最後の航海 ★☆☆
(The Last Voyage)

1960 US
監督:アンドリュー・L・ストーン
出演:ロバート・スタック、ドロシー・マローン、ジョージ・サンダース、エドモンド・オブライエン



<一口プロット解説>
老朽化した豪華客船が、大洋の真っ只中で今まさに沈没せんとする。
<雷小僧のコメント>
最近またパニック映画が復活してきたようですが、パニック映画が最もその全盛を誇っていたのは1970年代であると言えましょう。それ以前には、ほとんどこの分野に属する映画は製作されていなかったように思います。いやそんなことはない「宇宙戦争」(1953)のように宇宙人が侵略して人々が逃げ惑う映画があったではないかと言われるかもしれませんが、それらは所謂パニック映画とは焦点が違っていたように思います。そういうSF的な映画というのは、人々がパニックする様子ではなく、宇宙人であるとかモンスターであるとかどちらかというとそういうところに焦点があったわけであり、ちょっと言い方が悪いかもしれませんが何やら苦境にある人々をサディスティックに見つめるのが目的のようなパニック映画とは違っていたわけです。あちらではこういう映画をdisaster moviesというように思いましたが、その名の通りカタストロフィックな災害が発生して、なす術のない人々が右往左往するのが描写されているわけであり、非常にアンモラルなことを言わせて頂ければ、人間というのは結構こういう他人がカタストロフィックな災害に逢うのを見ることに好奇心を持っているのですね。たとえば、どこかで飛行機が墜落したと聞くと一生懸命微に入り細を穿ってその詳細を知ろうとするわけです。社会学者のボードリヤールに言わせれば、こういう傾向というのは、人々が如何に太古からある象徴交換的メカニズム(経済的な等価交換システム或は蓄積的な資本主義システムではなくいわばALL or NOTHINGの蕩尽的なシステム)に未だ支配されているかということを示唆しているということになるのですが、話がこみ入ってくるのでこれを詳述することはここでは避けることにします。
さてこの「最後の航海」が製作されたのは1960年であり、扱っている内容は「タイタニック」(1997)と同様ある豪華客船(勿論タイタニックではありませんが)が大洋の真っ只中で沈んでいく様子と、船と運命を共にするのを避けようとする乗客が逃げ惑う様子が描かれています。そういう意味においても、まさにパニック映画のはしりのような映画であると言えるのですが(50年代にタイタニックの沈没を描いた映画が2本程あったように覚えていますが、昔テレビで見ただけでちょっと内容は覚えていません)、ただ昨今のパニック映画とはちょっと違うところがあるのですね。それは何かというと、このところのパニック映画には何やらパニックとは直接関係のない人間関係のようなものをやたらと織り込みたがる傾向があるのに対し、この「最後の航海」はストレートに船が沈んでいく様子しか描かないのです。勿論、ロバート・スタック、ドロシー・マローン及びその娘というある一家族をメインとしてストーリーが進行するのですが、それはあくまでもこの沈みゆく船内でたった今この家族に起こりつつあるドラマを描いているのにすぎないのです。それに対して昨今のパニック映画というのは、たとえば「ディープ・インパクト」(1998)で言えば、マクシミリアン・シェル、バネッサ・レッドグレーブ、あと名前がよく分かりませんがその娘の家族関係、「アルマゲドン」で言えばブルース・ウイリスとその娘とそのボーイフレンド、或は「タイタニック」にしてからがケート・ウインスレットの回顧というようにパニックシーンとは余り関係のない観点を持ち込む傾向があります。では70年代のパニック映画ではどうであったかというと、豪華客船が沈没するというプロットが「最後の航海」や「タイタニック」と同様であった「ポセイドン・アドベンチャー」(1972)にも、巨大隕石が落下するというプロットが「ディープ・インパクト」や「アルマゲドン」と同様であった「メテオ」(1978)にも、それから1970年代パニック映画の頂点をなす「タワーリング・インフェルノ」(1974)にもあまりそのような災害以外の外的要素を持込む傾向はなかったように思います。勿論、「ジャガーノート」(1974)や「大地震」(1974)のように若干そういう傾向のあるパニック映画もありましたが、90年代後半に入ってからのパニック映画程には、そういう傾向は少なかったように思えます。この意味において、現代のパニック映画を見慣れた人が、この「最後の航海」を見ると、少し何かが違うというか何かが足りないのではないかと最初は思われるかもしれません。何せ開始そうそう大洋の真っ只中を航行する豪華客船が写し出され、数分後には早くも船内に火災が発生する様子が描写されます。現在のパニック映画のようになかなか実際の災害シーンに至らない映画とは全く違っており、これは要するに人間関係描写等の災害とは直接関係のない錯綜した外的要素を持込む意図がこの映画にはあまりないことを示唆しているように思えます。でも逆にこれがフレッシュに感じられるのですね。実は私目もこの映画を最初に見た時は何か物足りない気がしたのですが、もったいぶった余計なサイドプロットがないだけにしばらく見ている内にどんどんと映画に引き込まれていくのですね。そういうストレートな力強さがあるように思います。
それからもう1つは、昨今のパニック映画にはどうも俺が犠牲になる的なお涙頂戴ヒロイズムがいやに鼻につくのですが(1回や2回ならまだしも、見る映画見る映画皆そうであるとええ加減にしてくれやと言いたくなります)、こういうセンチメンタリズムは「最後の航海」にもありませんし70年代のパニック映画にもなかったように思います。「カサンドラ・クロス」(1977)のリチャード・ハリスに至っては、谷底に今まさに落ちんとしている列車の前半部の車両に乗っている乗客を見捨てて鉄橋の手前で一人でその列車から飛び降りてしまいます。「タワーリング・インフェルノ」のスティーブ・マクイーンにしろポール・ニューマンにしろきちんと自分も生き残る算段を整えてからビルの屋上にある水槽を爆破します。確かに「ポセイドン・アドベンチャー」のジーン・ハックマンは自ら犠牲になりますが、彼はそれ以前のストーリーの中で非常に我の強い牧師として描かれているわけであり、たとえば「アルマゲドン」のブルース・ウイリスのように最初から最後までかっこつけたセリフを吐いて最後に俺が犠牲になるなどとこれまたかっこつけた仕方で言うのとは(それ故彼があそこでああいう行動を取るであろうとは見ている誰もが予測出来たのではないでしょうか)全く違ったリアルさがそこにはありました。「最後の航海」でもメインの登場人物で犠牲になるのは、結局頑固な船長のジョージ・サンダースだけであり、彼がヒロイックな人物でないことは火を見るよりも明らかです。まあ、何もヒロイズムそのものが悪いと言っているわけではないのですが、余りにもそれが目に付きすぎると何か三文小説的なメロドラマを見ているのではないかというチープな感じが私目の場合はしてくるのですね。そういう意味で、この「最後の航海」は非常にドライなのですが、それだけにリアルな印象がうまく醸し出されているように思います。
それから、この映画はイル・ド・フランス号というリタイアした本物の豪華客船を実際に沈めて撮影したそうで、この当時の水準からすると恐ろしくリアルというか迫力があります。最後の方のシーンで船が波間に消えていく様子は、「タイタニック」と比較してもそうひけを取るものではないように思われます。また、ドロシー・マローンが潰れた船室の中で残骸の間に挟まって抜け出せなくなって悪戦苦闘する様子はマローンのファンの私目としては見ていられませんでした(これはちょっとオーバーですね)。まあ、いずれにしてもあまり知られている映画とは言えないのですが、昨今のパニック映画と比較して見るという意味においても面白い映画であると言えるように思います。

2000/09/09 by 雷小僧
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