大陸横断超特急 ★★☆
(Silver Streak)

1976 US
監督:アーサー・ヒラー
出演:ジーン・ワイルダー、ジル・クレイバーグ、リチャード・プライヤー、パトリック・マクグーハン



<一口プロット解説>
ジーン・ワイルダーは、シカゴ行きの大陸横断列車に乗込みビューティフルな秘書ジル・クレイバーグに出会う。ところがその夜彼は、クレイバーグのボスである美術の教授が殺されて列車の屋根から宙ずりになるのを目撃する。

<雷小僧のコメント>
この映画が封切られたのは丁度パニック映画が全盛の70年代の中頃であり、最後のシカゴ中央駅に暴走した機関車が突っ込むシーンがハイライトとして予告編等で写し出されていたこともあってか、最初は私目はてっきりパニック映画だと思っていました。けれども勿論、この映画はパニック映画などではなく、いわばコメディアクションミステリー(パニック的要素もないわけではないかもしれませんが、この映画の登場人物達はその性質上皆パニックするような人々ではありません)とでも言うような領域横断的な映画なのです。そういうことをすると大概ヌエのような焦点のボケた映画になりがちなのですが、この「大陸横断超特急」はそうはなっていないところが素晴らしいですね。そもそも死体がゴロゴロ出てくる(これはちょっとオーバーな言い方ですが)映画が同時にコメディであるというのはなかなか難しいことで、この両方の要素を両立させるには非常に洗練されたバランス感覚が必要であるように思われます。こういうバランス感覚を持っていた人にはたとえばあの「シャレード」(1963)のスタンリー・ドーネンが挙げられるでしょう。彼の「シャレード」にしろ「アラベスク」(1966)にしろ考えて見れば非常に残虐なシーンがかなり含まれているのですが(たとえば前者では、ジョージ・ケネディがバスタブで殺されているシーン、ジェームズ・コバーンがビニールの袋を被せられて窒息死させられているシーンであり、後者では毒薬を目に注されてある老教授が殺害される冒頭のシーンや或は悪漢のボスが放った鷹が部下の頬を食いちぎるシーン等です)、それがそれぞれの映画の非常に洗練されたコメディ的要素を全く破壊していない点が実に不思議と言えば不思議なのですね。こういう傾向はたとえばヒチコックの一部の映画にも確かにあるのですが(たとえば「裏窓」(1954)や「北北西に進路を取れ」(1959)など)、ドーネンほど洗練されたスタイルでこの大袈裟に言えばブルジョワ的な傾向をうまく表現していた人はいないように思われます。そういうこともあってか、ドーネンは生温いという評価が逆にあるのかもしれませんが、私目は生温るさというものがもし感じられるとすればそれはそれが彼のスタイルなのであってそれによって彼の映画の価値が下落するわけではないと思います。
さて70年代の後半にも、このようにドーネンが持っていたようなバランス感覚が必須になってくる殺人ミステリーコメディとでも言えるようなジャンルに属する作品がいくつか登場してきます。1つがこの「大陸横断超特急」であり、他にも「名探偵登場」(1976)であるとか「料理長殿、御用心」(1978)などを思い出すことが出来ます。これらの映画は、何というかスタイリスティック(ちょっと違うかな)とでも言うべき瀟洒な感覚があって今でもよく見るのですが、実にうまく異なるカテゴリーに属する素材がブレンドされていると言えるように思います。またこの「大陸横断超特急」はそのタイトル通り、アメリカを横断する長距離列車の中で発生する殺人事件を扱うのですが、「オリエント急行殺人事件」(1974)を見ても分かるように(ただ映画はいまいちだったかな?)列車内で発生する殺人ミステリーというのは何か途轍もなく魅力があるように思えます(賭けてもいいのですが飛行機の中で発生する殺人事件を解決する名探偵などという映画はまず出ないでしょう。何せ動き回る空間がほとんどありませんので。あ!つまらないことを言ってしまいました)。船などでもそうなのでしょうが、一種の異化効果というのかある場所から別の場所へと移動する(それもより遠い場所へ、出来れば他の国へ、なお一層他の文化圏に属する国へであるとベターでしょう)乗り物の中というのは、一種のマージナルな領域になるわけであり、そういう中であると、たとえば食事をするというような普段一般我々が行っているごく普通の行為でも、別の不思議な意味合いが醸し出されて全然異なる体験であるように思われたりするわけです。そういう状況で発生する殺人事件というのは、妙に想像力がかき立てられると言ってもよいのではないかと思います。
さて前段で書いたのは、この映画の魅力の半分、いや3分の1であり、前にも述べたようにこの「大陸横断超特急」は殺人ミステリーという要素とコメディという要素がうまくブレンドされた映画であり、後者に関してもジーン・ワイルダーとリチャード・プライヤーというコメディタレントを通して実にそれがうまく伝わってくるように思われます。また悪漢に扮するパトリック・マクグーハンが悪漢にもかかわらず妙にユーモラスなのですね。妙にぶっきらぼうにしゃべる人で、独特なタイミングを持つ人なのですが、それがこの映画の彼の役所に見事にフィットしています。それから忘れてならないのは、この映画には勿論アクションという要素もあるわけであり、そのハイライトが暴走した機関車がシカゴ中央駅に突っ込んでいく迫力ある最後のシーンになるわけです。アクション映画にはアクションヒーローが付き物なのですが、奇妙なことにこの映画のアクションヒーローは、コメディの主役でもあるジーン・ワイルダーということになるわけであり、それ故彼は一見して全く無能な道化師のように振る舞うのにも係わらず最後には何故かトラブルが解決されてしまうというアンチヒーロー的ヒーローになっているのがこれまた非常にというか二重の意味で滑稽なのですね。こういうところが、異なるカテゴリーに属する素材がうまくブレンドされていると少なくとも私目に思わせる要因であるように思います。
また更にはジーン・ワイルダー+ジル・クレイバーグのロマンスという側面もあります。クレイバーグはこの年代に属する女優さんの中では最もモダンな感覚のある人であり、「結婚しない女」(1978)や「結婚ゲーム」(1979)、更には日本未公開であるように思いますが私目の好きな「First Monday in October」(1981)を見ているとそれがよく分かるように思われます。そういうクレイバーグ(まだこの映画に出演した当時はビッグスターではなかったのですが)と、妙に抜けたジーン・ワイルダーという取り合わせ(意図的なミスマッチと言ってもよいのではないでしょうか)も非常に滑稽というか面白いというか、この映画の領域横断的な雰囲気によくマッチしているように思えます。それから是非とも付け加えておきたいのですが、この映画には非常にビューティフルな一シーンがあります。それは、ジーン・ワイルダーとリチャード・プライヤーが、朝のカンサスシティ付近をドライブしているシーン(画像中参照)で、ヘンリー・マンシーニのムーディな音楽とともに、徹夜で運転して疲れたワイルダー達の乗る車がサイロのような奇妙な建物の前を通過していく光景には、通常はこの手の映画から期待出来ないような美しさがあります。ということで最後に総括しますと、この映画は「大陸横断超特急」というよりも「領域横断超特急」と言った方がよいような異ジャンル間のソフィスティケートされたブレンドがあります。

2000/08/26 by 雷小僧
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