我が家の“漫画今昔物語”

第2部 1980年代前半の我が家(作者35〜40才)
■前年、我が家の1人娘は3才に。4才年上の兄は、よく女の子に間違えられる愛らしさ。妹は、赤ん坊の頃からいかにもゴン太風の顔つきで父親の密かな不安のタネ。
そんな娘の「七五三」。「孫にも衣装」を地で行く晴れ姿。
この年の年賀状は、晴れ姿の模写による娘の「鮮烈、デビュー」が。
【この年の著述】
エッセイ◆ジュリーのサバイバル作戦
■子供たちも手がかからなくなった。ユトリの出てきた妻は近所の仲間とテニスを始める。中学時代の部活は「軟式テニス」だったという夫。公式の試合で勝った記憶はないという程度のものだったらしい。とはいえ、昔とった杵柄。妻と組んだ飛び入りのダブルス。近所のオバサン相手に結構通用。
【この年の著述】

エッセイウルフの型とノーパン喫茶
【この年の著述】
エッセイ ◆広岡西武とイモキントリオ
■時として親は、子供の喜怒哀楽に付き合ってしまうものだ。この頃子供たちはTVアニメ『日本昔話』に夢中だった。「ぼ〜やー良い子だネンネしな〜」のテーマソングは父親にとっても懐かしいメロディーだ。当時、良き父は柄にもなくせっせと絵本版『日本昔話』を買ってきては子供たちに読み聞かせていた。「鶴の恩返し」なんぞは、読みながら感極まって思わずみんなでもらい泣きしてしまった。アノ純真だった子供たちはイッタイどこに行ってしまったのだろう。
■この年10年間住なれた長岡京市のマンションから、現在の西宮市の一戸建住宅に転居。
【この年の著述】
エッセイ◆冬の旅人 春の宿 ◆独断的「胸キュン考」 ◆たかが阪神・・・されど阪神
女性讃歌
◆お話「王女様」

■前年の38才から遂にゴルフを開始。生来の運動 オンチは隠すべくもなく、50を超えた今尚120前後のスコアを徘徊している。
【この年の著述】
エッセイ ◆「キャッツ」の足音 ◆阪神タイガースのQC活動 ◆15才・・・大人の入口で
女性讃歌 ◆パート協議会 新たな歴史の始まり
■この年息子は隣接市・三田の私立中学を受験することに。何を思ったのかかつてないガンバリで何とか入学。我が家に訪れた最初の受験戦争だった。
■この年6月、奇跡が起こった。110台から120台をさ迷うブービー狙いのゴルファーがなんとコンペで90ものスコを出してしまったノダ。OUT51、IN39。バーディー2つにパー5つという輝かしい戦績である。ハンディー36だったからネット54のダントツの優勝だった。しかしこのスコアが奇跡という他なかったことはその後の小生のゴルフ人生が証明している。2度と達成できなかったスコアであったことは言うまでもない。
【この年の著述】
エッセイ◆変〜身!サラリーマン ◆笑えないジョーク ◆オジサンとギャル
寄稿文◆遅れてきた青年達の不安 ◆働くお母ちゃん運動
女性讃歌 ◆チョッピリ「旦那」の感覚で

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