九月になれば ★★★
(Come September)

1961 US
監督:ロバート・マリガン
出演:ロック・ハドソン、ジーナ・ロロブリジーダサンドラ・ディー、ボビー・ダーリン



<一口プロット解説>
イタリアにある別荘にいつもの年には9月にしか来ないアメリカ人の御主人様(ロック・ハドソン)が突然7月に現れたので、勝手に別荘をホテルに変えて小遣いを稼いでいた執事(ウォルター・スレザク)は慌てて胡麻化そうとするが・・・。
<入間洋のコメント>
 昔、子供の頃テレビでよくこのロマンティックコメディが放映されていたことを今でも記憶しているが、実にのどかで楽しい作品であり、ビデオ及びDVDにより現在でも飽きずに何度も何度も見ている作品である。勿論、この手の作品に深みなどあろうはずはないが、たとえば会社で今日はボスに怒られてブルーであるなどというような時、家に帰ってから見ると効果てきめんで気分が晴れ晴れするというようなタイプの映画である。第一やけ酒を飲むよりは健康的であろう。1950年代後半から1960年代前半にかけ、牧歌的という表現がピタリとマッチするのどかなロマンティックコメディが数多く製作されているが、個人的にはこの作品と「男性の好きなスポーツ」(1964)の2作が特に気に入っている。「九月になれば」はアメリカ映画ではあるが、舞台がイタリアに置かれ何よりも陽光の明るさが素晴らしい。考えて見ると、1950年代及び1960年代にはアメリカ映画であってもイタリアを舞台にした作品が少なからずあり、少し考えただけでも「愛の泉」(1954)、「旅情」(1955)、「ナポリ湾」(1960)、「想い出よ、今晩は!」(1969)、「サンタ・ビットリアの秘密」(1969)等イタリアの陽光がうまく活かされた陽気で楽しい映画が数多く製作されている。「九月になれば」でロック・ハドソンのお相手をしているジーナ・ロロブリジーダは、「想い出よ、今晩は!」にも出演しておりどちらの作品でも彼女の陽気なキャラクターが効果的に活かされ水を得た魚のようである。英語圏の作品でイタリアが舞台ではない映画に出演した時の彼女はやや精細を欠いていることが多く、やはり彼女はイタリアを背景としてこそ映える人である。たとえば、ショーン・コネリーと共演した「わらの女」(1964)では、作品自体は必ずしも悪くはないとしても、色彩に乏しいイギリスの貧相な風景の下で彼女は完全に場違いな印象が強かった。

 ところで、「ナポリ湾」のレビューで、クラーク・ゲイブル演ずる主人公が典型的にビジネスライクで手続き指向的な人物として描かれているということを述べたが、この「九月になれば」のロック・ハドソン演ずる主人公もそれと似たような人物として扱われている。「九月になれば」は、いかにもアメリカ的なロック・ハドソンと、ものの考え方がルーズなイタリア人の間に発生する考え方や行動のギャップで笑いを誘っている側面があり、これは「ナポリ湾」でのクラーク・ゲイブル演ずる主人公とイタリアの関係とも似ている。実を言えばクラーク・ゲイブルもロック・ハドソンもソフィスティケートされたカリスマ的チャームをウリにしていた俳優であり、必ずしも四角四面のビジネスライクな印象を与えるタイプではないが、イタリアが舞台であるとその彼らも規律を守り保守的とも言えるキャラクターとして扱われているところが面白い。タイトルにもあるように、そもそもロック・ハドソンは、いつもは9月にしかやって来ないから今年も9月以外には来ないはずだと誰にも思われているところなどは、日本人程ではなかったとしてもアメリカ人が時間に取り憑かれた人種であることをあてこする皮肉のようにも聞こえる。これに対して、「ものの考え方がルーズなイタリア人」の一人は勿論ジーナ・ロロブリジーダが演じているが、それよりも更に傑作なのがウォルター・スレザク演ずる執事である。おなかがプクッと突き出ていかにもフットワークが悪そうなこのキャラクターが登場するシーンはそれだけでも傑作であるが、一見ルーズに見えながらもご主人様の目が届かない所ではちゃっかりと金儲けにいそしんでいるところが更に可笑しい。

 またこの映画には、サンドラ・ディーとボビー・ダーリンも出演しており、この手のロマンティックコメディとしてはやや人物関係が錯綜しているきらいがあるが、それもこの作品の1つの面白さである。というのも、恋人同士(協調関係)であったり、ライバル(対立関係)であったり、主従関係であったりというような多くの人物関係がそれなりの色付けを持って巧妙に配置されており、それら全体がロマンティックコメディという1つのハーモニーを奏でているからである。人物関係の組み合わせとしては、ロック・ハドソンとジーナ・ロロブリジーダ(恋人関係)、サンドラ・ディーとボビー・ダーリン(恋人関係)、ロック・ハドソンとボビー・ダーリン(ライバル関係)、ジーナ・ロロブリジーダとサンドラ・ディー(恋愛に関する先生と生徒的な関係)、ロック・ハドソンとサンドラ・ディー(父娘的な関係)、ロック・ハドソンとウォルター・スレザク(主従関係)、ボビー・ダーリンとジーナ・ロロブリジーダ(ダーリンはロロブリジーダに憧れを持っている)、ジーナ・ロロブリジーダとウォルター・スレザク(ロック・ハドソンに対する共謀関係)、更にはウォルター・スレザクとブレンダ・デ・バンジー(恋人関係)などというものまで飛び出す。このように考えてみると、同時期に製作されたロック・ハドソンとドリス・デイのロマンティックコメディが、基本的には主演2人に加えてトニー・ランダールが加わるだけという単純な人物配置であるのに比較すると、「九月になれば」の場合には人物配置がかなり複雑であることが分かる。ダブル或いはトリプルロマンティックコメディと言っても良いかもしれない。但し、それが決して不明瞭にはなっていないところがこの映画の良さであり、もしそれが錯綜してオーディエンスを混乱させるようなものであったならば、少なくともロマンティックコメディとしては成立し得なかったはずである。いずれにしても、前章で紹介した「ボーイハント」などとともに1960年代初頭ののどかな雰囲気が全編に渡って浸透している作品であり、昨今の慌しい世の中にあってはオーディエンスに一種のヒーリング効果すら与えるだろう。殊に最近では、コメディと言えば展開の速さがウリであるように考えられているかもしれないが、この頃のコメディはむしろカジュアルでゆったりとしたペースに大きな特徴があった。しかしながら、1960年代初頭のこのような牧歌的なのどかさもやがて発生するキューバ危機という暗雲垂れ込める一大イベントによりかき消されることになるのである。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

2001/03/04 by 雷小僧
(2008/10/16 revised by Hiroshi Iruma)
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