訳者あとがき
本書は、多分、シルバーバーチ霊言集の最後の一冊となるであろうと予想されている、Lift Up Your Hearts (直訳すれば〝心を奪い立たせなさい〟)の前半で翻訳である。これまでの霊言集のほぼ二冊分がぎっしりと詰められており(すべて新しいものばかり)、ハート出版との相談の結果、これを二冊に分け、そしてタイトルも別にして出版することになった。

本書の原典は、編者のトニー・オーツセンにとっても訳者の私にとっても、記念すべき一冊となった。オーツセンにとっては、本書の出版のあと、一年間の引き継ぎの期間の後に、編集長のイスを若いティム・ヘイに譲って、サイキック・ニューズ社を円満に退社する、その最後の出版物となったのからである。

オーツセンは二十歳の時にサイキック・ニューズ社に入り、バーバネルのもとで親分子分のような関係(オーツセンはバーバネルのことを〝ボス〟と呼んでいた)の中で修行し、バーバネル亡きあと、その編集長のイスに座って多忙をきわめる毎日を送ってきた。

中でもいちばん力を入れたのがシルバーバーチ霊言集の編纂で、彼一人が編集したものだけでも、本書を含めて六冊もある。彼が編集したものはどれもページ数が多いのが特徴であるが、とりわけこの六冊目は(いつもの霊言集の)倍の分量である。

その編集に取りかかった時はすでに退社を表明していたことから推察して、自分が辞めた後はもうシルバーバーチを編集する者はいないとの判断があって、それで、これまでに公表されていないものを出来るだけ多く、と考えたのであろう。もっとも、わずかではあるが重複する部分があり、そこは私の訳では省いた。

実はこうしたオーツセンの意気込みを生んだ背景には、全世界のシルバーバーチファンから寄せられる、新しい霊言集の出版を期待する声があった。

そして中には、出版費用に当てて下さいと、寄付を同封してくる人もいた。かく言う私もその一人で、そう大きくはない印税収入から必ず一部を寄付に当ててきた。

そうした支援者への感謝をこめて、実はこの六冊目の巻頭に三十二の個人と団体の名が列記されている。しかも市販のものはペーパーバックなのに、支援者に限ってクロス張りのハードカバーにそれぞれの氏名のイニシャル(私の場合はKK)を刻印してあるものが贈られている。

私にとってこれに優る記念品はない。これまでの翻訳の苦労がこの一冊で全て報われる思いがしたと言っても過言ではない。

さて本書の翻訳中に、私にとって意味深長な、ある科学者との出会いがあった。九十歳という高齢にもかかわらず今なおかくしゃくとして第一線で活躍しておられる、サイ科学会会長の関英男先生で、紫綬褒章と勲三等瑞宝章を受章しておられる工学博士である。

昨年(平成五年)の夏ごろから私は、気功を霊的レベルにまで上げて難病を治療し、今世界中から注目を浴びている中川雅仁氏とのご縁があって、これまでに何度か伊豆下田の沖ヨガ道場で毎月開かれている気功師養成講座に講師として招かれているが、今年の二月十二日に大阪で催された真気光体験会に、関先生と共に講師として招かれて、それぞれ小一時間ずつ講演をしたあと、中川氏も加わって三人でパネル・デスカッションを行なった。

国内はもとより世界中を駆け回っておられる中川氏のタフぶりにはいつも感服の念を禁じ得ないのであるが、その日初めてお会いした関先生の頭脳明晰ぶりには、九十歳というお年を考えると、ただただ敬服するばかりだった。

が、それにもまして驚いたのは、霊的なものに関する理解の広さと深さである。いただいた名刺には〝加速学園代表〟とだけ記されているが、その学園はサイ科学、すなわち物質科学を超えた高次元の科学を学び合う科学者の勉強会のようなものとお聞きしている。

その研究の範囲は死後の世界はもとより、UFOの問題や異星人(宇宙人)からのメッセージにもわたっていて、昨今テレビに出てムキになって超能力の存在を否定している、どこかの大学教授の御説など、小犬の遠吠えのようにしか聞こえないであろう。

サイと言うのはサイキックの語源でもあるPsi のことで、これを〝心霊〟と訳さずに〝サイ〟で通しておられるのは、私がスピリチュアリズムを〝心霊主義〟と訳さないのと同じ考えからであろう。

先生の最新著「高次元科学」(ファーブル館)を通読して、スピリチュアリズムと完全に一致していることを知って驚いたが、強いて特徴をあげれば、スピリチュアリズムが地球圏の霊界からのメッセージ、いわゆる霊界通信に重点を置いているのに対して、サイ科学では別の天体、たとえば俗にスバルと呼んでいるプレアデス星団からのメッセージ、幅広くいえばUFOを送ってくる天体からのメッセージにも関心を寄せていることである。

が、基本的にはスピリチュアリズムと同じであることは次に一節から充分に窺える。

「私のもとには、さまざまな霊能者や超能力者が情報を持ちよって来てくれます。人間がその頭でどう考えても及ばないことが、霊能者や超能力者には分かります。

人間以外のエネルギー体から、いろいろな形でメッセージが届いているのです。ある人には、勝手に手が動いて自動書記という現象で届いたり、ある人には霊言という言葉で届いたり、夢でお告げがあったりといった具合です。

いい加減な低級霊の仕業ということもありますので、その情報の取捨には慎重になる必要があるのですが、ほとんどの霊能者・超能力者の言葉で共通しているのが、このさまざまな天変地異の意味です。

つまり、今起こっている天変地異は、地球の自浄作用だということです。環境汚染で病んだ地球が、自らを癒すために生命力を働かせているというわけです」

さきほど〝私にとって意味深長〟と表現したのは、私をスピリチュアリズムに導いて下さったのが間部詮敦という元子爵の稀れにみる霊覚者で、その指導のお蔭で私は四十年間にわたって曲がりなりにもスピリチュアリズムを日本に紹介する仕事に携わり、

その集大成としてつい最近ハート出版から「霊的人類史は夜明けを迎える」という書き下ろしを出したばかりであるが、このたび科学界の重鎮である関先生との出会いで、先生が他の科学者から異端視されながらも平然として説いておられるその著書の内容が、私の著書の内容と基本的に軌を一にしているからである。

手短に言えば、来るべき二十一世紀は人類にとって輝かしい世紀となるということで、それまでに〝世紀末的〟といわれる大なり小なりの天災や混乱はあっても、それは、関先生の譬えを借りれば漢方医学でいう〝めんげん〟 現象にすぎず、そのあとに地上天国ともいうべき幸せな生活環境が生まれるというのである。

〝めんげん〟は漢字で〝瞑眩〟と書き〝めんけん〟とも〝めいげん〟とも読む。これは治療がうまくいって病気(とくに長く患っているもの)が好転し始めた時に発熱したり、吐き気を催したり下痢をしたりする現象のことで、一見悪化したように思えるが、その段階を越えると急速に快復する。

地球もこれから、地球という天体そのものの自然治癒力によって瞑眩反応を起こし、一時的に〝世紀末的〟な現象を呈するが、人類の滅亡などという深刻なものとはならずに、そのあとに明るい世紀が訪れる、というのがスピリチュアリズムの説である。

最近世界各地で頻発する異常気象や地震、山火事といった天災、そして民族紛争などは、地球がすでに瞑眩期に入っていることを物語っていると私はみている。

UFOに関して私はこれまで言及を避けてきたが、私自身にとっては早くからごく当たり前の存在である。まだ乗船したことはないが、目撃した回数は十指に余る。そのうち、錯覚かも知れないと思えるものを消去していっても、残る三回は私にわざわざ見せてくれたようなもので、その驚異的というか、人間の常識では考えられない飛行をじっくりと観察させてもらっている。

実は昨年六月に、私の住んでいる福山市で、全国の〝UFOの会〟の会員五十人ばかりが集まって、観察と体験談を語り合う催しが開かれた。

私は会員ではないが、その日の主催者が私の教え子(近くの大学で美術の講師をしている)で、私の心霊関係の話にも興味を抱いている人だったので、私に基調講演を依頼してきたのだった(本人自身も霊的体験があり、UFOの写真も百枚ばかり撮影している)

当日のUFOの観察は夜十一時頃から真夜中の三時頃まで続けたが、残念ながらそれらしきものはついに姿を見せてくれなかった。ただの興味本位のことには異星人も関心はないだろうと予想していたので、私はさほど残念にも思わなかったが、わざわざ関東地方から出席した人たちには、ご苦労さんという気持ちだった。

が、翌日の三人による乗船体験談はその残念を補って余りあるものだった。どの人の話も説得力があり、作り話とは思えなかった。間違いなくUFOに乗っており、又その発進地である異星まで連れて行かれている。多い人は百回以上も乗船しており、操縦席(コックピット)の説明も得心のいくものだった。

私にとってとくに興味深く思われたのは、幽体離脱の状態で連れて行かれることが多いということで、UFO発進地である天体では、知的生命体が物質の段階から幽質の段階にまで進化していることを窺わせるものだった。その意味で私の講演も参加者全員に理解のいくものだった。

関先生の説も全く同じで、だからこそ何千、何万、何十万光年も遠く離れた天体からでも一瞬のうちに飛来できるのだとおっしゃる。一種のテレポーテーションで、アポーツ(物品移動)と原理は同じである。

ではなぜ満天の星の中のスバルでないといけないのかということになるが、実は、第二次大戦終結直後に地球に派遣されてきた宇宙人がメキシコのチャパラ湖畔に一年間住んでいた事実があり、その宇宙人の家(というのが適切かどうかは別として)が今も存在し、スバルとの交信に使用されているというのである。

関先生も、そして建築家の足立育朗氏も、その家を訪れて何枚かの写真に収めておられるからには、間違いない話であろう。

譬えて言えば、ラジオで最初に受信した周波がスバルからのものだったというだけのことで、これから受信できる周波数がいくらでも増えていくことであろう。

何しろこの銀河系だけでも地球レベルないしそれ以下の知的生命体が存在している星は千百五十億個あり、地球レベル以上の、自然の摂理に適った生活をしている星は七百億個以上もあるというのである。

スピリチュアリズムでいう四界説を当てはめれば、そんな問題は簡単に片づく。地球を取り囲むように幽界・霊界・神界が存在することはスピリチュアリズムではすでに常識であるが、太陽系全体としても幽・霊・神の三つの界が存在し、銀河系全体としても幽・霊・神の三つの界が存在する。

そして地球の幽界の上層部から霊界あたりになると、太陽系および銀河系全体の幽界とも接触できるようになる。

その段階に至ると、もはや地上的感覚の距離は消滅し、ちょうど衛星中継で地球の反対側の映像がほぼ同時に見られるのと同じように、宇宙のどこで何が起きても、瞬時に分かるようになる。地上にいても、チャンネルさえ合えば何億光年も離れた星からでも通信を受けることが出来るようになる。

これには伝導の媒体としてのエーテルの存在が前提となる。エーテルの存在はスピリチュアリズムの先駆者である英国の物理学者で哲学者でもあったオリバー・ロッジがしきりに説いていた。が、それが、アインシュタインの相対性理論が出るに及んで否定されるようになった。

私にとって実はこれは頭の痛い話で、現代の科学者から「エーテルの存在は否定されていますよ」という批判が来ないかと気懸りだった。

ところが最近のサイキック・ニューズ紙や、サイキック・ワールド紙(月刊)に毎号のように寄稿しているロン・ピアスンという理学博士がエーテルの存在を正面きって説くようになり、アインシュタインの相対性理論にも間違いがあることを明言している(ピアスン博士もシルバーバーチの熱心な愛読者)

妙なもので(この辺が〝導かれている〟ということなのか)、この稿を書いている合間に書店をのぞいたところ、徳間書店刊の『アインシュタインの相対性理論は間違っていた』というのと、その続編の『「相対論」はやはり間違っていた』の二冊が並んでいた。前者は窪田登司氏によるもの、後者は八人の学者による共著である。

私には「相対性理論」はどうでもいいのである。要はエーテルの存在が肯定されるか否定されるかが気懸りなので、パラパラとめくっていくと、やはりエーテルの存在に言及した部分があり、「エーテルの存在は否定できない」とあった。

しかし、僭越ながらこの八人の学者に申し上げたいのは、関先生のお話によると、アインシュタインの相対論が間違っていたのではなくて、その解釈を間違えたというのが真相のようである。『高次元科学』の中で先生はこうおっしゃっている。

「アインシュタインは光速度不変の法則を基本に相対論を展開し、アインシュタイン以前にマイケルソン・モーレーは実験によって、絶対静止空間に対して運動しても光速度に変化がないことを証明しました。このことは、あたかも真空中の超微粒子、エーテルと呼びますが、その存在を否定したことだと解釈されました。

そして、それ以降の科学はエーテルは存在しない、真空中には何もないことを前提に研究が進められてきました。しかし、最近になって、アインシュタインが言ったことは、空間に絶対的に静止したエーテルがないということで、エーテルが存在しないということではないことが明らかになったのです。

霊能者に話を聞きますと、こうした誤解を生んだことを、あの世でアインシュタインは嘆いているそうですが、確かにその誤解が本当の意味で科学の発展を阻害したことは間違いないでしょう」

ピアスン博士は「科学は間違いだらけ」という記事を書いている。関先生も「科学者は分かったような顔をして説いているだけで、本当のところは何も分かってはいないのですよ」と笑いながらおっしゃっていた。

私は科学者ではないので、そこまではっきりと言える立場にないが、一つだけ断言できることは、これまでに発見された物理化学の法則だけで心霊現象の実在をうんぬんするのは間違いだということである。次元がまったく違うのである。

十九世紀後半から二十世紀前半にかけて、世界的に名声のある科学者が積極的に心霊現象の研究に参加し、しかも一人の例外もなくその真実性を肯定する結論を出した。のみならず、そうした現象を生ぜしめているのがわれわれの先輩であるという〝霊魂説〟を打ち出した。

ところが、その後の科学者たち、なかんずくSPR(心霊研究協会)のメンバーが霊魂説に懐疑的になり、本来はスピリチュアリズムの傘下にあるべき立場を逸脱して一人歩きを始め、スピリチュアリズムとの間が敵対関係を呈するほどになった。

が、最近になって潮流が大きく変わりつつあることが英国の心霊紙にはっきりと出て来た。その最大の動きは、英国SPRの会長であるアーチー・ロイ氏(エディンバラ大学の天文学教授)が最近の講演で英国スピリチュアリスト同盟(SNU)にラブコールを送るとともに、へっぴり腰の科学者をこっぴどく非難していることである。

一度スピリチュアリズムの傘下からはみ出たSPRが数十年ぶりで戻ってきたという感じがする。

「心霊研究の進むべき新しい方向」と題する講演をロイ氏はこう締めくくっている。

《私は、学者としてあるまじき態度で〝安直〟な否定論を振り回す科学者には、SPRが敢然と挑戦すべきだと考える。

心霊研究は実に興味津々の時代に入りつつあるというのが私の実感である。SPRの創設当初の、あの、死後の存続という途方もない事実の可能性を前にして、わくわくする思いで研究にいそしんだ時代に戻る態勢が整ってきたように思う。

現代的手法を駆使して、人間とは何かという命題に向かってSNUと協力できると考える。否定論者に言いたいのは、正面から堂々と取り組むか、さもなくば黙って引っ込んでなさい、ということである》

(サイキック・ワールド紙より)

最後に一九九三年四月二十四日付けのサイキック・ニューズ紙に掲載されたベテランの科学者フランク・ニューマン氏の「科学者よ、シルバーバーチを読め!」と題する寄稿文を訳出しておく。

《シルバーバーチの霊訓を読んでいる人でも、その奥の深い意味まで理解している人は案外少ないものだ。それほどシルバーバーチの教えには含畜がある。

私に言わせれば、むしろ科学者がシルバーバーチを読めば──そしてその奥に秘められた意味を理解すれば、いま科学者を悩ませている難問への解答を見出すに違いない。

今科学界が到達した宇宙観によれば、どうやらわれわれが認識している世界が宇宙の全てではないらしいこと──今こうして生活している世界と共存の形で、無数の世界が存在しているらしいこと──それらの中にはこの地球と同じ世界もあれば、まったく違う世界もあるらしい、ということである。

最新の量子論からいっても、そうした別世界(オールタナティブ)は地上界から絶縁した世界ではなく、この物質の世界と接触し合い、互いの原子が押し合いへし合いをしていても、少しもおかしくはないのだ。

その見えざるオールタナティブにも、われわれ地上人類と同じ精神構造と身体構造をしている存在が生活している──基本的にはその意識的生活は同じであることも、十分に有り得るのだ。

結局のところ生命とは、たぶん化学的結合をベースとして、宇宙エネルギーが組織的に形体を具えたもの、その定義に辿り着く。この定義は科学者なら誰しも納得がいく。問題は、目に見えざる世界が存在する、その有りようがしっくりと認識できない点にあるといえる。

そこでシルバーバーチに登場願うことになる。シルバーバーチは平面的な〝場〟を意味するプレイン planeという用語を用いずに〝状態〟を意味するステイツ(state)を用いている。シルバーバーチは言う──

「すべてが混ざり合った状態にあるのです。無線電信の波動が宇宙に充満しているのと同じ状態です。いろいろな波長があり、いろいろなバイブレーションがあります。
が、それらが同時に同じ場に共存できるのです。境界というものはありません。波動が異なるだけです。反応する意識の側面が違うのです。」

このことから考えると、地上生活というのは、脳髄という物質を通して波動する精神をコントロールしている、ある一定レベルの意識での生活の場ということになる。つまり五感でキャッチしたものが、脳と生命の糸(玉の緒)を通して精神ないしは魂へと伝えられて、それぞれの反応を生じる、ということである。

このことは、さらに、人の為に役立つ心掛けと中庸の生活こそが意識のレベルを高め、精神の活動の場を広げることになる、という考えを生む。

結局〝死〟というのは、肉体から離れた魂がその意識レベルに相当したバイブレーションのオールタナティブへ移動するだけのことということになる。死後の環境に違和感を感じないというのは当然のことなのである。

その後の進化についてもシルバーバーチは簡明にこう述べる──

「魂が成長すれば、波動のより高い状態に適応できるようになり、自動的により高い界層で生活することになります」

その界層のもつ電磁波の作用でそうなるのであろう。となると当然、乱れた生活をしている人間は、その乱れた波動に似合った世界へと引きつけられていくことになる。かくして、聖書の言葉どおり、〝麦ともみがらが選りわけられ〟〝多くの住処が〟生じるわけである。

英国電子音現象研究センターの所長ギルバート・ボナー氏は、かなり広範囲の波動の他界からのメッセージをキャッチすることに成功している。

科学者による共同研究がさらに進めば、オーディオとビジュアルの双方による他界からの通信が確立されても不思議ではない。いま生身の霊媒を通して行なわれていることが、そうやって器械によってなされるようになるのが、これからの科学者の目指すべき方向であることは間違いない》

もっとも、これはいかにも科学者らしい発想で、あのエジソンも考えたことがあるらしいのであるが、本文の四章でシルバーバーチが断言しているように、器械が霊媒の代用となることは有り得ないらしい。愛に根ざした人間的情緒は器械では伝えられないということであろう。

といって、シルバーバーチも、その方面での研究開発を無駄と決めつけているわけではなかろう。私も、かなりの程度まで可能ではないかと想像している。しかし所詮、手書きの手紙とワープロの手紙との違いにも似た、何か人間味の欠けたものとなるであろうことは想像に難くない。
平成六年三月  近藤千雄