アラベスク ★★☆
(Arabesque)

1966 US
監督:スタンリー・ドーネン
出演:グレゴリー・ペック、ソフィア・ローレン、アラン・バデル、キーロン・ムーア

左:ソフィア・ローレン、右:グレゴリー・ペック

この作品も、かつて1970年代頃にはしばしばテレビで放映されていたけれども、最近あまり見かけなくなった作品の1つであるように思われます。勿論1950年代や1960年代の作品にはそのようなタイトルが多いのも確かですが、昔何回もテレビで放映されていたということはそれなりにかつては人気があった作品であったはずであり、それを考えるとやはり映画に対するテイストは、殊に1980年以後急激に変化してきたのではないかということが分かるのではないでしょうか。「アラベスク」は「雨に唄えば」(1952)のスタンリー・ドーネンが監督していますが、「アラベスク」の前作は現在でも多くのファンを持つかの「シャレード」(1963)であり、実を言えば「シャレード」と「アラベスク」の間にはかなり類似した傾向を見出だすことができます。どちらもミステリーサスペンス的なストーリーをベースとして、それをコメディで味付けしているという特徴があり、ある意味でヒチコック的であるとも言えるかもしれません。しかしながら、ドーネンがヒチコックと違うのは、後者がコメディ要素を介在させるタイミングを慎重に計算していたように思われるのに対して、ドーネンの場合にはミステリーサスペンス要素とコメディ要素を厳密な計算なくほとんど交互に或いは同時に混合させ、前者の要素が後者によって希釈されているかのような印象すら与えることです。これ故にドーネンの作品は中途半端であいまいであるように見なすオーディエンスも少なからずいるように思われ、「シャレード」のようなポピュラーな作品であってもヒチコックの作品をなまくらにしたような印象を受ける場合もあるかもしれません。確かにヒチコックの作品の中でも「北北西に進路を取れ」(1959)などは、ドーネンの作品に見られるような傾向が全くないとは言い切れませんが、しかしながら一般的に彼の作品にはユーモア成分を含んだ要素が見られることが多いとはいえ、ミステリーサスペンス的要素とコメディ要素を、後者が前者を希釈するほどまでに無闇矢鱈に混合することはほとんどありません。ところがドーネンは、ミステリーサスペンス的にシリアス且つ時には残酷なシーンとコメディ的に軽いシーンを併置的に混合させる傾向があります。すなわち彼の作品には不思議なところがあって、ミステリーサスペンス的要素がコメディ要素によって希釈されているとは言っても、部分的に取り出してみればコメディでは希釈しきれそうにもない残酷なシーンがコメディシーンを含めたその他のシーンの合間にかなり無作為に挿入されています。たとえば、「シャレード」で言えば殺された男が列車から遺棄される冒頭のシーン、ジョージ・ケネディ、ジェームズ・コバーン、ネッド・グラス演ずる悪漢達が次々と殺されるシーンは、風呂の中に沈められたり、ビニールを顔に被せて窒息させられたり、血まみれになってエレベーターの中で殺されたりと、およそその他のコミックなシーンとはマッチしそうにもないようなシーンが盛り込まれています。このような混交は、それがそのまま提示されるとオーディエンスに対してかなり両義的で奇妙な印象を与えるはずであり、場合によっては中途半端な印象すら与えるかもしれません。しかし「シャレード」の場合は、そのような印象を与えることに対する防止作用が機能しているのですね。それは、主演がケーリー・グラントであることに起因します。すなわち、ケーリー・グラントという俳優さんは極めてアクティブな浸透力をそなえた俳優さんであり、そのような残酷なシーンまで彼のソフィスティケートされたオーラで包まれ残虐さが中性化されているようなところがあり、従ってそのようなシーンが存在しながらも一般的には「シャレード」が残酷な映画であるようには見なされてはいないわけです。「アラベスク」にも同じような傾向があります。この作品の殊に前半は、残酷なシーンとコメディシーンが交互に提示されます。被害者の目に毒薬をさして殺してしまう冒頭のシーンは相当ショッキングバリューが高いシーンですが、すぐに学校の授業シーンに切り替わり、そこでは授業中に寝ている生徒をグレゴリー・ペック演ずる主人公が「Sex!」と叫んで起こすコミックパフォーマンスが繰り広げられます(ペックのイメージに合わないので余計に可笑しいと言えるかもしれません)。また、アラン・バデル演ずるいかにもというような唇の薄い悪漢が鷹を放ってヘマをした部下の頬の肉を食いちぎらせるシーンや、ある悪漢が別の悪漢を水中に顔を沈めて殺すシーン(しかも残虐度が増すようにする為かわざわざ水中から撮影しています)の後に、ヤクを注射されてラリったペックが高速道路上で闘牛士の真似をしたり自転車にのってよろけたりするコミックシーンに切り替わります(これも従来のペックには全く似合いません)。かくして、シリアスシーンとコメディシーンの併置的な混合傾向をこの作品にも見出すことができますが、しかしこの作品は「シャレード」よりも遥かに異様なというかスムーズではない印象を与えます。というのも、残虐なシーンとコメディシーンが「シャレード」の場合のようにはまがりなりにも統一化されずそれぞれが全く独立して存在しているように見え、どちらにも落ち着かないような雰囲気が濃厚に存在するからです。これは1つには、「シャレード」のケーリー・グラントに比べるとグレゴリー・ペックは遥かにパッシブな印象が強く、彼の持つオーラがそのような残酷なシーンまでをも覆い尽くして、いわばアクぬきをしてしまうということがないところにあるように思われます。これは必ずしも悪いことではなく、それが故に「シャレード」に比べると「アラベスク」は遥かに先が読み難い作品になっており、その意味で言えば「シャレード」よりも遥かにミステリーサスペンス性が濃厚に感ぜられます。「シャレード」は大好きな作品ですが、しかしながらミステリーサスペンスという観点から言えば個人的にはあまりにも見え透いているように思われ、むしろロマンティックコメディのバリエーションであると言った方がこの作品に関しては正解かもしれません。勿論見え透いているとは、詳細なプロットまでが見え透いているという意味ではなく、誰が真の悪漢であろうが、或いは名前をコロコロ変えるケーリー・グラント演ずる主人公が実際はどのような人物であろうが、全体的な進行の方向は最初から明瞭であるという意味においてです。つまりケーリー・グラントやオードリー・ヘップバーンが悪漢であったりどこかで殺されたりすることは絶対に考えられず、最後は二人が結ばれてハッピーエンドで終わるであろうことは最初から明瞭であるということです。それに対して「アラベスク」にはそれとは異なるところがあり、たとえばソフィア・ローレンが悪漢の仲間ではないということは、かなり後にならなければ誰にも予想が付かないはずです。要するに、「アラベスク」はミステリーサスペンス要素を「シャレード」よりもより引立たせようとした作品であり、この作品をロマンチックコメディとして捉えるのはラストシーンだけを考慮すればそのように言えたとしても全体としてはかなり難しいところでしょう。であるとしても、ドーネンらしくコメディ要素も作品全体に散りばめられており、それが故に気分が一定しないような中途半端な印象すら与えるかもしれません。まあでもそれがドーネンの特徴の1つでもあり面白さでもあります。時々、この題材をヒチコックが扱ったならばどうするだろうかとふと考えるのですが、1つだけ確実に言えることは彼であれば確かにどこかにユーモアを加えることはあっても、このドーネンの作品のように残虐なシーンとコメディシーンを相前後して交互に配置するような構成には絶対にしなかったであろうことです。そこがやはりヒチコックとドーネンの決定的な差異であり、このような下手をすると両義的でシャープさがなくヌエのようにも捉えられ兼ねない展開を、独自のバランス感覚で見せてしまうのがドーネンであると言えばさすがに言い過ぎになるでしょうか。


2007/08/15 by Hiroshi Iruma
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