤って崇拝されてまいりました。ある人種はあなたのことを残忍にして血に飢え、復讐をたくらみ、嫉妬ぶかく、自分への忠誠を誓う者のみを愛する神として崇めてまいりました。そして彼らはその神罰に恐れおののきつつあなたへ近づいておりました。
わたしたちはあなたを完全なる愛と叡智の権化として啓示いたします。それが完全なる摂理の働きを通して顕現しているのです。その摂理の中に、子等が生命の充実感と豊かさと限りない恩寵を見出すようにとの、あなたの深遠なる配慮がなされているのでございます。
わたしたちの望みはその摂理を地上へもたらし、それによって善意の子等がいっそうの努力と奉仕に励み、地上世界からあらゆる不平等と不正、あなたの王国の地上への実現を阻むものすべてを無くすことです。その目的へ向かってわたしたちは祈り、そして奮励いたします」
これでA面が終わり、続いてB面を始めたところ、シルバーバーチには珍しく発音を間違えるというハプニングが起きた。Surface(サーフィス)というべきところをservice(サービス)と言ってしまったのである。
「失敗しました」
シルバーバーチはそう言って、新しいレコードに替えてもらった。用意ができるとすぐに語り始めた。
「地上世界が暗黒に満ち、恐怖心が多くの人間の心を支配し、導きと慰めをいずこに求めるべきかに迷っている今、より高き界層に住み物質の境界を超えて見通すことのできるわたしたちは、自信をもって皆さん方に“万事うまく行っております”と申し上げます。
皆さんは新しい秩序の誕生を今まさに目撃しておられるのです。辺りをご覧になれば、利己主義と物質偏重と貪欲と強欲と残酷の上に築かれた古い世界が滅亡しつつあるのが分かります。スピリチュアリストをもって任じておられる皆さんは、大いなる真理の管理人でいらっしゃいます。前哨地を守る番兵として新しい時代の構築に協力してくださっているのです。
ご自分のことを戦(いくさ)の中の戦に参戦している大霊の兵士とお考えください。悲劇と混乱と破綻とをもたらした無知という暗黒の勢力を撃破するための仕事を支援なさっているのです。
子等が大霊の用意されている恩寵を心ゆくまで満喫できる新しい世界の構築に、皆さんも参加しておられるのです」
第8章 絶望してはなりません
今から半世紀もさかのぼる一九三六年に、時の英国王エドワード八世が二度の離婚歴をもつ米国人女性ウォリス・シンプソンとの結婚のため王位を放棄することを宣言して、英国全土が危機的な事態に陥った。近代になって英国の君主制がこれほどの試練と動乱に遭遇したことはかつて無かった。
その話題は当然のことながらハンネン・スワッハー・ホームサークルにおいても持ち出された。意見を求められてシルバーバーチが述べた。
「大変困難な事態が続きましたが、今やっと収拾へ向かいはじめました。この度の事件には学ぶべき大きな教訓があることを申し上げたいと思います。
いかなる事態にあっても、永遠なるもの、霊的なものから目を逸らしてはなりません。この場合もあまり英国の王政や王権にこだわった考え方ではなく、神の統治する国ということを念頭に置いた考え方をしなくてはいけません。地上世界はまだまだそれからは程遠いのです。
しょせんは一個の人間にすぎない者に過度の崇敬を向けてはなりません。宇宙にはたった一人の王、全生命の王しか存在しないことを忘れないでください。その王の御国においてはすべての住民が等しく愛され、豊かな恩寵が欲しいだけ分け与えられるのです。
王室の華麗さに魅惑されて肝心な永遠の実在から目を逸らしてはなりません。他方には悲劇と暗黒の中にいる人、その日の食べものにも事欠く人、太陽の光も届かない場所で生活している人――要するに大霊が用意された恩恵に十分に浴せない人たちがいることを忘れてはなりません。
王室一個の問題よりもっと大きな仕事、もっと大きな問題へ関心を向けてください。涙ながらに苦境を訴えている一般庶民のことを忘れてはなりません。その痛み、その苦しみ、その悲しみは、王室一個の難事よりもはるかに、はるかに大きいのです」
ここで司会のハンネン・スワッハーが「私がサイキックニューズ紙に発表した論評は読者から指摘されている通り辛辣(らつ)すぎたでしょうか」と尋ねた。スワッハーの記事を読んですぐに抗議の手紙を寄せた人が何人かいたのである。そのうちの一人は“これほど薄情な意見を読んだことがない”と書き、もう一人は“非紳士的で男らしくなく、度量に欠け、しかも非キリスト教的である”と決めつけていたのである。するとシルバーバーチが答えた。
「そんなことはありません。真実を述べれば、それは必ずや人の心に訴えるものです。時には迷信と偏見による抵抗にあうことはあっても、そうした壁はそのうち崩れていきます。あなたの論評は昔だったらとても公表できなかったでしょう。しかし今あなたは現実に公表しました。
もとより、反論する人はいるでしょう。しかし、その数は取るに足りません。そういう人はまだ精神構造の中に古い伝統的な概念がしつこく残っている人たちです。論理と分別心とで判断できない人です。あなたはそういう人に自然の摂理の存在を教えたことになります。その摂理こそ、唯一、大切なものです。
感情的ないちずさから胸をたぎらせても、その熱が冷めると否応(いやおう)なしに現実に直面せざるを得なくなります。そこに地上でのあなた方の役割があるのです。すなわち、幻影のベールを剥ぎ取り実相を明らかにするのです。中には真理の光のまばゆさに耐えきれない人もいます。しかし構うことはありません。そういう人はまだそれを受け入れる用意ができていないということなのですから。
真理がすべてに優先します。真理が近づくと無知は逃げ去ります。いつかは必ずわれわれが優位を占めるのは、われわれの主張が真実だからこそです。もとより“われわれが優位を……”と言っても、“道具”であるわたしや皆さんのことを言っているのではありません。われわれが道具となって代弁しているもの、すなわち大霊の愛の大きさ、大霊の恩寵の無限性、全人類に分け隔てなく配剤されている愛と叡智と知識のことです。
そうした大霊の顕現を妨げるものはすべて排除しなければなりません。人工の教義への隷属状態はすべて解きほぐさないといけません。あらゆる障害物を取り除かないといけません。それが、皆さんとともにわたしたちが携わっている仕事なのです。
わたしは自分がこれまでに学んできたものの中から実に素朴なものを幾つか述べているだけです。たとえそれが何でもない人間生活の基本的原則のおさらいをさせるに過ぎなくても、やはりそれが何より大切であると確信するからです。
日常の仕事にあくせくとし、次から次へと生じるゴタゴタに係わっていると、皆さんもうっかりすると人生の基本である永遠の霊的原理を忘れがちです。そこでわたしが改めてそれを認識させてあげれば、皆さんはぼやけた焦点を回復し調和を取りもどして、一段と大きな奉仕に励むことができるわけです。
地上世界はまだまだ学ばねばならないことが沢山あります。が、皆さんの義務が大きいだけ、それだけ多くの犠牲を強いられることになります。手にされた知識が大きいだけに、責任もそれだけ大きくなります。しょせん代価なしには何も手に入れることはできません。支払うべき代価というものがあるのです」
その日から一ヵ月さかのぼった一九三六年十一月初旬に、シルバーバーチが第一次大戦の休戦記念日(十一月十一日)の恒例となっているメッセージを述べた。そのメッセージと、さらに一年のちのメッセージとを紹介し、その内容についての一問一答を併せて紹介して参考に供したい。
「あと数日もすれば英国全体の思いが戦争で物的身体を犠牲にした大勢の人々に注がれますが、この時に当ってわたしから皆さんに申し上げたいことがあります。それは、その日は数知れない大霊の子が今なお為政者によって裏切られ続けていることを思い起こさせる日でもあるということです。
彼らの犠牲が結局は無駄になっているということです。この聖なる日を迎えるたびに皆さんの一人ひとりが、地上に平和と調和と幸せを招来する道はいたって単純な原理をいくつか実行すればよいことを思い起こすことが大切です。
つまり地上世界は何かにつけて貪欲と利己主義が優先しているから戦争と貧困、飢餓と悲劇、災難と混乱が絶えないのです。せっかく届けられた大霊からのメッセージもそのうち忘れ去られ、無視されます。本来なら率先して説かねばならない立場にある聖職者すらそれを無視するようになります。そのくせ困ると神に祈ります。
一時的に権力を握ったところで、そんなものは霊的実在の前では物の数ではありません。霊的なことを口にすると一笑に付す人がいますが、地上のトラブルの解決法は、すべての人間が善意の精神で霊的真理を物的問題に適用するようにならないかぎり見出せません。
現在の地上の状態は休戦が宣告された時(一九一八年)よりも更に凶事に近づいております。実に深刻で恐ろしい事態に近づきつつあります。流血の争い、大規模な流血へ向けて一目散に突っ走っております。
わたしには確信があるからこそ、厳粛な気持でそう申し上げるのです。未然に防ぐ可能性がまったく無いわけではありません。しかし、それはお互いがお互いのためを願う人たちみんなの努力――オレがという思い上がった気持は別です――それが貪欲と利己主義の勢力に打ち勝った時でしかありません。
戦争から平和は生まれません。悲劇から幸福は生まれません。悲哀の涙から愉(たの)しい笑いは生まれません。地上にはすべての人に行きわたるだけのものが用意されているのです。しかし、そこに貪欲が立ちはだかります。剣にて支配せんとする者は剣にて滅びます。それは今でも同じです。
しかし、真っ暗い闇の中にも一条(すじ)の希望の光が見えております。絶望してはなりません。皆さんはこれぞ真理と確信するものにしがみつくことです」
それから一年後の“休戦記念メッセージ”でシルバーバーチは、スペインの内乱(一九三六~三九)に言及した。それというのも実はバーバネルが夫人とともにたまたまスペインへ行っていてその内乱に巻き込まれ、兵士によってフランス国境まで護送されるというハプニングがあったのである。シルバーバーチは語る――
「毎年この日を迎えるごとに、戦争による犠牲の空しさを痛感させられます。あなた方はたった二分間を“英霊”のために捧げて黙祷して、そのあと一年間は忘れております。そして一年後にまた棚から下ろしてホコリをはたくということを繰り返しております。
戦死者の犠牲はまったく無意味でした。言うなれば、これまでの十九年間ずっと磔刑(はりつけ)にされ続けているようなものです。“大いなる戦い”(※)などとおっしゃいますが、その“大”とは殺りくの量、無益な殺人の多さでしかありません。“すべての戦争を終わらせるための大いなる戦い!”(第一次大戦はそれを大義名分として戦った)――なんと空虚な、なんと都合のよい言葉でしょう!
皆さんは地上にあって可能なかぎりの犠牲、時には生命を捨てることも辞さなかった人たちが死後ずっと幻滅の時を過ごしてきていることに思いを馳せたことがありますか。彼らは地上生活での青春の真っ盛りに生命を断たれたのです。まだ霊界の生活に十分な備えができていないうちに送り込まれたのです。もとより文明を守るという一つの理想に燃えて喜んで死んでいったのですが、それがずっと裏切られ続けているのです。
今もって地上から戦争は無くなっておりません。たとえ前回の戦争の“戦死者”に称賛の手向(たむ)けをしても、東洋においても、今またスペインにおいても戦乱の止む時がなく、これからも二分間の休みもなく、殺し合いが続くことでしょう。
真の平和は物的な問題に霊的摂理を適用するようにならないかぎり訪れないということが、なぜ地上の人には解らないのでしょうか。戦争、そしてその結果としての流血と悲劇と涙、さらには混乱と騒乱と災禍と破綻の原因は、元はといえば利己主義にあるのです。
その利己主義を互助の精神と置き替えてはじめて平和が到来すること、物量主義と権力を第一に考える古い概念と国威発揚の野望を捨て、それに代わってお互いが助け合って生きようとする精神――強い者が弱い者を助け、余るほど持っている人が足らない人に分けてあげるという関係にならなくてはいけません。
これ以外の方法はすべて試みられ、そして失敗に終わっています。霊的真理の適用という方法のみがまだ試みられておりません。それが実行されないかぎり地上には戦争と流血は跡を絶たず、それは最終的には、地上人類が誇りとしている文明を破壊してしまうことになるでしょう」
※――英語では第一次および第二次世界大戦のことを文字どおりWorld War Ⅰ、World War Ⅱと呼ぶのが一般的であるが、第一次大戦だけを Great War“大いなる戦い”と呼ぶことがある。これは、このあとに出ている“すべての戦争を終わらせるための大いなる戦い”という大義名分から自然にそう呼ばれるようになったのであろう。
「文明とは何かについてお話いただけませんか」
「一方に天賦の資質としての自由意志があり、これを正しく使用しないと代償を支払わされます。そして他方には、従わねばならない摂理というものがあります。摂理にのっとった生き方をしていれば恩恵という形での収穫があります。逆らった生き方をすれば、それ相当の結果を刈り取らねばなりません。一方は平和と幸福と豊かさをもたらし、他方には悲劇と争いと流血と混とんをもたらします。
わたしたちは、本来ならばその人たちこそ大霊の子を導くべきである立場の人たちから軽蔑されております。大霊の御名とその愛をたずさえて来ているのですから本当は歓迎してくれるべきなのですが、なぜか嫌われております。そうした中にあっても、わたしたちは地上人類のためを思う一心から、自らの力で地上を救う方法を教えてくれるものとして、その摂理と霊力の存在を説き明かそうと努力しているのです。
霊的な無知に浸りきり、まわりを儀式と祭礼で固め、しかも今現在でも大霊の力(聖霊)が降りることを否定している人たちは、いつかはその代償を支払わねばならなくなります。
わたしたちは人のために役立ちたいと願う人たちにとっては味方であり、伝統的な規範に合わないものはすべて破壊せんとする人たちにとっては大敵です。わたしたちは愛と奉仕の翼にのって地上へ舞い下り、いつどこでもお役に立つ用意ができております。それがわたしたちに課せられた大きな仕事なのです。
地上人類は古い伝統を、ただ古くからあるものというだけで大事にしすぎます。真理と時代とは必ずしも手を取り合って進むものではありません。幼児の頃から教え込まれた大事な信仰を捨て去ることの難しさは、わたしにもよく解ります。しかし、魂は理性が拒否するものをすべて捨て去ってはじめて自由になれるのです。それを潔く実行できる人が果たして何人いることでしょう」
「信仰を理性で検証するなどということは思いも寄らない人が多いのではないでしょうか」
「まったくその通りです。危険をはらんだ未知の世界へ踏み込むよりも、勝手を知った隠れ家にじっとしている方が良いというわけです。そして、もう一つ忘れてならないのは、地上では先覚者はあまり歓迎されないのです。大てい非難を浴びております」
「あなたは“霊的計画”をよく口にされますが、私たちには一向にそれらしき成果は見えないのですが……」
「物質の目でごらんになっているから見えないのです。皆さんは短い地上人生を尺度として進歩ぐあいを計っておられますが、わたしたちは別の次元から見つめております。
わたしたちの目には霊的知識の普及、霊的真理の理解の深まり、寛容精神の盛り上がり、善意の増大、無知と迷信と恐怖心と霊的隷属状態という障壁の崩壊が見えております。
瞠目(どうもく)するような急激な変革を期待してはいけません。そういうことは絶対に有りえないのです。霊的成長はゆっくりとした歩みの中で得られるものだからです。
絶望すべき要素はどこにも見当りません。もっとも、強まる一方の物量第一主義の風潮を見ていると絶望したくもなるでしょう。が、他方には霊的真理の光が物的利己主義のモヤを突き抜けていくにつれて、希望もまた強まりつつあります。知識が広がり続けるかぎり、勝利はきっと真理の上に輝きます。
だからこそ、こうした席でのメッセージが大切なのです。わたしたちにとって大切なのではありません。皆さんにとって大切なのです。わたしたちはただ、このまま放置しておくと地上世界はその利己主義、野蛮ともいうべき無知、そして故意の残虐行為の代償を支払わされる大変な事態になることを知っていただきたいと思って、こうして頑張っているのです。ひたすら皆さんのためを思っているのです。援助したいのです。なぜなら、わたしたちには無私の愛があるからです。
わたしたちは地上人類を破滅の道へ誘い込もうとしている悪霊の集団ではありません。人間の尊厳を傷つけたり、無慈悲なことや罪なことを言うようなことは致しません。それどころか、皆さんの内部に潜在する神性、大霊の力を認識していただき、互助の精神を実行して大霊の計画の推進に協力してほしいと願っているのです」
「これまでの文明を破壊してしまうという考えはいかがでしょうか」
「たとえ悪い面はあっても、現代の文明を引き継ぐ方がはるかに賢明です」
「こうまでおかしくなってしまった以上、いっそのこと破壊して一からやり直した方がよいとは思われませんか」
「思いません。なぜなら、今や霊的真理の光が世界中に浸透しつつあるからです。霊力が浸透する通路があるかぎり、その世界が存在し続けるためのエネルギーが届けられます。何事も霊の貯蔵庫があるからこそ存在していることを知らないといけません」
別のメンバーが、この前の戦争で戦死した人たちの犠牲がすべて無駄に終わったというのは少し酷ではないか――それを聞いて心を傷める人もいるのでは、といった主旨のことを述べた。するとシルバーバーチが――
「純粋無垢の真理は時として苦(にが)く、また心を傷つけることがあるものです。しかし、あくまでも真実なのですから、いずれは良い結果を生みます」
「その犠牲からほんとに何一つ良い事は生まれなかったのでしょうか」
「わたしには何一つ見出せません。地上世界は“大いなる戦い”が始まった時よりもさらに混とんへ近づき、破滅的様相を呈しております」
「あれほどの英雄的行為が無駄に終わるということが有りうるのでしょうか。霊的な反響は無いのでしょうか」
「犠牲になった兵士の一人ひとりにはそれなりの報いがあります。動機が純粋だったからです。しかし忘れてならないのは、地上世界全体としては彼らを裏切っていることです。犠牲が何一つ報われていないということです。相も変わらず物質第一主義がはびこっております」
「こうした休戦記念行事を毎年催すことは意義がありますでしょうか」
「たとえ二分間でも思い出してあげることは何もしないよりはましでしょう。ですが、ライフルや銃剣、軍隊、花火、そのほか戦争と結びついたもので軍事力を誇示することによって祝って、いったい何になるのかと言いたいわけです。なぜ霊的な行事で祝えないのでしょうか」
別のメンバーが――
「スピリチュアリズム的な行事を催すことには賛成ですか」
「真実が述べられるところには必ず徳が生まれます。もちろんそれが奉仕的精神を鼓舞するものであればのことです。大見得を切った演説からは何も生まれません。またそれを聴く側も、いかにも自分たちが平和の味方であるかの気分に浸るだけではいけません。
わたしは“行為”を要求しているのです。人に役立つことをしてほしいのです。弱者を元気づけることをしてほしいのです。病気の人を癒してあげてほしいのです。喪の悲しみの中にいる人を慰めてあげてほしいのです。住む家もない人に宿を貸してあげてほしいのです。地上世界の恥ともいうべき動物への虐待行為を止めさせてほしいのです。
平和は互助の精神からしか生まれません。すべての人が奉仕的精神を抱くようになるまでは、そしてそれを実行するようになるまでは、平和は訪れません」
不戦主義、すなわち参戦を拒否する一派の運動をどう思うかと問われて――
「わたしはいかなる派にも与(くみ)しません。わたしにはラベルというものがないのです。わたしの眼中には人のために役立つ行為と動機しかありません。お題目に眩惑されてはいけません。何を目的としているか、動機は何かを見極めないといけません。なぜなら、反目し合うどちらの側にも誠意の人と善意の人がいるからです。わたしが述べる教えはいたって簡単なことばかりですが、それを実行に移すには勇気がいります。
霊的知識と霊的摂理を知ることによって断固とした決意をもつに至った時、そして日常生活のあらゆる分野で私利私欲を無くし互助の精神で臨むようになった時、地上に平和と和合が訪れます。
それは一宗一派の主義・主張から生まれるのではありません。大霊の子のすべてが霊的真理を理解してそれを日常生活に、政策に、経営に、政治に、そして国際問題に適用していくことから生まれるのです。
わたしはこれこそ真実であると確信した宇宙の原理・原則を説きます。だからこそ、これを実行に移せばきっとうまく行きますということを自信をもって申し上げられるわけです。皆さんは物質の世界にいらっしゃいます。最終的には皆さんに責務があります。わたしたちはただ誠意をもってご指導し、皆さんが正しい道から外れないように協力してあげることしかできません。
地上には古いしきたりから抜け出せない人が大勢います。それが宗教的なものである場合もありますし、政治的なものである場合もありますし、自分の想像力でこしらえた小さな精神的牢獄である場合もあります。
魂は常に自由でないといけません。自らを牢の中に閉じ込めてはいけません。まわりに垣根を張りめぐらして、新しいものを受け入れなくなってはいけません。真理は絶え間なく探求していくべきものです。その境界は限りなく広がっていきます。魂が進化するにつれて精神がそれに呼応していくからです」
「その魂の自由はどうすれば得られるのでしょうか」
「完全な自由というものは得られません。自由の度合は魂の成長度に呼応するものだからです。知識にも真理にも叡智にも成長にも限界というものがないことを悟れば、それだけ自由の度合が大きくなったことになります。心の中で間違いだと気づいたもの、理性が拒否するもの、知性が反発するものを潔(いさぎよ)く捨てることができれば、それだけ多くの自由を獲得したことになります。新しい光に照らして間違いであることが判ったものを恐れることなく捨てることができたら、それだけ自由になったことになります。それがお出来になる方が果たして何人いることでしょう」
そう言われてメンバーの一人が、経済的な事情からそれが叶えられない人もいるのではないでしょうかという意見を出すと――
「それは違います。経済的事情は物的身体を束縛することはあっても、魂まで束縛することはできません。束縛しているのは経済的事情ではなくして、その人自身の精神です。その束縛から解放されるための叡智は、受け入れる用意さえあればいつでも得られるようになっております。しかしそれを手に入れるための旅は自分一人で出かけるしかないのです。
果てしない旅となることを覚悟しなければなりません。恐怖や危険も覚悟しなくてはなりません。道なき道を行くことになることも覚悟しなければなりません。しかも真理の導くところならどこへでも付いて行き、間違っていることは、それがいかに古くから大事にされているものであっても、潔く拒絶する用意ができていなければなりません」
祈り
ああ、真白き大霊よ。
あなたの愛の崇厳さ、あなたの叡智の無限性、あなたの真理とインスピレーションの豪華さはどう表現すればよろしいのでしょうか。あなたは全生命の大法則――宇宙に展開する大パノラマの中に顕現している極大の生命も、想像を絶する極微の生命も包摂する大摂理にあらせられます。
あなたの摂理は生命のあらゆる現象を通して絶対的に支配しております。摂理としてすべての存在の中に表現されており、何一つとしてあなたを離れては存在し得ぬのでございます。昇っては沈む太陽の美しさの中に、淡い月の光の中に、夜空に輝く星の光の中に、小鳥のさえずりの中に、風にそよぐ花や松の梢(こずえ)に、小川のせせらぎに、そして寄せては返す大海のうねりの中にあなたが存在したまうのでございます。
又あなたは稲妻の中にも雷鳴の中にもいらっしゃいます。上にも下にも内にも外にもいらっしゃいます。あなたは生命の大霊にあらせられ、すべての愛、すべての力、すべての現象があなたに包摂されているのでございます。
さて、あなたの道具としてあなたからのメッセージを託されたわたしたちは、今なお肉の宮に閉じ込められている子等があなたの霊性の領域を見出し、彼らもあなたの霊の一部にほかならぬこと、彼らの一人ひとりにあなたの分霊が吹き込まれている事実を認識せしむべく、あなたの真実の姿を説き明かしたく存じます。
ああ、大霊よ。
暗闇と混とん、不信と嫉妬心、猜疑心と争いに満ちたこの地上にあって、わたしたちは、あなたの啓示の水門が開かれて霊の威力が、あなたのメッセージを地上の全民族へもたらさんとしている善意と愛に満ちた同志に届けられ、人類が一国の利害を超えてお互いのために生きそして地上にあなたの御国を実現する、その理想へ一歩でも近づいてくれることを祈るものです。
願わくばあなたのインスピレーションを受ける通路(チャンネル)(霊媒・霊覚者)が俗信に捉われず俗物に汚されることなく、彼らを通じてあなたのメッセージがふんだんに流入して、ますます多くの子等があなたの真理のイルミネーションの中へ導かれんことを。
また願わくば子等が自分を包む霊力の何たるかをますます認識することになりますように。
願わくば子等が、これまでも彼らにインスピレーションと導きを授け、人に役立つ道を歩ませてきたあなたの強大なる威力(背後霊)の存在に気づき、内在するあなたの霊性を存分に発揮することになりますように。
第9章 霊は全生命の精髄(エッセンス)です
ローマカトリックでは“水”による洗礼のほかに“血”の洗礼(殉教)と“望み”の洗礼(洗礼を望みつつ果たされなかった人の遺志)というものを認めているが、本当の意味での洗礼を忘れている。ある日の交霊会でシルバーバーチはそのことに言及してこう述べた。
「ここにいらっしゃる皆さんは本当の意味での洗礼、すなわち霊力による洗礼を受けておられるのです。霊的に蘇(よみがえ)ったのです。魂が真実の自我を見出す道へ導かれ始めたと言ってもよろしい。
霊的なものが皆さんの生活の中核となり、実在感とともに確信というものを覚えるようになります。その確信が精神のすみずみまで行きわたり、魂が安らぎを覚え、心が愛に満たされます。それが大霊が最高に顕現した時の状態です」
ここで、シルバーバーチの祈りの中によく出てくる語句についての質問が出された。
「大霊は本当にすべてのもの、たとえば石ころにも宿っているのでしょうか」
「大霊はすべてのものに宿っております。大霊から離れて存在できるものは何一つありません」
「では地震も大霊の仕業でしょうか」
「大霊とは法則のことです。すべてのものを支配している法則です。法則がすべてを支配しているのです。その法則の支配を受けないものはこの宇宙には一つも存在しません」
この説明ではまだ納得のいかない質問者が「なぜ地震なんかが起きるのだろうと、よく思うのです」と言うと、シルバーバーチが――
「地震・嵐・稲妻といった自然現象が人間の頭脳を悩ませてきたことは、わたしもよく知っております。しかし、それもみな宇宙の一部なのです。宇宙そのものも進化の途上にあります。その宇宙の中で生活している生命が進化の途上にあるのと同じです。物質の世界は完全からはほど遠い段階にあります。同時に又、完全というものは達成されないのです。完成度がますます高められていくことの連続なのです」
「ということは大霊も進化しているということでしょうか」
「いいえ、大霊とは摂理であり、その摂理は完全です。しかし現在この物質の世界に顕現している部分は、その顕現の程度においてまだ進化の余地があるということです。
いいですか、地球は今も進化しているのです。あなたが理解できないとおっしゃる現象もみな、その進化活動の現れなのです。火焔と暴風雨の中で生まれて、今なお完成へ向けて進化しつつあるのです。
日の出と日没の美しさ、天空に輝く無数の星、楽しい小鳥のさえずりは大霊のもので、嵐や稲妻、雷鳴や雨は大霊のものではないなどとは言えないのです。すべてが大霊の摂理の一環として生じているのです。
こう言うと、では人間が堕落したり他人に害を及ぼしたりするのも大霊の責任なのかとおっしゃるかも知れません。が、人間の一人ひとりに、その人の霊的進化の程度に応じた範囲での自由意志が与えられております。霊的階段を高く昇るほど、より大きな自由意志が行使できるようになります。
これを言いかえれば、現在のあなたがあなた自身の限界であるということです。しかし、あなたも大霊の一部なのですから、人生の困難や障害のすべてを克服できるのです。霊は物質に優るからです。霊が王様で物質は召使いです。霊がすべてを支配しているのです。霊は全生命の精髄(エッセンス)です。霊は生命そのものであり、生命は霊そのものと言ってもよいのです」
「各自の自由意志に限界があるのは、各自の生活に一定のパターンがあるからなのでしょうか」
「生活にはいろいろなパターンがあり、いろいろな波長があります。しかし絶対的な支配力をもつものは何一つありません。地上にはさまざまな放射物があり、さまざまな影響力が飛び交っております。そして、その多くがあなたの運命を左右する可能性を秘めております。しかし大霊はあなたに分霊(わけみたま)をお授けになっているのです。それは、あなたが自由意志でもって現在の進化の程度に応じた正しい選択をすれば、前途に生じる困難のすべてを克服する力を秘めているのです。あなたは大霊なのであり、大霊はあなたなのですから……」
“死者”との交信はその霊の進歩を遅らせ迷惑を及ぼすと信じている人の話が出されて――
「その“死者”の一人であるこのわたしは地上の皆さんの声の響きが大好きです。とても幸せな気持にさせてくれます。皆さん方もきっとわたしの声を聞いて喜んでくださっていると信じます。こうして語り合うことによってお互いに学びあえるのですから……。わたしは地上世界からいろいろなことを学ぼうとしております。それがわたしの知識を増し、さらに大きく役立つことができるからです。
今わたしたちが携わっている計画を推進する上で、いろいろとしなければならないことが生じます。大事業なのですから当然のことです。このために多くの高級霊がその生活のすべてを捧げているのです。
その事業の一環がこのサークルで成就されてまいります。皆さんはすでにその一部をご覧になりました。この小さな英国だけでなく世界中の国において大勢の人々の魂に感動を覚えさせてあげることができました」
そう述べて、この交霊会に世界各地からすでに大勢の人が招待され、ここで得た感動を糧にそれぞれの国でホームサークルをこしらえている事実に暗に言及した。そしてさらに言葉を継いで――
「こうした仕事は霊力の活動が活発になるにつれて、ますます大きく発展してまいります。どうか、これ以後も忠実に仕事に励んでください。そして、この仕事のために捧げられた“時”は一瞬たりとも無駄にはならないことを確信してください。ここでこうして交わり合うということは、物質界の皆さんにも、その物質界の束縛から解放されているわたしたちにも、豊かな祝福をもたらすことになるからです。それは自分のためではなく同胞のためという動機に発しているからこそなのです」
さて、洗礼と同じくキリスト教では結婚の重要性を力説している。これを霊界ではどう観ているのであろうか。ある日の交霊界で、かつてはメソジスト派の牧師で今はサークルのメンバーの一人となっているバーノン・ムーア氏と、永年シルバーバーチの霊言の速記を担当してきた婚約者のフランシスに向かってこう述べた。
「まずお二人はこれから冒険中の冒険に出発されようとしていることを知っていただきたいと思います。これまで別々の人生コースを歩んできた者が、これからは一体となった人生を送るのですから……。愛――はるか高遠の世界から届けられる愛があなた方を霊的真理の道へ導いたごとく、こんどは同じ愛がお二人を結びつけました。間もなく司祭が一冊の本からの数行を読み上げ、お二人はキリスト教流に言えば“聖なる結婚の絆”によって結ばれることになっております。しかし、わたしに言わせれば、愛と情によって結ばれないかぎり、そこには絆というものはありません。本当のつながりは愛と情がないところには存在しないのです。
男女が生活を共にするということを物質の側面からだけ考えてはいけません。あなた方は二つの霊的存在であることを忘れてはなりません。二つとも大霊の一部であり、霊界からの愛がお二人のために尽力したように、お互いにいたわり合い、愛し合い、尽くし合うとの誓約のもとに一緒になられるわけです。これから二つの魂が冒険の旅に出るために一緒になられるのです。その意味でわたしたちは物的な側面よりも霊的な側面の方を見つめております。わたしたちにとってはその方が永遠の実在だからです。
時には寂しさや悲しみ、困難、試練が訪れることは覚悟しなければなりません。それもお二人の進化にとっての糧となるのですから……。それが生じた時――きっと生じます――その時は潔く対処し、それがお二人の人間性を磨き、絆をいっそう強くする上で大切なものであることを理解なさってください。
今こちらの世界では大勢の者が教会で行う結婚式に相当する祝典を心待ちにしております。祝典といっても、こちらでは言葉で行うのではなく、霊的な結びつきによって行います。その方がはるかに永続性があります。口先での誓いの言葉は、無言の魂の誓いに較べたら物の数ではありません。
お二人は豊かな祝福を受けていらっしゃいます。何と言っても霊的知識をお持ちだからです。わたしの近くにいる大勢の霊に代わってわたしからお二人に、人生の荒波を越えて幸せと喜びにあふれた安全な航海をお祈りすると同時に、親しい方々からの一層の愛を得て地上の同胞への奉仕に励み続けられることを期待します。
俯(うつむ)いてはなりません。見上げるのです。そして本当の力は上から、そして自分の内部から来ることを自覚してください。そこから自信を得て、万事はきっとうまく行くこと愛のあるところには絶対に禍事(まがごと)は生じないとの信念をもって将来に対処してください。
大霊の祝福が常にお二人とともにあり、新しい人生のすべての側面で導きをうけ、そしてお二人を取り巻く愛の存在をお忘れにならないよう祈ります」
ムーア夫妻は一九八一年にバーバネルが他界して交霊会が行われなくなるまでサークルのメンバーだった。ある日の交霊会でムーア氏がこんな素朴な質問をした。
「大自然の摂理から叡智を学ぶにはどうしたらよいのでしょうか」
「叡智はあなた自身の霊性の進化とともに学んでいくのです。そのためにはまず第一に、誤った知識と信仰、理性が承服しないもの、大霊の愛と叡智とは思えないもののすべてを捨て去ることができなければいけません。
つまり、新しいものを学ぶ前に古いものを学び直さないといけません。精神の自然な思考を妨げるものは全部捨て去らないといけません。そこから魂が開発され、霊性が進化し、より高い叡智を受け入れる準備が整うわけです。皆さんはこの場に集い合っている間にも魂が開発されております。そして大霊の叡智が入手しやすくなっております。
この場で皆さんは心霊現象を演出する法則の働きを学ばれると同時に、日常の生活を支配している摂理の働きについても学んでおられるのです。そして進歩した分だけ、より高い叡智を身につけていかれるのです。
もっとも、皆さんからシルバーバーチと呼ばれているこのわたしがお届けするのは、高級界の無限の叡智のホンの一かけらにすぎません。皆さんがさらに進化なされば、わたしよりさらに偉大な霊がより高い知識と叡智を届けてくれることでしょう」
「この地上世界を救うには、われわれがこの教えをすべての人に広めないといけないのでしょうか」
「“地上世界を救う”ですか。救うのはわれわれではありません。地上の人間の一人ひとりが自らの努力で救わねばなりません。既成の手段というものはありません。有り合わせの手段ではだめなのです。
そのためにはまず、生命現象と呼ばれているものの背後に“霊”という永遠の実在があることを学び、従って地上世界の人間はただの物的存在ではなく、その物的身体を通して自我を表現している霊的存在であることを認識する必要があります。
そうなると、物的身体は大霊が意図された通りに生活に必要なものを必要な時に必要なだけ手に入れて、常に健康であらねばならないことになります。そして精神はあらゆる宗教的ドグマと教義による束縛から解放されて、実質的価値のないもの、霊的価値のないものに忠誠を尽くすような愚かなことはせず、真実のものだけに精を出すようにならないといけません。教義やドグマのことで論争したり口論したり、はては戦争にまで発展するような幼稚なことは止めないといけません。
わたしたちは大霊を共通の父とする地上の全民族の霊的同胞性を説きます。その障害となっているのは地上的概念であり、間違った知識の上に築かれた宗教であり、特権の独占であり、高慢と権力にあぐらをかく、つまらぬ暴君です」
ここで列席者の一人が「有り難うございました」と言うと、例によってシルバーバーチが自分への感謝は無用であり大霊にこそ感謝しなければいけないことを述べた。そこで別のメンバーが「私たちは一種の習慣として“有り難う”という言葉を使うのです」と言うと、慈父のごとき口調で――
「それくらいのことはわたしも知っておりますよ。ですが、そのつど注意して大霊の摂理の存在を指摘しておかないと、そのうち誰かがわたしを崇めるようになり、またぞろ過去の過ちを繰り返すことになりかねないのです」
話題が変わって、その日の霊界側の出席者にはどんな顔ぶれが揃っているかという質問が出された。すると――
「今夜だけで五千人もの霊が集まっております。皆さんと地上で顔見知りだった人も来ておりますし、この交霊を見学に来ている人もいます。こうして地上の人間と対話が交わせることを教えてあげるために連れてくることもあります。こんなことが出来るとは思ってもみない霊がいるのです。
世界各地で交霊会を催すために、ここでわたしたちの霊団がどういう具合にして地上と交信しているのか、その要領を勉強に来ている高級霊もいます。地上だけでなく霊界でも大変な規模で布教活動が行われているのです。暇つぶしや面白半分で来ているのではありません。
こうした催しによってわたしたちは、霊力をどのように活用すれば有効に人間の精神に感応できるかを学ぶことができますし、皆さんは、わたしたちがお教えする霊的摂理を理解することによって一段と霊力を受け易くなられます。皆さんは自分では意識していなくても霊界から大変なインスピレーションを受けていらっしゃるのです。
地上には偉大な科学者、偉大な発明家、偉大な教育家と呼ばれている人が大勢いますが、実際はこちらの世界からの情報の媒体にすぎないのです。真理とか発明とかは地上に届けられればそれでよいのでして、誰がそれを伝達するかはどうでもよいことなのです。
いかなる経験にも必ず利得と損失とがあるものです。魂が浄化するほど霊的に向上していきます。しかし反面、それはその先にさらに向上しなければならない余地があることを知らされることでもあります。不満が増すことであり、それは、いわば、損失です。美的センスが鋭くなるほど醜いものに対する反応が大きくなります。高く上がるほど落差も大きくなります。
人生は日向と日陰、静寂と嵐というふうに二面性から成り立っています。一本調子にはできておりません。幸せと喜びの生活にも時には悲しい出来事が生じます。その極端な差異を味わってこそ性格が伸びるのです。かくして悲しみからも、人生の嵐からも、苦痛からも教訓を学び取ることができます。その必要性が理解できない人は神に不平を言いますが、日陰の生活を味わってこそ日向の生活の有り難さがわかるのです。
魂は比較対照の中にあってこそ本当の意味で生きることを始めます。もしもあなたの体験が良いこと、楽しいこと、美しいことばかりだったら、その人生は空虚なものとなることでしょう。そこには深みというものが無いからです。
賢い人間は自分を待ちうける体験のすべてが大霊へ近づく無限の道において手引きとなる叡智を教えてくれるとの覚悟で一日一日を迎えます」
「交霊会の支配霊は霊力を無制限に使用できるのでしょうか」
「支配霊に使用できる霊力は、その霊の進化の程度と、それを受けそして活用する霊媒の能力いかんによります。まず支配霊の霊格によって扱える霊力の分量が決まります。そしてこんどは、それが霊媒を通して地上へ注がれる分量が決まります。そうした要素が霊界からの霊力の配給をつかさどっているのです」
「では霊力そのものは無限に存在するわけですね?」
「そうです。無限の大霊を源としているからです」
「そうなると、交霊会を見てますと霊力を無駄にしないように支配霊が気を配っているようですが、それは必要ないことになりませんか」
「心霊実験会(※)に何度も出席なさればおわかりになりますが、霊力の使用がある一定限度を超えると、出席者が体力と気力を消耗して衰弱します。せっかく霊力の証としての現象を見に来られた人の健康を損ねることになるのは、わたしたちの望むところではありません。
しかし実際はむしろその逆で、健康が増進するはずのものです。と申しますのは、ふだん抑え込まれている力が活発に動き始めるからです。忘れないでくださいよ、もともとわたしたちがお届けしている霊力は賦活作用をもった生命エッセンスなのです」
※――同じく霊が催す会でもシルバーバーチのように霊言を主体とするものを“交霊会”といい、物理的現象を主体とするものを“心霊実験会”という。後者の場合は霊媒だけでなく列席者からもエネルギーを取るので疲労を覚えたり睡気を催したりすることがある。“健康を増進するはずのもの”と言っているのは交霊会の場合である。もっともそれも高級霊に支配されている場合に限られる。
そう述べた段階では交霊会の時間はまだ半分も過ぎていないムードだったが、シルバーバーチがもうそろそろ時間ですと言った。そして霊媒のバーバネルが意識を回復した時はあと五分しかなかった。いよいよ霊媒の身体を離れる前に、シルバーバーチはこう述べた。
「わたしはこれまで一貫して、わたしが皆さんの友だちであり指導霊であることを証明すべく努力してまいりました。わたしがいつも皆さんの近くにいること、わたしにも性格上のクセがいろいろとあっても、それが皆さんとの親しいお付き合いの妨げにはなっていないこと、皆さんの悩みごとや難しい問題にも決して無関心ではなく、いつでもわたしに可能なかぎりの手助けをする用意があることを実感をもって知っていただきたいと思ってまいりました。
どうか、このわたしが永遠の真理をお教えし、霊的威力をお見せしようとしている教師であると同時に、皆さんのお一人お一人の友だちであることを忘れないでください。わたしには皆さんへの親密なる情愛があり、持てる力と能力のかぎりを尽くしてご援助しようとしているのです。
どうぞ、いつでもどんなことでもよろしい、難しい問題が生じたらここへお持ちください。わたしがお役に立つことであればそう努力しますし、もしもわたしには手出しを許されないことであれば、皆さんがその十字架を背負っていかれるための力をお貸しいたしましょう」
祈り
これよりわたしは全生命の大霊にお祈りを捧げます。その輝きがわれわれの全存在を満たし、その光がわれわれの進む道を照らし、その愛がわれわれの心を通じて流れ、その意志をわれわれの意志とせんがためです。
霊の世界と物質の世界とのつながりをより緊密なものとし、物質の世界に住める者が永遠の霊的真理についての理解をより一層深める上での障害と制約のすべてを取り除こうとするわれわれに、大霊の強大なる霊力を授けていただくために、わたしはこれよりお祈りを捧げます。
大霊よ、わたしたちは人類の永き歴史において澄み切った霊視力と霊聴力をそなえた霊能者、予言者、先見者、そして賢人・聖人を通して啓示されてきたあなたの霊力を今改めて地上へ届けんと努力しているところでございます。それを豊富に顕現せしめることによって、今なお無知と煩悩の暗闇の中にいる人々の心を鼓舞し、魂を奮い立たせて、真実の自由と悟りをもたらさんとしているのでございます。
わたしたちは霊的真理と霊的叡智と霊的知識の光明を、それを必要とする人たちにもたらし、その高級界の影響力によって勇気づけられ鼓舞され元気づけられて、彼らが一層の改革に精励し、あなたがふんだんに用意なさっておられる恩恵が子等に等しく行きわたるのを妨げている不正・不公正・障害物のすべてを取り除くことができるようにと刻苦しているところでございます。
わたしたちは真理と自由と公正の道に立ちはだかる既得権力のすべてに闘いを挑みます。地上の汚点ともいうべき混とんと病いと苦しみと飢えを無くするためです。そうしたものは本来あなたのご計画の中には存在せず、権力を握る者たちがその自由意志の行使を誤り、あなたのご意志にそった使い方をしていないがために生じているのでございます。
わたしたちは善意の人々、人のために役立ちたいとの願いを抱く者のすべてを結束させんと努力いたしております。受け入れる用意のある者、あなたの御国を生命の全界層に実現せしめんとして努力する者のすべてに、わたしたちのメッセージをもたらしたいと願っております。
その目的のためにわたしたちは祈り、そして刻苦します。何とぞあなたの霊力が常にわたしたちを導き、一層の奉仕へ向けて鼓舞したまわんことを。
ここに、人に役立つことをのみ願うあなたの僕インディアンの祈りを捧げます。
第10章 創造は無窮です
シルバーバーチの顕著な特徴は、どんなに難解な問題、どんなに曖昧な問題について質問しても、それに対して見事な解答が即座に返ってきたことである。たいていの指導霊が避けたがる難題をシルバーバーチは気持よく歓迎した。その潔(いさぎよ)さは時おり“質問を受ける会”を設けたことにも出ている。
ジャーナリストで、何年間かサークルのメンバーでもあり、二冊の霊言集(※)の編纂者でもあるA・W・オースティンが、ある日の“質問会”でシルバーバーチにかなり突っ込んだ質問をした。本章ではその一問一答を紹介しよう。
※――Teachings of Silver Birch、More Teachings of Silver Birchの二冊で、前者は心の道場から『シルバーバーチは語る』(近藤訳)として、潮文社から『シルバーバーチ霊言集』(桑原啓善訳)として出ている。後者は潮文社から『シルバーバーチの霊訓(五)』として出ている。
「今日の地上世界で要請されている最も急を要する改革は何だとお考えでしょうか」
「これは難問ですね。と言いますのは、いま地上全体には、改善が叫び求められている不公正、矯正が叫び求められている間違い等々、どこから手をつけたらよいか分からないほど沢山の、悪疫ともいうべき文明の汚点が存在するからです。
しかし、その中でも一ばん急を要する改善は、わたしに言わせれば、数え切れないほどの人間を苦しめている無くもがなの貧困、悲惨、窮乏です。全体としては十分なものが用意されているのに、物的生活の基本的必需品にも事欠く人がいるということは間違ったことです。
有り余るほど持っている者と不足している人たちとの間の隔差を修正すること、これこそが現在の地上の焦眉(しょうび)の急です。内部の神性を発揮しようにも、肝心の身体が惨めなほど疲弊し衰弱している魂に対して、いったい自我の発見などということが説けるのでしょうか。わたしたちは決して人間の身体上の必需品について無関心でいるわけではありません。身体と精神と霊とが自然な状態で生活する上で“本当に大切なもの”を見出すことができるような、そういう生活環境を築くことこそわたしたちに課せられた使命なのです」
「もしもあなたが独裁者となったら真っ先に何を改革されますか」
「地球の住民を操り人形のように扱う立場に置いてみることは、このわたしにはできません。それは、わたしが理解している“摂理”に反することだからです。地上の平和と調和と幸福は独裁的権威でもって恐怖と戦慄(りつ)の中で従わせる強制的な命令によって招来されるものではありません。
一刻の猶予も許さない布告を矢つぎばやに出すというやり方では、地上は改善されません。何百年も何千年も積み重ねられてきた混乱状態は、時間をかけて徐々に片づけていくほかはありません。それも善意をもって、つまり指導者の立場にある人たちが真に同胞のためを思う心でもって行わなければなりません。
わたしだけでなく、霊的指導の任を預かる他の霊たちも、独裁的態度は思いも寄らないことでしょう。地上の浄化を目的として派遣されているわたしたち霊団の使命は、うたた寝をしている道義心の目を覚まさせ、惰眠をむさぼっている霊を呼び起こして、大霊からの遺産である内部の神性を開発させることです。そうする以外に平和と調和と幸福を地上にもたらす方法はありません。地上のいかなる大人物も、絶対に誤ることのない権威でもって絶対的命令を布告して絶対的に支配する資格はもっておりません」
「英国にとって対外関係でもっとも大切な政策は何だとお考えでしょうか」
「イギリスという国は大きな使命を担っております。いま多くの国を脅かしている災害を未然に食い止め平和をもたらす、そのリーダーとして活躍する宿命を背負っております。しかし地上に平和を招来するには、その前に自己犠牲と互助の精神が無ければなりません。洞察力をもつ人たちの多い国が譲歩して、自国の生活と福祉にとって必要でないものをそれを必要とする国に与えて、あとは自力で問題を解決させるという関係――その中でのリーダーとして活躍しなければ、あなたの国は使命を果たしていないことになります。
有り余るほど持っている国があり、窮乏している国があります。イギリスは多くの面で恵まれているのですから、それを窮乏している国へ与えることによって、血を流さなくても問題を解決する方法が見出せるはずです。ただし、そこに尊大さ――“オレたちのものはオレたちのものだ”といった思い上がった態度があってはなりません」
「植民地のことを念頭においておっしゃってるのでしょうか」
「そうです。ほかにもいろいろあります。土地、海、空――こうしたものは、どこの国の所有物でもありません。大霊のものです。その霊性がすべての子等を通じて表現されているのです。ですから、すべての子等が当然の遺産として、幸福と発達と開発と日常生活にとって必要なものを等しく受ける権利があるのです。そうした人生を送ってはじめて、いよいよ死期が訪れた時に気持よく重荷を下ろし、より大きな霊の世界への準備が整った状態で死んでいけるのです」
「創造は永遠に続くものであり、したがって再生してくる霊とは別に“新しい”霊が常に生まれているという考えは正しいでしょうか」
「大霊は無限です。ですから創造の過程も永遠に続きます。不完全から完全へ、未熟から成熟へ向けて、無数の進化の階梯を通りながら千変万化の表現の中を進化していきます。それには“時間”というものはありません。初めもなく終わりもありません。無限だからです。無限の大霊の一部であり、それが人間的生命として、無数の発達段階で顕現しているのです。ですが、あなたのおっしゃる“新しい霊”とは、前に存在しなかったものという意味でしょうか」
「そうです」
「それは有り得ないことです。すべての生命にはそれに先立つ生命があるからです。生命が生命を生み、さまざまな形態での表現を絶え間なく続けております。地上の人間的生命は、それまで物質との接触がなかったが故に発現していなかった霊が、肉体という器官を通して表現するのです。その器官は霊の進化にとって大切な地上的教訓が得られるように、実にうまく出来あがっております。
ですから、地上的生命としては新しいといえますが、地上に誕生してくる前に霊として存在していなかったという意味で新しいということではありません。霊とは全生命が創り出される原料です。造化活動の根本的素材です。霊としてはずっと存在しており、これからも永遠に存在し続けます。
もちろん、いっそうの体験を求めて戻ってくる霊の場合は別です。しかし、そうした再生する霊は別として、初めて地上へ誕生してくる霊に限って言えば、そうした霊には地上での表現を始めるまでは個体性つまり人間的意識は所有しておりません。人間的意識は地上への誕生とともに始まります。霊が個的意識として自我を認識する上で決定的な媒体を提供してくれるのは物的身体です」
「地上へ誕生してくる者の中での“新しい”霊と“古い”霊との割合はどれくらいでしょうか」
「そういうご質問にはおよその数字すら出すことは不可能です。ですが、多分、ほぼ同じくらいの割合ではないでしょうか」
「となると、地上には常に進化の程度の高い霊と低い霊とがいることになりますね」
「当然そうなります。そうでなかったら進化が存在しないことになります。生命は生命であるが故に静止していられない――万が一静止したら、それは停滞を意味する、ということをよく理解してください。生命とは律動(リズム)です。運動です。進歩です。開発です。発達です。つまり完全へ向けての絶え間ない歩みです。もしも生命に規則的な階梯がなかったら、もしもはしごを一段一段と上がっていく規則的な旅がなかったら、生命は生命でなくなります。多種多様の発達段階での進化のバリエーションの中においてのみ、生命が生命で有り得るのです。
もしもすべての人間が同じ発達段階にあるとしたら――もしも完全性が成就されて、もうこれ以上の努力の必要性も新しい目標もより大きな顕現の余地もなくなったとしたら、生きようとする意欲、何かを成就せんとする意欲は途絶えてしまうでしょう。生命の生命たるゆえんは絶え間ない向上にあります。今の段階では手の届かないものを何とかして手に入れようと努力するところにあります。その努力――何かを征服せんとする努力、困難を克服せんとする努力の中でこそ霊は真実の自我を見出し、神性が働くようになるのです」
「進化の程度の低い魂が世の中の問題のタネとなり進歩を遅らせることになるのでしょうか」
「それはそうです。ただ、次のことを忘れないでください。あなたのおっしゃる“程度の低い魂”というのは、その魂より程度が高い魂に較べて低いというに過ぎません。あなた自身の判断の基準が高まれば、それまで高いと思われた人が高いとは思えなくなります。
地上世界の厄介な問題、および霊界の下層界の問題のすべてが、さまざまな形での利己主義、強欲、貪欲などの私利私欲によって惹き起こされているというふうに考えればよろしい。原因はそれしかありません。
いつの時代にも、他に較べて程度の低い人間が存在することは当然の結果です。それ以外にどうあればよいというのでしょう。人類のすべてを同じ時点で同じ進化の段階に到達させればよいのでしょうか。一人の例外もなく、みんなが同じ時点で同じ進化の段階を歩むように、同じパターンにはめ込めばよいのでしょうか。すべての生命がまったく同じ進化の程度という単調な状態にしてしまえばよいのでしょうか。
光だけがあって影はない方がよいのでしょうか。晴天ばかりで雨の日はない方がよいのでしょうか。美徳ばかりで邪悪なものはない方がよいのでしょうか。笑いばかりで泣くことがない方がよいのでしょうか。無限の種類の表現があってこそ人生がうまく調整されていくのではないでしょうか」
これを聞いてオースティン氏が、進化にそうしたさまざまな段階がなければならないとすると、シルバーバーチがよく口にする“新しい世界”は楽観的すぎるように思うという意見を出した。
するとシルバーバーチが――
「いいえ、新しい世界はすでに生まれているのです。産みの苦しみと、涙と哀しみの洗礼を受けて生まれているのです。すでに存在するのです。その朝日が今地上の霧を通して射し始めております。
しかし、その新しい世界においても、何もかもが成就されるというわけではありません。修正しなければならないこと、改善しなければならないこと、強化しなければならないことが沢山あります。まだまだ未熟なところがあります。取り除かねばならない障害があります。しかし、人生の新しい規律がどんどん行きわたります。無用の悲劇、無用の残虐行為、無用の飢餓が無くなるでしょう。人生の基盤が変わります。利己主義が次第に影をひそめ、代わって互助の精神が行きわたることでしょう」
「でも結局は各自が受けるに足るものしか受けられないのではないでしょうか」
「その通りです。わたしたちが皆さんの協力を得ようとする努力を促進してくださる人が増えるか、それとも妨げる人が増えるかによって、新しい世界の秩序の到来が早くもなり遅くもなります。受けるに足るもの以上のものは得られませんし、それ以下のものも得られません。摂理の働きは完ぺきですから、天秤は必ず平衡(つりあい)が保たれております。右にも左にも傾きません。
わたしが指摘しているのは、これから生じていく変化を今すでに操作している秩序、そしてこれ以後も操作しつづける新しい原理のことです。これから刈り取っていく収穫は、人類の福祉の促進のために捧げられた何世代にもわたる多くのパイオニア、理想主義者、改革者の犠牲の賜物(たまもの)であることを忘れてはなりません」
「同じく“新しい魂”として生まれてくるのに、あとから生まれてくる魂の方がずっと恵まれた環境に生まれてくるというのは、私には不公平に思えるのですが……」
「確かに恵まれた環境に生まれてくることになりますが、しかし、彼らには結果としてそれだけ多くのものが要請されることになります。先輩たちが苦闘しなければならなかったものが免除されるのですから……。要は比較上の問題です。
大霊の摂理をごまかせる者は一人もいない――受けるべきものを髪の毛一本ほども変えることはできない、ということを常に忘れないようにしてください。賞と罰とは各自の行為によってきちんと決められており、変えることはできないのです。えこひいきもありませんし、裏をかくこともできません。大霊の公正は完ぺきです。各自が受けるべきものは、かっきり受けるに足るものだけ――かけらほども多すぎず、かけらほども少なすぎることがありません」
「そうであってほしいと思うようにならないといけないのでしょうね?」
「勇気ある者ならば自らそうであることを求めるべきなのです。努力もせずに報酬を得ること、身に覚えのない罰を受けることを堂々と拒否すべきなのです。もちろん受けるべき罰は堂々と受けて耐え忍び、自ら生み出した責務は自らの肩に背負うべきです。バイブルにもこうあります――“自分を欺いてはいけません。しょせん神の目はごまかせないのです。自分で蒔いたタネは自分で刈り取るのです”と。わたしにはこれ以上うまく表現することができません。
人間のこしらえた法律は一部の者を不当に優遇したり、ある者を不必要に罰したりすることがあります。地位や肩書きや階級に物を言わせた特権というものも存在します。しかし霊界ではそういうことは絶対にないのです。あらゆる面が斟酌(しんしゃく)されます。地上生活によって到達した進化の程度が魂に刻み込まれています。それより高すぎもせず低すぎもしません。死があなたを別の世界へ誘いに来た時、あなたはそれまでに自らこしらえた自分をたずさえて、地上をあとにするのです」
「精神統一(瞑想)をしていると、霊的と思える示唆がいろいろと浮かんでくるのですが、これにはどう対処したらよいのでしょうか」
「いかに高級な霊でも、自分の教えを考察も熟考も吟味もせずに受け入れてくれることは望みません。言われたことを機械仕掛けのように行うロボットであっては欲しくないのです。むしろわたしたちの使命は、各自の責任感を増幅し、内部の神性を刺激して、理性的判断力が行使できるように指導することです。神性はあなたの霊を通して働くだけではありません。あなたの精神を通しても働きます。“神の御国は各自の中にある”という言葉は真実ですが、それは同時に精神の中にもある――そうあらねばならないのです。
理性が反発するものは決して行ってはなりません。理性を第一の指針とすることです。あなたの分別心が承服しないものを無理にも実行しなさいとは申しません。わたしたちの使命は協調態勢を基本にしているからです。
そのためにはまず霊に内在する無限の能力を自覚させることに努力します。その多くが居眠りをしていて、日常生活で発揮されていないのです。わたしたちは皆さんに本当の自分を見出してほしいのです。日常の生活の中で神性が発揮されるにはそれが第一条件だからです。
精神統一中に示唆を受けた時、たとえそれが何かのお告げのようなものであっても、あなたの良識が許さない時は実行に移してはなりません。統一中に浮かぶアイディアの中から“これぞ本物のインスピレーション”と直観できるのは、ある一定の霊格を身につけた人だけです。
しかし、そういう独自の判断力で行動するよりも、こうした形で交わることで皆さんがわたしたちを信頼してくださり、わたしたちの使命が皆さんに奉仕することによって人類に奉仕することであることを得心してくださった上で、わたしたちの道具となってくださる方が賢明です。
そこで、わたしたちはこれまで、わたしたちが霊的摂理に通じていること、目的としているのは霊的真理の豊かさを皆さんの手の届くところまでお持ちすることであることを立証しようと努力してまいりました。“正真”の折り紙つきの知的存在と協力して仕事をする方が、何の導きもなしにただ一人で未知の世界へ突入していくよりも無難なのではないでしょうか」
「自分が交信している相手がどの程度の霊であるかは必ず確認した方がよろしいでしょうか」
「当然です。そして、確かに聞くに足る教えを説いていると確信したら、大いにその霊に指導を仰ぐべきです。霊界から自分を鼓舞し指導しようとする霊団の存在に気づく段階に到達したら、その人にはもはや克服できない困難は無くなります。しかし人類はみな一人ひとり発達段階が異なることを忘れてはなりません」
「生命の尊厳ということがよく言われますが、私はこれにも限界があるように思うのです。この論理を極端におし進めると、病原菌も生命の一種だから神聖であるということになって、人間の生命を危険にさらすという愚かなことになりかねないと思うのです」
「意識はどの段階から始まるかがポイントです。病原菌に意識があるでしょうか。ヘビに意識があるでしょうか。ノミやシラミに意識があるでしょうか。微生物に意識があるでしょうか。
もちろん一般に言われる意識、つまり自我意識という意味での意識はありません。意識とは自分が何であるか、誰であるかについての認識のことです。これは菌類にはありません。が、意識的生命のあるところには造化活動があります。ですから、その意識に干渉して顕現の自由を妨げることをするのは間違いです」
「しかし動物には今おっしゃったような自我意識はないのに、屠殺はいけないとおっしゃってます」
「動物の世界には個的意識はなくても、その奥には類魂としての意識が存在します。動物よりさらに下がると類魂の意識もなくなります。微生物には意識はありません」
「微生物には痛みを感じる機能がありますか」
「ありません」
「では、殺すということに痛みが伴うか否かで判断すべきでしょうか」
「“意識”を指標とすべきです。意識があるかぎり、それを殺すことは間違いです。人類は死という“解放者”が訪れるまでに、内在する霊の豊かさを発揮する自由を心ゆくまでエンジョイすることが許されております。しかし、しょせん地上世界は発展途上にある未熟な世界です。それゆえ、同胞のためと思ってすることが他の生命の権利に干渉する事態がどうしても生じます。そこでわたしは動機――誠実に、純心に、そして正直に人のためと思って行うという心がけを重視するのです。
今わたしは生体解剖を念頭において申し上げております。わたしから見れば生体解剖は間違いです。残酷ですし、無意味ですし、その上、それによって何一つ成就されません。ただ、それを行う人たちの中には、動物に苦痛を与えるのが面白いのではなく、真実、人類を病魔から解放したい一心の人が大勢いることも、わたしはよく知っております。そうした実験によって人類の病気を撲滅するための知識が得られると信じてやっているのです。その動機は誠実です。
が、それとは別に、無益な殺生が行われています。食料とするための大量の屠殺、スポーツという名のもとでの狩猟――こうしたものには弁解の余地はありません。生命は神聖です。大霊のものだからです。生命に意識が芽生え、そして人間的形態をとれば――いえ、それ以前の動物形態の段階においてさえも――尊厳をもって取り扱われるべきです。生命を安っぽく取り扱ってはなりません。生命の一つひとつが大霊の表現なのです。人間には生命をこしらえる力はありません。ならば、その生命が顕現しようとする身体を破壊することが人間に許されるはずがありません。
忘れないでいただきたいのは、皆さんからの質問に対して“イエス”とも“ノー”とも答えられない時は、わたしたちは、正直に、一つの視点を提供するだけに留めます。独断的態度はわたしたちの取るところではないからです。皆さんのためになればそれで良いのですから……。これまで、さまざまな事情のもとでさまざまな視点からお答えしてきましたので、中には一見すると矛盾するかに思えるものがあるかも知れません。しかしそれは、同じ問題を違った側面から扱っているからであることを理解してください。
それからもう一つ、このわたしが絶対に間違ったことは申しませんとは言っていないことも忘れないでください。知識と叡智の頂上を極めたとは申しておりません。皆さんと同じく、わたしも相変らず人間的存在です。わたしも完全を求めて努力しているところです。克服しなければならない弱点がいくつもあります。磨かねばならないものがあります。わたしの申し上げることが最終的な真理であるとは申しておりません。
わたしが確証をもって知っているかぎりのことを申し上げ、確証が得られないことに関しては、わたし自身がこうと信じるかぎりのことを申し上げております。万が一わたしの申し上げたことが皆さんの納得を得られない時は、それはそれで結構なことです。お互いに考えをぶつけ合うことになるからです。そうすることで皆さんはわたしに知恵をくださり、お互いの視点から議論して理解を深め合うことができるわけです。
協力ということは、わたしたちの方から一方的に援助するということばかりを意味するのではありません。皆さんの方からわたしたちを援助してくださることでもあるのです。一つの問題が生じた時に“それならシルバーバーチに相談しなさい。レッドクラウド(※)に聞きなさい。ホワイトホーク(※)がいいですよ。それで決まりですよ”といった態度は困ります。そういうものではないのです。持ち合わせるかぎりの知恵はお授けしますが、それで一件落着と受け止める態度はいけません。わたしたちも絶対ではないのです。皆さんが自ら考え判断するという方向へ指導することができなかったら、わたしたち霊団の者は課せられた使命を全うしていないことになります。
※――いずれもシルバーバーチと同時代に他の霊媒の指導霊(ガイド)ないし支配霊(コントロール)として活躍した霊で、肖像画を見ると、いずれもインディアンの顔をしている。その他にもブラッククラウドとかローンスターとかの呼び名が多いが、言うまでもなく仮の名である。
続いてオースティンは、死後にも生命があることを知って、浅はかな人間は地上的生命を軽んじることにならないだろうかという意見を述べた。するとシルバーバーチが――
「知識が増えるにつれて責任も大きくなることをわたしが繰り返し説いてきたことはご存知でしょう。霊的知識を手にすれば、その時点からその活用の仕方に責任が付加されます。その知識の分だけ生活水準が高まらないといけません。高まらなかったら、その代償を支払わされます。ごまかしは利きません。知識を授かったからには、言い逃れは許されません。宇宙の機構がわかり、生命の秘密が明かされたからには、隣人に対して、世の中に対して、そして自分自身に対して、より大きな責任を付加されたことを自覚しないといけません。生活が豊かとなり、神聖さを増し、人のために役立ちたいという願望が内部で燃えさからないといけません。
もしもそうならなかったら、その知識はその人のものになり切っていないことを意味します。素通りしていっただけだったことになります。知識がそこにあることを知りつつそれを活用することができないでいると、それによって逆にその人の霊性が弱められ、害をこうむることになりかねません。
大霊の摂理はごまかせません。たとえ高等そうな理屈を並べてもダメです。皆さんがスピリチュアリズムと呼んでいる霊的知識は、この宇宙という生命機構の中で人類がどういう位置を占めているかを自覚させてくれます。もしそれが正しく自覚できなかったら、その人はせっかくの教訓を学ばなかったことになり、その代償を支払わされることになります。それを真理のせいにしてはいけません。自分が悪いのです。たとえ自分を素通りしたにすぎなくても、真理は真理です。真理は理屈で歪(ま)げられるものではありません。真理は真理であるがゆえに真理なのです」
続いてオースティンはバーサ・ハーストという霊媒による交霊会に出席した時と同じ質問をした。それは、人間と守護霊とは何を原理として結びつくのかというもので、バーサ・ハーストの指導霊は正直に、その問題については勉強していないと述べて答えなかったという。が、シルバーバーチは間髪を入れずにこう答えた。
「それは霊的親和性(アフィニティ)による結びつきです。たまには血縁関係が縁になることもありますが、大部分は血縁はありません。霊的親類(※)どうしの親和力を縁として、相互間に利益のある二つの霊が結びつけば、そこに引力が生じて守護霊ないし指導霊――どう呼ばれても結構です――が影響を行使できるようになります。霊的親和力が強ければ強いほど結びつきも緊密なものとなります」
※――日本でいう“産土(うぶすな)神”(氏神)を中心霊として、おびただしい数の霊が大集団、いわば霊的家族を構成している。女性霊媒のジェラルディン・カミンズを通じて学究的な自動書記通信を送ってきているフレデリック・マイヤースはこれを“類魂(グループソウル)”と呼んでいるが、シルバーバーチはある日の交霊会で「あなたのいう霊的親類というのはマイヤースのいう類魂のことですか」と問われて「まったく同じものです」と答えている。
さらにオースティンは、シルバーバーチが“意識”についての答えの中で“個的意識は物質界へ誕生するまでは存在しない”と述べたことに言及して、意識のない霊がどうやって霊的関係を作り出すことができるのかを尋ねた。この質問にシルバーバーチは――
「地上の言語ではとても説明しにくいことなのですが、受胎の瞬間に両者の間にいわく言い難い絆が生じるのです。ご存知のように、母胎の中で精子と卵子とが結合すると、そこに身体の元になるものが出来あがりますが、その目に見えないほど小さなものの中に、その後の成長とともに発現されていく資質のすべてが宿されているわけです。それと同じで、霊の内部にそのあと発現されていく霊的資質のすべてがミニチュアの形で宿されているのです」
「ということは、われわれ人間の進化はすでに一定の進行方向というものが決められている――ただし、自由意志によってそのスピードを速めたり遅らせたりすることはできる、ということでしょうか」
「いくつかの要素はあらかじめ決まっています。霊の宿る身体の“体質”がありますし、その身体に宿る霊の“霊質”があります。“新しい霊”の場合でも“再生してくる霊”の場合でも、身体への霊の浸入にはそれを支配する法則があり、それが大きく霊の発現を決定づけます。何もかもあらかじめ決められていると受け取っていただいては困るのですが、法則というものによって営まれている世界である以上、人間的生命も法則に従わざるを得ません。いろいろとバリエーション(変化・変形)はありますが、おおよそのことは決まっていないといけません。
進化の速度は本質的には当人の自由意志にかかっていますが、地上生活にはおのずと限界というものがあります。チャンスの活用次第とはいえ、各自に能力的な限界があります。しょせん完全は望めないところにその宿命的な限界があります。
霊には高級霊にのみわかる特質があり、守護霊の任命はその特性を考慮して、両者の進化にとっての利益の共通性を主眼として行われます」
「やはり守護霊も他の誰かによって任命されるもので、守護霊自身が人間を選ぶわけではないということですか」
「その通りです。必ず任命によって行われます。こちらの世界にはこちらなりの法則があり、それは地上よりはるかに厳格です。守護霊と人間との関係がうまく行くのは、当初において霊の資質のすべてが知れているからです。学校と同じです。学校長はあずかった生徒の潜在的特質を知りつくし、教師の才能を知りつくせば、どの生徒はどの教師のクラスが適切であるかが適確に判断できます。
不幸にして地上ではそうした要素のすべてが知れるとは限らないというだけです。が、こちらの世界ではすべてが知れるのです」
祈り
皆さんとともに生命の大霊の祝福を祈願いたしましょう。
ああ、真白き大霊よ。
宇宙の森羅万象があなたへの賛歌を奏でております。あなたの法則があらゆる生命現象を支え、律動の一つひとつがあなたの表現なのでございます。
ああ、大霊よ。
あなたは全生命の中心にあらせられます。それは霊の世界の最高の界層においても、物質の世界の最低の界層においても、少しも違いはございませぬ。あなたはすべてを包摂したまいます。あなたの叡智がすべてを支配しているからでございます。
あなたはいつの時代にもあなたの愛と叡智と知識の使者を物質の世界へ送り込まれてきました。あなたの霊の生きた証(あかし)として、あなたの真理の光を人間の心の暗闇に届け、全人類をあなたの無限なる叡智と愛の輝きによって啓蒙するためでございます。
ああ、大霊よ。
あなたはこの度ふたたび地上の子等にあなたとあなたの摂理についての知識を届けんがために、わたしどもをあなたの使者として遣わされました。それによって彼らがあなたとのつながりを理解し、そこから彼ら自身ならびに、あなたが彼らを物質の世界に誕生せしめた目的を理解しはじめることになればとの配慮からでございます。
わたしたちは、地上にあってあなたの霊的な働きかけに敏感に反応し、その目、その耳、その精神、その心、その魂がより大きな生命の波長に順応し、わたしたちを通じて届けられるあなたのメッセージを素直に受け入れてくれる人たちとの交わりを今こうして得ていることを、あなたに深く感謝申し上げます。
第11章 霊的真理は不変です
残念ながらシルバーバーチは地上時代の身元を最後まで明かしてくれなかった。わかっているのは間違いなく大変な高級霊であること、そして地上と交信するための中継役としてかつて地上で北米インディアンだった人物を霊界の霊媒として使用していたということだけである。「地上時代のわたしは沢山の神様(ゴッド)を崇拝の対象としておりました」というのが、唯一、自分の地上時代のことに言及した言葉である。
そう述べた日の交霊会は次の言葉で始まった。
「生半可な知識は危険であるとよく言われますが、時として知識が多すぎても危険であることがあります。その知識が間違っている場合はとくにそうです。
ある種の知識が脳を占領してしまうと、知性がその脳を通して自由に思考するゆとりが無くなります。その意味で、学び直すべきことや捨てなければならないことが沢山ある“聖職者”を、わたしは気の毒に思います。その思想は人工の砂を基盤としているために、霊的真理の攻勢を受けて、今、揺らぎはじめたその砂上の楼閣を守ろうと必死になっております。
建て方を間違っているのです。ナザレ人イエスのまわりに作り話を寄せ集め、ついに生命の大霊の座に祭り上げてしまいました。しかし、基盤そのものが間違っておりますから、いつかはそれを改めなければならない事態に至ります。が、イザ改めようとすると恐怖心が湧いて出ます。そこで、彼らはキリスト教の教義には何一つ改めるべきものは残されていない――そんなものは有り得ないと言い張っているのですが、それは“事実”ないしは“自然の法則”を基盤としている場合にのみ言えることです。
わたしたちが、地上へ舞い戻ってきた理由はそこにあります。すなわち、いかなる人物であろうと、いかなる書物であろうと、いかなる教会であろうと、いかなる指導者であろうと――それが地上の存在であっても霊界の存在であっても――たった一つのものに盲従してはいけないこと、それよりも大霊が定められた大自然の摂理に従いなさい――これだけは絶対に誤ることがなく、絶対に正しいから、ということを説くためです。
わたしたちが大自然の摂理、それのみを説く理はそこにあります。それをスピリチュアリズムとお呼びになるのは結構です。ただし、あくまでもそれが大霊の定められたものであること、その働きは地上の物的生命も死後の霊的生命も含めた宇宙のあらゆる界層に及んでいることを理解した上ならば、ということです。
地上人類は指導者(リーダー)というものを必要以上に重んじすぎます。そしてその真価を超えた誇張をしてしまいます。そこから神学という厄介なもの――科学者にとって、思想家にとって、そして又、本来ならば自由闊達で理性が承知しないものは受け入れたくない誠実な人にとって、大変厄介なものをこしらえてしまったのです。
わたしたちが大霊の摂理を強調する理由はそこにあります。それを正しく理解することによって、すべての知識が生かされるのです。それだけは決して科学者や哲学者や自由思想家、その他いかなる分野の人の知性も反発させることはありません。永遠にして不変・不易の大霊の働きを基盤としているからです。
皆さんは今、霊界での審議会で用意された叡智がこのわたしを通して届けられるのをお聞きになっていらっしゃるのです。それを広めることによって地上人類の叡智と理解力とが増すにつれて、生活が大霊の御心にそったものとなるでしょう。摂理にのっとったものとなるでしょう。地上世界の悲劇と飢餓、苦労と心痛は、すべてその摂理に従った生き方をしていないところから生じていることを悟るようになるでしょう。その理解が深まるにつれて大霊の庭の美しさを見えなくしている醜い雑草が無くなっていくことでしょう。
それを目標としてわたしたちは、人類の魂を解放し、精神を自由闊達にするだけでなく、物的身体も自然の法則と調和した健康を享受(エンジョイ)できるようにしてあげようと努力しているのです」
ここでシルバーバーチは、自分がほぼ三千年前に地上生活を終えて霊界入りしてからの体験について興味ぶかい話をした。
「わたし自身、そういう考えに到達するまでには、ずいぶん長い年月が要りました。それというのも、地上時代のわたしは沢山の神様(ゴッド)を崇拝の対象としていたのです。その考えを改めて、この宇宙には唯一絶対の大霊が存在し、それが果てしない全大宇宙のあらゆる生命現象をコントロールする永遠・不変の摂理として顕現しているという考えを否応なしに認めざるを得なくなったのです。
こうした教えが地上に行きわたれば、人間界のすべての分裂が無くなります。国家間の障壁が無くなります。人種・階級・肌の色による差別、(英国教会系の)教会(チャーチ)、(非国教会系の)教会堂(チャペル)、(キリスト教以外の)聖堂(テンプル)、(イスラム教系の)寺院(モスク)、(ユダヤ教系の)礼拝堂(シナゴーグ)といった区別が無くなります。それぞれが大霊の真理の一部を宿しており、他の宗教が真髄としているものは自分の宗教が真髄としているものと少しも矛盾しないことが少しずつ解ってくるからです。
かくして表向きは混乱しているかに見えても、その中から霊的な原理が形を整え、調和と平和を生み出します。こうしたことを申し上げるのは、ここにお集まりの皆さんには、そうした大霊の大計画をぜひとも理解していただきたいからです。それは、わたしたち霊界から戻ってきた者が果たさねばならない役目であると同時に、皆さんのお一人お一人が地上生活を終えるまでに果たさねばならない役目でもあります」
シルバーバーチはイエスの復活を“奇跡”とするキリスト教の教えを否定するが、時あたかもその復活を祝うイースターの交霊会で次のように述べた。
「キリスト教界では“死者”から蘇った一人の人間、死後その姿を見せ“死”の彼方にも生命があることを証明してみせた人物に、最大級の敬意を表しております。イエスはその現象によって自分がほかならぬナザレ人イエスであることを証明するために、処刑された時の傷あとまで見せました。一度だけではありません。その後も何度か姿を見せております。
キリスト教界ではそうしたことのすべてを、その証拠はないのに事実であると信じております。そして、それはイエスのみの奇跡であったと主張します。
実はわたしたちもイエスが使用したのと同じ心霊法則によって地上へ戻り、“死”の彼方の生命の実在を証明しております。すなわち大霊はイエスの時代も今の時代もいささかも変わらず、その法則の働きも不変であり、当時の一個の人間が蘇ったごとくに今もすべての人間が蘇ることを証明しております。復活というのは生命の大霊の摂理の一環であるからにほかなりません」
メンバーの一人が「イエスの復活は聖書に述べられている通りだったのでしょうか」と尋ねた。
「大体あの通りでした」
「石の蓋は本当に取り去られたのですか」
「本当です」
「なぜ取り除く必要があったのでしょうか」
「あれはただ蘇りを象徴するためにしたことです」
「イエスの死体はどうなったのでしょうか」
「分解されてしまいました(※)。もっとも、その現象も含めて、霊の姿が見えるとか声が聞こえるとかの物的現象は大して重要なことではありません。それよりもっと大切なことは、あなた方自身の霊性を開発することです。毎週一回この会に出席することによって皆さんは霊的波長が高まり、それだけ高度な叡智を受け入れやすくなっておられます。霊的叡智はいかに高度なものでも常に物質界へ流入しようとしてその機をうかがっているのです。奉仕(サービス)の法則がそうさせるのです。しかし実際は地上界へ流入するには、その波長に感応してくれる道具が必要となります。
また、皆さんの霊性が開発されて波長が高まるにつれて、より高度でより大きな霊的エネルギーを捉えることができるようになります。それは、皆さんの目で見ることも耳で聞くこともできませんが、永遠の霊的実在の世界のものなのです。
それこそが実在なのです。人間は一日の大半を影を追い求め、幻影を捉えようとし、束の間のものにしがみつこうとしています。しかし本当は静寂の中においてこそ、調和と愛の中においてこそ、魂は成長しているのです。遅々としてはいますが、しかし確実であり着実です。それは皆さんの一人ひとりの内部に潜在する大霊が開発され進化するということです。その点、皆さんは毎週一回この一つの場所に一つの信念のもとに集うことによって、霊性がますます発揮されることになります。
イエスも二千年も前に、二人または三人の者が集えば、そこに父の聖霊が降りるという意味のことを述べております(祈祷(きとう)書)。わたしたちも、それとまったく同じことを説いているのですが、キリスト教の聖職者はそれを否定します。
真理は変わらないのです。人間の考えは変わりますが、真理は不変です。なぜなら真理には事実という知識の土台があり、知識は大霊から届けられるからです。大霊こそあらゆるインスピレーションの中心であり始源です。話はいたって簡単であり誰にでも理解できることです。ところが地上世界ではそれが大変ややこしいものになってしまったのです」
※――心霊現象の一つに物品引寄(アポーツ)というのがある。すぐ隣の部屋からでも一キロ先からでも海の向こうからでも物品を実験室のなかへ持ち込むという現象で、実験室のドアは完全に密閉されているから、その物品はいったん分解(非物質化)されてエネルギーの状態で実験室へ持ち込まれ、そこで元の形に再物質化されているとしか考えようがない。イエスの死体が分解されたのも同じ心霊法則によるものであり、法則に従っている以上はシルバーバーチが言うように奇跡ではないわけである。ちなみに空飛ぶ円盤などの未確認飛行物体、いわゆるUFOは遠い星から飛来していると推測されているが、私は、これも地上的距離の常識を超えた空間を飛来するからにはアポーツと同じ原理を利用していると考えている。
シルバーバーチはこのイースターとクリスマスに開かれる霊界における大審議会に出席を許されている高級指導霊の一人であるが、その日もそのことに言及してこう述べた。
「そこには高遠の世界においてのみ味わえる喜び、この大事業にたずさわっている光り輝く存在――地上生活を終えたのち幾世紀にもわたる開発と進化の末に“指導する”資格を身につけた高級霊のみが味わうことのできる喜び、それが満ち満ちております。
しかし、それにも増してわたしは、その大審議会を主宰される、かつて地上で“ナザレ人イエス”と呼ばれた人物が、わたしたちの業績に逐一通じておられるお言葉を述べられ、新たな力、新たな希望、新たなビジョン、新たな目的をもって邁進するようにと励ましてくださる時のそのお姿、そのお声、その偉大なる愛を、願わくば皆さんにも拝し、聞き、そして感じ取らせてあげられればと思うのですが、それができないのが残念です。
もとよりそれはキリスト教によって神の座に祭り上げられているイエスではありません。数知れない霊を通して人類に働きかけておられる一個の偉大なる霊なのです。
その本来の界層に留まっているのは短い期間なのですが、わたしはその間に改めて生命力あふれる霊力、力強さと美しさとにあふれるエネルギーに浸ります。それに浸ると、生命とは何かがしみじみと感じ取れるのです。わたしはこのことをあくまで謙虚な気持で、あるがままに申し上げているつもりです。見栄を張る気持など、ひとかけらもございません。
かりに世界最高の絵画のすべて、物質界最高のインスピレーションと芸術的手腕、それに大自然の深遠にして壮大な美を全部集めて一つにまとめてみても、わたしの本来の所属界の荘厳美麗な実在に較べれば、いたってお粗末な反映ていどのものでしかありません」
そうした真と善と美にあふれた世界での生活をお預けにして、霊団を引き連れて地上世界の霊的覚醒という大事業にたずさわってきたシルバーバーチは、その成果について感慨をこめて次のように語った。
「そうした努力の甲斐あって、今や地上世界全体にその成果が行きわたりつつあることをわたしたちは誇りに思っております。悲しみに沈んでいた心が明るさを取り戻しております。陰気な暗闇に光明の光が射し込みました。無知が存在するところに知識がもたらされました。臆病な心に勇気をもたらし、人生に疲れた人に力を与え、道を見失った人たちを鼓舞し、大霊とその子等のために献身する人たちの背後には強力な霊の集団が控えてそれを応援してくれている事実を認識させました。
さらにわたしが嬉しく思うのは、皆さんが永遠に失ったと思い込んでおられた愛する人、あなたを愛してくれていた人が今も健在であることを証明してあげることができたことです。それによって皆さんは、生命がこの宇宙から消えて無くなってしまうことが絶対にないこと、死は愛と情と友愛によってつながっている者を切り離すのではなく、反対に、霊的には一段と親密なものとする事実を認識することができます。
それにしても、わたしがつくづく残念に思うのは、わたしたち霊団の影響力がどれほど大きいかをお見せできないことです。どれほどの障壁を破壊し、どれほど多くの障害を取り除き、どれほど多くの霊的知識をお届けしたことでしょう。地上世界は今こそそれを必要としているのです。いたって単純で素朴な真理ではありますが、それが霊的自由と精神的自由と物的自由とを地上にもたらすことになるのです。
ご存知のように、生きるということはお互いがお互いのために役立つことです。地上人類が救われる道は互助の精神を実践することそれ一つにかかっており、それ以外にはないのです。
聖霊の働きを“昔の話”と思ってはいけません。イエスを通じて働いた力が今ふたたび働いているのです。当時のユダヤ教の指導者がイエスを通して働いた大霊の力を信じないでそれを悪魔の力と決めつけたのと同じように、現代のキリスト教指導者も同じ大霊の力が今日も働いていることを信じようとしません。しかし、われわれを磔刑(はりつけ)にしようとしないだけ、人類も進歩したようです。
イエスの崇高な偉大さは二千年前だけで終わったのではありません。現代でもなお続いているのです。イエスは今どこにいらっしゃると思われますか。イエスの物語はエルサレムで終わったとお考えでしょうか。地上世界が苦しみと痛みと困難とに満ち満ちている今、あの偉大なる霊はどこでどうしておられると思われますか。
わたしたちを軽蔑し悪魔の使いであると決めつける人たちは、二千年前にナザレ人イエスに同じ非難の言葉を浴びせた者たちと同列です。わたしたちは同じ大霊の力をたずさえて参っているのです。同じ霊現象と同じメッセージ、すなわち“喪の悲しみの中にいる人を慰め、病いの人を癒し、暗闇の中にいる人に光明をもたらし、人生に疲れた人に力を与え、無知の人に知識を授けてあげなさい”という教えをたずさえてきているのです。
わたしたちも大霊の使いです。地上生活を終えたのちの永い体験によって地上人類としては他の霊に較べて少しばかり進化を遂げました。そこで、その体験をたずさえて引き返してきたのです。互いに扶助し合うということが生命の大原則だからです。互助のないところには荒廃があるのみです。互助のあるところには平和と幸福があります。地上世界も互助の精神によって新しい秩序を生み出さないといけません。いたって簡単なことなのです。が、それを人間が難しくしているのです」
別の日の交霊会で――
「地上というところは妙な世界です。霊の目をもってご覧になれば、人間が愚かなことばかりしていることに呆(あき)れるはずです。いずれはチリと化してしまう、どうでもよいものを後生大事にし、永遠の宝である霊的なものは疎(おろそ)かにしております。霊的な価値が理解できないのです。その場かぎりの愉しみや喜びばかり求め、その物的欲望に埋もれて、肝心の霊性が顕現する機会がほとんどありません。
しかも、そうした地上かぎりの所有物を多く蓄積した者が“偉大な人”とされます。どうせ滅びてしまうものを集めようとする人と、永遠に残るものを集めようとする人のどちらが“偉大な人”でしょうか」
「イエスもそのことを言ってますね」とメンバーの一人がマタイ伝に出てくる砂の上に建てられた家と岩の上に建てられた家の譬え話を持ち出した。
「そうです。またイエスは、虫にも食われず錆つくこともない天国の宝の話もしております。にもかかわらず、そのイエスへの忠誠を告白している聖職者みずからが大邸宅を構え俗世的なものを大切にしております。
皆が皆そうだと言っているのではありません。中には自分を忘れて人のためにという燃えるような情熱に駆られて奉仕活動に献身している人がそこここにいらっしゃいます」
話題が心霊治療に変わって――
「霊界の治療家は治癒力をどうやって地上の治療家を通して患者に流入させるのでしょうか。地上の治療家は体質的にふつうの人間と違うのでしょうか」
この質問に対してシルバーバーチは、前置きとして、ここでは磁気療法その他の方法は除外して霊的エネルギーによる治療にのみ限ることにしますと述べてから――
「人間のすべてが例外なく霊的資質を宿しております。ただそれが発現しやすい段階にまで来ているか否かの差があるだけです。いずれにしても努力次第でそれが開発されて背後霊とのつながりが一層緊密なものとなります。調和が高まり、緻密となり、そして緊密となるわけです。
治療家と背後霊団の双方から出る霊的放射線が美事に調和し、その調和状態が頂点に達した時は一本の霊光となります。その頂点へ少しでも近づけば、それだけ治癒力もより高いもの、より大きいもの、より強力なものが霊団と治療家を通して流入するようになります」
お別れのメッセージ
惜別の涙の中にも霊界でわたしを待ちうける喜びを秘めて、わたしは皆さんのもとを去ります。(*“惜別の涙”はただの美辞ではなく、実際に霊媒の頬を涙がつたわったという)。
今夜はことのほか重々しい空気に包まれております。こうしてお別れを言いに出てくるのはあまり気が進まないのですが、しかしもう帰らねばならないのです。皆さんとお別れするのは辛いのですが、同時にわたしには喜びにあふれた本来の住処(すみか)に帰れるという愉しみもあります。
できることなら皆さんも一所にお連れしたいのです。そうすれば人間の目には隠されている美しいものを見、霊の実在を目(ま)のあたりにし、この仕事にたずさわっている高級霊にもお会いになれるのですが、残念ながらそれができません。
実は皆さんの睡眠中に途中まではお連れしているのです。ですが、その間の記憶を肉体を通しての意識に留めることがお出来にならないのです。
肉体に閉じ込められ、五つの粗末な感覚でしか表現できない皆さん方には、霊の自由とはいかなるものかは到底実感できません。その自由を満喫し、より大きい世界の美しさ、そこに満ちあふれる生命力、目も眩まんばかりの景観と荘厳なる響き、その詩情、その音楽、その愛を味わえることの喜びは、到底皆さんには実感できません。
お別れは辛いのですが、そこがわたしの本来の住処なのです。そこへ戻って、しばしの間、本来の喜びに浸ります。地上からのおみやげとして、皆さんからいただいた愛――われわれを結びつけ一体化している、掛け替えのない愛をたずさえてまいります。その愛が今なおひしひしとわたしに届いてくるのが感じられ、わたしからも、持てる愛のすべてをお返しいたします。
ではしばしの間お別れいたしましょう。有り難くも授かることができた霊的真理を大霊に感謝して、改めて勇気を奮い起しましょう。
その恩典に感謝するとともに、さらに次元の高い界層へ近づくべく精進いたしましょう。そして強大なる霊の力に浸ってください。
常に大霊へ向けて歩みましょう。心を大霊の愛で満たし、精神を大霊の知識と叡智とで満たしてください。
常に大霊の意志に波長を合わせるように心がけてください。大霊とその摂理と一体となるのです。そして物質界に顕現している大霊の律動(リズム)と調和(ハーモニー)の中で生きるのです。
訳者あとがき
私とシルバーバーチとの出会いは今から三十年余り前の、大学二年生になりたての頃だった。当時(現在のことは寡聞(かぶん)にして知らないが)東京・世田谷にあった心霊研究協会を訪ねたところ、今は亡き脇長生主幹が、私が英文科生であることを知って「この英字新聞の中から何か適当なものを訳してくれないか」と言って週刊心霊紙〈サイキックニューズ〉を差し出した。それを下宿に持ち帰って二面を開いた時まっ先に私の目に飛び込んできたのが、あのインディアンの容貌をしたシルバーバーチだった。その時に抱いた言うに言われぬ親密感は今もって忘れられない。
しかし、当時すでに原書を読んでいたとはいえ、まだまだ上っ面しか読めなかった私には、深みのあるシルバーバーチの霊言は程度が高すぎた。そこで、確かヒマラヤの雪男の話を訳し、それが〈心霊と人生〉という月刊誌に載った。私の書いたものが活字となったのはそれが最初であり、それはそれなりに嬉しかったが、重厚な中にもいわく言い難い温かみをもったシルバーバーチの霊言に堪らない魅力を覚え、さっそく銀座の丸善へ行って霊言集を何冊か注文した。
こうしてシルバーバーチの霊言集が私の座右の書となったのであるが、ちなみにその頃の英国の事情を紹介すれば、霊言集はすでに七冊が発行され、世界中から注目されはじめていたにもかかわらず、バーバネルはなおも自分がシルバーバーチの霊媒であることを頑固に隠し通していた。“霊媒は実はこの私である”という劇的な一文が掲載されたのは、それから四年後のことであった。
さて、その霊言集を私が本格的に翻訳・紹介しようと決意したのは、バーバネルが他界する前の年すなわち一九八〇年のことである。現在も日本心霊科学協会に所属しておられる手島逸郎氏から“何かいいものがあったら寄稿していただけませんか”との依頼の手紙を受け取った時に、まっ先に頭に浮かんだのがシルバーバーチだった。
が、それをどういう形で紹介するかで迷った。と言うのも、当時すでに霊言集は十冊を数えていたので、これを月刊誌に連載するのは無理だった。そこで私はそれを部分的に引用しながらシルバーバーチの教えの“エキス”をまとめるという形で紹介することにした。そしてその最初の原稿を《シルバーバーチは語る》と題して手島氏のもとに送った。それがのちに潮文社から《古代霊は語る》というタイトルで出版されることになるのであるが、不思議だったのは、私が右の原稿を執筆しはじめた九月半ば頃から、バーバネルに会いたいという気持が無性に湧いて出るようになったことである。
すでに翻訳・出版の許可その他のことで何度も手紙を交わしていた間柄なので、今さらに改まったことをする必要もないのに、なぜか会う必要があるような気がしてならない。しかし私は大学受験生相手の私塾を開いているので、行くとすれば冬休みか夏休みしか時間が取れない。そのどっちにするかとなれば、当然夏休みの方がゆとりがある。そこでいったんは翌年の八月にしようと決めたのであるが、なぜか急(せ)かされる思いが止まないので、その年の年末に発って年明けに会う予定を立て、バーバネルをはじめとして数名の心霊関係の人々に都合を照会する手紙を書き送った。
すると一人だけ、例の霊体手術で有名なチャプマン氏から、十二月から一月にかけてフランスで仕事をするので残念ながらお会いできない旨の返事が届いたほかは、みなOKの返事だった。そこでさっそく航空券を予約した。
この間の焦燥感は私の背後霊が急かせたその反応だったことが、のちに明らかとなった。翌年の七月にバーバネルが急逝したのである。もしも八月に予定していたら、少なくとも“この世”ではバーバネルには会えなかったことになる。掲載してある写真はサイキックニューズ社のスタッフの一人が私のカメラで撮ってくれた二枚のうちの一枚であるが、このスタッフはバーバネルも認める鋭い霊感の持ち主で、あとで私の背後霊や使命についていろいろと語ってくれた。その当否は別として、最後に私に言ったのが「あなたの背後には今回の渡英を非常に急かせた霊がいますね」という言葉だった。
確かに、バーバネルの寿命が尽きかけていることを察知した背後霊が急かせたに違いないのであるが、今にして思えば、その後シルバーバーチの霊言集全十二巻の全訳を潮文社から刊行していただき、今また新しいシリーズの一冊目として本書が装いも新たにコスモ・テン・パブリケーションから出していただけることになった経緯を考え合わせると、多分あの社長室でのバーバネルとの二度にわたる面会の間に、霊界では、バーバネルの背後霊団と私の背後霊団との間でも打ち合わせが行われていたであろうことは想像に難くない。
この新シリーズは、前出の全十二巻が終了したあとサイキックニューズ社のオーツセンが、自社に保存されていない霊言の記録を当時のメンバーないしはその遺族から提出していただいて編纂したもので、当然のことながら初期から前半のもの、歴史的に言えば第一次大戦から第二次大戦に至る、その中間期のものが多い。第二次世界大戦(という言い方はしていないが)の勃発を暗示する霊言に注目された方も多いことであろう。
現在までのところオーツセンによる新シリーズは三冊出ている。最終的に何冊になるかは予測できないが、いずれにしても本シリーズが完了すれば、多分シルバーバーチの霊言は記録として残っているものに関するかぎり出尽したことになるであろう。そう考えただけで寂しい思いがするので、先日オーツセンに宛てて“あなたの編纂による新シリーズの翻訳・出版にとりかかりました。どうか一冊でも多く出してくださることを期待しています”という希望を述べておいた。
しかし、シルバーバーチも述べているように、真理はイエスの時代も今の時代も少しも変わっていないし、これからも永遠に変わらないのである。少なくとも現代の地上人類にとって大切なものは、シルバーバーチがすべて語ってくれている。要は実践である。
シルバーバーチがいみじくも警告している通り、せっかく手に入れた霊的真理をふだんは棚の上にしまっておいて、都合のいい時だけ持ち出すようなことをしている人が多いのではなかろうか。私自身への自戒もこめて、それは“大人の霊”にとっては“罪”ともいうべきものであることを指摘しておきたい。知識には責任が伴う――これもシルバーバーチが口を酸っぱくして説いている、何でもなさそうで実はなかなか実践できない摂理の一つなのである。
最後に、この新シリーズを他社から出すことを快く承諾してくださった潮文社と、それを受けて、高級霊界から純粋無垢のまま届けられたこの人類史上まさに空前絶後とも言うべき“霊の賜物”を、それにふさわしい形で出すべく社を挙げて尽力されたコスモ・テン・パブリケーションに対して、深甚なる謝意を表したい。
遺稿 シルバーバーチと私
……モーリス・バーバネル
私とスピリチュアリズムとの係わりあいは前世にまでさかのぼると聞いている。もちろん私には前世の記憶はない。エステル・ロバーツ女史の支配霊であるレッドクラウドは死後存続の決定的証拠を見せつけてくれた恩人であり、その交霊会において『サイキックニューズ』紙発刊の決定が為されたのであるが、そのレッドクラウドの話によると、私は、こんど生まれたらスピリチュアリズムの普及に生涯を捧げるとの約束をしたそうである。
私の記憶によれば、スピリチュアリズムなるものを初めて知ったのは、ロンドン東部地区で催されていた文人による社交クラブで無報酬の幹事をしていた十八才の時のことで、およそドラマチックとは言えない事がきっかけとなった。
クラブでの私の役目は二つあった。一つは著名な文人や芸術家を招待し、さまざまな話題について無報酬で講演してもらうことで、これをどうにか大過なくやりこなしていた。それは多分にその名士たちが、ロンドンでも最も暗いと言われる東部地区でそういうシャレた催しがあることに興味をそそられたからであろう。
私のもう一つの役目は、講演の内容のいかんに係わらず、私がそれに反論することによってディスカッションへと発展させてゆくことで、いつも同僚が、なかなかやるじゃないかと私のことを褒めてくれていた。
さてその頃のことであるが、数人の友人が私を交霊会なるものに招待してくれたことがあった。もちろん初めてのことで、私は大真面目で出席した。ところが終わって始めて、それが私をからかうための悪ふざけであったことを知らされた。そんなこともあって、たとえ冗談とはいえ、十代の私は非常に不愉快な思いをさせられ、潜在意識的にはスピリチュアリズムに対し、むしろ反感を抱いていた。
同時にその頃の私は他の多くの若者と同様、すでに伝統的宗教に背を向けていた。母親は信心深い女だったが、父親は無神論者で、母親が教会での儀式に一人で出席するのはみっともないからぜひ同伴してほしいと嘆願しても、頑として聞かなかった。二人が宗教の是非について議論するのを、小さい頃からずいぶん聞かされた。理屈の上では必ずと言ってよいほど父の方が母をやり込めていたので、私は次第に無神論に傾き、それからさらに不可知論へと変わって行った。
こうしたことを述べたのは、次に述べるその社交クラブでの出来事を理解していただく上で、その背景として必要だと考えたからである。
ある夜、これといって名の知れた講演者のいない日があった。そこでヘンリー・サンダースという青年がしゃべることになった。彼はスピリチュアリズムについて、彼自身の体験に基づいて話をした。終わると私の同僚が私の方を向いて、例によって反論するよう合図を送った。
ところが、自分でも不思議なのだが、つい最近ニセの交霊会で不愉快な思いをさせられたばかりなのに、その日の私はなぜか反論する気がせず、こうした問題にはそれなりの体験がなくてはならないと述べ、従ってそれをまったく持ち合わせない私の意見では価値がないと思う、と言った。これには出席者一同、驚いたようだった。当然のことながら、その夜は白熱した議論のないまま散会した。
終わるとサンダース氏が私に近づいて来て、“調査・研究の体験のない人間には意見を述べる資格はないとのご意見は、あれは本気でおっしゃったのでしょうか。もしも本気でおっしゃったのなら、ご自分でスピリチュアリズムを勉強なさる用意がおありですか”と尋ねた。
“ええ”私はついそう返事をしてしまった。しかし“結論を出すまで六ヵ月の期間がいると思います”と付け加えた。日記をめくってみると、その六ヵ月が終わる日付がちゃんと記入してある。もっとも、それから半世紀たった今もなお研究中だが……。
そのことがきっかけで、サンダース氏は私を近くで開かれているホームサークルへ招待してくれた。定められた日時に、私は、当時婚約中で現在妻となっているシルビアを伴って出席した。行ってみると、そこはひどくむさ苦しいところで、集まっているのはユダヤ人ばかりだった。若い者も老人もいる。あまり好感はもてなかったが、まじめな集会であることは確かだった。
霊媒はブロースタインという中年の女性だった。その女性が入神状態に入り、その口を借りていろんな国籍の霊がしゃべるのだと聞いていた。そして事実そういう現象が起きた。が、私には何の感慨もなかった。少なくとも私の見るかぎりでは、彼女の口を借りてしゃべっているのが“死者”であるということを得心させる証拠は何一つ見当らなかった。
しかし私には六か月間勉強するという約束がある。そこで再び同じ交霊会に出席して、同じような現象を見た。ところが会が始まって間もなく、退屈からか疲労からか、私はうっかり“居眠り”をしてしまった。目を覚ますと私はあわてて非礼を詫びた。ところが驚いたことに、その“居眠り”をしている間、私がレッド・インディアンになっていたことを聞かされた。
それが私の最初の霊媒的入神だった。何をしゃべったかは自分にはまったく分からない。が、聞いたところでは、のちにシルバーバーチと名乗る霊が、ハスキーでノドの奥から出るような声で、少しだけしゃべったという。その後現在に至るまで、大勢の方々に聞いていただいている、地味ながら人の心に訴える(と皆さんが言ってくださる)響きとは似ても似つかぬものだったらしい。
しかし、そのことがきっかけで、私を霊媒とするホームサークルができた。シルバーバーチも、回を重ねるごとに私の身体のコントロールがうまくなっていった。コントロールするということは、シルバーバーチの個性と私の個性とが融合することであるが、それがピッタリうまく行くようになるまでには、何段階もの意識上の変化を体験した。初めのうち私は入神状態にあまり好感を抱かなかった。それは多分に、私の身体を使っての言動が私自身に分からないのは不当だ、という生意気な考えのせいだったのであったろう。
ところが、ある時こんな体験をさせられた。交霊会を終わってベッドに横になっていた時のことである。眼前に映画のスクリーンのようなものが広がり、その上にその日の会の様子が音声つまり私の霊言とともに、ビデオのように映し出されたのである。そんなことがその後もしばしば起きた。
が、今はもう見なくなった。それは他ならぬハンネン・スワッハーの登場のせいである。著名なジャーナリストだったスワッハーも、当時からスピリチュアリズムに彼なりの理解があり、私は彼と三年ばかり、週末を利用して英国中を講演してまわったことがある。延べにして二十五万人に講演した計算になる。一日に三回も講演したこともある。こうしたことで二人の間は密接不離なものになっていった。
二人は土曜日の朝ロンドンをいつも車で発った。そして月曜日の早朝に帰ることもしばしばだった。私は当時商売をしていたので、交霊会は週末にしか開けなかった。もっともその商売も、一九三二年に心霊新聞『サイキックニューズ』を発行するようになって、事実上廃業した。それからスワッハーとの関係が別の形をとり始めた。
彼は私の入神現象に非常な関心を示すようになり、シルバーバーチをえらく気に入り始めた。そして、これほどの霊訓をひとにぎりの人間しか聞けないのは勿体ない話だ、と言い出した。元来が宣伝ずきの男なので、それをできるだけ大勢の人に分けてあげるべきだと考え、『サイキックニューズ』紙に連載するのが一ばん得策だという考えを示した。
初め私は反対した。自分が編集している新聞に自分の霊現象の記事を載せるのはまずい、というのが私の当然の理由だった。しかし、ずいぶん議論したあげくに、私が霊媒であることを公表しないことを条件に、私もついに同意した。
が、もう一つ問題があった。現在シルバーバーチと呼んでいる支配霊は、当初は別のニックネームで呼ばれていて、それは公的な場で使用するには不適当なので、支配霊自身に何かいい呼び名を考えてもらわねばならなくなった。そこで選ばれたのが「シルバーバーチ」(Silver Birch)だった。不思議なことに、そう決まった翌朝、私の事務所にスコットランドから氏名も住所もない一通の封書が届き、開けてみると銀色の樺の木(シルバーバーチ)の絵はがきが入っていた。
その頃から私の交霊会は、「ハンネン・スワッハー・ホームサークル」と呼ばれているが、同時にその会での霊言が『サイキックニューズ』紙に毎週定期的に掲載されるようになった。当然のことながら、霊媒は一体誰かという詮索がしきりに為されたが、かなりの期間秘密にされていた。しかし顔の広いスワッハーが次々と著名人を招待するので、私はいつまでも隠し通せるものではないと観念し、ある日を期して、ついに事実を公表する記事を掲載したのだった。
ついでに述べておくが、製菓工場で働いていると甘いものが欲しくなくなるのと同じで、長いあいだ編集の仕事をしていると、名前が知れるということについて、一般の人が抱いているほどの魅力は感じなくなるものである。
シルバーバーチの霊言は、二人の速記者によって記録された。最初は当時私の編集助手をしてくれていたビリー・オースティンで、その後フランシス・ムーアという女性に引き継がれ、今に至っている。シルバーバーチは彼女のことをいつもthe scribe(書記)と呼んでいた。
テープにも何回か収録されたことがある。今でもカセットが発売されている。一度レコード盤が発売されたこともあった。いずれにせよ、会の全てが記録されるようになってから、例のベッドで交霊会の様子をビデオのように見せるのは大変なエネルギーの消耗になるから止めにしたい、とのシルバーバーチからの要請があり、私もそれに同意した。
私が本当に入神しているか否かをテストするために、シルバーバーチが私の肌にピンを突きさしてみるように言ったことがある。血が流れ出たらしいが、私は少しも痛みを感じなかった。
心霊研究家と称する人の中には、われわれが背後霊とか支配霊とか呼んでいる霊魂(スピリット)のことを、霊媒の別の人格にすぎないと主張する人がいる。私も入神現象にはいろいろと問題が多いことは百も承知している。
問題の生じる根本原因は、スピリットが霊媒の潜在意識を使用しなければならないことである。霊媒は機能的には電話のようなものかも知れないが、電話と違ってこちらは生きものなのである。従ってある程度はその潜在意識によって通信の内容が着色されることは避けられない。霊媒現象が発達するということは、取りも直さずスピリットがこの潜在意識をより完全に支配できるようになることを意味するのである。
仕事柄、私は毎日のように文章を書いている。が、自分の書いたものをあとで読んで満足できたためしがない。単語なり句なり文章なりを、どこか書き改める必要があるのである。ところが、シルバーバーチの霊言にはそれがない。コンマやセミコロン、ピリオド等をこちらで適当に書き込むほかは、一点の非のうちどころもないのである。それに加えてもう一つ興味ぶかいのは、その文章の中に私が普段まず使用しないような古語が時おり混じっていることである。
シルバーバーチが(霊的なつながりはあっても)私とまったくの別人であることを、私と妻のシルビアに対して証明してくれたことが何度かあった。中でも一ばん歴然としたものが初期のころにあった。
ある時シルバーバーチがシルビアに向かって、“あなたがたが解決不可能と思っておられる問題に、決定的な解答を授けましょう”と約束したことがあった。当時私たち夫婦は、直接談話霊媒として有名なエステル・ロバーツ女史の交霊会に毎週のように出席していたのであるが、シルバーバーチは、次のロバーツ女史の交霊会でメガホンを通してシルビアにかくかくしかじかの言葉で話しかけましょう、と言ったのである。
むろんロバーツ女史はそのことについては何も知らない。どんなことになるか、私たちはその日が待ち遠しくて仕方がなかった。いよいよその日の交霊会が始まった時、支配霊のレッドクラウドが冒頭の挨拶の中で、私たち夫婦しか知らないはずの事柄に言及したことから、レッドクラウドはすでに事情を知っているとの察しがついた。
交霊会の演出に天才的なうまさを発揮するレッドクラウドは、そのことを交霊会の終わるぎりぎりまで隠しておいて、わざとわれわれ夫婦を焦(じ)らせた。そしていよいよ最後になってシルビアに向かい、次の通信者はあなたに用があるそうです、と言った。暗闇の中で、蛍光塗料を輝かせながらメガホンがシルビアの前にやってきた。そしてその奥から、紛(まぎ)れもないシルバーバーチの声がしてきた。間違いなく約束したとおりの言葉だった。
もう一人、これは職業霊媒ではないが、同じく直接談話を得意とするニーナ・メイヤー女史の交霊会でも、度々シルバーバーチが出現して、独立した存在であることを証明してくれた。私の身体を使ってしゃべっているシルバーバーチが、こんどはメガホンで私に話しかけるのを聞くのは、私にとっては何ともいわく言い難い、興味ある体験だった。
ほかにも挙げようと思えば幾つでも挙げられるが、あと一つで十分であろう。私の知り合いの、ある新聞社の編集者が世界大戦でご子息を亡くされ、私は気の毒でならないので、ロバーツ女史に、交霊会に招待してあげてほしいとお願いした。名前は匿しておいた。が、女史は、それは結構ですがレッドクラウドの許可を得てほしいと言う。そこで私は、では次の交霊会で私からお願いしてみますと言っておいた。ところがそのすぐ翌日、ロバーツ女史から電話が掛かり、昨日シルバーバーチが現れて、是非その編集者を招待してやってほしいと頼んだというのである。
ロバーツ女史はその依頼に応じて、編集者夫妻を次の交霊会に招待した。戦死した息子さんが両親と“声の対面”をしたことは言うまでもない。
訳者付記――この記事はバーバネルが“自分の死後に開封すべき記事”としてオーツセン氏に託しておいたもので、他界した一九八一年七月の下旬に週刊紙『サイキックニューズ』に、翌八月に月刊誌『ツーワールズ』に、それぞれ掲載された。