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青石古墳 公智神社 御旅所 丸山城址 銭塚地蔵 戦没者慰霊碑

■青石古墳の発見は、1965年2月に「石の穴」があるという住民の通報が山口村誌編纂委員会メンバーに知らされたことに始まった。同編纂委員会は鑑定を武藤誠関西学院大学教授に依頼した。翌年8月の同教授の現地訪問により、古墳時代後期の横穴式石室古墳であることが確認された。
 発掘調査は、1967年3月に2週間をかけて、武藤教授と関西学院大学文学部考古学研究会メンバーを中心に実施された。(「山口村誌」)
■筆者は、2006年2月、青石古墳の現地を訪問した。以下はそのレポートである。
国道176号線から落合橋を渡る。東に頂上に青いタンクのある小山が見える。このタンクのすぐ南に古墳がある。 なだらかな坂道の左手の廃業したゴルフ練習場を過ぎ、更に登りつめると正面に神戸セミナーハウスの看板がある 坂道突当りの右手には近畿自然歩道の道標があり、右手の鎌倉峡回り道コースを進む
正面突当りの平田配水池の門扉の左端に鎌倉峡回り道の道標があり、その脇に辛うじて通れそうな地道がある 左右をうっそうとした熊笹が覆う小道を、少し不安になりながら数分ほど歩く 青石古墳の案内とおぼしき、白い看板が目に入り、ようやく辿りついたことを知らされる
封土の一部が流失し石室、天上石が露出した古墳本体 南側に開口した石室内部(奥行7.1m、幅1.36〜1.5m、高さ1.38〜1.6mの広さの構造) 山口村誌掲載の出土品の須恵器の杯身@、ツマミ付き蓋杯A、鉄釘B

■古墳前の「西宮市指定史跡・青石古墳」の案内標識には、西宮市教育委員会による以下の記述がある。
「本墳は、標高約250mに立地する横穴式石室を納めた円墳です。その直径は約13mです。石室は花崗岩を用いて築かれ、その長さは約7.16mを測ります。石室内部の発掘調査では、須恵器、土師器、鉄釘等が検出され、また床面からは特異な列石が確認されています。出土した遺物や石室の構造から、古墳が作られたのは7世紀前半と考えられます。」
■青石古墳の地籍は、兵庫県西宮市山口町下山口字青石1643番地である。その立地は、有馬川の東側の六甲山地の丘陵の南斜面の標高246mの位置にあり、墳丘の北側の林道をへだててすぐの所は神戸市北区道場町となる。(「山口村誌」)
■青石古墳の発見により、7世紀にまで遡る山口の歴史は、伝承から史実になった。