我が家の“漫画今昔物語”

第3部 1980年代後半の我が家(作者41〜45才)
■父は40の手習いのゴルフに夢中。息子は無事入学できた私立中学でテニスに励み、母親の血を引き娘はとどまるところを知らないおしゃべり娘に。母は・・・・。特になにもない普通のオバサンをそれなりに。こうして家族各々の生活が始まる。
労組の上部組織「チェーン労協」派遣メンバーとしてスイスで開催された労働組織の国際会議に出席。行きの便は同じ組織のU氏と二人旅。途中トランジットで立ち寄ったパリ・ドゴール空港では港内ポリボックスに連行されるというハプニング。折りからの赤軍派による爆弾テロへの過剰な警戒の巻添え。
【この年の著作】

エッセイ◆すきやねん大阪 ◆親子の春闘 ◆人生80年時代のバランスシート ◆「国際化」が向こうからやってきた
■この年の正月、男の厄年を無事通過
■「チェーン労協・関西地区会議」による「香港視察」。
■9月、大阪中立労協副議長の肩書き故の公職に。
『委嘱状---あなたに大阪府消費者保護審議会委員を委嘱します 』との府知事名の発令。タマゲタ。
【この年の著作】
エッセイ ◆死にいたる病 ◆考察「吉野家 の牛丼」
■娘は小学校の金管バンドクラブに。トランペットの練習音が周辺を騒音地獄に。
■大阪中立労協による「韓国・タイ視察」。両国での松下電器の工場見学やら韓国経済を支える財閥経営の状況が印象的。
■母も含め5人で1泊2日の高知・家族旅行。父親以外は全員初めての飛行機搭乗。長年の労組役員生活の慰労と家族への感謝。
■9月、18年6ヶ月にわたる労組役員の生活に別れを告げ職場復帰。すでに45才である。『昆陽店店長付』の辞令。いきなり直接実務でなくリハビリ期間をという会社の配慮に感謝。
■20年以上の喫煙。この年の2度目の挑戦で遂
禁煙に成功。
【この年の著作】

エッセイ ◆オジサンゴルフの醍醐味 ◆孤独な若者 たちの選択肢
女性讃歌
◆相撲取りスッポンポンで風邪ひかん
■息子の身長は、この頃すでに父親をしのぐ。娘が母親をしのぐ日も遠くない。子供たちがひとつずつ親達を超えるたびに親達の老いがやってくる。
■8月、11ヶ月のリハビリの末、福知山店店長の辞令。社内的には出張扱いの遠隔店舗。単身赴任を覚悟して本社へ。人事部との調整結果は意外にも「通勤可能」。以降3年半にわたる片道2時間の痛勤サラリーマンに。結果的にこれが幸い。長すぎる通勤時間が、通信教育活用の「お勉強サラリーマン」に変身させるとは。
■この頃、堀田かつひこ描くところの漫画『オバタリアン』がヒット。母親の日頃の言動は、『我が家のオバタリアン大賞にふさわしい』とは父親と子供たちの一致した見解。
■人事部より、法令上一定の従業員数に応じて資格者配置が義務づけられている「衛生管理者」の資格取得の要請。各マネジャーに受験を求める。「隗より始めよ」の故事に習いトップバッターで受験。無事「衛生管理者」に。ヨカッタ〜。

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