砂漠の女王 ★★☆
(The Story of Ruth)

1960 US
監督:ヘンリー・コスター
出演:スチュワート・ホイットマン、エラナ・イーデン、トム・トライオン、ビベカ・リンドフォース

左:スチュワート・ホイットマン、右:エラナ・イーデン

この作品は旧約聖書をベースとした宗教映画で、ヘンリー・コスターが監督しています。コスターと言えば、この分野の作品をそれまでにもいくつか撮っており、有名な作品としてはあの「聖衣」(1953)が挙げられます。「あの」という修飾子をわざわざつけましたが、この映画が有名であるのは、今日ではむしろCinemaScopeワイドスクリーン映画第一号としてであるという方が正しいでしょう。当然見る人にも依存するのでしょうが、内容的には現在の目から見れば今一つなところがあります。まあ宗教というテーマ自体があまり現代では受けないという事情もありますが、必要以上に古臭いという印象があるのですね。私めはまだ見ていませんが(もう少し巷の熱がさめてからゆっくり見るつもりです)、「ダ・ヴィンチ コード」で宗教的側面が取り沙汰されていたとしても、それはゴシップ的域を出ることは決してないのであり、むしろネガティブな表現が問題になっていたりするわけです。

ところで、50年代の宗教映画のいくつかは、同時にスペクタクル史劇でもありました。この「聖衣」がそうであり、或いは最も典型的には「十戒」(1956)や「ベン・ハー」(1959)がそうです。これらの作品を見ていてハタと思うことは、これらの作品は宗教劇をスペクタクル史劇で味付けしたのか、それともその逆にスペクタクル史劇を宗教劇で味付けしたのかという点であり、雰囲気的には「聖衣」や「十戒」は前者で「ベンハー」は後者のような気もしますが、実際は逆であるのかもしれません。というのは、たとえば「十戒」はもろに旧約聖書が題材とされているので明らかに宗教劇がメインであるように見えますが、むしろデミルが監督であることからも想像出来るように、また実際に作品を見れば分かるように、本来はスペクタクルであることに主眼があって、旧約を題材としたストーリーは単にそれを実現する為のマテリアルであったと考えることも可能であるように思われるからです。いずれにしても、宗教に一種のエンターテインメント的価値が付着していたのが50年代スペクタクル宗教史劇の大きな特色であったと言えるでしょう。それを考えてみると、「聖衣」という宗教映画が、ワイドスクリーン映画第一号であったというのは実に意味深ではありませんか。まあワイドスクリーンの横長画面は、「最後の晩餐」を再現するのにしか向かないであろうなどと半分冗談で言う人もいることですし(全然関係ないか)・・・。

他のコスターの宗教作品として、私めの好きな「A Man Called Peter」(1955)が挙げられます。この作品はスペクタクル史劇のような歴史劇ではなく現代のとある牧師が主人公になっています。この主人公を演ずるリチャード・トッドが素晴らしく、彼の型破りな演説とパーソナリティがこの作品の最大のポイントになっています。トッドは個人的には非常に好きな俳優ですが、出演作は多くはなく、日本で最も知られているのはヒチコックの「舞台恐怖症」(1950)においてでしょう。他には国内では、「あの日あの時」(1956)などがDVDで発売されています。それから国内ではビデオでも手に入らないかもしれませんが、ロイ・ウォード・ベイカーの70年代傑作ホラー(と勝手に考えています)「アサイラム」(1972)にも出演しています。この作品についてはいつかその内ブログでも取り上げましょう。話を「A Man Called Peter」に戻すと、「尼僧物語」(1959)のレビューで「A Man Called Peter」は徹底的にユニボイスな宗教映画であると書きましたが、一人の主人公が迷うことなく説教を行うシーンが全編に渡って散りばめられているこの作品には、何やら弁論大会のような雰囲気がないではないとは言え、やはりリチャード・トッドのパフォ−マンスがこの作品の価値をググっと押し上げていると言えるのではないでしょうか。

次に取り上げるコスターの作品は、肝心の「砂漠の女王」ですが、この作品は1960年に製作されており、正確には1950年代の作品ではありません。冒頭で述べたように旧約聖書をベースとした宗教映画であるとはいえ「十戒」のようなスペクタクル史劇という範疇に属する作品ではありません。60年代に入ると歴史宗教劇であってもスペクタクル史劇ではないというパターンが現れ、他の例ではすぐに思い浮かぶ例で言えばたとえば「剣と十字架」(1961)などもそうですね(私めの好きな「ボーイハント」(1960)で光っていたドロレス・ハートが出演しているのですぐに思い浮かんだのでしょう)。50年代にそのような作品がなかったわけではないのでしょうが、やはり50年代はスペクタクル宗教劇がどうしても目立ってしまうわけです。この両者の違いは、出演している俳優からも明白であり、50年代のスペクタクル宗教史劇の主だった出演俳優は当時のトップスターが名を連ねていたのに対し、「砂漠の女王」の場合必ずしもマイナーであることが意図して製作されていたわけではないように思われるのにキャストは極めて地味です(「剣と十字架」も同様ですね)。メインキャラクターのルースを演じているのはエラナ・イーデン(画像右)という女優さんで、多分この名前を聞いたことがある人は少ないのではないでしょうか。それもそのはず、彼女はIMDBで調べてもほとんど他に出演作はないことが分かります。他には、スチュワート・ホイットマン(画像左)、ペギー・ウッド、ビベカ・リンドフォース、セイヤー・デービッド等が出演していますが、とても当時のトップスターとは言えない俳優さん達ばかりです。

ところでこの作品を見ていて受けた印象は、宗教映画はナレーション(ナレーターが語るナレーションという意味ではなく、物語的な語りしかも流れるようなリズムを持った語りという意味でのナレーションということであり、現在の映画にいかにこのナレーションという要素が不足しているかについてはいずれ別の機会に取り上げましょう)が大きな意味を持つジャンルだなということです。考えてみれば、聖書も基本的にはナレーション(語り)であると言うことが出来るのではないでしょうか。言わばキリスト教という宗教的な信仰の根底にはナレーションが大きな役割を果たしていた(る)ということかもしれません。あまり宗教に詳しいわけではないので半分推論ですが、これに対し他の宗教では戒律的な経典が中心であることが多いのではないでしょうか。「十戒」というテーマは確かに戒律的かもしれませんが、まず第一に十戒は必ずしもキリスト教という宗教のみの母体ではない旧約聖書の中で語られているのであり、またそれにも関わらず旧約聖書という1つの壮大なナレーションの体系の中で戒律が語られているところが既にナレーションの優位を物語っていると言えるのではないでしょうか。と書きながら、あまり偉そうなことを書いていると聖書など読んだことがないという馬脚が音をたてて現れてしまうので、これについてはこの辺で止めておくことにしましょう。いずれにしても流れるようなナレーションで構成される「砂漠の女王」のような映画は、むしろエピソードが断続的に並べられる「十戒」のようなスペクタクル宗教史劇と比べると見ていて一種の心地よさがあるのですね。このような映画を見ていると、現在の映画にないものは何かということがおぼろげながら分かるような気になります。


2006/08/13 by Hiroshi Iruma
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