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50年代初頭に隆盛を誇っていた冒険活劇調の作品で、正直言えばこのタイプの映画は個人的にはあまり好みではありません。一つ留意しておかねばならないことは、50年代初頭当時の冒険活劇映画を、現在のアクション映画と同様な意味合いでアクション映画として捉えるのは誤解を招くであろうことです。何故ならば、確かにこの作品にもラストにスチュワート・グレンジャーとメル・フェラーの大チャンバラアクション劇があるとはいえ、一般的に言えば、現代のアクション映画の主眼が個別的なアクションに置かれがちになるのとは異なり、50年代初頭当時の冒険活劇映画は、物語性すなわち冒険の部分にかなり大きなウエイトがかけられていたからです。いずれにせよ、この作品は、現代のド派手なアクション映画に全く見劣りしないプロダクションバリューを持つ、実にエンターテイニングな作品に仕上がっていることに間違いはありません。フランス革命の時代を舞台とし、舞台、衣装等のセッティングが実にゴージャスなのですね。また他のレビューで何度も述べていることですが、50年代当時のカラー映画における色に対する感覚は実に優れているケースが多く、この映画もその例外ではありません。この映画の場合、単にインテリアばかりでなく(殊に最後のシーンでスチュワート・グレンジャーとメル・フェラーが決闘する劇場は色彩的にもゴージャスです)、たとえばジプシーの芸人の住む森の様子などハッとするくらいに鮮やかな色彩で充たされています。ところで、この映画の原題は「Scaramouche」であり「スカラムーシュ」と発音しますが、これはこの映画の劇中劇の中でスチュワート・グレンジャーが演ずるコメディキャラクターの愛称なのです。スチュワート・グレンジャー演ずる主人公は当局から追われる身ですが、「スカラムーシュ」というコメディキャラクターの仮面の裏に隠れて当局の追求を逃れているというわけです。この辺の物語構成がかなり凝っており、またスチュワート・グレンジャーとエリノア・パーカーが劇中劇で実際にコメディパフォーマンスを演じている様子がなかなか滑稽です。と言っても、劇中劇で演じられている彼らのコメディパフォーマンスそれ自体が可笑しいというわけではなく(むしろドリフターズですら裸足で逃げるようなダサパフォーマンスなのです)、それが劇中劇として呈示される限りにおいて実に可笑しく見えるタイプのパフォーマンスが繰り広げられているのです。観客の有するパースペクティブと演技者が演技するパフォーマンスとの共犯的なからくりが、うまくエンターテイニングに処理され呈示されているように思われ、それがこの映画の大きな売りの1つになっているとも言えるでしょう。演劇用語ではメタシアター効果とも呼ばれるからくりですが、これに関する詳細は「残酷の沼」(1967)のレビューを参照して下さい。主演のスチュワート・グレンジャーは、50年代の冒険活劇映画には欠かせなかった俳優の一人であり、デボラ・カーと共演した「キング・ソロモン」(1950)がその代表作と言えるでしょう。彼はイギリス生まれであり、個人的には冒険活劇バージョンのレイ・ミランドというような印象があります。余談ですが彼の本名はジェームズ・スチュワートであり、さすがにアメリカへ渡ってこの名前は使えないでしょう。エリノア・パーカーは、この映画では高貴な印象を棄てて安っぽく見えるジプシー芸人を演じています。高貴と言えばマリー・アントワネットを演ずるニーナ・フォックが実に高貴且つクールでいかにもマリー・アントワネット役に似つかわしく見えます。それからビクター・ヤングの音楽も印象的で、オープニングでは一瞬リヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」(出だしだけやけに威勢のいい曲です)を思わせるところがありますが、後年の彼の大傑作「八十日間世界一周」(1956)(というと「兼高かおるの世界の旅」を思い出します)中のフレーズを思わせる音楽をところどころで聞くことが出来ます。ということでエンターテイニング性という点では文句無しの作品です。