500に及ぶあの世からの現地報告
ネヴィレ・ランダル(著)
小池 英(訳)

死の直後並びに幽界(アストラル界)での様子を扱った霊界通信は数多くありますが、実例の豊富さ、内容の正確さなど総合的な点で本書の右に出るものはないと思います。

本書を読むことによって死後の世界についての実感・リアリティーを手に取るように感じることができます。スピリチュアリズム普及計画の一環として、高級霊の意図のもとで展開された興味深い霊界通信。

訳者まえがき
十九世紀半ば、欧米に“スピリチュアリズム”という一つの思想的流れが起こりました。それまで死後の世界の問題は、もっぱら宗教(キリスト教・仏教など)で扱われるものと考えられてきました。

しかし“スピリチュアリズム”は、科学者が中心となって死後の世界を明らかにしようとするところから出発しました。この研究は当時の知性を代表する多くの人々――「ウィリアム・クルックス」「オリバー・ロッジ」「シャルル・リシェ」(*ノーベル生理学賞受賞)などによって進められました。死後の世界は宗教者が扱うもの、という常識が崩れ、科学者が研究するテーマになったのです。

その結果、死後の問題は、従来の「信仰の問題」から「事実の問題」へと変わりました。それと同時に、これまで宗教で説かれてきた死後の世界に対する教えが、ずいぶん間違っていることも明らかにされました。科学者によって厳密に追求された研究は、それまでの宗教の壁を根本から崩してしまったのです。スピリチュアリズムは宗教ではありません。しかし最も深い宗教的世界を扱っています。

スピリチュアリズム研究の結果“死”は、何ひとつ恐れる必要のないこと、それどころか“死”は、むしろ待ち望むべき素晴らしい出来事であることが分かりました。地上人生がいかに辛く、不公平で、地獄のような生活であっても、死後、各自に待ち受ける世界は本当は素晴らしいものなのです。誠実に地上人生を送った者には幸福が約束されているのです。欧米や日本では、こうしたスピリチュアリズム研究の成果は一部の人にではありますが、かなり以前より知られていました。

先のオウム事件後、東京の大学生を対象とした意識調査が行われました。それによると七十パーセント近くの学生が、死後の世界の実在を信じているという結果が出ています。若者の心が、これまでの既成宗教から単純素朴な「霊的世界」に対する関心へと向かっていることが明らかにされています。

これはスピリチュアリズムの影響が日本国内で、相当なところまで浸透してきているためであると思われます。

今日の社会では、多くの人々がお金に最大の信頼を寄せています。しかし、お金の威力が及ぶのは地上人生という限られた時だけなのです。そうした人間の煩悩は、従来の宗教では、もはや解決することはできません。スピリチュアリズムを通して霊的な事実を知らないかぎり、根本的な「精神革命」は起こり得ないのです。

私は常々、スピリチュアリズムを一人でも多くの方々に紹介したいと思ってきました。なぜなら人類の幸福にとって、スピリチュアリズムは最も大きな力を持っているからです。そして縁あってスピリチュアリズムの入門書として、本書を翻訳することになりました。

この本には、あの世にいるスピリット(霊)が、地上の霊媒を通じて伝えてきた死後の様子が書かれています。地上サイドから神秘体験を扱った本は多くありますが、残念ながらそれらの大半は、きわめて低俗な現象のみを取り上げ、興味本位に流されています。

それに対し、この本では、あの世における霊たちの体験が、実にリアルに豊富に取り上げられています。それは、まるであの世の「現地報告」そのものなのです。これほど豊富で詳細なレポートは、本書が初めてではないかと思います。このレポートによって誰もが、死後の世界の様子をありありと実感できるはずです。

さらに本書の優れた点は、そうした実例の豊富さばかりでなく、その上に立ってスピリチュアリズムの問題点を絞り出し、検討を加えていることです。その優れた理論考察によって哲学的内容にまで問題を深めています。

この本を初めて読まれる方は、たいへんな驚きと感動を持たれることと思います。人生に大転機が訪れるかもしれません。この本がきっかけとなり、スピリチュアリズムに関心を持ってくださる方が現れるとするなら大きな喜びです。


――私(ネヴィレ)は、どうしてこの本を書くようになったのか?

一九六六年一月二十日の午後、空はどんよりとして小雨が降っていた。レンガ造りの同じような家々が立ち並ぶロンドンの西郊外の道を、私は急いでいた。その日、私はエナ・トゥイッグと新聞に載せるためのインタビューをすることになっていた。彼女、エナ・トゥイッグは、当時すでに英国内で最も信頼のおける霊媒者の一人として名を馳せようとしていた。

一時間のインタビューの後、われわれはティーブレークにした。彼女はお茶を入れるために廊下の向こう側の台所に行った。陶器のティーセットのガチャガチャという音がして、そのうち突然、激しい議論をしているような彼女の声が聞こえてきた。家の中にはわれわれ二人以外、誰もいなかった。彼女がワゴンにお茶をのせて戻ってきたとき、誰か来客でもあったのかと聞いてみた。

「たった今、あなたのお母様がここへこられたのよ」と彼女は答えた。

「お母様は、あなたと話したがっていらっしゃいます」

私の母は一年前にガンで死んでいる。しかしトゥイッグはさらに続けた。

「お母様はすぐそばに、あなたのすぐ後ろにいらっしゃいます」

私は注意深くまわりを見回した。しかし私には何も見えなかった。

「お母様は今、あなたの肩を叩いていらっしゃいます。今度はあなたの額にキスをしていらっしゃいますよ」

しかし私には何も感じられなかった。

トゥイッグは、さらに私の母のこと、私自身のこと、家族のことについても述べ始めた。彼女は、そうしたことについては全く知らないはずであるが、語られた内容はほとんど正しかった。

「お母様は、あなたの奥様のお父様をここに連れてきていらっしゃいます。お母様は彼のことをとてもよく知っていて、彼が好きだとおっしゃっています」と述べた。

妻の父親はオランダ人だが、母の死の三週間後、やはりガンで亡くなっていた。

「お母様は、あなたが将来、とても価値のある仕事をするようになるとおっしゃっています」と教えてくれた。

私は唖然としてしまった。さらにトゥイッグは、
「あなたは将来、ワーシングに行くことになるでしょう」と言った。

私はそれまでワーシングには行ったこともないし、そこへ行こうと考えたこともなかった。

「あなたはご家族の中で、ただ一人、物書きのできる人間です。お母様方はあなたの書く本にとても関心を持っていらっしゃいます」

数分後、トゥイッグは、妻の父親が私に話したがっていると告げた。彼は、

「あなたは素敵な時計を手に入れることになるでしょう」と言った。そして、

「あなたはこれから、目に見えない世界にいる多くの人々のためのマウスピースになるでしょう。あなたの書く本は永遠に世に残るようになるでしょう」と続けた。さらに、

「あなたはご自分のオフィスを手に入れられましたね。心安らぐ静かなオフィスですね」と付け加えた。

その夜、子供たちが寝静まり妻と二人になってから、昼間の出来事を振り返っていた。そして見知らぬ世界から一方的に語られた内容を記したノートを読み返した。そこで語られた大部分の内容は簡単に確認できるものばかりだったが、私のオフィスについては心あたりがなかった。私は一つのオフィスを他のジャーナリスト仲間と共同使用していた。しかし私がそこを引き払い、別のオフィスを設けるというような計画は全くなかった。

そのとき妻が、「そうそう、オランダではオフィスと書斎は同じ言い方をするわ」と言った。母が死んだとき妻は、母の小さな寝室を私の書斎につくり替えたのだった。そして私は、そこでテレビの雑音から逃れて仕事に専念できるようになったのである。

母が本について語ったことは、私に少し勇気を与えてくれた。私が死後の世界について書いた一連の記事は、これまで小冊子として出版されてきたが、今は絶版となっていた。ちょうどそのとき、私はそれをもう一度書き直して、別の小さな本の形にまとめ上げる計画を立てていたのである。

トゥイッグの告げたことの中で、時計の件とワーシングを訪問するという件については、依然として心あたりのないままであった。

翌年四月、妻の母親が死んだ。私と妻は、エナ・トゥイッグの“公開交霊会”の出席を予約した。そこで死んだ妻の母に会いたいと思ったからである。交霊会では妻の母が現れた。そして私の母も現れた。

「あなたは新しい本を手掛けましたね。それ以外にもあなたは別の本を書くようになります。私たちは、あなたがその本をつくるのをこちらの世界から応援します」と言った。

私は小冊子を書き直し続けた。そして試しに部分的に書いたものを出版社の仲介人に送ってみた。ところが彼らは誰もそれに興味を示してくれなかった。結局、私は小冊子を一冊の本にまとめるという当初の計画を断念することになった。そして母たちとの二度の交霊記録は、ファイルの中にしまわれ忘れ去られたのである。

一九七一年、私と妻は、オランダのザイスト(Zeist)にある妻の実家に行った。わずかにあった遺品を貰い受けるためであった。遺品の中には、家族の肖像画二点と、十七世紀のフレジアの農夫の時計があった(*ネヴィレの妻の父親が語った「素晴らしい時計を手に入れるようになる」というのは、このことを言っていたのである――訳者)

一九七二年の初め、「ジョージ・ウッズ」からオフィスに電話がかかってきた。彼は心霊研究家で、一九六〇年に、私はブライトン(Brighton)にある彼の家を訪問したことがある。そのとき私は、死後の世界に関する記事を書いていた。彼は私に、直接談話霊媒者の「レスリー・フリント」を通して語られた、あの世からの声の録音テープを聞かせてくれた。その声の持ち主は、自分を「コスモ・ラング」―― 一九四五年に死んだカンタベリーの大主教と名乗っていた。

私は一九六九年、再びウッズの家を訪問した。どんどん増えていく録音テープのいくつかを記事にするためであった。

そして今回ウッズは、これまでの全部の録音テープを本にまとめるために、またやってこないかと誘ってくれたのであった。ウッズは――「それらの録音テープを聞けば、われわれが死んだときに、どのようなことが起きるのかを完全に知ることができる」と言った。

このたび私は、先回、彼を訪ねたときのようにわざわざ遠くまで出向く必要はなかった。なぜなら彼は、ブライトンから海岸に沿って数マイルのワーシングへ引っ越してきていたからである(*ネヴィレの母親が「彼が将来ワーシングへ行くようになる」と言っていたのは、このことを指していたのである――訳者)

以上が、どうして私がこの本を書き始めるようになったかの経緯である。この本を世に送り出すに際しての私の役割は微々たるものである。肝心な仕事は、ウッズと彼の同僚のベッティー・グリーン女史によってすでになされていた。そのためこの本は、彼らの本と言うべきものである。彼らのライフワークの成果なのである。

私は、目に見えない世界から降ろされた鎖の単なる端くれにすぎない。私はあの世から送られてくる通信の“マウスピース”にすぎないのである。
ネヴィレ・ランダル


1. 戦争で死んだある兵士の話
一九六〇年十一月四日、ロンドンのあるアパートの薄暗い一室で、二人の男性と一人の女性が座って何かを待っていた(ウッズとフリント、グリーン女史である)。彼らは、ここ五年間、月曜日の午前中、いつもこうした集まり(交霊会)を持ってきた。彼らは、地上の誰もがまだ行ったことのない、しかし、すべての人が例外なく将来赴くことになる、死後の世界からの“メッセージ”を待っていたのである。

交霊会の沈黙は、ロンドン訛りのあるしわがれ声によって突然破られた。テープレコーダーのスイッチが入れられた。その声は四十六年前、第一次世界大戦中に死んだ兵士からのものだった。彼はフランダース戦場の塹壕(ざんごう)内における苦しい体験を語り始めた。

「私はごく普通の人間にすぎませんから、私が今から話すことは、多くの人々にとってあまり役に立たないかもしれません」

「あなたのお名前は?」とグリーン女史が尋ねた。

「私はたいした人間ではありません。私の名前はプリチェット、……アルフ・プリチェットと言います」

戦場での死
(プリチェットと名乗る霊は語り始めた)

それは一九一七年~一九一八年にかけてのことだったと思います。何しろかなり昔のことですから、正確にいつのことだったか、あまり自信がありません。私たちは終日、激しい敵軍の砲撃にさらされていました。そのとき私は、「もしこんな中で死なずにすむなら、本当に運がいい」と思いました。次の日、朝早く、私たちに塹壕から突撃する命令が下りました。

その後、私はたしかに塹壕から飛び出して敵軍に突撃したことを覚えています(*プリチェット本人は自覚していないが、この直後、彼は戦死したのである――訳者)

私はどんどん前方に走って行きました。そのとき数人のドイツ兵が、私の方に向かってきました。ところが彼らは、私の所をまっすぐ素通りして行ってしまったのです。まるで私が見えなかったかのようでした。彼らは私を攻撃するでもなく、私に関心を示すでもなく、私の所を勢いよく通り過ぎて行ってしまいました。

私は「はてな、これはいったいどうしたことだ?」と思いました。私はそのまま前進しました。どんどん走って行ったことを覚えています。「もし彼らが私に気がつかないなら、私は何も彼らのことを心配する必要はない。どこか小さな穴に飛び込もう。そしてしばらくしてからそこを出て行こう」と思いました。私はそのとき、心の中で願っていたような爆弾でできた穴を見つけ飛び込みました。そしてその中にうずくまり、「この恐ろしい状況が通り過ぎるのを待とう。一番いいのは捕虜になることだ」などと考えていました。

「彼らが私に気づかなかったなんて不思議なことだ。本当は私に気づいていたに違いない。しかし彼らは、まっすぐ通り過ぎて行ってしまった。なぜだろう?」

――私はいろいろ考えましたが、どうしても理解できませんでした。

死んだはずの友人との出会い
それからどのくらい、そこにいたのか分かりません。とにかく私は眠ってしまいました。次に、目の前にまぶしいほどの明るい光を見たことを覚えています。私には何が何だか分かりませんでした。それは今まで私が一度も見たことのないような光で、辺り一面を同時に照らしていました。その光はあまりにもまばゆく、私はしばらく目を閉じていなければなりませんでした。

「これは何かの発光装置だ」と思い、少々怖くなりました。

すると突然、それが形をとり始め、やがて光明満ちあふれる人間の姿になっていきました。私は本当にびっくりしました。それは私のよく知っている友人の「スマート・ビリー」でした。その彼が今、私の目の前にいて私を見つめているのです。

しばらくして私は、自分が起き上がっているような感じがしました。奇妙なことに、本当に自分自身が起き上がっていることに気がつきました。私は、それまで終日ここで横たわっていたに違いないと思いました。堅さとか不快感・不便さを感じて当然なのに、そのときはそうした感じが全くありませんでした。それどころか、鳥の羽毛のような軽やかさを感じました。

私は「何かが私の頭を混乱させている。たぶん私は頭がおかしくなってしまったのだ!」と思いました。

私は磁石のように彼の方に引き寄せられました。彼が生命力に満ちあふれているのが分かりました。彼の顔は素晴らしい色彩に輝いていました。彼に近づいたとき、「そういえば彼は死んでいたんだ」ということを思い出しました。最初に彼を見たとき、彼がすでに数カ月前に死んでいたことに気がつくべきでした。しかしそのときは、彼が死んだ人間だとは思えませんでした。

私は彼の方に引き寄せられました。彼は私に笑いかけました。そして私も彼に笑い返しただろうと思います。彼は私に手を差し伸べました。当然、彼と握手をするのだということは分かりましたが、少々馬鹿げた感じがしました。何しろ戦場にいる私が、すでに死んでいる人間と握手をするのですから……。冷や汗が吹き出すようでした。

「いったい何が起きたのか? 自分は夢を見ているに違いない」しかし確かに私は、彼が話す言葉を聞いています。そのうち彼が「大丈夫、何も心配いりません」と言いました。「これは全く馬鹿げたことだ。何かが間違っている」――とにかく私は彼の手を握りました。すると突然、体が宙に浮かぶような感じがしました。今、自分がどこにいるのか分からないのに、彼の手を握ったまま空中に持ち上げられました。私は何年か前に見たピーターパンの映画を思い出しました。「これは実に面白い夢だ!」

私の足は地面から離れました。それは空中に浮かんでいた、としか表現のしようがありません。徐々に高く上がって行くにつれ、まわりのすべてのものが遠のいて行きました。はるか下の方に戦場が見えました。銃や爆発の閃光も見えました。明らかに戦争はまだ続いています。「これは本当に特別な夢だ!」

次に大きな町のような所へ近づいて行ったことを覚えています。そこは光り輝いていました。そのときの情景は、私にはこのようにしか表現できません。そこの建物はまわりに光を放っていました。そのうち突然、足が地面に着いたような感じがしました。不思議なことに、地面は堅く感じました。それから長い並木道のような所を歩いたことを覚えています。その道の両側には美しい木々が立ち並び、その木と木の間には彫像のようなものが置かれていました。

そして歩道を、見慣れない衣服を着た人々が行き来していました。彼らはよく絵画などで見るローマやギリシア時代の人々のようでした。柱のある美しい建物があり、そこに続くみごとな階段が見えました。大部分の家々の屋根は平らでした。これまでイギリスでこんな平らな屋根の建物は見たことがありません。この建物は大陸様式だろうと思いました。それらの建物からは光が放たれ、そこにはいろいろな国の人々がいました。ビリーが、

「もちろん君は自分の身に起きたことが分かっていますね」と言いました。

「私の身に起きたこと? 今、私が知っていることは、ここは楽しい所だということだけです。素晴らしい夢を見ているということだけです。目が覚めて元に戻るのは残念です」

「心配には及びません。目が覚めることはありません」

「それはどういう意味ですか。目が覚めないとは?」

「あなたは死んだのです」と彼は言いました。

「バカなことを言わないでください。どうしてこの私が死んでいるのですか。私はここにいるじゃないですか。私にはまわりのものが全部見えています。……しかし私はあなたが数カ月前に死んだことも覚えています。私には何がなんだか分かりません。私はきっと夢を見ているのです」

「いいえ、あなたは夢を見ているのではありません。本当にあなたは死んだのです」

「まさか! どうして私が死んでいるのですか。ここに私がいないとでも言うのですか」

「あなたは、たしかにここにいます。しかしあなたは本当に死んだのです」

「じゃあ、ここは天国ではないということですね」

「正確には天国ではありません。しかし天国の一部です」

私は心の中で“天国の一部”とはどういう意味なのだろうか? と考えました。

あの世の病院
私たちはこの美しい町の中の道を進んで行きました。そして丘のような所に出ました。右前方に美しい建物が見えました。それはちょうどロンドンで見かけたような建物でした。ただロンドンのものより、ずっと白くて美しいです。

「あの建物は何ですか?」と彼に聞きました。

「今からそこへ昔の友だちに会いに行くのです。われわれはそこを“レセプションセンター”と呼んでいます」

「何ですか。それは?」

「病院のような所です」と彼は答えました。

「私は病院なんかに行きたくありません。どこも悪くありません。健康です。私は病院には行きません」と言いました。

「心配しないでください。そんなに興奮しないで。そのうち分かるようになりますから、今はリラックスして楽しい気分でいてください」

それから私たちはこの建物の中に入って行きました。おかしなことに、そこにいた人たちは、これまで私が見慣れている人たちと、ほとんど同じような服装をしていました。私はそこで太陽を見た覚えはありませんが、常に光が満ちあふれていました。人々が座って話をしていました。テーブルとイスはありましたが、ベッドはありません。これは変わった病院だと思いました。人々はみんな明るく元気そのものに見えました。ある者は話をし、ある者は食事をしていました。私はその光景が目にとまりました。

そこで彼に、「見てください。向こうで食事をしている人がいます」と言うと、「ここは、自分がしたいと思うことが何もかも実現する世界なのです。もし、あなたが食べたり飲んだりしたいと思うなら、それがそのまま実現するのです」

私は他の人たちと一緒にイスに座りました。

「ここへきたばかりなの?」と彼らは言いました。

「ええ」

「あなたがここへくることは聞いていましたよ」と一人が言いました。

「それはどういう意味ですか。私がくることを聞いていたというのは? あなたは私を知らないはずですが……」

「あなたは、私たちが見張り人を置いているように思われるかもしれませんが、そうではありません。私たちを助け導いてくれるここの人々から、あなたのことを聞いたのです。私もここにきて本当に間もないのです」

「もうここの生活に落ち着きましたか?」と聞いてみました。

「とてもよい所です。地上でこれまで聞かされてきた所より、ずっと素晴らしいです。これまで言われてきたような世界は本当はありません」

「それはどういう意味ですか?」

「これまで私たちは、天国とか地獄とか、終末を告げる天使のラッパの話を聞かされてきました。しかし、それらはすべて間違いです。教会の教えに忠実な人間は天国に行き、教会の教えに背く者は地獄に行く、という考え方はすべてデタラメです。ここは、地上時代そのままの世界なのです。ただあらゆるものが地上時代より、ずっとよくなっています。ここは本当に素晴らしい所なのです。明日、私はここを出て行きます」(*キリスト教では「人間は死後、天国か地獄のいずれかに行くようになる」と考えられている――訳者)

「どうしてですか? どこへ行くのですか?」

「祖父と祖母に会いに行きます」とその人は答えました。

もちろん私は彼の言うことをすべて信じることはできませんでした。しかし私は、他の人たちと一緒にここにいて話をしている方がいいと思いました。彼らが言うように、私はこれからここにいなければならないのなら、とにかく彼らと仲良くしておく方がいいと思いました。私は彼に、

「あなたのおじいさんとおばあさんはどこにいるのですか?」と聞いてみました。

すると彼は答えました。

「祖父も祖母も私たちと同じこの世界にいると、聞かされました。ただしずっと離れた所にいるそうです。私は明日そこへ連れて行ってもらうのです」

「誰が連れて行ってくれるのですか?」

「私の指導霊(ガイド)です」

「指導霊ですって?」

「そうです。ここにはそうした素晴らしい方々がたくさんいらっしゃるのです。地上で言うスチュワードのような仕事をしていらっしゃるのです。私のガイドは、私のこれまでの経歴や地上時代の知人について何もかも知っています。その上で私を指導してくださるのです。あなたはこちらの世界にきたとき、何かおかしいと気がつきませんでしたか? 体が軽くなったと感じませんでしたか? 空中に浮かび上がるような感じがしませんでしたか?」

「たしかに少し変だと思いました」

「実はそれがここでの移動の仕方なのです。ここでは歩く必要はありません。空を飛ぶような状態で移動ができるのです」

「他にどんなことができますか? あなたはご自分のことを“死んだ人間”だと言いました。人が死んだとき一番大切なことは、言われた指示に従ってその通りにすることだと思いますが……。結局は、自分は誰から裁きを受けるようになるのか分からないのですから」(*この兵士は地上時代の教会の教えによって、誰もが死後「最後の審判」を受けるようになると信じている――訳者)

「いいえ、誰もあなたを裁いたりはしません。私が理解したところでは、人間は自分で自分を裁くようになるのです。他人から裁かれるのではありません。私はここにきて以来、ずっと地上時代のことを振り返ってきました。昔の過ぎ去ったことに立ち戻り、いろいろ考えてきました。唯一はっきり言えることは、自分で自分自身を判断し裁くようになる、ということです。誰もが間違いなく持っている良心によって、地上時代の自分自身を判断するようになるのです」と彼は言いました。

「私が覚えている限りでは、私がしでかしたたった一つの悪いことは、ネコを溺れ死にさせたことです。そうそう、それとビールをただ飲みしたことです。そのとき店が混んでいて店員が私のことを忘れていたので、私も黙っていました。しかし、そのことはそんなに悪いことだとは思いませんが……」と私は言い訳をしました。

「大丈夫です。心配いりません」と彼は言いました。

「ところで私は地上に戻って知り合いに会いたいのです。彼らがどのように暮らしているか見てみたいのです。彼らは私が死んだことを、もう知っているのでしょうか?」

「もしあなたが地上に戻ってみたいというのであれば、手筈が整えられると思います。ここの世界の担当者が、おそらくそのための準備をしてくれるでしょう。しかし言っておきますが、そのことはあなたを惨めな思いにさせるだけです。彼らはあなたのことに全く気がつきません。あなたが奥さんのいる家に戻ってドアを叩いても、あなたには気がつかないでしょう。昔の友人を訪ねて激しくドアを叩いても同じです」

幼くして死んだ姉との出会い
いよいよ地上に行くというとき、私をここまで連れてきてくれた友人(ビリー)が再びやってきました。ビリーは「あなたに見せたいものがあります」と言いました。私は彼について通りを下って行きました。小さなバルコニーと美しい花のあるとても素晴らしい家の前を通り過ぎ、やがて通りの終わりまできました。そこには大きな広場があって、中央の噴水は水しぶきを上げ、辺りにはリズミカルで心地よい音楽が流れていました。「これは本当に素晴らしい!」――私は昔、公園でバンドの奏でる音楽を聴いていたことを思い出しました。

私たちは美しい木の下の小さなベンチに座りました。ビリーは、「とてもくつろいだ気分になるでしょう。ただそこに座っていてください。しばらく私はここを離れますが、すぐ戻ってきます」と言いました。

私は目を閉じ、音楽を聴いていました。すると突然、誰かが私の隣にいるような気がしました。目を開けて見ると美しい女性がいました。輝くような金髪で、十九か二十歳ぐらいに見えました。私はびっくりしました。さらに驚いたことに、彼女は私の名前を呼んだのです。「これはおかしなことだ。彼女は私の名前を知っている。自分は彼女を知らないのに」と思いました。

「ここが気に入りましたか?」と彼女が尋ねたので、

「とても気に入っています。ありがとう。お嬢さん」と答えました。すると彼女は、

「私をお嬢さんなどと呼ばないでください。私を知りませんか?」と言いました。

「ええ、私はあなたを知りませんが……」

「私はリリーですよ」

「リリーさん? どちらのリリーさんか存じませんが」

「驚かないでください。私はあなたの姉です。私は小さいときに死んだのです」

「そういえば、母から生後わずか数日で死んだ姉がいたということを聞いたことがあります。しかしあなたがどうしてその女の子なんですか? あなたは大人じゃないですか」

「そのとおりです。しかし私は本当にあなたの姉なのです。私は幼くして死にましたが、それからこちらの世界にきて成長したのです」

「驚きました!」と私は言いました。

「私は、ここであなたのお世話をすることになっています。あなたを家にご案内します」

「家ですって!」と私は言いました。

「はい、家です」

彼女は私を広場の外へ連れ出しました。そして木々の立ち並ぶ広い道を下って行きました。やがて田舎の小さな家に到着しました。そこが姉の家でした。姉の家は、イギリスの田舎で見たことがある家にとても似ていました。その家の庭には門や通路・扉があって、たくさんの美しい花が咲いていました。そこで彼女は立ち止まりました。それから家の中に入りました。廊下の向こうに小さな部屋があって、部屋の中のすべてのものは心地よく、安らぎを与えてくれました。素敵なイスもありました。しかし暖炉はありませんでした。

「ここには暖炉がありませんね」と言うと、

「ええ、ここでは暖炉は必要ないのです。いつも暖かく快適なのです」と彼女は答えました。

「それは素晴らしいですね。それでは雨も降らないんですね」

「ええ、降りません。でも時々、露が降りることがあります」

私たちはそこに座って、まだ地上にいる父や母のこと、兄弟のことを話しました。彼女は彼らに会うためによく地上を訪れたことや、私がまだ幼いときから私に会うために、たびたび地上に行っていたことを語ってくれました。彼女はまた、私が戦争に出かけている間、私のそばにずっと付き添っていたことも教えてくれました。

ただし私が死んだ直後は、私に付き添うことはできなかったようです。私がこちらの世界にやってきて、私に準備が整い、こうしてまた会えるようになったと教えてくれました。

「本当にここは素晴らしい所だ! でもまだよく分からない、不思議な所だ」と思いました。今、私はこちらの生活に落ち着き、姉と一緒に住んでいます。

「これ以上は、また別のときにお話しする方がいいようです。そろそろおいとまする時間がきました。行かなければなりません。さようなら……」

プリチェットと名乗る霊の声は徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。

死んだ兵士の身元
その声はいったいどこからきたものなのであろうか? その声は本当に第一次世界大戦で死亡した兵士のものなのであろうか?――幸い戦争で死んで埋葬されたすべてのイギリス兵士の記録が残されている。それはバークシャイアーのマイデンヘッドにある戦死兵慰霊委員会によって保存されている。

「プリチェット」という名前は珍しい名前である。戦死者名簿のファイルの中には四名のプリチェットの名前がある。その内の一人の兵士番号は九〇二三Aで、彼は機関銃部隊に所属していて一九一七年に戦死している。そしてイェプレスから一マイルの所にあるポティジェ・チャテウ・ローンの共同墓地に埋葬されていた。

この兵士が、あの世の体験を語った声の持ち主なのであろうか? 彼の身元証明には、さらにもう一つの手がかりがある。彼の古くからの友人で、あの世で彼の指導霊であった人物の名前である。プリチェットはその名前を「ビリー・スマート」と言っている。プリチェットによれば、ビリーは彼より数カ月前に戦死している。スマートという名前はイギリス陸軍の中ではありふれた名前で、何百というスマートが第一次世界大戦で戦死している。そしてその中には、何十人という「ウィリアム」というクリスチャンネームを持った兵士が含まれている。その中で一人――たった一人だけがプリチェットによって語られた兵士と一致するのである。

兵士番号二〇三九四のビリー・ウィリアム・スマートが、その人物である。彼もまた機関銃部隊に属していた。そして一九一六年、アラスの近くで戦死しているのである。

プリチェットの話は、ワーシングにいるジョージ・ウッズとベッティー・グリーン女史、そして直接談話霊媒者のレスリー・フリントによって録音された、五百に及ぶテープの中の一つである。「私たちが死んだとき何が起きるのか」を語っている、五百本ものテープの中の一つなのである。

2. ジョージ・ウッズの疑問
・・・人は死んだらどうなるのか?
Wョージ・ウッズの疑問
アルフ・プリチェットが死ぬ三年前―― 一九一四年八月の上旬、「ジョージ・ウッズ」はノーサンプトンシャイアーの騎馬義勇兵として、イギリス遠征隊とともにフランスに向けて出発した。若干、二十歳であった。彼は神経質で反骨精神に富んだ性格の持ち主であった。

彼の父親は典型的な地方地主で、昔、落馬の際にももを押し潰されびっこをひいていた。しかし、その後もずっと猟には出かけていた。彼は毎朝、妻や子供、召し使いのための祈りを欠かすことはなかった。

若きウッズは、人間の死であれ動物の死であれ“死”を恐れていたが、それを隠して生きてきた。そして父の希望もあって軍隊に入ったのである。

彼は歴史書で「モンスからの退却」と呼ばれている、血なまぐさい激戦地で戦っていた。圧倒的多数のカイザーの軍隊(ドイツ軍)の前に、多くのイギリス兵が戦死した。一回目のイェプレスの戦闘の終わり頃には、初め千人も配属されていた兵士は、わずか一人の将校とたった三十人の兵士になっていた。それは彼にとって決して忘れることのできない体験だった。

そのときのある出来事が、彼のその後の人生にずっと影響を与えることになったのである。致命傷を負った仲間の兵士が、彼の手を強く握りしめて言った。「死後の世界はあるのだろうか? 死んだらいったい、自分に何が起きるのだろうか?」

――彼は自信を持って答えることができなかった。そしてその兵士は死んだ。

ウッズは同じ質問を従軍牧師にしてみた。

「戦争で死んだ兵士は、その後どうなるのでしょうか?」

「聖書を信じなければなりません」と牧師は答えた。

「死後の世界を証明するために、この地上に戻ってきた人はいないのですか?」

「誰もいません。イエス・キリスト以外には」

ウッズは運がよかった。一九一五年、彼は頭を負傷し目が見えなくなったが、六カ月後、病院で右目の視力を取り戻した。しかし左目は二度と見えるようにはならなかった。彼は一九一六年に退役して、父親の新しい仕事(ハードウィッケの四百エーカーの農場の仕事)の手伝いをすることになった。

しかし戦場で兵士が死の間際に言った、「人間は死ぬとどうなるのだろうか? いったい何が起きるのだろうか?」という質問の答えを知りたいという願望は、もはや後に引くことができないほど強いものになっていた。そのため二十代、三十代の大半を、ありとあらゆるキリスト教会に足を運ぶことに費やした。だが彼に満足な答えを与えてくれた教会はなかった。

三十代も終わりに近づいた頃、父親が死んで農場経営は苦しくなった。そこで彼はクロイドン(ロンドン南部郊外)に、妻や息子とともに移り住んだ。息子の名前はニジェルといい、少し前に髄膜炎を患っていたが、このときは快方に向かっていた。

クロイドンに移って間もなく、彼が現代風の赤レンガの建物の近くを歩いているとき、一つの掲示板に目がとまった。それには、「ここにきて死者の話を聞きませんか」と書かれていた。

次の日曜日、彼はワクワクするような思いで、こっそりとその会合に出てみた。そしてドアの近くの目立たない場所に座った。彼は生まれて初めて“スピリチュアリスト”の集まりに参加したのである。その集まりでは透視能力(千里眼)のデモンストレーションが行われたが、彼には特別印象深いものとは感じられなかった。それでこっそりとその場を抜け出そうとした。

そのとき会を進めていた女性が、「後ろにいらっしゃる男性の方に申し上げたいことがあります」と言った。彼女が自分のことを指していることが分かり、ウッズは当惑してしまった。

「あなたのお父さんが、ここにきていらっしゃいます」と彼女は語り始めた。

「彼は、自分の名前は『ウィリアム・ウッズ』といい、地上にいたとき事故に遭ってびっこになった、とおっしゃっています。そして息子のジョージ――あなたと話がしたい、とおっしゃっています。彼は、自分は地上時代にはハードウィッケという所に住んでいた、とおっしゃっています。彼は今、あなたの息子さんのニジェルのことをたいへん心配していらっしゃいます。そしてニジェルはベッドで寝ていなければ、また病気がぶり返すかもしれない、とおっしゃっています」

ウッズはびっくりして立ちすくんだ。「これはトリックなのか? 一度も会ったことのない女性が、どうしてこんなことを言えるのだろうか? 自分の長年の疑問に答えるために、父が死の世界から戻ってきたとでもいうのだろうか?」――彼の心は混乱した。家に帰ってからも、しばらく他のことを考えることができなかった。彼は自分の人生で初めて手ごたえのあるものに出会ったのである。

ウッズのライフワークの始まり
彼は心霊研究協会に入会した。そこで彼は、その後の彼の心霊研究に大きな影響を与えることになる一人の人物と出会うのである。「ドレイトン・トーマス」はメソジスト教会の牧師であったが、一般の教会員が眉をひそめるような変わったグループにも属していた。

そのグループのメンバーは、これまでのキリスト教の頼りない教えに飽き足らず、それに取って代わるような思い切ったことを何かしようという、共通の情熱で結ばれていた。そのとき彼らはまだ確たるものを持っていたわけではないが、グループのメンバーの大部分はスピリチュアリストであった。

彼らはまず、一九〇〇年前のキリスト復活の話が影響力を失いつつある状況の中で、二十世紀に死んだあの世の人々からの通信によってキリスト教の影響力を取り戻そう、と考えていた。しかしこれは当時としては性急すぎた。今日では、サイキックやスピリチュアルに関心を持つ教会員は多くなり、英国国教会が後ろ盾になったり、メソジスト教会の指導のもとで交霊会を持つに至っている。

しかし一九四五年の時点では、大主教「ラング」は、彼自身が主催したスピリチュアリズムに関する委員会の報告レポートを、自ら握り潰しているのである。当時はまだ、死者からのメッセージは“悪魔の仕業”と考えられていたのである。

ドレイトン・トーマスはウッズに、イギリスの著名な直接談話霊媒者を紹介した。霊媒者「レスリー・フリント」は、不思議な能力・特殊な才能を持つ人物と言われていた。死んで別の世界に行った人間の霊を引き寄せる能力を持ち、また“エクトプラズム”と呼ばれる特殊な物質で、彼ら死者たちに、地上の言葉を話すための発声装置を提供することができたのである。

エクトプラズムは霊媒者本人と交霊会の参加者の身体から流れ出し、発声器官の“レプリカ”(模擬声帯)をつくり出すのである。この発声装置は、霊媒の頭上、約三フィートの位置に形成される。これを通して“スピリット”(死者の霊)は、自分の考えを述べることができるのである。だが、この発声器官が形成されるプロセスは、現在のいかなる科学者でも説明不可能である。

ウッズは交霊会に通い続けた。そこで先祖と名乗る多くの死者の声が彼に語りかけた。彼らの声のトーンと語った内容から、ウッズはそれらが本物だと確信した。彼の長年の疑問に回答が与えられた。彼の人生の目的は達せられたかのように思われた。しかし、それは彼の“ライフワーク”のまさしく始まりだったのである。

3. 霊媒者フリントとグリーン女史
霊媒者のタイプ
死者からの通信は、今日でも疑いの目で見られることが多い。死によってすべてが終わると考える人々は、そうした現象を詐欺(さぎ)かトリックであると決めつける。また一般的なクリスチャンは、それを悪魔の仕業と考えている。

一方、心霊研究家は、死者からの通信は詐欺でもトリックでも悪魔の仕業でもなく、真実、死者からのものであるとの確信を持っている。そしてその通信が、どのようにして送られてくるかによって通信自体の価値を判断しているのである。また彼らは霊媒を二つのタイプに分けている。すなわち「心霊的霊媒」と「物理的霊媒」である。

心霊的霊媒は一般的によく見られるタイプである。彼らは、透視能力(千里眼)や霊視能力(一般人には見えない霊的なものを見る能力)や霊聴能力(一般人には聞こえない霊の声を聞く能力)を用いて、死者との交信をする霊媒のことである。エナ・トゥイッグのように際立った能力を発揮する霊媒者は、こうした能力を複数組み合わせて用いていることが多い。

霊媒者は、交霊会の参加者が見たり聞いたりすることのできない霊の姿や通信を知ることができるが、それをいったん翻訳して、自分の声によって地上の人々にその内容を伝えるのである。そのためメッセージの信憑性は、ひとえに霊媒者の翻訳能力に左右されることになる。

もう一方の物理的霊媒は、その数がきわめて限られている。物理的霊媒による死者との交信では、前述した心霊的霊媒のような、本人自身による通訳のプロセスは不要である。このタイプの霊媒は、霊の姿を見たり霊の声を聞いたりすることはない。霊媒者に要求されることは、自分自身をできるだけ受け身的状況において、素早く“トランス状態”(半眠りの状態)に入って行くことである。

しかし彼のなすべきことはそれだけではない。もっと重要なことがある。それは“エクトプラズム”と呼ばれる特殊な物質を提供することである(*このエクトプラズムは、一般の人間の身体にもある程度存在している――訳者)

直接談話の交霊会時に撮影された赤外線フィルムには、霊媒から(そしてわずかであるが出席者からも)流出したエクトプラズムのコードが写っている。そしてエクトプラズムは霊媒者の頭上、二~三フィートの所で、もやの球のようなものをつくり出す。これは“ボイスボックス”と呼ばれたり、人間の発声器官の“レプリカ”(模擬声帯)と言われている。

通信霊は自分の考えを地上の低いバイブレーションにして、このボックスに流し込む。現代科学では考えられないようなこうした不思議なプロセスによって通信霊は、かつて自分が地上で用いていた声にきわめて近い音声をつくり出すことができるのである。

以上は、ボイスボックスを実際に使用する霊によるメカニズムの説明であるが、現実にそれを用いて地上にいるわれわれと話をするということは、たいへんな困難がともなうようである。

テープレコーダーによる交霊会の記録
一九四五年、ジョージ・ウッズが物理霊媒フリントと直接談話による霊との交信を始める以前は、その種の交信方法はほとんど見られなかった。また交霊会の記録は、参加者の記憶や暗闇の中で書き取られたメモに頼っていた。だがそうした形での記録は、内容自体が疑わしいとか、作り話で信頼できないものとして取り扱われがちであった。

しかし戦争が終わって決定的な変化が訪れた。それは持ち運びのできる小型テープレコーダーが発明されたことである。ウッズは最新型のテープレコーダーを手に入れ、それを交霊会に持って行くようにした。

これによって初めて、霊の語るすべての声を、そっくりそのまま記録し、それを関心のある人たちに聞かせることができるようになったのである。交霊会に参加できない人でも、まるでその場にいるかのように、霊媒の話を鮮明に聞くことができるようになったのである。

霊媒者フリント
フリントはすでに人生の盛りにさしかかっていた。しかし外部のスピリチュアル・サークルには、彼の存在はほとんど知られていなかった。彼が『暗闇の中の声』という自叙伝を出すに至って、初めてその存在が世に知られるようになったのである。その本の中には、とても不思議でほとんど信じがたいような彼の少年時代の話が載っている。

フリントは救世軍の家庭で生まれたが、両親は不仲で彼が子供のときに別れている。そのため彼は貧困の中で育った。フリントには、幼少の頃から「死者の姿を見る」という特別な能力があったため、他の子供たちが怖がって彼に近づこうとはしなかった。

成人して職を転々と渡り歩いた後、スピリチュアリストのグループと係わりを持つようになり、ここで彼の特殊な能力が発見されるのである。そして報酬を得ながら、交霊会で「直接談話霊媒」として仕事をするようになったのである。

依頼者はますます多くなっていった。三十歳代の終わりになって彼の評判が広まるにつれ、有名人が彼の小さな家(最初それはセント・アルバンズにあったが、その後ロンドン北部郊外に移った)に足を運ぶようになった。

当時ドレイトン・トーマスと彼の牧師仲間は、一般のキリスト教会とは異なる考え方をしていた。彼らは、心霊研究をキリスト教会の中に取り入れようとしていたのである。そしてフリントによって語られるあの世からのメッセージを通して、キリストの言った永遠の生命・不死の生命に至る道が明らかにされると期待していたのである。

フリント自身の語ったところでは、ビクトリア女王が現れて、いまだ地上で生活している末娘ルイズ王女にメッセージを送ったということである。またルドルフ・バレンチノがベアトリス・リリーに語りかけたり、空軍元帥ドゥディング卿が司会を務める公の会合でレスリー・ハワードが人々に語りかけたり、マエ・ウェストがあの世にいる母親と、サボイ・ホテルの一室で話をしたということである。

新聞は交霊会に懐疑的であり、これらの出来事を公表しなかったため、一般人には知られずじまいであった。

ベッティー・グリーン女史との出会い
当時、ウッズは彼自身のサークルを始めたところであった。ウッズは他の一般の人々とは違っていた。あるとき彼は、汽車でクロイドンからロンドンへ向かっていた。その途中、無性に何かを書きたいような衝動にかられた。それはほとんど抗しがたいほどの衝動であった。

鉛筆と紙を用意すると、彼の手は目に見えない何者かの力によって支配され、猛然と文字を書き始めた。あまりにも早く手が動くので、彼はすっかり疲れ果ててしまった。それが止まってから、書いたものを見ると、そこには死後の世界についての哲学的な内容が記されていた。ウッズ自身が、実は心霊能力の持ち主だったのである。

彼はクロイドンへ戻って他の交霊会に参加した。そのとき「マイケル・フェアロン」と名乗る男性の霊の声が語りかけてきた。そして「自分は戦争前にはタウントン学校で生物学の教師をしていたが、一九四四年のノルマンディーの戦闘で戦死した。それはノルマンディー上陸後、二週間目のことであった」ということを告げたのである。

その通信の内容は簡単に確認できた。ウッズはフェアロンの母親を捜し出し、フリントの所へ連れて行った。再びフェアロンの声がした。母親はその声は間違いなく息子のものだと証言した。

フェアロンが引き下がって、別の声に代わった。今度は女性の声であった。彼女は自分は「パトリック・チャンベル」といい、エドワード時代の女優であったと言った。チャンベルはウッズに次のように語った。

「まもなく、あなたは一人の女性と出会うことになるでしょう。その女性はあなたとともに心霊研究に携わるようになり、あなたの録音テープを世に広める手助けをしてくれるでしょう」

そのときは、ウッズはチャンベル霊のメッセージを、単なる一つの通信程度にしか考えていなかった。手相見の言っていることぐらいにしか考えず、適当に記録に残しておいた。そして毎週日曜日、自宅で開いている“スピリチュアル・サークル”の活動に熱中していた。

そのサークルではフリントの交霊会で録音したテープを聞き、それについて議論をするということをしていたが、次第に人々が集まり始めていた。年月が過ぎ、彼は以前チャンベル霊が語ったメッセージのことなど、ほとんど忘れていた。

一九五三年六月のある日、一人の女性がウッズの所に電話をかけてきた。その電話は、彼が広告に載せたクロイドンのバークレイ通りの貸部屋についての問い合わせであった。しかしその部屋は、ほんの少し前に他の人に貸したところだった。ウッズは彼女の気持に配慮して、ひと通り彼女に部屋を見せ名前と住所を聞いておいた。そして、もしその部屋が空いたら彼女に連絡すると約束した。

彼女は「ベッティー・グリーン」という名前であった。彼女の父親はクロイドン銀行の事務員で、教会のオルガン演奏者であった。退職してからはポルペッロの漁村に住んでいた。彼女は一度結婚したものの離婚して、セントジョーンズ病院で秘書として働き生計を立てていた。

八月の公休日、彼女はバークレイ通りを新聞店に向かって歩いていた。ちょうどそのときウッズは庭仕事をしていたが、彼女を見かけて声をかけた。彼はグリーンに部屋のことを聞いてみた。「まだあの部屋に興味がありますか?」――二週間後、彼女はそこに引っ越してきた。

家主と間借り人はすぐに仲良しになった。彼は彼女に心霊関係の本を貸したり、フリントの交霊会のテープを聞かせたりした。彼女は、マイケル・フェアロンやローズと呼ばれるロンドンっ子や、アメリカ訛りのあるライオネル・バリモアと名乗る声のテープに驚いて聞き入った。

十月まで、ウッズはあの世の霊たちが霊媒を通して語るテープをグリーンに聞かせ続けてきたが、彼女にはもう次のステップに進む用意ができたと判断した。そしてウッズは、グリーンをロンドンの交霊会に連れて行った。

照明が消された。参加者はしばらく暗闇の中で待っていた。女性の声が沈黙を破った。

「こんばんは」その声は挨拶をした。

「こんばんは」参加者はいっせいに挨拶をした。

「皆さんお元気ですか」

ベッティー・グリーンはその声が、バークレイ通りで何度も聞いたテープと同じロンドン訛りのあることに気がついた。そして、
「ローズさんですか?」と尋ねた。

「そうです」とその声は答えた。

それはかつてのロンドンの少女ローズだった。彼女は生前、チャーリング・クロス駅の広場で花を売って何とかその日暮らしをしていた。

グリーンの矢継ぎ早の質問に促されて、ローズはあの世の生活について語り始めた。彼女は一瞬の滞りやためらいもなく、あの世の町や村の様子、またそこでの生活、衣服や仕事、さらには地上とあの世の関係などを語った。

その内容は、ウッズがかつて探し求めてきた死後の世界の実在証明以上の意味を持っていた。そして交霊会の参加者の誰もがこれまで明確に知ることのできなかった、あの世における日常生活のなまなましい「現地報告」でもあった。この出来事はウッズにとって、心霊研究のさらなる飛躍のための転機になったのである。

それ以来、ベッティー・グリーンは交霊会にとってなくてはならない存在となった。

重大な使命
それから二年後―― 一九五五年に、彼らに対する“重大な使命”があの世から示された。その日の交霊会にはローズとは別の女性が現れた。彼女は豊かで深みのある、威厳あふれる声をしていた。そして自分を「デイム・エレン・テリー」と名乗った。彼女はエドワード時代の女優で、一九二八年に他界したということである。

ウッズはあの世に関する新しい情報が語られるのを期待しながら、テープレコーダーのスイッチを入れた。しかしエレン・テリーはそういう話はせず、その代わり、彼らの今後の人生に対する目標を語り始めた。

(エレン・テリー霊)


「あなた方は、これからきわめて重要なこちらの世界との交わりをするようになるでしょう。皆さん方は、この交霊会を今後も定期的に続け、さらに力を高め、霊の世界とのつながりを強化してください。こちらの世界には、このチャンスを最大限に利用したいと願う多くの霊たちが集っています。そしてさまざまなメッセージや、二つの世界間の通信の仕組みについての情報を与えようとしております。

私たちは、心から喜んで私たちの手助けをしてくれる地上人を必要としています。誠心誠意、私たちのために自分たちの時間を提供してくれる地上人を必要としています。あなた方の録音するテープは、私たちが地上のあらゆる人々にメッセージを届けるチャンスを与えてくれます。

私たちは、こちらのさまざまな世界(界層)から、いろいろな霊をこの場に連れてきて話をさせましょう。あなた方は私たちにとって、とても大切な存在です。私たち全員が、あなた方の誠意を知っています。そしてあなた方を通じて、私たちは重大な仕事を成し遂げることができることも知っています。

ですからあなた方には、今後も定期的にこの交霊会を開いていただきたいのです。とても“重大な使命”が、この交霊会にかかっています。私たちは皆さん方に、ぜひともこの交霊会を続けていただきたいのです。絶対にやめないでいただきたいのです」

これはウッズには断ることのできない命令と同様であった。彼は六十一歳になっていた。しかし彼の“ライフワーク”は、今まさに始まろうとしていたのである。

それから五年間、一カ月に一度の割合で日曜日に、交霊会を持つようになった。その日には、ウッズとグリーンはテープレコーダーを抱え汽車に乗ってイースト・クロイドンからビクトリアに行き、それからバスでパディングトンに向かうのである。そして十一時から始まる交霊会に遅れずに参加したのである。

フリントが、日曜日には(霊媒の)仕事はしたくないと言ったとき、グリーンはそれまでの自分の仕事を替え、月曜日に休日を取るようにした。そのため二週間に一回のペースで交霊会に参加できるようになった。

交霊会の前夜は、二人は静かにテレビを見る程度で、日頃の煩わしさを心から取り除くようにした。汽車の中でも本は読まず、心の中の雑念を拭い去るように努めた。フリントの家に着くと飼い犬が喜んで出迎えてくれる。そして二人は真っすぐ交霊会の部屋に向かうのである。

そこにはフリントの座るイスがあり、その上の帽子かけにはマイクが取り付けられている。そのマイクはテーブルの上に置かれたテープレコーダーに接続されている。またウッズが特別にこしらえた三面衝立がテープレコーダーのまわりに置かれている。それはフリントを薄暗い光から守るためのものである。

フリントが席に座り、初めにその日の年月日と霊媒者の名前、参加者の名前がテープに吹き込まれ、ライトが消される。それから彼らは暗闇の中で次に起きる出来事を待つのである。声が聞こえ始めると、グリーンはテープレコーダーのスイッチを入れ録音を開始する。そして地上と霊界(あの世)のやり取りが終わるまで、録音が続けられるのである。

霊界側に「ミッキー」というフリントの守護霊が控えている。彼は地上時代にはロンドンで新聞売りをしていたが車に轢(ひ)かれて死んだのである。交霊会はこのミッキーが、「フリントとウッズから引き出すエネルギーがなくなりかけてもう通信ができない」と言うまで続けられるのである。

声が聞こえなくなって数分間、彼らは暗闇の中にじっとする。それからライトがつけられる。交霊会の後はフリントは疲れ果てたようになっている。ウッズもエネルギーを使い果たしたようになっている。グリーンだけが、霊的体質者でないため交霊会の影響を受けないようである。ウッズとグリーンはテープを取り出し、テープレコーダーをしまい、フリントに謝礼を渡して家を出るのである。

こうしてまた新しい貴重なテープが一つ、ウッズの書斎に加わることになるのである。

五百本もの録音テープ
その後、フリントの病気のために時々しか交霊会は持てなくなったが、十五年間にわたってためられた録音テープは五百にも達していた。そのテープには、この世からあの世へ赴くときの体験や、人々が天国と呼ぶ死後の世界でどのような生活が営まれているかが、実に生き生きと、そして首尾一貫して矛盾なく述べられているのである。テープの声は、主に今世紀(二十世紀)ないし前世紀(十九世紀)に地上生活を送っていた者たちからのものである。

その中には「アルフ・プリチェット」のような、ごくごく平凡な人間もいる。彼らは死の直後には、いまだ地上で生きているものと思い続け、目の前に展開するあの世の生活に満足していることが多いのである。

「死の直後、彼らにはどんなことが起こったのか?」

「彼らはそこで誰と出会ったのか?」

「それからどこへ連れて行かれたのか?」

「彼らの新しい世界での住まいや庭は? 町や田舎は? 天気は?」

「彼らは食事をするのか? 何か飲むのか?」

「寝るのか? どんな洋服を着るのか?」

「どんな仕事をするのか?」

「動物やペットはどうなるのか?」

「あの世の人々が地上に戻って、私たち地上人に話しかけることが、どうしてそんなに難しいのか?」

こうした質問に、あの世からのメッセージは明快に答えてくれるのである。

一方、プリチェットとは違って、地上時代に名声と成功を手にしていた人々からのメッセージもある。死後の世界に赴いたとき、初めは彼らも驚き戸惑った。地上での先入観や常識など全く通用しない新しい世界で彼らは、どのようにして自分の考え方を変えていったのであろうか?

「ライオネル・バリモア」や「エレン・テリー」のような俳優、「オスカー・ワイルド」や「ルパート・ブルーク」のような作家は、あの世に行ってからどのようにして創造力を伸ばしたのであろうか? また「シェークスピア」や「バーナード・ショウ」のような人々は、今、何をしているのであろうか? あの世からのメッセージは、こうした問題についても回答を与えてくれている。

また、かつてのカンタベリーの大主教であった「コスモ・ゴードン・ラング」のような神学者で精神的指導者、そしてインドの聖人と言われた「マハトマ・ガンジー」のような人物も交霊会に現れた。彼らは、これまでの宗教における間違ったドグマから真理を取り戻すために帰ってきたのである。永遠不変の宇宙の自然法則を示すことによって、地上人類から肉体の死の恐怖を取り除こうとしたのである。そして私たち人類が長年求め続けてきた疑問のいくつかに、明確な回答を与えてくれたのである。

4. 死の自覚
・・・もしかしたら自分は死んだのだろうか?

“死ぬ”ということは、いったいどのようなことだろうか? 地上にいる人間にとって、死は最も厭(いと)うべきもの、招かれざるものである。死は恐怖であり苦しみである。大部分の人間にとって死は、あまり深く考えたくないものである。

しかし“死”は、果たしてそんなに忌(い)むべきものなのだろうか?

あの世からのメッセージは、われわれ地上人の考え方とは大きく異なっている。彼らは、死は恐れるようなものではなく、単なる一つの存在状態(場所)から他の状態(場所)への自然の移行にすぎないと言うのである。

ウッズとグリーンにメッセージを送ってきたあの世の住人の中で、死が恐怖の瞬間であったと証言する者は誰ひとりとしていない。ただし大部分の者たちは、自分がもう地上には生きていないということが分かるまでに、しばらく時間がかかっている。死の直後、彼らは環境の変化にほとんど気づかない。少しの間、夢を見ているのと同じ状態が続くのである。そしてほとんどの者は頭が混乱する。なぜ地上に残してきた人々(家族や知人)が悲しみ慌てふためくだけで、自分が別の世界で依然として幸せに生きていることに気づいてくれないのかと悩むのである。

あの世にいる霊が、自分の考えをエクトプラズムでできた“ボイスボックス”を通して地上の言葉で語るコツを覚えると、熱心にメッセージを送ろうとするようになる。それは長旅から帰ったばかりの旅行者が、旅の印象を知人に熱心に語りたくなるのと同じである。

ベッティー・グリーンは、交霊会で初めての質問役(審神者[さにわ])を務めることになった。彼女は前もって用意した質問内容を霊に投げかけることによって、われわれ地上の人間の誰もが関心を持っている問題の答えを引き出そうとした。

「あなたが死んだことに気がついたときの様子について話してください」――これは一九五九年四月十一日、「ジョージ・ホプキンス」と名乗るかつてのスセックス地方の農夫の霊に、彼女がした質問である。

最初、ホプキンスは彼女の質問に答えず、宗教に対する彼の考えをとうとうと語り続けた。グリーンは彼がしゃべるにまかせ、話がやむのを待った。そしてやおら、
「ホプキンスさん」と切り出した。

「何でしょう?」

「あなたがどのようにして、そちらの世界に行ったかを教えていただけませんか?」今度はピッタリと息が合った。

ホプキンスの死後の混乱
(ホプキンス霊)
お話しします。おそらく私は脳溢血か心臓マヒで死んだのだと思います。とにかく私は死にました。最初、辺りがとても明るいことに気がつきました。少し変な感じがしました。私はどこかを歩いていましたが、そのうちに少し眠くなりました。私は眠ったに違いありません。そして目が覚めました。すでに太陽は沈んでいて、そこには私しかいませんでした。そのとき私は、そう思ったのです。

私には何がなんだか分かりませんでした。頭がとても混乱しました。私は自分の体をゆすって目を覚まそうとしました。「これは不思議なことだ、自分は夢を見ているに違いない」と思いました。私は自分が死んだなどとは思いもよりませんでした。

次に私は医者の家に向かって歩いていました。おそらく彼なら私を助けてくれるだろうと考えたのです。そして医者の家に着きました。ドアを叩きましたが、返事がありませんでした。そのとき私は、数人の人々を見かけました。彼らはみんな、私のそばを通り過ぎて行きました。しかし誰も私に気がつかなかったようです。「これは困ったことになった」と思いました。私はしばらくそこにいて人々に働きかけました。

そのうち、慌てふためいて医者の所に駆け込んでくる人が見えました。彼は医者の家に飛び込み、私やそこにいた人たちを押し分けて医者の所に行きました。そして次の瞬間、彼が「ホプキンスが死んだ!」と言っている声が聞こえました。

私は、いったいどうなっているのか分からなくなりました。「私が死んだはずがない。現に私はここにいるのに、どうして私が死んだなんて言うのだろう」それから「これは面白いことだ」と思い始めました。そのうち自分自身の横たわっている姿が見えました。

私たちはそれまで“人間は死ぬと天国か地獄に行く”と言い聞かされてきました。しかし私はそのとき、「ここは天国でもないし地獄でもない」と思いました。それから徐々に、「もしかしたら、私は死んだのだろうか?」と考えるようになりました。

私は次に、彼らが私の遺体を担いで家から運び出すのを見ました。彼らが私の遺体を礼拝堂に置いたので、今度は「私は本当に死んだに違いない」と思いました。そして「今、一番いいのは牧師に会いに行くことだ。彼ならきっと何か知っているはずだ」と思いました。それで私は牧師の家に行って彼を待ちました。

牧師が部屋に入ってイスに座るのが見えました。そのとき私は、まわりのすべてのものに堅さがないように感じました。もし、そのとき私がイスに座っても、重さ(重量感)を感じることはできなかったでしょう。年老いた別の牧師が入ってきて私の所をそのまま通り過ぎ、自分の机に向かって歩いて行きました。そして手紙を書き始めました。私は彼に語りかけました。しかし彼は何も気がつきませんでした。

「彼も他の人たちと同じだ。彼なら何か知っているに違いないと思ってきたのに……」それで私は彼の肩を叩いてみました。彼は何かがそこにいると感じたかのように、一度振り返りました。さらに続けて肩を叩きましたが、彼はもう何も気がつきませんでした。

それから彼が寒さに震えているのが見えました。しかしその朝はとても暖かで、彼がどうして寒さを感じているのか分かりませんでした(*ホプキンスには肉体がないため、寒さや暑さを感じないのである。そのことに本人は気がついていない――訳者)

とにかく彼は、私がそばにいることに全く気がつきませんでした。それでそこを出てどこかへ行こうと思いました。

ブルークの死後の混乱と死の自覚
ジョージ・ホプキンスは純朴な心の持ち主であった。しかし彼のような教養・知性のない人間が、何の手助けもなく、死後、自分自身に起こったことを理解するのは難しいことである。では知性に恵まれた人間なら、「死後の自覚」はずっと早いと言えるのだろうか?

一九五七年、ウッズとグリーンは月曜日定例の交霊会に参加して、あの世からの声を待っていた。沈黙は上流階級と思われる人の声で破られた。

「おはようございます。皆様方に私の声が届いているでしょうか?」

「はい、あなたの声はよく聞こえていますよ」とウッズが答えた。

「私はブルーク、ルパート・ブルークと言います」

「まあ、すてき!」とグリーン女史が声をあげた。

ウッズはその名前を聞いて戦争の時を思い起こした。一九一五年の初め頃、エドワード地方の若き叙情詩人のソネットが、イギリス中の人々の心を虜(とりこ)にしていた。

“もし私が死んだら、ただこのことだけを思い出しておくれ
異郷の荒野の片隅に横たわる私を
永遠のイギリス……”

数カ月後、ブルークはエーゲ海の島で死んだ。そして彼の声はこの世から消え去り、二度と聞くことはできなくなった。だが今、その彼の声が、明かりを消したロンドンの一室で人々に語り始めたのである。

「私は、もし地上の人たちとコンタクトすることができるなら、それは素晴らしいことだと思ってきました。実際、私に何ができるのかは分かりません。またどのような方法でお役に立つことができるのかも分かりません」

グリーン女史が答えた。「私たちは、あなたがそちらの世界にどのようにして行ったのか知りたいのです。そしてどのようにしてご自身を発見したのかを教えていただきたいのです」

それからブルークは語り始めた。ボイスボックスを用いての話はたいへんそうであった。他界後の新しい生活のこと、英語で詩を書こうとするときの困ったことなどについて取りとめもなく話し続けた。

「すみません。まわりがとてもうるさいのです」と言って話を中断した。

「かまいません」とグリーンは上手に話を促した。

「どのようにして、そちらの世界に行ったのか教えていただけませんか?」

(ブルーク霊)
私は、第一次世界大戦の最中に死んでこちらにきました。それは突然の出来事でした。しばらく私は、以前と同じ肉体を持って生きていると思っていました。こちらの世界で身にまとう身体は、外形が地上時代の肉体と全く同じなのです。私はそのことに全然、気がつきませんでした。最初、私は自分が死んだのだということさえ理解できなかったのです。

こちらの世界のすべてのものは、ある意味では地上世界とそっくり同じなのです。しかし、ここでの身体は地上のものとは全く違います。重さというものがまるでないのです。ですから自分でも驚くほど軽いのです。私は自分自身をつねってみましたが、何も痛みを感じないのでびっくりしました。私はひどく不安になりました。それから地上の人間には私が見えないのだということが分かって、二、三回ショックを受けました。そして私は考えました。

「身体をつねっても何も感じないのは、どうしてなのだろうか? 地上にいたときはお互いの身体は見えていたのに、今は見えなくなってしまっている。なぜだろうか? それは今、自分が地上の人たちとは異なるバイブレーションの状態にいるからに違いない。バイブレーションが違うために私が見えないのだ」と考えました。私の方からは、地上の人々を見ることができました。しかし彼らは、私を見ることはできません。それは本当に不思議なことでした。

そういえば、川べりに座って自分の身体をまじまじと眺めたことを思い出します。何しろ私の身体の影が見あたらないのです。私はそのときの状況が全く理解できませんでした。それから知人の所へ行って、彼らに、自分はまだ元気で生きていることを知らせようとしました。しかし彼らは、私がそこにいることに気がつきませんでした。

私は、彼らが私を見ることができない理由がやっと分かりました。「もし身体に影がないとすれば、地上の人たちには私の姿は見えないに違いない」ということに気がつきました。私の身体が地上人と同じバイブレーションではなく、また同じ物質ではないということが分かったのです。身体の外見は地上にいたときと同じですが、地上側の観点からすれば、私が実在しているとは到底言えないのです。私は“スピリチュアル・ボディー”(霊体)と呼ばれる身体に宿った存在なのです。

テッドの死後の混乱とガイドとの出会い
ブルークの死後の世界の観察は、ホプキンスのものと比べるとはるかに知性的であるが、彼が死の直後に体験した当惑は、ホプキンスと同様であった。彼らはともに自然な死に方をしている。ホプキンスは心臓病、ブルークは敗血病で死んでいる。では事故死であの世に行った者の死後の状況はどうであろうか。自然死の場合とは違っているのだろうか?

イギリスでは毎年、七千人もの人が交通事故で死んでいるが、今から紹介するのはその中の一人の人間の死の直後の様子である。彼の名前は「テッド・バットラー」といい、一九六四年二月十日の交霊会に現れた。

彼はリーズで妻と買い物をしていた。その時……

(テッド・バットラー霊)
私は道路を横切ろうとしていました。すると急に何かが私に当たりました。それはブレーキが効かなくて坂道を転がり落ちてきた車だと思います。私は壁に叩きつけられ気を失いました。苦しかったという記憶はありません。何かが私の方にやってきたのを覚えています。それが、すべてです。その出来事は本当に突然に起こったのです。

グリーン女史は確認した。

「あなたは、どのようにしてご自分の状態に気がついたのですか?」

「分かりません。私が覚えているのは、大勢の人々が立って何かを見下ろしていたことだけです」

私もその人たちと同じように覗き込みました。するとそこには、私と瓜ふたつの男性が倒れていました。最初、私はそれが自分だとは分かりませんでした。「これは全くの偶然の一致だ。彼は私にそっくりだ、まるで双子のようだ」と思いました。

そのとき私の妻が、涙を流して泣いているのが見えました。彼女は私がすぐそばに立っていることに気がつかないようでした。それから死体は救急車に乗せられました。そして妻と数人の看護婦もその車に乗り込みました。私も一緒に乗り込み、妻の横に座りました。しかしそれでも彼女は、私がいることに気がつきませんでした。私は徐々に、「目の前に横たわっているのは自分の死体なのだ」ということが分かり始めました。

私たちは病院に着きました。私の遺体は死体安置所に置かれました。私はそこが好きになれず、すぐ家に戻りました。妻はすでに家に帰っていて、隣のミッチェン婦人が彼女を一生懸命に慰めていました。それから葬式が行われました。もちろん私もその場にいました。私は、「葬式の騒ぎといい葬式の出費といい全く馬鹿げたことだ。私はちゃんとここにいるのに」と思いました。誰も私に気がつきませんでした。年老いた牧師が立って聖書を読み上げていました。

私は、もし誰か今の私の状態を知ることができるとするなら彼以外にはないだろうと思ったので、彼のそばに立っていました。そして肘で彼の横腹をそっと押し続けましたが、彼は全く気がつきませんでした。彼は葬式をそのまま続けました。

私は数週間、家のまわりをうろついていたに違いありません。一、二度、古い電車に乗って人ごみに紛れ込んでいました。もし鉄道会社の人が、私がただ乗りをしていることを知ったら何と言うだろうか、などと考えるとつい笑ってしまいました。

私は、電車に乗っている人はみんな、自分と同じようにお金を払っていないことに気がつきました(*死の直後の世界――「幽界」では、自分の思うことがそっくりそのまま実現するようになる。この電車も乗客も、実はテッド自身の想念が創り出したものなのである。この時点では、テッドはまだそのことに気づいていない――訳者)

そして隣の席に座っていた婦人と話を始めました。それはこちらの世界にきて初めての会話でした。彼女はとても素晴らしく見えました。

彼女が言いました。

「あなたはここで何をしているのですか?」

私は話し相手がいて、とても嬉しくなりました。

「ここで何をしているのかとは、どういう意味ですか? 他のどこよりもここにいる方がいいです」と私は答えました。

すると彼女は、

「あなたは電車やバスに乗るようなことばかりしていないで、他のことをすべきです。奥様のことを気にかけて差し上げるべきです。そんなことばかりしていては、他のことは何もできなくなります」

「あなたの言うことはもっともですが、じゃあどこへ行ったらいいのですか?」

もちろん私は、彼女が地上を去ってこちらの世界にきている人間であることは分かりました。そして彼女も私と同じように、ここでどんないたずらをしているのか、などと考えました。

彼女は言いました。

「私はこれまで、あなたと一緒に電車やバスに乗ってきました。しかしあなたは、今まで私に気がつきませんでした。私はあなたに手を差し伸べるチャンスをずっと待っていたのです」(*無意識のうちに「霊的自覚」が進んで、まわりの環境が現実のものでないことに気がつき始めるようになる。電車と乗客は本人の思いで創り上げたものであるのに対し、この婦人は初めから実在していた。テッドはやっとそのことに気づき始めたのである――訳者)

「テッド・バットラー」は、死後の第一段階にやっとたどり着いた。彼はこうして、この世からあの世へと導いてくれるガイド(指導霊)に出会ったのである。

5. ガイド(指導霊)との出会い
テッド・バットラーと女性ガイド
「テッド・バットラー」は、死後もまるで地上世界の旅行者のように電車に乗って時を過ごしていた(*もちろん彼の姿も乗り物も、地上の人間の目には見えない――訳者)。その電車の中で彼が最初に語りかけた隣の女性が、実は彼に手を差し伸べる役目のガイド(指導霊)だったのである。

「あなたは私に何をしてくださるのですか?」彼はその女性に尋ねた。

「あなたは、この状態から抜け出る時がきたと思いませんか。あなたをここに押しとどめているのは、実はあなた自身の考えなのです。地上の辺りをうろつくことはもうやめませんか。地上の誰もあなたには気がつきません」

「本当にまわりの人たちは誰ひとり自分に気がついてくれません。しかし、とにかく私は何をしたらいいのか分からないのです」と言いました。

「そうではありません。あなたをここにとどめているのは、あなたの心の状態なのです。もしあなたがこれまでの自分の考え方を捨て、より高い次元のことを考えるようになれば、ここから完全に抜けられるのです。もちろん今の考えをなかなか変えられないのは、あなたがこれまでたどってきた道程のせいでもあるでしょうし、あまりに突然の死に方のせいでもあるでしょう。あなたの奥様やお母様があなたの死を嘆いていらっしゃるせいであることも存じております。しかしあなたは、ここから完全に抜け出すべきなのです。さあ、私と一緒に行きましょう」

「どこへ行くのですか?」

「私があなたをお連れします。心配しないでください」

「じゃあ、次の停留所で降りましょう」と私は言いました。

「ここでは電車を待ったり駅で電車から降りたりする必要はありません。自分が降りたいと思えばいつでも降りられるのです。あなたは、ただ心で思いさえすればいいのです」

「私には、あなたの言っていることがどういうことか分かりません」

「じきに分かるようになるでしょう。とにかくここでは、バスに乗ったり座ったり、停留所で降りたり、約束場所で車に乗るというようなことは全く不要なのです。地上の人間がするようなことは、ここでは必要がないのです。あなたはこれまでの地上の習慣から、そのように行動しているにすぎません。あなたは今、地上の習慣は大切ではないということを知ってそれを捨て去るべきです。こちらでは、ただ考え方を変えるだけで、その状態から抜け出せるのです」

「どうしても私には分かりません」

「では私の手を握って目を閉じ、何も考えないようにしてください。ただ心を空っぽの状態にしてください」

テッド・バットラーは彼女に言われた通りにした。すると二人は、アッと言う間に新しい家に着いてしまった。

この女性は、あの世における案内人(ガイド)であった。地上の人間が死ぬと、どんな人にでも自動的にそうしたガイドが付き添うようになる。これまでのすべての交霊会の記録によれば、自力でこのステップ(死の第一関門)を通過した人はいないようである。死の直後、ほとんどの人は地上への未練や地上とのつながりを残しているが、やがて先に他界している親戚やこの女性のようなガイドに出会って、初めて地上との結び付きを断ち切ることができるようになる。

ホプキンスと妻との出会い
前述した「ジョージ・ホプキンス」は、牧師の家から出てまわりをうろついていた。それは牧師が彼のことに気がつかなかったためである。数日間、地上をうろつき、自分の葬式にも出たのである。以下は、その後のホプキンスの話である。

(ホプキンス霊)
彼らは私の遺体を古い教会墓地へ運んで、そこへ置きました。そのとき突然、すでに死んでいる妻のポルのことが頭に浮かびました。私は、「もし私が死んでいるのなら妻と一緒にいられるはずだ。彼女はどこにいるのだろうか?」と思いました。次に私は、彼らが私の遺体を墓穴に入れるのを立って眺めていました。儀式が終わってから、私は彼らの後に付いて行きました。

すると何と! 前方から妻が私の方に近づいてきたのです。しかも驚いたことに妻は、私が彼女に初めて出会った頃の若い姿でした。彼女は美しく見えました。本当に美しかったです。そして彼女のそばには、十七、八歳で死んだ私の弟も一緒にいました。彼は金髪の美少年でした。

二人は笑いながら私の方に近づいてきました。妻と弟は私を適当になごませてくれ、ここへくるのが遅れて申し訳なかったと言いました。そして、「私たちはあなたの健康があまりすぐれないことを知っていました。しかしまさか、こんなに急にこちらの世界にいらっしゃるとは思っていませんでした。あなたが亡くなったという連絡を受けましたのに、早くくることができなくてすみませんでした」と言いました。

私はそれを聞いて少し奇妙に感じました。

「二人は地獄をどのように考えているのだろうか?」とふと思いました。私はそのとき、すでに自分が死後の世界にいることは分かっていました。とは言うものの、私は以前と同じように動き回っていました。すべてのものがずっと軽くなったことを別にすれば、昔と何ら変わりありません。自分の身体に重さがあるようには思えないし、以前のような痛みも苦しみも感じられませんでした。

二人は私にいろいろなことを説明しようとしましたが、あまり多く語ろうとはしませんでした。ただ、私が早くこちらの世界に慣れて落ち着いて生活できるように、とだけ言いました。私は尋ねました。

「今、私に落ち着いて生活するようにと言いましたが、どこに住むのですか? ここの誰も私たちが望むようなものは欲しがらないように思いますが。誰も地上のことに関心を示さないと思いますが」

「その通りです。しかし今はそのことについて、あまり心配しないでください」

夢で見たあの世の世界
私は牧師のことを二人に話しました。

「あなたはもう彼に会いたくないでしょう。もうこれ以上、地上人に会いに行く必要はありません。その牧師も他の人々と同様、何も真実を知らないのです」

「ところで、これから私たちはどこへ行くのですか?」

「あなたを私たちの家へ連れて行きます」

「それはどこにあるのですか?」

「どこにあるか今、正確に説明することはできません。しかし私たちはちゃんとそこへ、あなたを連れて行きます。あなたはきっとその家が気に入るでしょう。そしてその家を見れば、あなたは以前にもそこへ行ったことがあることを思い出すでしょう」

「どうして私がそこを思い出すことができるのですか。私はまだ一度もその家に行ったことがないのに」

「いいえ、実はあなたは行ったことがあるのです。睡眠中に何度も訪れているのです。本当は、あなたはその家をとてもよく知っているのです」

それを聞いて私は考え始めました。

「思い出せません。ただ私は変な夢を見たことがあります。一、二度、素晴らしい庭のあるとても美しい場所に行った夢を見たことがあります。そういえば、昔飼っていたローバー(犬)もそこにいました」

「いいえ、それは夢ではないのです。それは現実のことなのです。あなたが寝ていたとき、あなたは私たちと一緒にいたのです。あなたの肉体が寝ているとき、あなたの魂は肉体の束縛から離れ、自由に旅行したり私たちと一緒にいることができるのです」

「それは素晴らしいですね」

「これまでのあなたとの違いに気がつきませんか?」

「ええ、たしかに違っていると思います。昔のようには感じません。地上でよく体験したような痛みや苦しみはありません」

「あなたはもう、ご自分の姿を見ましたか?」

「いいえ、そんなことは考えもしませんでした」

「こちらにおいでください。あなたの姿をお見せいたしましょう」

私は自分自身の姿を見ることができるとは面白いと思いました。それで、
「私は地上では、鏡でよく自分を見ていましたよ」と言いました。

「いいえ、鏡で見るのではありません」

それから二人は、私をとても美しい景色や家々の見える場所に連れて行きました。そこは、かつて私が夢で見たのと全く同じ場所でした。そしてそこに、何年か前の夢の中の私がいたのです(*霊界ではこのように過去の出来事をスクリーンに映し出し、本人や第三者がそれを見ることができる――訳者)

私は昔、朝早く目覚めたとき夢の中の出来事を覚えていたことがあります。そのとき、これは不思議なことだと思いました。今、目の前にあるものはそのときの光景と全く同じでした。

ヒギンスとガイド
「バットラー」と「ホプキンス」は死後、直ちにガイドと出会ったわけではなかった。そのことは彼らにとって少々不運だったかもしれない。

一方「アルフレッド・ヒギンス」は、死後、直ちにガイドとの出会いを得ている。彼は生前、ブライトンの画家で装飾家でもあった。一九六三年十月十四日、彼は交霊会に現れた。グリーン女史はいつもと同じ質問をした。

「ヒギンスさん、どのようにしてそちらの世界に行ったのですか? またそのときどのように感じましたか?」

「私はハシゴから落ちました」と彼は早口で答えた。

「そのとき私は意識を失いましたが、まだ死んではいませんでした。私は病院で死んだのです。それは今から数年前のことです。私は絵かきで装飾家でした。あなた方はブライトンからきたのですね」

「そうです」とグリーンは答えた。

「私もしばらくブライトンにいたことがあります」

「ブライトンのどの辺りですか?」

「それは今からだいぶ前のことですが、オールドステインの裏手にいました」

「オールドステインの裏ですか?」

「そうです」

「ヒギンスさん、そちらの世界へ行ったときの様子を教えていただけませんか?」

「何ですか?」

「そちらの世界へ行ったとき、どのようにしてご自身を自覚されましたか?」

ヒギンスは語り始めた。
(ヒギンス霊)
最初、私は川を見渡す土手の上に横たわっていました。私はどこにいるのか全く分かりませんでした。どのようにしてそこにきたのかも知りませんでした。そのとき誰かが私の方に近づいてくるのが見えました。その人はまるで僧侶のような服装をしていました。もちろんそのときは、彼が誰であるのか知るはずもありません。彼は長い法衣のような服を着て、たいへん慈悲深い紳士のように見えました。そしてとても若く見えました。

私は、彼はきっと僧侶だと考えました。本当のことを言えば、そのとき、彼はイエス・キリストではないかと思ったほどでした。絵で見たことのあるイエスのようでした。後になって彼がイエスでないことが分かりましたが……

彼は私の近くにきて立ち止まり、話しかけてきました。

「こちらの世界へようこそ」

「ようこそ? 私はあなたがどうしてそんな言い方をするのか分かりませんが」

「ではあなたは、ここがどこかまだご存じではありませんね」

「ええ、私は今この場所がどこか分かりません。とても楽しい所だと思いますが」

「あなたは死んだのですよ」

「何ですって!」

「そうです。あなたは死んだのです」

「私は死んでいません。どうして私が死んでいるんですか。私にはちゃんとあなたが見えています。ごらんなさい。私は死んでいません。私にはこのようにちゃんと身体もあります」

「多くの地上人は死んだら何もなくなってしまうとか、天国か地獄のような所へ行くと考えているようです。でも、こちらには天国のような場所も地獄のような場所もありません。こちらの世界は、あなたが見て分かるように、地上と全く同じ“実在性・実感”のある世界なのです。最初はしばらく新しい世界に当惑するでしょう。しかしあなたは不幸ではありません。私が見るかぎり、あなたはとてもリラックスしているようです。本当に静かに落ち着いて見えます」(*ヒギンスは、先の話の「バットラー」や「ホプキンス」とは違って、死後、直ちにガイドとの出会いを得ているが、それはヒギンスが死の直後における精神的動揺が少なかったためである。心の乱れがひどいときには、すぐ近くにいるガイドになかなか気づくことができない――訳者)

「私は家族や知人のことが気になります。彼らにとっても私の死は大きなショックだったと思います。私には死んだときの記憶がありません。ハシゴから落ちたことも正確には覚えていません。“落ちる!”と思ったことだけは覚えていますが。その後は全く記憶がありません」

「あなたは病院で亡くなったのです」

「そうですか」

「ほんの短い時間だけなら、ご家族や知人に会うために地上に戻ることができますが?」

「それは面白そうです。ぜひ、みんなに会いたいです」

「ただし前もって申し上げておきますが、地上の誰も、あなたには気がつきませんよ」

「どうしてですか?」

「彼らはあなたが近くにいることが分かりません。彼らはあなたを見ることもできないし、もしあなたが話しかけても、あなたの声を聞くこともできないでしょう」

「それでは地上へ行く意味がないのですね」

「それはあなた次第です」

「私は行きます。できたら妻のアダがどのように生活しているのか見たいのです」

「分かりました。では行きましょう」

死の直後で、まだ地上世界に意識が縛られている間は、時として地上に残してきた最愛の人々の所に、何がなんでも行ってみたいと思うようである。彼らはその度ごとに、地上に行くことは彼ら自身にとってもまた地上の家族にとっても、何の慰めにもならないことを教えられるのである。

が、結果的には大部分の者は、自分の思うところに従って地上に行くようになるのである。アルフレッド・ヒギンスも、その一人であった。

6. 地上の家族・知人への訪問
地上の妻を訪問
「アルフレッド・ヒギンス」は地上にいる家族を訪問しようと決心した。そしてガイドに言った。

「それでは、どのようにしてそこへ行ったらいいでしょうか?」

「ただ私についてきなさい。この道を歩いて行きましょう」

(ヒギンス霊)
私たちは丘の中腹を上って行きました。歩きながら彼が言いました。「私の手を握りなさい」――私は少し変な気がしました。他人の手を握るなんて少々馬鹿げていると思いました。しかし彼はもう一度、手を握るように言いました。私は変に思いましたが言われた通りに彼の手を握りました。

するとその瞬間、まわりのすべてに変化が生じ、辺りのものが徐々に消え始めました。それは眠りの中に入って行くような感じでした。とは言っても眠ってしまうのとは違う感じでした。私は自分の思考力や理解力が失われたようになり、無意識の状態になりました。

次に気がついたとき、私は自分の家の台所に立って妻を見ていました。彼女はトマトの皮をむきながら洗い場にいました。「彼女は私がここにいることを知っているのだろうか?」と思い、彼女の名前を呼んでみました。彼女は何も答えませんでした。私の声は聞こえなかったようです。私の友人(ガイド)は言いました。

「彼女にはあなたの声は聞こえませんよ」

「何をしたらいいのですか?」

「今、あなたができることは何もありません。しかしそのうち彼女は、あなたがここにいることに気がつくかもしれません。しばらく待ってみましょう」

それから彼は言いました。「彼女に意識を集中して、強く念じてください。できるだけ強く。そして彼女の名前を呼んで!」私は言われた通りにしました。すると突然、彼女は立ち上がり、ナイフとむきかけのトマトを床に落としました。そして辺りを見回しました。明らかに彼女は当惑しているようでした。私は彼女を驚かせて少々申し訳ないような気がしました。彼女は台所から飛び出し、ドアを開けて外を眺めました。それからしゃがみ込んで、テーブルに顔を伏せ泣き始めました。私はそれを見て恐ろしくなってしまいました。

「心配しなくてもいいです」彼は言いました。

「彼女には霊感があるのです。彼女は心の中で、あなたが近くにいることを感じているのです。しかし、それがはっきりとは分からないのです」

「でも、もしこんなふうに彼女を惨めにさせるのなら、いつまでも私はここにいない方がいいです」

「そう悩まないでください。こうしたことはよくあることなのです。地上の人間は分かっていないのです。彼らは死後の世界について聞いたことがないのです。死者と交信できるなどということは教えられたことがないのです。しかし彼女には霊感があります。そして感じるのです。意識の深いところで、内面の深いところで知っているのです」

「私が彼女にしてあげられることはないのですか?」

「何もありません。今はまだその時期ではありません。待たなければなりません。おそらく後になれば何かしてあげられるようになるでしょう」

「今できることはないのですか?」

「ありません。今は元の世界へ戻るのが一番いいのです」

ガイドのユーモア
「分かりました。ただ帰る前に、できることなら一、二カ所、別の所へ行きたいのですが」

「どこへ行きたいのですか?」

「何人かの友人に会いたいのです」

「分かりました。いいでしょう」

「ところで、あなたをパブへ連れて行ってもかまいませんか?」私がそう言ったとき、彼は笑いました。

「本当にかまわないんですか?」私は聞き返しました。

「あなたはまるで天使をパブに連れて行ってもいいですか、と聞いているようでおかしいですよ。私たちはよくパブのような所へも行きます。それに私は天使じゃありませんから」

「あなたはとても立派な方に違いないとは思っていましたが、あなたに翼がないことに気がついていました」――彼はまた笑いました。

「もちろん私は天使ではありません。が、天使にだって翼などありません。それは地上の宗教者がつくり出した考えです。彼らは、善い人間なら死んだとき天国に行けると考えていました。そして空を飛ぶ唯一の方法は鳥のような翼を持つことだと考えたのです」

彼は素晴らしいユーモアのセンスの持ち主でした。それで私は彼といると、とても落ち着きました。私は言いました。

「私がいつも通っていたパブに行きたいんですが」

「分かりました」

私は少し馬鹿げたことを言ったと思いました。なぜなら私が行きたいと言ったパブを彼が知っているはずがないからです。そして私はといえば肉体のない存在で、どのようにしてそこへ行ったらいいのか分からなかったからです。しかし彼は言いました。

「私にはあなたの考えていることが、すべて分かります。あなたは目を閉じてただ行きたい場所のことを考えればいいのです。そうするだけで私たちはそこにいるのです」

「それは素晴らしいことだ」と思いました。彼は私の方に手を差し出しました。前のように彼の手を握るのだと分かったので、そうしました。するとその瞬間、私たちはそのパブに立っていました。

地上の友人を訪問
そこにはかつての三人の飲み友だちがいました。私はその中の一人のそばに立ちました。私はさっき、妻に意識を集中して強く念じたことを思い出しました。彼はビールの入ったコップを口に持っていくところでした。私は彼の名前を念じました。すると突然、彼はコップをカウンターに落としました。明らかに彼は動揺していました。彼はまわりを見回しました。そして他の二人に言いました。

「おかしなことなんだが、自分は何か声を聞いたような気がするんだが。いや確かに声がした」

「何を聞いたんだ。声が聞こえるはずがないじゃないか。われわれには何も聞こえなかったが」

彼は、自分はどうかしていたんだと考えたようです。

「いや、何でもなかった」――他の二人は笑って、
「いったい、どうしたんだ。神経が過敏になっているんじゃないのか」と言いました。

しかし彼は確かに私の声を聞いたのです。それは私の思念によって引き起こされたのです。私が最初に知ったことは、こちらの世界では話をする必要がないということです。強く意識を集中するだけでいいのです。誰かと接触したいとか、何かをしたいと思ったときは、いつでも思念を使うのです。そうすれば、それが実現するのです。地上時代のように、わざわざ言葉を用いて話をする必要がないのです。以上が、私が最初にこちらの世界で学んだことです。

ハリーとガイド
一九五七年、「ハリー」と名乗るかつてのロンドンっ子が交霊会に出現した。彼は生前、パブへ行くことが唯一の楽しみであった。

「私は酒を飲むのが好きでした。楽しみといえば馴染みのパブに行って看板になるまでワイワイガヤガヤと過ごすことでした。そして私は死んでからも依然として“パブに行って酒を飲みたい”と思い続けていました」

声の様子からすると、彼は生前の自分の人生をかなり悔いているようであった。しかし死の直後には悩みを感じることはなかったようである。

(ハリー霊)
私は死んだとき、初めは酒を飲むこともしゃべることもできませんでした。しかしどういうわけか、いつの間にかパブの辺りをうろついて、昔からの友人を見たり、彼らの会話を聞いたり、酒を飲んでいる他の仲間たちを眺めて、ある種の満足感を覚えるようになりました。やがて私はそうしたことがつまらなくなり、これまでの地上人生でできなかったことを取り戻そう、やり直そうと決心しました。いろいろな所も見ておきたいと思い、旅行に出かけました。

私は気ままな旅行に出たものの、そのうちしゃべる相手もいない旅に飽き飽きしてしまいました。そして教会の日曜学校のことを思い出しました。「私たちは教会で、天国のことなど多くのことを教えられてきました。しかし私は決して幸福でもないし……」

私は心の深いところから「もっと何かが欲しい!」という強い思いが湧いてきました。そのとき誰かが、私の後からついてくる気配を感じました。「いったい誰なのだろう?」私は辺りを見回しましたが誰もいません。

突然、次のような考えが心に浮かびました。「もし自分が、こんな退屈な状態から抜け出て静かな所に落ち着きたいと思うなら、たぶん誰かが助けにきてくれるのではないだろうか」――それで私は子供のときに行ったことのあるスフォルクを訪ねてみました。

【ハリー霊の声中断】
「それで」とウッズは話を促した。
「どうぞ続けてください」とグリーン女史が言った。
「あなたの話はとても興味深いです」

ハリーは続けて話し始めた。
スフォルクの小川の近くに木がありました。少年の頃、よくそこに座って白昼夢に浸ったものです。その木の下にしばらく座っていると、目の前に若い人が立っているのが分かりました。彼は二十歳そこそこに見えました。ウェーブのかかった金髪で、素晴らしい顔立ちをしてスーツを着ていました。その青年は私の前に立って私を見つめました。私も彼を見つめました。お互いに一言も話はしませんでした。

私は「これは幻覚だ、こんなことがあるわけがない」と思いました。彼も私も黙ったままでした。突然、彼の思いが私の心の中に入ってきました。どうしてそんなことが起こったのか今でも全く分かりません。私は、彼の言っていることを自分自身の心で聞き取ることができたのです。

「それはあなた次第ですよ」と彼は言いました。「あなた次第というのは、いったい何のことなのだろうか?」と思いました。そのときの私は催眠術にでもかけられたかのような状態でした。

私は立ち上がりました。すると彼は、ゆっくりと川の方に向かって歩き始めました。私は、「もし彼がこのまま行けば水の中に落ちてしまう!」と思いました。実際、川はすぐ向こうにあったのです。しかし彼はどんどん川の方へ近づいて行きました。私は彼の後について行きました。彼は水辺に着きました。

私は「もうこれ以上は進めない」と思いましたが、何と! 彼は水の上を歩いて渡り始めたのです。私はどうしてそんなことができるのか分かりませんでした。しかしそれを見たとき、昔日曜学校で聞いた、イエスが水の上を歩いて渡った話を思い出しました。しかしこの男性がイエスであるはずはありません。私は不安になり、先に進んだらいいのか、このまま後に戻ったらいいのか分からなくなりました。

しかし彼は水の上をどんどん進んで行きました。そして私は一種の夢を見ているような状態で彼の後について行きました。私は抵抗できませんでした。後に戻ることもできず、ただ彼に従うしかありませんでした。

突然、誰かが私を持ち上げたように感じました。何と私は空中に浮かび上がったのです。思わず私は目を閉じてしまいました。私は不安になり混乱してしまいました。ところがそれから、さらに何マイルも上昇し始めたのです。すべてのものがみるみる遠のいて行きました。家々の煙突や木立がどんどん小さくなり、突然、私たちは雲の上に出ました。すると飛行機が真っすぐ私たちの方に向かってくるのが見えました。私はびっくりしました!

しばらく私は彼と一緒に空を飛んで行きました。さらに高く上るにつれ、お互いの心が親密になっていくように感じられました。これはどのように説明したらいいのか分かりません。それから歌声が聞こえて、私は意識を失いました。

私は眠りから覚めました。私はとても素晴らしい部屋の中にいました。必ずしも派手ではないのですが清潔で心地よい部屋でした。素敵なベッド、シーツ、すべてが美しく新鮮で清潔でした。窓から光が射し込み、戸外で鳥のさえずる声が聞こえました。「ここは、いったいどこなのだろう?」私には全く分かりませんでした。まわりはシーンと静まり返っていました。

そのときドアが開きました。何と!そこに母がいたのです。

ハリーは幸運にも最愛の母親に会うことができたが、大半の人々もこれと同じような結果を迎えるようである。しかしこうした経験を、誰もがするというわけではない。

地上でごく普通の平凡な人生を送った人間にとっては、地上からあの世への旅は、郊外の自宅からオフィスへの毎朝の通勤よりも簡単な出来事のようである。

バッキンガム地域に住んでいた「ビッグス」は、その過程を一九六六年の交霊会でウッズとグリーンに実に詳しく述べている。

「ウッズさん」と彼は呼びかけ静かに語り始めた。

「はい」とウッズは答えた。

「これはいいことです」とその声は言った。

「グリーンさん、これは本当にいいことです。あなた方のなさっている仕事についてはこちらで聞いてきました。とても素晴らしいことです」

その声はかなり年配の人間のものであった。地上時代のビッグスは、たぶん田舎の技能者か商人であったと思われる。彼はほとんど正式な教育を受けていないであろうから、生まれつきの表現能力以外には何も特別な能力は身に付けていないはずである。

「私の声を録音しているのですか?」

「はい、そうです」

「それはいいことです。私はこちらの世界にいるいろいろな人々から、あなた方のことを聞いてきました。あなた方はテープに声を録音しているのですね」

「そうです」とグリーンが答えた。

「それを他の人たちが聞いて、死後に何が起きるのかを知るのですね。素晴らしいことです」

「そちらの世界でお話のできる人を紹介していただけますか?」

「私? 私は皆さん方のように話ができる人間ではありません」

「私たちに、あなたが他界したときの様子を教えていただけませんか?」

「ご存じのように私は死にました」

「あなたは死後、どのようにしてご自身に気がついたのですか? また死んだことを自覚したとき、どのような様子だったのか教えていただけませんか?」

ビッグスの混乱
(ビッグス霊)
はい、そのとき私はイスに座って、届いたばかりの新聞を読んでいました。私は少し変な感じがして、メガネをはずしテーブルの上に置きました。それからしばらく静かに考えごとをしていました(*実は、彼はこの直後に死んだのである――訳者)

時間がたちました。そのとき不思議なことが起きました。イスに座っている私の姿を、私自身が見ているのです。私はイスのそばに立って自分の姿を眺めていました。テーブルの上には新聞とメガネが見えました。「これは妙なことだ、変だ!」と思いました。私は何がなんだか分かりませんでした。

それから私は、誰かがドアをノックしているのに気がつきました。私は相変わらずイスに座っている自分自身を眺めながらそこに立っていました。まるで私がドアを叩く音を聞いているようでした。私は部屋の中にいたにもかかわらず、誰がノックしているのかが見えました。それは私の妹でした。彼女は道路に沿って数軒先に住んでいました。

私はドアを開けようとしましたが、どうしてもできませんでした。「どうしよう、ドアが開けられない!」

私はひどく混乱してしまいました。ノックは続きました。私は焦りました。私は夢を見ているんだと思い、「早く目を覚まして妹にドアを開けてやらなければ……」と考えました。しかし、どうしてもドアを開けることができませんでした。それから彼女が道を慌てて駆けていくのが見えました。彼女は明らかに動転していました。「いったい、これはどうなっているんだ!」と思いました。

数分後、彼女は警察官を連れて戻ってきました。「どうして彼女は警察官など連れてきたのだろう?」突然、私は状況が分かり始めました。もちろん彼女は家の中に入ることはできません。たぶん彼女は私のことを心配して動転したに違いありません。しかし私には、どうすることもできませんでした。私はイスのそばに立っていることしかできませんでした。

こんなことを言うと馬鹿げて聞こえるでしょうが、もし彼女が部屋に入ってイスに座り込んでいる私を見たら、きっと怖がるだろうと思いました。私は必死に目を覚まそうとしましたが、どうしようもありませんでした。「自分はいったい、何をしたらいいのだろう?」と考えました。

そのうち警察官が窓から部屋に入ってきました。私は彼を知っていました。彼はこの管轄区域の警察官で何度も会ったことがあります。彼は部屋に入るなり私の体に刺激を与えました。私が寝ているとでも思ったようです。しかし私の身体は何の反応もしませんでした。彼は私が死んでいることに気がつき、ドアを開けました。もちろん妹は、すぐ部屋に入ってきました。

彼女はかなり動揺していました。彼らはすぐ医者を呼びに行きました。やがて年老いた医者がきましたが、彼には、なすすべがありませんでした。それは当然です。私は自分が死んだことが、はっきりと分かりました。私は妹の動揺を静めようとしましたが、彼女は私のことには全く気がつかないまま、そこにしゃがみ込んでしまいました。医者が部屋から出て行き、数人の男が入ってきて私の死体を運び出そうとしました。彼らは私の死体を、まるでジャガ芋の入った袋か何かのようにドスンと下に置きました。

「彼らの後について行くのはやめよう。私はこのまま家にいよう。今は誰も座っていないイスに座っている方がましだ」と思いました。それで私はイスに座り、いろいろ考えました。やがて妹は家から出て行って、私は一人部屋に残されました。

出迎えにきた母
突然、暖炉と壁が私の目の前から消えました。そのときの状況は、私にはこのようにしか説明できません。そして暖炉と壁があった所に美しい野原や木や川が現れました。そのうち何かが遠くの方から近づいてきました。最初、私はそれが何なのか分かりませんでしたが、やがて人間であることが分かりました。何と! それは母でした。昔、部屋の壁に、母の最初の結婚のときの肖像画が掛けられていましたが、そのとき私の目の前に現れた母は、その肖像画のような若い姿をしていました。彼女は幸せそのもののように満面に笑みを浮かべて私の所へ近づいてきました。

「さあ、行きましょう」と母は言いました。

「あなたはここにとどまっていてはいけません。ここにいつまでも座っているのはよくありません。誰もあなたには気がつきませんよ。妹も気がつきません。さあ、私と一緒に行きましょう」

「私には何がなんだか分かりません」

「あなたはすでに死んだのです。ここでいつまでも古いイスに座り込んでいてはいけません」

それから母は、私が今後、進むべき道について語り始めました。

私は何年間か一人暮らしをしてきました。私の飼っていた犬は死んでしまいました。しかし私は新しい犬を飼おうとは思いませんでした。私は新しい犬を最後まで世話をするほど長生きできないことを知っていましたし、もし私が死んだらかわいそうなことになると思ったからです。

「こちらにきなさい。ミックがいますよ」

「ミック!」それは本当に私が以前、飼っていた犬でした。

「ミックですよ。私たちは、あなたのためにミックの世話をしてきたんですよ」

「私はずっとミックに会いたいと思ってきました」

それから母と私は歩き始めました。

こうしてビッグスは、この世からあの世へと旅立ったのである。

7. 想念が創り出すあの世の環境
母に聞いたあの世の家族の様子
「暖炉があった所から美しい田舎への突然のトリップは、本当に不思議でした」と、ビッグスは語った。それから彼は母と二人で道を歩いて行くが、その間、彼女は彼にいろいろなことを話した。

(ビッグス霊)
「お父さんはどうしていますか?」と私は聞きました。

「お父さんとはこちらの世界でも会います。しかし一緒に生活してはいません。私たちが離婚したのは知っていますね」

「もちろん知っています。地上時代、二人がうまくいっていなかったことは知っています」

「彼と会うことはありますが、いつも一緒にいるというわけではありません。今、私はこちらの世界で気の合った人たちと住んでいます」

母は、祖母と曾祖母とフロリーと一緒に住んでいると言いました。フロリーというのは母の大好きな姉で、私がまだ小さいときに死んでいます。

「フロリーと私は瓜ふたつでした。好みが全く同じでした。彼女が死んだとき、私がどんなに落胆したか覚えているでしょう」

「ぼんやりと覚えています。何しろそのとき私は小さかったので……」

「フロリーと私は今、こちらの世界で一緒にいます。そして私たちは病院で働いています」

「何ですって?」

「私たちは病院で働いているんです」

「病院! こちらにも病院があるんですか。死んでしまえばそういうものは必要ないと思っていました。痛みも苦しみもなくなるのですから。病院は何のためにあるのですか?」

「こちらの病院は地上の病院とは違います。精神的に不安定な人には心の治療が必要なのです。彼らを手助けしたり導いてあげなければなりません。でも、そういう人たちのお世話をするのは楽しいことです。それをしているとき、とても幸せです。私は他にも多くの若い人たちのお世話もしています。あなたに『アート』というお兄さんがいたことを覚えていますか。私はよく彼に会います」

「アート? 私にアートという兄がいたなんてことは知りませんが」

「そう、あなたが覚えていないのも当然ですね。彼はあなたが生まれる前に幼くして死んでいます」

「そういえば少し思い出しました」

「彼は赤ちゃんのときに死にました。しかし彼は、その後こちらの世界で成長しました」

「それはどういうことですか? よく分かりませんが」

「こちらの世界でしばらく生活しなければ、いろいろなことは分からないでしょう。時間がたてばこちらの様子に慣れてきます。そうしたら徐々に分かっていきますから、今は気長にかまえてください」

「あとに残した地上の家の方はどうなっているのでしょうか? 何か問題はありませんか?」

「地上のことを心配するのはおやめなさい。何の役にも立ちません」

「どういう意味か分かりませんが。私に関係のあることじゃないですか」

「今は地上のことは考えないようにしてください。地上のことは忘れるようにしてください」

「もし私の葬式があるなら、私はそこに行くべきじゃないですか」

「今はそういうことは言わないで」

「分かりました。でも私は自分の葬式に誰がくるのか知りたいのです。私の友人のアルフィーはくると思いますが」

「そんなことは忘れてください」

あの世でのコミュニケーション
母は私に話し続けました。今、私は母が話し続けたと言いましたが、面白いことに母は口を開かずに話していたのです。突然、母が私に話しかける声が聞こえましたが、何か言葉を語っているわけではありません。私はしばらく立ち止まりました。

「行きましょう」と母が言いました。

「私はどうしてか分かりません。お母さんは確かに私に話しかけています。それなのにお母さんの口は動いていません。まるで腹話術のようで、とても不思議です」

「あなたも、じきにこちらの世界の話し方を身に付けるでしょう。現にあなたは私の考えていることが分かっています。私の考えを受け取っています」

「はい、でも現実的にはお母さんは話してはいません。少なくとも私にはそう見えます」

「あなたも、そのうち同じようなことができるようになるでしょう」

「さあ、行きましょう。あまりそのことを気にしてはいけません。あなたはもっと多くのことを知らなければなりません」

私は本当に当惑しました。

記憶にある橋のレプリカ
それから私たちは、ある橋にきました。この橋も不思議でした。それを渡り始めたとき、私は独り言を言いました。「自分はこの橋を知っている。この橋は確か自分が小さい頃よく行った場所にあった」――母に私の独り言が聞けるとは知りませんでした。

母は言いました。

「その通りです」

「不思議です。どうしてそれがここにあるのですか? もし私が死んでいるなら、どうしてこんなことが起きるのですか。私の覚えている橋は古い村の近くにありました」

「そのうちに分かるでしょう。こちらの世界には、地上のありとあらゆるものの複製品(レプリカ)が存在するのです。私があなたをここへ連れてきたのは、あなたの昔の楽しい思い出を呼び起こそうと思ったからです。それはあなたにとってよい影響をもたらします。あなたは、あのときの小さな村と人々を覚えていますか?」

「はい」

「それらもこちらの世界にあるのですよ」

「私の地上時代にあったものが、どのようにしてここに存在するようになるのですか?」

「ここにあるのは、あなたの地上時代のものと同じです。しかし別の意味では同じものとは言えません。とは言っても、それらは地上のものと同じくらい実在感がありますが」

「私にはさっぱり分かりません」

「気にしないで。さあ、メイの所へ行きましょう」

「誰ですか?」

「メイです」

「メイおばさんですか?」

「そうです」

「でも彼女は何年も前に死んでいるじゃないですか」

「もちろんそうです。私だって死んでいるのですよ。あなたはそんなことも忘れたのですか」

「そういえばそうでした」

「メイに会いに行きましょう」

「彼女は村に住んでいるのですか?」

「そうです。以前と同じように村に住んでいます」

「どうも分かりません」

「最初は何も分からなくて当然です。少しずつ分かるようになります。地上にいたとき、メイは村でいつも幸せに過ごしていました。彼女はいつも自分の小さな家を大切にしていました。あなたも知っているでしょうが、村はずれにあったあの小さな家です」

「思い出しました」

「あなたは自分の目で、それが見られるのです」

地上時代と同じ叔母の家
私はまるで過去に戻ったようでした。地上時代に見たのと全く同じ叔母の家がありました。家の前には小さな低いレンガの塀がありました。生前、叔父がよく自慢していた小さな庭もありました。それは本当に素晴らしい庭でした。彼は庭木と花々をいつも大切に手入れしていました。叔父と叔母が家のドアの所に立っていました。

叔父は私の知っている叔父とは、まるで違って見えました。私の知っている叔父は、とても年老いて背中が曲がっていました。しかし目の前の叔父は背が高く背筋は矢のように真っすぐ伸びていました。そしてとても若く、はつらつとして見えました。彼らは私を歓迎してくれました。それから家の中に案内してくれました。

家の中のものは、すべて真新しく清潔で明るく輝いていました。辺りはまるで夏の日のようでした。そのうちに私は、ここは夏のようだというのに暑さを感じないことに気がつきました。また太陽も見あたりません。しかし、とても明るいのです。私はそのことを聞いてみました。

「もちろんここでは暑すぎるとか、寒すぎるというようなことはありません。いつも快適で心地よいのです。そして光に包まれています。ところでお茶はいかがですか?」

私はその言葉に驚きました。

「冗談を言わないでください」と私は言いました。

「もし私が死んでいるのなら、お茶を入れるなんて言って、からかわないでください」

叔母は笑って言いました。

「あなたが最初こちらの世界にきたとき、あなたのお母さんが語ったことが本当に分かるようになるでしょう。ここのすべてのものは地上と全く同じ形につくられています。それによって地上からきて間もない者は、安心感と親しみを持つことができるのです。もしあなたが何か欲しいものがあるなら、すぐにそれを手に入れることができます。しかしやがて、そうしたものは不必要だということが分かるようになるでしょう。でも、もし今あなたがお茶を飲みたいのなら、すぐにでも飲めるのですよ」

「死んだ人間がお茶を飲めるなんて考えてもみませんでした」

「今はそれについて、あまり多く語るつもりはありません。すぐに分かることですから」

叔母は裏のドアから出て行って、お茶の入ったポットを運んできました。面白いことに、それは地上時代と全く同じものでした。私はそれをいつも見ていたので覚えていたのです。それは古い茶色のポットで注ぎ口が欠けていました。彼女はこのポットを何年も使っていたのです。以前と同じ古いカバーがティーポットに掛けてありました。彼女が自分で編んだ、お気に入りのカバーでした。私は言いました。

「まさかこうしたものは、叔母さんが死んだときに一緒に持ってきたわけではないでしょう?」

「もちろん違います。あなたは、それらがここにあるのを見て驚いていますが、実は私も驚いているのですよ。こちらの世界では、あなたが欲しいと思ったり大切だと思うものは何でも簡単に手に入るのです。少なくとも、あなたがそのことを考えている間は存在するのです。もし、あなたがそれについて考えることをやめたり必要だと思わなくなったなら、それはあなたの目の前から消え去ります。

今、目の前にあるこうしたものは、今日だけここにあるのです。それはあなたが、ここにきたばかりだからです。そしてあなたが昔、私たちの所にきてお茶を飲んだときのことを思い出したからなのです。古い錫(すず)のお盆を覚えていますか? あの絵の付いたお盆です」――昔見たのと同じような錫のお盆がそこにありました。

「そのお盆も、ここにいる人たちの思いで存在しているのですか?」

「あなたがそれについて考えている間だけです。あなたがそのお盆に愛着を感じている限り存在するのです。しかし愛着がなくなれば直ちに消え去ります」

「どうしてもよく分かりません」と私は答えました。

自分の葬式を見る
地上にいる妹は一見、私の死を嘆いているようですが、本当に悲しんでいるわけではありません。彼女は、私のためにわざわざ何かをしてくれるような人間ではありませんでした。義理で仕方なく私と付き合っていたにすぎません。彼女は悪い人間ではありませんが、多分に享楽的な傾向があります。彼女は、あまりぱっとしない男と暮らしていました。

私は自分の葬式のことを考えました。そして葬式に出たいと思いました。私はこちらの世界にきて以来ずっと、地上のみんなの前に姿を見せるべきだと考えていました。母は笑って言いました。

「いったい、そこへ何をしに行きたいのですか? あなたはすでに地上の人生を終えているのですよ。どうして自分の葬式に行ってみたいなんて思うんでしょう?」

「私はお母さんの考え方は間違っていると思います。自分の葬式を見るのは当然ではないですか?」

「もしどうしてもそうしたいのなら、私たちもあなたと一緒に行きましょう。でも今しばらくは休憩をとった方がいいのです。ベッドで休みましょう」

「ベッドですか!」

「本当のことを言えば、休息は必ずしも必要ではありません。しかし今のあなたには必要です」

私はベッドに行って眠りました。

眠りから覚めたとき、私は田舎の共同墓地に立っていました。その場の状況が私の心を混乱させました。私は生前、保険に入ってお金を払い続けていました。死んだときには、そのお金でまともな墓地に葬られるとばかり思っていました。しかしそのとき、私の遺体は貧困者と同じ共同墓地に埋められようとしていました。もっといい墓に葬られるためにお金を残してきたのにと思うと、私は腹が立ってきました。私が自分の葬式に行ってみたいと思ったのは、実は自分がいい墓に葬られるのを見たかったからなのです。

墓地には妹の他に二人の人間がいました。そのうちの一人は私のよく知っている人間で、学校も一緒でした。もう一人は私の全く知らない人間でした。私の棺(ひつぎ)は墓穴に降ろされました。そのとき雨が激しく降ってきました。年老いた牧師は急いで儀式を進めました。その急ぎようといったら、列車に遅れまいとして駆け込む乗客のようでした。妹は私のためにいい墓地を買おうとしてくれなかったことが分かりました。

そのこと自体は大したことではないかもしれませんが、私をもっといい墓地に葬ってくれるのが物の道理だと思いました。私はそうした考え方で地上人生を過ごしてきたのです。そのために、わずかばかりのお金を残してきたのです。しかし彼女はそのお金を私の墓のために使いませんでした。私は腹が立ち、「この仕返しは必ずしてやる!」と思いました。

母の説教
すると母が言いました。

「やがて彼女もここにやってきます。そのときには、あなたはすでにそんな考え方はしなくなっているでしょう。結局……」

「あいつは何というお金のムダ遣いをしてるんだ!」

「あなたがどんな墓地に葬られようと大したことではありません。大切なことは、あなたが今どこにいるのかということです。あなたの残したわずかなお金は彼女の役に立っているでしょう。あなたはそんな考え方をすべきではありません」

「今、お母さんは私の考え方は間違っているとおっしゃいましたが、でも妹は、私が自分の墓地のためにお金を貯めていたということを知っていたのですよ」

「立派な墓であろうがみすぼらしい墓であろうが、それが何だというのですか? また牧師がそそくさと儀式を済ませたからといって、それがどうだというのですか?」

「じゃあ、いったい何が大切なんですか?」

「あなたは現にこちらの世界にいるのではないですか。それですべてじゃないですか」

「確かに今、私はここにいます。そしてすべてがうまくいって何の問題もありません」

「ではこれ以上、地上のことについてあれこれ悩むのはやめにしましょう。いずれ牧師も妹もここにくれば、自分の人生を見せつけられるようになるのです。そして真実に直面し、地上人生を振り返り後悔するようになるのです。あなたは彼らを責めることはできません。彼らは何も知らないのですから。

あなたの妹には確かに愚かなところがありました。しかし彼女もまた私の娘です。彼女はいずれこちらにきてから、何が真実かを学ぶようになるでしょう。それは牧師も同じです。もうあなたには分かったでしょう。大切なのは墓の中の死体や儀式ではなく“あなたの内面”――ありのままのあなた自身の心なのです。見せかけのあなたではなく、取りつくろったあなたではなく、ありのままのあなたの心が肝心なのです。大切なのはそれだけです。

これまでのあなたの人生を振り返ってみれば、あなたは他人に害を与えたことがありませんでした。いつも善意を持っていました。あなたは特別いい教育を受けたわけではなく、また教会にもまじめに通ったわけではありません。しかし、あなたは決して悪い人間ではありません。あなたは自分の人生を精いっぱい生きてきました……」

8. 愛する人との出会い
もし、私たちの心がけが正しくて他人に害を与えるようなことがないなら、皆が「ビッグス」のような死後の世界を迎えることができるのであろうか? 美しい木々のある庭、そして家庭的雰囲気の中でのティーブレーク――こうした体験ができるのであろうか?

あの世からの通信は数多くあるが、残念ながらその内容に食い違いがあったり、語られる事柄が漠然としていて理解に苦しむということが多い。しかしベッティー・グリーン女史の徹底した質問のお蔭で、あの世の生活の一面が明確にされるようになった。われわれが死んだとき、いったい何が起きるのかということを、まるで地上の出来事と同じくらい、はっきりと知ることができるようになったのである。

先にリーズで車の事故で死んだ「テッド・バットラー」の死の直後の様子を見てきた。彼は女性のガイド(指導霊)とあの世の電車の中で出会ったのであるが、その女性がテッドに言った。「私の手を握りなさい。そして目を閉じ何も考えないようにしなさい。心を空白にしなさい」――次にテッドに何が起きたのだろうか?

ガイドの部屋
(テッド・バットラー霊)
彼女の言ったようにすることは少し難しかったですが、私はその通りにしました。どのくらいそうしていたのか分かりません。そのうち私は意識を失ったようです。次に気がついたとき、私は小さな部屋の中で、彼女と向かい合ってイスに座っていました。そこはとても素晴らしい所で、窓には更紗(さらさ)のカーテンが掛けられ、床には美しい絨毯(じゅうたん)が敷かれていました。部屋は心地よい光に包まれ暖かでした。窓から太陽の光が射し込んでいるようでした。部屋の中のすべてのものは真新しく、素敵なテーブルが置かれていました。「いったい、ここはどこなのだろう?」と思いました。

「私があなたをここへお連れしました。ここは私の小さな部屋です」

「本当に素晴らしい所です。でも私が見知らぬ女性の部屋にいることを家内が知ったら、何と思うか分かりません」――彼女は笑いました。

「今はそういうことは考えなくてもいいんですよ。それは今のあなたには関係ありません。お茶を飲みながら楽しくおしゃべりしましょう。そのうちどういうことか説明いたします」

「ここは本当に素晴らしいです」

「私は何年もの間、こちらの世界にいるのです。ちょうど世紀が変わる時期にこちらへきたのです。今は母と住んでいます」

「本当ですか? では、あなたのお母さんはどこにいらっしゃるのですか?」

「今、外にいます」

「外へ働きに行っているんですか?」――彼女は笑いました。

「仕事といっても地上の仕事とは違います。私の母は地上にいたとき働き者でした。それはそれはよく働きました。今、母は保育所のような所で働いています。母は子供たちが大好きです。生後間もなく死んだり、幼いうちに死んだ子供たちを、こちらの世界で育て面倒をみているのです。母はその仕事がとても気に入っています。母はすぐに帰ってきます。そうしたら一緒にお茶でも飲みましょう」

ガイドとお茶を飲む
私はそれを聞いて、「本当にお茶を飲むことができるのだろうか?」と思いました。先ほど地上にいる妻の所へ行ったとき、みんなでお茶を飲んでいました。そのとき私は一緒にお茶を飲みたいと思ったのですが、カップを持ち上げることができませんでした。これではお茶は飲めないと思って諦めたのです。

「あなたは今こちらの世界にいるのです。地上とは全く異なった世界にいるのです。今のあなたはこちらの世界での自然な状態なのです。そしてあなたのまわりのものも、すべて自然な状態なのです。ですから今あなたが手を差し出せば、それらをつかむことができます。あなたが地上にいる奥様の所へ行ったときの状況とは違うのです。今あなたはカップを持つことができますし、地上にいたときのようにお茶を飲むこともできるのです」

私は本当にお茶を飲みました。

「おいしいですか?」

「ええ、とてもおいしいです」

しかし地上の誰がこんなことを考えられるでしょうか? 私たちがここに座ってお茶を飲んでいるなんて、どうして信じられるでしょうか? そう思うとつい一人で笑ってしまいました。私がもしこんなことを言おうものなら、地上の人々はきっと私を気が狂っていると思うでしょう。

「地上の人間はこうしたことについて全く分かっていません。こちらの世界では、内面の成長にともない好みが変わっていきます。もしあなたが今、欲しいと思うものがあるなら、何でも自由に手に入れることができます。しかし実は、それは一時的なことにすぎません。あなたが“そうしたものはもはや必要ない”と思い始めるようになれば、それは自然になくなってしまいます。それが存在するのは、あなたがこちらの世界の現実にご自分を合わせられるようになるまでのことなのです。

ふだん私たちがお茶を飲むことはありません。こうして一緒にお茶を飲んでいるのは、あなたに徐々にこちらの世界の事情に慣れていただくためと、それがあなたの成長の役に立つと思ってのことなのです」

「それは本当にありがたいことです。ご迷惑ではありませんか?」

「いいえ、迷惑ではありません。それにこれは私の仕事の一部なのです」

「仕事?」

「はい、そうです。あなたのように地上に意識が縛られたままの人たちを助けることが私の務めなのです。そのために私は地上近くに降りて行くのです」

「今、何とおっしゃいましたか?」

「地上に意識が縛られている人たちです」

「地上に縛られている?」

「そうです。以前のあなたがそうでした。そのときのあなたは本当に哀れでした。あなたは自分の考えによって自分自身を地上に縛り付けていたのです。そして自分をその状態から解き放すことができませんでした。そうした物質に縛られたままの人々を解放し助けて差し上げるのが私の仕事なのです。そのために私はあちこち地上を回りました。

今、私はほんの少しですが人のお役に立っています。何千、何万というこちらの人々が、私と同じような仕事に携わっています。私はその中の一人にすぎません」

「テッド・バットラー」はあの世で落ち着いた生活を始めた。私たちのもとを去ってあの世でガイドの手引きを受けるようになった人々は、次にどのような体験をすることになるのであろうか? また自分は死んだのだということを理解した人々には、次にどのようなことが待っているのであろうか?

先に若くして死んだイギリスの詩人「ルパート・ブルーク」について取り上げたが、以下はその話の続きである。

彼は当惑して川を見ていた。どうして川の中に自分の影がないのかと不思議がっていた。

まばゆい光に包まれた大きな建物
(ブルーク霊)
私は川のそばに座っていました。頭はますます混乱してきました。突然、誰かが私のそばに立っているのに気がつきました。自分の身に、いったい何が起きたのだろうかと思いました。私は人の気配のした方を振り向きましたが、そこには誰の姿も見えませんでした。しかし、誰かがいることは感じました。そのうちはっきりとした声が聞こえました。

「私についてきなさい」――私は、声の持ち主が誰なのか分からないし、どこへ行くのかも知らないのに、ついて行けるわけがないと思いました。それから三回、声がしました。

「私についてきなさい。目を閉じなさい」

次に気がついたとき、私は全く違う場所にいました。そこはとても大きな建物の中でした。コンサートホールではありませんが、多くの席があり大勢の人々がいました。美しい音楽が流れていました。私は席に座って音楽に聴き入りました。その音楽は心に平和と静けさと安らぎを呼び起こすようでした。私は本当に穏やかな気分になりました。

そのうち徐々に、遠くに巨大なパノラマのようなものが見え始めました。さまざまな色彩がそこからまわりに放射されていました。淡い色から最も深い色まで、ありとあらゆる色相の光がパノラマから放たれていました。そして建物全体が輝くような美しさに覆われていました。

私は、先ほどから語りかけてくる姿の見えない人に話しかけたい、という気持になりました。しかし躊躇(ちゅうちょ)してなかなか声をかけられないでいました。その人が、さらに私の近くにいるのがはっきりと分かりました。すると声がしました。

「話してごらんなさい。心配しないで、できますから」

私は「ここは、いったいどこなのだろう?」と独り言を言いました。また声がしました。

「ここは、あなたを新しい世界へとお連れする場所です。ここでのバイブレーションがあなたを新しい生活に適応できるようにします。ここは“浄化場所”なのです」

私は自分の身に生じてきた変化に気がつきました。私のまわりにいた人たちも微妙に変化しているようでした。それについて説明することは、今の私の力ではできません。まるで身体全体がエネルギーと生命力で満たされたように感じました。そしてまわりのすべてのものが完璧に調和しているように思われました。しばらくして、そこにいた人々が徐々に立ち上がり、歩き回ったり話をし始めました。そこにいたのは最近死んだばかりの人たちで、こちらでの新しい生活がどのようなものなのか、教えを受けていたのです。

「私もこの人たちと同じなんだ」と思ったとき、さっきまで気配を感じていたものの姿が見えなかった人々が現れ始めました。彼らは本当はずっと私のまわりにいたのですが、私には見えなかったのです。その人々の中には男性も女性もいました。そのうちの何人かの女性が、ホールに座っていた女性たちの所に行きました。同じように何人かの男性がホールにいた男性たちの所に行きました。

ずいぶん後になってから分かったのですが、これらの人たちはあの世での新参者を助け導いて、徐々に新しい世界に慣れさせることを仕事としているということです。

地上人に伝えたい!
何人かの人と話をした後、私は公園のような所に連れて行かれました。そこにはさまざまな衣服を身にまとった人々がいました。私は辺りをぶらつきました。そのとき私の身体は自分の考えに応じて、いろいろ変化することに気がつきました。私は、木の下に座ってガイド役の男性に話しかけたことを思い出しました。こちらの世界でも何かものを書き続けることができるのか、彼に聞いてみました。彼は言いました。「もちろんあなたがそうしたければできます。ここでは、あなたが望むことは何でもできます。もしあなたが画家や音楽家になりたいと思うなら、それも可能です。それがこちらの世界で成長するための唯一の方法なのです。進歩するための道なのです」

私は、もしこうした体験を地上の人々に教えてあげることができたなら、どんなによいだろうと思いました。それで地上に通信を送ることはできないものかと一人の男性に聞いてみました。

「それは可能です。しかし今すぐというわけにはいきません」彼は笑って言いました。

「こちらにきた人は最初、みんな同じようなことを考えます。彼らは急いで地上の友人や親戚の所に戻って、こちらの世界がいかに素晴らしいかを伝えたいと思うのです。“死は誰にでも訪れるごく自然な出来事なのです。死を怖がる必要は全くありません”と。今は地上のことをあまり気にしてはいけません。そのうちあなたが地上に戻って人々のお役に立つときがくるかもしれません」

そして、それは四十二年後に実現した。彼の四十二年前の希望は、あの世からの通信として実を結んだのである。知識人としての彼の通信内容は、地上の私たちが知りたいと思う疑問に適切に答えを与えてくれている。

他にも、すでに他界している才能に恵まれた多くの有名人が次々と、フリントとウッズとグリーンによる交霊会に登場して語りかけるようになった。その中には、「オスカー・ワイルド」や「マハトマ・ガンジー」や「コスモ・ゴードン・ラング」(かつてのカンタベリー大主教)といった人たちもいた。

彼らは、私たちがこの世をいかに生きるべきか、というような問題について多くのアドバイスを与えてくれている。また、彼らが他界してからどのように知性的に進歩してきたか、などについても教えてくれているのである。

ホプキンスを出迎えた家族・知人
一方、先に述べた「ジョージ・ホプキンス」(スセックス地方の農夫)のように特別な教養に恵まれなかった人からも、地上に向けて貴重な情報が届けられている。

(ホプキンス霊)
そこには以前飼っていたローバー(犬)がいました。ローバーは私のまわりを走り回ったり、尾っぽを振ったり跳びはねたりしました。私はドアを開けて中に入りました。するとそこには、私の知っている人たちが十人以上も集まっていました。私の兄弟・姉妹・妻の関係者でした。彼らは私がここにきたことを喜び、歓迎してくれました。

しばらくおしゃべりなどして賑やかに時を過ごしました。犬の鳴き声も聞こえました。それは本当に心からの歓迎でした。彼らは、私のためにごちそうを用意してくれました(皆さんはこんなことを聞いて驚かれたでしょう)。私は、彼らがお茶を飲んだり食事をするなんて奇妙に思いました。すると彼らは言いました。

「初めはなかなか理解できないでしょうが、こうしたことは、あなたが地上にいたときに慣れ親しんできたことです。私たちは、あなたにくつろいでもらいたいと思っているのです。このことは、あなたがこちらの世界に落ち着くのに役立つでしょう。いずれにしても万事うまくいきますから心配しないでください。あなたは、ポル(妻)にもローバーにも、そして私たちにも会いました。これからも私たちは、時々会うことができるのです」

突然、私はこれまで見慣れた自分ではなく、初めて見る自分の姿に気がつきました。私はみんなに言いました。

「素晴らしい! どうしてこんなことが起きるのですか?」――彼らは言いました。

「今は何も言うのはやめましょう。しばらく何もしないでいましょう。ただリラックスして休んでください。こちらの世界にきたショックを癒してください」

「私には分かりません。今の状態はすべて自然で現実感があります。ここにはあなた方――私の愛した人たちや、私の人生で大切だった人がいます。みんなが私を待っていて、私を幸せな思いにさせてくれます」

無知な地上人
「地上でも、死後の世界のことを当然知っていてしかるべき人がいます。特に牧師はそうです。私は熱心な教会員ではなかったし、まじめに教会へ足を運んだわけではありません。そのことは自分でも認めています。しかし牧師は、死後の世界について何も知りませんでした。これでは彼は誰も慰めてあげられません。何かが間違っていると思います」

「その老牧師を責めてはいけません。彼は難しい状況の中で、彼なりに精いっぱいのことをしてきたのですから」

それから彼らは私に、その牧師はキリスト教で言う“善人だけが天国に行き、終末の世に地上に戻り肉体を持って地上で生きるようになる”という間違った考えを持っていたことを述べ始めました。

「もちろん彼より広い視野を持った人も大勢いるでしょう。が、その牧師は昔ながらの考え方しかできない人間でした。今日では多くの人たちが、もっと進んだ考え方をするようになっています。しかし死者との通信とか死後の世界といったことになると、ほとんどの人間は“無知”なままなのです。

もちろん皆がみな、交霊会を悪ふざけと取っているわけではありません。現に私たちのある者は、交霊会に出現して死後の世界に関心を示す人たちと接触を持ち、メッセージを送ってきました。しかし、そうした人たちは本当に限られたごく一部の人間にすぎません。また現実問題として、こちらの世界との交信を可能にしてくれる霊媒もほとんどいないのです。もしいたとしても、あまり役に立たないことが多いのです。

さらにキリスト教会ときたら“哀れ”としか言いようがありません。彼らは死後の事実について全く知らないのです。彼らにとっては二千年前に起きたことだけが真実であって、それ以来、同様のことは決して起きないと決めつけているのです。彼らは大昔に生きているだけで、現在や未来に同じことが起きるとは認められないのです」

この本で紹介した他界者にはある共通性が見られる。「ビッグス」は死後、母親に連れられて次のステップへと進んで行った。「ホプキンス」は彼の妻に、「プリチェット」は友人に、「バットラー」と「ブルーク」は彼らのために送られたガイド(指導霊)に連れられて、次の世界へと進んで行ったのである。

一九六六年八月、「マリー・イワン」と名乗るスコットランド訛りのある若い女性が交霊会に現れた。彼女は意識を失い、あの世で目覚めたのだった。

あの世の病院での目覚め
(マリー・イワン霊)
私は目覚めました。そして病院のような所にいることに気がつきました。「ここはどこだろう?」私は確か自分の家にいたはずです。私は病気で床につき妹が私の世話をしてくれていました。目覚めた場所は、とても清潔で気持のいい所でした。すべてのものが新鮮で生き生きとしていました。また、そこにいた人々もみんな静かで落ち着いていました。太陽の光(そのときの私にはそのように思えたのです)が窓から射し込んでいました。壁には絵が掛かっていました。私は「これは不思議だ!」と思いました。

それからとても優しそうな女性が私の所にきて言いました。「あなたはもう少し休んだ方がいいですね。そうしたらすぐに元気になるでしょう。目が覚めてしばらくしたら、あなたの知っている人たちが会いにくるでしょう」

私は「これは奇妙だ。私は確か家でベッドに寝ていたはずなのに今この病院にいる。私はきっと意識を失い、誰かが私をここへ連れてきたに違いない」と思いました。それから少ししてから、まわりで寝ている人たちを見回しました。私の隣のベッドには金髪のかわいらしい小さな女の子がいました。彼女はベッドに座っておしゃべりをしていました。それから私に自分の持っている人形や本などを見せてくれました。

「ここは気に入りましたか?」と女の子が言いました。

「とても幸せよ。ところであなたはどこが悪いの?」

「私はジフテリアだったの」

「ジフテリアだったなんてとても見えないわ。すごく元気そうよ。ほほもつやつやして健康そのものに見えるわ。この病院にどのくらいいるの?」

「さっききたばかりなの。ここはとても楽しいわ」と女の子が言いました。

姉ケイトの出迎え
それから何と! 姉が私の方にやってくるのが見えました。彼女は若くして死んでいます。そのとき私はまだ十二才でした。私たちは彼女のことを「ケイト」と呼んでいました。「これは奇妙なことだ! ケイトがここにいるはずがない。ケイトは昔、死んだのに……」

でもそれは確かにケイトでした。彼女は大きな花束を抱えて私の方にやってきました。花にはまだ露が残っていて、とても新鮮でした。彼女は言いました。「この花束はあなたに持ってきました。あなたがこちらにきて、みんなとても喜んでいます。父も母ももう直きます」

「いいえ! こんなことがあるはずがありません。あなたはどうやってここへきたのですか? あなたがここにいるはずがありません。あなたは死んでいるのですから」

「そうです、私は死んでいます。そしてあなたも死んでいるのですよ」

「どういう意味ですか? 私が死んでいるなんて」

「本当にあなたは死んだのです」

「そんなはずがありません。私はちゃんと生きています。そして私は今、病院にいます。……しかしあなたはどうやってここへきたのですか? 誰かあなたがドアを開けて部屋に入ってくるのを見ましたか?」

「みんな私がドアから入ってきたのを見ています。ここにいるのは、みんな死んだ人たちばかりなのです」

「私には何がなんだか分かりません」

隣のベッドにいた女の子が、私をじっと見つめて言いました。

「それ本当なの? 私たち死んだの? あの女の人も本当に死んでるの?」

「彼女は私の姉なの。そして本当に死んでるの。だから私たちも死んだに違いないわ。でも私たち、ちゃんと生きている、何がなんだか分からないわ」

「私はあなたをここから連れ出すためにきたのです」とケイトは言いました。

「それはどういうこと? それなら病院の人に私の外出許可をとらなければなりません。私は今、とても健康です。これまでこんなに具合がよかったことはありません」

「もちろんそうです。あなたは完全に健康です。どこも悪いところはありません。病気だったことは早く忘れてください。あなたはもう病人ではありません。とにかく私はこの部屋の担当の婦人に会いましょう」

担当の婦人と姉が少し話をした後、私はベッドから降りることが許されました。

「私の衣服は?」と私が言うと、ケイトは笑いました。

「心配しないで。あなたはもう着ていますよ」

「どういうことですか?」私は自分自身の姿を見て驚きました。何と! 私は服を着ているではありませんか。私はそれをここへ持ってきたことも、それを着た覚えもありません。私は美しいガウンを着てベッドのそばに立っていました。そのガウンは薄青色でサッシュが付いていて、首のまわりには小さなレースが付いていました。私は何がなんだか分かりませんでした。おまけに私の髪まできれいに櫛(くし)でとかされていました。

ケイトは笑って言いました。

「とても素敵よ。あなたは知らないでしょうが、私が服を着るお手伝いをしたのです。髪の毛もそうなの。それは私の思念でやったの」

「どのようにしたの? 思念だけで何かをすることができるなんて考えられません」

「もちろん、あなたにもできるようになります。慣れるまでに少し時間がかかりますが。でもいったん身に付けば、あなたのしたいことはどんなことでも思念ひとつで、できるようになります」

「本当ですか?」

「本当です。とにかく私たちは出かけましょう。母や他の人たちに会いに行きましょう」

「さっき、お母さんがここへくると言ったはずですが」

「彼女はたぶん下で待っているでしょう」

私たちは美しい階段を降りて行きました。それはまるで大理石で造られているようでした。そこでは大勢の人たちが歩き回っていて、みんなとても健康そうに見えました。建物はすみずみまできれいに手入れがなされていました。

【マリー・イワン霊の声中断】
「マリーさん、続けてください」グリーン女史が促した。「あなたの話はとても貴重です」
マリーはまた話し始めた。

レセプションセンター
私たちは階段を降りて行きました。そして玄関の外に出て、さらに階段を降りて美しい庭に出ました。私はこれまでそのような美しい場所に行ったことがありませんでした。そこにはさまざまな人たちがいました。子供たちもいて走ったり遊んだりしていました。そのとき、ここにいるすべての人たちがその場に溶け込んでいるのに、自分だけが場違いのような気がして奇妙な感じがしました。

「みんな、ここに長い間いるのですか?」と姉に聞いてみました。

「いいえ、地上の時間にすればわずか数日にすぎません。彼らはこちらの世界に順応しようとしているのです。そして友だちや親戚の人たちが迎えにくるのを待っているのです。ここはいわゆる“レセプションセンター”で、多くの人々がやってきます。新しい環境に慣れて迎えの友人がくるまで、ここにいるのです。

最後には彼らは全員ここを出て行きます。普通は夫や妻のもとへ、もし結婚していないなら、おそらく父親や母親の所へ行くようになります。心から愛情で結ばれている人たちは必ず庭で待っていてくれます。もちろん私があなたに会いに行ったように、わざわざ迎えに出向くこともあります。

誰も死を恐れる必要はありません。なぜなら、それは最も素晴らしい出来事だからです。すべての人にとって喜ばしい出来事なのです。死を心配する必要は全くありません」

マリー・イワンは、新しいあの世の生活について語り続けた。グリーン女史は、彼女との話を切り上げようとした。

「あなたはそちらに行ってから地上時代の知り合いに会いましたか?」

「もちろん会いました。結局、私は母と生活をともにするようになりました。そしてそのあと夫と一緒に住むようになりました」

9. 家族・友人の出迎えがないときは?
生前、深い愛情で結ばれていた人たちは、私たちが死んだとき、あの世で必ず待っていてくれると「マリー・イワン」は言っている。マリーがもう少し地上で生きていたなら、彼女はもっと多くの人々と愛の関係を築き、死後、さらに多くの人々の出迎えを受けたに違いない。

「アルフ・プリチェット」は早くに姉と死別している。また「ビッグス」は母親に、「ホプキンス」は妻に、「マリー・イワン」は両親・姉・夫に先立たれている。彼らより先に他界した愛情で結ばれていた人たちは、その後、彼らが死後の世界にやってきたときに彼らを出迎え、世話をしてくれたのだった。

では結婚前に若くして戦争で死んだ若者の場合は、いったいどうなるのだろうか? 誰があの世での面倒を見てくれるのであろうか? 両親や親しい人たちは、まだ地上にいるのである。

一九六六年六月十六日、若い男性の声がした。その声は自分を「テリー・スミス」と名乗った。大戦中、イギリス巡洋戦艦フッドはドイツ戦艦ビスマルクの砲弾を受け、北大西洋の冷たい海中に沈没した。テリーはその沈没した巡洋戦艦に乗っていて水死したのである。

「それは突然のことでした。誰ひとり生存の可能性はありませんでした。全くの絶望的状況でした」

ベッティー・グリーンは、いつものように質問を切り出す頃合いを見計らっていた。

「テリーさん、あなたがまだ自分が生きていることに気がついたときの様子を教えてくれませんか? どのようなことが起きたのですか?」

ガイドの女性との出会い
(テリー霊)
私は、どこかの通りを歩いていることに気がつきました。そこは今まで見たことがない通りで、本当に素晴らしい所でした。最初、私はそこが地上の通りでないことに気がつきませんでした。道の両側には美しい木々が立ち並び、小さな家々があちこちに見えました。その中に特別大きくて美しい家がありました。私は自分がどこにいるのか分かりませんでした。辺りは、以前行ったことがあるカリフォルニアの景色のようでした。

不思議なことに、そこには誰の姿も見えませんでした。そこにいたのは私一人だけでした。“自分はたぶん夢でも見ているのだろう”と思いました。私はその道を全く知りませんでしたが、心の片隅ではどこか見覚えがあるような気もしていました。とにかく私はただ歩いて行きました。辺りの家々は死んだように静まりかえっていて、物音ひとつ聞こえませんでした。

それから私はどんどん歩いて行きました。すると一人の婦人と出会いました。その女性は本当に美しく見えました。とは言っても、彼女はそれほど若かったわけではありません。彼女は小さな門の所に立っていました。それは私がここにきて初めて見た門のある家で、他の家々には門は見あたりませんでした。私は小さな通路を通って玄関まで行きました。どの家にもフェンスらしいものがないのが少し奇妙に感じられました。

この婦人は門にもたれて立っていました。不思議なことに、彼女は実際には年を取っているようなのに、とても若く見えるのです。私が近づくと彼女はにっこりと笑いました。私が立ち止まると彼女は言いました。

「何かご用ですか?」

私は言いました。
「はい、私は自分に何が起きたのか、今どこにいるのか全く分からないのです」

「心配いりません。私はあなたがくるのをずっと待っていました。中にお入りください」

私は何でもいいから早く中へ入ろう、今は彼女しか話相手はいないのだからと思いました。

彼女は私を応接間に案内しました。それは素敵な小さな部屋でした。きれいなカーテンとイスがあり、どれも素晴らしいものばかりでした。一つのイスの上にネコがいました。黒くてきれいなネコでした。

「こちらにどうぞ」――彼女がすすめてくれたので私は他のイスに座りました。

「何かお飲みになりますか?」

私は、「これは面白いことだ。何か飲めるなんて」と思いました。彼女はお茶か他の飲み物を出してくれるだろうと思ったので、

「はい、お願いします」と言いました。

「何をお飲みになりますか?」

私は、ここでは気をつけた方がいい、酒飲みのように思われない方がいいと思いました。それで、
「レモネードをください」と言いました。

彼女は部屋から出て行ってレモネードを持ってきました。

「何も心配する必要はありません。私はあなたがくるのをずっと待っていました」

「私を待っていた?」

「そうです」

私は彼女が何を言っているのか分かりませんでした。彼女は言いました。

「あなたは自分が死んだことをご存じですか?」

「何ですって!」

「あなたは死んだのです」

「冗談を言わないでください。私が死んでいるはずがないでしょう。今こうしてこの部屋にいて、ネコが横にいて、そしてレモネードを飲んでいるのに……。あなただってちゃんと身体があるじゃないですか。それなのにどうして私が死んだなんて言うんですか? 全く気違いじみています」

最初、私は夢でも見ているのだろうと思いました。すると彼女は、
「これは夢ではありません。あなたは死んだのです」と言いました。

「もしあなたが言うように私が死んでいるなら、どうやって私はここにきたのですか?」

「私はあなたのことを考え、あなたのために祈ってきました。そして私は、あなたを担当する役目が与えられました」

「どういう意味ですか? あなたが私の担当になったとは?」

「あなたの船が沈んだとき……」

その言葉を聞いて私は突然思い出しました。船が沈んだとき、私は海の中で木の棒をつかもうともがいていました。それは絶望的状況でした。

「あなたは溺れ死んだのです」彼女が言いました。

「何百人という若者が、あなたとともに死んだのです。その死んだ若者たちは全員、こちらの世界で世話をしてくれる人たちに出会っています。ある者は地上時代の親戚や友人であったり、ある者はそれ以外の人であることもあります。そして私は、あなたのお世話をすることになったのです。

あなたにはまだ納得がいかないでしょうが、あなたはこれまでずっと導かれてきたのです。先ほどまで、ご自分でここまで歩いてきたと思っていらっしゃったでしょうが、実はあなたは一人で歩いてきたのではありません。あなたはこちらの世界にいる人々から放たれた“インスピレーション”によって助けられながら、ここまできたのです。その人たちは、あなたのように突然死んでこちらの世界にやってきた人々を助けることを使命としているのです。

心配しないでください。私はこれからあなたと一緒にいます。私があなたのお世話をいたします。私をあなたのお母さんのように考えてください」

私は、それはありがたいことだと思いました。それから彼女は私の身内について語り始めましたが、それは私にはかなりショックでした。なぜなら私の父親や母親について何もかも知っていたからです。二人の離婚のことも詳しく知っていました。そして妹や他の身内のことも知っていました。

「あなたは私たちと何か特別に深い関係でもあるのですか?」

「いいえ、あなた方のことを知っておくのも私の仕事の一部なのです。あなたをお世話する以上、あなたに関係のある人々のことを知っておく必要があるのです」

「あなたは私がどのようにしてこちらの世界にきたのか知っていました。どうしたら私のことがそんなに分かるようになるのですか?」

「それは簡単なことです。私の意識をあなたの意識と同調させるだけでいいのです」

「同調させる? それはまるで無線機のようですね」

「こちらの世界ではそうしたことができるのです。もし私たちが特別な仕事をしていて、その関係上どうしても相手のことを知りたい時があります。その際、相手との間に何らかの結び付きがあるなら、私たちは相手の心に自分の意識を同調させることができるのです。

話は変わりますが、私たちはもうじき地上にいるあなたの知り合いに会いに行きます」

「それは素晴らしい!」

「もちろん彼らは今はまだ、あなたが死んだことを知りません。そしてもし、あなたが彼らのそばに行ってもあなたの存在に気がつきません。いずれみんな、あなたが死んだことを知るでしょう。あなたは彼らに会いに行くこともできますし、彼らを見ることもできます。そのとき誰もあなたに気がつかないとしても、動揺したりしてはいけません。

私は地上に息子を一人残してきていますが、いつか彼がこちらの世界にきて再び一緒になれることを楽しみにしています。当分、私はあなたのお世話をいたします。自分の息子にするようにお世話をいたします。あなたが幸せになれるように、私ができることは何でもいたします。これからは心配は無用です。ですから独りぼっちで寂しいなどと思わないでください。

しばらくしたら、あなたには休息の時が訪れます。今のあなたには休息が必要です。その時になったら、私はあなたをご案内して仲間に紹介しましょう」

共同体の人々の歓迎
しばらくして彼女は、私を家の外に連れ出そうとしました。外は太陽が出ているようでした。後になって彼女が教えてくれたのですが、こちらの世界には地上のような太陽はないということです。こちらを明るく照らしているのは、全人類・全生命体にエネルギーを与えている“神”から放たれた光だということです。面白いことに(皆さんには奇妙に聞こえるかもしれませんが)、その光は影をつくらないのです。ですからこちらには地上のような物の影はないのです。すべてのものは繊細な光に包まれ心地よく輝いています。その光は辺り一面を快適に、ほどよい暖かさで包んでいます。

とにかく私たちは家の外へ出ました。彼女はドアを閉めただけで鍵を掛けようとしませんでした。

「ドアに鍵を掛けないのですか?」

「こちらではその必要はありません」

先ほど私が初めて通りを歩いたときは、人は誰も見あたらず、まるで死の町のようでした。すべてはきれいに片付けられ、さっきまでそこにいた人々が午後の休憩でどこかへ行ってしまったようでした。ところが今度は先ほどとはうって変わって、私は大勢の人々に取り囲まれました。

大部分の人々は若かったですが、その中の一部の人々は年配に見えました。その人たちは実際は年老いていたわけではありません。しかし彼らには年寄り臭さを感じさせるような何らかの原因があったため、そのように見えていたのです。私はこのことについて説明することはできません。とにかく私を取り囲んだ人々は次々に握手を求め、私の名前を呼んでくれました。

「これは不思議だ。みんな私の名前を知っている。みんな私をテリーと呼んでくれている。まるで彼らはずっと昔から私を知っているようだ……」

後になって分かったことですが、地上からの新参者がここにきたときには、例外なくこうした歓迎を受けるということです。これもまた後になって知ったことですが、ここは特別な共同体で、ここでの仕事は地上からの新参者を助けたり導いたりすることだそうです。戦争になると多くの若者が、次々とこちらの世界に送り込まれてきます。

とにかくそこにいた人たちは私を取り囲んで心から歓迎してくれました。私は本当に昔からの友人の中にいるように感じました。考えてみればこれは異常なことです。何しろ私は地上の人々が“死”と呼ぶ場所にいるのですから……

「私が最初ここにきたばかりのときには誰も会いにきてくれなかったのに、どうして今はこんなにみんな出てきて歓迎してくれるのですか?」彼女に聞いてみました。

「それはあなたに対する配慮からです」

「どんな配慮なのですか?」

「それはとても大切なことです。あなたが直接、私の所にくることが必要だったからなのです。私があなたをお世話するために選ばれた人間であることを、あなたに知ってもらうためだったのです。もちろんみんな、あなたがこちらの世界にきたことは知っていました。あなたが家々を通り過ぎたとき誰もいないように見えたでしょうが、彼らはあなたに対する愛の思いから、わざと姿を見せなかったのです。あなたがこちらの世界に慣れ始め、私の手助けを受けながら少しずつこちらの世界について理解していくことを、みんな知っていました。そしてあなたに準備態勢ができたので姿を見せたのです。

もし彼らが初めからあなたを迎えていたら、あなたの準備にもっと時間がかかったでしょう。今あなたはこちらの世界に落ち着き始めました。あなたは、これから多くの人たちに会うでしょう。あなたが次にすべきことは“自分の仕事”――あなたがこちらの世界でしたいと思うことを見つけることです。しかしその前に一度地上に戻って、あなたの知り合いがどのようにしているのか、私たちにできることがあるかどうか見ておきましょう」

「テリー・スミス」の死後の生活は順調であった。彼はいつか将来こちらの世界にやってくる父親や母親を出迎え、彼らのための住まいを準備してあげるようになるであろう。しかしあの世に初めて入ってくる者の中には、地上時代に人間嫌いで、他人との関係をほとんど持たなかったような者もいる。そうした人間は、あの世ではどのような道をたどることになるのだろうか?

こうした問題に対する答えが、一九六五年十二月六日に送られてきた。地上の人々がクリスマスの買い物にあたふたとしている時期であった。しわがれ声によって沈黙が破られた。彼は自分の名前を「ジョージ・ウィルモット」と名乗った。

「私はこの場所(交霊会)に何度もきたことがあります。そして地上とこちらの世界のやり取りを聞いていました。私にも話をするチャンスが与えられるかもしれないと期待していました。本当にチャンスはいつやってくるか分からないものです」

「ウィルモットさん、あなたのことを教えてください」グリーン女史が言った。

人間嫌いだったある男の死後
(ウィルモット霊)
私はとても貧乏な商売人で、かろうじて生計を立てていました。何とか死なずに生きている、という状態でした。ある時期から少しはまともな生活ができるようになり、欲しい物も手に入るようになりました。また少しのお金なら手元に残せるようになりました。しかし人々が普通考えるような幸せな人生を送ったわけではありません。

とにかく私は地上からこちらの世界にきて本当に幸せです。私は地上時代、ずいぶん気ままに生きてきました。私なりに楽しんでいたにすぎないのですが。でもそのときは、それでも少しは楽しかったような気がします。私は二度離婚しました。二人の妻は全くたちの悪い女でした。しかしそれはこの私も同様だったのですが……

「ウィルモットさん、あなたはどのようにしてそちらの世界に行ったのですか? そしてそのとき、どのような様子でしたか?」

「私は冬のある日、肺炎を起こしました。少し咳がして胸に異常を感じました。気がついたときは、すでに病院に運ばれていました」

病院に運ばれて一週間後、ジョージ・ウィルモットは死んだのである。彼があの世に行って最初に出会ったのは、彼の古い知り合いジェニーだった。こう言って彼は笑った。

「実はジェニーというのは妻の名前ではないんです。私の愛馬の名前なのです」

10. 動物の死後は?
動物愛好者にとって愛するイヌ、ネコ、子馬たちとの死別は、身内の人間の死と同じくらい悲しい出来事である。もし自分が死んであの世に行ったとき彼らがいないとしたら、そこでの生活は寂しく悲しいものに思われるであろう。

「ウィルモット」からの通信内容は、これまでのものとは少々趣(おもむき)が異なっている。あの世に行ったとき、愛する動物たちやペットが迎えてくれることほど嬉しくてびっくりすることはない。地上時代のジョージ・ウィルモットは結婚生活の失敗者で二度の離婚を経験している。その彼が他界後、愛馬ジェニーの出迎えを受けたとき、飛び上がらんばかりに驚いたのは言うまでもない。

愛馬との出会い
(ウィルモット霊)
ジェニーは私の三十代前半に馬車を引いていました。そのジェニーが年老いて死んだとき、私は本当に嘆き悲しみました。ジェニーは私にとって、どんな女性よりも親しくいとしい存在でした。私は心からこの馬を愛していました。ジェニーは私の言うことをすべて分かってくれました。私はこれまで、この馬ほどいい馬に会ったことがありません。本当にいい馬でした。

私はこちらの世界にきて目覚め、気がついたとき、地上の野原のような所にいました。木の下にいました。するとジェニーが私の方にやってくるのが見えました。ジェニーだ!

ジェニーは若く見えました。そしてとても幸せそうに見えました。私は何と言っていいか分かりませんでした。それは全く説明のできないことでした。

さらに驚いたことに、ジェニーが私に語りかけてきたのです。本当に不思議なことです。声は聞こえませんが確かに話しかけてくるのが分かるのです(皆さんは馬が話をするなんて思いもよらないでしょうが)。しかしそうしたことが本当に起きたのです。ジェニーが私に語りかけ、私を歓迎してくれているのが分かりました。ジェニーは私の近くにきました。そして私の顔をなめ回しました。私はこのときの感動を永遠に忘れることができないでしょう。私はぞくぞくするほど嬉しく思い、ジェニーの体を軽く叩き続けました。

ガイドの「マイケル」
そのとき私の後ろから人の声がしました。私が振り返るとそこに美しい男性が立っていました。彼は背丈が六フィートほどで金髪で若く見えました。彼が言いました。

「私はあなたのお世話をするためにきました」

「私の世話をする? いったい何を言っているのですか?」

「そうです。私があなたのお世話をいたします。私はあなたの担当を仰せつかったのです」

「私の担当とはどういう意味ですか? 私は人に世話をしてもらわなくても自分のことはいつも自分でしています」

「あなたはご自分が死んだことが、まだ分かっていらっしゃいませんね」

私はそれを聞いて雷に打たれたようなたいへんなショックを受けました。そして突然、思い出しました。ジェニーはずっと昔に死んでいること、ジェニーの死後、他の小さな馬を飼ったことを思い出したのです。その子馬もいい馬でしたが、ジェニーにはとても比べられません。彼はまた言いました。

「あなたは死んだのですよ」

しかし私は、彼がどうしてそんな冗談を言うのか分かりませんでした。

それから彼が私に何かを見せようとしていることが分かりました。すると突然、ベッドに横たわっている自分の姿が見えました。私の体は堅くこわばっていました。それから数人の人たちが私の体を手押し車に乗せて外に運び出しました。私はその手押し車の後について行きました。そこですべてのシーンが消え去りました。このシーンを私に見せてくれたのが彼なのかどうか、本当のところは分かりません。おそらく彼が見せてくれたのだと思いますが……

私はもとの所に戻りました。もちろんそこには彼もいました。

「私の名前は『マイケル』です。あなたはご自分が死んだことが分かりましたか?」と彼は言いました。

「私はどのように考えたらいいのか分かりません」と答えました。

「もうお分かりでしょう。今見たのはあなたの死体です。あなたは病院で亡くなったのです」

「そういえば私はひどい病気で病院にいたことを思い出しました。しかし、どうして私が死んでいるなんて言えるんでしょうか? 私は今ここで、あなたと話をしているではないですか。そしてジェニーとも会いました」

「ジェニーと会ったということが、あなたが死んでいる証拠ではないですか」

「ジェニーと再会できたのは不思議です。もし私が、あなたが言うように本当に天国(死後の世界)にいるなら、そこで馬に会えるとは思えませんが……。動物には魂がないのですから」

「それは地上で言われていることで事実ではありません。これまで動物は物質世界で生きるのみで永遠の生命はないと教えられてきました。しかしそれは間違いです。ジェニーはあなたと深く結ばれ、あなたが強い愛情を持っていたために寿命を延ばすことができたのです」

私には彼の言った“寿命を延ばす”ということの意味が全く理解できませんでした。

「あなたがその馬に愛情を抱いているかぎり、その馬はこちらの世界で存在することができるのです。人間は動物に対する責任を自覚していません。私はこちらにきて何百年もたちますが……」

彼がそう言ったとき、私は彼の顔をもう一度見てみました。私の理解を超えたことですが、その男性は何百歳も年を取っているにもかかわらず、とても若く美しくスマートに見えました。私はこの男性には逆らえないと思いました。

「時間がありません。私はここに何百年もいます。私の責任と仕事は動物の世話をすることです。私はよく地獄に降りて行きます」と彼は言いました。

私は彼が言う“地獄”とはどういう意味かと思いました。昔から宗教で言われてきた地獄(hell)という意味かと思いました。

「私が言う“地獄”とは、地上の人間たちが動物を自分の所有物のようにして飼っている所のことです。私は動物たちを助けようとしました。しかし私たちにできることには限界があります。こちらの世界では動物たちは広い土地で楽しく過ごしています。愛と思いやりが満ちあふれ大切にされています。

地上の人間は愚かにも考え違いをしています。人間だけが永遠に生きる資格を持っているのだと思っています。さらに真理を教えなければならない宗教者までもが、そうした間違った考え方をしていて、その考えを改めようとしないのです」

それから彼は、こちらの世界について多くのことを語ってくれました。私は彼の話に興味をそそられました。しかし彼が話している間、その話を聞きながらも半分、自分自身のことを考えていました。私は、すでに死んでいるならこれから何をしていったらいいのだろうか、などと考えていました。自分のことやこれから先のことが頭から離れませんでした。

「いつまでもここにいてはいけません。さあ行きましょう」

「分かりました」

私は彼と並んで歩いて行きました。そして野原を通って小さな門を過ぎ道路のような所へ出ました。そこはまるで地上の田舎のようでした。私たちはどんどん歩いて行きました。

ウィルモットはあの世で、生前自分の愛した動物に再会した。同じような体験者は他にも大勢いる。「テリー・スミス」はイギリス巡洋戦艦フッドが沈没したとき溺れ死んだが、彼があの世の家に案内されて最初に驚いたことは、黒ネコがイスに座っていたことであった。

あの世の黒ネコ
(テリー・スミス霊)
突然このネコは、とても面白いことをし始めました。イスから飛び降り私の所にきてお座りをし、耳を立てて私を見上げました。そのネコは鳴きもしませんでしたし、地上のネコのように騒いだりもしませんでした。そして驚いたことに私に話しかけてきたのです。私が飛び上がるほどびっくりしたことはお分かりでしょう。

ガイドの女性は言いました。

「心配しないでください。すぐに分かることですから。こちらの世界では動物は能力をたいへん進歩させ、自分の意志を伝えることができるのです。もちろん地上でもある程度は同じようなことができるでしょうが、動物の話を聞くというようなことはできなかったはずです。地上では動物は、われわれ人間が理解できる言葉を持っていませんでした。しかしこちらでは動物たちの考えは大気を振動させ、私たち人間がそれを聞き取ることができるのです。そのようにして人間は動物の考えを知ることができるのです」

突然、目の前のネコは「こんにちは」と言いました。こんなことはとても考えられないことです。ネコが「こんにちは」などと言うはずがありません。私も、まさかネコがそんなことをするなどとは思ってもいませんでした。

「心配しないでください。じきに慣れるでしょう。動物は人間が思っている以上に、ずっと繊細なのです。そして彼らは彼らなりの知性を持っています。彼らは自分たちの考えを伝えたり受け取ったりできるのです。彼らは地上でしていたより、はるかに多くの情報を伝え合っているのです。そのことはやがて分かるようになるでしょう」

私はそれは本当のことだと思いました。そしてその黒ネコが、「こちらで幸せな生活が送れますように」と言っているのが分かりました。それからネコはもとのイスに戻って丸くなり眠ってしまいました。

しばらくして、ガイドは私を初めて村の散歩に連れ出しました。その散歩の目的は、こちらにいる他の人々に会うことでした。私たち二人だけで行ったのではありません。動物たちも私たちの後についてきました。私たちが家を出ようとするとネコも起き上がって一緒についてきました。それはまるでネコというより犬が飼い主の後について行くようでした。

「おいで、ついてきなさい」と彼女は言いました。そしてそのネコを「ネリー」と呼びました。「ネリーというのはネコにしては面白い名前だ。これまでネリーなどというネコの名前は聞いたことがない」と思いました。

「あなたはネリーという名前を面白いと考えていらっしゃいますね」

「私は今まで、そういう名前は聞いたことがないのです。なぜその名前で呼ぶのですか?」

「ネリーは私の母がつけた名前です」

「あなたのお母さんがつけた! するとそのネコは今、いったい何歳になるんですか?」

「地上の年齢にすれば、だいたい六十歳ぐらいです」
l・€ あの世での動物の様子
ジョージ・ホプキンス(スセックスの農夫)も、やはりあの世で愛犬との再会を果たし、大喜びをした一人だった。彼の愛する犬は彼のまわりを跳び回り、しっぽを振ったり飛びついたりした。彼は他にも興味ある話をしてくれた。

グリーンがいつものように質問した。

「あなたは今、そちらで何をしているのですか?」

「私は今、家畜にとても興味があります」

「あなたはそちらでも家畜を飼っているのですか?」

「馬を飼っています。私はずっと動物が好きでした。特に馬が好きでした。こちらには美しい牧場や野原があります。そして地上と同じような動物たちがいます。こちらの動物たちは、みんなのびのびと自然のままに生きています。彼らを殺す人間はいません。また、私はこちらで美しい庭を持っています。私はそれがとても気に入っています。私は庭を歩いたり馬に乗ったりするのが好きです。私は地上時代、農場で働いていたのに、乗馬のチャンスは不思議なほどありませんでした。私はこちらの世界で乗馬ができるとは思ってもいませんでした」

「あなたは動物が人間のような高い意識レベル(高度な思考能力)を持っていると思いますか?」とグリーンが聞きました。

「持っていますとも! 断言できます。地上の人間は動物の知性を過小評価しています。動物たちは彼らなりの感情や情緒を持っています。多くの動物はかなりの知性を持っているのです。

地上では、食用のために動物を殺すことについての是非を問う激しい議論がなされていることは知っています。それについて私は詳しいことは知りませんが、今、私は“肉食習慣”は不必要だと考えています。食料を得る方法は他にいくらでもあるからです。いずれにしても動物の肉を食べるのはよいことだとは思いません。それが人類によい結果をもたらすとは思いません。動物も人間同様“生きる権利”を持っているのです」

11. 地上の男女愛のゆくえ
地上時代の配偶者との出会いは?
“死”が辛いというのは、何と言ってもそれが愛する人との永遠の別れとなるからである。ところが嬉しいことに他界直後、多くの人々はあの世に先立った夫、妻、両親、子供、友人の出迎えを受けることになる。これによって大半の人々は、自分が死んだことを自覚するようになるのである。

死後の世界の存在を頭から否定する人は別として、もしかしたら死後の世界はあるかもしれないと思いつつも、それを受け入れたくないという人もいる。その理由の一つとして、生前“顔も見たくないほど嫌っていた配偶者や知り合いと、また同じ関係を続けなければならない”ということがあるかもしれない。

しかしそうした心配は無用である。なぜなら、心から愛する人とはあの世でも一緒になることができるが、顔を合わせるのもイヤだと思うような人と一緒になることはないからである。

かつての花売りの少女「ローズ」は語った。「こちらでは心から愛し合い惹かれ合った者同士が一緒に住むようになります。夫か妻の一方が相手を嫌っているなら、こちらで一緒になることはありません」

「ビッグス」と「ハリー」は死後もしばらくパブをうろついていた。先にあの世に行った母親は、彼らの世話をしたいと心から思い続けてきた。そして彼らは、母親の出迎えを受けることになった。

また「アルフ・プリチェット」は長い間会うことのなかった姉と、「ジョージ・ホプキンス」も先に他界していた妻と、そして「マリー・イワン」も姉、両親、夫と、それぞれ死後の再会を果たしたのである。

もしあなたが二度と会いたくないと思う人がいるなら、あの世でその人と会うことは決してない。ハリーは母親と再会したが、その際、母親の語った内容は、地上で離婚を経験した者にとっては朗報である。

離ればなれになる男女・夫婦
(ハリー霊)
「ところでお父さんは今どこにいるのですか?」私は母に聞いてみました。

「私とお父さんは一緒ではありません」

私は、これは当然のことだと思いました。どう見ても二人は理想的なカップルとは言えなかったからです。しかし二人は地上人生を夫婦として通しました。

「こちらの世界でどうしてお母さんはお父さんといないのですか?」

「それについては心配しないでください。あなたのお父さんと私は、友人としてはよかったでしょうが、夫婦としてはよくありませんでした。実際、私たちは理想的なカップルではありませんでした。外見は少しは仲がいいように見えたかもしれませんが、本当は心が通じ合っていませんでした。それで私は今、お父さんとは一緒にいないのです」――母の話は私には少々ショックでした。

もし地上での人間関係がすべてあの世に持ち越されるとするなら、地上で気が合わなかった人ともずっと顔を合わせなければならないことになります。しかしこちらでは、本当に気が合う人とだけ一緒に暮らすのです。

あの世では、気が合わない人と一緒に生活することはないことを実証するような別の通信が送られてきた。

一九六〇年八月、女性の声がした。その声はかつてイギリスの新聞の一面を飾ったことのある女性からのものだった。「アミー・ジョンソン」は一九三〇年、オーストラリアへの単独飛行に成功し、イギリスのトップ女性飛行士として名を馳せ、一躍当時の英雄になったのである。その二年後、一九三二年、彼女は青い目の酒好きなスコットランドの飛行士「ジム・モリソン」とロマンチックな結婚式を挙げた。しかし結婚生活は一九三八年に破綻を迎え、アミーはもとの姓に戻ることになった。

一九四一年一月の寒い霧の日、彼女は戦時空輸飛行士としてブラックプールからオックスフォード近くの飛行場に向けて離陸した。彼女が操縦していたのはイギリス空軍の双発練習機オックスフォードだった。しかし彼女は飛行場に到着しなかった。夜の闇がテムズ川の河口を覆うとき、練習機オックスフォードとパラシュートが発見された。彼女は二度と帰らぬ人となったのである。

一九六〇年八月六日、ウッズとグリーンは暗闇の中で、あの世からの声を待っていた。女性の声がした。そして自分を「アミー・ジョンソン」と名乗った。彼女は自分が死んだことに気がついたときの衝撃を堰(せき)を切ったように語り始めた。

「ジムもここにきています」

「そうですか。ジム・モリソンさんは今、何か話すことができますか?」グリーン女史は尋ねた。

「私には分かりません。私はこちらでジムと会うことはあります。しかし一緒に生活してはいません。私はジムと仲が悪くなるのを恐れています。私たちはともに強い性格の持ち主だったと思います。私たちは、もうお互いに傷つけ合いたくありません」

彼女の話は尽きなかった。彼女の話には“男女愛”についてのきわめて意味深い内容が示唆されている。

あの世で結ばれる男と女
自由気ままな恋愛生活をしてきた男女が、あの世で一緒になる可能性はない。しかしそれとは反対に、結婚したいと思いつつもそのチャンスを逃した男女もいる。そうした者たちは、あの世でどうなるのだろうか? 地上で何かの事情で結婚できなかったり、性格的に気が弱かったり、ひっこみ思案だったために結婚の幸せを逃した人には、死後チャンスが与えられることになる。あの世においては、そうした男女の出会いが実現している。

先に「ジョージ・ウィルモット」のことを述べた。彼は地上で二度の離婚を経験し、あの世に行ったとき真っ先に愛馬の出迎えを受けたが、以下は彼のその後の話である。

秘かに心を惹かれていた女性との出会い
(ジョージ・ウィルモット霊)
私とガイドの男性は歩いて行きました。角を曲がってたくさんのポプラの木々のそばを通り過ぎました。そのとき突然、思い出しました。ここは私が戦争中―― 一九一四年~一九一八年まで過ごしたフランスの田舎でした。大きな美しい木々が道に立ち並んでいました。この道の遠く離れた所に古い家があって、そこには昔、私が親しくしていた人々がいるはずです。私は当時、兵舎に住んでいました。その家には父親と母親と娘が住んでいました。

今、私がその家に近づくと、彼らが道の突き当たりの門の所に立っているのが見えました。そして私に向かってちぎれんばかりに手を振っていました。私は「いったい、これはどうしたことか?」と思いました。たしかこの人たちは戦争で死んだはずです。私は、彼らと別れた後、ここに爆弾が落ちて全員が死んだことを聞かされました。私は戦争の間、ずっとそのことが頭から離れませんでした。

「私は死んであの世にいるのだから、この人たちもやはり死んでいるに違いないだろう」と考えました。それで彼らをよく見てみました。すると不思議なことに、父親と母親は地上にいたときよりずっと若く見えました。しかし目の前にいるのは紛れもなく以前と同じ人たちです。

私は当時、サイドボードの上に置いてあった二つの肖像画のことを思い出しました。それらは父親と母親の若い頃のものでした。二十代のものだと思います。今、目の前にいるのは、あの肖像画と全く同じ若いときの二人だったのです。娘は母親と同じくらいの年齢に見えました。

その頃、私はこの娘にとても惹かれていました。そしてもし状況が許すならプロポーズしたいと思っていました。もちろん実際には結婚しませんでした。今も地上にいたときも、自分が彼女にプロポーズしなかった理由をいつも考えてきました。たぶんその理由は、私の二回の結婚の失敗にあったのだと思います。

私は常に、彼女への思いを心に抱いていました。彼女は何てかわいくて優しく親切なのだろうと考えていました。私たちはほとんど言葉を交わすこともなかったのですが、私は、彼女こそ自分にふさわしい女性、自分と本当に結ばれる相手だと思い続けていたのです。

恋人の若死にで結婚できなかったハリーの場合
ジョージ・ウィルモットと同じように「ハリー・トゥッカー」も、あの世で愛する人と再会する喜びを得た。彼は生前、追いはぎをしていた。その彼が一九六八年の交霊会に現れ、地上の酒場を徘徊(はいかい)していた地縛霊の状態から救い出された話を語り始めた。

(ハリー・トゥッカー霊)
一人の少女が私に近づいてきて私の手を取りました。私は彼女の顔を見て驚きました。それは私が決して忘れることのできない人でした。彼女は昔、私がとても心を惹かれていた少女だったのです。

私と彼女はお互いに見つめ合いました。もし私が地上で彼女と結婚できていたなら、きっと今とは違った人間になっていたはずです。悪い仲間に入って悪事を重ねるようなことはなかったと思います。もし彼女が若くして死ななかったなら、私たちはたぶん結婚したでしょう。そして私は、もっとまともな人間になっていたと思います。追いはぎなんかせずに、農場で働き何とか生計を立てるような平凡な人生を送っていたでしょう。しかし彼女は若くして死んでしまいました。それから私の心はひねくれてしまいました。

彼女は私の手を取って言いました。「今から私と一緒にもう一度やり直しましょう。私はあなたの手助けをいたします。これから私はあなたを導いてまいります」

私と彼女は大きな建物を出てから、地上の町のような所へ行きました。その町外れに藁ぶき屋根の小さな家がありました。その家はまわりを低い塀で囲まれていました。そこはまるでわが家に戻ったかのような心なごむ雰囲気に包まれていました。私は地上でそんな素晴らしい所を見たことがありません。私たちは家の中に入りました。すると彼女は先ほどとは違って見えました。間違いなく同じ彼女だったのですが……。彼女はさっきまでの美しいドレスの代わりにシンプルな木綿の服を着ていました。

彼女はこれまで私をずっと待っていてくれたのです。地上にいる私を見つめ、思い続け、何とか私を正しい道に引き戻そうとしてくれていたのです。

そして今、私はとうとう彼女と一緒になれたのです。

愛し合いながらも結婚できなかった男女の出会い
女性専門誌によく掲載されるような、最高に美しくロマンチックなラブストーリーがあの世から送られてきた。一九六九年一月二十日、交霊会の静けさがスコットランド訛りのある女性の声で破られた。

「私の名前はマリー・アン・ロスです」

「マリーさん、あなたが死んだとき何が起きたのですか? あなたはいつ亡くなったのですか?」グリーン女史は問いかけた。

(マリー・アン霊)
それは今からずいぶん昔のことです。私は台所のランプの明かりの下で縫い物をしていました。私はイスから立ったことを覚えていません。

「そのとき何が起きたのですか?」グリーン女史が話を促した。

とても不思議なことが起きました。部屋全体が光に覆われ、たくさんの人々がまわりにいるのが見えました。何と! そこに何年も前に死んでいるはずの父、母、兄弟がいたのです。そしてネリーもそこにいました。ネリーは私の数少ない友人の一人で、数週間前に死んだばかりです。彼らはみんな部屋にいました。

私は夢でも見ているのでは、と思いました。そのうちネリーが近くにきて私を抱きしめ、顔にキスをしました。それは温かでした。母もきて私にキスをしました。彼女たちが私の手を取ると次の瞬間、私の身体は宙に浮かび上がり窓を通り抜けました。まわりのすべてのものが消え失せました。

私は目覚めました。素敵なベッドにいました。その部屋の天井はタテ、ヨコに木が渡されていて古い家のようでした。とても心がなごみました。そして太陽の光(そのときの私はそう思ったのですが)が窓から射し込んでいました。母はずいぶん若く見えました。昔、寝室に結婚前の母の肖像画が飾ってありましたが、今、目の前にいる母は、その肖像画の中の若い頃の姿でした。私は「これは夢だ」と思いました。

「いいえ、これは夢ではありません。現実です。あなたは生きているのです。何も心配いりません。元気になったら、あなたが小さいときに会ったことのある人たちの所へ行きましょう」

「私は自分が死んだなんて信じられません。まだ美しい夢を見ているようです」と言いました。

そのとき犬が、ベッドの上に飛び上がってきました。これには本当に驚かされました。私は以前から犬が好きでした。この犬はずっと昔、私が飼っていた犬で、父親もとてもかわいがっていましたが、馬車に轢(ひ)かれて死にました。私たちはこの犬をニパーと呼んでいました。そのニパーが私のベッドに飛び上がってきたのです。私は何がなんだか分からなくなりました。すると母が言いました。

「もちろんこちらの世界にも動物はいるのですよ」

「私にはどうしても理解できません。とても信じられません。教会の教えでは動物は死後、天国には行かないことになっているのではないですか?」

しかし、ここに動物がいるのは間違いのない現実である以上、ここは天国ではないと思いました。ここは昔、絵や宗教の本で見た翼を持った天使のいる世界(天国)とは、あまりにも違っていました。

それから私は眠りのような状態に入りました。それは地上の眠りとは異なりますが……。気がついたとき私は、小道のような所を歩いていました。両側に木々が立ち並び、美しい野原や家畜が見えました。道をどんどん歩いて行きましたが全く疲れを感じませんでした。通りの終わりまでくると、そこに美しい白い家がありました。その家は真珠の光沢のような光で覆われていました。

私がこの家に近づくと一人の男性がドアから出てきました。彼を見たとたん、私の心臓は驚きで破裂しそうになりました。

何と! この男性は昔、大好きであったにもかかわらず、結婚の申し出を拒んだ男性だったのです。もちろん私は彼を愛していなかったわけではありませんが、もし私が結婚すると、だんだん年老いて世話が必要になる両親を見捨てなければなりませんでした。といって、他人に自分の両親の世話をさせるという重荷を負わせることはできませんでした。どんなに彼が好きでも、それはしてはいけないことだと思ったのです。私は彼のプロポーズを断りました。それ以後、彼は他の女性と結婚しようとしませんでした。やがて彼は町を離れ、その後長い間、彼と会うことはありませんでした。

その彼が家から出てきました。彼はかつての三十代の頃のままでした。ただ当時、彼は口ヒゲを生やしていましたが、それはありませんでした(こんなことを思い出すなんておかしなことです)

彼は庭の通路を私の方に向かって駆けてきました。そして私を抱き締めました。私は最も深い愛情で愛されていることを感じました。ただそういう言い方はすべきでないかもしれません。なぜなら私は両親からとても愛されてきましたし、私も両親が大好きだったからです。しかし彼に対する気持はそれとは違う感情でした。

「とうとうあなたは私の所にきてくれました。今度はもう私を拒まないでしょう」

私は彼に何と言っていいのか分かりませんでした。

そのとき突然、庭中の花がいっせいに咲き始めました。こう言うと嘘のように聞こえるかもしれませんが、私にはどのように説明したらいいのか分かりません。しかしすべて本当なのです。花々がみるみる成長し始めました。庭全体がまるで生きているかのようでした。そこにはありとあらゆる種類の花がありました。地上にいたときから知っていた花もありましたし、初めて見る花もありました。

その中に特別大きなオレンジ色の花がありました。ケシの花のようでしたが、それがどんどん大きくなっていきました。私は、もしこのまま大きくなると家よりも高くなってしまうのでは、と思ったほどです。私はとても幸せな気持になり、心の底からくつろぎを感じ、平安な思いに満たされました。このケシのような花はぐんぐん大きくなって、やがて木のようになりました。

それから急に、花びらが開き始め、次にそれがうなだれたようになりました。うなだれたと言っても、しぼみ始めたということではありません。花びらが完全に開いて重なり合い傘のようになったのです。そして辺りは一面、美しいオレンジ色の傘のような花に覆われました。私たちはその下に立ちました。オレンジ色の花びらを通して美しい光が降り注ぎ、心地よい暖かさとまばゆいような光に包まれました。

「私は今までこんな大きな花を見たことがありません」と言うと、彼は、ほほ笑みました。

彼が言いました。

「あなたがこちらにくるまで、私は自分の思念で多くの花の種を育ててきました。でもあなたがきたのに、まだ満足できる庭にはなっていません。あなたがケシと呼んでいるこの花は、私のあなたに対する愛の象徴です。私はあなたをずっと愛してきました。私は地上のあなたをずっと見守り続けてきました。今や私たちは自由になりました。さあ、家の中に入りましょう」

歩いたのか空中を飛んだのか、はっきり説明できませんが、私の足は地面につかずに進みました。そして家に入りました。家の中は私がいつも憧れ夢見ていたようになっていました。その家は特別大きな家ではありませんが、私がこれまで地上で住んでいたどんな家より大きなものでした。

「これから私たちは一緒です。失われた時を取り返しましょう」彼が言いました。

私は今までこれほど幸福だと感じたことはありませんでした。それから父と母のことを思い出しました。

「あなたはすでに地上の人生を終えたのです。これからは私と一緒に人生を歩んで行くのです。しかし、あなたがお父さんやお母さんに会いたいときは、いつでも会うことができます。二人があなたの所にくることもできます。あなたはこれから多くのことを学ばなければなりません」と彼が言いました。

マリーは、「もうこれ以上、語ることはできません。エネルギーがなくなりかけています。私はここで皆さんにお話しできて、たいへん嬉しく思っています。できたらまたすぐにでもきて話をしたいと思います」と言った。

が、彼女はそれから二度と現れることはなかった。おそらくあの世での幸せな生活が忙し過ぎるためなのであろう。

12. あの世の日常生活
あなたは死んで自分の死を悟った。そしてあの世でも依然として生きているということを自覚し、新しい住まいに落ち着いた。そこでは次にどのような生活が待っているのだろうか?

交霊会におけるウッズとベッティー・グリーンの徹底した質問攻めのお蔭で、この世からあの世への移行は、アルファベットのAからZへのような、きわめて自然な移行体験であることが明らかにされている。

あの世の霊は、自分の死の体験をまるで昨日の出来事であるかのように語る。霊たちは、自分たちの死後の体験のすべてを一つのまとまった記憶として覚えている。

しかしそれを地上に伝えようとする段になると、彼らはその記憶を失ったり、語るためのエネルギーを失ってしまうようである。そうでないなら死後の世界の体験を地上人が理解できる言葉で表現することはあまりにも難しく、とうてい自分にはできないと思うようである。

その日、ウッズは三人の友人とともにベッティー・グリーンを連れて、クロイドンからレスリー・フリントの交霊会に向かった。それは彼女にとって初めての交霊会への参加であった。

交霊会では、かつてロンドンの花売り娘だった「ローズ」と名乗る少女が現れた。彼らはローズに、あの世の様子や生活について、思いついたことを片っ端から次々と質問した。

それに対してローズが答えるのであるが、その答えは地上時代の有名人・知性人だった霊からの通信では知ることのできないものであった。それは実に現実的な答えであり、地上人の誰もが知りたいと思うものばかりであった。

紹介が終わってウッズが尋ねた。

「そちらはどのような世界ですか?」

「あなたは私に、こちらの世界のことを物質的な言葉で語るように言っておられるのですか? 私は、どのように話し始めたらいいのか分かりません。もしあなたが、美しいものを美しくないものとの対比なしに考えるとしたら、美しいものとは何か、はっきり分からないはずです。美しい自然環境、花々、鳥、木々、湖……これらの美しさを知ることはできないでしょう」

「そちらでは太陽はいつも輝いていますか?」

「はい、いつも輝いています。私がこうした言い方をすると、皆さんはそれを単調なもののように考えるかもしれませんが、実際はそうではありません。皆さんが想像するようなものとは全く違っています」

「花を育てることは、地上世界より簡単ですか?」

「こちらでも花を育てます。花は地上と同じように育って大きくなります。しかし、こちらの世界には季節というものはありません」

「花を育てる方法や技術は地上とは違いますか? 例えば、水をやったりしなければなりませんか?」

「その必要はありません。私の知っているかぎりでは、こちらの花は自然に育つのです」

「そちらの世界は地上よりずっと美しいという点を除けば、地上世界ととても似ているのですか?」とウッズが聞いた。

「今、私は自分が住んでいる世界に限ってお答えすることができるだけですが、こちらには本当に広大で美しい多くの界層世界があり、それぞれの生活が営まれています。今、私が住んでいる所は、イギリスの美しい田舎にとても似ています。まわりの風物に関して言えば、ここには皆さんの知っている自然界のすべてのものがあります」

「そちらには町や村がありますか?」

「あなたが想像されるような町はありませんが、地上の町のような所はあります。そこには何千人という人々が集まって生活しています。しかしバスや電車はありません。そういうものはこちらでは必要ありません」

「他の場所に行くときには、どのようにするのですか?」

「歩いて行きます。もし離れた所へ行くときには、目を閉じて行きたいと思う場所のことを考えるだけです。そうするだけでその場所に行けるのです」

「ローズさん、あなたは家に住んでいるのですか?」

「はい、私は家に住んでいます。しかしこちらの世界では、必ずしも家は必要ありません。そうは言っても、私はこちらで家に住んでいない人にまだ出会ったことがありません」

「どのような家があるのですか? 地上のような家なのですか?」

「こちらにはあらゆるタイプの家があります。あなた方が田舎で見たことがあるような小屋のようなものから、家族全員が住んでいるような本当に大きな家まであります。肝心なことは、こちらの世界では、家は住む人の好みによってどのようにでも造られるということです。もちろんどの家もリアリティーがあります。どの家もここに住んでいる人々によって造られます。しかし家の造り方は地上世界とは違います」

「地上の大工のような人は必要ないのですか?」

「こちらにも建築家とか設計士のような人たちがいます。彼らが家を設計して建てるのですが、地上のように辛い肉体労働によって建てるのではありません。こちらの労働は、本当に楽しい造形作業なのです」

「そちらではお金を使うようなことはないのですね?」

「お金! こちらではお金で何かを買うようなことはしません。誰でも地上でつくり上げた生活習慣や価値観によって欲しいと思うものがありますが、こちらでは、それを思うだけで簡単に手に入れることができるのです」

「私が聞きたかったのは、あなた方はどのように大工に仕事を頼むのかということですが」

「私たちは、彼らにお金を払うわけではありません。彼らは家を建てることが好きだから家を建ててくれるのです。家を設計することが好きだからそうしてくれるのです。その仕事が好きだからしてくれるのです。それは演奏家がバイオリンを弾くのと同じことです。彼らは、楽器を弾いて友人や人々を喜ばせることがとても嬉しいのです」

「では、そちらの人々は相手を喜ばせるために、愛のためにすべてのことを行うのですか?」

「そうです。すべてを愛の思いからします。……話は変わりますが、仮に地上で音楽家や芸術家になりたかったのにそのチャンスがなかった人は、こちらではそれを実現することができます」

「そちらでは、自分のしたいと思ったことは何でもできるのですか?」

「そうです。地上の多くの人々は毎日奴隷のように労働をしなければならず、自分が本当にしたいことはできません。時間がなかったりお金や教育がないために、好きなことができません。しかしそういう人たちもこちらへくると、自分のしたいことが何でもできるようになります。ここでのそうした仕事は、彼らにとって喜び以外の何ものでもありません」

「あなたはそちらで食事をしますか?」ウッズが話題を変えて質問した。

「フルーツもナッツも食べます。こちらには果物やナッツの木があります。他にも地上にある、ありとあらゆる食べ物があります。しかし動物を殺して肉を食べるということだけはしません。こちらには肉の類(たぐい)は一切ありません」

「ローズさん、花はどのように利用するのですか? 花を使って美しく飾り付けをするようなことをしますか?」

「もし、あなたがそうしたいと思うのなら当然それはできます。花を摘んで家の中に飾ることもできます。しかしこちらの世界にくると、ほとんどの人はそういうことをしなくなります。こちらにきて間もない人は、家を花で飾ることもあります。彼らは、家の中を花で飾るのは素敵なことだと考えています。しかし、やがてそれは不必要なことだと分かり始めます。花を摘むのは必ずしも善いことではない、と分かるようになるのです。

花は自然界の一部であり生命が宿っています。花を摘むことは正しくありません。それに、わざわざ花を摘んで家の中に持ってこなくても、自然の花の美を鑑賞できるのです。もしあなたが戸外の花々を見たいときには、わざわざ外へ出る必要はありません。ただ家の中に座ったまま、その花のことを考えるだけで見ることができるのです」

「家のドアや窓を開けたりするようなことをしますか?」

「その必要はありません」

「もし私がイスに座ってフリントさんのサークルに行きたいと思えば、目を閉じてただ考えるだけでいいのです。次の瞬間、そこにいるのです。皆さん方には少々奇妙に聞こえるかもしれませんが、事実なのです。本当にその通りなのです。地上で言う“時間”と“空間”は、こちらでは何の意味も持ちません」

「ローズさん、結婚について聞かせてください」

「どんなことを知りたいのですか?」

「そちらの世界での“愛情”について知りたいのです」

「それはどういう意味ですか?」

「私はそちらの世界には結婚はないと理解しておりますが」

「あなたの言う結婚とは何ですか? あなたの言う結婚とは、地上の人間がつくった法律・決め事にすぎません。私はそれが間違っていると言うつもりはありませんが……」

「地上にも、とても神聖な愛情はありますが」

「これは驚くようなことをおっしゃいます。あなたは私の言ったことを勘違いしています。私の言った意味を正しく理解していません」

「私はあなたの言ったことを正しく理解しているつもりですが……。質問の仕方を間違えたようです」

「私が言おうとしたことは、本当に心から愛し合い惹かれ合った男女がいたら、彼らは当然幸福であるということです。そこに人間のつくった法律や儀式は必要ではありません」

「しかし、それでは子供ができませんね?」

「こちらの世界にも子供はいますが、その子供たちは、地上のような肉体の関係から生まれたのではありません。こちらでの結婚は、あなた方が考えるようなものとは違います。地上のようなSEXはありません」

「そちらの動物は人間に馴れていますか?」ウッズは再び話題を変えて質問した。

「とても馴れています。動物たちはみんな、ペットのネコのようにおとなしいのです」

「動物たちが殺し合うというようなことはないのですか?」

「ありません。そういうことは地上界だけのことです。地上では、ある面で動物本能が彼らを“弱肉強食”へと駆り立てていると言えるかもしれませんが、こちらにくれば地上のような動物本能は直ちに消え失せます」

「食べる必要がない! 何て素敵なことかしら。料理もつくらなくていい」とグリーン女史が言った。

「その通りです。もちろんこちらにきたばかりで、ある食べ物が食べたいと思う人もいます。その場合には、それを食べることができます。しかし、すぐに食べ物に対する嗜好性はなくなります。ほどなく食欲は消え失せるのです」

「そちらでは寝ることはありますか?」

「はい、もし寝たいと思うなら寝ることはできます」

「でも、それは必要ではないんですね?」

「ええ、必要ではありません」

「疲れを感じることはないのですか?」

「感じません」

「精神的な疲れを感じたときはどうしますか?」

「もし精神的に疲れたら、ただ精神をリラックスするだけです。目を閉じ、くつろぎます。そしてしばらくして再び目を開けます。するともう疲れはなくなっています」

「先ほどそちらには時間や空間はないと言いましたが、物事はどのようにして進展していくのですか? どのようにして物事の経過を知ることができるのですか?」

「分かりません。私の理解しているかぎりでは、時間を計る手段はありません。こちらには時間の意識がありません。こう言うと、あなた方には理解できないことも知っています。こちらには地上のような午後・夕方・夜といった区別はありません。地上でいう時間は、こちらでは何の影響も及ぼしません。結局、時間は地上の人間がつくり出した単なる目印にすぎません」

「そちらでは昼間と夜がありますか?」

「ありません。ただ地上のような睡眠・休憩をとりたいと思うなら、夜の闇が出現します。そのときは目を閉じさえすれば、すがすがしい状態になります。これ以上は、どのように説明したらいいのか分かりません」

「ローズさん、あなたは他の天体を訪れたことがありますか?」

「私は地球より低い天体へ行ったことがあります。しかし、あなた方が考えているような天体には行ったことがありません。私が行った天体は地球に似ていました。ところで今、あなたは私に、どのような天体に行ったことがあるかと聞いたのですか?」

「火星や金星です」

「私はそうした所へ行ったことはありません。私は火星や金星については何も知りません。科学に興味のある者なら知っているかもしれませんが」

「他の質問をします。そちらには法律とか規則といったようなものがあるのですか?」ウッズが尋ねた。

「こちらの世界には“自然法”があるだけです。こちらにくると、すぐにそのことが分かるようになります。こちらには地上世界のような法律や規則はありません。万人に当てはまり、万人が認める“法則”(自然法)があるだけです」

「分かりました。ところでそちらには雲はありますか? 太陽は輝いていますか?」

「太陽が輝いています。ときどき空に雲が見えますが、それは珍しいことです。こちらの空は、あなたがこれまでに見たどんな夢よりずっと美しいです。空は必ずしも青色とは限りません。ときどき緑色になったり赤くなったり、ありとあらゆる素晴らしい色に変化します」

「そちらに存在する色彩はとても美しいですか?」

「それは皆さんには想像もつかないでしょう。こちらには、地上には全く存在しない色彩があります。地上とは比較にならないほど無限の色彩があるのです」

「衣服はどうですか? そちらでは服を着るのですか?」

「とてもよい質問です。もちろんこちらでも服は着ます」

「それは地上のような衣服ですか?」

「いいえ、私が昔、地上で着ていたものとは違います。皆さんもこちらの世界にきたときには、そうした服は着ないだろうと思います」

「あなたが今、着ているものを説明してくれませんか?」

「人はこちらにきて間もないときは、自分の気に入った服を着ます。今世紀にこちらの世界にやってきた女性は“ドレスはなくてはならないもの”と考えていますから、しばらくの間はそれを着ることになります。しかしやがて彼女たちは、そのドレスが本当に必要なものでないことを悟るようになり、気に入らなくなります。そして徐々に考え方を変え、結果的に服装を変えるようになります」

「ローズさん、あなたは今、何を着ていますか?」

「皆さん方にどのように伝わるか分かりませんが、私は今、とても美しい白いドレスを着ています。ドレスの縁にはボタンが付いています。袖は長く、幅が広いです。体の真ん中で金色のベルトをしています」

「服の素材は何ですか?」

「地上にある素材で最も近いものを挙げるならシルクだと思います。私は髪をとても長くしています」

「洗濯をするとき何か問題はありませんか?」

「何もありません。泳ぐこともできます。もしあなたが水の中に入りたいと思うなら、その通りできます。しかし衣服は濡れたり汚れたりしません。こちらには、チリやホコリや泥といったものはありません」

「そちらの世界には地上のような海はありますか?」

「私はこちらで海を見たことはありません。その代わり、美しい川や湖があります。どうして海がないのか私には分かりません」

「川や湖にはボートはありますか?」

「美しいボートがあります。しかし大型船はありません。とても美しいボートです。それはベニスで見かけるようなものです」

「ゴンドラのようなものですか?」

「そうです。船は花々で美しく飾られています。そしてそこで祝い事が行われます。水上は一面、光で飾られます。その光は電気やガスでつくられたのではなく、人々の心でつくられたものです。これが私の精いっぱいの説明です。私にはそのようにしか説明できません」

「何と素晴らしい!」ウッズが言った。

「そちらには町はありますか?」

「美しい町があります。汚く陰気な地上の町とは違います。その中に特別に美しい町があります。町には劇場や娯楽場のような所もあります。地上の劇場で上演されているようなミュージカルを見ることもできます。ただし、それは地上のミュージカルよりずっと素晴らしいです。

こちらの世界のすべての存在物には目的があります。意味なく存在しているものは一つとしてありません。もちろん私たちは笑うこともします。こちらにもコメディーのようなものがあります。こちらにきたからといって、ユーモアのセンスを失うわけではありません。

ご存じのように、地上の人々は正しいことを何も知りません。教会の日曜学校では、いつも全く間違ったことが人々に教えられています」

「教会は、いつもわれわれに馬鹿げたことを教えてきました。そして今でもそんなことをしているのです」とグリーンが言った。

「彼らは、死後の世界にいる私たちのことを、空を飛び回ったり、ハープを奏でたり、雲の上に座ったりしていると考えているのです。それは本当におかしな考え方です」とローズは言った。

「私は、そちらにも学校のような所があると聞いていますが……」ウッズが質問した。

「こちらには大きな学校や博物館があって、そこではあらゆる国々や民族の歴史を学ぶことができます。そこにないものはありません。すべてのものが揃っています」

「あなた方は話をしますか?」

「すみません。もう一度言ってください」

「そちらの世界で、あなた方は話をしますか?」

「その必要はありません。しかし話そうと思えば話せます。それはその人の魂の発達いかんにかかっています。こちらでの生活が地上の時間にして数年もすれば、人は必ず成長するようになります。そして話すことは不必要であると、悟るようになります。こちらでは地上時代のように話をしなくても、自分の考えを伝えたり、相手の考えを受け取ったりすることができるのです。テレパシーのようなものです」

「高度なテレパシーですか?」

「そうです。私はまだあまり上手ではありませんが……。いつかもっと上手になりたいと思っています」

「人々が地上で培ってきたもの、行ってきたことは、何でもそちらの世界に持って行けると聞いていますが、それは本当ですか?」とウッズが聞いた。

ローズの答えは返ってこなかった。「あなたは今、何と言いましたか」という他の声が聞こえた。それから何の声も聞こえなくなった。交霊会の参加者は、ローズはどこかへ行ってしまったか、誰かに引き離されたかと思った。すると、

「さようなら、別の時にきた方がいいようです」とローズの声がした。

【再び中断】それから、
「そうそう、言うのを忘れていました――よいクリスマスを」

「ありがとう、ローズさんもよいクリスマスを」

約十年後、彼女は約束を守って再び現れた。そして彼らに、新しい生活について語り始めた。ローズは以前と比べ十年分の成長を遂げていた。彼女の新しい生活は、十年前の生活とは少々違い始めていた。

13. 十年後のローズ
・・・次なる世界への不安

一九六三年九月九日、聞き覚えのあるロンドン訛りの女性の声で沈黙が破られた。

「ウッズさん、グリーンさん、こんにちは」

「こんにちは、ローズさん」グリーン女史は答えた。

「私の声が分かりましたか? 長い間ご無沙汰しておりましたが」

「すぐ、あなただと分かりましたよ」

「まあ! じゃあ私の声は、きっと普通の人と違うんですね。皆さん方が私を覚えていてくださるとは知りませんでした。先回お話ししてから、長い長い時間がたちました。私はてっきり、皆さん方が私のことを忘れてしまったものと思っていました」

「私たちはローズさんのことを決して忘れていませんよ」とウッズは答えた。

「こちらにいるさまざまな人間が、毎週毎週、あなた方の所にきて語っています。皆さん方は、本当に素晴らしい集まり(サークル)をつくっていらっしゃいます」

「私たちは今でもあなたの声を聞いているんですよ」

「どのようにして聞くのですか?」

「ローズさん、私たちはいつもテープであなたの声を聞いているのです」

「皆さん方は、いつもこちらの世界にいる多くの人々を惹きつけているようです」とローズが言った。

「ローズさんがここへきてくださるときは、いつも大勢の仲間が集まります。私は長い間、あなたと会うチャンスがありませんでした。それでも私はローズさんのことを忘れませんでしたよ」

「あなたは今、そちらで何をしていますか?」とウッズが尋ねた。ローズが答えた。

「私はわずかな時間ですが、小さな子供たちと過ごしています。私は子供が大好きなのです。私は多少なりとも彼らの役に立っているようです。そしてなぜだか自分でも分からないのですが、そうした片手間に時々する仕事が好きなのです。

こんなことを言うと馬鹿げて聞こえるでしょうが、私は部屋の中に座って針仕事をしたり、本を読んだりして静かに時間を過ごすのが好きなのです」

「ローズさん、あなたは以前と同じ家に住んでいるのですか?」

「はい、そうです。そして私は今とても幸せです。私は特別どこかへ引っ越したいと思うようなことはありません。もちろんこちらの世界には、たえず前進し続けたいと思っている人々もいます。しかし今の私には全くその気がありません。

でもそのうち、ここからどこかへ行くように言われるような気がします。私には、なぜそうしなければならないのか分かりませんが……。私は今のままでいいのです。私だけの素敵な小さな家があり、私の気に入ったすべてのものがあり、友だちもいます」

「あなたはどのような家に住んでいますか?」

「ごく普通の家です。小さくてきれいな家で田舎にあります」

「私は生前ずっと、ロンドン郊外の田舎で生活したいと思っていました。私はいつも自分の小さな家が持てたらいいと思っていました。田舎に移り住んで、すべての喧噪から逃れた生活をしたいと思っていました。今、私は自分が願っていたような家を手に入れました。これ以上ほしいものはもうありません。

でも私は、それはある点ではよいことではないと思っています。こちらの人々も私にいつも“もっと意欲を持つべきだ”と言います。しかし私は、自分の小さな家にいるだけで本当に幸せなのです」

「そちらには庭がありますか? ローズさん」

「あります。そのお蔭で私は大地に親しむことができます。私は自分で花を育てます。しかし私は決してそれを摘みません」

「花を採らないのですか?」

「ええ、私は花々を自然の環境の中にそのままにしておきます。花の世話をしたり、花を眺めるだけで、私は最高の幸福感と喜びを感じます。こちらの花々は枯れることがないのです」

「花には生命があるのですか?」

「もちろんあります。活力と生命力が宿っています」

「あなたは多くの場所を訪問しますか? ローズさん」

「私はあちこちと出歩くことは好きではありません。ただし時々、外出して友人に会ったりおしゃべりをすることはあります。しかし友人たちと遊び回りたいというような気持はありません。

友人の何人かはしばらくここにいました。それから彼らはどこかへ行ってしまいました。その後、彼らと再び会ったことはありません。どこか別の場所へ行ってしまったのです。しかし私は行きたくありません」

「今の状況に満足していますか?」

「満足しています。ある人は満足することは悪いことだと言います。しかし私には、どうしてなのか分かりません。私は、不満を持つことの方が悪いと思うのです。でもこちらの人々は、もし不満足な気持が持てないなら進歩することはできない、他の所へ行くことはできないと言います。たぶん、いつか私は他の所へ行くように勧められるでしょう。

でも私は、どうしてこれまでに得たものを手放さなければならないのか分かりません。こちらの人々が時々きて、私に他の世界について話をしてくれます。それはとても素晴らしい所のように思えます。しかし私には“そこへ行きたい”という気が起こらないのです。今の所にいるのが幸せなのです」

「あなたの住まいはどのようですか? 説明してください」ウッズはローズを、彼女の頭の中を占めている次の世界への不安から現実の問題に引き戻そうとして質問した。

「何についてですか?」

「あなたの住まいについてです。あなたは以前、ご自分の住まいについて話してくれたことがありますが、あなたの今の住まいは家のようなものですか? それとも別のものですか?」

「それは田舎の小さな場所にあります。四つの部屋があって私にとっては十分です。面白いことに、こちらにはチリもホコリもありません。それでぞうきんを持って掃除をする必要はないのです。いつもきれいなのです。

……先程の話に戻りますが、どんな人が私に次の世界へ移動するように言うのかお分かりですか? 私にはその方の言うことを無視することはできません。しかし私は、それが全く納得できないのです。

その方々は“人間の心が悪いと、そこにチリやホコリが現れる”と言いました。

私は本当にこちらの生活に満足しています。すべてのものを思い通りに育てることができ、自分のしたいことが何でもできるのです。そして誰もそれを妨げないのです。鳥たちは庭にやってきます。鳥たちは本当に人間に馴れています。誰も破壊行為をしようと思いません。ここは本当に素晴らしい所なのです」

「そうですね。本当に素晴らしい所ですね」

「彼らは高い世界へ行くことについて話してくれます。しかしそれは、私とは違った方法で進歩したいと思う頭のいい人にはふさわしい道だと思います。でも私は、今のままで幸せなのです。なぜ、ここを離れなければならないのでしょうか? 彼らはいつも私に“変化したいと考えるようにしなさい”と言うのです。しかし私は、そうしたくありません」

ローズは再び、先ほどの悩み事の中に戻ってしまった。ウッズはもう一度、ローズを引き戻そうとした。

「ローズさん、先回の最後の話の中で、あなたは海を見たことがないと言いました。今でも海を見たことがありませんか?」

「見たことがありません。私は海を見たいと思いません」

「あなたは今でも湖へ行きますか? たしかあなたは湖へ行くと言っていましたが」

「そこでボートに乗ると言っていたようですが……」とグリーン女史が促した。

「はい、湖へ行ったことがあります。私は湖が好きです。海は私の好みではありません」

「町に行きますか? ローズさん、あなたはそちらに町があると言ったことがありますが」

「たしかにあなた方が言うような大きな町や都市があります。しかし町の様子は地上とは全く違っています。商店はありません。“人が集まっている”という点は同じですが、他の点では地上とは違っています。もしあなたが多くの人々の中にいたいと思うなら、あなたは自動的に町に住むようになるでしょう」

「あなたの家の隣には、人が住んでいますか?」

「もちろん私の家のまわりには人々が住んでいます。彼らは考え方が、私ととても似ています。おそらくそれが、彼らと私がすぐ近くに住んでいる理由でしょう。時々、私たちは集まりを持ちます。私たちは私たちなりに幸せなのです。

私はリラックスして静かにしているときが、本当に好きなのです。私はこちらで本を読むことを覚えました。私は地上にいたとき、本が読めませんでした。私は字も覚えましたし、自分の本も持っています。私に本を持ってきてくれる人がいるのです。私は時々、彼らに自分の本を貸してあげます。私たちは座って話をしたり本を読んだりします。

こんなことを言うときっと驚かれるでしょうが、映画を見に行ったこともあるのですよ」

「そちらの映画について教えてください」

「地上世界にあるもので、面白いものはこちらの世界でも見ることができます。その映画には、道徳的要素が含まれていて、とても面白く役に立ちます」

「野原のような所がありますか? そこは美しいですか?」

「とても素晴らしいです。本当に美しい緑の草が生えています。これもまた皆さんを驚かせるでしょうが、こちらの世界にはトウモロコシ畑もあります」

「あなたは畑仕事をするのですか?」

「はい、とても楽しい仕事です。ここには地上のような季節はありません。また雨が降るのを見たことがありません」

「雨が降らないのですか?」

「私は曇り空も見たことがありません。気温が暑すぎるということもありません。いつも快適なのです。ちょうど心地よく暖かいのです。また私は太陽を見たことがありません。こちらの世界の明るさと光は、太陽からくるものではありません。なぜならこちらには太陽はないからです」(*先の交霊会では「太陽が輝いている」と言っていたが、霊的自覚の深まりにともない霊界の事実を理解できるようになり、「地上のような太陽はない」ということに気がつくようになったことが分かる――訳者)

「ローズさん、そちらの芝生は地上のものと同じですか? それとも、もっときめ細やかですか?」

「こちらの芝生は、とても踏み心地がいいです。とても細かく、美しい緑色をしています。私は背丈の高い花々が生えている所に行ったことがあります。その花々は背丈が七、八フィートもあろうかというほどでした。まるで花の林の中を歩いているようでした」

「本当ですか! ローズさん。そちらでは大きくなったトウモロコシを何に使うのですか? トウモロコシを刈ったり、それで何かをつくったりするのですか?」

「いいえ、よく知りませんが、そのようなことはしないと思います。私は刈り取られたトウモロコシを見たことがありません。トウモロコシはいつも畑に植えられたままのようです」

「トウモロコシでつくられたパンはないのですか?」

「ありません。他に面白い話があります。こちらではもちろん食欲がわきません。最初こちらの世界にきたとき、私は食事をしました。食べたものはほとんどが果物でした。こちらではしばらくすると誰も食欲を感じなくなります。食べることがそれほど大切ではないことを悟るようになります。それから食べることをやめてしまいます。

しかし私は、お茶を飲むのが大好きな人間でした。そして今でも好んでお茶を飲んでいます。皆さんは、どこからそのお茶を手に入れるのかと考えられるでしょう。どこからそのお茶はくるのだろうか、そのお茶は当然こちらの世界でつくられたに違いないと思っていらっしゃるでしょう」

「どのようにしてお茶を手に入れるのですか? お茶を飲みたいと思うと、それが手に入るのですか?」とウッズは聞いた。

「不思議なことですが、私もよく分からないのです。台所へ行くわけでもなく、ヤカンを置くわけでもなく、自分でお茶を入れるわけでもありません。しかし私がお茶を飲みたいと思うと、すでにそれが目の前にあるのです」

「それは素晴らしいですね」

「地上人ばかりでなく、こちらにいる人でさえ言います。“それは実在物ではない。それはただ、あなたが必要だと思うから存在するようになるのだ”と。私はこれまでずっとお茶を飲み続けてきましたが、お茶を飲みたいという欲求を失ったとき、お茶は私の目の前から消え失せるでしょう。でも本当のことを言うと、それが私が別の世界に行きたくない理由の一つなのです」

ローズは他の世界へ移るようになるかもしれない不安から、しばらく独り言を口走っていた。ウッズは根気よくそれを聞いてやりながら、話題を変えるチャンスをうかがっていた。それから、

「そちらには木とか花はありますか?」と質問した。

「こちらの木々はとても美しいです。そして花も同様です。とてもよい香りがします」

「そちらの世界には美しい音楽がありますね?」

「はい、あります。私は何度もコンサートに行きました。とても美しい音楽でした。こちらの音楽は気取ったようなところがなく本当に素晴らしいです。地上のジャズのようなくだらないものはありません。すべて心地よいものばかりです。私は地上にあるような宗教音楽は聴きません。それはいつも私の気を滅入らせるからです」

「ローズさん、あなたは以前、針仕事をすると言いました。何かご自分の服をつくることがありますか?」グリーン女史が言った。

「はい、つくります。これまで数枚つくりました。こちらにいる人が私に材料を運んでくださるのです。その方はとても素敵な紳士で、私はその方とこちらにきてから知り合いました。彼は、ここよりも少し高い世界に住んでいらっしゃいます。そしてわざわざ、私やここの友人を訪問してくれるのです。

彼はいつも何かもってきてくれます。彼はとても心が広いのです。彼はつい最近、私に美しい布を持ってきてくれました。それは輝くような青色で、まさに私の好きな色でした。“これはあなたのために持ってきました。これで服をつくれば、あなたはもっと素晴らしくなるでしょう”と、彼は言ってくれました」

「そちらの田舎には、何か動物がいますか?」

「もちろん野原には動物がいます。しかし怖くはありません。こちらでは動物はとてもおとなしいのです。そしてこれらの動物たちは人間に話しかけることができるのです。

私はヘビとかカエルのようなものはぞっとしますが、こちらではそうしたイヤな動物を見たことはありません。そうした生き物はとても低いバイブレーションの世界にいると聞きました。私はそれがどういう意味かよく分かりませんが、気味の悪い動物は、私のいる世界にはいないことは確かです。またブヨとかハエのようなものも見たことがありません。しかし面白いことに、私は蝶は見たことがあります」

「そちらの蝶はきっと美しいでしょうね」

「とても美しいです。そして死ぬこともありません。おかしく思われるかもしれませんが、こちらには地上のような死はありません。何ものも死ぬことがないのです。

私は最初こちらの世界にきて落ち着くと、“ここでの生命はどのくらい続くのかしら”と思いました。“これまでとは別の生命なのかしら、また以前のような生命を持ち再び死ぬことになるのかしら、ここでの生命以上のものがあるのかしら”などと考えました。

しかし、ここでは死ぬことはないのです。それはこれまでの常識では全く考えられないことです。人はこちらにくると、しばらく同じ状態の生活を続けるようです。やがてその生活に退屈するようになります。そうでないとしたら、ここでのすべてのことを知り尽くしてしまったと思うようになります。すると一種の眠りのような状態に入って行きます。それから別の世界に行くのです。

私はある意味でそれを恐れています。私は他へ行きたくありません。多くの友人が“あなたは他の世界へ行くべきだ”と言います。しかし私はどうしても、それが納得できないのです」

「先回、最後に、あなたは髪の毛を長くしていると言いました」ウッズはローズの意識を交霊会の会話に引き戻そうと質問した。

「はい、以前と同様、長い髪をしています。私はこれまで髪を短くしたことはありません」

「あなたはドレイトン・トーマス牧師に会ったことがありますか? 彼は一度ここにきましたが」とウッズが尋ねた。

「彼を知っています。一時は何度も彼に会いましたが、その後は会っていません。彼はおそらく別の世界へ行ったのだと思います。地上では、誰それさんがいなくなった、というような言い方をします。こちらでも全く同じです――“誰それさんは、すでに行きましたよ”というように。それはもちろん別の所へ行ったという意味です」

「他の世界(界層)へですか?」

「そうです。何人かの友人が、そのようにしてここを去りました。彼らは行ってしまったのです。しかし私はここにとどまります」

「そちらには馬がいますか?」とウッズは尋ねた。それは以前の彼女の好きなテーマだったからである。

「います。とても美しい馬がいます」

「あなたは馬に乗りますか?」

「いいえ、乗りません。私は遠くから馬の姿を見るのが好きなのです。馬が怖くて乗らないのではありません」

「そちらの町はどのようですか?」

「美しいの一言です。私は町には住んだことはありません。しかし町はとても美しいです。庭園と公園と子供たちの遊び場は特に美しいです。建物は大きく、そこで人々は学んだりします。図書館もあります。娯楽のための建物もあります。それらはすべて素晴らしく、何ひとつ下品で不快なものはありません。本当に素晴らしく上品なものばかりです。そしてとても美しいのです。

私は一、二度劇場へ行ったことがあります。そこで多くの有名人と会いました。地上時代には、私はその人たちの舞台を見に足を運んだことはありませんでした。また何回か、美術館に行って、昔の有名な画家の作品を見たことがあります。地上時代の有名な画家は、こちらにきても引き続き同じ仕事をしています」

「町はカラフル(色とりどり)ですか?」

「はい、町はカラフルというより美しいと言った方がいいでしょう。もちろんカラフルという言葉の意味次第ですが。建物や家々がすべて赤や白や青色で塗られているということではありません」

「建物の形式や様式はどうですか?」

「いろいろな形の建物があります。またあらゆる建築様式の建物があります」

「そちらでは石はどのように見えますか?」

「私にはこちらの石はまるで真珠のように見えます。どうしてかは分かりませんが」

「すてき!」とグリーンが声をあげた。

「歩道のことを何と呼びますか? 地上と同じような石で舗装されているのですか?」

「石のようなものです。それが石なのかどうか分かりません。もちろん他のものもあるでしょう。こちらの世界には乗り物はありません。車やオートバイのような乗り物に乗ることはありません。ここの人たちは、みんな楽しんで歩いています。誰も乗り物に乗りませんし、その必要がありません。歩くことには何の努力もいりません」

「もし遠くへ行きたいときは、思念によって行くのですね? ローズさん」

「正確には、思念によるものかどうか知りません。ある所へ行きたいと軽く思うだけです。それだけで、そこにいるのです。何の努力もいりません」

「そちらには森がありますか? それは美しいですか?」

「あなたが言うようなものがこちらにあるといいですね」

「私は森や木のことを言っていますが……」

「分かっています。ちょっとふざけただけです。もちろんこちらには美しい森があります。とても素晴らしい森です。こちらでは誰も死を恐れません。死はすべての人々にとって待ち望むような出来事ですし、誰もがそのことに気がつくようになります。ただし、もし心の中に、または過去に、他人に知られては困るようなことがないならばの話ですが……。もちろん誰にでも多少の秘密はあるものですが、普通の人なら死んでこちらにくることを、何も心配する必要はありません。

私がこちらで聞いたところによれば、悪事を働く人間は、結局はとてもかわいそうな人間であるということです。悪事を働くことは、彼ら自身に悪い結果をもたらすことなのです。しかし、そうした悪人でも見捨てられることはありません。いずれは彼らも助けられ導かれ、暗闇から救い出されることになります。

普通の人なら死を恐れる必要はありません。私も、特別善い人間だったわけでも悪い人間だったわけでもありません。

私はこちらの世界で、一人で快適に過ごしてきました。それが別の世界に行きたくない理由なのです。ある人は、一生懸命に人生を切り開いて新しい生き方を始めようとしたり、これまでの境遇を変化させようとします」

「今あなたは、ずっと望んできた生活を送っているのですね」とウッズが言った。

「はい、その通りです。そしてそれが今の生活を変える気になれない理由なのです」

「あなたはそちらでとても幸福なのですね」

「とても幸福です。そろそろ私は行かなければなりません。ではお元気で。皆さんのなさっている素晴らしい仕事の話を聞くと、いつも嬉しくなります」

「またここにおいでください」とグリーン女史が言った。

「分かりました、ベッティーさん。ジョージさんもお元気で。さようなら」

その後一度、彼女は約束を守って現れた。そのときの彼女は、以前よりずっと幸せそうであった。前回の深刻な悩みはどこかへ行ってしまったようである。自分の人生を変えることは、結局ローズにとって、それほど恐ろしいことではなかったようである。

14. あの世の作家たち
ローズは幸せな生活を送っていた。しかし、そうした生活は無学な花売り娘には満足するものであっても、俳優や作家や政治家にとっては、きっと退屈なものに違いない。あまりにも広大なあの世のことを述べるには、ローズの体験や力量では限界がある。お茶を飲むことを楽しんだり、時々散歩したり、隣人とおしゃべりしたり、また美術館に絵を見に行くというような生活からは、それ以上の深い内容を知ることはできない。

一方、われわれの期待に応じてこうした質問に答えを与えてくれる通信も確かに存在する。しかし地上時代に教育を受けたスピリット(霊)は、残念なことにわれわれの知りたい内容を詳細には述べてくれないことが多いのである。知性的な通信霊には、いっぷう変わった、われわれをイライラさせるようなところがある。彼らは地上では名を知られ、才能に恵まれ、多くの成功を収め、時にはよい家柄の生まれであることが多い。

しかし彼らは、あまりにも地上の道徳や地上の事柄に依然として意識がとらわれ過ぎているため、あの世でどのように生活しているのかを正確に述べることができないのである。

そうした中にあって次に紹介する二人の通信は、前述したような知識人にありがちな偏りが少ないのである。彼らは、死後においてわれわれを待ち受ける生活が夢の中に出てくるような家とか庭に座っておしゃべりするといったことばかりでなく、それ以外にも、もっと素晴らしい生活があることを教えてくれるのである。

(ライオネル・バリモア霊)
一九五七年二月九日、聞き覚えのあるアメリカ人の鼻音で交霊会の沈黙が破られた。

「皆さん方にお話しするチャンスが与えられるとは思ってもいませんでした」

「あなたは『ライオネル・バリモア』さんですね」

「そうです。どうして私だと分かりましたか?」

その二年前、一九五四年十一月に「ライオネル・バリモア」(彼は映画界の気難しい哲学者と呼ばれていた)は、ハリウッドの自宅でテレビを見ている最中に心臓発作に襲われた。彼は病院に運ばれたが、昏睡状態に陥り死んだのである。三十にも及ぶ不滅の傑作演劇の大立者は、こうしてこの世から消え去ったのである。ベッティー・グリーンは、今、目の前で聞こえる声はまさしくバリモアのものに間違いないと確信した。ウッズはいつもの質問をした。

「あなたが最初にそちらの世界に行ったとき、どのような様子でしたか? こちらの世界と同じでしたか?」

バリモアは答えた。

「全く同じだとは言えません。自然に関することなら、ある点では同じだと言えます。しかし、こちらでは電車やオートバイなどは見かけません。とは言っても、地球により近い低い世界には、そうした乗り物があります。こちらの世界のすべての存在物は、そこに住む人間の心の状態によって決められるのです。

私がこちらにきて最初、美しい庭のような所で目覚めました。そこは私が若かった頃、とても好きだった庭に似ていました。そこに私の父と母がいました。母親は、私の記憶にあるずいぶん若いときの姿をしていました。それは本当に素晴らしい出来事でした。それから他の人たちがきました。彼らは私が若い頃に知っていた人たちでした。

昔の知人たちに会うというこの最初の経験から私は、自分が若かったときのことも意識のどこかでずっと覚えているものだということを知りました。ご存じのように年をとり始めた頃、私は足が曲がって歩行が不自由になりました。そしてよく若い時代の白昼夢に浸っていました。私がそちらの世界を去ってこちらにくるとき、地上で最後に考えていたのは“若い頃に戻りたい”ということでした。

私はこちらで、地上時代にとてもかわいがっていた犬と一緒にいます。私がまだ地上にいた頃、もし誰かが私に“動物は死後も存在するのですよ”と言ったとしても、私は全くそれを受け入れなかったでしょう。事実、私は犬やネコや馬に魂があるはずがないと考えていました。

今、私は、人間は動物たちに対してとても大きな責任があることを知っています。動物たちは、私たち人間が想像する以上に、人間から大きな影響を受けています。……皆さん方に私の声がうまく届いているかどうか分かりませんが」

「はい、はっきり聞こえています。テープレコーダーであなたの声を録音しています」

「そうですか。テープレコーダーを持ってきていますか。皆さんは私にジョンという兄弟がいたことをご存じだと思います。私たちは地上ではいつもケンカばかりしていました。しかしこちらではとても仲良くやっています」

「どのようにそちらでの生活をしているのですか?」ウッズは尋ねた。

彼は答えた。

「私はまだ演劇に興味があります。こちらにも地上で言うような娯楽があります。ただし全く同じというわけではありませんが。私たちがこちらでしていることには、どんなことであれ目的があります。こちらでつくられる演劇にしても、また他のどんなことにしても、必ず目的があります。それは、ただ人々に喜びや楽しみを与えるためだけのものではありません。

例えば、こちらでは地上で道徳劇と言われているものを低い世界(界層)の人々のためにつくります。また、ある人間の人生を――それは観客の中の一人の人間の人生であることもありますが――演出することもあります。

その演劇は、彼らにありのままの自分の姿を理解させるきっかけとなり、それによって彼らは、以前より物事を深く考えるようになります。そして彼らに自分を客観視させ、もっと善い人間になろうとする意欲を持たせることになります。

こちらでは本当の意味で各自の天性を発揮することができます。こちらの世界にくると人間は、自分の持っている偉大な才能に気がつくようになります。そして、どんな人も自分の能力に合った興味の持てる仕事を見つけることができるようになります。ある人は美しい衣装をつくる仕事に携わります。ある人は美しい絵を描いたり、われわれのための舞台道具を設計したりします。またある人は素晴らしい音楽を作曲します。

私はこちらで、地上には全くないような音楽を聴いたことがあります。それは何百人という人たちによるオーケストラでした。しかも、そのメンバーの一人ひとりが音楽の専門家なのです。またこちらには偉大な作曲家がいて新しい作品をつくっています。そのオーケストラはあまりにも素晴らし過ぎて、皆さん方に何と説明したらいいのか分かりません。彼らが演奏するうちに、辺りの光と色彩が変化します。それはとても見事な光景です。もう少しこのことについて皆さん方にお話ししましょう」

「とても興味深いことです」とウッズは身を乗り出して言った。

「そちらに劇場のような所はありますか? それは地上のものと似ていますか?」

「ええ、あるものは地上の劇場ととても似ています。あるものは全く違っています。こちらの劇場には地上の劇場と同様、美しい天井、カーペット、よく整備されたホールなどがあります。またとても大きな野外の円形劇場もあります。そしてありとあらゆる演劇が上演されています。地上の昔の有名な演劇もありますし、こちらの世界の劇作家によってつくられたものもあります。

シェークスピアのすべての作品も上演されています。それらは今見ても、とても面白いです。シェークスピアの新しい作品は、彼の地上時代の作品より、ずっと素晴らしい出来栄えです。そして今でも彼は作品を書き続けたり、演出をしたりしています。また彼自身が演技をすることもあります。スペンサーや他の有名な演劇作家も、みんなこちらにいます」

「彼らは今でも地上時代と同様のスタイルで演劇を書いているのですか?」とウッズは聞いた。

「いいえ、彼らはこちらにきて多くの経験を積むにつれ、必然的に作品スタイルも変化しました。もしシェークスピアが今日地上に生きていたら、彼は傑作をつくり続けるでしょう。もちろんその作品は現代の言葉で書かれるはずです。彼は現代の地上のどんな作家よりも優れた作品を書いています。私は時々、地上に戻って、地上の劇場を訪ねてみます。しかしわずかな例外を除いて、地上の演劇は本当にひどいものばかりです」

「あなたは、そちらでシェークスピアに会ったことがありますか?」とウッズは尋ねた。

「会ったことがあります。そして一度だけ話をしたことがあります。彼は自分の演劇作品を書いていました。彼は時々、古い作品から引用して、それを新しく書き直して作品をつくることもあります」

「あなたは、そちらで有名な歌手に会ったことがありますか?」

「もちろんあります。多くの有名な歌手に会いました」

「キャサリン・ファロンと会ったことがありますか?」

「キャサリン・フェリアのことですか? 数年前に死んだ若い英国の女性歌手のことですか? それなら会いました。彼女は優れた魂の持ち主です。そして素晴らしい声の持ち主です。彼女の魅力は、その美しい声ばかりでなく、彼女の優れた人柄・人格にあります。それが彼女の声の中に現れているようです。

私は地上の有名な歌手の歌を聞いたことがあります。しかし私には彼らの歌は、まるで舞台裏の野良猫の鳴き声のように聞こえました。彼らに対する地上の評価は実情とあまりにも違っています。しかし今、あなたが話題にしている人間(キャサリン・ファロン)は、これには当てはまりません」

今、バリモアは、キャサリン・ファロンについて“美しい声の持ち主”という言い方をしたが、それはどういう意味なのだろうか? あの世では、人は何も話さずに自分の考えを(テレパシーで)伝えることができるはずだったのではないのか? それなのに、どうして歌を歌う必要があるのだろうか? それについて彼に質問した。

彼はしばらく黙っていた。それから、

「急に黙ってすみません。長い時間、皆さんと話をするのは、たいへんなことなのです。私はいつかまたきて話をすることにします。私は地上に戻ってくるのは、あまり気が進みません。その一つの理由は、世俗的なことばかり聞きたがる人間にうんざりしているからです。地上の人間が、まず初めに霊の身元の証明・証拠を求めるのは当然だと理解しています。しかし多くの人々が、ただ“死者と話をする”という興味だけに走っているのです」

「それを私たちは“お遊び交霊会”と呼んでいます」とグリーン女史が言った。

「それはごめんこうむります」

「私たちは興味半分ではなく、そちらの世界からの声を録音したいのです。そうすればそれを他人に聞かせ、あの世のことを多くの人々に伝えることができるのです」とウッズが述べた。

バリモアは言った。

「皆さん方は、これらの録音テープを、友人やテープに関心を抱いた人たちに聞かせることができます。私は心から確信を持って言うことができます。もし、このテープを聞く人間が本当に道を探し求めているなら、間違いなく真実を見い出すことができるであろう、と。またお会いしましょう。さようなら」

バリモアのあの世からのメッセージは、ローズのものよりずっと内容があり、興味をそそられるものである。とは言っても両者には多くの類似点もある。違う点があるとすれば、それは両者の性格と興味の対象である。あの世に行ったといっても、彼らの持っている大半の内容は依然として地上にいたときと同じである。ただ死後、あの世で学んだものによってのみ、彼らのうえに違いが生じたのである。人間はあの世でも進歩する。しかし人によっては進歩のための変化が生じるまでには長い時間がかかるようである。

(オスカー・ワイルド霊)
衝撃的な思いがけないメッセージが、五年後の一九六二年八月二十日に届けられた。豊かで円熟味のある男性の声が語り始めた。

「私はここにくることができて嬉しいです」

「私たちも嬉しいです」とウッズが言った。

「私の声がそちらに届いているかどうかあまり自信がありませんが」と続いて言った。

「どうぞお話しください。あなたの声ははっきり聞こえています」とグリーン女史が促した。

「でも今、私は本当に何もしていません。私がしていることを皆さんがどのように考えているか分かりませんが」と少し気取ったような口調で語った。

「あなたは今、話をしていらっしゃいます。あなたは、私たちにあなたの声が聞こえないと思っていらっしゃるようですが」とグリーンが説明した。

「私は今、何をしゃべったらいいのでしょうね」

「お名前を教えてください」

「もし私が何か価値のあることを言うことができないなら、むしろ何も言わない方がいいでしょう」とその声は言った。

「いったい誰が話しているのかしら?」とグリーンはわざと無視したような言い方をした。

「こうしたことは本当に特殊なケースです。地上人は自分では生きていると思っていますが、どう見ても、どんよりとした薄暗い世界にしか住んでいません。そうした地上の人間にとって死ぬことは特別な出来事ですが、このような交霊会で、いったん死んだ人間が地上人に向けて語るというようなことは、さらに特別な出来事です。これ(交霊会)は本当に特殊な出来事です」

ウッズは戸惑いながら、「その通りです」と答えた。

「最近、自分の仕事にとても興味が湧いてきました」とその声は続けた。

【少しの間中断】

「あなたのお名前を教えていただけませんか?」とグリーンはもう一度聞いた。

「私の名前は……、私は地上にいたとき、たいへんなトラブルを引き起こしました」

「私たちがこのテープを他の人たちに聞かせるとき、その声の持ち主は誰か、と聞かれますが」

「その人たちに、声はボギー大佐のものだと言ったらいいでしょう」

「みんな、そういう冗談は好まないと思います。とにかくあなたがここにきてくださっただけでも、とても喜んでおります」とウッズが言った。

「ここにこれたことを私は喜んでいますが、それ以上に、あなた方が喜んでいてくれることが分かります。私はここにくることができて本当に幸せと言うべきでしょう。私は自分の考えを、この特別なコミュニケーションの方法(霊媒とボイスボックス)を通じて皆さん方に伝えることで、いっそう身近になれると思っています。これは、あなた方の世界にいる俳優を用いるのと同じことです」

「あなたは演劇を書いていらっしゃいましたね」とグリーン女史が言った。

「名前を申し上げた方がよさそうです。私の名前はワイルドです」

「おお! 私はあなたの本を読んだことがあります」とウッズが言った。

「皆さんは何と運がいいんでしょう。私はこれでも皆さん方に遠慮しているんですよ。ですから皆さんからロイヤリティーをもらおうなどとは思っていません」

そのときグリーン女史は、彼女の定番の質問の一つを思いつき、きっぱりと言った。

「ワイルドさん、そちらの世界でのあなたの生活について教えてください。あなたは今、何をしていらっしゃいますか?」

彼は答えた。

「地上よりずっと素晴らしいこちらでの生活について質問してくださることは、私にとって救いです。なぜなら私は地上時代には、いつも低俗でおしゃべりな人間に知られていただけだったからです。もし私が、こちらでの生活は地上の生活に似ている、と言おうものなら、あなた方はおそらく納得できないでしょう。しかしそれは事実なのです。

私はこちらで本当に幸福に、完全に満足して過ごしております。とても素晴らし過ぎる贅沢な罪ある生活をしています。もちろんそれは“地上の人間から見たときの罪”というだけのことですが。

こちらでは、ありのままの人間として自然の欲求に従って生きることは、もはや罪ではありません。しかし地上では、自然の欲求に従って生きることは罪深いと言われてきました。もしそれが事実なら、こちらの人間は全員が罪深いことになってしまいます。なぜならこちらの人々はみんな、ありのままの生活をしているからです。地上世界には奇妙な罪の思想(考え)がはびこっています。私はこちらで自然のままに生活しています。そして完全に幸せなのです」(*ここではキリスト教における無意味な“禁欲主義”を非難している。キリスト教では、罪人である人間は禁欲的努力をしないかぎり自然に罪を犯すようになる、と考えている――訳者)

「あなたは今、何をしていますか?」ウッズは先ほどの質問をもう一度続けた。

「どうして皆さん方に私がしていることを話さなければならないのですか?」

「われわれは関心を持っているのです」とグリーン女史が言った。

「私はまだ演劇を書いています。そして、それはこちらで実際に上演されています。また私はよく低い世界を訪問して上演の手助けをしたりします。皆さん方はおかしいと思われるでしょうが、低い世界の手助けをするために呼ばれるのです」

「私は別におかしいとは思いませんが」とウッズは言った。

「たぶんあなた方は、私があまり進歩していないために低い世界の人々の手助けをするのがふわしいと考えられたことでしょう。しかし現実的に私は、あらゆる人間とうまく合わせられるのです。たとえ地上の人々が私のことを悪く言おうが、自分のことは自分の心がよく知っています。私は地上の人々の評判は気にしません。

しかし地上世界の大勢のうっとうしい人々には気が滅入ります。私の死後、地上時代の名声によって多額のお金が入るようになりました。それは生前、演劇を通して得たお金よりも多くなりました。そのため“不道徳な人間は成功するものだ”というようなことも言われました」

「あなたは霊的世界に対して、いつも心を開いていましたね」とグリーンが言った。

「私はいつでもインスピレーションを受ける用意ができていました。前に言ったかもしれませんが、私の仕事の成功の大部分は、私が霊的世界に対して心を開いていたお蔭なのです。開かれた心を通して多くのインスピレーションが私の中に注がれました。そしてそれが私を成功へと導いてくれたのです。もしそうした高い心境によるものでないなら、いくつかの仕事は、おそらく成功しなかったと思っています。

しかしこんなことを言うと、多くの人々の中に議論を引き起こすことになるでしょう。ある人間にとっての毒は、別の人間にとっての食べ物であることもあるからです」

「私はどんな作家でも、ある程度はみんなインスピレーションを受けていると思うのですが」とグリーン女史が言った。

「われわれ自身の個性とか本性といったものを忘れてはなりません。私の場合はインスピレーションを受け入れる準備ができていた、ということなのです。私は常にインスピレーションを受けられる人間でした。私は今いっそう畏(おそ)れ多い霊感人間になりました。それはおそらく私が死んでこちらの世界にきたためです」

「ワイルドさん」とグリーンが言いかけたとき、ワイルドは、

「皆さん方は私に軽々しい人間であることを望みますか? それとも真面目な人間であることを望みますか? 真面目な人間は、しばしばつまらない者であることが多いですが」

「あなたはそうではありません。そういう言い方はしないでください」

「多くの地上人は、あまりにも真面目すぎるため、つまらない人間になってしまっています。私はそうした人間の集まりに参加するのはお断りです。私がそういう人たちを嫌がるのは、彼らの中に必ず、“どうしてこの声がオスカー・ワイルドだと分かるのですか”と言うような人間がいるからです。彼らは私が以前と全く同じ様子で現れ、そして私だと分かるもの(証拠)を携えていることを期待しているのです。

今回、私は皆さん方のために自分の身元を明らかにしました。それは皆さん方が、あまりにも一生懸命に私の身元を確認しようとされたからです。そしてもし私が、皆さん方の身元証明の手助けをすることができるなら、そのとき私も、よい仕事をすることになるからです。それによって、私自身のこれまでの汚点のいくつかが拭われるかもしれないからです」

「ワイルドさん、あなたはそちらの世界へ行って以来、何かを学びましたか?」とグリーン女史が尋ねた。

「もし私がこちらに長年いて何も学ばなかったとしたら変人としか言いようがありません。ここでは誰もが、好むと好まざるとにかかわらず何かを学ぶのです。頭のよい生徒であれ頭の悪い生徒であれ、またたとえ先生がよかろうが悪かろうが、誰もが何かを学ぶのです」

「あなたがそちらの世界へ行ってご自分に気がついたとき、驚きませんでしたか?」

「何も驚きませんでした。特に神については驚きませんでした。なぜなら私は常に、イエスは奇跡を起こした人間にすぎないと思っていたからです。もし聖書に書かれていることを信じる人なら、そのように思うはずです」

「そちらの世界へ行ったとき、どのようにしてご自分を自覚しましたか? あなたが他界したときの様子を教えてください」

「私は他の人たちと同じように死にました」

「しかし、どこかであなたはご自分に気がつかれたと思いますが。庭だとか部屋だとか……」

「どうして庭で自分に気がつかなければならないのですか? なぜ部屋でなければならないのですか? もしダイアナ婦人の寝室で目覚めたとするなら、何か困るとでも言うのですか?」

グリーンは言った。

「いいえ、あなたが死んだとき会いにきた人はいなかったのか、とお聞きしているのです。誰かがあなたに会いにきて、あなたの手助けをしたはずですが」

「本当のことを言えば、死んですぐ私は母に会いました」

「そのときの様子はどうでしたか?」とウッズが聞いた。

「当然のことですが、人は見知らぬ国に違和感なくして行くことはできません。しかし面白いことに人間は、みんな同じなのです。一人ひとりの状況は違っているかもしれません。国は違うかもしれません。そして習慣は違うかもしれません。また人生に対する姿勢・考え方も違うかもしれません。しかし神のお蔭で、人間はみんな平等に創られています。人間である以上、みんなどこまでも同じなのです。

こちらにくると誰もが、結果的にはくつろぎを感じるようになります。私はこちらで、地上時代に善い人だと思ったり、悪い人だと思ったりした人々に会ってきました。そして今では別の理由から、すべての人々を善く思うようになりました。(*すべての人に善性のあることを認めること――訳者)

また私はよく旅行しました。多くの場所へ、そして皆さん方が言う世界(界層)を見てきました。こちらには何も障害はありません。唯一の障害は“自分自身の心”だけです。人間関係の障害は、人の心の中にあります。障害は人間の心によってつくられるのです。

こちらにきて人々は、その障害を捨て去ることを学びます。わずかな時間でもこちらで生活するようになると、全員がお互いの不可欠な部分であることを悟るようになります。“神の子供”であるわれわれは、最後には一つになり始めます。とは言っても、一人ひとりの個性や性格がなくなるわけではありません。われわれはみんな、霊的に一つになり、やがて調和し、結果的に平和・静寂・調和の中で生きるようになります。

そして、そこでは全員が各自に見合った恩恵を手にすることができるのです。ある者は、いろいろな仕事をしたいという衝動に駆られます。一方、そうは思わない者もいます。私は今でも、ものを書くことが好きです。なぜなら人生の大半をものを書くことに費やしてきたからです」

「あなたの作品は何度も上演されてきましたね」とグリーンが言った。

「はい、その通りです。それは私の地上人生の中で最も成功した部分でした」

「ワイルドさん、あなたは……」とグリーンが言いかけたとき、その質問をさえぎってワイルドは語り始めた。

「皆さん方と話をすることは、とても複雑でたいへんなことなのです。とても神経を使います。そしてなかなか思うようにいきません。常にいろいろな障害や妨害が付きまといます。しかし私は何とかそれを克服して話を続けます。私に何か質問したいことがありますか?」

グリーンが続けて質問した。

「そちらの世界へ行くと、誰もが後悔をするそうです。あなたにも後悔するようなことがあったのではと思いますが。地上でやり残したことで後悔していることがありますか?」

「私がこちらにきて最初に残念に思ったのは、早く地上を去ったことでした」

「そうですか」

「もちろん私はこちらにきてからも、ある種の願望を持ち続けていました。私はずっと演劇を書き続けたいと思っていました。奇妙に思われるでしょうが、私は地上時代に得ていた名声をこちらの世界でも取り戻したいと思ったのです。こちらにきて、まわりの人たちから見向きもされなかったというわけではありませんが……

しかし地上時代の地位や名声を取り戻そうと考えること自体が、実は空しいことなのです。それが分かったのは今からずいぶん前のことです。その愚かさに気がついて以来、私は変わりました」

「あなたはそちらで『バーナード・ショウ』に会ったことがありますか?」

「もちろん会ったことがあります。彼はとても変わった性格の持ち主です。彼はとても頭がいい――でもおそらく、こんな言い方はしない方がいいかもしれません。私は彼よりは、ある程度進歩していると思います……」

「あなたのいる世界はどのようですか? そこについて何か教えてくださいませんか?」

「こちらの情景を知りたいのですか?」

「そうです。あなたの劇場はいかがですか? あなたは劇場を持っていらっしゃいますね? あなたは今でも演劇を書いていますか?」

「今でも書いています。ずっと書き続けています。すでに皆さんもお聞きのように、こちらの世界は、ある意味では地上にとても似ています。ここには、地上にあるもののすべてが存在します。ただし地上よりずっと美しいですが。皆さん方も知っているように、こちらにも自然があります。しかし気になるような不快なものはありません。例えば、ハエとかハサミムシなどのような不快でうっとうしい虫などは存在しません。これらのものは幸いなことに、こちらではなくなってしまうようです。こちらには自然界のありとあらゆる“美”が存在します。不快なものはひとかけらもありません」

「そちらの世界の建物はどのようですか?」とウッズが尋ねた。

「こちらにもさまざまな建築物があります。私が今住んでいる世界では、すべての建物はとても優雅で美しいです」

「町とか都市とかはあるのですか?」

「ええ、皆さんが地上で都市と呼ぶような所があります。そこには数えきれないほど多くの人々が生活しています。しかしある意味では、そこは地上の都市とは違っています」

「そちらには車などはありませんね?」

「ええ、ありません。そうした機械は不必要なのです。こちらには馬も他の動物もペットもいます。彼らは人類に利益をもたらします。その代わりに人類からもある程度の利益を得ているのです。ペットの犬や馬がそうなのです。動物はとても人間に近い存在です。しかし不幸なことに人間は、しばしば動物を虐待します。

私は時々、動物は人類より進化しているのではないか、と思うことがあります。動物たちは自然の本能に従って生きています。そして結果的に、本能からずれたことや他の悪いことをしようなどとは考えません。しかし人間は動物と違って、いつも困難を抱えています。

なぜなら人間はたえず努力して、自分自身の“真の自我”を発見しなければならないからです。人類は真の自我に従うべきなのです。なぜならそうしてこそ初めて“進化・進歩”することができるからです」

ウッズは彼に次のように質問して日常的な問題に引き戻した。

「あなたはそちらで、ものを書くときの家を持っていますか?」

「はい、持っています。とても美しい家です。私の思い通りの家です。しかしある意味では、それは自分で創り出した家とも言えるのです。ここへくる以前はそうしたことが分からないまま、自分自身の思いで家を創っていました」

「庭はありますか?」

「あります。あまり大きな庭ではありませんが、私には十分です。私は地上時代には戸外で庭仕事をするような人間ではありませんでした。自然は大切なものであるとは思っていましたが、私はギラギラ照りつける太陽の光の下にいるより、遠くから庭を見ている方が好きでした。人間は遠くからの方が物事をはっきりと見ることができるものです」

それから話は突然、終わりになった。

「私はもう行かなければなりません。もしよかったら、私はまたここにきて皆さん方にお話しいたします」と言った。

「本日はここにきてくださって本当にありがとうございました」とウッズが言った。

「ワイルドさん、ありがとうございました」グリーン女史が付け加えた。

「皆さん方にお話しできて本当によかったです」と彼は言った。

「時々、私は気難しいことを言ったと思いますが、それは他の人々にとって多少の助けになるだけでなく、皆さん方にとってもプラスになると思ってのことです。なぜなら、もし私に昔の地上時代の名残(なごり)がなくなっていたら、世間の人々は私の声だと認めてくれないでしょう。それであなた方のためにも、わざわざそうしたのです。

私は、皆さん方が知りたがっていることについてお答えすることができます。いつかそれを話す時がくるでしょう。“主の祝福が皆様の上にありますように”――この言葉は、皆さんがスピリチュアリストの交霊会で別れの時に言うお決まりの文句ですね。“私の友に、主の祝福がありますように”――では、さようなら」

オスカー・ワイルドと名乗る声は聞こえなくなった。

15. あの世の住まいと庭
あの世からの通信内容を詳しく比較してみると、結果的に次のような疑問が生じる。「単純な言葉を用いて、果たしてあの世の日常生活を伝えることができるのだろうか?」――何百という通信記録に目を通しての率直な感想を述べるなら、それは不可能だということである。

昼も夜もなく、地上のような主婦業も日常生活もない。これまで見てきたように、あの世では、地上でつくり上げた人生の内容によって自分自身の環境を創り出すようになる。ジョージ・ハリスにとって、レンガ積み以外の仕事など考えることができなかった。そして彼はあの世に行っても、相変わらずレンガ積みを続けていた。ライオネル・バリモアにとっても、演劇と係わりのない生活は考えられなかった。そして彼はあの世でも、やはり同じように演劇を続けていた。ローズは、お茶を飲むことのない生活は考えられなかった。彼女もまたあの世でお茶を飲み続けていた。

霊界通信の語るところでは、いかなる人間もあの世で同じ状態にとどまることはない。誰もがいつか“進歩・進化”するようになる。どのような人間でも、あの世の生活を通して(地上でもそうであるが)必ず変化するようになるのである。

さて私たちは、死後の世界についてどこまで知っているのだろうか?――あの世の住まいは? 庭に育っている植物は? あの世の食事は? 寝ることは? 仕事は? 楽しみは? そしてリラックス方法は?――交霊会における通信では、こうしたことについて、どの程度まで明らかにしているのであろうか? いずれにしても現場から送られてくる言葉が、最も正確であることは言うまでもない。

ウッズとグリーンは、ありとあらゆる質問を投げかけた。そして多くの答えを得てきた。しかしあの世からの答えには、あいまいで正確さに欠けるものが多くある。それはわざとそうしているためなのか、そうでないなら、地上のような時間のない“異次元世界”の出来事を地上の言葉で語ることが難し過ぎるためなのであろうか。

今、われわれのできることは、それらの通信をつなぎ合わせて総合的に理解することである。しかし、もしある人が既成宗教の教えを土台としてあの世のことを考えようとするなら、通信内容と教義との違いの大きさに驚かされることになるであろう。

「地上の人々が、絵画や宗教書で見るような事柄、例えば翼を持った天使などは事実とは全く違っています」とマリー・アン・ロスは語っている。

「こちらには地上人が考えるような天使はいませんし、天使の翼も天使のハープもありません。こちらにきたばかりの大半の人々の第一印象は、“ここは何と地上世界と似ていることか”ということです。ここには地上のありとあらゆるものの“レプリカ”が存在します」とビッグスの母親は語っている。

またアルフレッド・ヒギンス(ブライトンの絵かきで装飾家)も、次のように言っている。

「ある点では、こちらの世界は地上ときわめて似ていますし、自然的なのです」

マリー・イワンは、あの世では呼吸さえしている、と言っている。

「私は酸素がどうのこうのというようなことは知りません。しかしこちらには空気のようなものがあります。私は確かに呼吸をしているからです」

ジョージ・オールソン(ウッズの個人的な友人)がウッズに語った。

「私はこちらの世界のリアリティー(実在性)に驚きました。こちらにあるものは、液体や気体のような手ごたえのないものではありません。しっかりとした存在感があります」

他界した人間が、最初にリアリティー(実在性)を感じるのは、新しい住まいである。彼らの多くが、あの世の住まいのことを地上の“家”という用語を用いて表現している。ご存じのアルフ・プリチェットは姉に連れられて小さな家に行った。

「それはイギリスで見かけるような家でした。廊下から離れた所に小さな部屋がありました。そこはとても居心地がよく快適でした。素敵なイスと暖炉がありました」

ビッグスが叔母のメイの家を訪問したときのことを思い出していただきたい。

「そこには同じような小さな家が立ち並んでいました。その中の一つが、叔母の家でした。突き当たりには……、小さな庭……、彼らは私を中に案内して……。そしてすべてのものは真新しかったです」

テッド・バットラーはとても素晴らしい小さな部屋の中で目覚めた。

「窓には素敵なカーテン……、床には心地よい敷物……」

テリー・スミスもあの世のものが地上ときわめて似ていることに気がついた。

「それは地上の居間のような所でした。素敵な小さな部屋で、素晴らしいカーテンとイスがあり、すべてのものはとても心地よかったです」

それに対しオスカー・ワイルドは、

「それはとても美しい家でした。私が心で願った通りの家でした」とだけ述べて、それ以上あまり詳しくは語っていない。

一九六二年、「エリザベス・フライ」と名乗る声がした。彼女は、クウェーカー教徒の博愛主義者であり、獄中囚人の取り扱いに対する改革者であった。その彼女があの世の住まいについて、もう少し詳しく述べている。

「こちらの家は低い木材造りで藁葺(わらぶ)き屋根と言ったらいいでしょう……。私にとって家は、地上の皆さんと同じように大切なものです。人間はくつろぎを得ることのできる場所を好むものです。そしてそれはある程度、自分自身によって創り上げられるものなのです。こちらにいろいろなタイプの家があるのはそのためです。

私は今、自分が住んでいる家が気に入っています。なぜならそれは私に安定感や安心感を与えてくれるからです。私に十分な満足感を与えてくれます。私の家は決して大きくて豪華なものではありませんが、まさに私が望んでいた通りの家なのです。そこにある家具はみなシンプルです」

彼女の話はあまりにも美しい。しかし地上のハウス斡旋業者――彼らは売り家に特徴をつくり出し、要求の多い客に何とか家を売り付けようと懸命に努力している――には、彼女の述べる内容はあまりにも漠然としていて、わけの分からないものに感じられるに違いない。

その点、ローズの説明はずっと現実的である。彼女は自分の家について次のような詳細な説明をしている。

「私の家には四つの部屋があります。私一人で十分に手入れできます」

ここで言う四つの部屋とは、どのような部屋なのだろうか? 彼女はそれについては何も語っていない。唯一、彼女が述べている部屋は居間だけである。寝室や台所やトイレはあるのだろうか? 日頃の仕事部屋や書斎やビリヤードルームや勉強部屋などはあるのだろうか? こうしたことについては誰も述べてはいない。

あの世の声は、ほとんどの家に庭があると言っている。そして決まったように、それは郊外の田舎――地上の田舎よりはずっと美しいが――にあるのである。

「こちらの花は自然そのものです」とローズは言っている。「花は生命を持っていますし、人々は花を摘むことができます。そしてそれを部屋に飾ることもできます。しかしこちらにきてしばらくすると、そういうことをする人はいなくなります。もしあなたが家の中に座って戸外の花を見たいと思うなら、わざわざ家の外へ行く必要はありません。ただ見たいと思う花のことを考えるだけでいいのです。そうすれば、それを居ながらにして見ることができるのです。

またこちらには芝生もあります。それは心地よい弾力があって、とても美しい緑色をしています……。私は背の高い花が生えている所に行ったことがあります。そこの花々はあまりにも背が高く、ゆうに七、八フィートもあるのではと思ったほどでした。まるで花の林の中を歩いているようでした。トウモロコシが畑に植えられていました。しかしこれまで私は、刈リ取られたトウモロコシを見たことがありません。トウモロコシは、いつもそこに植えられているようです。……木々は美しく、ある木には美しい花が咲いています。そしてとてもよい香りがします」

ジョージ・ホプキンス(スセックスの農夫)も同様に、あの世の様子を感動的に述べている。

「こちらには田舎があり、湖や川……、また花々、鳥たち――皆さんが地上の自然界で思いつくものは、すべて存在します。ただしこちらには下等動物と言われているものは存在しません。私はこちらでアリのようなものは見たことがありません。地上ではアリはきわめて知性的要素を持った生き物のように言われていますが、こちらでは見たことがありません。また昆虫のようなものも見たことがありません。……こちらの世界では、地上の自然界のある部分は存在しないのです」

人間にとってイヤなものは目の前から消え失せる、という事実について、オスカー・ワイルドも繰り返し述べている。

「われわれにとって自然界の不愉快な部分は、存在しなくなります。例えばハエとかハサミムシのようなもの、そして人間に不快感を与えるようなものは、こちらには存在しません。こうしたものは消えてしまうようです」

テッド・バットラーは、次のような注目すべきことを述べている。

「こちらは快適な明るさと暖かさに包まれた世界です。私は最初、太陽の光が窓を通って射し込んでいるのだと思いました」

同じようにマリー・イワンも言っている。

「太陽が窓を通って輝いていました(実はそのとき、私がそう思っていたまでのことですが)。しかしそれは太陽ではありませんでした」

テリー・スミスは次のように説明している。

「太陽と思われるもの――彼は後になって“あの世には太陽はない”と言ってくるのであるが――それは私たち全存在・全生命体にエネルギーを与えている存在(神)からの光なのです。……その光は面白いことに、皆さんには奇妙に聞こえるかもしれませんが、影をつくらないのです」

テッド・バットラーは、さらに次のように言っている。

「私はこちらで、その光は地上の太陽とは全く関係がないことを聞かされました。しかし私は、何がその光の源であるのかは、いまだに知りません。それはいつか、こちらの科学者が明らかにしてくれるでしょう」

もし太陽がないのなら、暗くなることはないのか? あの世の人々が寝ることはあるのだろうか? それについて交霊会で語る霊の説明は一致していない。

「そちらには昼と夜がありますか?」ウッズがジョージ・ハリスに質問した。

「はい、そちらと同じで昼と夜があります。私は地上時代のように、ベッドに寝て目を覚まします」

ビッグスは他界後、母親からこのように言われた。

「あなたは休憩をとるべきです。ベッドに行ってください」

「ベッド! ではここではベッドで寝るのですか?」

「本来は寝る必要はありません。しかしあなたの場合はそうした方がいいのです」それで彼はベッドで寝たのである。

しかしビッグスは、地上からきたばかりの新参者であった。そしてジョージ・ハリスも、まだあの世でレンガ積みに精を出している段階の人間であった。それに対してローズは、あの世ですでに長く生活を送っている。その彼女は先の二人とは違ったことを言っている。

「もしあなたが寝たいと思うなら寝ることができます。しかし寝ることは必ずしも必要ではありません。……もしあなたが精神的に疲れていたら、ただリラックスするだけのことです。目を閉じて休みます。しばらくして再び目を開ければ、あなたはもはや疲れを感じなくなっています」

エレン・テリーは――彼女は最も進歩した長年の居住者であったが――次のように説明している。

「こちらには暗闇はありません。皆さん方の言う薄明かりのような状態はあります。とは言っても地上のようなものとは違います。休息のような時間もあります。しかし休息や睡眠は必ずしも必要ではありません」

あの世では雨が降るということもないようである。

「私は地上で“雨”と呼んでいるようなものを見たことがありません。またこちらには地上のような季節というものもありません」とローズは言っている。しかしそれも、そこに住む人間の“発達段階”(成長レベル)によるものらしい。

ジョージ・ハリスは、まだいくぶん地上のバイブレーションを残していたが、その彼は次のように語っている。

「さまざまな季節、雨、日光など……それはどれも自然そのものです」

「雨が降るとおっしゃいましたが?」とグリーンが驚いて質問した。

「はい、雨もありますし、地上のすべてのものがあります。地上と全く同じです。それは地上の“レプリカ”のようなものです。でもとても素晴らしいです」

しかし大半の霊は、「季節はない」と言っている。

16. あの世の時間とは
さて、あの世を理解するに際してきわめて難しいことは、死後の世界には時間がないということである。

「私が理解しているかぎりでは、こちらには時間というものがないのです」とローズは言っている。「私たちは、こちらでは時間を意識することがありません。こう言うと、皆さん方が理解に苦しむことも知っております。しかし実際こちらには、午後・夕方・夜といった区別がないのです。地上で言う時間は、私たちこちらの住人には何の影響も及ぼしません。結局、時間は地上の人間がつくり出した単なる目印・決め事にすぎません」

“時間”は、この世とあの世では根本的に異なるテーマである。「ジョージ・オールソン」はその問題について最も優れた説明をしている。

「オールソンさん、あなたはそちらで何もしていないと言われましたが、あなたはご自分の時間をどのように過ごしていらっしゃるのですか?」とグリーン女史が尋ねた。彼は答えた。

「ご存じのように、こちらの世界には時間は存在しません。時間の問題は、地上の人々を当惑させるに違いありません。地上の人々は言います。“いったい、あの世では時間はどのようになっているのだろうか?”と。

“時間!”――私たちは時間を自覚することはありません。時間はこちらの人間には何の意味もないのです。地上側の見方からすれば、私たちこちらの住人は“自分が興味を持ったことをして時を過ごしている”ということになります。確かにこちらの人々は、さまざまなことに興味を持ってそれをしています。しかし何をするにしても、こちらでは時間を自覚することがないのです。一時間、一日、一週間、一カ月、一年という意識がないのです。

われわれが唯一、時間を意識するのは、地上の皆さんと接触するときだけなのです。地上にいる皆さんの所へ戻ってくると、われわれはある程度、時間というものを意識(自覚)するようになります。皆さん方は言います。“誰それさんは今日、必ず交霊会にきて話をします。今日は彼の誕生日だから”と。

しかし、われわれは自分の誕生日には関心がありません。われわれは、地上にいる身近で親しい人間の考えを読み取ることができます。それによって、その日が自分の誕生日であったということを思い出すのです。ある人は言います。“金曜日はフレッドの誕生日だ”などと。それで私たちは次のように言うことになるのです。“金曜日は私の誕生日に違いありません”と。こうしたことがなければ、私たちは自分の誕生日を思い出すことさえありません」

「出生(誕生)についても同じことが言えます。ある個人の意識は、その人間が生まれる以前から存在していると私は確信しています。人間は成長・進歩にともない、物事の本質を知るようになっていきます。地上では生まれて大きくなるにつれ、自分の身のまわりのものの形・色・音などを知るようになっていきます。そしてこれらを通して徐々に自我をつくり出していくのです。

しかし誕生前にも自分が存在していた、という事実を否定することはできません。私は、人間は地上界に一度生まれるだけの存在とは考えていません。私は地上への誕生前に、間違いなくあの世にいたのです。そのときは必ずしも地上と同じ意識体としてではありませんが……。その私が地上に生まれ、自分自身の個性を進歩・進化させていくのです。そして、まわりの人々が私のことをオールソン誰それと、呼ぶようになるのです。

重要なことは、地上での生活は永遠という時間の中でのほんのわずかな瞬間にすぎないということです。私たちの本当の自我、本当の“私”という存在は、自分が今、自分自身であると自覚しているようなものではありません。真の自分の全体を知ることは、とても複雑すぎて難しいことです。しかし、それはとても興味のあることです」

訳者注――あの世の「時間の問題」からさらに発展して、ここではスピリチュアリズムの中でも最も難解で高度な「再生の問題」にまで言及している。再生の問題は、あの世にいるスピリットの間においても意見が食い違うほどの複雑な一面を持っている。ここでオールソン霊の語った内容を理解するためには、多くの予備知識が必要とされる。紙面の関係上それをすべて説明することはできないが、簡単に言えば次のようになる。

すなわち、本当の自分(本自我とかインディビジュアリティーと呼ばれることが多い)という大きな自意識体が、事実存在するのである。しかし地上においては脳を介しての意識しか自覚できないため、そのすべてを知ることはできない。地上では“自分”という意識の“ほんの一部”を知ることができるだけなのである。

今、地上で“自分”と自覚している意識は、本来のもっと「大きな自分(意識)」のごく一部なのである。本当の自分は、今自覚している自分よりはるかに大きな存在であるが、悲しいことに地上にいるかぎり、自分のことさえも分からないようになっているのである。死後あの世で成長するにともない、この大きな自分に気づいていくようになる。


17. あの世の食事と衣服
あの世に時間がないとすれば、当然、食事の時間もないということになる。では、あの世では本当に食事をすることはないのだろうか? 死後の世界から送られてくる通信に目を通してみると、食事に関しての内容に矛盾があることに気がつく。

「こちらでは、何かを食べたいとか、飲みたいなどと思う人はいません」という通信がある一方で、「彼らはお茶をふるまって私を歓迎してくれました。そのとき私は、それが本当のことだとは信じられませんでした」というように、明らかに矛盾することが述べられている。

アルフ・プリチェットのことを思い出していただきたい。彼がレセプションセンターに到着したとき、そこで何を見ただろうか? アルフ・プリチェットは言っている。

「ある者は話をし、ある者は食事をしていました。私はその光景に衝撃を受けました。彼(ガイド)が言うようにここが天国の一部であるなら、人間が食事をするはずがありません。そして私は彼に言いました。“見てください。向こうに食事をしている人がいます”」

次にビッグスのことを思い出していただきたい。彼が叔母のメイの家を訪問したときのことである。メイは彼に「お茶を飲みますか?」と聞いた。

テッド・バットラーも「ではお茶を飲みましょう」と言われている。

テリー・スミスはガイドによって家に招待されたときに「飲み物はいかがですか?」と聞かれ、「レモネードをください」と答えている。

ジョージ・ウィルモットはフランス人の恋人の家族のもてなしを受けたとき、次のように述べている。

「彼らは私の目の前にスープの入った大きなボールを出してくれました。その光景はまるで再び地上に戻ったようでした。彼らはスープを飲んでいました。そして私も飲みました。また私はタバコも吸いました」

あの世へ行った人々が、思いがけない出来事として真っ先に述べる事柄がある。プリチェットのガイドは言った。

「こちらの世界では“思うことが何でもかなう”のです。そのことがあなたはまだ分かっていません。ここでは食べたり飲んだりしたいと思うなら、すぐにそれが実現します」

ビッグスの叔母のメイは、彼に次のように説明している。

「地上からこちらへきたばかりの人は、すべてのものが地上とそっくりなので親しみを感じたり、幸福感に浸ったりするのです。また、もしその人が何か欲しいものがあるなら、すぐにそれを手に入れることができます。しかし、やがてそうしたものは不必要だということに気づくようになります」

テッド・バットラーのガイドは説明している。

「こちらへきて間もない人が“必要だ”と思うものがあるなら、直ちにそれは与えられます。しかしこれは一時的なことで、その人が“そうしたものはもはや必要ない”というこちらの世界の実情に気づくようになるまでのことなのです。私たちは普段、お茶やその他の飲み物は飲みません。しかし今回は(他界して間もない)、あなたが私の家にお客さんとしてきてくれたこと、そしてあなたがこちらの世界に慣れるのに役に立つと思って、わざわざしたことなのです」

ジョージ・ウィルモットのガイドも、ほとんど同じような説明をしている。

「それはただあなたが“欲しい”と思うからなのです。あなた同様、他の人々もこれらのものが自分には必要だと考えているのです。しかしあなたはすぐに、それは必要でないことが分かるようになるでしょう。そしてそのものに対する欲求がなくなったとき、それはあなたの前から消え去るのです」

ある者にとっては、その欲求がなくなるまでに長い期間を要するようである。

「私はお茶を飲むのが大好きな人間でした。そして今でもお茶が好きで飲み続けています」とローズは言っている。

「どのようにしてそれを手に入れるのですか?」とウッズが尋ねた。

「おかしなことですが、私は自分でもよく分からないのです。台所に行くわけでもなく、お湯を沸かすわけでもなく、お茶を入れるわけでもありません。お茶を飲みたいと思うだけで、それが現れるのです」

ローズは食べ物について、さらにはっきりと述べている。

「ここにはフルーツやナッツの木があります。地上にあるあらゆる食べ物が存在します。しかし、ここでは動物を殺してその肉を食べるということはしません。こちらでは地上のように肉を食べることはありません」

さらに次のように述べている。

「地上における動物の“弱肉強食”は、単なる物質的な次元での出来事で、飢えを満たすための本能にすぎません。物質的な本能が、動物たちを弱肉強食の世界へと追いやっていると言えます。しかし、それはこちらではもはや存在しません。なぜなら食欲は、こちらにくると直ちになくなってしまうからです。

ここへきたばかりの人間は最初、ある食べ物に対する嗜好性を持っています。すると、それを手に入れることができるのです。しかし、そうした嗜好性はやがてなくなります。または、それは不必要だと考えるようになります。そして食べることをやめてしまいます」

「マルチン」と名乗る声(彼は二十世紀にオーストラリアに移住してシドニーで死んでいる)が、あの世へ行った直後の同様の経験について述べている。

「こちらには“食べたい、飲みたい”と思うものは、すべて揃っています。しかし最初、私はそのことがよく分かりませんでした。私が食べ物のことを思うと自動的にそれが現れて食べることができるのです。しかし徐々に、食べたり飲んだりするようなことは単なる習慣にすぎないのだ、ということに気づき始めました。目の前に現れる食べ物や飲み物は、自分が地上時代につくり出した考え方・習慣の中で必要だと思い込んでいたにすぎなかったのです。

しばらくして、こうしたものはそれほど大切ではないことが分かり始めました。そして徐々に何かを食べたいといった欲求が失われ、やがて食べ物や飲み物が全く必要ではなくなりました」

あの世での飲酒
酒好きな人間のあの世の様子はどのようなものであろうか? 死後の世界でも、飲酒の喜びは期待できるのだろうか? これについてはっきりと述べている通信は少ないが、「ジョン・ブラウン」(彼はビクトリア女王の信任厚い家臣で酒好きであった)の話の中に、そのヒントが見られる。結論を言えば、あの世では飲酒の楽しみは、あまり期待できないようである。

「私はこちらで、酒なしの生活、ウイスキーなしの生活を学ばねばなりませんでした。ここではウイスキーを飲むことはできません」

しかしウッズの父親は地上時代、ウイスキーとワインを欠かしたことがなかったが、その彼はあの世からの通信で、「ウイスキーもワインも飲める」と言っている。

死後の世界には“償いの摂理”というような現実がある。もし死後、飲酒の楽しみを持てなくなるとするなら、それは地上で飲酒の快楽に溺れたことに対する“罰”ということになる。

「こちらには痛みも苦しみもありません」とジョージ・ハリスは言った。「私はこちらで病院のようなものを見たことがありません。ただ人に聞いたところでは、精神・心の病気のための病院はあるということです。それに面白いことですが、トイレに行く必要もありません。地上では面倒くさい食事をしますが、こちらではそれもありません。ここでの身体は、地上の肉体と構造が違うのです」

あの世での衣服
あの世では、飲食の欲求はすぐになくなるようである。しかし通信を送ってくる霊たちが住む世界に関するかぎり、衣服に対する関心は失われていないようである。

アルフ・プリチェットのことを思い出していただきたい。彼はあの世へ行って美しい木々の立ち並ぶ長い通りに立ったとき、特別な衣装を身にまとった人々が歩いていることに気がついた。彼がレセプションセンターに着いたとき奇妙に思ったのは、そこにいた人々が、彼が昔、日常生活で着ていたのと同じような服装をしていたことであった。スーツやその類のものを着ていたのである。

マリー・イワンはあの世の病院で目覚め、姉にベッドから起き上がるように言われた。そしてマリーは姉に尋ねた。

「私の衣服はどうしたらいいのですか?」
「心配しなくてもいいです。あなたはもう服を着ています」

マリーは自分自身を見た。彼女は美しいガウンを着てベッドのそばに立っていた。

姉は言った。

「私が、あなたが服を着るお手伝いをしたのです。あなたは気がつかなかったでしょうが」

姉の思念によってマリーは服を着せてもらったのである。

ウッズはローズに、「あの世でも服を着ますか?」と質問した。それに対するローズの答えは次のようである。

「もちろん私たちは服を着ます」

「私たちがこちらで着ているような衣服ですか?」

「いいえ、私が昔、地上で着ていたような服は着ていません。皆さんもこちらにくると、地上で今着ているような衣服は着なくなると思います」

「今のあなたの服装について教えてください」

「こちらの人々はみんな、自分の好みの衣服を着ています。当然、今世紀に地上で生きていた女性が死んでこちらへきたときには、しばらくは特殊なドレスを着るようになります。彼女たちは“ドレスはなくてはならないもの”と思っているからです。

しかしやがて“ドレスは特別大切なものではなく、またそれは自分たちには似合わない”ということが分かるようになります。そして徐々に考えを変え、結果的には服装も変えるようになります」

「今、どんな衣服を着ていますか?」との質問にローズは答えた。彼女はその答えの中で、あの世での意念による創造について詳しく述べている。

「皆さんにはどのように聞こえるか分かりませんが、私は今、とても美しい白いドレスを着ています。裾のまわりには、縁飾りが付いています。長袖で、体の中央部には金のひものようなベルトが付いています。ドレスと袖の縁には、カギ模様のデザインが施されています」

「素材は何ですか?」

「地上にある素材で最も近いものを挙げるならシルクだと思います」これはかなりはっきりした答えである。

では彼女は、それをどこから手に入れるのだろうか? ウッズの友人、ジョージ・オールソンはその問題に答えている。ただしそれほど明快ではないが。

「こちらには衣服をデザインする人がいます。もしあなたが特別なドレスや特殊な色のドレスが欲しいときは、素材がつくり出されます。そして実際にそれを分けてくれる多くの店があるのです。その店は地上とは異なり、材料に興味のある人々によって営まれています。もし、あなたが欲しいと思う服を自分でつくれるときは、その材料をあなたに供給してくれます。あなたが自分で服をつくれないときは、他の人があなたのために服をつくってくれます」

ルパート・ブルークに、「あなたは今どんな衣服を着ていますか?」とウッズが質問した。

「私の最も好きな服装は、古代ギリシア人が着ていたようなものです。それはとても心地よく、見栄えがして素材も美しいです」

「その衣服はカラフルなのですか?」とウッズは聞いた。

「そうです。しかし何色の衣服を着るかは、本人自身が勝手に決められることではありません。その人が“好きだ”と思うものを着るようになるということは本質的には正しいのですが、しかし大切なことは“あなたの本性と魂の状態によって色彩が決まる”ということです。あなたにふさわしい内容がないときには、身に付けられない色彩があるということなのです。

なぜならこちらの世界では、着ている服の色によって、その人の性格・気質がまわりの人々に知られるようになっているからです。こちらではその人を取り巻く光によって、お互いの内容を知り合っています。例えばある色があなたのオーラの中にない場合、その色彩のドレスや服を着ることはできません。

もし、あなたがそれほど進歩・進化していないなら、あなたはソフトブルー(薄い青色)の衣服を着ることはできません。なぜならそれは、あなた自身の本性の中にはない色だからです。あなたは自分の力で、その色を自分のオーラの放射光の中に現すことはできません。結果的に、あなたはその色の衣服を着ることはできない、ということになるのです。それにふさわしい人格的内容がないという理由によって、あなたはそれを身に付けることができないのです。

あなたは“ありのままの自分である”ということです。あなたは自分自身の内容以上であったり、内容以下であることはないのです。われわれは絶えず前進する存在です。われわれはみんな、自分の努力によって自動的に自分自身をつくり出していくのです。こちらでは、本当の自分をごまかして人に見せるということはできません。地上では外見を取りつくろうことができるかもしれませんが、こちらでは不可能なのです。どんなごまかしも通用しません。ありのままの自分の姿がまわりに知られてしまうのです」

ところで、この本をお読みの皆さん方の本当の姿はいかがですか?

18. あの世の仕事
あの世の様子やそこの住人の外見を述べることが難しいなら、その人々が何をしているかを述べるのは、さらに難しいことである。

地上世界の大部分の人々は、衣食住のために働き、お金を稼いでいる。毎朝ベッドで目を覚まし、服を着て食事をすませ、仕事に行く。そして夜、服を脱いでベッドにもぐって寝る、といったことを繰り返している。また旅行をしたり、買い物に行ったり、テレビを見たりしながら、日々の生活を送っている。時にはそれが退屈になることもある。

しかしあの世では、寝ることも食べることもしなくていい。住まいはタダである。衣服を着たり場所の移動は、瞬く間になされてしまう。だから誰も生活のために働く必要はない。ではあの世の人々は、いったい何をして時を過ごしているのだろうか?

「こちらには工場はありません。電車も車もありません」とライオネル・バリモアは言っている。ジョージ・オールソンも「ここには工場はありません。鉄道も駅もありません」と言っている。アミー・ジョンソンは「飛行機はありません」と述べているし、ジョージ・ハリスも「私はこちらでタクシーを見たことがありません。誰も車を欲しいと思いません。なぜなら、行きたい所へはアッという間に行くことができるからです」と言っている。

またローズも次のように述べている。「私はイスに座って、フリントさんのサークルに行きたいと考えます。そして目を閉じます。すると次の瞬間、私は皆さんの所にいるのです。お金! こちらではお金では何も買えません」

「しかしあなたは確か、建築家に家を建ててもらうと言いましたが」とウッズは尋ねた。

「お金は払いません。彼はそれをするのが好きだからしてくれるのです。家を設計するのが好きなのです。その仕事が好きでしてくれるのです。それは音楽家がバイオリンを弾くのが好きなのと同じことです。彼は友人を楽しませることができたら幸せなのです」

「そちらの人々は何事もすべて“愛”のためにするのですか?」

「そうです。すべてを“愛”からします。また地上にいたとき音楽家や芸術家になりたかったのに、そのチャンスがなかった人は、こちらへきてからそれを実現することができます」

ジョージ・ハリスはまだそれほど進歩している霊ではなかったが、こうしたことについては、すでに知っていた。

「私たちは働きに行く必要はありません。地上のような仕事はこちらにはありません。ここではお金は何の意味も持ちません。お金は必要ではありません」

あの世には、家賃も食べ物の請求書も税金もないのである。

テッド・バットラーのガイドは、「今、母親は外出していて家にはいない」と言った。バットラーは尋ねた。

「あなたのお母さんは働きに行っているのですか?」

「そうです」とガイドは答えた。「それを仕事と呼んでも差し支えありません。私の母は地上時代とても働き者でした。いつも洗濯などいろいろな家事や仕事をしていました。今、母は子供たちの世話をする施設で働いています。母は子供たちが大好きでした。それで母は今こちらで、幼くして死んだ子供たちの成長の手助けをしているのです。母はその仕事がとても好きなのです」

ビッグスの母親は、姉のフロリーと一緒に住んでいることをビッグスに語ってから、彼を新しい住まいへ連れて行った。そこで母が言った。

「フロリーと私は病院で働いています」

「病院ですって!」

「あなたの知っているような地上の病院ではありません。しかし精神的に不安定で、指導と助けが必要なある人にとっては治療が必要なのです。そこでの仕事は楽しく、それをしているときは、とても幸せな気持になります」

マリー・イワンはあの世の病院で目を覚まし、姉の出迎えを受けた。彼女の夫はそこにはいなかった。マリーは言った。

「彼はそのとき別の離れた所にいました。後で分かったことですが、彼は特別な仕事をしていました。それはアフリカのどこかの戦争に関係した仕事でした……その戦争で傷つき死んだ人たちの世話をしていたのです」

アルフレッド・ヒギンスは、あの世で実用的な仕事に携わっていた。それは彼の地上時代の仕事と同じような仕事であった。

「他の人たちの住まいの世話をすること、そしてこちらへきたばかりの人々が落ち着く手助けをすること、彼らのために何かをしてあげることは、私には大きな喜びです。……私はここで、ささやかな人助けの仕事をしています。私は家の装飾もします」

ジョージ・ハリスは地上時代に大工をしていたが、彼もまた、あの世で同じ仕事をしていた。

「私は地上にいたとき大工をしていました。そして今、私はこの仕事にとても興味を持っています。私は自分の仕事が好きなのです。しかし、こちらの仕事は地上とはかなり違っています。こちらでも家を建てます。実在感のある堅い材料で家を造るのです。もちろんそれはお金のためにするのではありません。その仕事が好きだからするのです。それによって喜びと幸福感が得られるからするのです。

私は何人かの人たちから、そうした作業をするのは、こちらの世界にきて間もないためであると教えられました。まだこちらの世界に慣れていないために“家を建てる”という作業をするのだと言われました。彼らが言うところでは、もっと高い世界(界層)では、すべてのものは思念によって創り出されるということです。

私がいる世界では、家を建てるという作業を現実にするのです。そのための材料もありますし、それを用いて家を造るのです。私は実際に地上にあるのと同じ家をこちらで見てきました。ここの人々はただ座って何かを考えているだけ、ということではありません。それでは何の喜びも持てないでしょう。私はそんなことはイヤです。もし何かの目的に向けて努力すること、具体的に家を建てたり、働いたりということをしないなら本当の喜びも楽しみもないと思います」

「ジョージさん、あなたは家を建てるためのレンガをどのようにして手に入れるのですか?」とグリーンが質問した。

「こちらの人たちがつくるのです。またそのレンガを分けてくれる場所もあります。私たちはそこでレンガを手に入れるのです。そしてそれを用いて家を建てるのです」

「あなたは自分の決めた特定の人のために家を建てるのですか? それとも、どんな人たちのためにでもするのですか?」

「それは家を建てる人の考えいかんです。こちらには建築会社のようなものがあるわけではありません。私のいる世界について言えば、死んでここにきた人が、もし地上時代に専門職についていて、しかもそれが好きで喜びを持っていたなら、その人はこちらでも同じ仕事をするようになるということです。

ここには大工も装飾家も、またありとあらゆる職人が揃っています。地上時代に楽しんでしていたことは、何でもこちらの世界で引き続きできるのです。あなたがしたいと思うことは何でもすることができるのです。そしてそれは、あなたが“何か他のことをしたい”と思うときまで続きます。

私は地上時代に大工だった他の人たちの手助けをするとき、本当に幸せです。私たちは一緒に協力し合って家を建てるのです。私たちの建てる家は、地上と全く同じように実在感も堅さもあります。その中のある家はとても美しいです。もちろん私たちは、好意を持っている人や手助けをしてあげたいと思う人のために家を建ててあげるのです。こちらには家を建てる人―いわゆる建築家と呼ばれる人たちがいます。彼らは建物の大まかなところを造り上げます。私たちがそれを完成させるのです」

創造的作業(仕事)の重要性を確認するような通信が、思いがけなく進化レベルの高い霊から送られてきた。声の持ち主は「エリザベス・フライ」である。

「私たちがあるモノを考えるだけで、それが目の前に出現するというように考えてはいけません。あらゆる仕事が、さまざまな過程をへて行われるのです。ある人は材料をつくったり設計をしたりします。また偉大な芸術家は今でも立派な作品を描いています。なぜならそれは彼らにとって喜びだからです。しかもこちらには、地上よりずっと多くの色彩や色相があります。偉大な音楽家は立派な音楽を創作しています」

エリザベス・フライはあの世において、今でも優れた社会福祉活動をしている。

「私は皆さんが救済事業と呼んでいる仕事に携わっています。地上時代、自分たちの手におえない状況・環境によって社会に適合できなくなって、自分自身の生き方を見失った人々に手を差し伸べています」

あの世にいる偉大な芸術家たちは、今でも作品をつくり続けているようである。オスカー・ワイルドも以前と同様、演劇を書いているが、その彼は次のように語っている。

「ここにくると、ある者は別の仕事をしたいと思ったり、今までやってきたことは必要ないと考えるようになります。しかしある者は依然として同じ状態のままで、そうしたことを考えることもありません。私はものを書く仕事が好きで今でも続けています。なぜならもの書きは、私の人生そのものだからです」

ご存じライオネル・バリモアも、地上時代と同じように演劇に対する興味を持ち続けていた。それはハリウッドにいたときより、もっと強くなっているようである。

「私はいまだに演劇に興味があります。……シェークスピアのすべての作品はこちらでも上演されています。それらは今見ても面白いです。新しいものであればあるほど素晴らしくなり、地上のどんな演劇より優れています。彼は今でも演劇を書いていますし、彼自身が出演することもあります。スペンサーや他の偉大な作家たちも、みな同様です」

「私はシェークスピアに会ったことがあります」と「リリアン・ベイリス」(オールド・ビクトリア劇場の創始者)と名乗る声が語った。

「彼はまだ演劇をつくっていますか?」とウッズが聞いた。

「彼は地上時代と同じことをしています」

ピアニストの「フレデリック・ショパン」も、まだあの世でピアノを弾いていると語った。

「私はこちらで最初にピアノを弾いたとき、安心しました。私からピアノを取り去ったら、自分自身がなくなってしまうからです。私はこちらの世界でもピアノを弾くことができることが分かり、とても安心しました」

ルパート・ブルークも以前と同様、ものを書き続けている。彼はガイドの男性に、あの世でも、ものを書くことができるのかと尋ねた。

「もしあなたがそれを望むならできます。そして何か他のことをしたいと思うなら、それもできます。あなたが画家や音楽家になりたいと思うなら、こちらではそれを止めるものは何もありません。ここでは自分がしたいと思うことは、その通りにできるようになるのです。それは、人がこちらの世界で進歩するための唯一の方法です。あなたは自分自身でできることを通じて、自分を進化・向上させていくのです」

もしあの世の職種リストを見ることができるとするなら、最初にそれを開いたとき職種の数が地上より少ないことに気がつくはずである。あの世では人々は、どのような仕事・職業につくことも自由である。ただし地上時代に軍人だった者は、あの世では平和な仕事につくための訓練を受けなければならないだろう。軍人・船乗り・パイロットという職業は、あの世には存在しない。

地上のようなビジネスもない。当然、セールスマン・会計士・銀行員・店員・事務員という職業も存在しない。同様にあの世には工業・産業もないし、労働組合もない。会社の上司も流れ作業の労働者も、坑夫も波止場の労働者も、ドライバーも車掌もいない。おそらく機械工もいないであろう。

もしあなたが手仕事をしたいと思うなら、最も可能性のある仕事は、家を建てたり、装飾をしたり、絵を描いたり、庭の手入れをする仕事であろう。あの世には知的職業は数限りなく存在する。とりわけ建築設計士・精神治療士・看護婦・デザイナー・図書館員・教師、そして社会奉仕の分野の仕事には多くの人が参加することができるであろう。

また誰でも芸術家になることができる。能力があるにもかかわらず、地上でそれを発揮することができなかったり、他の事情で作家や音楽家や画家になることを断念した人々は、こちらでは思う存分、その能力を発揮することができるようになる。

もし仕事がつまらなくなったり重荷になったら、何もしないでじっとして過ごすこともできる(ちょうど暇を持て余す地上の紳士・淑女のように)。ただし、それはあなたが何もしないことに耐えられるなら、ということであるが……

19. あの世の娯楽・コンサート
あの世の娯楽
あの世では、退屈するということはないようである。地上にあるほとんどすべての娯楽はタダで楽しむことができる。読書・演劇・コンサートなど十分に楽しむことができる。映画もそうである。そして水泳や競馬も(それを望むなら)心ゆくまで楽しむことができる。

ローズは言っている。

「こちらでは泳ぐこともできます。希望するなら水に入ることもできます。しかし水に入っても濡れたり汚れるというようなことはありません。またこんなことを言うと皆さんは驚かれるでしょうが、私は映画を見に行くこともあるのです」

アルフレッド・ヒギンスも彼女と同じようなことを言っている。

「こちらには教育センターがあります。そこには素晴らしい図書館があって本を読むことができます。他にも素晴らしい施設があります。……こちらには地上の映画と同じようなものがあります。厳密に言えば全く同じというわけではありませんが。その映画では、人間や人間の進歩について、また人間の生活について、あらゆることを学ぶことができます」

競馬ファンにとっての朗報が、クウェーカー教徒の「エリザベス・フライ」から伝えられている。

「そちらでは地上と同じようなことが行われていますか? 例えば競馬のようなものが?」

「世界(界層)によっては行われています。なぜならそこに住む人間は、それが自分たちの幸せにとって大切だと考えているからです。言い換えれば、こちらの世界では、人々は自分の考えによってさまざまなものを創り出します。それは地上でも同じですが。地上に近い界層世界では、こうした考え――“競馬は大切だ”というような考えが人々の心を支配しているのです」

地上に通信を送ってくる霊たちが住んでいる界層では、演劇は依然として大切な娯楽であると考えられている。ライオネル・バリモアは次のように語っている。

「地上と全く同じというわけではありませんが、こちらにも演劇があります。その演劇には目的があります。こちらの演劇は人々に、ただ喜びや楽しみを与えるためだけにあるのではありません。例えば、われわれは道徳劇を制作して低い世界の人々に見せます。また、ある観客の個人的人生を演出することもあります」

あの世のコンサート
コンサートは演劇同様、あの世で一般的な娯楽である。マリー・アン・ロスは、彼女の恋人(地上時代、彼女は彼のプロポーズを拒んだ)に初めてコンサートへ連れて行ってもらった様子を述べている。

「彼は私を特別な場所へ連れて行きました。そこは地上の町のような所でした。いろいろな家や大きなビルがあって、人々が住んでいました。また多くの階段があるとても広い場所がありました。私は最初この階段を見たとき、こんなにたくさんの階段を登っては疲れてしまうと思いました。しかし面白いことに、私は全く疲れを感じませんでした。

それから私たちは、素敵な建物の中に入りました。そこはとても広くて、何千人という観客が入っていたと思います。ステージには美しいピアノがありました。それは私がこれまで見た中で最も美しいものでした。またそのピアノは、かつて見たことも聞いたこともないほど大きなものでした。私はこのピアノは、きっと鍵盤(キーボード)が三段になっているに違いないと思いました。そしてそれは真珠のような美しい色彩を放っていました。

それから一人の素晴らしい男性がステージに現れました。彼は背が高く、ハンサムで、長い髪の毛をしていました。その男性は座ってピアノを弾き始めました。私は今までそのような素晴らしい演奏を聴いたことがありません。面白いことに、それは三段の鍵盤を同時に使って弾いているようでした。しかし実際は、二つの手でピアノを弾いていただけなのです。私は彼の手がトップキーに動いたのを見ませんでした。指は低いキーの上を弾いていただけなのです。しかし指を触れていない他のキーが下がっているのが見えました。私は何かの方法でキー同士が全部つながっていることが分かりました。

それは一種、異様な音楽でした。私はその音楽によってどこかへ運び去られるような、またその音楽に包まれたような状態になりました。そして場所と時間のすべての感覚が失われたようになりました。まるで私は音楽と一緒に歩み、音楽に溶け込んだようになり、ホールも観客もピアニストまでもが、しばらく視界から消え去りました。私はあたかも音楽の一部になったような、音楽が私に話しかけているような気がしました。そして私の理解を助けてくれるようでした」

ジョン・ブラウンは大のウイスキー好きであったが、あの世に行って初めてその欲求を断ち切ることができた。そんな彼でさえ、あの世では音楽ファンになったのである。

「私は、何千人という人々と一緒に、広大な野外ホールに座りました。そこでは最高の作曲家による素晴らしい音楽を聴くことができるのです。しかも音楽を聴くだけでなく、音楽を見ることもできるのです。音楽が映像化され、それが大気中に映し出されるのです。音ばかりでなく映像によっても、音楽の内容が伝えられるのです。

例えば、ある偉大な音楽家が、人類の進歩・発展を表現する音楽を演奏しようとすると、彼の心の中のイメージが映像化されて見ることができるようになります。もちろん音楽の中にも彼のイメージは表現されています。こうしたことを言葉で説明するのは、とても難しいことです」

20. あの世における人種意識
あの世からの通信ではっきり分かることは、人は死後も、基本的には生前と同じ性格を持ったままだということである。

「人が未知の国へ赴くとき、何らかの違和感なくして行くことはできません」とオスカー・ワイルドは言った。「こちらにきて特に興味深く思うことは、ここの人々は地上時代と全く同じであるということです」

人種偏見や皮膚の色に対する差別意識も、しばらくは残ったままである。

ジョージ・ウィルモット(かつての貧乏な商人)は、ガイドと一緒に道を歩いて行った。まわりの人々は家の外に出てきて彼を歓迎してくれたが、そのときの様子を彼は次のように述べている。

「時々、彼らは私に手を振ったり声をかけたりしてくれました。彼らは全員白人のように見えました。有色人の姿は見かけませんでした。私は、もしここが彼(ガイド)の言う天国なら、白人の天国に違いない、と思いました。そして私は有色人について考え始めました。彼らのことはよく分かりませんが、彼らはみんな正常な人間ばかりで、特別おかしなところはないように思いました。しかし、そこには白人以外には誰もいませんでした。彼(ガイド)は私の心の中を読み取って言いました」

「こちらには有色人もいます。あらゆる人種・民族の人々がいます。人間は気の合った人と一緒に暮らしたいと思いますし、自分に一番合った環境の中で生活したいと思うのが普通です。とは言っても、人々の中には小さな家でひっそりと生活するのが好きな人間もいますし、そういう人はそこで住むのが本当に幸せなのです。そして自分に合った生活をするようになります。

有色人も白人同様、地上時代の生活によってその内面性をつくり上げており、白人の中にいることは喜びではないのです。こちらにはあらゆる民族・国民が存在しています。彼らは自分たちにとって最もふさわしい共同体と生活条件のもとで生活しているのであり、その中でしばらくは大きな安らぎを感じるのです。

しかし、そうした彼らも徐々に自分の考え方を変え始めます。白人であれ有色人であれ、すべての人種が一つとなる社会が善いことに気づき、一緒に生活するようになります」

大切なことは、あなた自身の内容
ジョン・ブラウンは、高い界層世界について述べている。

「こちらでは“死”は人間にとって飛躍の時と考えています。人が地上にいたとき何者であったのか、どんな身分であったのかということは、たいした問題ではないことが分かるようになります。大切なことは、あなた自身の内容がどうであるのか、ということです。あなた自身が真の価値を持っているか、真の評価を受けるに値する人間であるかどうかが重要なことなのです。

私はこちらへきて、地上時代に身分や地位が高かったために世間から偉いと言われてきた多くの人々に会いました。しかし彼らの中のある者は、とても冷酷で貧しい人々への同情心も理解もありませんでした。彼らはこれまで苦しみの体験をしたことがなかったのです。そうした人たちはこちらで、本当に大切なものが何であるのかを学ばなければなりません。それは彼らが、自分の地位・身分のために知ることができなかったものです。

貧乏人が真理を知ることは、金持が真理を知るよりもずっと簡単なのです。金持が天国に入ることより、ラクダが針の穴を通る方がずっとたやすいのです」

アルフレッド・ヒギンスは言った。

「多くの人が、地上サイドからのみ物事を考えています。そして人間は死ねば直ちに違う人間になるかのように考えています。しかし人間は死ぬ前も死んだ後も同じなのです。ただ死後は、少し賢く、少し分別が持てるようになり、理解力が増し、忍耐力が増す、という程度です(忍耐力は“かなり増す”と言っておきましょう)。

こちらには地上で長年にわたって考えられてきた偏狭で古臭い愚かな教えは存在しません。そうした間違った教えは“神の子”である人間を救うことにはなりません。むしろ人間を神から遠ざけてしまうのです。すべての神の子は、等しく高い心境で、霊的に精神的に生きていくチャンスが与えられているのです」

エレン・テリーは付け加えている。

「地上からこちらの世界にくるのを恐れてはなりません。あなたの入る世界がどのような状態の世界であるにせよ、またその世界がどれほど低い世界であるにせよ、それはあなたの地上人生の結果なのです。あなたの他界時の様子や魂の成長状況・人間性の未熟さの程度に応じて、ふさわしい世界へと赴くようになるのです。そこは光あふれる世界と比べたとき、いくぶん暗く、寂しい所かもしれません。しかしそこでは何をしようが自由です。また進歩しようがしまいが、すべて本人次第なのです。

もちろんもっと低い界層世界もあります。そこには未発達で未熟な者たちがいます。とは言っても、そこはこれまで地上で言われてきたような地獄ではありません。そのような地獄は存在しません。それは人間が勝手につくり出してきた考えにすぎません。

こちらでは、そこに住む人によって環境が創られますが、本人の努力によって暗闇から上昇するにつれ、その環境自体も変化するようになります。人間はしばしば自分自身で創り出した暗闇の中で長い時を過ごすことがあります。

しかし本人が永遠の生命に対する希望を持ち始め、上昇するための努力を始めると、直ちに救いの手が差し伸べられ道が示されるようになります。いずれにせよ、すべての人々に道が示されるようになります」

ここで述べられた“救いの霊”によって示される道とは、いったい何のことだろうか? それはどこへ向けての道なのだろうか?

21. より高い界層世界への旅立ち
死んであの世に赴いた者には、一人の例外もなく次なる道が示される。では彼らは、次にどこへ導かれて行くのであろうか?
ローズの満足した生活
一九五三年、ローズはベッティー・グリーンが初めて参加した交霊会で、あの世の生活について述べた。彼女は自分の住んでいる新しい世界に心の底から満足している様子であった。北部の地方から出てきて苛酷な仕事をしている賃金労働者が、長期の休暇の初日を地中海の洋上でイスに横たわり日光浴をしたなら、さぞかし満たされた気持になるであろう。ローズもちょうどそれと同じで、新しいあの世の生活に満足しきっていたのである。

ローズの次の世界への不安
それから十年後の一九六三年、彼女はまだ以前の世界に満足していた。しかしこれまでのような満足感に浸りきるという様子は、少しずつ変化しかけていた。太陽の下でただ座っておしゃべりするような生活は、人間の唯一の目的ではないし、彼女に永続的な満足感を与えることはできないのである。

ローズは言った。

「こちらの人々が私に、別の世界へ移動するように話して聞かせるのです。しかし、それは私とは違った方法で進歩したいと考える頭のいい人にとってのふさわしい道だと思います。私は今のままで幸せなのに、なぜ別の世界へ行かなければならないのですか? 彼らはいつも“あなたは移動すべきだ、生活を変えることを考え始めるべきだ”と言うのです。しかし私はそのようなことはできません。

【少し中断】

最初にこちらへきていったん落ち着いたとき、ここでの生活がどのくらい続くのか、と考えました。長い間ここにいるようになるのかしら、また昔のような生命を得て再び死ぬことになるのかしら、などと考えました。私はすでに新しい生活を始めていましたが、ここ以外にも別の世界があるのかしら、などと考えたりしました。しかし、こちらの世界には“死”はないのです。

本当に不思議なことですが、人間はいつまでも同じ状態にとどまり続けることはできないようです。いずれ今までの生活に退屈して嫌気がさすようになったり、自分がいる世界のすべてを知り尽くしたと考えるようになります。すると一種の眠りのような状態に陥り、別の世界へ行くのです。

……私はそれが怖いのです。私は別の所へ行きたくありません。多くの友人が“あなたはここを早く出るべきだ”と言います。しかし私にはそれが理解できません。なぜ人がせっかく手に入れたものを手放さなければならないのですか? その中で幸せだというのに。それなのにわざわざ自分の知らないものを手に入れよ、と言うのですか? 私はそんなものはいりません。私は今のままで十分に幸せなのです」

このすぐ後で、彼女は別の世界へ行くつもりなどない、と言っている。

高い世界へ行ったローズ
それから三年後の一九六五年、ローズは再び現れた。そのときウッズは、彼女の様子が以前とは違っていることに気がついた。彼女の言葉から以前のロンドン訛りが消えていた。そして彼女の話には威厳のようなものさえ感じられるようになっていた。

「ローズさん、あなたはもう別の世界へ移られたのですか?」

「面白い質問をされますね」

「あなたは先回、別の世界へは行きたくない、とおっしゃいました」

「確かにあのときは、そう思いました。しかし私はすでに別の世界へ移りました」

「新しい世界へ行ったのですか!」グリーンは驚いて大声をあげた。

「ええ、でも“すでに移ったのですか”などというような言い方をされると、とても奇妙に聞こえます。皆さん方がそちらの世界で“移動”について考えるときは、きっとトラックとか荷造りとか、積み荷降ろしのことなど思い浮かべているのではないでしょうか。しかしこちらの世界での移動には、そうしたものは必要ありません。そういうことは全くしなくてもいいのです。

別の世界への移動は地上に比べ簡単にできます。しかし、それは考え方によっては逆にかなり難しいことだとも言えます。というのは、こちらではその人が自分自身で移動できる状態にならないかぎり、不可能なことだからです。地上ではお金さえあれば好きなときに移動することができます。しかし、こちらではお金は何の意味も持ちません。その人自身の本性ならびに人格が、より高い界層世界へ行くにふさわしいものになったときのみ、初めて移動できるのです。ですから自分が移動したいからといって、すぐにできるというものではないのです」

「現実には、どのようにして移動するのですか? それはどのような体験なのですか? それは特別な体験なのですか?」とグリーンが尋ねた。

「それは本当に重要な問題です。私よりはるかに多くの経験を積んでいる他の人に聞いた方がいいかもしれません。それは、はっきりと知っておくべき問題なのです。そうすれば死後、人間が落ち着く環境は、一応はその時点でのその人にふさわしい世界であるけれども、いつまでもそこに満足していてはならない、ということがはっきりと分かるようになるでしょう」

「今、あなたのいる新しい世界はどのような所ですか?」ウッズが聞いた。

「もちろんとても美しい世界です。以前、私がいた世界よりはるかに素晴らしい所であるとしか言いようがありません。言葉では説明のしようがないのです。私は前よりずっと幸せです。それは今、ここで私は仕事をしているからなのです。私は前の世界にいたときには実際、何もせずに時を過ごしていました。もちろん子供たちにはいくぶん興味があって、彼らのために少しばかりの奉仕をしてきました。が、それは積極的な行為と言えるものではありませんでした。しかし今の私は当時とは違います」

「どんな仕事をなさっているのですか? ローズさん」とグリーンが質問した。

「皆さんには奇妙に聞こえるでしょうが、私は大学、あるいは学校のような所に通っています。そこで、人間についてとか、われわれの内に存在する潜在能力や創造力などについて多くのことを学んでいます。

もちろん私は地上にいたときには創造力を用いるようなことはなく、そうした背景もありませんでした。そのための必要な教育も受けてきませんでした。ここで私は、すべての人間は誰でも大きな可能性を内部に秘めていることを知りました。また人間は自分で新しいものを創り出す能力ばかりでなく、他人に自分の経験を教える能力を持っていることも分かるようになりました。

今、私は別の世界へ行くことができます。そして以前より、もっと自分自身をよく表現することができるようになりました。いろいろなことを他の人に説明してあげることもできます。これまでの私は自分を上手に表現することができませんでしたが、今の私にはそれができるのです。それは私にとって素晴らしいことです。

今、私は低い世界に赴いて、そこの人たちに少しでも真理を知ってもらおうと働きかけています。“自分たちがいる状況は大部分が自分たち自身の過失なのだ”という事実を悟ってもらうために語っています」

所有欲の無意味さ
グリーンが言った。

「ローズさん、私があなたにお聞きしたかったのは、いつあなたは前の世界から今の世界へ行ったのか、ということです。あなたは眠りに入って目が覚めたとき、すでに別の世界にいたのですか? それとも少しずつ新しい世界へ移動して行ったのですか?」

ローズはその質問には直接答えず、次のように言った。

「私は荷物をまとめたり、トラックの手筈を整えたりするようなことはしませんでした。なぜなら、ここではそうしたことは全く不必要だからです。ご存じのように、こちらの世界で大切なことは、自分のすべての所有物は――それらは地上の存在物と同様、実際に存在するのですが――その人がそれを必要だと思わなくなるまで存在するということなのです」

「人はそれらがなくなっても、やっていくことができるのですか?」

「そうしたものはすべて必要ないのだということが分かるようになります。それがその人の進歩の始まりです。あなたが人間に対してであれ、モノに対してであれ所有欲を持つということは――それはいかにも人間的なことではありますが――本当は善いことではないのです。あなたは何の所有欲も持たずに“誰かを愛する”ということを身に付けなければなりません。それはとても大切なことなのです。

あなたが愛する人々やモノそれ自体にも、今のあなた自身が持っているのと同様の“存在意義と尊厳性”があることを知らなければなりません。特に一人の人間を深く愛すれば愛するほど、あなたの愛から所有欲がどんどん減っていくのです。あなたは、ただ相手の幸せだけに関心を持っていればいいのです。本当の愛があるときには、本当の理解があるものです。そのとき、あなたは一人の尊厳性を持った人間――“神の子”としての義務を果たしているのであり、単なる一個人の利益のために働きかけているのではありません。

あなたが地上の自意識を拭い去るとき、それは他の人のモノを奪おうとする所有欲を捨て去ることであり、自分自身をより宇宙の摂理と調和させることになるのです。またそれは、相手とより密接な触れ合いをすることなのです。

他人を助けたり他人を思いやることは、間接的にあなた自身のためになるのです。ただしあなたは、それ(自分に利益がもたらされるということ)を目的にして愛の行為をしようと思ってはなりません。

今の地上では、大部分の人間は他の人のことを考えるとき、また他の人を助けようとするとき、しばしば自分に利益が返ってくることを期待します。例えば一人のある妻を例にあげるなら、“もし自分が夫に一生懸命に尽くしたら、夫の仕事は好転するようになり、それによって素敵な家や新しい車まで買えるようになるかもしれない”と考えるのです。

しかしこちらの世界では、他人のことを思うとき、そうした打算的・利己的な考え方はしません。常に自分が相手のために何ができるのか、ということだけを考えます。どうしたら他の人々を低い所から引き上げてあげられるのか、どうしたら彼らに新しい視野・知識を持ってもらえるのか、ということだけを考えるのです。そして彼らがこれまでと違った考え方ができるように手助けをします。

それによって彼らは、自分たちが以前には持てなかった平和を手にすることができるようになるばかりでなく、今度は代わりに他の人々の手助けをすることができるようになるのです」

「ローズさん、今のあなたの家は前とは違っていますか?」とグリーンは話題を変えるため質問した。

「その質問に対する直接的な答えではないかもしれませんが、人間は、もし自分が進歩すればもっと暮らし向きがよくなるとか、物質的に恵まれるようになると考えがちです。

しかし霊的に目覚めると、家とか家具とかいったものに対する関心がなくなっていきます。人間が進歩するということは、多くのものを手に入れるようになるということではありません。ある意味では、所有欲の観点から見れば、むしろそうしたものは少なくなっていくのです。反対に心の進歩にともない、多くの愛と心の平安・平静さ・幸福感を手に入れることができるようになるのです。

なぜならあなたが他人に働きかけ、与え、愛し、他の人々と一つになっているときこそ、あなたの心は平安なのです。別の言葉で言えば、あなたが本当の自分を発見するのは、あなたが自分自身の所有欲を捨てたときである、ということなのです。

誰も長い間、同じ満足感を持ち続けることはできません。こちらでは欲しいと思うもの、必要だと思うものは何でも与えられます。しかししばらくすると、それらに飽きるようになり他のものが欲しくなります。そのうち今あるものが、自分たちが本当に願っていたものではないことに気がつくようになるのです。

私は以前、自分が持っていたものに満足していました。私は少しは他人のために尽くしていましたが、完全に与え尽くしていたわけではないことに気がつきました。私の持っていたものは、以前ほど自分にとって大切ではないということが分かり始めました。そして自分が努力しなければならないことは他にあると分かるようになったのです。私はそれが何かを見つけ出さなければなりませんでした。

こうしたことは、あなた方の世界でも同様です。人間は地上で人生を送るについては、いろいろなものを所有します。また自分たちのために新しくものをつくったり環境を整えたりします。小さな素敵な家や家具も手に入れます。そしてしばらくは、それを幸せだと考えます。

しかし大切なことは、もしあなたが何百年もそうした生活を続けるなら、それに飽き飽きしてしまうということです。本当になくてはならないものは、心や霊に係わることなのです」

ローズは、まだ誰も述べたことがない高い世界へと旅立って行った。そこは地上からはあまりにも隔たっているため、われわれ地上人の理解の及ばない世界なのである。

テリー・スミスの話
テリー・スミスはあの世へ行って、直ちにその様子を伝えてきた。彼のガイドは、居間にいたネコは六十歳だと言った。

「六十歳ですって! 私には信じられません。ネコが九度生まれ変わるという話は聞いたことがありますが……」

「人間は死後も生き続ける存在なのです。今、あなたは地上人生に引き続いて、こちらでも生きています。そのうちあなたは、ご自分の生命がこれからもずっと続くことに気がつかれるでしょう。いわゆる“死んだ”というだけで人生が終わるわけではないことが分かるようになるでしょう。死ぬことによって、また別の人生が始まるのです。当面は、それについてはあまり心配しないでください。別の言葉で言えば“あなたは永遠に生き続ける”ということです。

あなたには、今の世界や境遇にうんざりするときがやってきます。そのとき結果的に、あなたは“ここで学ぶべきものはもう何もない”と思うようになります。そしてもっと別の経験をしたい、と考えるようになるのです。それからより高い世界へ行くようになります。そこでこれまでの世界では経験することのできなかったさまざまな新しい体験をし、多くのことを学ぶようになるのです」

「しかし私には、それはまだかなり先のことかもしれません」

彼が高い世界へ行けるようになるのは、どのくらい先のことなのだろうか?

ジョン・ブラウン(彼はテリー・スミスよりずっと前に死んでいる)は、高い世界へ行くことは、まだずっと遠い将来のことと考えているようである。

「人は、進化の程度の異なるいろいろな世界での生活を体験します。私はそこを“界層世界”と呼ぶことにしますが、さまざまな界層世界での生活を体験すれば誰でも、今の自分にも、かつての自分にも何も価値はないなどと言わなくなるでしょう」(*これまでの各界層世界におけるすべての体験が、自分の成長に役立っているということに気がつくようになるということ――訳者)

自分の成長レベルに合った世界が一番安らぐ所
ドレイトン・トーマス牧師(彼はウッズに心霊研究所を紹介した。一九五三年に死んでいる)が、あの世から通信を送ってきた。

「あなたは高い界層世界を訪問したことがありますか?」とウッズが聞いた。

「こちらには誰もが従わなければならない法則があります。大切なことは、その人が高い世界へ行くだけの魂の成長内容を持っているかどうか、ということです。高い世界に入るにふさわしい準備ができるまでは、そこへ行くことはできません。もちろんそれ以下の世界へは行くことができます。しかし人は自分の成長レベルよりも高い世界へ入ることはできないのです。その世界にふさわしい内容がないかぎり行けないのです。

私は自分にふさわしくない、まだ自分に準備のできていない高い世界へ行こうとは思いません。が、低い世界へはよく行きます。なぜならそこの人々に与えるものがあるからです。……私は自分より未熟な人々を助けることができます。しかし自分のレベル以上の世界へ行くことはできません。

その一つの理由は、今もし私がそこへ行ったとしても、決して幸せではないからです。おそらく皆さん方は、高い世界へ行けば素晴らしい体験もできるし、もっと幸せになれると考えるでしょう。しかしそうではないのです。

ある意味で、それは地上世界と同じです。どんな人にとっても自分に合った環境にいるときが一番幸せなのです。自分より高い世界へ行くことは、いかにも素晴らしい体験ができるように思われるでしょうが、人は本能的に自分にふさわしい所が一番いいということを知っているのです。自分より高い世界では心が落ち着かなくなり、平安も安らぎも得られません。結局、人は自分の成長レベルに見合った所へとどまるようになるのです」

さらなる高い世界
高い世界にいる進化した霊たちは、そこがあまりにも地上から遠く隔たっているため、ストレートにその世界の様子をわれわれに伝えることができないようである。われわれに届けられる情報は、他の霊から聞いた話とか、あの世の部分的な内容にすぎないことが多いのである。

あの世にはジョージ・ホプキンス(スセックスの農夫)のように、まだ馬や牛の番をしている人たちもいる。そのホプキンスが語った。

「私はこちらにきて、さまざまな世界・状態の違う世界(界層世界)があるということが分かるようになりました。人間は一歩前進するにつれて視野が広がり、理解力が増し、以前は大切に思っていたことが大切ではなくなります。高い世界に至った人間(霊)のある面はかなり変化しているので、それ以前の視点からでは同一人物であるとは、ほとんど認めがたいほどです。

これは人から聞いたことで私はよく知らないのですが、高度に進化した霊は――それは必ずしもというわけではないのですが――身体を持つ必要性を感じないらしいのです。人は、はるかに進化すると身体を持つ必要がなくなり、形態を持って存在することがなくなるということです。私はそれについてはよく分かりませんが」(*高次な界層世界では、霊は霊体という形態はなくなり、一種の光源のような存在となる。もちろん個性・個体意識がなくなるわけではない。霊界通信では、時々“光の存在”として表現される――訳者)

他の通信霊もホプキンスと同様、「われわれ地上人が高次元界層とコミュニケートすることは期待できない」と語っている。エレン・テリーは、次のように述べている。「霊たちにとっても、さらに進んだ世界について述べることは不可能なのです。地上に近い世界のことなら述べ伝えることはできるでしょう。しかし地上から遠く隔たった世界にいる霊たちが、自分たちの住む世界のことを地上人の言葉で伝えることは不可能なのです」

ホルマン・ハントと名乗る声が一九六二年に現れた。

「実際こちらには、さまざまな界層世界が存在します。……しかし再度申し上げれば、それを皆さん方に説明することはできません。なぜなら率直に言って、私たちにはそれを説明する手だてがないからです。言葉を用いてそれを説明することはできないのです」

ドレイトン・トーマスは言っている。

「私はいつも、イエスが長血を患っていた女性に向かって言った言葉を思い出します。彼女は自分の病気を治してもらおうと思ってイエスの着物に触ったのです。そのときイエスは、彼女に向かって次のように言っています。

“あなたの信仰があなたの病気を治したのです”――イエスは、われわれ一人ひとりの内に力が存在することを知っていたのです。われわれの内にあるその力を理解することが、われわれ自身に救いをもたらすことを知っていたのです。

他の誰かがわれわれを救ってくれるわけではありません。われわれはより高次のパワーに対する信仰を持つことができるし、またそうすべきなのです。そうした信仰(高次のパワーが、われわれに正しい道を示すことを可能にさせるとの信念)を持てるまでは、正しい道を歩むことはできないのです」

信仰ということになれば、次は当然、宗教はどうかということになる。果たして宗教は天国への道と言えるのだろうか? あの世での宗教はどのようなものなのであろうか? 次にそれについて見てみよう。

訳者注――スピリチュアリズムでは、死後の世界は多くの“界層世界”から成り立っていることを明らかにしている。死の直後の世界を「幽界」(アストラル界とか精霊世界と言われることもある)と言う。幽界では、まだ地上時代のバイブレーションを多く残している。幽界での生活を通して地上臭が取り除かれてバイブレーションが高まるにつれ、次の世界である「霊界」へ入って行く。本書で言う“次なる高い世界”とは霊界のことを指しているのである。

この本では界層世界と訳したが、死後の世界はバイブレーションの異なるさまざまな世界が一つの場に重複して存在している。各界層世界はバイブレーションが違うため、そこの住人には自分の属する世界だけが存在するように映るのである。異なる世界へ行くということは、バイブレーションを変えることによってなされるのであって、三次元的空間移動ではない。“界層”という表現は、あくまでも地上人の理解のためにそのように言っているにすぎない。

*――本書で取り上げられている話の大部分は、次頁の図の「幽界」での出来事である。


幽界

22. あの世から見た地上の宗教
馬鹿げた教会の教え
アルフ・プリチェットのガイドは語った。

「これまで教会で教えられてきた天国や地獄の話、天使の最後のラッパの話は全くのデタラメです。さらにひどいことには“善い人間は天国に行き、悪い人間は地獄に行く”と言うのです。今日までずっと、その間違った教えが信じられてきました。人は死んでこちらへきても生前と何も変わりません。ただ部分的に、地上よりはよくなり幸せになる、という違いがあるだけなのです」

他の霊界通信も同様に、地上の宗教の“俗悪さ”を指摘している。これまで地上の人間は、死後の世界に対して真実から懸け離れた教えを植えつけられてきたのである。

「マイケル・フェアロン」という教養ある霊からの声が届いた。彼はかつて大学院の院長を務めていたこともあるが、第二次大戦にノーフォークス第一部隊の陸軍大尉として出兵し、ノルマンディー上陸の三週間後、戦死したのである。その彼は、強い調子で次のように述べている。

「教会は、いまだに馬鹿げた天国と地獄の教えを説き続けています。教会の教えに忠実な善人は天国に行き、教会の教えに従わない人間は地獄に行くと言うのです。実際、教会の教えを厳密につき合わせてみれば、全く理屈に合わないことばかりです」

マイケルの母親「A・C・フェアロン」――彼女は一九五四年、ウッズに連れられて交霊会に初めて参加した――もこの話に加わった。彼女は言った。

「先回、私がこの交霊会に参加したとき、マイケル、あなたは確か“どんな人を連れてきてもいいですが、お願いですから牧師だけは連れてこないでください。ごめんこうむります”と言いましたね。それはどういう意味ですか?」

マイケルは答えた。

「偏見があるように受け取られたくありませんが、私は教会やキリスト教に固執している人々のために時間を割きたくないのです。

なぜなら彼らの心はあまりにも狭すぎて、自分が信じる世界の外へ目を向けることができないからです。つまらないわずかな知識を知っているだけで、すべての知識を手にしているかのように思っているのです。聖書に書かれていることだけが、人類の知るべき知識であると考えて、それ以外のことを受け付けようとしません。彼らは、聖書に書かれていることはすべて受け入れていると言いますが、実際には聖書を忠実に実行している人間はほとんどいないはずです」

「それにクリスチャンたちは聖書を正しく解釈していません」フェアロン婦人が言った。

「全体として見たとき、聖書には多くの真理が含まれています。とても善いことが書かれています。それはイエスの説いた単純な教えのことです。もし人類がイエスの言った言葉に従っていたなら、地上世界がこれほど悪くなることはありませんでした。そして結果的に、人類の考え方や霊的成長は飛躍的に伸びていたはずなのです。

問題は、教会がイエスの説いた単純な真理を複雑に解釈し、真理をねじ曲げ、何百年もの間、イエスの教えとは何の関係もないことを説き続けてきたことです」

「どのようにしたら、イエスの真の教えを人々が知ることができるようになりますか?」とフェアロン婦人が尋ねた。

「どんな人でも自分自身の内に、イエスの教えを見い出すことができます。もし人が、聖書に書かれているイエスの教えを読み、知恵と賢明な判断力を用いるなら、その中に本当の真理を見い出すことができるようになります。地上人類は、教会の関係者が何百年にもわたって教会自身の利益のために付け加えてきたエセ真理を、すべて捨て去らねばなりません。

キリスト教会は、自分たちに都合よく創った教えを広めようとしてきました。そして“もし人が教会の教えを信じ受け入れさえすれば、来世は大丈夫だ”と言うのです。しかしそれは全くのたわごと、デタラメです。その偏狭な宗教的考えに染まった多くの人々は、こちらへきたとき、あまりにも違う現実を見せつけられることになります。キリスト教の間違った教えが、実際に彼らの進歩を妨げてきたのです。

自分たちは神によって選ばれた者だと信じてこちらの世界へきた人々は、ここでも同じような考えに染まった者同士で集まり、他の人々とは別の閉鎖的世界をつくり出すようになります。自分たちだけが将来、地上で肉体を持ったまま永遠に生きるようになる、と信じています。視野が狭いために、本当に心の底から自分たちこそ地上での復活にあずかる唯一の存在である、と信じ込んでいるのです。そして肉体を持って地上に戻れる時――“復活の日”がくるのを待ち続けているのです」

「間違った教義や信条に縛られたままの人間が他界したとき、最初に何が起きますか?」ウッズが尋ねた。

マイケルが答えた。

「死の直後の人間は、五分前と何も変わっていません。その人の考え・性格・個性は全く同じです。したがって生前、強烈な宗教的信念を持っていた人々は、こちらへきても依然としてそれを強く持っています。

しかし徐々に、自分は水の外に出された魚のような存在であることに気がつき始めます。そして、これまで信じてきた古い考え・教え・信条は事実でないことを知るようになります。人がこちらへきて最初に悟ることは、“ここは地上と何ひとつ変わらない、すべてが自然的な世界である”ということです。

人間は地上にいたときと全く同じです。物質的生活をしていたときの重さがなくなっているという点を除いては、そっくり同じなのです。自分が生前に持っていた天国や神などについての古い多くの考えは、単なる人間のつくり出した物質的概念にすぎないことに気がつくようになります」

狂信的クリスチャンの死後の様子と再教育
マイケルの言ったことは大袈裟すぎるのだろうか? 九年後、マイケルの述べたことと同じような内容が、別の霊から届けられた。

「私の名前はブリッグスと言います。地上にいたとき何年もの間、クリスタデルフィアンの信者でした。これはアメリカの一宗派で、自分たちだけが死の世界から引き上げられ、キリストが世界に君臨するためにエルサレムから地上へ戻るとき、ともに地上へ戻ることができる、と信じていました。私は地上にいたとき、自分の狭い視野の中で、自分たちのような教えを受け入れ信じた者だけが神の王国を受け継ぐことができる、と信じ込んでいました。

私は今、これは全く馬鹿げたことだったと思っています。誰もが神の王国を引き継ぐのです。なぜなら、それが自然の法則だからです。人が死ぬとその霊は、霊的世界(霊界)へ行って、そこに住むようになります。霊界は地上を取り囲むように存在しています。われわれは誰ひとり忘れ去られることはなく、誰でも自分の本性と地上で積み上げた内容、また不足している内容に応じて、自分にふさわしい霊的世界へ赴くようになるのです。このことに例外はありません。

別の言葉で言えば、人は自分の考え方・生活を通してつくり上げてきた結果を、そのまま正確に自分自身で受け取るようになる、ということです。宗教それ自体には救いはありません。宗教は必ずしも人間を善くするものではありません。人が善くなるのは、自分が霊的存在であることを自覚して、正しい努力をしたときにのみ可能となるのです」

さらに彼は、あの世へ行ったばかりのときの様子を話し続けた。

「私の心は真理から閉ざされていました。最初こちらへきたとき、ある環境の中に自分自身がいることに気がつきました。そこは私にとって、とても心を満たされる幸せな場所でした。私は“パラダイス”にきたと思いました。

しかし今にしてみれば、そのときの私は全く馬鹿げたパラダイスにいたことが分かります。そこは、完全に自分と同じような考えを持った人々から成り立っている世界でした。私がそれまで信じていたのと同じ信仰を持った人々が集まってつくられた特殊な世界でした。彼らも私と同様、教会の教えを絶対的真理であると信じ続けていました。

私たちは、自分たちの集まりと讃美歌の合唱と祈りに満足しきっていました。そしていつになったら、これまで言われてきたように“復活の時”が到来し、肉体をまとって地上の楽園で楽しく生きることができるのか、と話し合っていました」

彼の再教育の時は、ゆっくりとやってきた。彼が不安を感じ始めたとき、それは始まった。そして彼は自分のグループ以外の人たちの存在に気がついたのである。その人たちも自分と同じように死後の世界にいるように思えた。

その人たちが彼に話しかけてきたが、その中の一人、バーナードという人間が彼を散歩に連れ出した。そしてバーナードは、自分は生前、ローマ・カトリックの司教であったと言った。ブリッグスは恐れた。いつもカトリックとスピリチュアリズムは呪われた邪悪な存在である、と教えられてきたからである。

「心配しないでください」とバーナードは言った。

二人は、ひと続きの小さな孤立した共同体を通り過ぎたが、そこにいた人々は、いまだに三百~四百年前の地上世界と同じような服装をしていた。そして最後に美しい町に着いた。そこでは人々は自由にのびのびと愛に満ちあふれて生活しているように見えた。ブリッグスは言った。

「そこには、全世界の人々に与えたくなるような平和が満ちあふれていました。私は今、人間はいったん心の束縛から解放され、自分自身で自由に考えるようになると何の障害もなくなる、ということを声を大にして言いたいのです」

彼の“再教育”は、こうして完了したのであった。

キリスト教聖職者の死後の告白
もしマイケルとブリッグスの言うことが正しいとするなら、聖職者や他の宗教指導者は間違ったことを言っているのだろうか? もしそうだとするなら彼らは、あの世へ行ってそこの人々全員から、これまで自分が考えてきたことと違う事実を見せつけられたとき、地上で犯してきた間違いに気がつくようになるのだろうか?

あの世からの通信者の中で最大の聖職者の一人は「コスモ・ラング」である。彼はカンタベリーの大主教を三十年にわたって務め、エドワード八世が離婚歴のある女性と結婚するに際しては、彼の不屈の反対が王を退位にまで追い込んだのであった。

一九五九年、グリーンはいつもの質問を彼にストレートにぶつけた。

「あなたが死んだとき、どんな様子でしたか?」

「驚きました。私はある意味で偏狭な宗教的信仰を持ち続けてきたと思います。私がそれまで真実だと思ってきたことが、必ずしも正しくないことに気がつきました。そして私は今、これまで信じてきた多くの事柄が実際は間違っていたことを、はっきり認めています。

人類は何世紀にもわたって、曖昧(あいまい)で分かりにくい教理にしがみついてきました。本当の真理とは、イエスが人類に語ったような単純なものなのです。ドグマ・教義――これらはもちろん地上時代の私の人生そのものでした。しかし、そうしたものはこちらの世界には全くあてはまりません。それは意味のないことなのです。人間は死後も生前と何ひとつ変わるわけではありません」

一九六〇年、「インジ」と名乗る男性の声がした。彼は生前、セントポール寺院の司祭長を務めた有名な神学者であった。彼もラング同様、あの世で同じ教訓を学ばねばならなかった。彼は告白した。

「私が地上時代に人々に説いてきた多くの事柄、また真理として語ってきた多くの内容――私は長い間、心の底からそれを真実だと信じていたのです――それが、私をこちらで低い世界に押しとどめました。そして今もそうなのです。

……人は地上を去るとき、強烈に染み込んだ先入観を持ったままのことがよくあるのです。そういうときは、こちらで厄介なことになります。彼らは、私がそうであったように、なかなか真理を学ぼうとしないのです。心の目を開くことができず、真実に対して子供のように素直になることができないのです」

下層世界にある教会
では彼らが言う真理とは、いったい何なのであろうか? また組織化された宗教は、あの世でも存在するのであろうか? 教会で教え込まれた間違った教義を捨て去り、新しく生まれ変わるには、どのくらいの時間がかかるのだろうか?

「そちらにも教会がありますか?」とウッズは一九六二年、エリザベス・フライに尋ねた。

「地上近くの界層世界にはあります。そこにはさまざまな宗派の教会や教義があります。そしてそこにいる人々は、地上にいたときと同じようなことを続けているのです。彼らは自分たちだけの信仰の世界の中で、幸福感を味わっているのです。彼らは無知の状態の中で生きているのです。よく無知であることは最高の幸せである、というようなことが言われますが、どんな人間にも、より多くの知識を求めて飢えを感じるときがくるものです。少しでも多くのことを知りたいと思うときが、必ずくるようになるのです。そしてこれが人間の進歩の始まりなのです」

ガンジーのキリスト教批判
クリスチャンの中には次のように言う者もいる。「キリスト教のある分派は、キリストに対する特殊な考え方をしているため、真理の点で他の宗教よりも劣ってしまっている」と。しかし正統的なキリスト教は、イスラム教・ヒンズー教・仏教など他の宗教よりも本当に優れていると言えるのだろうか? キリスト教のみが果たして、永遠・普遍的な真理を持っていると言えるのだろうか?

それに対する回答が、二十世紀最大の聖人の一人と言われた人物から送られてきた。「マハトマ・ガンジー」その人である。彼はヒンズー教徒として生まれたが、後に多くのクリスチャンや人道主義者にまで尊敬されるようになった。

「どんな宗教組織の中にも、誠実で立派な人がいるものです。しかし不幸なことに、そうした人々は自分自身が信じる狭い視野から真理をとらえようとします。彼らは長い間、人々に受け入れられてきた教会の教えだけを正しいものとします。彼らは神の啓示は一冊の本(聖書)にのみ記されているとします。そして神の真理は自分たちだけに示されてきたと考えるのです。これまでイエス以外にも偉大な預言者たちが現れてきた、ということを認めようとしません。彼らの宗教は偏狭で表面的な平和的感情を彼らに与えてきたにすぎません。

人間が学ばねばならない最初の教訓は、自分中心の自我を忘れ、可能なかぎり多くの人々に愛を与えることです。そうすれば、それはあなた方に返ってくるのです。イエスや他の偉大な人類の師が語ってきたのは――“自分のことを忘れて他人に尽くす”ということです。その結果として、あなた方は自分自身を見い出すようになるのです。第一の戒めは――“あなたの隣人を自分自身を愛する以上に愛しなさい”ということなのです。それによって、あなた方は本当の意味で生きることを始めるようになるのです」

あの世のコスモ・ラングの宗教観
あの世での数年の生活の後、コスモ・ラング(カンタベリーの大主教)は、ヒンズー教徒であるガンジーや、かつての無学な花売り娘ローズと、ほとんど同じことを述べるようになった。彼は次のように語っている。

「イエスは、『天の父なる神に至る道は、人を愛し、そして必要ならば自分を犠牲にすることを通してなされる』と述べました。またイエスは、『私は道であり、真理であり、生命である』とか『私によらなければ天の父のもとへ行くことはできない』と言いました。それが何世紀にもわたって間違って解釈され、多くの誤ったドグマをつくり上げてきました。キリスト教の教えの間違いの大半は、この『私は道であり、真理であり、生命である』という聖句の誤った解釈によって引き起こされてきました。

イエスは明らかに“自分の行動を手本として生きるように”と説いたのです。イエスの教えの真の意味は、自分にならって物質的な面を犠牲にして生き“霊的力”――それはどんな人の中にも宿っている――を理解し、霊的なことを中心に考え、結果的に肉欲を克服する生き方をしなさい、ということなのです。それが『真理と生命に至る道』という言葉の意味なのです。『私によらなければ誰も父のもとへ行くことはできない』という聖句は、“私がすることを見習って、私がするようにし、私のようになる努力をしなさい。それが救いに至る道です”ということなのです。

イエスは物質的なことには関心がありませんでした。彼は人間の持つ霊的な面に関心をおいていたのです。彼にとって物質的なことは大切ではありませんでした。イエスが十字架上で自分の生命を捧げたのは、その行為によって“人々に地上の存在物は何も大切ではないことを悟らせることになる”と確信していたからなのです。彼にとって重要なのは霊的なことであり、肉欲に打ち勝ち、物質的なものをすべて捨て去り、神のために必要ならばいかなる犠牲も厭わない、という生き方を示すことだったのです。

ご存じのようにイエスは死後、地上にいる弟子たちの前に現れ、死後も生きていることの証(あかし)をしました。そして宗教をつくり上げたのです。宗教といっても今のキリスト教会を創ったのではありません。それについては断言できます。もし彼が死から蘇らなかったとしたら、今日までのクリスチャンの信仰はなかったでしょう。しかし今、私の理解している限りでは、イエスの死後の蘇りには深い理由があり、イエスの地上人生における目的があったと確信しています。

われわれがイエスに従うように努力するとき、たとえ信じている宗教が何であれ、われわれはあらゆるドグマを捨て去り、イエスと同じように単純素朴な人生を送ることができるようになるのです。そしてその飾り気のない自然な生き方の中で、真理を見い出し、それによって正しい道を選択し、いっそう天の神に近づくことができるようになるのです。自ら十字架を背負ってイエスに従い“愛と奉仕の人生”を歩んでこそ、われわれに“真の救い”がもたらされるようになるのです」

英国国教会の大主教、ヒンドゥーのリーダー、そして無学な花売り娘は、自分たちが理解したことを語った。そして正しい信仰は、すべての人たちのすぐ身近にあることを教えているのである。もし「ラング」と名乗る人物(霊)の言うことが本当であるなら、これまでの正統派キリスト教の信仰とは根本的に対立・矛盾することになる。また今日までキリスト教によって教えられてきた教理も、救いも、希望も、全く存在しないことになる。

では、あの世から通信を送ってきた人物が、果たして「コスモ・ラング」自身であると断言できるのだろうか? その人物は、確かに「コスモ・ラング」その人であると言えるのだろうか?

23. 霊媒者・交霊会について
先にキリスト教について述べた人物が、もし本物の「コスモ・ラング」であるとするなら、ウッズとグリーンに語りかけたのが元カンタベリーの大主教の立場にあった人物であるとするなら、教会に大きなセンセーションを巻き起こすのは当然である。事実、その霊界通信はたいへんな評判になり、思想界にいる人々に敬意を持って読まれたのであった。

しかし残念なことに彼(コスモ・ラング)は、そうした見解を生前に発表したわけではなかった。彼のメッセージは“暗闇の中の声”として届けられたのである。“スピリチュアリズム”という世間から見れば怪しげな所で行われた霊界通信によって語られたのである。

一般的なクリスチャンは、霊との交信を避けるように、と教えられてきた。コスモ・ラングを知る英国国教会のメンバーなら、彼が生前、霊との交信を拒否していたことを思い出すであろう。英国国教会のトップの座にあった三十年の間に、彼はバースとウェールズ地区の司祭からなる「心霊現象調査委員会」を設けたのである。

二年後、委員会は、『個人的なある心霊体験は、死後の生命の実在と霊との交信の可能性を強く示唆している』との見解を報告した。そしてさらに次のように付け加えている。『場合によっては、交霊会において述べられる声は肉体を持たない霊からの伝言であるとの仮説は正当なもので有り得る』と。

ラング大主教は、このレポートを握りつぶした。彼は、その報告を一般に公表しようとしなかった。そして今日でも公式には、それは秘密にされたままなのである。

あの世のコスモ・ラングのスピリチュアリズム讃美
そのラングが、生前の宗教観と魂の不死についての見解の変更を地上にいるわれわれに送ってきたとしても、一般の人々が、それをすんなりと受け入れられるだろうか? “ラング自身がスピリチュアリズムの霊媒を通して語ってくる”などということが、果たして信じられるだろうか? 何しろ彼は大主教だった頃、自らの口を通して、霊との交信をはっきりと否定しているのである。

だが、もし声の持ち主が本当にラングであるとするなら、彼は自分の宗教的見解を根本から覆したことになる。また霊との交信の可能性についても、生前の考えを完全に変更したことになる。そのラングが、ウッズとグリーンに語った。

「当時、私はスピリチュアリズムに恐れを抱いていました。スピリチュアリズムは教会を土台から侵食し、たぶん教会自体を破壊してしまうだろうと恐れていたのです。また当時の私には、それが善いものであると断言するだけの確信もありませんでした。

もちろん私は今、地上時代の考えを変えました。スピリチュアリズムは生命力に満ちあふれ、重大な使命を持っています。それゆえ必ず多くの人々が、その存在と価値を知るようになります」

彼はさらに語り続けた。

「霊との交信が、もし悪い目的のために用いられるなら危険な結果を招くことになります。こちらには最高レベルの霊(高級霊)がいて、善い影響力を及ぼし、地上世界の人々を助けようとしています。地上人類をもっと高いところへ引き上げようとしています。もし皆さんが、そうした高級霊との交信を望むなら、心境も考え方も洗練された“優れた道具”(霊媒)を持たねばなりません。しかし残念なことに、そうした優れた霊媒はきわめて少数であって、大半が程度の悪い者ばかりなのです。

あなた方が、アストラル界(幽界)の下層にいる霊たちと興味半分に交信しようとするのは――実は九十パーセント以上の霊媒は、このレベルの霊と接触をしているにすぎないのですが――悪いことであるばかりでなく、危険を引き起こすことにもなりかねないのです。程度の悪い霊媒は、同様に程度の悪い霊を引き寄せます。そうした地上に意識が縛られ地縛状態になっている低級霊は、地上の人々に真実でないことを言うのです。

私はスピリチュアリズムによって、地上に素晴らしい世界が招来されることを確信しています。スピリチュアリズムは“原始キリスト教会”――そこは神の力に満たされていました――の本質そのものなのです。地上世界では親しい身近な人との死別を嘆き悲しみます。そうした人々が死後の世界の存在証拠を求めるのは当然のことです。その証は与えられます。必死に求めるならば、死後にも愛する人が生きている証拠は必ず与えられます」

霊媒者ジョン・ブラウンとビクトリア女王
ウッズとグリーンは交霊会における危険性について、あの世から多くのアドバイスや警告を受けてきた。地上時代に最も成功をおさめた霊媒者の霊からの通信が届けられた。「ジョン・ブラウン」である。

彼はビクトリア女王の個人霊媒として名を知られていた。彼は身分の低いスコットランド人で純朴な性格の持ち主であった。ビクトリア女王は最愛の夫アルバートに先立たれ落胆していた。ジョン・ブラウンは霊媒としてあの世にいるアルバートからのメッセージを伝えることにより、女王の信任を受け重んじられるようになったのである。その経過については、あまりにもよく知られていることなので簡単に述べるにとどめよう。

「ご存じのようにビクトリア女王は、死者との交信にたいへん興味を持っていました」と彼は語り始めた。グリーン女史は言った。

「ええ、それについては以前、あなたが私たちに語ってくださいました」

「女王はあの世にいるアルバートと、とても交信したがっていました。残念なことですが、生前の彼女の日記やその類のものはすべて処分されて今はありません。彼女は生前、詳細な日記を書き続けていました。特別な小さな本を持っていて、それにあの世からのあらゆるメッセージを書き留めていたのです。

私と女王は、この件を通じてとても密接な関係にありました。彼女は女王という立場上、こっそりと交霊会をしなければなりませんでした。当時、われわれは時々、こうした小さな交霊会を開いていました。

私は豊かな才能に恵まれていましたが、いろいろな点でとても世俗的な人間でした。残念なことですが、それは私と同じように他の多くの霊媒者にも当てはまります。彼らは必ずしも悪い人間というわけではありませんが、とても物質的で地上的傾向が強いのです。彼らはたいへんな霊的才能・霊的資質を持っていて、本当はこれによって人々のために大いに役立つことができるのですが……

女王との特別な関係があったため、私は一般国民とは異なる特殊な立場に置かれていました。振り返って見ればおかしなことですが、その当時、私の言葉は法律ほどの絶対的な権威を持っていたのです。時折、私は自分の力にうぬぼれるようなことがありました。今にして思えばこうしたことは、すべて間違っていたことが分かります。しかしその頃の私は、女王の悲しみを慰め助けてあげることもできたのです。

そして時には、あえて言いますが、国家をどのようにするかというような重要な方針についても、霊にお伺いを立てたことがあったのです。当時、女王の権威によって政治的に実行に移された多くの事柄が、実はあの世から示されたものだったのです。女王は、どうしていいか分からないとき、決心がつかないときには、時々あの世にお伺いを立てたものでした。しかし今、これについてのすべてを語ることはできません。

エンマ・ハーディングのニセ霊媒者批判
さらに興味ある話が「エンマ・ハーディング・ブリテン」によって送られてきた。彼女は生前、十九世紀を代表する先駆的霊媒者の一人であった。彼女は懐疑的な交霊会参加者や研究者による批判について繰り返し述べている。一九六八年、彼女は語った。

「霊媒者やスピリチュアリストの中には、あまりにもいい加減なことを言う者が多いのです。霊媒者のふりをしている多くのニセ霊媒者がいます。彼らは大ボラを吐き続けています。彼らによる単なる作り話・作り事にすぎないものが、霊からの通信であるとされてきました。そのため霊媒者の語るものは、本物の霊の声ではないと疑いを持つ人々を生み出しました。

われわれは、こうしたニセ霊媒者と闘いをしなければなりません。スピリチュアリストの中には、自分が霊媒者ではないのにそのように思い込んでいる人も数多くいます。残念なことにまわりの人々も、しばしば彼らを本当の霊媒者と信じてしまうことが多いのです。スピリチュアリストの中には、知性の欠如から時に大きな問題・やっかいな問題を引き起こす者がいます。

霊媒者の語る内容を頭からありがたいものとして鵜呑みにしないでいただきたいのです。常識を用いてその内容を吟味していただきたいのです。理性を用いて判断することは、とても大切なことです。また霊媒者の語る言葉は“通信者”(霊)側の内容の違いによって、必然的に矛盾が生じることも知ってほしいのです」

エンマ・ハーディングの霊媒者に対する批評は、ウッズとグリーンには全く当てはまらない。エンマはさらに語った。

「ここでの交信方法は、いい加減な人たちが行う交霊会と比べ格段に進んだ方法で、本当に信頼がおけます。いい加減な霊媒者はあまりにも多くのことをしゃべり過ぎ、その内容が第三者から吟味されるに至って全くデタラメであることが発覚します。その結果、霊媒者が語っていることは霊媒者自身の考えであったり、本人の潜在意識にすぎないと決めつけられてしまうのです。

われわれはベストを尽くして皆さん方に、他のいかなる交霊会よりも優れた通信を送る手助け・協力をします。皆さんが目的を達成する助けとなるような、あらゆる人々をここへ連れてきます(それは、とてもたいへんなことですが)。皆さん方がよい通信を受け、それを録音して外部の人々に聞かせるとき、必ずよい土地に種が蒔かれるようになるでしょう。もちろん時には、霊的真理に反対する石ころのような不毛の心を持った人々の上に種が蒔かれることもあるでしょう。

しかしこの交信の方法は、おそらく“真理普及”に関して、他のどんな方法よりも大きな力を発揮することになるでしょう」

いい加減な霊媒に苦労した霊の話
あの世からの通信には、なぜ矛盾や曖昧さがあるのだろうか? ある交霊会では、なぜひどく失望させられることがあるのだろうか? いい加減な霊媒者の欠点が懐疑論者によって暴露され、徹底して笑い者にされ、結果的には霊媒の語ることはすべてウソとして片付けられるようなこともある。霊の言うところによれば、あの世から地上にメッセージを送るに際しての困難は、相当なものらしい。

アルフレッド・ヒギンス(ブライトンの絵かきで装飾家。ハシゴから落ちて死んだ)ほど、地上のいい加減な霊媒のために苦労した霊もめずらしい。彼は地上にいる妻にメッセージを送ろうとした。

「私はスピリチュアリストの教会に連れて行かれました。そのとき私は、妻にメッセージを送ることはできないものか、と思いました。もちろんそのとき、妻はそこにはいませんでした。それで私はまず彼女を教会へ行くように仕向けようと思いました。私は妻の所へ行って、スピリチュアリスト教会へ足を運ぶように印象付けを始めました。

ある夜、私はその教会にいました。私は妻が教会へ出かける決意をしていることを、すでに知っていました。なぜなら私はそれまで何日も前から彼女に働きかけてきて、彼女の様子が分かっていたからです。彼女は教会の後ろの席に座りました。霊媒は壇上にいました。

ご存じの通り、霊媒者には善い人も悪い人もいます。そのときの霊媒は実に善良そうな人間でした。彼女はその場にいる人々が喜びそうなことをしゃべり続けました。しかし彼女は霊的能力がそれほど優れていたわけではありません。彼女がこちら側の意図を正確に述べることができるとは思えませんでした。

彼女がありふれたメッセージを妻に語り始めたとき、私はその中に、どうにかして自分の本当のメッセージを入れなければと思いました。何とかしなければと焦りました。それで気が狂ったように、彼女の上に意識を集中しました。結果的に彼女は、私が送ろうとしたある内容をキャッチしました。彼女は“ハシゴ”のイメージを受け取りました。しかし、それを全く混同して理解しました。

彼女は妻に言いました。“あなたの運勢がこれからよくなるのかどうか分かりませんが、あなたにはハシゴのイメージが見えます”――私は大声で、それでいいんだ! と叫びました。妻は霊媒に言いました。“私はハシゴに関係のある仕事をしています”霊媒はまた、妻の言葉を混同してしまいました。霊媒は“あなたにとって、とてもよいことが起こりつつあるような気がします。あなたがハシゴを上って行くのが見えます。成功の道を上って行くのが見えます”と言ったのです――何と間抜けな霊媒なんだと言うつもりはありませんが、それが彼女の解釈だったのです。

私は次に自分の名前を送りました。それから妻が言いました。“今、すべてのことがよく分かりました。私の主人はハシゴで死んだのです。そして彼の名前はアルフでした”

私は一つのやり方で通信をうまく送れたと思いました。しかし霊媒者が、それを正しく解釈してくれないことも分かりました。それから私は、どのようにしたらもっとはっきりと、私がここにいることを伝えられるのかと考えました。そして私は霊媒者に、次のようなことを印象付けるように働きかけました。“あなた(妻)が身に付けている指輪は、私があなたに贈った指輪ではない。同じ指輪ではない”

これは他の人には何の意味もないことです。しかし私の妻にとっては、とても重大な意味を持っていました。というのは、妻は結婚指輪をなくしてしまい、それを私に知られないようにしていたのです。私がそれを知ったら動揺すると思って隠し続けていたのです。そして別の指輪を買って身に付けていたのです。私はその事実をこちらにきてから知りました。だからそれを言ったら彼女の心を揺り動かせると思ったのです。

妻は本当に真っ青になりました。しかし彼女は言いました。“私の主人がどうしてそれを知ったのでしょうか? 私はそのことを一度も彼に言ったことはありませんでしたのに。彼には黙っていたのですが……”

それに対し霊媒の女性は適当にごまかして返事をしました。霊媒がどんなごまかしを言うかは、皆さん方はすでに知っていらっしゃると思います。その霊媒は――“あなたはそれが、ご主人の存在を示す証拠であることはご存じでしょう”などと言いました。後は適当にやっていました。彼女はその夜はさぞかし気分がよかったことでしょう。(*この霊媒者は初めはヒギンスの妻が成功の道を歩んでいるなどと勘違いしていたのに、妻の言葉に合わせて手のひらを返したように「それはあなたの夫のことです」と、言う内容を切り変えている――訳者)

霊媒者の中には、とても誠実で善い人たちが多くいます。しかし半数以上の霊媒者は人格的に未熟なのです。霊的に進歩・成長していないのです。そして彼らの語る内容の多くが、彼らの想像の産物にすぎません。時にはあの世からの本物の通信であることもありますが、それはきわめて少ないのです。それどころか彼らは、しばしば害をもたらすようなことさえしでかすのです」

優れた交霊会の条件――高級霊ピエロの提言
ヒギンスは、なぜスピリチュアリズムのメッセージに信憑性が乏しいのか、二千年に及ぶキリスト復活に対する宗教的信頼が色あせかけているときに、それを取り戻すような役割を果たすことができないのかを語ったのであった。

もしあらゆる交霊会が、ウッズとグリーンのように明瞭で筋の通ったあの世の証拠を提出できていたとするなら、事態は変わっていたであろうか? なぜウッズたちの交霊会では死者と、知的で明晰(めいせき)な会話を持つことができたのであろうか? 一般的な交霊会では先のヒギンス夫人が得た程度の曖昧なものしか与えられないのが普通である。

ウッズの交霊会が卓越していた一つの理由は、フリントというきわめて優れた霊媒者がいたことである。あの世とこの世をつなぐ正確な手段をつくり出す能力を持った霊媒に恵まれたことである。

一九六三年九月一日、たいそう権威のある高級霊からのメッセージが送られてきた。彼は名前を教えてほしいという要請には一切応じず、「ピエロとでも呼んでください」と答えるだけであった。その彼が語った。

(ピエロと名乗る霊)
「霊媒者の所へ足を運ぶ多くの人々が、自分たちはただ座っているだけで、あの世の霊から自動的に通信が送られてくる、と愚かなことを考えています。もし少しでも真面目に考えてみるなら、あの世との交信はいつでもできるものではないこと、優れた成果はそう簡単に得られるものではないことに気がつくはずです。

本当に経験豊かなガイドと通信者が揃ったときにおいてのみ、長時間にわたる知的な交霊会話が可能となるのです。あなた方の交霊会がユニークであるのも、またあなた方の録音したテープを他人が聞いたとき、何と素晴らしいことだ! と驚くのも、そうした条件が揃っているためなのです。この交霊会では“個性と人格性”に満ちた長時間にわたる会話が可能となっています。

一般の人々は霊媒者の所へ連れて行ってもらいさえすれば、または交霊会の手筈を整えてもらいさえすれば、ただ座っているだけで直ちに皆さん方と同じような経験ができる、霊との交信ができると考えるのです。しかしそれは間違っています。それは全くあり得ないことです。

そんなことを考える人々は、皆さん方が優れた交霊会を持つために多くの時間を費やし準備をしてきたことを知りません。またこちらの世界にいる霊たちも準備のために長い期間をかけてきたことを知りません。優れた霊界通信は、交霊会の参加者が同じ霊媒者を中心として規則的に集いを設けたときにのみ実現することなのです。そうしてこそ交霊会のガイドとこちらの世界から通信を送る者たちは、時をかけて通信を可能にする完全な一致状態・コンディションをつくり上げることができるのです。そこには完璧な調和状態が存在します。地上とあの世のバイブレーションは、完全に調和状態に置かれるのです。

大多数の人々は、こうした複雑な背景を知りません。あなた方が誰かをこの交霊会に連れてきたとします。すると、どういうことが起きるでしょうか? おそらくわれわれは、これまで皆さん方にしてきたようなたいへんな努力を、その人に対してもしなければならなくなるでしょう。そしてその人は交霊会の後で言うでしょう。“交霊会は確かに面白かったです。しかしそれは、あなたが聞かせてくれたテープほどよいものだとは思えませんでした”と。

あなた方二人がここにきて交霊会を持つのと、他の人がやるのとでは、結果が全く違ったものになるのはそのためなのです。ですからたとえ他人から頼まれたとしても、交霊会の参加者の数を多くしないでほしいのです。交霊会を成功させるという点から考えると、他人を入れることは決定的にマイナスとなるからです。われわれは他の参加者を望みません。他の参加者によって、霊媒や交霊会のよい雰囲気を乱されたくありません。余計な人間を入れないなら、われわれはこの仕事を成功させるためのエネルギーを皆さんから十分に受け取ることができるのです。

お二人は、ある一つの目的のために、こうした立場に至るように今日まで導かれてきました。お二人は、人類に奉仕するために選ばれた“霊界の道具”なのです。あなた方は数えきれないほど多くの人々に、死後の世界の実在や、死後の世界との交信の可能性を教えてあげることができるのです。

地上は、あまりにも多くの利己的な人間であふれています。スピリチュアリストと言われる人々の中においてでさえ、そうなのです。彼らはただ、スピリチュアリズムから何か利益を得ることにしか関心がないのです。霊的真理に関心を持っているわけではありません。そのために彼らは交霊会で、世俗的で物質的な質問(自分の仕事や情事といったこと)をするのです。七十パーセント以上の人々は世俗的なことにしか関心を持っていません。彼らは霊媒という特殊な人間から、そうしたことについてのメッセージや物質的な手段を聞きたがるのです。

それがこれまで、スピリチュアリズムが全世界に広まらなかった理由なのです。そして地上人の人生を変化させることができなかった理由なのです。

私は皆さん方に確信を持って言うことができます。スピリチュアリズムは多くの点で、少なくともスピリチュアリズムを知った人々の間においては、人生を根本的に変えることが可能なのです。地上にはさまざまな宗教があります。そして多くの矛盾・対立した考え方があります。しかし唯一の絶対的真理は存在します。永遠的・普遍的な真理は存在するのです。それは――『人間は死んでもあの世で生き続ける』ということなのです。

ありがたいことに皆さん方は、ほんのわずか一握りの人々だけが知っている真実の悟りを手にしています。皆さん方の心は、こちらの世界からのメッセージや真理に対して自由に開かれています。先入観や偏見がありません。多くの人々にありがちな、霊的真理を特定の宗教に縛り付けようとする狭い偏った心がありません。真理はいつも自由でなければならないのです。

しかしある人間は、できることならこの真理を自分たちが理解できるレベルにまで引き下げようとします。なぜなら彼らにとって真理は、自分たちの特定の宗教・信条・ドグマの内に収まるものでなければならないからです。

こちらの世界にはドグマはありません。地上人が思うような宗教はありません。こちらでは人々は自由に自分を表現し、自由に考えることができます。人間の生み出したつまらない限界・愚かさをはるかに超越した自由闊達な世界が存在します。こちらでは人々は自由に真理を語ることができます。そしてその真理ゆえにわれわれは幸福を招来し、またそれを他人に与えることが可能になるのです。

“求めよ、さらば与えられん”と言われてきました。しかし現在の地上には、正しくドアを叩く人(真理を求める人)はほとんどいません。恐る恐る、少しだけドアを叩く人はいますが、彼らは、自分たちの問いかけに答えてくれる人さえいないことに驚くのです。また何がなんでもドアを開けようと必死になって叩く人もいます。しかし、そうしたからといってドアは開きません。また自分の全体重をかけてドアを押す人もいます。そしてドアは壊れて飛び散ってしまいます。

彼らは、あまりにも物質的・肉欲的であったり、欲望に走り過ぎたり、または悪い意味で力み過ぎるため、開かれたドアを通して本当の霊的世界を覗き見ることができないのです。

皆さん方は、善意と誠実さと開かれた心を持って自分のできることをなさってください。そうすれば、こちらからの優れたメッセージを受け取ることができるのです。そして真に道を求める人々のために役に立つことができるようになるのです」

もしピエロ霊の言ったことが正しいとするなら、ウッズたちの録音したテープには、これまで地上で受け取った中で「あの世に関する最も信頼のおける情報」が述べられていることになる。では、彼の言ったことが正しいかどうかについて証明することはできるのだろうか。

24. あの世とこの世の接点
・・・臨死体験・幽体離脱現象
あの世から見た地上人の死の瞬間
かつての貧乏商人、ジョージ・ウィルモットがフランス人の家族と落ち着いた生活を始めたすぐ後、彼の指導霊(ガイド)のマイケルは、彼がどんな生活をしているかを見るために戻ってきた。ウィルモットは、まだ地上にいる前妻たちのことが少し気にかかると言った。するとマイケルは、「彼女たちの一人は、まもなくこちらの世界へこようとしています。もし、あなたが彼女に会いに行ってあげるなら、それは彼女を助けることになります」と言った。

気が進まなかったが結局、彼は、彼女の死を看取(みと)るため地上へ赴くことになった。彼は通りを歩いていた。

(ウィルモット霊)
そこはとても変わった場所で、同じような多くの家々が立ち並んでいました。気がつくと私はある部屋の中にいました。それは本当に古いビクトリア時代の家でした。そこでかつての妻がベッドに横たわっていました。彼女の姿を見ているうちに、私は彼女に会いに行こうなどと考えるべきではなかったと、後悔の思いが湧いてきました。彼女はまるで死人のように見えました。

マイケルが言いました。
「彼女がすぐにこちらの世界へくることが分かりますね」

「あなたがさっき私にそのように言いました」と私は答えました。

「今、彼女はあなたのことが分からないと思います。おそらく、あなたの姿は見えないでしょう。まれにわれわれ霊の姿が見える地上人もいますが。あなたはベッドの脇に立って、彼女に意識を集中してください」

「どうして私がそんなことをしなければならないのですか? 私はそんなことには全く関心がありません」

「いいですか。たとえあなたがその人と暮らしていなくても、またその人が特に好きでなくても、場合によっては、あなたはそれをする義務があるのです。それは彼女を助けることになるのです」

それで私は彼に言われた通りに立ちました。そのとき突然、彼女を取り巻く色彩が変化し始め、その色彩が彼女のほほを染めました。そして彼女の目は輝きを増して全く別人のようになりました。すると彼女が私の名前を呼ぶ声が聞こえました――あえて言いますが、私はそのときの情景を本当におかしく思いました。私が彼女の足元に立っている様子は、まるで夜警かガードマンのような気がしました――彼女は手を差し伸べました。それから突然、何かが起こり始めるように、彼女の身体のまわりに光が現れました。

そのとき他の人々(霊)が部屋に入ってきて、彼女を取り囲むようにして立ちました。そのうちの二人は彼女の父親と母親でした。彼女の身体は空中に浮き上がったようになりました(そのときの状況は、そのように表現する他はありません)。彼女の霊体は肉体の上に浮かび上がって、まるで真っすぐ空中に持ち上げられたようになりました。今にして思えば馬鹿げていますが、しかしそのときの私は、彼女が自分の上に落ちてくるのではないかと心配しました。

マイケル(ガイド)が言いました。

「彼女は今、肉体から離れようとしています。もうじき完全に抜け出るでしょう。まわりの人たちは、彼女が肉体から抜け出る手伝いをしているのです。彼女の父親や母親や他の人々は、彼女が肉体を抜け出る手助けをするために、ここへきたのです。

実は、あなたにここへくるように言ったのも、彼女の手助けをしてもらうためだったのです。あなたには、そうすることがどんなに大切なことか、まだ分かっていないようですが」

「不思議なことですが、彼女はたった一人だけでこの部屋にいます」

「そうです。彼女は長年ずっと一人暮らしをしてきました。彼女のことを心配する兄弟もいませんでした。このアパートの他の住人も、彼女が病気で寝ていることを知ることさえありませんでした。彼らは多分、明日にでも、いや数日中かもしれませんが、彼女がベッドで死んでいるのに気がつくでしょう。

しかしそれは、さほど重要なことではありません。大切なことは、彼女がこれからの死後の困難な時を乗り越えられるように手助けしてあげることです」

霊界通信では、死後の世界の様子であるとか、死後、人間に何が起きるかを述べていることが多い。しかしこのウィルモットの通信は、そうしたものとは少々内容が異なっている。ウィルモットは霊界の側から見た地上人の“死の直前”と“死の瞬間”の様子を述べているのである。

そのウィルモット霊の述べた内容には二つのポイントがある。

(1) 死の瞬間、彼の元の妻は部屋に彼(霊)がいることに気がついた。そして彼女は、すでに他界している父親と母親、友人によって助けの手を差し伸べられた。

(2) 彼女が死んだとき、彼女の霊体(アストラル体)は肉体から引き離され、その上に浮かび上がった。


シルバーコード
シルバーコードが徐々に細くなり、やがて切れて死を迎える


地上サイドから見た死の瞬間
われわれは、ここで述べられている内容の信憑性・真実性を、今現在、地上に生きている人間の“臨死体験”から確認することはできないだろうか?

私の“死後の生命”についての記事が発表されると、私のもとには千通もの手紙が寄せられた。その中の一つに、元看護婦の「ビビエン・ケディー」からのものがある。彼女の手紙には次のように書かれていた。

――「私はとても重い病気になり余命いくばくもないというとき、母親が優しくほほ笑んでベッドの端の方にいるのに気がつきました。そして私はベッドから離れて、母の所へ近づいて行ったように感じました。母はまるで私を待っていてくれたかのように手を差し伸べました。彼女は何も話しませんでした。そして影が二人の間に割り込んできました。私はそのとき、私の“死の時”はまだなのだと思いました。それからベッドへ戻ったようでした」

次は、ハルのアンラバイロードに住む「マージェリー・フリント婦人」の手紙である。そこには彼女の母親の死にまつわる話が書かれている。

――「母はしばらく意識を失った状態になりました。突然、彼女は起き上がり、ベッドの上に座り、腕を差し伸べて叫びました。“お母さん! 何てきれいなの”私が彼女を抱き抱えてベッドに横たわらせようとしたとき、母はさらに腕を伸ばして言いました。“私を行かせて”これが母の最後の言葉でした。私は、祖母が母を迎えるためにここへきたのだと確信しています」

時によっては臨終の際、あの世からきた手助けの霊が、霊能者によって見られる(霊視される)とも言われている。

ハンプシャーに住む「W・ウッドコック婦人」は次のように書いて送ってきた。

――「私の母は脳溢血で倒れました。その夜、母には看護婦が付き添いました。次の朝、看護婦は、夜中の三時に一人の少女がきて、母の足元に立っていたと言いました。彼女(看護婦)が“どうしたの?”と尋ねると、その少女は、“私はお母さんのためにここへきたの”と答えて姿が消えたと言うのです。次の夜、三時に母は死にました。後日、その看護婦に私の死んだ妹の写真を見せました。“ベッドのそばにいたのはこの女の子でした”と彼女は言いました」

さらに興味深い話が、ロンドンの東南地区に住む「K・マクラウフリン婦人」から届けられた。

――「私の母は、一九四四年の空襲で死にました。一九四八年、父に肺ガンが発見されました。私は父の死ぬ一九五〇年まで看病をしました。彼は死ぬ前日の午後、私の方に顔を向け、ほほ笑んで言いました。“私はもう長くないよ”次の朝、父は死にました。そのとき三歳の息子(母が死んでから生まれた)は、おじいさんに会いたいと思いながら一階で待っていました。私が息子を居間へ連れて行くと、彼は突然言いました。“ママ、ぼくはさっきの女の人が嫌いだ。その人はおじいちゃんの所へ行ったのに、ぼくを行かせてくれなかったの”二階には私たちの他には誰もいませんでした。息子はきっと母親の霊体を見たに違いありません」

「Dr.ロバート・クローカル」は、かつて国土地理測量の主任地理学者の要職を務めたこともあったが、退職後の長い期間を死後の生命の証明のために捧げた。そして次のような興味深い結論を述べている。

『あの世からの通信の記録の中に、死に臨む人間が、生きている人間を死んだ人間だと誤認するというケースは全くない。一方、死に臨む人々の記録の中には、死に際して、すでに死んでいるはずの友人に会ったと主張するケースが実に多いのである』

われわれはウィルモット霊の述べた内容――死の瞬間、幽体が肉体から引き離されて浮き上がり、次の世界へ連れて行かれる―を支持する確たる証拠を見い出すことができるだろうか? 地上人の誰か、そうした事実を見たことがあるだろうか? クローカルによって集められた資料の中に、アメリカ人医師「R・B・ホウト」(インディアナ州在住)の体験談がある。彼は類(たぐい)まれな霊視能力の持ち主だったようである。彼は叔母の死の床で、アストラル体(幽体)が肉体の上、数フィートの空中に浮いて水平にぶら下がっているのを見たと報告している。

――「辺りは穏やかに静まり返っていました。しかし肉体は反射的動きを見せ、痛みによって無意識に身もだえしていました。私は幽体の様子を、はっきりと見ることができました。幽体の顔はきわめて肉体の顔に似ていました。肉体の顔には年齢と痛みの表情が表れていましたが、幽体にはそうしたものはなく、平安と知性の輝きが見られました。叔父(すでに他界している叔母の夫)がベッドのそばに立っていました。また何年も前に死んでいる彼女の息子もそこにいました」(本書では「肉体」physical body 以外のもう一つの霊的身体を「霊体」psychic body or etheric body と呼んだり、「幽体」astral body と呼んでいるが、同じものを指している。死後 “幽界”(astral world) における身体表現を幽体と言い、その後の進化でより“緻密・精妙”になった身体を「霊体」と言う。幽体も霊体も形態は同じだが、状態が異なると考えればよい――訳注)

臨死の体験談
こうした個人的体験の報告は、それほど数が多いわけではない。しかし私がそれを公表するやいなや、「幽体離脱体験」をしたという人々からの手紙が寄せられるようになった。その人たちは、自分の心臓が一度は止まり、それからまた心臓が動き始めて生き返る、という体験(これは“臨死体験”とか“疑似死体験”とか“ニアデス体験”と呼ばれる)をしていたのである。彼らは、地上世界からあの世へ自分で意識しないまま赴き、それから元に戻るという体験について述べている。

ドーセットの「C・M・ラングリッジ婦人」の手紙には次のように書かれていた。

――「私は大手術を受けました。三日後、夫が私の所へきて、気分はどうかと尋ねました。私はあまり気分がすぐれないと答えました。それとほとんど同時に辺りのものが見えなくなりました。気がつくと、私は自分の肉体の外へ出て空中に浮かび、自分の肉体を見下ろしていました。三、四人の人たちが私を蘇生させようとしていました。

その後、私は自分の肉体に戻ってから、夫に何があったのか、どうして他の人たちが私の病室にいるのか尋ねました。彼は私が突然くずれるように倒れたため、急いで妹を呼びに行ったこと、それからその妹が医者を呼びに行ったこと、数分間みんな私が死んだものと思っていたことなど、教えてくれました」

ヨークシャーの「M・ベイチ婦人」の手紙には次のように書かれていた。

――「私はとても重い病気にかかり、徐々に身体は衰えていきました。そして私は意識を失いました。すると突然、私は目が覚めたようになりましたが、痛みは感じませんでした。自分はもうじき死ぬのだ、ということが分かりました。何とそのうち私は宙に浮き始めました。私は鏡に写った自分自身を見ているような状態でした」

スセックスの「C・A・パトン婦人」の手紙には、医者のサイン入りの死亡診断書まで同封されていた。彼女は空中に浮かび、自由自在に動けることに気がついた。

――「それから素晴らしい場所へ飛んで行きました。そのうちあの世のガイド(指導霊)が現れました。彼と言葉を用いずに話をしました。私はガイドに“このままどんどん行きたいのですが、夫の所に戻らなければなりません”と言うと、ガイドは“それは難しいかもしれませんが、やってみましょう”と答えました。それから私は地上へ戻り始めました。するとこれまでの明るさが失われ、痛みを感じるようになり、結果的に私は寝室に戻って、そこで自分の死体を見ました。看護婦が何かを書いていました」

パトン婦人は、彼女の肉体の中で目覚め、看護婦に話しかけた。看護婦はペンを落とし悲鳴をあげた。彼女は死んでいた間、病院のベッドからは到底見ることのできない、いろいろな所を見てきた。彼女は肉体に戻って意識を取り戻した後、自分が見てきたことを他の人に語ったが、彼女の言ったことは事実だった。

一九六八年、私は“臨死体験”についての記事(この本で引用しているものも含まれる)を書いた。これによってまた多くの手紙が寄せられ、同様の体験談がさらに提供されることになった。「パットチェリー婦人」(その時五十六歳)の手紙には、ノースアラートン総合病院での大手術の際の臨死体験が述べられている。

――「奇妙なことに意識がグルグル回っているようでした。気がついたとき私はベッドの上に浮いて、青白い顔をゆがめて横たわっている自分の肉体を見下ろしていました。それから宙をどんどん上って行くような感じがしました。こうしたことが三回起きました。最後のときは看護婦が医者を連れてくるのが見えました。そして医者が私の腕に注射をしているのが見えました。私は肉体に戻り意識を失いました」

ダベントリの「パトリシア・アリス婦人」は、バーミンガムのクイーン・エリザベス病院で胃ガン患部の摘出手術を受けた。そのときに起きた出来事を次のように述べている。

――「私は突然、手術台から浮き上がるような気がしました。そして私を手術しているチームの人々を見下ろしていました。手術前に感じていた痛みは完全に消え去り、とても安らぎを覚えました。そのとき私は母親の姿を見ました。母は死の直前に左足を切断していたのですが、目の前に現れた母には両足が揃っていました。彼女はとても若く見えました。そして母は言いました。“あなたはまだ、こちらの世界へはこられません”そして次の日、病院のベッドで目を覚ましました。看護婦は何度も言いました。“あなたは本当に手術中に死んだのです。そして私たちは、あなたの遺体を部屋に運んできたのです”」

これは彼女の作り話なのだろうか? それとも実際に起きた出来事だったのだろうか? それとも彼女が熱にうなされて見た単なる夢にすぎなかったのだろうか?

幽体離脱体験の頻度
自分が肉体を離れ、それからまた肉体に戻るという不思議な体験は“幽体離脱体験”とか“体外離脱体験”として知られている。そのような体験をしたことがあるという人は、かなりの数に上るのである。彼らの幽体は、肉体から何マイル、時には何百マイルも離れた所へ移動し、そこで見てきた事物や風景を他人に語ることがある。後になってそれを第三者が確認すると、全くその通りであることが多い。

そうした幽体離脱体験は、どのくらいの頻度で生じることなのだろうか? 標本調査の結果、それはわれわれが想像する以上にひんぱんに起きていることが明らかにされている。

その一例を挙げるなら、四十代後半のイギリス人の教会員二百人を選んで調査した結果は、九十パーセントとは言えないまでも、四十五パーセントの人々が過去に少なくとも一回はそのような体験をしたことがあることを示している。

こうした幽体離脱体験から、当然、次のようなことが推測され得るであろう。

『もし、われわれが生きているときに肉体の外へ出て意識体として存在し続けることができるなら、われわれが死んだときにも、同じようなことが生じると考えても不思議ではない』

証言者たちも、幽体離脱中は死んでいたのである。ただ現時点で言えることは、そうした幽体離脱の話は本当らしいということであって、はっきりと真実であると断言することはできない。では、そうした体験を事実であると確証する方法はあるのだろうか? 逆にそうした体験はインチキであると証明する方法はあるのだろうか?

霊界通信の内容の共通性
自分たちの体験をウッズとグリーンに語ったあの世の声の持ち主たちは皆、かつて地上に住んでいたことがあると明言している。そして死を迎え、次に別の世界にいる自分に気がついたと語っている。あの世に入って行ったときの様子や、たどり着いた世界で見たものについての報告は、すべての通信で一致しているのだろうか?

このテーマを、地上とあの世を逆にして考えてみよう。地上世界とは別の世界があって、そこに人々が住んでいたとしよう。そこの住人は地上世界へ行く前には死の体験をしなければならない。もし住人の半分が地上世界へ移り住み、そこで見たことを元の世界にいる人々に報告すると想定してみよう。彼らは、われわれ地上人のことをどのように伝えるだろうか?

もし彼ら全員がブリテンへきて住み着くとするなら、彼らの報告は多くの点で共通性を持つことになろう。しかし、もし彼らがスコットランドとロンドンに別れて住み着くなら、彼らから送られてくる報告内容は驚くほどの違いがあることになろう。共通性はほとんど見い出せないかもしれない。

さらに彼らがブレストンと北京、カルガリーとカルカッタ(インド)といったように遠く離れた所に別々に住み着いたとしたら、彼らの報告の食い違いは、いったいどれほど大きなものになるだろうか? もし誰かが彼らの報告を聞いたなら、彼らが同じ世界(地上世界)へ行ったとか、またそうした世界があるなどとは、とうてい信じることはできないであろう。

これと逆のことが、われわれにも当てはまるのである。霊界通信によれば、あの世には多くの界層世界があり、どんな人間も自分の性格と地上時代につくり上げた内容にふさわしい世界へ落ち着くようになる、ということである。もしこうした背景を考慮して、あの世からの通信にはある程度の食い違いがあるのを当然のこととして受け入れるなら、多くの通信に共通性や内容上の一貫性を見い出すことができるようになる。

ところで、ウッズとグリーンに届けられたメッセージの内容を、他の通信方法(手段)によって得られたものと比較することはできないのだろうか?

自動書記によるあの世からの通信
直接談話とは異なるあの世との通信手段の中で、最も有力な方法は“自動書記”と言われるものである。この方法は交霊会の霊媒にまつわる暗いイメージとは全く無縁で、スピリチュアリズムの交霊会を拒絶する人にさえ受け入れられることが多いのである。

最も広く知られているイギリスの自動書記ライターの一人が、「グレイス・ローシャー」である。私がケンジントンの彼女のアパートを訪問したとき彼女は、自分は霊媒ではないし、これまで交霊会に行こうとは考えたこともなかったと、きっぱりと言っていた。彼女は一九五〇年代後半のある日までは、ごく普通のクリスチャンであった。

その日、彼女は座って友人に手紙を書いていた。突然、彼女は心的メッセージを受けたように感じた。「あなたの手をそこに置いたままにして、何が起きるか見ていなさい」という声がした。ほとんど同時に、彼女の手はただペンを握っているだけなのに、勝手に文字を書き始めた。そして“ゴードンから愛を込めて”と文字が記された。

「誰がこれを書いているの?」と彼女は思った。するとペンが答えた。「私です。ゴードン、ゴードンです」四日後、彼女は勇気を奮い起こして再び同じようにペンを握った。すると三十分にわたってペンは書き続けた。彼女には、それは「ゴードン・バーディック」と全く同じ筆跡のように思われた。

実は彼は十五カ月前、彼女と結婚するためにカナダのバンクーバーを出発する準備をしていた。しかし乗船予定の前夜、彼は急死したのである。

彼女は教会の仲間に頼んで、自動書記によって書かれたサンプルと、生前のゴードンの書いた手紙を一緒に筆跡鑑定の専門家「F・T・ヒリガン」のもとへ送った。後日、ヒリガンは二つの筆跡は同一人物によって書かれたものであると報告してきた。

一九六一年、彼女は、『バーディックが死んだとき、彼に何が起きたのか』という本を出した。これは自動書記によって彼から送られてきたあの世の体験談をまとめたものである。自動書記によって送られてきたバーディックの内容と、直接談話によって送られてきた内容を比較したとき、どのような違いがあるのだろうか?

ゴードン・バーディックは次のように書いている。

――「私は眠りに落ちました。次に気がついたとき、美しい庭にいました。私は辺りを歩きました。そのとき母がくるのが見えました。母は言いました。“私はあなたを家へ連れて行くために、ここにきたのです”それから母の家へ行きました。そこには兄と妹(二人とも自分より先に死んでいます)がいて私を迎えてくれました。

私はそのとき、いったい自分の身に何が起きたのか分からず、夢を見ているに違いないと思いました。するとみんなが、“あなたは死んだのですよ”と言いました。それから私は病院のような所へ連れて行かれ、そこで休息をとるように言われました。その後、母の家に戻り家族と一緒に生活するようになりました」

あの世の新しい生活について、ゴードンは次のように言っている。

――「人間は死ぬと、自分自身の天国や地獄を創るようになります。天国や地獄というのは、地上時代の生き方で創られる意識の状態のことです。

こちらの住まいや庭は地上と何ひとつ変わりません。衣服もそうです。大学や美術館やコンサートホールのある町もあります。こちらの花々はとても美しいです。ここではお金は全く必要ありません。もし何か食べたいものがあれば自由に食べることができます。しかし本当は、こちらではモノを食べる必要はありません。また自分の意識ひとつで自由に移動できます。自分が学びたいと思うことは何でも学ぶことができます。また多くの動物や鳥たちもいます。

こちらの世界で、人々を結びつける唯一の絆は“愛”です。最終的に人間は誰でも成長し、より高い世界へ移って行くようになります」

以上、ゴードンによるあの世からの報告は、これまで本書の中で見てきた通信内容と酷似している。

25. あの世の声の身元証明
・・・語っているのは本当にその人か?

本書の初めに掲げた問題点を、もう一度取り上げることにしよう。「それらの声は、いったいどこからやってくるのか?」「それらの声は、霊媒自身からやってくるのか? それとも彼らは腹話術でも用いているのか?」

霊媒フリントに対する徹底したテスト
ウッズとグリーンが長期にわたる交霊会を始める以前に「レスリー・フリント」は、すでにきわめて厳密なテスト(客観主義的な心霊研究家によるテスト)に合格していた。フリントは著書の中で、自らを「この国始まって以来、最も厳しい検査を受けさせられた霊媒者」と語っている。彼は真実に貢献できると思ったときには、いつでも喜んでテストに応じたのである。

彼を調査した研究者の一人に「ルイス・ヤング」がいる。彼はアメリカの発明王と言われたトーマス・エジソン(電灯・マイクロフォンなどを発明)のもとで働いていたことがあった。また彼はアメリカで、多くのインチキ霊媒を暴いてきた経験がある。調査では、フリントは、着色した水を口いっぱいに含まされた。交霊会が終わりライトが点けられてから、フリントはその水を自分の口からグラスに戻した。

一九四八年、ドレイトン・トーマス牧師(彼は当時、心霊研究会のメンバーであった)は、別のテストを実行した。彼はその結果を、「サイキック・ニューズ誌」の中で報告している。以下はその報告内容である。

『二月五日、私はきっちり閉じられたフリントの口を、細長い絆創膏(ばんそうこう)でふさいだ。その絆創膏は長さ五・五インチ、幅二・五インチで、とても強い粘着性を持っていた。これを閉じたフリントの唇にしっかり貼り付けたのである。さらにその上からスカーフで口を覆った。フリントの両手は固く縛られイスにくくり付けられた。そして別のひもで頭を下げることができないように固定されたのである。

そうした状態では、入神(トランス)中に彼が絆創膏をゆるめようとしても全く不可能である。彼がきつく固定された唇のままで話をしようとしても、他の人には彼が何を言っているのか、声が不明瞭で理解できないはずである。

私のこのテストの目的は、今述べたような条件下においても、明瞭で豊富な声が“直接談話”としてつくり出されるかどうかを確認することであった。

実験は完璧に成功した。あの世からの声は、いつもの明瞭さをもって直ちに語り始めた。ミッキー(フリントのガイド)は、フリントの能力について何度も強調した。十二名の人間がその場に立ち会っていたが、全員がその声を聞いたのである。それは、どんな強情な懐疑論者に対しても――“いかにフリントの口をふさいでも、あの世からの声を遮断することはできない”ということを認めさせるに十分な事実であった。

交霊会が終わった後、私はひもと絆創膏を調べてみたが、それらは実験前のものと全く同じであった。絆創膏にはきわめて強い粘着性があるので、痛みをともなわずにそれをずらすのはかなり難しいことである』

他の一連のテストでは、アンプにつながれたマイクがフリントの喉に取り付けられた。彼が喉から声を出すか出さないかを確認するためのものである。彼の両手は立ち会い人――実験中、二人の人間が立ち会い人としてフリントの両サイドに座った――によって縛られ、さらに別の実験者が交霊会の間中、赤外線スコープを通して彼の動きを監視した。が、またしても声が聞こえた。実験者はエクトプラズムでできた“ボイスボックス”が、現実に彼の頭上二フィートの所につくられたのを観察したのである。


レスリー・フリント 科学的研究機関であるSPRによって、厳格なテストを受けるレスリー・フリント。

口を封じられた状態で、録音の実験を行っている。

「Voices in the Dark」より

訳者注――前頁の写真は、直接談話現象を得意とした霊媒レスリー・フリントの語る言葉を、科学者が口を封じた上で録音しているシーンである。

これは腹話術を防ぐためのもので、さらには着色した水を口に含ませて、後で吐き出させることまでやっているが、そんなことにはお構いなく、空中から何人もの聞き覚えのある他界者の声が聞こえた。


あの世の声の身元証明
もし、その声がフリントのものではないとするなら、それはいったいどこからくるのだろうか? 声の持ち主の身元証明・身元確認は果たして可能なのだろうか? あの世の声の録音を始めて以来、ウッズは地上時代の声の持ち主を知る関係者に招待状を送り、そのテープが本物に聞こえるかどうかを確認してきた。

「マイケル・フェアロン」と名乗る声のことはすでに本書の中で述べたが、ウッズはマイケルの母親(フェアロン婦人)を交霊会へ連れて行った。交霊会では、あの世のマイケルとフェアロン婦人が長時間にわたって会話を続けたのである。フェアロン婦人は、声の持ち主は間違いなく自分の息子であるとの確信を持った。

こうして声の持ち主の友人や身内が、ウッズの招待に応じてテープの声を聞くことになった。一九六二年四月十九日、「F・E・スミス」(バーゲンヘッドの上院議員で、一時は英国最高司法官も務めたことがある)と名乗る声が、死刑に対する生前の考え方の変更を伝えるために現れた。彼は、死刑はよい結果よりも悪い結果を生み出すという理由を述べたが、そのテープは故「チャールズ・ロスバイ」(王室顧問弁護士)が聞くことになった。チャールズはグレースイン(弁護士検定協会)で、F・E・スミスの学生であった。彼は一九六五年十一月二十一日に、チャネルアイランドのチェーンセイの自宅から手紙を送ってきた。

「私、王室顧問弁護士チャールズ・ロスバイは、ロンドンの著名な霊媒者レスリー・フリント氏の自宅で行われた直接談話交霊会でS・G・ウッズ氏によって録音されたテープの声が、間違いなく故人F・E・スミスの声であることをここに断言いたします。ありとあらゆる詐欺・誤解・ミス等の防止策の講じられた用意周到な調査の結果、前述のように確認いたしました。

私は、F・E・スミスの声をはっきりと聞きました。彼はあの世でも生き続けており、今も熱心に人類への奉仕に心をくだいております」

一九六三年五月四日と一九六六年四月二十五日の二日間、「オリバー・ロッジ」と名乗る人物からの声が届けられた。彼は当時の最も有名なイギリスの物理学者であり、同時に有名な心霊研究家でもあった。そのテープの声は「J・クロフト」が聞くことになった。クロフトはもと物理学の教師であり、オリバー・ロッジのもとで研究に携わったこともあり、彼のことをよく知る人間であった。

一九六六年八月一日、クロフトはスセックスのアングマーリング・オンシーの自宅からウッズに手紙を送ってきた。

「私と妻は、S・G・ウッズ氏ならびにグリーン女史の招待を受け、故オリバー・ロッジ卿によって語られたとされる録音テープを聞きました。その声は、私たちが数えきれないほど聞いてきたオリバー・ロッジ卿の声にそっくりであると感じました。テープの声には、彼独特の歯擦音があり、流暢(りゅうちょう)な表現、適切な言葉遣いや文章など、これらがオリバー・ロッジ卿の話し方の特徴であったことを思い出しました」

一九六三年六月十七日、「リリアン・ベイリス」と名乗る声が現れた。彼女はオールド・ビクトリア劇場(シェークスピア劇の上演で有名)の創立者であった。その年の八月二十一日、ウッズは彼女のテープの一部を南部テレビで放送した。

この放送がきっかけとなり、「アライス・F・ワトソン」からの手紙を受け取ることになった。リリアン・ベイリスが彼女の名付け親であり、オールド・ビクトリア劇場でベイリスと一緒に仕事をするなど、よくベイリスのことを知っていた。彼女(アライス)はホヴェの自宅から出向いてウッズを訪ね、リリアン・ベイリスのすべてのテープを聞いた。十一月二十一日、彼女はウッズに手紙を送ってきた。

「あなたの所でテープを聞かせていただいたとき、私は嬉しさのあまり、リリアン・ベイリスの声を確認するためにそこに出向いたことなど忘れてしまったほどでした。私の聞いたテープの声は、間違いなくリリアン・ベイリスのものでした」

コスモ・ラングの声をめぐっての論議
最も広範囲にわたってテストを受けたのは、「コスモ・ラング」と名乗るテープであった。一九五九年五月、彼からの最初の通信が送られてきた。そのとき彼は、ウッズとグリーンに、あの世へ行ってからの自分の宗教観ならびにスピリチュアリズム観の変更(*二十二・二十三章で取り上げている――訳者)について述べたのである。

「ジョン・ピアース・ヒギンス牧師」は当時、プットニーの教区牧師であり、教会員による心霊問題に対する調査委員会の議長でもあった。その彼が一九六〇年九月、日曜の夜の番組「宗教について」に出演して、キリスト教とスピリチュアリズムの関係をめぐる議論に加わった。そこで彼は、キリスト教とスピリチュアリズムの関連性を示すものとして、ウッズの録音テープについて述べたのであった。

ちょうどそのとき、私は「デイリー・スケッチ」(日刊新聞)の特別記事ライターとして、死後の世界に関する最新情報の連載記事を書くように編集主任から言われたところであった。ウッズは私の新しい仕事のことを聞いて、ブライトンにある彼の家にテープを聞きにこないか、と誘ってくれたのであった。(*本書「序」を参照――訳者)

私は大学院のとき、一九三七年だったか一九三八年のどちらかの年に、オックスフォードのセントジョーンズ寺院のチャペルで「コスモ・ラング」の説教を聞いたことがあった。二十年以上も前の頼りない記憶をたどって、私はコスモ・ラングをよく知る人、またはコスモ・ラングの話をしばしば聞いたことのある人を取材するために奔走することになった。与えられた時間はあまりなかった。

「ピアース・ヒギンス」からは、かなりよい手ごたえを得た。彼は言った。

「交霊会におけるテープの声は本物だと思いました。その声の持ち主は、コスモ・ラングである可能性が強いです。テープの声には、ラングのあらゆる特徴が現れています。このテープの声とラングの声をともに聞いた人なら、両者はきわめて似ていると言うでしょう。真実性が明確に保証されている他の多くの通信内容と同じように、届けられた声は本物の可能性が高いです」

「ハーベルト・レイン婦人」――彼女はラングとは古くからの同家系の友人であり、ドーセットのワレハム近くに住んでいた。彼女も同様の確信を持ったようであった。ラングはしばしば彼女の家に滞在したことがあり、彼女もまた彼の家に滞在するといった親しい間柄であった。その彼女が語った。

「私の第一印象は、これは本物だということです。私が理解しているかぎりでは、テープの声の話し方は、まるでラングそのものです。この声は、間違いなく大主教コスモ・ラングその人だと思います。それ以外には考えられません」

先のピアース・ヒギンスは、ラングのテープの声の身元証明のためのテスト方法を考え出してくれた。彼の提案によって、私はBBCの宗教放送番組のディレクターから生前のラングの声の録音盤を借りることになった。それは一九三六年、エドワード八世が退位した際の彼の有名な演説を録音したものであった。私はその録音盤とウッズが録音したテープを、サウスワークの「マーヴィン・ストゥックウッド司教」の家に持って行った。

私はまずテープと録音盤を別々に聞かせ、その後で両方を同時に聞かせた。そこには司教以外に、礼拝牧師とオックスフォード聖ステフェン神学大学の校長も同席していた。しかし、そのテストの結果は上出来とは言えなかった。

生前のラングの声は、交霊会での録音テープよりも強くはっきりしていた。司教は言った。

「私たちは、テープの声は意図的につくり上げられたニセモノの可能性があると判定しました。どこからそのテープの声がくるのか分かりませんが、その声はコスモ・ラング本人かもしれませんし、別人かもしれません。私はその声の持ち主がコスモ・ラングであるかどうか、是認することも否認することもできません」

司教と他の二人の教会関係者(牧師)がひっかかった点は、肉体のないラングの声が、彼らの思っていたほど明瞭・鮮明ではなかったことである。生前のラングは明晰な話し手だったからである。

しかし、そのことはピアース・ヒギンスの気を挫かせることにはならなかった。彼は言った。

「肉体を持たない人間の声が、生前の声と全く同じであると期待すること自体、そもそも間違いなのである。霊が声をつくり出すときの困難さを考えてみるべきである。通信状態は、高いレベルから地上の低いレベルに合わせる際に曇らされてしまうのである。霊たちにとって地上のわれわれに完璧な通信を送るということは、きわめて困難なことである。彼らは、あの世でしているのと同じように自分たち自身をはっきりと鮮明に表現することができなくなるのである。かつて地上時代にしていたように上手に表現することができなくなるのである。したがって時には、生前よりも低いレベルの通信を送ることになってしまうのである」

このすぐ後、ピアース・ヒギンスは思いがけない人物から、彼の意見に対する支持を得ることになる。

一九六〇年九月の終わり、毎年恒例の国教会の会議が開かれた。この席でラングの録音テープが流され議論がなされた。十月一日、ウッズとグリーンはいつもの交霊会に参加した。そこにラングが現れた。そして先の疑問点に対しての説明を始めた。「私も司教の家での集まりに参加しました。皆さんが教会関係者を集めたときのことです。あの場で、皆さんが彼らに聞かせた私のテープが、ある者に反発を生じさせたこともよく知っております。しかし私は自分の意見を取り消すつもりはありません。本当はこの問題に関して、もっと言いたいことがあるのです」

ラングの長い説明が続いた。話の終わり頃、グリーンは強引に質問を切り出した。

「あなたは先日の夜、われわれと一緒だったのですか?」と尋ねた。

「そうです」彼は答えた。

「あなたの声のことで論争があったことは知っていますね」

「残念なことですが、これからもいつもこうした論争は付きまとうでしょう」

「少し驚いたのですが、あなたは生前よく用いていたある言葉――“afeard”とか“stratas”――を話の中でわざと使っていました。それは、われわれに語りかけている人物が、あなた自身であることを示そうとしたためだと思いますが。この点について説明していただけませんか?」

「それは単純な理由です。こちらから送る音声はすべて人工的につくり出されている、ということを忘れないでください。地上世界にいる皆さん方は、ご自分の肉体の声帯を用いて空気を振動させ、自分自身に特有な声をつくっています。われわれが音声をつくり出す目的は、こちらの世界にいる人間(霊)の考えを伝えることなのです。私であれ他の者であれ、皆さん方に伝えるために、ボイスボックスを通して人工的につくり出された声で話しているのだということを忘れないでください。

私個人としては、ある人の音声が生前と全く同じかどうかは大して重要なことだとは思いません。こちらの世界から地上に向けて生前と全く同じ音声を再現できるかどうかは、きわめて疑わしいことです。

結局、音声とは何か、という問題なのです。音声とは音の波によってその人の考えを(人が聞き取れるように)現す、ということなのです。皆さん方とは異なる世界に住むわれわれは、もはや皆さん方のような肉体を持っていないこと、一般の地上人が理解するような意味での話はできないことを忘れないでください。今、われわれがしているような霊媒などのエネルギーを利用する通信方法では、生前と全く同じ音声をつくり出すことは不可能なのです。

時の経過とともに、われわれからは多くのものが失われます。しかし真理は奪い去られることはありません。人間はこちらへきてからの体験によって多くの真理と知識を得るようになります。そして、もし地上の皆さん方が真理を受けられる準備が整っているときには、それを教えて差し上げることができるのです。心ない人間はしばしば、われわれの計画をぶち壊そうと、わざと非難や反対をすることがありますが、そうした取るに足りないことを気にしてはいけません。なぜなら彼らは恐れているのです。ただ恐れているだけのことなのです。

結局、私の声が生前の声と同じであるかどうかなどということは、とりたてて重要なことではありません。私の声は他の多くの霊がそうであるように、年を経るごとに確実に変化していくのです。私の晩年の声は、私の二十歳の時の声と同じではありません。音声が変化するのは当然であって、さして重要なことではないのです。

私は、現在のありのままの自分として、皆さん方と話をしています。そのことを忘れないでください。過去の私が皆さん方と話をしているのではないのです。私は、以前の私とは違います。そのことを知ってください。私は、神のお蔭で変わったのです。私の考え方は変わりました。今の私の考えは、かつての私が持っていた考えではありません。そして、それを皆さん方に伝えることができることを誇りに思っているのです。私の声が生前と同じではないということは、重要な問題ではありません。

今は疑い深い人間も、いつかそれを信じるようになる時が必ずきます。今はそれだけを申し上げておきましょう。しかし、もし皆さん方がまだ地上にいる間に死後の世界のあることを信じることができるとするなら、本当に素晴らしいことです。なぜなら、こちらの世界へくるまでそれを知らないでいるより、はるかに多くの善いことを実行できるからです。

こちらには、地上時代を振り返って、地上にいたときに真理を知っていたならどんなによかったことかと残念がっている多くの人たちがいるのです。生前、真理を知っていたなら、彼らの人生はどれほど違っていたことでしょうか。どれほど“他の人々への奉仕”ができたことでしょうか。そして結果的に、いかに多くの“神への貢献”ができたことでしょうか」

このコスモ・ラングのテープは、「コナン・ショウ」(スセックスのアングマーイング在住)が聞くことになった。彼は、この声はコスモ・ラングと同一人物であると確信した。彼は一九〇八年から一九一五年の間、ヨークミンスターの声楽隊の歌手を務めていた。その彼が次のような手紙を送ってきた。

「私はDr.ラングと直接接触する多くの機会に恵まれていました。特別なセレモニーには、私は何度もラング大主教の随員に選ばれ、法衣の裾を持ったりもしました。Dr.ラングは、生前よく大主教公邸からオウス川をボートを漕いで渡って、われわれ声楽隊の所へきたものです。

彼のゆったりした話し方はテープの中にも、はっきりと表れています。彼は生前、いつもそうした話し方をしていたのです。彼は両手を法衣の上でしっかり握り締めて話をクライマックスに持っていきました。そのとき彼はよく、テープの中で彼が口にしているような“Now”という言葉や、“……then shall they stand up in the church and proclaim it”という言い回しをしたものでした。私はテープの声がコスモ・ラングであることに絶対的な確信を持っています」

どうもテープの声がラングである可能性は優勢である。しかし、それを絶対的と断言してもいいのであろうか? ラング自身が語った観点からすれば、絶対的と断言するにはまだ早いということになる。あの世にいるどのような霊も生前と全く同じ声を再生することはできないと、彼自身が述べているのである。

オスカー・ワイルドは、次のような不満をもらしている。

「こちらにいる人々は、地上に多くのことを伝えようとするのですが、結果的には思うことをほとんど何も伝えることができません。その理由は単純で、こちらの人間が通信を送るためには特別な手段を用いなければならない、ということなのです。なぜ、もっと同じような声をつくり出せないのでしょうか? もっと性能のいい、成功率の高い方法を発明することができないのでしょうか?」

霊界通信の真髄は手段よりも通信内容――エレン・テリーの説明
一九六五年、「エレン・テリー」(前述した高級霊)はその問題について説明した。

「どれほど経験豊かな通信霊であっても、常に交霊会に出現して地上と接触を保ち、自然でなめらかな会話を続けるのは容易なことではありません。われわれが今、地上と接触できるというこの事実そのものが、実は奇跡的なことなのです。そうであるのに、いまだに地上には、過去において認められた証拠があるにもかかわらず、また非常に優れた通信が送られてきているにもかかわらず、死後の世界に対して疑問を持ち続けている人々がいます。

われわれは、こうした人々を気の毒に思っています。そのように考える事情も分からないわけではありませんが、すべての霊界通信は根本的には精神的なプロセスであり、その霊が到達したレベルまでの思想内容の伝達であり、またある程度は変形されたり歪められてしまうものであることを知らなければなりません。地上人がその点を理解すれば、同じ内容を伝えるにも多くの表現があること、そして一つひとつの単語の意味を明確には伝えられない場合があることも、お分かりいただけるはずです。

この“ボイスボックス”自体は、通信霊の性格・個性・声・印象・考えを正確に伝えるための優れた人工的な再生器です。そして現実に皆さん方は、このボックスを通してそうした内容を受け取っています。時にその音声は、きわめて自然でリアリティーに富んでいるように聞こえるでしょう。われわれも当然、それが望ましいと思っていますが、皆さん方に届けられるのは、どこまでもわれわれ霊のために準備されたボイスボックスによる音声なのです。ボイスボックスは地上人が声帯を用いて声を出すのと同じ方法で、通信霊のために音声をつくり出してくれるのです。

地上にいる皆さん方は、自分自身の肉体(声帯)を持ち、安定したコンディションのもとで存在し、声帯が自動的に反応して声を出すようになっています。しかし、われわれはこうした動作をすべて意識的に操作しなければならないのです。

まず、われわれは“ボイスボックス”の前に立ちます。それから自分の意識と思考を極限にまで集中します。皆さんも、自分の思考を鮮明にしたまま維持し続けることがどんなに難しいかはご存じだと思います。地上という安定した場所にいても、人が正確に話をするのは、とてもたいへんなことなのです。そうであるなら、われわれ霊にとって、わざわざ地上の言語をつくり出して正確な話をするのは、さらに難しいことであると理解できるはずです」

では、交信方法そのものに対する“信憑性”をチェックする手段はないのだろうか? われわれ地上人は、彼らがあの世について語る内容を確認する手立てを持っていない。一方、彼らが語る地上のことについては、われわれは明確に確認することができる。

では、二つの世界の中間的領域は存在しないのだろうか? ほんのわずかな時間であっても、二つの世界が出会うような中間世界は存在しないのだろうか? あの世から送られてくる内容が、現在地上で生きている人によってチェック(確認)され得るような“中間的領域”は、果たして存在しないのだろうか?

実はそれが――『死の瞬間』その時なのである。

26. 霊界通信はあの世からの真実の声か?
死後の世界の事柄について説明している世界中の記述を比較してみることは可能だろうか? 実はこうしたたいへんな作業を試みた唯一の人間が、「ロバート・クローカル」である。彼は四年の歳月をかけ、ありとあらゆる霊界通信を比較検討したのである。彼はその結果を一九六一年、本にまとめ上げ出版した。その本の中で彼は次のように述べている。

『あの世からのメッセージを受けた人間が、全員で共謀してウソをついていたというようなことは到底あり得ない。もし、かりにすべての霊媒者が詐欺を働いていたとしても、世界の至る所で同じような内容が示されるなどとは、常識的には考えられないことである。

また霊界通信は、交霊会の参加者の心の中身がテレパシーによって引き出されたものであると言う人もいるが、死からあの世への移行についての通信内容がどれも全く同じようなものであることを考えると、テレパシーの関与による単なる人間の想像の産物であるという可能性は皆無である』

もちろん、すべての通信内容が完全に同じというわけではない。しかしヨーロッパやアフリカで受け取った通信も、太平洋上の島で受け取った通信も、内容的には明らかに一致している。それはウッズたちに語られたあの世からの情報と、きわめて似ているのである。

こうした通信はなぜ、それほどまでに酷似しているのだろうか? それに対する理に適った解答は――『それらの通信はみな、同じ源(ソース)から、同じあの世から送られてきた』ということである。霊界通信は、どれも共通の一つの世界から届けられているのである。その世界とは、われわれが死んだとき、自分自身の目で確認することになる世界である。

もし、これが真実の説明であるとするなら――誰もまだそれを証明したわけではないが――霊媒フリントを通じてウッズとグリーンに語りかけてきた声の存在こそ、その説明の真実性を裏付けるものではないだろうか。死後、誰もが経験することになるであろう世界について、かくも豊富に、しかもきわめて詳細に語っているという事実こそ、まさしく霊界通信のソースが“あの世の存在である”ということを証明しているのではないだろうか……
(完)


おわりに
この本を手にした皆さん方の中には、すでにスピリチュアリズムに触れ、霊界通信などを読んだことのある人もいらっしゃることでしょう。現在までに、われわれ人類が得た霊界通信(霊界のスピリットが送ってくる通信)は数多くありますが、その中で内容の深さ、思想的スケールの大きさという点では、何といっても『シルバーバーチの霊訓』、モーゼスの『霊訓』、アラン・カルデックの『霊の書』が最高と言えるでしょう。

ところで本書に登場してくる「ピエロ霊」とは、その語った内容・言い回しから判断すると、おそらく「シルバーバーチ霊」ではないかと推察されます。

実は、一九七一年、フリント(本書の霊媒者)はシルバーバーチの交霊会に招待され、シルバーバーチと対談しています。その際、フリントは自分が物理霊媒である立場から「スピリチュアリズムが広まるためには、もっと物理霊媒者を多く養成する必要があるのではないか」と主張しています。

それに対してシルバーバーチは、今の時代は、かつての物理霊媒現象に代わって心霊治療が中心になっていること、とはいっても、いろいろな心霊レベルの人がいる以上、低いレベルに合わせた物理現象もそれなりに有意義であるという返事をし、フリントの物理霊媒が全面的に必要であるという意見を間接的に否定しています。

本書のところどころで述べられていることから分かるのですが、この本は、霊界側の綿密な計画によって地上にもたらされたものです。そしてその計画を可能にするために、地上に、フリントとウッズとグリーンの三人が準備されたのです。

彼らの交霊会では、霊界側の霊媒としてミッキーという、かつてのロンドンっ子が立てられていますが、全体はエレン・テリー霊(指導霊)によって統括されています。さらにその上に、おそらくシルバーバーチ、またはそれに匹敵する高級霊が控えているものと思われます。

そうした態勢のもとで、人類に広く「死後の世界の存在」を知らせることを目的として計画が進められてきました。

死の直後の世界(幽界とかアストラル界とも言われる)の様子を語っている霊界通信として、内容の正確さ、信憑性などの点で評価されているものに『ブルーアイランド』『ジュリアの音信』『ワードの死後の世界』などがありますが、本書はそれらと比較しても決して遜色(そんしょく)はありません。それどころか本書ほどこの世界について、他方面にわたってさまざまなケースを集めているものはないように思います。

死後の生命はあるのか? 死んでも今の自分は存在し続けるのか? このことを知ると知らないとでは地上の生き方は全く違ってきます。死後の生命があるかどうかは、人類にとって最も重要な問題です。

「死後もあの世で意識を持って生き続ける。死によって生命が終わるのではない」――これを難しい言葉で「霊魂説」と言います。本書では、一貫してこの「霊魂説」を取り扱っています。

スピリチュアリズムでは、これまでたびたび「霊魂説」を証明するための実験・研究がなされてきました。その圧巻とも言うべきものが、クルックス博士による“物質化霊”(幽霊現象)の実験でした。簡単にそのあらましを述べましょう。

クルックス博士といえば、十九世紀後半のイギリスを代表する知識人であり、その時代の世界第一級の科学者でした。今日でも高等学校の物理の教科書に出てくるクルックス放電管の発明者でタリウム元素の発見者でした。このクルックス博士が、スピリチュアリズムの研究に取りかかりました。

初め彼は、“スピリチュアリズムなどというデタラメを暴いてやろう”というつもりだったようです。彼が行った中で最も有名な実験が「ケーティ・キング霊」に関するものです。当時、十六歳の霊媒少女クックが入神状態に入ると身体からエクトプラズムが出て、それによってケーティ・キングという女性の幽霊がつくられるのです。

クルックス博士は、実験前は“そんなことが起こり得るはずがない”と頭から否定していました。しかし実験が始まると、博士の前に現実にそのケーティ霊が現れました。そして地上の人間のように話しかけたり握手をしたりするのです。そして実験が終わると博士の目の前で徐々に消えていくのです。

こうしたことが足掛け二年にわたって続けられ、さしものクルックス博士も自分の考え方を根本から変えることになりました。霊魂があること、そしてそれが死後も生き続けることを受け入れるようになりました。「霊魂説」の正しさを認めたのです。博士はケーティ霊に頼んで四十二枚の写真を撮っています。


ケーティ・キング霊の物質化写真
ケーティ・キング霊 クルックス博士の肩に手を置く、
ケーティ・キング霊の物質化写真

実はこの一連の出来事は、あの世にいる高級霊によって意図的に仕組まれたものでした。地上の最高の知性人で、しかも徹底した懐疑論者であり、世界的に名前の知られたクルックス博士をわざわざ選び出し、その彼の目の前で霊魂実在の証拠を見せつけ、強引に考え方を変えさせたのです。これは「地上の懐疑論者全部を証拠によってねじ伏せる」という意味があったのです。

クルックス博士ほどの知性の持ち主は、現在でもそれほど多くいるわけではありません。この本の読者の誰よりも知性的であったはずです。そして我々が考えつくような、ありとあらゆる疑いを持っていました。さらに彼は、巷にたくさんいる“インチキ霊媒”を暴く名人でもあったのです。その人間が考え方を全く変えて「霊魂説」を受け入れたということなのです。

この話をどのように受け取るかは、皆さん方、一人ひとりに任せることにいたしましょう。

“死”は、誰にも避けられないもの、今から何十年か後には、我々みんなが迎えなければならない厳粛な事実です。そのとき、この本に書いてあったことが事実であるかどうか、自分の目で確かめられるはずです。

霊魂説が正しいということは、「死後の世界がある」「死後の生活がある」ということを意味します。スピリチュアリズムでは当然のこととして、霊魂の存在、死後の生活・死後の世界の存在を認めます。しかしこうしたことは、実はスピリチュアリズムのほんの入り口にすぎません。それはスピリチュアリズムの本題ではありません。

スピリチュアリズムの本当の目的は、死後にも永遠の生命があるという事実のもとで――「地上でどのような生き方をすべきか」を説くことなのです。地上人類としての正しい生き方、日常の心がまえ・考え方を教えることが、スピリチュアリズムの本来の目的なのです。この本では、それについてはあまり触れていません。

スピリチュアリズムの明かす人生哲学は、従来の宗教・思想に比べ、はるかに深くて広大なものです。スピリチュアリズムに関心を持たれた方は、ぜひスピリチュアリズム関係の書物を読んでください。何百年か後には、これまでのような組織宗教は地上から姿を消すことになるでしょう。しかし宗教的世界がなくなるわけではありません。スピリチュアリズムによる、いっそう深い宗教的生き方・考え方が“人類共通の常識”となっていくのです。