十戒 ★★★
(The Ten Comandments)

1956 US
監督:セシル・B・デミル
出演:チャールトン・ヘストン、ユル・ブリナー、アン・バクスター、エドワード・G・ロビンソン

左:アン・バクスター、右:チャールトン・ヘストン

宗教をテーマとする映画は、現在ではほとんど製作されなくなってしまいましたが、50年代から60年代の前半にかけては、大作エンターテインメント映画といえば、たとえわずかであっても宗教的な要素が含まれるのが普通でした。ここに取り上げる「十戒」のように(旧約)聖書に直接依拠する作品は当然であるとしても、たとえば「クォ・ヴァディス」(1951)、「聖衣」(1953)、「ベン・ハー」(1959)等の、通常は歴史スペクタクル映画であると見なされてはいても、その実キリスト教徒の殉教がテーマとして扱われている作品がかなりあります。アメリカは、自由競争の国或いは資本主義の砦のような国であると思われていたとしても、ロナルド・イングルハートなども述べているように、実際にはヨーロッパのプロテスタント諸国に比較すると宗教的にはかなり保守的な側面が見られ、宗教映画の隆盛には、そのようなアメリカの持つ特異性が反映されていると考えられるかもしれません。ところで、聖書に基く「十戒」のような映画を製作すると、監督として脚色出来る部分はあまり多くはないとよく言われます。それは本当かなと思いつつ、当の「十戒」を見ていると、少なくともこの作品に関してはそのことは全く当て嵌まらないように思われます。そもそも、宗教映画と聞くと、大した理由はないにもかかわらず、見た目にもきっと地味な作品であろうと思いたくなりますが、「十戒」の持つ絢爛豪華さは、エンターテインメント性においても並のレベルを遥かに超越しています。とにもかくにも、赤と青を基調とした色彩が誠にゴージャスであり、そのあまりの華やかさは、この作品は本当に旧約聖書を題材とした宗教映画なのかと思わせるに十分な程です。個人的には、恥ずかしながら聖書は新約にせよ旧約にせよただの一度も目を通したことがありませんが、文芸評論家のエーリッヒ・アウエルバッハなどに言わせると、ストーリーが語られる中で発生する各イベントを視覚空間的な二次元的表面に配置する傾向を持つ古代ギリシャ的なストーリー構成を超越し、言葉の表面のみに捉われず言外の意味を掘り下げて解釈することを第一義とする意味の重層性の重視を体現した聖書の出現は、極めてエポックメイキングな出来事であり、その後の文学のあり方を根本的に変革したということになるようです。ということは、本来聖書は視覚的に構成されていなかったということです。旧約聖書を原典とする一神教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)においては、しばしば偶像崇拝が禁止されるのも、このあたりにその理由があるのかもしれません。物語として語られるイベントの視覚的で表面的なイメージよりも、その背後に横たわる意味の方が重要であると見なされるようになったということです。宗教映画は見た目にも地味であろうと我々が考えるとするならば、そのように考える原因の1つは、宗教とは決してスペクタクルな見せ物であるはずがないという考えが頭をよぎるからでしょう。ところが、「十戒」という作品は、そのような偏見を軽々と超越し、実にゴージャスなビジュアル空間をオーディエンスに見せ付けてくれます。これは単にビジュアル面だけに限られることではなく、セシル・B・デミルは、聖書というそれ自体強力なパワーを持つマテリアルに依拠しながらも、見事にそれを自分の流儀で処理することに成功しているように思われます。殊に旧約聖書という素材はジョン・ヒューストンのような巨匠ですら、「天地創造」(1966)でハンドリングに失敗したことを考えると、「十戒」でのデミルのハンドリングは、まさにデミルならではの力技と言わねばならないでしょう。惜しむらくは、あまりにも上映時間が長すぎて、とても何度も繰り返して見る気になれないところがありますが、旧約にせよ新約にせよ宗教映画をこれだけのエンターテインメント作品に仕上げてしまうとは、まさにデミルにしか可能でない大魔術であったとすら云えるでしょう。


2003/03/21 by 雷小僧
(2008/10/08 revised by Hiroshi Iruma)
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