マーニー ★☆☆
(Marnie)

1964 US
監督:アルフレッド・ヒッチコック
出演:ショーン・コネリー、ティッピー・ヘドレンダイアン・ベイカー、マーティン・ガベル
左:ティッピー・ヘドレン、右:ショーン・コネリー

60年代に入ると、ヒッチコックは、単純なミステリースリラーではなく、一見すると精神分析的な要素を加味した「サイコ」(1960)のような作品を監督するようになります。そのような傾向が頂点に達するのが60年代中盤に公開された「マーニー」であり、全編に渡ってミステリースリラーが精神分析的サイコプロセスによって解決されるがごとくの装いの下でストーリーが展開されます。つまり、「マーニー」においては、主人公マーニー(ティッピー・ヘドレン)がなぜ赤い色や雷雨に脅え、常習的に盗みを繰り返すのかというミステリー的な問いが、忘れられた過去を暴く精神分析的なサイコプロセスを経て解決されるという構成が取られています。従って、ストーリーは「イブの3つの顔」(1957)や「去年の夏突然に」(1959)などの、題材として精神異常が取り上げられた作品と類似する展開になりますが、しかしながら、「カッコーの巣の上で」(1975)のレビューで述べたように、これらの作品では精神病そのものがストレートに扱われているのではなく、単に演劇的なパフォーマンスの素材として扱われているだけであり、同様な批判は「マーニー」にも当て嵌まります。すなわち、精神病の治癒プロセスが展開されているようにも見える「マーニー」の構成は、そっくりそのままミステリーのソリューションを提示する為の素材として扱われているのです。勿論、「マーニー」の場合、精神病といってもいわゆるモロに狂人という意味ではありませんが、そもそも「marnie」という主人公の名前からして「maniac」などの狂人の意を持つ語の語幹「mani」を連想させ、間接的であれ精神病という意味合いが持たされていることは疑いのないところでしょう。いずれにせよ、いかにも精神分析的に見えるサイコプロセスがヒッチコックお得意のミステリースリラーに応用されていると見なせますが、純粋なヒッチコックファンはひょっとするとこのような手法は邪道であると見なすかもしれません。というのも、ミステリースリラーは純粋にミステリースリラーであるべきであり、その解法が精神分析的なプロセスで語られるのは或る意味でまやかしであるとも考えられるからです。たとえば、アガサ・クリスティーが精神分析的ソリューションを全編に応用したミステリーを書くはずは多分ないであろうことは容易に想像できます。なぜならば、それでは決してミステリーの解決ではなく、単なる1つの解釈が自己回帰的に適用されただけに終わる可能性が大だからです。「マーニー」のケースで考えると、マーニーが赤い色や雷雨に脅えるのは、最初から精神分析的プロセスからの借用によって導き出された現象が適用されたが結果であり、それを単にプロットの順方向の流れに従って配置したのみであるとも見なし得るのです。分かり易く言い換えると、マーニーが赤い色になぜ脅えるかというミステリー的な問いは、たとえそれがえせ精神分析であったとしても、精神分析的プロセスの存在を前提としなければそもそも解決不可能であるということであり、つまり、そこでは単に精神分析的自己解釈が展開されているだけであって、どこにもミステリー的な要素など存在しないことになります。例を挙げると、マーニーが赤い色になぜ脅えるかという問いに対して、幼い頃に自分の母親(ルイーズ・レイサム)に乱暴狼藉を働いた水夫(ブルース・ダーン)を自分が殺した時に見た血の色を無意識に覚えているからであるという解法が与えられますが、ミステリー的に言えばこれでは何の解法にもなっていないのであり、単なる精神分析を装った1つの解釈が述べられたに過ぎないのです。その証拠に、同じような解釈は、いくらでもでっち挙げることができるはずです。また、そもそもこの精神分析を装った解釈があってこそ、マーニーが赤い色に脅えるという前提を提示することができたのです。従って、「マーニー」は、或る意味でヒッチコック映画としては最初から不利を抱えているとも考えられるかもしれません。前述したように、多くのヒッチコックファンがこの作品はどうもヒッチコック映画にしては胡散臭い面があるなと思っていながら、それが正確にどこであるかを指摘できなかったかもしれませんが、個人的にはそのような点がこの作品に胡散臭さを与えている理由だと考えています。従って、「マーニー」を見る場合には、他のヒッチコック映画を見るのとは多少違う見方をした方が良いということであり、あまりミステリー的な要素は期待しないで単純にサイコドラマとして見た方が良いように思われます。DVDの特典で関係者の一人が、この作品のファンでなければヒッチコックのファンとは言えないだろうとする発言をしていますが、そもそもそのような言い方に問題があることは別にしても、個人的にはこの見解は完全にまとはずれのように思われます。なぜならば、これまで述べてきたように、客観的に見て、明らかに「マーニー」には、他のヒッチコック映画のファンであっても、イマイチだと思わせる要素が含まれているからです。ところで面白いことに、このような精神分析的な内容を持つこの作品に、精神分析とは180度対立する行動主義心理学の大親分であったジョン・B・ワトソンの孫娘であるマリエット・ハートレーが出演しています。マーニーがおゼゼをくすねる会社の秘書役を演じており、冒頭付近にしか出演していないので注意しましょう。そもそも彼女が女優になったのは、抱いたりあやしたりすることすら禁じるジョン・B・ワトソンの信条に従って育てられたことに対する1つの代償的な反抗としてであったというようなことを自ら述べているように、余程この偉大な祖父への反発があったのかもしれません。面白いものです。また、ダイアン・ベイカーが日本人も真っ青になるような不自然なほどの黒髪で登場します。確かにダイアン・ベイカーの記事を見れば分かるように彼女は他の作品でも髪は黒であることが多かったようですが、ここまで真っ黒けであるとは思いませんでした。多分染めたのだと思われますが、これはティッピー・ヘドレンのブロンドとのコントラストを際立たせるためでしょう。ヒッチコックは、いわばブロンドフェチでよくこれをやるのですね。出汁にされた方は、たまらないでしょうね。困った人です。


2005/10/02 by 雷小僧
(2008/10/27 revised by Hiroshi Iruma)
ホーム:http://www.asahi-net.or.jp/~hj7h-tkhs/jap_actress.htm
メール::hj7h-tkhs@asahi-net.or.jp