彼女は本当に若くしてデビューした人であり、40年代生まれにも関わらず50年代半ばあたりから既に出演作があります。しかも、必ずしも主演ではないとしても、かなり重要な役によってです。ジェーン・フォンダは、彼女よりもはるかに年上であり、フェイ・ダナウエイですら1つ年上です。アメリカンニューシネマの嚆矢「俺たちに明日はない」(1967)で新星として登場し、現在でも活躍しているフェイ・ダナウエイがデビューした当時、サンドラ・ディーは既に映画界から遠ざかりつつあったことを考えてみれば、いかに女優として彼女が早熟であったかが分かります。確かに現在では10代のスターなど珍しくはないとはいえ、50年代にあってはかなり特殊でした。勿論、シャーリー・テンプルの名前を挙げるまでもなく、50年代までにも子役として女優が主演を張るケースはあったとしても、大人でもなければ子供でもないモラトリアム的で中途半端な年齢の女優が重要な役回りで映画に出演するケースはほとんどなかったはずです。そもそも、それに相応しい題材の映画などほとんど存在しなかったのです。もしかして、彼女こそがそのような需要を創り出したのだとすれば、サンドラ・ディーは極めてエポックメイキングな女優さんであったと考えざるを得ないのではないでしょうかとまで言えば、さすがに言い過ぎでしょうか?いずれにせよ、日本で歌謡曲の歌手が低年齢化したのは、森昌子が登場した70年代前半であったことを考えてみれば、50年代のハリウッドで10代のスターが登場した意義の大きさが分かるのではないでしょうか。ということで、彼女はいわゆる青春映画に数多く出演していましたが、最も有名な作品は、現在の目から見ればストーリー的には古臭い印象を受けざるを得ないながらも、マックス・スタイナーの不滅の音楽が素晴らしい「避暑地の出来事」(1959)になるでしょう。この作品における彼女と同様に、実生活でも18歳くらいで歌手兼俳優のボビー・ダーリンと結婚してしまいました。あまり当てにはなりませんが、「MOOK 21 外国映画 女優」に身長は160cmとあり、もしそれが本当であれば当時の女優さんとしては、それほど際立って小柄であったわけではないとはいえ、全体的に華奢で小柄な印象を受けます。その証拠に、当時よくあった海辺を舞台とした青春映画「Gidget」(1959)に主演したおり、Gidgetのあだ名が奉られていましたが、これは実は「Girl(少女)」+「Midget(こびと)」の合成語でした。きっと、これは今日では差別用語としてチェックされ使えないでしょうね。 |
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1958
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The Reluctant Debutante
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1962
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電話に御用心
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1959
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悲しみは空の彼方に
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1963
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恋愛留学生
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1959
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避暑地の出来事
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1964
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彼女は億万長者
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1960
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黒い肖像
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1965
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おかしな気持ち
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1961
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びっくり大将
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1966
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ダイヤモンド作戦
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1961
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九月になれば
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