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以下の記述は、主として「山口村誌」から引用した
所在
宗派
本尊
創立
開基
名来風呂垣内
浄土真宗大谷派(東本願寺末寺)
阿弥陀如来
不詳
慈円(中興)
・蓮如上人が名塩で布教された時、この地方の人びとが上人に帰依し、同志の信者たちが結んで草庵を建てた。
・その後、雲州松江の藩士尼子勝明という人が、傷の治療のため有馬温泉に治療中、真宗に帰依し、出家して名を慈円と改め、この草庵に籠り、自分の旧名をとって勝明庵と称していた。
・延宝5年(1678)寺号、本尊を受け正明寺と改めた。
・阪神大震災で倒壊したが2005年に檀家の手で再建された。

所在
宗派
本尊
創立
開基
名来畔垣内
浄土真宗大谷派(東本願寺末寺)
阿弥陀如来
永禄12年(1570)
善空(中興)
・永禄年間、衆の帰向を得て草庵を結び本宗の総道場とす(「名来村地誌取調書」)
・草下部蒲公英城主松原貞利の母知角院は特に本尊に帰依されて度々当道場へ参詣。葬儀も当道場で行なわれた(「丹北城軍記写」)
・天正7年(1580)松原貞利と織田信長勢が合戦の折、松原氏が当寺に陣を構えたので焼討され、再建する者なく衰退していたが天和2年(1683)同村の勘兵衛という者が出家して名を善空と改めて同寺を復興、この時本願寺法主より本尊仏並びに寺号を賜った(「有馬郡誌・上」)

所在
宗派
本尊
創立
開基
下山口字吉田(公智神社北隣り)
浄土宗(知恩院末寺)
阿弥陀如来
天文10年(1542)
南針上人
・南針上人により天文10年に創建される。
・天保9年(1839)に本堂庫裏ともに全焼し、同12年に再建された。
・昭和49年(1974)に老朽化のため本堂庫裏ともに全面改装された。
・有馬極楽寺末寺であったが明治26年(1894)に知恩院末寺となった。
・明治6年(1873)に新制による山口小学校が発足した折、学校施設がなく、光明寺本堂に名来と下山口の児童を集めて教育した。
・本堂南側の境内には9基の西国巡礼供養塔がある。

所在
宗派
本尊
創立
開基

上山口字寺垣地
浄土真宗大谷派(東本願寺末寺)
阿弥陀如来(重要文化財)
不詳
1686年以前は不詳(休真を中興一代とする)
・貞享3年(1686)に火災で焼失しために創立年も、開基も不詳
・寺号、往古は山口村上道場と称す
・慶長19年(1615)教如上人御染筆、寺号御下附。これより明徳寺と公称す(「有馬郡誌・上」)
・江戸期には真宗山口地区の総道場であった。
・本尊の阿弥陀如来立像は快慶の作と伝えられ、元国宝、現在は国指定重要文化財。この像は元、上山口村の永蓮寺にあったが、寺が兵火で焼失して、当寺に移転・安置されたと伝えられている。
・本堂南側の境内には夜泣き地蔵が祀られている。
所在
宗派
本尊
創立
開基
中野東縄手
浄土真宗大谷派(東本願寺末寺)
阿弥陀如来
不詳
不詳
・蓮如上人が真宗布教のため開かれたといわれているが確証はない。寛永13年(1637)、中興の秀益より継承し、現在に至る(「受西寺寺記」)
・境内には珍しい石碑がある。自然石に「未徹居士自外偈 是非都尽 心無一事 万法自然 善悪不二 元禄二年中春」と刻まれている。

所在
宗派
本尊
創立
開基
船坂西垣内
浄土真宗大谷派(東本願寺末寺)
阿弥陀如来
寛正2年(1461)
釈善想
・当寺ははじめ浄土宗であったが、蓮如上人が来錫の折、上人に帰依する者が多く、浄土真宗になったと伝えられている(「善照寺寺記」)。
・本尊の阿弥陀如来立像(黄金仏)は、その足が台座から少し浮いていると信じられていることから、別名「浮き足の如来さん」として親しまれている。


所在
宗派
本尊
創立
開基
中興
名来コウシウ(現・二郎道左側台地)
日蓮宗(本圀寺末寺)
題目宝塔釈迦多宝二仏像
正安2年(1300)
不詳
日文聖人、宝暦9年(1760)中興
・明治19年、名来村総代から檀家四戸で維持困難を理由に兵庫県知事宛に移寺転地願書を提出
・明治21年、氷上郡野坂村西山に移転
・現在は、旧所在地の一角(ネオダイキョー自動車学院の北隅と二郎道の間)に「吉祥山番守寺旧墓地所縁之霊供養者也」の碑が建ち十数基の古い墓石が集められている(上記画像)。
・墓石の年号は安永、天明、寛政、文政、天保とあり、いずれも江戸時代の建立と思われる。


所在
宗派
本尊
創立
開基
上山口(通称・永蓮寺山)
不詳
不詳
不詳
不詳
・「有馬郡誌」の永蓮寺山の項に「往古永蓮寺の在りし所にして、今猶ほ老いたる松樹数本あり。土地高燥、上山口の里を眼下に瞰て風光佳なり」とある。
・現在、老松はなくヤマモモの大木が残っている。
・また明徳寺の快慶作といわれる本尊が、かって永蓮寺にあり、寺が兵火で焼失した際に明徳寺に安置されたと記されている。
・永蓮寺山の所在は、上山口墓地南東の岡場に向う道路際に、地元で昔からエレンジ山と呼ばれている小山があり、資料はないがこの小山と推定される。

所在
宗派
院号
本尊
創立
開基
下山口吉田他(寺院跡は公智神社社務所南)
真言宗(知山派知積院末寺)
神明山八雲院
不詳
天授6年(1380)
一皇法印
・明治初年の神仏分離令により、それまで宮寺と称して公智神社と法楽寺を兼務していた法楽寺住職の源恵が、還俗して公地権之輔と改名し、法楽寺を法弟大秀に譲った。
・いつ頃は廃寺となったかは不明
・公智神社裏山に歴代住職の墓碑が残っている。



所在
宗派
祭神
設立
下山口字上兄弟治
天理教
十柱の神
大正12年(1924)
・初代岡牧太郎が、和田直吉の手引きによって入信し、大正12年教会を設立する。
・現在の会長は4代目を数える。