男性の好きなスポーツ ★★★
(Man's Favorite Sport?)

1964 US
監督:ハワード・ホークス
出演:ロック・ハドソン、ポーラ・プレンティス、ジョン・マクギヴァー、マリア・パーシー


<一口プロット解説>
釣りのプロフェッショナルとして知られていながら一度も釣りをしたことがない釣具屋の店員(ロック・ハドソン)が、釣りトーナメントに参加しなければならなくなる。
<入間洋のコメント>
 「男性の好きなスポーツ」は小生が愛でて止まない作品であるが、実を言えば一般的にはハワード・ホークスの監督作品の中では最もポピュラーでない方の部類に属し、どこかの劇場でハワード・ホークスを特集したイベントが催されていてもこの作品だけは対象外とされているのが普通である。実際には現代の某オタク有名監督を含めこの映画の隠れファンが世界中に数多くいることは承知しているが、一般的には何故受けないのかいつも疑問に思っている。特にポーラ・プレンティスの神出鬼没のパフォーマンスは当時大スターであったロック・ハドソンを遥かに凌駕し、この作品だけを見ているとプレンティスのコメディエンヌとしての未来は前途洋々に見え、監督のハワード・ホークスですらそのように考えていたようである。彼女は特に声に特徴があり、あまり美人タイプであるとは言えないが聴覚派を自認する小生にとっては最も好きな女優の一人である。そのポーラ・プレンティスの相手をしているのがロック・ハドソンであるが、当時はまだカリスマ度が色褪せてはいなかったロック・ハドソンですら彼女の前では形無しと言うところである。そもそも当時のスター度からすれば、本来はロック・ハドソンの相手をしているのがポーラ・プレンティスであると言うべきところであるが、少なくともこの作品においては完全に立場が逆転しており主導権は完全にプレンティスの方が握っている。

 そのような立場の逆転をより一層際立たせているのが、カリスマタイプの俳優であるロック・ハドソンがこの作品においてはいつもの男性至上主義的キャラクターをきっぱりと捨てて、サバイバル度ゼロの根性なし男を演じており、テントは組めないは、泳げないは、挙げ句の果てには釣り上げた魚が気持ち悪くて触れないというように、山の手のお嬢さんもかくやというような人物を演じていることである。現在で言えば、ヒュー・グラント演ずる甲斐性無しのダメ男と似たようなキャラクターであるが、それを本来はカリスマ的魅力で売っていたロック・ハドソンが演じているが故に余計に可笑しいわけである。男まさりのポーラ・プレンティスと意外や意外女まさりのロック・ハドソンの絶妙なコンビが醸し出す雰囲気は、そんじょそこらのスラップスティックコメディよりもはるかに可笑しく、特に大男のロック・ハドソンが、ポーラ・プレンティスに最初から最後迄振回される様子は実に滑稽に見える。ラストシーンだけを見ていると、見掛けの上ではロック・ハドソンが最後の最後にポーラ・プレンティスを釣り上げたという印象を受けるのは確かであるが、しかし全体的な流れから言えばこの映画のタイトルは「男性の好きなスポーツ」よりも「女性の好きなスポーツ」とした方が実情にかなっていたのではないかという印象すらある。

 ロック・ハドソン主演のロマンティックコメディと言えばドリス・デイとのコンビが多いが、そのように考えてみるとドリス・デイとのコンビよりもポーラ・プレンティスとのコンビの方が興味深いので、この1作しかないというのは実に残念なところである。何故ならば、ドリス・デイとのロマコメの場合には、いくら「恋人よ帰れ」(1962)でのようにドリス・デイがキャリアウーマンを演じていても、女性であるドリス・デイの方が常に男性至上主義的ロック・ハドソンの関数としてしか機能していない為あまり新鮮味がないのに対し、ポーラ・プレンティスとのコメディの場合には、彼女の方が常にロック・ハドソンを一歩二歩と先んじていて新鮮な驚きがあるからである。女性優位のロマンティックコメディというジャンルは、キャサリン・ヘップバーンの例を見ても分かるように一種の伝統として連綿と続いているのであり「男性の好きなスポーツ」が殊更新しいと言うつもりは毛頭ないが、ポーラ・プレンティスの場合には説明は困難ながら非常にモダンな感覚があり、彼女とロック・ハドソンの意外性のあるコンビが実にフレッシュな感覚を与えることも事実である。大袈裟に言えば、この映画におけるポーラ・プレンティス演ずるキャラクターが持つパーソナリティは、1970年代のウーマンリブ運動の高まりを予見するとすら言えるかもしれない。

 そのようにフレッシュでモダンな感覚のある「男性の好きなスポーツ」は、個人的には3度のメシより大好きな映画であるが、ホワード・ホークスの作品であるにも関わらず、メジャーになり切れなかった点に関しては確かにそれなりの理由があるように思われる。その1つとして、後半から終盤にかけてややストーリー展開が中弛みになるところがあり、殊にポーラ・プレンティスとロック・ハドソンの行動の動機が不明瞭になる点が挙げられる。ロック・ハドソン演ずる主人公ウイルビーは、釣りの専門家として釣りのトーナメントに参加するけれども、魚に触るのも憚られる彼は一度も釣りなどしたことがないのでその事実をひた隠しにしている。それにも関わらず、偶然の連続により彼がトーナメントに優勝した途端に、釣りなどしたことがない事実を告白しなければならないと突然ポーラ・プレンティス演ずるアビゲイルに涙ながらに訴えられ、彼もその事実を公然とぶちまけるが、このあたりの心理描写がチグハグであるという印象から免れることは出来ない。勿論、いずれにしてもこの映画はシリアスなドラマではないので、その点は大目に見るべきかもしれないが、実はハワード・ホークスは本書でも紹介した前作の「ハタリ!」(1962)においても、ジョン・ウエインとエリザ・マルティネリの終盤のロマコメシーンにおいて全く瓜二つの不可解な展開に陥っており、いかにもその方面では不器用そうなハワード・ホークスはひょっとすると女性心理の展開というような素材のハンドリングが実は苦手であったかのようにも思われる。そのような彼が、1970年代のウーマンリブ運動を予見するようなモダンな女性像を提示し得たとは奇跡のように思われるかもしれないが、歴史にパラドックスは付き物であり、物事の新しい見地とは時に意図せずして開示されるものなのである。また、熊がバイクに乗ったり、救命具をつけたロック・ハドソンが湖に落ち救命具が膨張し過ぎて水中で逆さになったりというようなスラップスティックに時々傾くが、個人的にはなかった方が良かったような印象がある。何故ならば、そのようなあからさまなスラップスティックシーンがなくてもこの映画は十分に可笑しいからである。ということで終盤ややまとまりに欠ける印象があることは否めないとは言え、全体的には見ていて文句無しに楽しめる映画であることに相違はなく、1960年代ののどかなロマンティックコメディの一編として、またそれとはやや矛盾するようにも聞こえるが1970年代以後のウーマンリブ運動の高まりを予言するような内容を持つ先駆的な作品として是非とも国内でもDVDが販売されることを望むタイトルの1つである。

※当レビューは、「ITエンジニアの目で見た映画文化史」として一旦書籍化された内容により再更新した為、他の多くのレビューとは異なり「だ、である」調で書かれています。

1999/04/10 by 雷小僧
(2008/10/16 revised by Hiroshi Iruma)
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