引き裂かれたカーテン ★☆☆
(Torn Curtain)

1966 US
監督:アルフレッド・ヒチコック
出演:ポール・ニューマン、ジュリー・アンドリュース、リラ・ケドロヴァ、ハンショルク・フェルミ

左:ポール・ニューマン、右:ジュリー・アンドリュース

」(1963)以降のヒチコックの作品は、総じて評価が芳しくなく、1960年代後半に製作された「引き裂かれたカーテン」も当然その中に含まれます。しかしまあ考えてみれば、そのような評価がなされるのは、まさにヒチコックのそれまでの作品と比較されるが故であり、「引き裂かれたカーテン」なども、並の監督の作品であったならば、その監督の代表作と言われていてもさ程不思議はないかもしれません。不必要に間延びしたシーンがあることも確かですが、一種のスパイものサスペンス映画としてそれなりに楽しめる作品であることは間違いないからです。ヒチコックにとって不運なことに、まさに彼がヒチコックであるが故に見る側の期待が大きすぎて、「それなり」の作品はことごとく、「何これ?」の作品と化してしまうのですね。そのような印象を受けざるを得ないのがこの作品であり、プロの書いたレビューを読んでもあまり評判はよろしくありません。それでは、この作品のどこに問題があるのでしょうか? 個人的な見解では、ズバリ!これぞヒチコックというような独自性或いは新しさがこの作品では全く感ぜられないところに大きな問題があるように考えています。確かに個々のシーンのみをピックアップすれば、「めまい」(1958)を思い出させる美術館のシーン、ポール・ニューマン演ずる科学者が東側の科学者から極秘の方程式を巧妙に聞き出すシーン、後半のバスでの逃走シーン、劇場で群衆が逃げ惑うシーン、或いはいくつかのコミックなシーンなど、いかにもヒチコックというようなシーンは数多くあり、それらが繋ぎ合わされたストーリー展開は前述の通りかなり楽しめるものに仕上がっていることは確かです。けれども、それらを総合して作品を全体として眺めた場合に、たとえば「これぞヒチコックの「めまい」!」と唸らせるのと同じような意味で、「これぞヒチコックの「引き裂かれたカーテン」!」と唸らせるような何かがごっそりと抜け落ちているように感ぜざるを得ないのです。従って、この作品ならば、ヒチコックでなくとも、他のそこそこの監督でも十分間に合っていただろうなどという不埒な考えがどうしても頭をよぎってしまうわけです。また、ワンテイクで撮影した「ロープ」(1948)のような技法的なウルトラCは別としても、メタ映画的側面を色濃く有する「裏窓」(1954)及び「めまい」、ミステリーサスペンスにアクション要素を盛り込んだ「北北西に進路を取れ」(1959)、例の斬新なシャワー室シーンでフィルムノワールというジャンルの息の根を止めた「サイコ」(1960)、なぜ鳥が人間を襲うかという説明を与えず因果連関の根をきっぱりと断ち切った「鳥」など(それぞれの詳細については各作品のレビューを参照して下さい)、彼の代表的な作品には映画史的な観点からも一作ごとに何か新しい仕掛けがありました。ところが、そのような新しさは「マーニー」(1964)以後の作品には全く見られず、どうやらヒチコックは昔の名前で出ているのではないかと思わざるを得ないところがあります。「引き裂かれたカーテン」では、東側の科学者の持っている情報を引き出す為に、西側の科学者が東側にえせ亡命して、秘密の情報を手に入れた後、間一髪のところで共産圏を脱出する(従って少々オーバーですが引き裂かれたカーテンということになります)というようなサスペンスストーリーが展開され、1960年代後半に流行っていたスパイもの映画のバリエーションであると見なせるかもしれません。当然、当時は東西冷戦が真っ盛りであった頃であり、その意味では大袈裟に言えば当時の政治状況を反映した作品であったということにもなるでしょう。しかしながら、ヒチコックは、時代時代の状況に合わせた作品などというシロモノは撮ってこなかったタイプの人であり、だからこそ、彼の代表的な作品は如何に画像が古びて見えても、今日の目からも十分に面白く、また十分に問題提起的であり、すなわちそこには時代を越えた普遍性が宿っていたのです。東西冷戦下のスパイを主人公とした「引き裂かれたカーテン」は、現在の視点から見るとまさにその点すなわち普遍性という点で余計に見劣りがしてしまうのですね。ヒチコックのあまたの傑作には、この普遍性が常にどこかに宿っていたのです。まあ東西冷戦を背景としたスパイものなどというマテリアルを監督作として選んだ時点で、既にあまり彼らしくなかったとすら云えるかもしれません。そういうわけで、個人的な見解としては、「引き裂かれたカーテン」という作品をそれなりに面白く見るのに第一に必要なことは、この作品がヒチコックの作品であることをとりあえず忘れて見ることにつきるのではないかと考えています。そうすれば、やはりナラティブの展開においては人後に落ちることのないヒチコックの作品であるだけに、サスペンスフルな展開はなかなかにエンターテイニングです。ところで、この作品はヒチコックが、トップスターを起用した最後の作品ですが、キャスティング自体は彼の責任ではないかもしれないとはいえ、相当変わったキャスティングであると言わざるを得ないところです。ポール・ニューマンは、あまり科学者には見えないことは別としても、これまでの実績から見ればヒチコックが好んで起用するタイプには見えません。ジュリー・アンドリュースはそれ以上であり、そもそもゴージャスなブロンド美女の尻ばかりを追いかけていたひひおやじのヒチコックが、いわば基本的にロンパールーム上がりのジュリー・アンドリュースを好んで起用するとはあまり考えられないような気がします。因みにアンドリュースも一応ブロンドですが、ゴージャスさとは無縁であり、正直云えば昔よりも「プリティ・プリンセス」シリーズでの最近の彼女の方が、威厳が加わった分、見栄えがするような印象すらあります。ヒチコック+ニューマン+アンドリュースというこの変わったトリオが、この作品ではうまく機能しているかというと、それにはかなり大きな疑問がありますが、いずれにせよ話題性という面では興味深いものがあります。最後に、「マーニー」以後のヒチコック作品の中で個人的に一番見た回数が多いのは、「引き裂かれたカーテン」であることを付け加えておきましょう。


2008/08/01 by Hiroshi Iruma
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